■2014年4月23日にUPしたブログ「人形たちの住む村」

はい。今回のブログは数日前に僕がツイートした内容に関係がありますので、まずはそのツイートをご覧下さい↓
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事情があり詳細説明できないのですが今日の幽体離脱にて僕が最高レベルに嫌がってる“ある道具”のイメージが延々降り続けるという状況に突入し、帰還後、トランスを維持しながら僕は猛烈な怒りに包まれてしまうのでした。実はこれまでその“ある道具”のイメージが何十回も降って来てます。→
→そのたびに僕は激しく怒り「次それを降らせたら攻撃とみなします!」と霊団側に宣言までしてるのですが、それでもまだこうして降らせてくるのです。その“ある道具”の意味は“何とか現状に留まって使命遂行して欲しい”という霊団のご意思の表れである事は分ってるのですが、僕は現状に→
→留まる事を最高に拒絶してます。どうしても嫌な理由があるのです。しかし霊団側はサークルメンバーが集まらないにも拘らず何としても僕をこの環境に閉じ込めようとするのです。この“ある道具”のイメージを延々僕に降らせる手法には本当に頭にきてます。なぜもっと工夫を凝らさないのか(祈)
昨日“ある道具”のイメージが降りまくった事に激しく怒り「なぜもっと工夫を凝らさないのか」と霊団に対して怒りを表明しました。と今日の幽体離脱にて“工夫を凝らした”メッセージを受取らせて頂きました。とても急いで準備したような雰囲気で、その内容は過去ブログ「青いグミと赤いグミ」と→
→同様の強烈なメッセージ性を帯びたものでした。今回のメッセージ映像はブログに書くべきと思いますので何とか書いてみます。今回僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えて頂いて霊団の方々には感謝なのですが“ある道具”のイメージをノーアイデアで延々降らせるのだけは本当にやめて頂きたいです(祈)
今日の幽体離脱で受取らせて頂いたメッセージ映像、僕は十分“効き目”があると思うんです。僕が拒絶する“ある道具”のイメージを延々降らせるよりどれだけ霊団および僕にとって有意義な仕事ができる事か。あなた方があのインスピレーションを僕に送り続ける“真意”は分ってますとも!だから→
→デザインの仕事にいくらでも転職できるのに現状に何とか踏み留まってるんじゃないですか!僕だって自分が背負った使命の重大性は理解してますよ!今回のようにお互い工夫し協調して霊的仕事をしましょうよ。僕も全力で受取り解釈させて頂きますよ。お互い最善の手法で使命遂行しましょうよ(祈)
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…とまぁこんな感じで、僕がずっと拒絶している“ある道具”のイメージがひたすら降ってくる事に僕は猛烈に怒りを感じていた訳ですが、僕が霊団の方々に向けてもらした“なぜもっと工夫を凝らさないのか”という言葉を霊団側が大急ぎで実行して下さり、その日の夜の幽体離脱にて、今まであまり見た事のない印象深い映像を見させて頂く事となったのです。今回はその“ストーリー”を僕なりの表現でブログに書かせて頂こうと思います↓
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『人形たちの住む村』
江戸時代の日本でしょうか、平屋建ての建物がポツポツと建つ小さな村がありました。暮らす人は少ないのですが、その村には至るところに「人形」がありました。どれも純和風な可愛らしい人形たちです。その人形たちはみな、この村に暮している「人形職人」の手によって作られたものなのです。人形職人は人形たちをとても愛していて、次から次へと人形を制作し、村の中は次第に人形でいっぱいになるのでした。
そんな中、赤い和服をまとった長髪の少女がいました。この少女は人形に“魂”を吹き込む能力をもっていて、その能力を駆使して人形職人の作った可愛らしい人形たちに命を与えようと考えました。人形職人はそれを知って大いに喜び、ぜひやって欲しいと少女にお願いするのでした。
しかし小さな村にはあっという間にこの話題が広まり「そんな事はさせるものか」と役人が人形職人のところへ押しかけてきて、職人の手から人形を奪おうとするのです。人形職人は自分の愛する人形を身を挺して守ります。しかし結局人形は奪われ、職人も連行されてしまうのでした。そして赤い和服の少女も同様に役人に捕まってしまうのでした。
※補足。過去幾世紀、霊能者、霊覚者は真理を説きながらも民衆に理解されず糾弾され、非業の死を遂げるという歴史を繰返してきました。この、人形職人と赤い和服の少女が連行されてしまうという描写に、僕は同じ意味性を感じたのでした。過去の日本においてもこういう事が実際に起こっていたのかも知れません。現代の日本においてはこういう悲劇が繰返されずにすむ事を祈らずにはいられませんが…。
その後、村中の人形を焼いて無くすという法が施行され、人形職人がこれまで作ってきた人形が村の隅々まで徹底的に探し出されて一ヶ所に集められました。そこは、薪を高く積み上げた周りに円形のひな壇のようなものが置かれた場所、いわゆる「人形焼却場」で、人形たちはそのひな壇に立てかけられました。そしてついに中央の薪に火がくべられ、炎は徐々に大きくなっていきます。
その様子を人形職人と赤い和服の少女が遠くから見つめています。自分の愛する人形たちが今にも焼かれようとしている…しかしふたりはどうする事もできず、ただ息をのんで見つめるしかありません。そして炎はさらに大きさを増し、いよいよ人形たちが立てかけられているひな壇に迫ってきました。炎が揺らめき、今にも人形に届きそうになった次の瞬間…。
突然、一陣の風が人形焼却場に吹き、まるでろうそくの火をフッと吹き消すかのように、いとも簡単に巨大な炎を一瞬で消し去ってしまったのでした。遠くから現場の様子を見つめていた人形職人と赤い和服の少女は、愛する人形たちが間一髪のところで助けられた事に「神風だ」とでも言わんばかりに喜び跳ねるのでした。
しかし…寸前のところで救われたその人形たちは、ついさっきまで自分に危機が迫っていた事も何も理解していない様子で、ひな壇に立てかけられながら、ひとことも発せず、ただただ虚空を見つめるのでした…。
END
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…はい。いかがだったでしょうか。読む人それぞれに感じ方があるとは思いますが、誰しもこのストーリーに“重いもの”を感じたのではないでしょうか。僕はこれまで、ありとあらゆる“ストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてますが、今回のこのストーリーは何とも言えぬ“もの悲しさ”、“やり切れなさ”を感じるものでした。
ま、ここは僕のブログですので一応僕の所感を述べさせて頂きますが、僕はこのストーリーの“人形たち”は、過去ブログ「青いグミと赤いグミ」の中の“青いグミ”と同じポジションだと理解しました。青いグミたちは、地上の試練(大風)に立向かう事ができずにポロポロとロケットブースターの上から脱落していきました。そして今回の人形たちは、霊的事象に全く感応しない“大多数の地上の人間たち”を表しているのではないか…僕はそう思った訳です。
人形職人や赤い和服の少女、このキャラクターはいわゆる使命を帯びて地上に降下した人たち(僕は使命を帯びてませんでしたがイエス様にほぼ勅命のような形で突然に使命遂行する事になってしまったのですが…)を広義の意味で表し、民衆に対して、地上生活の中で最も大切な“霊的なもの”へ関心を向けさせるべく活動をするものの様々な抵抗に遭い、その活動が頓挫寸前にまで陥るのですが、間一髪で高級霊からの援助(神風)を得て危機を脱する…そんな意味を感じたのでした。
しかし、使命を帯びた人たちが民衆の心を開かせようと忍耐強く活動を続け、霊界の高級霊の方々もありとあらゆる援助を“霊的方法で”施しているのですが、地上の大多数の人々は悲しいまでにその事情、高級霊の方々の愛から発する心を砕いた活動に気付く事なく、自分の身の回りで展開している霊的現実に全く目を向ける事も無く、あさっての方ばかり見つめている…炎の危機から救ってもらっても何の反応も示さず虚空を見つめる人形たちは、きっとこういう意味だと思うんです。皆さんはどんな風に感じたでしょうか?
今回このような、僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えるという形で霊団側がとても印象深いストーリーを提示して下さいました。このリアクションスピードを逆説的に解釈すれば、霊団側の“使命遂行に向けた必死さ”そして“何としてもサークルメンバーを集めて交霊会を開催する”という強烈なるご意思を表すものであると理解できます。そして実は、この翌日にもちょっとした“ショートストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてます。せっかくですのでそちらの方も軽く紹介してみようと思います↓
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このショートストーリーは僕が登場します。僕はいつものように山へアタックし、心拍を上げながらガンガン標高を上げていきます。そして標高2500m付近に到達した僕は、空を見上げ手を広げ、天空(霊団)から降ってくる膨大な量のメッセージを猛烈に身に浴びるのでした。
僕は受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えようとします。しかしその“伝える手段(サークルメンバー)”は遠くに見える山の標高3000m付近にいて、現在僕がいる2500mのポイントからはルートが違っていてそこに到達できません。僕は仕方なく下山し、翌日に、昨日到達できなかった3000m付近のポイントに辿り着けるルートを選択して上り始め、再び2500mまで標高を上げて降ってくるメッセージを身に浴びるのでした。
あとはその僕が受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えるだけです。が、何と昨日3000m付近にいた“伝える手段(サークルメンバー)”の人たちも移動していて、現在はまた違う山域の3000m付近にいたのです。現在僕がいる場所からそのポイントに行くにはまた下山せねばなりません。僕はガックリと肩を落としながら下山し、翌日に再び標高を上げ、再びメッセージを受取り、再び3000m付近の人々のところに行けず…という状況が何日も続くのでした…
END
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はい。このショートストーリーは分りやすいですよね。背後霊団は僕を霊媒(道具)として使用する準備が整い、僕は道具として使用される準備が整っているのですが、外的要因(サークルメンバー)だけが整わず、どうしても交霊会を開催する事ができない、霊言を地上に降らせる準備はすっかり整っているのに、あと一歩のところでどうしても地上に霊言をもたらす事ができずにいる、という意味だとすぐに分りますよね。
えー、僕のブログ、ツイッターをどれだけの日本の方が真剣味をもって読んで下さってるかは正直分らないのですが、今回紹介させて頂いたストーリー『人形たちの住む村』に内封されたメッセージ性は、きっと皆さんの心に、それぞれそれなりの形で響いたのではないか…僕はそう願わずにはいられません。ブログ、ツイッター、さらには音声(MP3)にて果てしなく!果てしなく!説明させて頂いてますが、僕を“ダブルデジタル霊媒”として交霊会を開く事の重大性、日本に最新の霊言が日本語で降ってくる事の重大性、どうか、どうか、皆さんにもう一度お考え頂きたいのです。
日本人の皆さん。この、日本が霊的に進歩向上する千載一遇のチャンスを決して無駄にしてはいけないと、ここに改めて宣言させて頂きます。僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになる事に興味、関心を抱きつつも決めあぐねている方がいましたら、その方に向けて僕からこの言葉を贈らせて頂きます。「どうか勇気をもって立ち上がって欲しい」と。あなたのその“勇気”が、ひいては日本を霊的に救う事になるからです。今回僕が紹介させて頂いたストーリーの“意味”を、ぜひ噛みしめてじっくりと読み込んで頂きたいと思います(祈)

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