※だいぶ前に書いたブログです。 【明仁矮小化】【ルシファーいない】【公務は自演乙】の3つについて説明させて頂きます(祈)†

【『明仁矮小化』『ルシファーいない』『公務は自演乙』の3つについて説明させて頂きます(祈)†】はい、霊団からの情報に基くブログネタが3つありまして…どれもとても大切な内容であり取捨選択もできなかったものですから(汗)その3つを一気に説明してみようと思います。

今ブログの3つのテーマはこちらです。
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■1 幽体離脱時、明仁が矮小化した姿で「のこぎり」を持っていた
■2 ルシファー、悪魔、そういうものはこの宇宙に存在しません
■3 「公務」とは天皇一族の「自演乙」である
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はい、ではさっそく説明に入りたいと思います。

まずひとつめ【幽体離脱時、明仁が矮小化した姿で「のこぎり」を持っていた】件ですが、幽体離脱時、僕は天皇一族が暮らす宮殿のような場所にいて、報道陣たちと行動を共にしていました。僕は明仁に会おうと宮殿に突入しようとするのですがガードが固く中に入れません。そして明仁が→

→パレード用のオープンカーに乗って間もなく登場すると情報が入るのですが、そんな中、報道陣たちがザワザワと騒ぎ始めます。「おいおい、明仁が【のこぎり】を持ってるんだってよ」「のこぎり?マジかよ、どういう事だよ」みたいな感じに。僕はさっそくオープンカーが通る国道の前に出ました。

ほどなく奥から1台の車が走ってきました。その車を見て僕はビックリ!何とそれは「ミニカー」だったのです。オモチャのミニカーの事ですよ。そしてそのオープンカーのミニカーに、矮小化した姿の明仁が乗っているのです!僕は驚きながらも道路に飛び出して、そのミニカーを→

→足でブロックして(転がるサッカーボールを足で止めるように)止めさせました。目を凝らしてさらにみると、報道陣が言っていた通り、右手に本当にちっちゃい【のこぎり】を持っていたのです。えー、その明仁の姿を皆さまにご理解頂けるように、→

→昔のアニメ「とんがり帽子のメモル」と比較した絵を描いてみました。こちらです。本当にこういう縮尺、つまり背が低いとかそういうレベルではなくて完全に「妖精サイズ」だったのです。

その妖精サイズの明仁がのこぎりを持ってミニカーに乗っていたのです。僕はしゃがみ込んでデジカメをアスファルトギリギリの高さにして、4枚ほどその明仁を撮影したのでした。そして明仁はオープンカーのミニカーで走り去っていった…そういう幽体離脱時の映像だったのです。

はい、本当に印象的な映像を霊団が降らせた訳ですが、この矮小化した明仁の姿にも、もちろん意味があります。それは自身の逮捕、死刑を目前にして恐怖におびえ縮み上がっている、しかしそれでもまだ僕の足を切断しようと「のこぎり」を持っている、こういう意味で間違いないでしょう。

このような姿になってもまだ四肢切断用の「のこぎり」を手放せずにいる…その神経に呆れ返るばかりですが、そんな小さなのこぎりでは、僕の足の小指1本も切断できないでしょう。って言うか、切断しようと足の小指にのこぎりの歯を当てる前に、僕は妖精サイズの明仁を蹴り飛ばすでしょうからね。

僕はこれまでずっと霊団から、天皇一族の思念を徹底的に教えて頂いてきましたので明仁、徳仁、文仁の思考パターンがまぁまぁのレベルまで理解できるのですが、この「のこぎり」を持ったコビトの明仁の姿を見る時、人間的コミュニケーション能力がゼロである事が改めて浮き彫りにされます。

とにかく「脅す」事しか知らないのです。自身の滅亡を前に震え上がり縮みこんでいますが、それでもまだ僕を脅そうとしているという事です。そんな小さなのこぎりでは僕の指も切断できないのに、それでものこぎりを手放さないのです。本当に…呆れ果てて言葉もありません。

そしてもうひとつ、この矮小化した明仁の姿は、幼い時から現在まで、自分の全てをウソで塗り固め、国民をダマし続け、ウソまみれで生きてきた、それが矮小化した姿となって表現されているのではないか…そんな風にも感じました。さらに以前、こんな幽体離脱時の体験もツイートしています。

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以前、幽体離脱中にある施設で子供達と会ってる時、一人の女の子が僕の事を「校長先生」って言ってきて笑っちゃいましたが、僕がその女の子にお礼を言ってると、その施設で実際に校長先生をしてると思われる、妙にしわがれて身体全体が矮小化した男性が不満一杯の表情で僕の所に来るのです→

→矮小化した男性は何やら僕に文句を言ってるのですが、僕は逆に質問で攻め立て、教育方針、非行の問題等に対してどう現実的な手を打ってるのか、などとまくし立てたら、言い返せずに渋い顔をしてました。校長という権威にしがみつく心が矮小化した身体となって表現されてたのかも知れません(考)
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この時に出会った校長先生と同じように、明仁もまた地上的肩書にしがみついて汲々としているのでしょう。マイナスの方向に向かって全力で生きてきた、女の子を殺し続け、国民をダマし続けてきたその「行為」が、矮小化した姿となって表現されていたのではないか、僕はそんな風に感じました。

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はい、ではふたつめのテーマ【ルシファー、悪魔、そういうものはこの宇宙に存在しません】についてお話をさせて頂きます。これについてはシルバーバーチ霊が書籍の中で何度も語っておられますが、僕もシルバーバーチ霊に倣ってこのようにツイートした事があります。こちらです。

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悪魔は人間が発明したものであり、存在しません。良い事は神のもので悪い事は悪魔のもの、ではなく良い事も悪い事も神のものなんです。悲哀、苦悩、試練が降ってきてもそれは罰ではなく神から与えられたものなんです。それを乗越えてこそ霊界で素敵な境涯に辿り着く資格を得る事ができるのです(祈)
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はい。そして僕はこの使命遂行をするにあたり、霊団から賜る霊的情報に重きを置き、物的情報収集はほとんど行っていないのですが(少しはした方がいいですよね汗)そんな中、僕のタイムラインをよく見に来て下さる「ある男性」の、気になるツイートを発見した事についてこのように書きました。

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えー、僕のツイートをよくRTして下さる有難い男性がいらっしゃいます。その男性のタイムラインの中に、霊的知識から見た時、大変間違っている内容を発見しました。それは「悪」についての誤解です。正直ブログ書きたいです。霊的知識を正しく理解すれば悪を恐れる事が間違いと理解できます(祈)†

軽く解説を。悪魔はキリスト教が発明したもので存在しません。信者に教えを説く時、都合の悪いものを悪魔のせいにするために物的脳髄で発明したのです。その後、悪魔という発明品は昔から悪い人間に都合よく利用されてきました。人々を脅し恐怖を与え思いのままに動かすのに便利だったからです。→

→悪魔だのルシファーだのと言ったものはこの宇宙に存在しません。聞く所によると天皇一族はルシファーを呼び出せるそうですが、存在しないものをどうやって呼び出すのです?(笑)そもそも霊性発現してない人間が霊力を行使できる訳がないでしょう?百歩譲ってそれが霊的事象だったとしても、→

→そんなものはバカ(未熟霊)の悪戯にやられちゃってるという事なんですよ。もっとしっかり解説したいですが、霊力とは「善」の表現であり、霊力は無限であり、悪とは未熟の別表現であり、善、光は満たされた状態、悪、闇は欠如した状態です。善を成す者には無限の霊力がふんだんに注がれますが→

→悪を志向する者には霊力は降らない、つまり欠如を意味します。が、人々は未熟、欠如の「悪」に恐怖を抱きます。なぜでしょう。ま、今回はここまでにします。「ベールの彼方の生活」3巻の「暗黒界の探訪」をお読み頂ければ、悪が欠如である事が理解できます。ちゃんと説明したいなぁ(祈)†
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はい。このツイートの中でも触れています「ベールの彼方の生活」3巻の「暗黒界の探訪」(※本当に皆さまにお読み頂きたいです激願)ですが、こちらもブログに全文掲載していますので、そのURLをご紹介致します。ぜひご覧下さい。

『ベールの彼方の生活③』8章 暗黒界の探訪
【1 光のかけ橋】

bit.ly/2viJG2P
【2 小キリストとの出会い】

bit.ly/2viY8aS
【3 冒涜の都市】

bit.ly/2vM39vA

【4 悪の効用】

bit.ly/2vLIl7M
【5 地獄の底】

bit.ly/2vLEzuW
【6 強者よ、何ゆえに倒れたるや】

bit.ly/2viLkS3
【7 救出】

bit.ly/2vLIuIm

はい、このふたつめのテーマについては「皆さまが恐怖を抱いておられる【悪】に対する認識の“誤解”について」というタイトルで長文ブログを書こうかと考えていたのですが、とてもまとめられそうもないので(汗)今回このような形で簡略的に書く事としました。要するに天皇一族の頭の中は→

→「脅す」これだけだという事です。ルシファーを呼び出せるなどという幼稚、陳腐の極致のウソを平気でついてまで、とにかく国民に恐怖感を与えて黙らせようとしているという事なのです。「ザクヤーラスボス」というヘッダーも描きましたが→

→とにかく「脅す」事しか知らないのです。「暗黒界の探訪」の中でも大ボスがムチで奴隷を脅していましたね?悪とは力の欠如の状態であり、未熟の別表現です。天皇一族も、この大ボスと全く同じ事をしているという事です。ちなみにシルバーバーチ霊もこのように仰っています。

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『シルバーバーチの霊訓⑤』
自分から“悪人になってやろう”“利己主義者になってやろう”と思って悪人や利己主義者になる人間は滅多にいるものではありません。“悪い人間”というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。
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はい。その“聞き分けのない幼児”が、国民を脅して恐怖心に付け込んで悪の支配をしているという事です。はるか太古の支配方法ですね。皆さま、現代は21世紀です。まだこの太古の支配に縛られ続けますか?ヘッダー「原始人」も描きました。

皆さま、いつまで、いつまで、原始人の脅しに屈し続けますか?いつまで強姦殺人魔にダマされ続けますか?いつまで天皇一族を善人だと勘違いし続けますか?僕たち日本国民は、そろそろいい加減に、この古代臭漂う陳腐な扇動を突破しなければなりません。本当にこれは恥ずかしい事ですよ。

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はい、では最後に3つめのテーマ【「公務」とは天皇一族の「自演乙」である】についてお話をさせて頂きます。まずは年4回発行の皇族季刊誌(本当に最悪の書籍で、買うほどに頭にくるのですが…)の中にある、文仁と紀子の画像をご覧下さい。

はい。この画像をご覧になって皆さまがどのような感想を抱かれるのかは分からないのですが、僕は「明仁正体番外編 

t.co/w8m1PMT6Ik

 」にて紹介させて頂いた明仁と美智子の画像と同様、気持ち悪さを感じるのです。とにかく僕の肉眼には全てが不自然に映るのです。

宮内庁職員に命令してステージをセッティングさせる、その用意された舞台に笑顔で立つ、観客(宮内庁職員)に拍手を浴び、用意された花束を渡される、そして用意された子供たちと打ち合わせ通りの実のないつまらない会話を2言3言交わす、そして壇上に上がって、宮内庁職員が用意したスピーチ原稿を→

→読み上げる…。皆さま、この画像はそういう公務のシーンですよね?一体、この天皇一族という人間は「何がしたい」のでしょう?公務って一体何なのでしょう?これに何の意味があるのでしょう?皆さま、いかがお感じになられますか?そして僕が以前から心に抱いていた「公務」に対する思念を、→

→霊団がインスピレーションで降らせて強調してきたのです。それが【自演乙(じえんおつ)】という言葉です。これこそ「公務」の正体だと僕は思うのです。全ては自分たちが善人である、人々に崇められる優れた人間であると国民をダマし、ごまかすための【自作自演】だという事です。

とにかくこの強姦殺人魔、天皇一族は自分の全てをウソで塗り固めているのです。そしてもうひとつ、季刊誌の中の画像をUPさせて頂きますが、この画像も見ていて本当に…明仁の人間としての神経を大いに疑ってしまうのです。ご覧下さい。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†

一体どういう神経の持ち主なら、女の子を遊びで殺しまくっている男が、このような場所に出席し海外の要人と会って話を交わすというのでしょうか?一体どの顔でこの場に立っているというのでしょう?本当に「日本の恥」だと思います。強姦殺人魔の自演乙の画像を見るほどに、僕は呆れ返ると同時に→

→激しい怒りに包まれます。皆さま、天皇一族が死刑になるか、僕が暗殺されるか、そのどちらかの結末になるまで僕は公言し続けますが、明仁、徳仁、文仁、悠仁は【強姦殺人魔 Rape murderer】です。いつまでこういう画像にダマされ続けるのですか?これは本当に恥ずべき事ですよ。

皆さま、霊団も【自演乙】と仰っておられます。全ては奴隷の女の子を強姦殺人し続けるため、その死肉を食べ続けるため、地上的権威にしがみつくための【自作自演】であり、全てウソなのです。【地球ワースト1】この地球上に天皇一族ほどの悪人は存在しない、霊団がそう仰っておられるのです。

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はい、では最後にこのブログのまとめをさせて頂きますが、結局は全てここに帰着します。強姦殺人魔の「コロス」の脅しに屈するか、屈しないかです。皆さまは残念ながら屈してしまうのでしょうが、僕は屈しません。なぜなら僕は守護霊様の導きのおかげで霊的知識が頭にしっかりと入っており、→

→その霊的知識に照らし合わせて自分の人生を俯瞰で捉える事ができるからです。僕は2012年に霊性発現して以降「帰幽カモン」と公言し続けています。それは肉体の死が恐れるものでも悲しむものでもない事を完璧に得心しているという事です。「死」に関するこういうツイートもしています。

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肉体の死を必要以上に恐れてはいけません。地上は修行場であり永遠の住処ではありません。僕たち人間は全員いつかは100%地上を離れるのです。大切なのは何が何でも地上に残ろうとする事ではなく霊界へ帰って困らないように地上でしっかり試練に立ち向かって霊界での生活の準備をする事です。

医学界では心臓の停止をもって死とするか、脳死を死と見なすかで議論されているが、本当の死はそのいずれでもなく、たまの緒(シルバーコード)が切断された時をいう。―【霊は実在する、しかし】より

人間は食べて飲んで寝て暇になれば愚にもつかぬ事に打ち興じるこの世限りのお粗末な存在ではなく、これから先も死を超えて永遠に生き続けていく霊的存在だという自覚は、人間にとって掛けがえのない福音であり無味乾燥の唯物主義的人生に希望と喜びを与えてくれる―【スピリチュアリズムの真髄】より

死に際して消滅するのは肉体だけである。霊は絶対に死なない。“自分”は絶対に失くならないのである。つまり究極のあなたという存在は霊そのものであり、それが肉体という物質体を通して六、七十年の地上生活で自分を表現しているのである。―【背後霊の不思議】より

皆さん、僕たちは肉体ではありません。肉体は衣服であり僕たちの本体は霊です。死とは重い服(肉体)を脱いで軽い服(幽体・霊体)を着る事です。永続性のない、灰燼に帰す運命の肉体に向けている関心を霊的事象に向ければどれだけ有意義でしょう。大切な事にぜひぜひ目を向けて頂きたいのです。

“死”とは振動数が変化する事です。振動数の遅い鈍重な肉体(物質)を脱ぎ捨て、振動数の速い精妙な霊質の身体をまとう事、これが死です。死を恐れ悲しむのは断じて間違いです。物質牢から解放された故人はその精妙な身体で自由を満喫してるのです。皆さん、古い概念をそろそろ突き破りましょう。

スポンジに水が浸透するように、肉体に複体(ダブル)が浸透し、ダブルに幽体が浸透し、幽体に霊体が浸透しており、僕達は今この時点で霊体をまとった霊的存在なのです。日常生活の思念や行動によって霊体の波長(キメが荒いか精妙か)が形成され、肉体の死後に波長に見合った境涯へ赴くのです(祈)
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はい。死を恐れ悼み悲しむのは断じて間違いです。死とは振動数が変化する事、つまり鈍重な波長で遅い振動数の肉体を脱ぎ捨てて、精妙な波長で速い振動数の霊体をまとう事です。僕たち人間は永遠不滅の存在であり、人間に死はありません。物質界というトレーニングセンターを卒業して、→

→僕たちの本来の生活の場である霊界にて無限の向上の生活が待ち受けているのです。僕はその霊的真理をトコトン理解しているので、天皇一族に暗殺されるとしても絶対にイエス様のご意思遂行をやめないのです。そもそも僕は2012年で地上を卒業していた男です。これ以上このつまらない物質界に→

→残らなくていいのです。死んでオケーなのです。なので強姦殺人魔、天皇一族を逮捕、死刑に追い込むまで絶対に1歩も退く事がないのです。アナログ絵153にその想いが集約されています。さぁ皆さま、共に強姦殺人魔を滅亡させましょう(祈)†

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†