『シルバーバーチの霊訓①』【7章 心霊治療と生命力】-02

その霊力の流入を存分に受け入れるように心を開けば、その霊力と共に自動的に宇宙の根源的創造主から発せられる恩寵に浴する事になります。物質的にも精神的にも霊的にも病的状態にある地上には、なさねばならない大切な事がいろいろとあります。

『シルバーバーチの霊訓①』私どもにとっても、あなた方にとっても、身体と精神と霊の病を駆逐し、混沌の霧の中を道を探し求めてさ迷う人々に愛の証をもたらす事が大切な仕事の1つです。それが全ての霊媒現象の究極の目的なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』悲しみに心重く、目に涙を浮かべた人々に愛のメッセージを伝える事、これが大切です。痛みに苦しめられ、病気に悩まされ、異常に苛まれる人々を癒してあげる事、これはまさに慈悲の行為であり、今こそ要請されている事です。

『シルバーバーチの霊訓①』しかし、これもあくまで手段であって、その事が目的ではありません。目的は眠れる魂を目覚めさせ、霊的自覚をもたらす事です。魂が目を覚まし、地上に生まれてきた目的を理解しはじめた時、地上に霊的新生をもたらす膨大な計画の一翼を担った事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』そこにこそ私たちが一致協力する理由があります。それが真理への扉を開くカギです。霊的自覚をもたらす事の方が、病気を治し悩みを解消してあげる事より大切です。それが神の目的を成就する所以だからです。そこまで至らない限り成功した事にはなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』全ての霊媒現象と、その中でも重要な部分を占めるこうした霊的通信の背後にはそうした目的があり、その実現に全エネルギーを傾注すれば、それはあなた方の宿命を成就している事になります。それがこの世に生まれてきた目的だからです。

『シルバーバーチの霊訓①』霊力は無限です。尽きる事がないのです。通過する道具によって制限されるだけです。道具なしには霊力は地上に発現されません。ですから、道具となるべき霊能者は受容能力を少しでも広く深くする努力をしなくてはいけませんし、そうする事によって→

『シルバーバーチの霊訓①』→霊性も発達させなければなりません。霊性こそが霊力の分量を決する事になるからです。霊性が高まればそれだけ多くの霊力が流入するようになります。尽きる事がありません。霊的潜在力には際限が無いのです。

『シルバーバーチの霊訓①』そうした人間的努力の背後では高級霊がそれぞれの霊媒についていろいろと試し、エネルギーの効果的な組み合わせを考えて、より素晴らしい、そしてより速やかな治癒が得られるようにと、研究を怠りません。

『シルバーバーチの霊訓①』こちらの世界には“これでおしまい”という事がないのです。ただこの道の仕事の宿命として、人間という道具を使用しなければならず、与えられた道具で最大の効果をあげるしかないのです。心霊治療の真の理解には長い長い時間を要します。

『シルバーバーチの霊訓①』霊の威力を地上で見せつける方法は大勢の人間を1度に改心させる事ではありません。1度に1人の人間、1人の子供を治す事によって、いわば霊的橋頭堡を築き、それをしっかりと固め、不朽のものとするのです。

『シルバーバーチの霊訓①』千種万様の形を取る霊力は、心霊治療にせよ、霊訓にせよ、公開での交霊会にせよ、魂にそれを受け入れる備えが出来た者によってその真価が発揮されます。受け入れ態勢が出来ているという事が絶対条件なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』人間が神の摂理を犯し、物質と精神と霊の協調関係を乱します。そこで心霊治療によって内部の霊的エネルギーにカツを入れて本来の協調関係を取り戻させます。こうして霊の威力による治療が次々と成就され、宣伝され、その霊的事実関係に関する理解が→

『シルバーバーチの霊訓①』→深まるにつれて、そこに一石二鳥の成果が得られている事が分かります。すなわち病気が減ると同時に、その分だけ霊力による目的成就が容易になるという事です。人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得する事は神の計画の中にはありません。

『シルバーバーチの霊訓①』全ての病気にはそれなりの治療方法が用意されております。その神の用意された自然な方法を無視し動物実験による研究を続ける限り、人間の真の健康と福祉は促進されません。動物はそんな目的のために地上に生を享けているのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』真の健康は調和です。精神と霊と肉体の正しい連係関係です。3つの機能が一体となって働くという事です。これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりする事によって得られるのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』宇宙の摂理に調和した生き方を成就すれば自然に得られるのです。そういう生活を送れば人間は病気によって死ぬ事はなくなり、老化現象によって死を迎える事になります。肉体がそれなりの目的を果たし、次の世界の生活のための霊的準備が整った→

『シルバーバーチの霊訓①』→結果としてそうなるのです。身体が病むという事は精神か霊のいずれかに不自然なところがあるという事です。霊が正常で精神も正常であれば身体も正常であるはずです。身体に出る症状は全て霊と精神の反映です。

『シルバーバーチの霊訓①』これを医学では心身相関医学などと呼ぶようですが、名称はどうでもよろしい。大切なのはいつの時代にも変わらぬ真理です。魂が病めば身体も病みます。魂が健康であれば身体は当然健康です。身体の治療、これは大切ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』魂の治療、これが大切なのです。あなた方の治療によって患者の症状が取り除かれても魂に何の感動も及ぼさなかったとしたら、その治療は失敗であった事になります。あなた方の失敗であると同時に私どもの失敗であり、その患者は悟りへの道を失った事に→

『シルバーバーチの霊訓①』→なります。絶好のチャンスを手にしながら、それを実りあるものにできなかった訳です。本当はその病気は当の患者に人生の目的と、存在の意義を成就するためになさねばならぬ事を啓示するための手段であったのです。

『シルバーバーチの霊訓①』魂の琴線に触れる体験をさせる事、これが最も大事な事です。真理は真理です。絶対に変える訳にはいきません。それが真理です。人間の1人ひとりに宇宙の大霊が宿っており、それが絶えず発現を求めます。

『シルバーバーチの霊訓①』より広く顕現する事によって初めて人生から豊かさを獲得できるからです。事は極めて簡単です。顕現しなければ悟りは得られないのです。そこに苦の存在する理由があります。悲しみの存在する理由があります。

『シルバーバーチの霊訓①』光が暗闇の中にあってこそ見出せる理由がそこにあります。ただし、その体験による魂の顕現はそれから始まる大冒険の始まりにすぎません。その大冒険こそ神の意図する人生のあるべき姿なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』疾風怒濤の霊的冒険であり、その体験を通して叡智と崇高さと美しさと光輝と威厳と気品と尽きる事のない霊的遺産を手にする事です。それが地上生活のあるべき本来の姿です。ところが現実はそうではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』唯物主義がはびこり、利己主義が横行し、貪欲が支配し、奉仕の精神、協調の心、向上心、人助けの気持ちが失われております。その事を思えば、こうして人の役に立つ機会が次第に広く開かれていく事を、あなた方は有難く思うべきです。

『シルバーバーチの霊訓①』そうです。身体の痛みを取り除き、悩む心を慰め、魂を鼓舞し、肉の牢から解放してあげる事が大事です。大切なのはそこなのです。なぜならば、魂が一度霊的自我に目覚め、神との霊的つながりを再構築すれば、その時から真の意味で“生きる”という事が→

『シルバーバーチの霊訓①』→始まるからです。治療家が障害物を取り除いてあげれば、霊力がふんだんに流れ込むようになります。障害とは無知であり、誤った生き方であり、誤った考えであり、高慢であり、うぬぼれであり、嫉妬心であり、失望です。

『シルバーバーチの霊訓①』人間は神と自己と同胞と調和しつつ、大自然の摂理に則った生活を送るようにならなければなりません。苦が全てという訳ではありません。しかし、苦のない世界はありません。苦しみと困難がある事が進化の必須の条件なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』あなた方の住む世界は完全ではありません。身体も完全ではありません。ただし、魂の内部には完全性の種子を秘めております。人生の目的はその種子を発芽させ発達させ、その完全性を賦与してくれた根源へ向けて少しずつ近づいて行く事です。

『シルバーバーチの霊訓①』この巨大な宇宙組織の内面には進化の機構を操るエネルギーの相互作用があります。生命はじっとしておりません。生命の世界には絶え間なく増幅していく円運動または螺旋運動の形での発達があります。その全機構がどう働いているかを察知できるように→

『シルバーバーチの霊訓①』→なるのは、人生の目的を悟った暁の事です。霊的治療は魂がそれを受けるに値する段階に至るまでは何人といえども受けられません。いかに勝れた治療家にも治せない患者がいる理由はそこにあります。治らないのは治療家の責任ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』患者の魂にそれを受け入れる準備が整っていなかったという事です。全てが自然法則によって支配されています。トリックは利きません。いかなる治療家もその法則の働きを変えたり外らせたりする事はできません。

『シルバーバーチの霊訓①』ですから、人間としての最大限の成果をあげるべく努力をする事です。それが私から言える唯一の助言です。背後霊との協調性が高まれば高まるほど、より大きな成果が得られます。この仕事は延々と続きます。人間は卸し難いものです。

『シルバーバーチの霊訓①』しょせん地上は完璧な世界ではないからです。完璧であれば地上には居ないはずです。寛容的でなければならない理由がそこにあるのです。自分が一般の人より先を歩んでいる事を自覚されるなら、なおの事寛容的であらねばならない責任があります。

『シルバーバーチの霊訓①』奉仕の仕事に嫌気がさしてはなりません。奉仕は霊の通貨(コイン)のようなものです。神が発行される万人共通の通貨です。あなた方の仕事にとって必要な力は用意されています。しかし1度に大きな仕事を成就しようとしてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓①』今日は今日できる事だけをして、明日やるべき事は今日は忘れる事です。力に限界が来たら無理して出そうとするより補給する事を考えなさい。その方が無理をしてその乏しいエネルギーを使い果たし、結局は仕事を全面的に休止しなければならなくなる→

『シルバーバーチの霊訓①』→よりはましです。限界があるのは実はエネルギーではありません。身体という機能の方です。いかなる機械も限界を超えた仕事を課せられると故障が生じます。人間の身体ほど多くの仕事を課せられながら休息の少ない機械は他にありません。

『シルバーバーチの霊訓①』霊の宿る貴重な神殿です。よく管理し、保護し、大切に使用すべきです。どの分野であろうと、人のために尽くす仕事に携わる人が時には嫌気がさし、疲れを覚え、不快に思う事がある事は私も承知しております。もう駄目かと思える事もあるでしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』しかし道は必ず開けます。霊的真理、霊的事実は最後には勝つのです。貪欲、利己主義、残酷、粗暴、過酷、邪悪、こうしたものは全て一掃されねばなりませんし、きっと一掃される時が来ます。

『シルバーバーチの霊訓①』そして人間同士の平和だけでなく、人間と他の創造物とが調和し一体となって進化の道を歩む事になるでしょう。地上で自由を享受するのは人間だけではありません。創造物の全てが自由を享受する資格があるのであり、本来守ってやるべき立場にある→

『シルバーバーチの霊訓①』→人間によって勝手に捕らえられ苦しめられ利用されて良いものは何一つありません。その代償は必ず支払わされます。因果律は必ず働きます。人間に生命を賦与し地上での存在を可能にしているところの神性をごまかす事はできません。

『シルバーバーチの霊訓①』全生命は不可分のものです。物的形態上の違いはあっても深奥での区別はないのです。生命は1つなのです。霊は1つなのです。そして霊とは神であり、全生命に内在しております。かなうものならば、あなた方の視界を遮るベールが取り払われ、→

『シルバーバーチの霊訓①』→背後で協力している光輝く霊的存在を一目お目にかける事ができれば、と思う事しきりです。立ちはだかる困難の1つひとつは、あなた方が是非とも迎えうち克服し、そうする事によって霊の力が物の力に勝る事を証明して行かねばならない、→

『シルバーバーチの霊訓①』→1つの挑戦でもあります。

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†