2020年7月13日


3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して盗んだ幼い女の子を四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっています。皆さま宜しですか、コイツらは人間の姿をマネていますが中身は人間ではありません。コイツらは人生イコールS〇X、そして生まれてから死ぬまで全てウソで塗り固め国民を洗脳し続け女の子を殺し続ける人類史上最悪の強姦殺人魔です。僕たち日本国民のアイデンティティにかけて「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅ぼし、未来の人類に真実を語り継がねばなりません(祈)†


皆さまは「イエス様の怒涛の連続顕現」をご覧になった事がありません、霊視にイエス様のお顔の顕現を拝した事がありません、イエス様が1週間以上にわたって「何とも言えない表情」でお願いしてこられた、そのイエス様の「悲願の深さ」を理解する事ができません、それはそうです、体験した事がないのですから。ですので僕がなぜここまで使命遂行に全力投球できるのか、僕の心に渦巻き燃え盛り煮えたぎるモノを皆さまは理解できません。「宗教大キライ」の僕が「イエス様ハンドリング」を公言するに至った経緯も皆さまにはご理解頂けません。僕の事は永遠に誤解、軽蔑、嘲笑して頂いて構いませんが僕には物質界に残されている間に何としてもやり切らねばならない仕事があります。それが「強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡」です。僕の人間性、人格はご理解頂けなくても、幼くしてヒドイ凌辱を受け続け、助けてくれるオトナが周りにひとりもいなくて、どんなに泣き叫んで懇願しても全く聞いてもらえずに笑いながら四肢切断、強姦殺人される奴隷の女の子たちの悲劇、これを絶対に許してはいけないという事だけはご理解頂けると思うのです。

僕のブログ、アナログ絵をご覧になっても全く何の感情も湧かない、何の事だかさっぱり理解できないと仰るのであれば、その方は1から生まれ直して人間をやり直して頂く事になります。殺される運命の抵抗する術を知らない幼い奴隷の女の子たちを救出するために全力を尽くすのは【神】が人間に与えた【理性、良心】に基づいて思考する時、誰もが辿り着く当然の回答であり、これ以外の回答があるなどと寝ぼけた事を言う御仁がいるとすれば、僕が果てしなく軽蔑と嘲笑を受けてこれまで生きてきたように、僕がその人を軽蔑嘲笑する事でしょう。奴隷の女の子たちを助けてあげるのに理由は必要ありません。どうしても理由を、と仰るのであれば「僕は人間だから」と答える事になります。僕の「イエス様ハンドリング」を頭からバカにし、奴隷の女の子たちの救出を邪魔し、女の子を殺す手伝いをする者は「人間ではない何らかの物質」という事になります。

僕は人間の意見を聞きます、何だか分からない物質の意見に耳を傾けません。僕は物質界での生活中は誰からも理解されず孤独な人生を送る事になります。帰幽後にようやく理解者と出会い幸福を感じる事になります。しかし僕の心にはイエス様が示して下さった「信託」がタテ糸ヨコ糸で縫い込まれています。物質界でどんなヒドイ目に遭わされようとも、イエス様がキリスト教者に浴びせられ続けた2000年の冒涜を思えばできない事など何もない、心からそう思えるまでイエス様、守護霊様、そして霊団が僕の精神を鍛え「教化」と「強化」を続けてこられたのです。僕は守護霊様に永遠の恭順を誓い、イエス様との男と男の鉄の約束を完璧に果たし切ります。たとえその先に暗殺が待ち受けていようとも僕の進む道に一切変更はありません。僕のアイデンティティの全てを込めてアナログ絵をUPさせて頂きます(祈)†

※さぁ山に集中「負荷メイン」で行きます(祈)†

—–六章
『シルバーバーチの霊訓⑪』
私たち地上の霊的啓蒙活動に従事している霊団の指導的立場にある者は、キリスト教でいうクリスマスとイースターに相当する時期に霊界の奥深く帰還する習わしになっております。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
ご承知の通りその二つの祝祭はキリスト教よりさかのぼる太古において、一年を通じての太陽の勢いの変化を神の働きかけの象徴と受けとめた事がその起源です。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
太古において太陽がその輝きを最高度に発揮する時期(夏至、六月下旬、旧暦五月中旬)が“復活(よみがえり)”の時、つまり大自然が讃歌を奏で、見事な美しさを披露する時とみなされました。言いかえれば、蒔かれたタネがその頃に華麗なる成長を遂げると考えたのです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
それに呼応して冬至(十二月下旬、旧暦一月中旬)があります。最高の輝きを見せた太陽が衰え始めると、大自然はエネルギーを蓄え、根を肥やしながら季節の一巡の終りを迎えると考えたのです。来るべき夏至にその成長ぶりを披露するのに備えるという訳です。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
そういう訳でクリスマスは永い一年の巡りの終りであると同時に、太陽の誕生、新たなる生命が地上へ誕生する、その最初の兆しを見せる時期だと、太古の人は考えました。この二つの時期は太古において大切な意味をもっておりました。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
と申しますのは“神のお告げ”はその二つの時期に授けられると信じられたからです。あなた方現代人は太陽のもつ神秘的な影響力をご存知ありません。太古の人はその時期に今でいう交霊会を何日にもわたって大々的に催し、その時期にたっぷりと啓示を頂いたのです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
そこで私たち霊団の指導的役割を担う者は、誕生に相当する人生で最も大切なこの時期(クリスマス)に一堂に会して祝い合うのです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
その始まりは太陽の影響力への賛美という事でしたが、それは一種の象徴(シンボル)であり実質的には生命が他の生命へ及ぼす影響力、物質が他の物質へ及ぼす影響力、惑星が他の惑星へ及ぼす影響力、などが含まれております。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「母と子の心霊教室」です☆この本は子供達に向けて書かれた書籍で非常に分りやすく、霊的知識に初めて触れる方にぴったり☆僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと本気で思ってます。早く霊的知識が当り前になる時代が来るといいですね(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑪』
特に一年のこの時期が選ばれたのは、私たちに協力してくれている霊たちの地上時代に属していた民族が大自然の摂理を基盤とした宗教をもっていたからです。古い時代の私たちにとっては太陽の誕生の祝いが最大の祝いでした。それは新しい年の始まりにほかならないからです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
四季の巡りの終りであると同時に新しい巡りの始まりでもある訳です。そうした祝いがかつて地上で催されていた事から、これを霊界でも祝う事になりました。もとより今では霊的な意味をもつようになっております。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
つまり新しい生命の誕生を祝うのではなく、地上からいったん引き上げて、新しい光を地上へもたらすために霊力の回復を図る事を目的としております。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
今この仕事に従事している霊団の者は、地上時代は西洋文明を知らない古い民族に属していましたから(キリスト教的な祝い方と違って)この時期を地上から引き上げて私たちの本来の所属界へ帰還する機会としております。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
帰還すると評議会のようなものを開き、互いに自分たちの霊団の経過報告をし、どこまで計画通りに行き、どこが計画通りに行っていないかを検討し合います。それとともに新たな計画を討議し合います。私たちを地上へ派遣した神庁の方々とお会いするのもその時です。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
その中にかのナザレのイエスの勇姿があるのです。イエスは今なお人類に古来の大真理すなわち“愛は摂理の成就なり”を教える大事業に携わっておられます。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
そのイエスが私たちの業績に逐一通じておられるお言葉を述べられ、新たな力、希望、ビジョン、目的をもって邁進するようにと励ましてくださる時のお姿、そのお声、その偉大なる愛を、願わくば皆さんにも拝し聞きそして感じ取らせてあげられればと思うのですが…。

何をどう説明しても理解して頂けないのです。僕が浴させて頂いている数々のインスピレーションを言語に置き替えて説明しようとすると、最高にまどろっこしく、めんどくさいのです。インスピレーションは言語を超越した素晴らしいコミュニケーション手段なのです。皆さんにも知って頂きたいのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑪』
もとよりそれはキリスト教によって神の座に祭り上げられているイエスではありません。数知れない道具を通して人類に働きかけておられる、一個の偉大なる霊なのです。その本来の界に留まっているのは短い期間ですが、私はその間に改めて生命力あふれる霊力、―

『シルバーバーチの霊訓⑪』
―力強さと美しさにあふれるエネルギーに浸ります。それに浸ると、生命とは何かがしみじみと感じ取れるのです。私はその事をあくまで謙虚な気持であるがままに申上げているつもりです。見栄を張る気持などひとかけらもございません。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
仮に世界最高の絵画の全て、物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、それに大自然の深くかつ壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、私の本来の所属界の荘厳美麗な実在に較べれば、いたってお粗末な反映程度のものでしかありません。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
芸術家がインスピレーションに浸ると、手持ちの絵具ではとても表現できそうにない事を痛感して、魂で感じ取ったその豊かな美しさを表現するための色彩を求めます。が、それは地上のどこにも存在しません。霊的な真理と美しさは物的なものでは表現できないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
そうした界層での私の霊的な高揚状態がどうして言語などで表現できましょう。大霊の光輝を全身から放っている存在となっているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
叡智と理解力と慈悲と優しさに満ち、人間の側から訴えられる前に全てを察知し、心の中を読み取り、心の動きに通じ、成功も失敗も知り尽くしております。

『シルバーバーチの霊訓⑪』
全ての宗教の根幹でありイエスの教えの集約でもある、かの愛の名言(愛とは摂理の成就なり)は、全生命の主、無限の創造者たる大霊の名において私たちもその真実性を宣言するものです。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)

2020年7月13日


善良なる日本国民の皆さま、このアナログ絵285は現実の映像です。明仁、仁、徳仁、悠仁は霊団いわく「総殺害数487」天文学的人数の奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人し死肉を食べて遊んでいる「宇宙一のバカ」です。TV等各種メディアに流れる情報は全て!全て!「視点外し」であり自分たちの邪悪の正体に国民の注目が集まらないようにしているのです。洗脳情報に翻弄される事なく「コイツらは強姦殺人魔である」という真実1点を凝視し確実に死刑に追い込まねばなりません。今こそ洗脳を撃ち破りコイツらを地獄の底の底に叩き込むのです(祈)†


僕、たきざわ彰人は「霊覚者」「霊性発現」「イエス様ハンドリング」などと公言する以前に「画家」であり「マンガ家」でありデザインの人間です。もちろん僕より素晴らしい絵が描ける方がこの物質界にたくさんおられる事と思いますが、僕には僕にしか描けない絵が、それほどクオリティが高くないとしてもあるのではないでしょうか。「フラー」がそうですし「奴隷の女の子」がそうだと思うのです。イエス様と交わした男と男の鉄の約束を完璧に果たし切り、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を間違いなく確実に死刑に追い込むために僕に何ができるのか…僕にできる全力かつ最善の作業とは何なのか…ここ数日すごく考えました。Youtubeを拡散ツールとして活用する必要性についてブログを書いたのもその葛藤からです。しかし僕は僕のキャラを最大限に活かす事でしか全力をやる事はできないと改めて当たり前の結論が頭に浮かぶのです。それが僕のアイデンティティであり同時にこういう言い方はあまりしたくありませんが僕のキャラの限界でもあると思うのです。ブログの文章もある程度の自負を持って撃ちまくっていますが、やはり僕の保有スキルの中の最大のモノは「デザインスキル」だと思うのです。何より僕が描き続けているアナログ絵は「見れば誰もが1発で分かる」そういう描き方をしているつもりですがいかがでしょうか。まどろっこしい説明一切なしの「超ダイレクト1コマ漫画」とでも言えばいいでしょうか。

で、実は昨日の幽体離脱時に「暗殺」を匂わせる映像を霊団が降らせてきて、それについて書くつもりだったのですが先ほどトランス時にどういう訳か「じゃないよ」「落ち着いて」と霊聴に響かせてきました。暗殺ではないという事でしょうか、とはいえ僕は一切安心する気にはなれません。徳仁の命令を受けて「スナイパーチーム」となったポリーチェ(POLICE)がいつライフルで僕を撃ってきてもおかしくない状況です。
「絶対に止血」 wp.me/pa9cvW-1v0 ↓「命令を実行します」 wp.me/pa9cvW-1vo ↓これらのブログにありますように、僕はたとえスナイパーチーム(ポリーチェ)に暗殺されそうになっても絶対に止血しながら傷口の画像付でブログを書き、証拠を残します。僕が暗殺されれば僕が公言し続けてきた内容の真実性が証明される事になりますので、たとえ僕が殺されても必ず強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む事ができる、僕はそう強く信じます。WordPressのアクセスをどうしても上げたくて(つまり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を徹底的に拡散させたくて)だいぶもがいているところですが、僕ひとりのパワーには限界がありますので、僕のスキルに見合った僕のオリジナルの作業に全力を注ぐしかないのではないか、そんな情けない結論に到達しちゃったりもしてます。奴隷の女の子の絵をさらに描くのもアリ、フラー15の新規デザインに入るのもアリ、僕の脳内にたくさんストックがあるフラーのストーリーを描くのもアリ。とにかく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を1日も早く死刑に追い込んで奴隷の女の子たちを助けてあげるために僕にできる全力とは何かを自問自答し続けます(祈)†

『シルバーバーチの霊訓①』
人のために己を棄てる仕事にもいろいろあります。あるものは人目につく派手なものであり、あるものは人目につかない静かな聖域で行われます。いずれにせよ大切なのは人のために役立つ事です。霊的真理の悟りを一人でも多くの受入れる用意のできた人に施す事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的な事ではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
大切なのは人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知る事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
その地上生活を無知の暗闇の中ではなく叡智の光の中で、肩をすぼめず背筋を真直ぐに伸ばして、恐れを抱かず堂々たる落着きをもって生きるべきです。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は一時の勝ち負けのために備えているのではありません。目先の結果、一時の勝利ではなく、永遠なる目的、無窮の闘いに携わっているのです。成就したものがいかなる結果をもたらすかを安易に推し量ってはいけません。

『シルバーバーチの霊訓①』
今日世界各地で、難攻不落と思われた城壁が崩れ落ち、特権階級が揺さぶられ、独占支配は崩壊し、迷信が減り、無知が次第に押し寄せる霊的真理によって追い払われていきつつあります。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方の懸念は無意味であり根拠がありません。しっかりとした手に守られております。これまでもずっと、それによって支えられてきました。もしそうでなかったら、とうの昔に地上を去っている事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的なものにとって“恐れる”という事が何よりも強烈な腐蝕作用を及ぼします。恐怖心と心配の念は、私たちが特に不断の警戒を要する敵です。何となれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。

【過去コメ】イエス様の怒涛の連続顕現の意味を僕なりに「どうか地上に残って霊的知識普及の使命を担ってもらえまいか」という事だと理解し、苦悶の末に、僕はそのご意志に従い、あれほど待ち望んだ帰幽を諦め、地上に残って新たな使命を帯びた第二の人生をはじめる事を決断し、声に出して宣言したのでした(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
光の中ばかりで暮しておれば光の有難さは分りません。光明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につけるためには、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
果たすべき義務を中途で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わう事はできません。少なくとも“永続的な幸せ”は得られません。

『シルバーバーチの霊訓①』
人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界に戻った時にあなたを待受けている仕事と楽しみを享受する資格を身につけるために様々な体験を積むという事です。そのための道具としての身体をこの地上で授けてもらうという訳です。

『シルバーバーチの霊訓①』
この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終れば地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得られない事になります。この事は地上だけでなく私どもの霊の世界でも同じ事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
毛を刈取られたばかりの羊は冷たい風に当らないようにしてやるものです。神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。つまり人間の行為の一つ一つについて、その賞と罰とが正確に与えられます。

『シルバーバーチの霊訓①』
これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるという事です。いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身につきます。片方無くして他方は有得ません。体験もせずにどうして教訓が得られましょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。何も知らずに犯した罪よりも、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。

【過去コメ】今日も怒涛の幽体離脱、要素が多すぎてとても説明しきれませんので簡潔に紹介します。僕が新たに帯びた使命、霊的知識普及に関する「会議」に僕も出席させて頂きました。そこで様々な話し合いがなされ、ものすんごいたくさんの方々とお会いしました。明らかに上層界の方にも数人お会いしました(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は内部に完全性を秘めそれを発揮せんとしている未完の存在です。地上生活においては物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然の事ながら罪を犯す事になります。私はこれを“過ち”と呼ぶ方を好みます。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
光を有難いと思うのは蔭と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難いと思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。平和が有難く思えるのは闘争があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし辿る道が単調であれば開発は無いでしょう。様々な環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくのです。時として人生が不公平に思える事があります。―

『シルバーバーチの霊訓①』
―ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中で生きているように思える事があります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素がある事に気づいておりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
こちらへ来た人間が“自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている”などと言えるような不当な扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もし誤りを犯す事があったら宇宙は明日という日も覚束ない事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が誕生するはるか以前から地球は存在し、あなた方が去った後も延々と存在し続けます。

『シルバーバーチの霊訓①』
何億年の昔、まだ地上に何一つ生物の存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、人間が誰一人居ない時からエネルギーをふんだんに放射し続け、そのおかげで石炭その他の太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とする事ができているのです。何と悠長な教訓でしょう。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
せっかちと短気はいけません。せっかくの目的を台無しにします。内部から援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。物事には一つの枠、パターンがあり、そのパターンに沿って摂理が働きます。宇宙の大霊も自ら定めた摂理の枠から外れて働く事はできないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えなくてはいけません。そのためにはそれまでの経験を活用しなくてはいけません。それが魂にとっての唯一の財産なのです。そして自分に生命を賦与してくれた力がきっと支えてくれるという自信を持つ事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は、神からの遺産として、あなたに人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由闊達な神性のほとばしりの障害となるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
故にあなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。その状態にある限り万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信を持たなければいけません。

『シルバーバーチの霊訓』
安易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を結集し必ず道は開けるのだという自信を持つ事です

『シルバーバーチの霊訓①』
不動の信念をもてば道は必ず開かれます。これはすでに私が何年にもわたって説いてきた事です。真実だからです。実践してみればその通りである事を知ります。

『シルバーバーチの霊訓①』
物質は霊の僕です。霊は物質の僕ではないのです。身体が一人で呼吸し動いているのではありません。霊がいなかったら身体は生きておれません。現に、霊が去れば身体は朽ち果てるのみです。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊性を悟る事は容易な事ではありません。もし容易であれば価値はありません。その道に近道はありません。王道はないのです。各自が自分で努力し自分で苦労しなくてはなりません。しかし同時にそれは登るにつれて喜びの増す、素晴らしい霊的冒険でもあるのです。

2020年7月13日


自分の事を皇族だの天皇だのと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「強姦殺人魔」です。こちらアナログ絵284のように「処刑遊び」皆さまの想像をはるか超える凄惨かつ残虐極まりない方法で信じられない人数の盗んだ奴隷の女の子たちを四肢切断、強姦殺人して死肉を食べまくっているのです。霊団いわく「何の良心の呵責もない」コイツらは女の子を殺すのが楽しくて仕方ない奴らで、これが自分の仕事だと本気で信じ切っています。皆さま、このような人間が存在していいはずがありませんね。明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は「死刑」以外に有り得ないのです(祈)†


はい、僕はシルバーバーチ霊のマネをしながら「イエス様ハンドリング」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる使命遂行を行っているつもりですが、僕は【神】が人間全員にお与え下さった「理性、良心」に訴えかけます。女の子の命を完全にオモチャ扱いし、女の子の人格、人生、夢を完全に無視して「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくる明仁、文仁、徳仁、悠仁を皆さまは許す事ができますか。いつまでコイツらの洗脳にやられ続ければ気が済みますか。いつになったら奴隷の女の子たちを助けてあげる事ができますか。奴隷の女の子たちは助ける必要はない、この女の子たちは殺されるために存在するんだから、殺された方が日本のためなんだから助ける必要はない、そう仰る方がいるのであれば、奴隷の女の子たちを助ける必要がない「理由」を公言して下さい。国民全員を納得させてみて下さい、できるものならやってみて下さい。神のご意志に背を向け強姦殺人魔を擁護し続ける者たちを僕は絶対に許しません。使命遂行の邪魔者は絶対に排除します。そしてイエス様の御名にかけて何としても奴隷の女の子たちを救出してみせます。それをやらずに僕の残された地上人生は有り得ないからです。物質界で僕のアイデンティティが理解される事はありません。死ぬまで誤解され続けるでしょうが僕の事などどうでもいいです。とにかく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は間違いなく死刑にします。そして奴隷の女の子たちを間違いなく救出完了させます。必ずやります(祈)†

これからスキャンしてフォトショ上の作業に入ります。昨日の霊団のメセ「イスラム女の子」を受けて複雑な思いの中、何とか描いてみました。語りたい事が山のようにありますが絵を完成させてから。やれるだけやってみましょう(祈)†

—–二章
『シルバーバーチの霊訓①』
地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するには“こういう”環境で“こういう”身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がってこないだけの話です。あなた方地上の人間にとっての問題点は、やむを得ない事かも知れませんが、人生というものを間違った視点から見ている事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えている事です。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、“永遠に続くもの”なのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。それでは十全な判断はできません。

『シルバーバーチの霊訓①』
神の子には一人の例外もなく善悪ともに“埋合せ”の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮する事ができなくなります。人生には目的があります。しかしその目的はそれに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません

『シルバーバーチの霊訓①』
笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人一人に分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には個的存在としての責任と同時に、ある限度内の自由意志が与えられているのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
自由意志と言っても、大自然の法則の働きを阻止する事ができるという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
運命全体としての枠組みは出来ております。しかしその枠組みの中で、あなた方が計画した予定表(ブループリント)に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第という事です。

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
もしかしたらそのブループリントさえ自覚できないかも知れません。でも魂は神性を宿すが故に常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時にはそれが悲嘆、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目を覚まさせる事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし神があなたに創造活動へ参加させ、そうする事によって潜在的神性を開発させる事を望まないのであれば、あなたがこの世に生を享けた意味は無い事になりましょう。そこに“埋合せの原理”が働いている事を理解しなくてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓①』
つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組です。つまり二重の仕組になっている訳です。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。宇宙の大霊の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。なぜなら生命は霊そのものだからです。物質はカゲに過ぎません。霊という実在の殻に過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓①』
この二重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟りの程度に掛っています。霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊の無いところに生命はありません。物質は殻に過ぎません。霊という実在によって投影されたカゲに過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓①』
物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考する事が出来るのは、あなたが霊であるからこそです。霊があなたの身体を動かしているのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊が離れたら最期、その身体は崩壊して元の土塊に戻ってしまいます。物質を崇拝する人間は間違った偶像を拝している事になります。そこに実在が無いからです。物質は一時的な存在に過ぎません。霊は全ての存在物を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間という形体によって表現されている生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されているものと同じ生命力なのです。いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いております。

【過去コメ】僕のツイートをご覧の皆さん。守護霊様からのインスピレーションは本当に素晴らしいのです。僕だけでなく皆さんにも個別の光輝と愛にあふれた守護霊がついて下さってるのです。どうか皆さんも艱難辛苦に身を晒し自分の守護霊からのインスピレーションを認識するようになって頂きたいのです
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
自覚の程度、意識の程度には様々な段階があります。霊の表現形態は無限だからです。無限なるものに制限を加える訳にはまいりません。その生命の背後の力をあなた方は“神”と呼び、私は“大霊”と呼びます。それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
いかなる形態を取ろうと、創造者たるその大霊の表現である事に変りありません。残念ながら、人のために役立つ仕事はなかなか思うにまかせないものです。私が法則をこしらえたのではありません。宇宙の理法はこうなっているという事をお教えしているだけです。

『シルバーバーチの霊訓①』
最大の貢献をなさんと心掛ける人は、困難や難問を避けようとしてはなりません。その困難、その難問こそが、そうした志を持つ人々の魂の奥底を掘り起こし、奉仕の仕事に役立つ道具としてぜひとも具えねばならない隠れた資質を活用させる事になるからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
奉仕という名の硬貨(コイン)にもその価値を示す表示があるという事です。真に役立つ人間になるためには魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。魂が円熟の花を咲かせるためには奥深く耕されなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
その事を思うと私は時として、その逆であってくれればいいのだが…と思う事があります。つまり自己犠牲の道を歩む人間がいうなれば“バラ色の人生”を歩む事ができればと思うのです。しかし、その美しいバラにもトゲがあります。

『シルバーバーチの霊訓①』
以上、霊についての真理を幾つか紹介しましたが、私がそれを変更する訳にはまいりません。できもしない事をあたかもできるかのように言う訳にはいきません。できないものはできないのです。無限なる霊である神の働きは完璧です。完璧なる公正のもとに働きます。

『シルバーバーチの霊訓①』
完璧というものは、未完成の地上の人間だけでなく私どもの世界の多くの界層の霊にとっても理解できるものではありません。物事には必ず埋合せがあり、応報があります。その計量は完璧な天秤によって行われます。

『シルバーバーチの霊訓①』
犠牲的生活によって魂が“損”をする事はありません。また利己的生活によっていささかも“得”をする事はありません。魂の進化の程度と悟りの指標はどれだけ“ゲッセマネの園”に生き、どれだけ“変容の丘”に達するかにあります。そこに神の真の愛の働きがあります。

2020年7月8日

えー今日の幽体離脱時に霊団がとても変わった映像を降らせてきました。それはイスラム的空気感の漂う内容で、離脱中の霊体の僕はひとりの女の子と出会うのですが、この女の子がとにかく両親にいじめられまくっているかわいそうな女の子だったのです。なぜイスラム的映像を霊団が降らせてきたのかは分かりませんが宗教的雰囲気をやはり感じさせます。宗教と言えば以前、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関するこのようなブログも書いています。
「天皇は日本悪魔教の教祖」 wp.me/pa9cvW-1eV ↓「バカ宗教」 wp.me/pa9cvW-2oJ ↓「白い宗教」 wp.me/pa9cvW-2EM ↓まず僕が出会った小さな女の子、とてもかわいらしい女の子だったのですが、意地の悪そうな笑顔を浮かべた肥え太った父と母の姿の映像も見ましたが、その両親は幼い我が娘を愛する、かわいがるという気持ちはみじんもなく、ひたすらにイジメまくっているのです。そのイジメられている女の子はとてもけなげな様子で「助けて」と声に出して言わないのです。しかし表情が完全に「助けて」と言っているのです。そしてなんだかんだ言って霊体の僕から離れようとしないのです。つまり家に帰りたくないんですね。そしてその小さな女の子は「オリンピック選手になる」という夢を抱いていました。しかしそれはオリンピック選手にあこがれているとか、その競技が好きだからとか、そういう意味ではなく、オトナになる前に家を脱出したくて女の子なりに考えたアイデアという事なのです。子どものうちに合宿所なり選手村なりに入って家を脱出したいという気持ちから「オリンピック選手になりたい」と思っているのであって、それは女の子の夢というより「助けて欲しい」という悲痛な叫びなのです。

霊体の僕はその女の子を何とか助けてあげたいという気持ちで出来るだけ一緒にいてあげたのですが、もちろん幽体離脱時の出来事であると理解していて女の子も霊界で生活している女の子で実際はそんなヒドイ目に遭わされていない、ただ霊団に出演依頼をされて演技しているだけの女の子なんだと理解していますから僕もそんなに悲観視はしなかったのですが、霊団がこのような映像を降らせた「意味」に注目せねばなりません。このかわいそうな女の子は幼い頃のピーチピチ(佳子)という事ではなくやはり邸内地下に閉じ込められひたすらに四肢切断、強姦殺人され続けている「奴隷の女の子たち」を表していると考えるのがもっとも自然でしょう。自分の事を皇族だの天皇だのと自称し国民を洗脳し続けている強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「大偽善」徹底的にウソ情報を流して善人を装っていますがその裏では抵抗する術を知らない、今回出会ったような女の子を徹底的に凌辱しまくっているという事、ひたすら明仁、文仁、徳仁、悠仁の善人を装った笑顔の映像やウソの言葉がメディアに流されていますが、実際はひたすらに女の子を「処刑遊び」と称して殺しまくって死肉を食べんまくって遊んでいる人類史上最悪のバカヤロウであるという事を霊団が改めて強調してきたという事になるでしょう。

僕は奴隷の女の子たちが四肢切断、強姦殺人されているアナログ絵をさらに追加で描こうと考えているのですが、それを霊団が後押ししているという意味にも取れます。やはりこの「イエス様ハンドリング」使命遂行が開始されて以降、霊団の導きの方向性は完璧に一致しており、霊団が降らせてくる情報は「奴隷の女の子たちの悲劇の惨状」および「ピーチピチ(佳子)の思念」であって、雑多な物的情報に翻弄されずこの1点を集中攻撃せねばならないという事であり、この「奴隷の女の子のカード」が最強攻撃カードであるという意味なのでしょうやはり。皆さまは今回の幽体離脱時に出会った助けを求めているけなげな女の子を見て、見て見ぬフリ知らんぷりをしますか。奴隷の女の子たちを助けてあげようという気持ちが1ミリたりとも湧いてきませんか。そんな事でいいと思われますか。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が幼い奴隷の女の子たちを処刑遊びしている生活費は僕たちの血税で賄われているのですよ(他にも国民を殺して金儲けしている奴らですが)1億回でも言いますよ。明仁、文仁、徳仁、悠仁、こいつらは幼い女の子を強姦殺人しまくっているのですよ。泣いて助けを求める幼い女の子を笑いながら四肢切断、強姦殺人して死肉を食べるのが自分たちの仕事だと本気で思っている奴らなのですよ。いつまでコイツらにダマされ続ければ気が済むのでしょうか皆さまは。

えーまだ書きたい事が鬼のようにありますが時間がありませんのでまずはここで切ります(祈)†

MP3に画像1枚張り付けてMP4化するのを初めてやりました。んー画像たった1枚貼っただけでずいぶん重くなるものですね。以前から何度もブログに書いていますが、もっとMP3をガンガンUPしたいと常々考えている、そのアイデアをYoutubeでやれないかどうかのテストとなります。こちらは10月26日に録音したMP3をムービー化したものです。もしできるようであれば、今後霊団が降らせてきたインスピレーションについてMP3録音し、このようにムービー化してYoutubeにUPするという事をやる…かも知れません。とにかくまずはテスト、ラジオ配信みたいにガンガンUPできたらいいのですが、さぁどうでしょう(祈)†

WordPressにMP3をタグで張り付ける方法を発見しましたので現時点で音声をUPするもっとも早くて簡単な方法がWordPressなのですが、そうじゃあないんですよ。観てもらえない場所にUPしてもしょうがないんです、WordPressに来てもらえるようにしなければ意味がないんです。それでYoutubeにMP3をUPするアイデアを(だいぶ苦肉の策ですが)何とか思い立ち、まずはテストレベルで実行してみました。昨日のフラー14キャプチャムービーに比べてだいぶ軽いですのでUPはラクです。そしてご覧の皆さまもキャプチャムービーは見続けるのが大変なストレスだと思うのです、ちょっと見てロードちょっと見てロードですものね。今回テストUPしたムービー化したMP3は軽くサクサクお聴き頂けると思います。あとは霊団がちゃんと録音ネタをインスピレーションとして降らせてくれれば「ラジオ配信」のように連載っぽくガンガンUP、なんて事もできるかも知れません。

とにかくこのままじゃいけない、何としても強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を可能な限り全ての日本国民の皆さまに知って頂かねばならない、何としても洗脳を撃ち破って真実に目覚めて頂かねばならない、そのためには何が何でも使命遂行メインブログWordPressに来てもらって少しでもブログをお読み頂き画像1枚でも見て頂かねばならないのです。そうなったらいいなというのんきな気分でやっているのではありません。奴隷の女の子たちを救出してあげなければならない重大極まる使命感、そしてイエス様と交わした男と男の鉄の約束を完璧に果たし切るその決意、覚悟でやっているのです。僕はいつ暗殺されてもおかしくありません、本当の命がけの使命遂行なのです、断じて遊びでやっているのではないのですよ。まずはテストです。続けられるといいのですが…(祈)†

まずはテスト、Youtubeの活用につなげられるかまだ全く未知数です。とにかく座して待つ訳にはいかないのです。自分からガンガン動いていかないといけません。現在UP中(祈)†