【12/21】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†

アナログ絵288

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【なぜそちらの世界へ行ってからも身体が必要なのでしょうか―】霊はその個性に応じて自我を発揮するためには何らかの形体が必要なのです。霊それ自体には個的形体はありません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊とは生命です。がその生命が顕現するには人間なり動物なり植物なり花なり、その他ありとあらゆる形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらない事には存在が認識されません。【その形体を永遠に維持するのでしょうか―】そうです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界では自分より発達段階の高い者とは接触がないとおっしゃったように思いますが、そうなるとあなたご自身が“光り輝く存在”と直々にお会いになる時は何か特別な配慮をしてもらう訳ですか―】いいえ。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
決して自惚れて申上げる訳ではありませんが、わたしがそうする時は私本来の霊格に戻るというに過ぎません。私はこの地上での仕事への参加の要請を受け、そしてお引受けしたのです。そのためには当然、本来の私の属性を一時的にお預けにしなければなりませんでした。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし、そうする事によって、あなた方と同じく、私がよく言及している“正反対の体験”を得る事になります。それによって、一層の向上が得られる事を願っております。霊界の生活の全体像をお伝えする事はとても困難です。言語と次元の差が障壁となるからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があります。絵画でもあなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも実際はごくごく小さなかけらにすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【我々人間にとって霊界の本当の姿を理解する事が容易でない事は理解できます―】とても難しいのです。しかしその理解のための準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に“死ぬ”訳です。そうする事によって徐々に霊界生活に慣れていきます。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうしないといよいよ本当の死が訪れた時に何の事か理解できず、新しい環境に順応するのに長い時間を要する事になります。地上にいる間の夜の霊界旅行での体験は全部潜在意識の中に収められています。それがいつか意識に上ってきて霊界があまり不思議に思えなくなります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【(サークルメンバーの中で一番背の高い人が質問する)背丈の事をお尋ねします。例えば六フィートの人間はそちらでもやはり六フィートでしょうか―】どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは“イエス”です。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物的身体は霊的身体の写しだからです。ただしそのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【他界直後には言語上の問題がありますか―】あります。いわゆる“幽界”つまり地球に最も近い界層においてはあります。そこには霊的自覚が殆ど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【一方が英語で話し相手がフランス語でも、実際は思念で通じ合っている訳でしょうか―】もちろんです。もともと思念には言語はないのです。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―言語というのは思念を単語に移しかえるための道具にすぎません。私たちの世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えない事をよく理解してくださらないといけません。

【過去コメ】僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象のひとつ『法悦状態』これはものすんごいのです。高レベルの法悦の霊力に全身が包まれてる時に、八ヶ岳をスピードハイクしてた時があったのですが、はっきり言って身体が半分浮いてるような感じでした。鼻がキィィンって!身体がフワァァって!なるんです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【非物質的世界であれば、その世界はそこに住む者全てにとって同じものですか、それとも一人一人の思念によって拵えるのでしょうか。もし私が今あなたの世界へ行ったら、私の目に同じ世界が映るのでしょうか。それとも違う世界でしょうか―】―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―それはあなたが地上でどの発達段階にあったかによります。【もしあなたと一緒になったら、そこは私の精神によって拵えられた世界でしょうか―】そうとも言い切れません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が今私が住んでいる世界―あなたと一緒になると仮定している世界が何で構成されているかはまた別の問題です。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在を幾らかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんでみているに過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちは“生命とは霊である”というところから出発いたします。私たちの世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあってはじめて存在しているのです。その霊は無限です。従って無限の顕現をしています。ところで、思念とはいったい何でしょうか。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【思念とは私の精神が生み出すものです。精神が何であるかはともかくとして…】それには実体がありますか。【多分思念は実体のあるものになれる性質をもったものだと思います。初めから実体があるのではないと思います―】―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもあなたは思考しながら自分が思考している事が分ってますね?【ええ。思考によって物事を明確にする事ができると思います―】あなたは自分が思考している事を自覚していらっしゃる。が思念は見える事も聞く事も、重さや大きさを計る事もできない。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物理的な計量方法がない訳です。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。あなた方の世界では考えた事が行為として具体化します。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちの世界では考えた事が霊的実在として具現化し、それにはあなた方にとって物質の世界が実感があるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるという事です。

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†