『シルバーバーチの霊訓』7巻 11章 なぜ神に祈るのか

※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【“あなたはなぜ神に祈るのですか”と問われてシルバーバーチは“祈り”の本来のあり方について次のように述べた―】それは私に可能な限り最高の“神の概念”に波長を合わせたいという願いの表れなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私は祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持を外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。本当の祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願する事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
我々の心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前に既に知れているのです。なのになぜ祈るのか。それは祈りとは我々の周りに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
その行為によってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置く事になるのです。僅かな時間でも心を静かにしていると、その間により高い波長を受入れる事ができ、我々に“本当に必要なもの”が授けられる通路を用意した事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
利己的な祈りは時間と言葉と精神的エネルギーの無駄使いをしているに過ぎません。それらには何の効力もないからです。何の結果も生み出しません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
が、自分をより一層役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、その時の高められた波長を通して力と励ましと決意を授かり、祈りが本来の効用を発揮した事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
では“誰に”あるいは“何に”祈るべきか―この問題になると少し厄介です。なぜなら人間一人一人に個人差があるからです。人間は必然的に自己の精神的限界によって支配されます。その時点までに理解したものより大きいものは心象として描き得ないのです。
皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑦』
ですから私もこれまでに地上にもたらされた知識に、ある程度まで順応せざるを得ない事になります。例えば私は言語という媒体を使用しなければなりませんが、これは観念の代用記号にすぎず、それ自体が伝えるべき観念に制約を加える結果となっています。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
このように地上のための仕事をしようとすれば、どうしても地上の慣例や習慣、しきたりといったものに従わざるを得ません。ですから私は、神は人間的存在ではないと言いながら男性代名詞を使用せざるを得ない事になります。―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―(例えば“神の法則”というのをHis lawsという具合に―訳者)私の説く神は宇宙の第一原因、始源、完全な摂理です。私が地上にいた頃はインディアンはみな別の世界の存在によって導かれている事を信じておりました。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
それが今日の実験会とほぼ同じ形式で姿を見せる事がありました。その際、霊格の高い霊ほどその姿から発せられる光輝が目も眩まんばかりの純白の光を帯びていました。そこで我々は最高の霊すなわち神は最高の白さに輝いているものと想像した訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
いつの時代にも“白”というのは“完全”“無垢”“混ぜもののない純粋性”の象徴です。そこで最高の霊は“白光の大霊”であると考えました。当時としてはそれが我々にとって最高の概念だった訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
それは、しかし今の私にとっても馴染み深い言い方であり、どのみち地上の言語に移しかえなければならないのであれば永年使い慣れた古い型を使いたくなる訳です。ただしそれは人間ではありません。人間的な神ではありません。神格化された人間ではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
何かしら“でかい”存在ではありません。激情や怒りといった人間的煩悩によって左右されるような存在ではありません。永遠不変の大霊、全生命の根源、宇宙の全存在の究極の実在であるところの霊的なエネルギーであり、それが個別的意識形体をとっているのが人間です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかしこうして述べてみますと、やはり今の私にも全生命の背後の無限の知性的存在である神を包括的に叙述する事は不可能である事を痛感いたします。が少なくとも、これまであまりに永い間地上世界にはびこっていた多くの幼稚な表現よりは、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―私が理解している神の概念に近いものを表現していると信じます。忘れてならないのは人類は常に進化しているという事、そしてその進化に伴って神の概念も深くなっているという事です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
知的地平線の境界がかつてほど狭くなくなり、神ないしは大霊、つまり宇宙の第一原理の概念もそれに伴って進化しております。しかし神自体は少しも変っておりません。これから千年後には地上の人類は今日の人類より遥かに進化した神の概念をもつ事になるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
だからこそ私は宗教は過去の出来事に依存してはいけないと主張するのです。過去の出来事を、ただ古い時代の事だからという事で神聖であるかに思うのは間違いです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
霊力を過去の一時代だけに限定しようとする事は、霊力が永遠不変の実在であるという崇高な事実を無視する事で、所詮は無駄に終ります。地上のいずこであろうと通路のあるところには霊力は注がれるのです。―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―(訳者注―聖霊は紀元六六年まで聖地パレスチナにのみ降り、それきり神は霊力の泉に蓋をされた、というキリスト教の教えを踏まえて語っている)過去は記録としての価値はありますが、その過去に啓示の全てが隠されてるかに思うのは間違いです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
神は子等に受容能力が増すのに応じて啓示を増してまいります。生命は常に成長しております。決して静止していません。“自然は真空を嫌う”という言葉もあるではありませんか。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなた方は人々に次のように説いてあげないといけません。すなわちどの人間にも神性というものが潜在し、それを毎日、いえ時々刻々より多く発揮するために活用すべき才能が具わっている事、それさえ開発すれば周囲に存在する莫大な霊的な富が誰にでも自由に利用できる事、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―言語に絶する美事な叡智が無尽蔵に存在し活用されるのを待っているという事です。人類はまだまだその宝庫の奥深くまで踏み込んでいません。ほんの表面しか知りません。【あなたは霊的生活に関連した法則をよくテーマにされますが、―】
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【肉体の管理に関連した法則の事はあまりおっしゃってないようにお見受けします―】おっしゃる通り、あまり申上げておりません。それは肉体に関して必要な事は既に十分な注意が払われているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私が見る限り地上の大多数の人間は自分自身の永遠なる部分すなわち霊的自我について事実上何も知らずにおります。生活の全てを肉体に関連した事ばかりに費やしております。霊的能力の開発に費やしている人は殆ど―もちろん“おしなべて”の話ですが―いません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
第一、人間に霊的能力が潜在している事を知っている人が極めて少ないのです。そこで私は正しい人生観をもって頂くためには、そうした霊的原理について教えてあげる事が大切であると考える訳です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私は決して現実の生活の場である地上社会への義務を無視してよいとは説いておりません。霊的真理の重大性を認識すれば、自分が広い宇宙の中のこの小さな地球上に置かれている事の意味を理解して、いちだんと義務を自覚するはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
自国だけでなく広い世界にとってのより良き住民となるはずです。人生の裏側に大きな計画がある事を理解しはじめ、その大機構の中での自分の役割を自覚しはじめ、そしてもしその人が賢明であれば、その自覚に忠実に生きようとしはじめます。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
肉体は霊の宿である以上それなりに果たすべき義務があります。地上にいる限り霊はその肉体によって機能するのですから大切にしないといけません。が、そうした地上の人間としての義務を疎かにするのが間違っているのと同じく、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―霊的実在を無視しているのも間違いであると申上げているのです。また世間から隔絶し社会への義務を果たさないで宗教的ないし神秘的瞑想に耽っている人が大勢いますが、そういう人たちは一種の利己主義者であり、私は少しも感心しません。何事も偏りがあってはなりません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
いろんな法則があります。それを幅広く知らなくてはいけません。自分が授かっている神からの遺産と天命とを知らなくてはいけません。そこで初めて、この世に生まれてきた目的を成就する事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
霊的事実を受入れる事のできる人は、その結果として人生について新しい理解が芽生え、あらゆる可能性に目覚めます。霊的機構の中における宗教のもつ意義を理解します。科学の意義が分るようになります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
芸術の価値が分るようになります。教育の理想が分るようになります。こうして人間的活動の全分野が理解できるようになります。一つ一つが霊の光で啓蒙されていきます。所詮、無知のままでいるより知識をもって生きる方がいいに決まっています。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
(続いて二人の読者からの質問が読上げられた。一つは)【“神は宇宙の全生命に宿り、その一つを欠いても神の存在はありません”とおっしゃっている箇所がありますが、もしそうだとすると神に祈る必要はない事になりませんか―】(というものだった。―)
『シルバーバーチの霊訓⑦』
(これに対してシルバーバーチはこう答えた―)その方が祈りたくないと思われるのなら別に祈る必要はないのです。私は無理にも祈れとは誰にも申しておりません。祈る気になれないものを無理して祈っても、それは意味のない言葉の羅列に過ぎないものを、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―機械的に反復するだけですから、むしろ祈らない方がいいのです。祈りには目的があります。魂の開発を促進するという霊的な目的です。ただし、だからと言って祈りが人間的努力の代用、もしくは俗世からの逃避の手段となるかに解釈してもらっては困ります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
祈りは魂の憧憬を高め、決意をより強固にするための刺戟―これから訪れるさまざまな闘いに打ち克つために守りを固める手段です。何に向って祈るか、いかに祈るかは本人の魂の成長度と全生命の背後の力についての理解の仕方に関わってくる問題です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
言い変えれば、祈りとは神性の一かけらである自分がその始源との一層緊密なつながりを求めるための手段です。その全生命の背後の力との関係に目覚めた時、その時こそ自我を見出した事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
(もう一つの質問は女性からのもので)【イエスは“汝が祈り求めるものは既に授かりたるも同然と信ぜよ。しからば汝に与えられん”と言っていますが、これは愛する者への祈りには当てはまらないように思いますがいかがでしょうか―】(というものだった―)
『シルバーバーチの霊訓⑦』
(これに対してシルバーバーチは答えた―)この方も、ご自分の理性にそぐわない事はなさらない事です。祈りたい気持があれば祈ればよろしい。祈る気になれないのでしたら無理して祈る事はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
イエスが述べたとされている言葉が真実だと思われれば、その言葉に従われる事です。真実とは思えなかったら打っちゃればよろしい。神からの大切な贈物であるご自分の理性を使って日常生活における考え、言葉、行為を規制し、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―ご自分が気に食わないもの、ご自分の知性が侮辱されるように思えるものを宗教観、哲学観から取り除いていけばよいのです。私にはそれ以上の事は申上げられません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【“求めよ、さらば与えられん”という言葉も真実ではなさそうですね―】その“与えられるもの”が何であるかが問題です。祈ったら何でもその通りになるとしたら世の中は混乱します。最高の回答が何もせずにいる事である場合だってあるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【今の二つの格言はそれぞれに矛盾しているようで真実も含まれているという事ですね―】私はいかなる書物の言葉にも興味はありません。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
私はこう申上げた事があるはずです―我々が忠誠を捧げるのは教義でもなく、書物でもなく、教会でもない。宇宙の大霊すなわち神と、その永遠不変の摂理である、と。
『シルバーバーチの祈り⑦』
ああ神よ。私たちはあなたの尊厳、あなたの神性、無限なる宇宙にくまなく行き渡るあなたの絶対的摂理を説き明かさんとし。もどかしくも、それに相応しき言葉を求めております。
『シルバーバーチの祈り⑦』
私たちは、心を恐怖によって満たされ精神を不安によって曇らされている善男善女が何とがあなたへ顔を向け、あなたを見出し、万事が佳きに計らわれている事、あなたの御心のままにて全てが佳しとの確信を得てくれる事を期待して、―
『シルバーバーチの祈り⑦』
―霊力の豊かな宝の幾つかを明かさんとしているところでございます。その目的の一環として私どもは、これまで永きにわたってあなたの子等にあなたの有るがままの姿―
『シルバーバーチの祈り⑦』
―完璧に機能している摂理、しくじる事も弱まる事もない摂理、過ちを犯す事のない摂理としてのあなたを拝する事を妨げてきた虚偽と誤謬と無知と誤解の全てを取り払わんとしております。
『シルバーバーチの祈り⑦』
私たちは宇宙には生物と無生物とを問わず全ての存在に対して、また全ての事態に対して備えができているものと観ております。あなた方から隠しおおせるものは何一つございません。神秘も謎もございません。あなたは全てを知ろしめし全てがあなたの摂理の支配下にございます。
『シルバーバーチの祈り⑦』
それ故私どもはその摂理―これまで無窮の過去より存在し、これより未来永劫に存在し続ける摂理を指向するのでございます。子等が生活をその摂理に調和させ全ての暗黒、邪悪、混沌と悲劇とが消滅し、代って光明が永遠に輝きわたる事でございましょう。
『シルバーバーチの祈り⑦』
さらに又、愛に死はない事、生命は永遠である事、墓場は愛の絆にて結ばれし者を分け隔てる事はできぬ事、霊力がその本来の威力を発揮した時は如何なる障害も乗り切り、あらゆる障壁を突き破って愛が再び結ばれるものである事を証明して見せる事も私どもの仕事でございます。
『シルバーバーチの祈り⑦』
私たちは、人間が進化を遂げ、果たすべく運命づけられている己れの役割に耐えうる素質を身につけた暁に活用される事を待っているその霊力の豊かさ、無尽蔵の本性をもつ無限なる霊の存在を明かさんと欲している者でございます。
『シルバーバーチの祈り⑦』
ここに、己れを役立てる事をのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げ奉ります。

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