【10/23】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑦』
また私たちは老化も病気も霊の成長を妨げることはない事、死によって物的身体がもたらしていた一切の痛みと苦労と障害から解放されると申し上げております。死は決して愛する者との間を永遠に引き裂くものでない事、いつかは必ず再会の時が訪れる事、―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―それも、どこやら遠い遠いところにある掴みどころのない空想的な境涯においてではなく、物的世界に閉じ込められている人間が理解しうるいかなる生活よりもはるかに“実感”のある実在の世界において叶えられると申し上げているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
善は自ら報酬をもたらし、悪と罪は自ら罰と断罪を受けると私は説くのです。向上するのも堕落するのも本人の行為一つに掛っているのです。人生のあらゆる側面を神の摂理が支配しており、それをごまかす事も、それから逃れる事もできません。誰にもできません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
たとえ豪華な法衣をまとっていても、あるいは高貴な“上級聖職階”を授かっていても、神とあなたとの間の仲介役のできる人は一人もいないのです。あなたに存在を与え、全生命を創造された大霊の力から片時も離れる事はないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
苦しみを味わった者にはそれ相当の償いがあり、しくじった者には何度でも更生のチャンスが与えられるのです。神から授かった才能が永遠に使用される事なく放置される事はありません。いつかはそれを存分に発揮できる環境が与えられます。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
以上、私たちが宣言する“良い知らせ”の幾つかを述べてみました。まじめな男女の心にきっと喜びをもたらす事柄ばかりであるはずです。なのに私たちは宗教界のリーダーをもって任じる者たちからの反抗に遭っております。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
地上世界を暗黒の奈落へと突き落とした張本人たち、復讐心に燃える神、残忍にして嫉妬深く、専横で独裁的で執念深い存在の物語にあふれさせた宗教家たち、教義の方が行為に優先するなどと説き、神の裁きも信仰の告白によってお目こぼしがあるかのように説く者たち、―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―こうした者たちが私たちに反抗し、私たちの説く霊的真理は悪の親玉、暗黒の魔王が仕掛けているワナであると宣伝する訳です。しかし時すでに遅しです。彼らにはもはや人類の宿命をねじ曲げる力はありません。人間の一人一人に宿る霊性の発露を妨げる事はできません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
それが神の摂理なのです。今私は彼らに対して酷しい言葉を用いましたが、私の心の奥では彼らに対する大いなる憐みの情を抱いております。なぜなら私の目的は彼らを非難する事ではなく、真理と知識を叡智を普及する事にあるからです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
知識こそ全ての者が所有すべき宝です。無知は未知なるものへの恐怖心を生みます。この恐怖心こそ人間の最大の敵なのです。判断力を曇らせ、理性を奪い、いい加減な出来心で行動する人間にしてしまいます。これでは人生から喜びと美しさと豊かさを見出す事はできません。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)

—–五章
『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらには昼も夜もありません。地軸の回転に依存していないからです。太陽の周りを回転しているのではありません。こちらには永遠の光が存在します。したがって地上のような時間というものがありません。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
こちらへ来てからも仕事があります。が、それは自分がやりたいと思う仕事であって、お金を稼ぐためとか家賃を払うためとか衣服や食糧を買うためにするのではありません。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上で発揮される事のなかった能力や才能や技能をもつ人が次々と霊界へやってまいります。そういう人たちはこちらでそれを存分に発揮して、霊界の住民として全体の豊かさの向上に寄与する事ができます。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
みんな自分がしたいと思う事に携わっております。霊界には無限の種類の楽しみがあります。音楽が好きであれば地上と霊界の音楽を鑑賞する事ができます。コンサートも開かれております。文学が趣味の人は地上と霊界の名作を読む事ができます。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
絵画に興味のある人も地上と霊界の傑作の全てを鑑賞する事ができます。子供が好きな人は両親に先立ってこちらへ来た子供の世話をする事ができます。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂に病のある者に関心を寄せる人は、そうした霊のための更生施設で看護し介抱して霊的健康を取り戻させる仕事に携わります。それぞれに応じた無限の種類の仕事があります。その上にさらに私のように地上世界のための仕事に従事する者もいます。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
とにかく地上を去ってこちらへお出でになれば、言葉では言い尽くせないほどの豊かさが待ち受けております。例えば音楽であれば、地上に無い音階が存在します。絵画であれば、地上に存在しない色彩(紫外色・赤外色)があります。その全てをお話しする事はとても不可能です

『シルバーバーチの霊訓⑩』
幽霊や妖怪になるのではありませんよ。首のないお化けになるのではありませんよ。立派な胴体と、他人と区別のつく容貌を具えた、実在の個的存在です。また他人を認識するための感覚もちゃんと具えております。霊の世界で生きて行く上で必要な霊的器官が全部揃っています。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
ちゃんと姿があります。形体を具えております。個人的存在を有しております。具えていないのは肉体的器官だけで、それに代って、霊界で機能していく上で必要な霊的器官を具えています。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑩』
よく理解して頂きたいのは、あなた方人間にとって物質は個体性があり実感があり、霊というと何だか影のようで実体がないかに思えるのでしょうが、私たち霊界の者にとっては霊こそ実在であり、実感があり、反対に物質の方が影のようで実体感がないという事です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
と言っても、人間がしゃべるに必要な器官は霊にはありません。しゃべる必要がないからです。こちらの世界では思念で通じ合っています。お互いに思念を出し合い、それだけで通じ合えるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
霊界では思念は実体のある存在なのです。存在するもの全てが思念でこしらえられているのです。ですから、必要と思うものはどんなものでも手に入れる事ができるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
海もあれば山もあり、湖も花も樹木もあり、動物も小鳥もいます。その美しさの中には実際にこちらへ来ないと分らない種類のものがあります。ある程度の霊性に目覚めた者なら、もはや物質界の愉しみ(飲食欲・性欲等)を求めなくなります。仮にいてもそれは例外に属します。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
もう一つの霊界の有難い点は、地上のような“生きるための必需品”を得るための苦労がいらない事です。食糧品や衣類を買う必要がありません。お金を払ってまでして家を求める必要がありません。全部揃っているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前とまったく同じである事です。地上と違って霊界は思念が実在の世界です。心に思う事に実体が伴い実感があるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
私たちから皆さんを見ると、身体は影のように見え、皆さんが心に思っておられる事の方が実体があります。この事は中々説明が難しいのですが、例えば皆さんが夢を見ているのと同じだと思えばよろしい。夢の中に現れるものは夢を見ている間は実在です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
もし永遠に目覚めなかったら夢の世界がその人にとって実在の世界となります。船も、飛行機も、訪れる国も、夢の中ではみな実在です。こちらの世界では思念が全ての物を拵える素材です。ですから心に思う事がみな存在する訳です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
貪欲と権力欲をもったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものである事に気づくまで、それを持ち続けます。そうした地縛的状態から解放される段階まで成長すると、ようやく救われる事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
困った事に、権力欲や強欲は霊を地上へ縛りつけます。身体的には死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。そこで同じ欲に燃えた地上の人間と感応し合って、その欲望を増幅してまいります。

【イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者】【イエスの成年時代 神と人間のはざまで】【イエスの弟子達 パウロ回心の前後】この3冊はぜひ皆さんにも手にとって頂きたいです。こんな僕に何度も何度も顕現して下さっているイエス様の壮絶な地上時代が通信霊によって克明に記述されているのです(祈)

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†