「フラー17誕生ストーリー」が描けなかったのが悔しかった事もあり今回の17の設定資料、カラーリングはちょっと違う感じに描きたいなぁと紙の上であれこれ線を走らせていたのですが(汎用モードを)描いても描いても気に入らない、未だに形になりません。長らくフラーを描いてますがこんな事は初めてでかなり戸惑ってます。そろそろ描かないといけません、時間かかりすぎ。

さらに先ほど紙とにらめっこしてる時に軽くトランスに入って「フラーを推すのにはちゃんと理由がある」と霊団が霊聴に響かせてきました。描け描け言ってるんですよ分かってますよ言われなくても描きますよ。イヤー軽くパニクッてますがタイムアップ。明日の山の撮影に集中しましょう。フラー17はアタック帰還後にトレイルムービーをUPしてから何とかしましょう(祈)†

—–九章
『シルバーバーチの霊訓③』
【英国フリート街に立並ぶ新聞社の一つの主筆でスピリチュアリズムにも興味をもつジャーナリストが、ある日の交霊会で思念とインスピレーションの違いについて質問した。それについてシルバーバーチはこう答えた】―

『シルバーバーチの霊訓③』
―物質の世界に住んでおられるあなた方は極めて創造性の乏しい存在です。よくよくの例外を除いて、まず何も創造していないと言ってよろしい。受信局であると同時に発信局のような存在です。まず外部から思念が送られてくる。

『シルバーバーチの霊訓③』
それが一たんあなたならあなたという受信局で受止められ、それに何かが付加されて発信され、それを別の人が受信するという具合です。あなたに届いた時の思念と、あなたから発信される時の思念は既に同じではありません。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなたの個性によって波長が高められる事もあり低くなる事もあり、豊かになっている事もあり貧弱になっている事もあり、美しくなっている事もあり醜くなっている事もあり、新たに生命力を付加されている事もあり衰弱している事もあります。

『シルバーバーチの霊訓③』
しかしそれとは全く別に霊的な波長の調整によってあなたと同じ波長をもつ霊からのインスピレーションを受ける事もできます。人間が(あなた方の言い方で)死んで私たちの世界へ来ます。その時(肉体は捨てても)精神と魂に宿されているものは何一つ失われません。

『シルバーバーチの霊訓③』
それは霊的であり、無限であり、霊的にして無限なるものは絶対に無くならないからです。その魂と精神に宿された資質はその後も生長し、広がり、発達し、成熟していきます。

『シルバーバーチの霊訓③』
そうした霊性を宿しているからこそ、こちらへ来てしばらくすると、地上の人間のために何か役に立つ事をしたいと思うようになる訳です。やがて自分と同質の人間を見出します。あるいは見出そうと努力しはじめます。

書籍は購入できます。読む事もできます。しかし真の理解に到達するのは長い道のりです。僕も初めてシルバーバーチの1巻を買ってから今の理解に至るまで長い苦難の道でした。もし書籍を手にされた方がいましたら、気負わずそしてあきらめず長いスパンで読み続けて欲しいなって思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓③』
地上で詩人だった人は詩人を探すでしょう。音楽家だった人は音楽家を探すでしょう。そして死後身につけた事の全てを惜しげもなく授けようとします。問題は波長の調整です。インスピレーションが一瞬の出来事でしかないのは私たちの側が悪いのではありません。

『シルバーバーチの霊訓③』
二つの世界の関係を支配している法則が完全に理解されれば―別の言い方をすれば、地上の人間が両界の自由な交信の障害となる偏見や迷信を取除いてくれれば、無限の世界の叡智が人間を通してふんだんに流れ込む事でしょう。

『シルバーバーチの霊訓③』
要は私たちの側から発信するものを受信する装置がなければならない事、そしてその装置がどこまで高い波長の通信を受け取れるかという性能の問題です。全てのインスピレーション、叡智、真理、知識は、人間側の受信能力に掛っております。

『シルバーバーチの霊訓③』
【それだけお聞きしてもまだインスピレーションが一瞬のひらめきで伝わるのかよく理解できません―】その瞬間あなたの波長が整って通信網に反応するからです。【と答えたあと、そういう思念が霊界からのものか地上の人間からのものかの区別の仕方について質問されて】―

『シルバーバーチの霊訓③』
―両者をはっきりと線引きする事はとても困難です。思念には地上の人間の発したものが地上の他の人間によって受取られる事もありますが、霊界からのものもあります。思念は常に循環しております。そのうちある種のものが同質の性格の人に引寄せられます。

『シルバーバーチの霊訓③』
これはひっきりなしに行われている事です。しかしインスピレーションは霊界の者がある種の共通の性質、関心、あるいは衝動を覚えて、自分が既に成就したものを地上の人間に伝えようとする、はっきりとした目的意識をもった行為です。

『シルバーバーチの霊訓③』
地上の音楽、詩、小説、絵画の多くは実質的には霊界で創作されたものです。【祈りは叶えられるものでしょうか―】叶えられる時もあります。祈りの中身と動機次第です。人間はとかく、そんな要求を叶えてあげたら本人の進歩の妨げになる、―

『シルバーバーチの霊訓③』
―あるいは人生観をぶち壊してしまいかねない祈りをします。そもそも祈りとは人間が何かを要求してそれをわれわれが聞き、会議を開いて検討してイエスとかノーとかの返事を出すのとは違います。

『シルバーバーチの霊訓③』
祈るという事は、叶えられるべき要求が自動的に授かるような条件を整えるために自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です。

僕はこうして“撃って出た”事によって様々なイヤな体験をしてきましたが学ぶ事もとても多かったのです。特にシルバーバーチ霊が書籍で何度も何度も言っている「魂に受け入れ態勢の整ってない人間には霊的知識は理解できない」というのがありますが僕はそれをとことん痛感させられました(祈)
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『シルバーバーチの霊訓③』
【“天才”をどう説明されますか―】まず理解して頂きたいのは大自然あるいは法則―どう呼ばれても構いませんが―は決して一本の真直ぐな線のように向上するようには出来ていない事です。様々なバリエーション、サイクル、あるいはスパイラルを画きながら進化しています。

『シルバーバーチの霊訓③』
全体から見ればアメーバから霊にいたる段階的進化がハッキリしておりますが、その中にあって時に一足跳びに進化する者と後退する者とが出てきます。先駆けと後戻りが常にあります。天才はその“先駆け”に当ります。

『シルバーバーチの霊訓③』
これから何十世紀、何百世紀かのちには地上の全人類が、程度の差こそあれ今の天才と同じ段階まで発達します。天才は言わば人類の進化の前衛です。【現在地上で行われている進化論とだいぶ違うようですが―】私の見解はどうしても地上の説とは違ってきます。

『シルバーバーチの霊訓③』
霊の目をもって眺めるからです。地上的な視野で見ていないからです。皆さん方はどうしても物的観点から問題を考察せざるを得ません。物的世界に生活し食糧だの衣服だの住居だのといった物的問題を抱えておられるからです。

『シルバーバーチの霊訓③』
そうした日々の生活の本質そのものが、その身を置いている物的世界へ関心を向けさせるようになっているのです。日常の問題を永遠の視点から考えろと言われても、それは容易にできる事ではありません。が私たちから見ればあなた方も同じく霊的存在なのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
いつ果てるともない進化の道を歩む巡礼者である点は同じです。今生活しておられるこの地上が永遠の住処でない事は明白です。これから先の永遠の道程を思えば地上生活などはほんの一瞬の出来事でしかありません。私たちの視界は焦点が広いのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
皆さんから受ける質問も霊的真理に照らしてお答えしております。その真理が人間生活においてどんな価値をもつか、どうやって他の同胞へ役立てるべきか、どんな役に立つか、そう考えながらです。

『シルバーバーチの霊訓③』
これまで私は私の説く真理は単純素朴なものである事、唯一の宗教は人のために自分を役立てる事であると皆さんもいい加減うんざりなさるのではないかと思うほど繰返し述べてきました。私たちの真理の捉え方が地上の常識と違う以上そうせざるを得ないからです。

youtu.be/cGzusVKSqmo

字幕ファイル(.srt)に半角スペースがひとつ間違って記述されているだけでもYouTubeはエラーを返してきます。とってもシビア、これはプログラミングの世界に近いですね。まぁ僕はhtml、css等で手撃ちを果てしなくお勉強してきましたので抵抗はありませんが。フラー17設定資料で思わぬ苦戦中。何とか描いてみましょう(祈)†

—–一章4
『ベールの彼方の生活①』
【光のかけ橋 一九一三年 九月二六日 金曜日】前回の通信は、あなたにもう少し深入りした感応の仕方を試してみるべきであるとの霊団の一人の要請を受けてやってみたものです。が説明できるようにはなりましたが説明の内容はまだ十分とは言えません。

『ベールの彼方の生活①』
そこで、あなたがお望みであれば引き続き同じ問題を取上げようと思いますが。【有難うございます。お願いします―】では、あなたにも暫く私たちと共にベールのこちら側から考えて頂かねばなりません。

『ベールの彼方の生活①』
まず理解して頂きたいのは、こちらへ来てみると地上で見ていたものとは全く異なった様相を呈している事―おそらく現在地上にいる人の目には非現実的で空想的にさえ思えるのではないかという事です。

『ベールの彼方の生活①』
どんなに小さな事でも驚異に満ちておりますから、こちらへ来たばかりの人は地上での三次元的な物の考え方から脱しない限り飛躍的な進歩は望めません。そしてそれが決して容易な事ではないのです。さてここで例のバイブレーションという用語を使用しなくてはなりません。

『ベールの彼方の生活①』
しかしこれを物的なもののように考えては真相は理解できません。私たちのいうバイブレーションは作用においても性質においても単なる機械的な波動ではなく、それ自体に生命力が宿っており、私たちはその生命力を活用して物をこしらえているのです。

『ベールの彼方の生活①』
言わば私たちの意志と環境とを結ぶかけ橋のようなものです。突詰めれば全ての現象はその生命力で出来ているからです。環境は私たちを始め全存在を包む深い生命力の顕現したものに過ぎません。それを原料として私たちは物をこしらえ成就する事ができるのです。

『ベールの彼方の生活①』
バイブレーションというと何だか実体のないもののように思われがちですが、それがちゃんとした耐久性のあるものを作り上げるのです。たとえば光明界と暗黒界との間の裂け目の上に橋を掛けるのもその方法によります。

『ベールの彼方の生活①』
その橋がただの一色ではないのです。暗黒の世界の奥深いところから姿を見せ、次第に輝きを増しながら裂け目を越え、最後に燦々たる光輝を発しながら光明の世界へと入り込んでおります。

『ベールの彼方の生活①』
その光明界の始まる高台に掛る辺りはピンク色に輝き、大気全体に広がる何とも言えない銀色、アラバスターと言った方がよいでしょうか、そんな感じの光の中で輝いて見えます。

『ベールの彼方の生活①』
そうですとも。その裂け目に立派に“橋”が掛っているのです。もし無かったら暗黒の世界から光明の世界へと闇を通り抜けて霊魂はどうやって向上進化してくるのですか。本当なのです。

『ベールの彼方の生活①』
言い落しておりましたが、怖ろしい暗黒の世界をくぐり抜けてその橋をよじ登り、裂け目のこちら側へやってくる霊魂が実際にいるのです。最も数は多くありません。大抵はその道案内の任に当っておられる天使様の言う事が聞けずに後戻りしてしまうのです。

『ベールの彼方の生活①』
また、こういう事も知っておく必要があります。そうした天使様の姿は魂の内部に灯された霊的明りの強さと同じ程度にしか映らないという事です。ですから天使様の言う事を聞いて最後まで付いて行くには、天使様に対する信頼心も必要になってきます。

『ベールの彼方の生活①』
その信頼心は同時に光と闇とをある程度まで識別できるまで向上した精神の産物でもある訳です。実際人間の魂の複雑さは一通りでなく捉え難いものですね。そこでもう少し言葉で表現しやすい話に移りましょう。

『ベールの彼方の生活①』
私はそれを“橋”と呼びました。しかし「目は汝の身体の光である」という言葉がありますね。この言葉をここで改めて読んで頂きたいのです。そうすればそれが地上の人間だけでなく、こちらの霊魂についても言える事がお判りになると思います。

『ベールの彼方の生活①』
私はこれまで“橋”という呼び方をして来ましたが実際には地上の橋とはあまり似ていないのです。第一、巾がそれはそれは広いのです。“地域”と呼ぶのが一番当っているようです。

『ベールの彼方の生活①』
私はまだ死後の世界のほんの一部しか見ておらず、その見た限りのものだけを話している事を念頭に置いて聞いて下さいよ。同じような裂け目や橋が他にも―多分数え切れないほど―あるに相違ありません。つまり私が橋と呼んでいるものを通って光明を求める者が進んできます。

『ベールの彼方の生活①』
実にゆっくりした足どりです。しかもその途中には幾つかの休泊所が設けてあり暗黒界から這い上がって来た霊魂がそのうちの一つに辿り着くと、そこで案内役が交替して今度は別の天使の一団が次の休泊所まで付添います。そうやってようやくこちら側に着きます。

皆さん、本を読みましょう。知識を得ましょう。無知の暗闇を突き破りましょう。僕たちは大切な事を悟るために地上という修行場に降下して来ているのです。霊界こそ僕たちの本来の住処であり、地上は霊界の光によってできた影にすぎません。どうか、どうか皆さんにも霊的知識を得て頂きたいのです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
私が所属している例のコロニーでの仕事も、地上の救済の他に、そうやって向上して来る霊魂の道案内も致しております。それは先程述べた仕事とはまた別の分野に属します。私はまだあまり勉強しておりませんので、そこまでは致しません。そちらの方が難しいのです。

『ベールの彼方の生活①』
というのは、こちらの世界の暗黒界にいる者を取巻く悪の影響力は地上のそれに比して遥かに邪悪なのです。地上はまだ善の中に悪が混じっている程度ですからましです。こちらへ来た邪悪な人間がうっかりその暗黒界へ足を踏み入れようものなら、―

『ベールの彼方の生活①』
―その途轍もなく恐ろしい世界から抜出る事の大変さを思い知らされます。想像を超えた長い年月に亘って絶望と諦めの状態で過ごす霊が多い理由はそこにあります。暗黒の世界から這い上がって来た霊魂が無事その橋を渡り切ると天使様が優しく手を取って案内してあげます。

『ベールの彼方の生活①』
やがて草木の茂った小高い緑の丘まで来ると、そこまで実にゆっくりとした足どりで来たはずなのに辺りの美しさに打たれて喜びで気絶せんばかりの状態になります。正反対の暗黒の世界に浸り切っていた霊魂には僅かな光明にさえ魂が圧倒されんばかりの喜びを感じるのです。

『ベールの彼方の生活①』
私は今“小高い丘”と言いましたが高いと言ってもそれは暗黒の世界と比べた場合の事です。実際には光明の世界の中で一番低いところなのです。“裂け目”とか“淵”とかをあなたは寓話のつもりで受止めているようだけど私が述べた通りに実際にそこに在るのです。

『ベールの彼方の生活①』
この事は以前にもどこかで説明があったはずです。それから何故橋をトコトコ歩いて来るのか、何故“飛んで”来ないかと言うと、まだ霊的発達が十分でなくてそれが出来ないという事です。もしそんな真似をしたらいっぺんに谷底へ落ちて道を見失ってしまいます。

『ベールの彼方の生活①』
私はまだ暗黒の世界へ深入りしておりません。ほんの少しだけですが悲劇を見るのは当分これまで見たもので十分です。しばらく今の仕事に精一杯努力して、現在の恵まれた環境のもとで気の毒な人々に援助してあげれば、もっと暗黒界の奥まで入る事を許されるかも知れません。

『ベールの彼方の生活①』
多分許されるでしょう。しかしそれはまだ先の話です。あと一つだけお話しましょう。―あなたはそろそろ寝なくてはならないだろうからね。霊魂が暗黒の世界から逃れて橋のところまで来ると、後から恐ろしい叫び声や怒号が聞こえ、狐火のようなものがチラチラ見えるそうです。

『ベールの彼方の生活①』
私は実際に見ていないのではっきりした事は言えませんが、それは仲間を取り逃がした暗黒界の霊魂が悔しがって怒り狂う時に発するのだと聞いております。悪は所詮、善には勝てないのです。いかに小さな善にもです。が、この事については今はこれ以上深入りしません。

『ベールの彼方の生活①』
私が今述べた事は私が実際に見たものではなく又聞き、つまり人から間接的に聞いた事ですが本当の事です。ではおやすみ。神の御光と安らぎが注がれますように。その御光の中にこそ光明を見出される事でしょう。その輝きこそ無限に開け行く安らかなる魂の黎明なのです。

現在、イエス様の御意志に従い、霊的知識普及の使命を遂行中。明けても暮れてもテキスト撃ちまくり、霊的知識のタネを蒔いて蒔いて蒔きまくってます。地上のどんな事象より大切な霊的真理の光が人々に広まる事を、イエス様は僕という小さなチャンネルを通して痛烈に訴え、願っておられるのです(祈)