2020年10月19日

トレイルムービー(山で撮影)はほぼ毎週行いますが、それとは別にこれまで書き続けていた「長文ブログ」に代わるようなムービーの手法を何とか確立させられないかずっと考えていました。そして「デスクトップキャプチャをやめる」という形で霊団が降らせるインスピレーションの説明をしてみました。皆さまにとってこちらの方がご理解頂きやすいのではないかと僕なりの判断もありました。

  • 「トレイルムービー」(山で撮影、できる限り毎週UP)
  • 「フォトショプレゼン」(デスクトップキャプチャムービー)
  • 「アナログ絵」(間もなく300にも到達します、ガンガン描きましょう)

今回のムービーはこのふたつめの作業にあたりますがキャプチャソフトの使用をやめて良かったのかなぁとも思っていますが何しろまだテストですので試行錯誤を重ねて完成度を高め「長文ブログ」を「ムービー化」するというひとつのテンプレートのようにしていけたらと考えています。この手法をうまく確立させられればこれまでのように長文ブログを書く頻度はだいぶ少なくなるでしょう、とはいえムービー内に多量のテロップを挿入していますので結局長文を書いているのと同じ事になります。

皆さまへの訴求、より興味を持って頂くためのリッチコンテンツ化、そして何より強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の徹底拡散、とにかく全国民が「天皇とか言ってるこいつらは女の子を殺しまくっているバカヤロウどもなんだ」という理解を完全に浸透させ切るため、霊団にトコトン推されている使命遂行のムービー化を本格化させています。長文ブログを書くのも十分大変でしたがムービーを連続で制作するのも大変な作業負荷であり「これってユーチューバーか?」と霊団に突っ込みたくもなります。

とにかく皆さまにご覧頂きやすく、作業者の僕もムービーを作りやすく、パワー的にも連続で作り続けられるレベルで、さらにさらに情報拡散につながる手法を模索し続けます。正直部屋での撮影はやりたくなかったのですがもうそんな事は言っていられないのかも知れません。とにかく霊団の仰る通りやってみましょう。さらに手法を考えていきます(祈)†


ちなみにインスピレーションとは「目を閉じた有意識状態」いわゆるトランスの時に霊団が降らせてくるもので、言葉、イメージ等、様々な表現形態があります(祈)†
インスピレーションを霊団が降らせて来ない日はありません。毎日必ず何かしらメッセージを降らせてきて僕を使命遂行の方向に導き続けているのです(祈)†
今ムービーで紹介させて頂くインスピレーションの他にも霊団がたくさん降らせてきていますので紹介してみましょう(祈)†
「さぁ咲くんだ×2」霊団から僕に向けられたメセ。フラーになぞらえて僕に「咲きなさい」と仰っているのです。ポジのメセですね(祈)†
「私たち、出来レース〆切」これはピーチピチ(佳子)の思念で、要するに国民に向けてウソストーリーを紹介するのをもうやめるという意味かも知れません。私たちとは…うーん(祈)†
「さっそく死ぬよ」僕では断じてなく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が死刑になるという意味でしょう。いや、さっそくですから徳仁あたりが自殺、なんて事もあるかも知れません(祈)†
「ごくろうさま」霊団から僕に向けられたメセ。そういう言葉は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をキッチリ死刑にして滅亡完了させてから言ってもらっていいですか(祈)†
「ムービーありがとう」霊団の感謝の言葉。僕にムービー作って欲しかったそうです。Youtubeは最後の切り札として残しておきたかったのでアカウントを守るために使わずにおいたのです(祈)†
「いらないいらない」ご覧の皆さまの思念。もちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が日本にいらないという意味。強姦殺人魔に血税をプレゼントする愚行に終止符を撃ちましょう(祈)†
「Getit BUS(バスに乗る)」誰がどこ行きのバスに乗るんですか霊団。これじゃ分かんないでしょまぁピーチピチ(佳子)か僕のどちらかがポジなバスに乗るという事なのでしょうが(祈)†
「霊団がブログ書かせないようにしてるのかも知れません」これも霊団が僕の作業をムービー方向に切り替えさせたという意味。それは了解ですけどムービーは重くてホントに…(祈)†
「無刀流」銃も剣も使わずに強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる僕の使命遂行の事を霊団がこのように表現しているのです。ってか霊団の導きの結果ですね(祈)†
「終わりなんだよ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が終わりなんだよ、死刑決定なんだよ、という意味でいいでしょう。死刑以外の未来があってたまるものですか(祈)†
「狙われている」僕は常にスナイパーチーム(徳仁の命令を受けて僕を暗殺するポリーチェPOLICE)に狙われていますが、これはたぶん明仁、文仁、徳仁、悠仁が>明仁、文仁、徳仁、悠仁が狙われているという意味ではないでしょうか(祈)†
「寝ボケてんじゃねー」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が国民に向けて視点外しの洗脳ニュースを流し続けすっとぼけ続けている事に対する皆さまの怒りの思念だと思うのですが(祈)†
「人間として当たり前の事」奴隷の女の子たちを救出する事が当たり前という意味。明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を強姦殺人し続けている事を正当化しようとする人間は全員強姦殺人ほう助です(祈)†
「ハッピーセット」霊団から僕に向けられたメセでしょう。僕は物質界に残されている限りはイエス様ハンドリングを全力で続けるだけです。ピーチピチ(佳子)がハッピーなのかな?奴隷の女の子たちをハッピーにしてあげないといけません(祈)†
「完全にタイホです」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の完全なる子分であり命令に従い続けている悪の手下ポリーチェPOLICEが、まさかまさか明仁、文仁、徳仁、悠仁の逮捕に動くのでしょうか(祈)†
ちなみにブログで書いた事はありませんが、実は霊団はギャグも降らせてくるんですよ。悔しいけど霊聴にギャグを響かせられてクスッてなる事が時々あるのです(祈)†
霊団はよく歌を歌ってきます。僕の思念に合わせて僕の声色をマネて歌ってくるのです。「何考えてんだよあんたたちは」と本気で突っ込みたくなる事がホントによくあるんです(祈)†
大昔のCMソング「伊〇に行くならハ・〇・ヤ、電話はヨイフロ♪ 4126♪4126♪」って歌ってくるんですよ。まぁ要するに僕がいつも怒っているのを笑かそうとしてるんでしょうね(祈)†
大昔のCMソング「ありのままに咲く花~♪ヨープレイト~♪ラーイライライラーイライーライラーライーライラーイ♪」って僕の声色で全力で歌ってくるんです。あんたたちの仕事はなんなんだよホントに(祈)†
霊性発現以降の僕には「孤独」というものがありません。霊団がとにかく僕の霊聴にああでもないこうでもない言ってくるからです。「うるせいよオメイラよ」とフツーにキレる事もしばしば(祈)†
山のアタック中も霊団がとにかくペチャクチャしゃべくってくるのです。あんたたちの普段の仕事って一体何なんだよ、と本気で突っ込みたくなるのですが、これも使命遂行の一環なのでしょうか(祈)†
イエス様、守護霊様からお言葉を賜る事も「ごくたまに」あります、滅多にある事ではありません。その時は最大級の強調の表現が使われます。普段は霊団メンバーがペチャクチャしゃべってきます(祈)†
とにかく今までブログに書かずにスルーしてしまった(とても書き切れなかったという事)インスピレーションがホントにたくさんあります。くっだらないモノも結構あるんですよ(祈)†
とにかく霊力に感応できるようになった僕の日常生活は皆さまにご理解頂けないものですが決して堅苦しいモノではなく、霊団などと言いますが結構ふざけたヤツらでもあるのです。もちろんそれも意味があっての事なのですが(祈)†
さぁ今まで長文ブログをカタカタ撃つ事に使っていたパワーをこういう形に変形させてみました。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の拡散の一助になる事を願わずにはいられませんが(祈)†
とにかく皆さま、皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は想像を絶するレベルの強姦殺人魔です。コイツらが全ての悪の始まりです。何が何でも死刑にして滅亡させねばなりません(祈)†

『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活に何一つ怖いものはありません。取越苦労は大敵です。生命力を枯渇させ霊性の発現を妨げます。不安の念を追い払いなさい。真実の愛は恐れる事を知りません。その愛が宇宙を支配しているのです。そこに恐怖心の入る余地はないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
それは無知の産物にほかなりません。つまり知らないから怖がるのです。ですから知識を携えて霊的理解の中に生きる事です。取越苦労の絶えない人は心のどこかにその無知という名の暗闇がある事を示しています。そこから恐怖心が湧くのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間が恐るべきものは恐怖心それ自体です。恐怖心は闇の産物です。霊力に不動の信念をもつ魂は恐れる事を知りません。あなた方の“呼吸する”というなんでもない動作一つでも、それを可能にしているのは、―

『シルバーバーチの霊訓①』
―宇宙を創造し惑星や恒星の運行を司り、太陽に無尽蔵のエネルギーを与え、大海の干満を司り、あらゆる植物の種子に芽を出させ、地上に千変万化の彩りを添えさせているところの根源的生命力と同じものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その力はかつて一度たりとも働きを狂わせた事はありません。海の干満が止まった事が一度でもあったでしょうか。地球が回転を止めた事があったでしょうか。自然法則が機能しなかった事があったでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓①』
物質界は生活の一側面にすぎません。あなたの生活の全体ではないのです。人間の多くが悩みが絶えないのは、無意識のうちに物質の世界にのみ生きていると思い込んでいるからです。本当はあなた方と私とは同じ宇宙の中に存在するのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊界と地上とが水も漏らさぬように区別されているのではありません。互いに融合し合い調和し合っています。死ぬという事は物的身体による認識をやめて霊的身体によって魂の別の側面を表現しはじめるという事に過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が直面する悩み事は私にもよく分っております。しかし霊的知識を有する者はそれを正しく運用して物的要素に偏らないようにならなければなりません。霊的要素の方に比重を置かなければいけないという事です。正しい視野に立って考察すれば、焦点を正しく定めれば―

『シルバーバーチの霊訓①』
―日常生活での心の姿勢さえ正しければ物的要素に対して最小限度の考慮を払い決して偏る事はないでしょう。そうなれば霊的自我が意のままに働きあなたを支配し生活全体を変革せしめるほどの霊力が漲り、ついに物的要素に絶対に動かされない段階にまで到達する事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
永遠なるものを日常の出来事を基準にして判断しても駄目です。あなた方はとかく日常の精神によって色づけされた判断、つまり自分を取り巻く環境によって判断を下しがちです。

『シルバーバーチの霊訓①』
そして、それまで成就してきた成果の方は忘れがちですが、これは物質の中に閉じ込められ、朝目を覚ました瞬間から夜寝るまで日常的問題に追いまくられているからです。今と昔を較べるために過去のページを繙いてご覧なさい。

『シルバーバーチの霊訓①』
そこに背後霊による指導のあとがありありと窺えるはずです。霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれる事なく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。背後霊は決して見捨てない事をご存知のはずです。

『シルバーバーチの霊訓①』
人間が神に背を向ける事はあっても、神は決して人間に背を向ける事はありません。無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば必要な援助は必ず授かります。これは決して忘れてはならない大切な真理です。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊の世界の存在を知った者はより大きな生活の場を垣間見た事になります。宇宙の構造の内奥に触れたが故に無責任な事ができなくなります。置かれた世界に対する義務と責任をいっそう自覚するからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
決してそれを疎かにせず、また物的な事に心を奪われたり偏ったりする事もありません。安全も援助も全て“霊”の中に見出す事ができます。地上の全ての物的存在も、あなた方の身体も、霊の顕現であるからこそ存在し得るのです。

僕が言うのもなんですがm(_ _)m みなさん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“さらにさらに書籍紹介です♪”参照) そして困難、苦難から逃げることなく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
この真理があなたの生活を支配しはじめた時、それに伴う内的静寂と冷静さが生まれ日常生活の一つ一つに正しい認識をもつ事ができるようになります。あほらしく思えていい加減に処理したり、義務を怠るようになると言っているのではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
私が申し上げたいのは、そうした知識を手にした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な目で日常生活を眺め、その背後に霊的基盤がある事を忘れずにいれば、最大の敵であるところの取越苦労と決別できるようになります。知識はわが身を守る鎧です。不安は魂を蝕み錆つかせます。

『シルバーバーチの霊訓①』
もし神が私に何か一つあなた方へプレゼントする事を許されたとしたら、私が何よりも差し上げたいと思うのは“霊的視力”です。この薄暗い地上に生きておられるあなた方を私は心からお気の毒に思うのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は身のまわりの見えざる世界の輝きがどれほど素晴らしいかをご存じない。宇宙の美しさがご覧になれない。物質という霧が全てを遮断しています。それはちょうど厚い雲によって太陽の光が遮られているようなものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その輝きを一目ご覧になったら、この世に悩みに思うものは何一つない事を自覚されるはずです。私たちは法則と条件による支配を受けます。その時々の条件に従って能力の範囲内の事をするほかはありません。―

『シルバーバーチの霊訓①』
―が目に見えようと見えまいと耳に聞こえようと聞こえまいと手に触れられようと触れられまいと、あなた方を導き、援助し、支えんとする力が常に存在します。

『シルバーバーチの霊訓①』
人のために役立とうと心掛ける人に私はいつも申上げてきた事ですが、見通しがどんなに暗くてもいつかは必ず道は開けるものです。霊の力は生命の力そのものだからです。

『シルバーバーチの霊訓①』
生命は霊なしには存在しません。生命―その本質、活力、潜在力、こうしたものは全て“霊”であるからこそ存在するのであり、程度の差こそあれ、本質において全存在の創造主と同じものなのです。

あえて書きますが僕は完全無宗教。今まで生きてきて教会に一度も足を運んだ事はなく、聖書も一度も見た事がありません。でもシルバーバーチ霊の言葉に触れるほど、逆にそれでよかったのかもって思うのです。ドグマに毒されずにすみ、今こうして霊的現象に浴させて頂けるようになったのですから(祈)