思うところがあり一旦霊関連書籍のテキスト化の作業を止めてフルカラーの絵のための線画、そしてフラー22のキャラのギミックをクロッキー上で考え始めています。頭の中は悩み、考え事、もっと言うと疑念、怒りとも言えますが、そういったものが渦巻きまくって収拾がつかない状態ですが「感情と手は別レイヤー」ですから絵だけは描き続けます。

そしてトレイルムービー用のMP3録音も敢行、諸々の作業を経て90%まで完成させてあります。今週はトレイルムービーUPできそうです。1サイト(このブログ)内で動画をまとめたページを何とか制作したいと考えていますが、コレが恐ろしくめんどくさくてどうにも着手できずにいます。

何とか心を奮い立たせて実行に移さないといけませんが、霊団に言われている事があまりにひどすぎる内容のため、どうしてもそちらに心をもっていかれてしまいます。何をどうやったら人の人生をこれだけ破壊しまくっておいてそういう心のかけらもない事が言えるのか。首を傾げずにはいられないのです。

この10年間は一体何だったのか。霊性発現は何のためだったのか。というのも、僕が自分の力で霊性発現したのではなく、霊界側が「キミは資格に到達しましたので霊的スイッチをONにします」という感じで霊力に感応するようになったからです。霊団には僕の霊的スイッチをONにした理由、動機があったはずで、そのわりにはこの10年間の人生破壊の度合いがひどすぎるので「一体何だったのか」という思いがどうやっても拭えないのです。

今週の長文ブログはちょっと説明し切れなくてペラッペラの内容になっちゃうかも知れません。今のところ書けそうなインスピレーションは少ししかありません。ほとんど削除対象です。まずは絵の作業を続行しましょう(祈)†

■2019年11月2日UP■
「フィルコリンズ Phil Collins」幽体離脱中にヨーロッパ系女性から「あなたコレ」と言われました。え?(祈)†
ここは物質界なのですから物的肉眼レベルでそのように現象が起こらない限り強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡にはつながらないでしょ。いつもいつも同じ事を言わせないで下さい霊団。まぁそれはともかくイヤァーPhil Collins、懐かしいですね♪若い方々はご存じないのかも知れません。身長は僕と一緒ですね。頭も似てますね笑…続きを読む→
■2019年12月4日UP■
「死刑にできる」これはもちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にできるという意味です(祈)†
一体法律だの憲法だのといったものは何のために存在するのでしょう。法律を司る裁判官だの弁護士だの、そして犯罪者を逮捕し国民の安全を守る、正義を司るはずのポリーチェ(POLICE)、この者たちが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にするための活動をしないというのであれば、一体何の仕事、活動に対する対価として給料をもらっているのでしょうかコイツらは…続きを読む→
■2020年4月8日UP■
「ほっといてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念です。100%死刑にするよ(祈)†
「ほっといてくれ」という強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念になりますが、とにかく自分たちの邪悪の正体が国民周知の事実にならないよう徹底的にマスコミ操作をして国民を別のニュースに注目させ「視点外し」「すっとぼけ」を行っているのです。皆さま、テレビを筆頭とした各種メディアは完全なる「洗脳」です。真実を一切報道しません…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→

「背後霊の不思議」より→死ぬ時はどんなふうになるのか「寿命が尽き、いよいよ死ぬ時期が近づくと、一種の“緊張の緩み”を感じる。苦痛も不快感も消える。そのうち肉体からふわっと浮き上がるような感じがする。アドバルーンのような感じである。ふと下を見ると自分の肉体が横たわっている」

「背後霊の不思議」より→「その肉体と本当の自分とは細い銀色の紐のようなもので繋がっている。それが生き生きとした光輝を発しながら鼓動している。これがいわゆる玉の緒、生命の糸である。上昇するにつれてその紐が伸びて細くなり、同時に光輝も薄くなって、ついには消えてしまう。紐も見えない」

「背後霊の不思議」より→「その時あなたは死んだのである。しばらくは浮いたままの状態で下を見下ろしている。気分は良く、ラクである。やがてさらに上昇して灰色のモヤの中を通っていく。するとそこに仲間たちが待っている。地上時代の背後霊である。笑顔で迎え握手をする」

「背後霊の不思議」より→「そして一緒にモヤの中を通り抜けていく。そこが死後の世界である。スピリットの容姿はその人の最盛期の相をしている。一人一人みな違う。40代の働き盛りの姿をしている男性もおれば、20代の最高に美しい容姿をしている女性もいる」

「背後霊の不思議」より→「人間が死んであの世へ行くと、みなそれぞれの最高の容姿に変わっていく。老人はシワが消え絶頂期の相になる。そしてその相をずっと維持する。ただ変化するのは霊的成長と共にオーラの輝きが増すという事だけである。子供であれば地上でいう成人の段階まで霊界で成長する」

「背後霊の不思議」より→「もちろん縁ある人と再会し先に死んでいった友達とも会える。すっかり成長すると今度は地上からやってくる人たちの案内や指導の役をしたりする。そしてある時期が来るともう一段高い世界へと進んで行く者もあれば、もし物質的体験が不足しているなら再び地上へ降下する」

「背後霊の不思議」より→霊界にも結婚生活があるか「死後の世界では肉体がなく、従って肉体的欲望つまり性欲がない以上、地上でいうところの結婚はない。愛によって結ばれて共に暮らすという事が霊界の結婚であり、そういう形態は地上でも無い事はない」

「背後霊の不思議」より→「性欲に起因する肉体的交渉も一種の愛の形態ではあるが、地上にしろ霊界にしろ結婚の真の形態は二人の人間の間の霊的親和力による一体的生活をいう」

「背後霊の不思議」より→「従って地上で夫婦であった者が他界した場合、両者の間に真の愛があれば(というより真の愛が存在する時にのみ)両者は霊界でも一緒に生活する事ができる」

「背後霊の不思議」より→「仮に片方が先に他界した場合は、地上に残った配偶者を霊界から見守る。そしてその配偶者が地上を去ると出迎えて再び一緒の生活を始める。ただしそれは真の愛によって結ばれた二人の場合である。愛こそが判断の基準である」

「背後霊の不思議」より→「教会で結婚式を挙げようと回教の寺院で挙げようと、あるいはただの入籍だけで済まそうと、そんな事は何の関係もない」

「背後霊の不思議」より→「二人の間に親和力が存在すれば、つまりもともと一つの魂が男女に別れてこの世に生まれた場合であれば、両者の結婚は二つの魂が一つに結合される事であり、これなら死後も一体のままである」

「背後霊の不思議」より→「もしもその親和力の関係が存在しない場合は霊界では必ず別れ別れになる。たとえ友情によって結ばれていても生活は別々になる」

「背後霊の不思議」より→「では離婚して別の人と結婚した場合はどうなるかという事になるが、答えは簡単である。魂の親和力による結合は一度しか有得ないのであるから、地上で何度結婚しようと、霊界で真の魂の相手を見つけて、そこで真に結ばれるのである」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私達がこうした真理の普及に努力するのはそれが霊的摂理のみならず物的法則とも密接に係わりあっているからです。私達の目から見れば物質界も大霊の支配下の全大宇宙の一部であり絶望の淵にあえぐ地上人類の苦悩に無関心でいては宗教心を説く資格はありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私は私をこの地上へ派遣した霊団の代弁者(マウスピース)にすぎません。私自身の栄誉とか報賞とかを求める気持ちは微塵もございません。誇大に宣伝したり地上時代の偉そうな人物名を名乗ったりする趣味も持ち合わせません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私はただこれまで申し上げたような霊的真理、永い間忘れ去られていた真理に改めて“神の真理”のシールを貼って、こうして地上へお届けするための道具である事に喜びを感じているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私の役目は私の所属する霊団からのメッセージをお届けする事です。手塩にかけて養成したこの霊媒と私自身の霊力の力量の範囲内で受取ったものを忠実に伝達する努力を続けてまいりました。私はただお役に立てばそれでよいのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「こうして私達が霊的真理の普及に努力している一方、この真理そのものよりも通信霊の身元の詮索の方が大事だと思っている人が大勢いるようです。その霊が白人、黒人、黄色人種、レッドインディアンであろうがそれでどう違ってくるというのでしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「神の真理が教養豊かな人によって届けられようと無学な人によって届けられようと、それが真理に間違いなければ、純粋の真理でありさえすれば、通信霊の身元などどうでもよい事ではないでしょうか」

「シルバーバーチの霊訓」より→「皆さんの味方として差し向けられる霊はいろいろです。地上で顔見知りだった人、血縁のあった人、さらにはそうした地上的縁とは無関係にただ地上人類への愛に動かされてやってくる高級霊もいます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「背後霊というと人間はとかく名前を知っている人たちの事を頭に浮かべがちですが、その他に自分の存在を知ってもらいたいとも功績を認めてもらいたいとも思わず、ただ持てる霊力を役立てたい一心から働きかける霊が無数にいる事を忘れないで下さい」

「シルバーバーチの霊訓」より→「急激な変化は永続きしません。私達の仕事は永続性を目標にしているのです。一人また一人と暗闇から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと這い出るごとに地上世界が進歩するのです。その一人一人が物質第一主義の棺に打込む一本のクギなのです」

■2017年12月20日UP■
※だいぶ前に書いたブログです。 そうそう、隔離フィールド発動(2014年7月)ごく初期の頃、幽体離脱時にイエス様が「日本の恥!」と仰ったのです(祈)†
僕の全身に水ぶくれができて「霊的オーバーヒート」とその時はツイートしました。そしてこの時から霊聴にバカ(未熟霊)の声が聞こえ続ける状態にさせられたのです。2014年7月11日の事でした。この時は自分の身に何が起こっているのか分かりませんでしたが、まさにこの瞬間から【イエス様のご意志遂行】が完全スタートしたのでした。【隔離フィールド内の聖戦】及び【愛の試練(霊障イペルマルシェ)】という霊的試練を霊団が僕に降らせはじめ…続きを読む→
■2018年6月23日UP■
■アナログ絵230UP。画家時代27作に登場させた宇宙船「クレス」についての設定資料も書き残しておきましょう(祈)†
宜しくない目的のためにフラーは使えないという事です。霊界は霊格による厳格な上下関係の世界です。クレスの世界観もその霊的知識を参考にしています。この辺も今後アナログ絵で描く事になるかも知れません。ちなみにひとつだけ、タワーの最上階には「カフェブラン」があります笑。特別な人と特別な時に利用したくなる、とても雰囲気のいいカフェです…続きを読む→
■2018年11月23日UP■
※コチラが2014年7月「イエス様ハンドリング」開始を告げる霊現象だったのです。 「隔離フィールド」予想図
はい。理解してみれば実に簡単な仕組みです。前ブログにて説明した通り(ベールの彼方の生活 第3巻“暗黒界の探訪”を参照して下さい)霊格の差を利用して、精妙な波長の僕の霊体はフィールドをラクラク通過できますが、波長の低い幽体をまとった未熟霊はフィールドを通過できず、ずっと閉じこめられた牢屋の状態、という霊現象なのです…続きを読む→

一応次回トレイルムービーの字幕の準備は完了させました。あとは明日MP3録音してアレしてコレすれば90%完成中、あとは山で撮影した動画素材をタイムラインにパコパコはめ込めば完成です。

とにかくコンテンツ3つ同時進行は絶対にムリ、テキストと絵に集中したい。ここまでトラウマになるとは作り始めた当初は考えもしませんでした。何か全く別のアイデアはないものでしょうか。作るのが苦痛にならないムービーという意味です。

そして先ほど耳を疑う内容のインスピレーションが複数降ってきました。Dreamwork、画家の人生、自分の人生を捨てさせられ、10年もの長きにわたって「ヒドイ」の一言ではとても片付けられない最悪な人生を延々とやらされ、それでも獲得した霊的知識に基づいて何とかこらえて霊団の導きに従い続けてここまでやってきましたが、物質界生活中にもヒドイ状況に突入させられ、さらに帰幽後にも残念な境涯に閉じ込められるといった趣旨の事を霊団が言ってきています。

詳細は長文ブログで説明、イヤこれは説明できないかな。僕の10年の努力と犠牲が全くアダとなって返ってくるといった内容の事を言われています。だったら霊性発現なんてしない方がよかったって事になるんじゃないのか。イヤこれは愉快な話だ。霊団がこの10年でやった事はただひとつ「僕の人生を破壊した事」それだけです。全く何の成果もあげていません。※物的肉眼にはその成果が映じないだけで霊界から霊眼で眺めれば大きく事態が進行しているのかも知れませんが。

えーちょっと今日のインスピレーションについては思うところがありますのでまずはココで止めます。今週の長文ブログは相当ムズカシイ事になりそうです。僕がずっとブログに書かずにいる事と関係がある内容なのです。「行動には動機がある」書かずにいるのには理由があるのです。手だけは動かしましょう(祈)†

モーゼスが低級霊に悩まされていた時にこう注意された。

「交信のための条件が充分に整っていない時にしつこく交信を求めすぎるからそういうことになるのである。警告したように、それでは必ず災いが生じる。心身が衰弱している時は信頼のおける通信は得られぬものと思うがよい。

しばしの間われわれとの交信は中止されよ。ぜひ中止されよ。と申すのも、貴殿の交信能力をわれわれの方でしばし預ることにしたのである。今の状態でわれわれの交信を求め続ければ、その能力が敵対勢力に乗っ取られ、憑依される危険性があるからである。貴殿もその可能性をいくらか感じているであろう。ただ、その危険性がいかに深刻なものであるかが分かっていないようである。われわれがその危険から救っておこう。貴殿はそうとは気づかぬであろうが……」

交霊会に関する心得。

「満腹の食事をした直後、あるいは精神的ないし肉体的に疲れがひどい時、または、会の雰囲気が調和に欠ける時は開かないこと。

会に先立って言い争いのような会話、あるいは心理的にエネルギーを消耗するようなことをしないこと。精神は受身的に、そして身体はラクにする。

部屋の空気がムンムンする状態で開かないこと。会に先立って新鮮な空気を通しておくこと。

なるべくなら開会する前に3、4時間ほど明かりを遮断しておく。ドアを閉じる前に芳香性の樹脂をほんの少量だけ焚くとよい。

開会中は物珍しさから勝手な要求をしてはならない。霊側で用意している計画を台無しにするからである。真剣で用心深い精神的態度を維持すること。とくに、まじめで祈りに満ちた心で、より高い知識を求めて素直に耳を傾けること。つねに霊的なものを求め、俗世間的なものは求めぬこと。

霊媒は自分の身を隔離してオーラへの影響を断った方がよいことがある。キャビネットを設けるのもひとつの方法である」

音楽の効用について尋ねると –

「良い音楽であれば使用しても結構であるが、無くてはならぬというものではない。われわれにとっては音楽よりもむしろ静粛と集中心の方が大切である。どちらかといえば音楽は低次元の現象や未熟な霊にとって有効なだけであって、われわれにとっては、いつも聞かされている音楽(サウンド)は何の効用もない。逆効果である場合すらある」

ある日の交霊会のあと不快な臭気が漂ったので、そのことを尋ねると –

「会の霊的状態が悪かったためである。これで出席者の方に分かっていただけると思うが、会に先立っての会話は議論になったりケンカ腰になったり興奮させるようなものは遅けるべきである。高級な交霊を求めるためには隔離された状態と瞑想と断食と祈りとが不可欠であるとされるのはそうした理由による。昔から霊覚者や霊能者はそれに気づいていた。われわれも貴殿にしばしば身体をじっと静かに保つこと、精神を安らかに保つことの大切さを説いてきた。それを欠くと交霊会は危険である」

「交霊現象においてわれわれが使用するエネルギーは、身体機能が(受身的状態であっても)正常に働いている時にのみ利用できるのである。(激論などしたあと)脳が活発に働いていると、エネルギーは脳へ動員されてしまうが、受け身の状態になるとそれが神経組織の方へ流れるので、われわれはそれを利用する。消化器官が活動している時はエネルギーはそこへ集中されてしまう。突然のショックを受けると神経のバランスが崩れ、エネルギーはしばらく散逸状態となる。

といって、受け身の状態が無活動・無関心の状態になってしまうと、それもまた困る。目の前で進行中のことへの関心を持続させること(集中力)が磁気性オーラ(後注)の流れを軽快で規則正しいものにし、それが霊側と人間側との連絡を完璧なものにする。公開交霊会で入神演説をする場合も、聴衆が一心に聞き入ることが、そうした磁気的調和状態を保たせることになる。

心配の念も禁物である。これには侵食する性質があり、受身的状態とは相反するものだからである。

(注) – 人体から発するオーラには磁気性のものと電気性のものの2種類がある。具体的なことは『母と子の心霊教室』(潮文社)を参照されたい。☆

2つの埋葬地の中間に位置する家に滞在したことを咎められたモーゼスが「それがなぜいけないのですか」と尋ねたのに対してレクター Rector と名のる霊が –

「最近の貴殿(あなた)は墓地に漂う臭気に一段と影響を受けやすくなっているからです。その近辺で長時間寝たり呼吸したりしてはいけません。そこに発生するガスや臭気は鈍感な人なら大して害はないが、貴殿ほどに発達してくると有害です」

– でも、すぐ近くではありません。

「2つの墓地の中間に位置しています。あたりの空気には貴殿の身体に有害なものが充満しています。

肉体が腐敗していく時に強烈な臭気を発散する。それが生者の呼吸する空気に混入し、それに引かれて地縛霊がうろつきます。どこからどうみても感心しないものであるが、霊的感受性が過敏な人間にとっては尚さら有害です」

– 墓地を嫌っておられるようですが、埋葬より火葬の方が良いというお考えですか。

「朽ちて行く肉体を生きた人間の生活の場のどまん中に埋めることほど愚かなことはありません。呼吸する空気が毒されてしまいます。もう少し進歩すれば、生きた人間に害になるようなことはしなくなるでしょう」

モーゼスの知人が霊にまんまと騙されたことについてインペレーターが –

「その知人に、ひとりで勝手に霊と交信することを中止させないといけません。このままでは邪霊集団の餌食にされてしまう。われわれ(組織的計画に基づいて働いている霊団の者)は所属するサークル以外のことには関与しません。それぞれのサークルに支配霊がおり、その指示のもとに行動している。われわれとしては低級霊との交霊は絶対に避けるべきであると述べるのみです。危険に満ちています。その危険にわざわざこちらから近づくことはあるまい。ウソとごまかしばかりしている集団に関わりあってはなりません」

– 最近他界したばかりの人が2、3年で第7界(現象界の最高界)まで到達したというケースをご存知ですか。(多分どこかの交霊会に出席したら得体の知れない霊が2、3年前に他界したモーゼスの知人の名を騙って、もう最高界まで到達した、と自慢げに言ったのであろう。日本でもよくあるケースである – 訳者)

「知りません。そういうことは有り得ぬことです。何もかもデタラメです。そのようなことを言う霊と関わり合ってはなりません」

– 霊能が悪霊によって邪悪な目的のために開発されるということは有り得ますか。

「ある。大いにある。地上との関わりにおいては高級霊よりも低級霊の方が強力であるという事実から考えても、それが分かるはずである。彼らはその霊力を善のためには使おうとはし ません。逆に、いずれは霊媒にとって害になるようなことをして、われわれの本来の仕事に対する不信感を誘おうと企む。危険です。実に危険です」

「ベンジャミン・フランクリンが叩音(ラップ)現象による通信手段を発見していたこと、スエーデンボルグのおかげで霊側が地上との交信の可能性を知り、関心をもつようになったことは事実です。その当時は地上と霊界のすべての住民がいつでも交信ができるようになると信じられたのである。しかし人間側の無知と、霊側にすぐに著名人の名前を騙りたがる者が多すぎることで、その可能性が大巾に縮少されました。さらには、指導に当たる霊の間で、たとえば貴殿の知人のように、地上に戻ることを許すと忘れかけていた快楽を思い出させることになって必ずしも為にならないという認識が行きわたりました。そこでそういう霊は他の天体ないしは他の境涯へ連れて行かれており、したがって地上との交信には出ません」

– その発見はこちらより先にそちらの世界でなされていたわけですね。

「すべてこちら側でなされたことで、地上では何ひとつなされておりません。霊が発見して地上へ伝えられたものです。古代においてはラップのような手段は知られておりませんでした。これは現代特有のものです。古い時代においてはもっと物質性の少ない手段で交信が行われていたものです。珍しいケースを除いては物的手段を通す必要がなかったのです。霊と霊との直接の交信でした。が、人間が物質的になるにつれてその種の交信が減少し、ほんのわずかな人に限られることになりました。そこで信号による物的手段が発明されたのです」(この通信にはレクターとフランクリンの2人の署名がついている)

(注) – フランクリンの没年は1790年であるから、スピリチュアリズムの発端とされるフォックス家におけるラップ現象より半世紀以上も前のことになる。が、その頃から霊界では着々と準備をしていたことがこれで分かる。☆

インペレーターに代わる。

「地上で精神病者とされている者が実は低級霊の道具にされているに過ぎないことがよくある。その人間の身体を勝手に操作しようとしてそれがうまく行かず、支離滅裂な話をしたり辻褄の合わないことを言ったりすることをすることになる」

「交霊会の雰囲気が乱れる時は、その原因となる人間なり霊なりが必ずその場に存在していると考えるのは間違いである。とくに霊感の鋭い人間は単なる思念の放射だけで調子を狂わされることがよくある。われわれにとっては思念こそが強力なエンジンなのである。それをいろいろな形で道具として使用するのである。直感がわれわれの感覚であり、思念は道具である」

「霊が肉体から離れると思念の行使がずっとたやすくなる。こちらでは思念の投射が会話の通常の方法であり、地上との通信や連絡のあたりまえの手段である。人間のように身体をたずさえてその場におもむく必要はない。霊と霊との交信は時間と空間を超越して行われる。時間と空間は地上だけの条件である」

「高級霊がみずから出頭せずに下級霊を通じて働きかけることは、よくあることである。実によくあることで、支配霊として交霊の場にいなくても、指示だけが送られて、それに従って会が進行する。が、われわれのサークルにおいては、誰それの霊が来ていると述べた時には、実際にその場に来ていると思ってよい。同志を無防備のまま放置しておくようなことはしないと思われよ。が、それでもなお、思念の投射によって会の霊的雰囲気が乱されることがある。どうも思い通りに会が進行できない時は、それが原因であることが少なくない。そのような時は会の中止を命じる。

出席者が多い場合も雰囲気が乱れやすい。霊が出現したがるその情念の強さが原因となることもあるし、あたりに集結した邪霊集団の策謀である場合もある。

人間の大半がまだその事実を理解する水準に達していない。そのためにスピリチュアリズムは悪魔との交わりであるとか、特殊な精神的ないし身体的病気であるとか、幻覚であるとか、イカサマであるとかの見方をされることにもなるわけである。

それとは別に、霊的真理を正しく理解した少数の者による地道なサークルもある。高次元の交霊の崇高さの確証を手にして、わずか2人ないし3人が信念と誠実さをもって会合し、授かる言葉に耳を傾ける。その種のサークルにおいては精神は純粋にして真摯であり、崇高なる憧憬にあふれ、霊的思想に満ちあふれている。会に先立っての然るべき準備も整えられ、高級霊が訪れるための環境条件が揃っている。かようなサークルにおいては、成果もまたそれ相応に高尚なものとなる。

会の雰囲気が純朴な情愛に満ちたものであれば、先に他界した知人もしばしば訪れて身元を明かすことができよう。あるいは霊的親和性に富む(見知らぬ)霊が訪れて慰安と励ましのメッセージを語ることもある。さらには又、われわれ同様に、真理を希求する者のための啓発と向上を任務とする霊が訪れて、他の分野にも及ぶ知識を授けることもあろう。

こうしたサークルは、用意周到ささえ怠らなければ、人類の大いなる啓発のための貴重な機関となるところである。ところが悲しい哉、人間の使命感はもろいものである。支えとなるベきいちずな憧憬にやがて倦怠感が訪れる。俗世に心が奪われる。仕事に追いまくられる。取り越し苦労と悩みが入り込む。こうなると、われわれの目指すものにとってその霊媒はもはや無用のものとなる。あるいはサークルの同志の理解力いっぱいのところまで学んで、関心が衰えてくることもある。

こうした次第で、サークル活動はよほど稀有な条件が整っていないかぎり長続きしないものである。なかなか進歩が見られぬし、いろいろな障害が邪魔するからである」

「本来、霊の衣服は人間の目には映じないものであり、したがって霊姿というものは確認できぬものである。そこでわれわれは人間側が期待しているような形体を装うことになる。かりに霊が地上の友人に姿を見せたければ、たぶん地上時代によく着ていた衣服に似たものを着て出現するであろう。そして、確証として特徴ある身ぶり、衣装、あるいは表情をとくに誇張して注意を引くことであろう。そうやってせっかく確認してほしいと思って苦心したのに、友人が得心してくれなかった時の無念さと悲しみは一通りのものではない。

これが、あとに残した愛する人のためを思って戻ってくる霊につきまとう無念残念のひとつである。付き添って何とか面倒を見ようとするのであるが、どうしても通じない。そこでどこかの霊媒を見つけて、そこへ出席してくれるように誘導する。ようやく出席してくれたので、ここぞとばかりに苦心して生前の姿を見せ、死後の存続を証明し、変らぬ愛を示そうとする。が、悲しい哉、その誠意が空しく物笑いの対象とされ、自分の存在が認めてもらえなかった時の傷心の深さは測り知れないものがある。そして多分、霊界との交信の事実そのものが根拠のない愚かな幻想であると決めつけられる。首尾よく自分が確認してもらえて変らぬ愛を確かめることができた霊の測り知れないよろこびとは対照的に、それは霊にとっての測り知れない心の傷みとなる」

モーゼスが自分のサークルにおいてそうしたプライベートな交信が少ないことに残念を表明すると –

「貴殿にはそれとは別の使命があるのである。われわれとしてはそうしたプライベートな交信にサークルが利用されることは許すわけにはいかない。好奇心の満足、たとえ愛に発するものであっても私情の混じったことの満足のためには絶対に許すわけにはいかない。貴殿のサークルはその程度の目的のために利用してはならない。もっともっと高尚な目的をもったものなのである。貴殿に託された使命の崇高さについて十分な自覚が芽生えるまで待つほかはない。その時になればわれわれがプライベートなものを拒絶する理由が分かるであろう」

– 私の使命は主イエス直々(じきじき)のご計画によるものなのでしょうか。

「すでに述べた通り、このたびの大事業には2人の偉大なる霊、すなわちモーセとエリヤが密接にかかわっておられる。私が直接うけるインスピレーションは私の守護霊であるエリヤからのものである。私が地上にあった時も(紀元前5世紀)エリヤが私を鼓舞し、今は私を通じて貴殿に影響力を行使しておられる。が、彼をはじめ、われわれはすべて人間がイエスと呼ぶ崇高なる霊の配下にある」

– イエスにお会いになったことがありますか。それからモーセとエリヤにも。

「いかにも。私の守護霊たるエリヤと偉大なる霊モーセとは早くからお会いしている。会話も交わし、同時に指示を仰いできている。

が、イエスと直接の接触にあずかったのは、このたびの使命とのかかわりが出来てからのことである。遠大なる大事業の計画を目的とした高級神霊の大集会へのお召しにあずかった時にはじめてお姿を拝した。

私が知るかぎり、主がふたたび試練の現象界まで降りて来られたのはごく最近のことである。またその大集会で拝見した高級神霊もやはり最近になって降りて来られた。多分、主がこのたびと同じ目的をもって地上へ降誕されて以来、久しぶりのことであろう」

– どの集会のことでしょうか。確かあなたはイエスは1度も戻ってきていないとおっしゃいましたが……

「大集会というのは、貴殿も知っての通り、私がサークルを留守にしていた時に開かれたものである。それから、私は自分が定かでないことについて断定的な言い方をしたことはないつもりである。イエスは人間に直接働きかけられる境涯の彼方(超越界)へ行っておられたが、地上時代に肉体に宿って着手された大事業を一段と進める必要があり、ふたたび現象界へと帰ってこられたのである」

– 私と同じようにその大事業のために準備された者は他にもいるのでしょうか。あなたが関わっておられる霊媒は他にもいますか。

「私が直接かかわっている人間は貴殿以外にはいない。が、使命を担った霊の指導によって着々と研さんを重ねつつある者は大勢いる。これまでにわれわれは貴殿の中に高級界と地上界との間に開かれた通路として最も貴重な要素を開発することに成功している。貴殿の精神が冷静になるにつれて他の多くの霊が訪れるようになるであろう。そして貴殿の疑念も晴れることであろう。現在の精神状態ではまだ他の霊には近づくことができぬ。

それはともかくとして、霊界ではさまざまな知識を人類に授けるための適切な人材を見出すべく、今後とも努力するであろう」

マグナス Magnus と名のる霊からの通信。

「教育と養成を任務とする霊は、それを授かる人間と霊的な意味において一体です。教師の霊的知識源から生徒が吸収し、そこで一体となる。これが霊と霊との融合です」

– その関係は死後も続くのですか。

「続きます。それは永遠の相互依存の法則です。霊の生活においては孤立という観念は存在しません。それは地上的錯誤です。霊は融和と共存の中で生活しており、互いに依存し合っております。教えた者と教えられた者とは親和関係で結ばれています」

モーゼスが“キリストの再臨”について尋ねたのに対してインペレーターが –

「聖書の記録の言いまわしにはあまりこだわらぬがよい。曖昧で、しかも誤って記されている場合が多いからである。つまりイエスが語った言葉の真意を理解できぬ者が、いい加減な印象を記録した。それがさらに拙劣な用語で(英語その他に)翻訳され、結局は間違った概念を伝えることになった。こうした制約を受けながらも、主イエスが地上時代に語ったことの中には、今まさに成就されつつあることが、とくに新たなる啓示について、概略ながら多く存在する。地上にありながら死後ふたたび地上世界へ帰ってくることについて語っていたのである」

– では帰ってくるというのは純粋に霊的な意味なのでしょうか。

「その通りである。今まさに主イエスが(新しい啓示をたずさえて)地上へ帰って来つつあるのである。それを、中継の霊団を通じて行っておられる。必要とあればみずから影響力を人間に行使されることもあるかも知れぬ。が、肉体に宿って再生されることは絶対にない。今はまさしく霊の時代であり、影響力も霊的である。その影響力は主が地上に降りられた時代のそれと類似している。

“変容の丘”(マタイ17ほか)において主は、影響力の通路となっていた2人の霊すなわちモーセとエリヤと“現実に”語り合った。その2人はこのたびのスピリチュアリズムおよび歴史上のいくつかの霊的活動に深く関わってきており、今なお関わっておられる。主イエスの指示のもとにこのたびの活動を鼓舞し指揮しておられる。これで、われわれがスピリチュアリズムの活動が宗教的なものであると述べた理由が分かるであろう」

レクター Rector、ドクター Doctor、プルーデンス Prudens の3人の署名のもとに次のように綴られた。

「ハルマゲドンと呼ばれている地上圏での善と悪との黙示的な戦いは今まさに進行中です。その真っ只中にキリストが立っておられる。われわれがこうして新しい霊的真理を告げに戻って来たのは、そのキリストのお出ましに備えるためです。と言っても、甦れるキリストが肉体をまとって出現なさるのではなく、霊的影響力としてのキリストの再来のための下準備です。

そこのところをよく理解してほしい。いま地上界に再生しつつあるのは、かの歴史上のイエスその人ではなく、“キリストの原理”なのである。これまでの物的概念を棄て去り、その黙示的な真理を学んでほしい。

地上の人間は“キリストの再臨”をイエスがもう1度肉体に宿って地上へ出現するかのごとく考えていますが、本当の意味はイエスが(2千年前に)地上へ降りて範を垂れた“キリストの原理”の甦りであり復興です。

さぁ物的雑務などが重なって次回トレイルムービーの準備をしていません。正直に言うと準備する気にならないんです。ハッキシ言ってトレイルムービーをやめたいですが、トレイルムービー継続の試金石になるかも知れないアイデアをひとつ思いついています。

それは2サイト(トレイルムービー特設サイト)を削除して、1サイト(このブログ)上で字幕.vttが表示されるようにし、さらに近々で「アナログ絵トップページ」「主なブログトップページ」を制作しましたが、これと同じような「動画まとめページ」のようなものを制作して、1サイト上で更新、管理等の全ての作業を完結させられるようにできれば、何とかトレイルムービーを続ける気にもなる…かも知れないと思っています。

が、このアイデア実行には1サイトでかなり大掛かりな作業をやらねばならず、もし失敗したりすると1サイトに多大なダメージが残る事になりかねないため、着手に勇気が必要なアイデアなのです。僕のWordPressはちょっと普通じゃないボリュームになっていますので(もちろんバックアップはスゴイ激しく取っていますので大丈夫ですが)何か不測の事態があったらシャレになりません。

さぁフラー関連の作業をやらないといけないのですが、霊団との確執でいろいろ複雑な想い(怒りといった方が表現的に正しいかも)があってなかなか着手できていません。そういう事ではいけません、手は感情と切り離して動かさないと。勇気を要求される1サイトの作業どうしようかな。考え中(祈)†

「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
「アナログ絵」固定ページ作り替え完了中。全ての絵をご覧頂けます(祈)†■2021年11月26日UP■
「アナログ絵」固定ページ作り替え完了中。全ての絵をご覧頂けます(祈)†
使命遂行メインコンテンツとして長い年月にわたって膨大な枚数の絵を描き続けてきました。それら全てをコチラでご覧頂けます。アナログ絵は常に描き続けますので枚数は増え続けます。何枚まで到達するでしょう(祈)†…続きを読む→

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的に孤独だからといって霊的に孤独である訳ではありません。霊的意識が芽生え潜在的な能力が発現すれば物的に孤独であっても辺りに霊的なものがいろいろある事に気付かれるはずです。その多くは愛と情と血縁の絆によって結ばれている事が分るようになります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「真理は一人の偉大な人物により広められるのではなく物的世界の無数の人間を通して浸透していくよう計画されております。霊力の働きかけがある限り人類は常に進歩し続けている事を忘れてはなりません。その働きかけに魂を鼓舞された人間の思念欲求衝動は実に強烈です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「外部からのいかなる力によっても抑え込まれるものではなく、これ以後も抑え込まれる事は決してありません。今まさに地球全体を新しい思念が無数の人々の魂を揺さぶりつつあります。霊と精神と身体の解放を切望し当然の権利として主張し、断固要求するその思念です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「われわれは、われわれ一人一人を使用せんとするより大きくより高い存在の道具である事を忘れないようにしましょう。言わば“導管”のようなものであり、それを通して慰安の芳香が送り込まれ、地上の悲しみを癒します」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上はいがみ合い、恨み合いといった不和に溢れております。悲哀と悲劇と流血の連続です。それでいながらお互いに“我らに平和を与え給え”と祈ります。私は皆さんに、内部に秘められている神性を自覚しなさいと申し上げたいのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方のお一人お一人が大霊なのです。大霊の無限の霊力が潜在しているのです。それを開拓し表面に出す努力をすれば、有限であるが故の束縛を克服できるはずです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たち霊団の者も皆さんも共に大霊への奉仕者です。ただ私たちは皆さんよりホンの少し先を歩んでいるというに過ぎません。そこでこうして引き返してきて、これまでに学んだものの中から皆さんのお役に立つものをお分けしようという訳です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命の根本原理である互助の精神の無い所には荒廃があるのみです。互助の精神のある所には平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しい社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです」

「シルバーバーチの霊訓」→「地上世界にもこれまで何度となく霊的啓示がもたらされ、そして失われていくという事が繰り返されてきましたが今度こそは前面に押し出して二度と失われる事の無いようにしようとの決意のもとに、大々的な努力がなされております。私はそのための一個の道具にすぎません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力のばっこを抑制し、人間がややもすると囚になってしまいがちな煩悩に負けないようにするための努力がなされております。そのためには日常生活の中にそうした霊的真理を生かしていくしかないのです」

「天使と妖精」より→「“貴方の十字架にバラの花が開きますように”この意味を解きますと、光に向かっての努力を通じて物質の十字架の重荷が、霊的生命のかぐわしいバラの花に変わりますように、という事です」

「天使と妖精」より→「地上生活では必要なものは全て働いて手に入れねばなりません。これと同じ事で本当の喜びや知恵も、努力を通じて、霊性の進歩発展を通じてのみ得られるものです。ですから貴方の努力に怠りがありませんように」

「天使と妖精」より→「たゆみなく道を進む事。苦しい時はキリストの星(太陽神霊)の幻に祈る事。その姿を心に画く事。貴方個人をも、その神光を発現させたいと導いて下さっている方々の事を決して忘れぬ事」

「天使と妖精」より→「人によっては平和である事、波立つ水に油を注ぐ努力を、弱さの現われと見る人たちがいます。だが弱さというより「柔和」と言いなさい。主キリストは柔和です、だが万能です。平和とは個人においても国家においても、動力なのです」

「天使と妖精」より→「平和な精神は善に対して強力です。この精神を物質の上にも行き渡らせなさい。物質を使い、物質すなわち自己の低我を勝手にさせなさるな。この平和、この力、この聖なる生命、この至福をほとばしり出しなさい。決して神の善なる事、その叡智を疑いなさるな」

「天使と妖精」より→「何が大切かと申して、貴方の魂が神を知る事、神を愛する事、この外にありません。貴方が確固として光の道を歩む事、これ以上の事はありません。貴方に何を望むか、第一にして最大なるものは神、貴方の霊、言葉を変えれば貴方の高我、これを望みます」

「天使と妖精」より→「貴方の真実の自我とは輝く霊、永遠なる生命の大海の一滴。何と申しても貴方はこの光り輝く霊に対して真実でなければなりません。貴方が光に従えば、自分の高我の指示に従うなら、それが真実に同胞へ奉仕している事です」

「天使と妖精」より→「地上のいざこざの暗闇に自分を投げ込んじゃいけません。争い事から超然とする事を学びなされ。不滅の真実にしっかり触れていなされ。そこに真理が、愛が、幸福がありましょう。そこに自由があり、またこれあればこそ、貴方は同胞と全人類に最大の助力ができるのです」

■2019年11月27日UP■
「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
ローマ法王が来日して広島、長崎に訪問して核兵器廃絶を訴え、さらに「宇宙一のバカ」「おっぱいを食べる」強姦殺人魔、徳仁とも会ったという事ですが、皆さま常識でお考え下さい。核兵器廃絶を訴える人間が核兵器投下の直接の原因者で国民を大量虐殺した世界最大級の犯罪者一族の徳仁と笑顔で面会し仲良く酒を飲むとは、これは一体どういう事なのでしょうか…続きを読む→
■2020年2月20日UP■
「徳仁、お前(僕)が死刑になれ」イイヤ死刑になるのは宇宙一のバカ、徳仁お前の方だ覚悟しろ(祈)†
人間のクズ徳仁は今まで生きてきて1度も本気の命がけの闘いというモノをやった事のない男であり(僕は毎週山で命をかけてアタックしています、コイツとは精神力が違うのです)何でもかんでも宮内庁職員にお世話してもらって(奴隷の女の子も用意してもらって、という意味ですよ)何ひとつ苦労を味わう事なく試練に身を晒す事もなくふんぞり返って暮らしてきた人類史上最悪の大バカヤロウです…続きを読む→
■2020年5月9日UP■
「良いイメージを持ってもらうのがピーチピチ(佳子)には重要ですから」について説明してみます(祈)†
1億回でも強調し正しい理解に到達してもらわなければならない大切な事ですので「タッキーしっつこいよ」と思われるとしても何度でも言わせて頂きますが、霊団が仰るようにピーチピチ(佳子)が「国民に良いイメージを持ってもらう」ためには「奴隷の女の子たちの救出」が最低必要条件であるという事です…続きを読む→
■2020年5月14日UP■
「ムズカシイですね病気、国民の同情を引こうとしてる」徳仁が雅子の作戦をマネしようとしているようです(祈)†
「宇宙一のバカ」「強姦殺人魔」「おっぱいを食べる」「スカポンタン」恐ろしいまでのレベルで頭がカラッポの徳仁の妻「雅子」ですが、この雅子はもう何十年になりますか、ず~っと!ず~っと!ずうぅぅぅぅぅぅ~っと!「あたしは病気、あたしは病気」と言い続けていますよね。これが「国民の同情を引く作戦」である事は…続きを読む→

とにかく僕を霊媒とした交霊会は絶対に行われません、サークルメンバー問題が絶対に解決されないからです。つまり僕がこういう霊的仕事をするために物質界に降下した人間ではないという事の証明になると思います。

霊性発現初期の頃にさんざん書いていた事ですが「守護霊様の導きがプロすぎて上手すぎて、予定外の少年が霊性発現まで到達してしまい、使える霊の道具が現れてしまったので霊界側が慌てて僕を使い始めた。そもそもそんな仕事をする予定ではなかった人間なので環境が全く整っていない、それをムリヤリ使命遂行やらせようとするから人生破壊の程度が尋常ではない状態となっている。そもそも無理な事をやっているという事」

僕が霊性発現初期の頃に考えたコレがやはり正解だと思うんです。とにかくこの10年間はただひたすらに人生破壊、事態が進展、好転した事はただの1度たりともない、僕は霊団の事を「口だけ霊団」と言っているように、コイツらはインスピレーションだけは降らせてくるが実際は使命遂行が物的レベルで全く進行していない、ただ僕の苦悩だけが加速し続けて怒り憎しみに包まれる10年だった。僕がこういう霊的仕事をするために物質界に降下したのなら環境が整ってるはずだ。とっくに交霊会やってるはずだ。

えっと、この件についてはいつかまたまとめましょう。とにかく思う事は、霊団は「ストップスキャナ」と言ってきますが、物質界に現存する霊界通信等の書籍は絶対にデータ化しておくべきだと考えます。僕という霊媒は絶対に発動しない、僕という霊媒から新たな霊言が降る事は絶対にない、そう強く信じるからです。

霊団の導きの方向性について思う事はまだまだ吐いて捨てるほどあり、いくらでも書けるのですが一旦止めましょう。霊性発現前までの守護霊様の導きの方向性と、発現後の導きがまるっきり正反対なのも僕の怒りを増幅させる要因です。イヤ説明し切れない、別の機会にしましょう。

書籍の表紙としても使用できるタテキャンバスのフラー関連のフルカラーの絵をできるだけ多く描いておくべきではないか、という考えも湧き上がり始めています。Amazonでペーパーバックの販売も開始されています。僕は電子書籍制作能力を獲得しています。既存の霊界通信を書籍化する可能性がない事もないと考えますので、その準備として絵は描いておく必要があるのではないかと。描いておけばWordPress上でもいろいろ転用が効きますので。んー、一旦止めます(祈)†

■2021年3月10日UP■
「イエス様"従え"!」霊団が久々にイエス様からのメッセージを降らせてきたようなのですが(祈)†
えー霊性発現初期の頃のブログでも「イエス様は大変キビシイお方です」と何度も書いていましたが、それをさらに裏付けるインスピレーションと言えるでしょう。「アキトくん、キミの肉眼には全く真実の状況が映じていない、我々の霊眼には全てが見えている(アナログ絵123)見えていないキミは判断を誤るが見えている我々は判断を誤らない。滅私、謙虚を貫いて我々の導きに従うのだ。物質界は試練を体験させられる境涯なのだから苦しいのは当たり前だ、アキトくん泣き言を言うんじゃない。我々にはゴールが見えているがキミには見えていない、アキトくん、私に従え」まぁだいたいこういう感じのイエス様のご意志だと思われるのですが、それは激しく了解です、ちゃんと従ってるでしょ「イエス様ハンドリング」を公言して全力作業してるでしょ。僕は守護霊様の上手すぎる導きのおかげで霊的知識がまぁまぁ脳内に入っていますからその知識に照らし合わせて判断する事ができます。誰も導きに背きはしませんのでご心配なく…続きを読む→
■2020年11月7日UP■
■アナログ絵308「フラー03ver2.0カラーリング」UP、アウトプット以外に何がある(祈)†
僕自身は全くデザインする予定がなかった、霊団がリニューアルムービーを降らせて推してこなかったら決してデザインする事のなかった「フラー03ver2.0」ようやくカラーリングまでの一連の作業を終える事ができました。フラー03と言えば「他のフラーにはない独特の変形ギミック」「頭部のハートのモノアイ」等の特長があり、中々に描き手泣かせの機体なのですが、最終的にはオトナの女性キャラに搭乗してもらえそうな「ピンクゴールド」のカラーリングにまとめる事ができました。この「フラー03ver2.0」は当分「守護霊様」の搭乗機にするつもりでいますが、ストーリーの展開によってはさらに変わってくる事もあるでしょう…続きを読む→
■2020年9月2日UP■
TrailMovie Dreamwork(ドリームワーク)について(祈)†
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…。41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと霊性発現後になって改めて理解したのです…動画を見る→
■2019年10月20日UP■
「8!8!」これはアナログ絵08「守護霊様」の事です。僕は守護霊様に永遠の恭順を誓っています(祈)†
守護霊様のお姿のアナログ絵もまだ全然描き足りない気分であり、僕をここまで成長させて下さった守護霊様の導きの威力に永遠の感謝の気持ちを表しつつ、過去ブログでも書きましたように物質界での仕事をやり切って帰幽した先には守護霊様との6界での生活、皆さまの想像も及ばない、もちろん僕の想像も及ばない夢のような人生が待ち受けている訳で…続きを読む→

「われわれ(神の使者)からのメッセージを求める者は、冷静さと誠実さと祈りの心、それに穏やかにして健全な身体的条件をもって臨んでほしい」

「地上の人間は純粋な霊的交信を得るために微妙な条件をよく理解する必要がある。十分な条件が整わない時は、われわれはただ、人間がみずから招いた危険から守るために周囲の警戒態勢を維持するのが精一杯ということになる。しかも人間はそのことに一向に気づかずにいる。邪霊の姿が見えぬからに過ぎない。それはあたかも無知な人間が自分の無分別な振舞によって周囲の者に及ぼしている迷惑を、その鈍感さゆえ少しも気にしないのと同じである。人間の目に映じない – ゆえに気がつかない。それだけのことである」

「霊媒能力の開発には恩恵と同時に危険も伴うものである。よほど強力な霊団による守護がないと、未発達霊による侵入の危険性がある。用心と祈りとが肝要である」

「霊媒としての仕事は(使命をもつ霊団によって)選ばれた者以外は勝手に始めてはならない。選ばれた者ならば霊団による守護がある。そうした霊媒にかぎって安全といえる。それも、誠実にして真摯な心構えで“神の仕事と栄光のために”行うとの認識があってはじめて言えることである。自己中心の考え、いかなる形にせよ“小我”にとらわれることから生じる邪心 – 見栄、自惚れ、野心等は霊性を汚す致命的な誘惑である」

「低級な霊媒現象につきまとう危険は実に深刻である。そのわけは、まず第1に、その種の現象はとかく目を見張らせるような驚きと物珍しさの対象としてのみ扱われ、また金もうけの手段とされやすいからであり、第2は、出席者が種々雑多な思いを抱いて集まり、そこから生じる雑多な雰囲気による調和の欠如が物質性の強い低級霊を引き寄せるのである。その種の霊も、高級霊の監督のもとに働くのであれば、むしろ高級霊よりも物的現象を扱うのはうまい。が、指導と監督の欠如は霊媒の堕落につながる。侵入した低級霊のおもちゃにされがちだからである。

貴殿の交霊会でも雰囲気がわれわれにとって厚い壁のように思われることがよくあり、突き抜けることができず、毒々しささえ覚える。呼吸ができないほどである。低級霊にとってはそれが有難く、地縛霊もまたそれをよろこぶ」

– なぜそうした霊の侵入を阻止してくれないのですか。

「人間は災いを勝手に招いておいて、それをわれわれが阻止してくれないことに文句を言う。

それを阻止するには交霊会の出席者みんなが心掛けと生活と動機を清潔にするほかはないのである。電気は何にでも流れるのではない。良導体だから流れるのである。物事は原因があって結果が生じる。霊も同じである。邪霊の働きかけを疑うのは貴殿の目にそれが見えぬからにすぎない。いずれその愚かさを知って驚く日も来よう。どれほど暗躍しているか、どういう悪影響を及ぼしているか、どういうことにまで及んでいるか、貴殿はまだ何も分かっていない」

「われわれは有るがままの事実を述べているのであって、人間が勝手にこうであるに違いないと想像していることには関知しない。人間を騙そうと企む霊は間違いなく存在する。そして、これ以後も存在し続けるであろう。貴殿がそれを無視してかかることは、貴殿に対する悪企みの温床にしかならない」

「目を見張らせるような現象ばかり見せて“珍しがり屋”をよろこばせている霊媒は、知的にも道徳的にも低級な霊のおもちゃにされている。貴殿とて、いつも同じ霊が通信しているものと思い込んではならない。名前は何とでも名のれるし、見せようと思えばどんな霊の姿でも見せられる。そうやって人間を騙してはよろこんでいるのである」

「われわれは今、危惧の念をもって将来を見つめている。物質にとらわれないようにとの説得がはたして人間に通じるか、われわれは疑問を抱いている。それが果たせないかぎり純粋な霊的真理の普及は覚束ないであろう。われわれが嘆かわしく思うのは、人間が霊を物質界のレベルへ引きずり下ろしてしまうことである。万一そういうことになれば、引きずり下ろされた霊は災いのタネとなりかねない。それよりは逆に人間の側が霊のレベルまで霊性を高めるよう努力すべきである。そうすれば霊の証と真理の両方を手にすることができるであろう。

われわれとしては、なるべくなら物的な交信手段のすべてを排除してしまいたいところである。この方法(自動書記)とてインスピレーション的交霊(144ぺージ参照)にくらべれば至ってお粗末なものである。

どうかわれわれのことを“同志”と心得てもらいたい。そして貴殿の三位一体の存在(霊・精神・肉体)が有する能力のうちの最高のものを使用できるよう協力してもらいたい。退屈きわまる物的現象を何度も何度もくり返すことはいい加減にしてほしい。そして、われわれに託された使命に恥じない威厳をもっていただきたいのである。

霊的秘密を求め、真理の道具として選ばれた者が攻撃の矢面(やおもて)に立たされることは、必然のしからしむるところである」

「能力を物的レベルから(精神的レベルへ)引き上げること、知覚力を鋭敏にすること、内部の霊的能力を開発すること、われわれの存在の身近さを(現象という形でなしに)ごく自然に感識できるようになること、入神という危険性のある状態にならずにわれわれを認識し交信できるようになること、以上のことを心掛けてくれれば、われわれとしては申し分ないところである。これが人間として可能な最高の生活形態の手始めである。

貴殿がそろそろ現象的なものから手を引いて霊能をより高度なものに発展させようと考えていることを、われわれはうれしく思っている。すでに述べたように、成長過程のひとつとして、われわれも一時的に貴殿を物的現象のために利用されるのを許さざるを得なかった。その段階をストップさせてもよい時機を見計らって、われわれは今度は貴殿の存在そのものである霊の本質について学ばせるために、他の霊との接触を許したのである」

(注) – 《解説》で概略が述べられていることであるが、モーゼスは当初は霊の存在に懐疑的だったが、多くの交霊会に出席するうちに次第に信じるようになり、そのうち自分の身辺でも各種の心霊現象が発生するようになって、ようやく確信を得るに至った。その間もずっと自動書記は続けられていたのであるが、背後霊団の身元について確信を得たのは、自動書記を綴ったノートが14冊になったころからだという(全部で24冊)。“他の霊との接触を許した”というのは、それまでプライベートな身近な話題ばかりだったのが、こんどは霊団の中でも高級な霊が入れ代わり立ち代わり名のって出て高等な内容の通信を送りはじめたことを言っている。☆

「われわれの教えの中に新たな要素が見られるようになったことに貴殿も気づいている。これまで貴殿を取り巻いていたドグマの垣根が少しずつ取り壊され、かつては理解できなかった真理が把握できるようになった。神聖であると思い込んでいたものの多くを捨て去ることができるようになった。かつては不可解な謎とされていたものについて考究するようになってくれた。

われわれは貴殿の教育をまず物的レベルから始めた。物質に勝る霊の威力を見せつけ、貴殿を通じて見えざる知的存在が働いているその証拠を見せることができた。その初期の段階では物理的現象で十分であった。が、その後われわれは徐々にわれわれ自身の身元について語り、貴殿の精神に新たな啓示の観方を吹き込んだ。それによって貴殿は神の真理が一民族、一個人、一地方、一時代に限られるものでないことを理解することができた。人間が勝手にこしらえたとは言え、いかなる宗教にも真理の芽が内蔵されていることを示したのであった。

われわれの指導はふたつの平行線をたどったのである。ひとつは物質的ないし物理的現象であり、われわれが使用する隠れた霊力の目に見える証拠である。もうひとつはわれわれが届けるメッセージの内容とその意義である。人間が肉体という物質に包まれている以上は、現象的証拠に関心が行きすぎるのもやむを得ないことである。だからこそわれわれは、それがあくまで副次的なもの – われわれの本来の使命の証にすぎないとの見解の理解を貴殿に要請してきたのである」

モーゼスの使命に備えての霊団側の指導過程が明かされた。(『霊訓』の22節でモーゼスは“私の全生涯にわたる霊的使命に関する長文の通信が送られて来たのはその時だった。その内容に私は非常に驚いた”と述べながら、プライベートすぎるからという理由で公表していないが、これから引用される部分が多分それではないかと推察している – 訳者)

「“真理の太陽”の一条の光が貴殿の魂に射し込んだとき、死せる者 – と貴殿が思い込んでいた者 – も生者の祈りによって救われること、永遠の煉獄は神学的創作、あるいはそれ以上に愚かなたわごとであることを悟った。神は、神を求める子等すべてを等しく好意の目をもって見つめ給い、信仰と信条よりも正直さと誠実さの方を嘉納されることを学んだ。

また貴殿は、神はバイブル以外のいずこにおいても、また他のいかなる形でも人間に語りかけておられること – ギリシャ人にもアラブ人にもエジプト人にもインド人にも、その他、すべての子等に等しく語りかけておられることを学んだ。神は信条よりも誠心誠意を嘉納されることを学んだ。貴殿の心の中でプラトンの思想が芽を出し、その言葉が甦ったことがある。が、その時はまだ、神の言葉はプラトンを通じて啓示されても、あるいはイエスを通じて啓示されても、その価値に変わりはないとの理解ができていなかった。

その後、貴殿は例の教父たち(後注①)の教理や信仰が本質的にいかなるものであったかを学んだ。真相を理解し、それに背を向けた。初期の教会時代の神学を精神的に超えたのである。型にはまった神学に満足し、アタナシウス教義(後注②)の害毒によろこびさえ覚えていた段階から一段と向上したのである。不合理なもの、神人同形同性説的な幼稚なものを思い切って棄てた。

貴殿にしてみれば、みずからの思索によってそうしたと言いたいところであろう。が、それは違うのである。われわれが手引きしてその結論を固めさせたのである。やがてわれわれは、もはや貴殿の知的ならびに宗教的水準に合わなくなった教会での牧師としての職から身を引かせるのが賢明と判断した。所期の目的を果たした場所より身を引かせ、地上における使命の次の段階のための準備へと歩を進めた。幾度かあった身体的病気も、それによって貴殿の気質を調節する効果を目的としたものであり、それは実はわれわれにとっては霊力のエンジンの調節であった。それによって貴殿の健全なるコントロールを維持して来たのである」

(注)① – キリスト教初期の教会において教理・戒律となる著作をした人たち。

(注)② – 初期の神学には神人同形同性説を唱えるアタナシウス派と、それを否定するアリウス派とがあり、325年のニケーア宗教会議で後者が異端とされた。☆

– 私のこれまでの人生はそのための準備だったわけですか。

「その通りである。われわれは唯一その目的のために計画し導いてきたのである。何とかして十全な準備を整えた霊媒を確保したかったのである。まず精神が鍛えられていなければならない。それから知識を蓄えていなければならない。そして生活そのものが真理の受け皿として進歩的精神を培うにふさわしいものでなければならなかった。

そのあげくに貴殿は、ある時われわれにとって最も接触しやすい人物(スピーア夫人。《解説》参照)によってスピリチュアリズムへの関心をもつように手引きされた。その折のわれわれによる働きかけは強烈であった。計画を積極的に進めて行った。それまでの教説よりはるかに進んだ神の福音を直接的に教えて行った。

いま貴殿が抱いている神の概念は、それまでのものに比べてどれほど真実に近いことであろう。ようやく理解してくれた豊かなる神の愛は、どこかの一土地の一民族だけをひいきするような偏ったものではなく、宇宙と同じく無限にして無辺なのである。いかなる教理にも縛られることなく、人類はすべてが兄弟関係で結ばれており、共通の神の子であり、その神はいつの時代にも必要に応じてご自身を啓示してこられているのである。

神人同形同性説が人間の無知の産物であること、神のことばであるとまことしやかに喧伝されているものが往々にして人間の勝手な現像にすぎないこと、最高神が一個の人体に宿って降誕するなどという考えは人間のたわごとであること、そのような迷信は知識が進化すれば、それに由来する教義、神を冒潰するような見解とともに棄て去られるものであるとの理解に到達した。

また自分以外に“救い主”は無用であること、自己と同胞と神に対する責務を忠実に遂行することこそ唯一の幸福への道であることを学んだ。そして今まさに貴殿は、現在の罪に対する死後の懲罰、進歩と善行の結果としての霊界での幸福と充足感について、われわれ霊団の者が教えるところの真理を理解しつつある。霊の訓えが貴殿にどれほどの影響を及ぼしたかを知りたければ、かつて抱いていた思想を吟味し、それを現在の考えと比較対照し、いかにして貴殿が暗黒より神の真理の驚異的光明へと導かれたかを見きわめることである。

貴殿は、おぼろげながらも、人生が外部の力によって形づくられるものであることを認識し、霊が想像以上に人間界に働きかけているのではないかと思っている。事実その通りなのである。人類全体が、ある意味で、霊界からの指導の受け皿なのである。とは言え、われわれといえども原因と結果の連鎖関係に干渉することだけは出来ない。人間の犯した罪の生み出す結果から救ってあげるわけには行かない。愚かしい好奇心に迎合することもしない。試練の場としての地上を変えるわけには行かないのである。

また、全知なる神が、隠しておくのが賢明と考えられたが故に謎とされているものを、われわれが勝手に教えるわけにも行かない。知識を押しつけることも出来ない。提供することしか許されないのである。これを喜んで受け入れる者を保護し、導き、鍛え、将来の進歩のために備えさせることのみ許されるのである。

われわれの使命についてはすでに述べた。それは、実は、人間と神との交わりの復活にすぎない。かつての地上の精神的指導者が今なお霊界において人類の指導に心を砕いており、このたび貴殿を監視し守護し指導してきたのも、貴殿がそうした指導者のメッセージを受け入れ、それを広く人類一般に伝えてくれること、ひとえにそれを目標としてのことであった。貴殿をその仕事にふさわしい人物とすることが、これまでのわれわれの仕事であった。これからは神の福音を受け取り、機が熟せばそれを世界の人々へ伝えることが次の仕事となろう」

– では、これは宗教的活動なのでしょうか。

「まさにその通りである。われわれが人間にとってぜひとも必要な福音を説きに来た“神の真理の伝道者”であることを、ここに改めて主張する。その使命にとって大切なこと以外は、われわれは何の関心もない。その点によく留意してほしい。さし当たってわれわれは貴殿が個人的な知友との交霊のための霊媒とされようとしている傾向は阻止する。その種のことに身をさらすのは危険この上ない。霊覚の発達した者は、地上の者と交信したがっている無数の霊に取り憑かれやすいことを貴殿は忘れている。感受性が発達するほど地上近くをうろつく低級霊に憑依される危険性も増える。実に恐ろしいことであり、貴殿をそういう危険にさらすわけには行かない。低級霊のすることは貴殿もすでに知っているはずである。その種の行為に貴殿は実に過敏である。そうなった時はもはやわれわれも手出しができぬかも知れない」

「交霊会は霊の目には光の中枢として映るもので、はるか遠方からでも見え、地上の縁者と語りたがっている無数の霊が寄り集まって来る。その中には物質を操る能力においては強力なのがいる。事実その点においては高級霊よりは上手なのである。霊は進化するほど物的エネルギーが扱えなくなり、精神的感応力に訴えて知的な指導と指揮にあたることになる」

「出席者の側に霊性が欠けている交霊会に群がる霊が死後一向に進化しない低級霊であることは、まぎれもない事実である。いわゆる地縛霊であり、列席者がかもし出す雰囲気に誘われて訪れ、他愛もないことを述べて戸惑わせたり困乱させたりして面白がり、あるいは悪徳や罪悪へ誘い込もうとする。

「そもそも霊的交信なるものは何のために行うのか、その存在意義を明確にわきまえ、それが今いかに堕落した目的のために行われつつあるかを、よく考えてみることである。何の警戒態勢もないまま行われる交霊会に集まる霊に操られはじめたら最後、遅かれ早かれ列席者も同じレベルまで引き下げられてしまう。つまり精神的に、道徳的に、そして肉体的に、堕落の一途をたどることになる。今の貴殿はあたかも伝染病の隔離病棟に入りながら病原菌だけは移されまいと期待するのにも似ている。いつの日かきっと大それたことをしたことを思い知らされることであろう。

以前から吸血鬼が貴殿をねらっている(後注)。さらに今は吐き気を催すような悪霊がつきまとっている。それはぜひとも払い除けねばならない。それは余ほど骨の折れることであろうが、もしそれが出来なければ、いつかはその餌食となるしかない」

(注) – “吸血鬼”という種属が実在するわけではない。“悪魔”が、そう呼びたくなるほど邪悪な性質をもつに至った存在という意味であるのと同じで、これも用語上の問題である。スカルソープの『私の霊界紀行』(潮文社)に次のような体験が紹介されている。

「ある時いよいよ離脱の状態に入り、間違いなく離脱しているのであるが、どこかしら不安がつきまとい、霊界へ行かずに寝室の中を漂っていた。やがて階下の店へ下り、カウンターのうしろに立った。なぜか辺りの波長が低く陰気で、全体が薄ぼんやりとした感じがする。かつてそのような雰囲気を体験したことがなかったので、もしかして離脱の手順を間違えたのかと思っていた。

すると突然、邪悪で復讐心に満ちた念に襲われたような気がした。その実感は霊的身体をもって感じるしかない種類のもので、言葉ではとても表現できない。とにかく胸の悪くなるような、そして神経がマヒしそうな感じがした。その念が襲ってくる方角を察して目をやると、20ャードほど離れたところに毒々しい煤けたオレンジ色の明かりが見えた。その輝きの中に、ニタニタ笑っている霊、憎しみを顔いっぱいに表している霊が見える。そして、自分たちの存在が気づかれたと知ると、とっさに思念活動を転換した。

すると代わって私の目に入ったのは骸骨、朽ちはてた人骨、墓地などが幽霊や食屍鬼(しょくしき)、吸血鬼、そのほか地上的無知とフィクションの産物と入り乱れている光景だった。(中略)

愚かしい概念も、何世紀にもわたって受け継がれてくると、各国の人民の精神に深く刻み込まれていく。未知なるものへの恐怖心もその影響のひとつである。暗黒を好み、地上の適当な場所を選んで、そうした低級霊がたむろし、潜在的な心霊能力でもって地上の人間に影響を及ぼす。彼らが集団を形成した時の思念は実に強烈で、幽霊話に出てくるあらゆる効果を演出することができる。未知なるものへの恐怖心も手伝って、そうした現象は血も凍るような恐怖心を起こさせる」☆

純正な物理現象が行われている最中に明らかに“ごまかし”と分かる愚にもつかぬ行為が見られることを述べると –

「物理現象にたずさわる低級霊は、ある目的を何とか達成しようとして、“ごまかす”意図からではなしに、手っ取り早い手段を使用することがあるものである。とくに完全物質化現象は低級霊にしかできない現象のひとつであるが、霊側は別にごまかすつもりからではなしに霊媒の身体を利用することがある。それが1番手っ取り早いからであるが、貴殿にはそれがせっかくの純正な現象の中にもごまかしが混じっているかに思われるのである。

現象によっては、高尚な心をもたない存在、したがって道義心というものをもたない存在による演出である場合もあろう。貴殿の目にはあたかも躾(しつ)けの悪い動物の行為のように映るであろう。が、低級霊は大目に見てやらねばならない。そして、霊力の証拠以外のものは期待せずに、それをふるいに掛け、よく検討して意義あるものだけを選び出し、本ものと偽ものとが混じっていることに動揺しないことである。

そもそも現象的なものは、そうした形での証拠しか受け入れられない者のために必要なだけであって、われわれが神の使者であることの証拠ではなく、また、われわれの教訓の道徳的高尚さのしるしでもない。唯物的観念にとらわれている者のために用意された手段にすぎないのである。

それにはその演出にもっとも適切な霊が当てられる。その種の霊はきわめて低級であり地上臭が強い。地上生活を何の進歩もなく終わったか、向上の意志だけはあったが実践するまでに至らなかった者のいずれかである。後者がもっとも強力な働き手となってくれるが、残念ながら彼らには道徳的な見極めがつけられない。

だからといって貴殿が“たかが家具を移動させる程度のもの”と軽蔑的に述べている種類の現象に、人類の大先輩たる高級霊を差し向けるのは不条理であり、愚かしいことであろう。大なる霊は、かつて肉体に宿っていた時も地上の啓発のために神によって派遣されていたのであり、そのような霊を、物質中心の物の考え方しか出来ない者のために、証拠として演出してみせるだけの仕事に使用するわけにはいかない。それほどの霊になればもはや鈍重な物質への影響力は持ちあわせず、直接的に働きかけることは不可能である」

「物理現象は、それを得意とする霊が最高の証拠を見せてくれる交霊会だけに限定すべきである。また、その際、現象的なもの以上のものを求めてはいけない。それは、高級霊に現象的な証拠を求めてはならないのと同じである。物的なもの、物理的なものを求める時は、原則として霊的進歩は犠牲にされるものである。それゆえ、交霊会というものは等級別にすべきであり、純粋に物理的なものは、それを必要とする場(科学的研究のための実験会など)に任せることである。高級霊は物的雰囲気に支配された場には出たがらぬもので、したがって、そういう場で高等な知識を求めてはならない。あくまで物的証拠しか求めてはならない。反対に現象的なものを要求されない交霊会では大いに知識を求めるべきであり、高級霊との交わりによって、また彼らの教育と啓発の使命を理解することによって、霊的雰囲気をできるだけ高めることを目的とすべきである」

– 物理現象は止めてしまうべきでしょうか。

「進歩を求める以上はそうすることが絶対に必要である。現象的なものを担当する霊からは真実の知識も教訓も得られない。物理的なものと霊的なものを截然(さいぜん)と区別する必要性をここに強調しておきたい。自分を霊的なものへ高めて行くことを目標としてほしい。霊的なものを物的なものへ引きずり下ろすことになってはならない」

「病気の時、あるいは心配事のある時は、高級霊との交信を求めてはいけない。列席者の中にひとりでも病気の者や精神的な悩みを抱えている者がいると、それが障害となる。オーラの本来の機能が低下していて、それが影響して室内の物が歪んだ様相を呈する。調和性に富み、愛に満ちた心、純粋で清潔な思念、健康で元気な身体、いちずな真理探求心、こうしたものがわれわれにとって最高の助けとなる。

何よりも障害となるのは猜疑心からくる不信、怒りに満ちた感情、心身の不健康な状態であり、とりわけ、いかなるものでも信じようとせず、すべてを手を込んだごまかしであると決めてかかる、“のぞき見的猜疑心”である」

2週間ぐらい前だったでしょうか、いつもピーチクパーチクうるさい霊団が3日間ぐらい全然しゃべくってこなかった事がありました。それ以降、交霊会に関係する重大な意味が含まれるインスピレーションが多数降ってきている訳ですが、また霊団があまりしゃべくってこなくなりました。さぁどういう事なのか。

えー、プライオリティは低いですがフラー21の「ランディングギア問題」を一応解決させてあります。フラー21の細くて湾曲した脚部に合わせた「湾曲ランディングギア」の設定資料をクロッキー上で描きました。これは清書してWordPressにUPとかする必要はなくて、今後ストーリーにフラー21の航行モードでの着陸シーンが登場する事があったらその時に描けばいいと思います。全然使命遂行と関係ないですからね。

幽体離脱時映像もクロッキーにメモもできないような、肉体に帰還(目が覚める)したら忘れてしまっているような内容で、つまり実質霊団がなんにも降らせてこなかったという事であり、先週のブログの「黙っておれ」と関係がありそうな状況です。

「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を言ってこない、ピーチピチ(佳子)の事を言ってこない、奴隷の女の子の事を言ってこない。霊団どういうつもりだ。どうにもこうにも前回のブログで紹介したインスピレーション群が実は「いよいよ間もなく本当に僕が殺される、使命遂行終了」という意味に受け取れなくもないという気がしてますが。

霊団には「ストップスキャナ」と言われていますが、霊関連書籍の内容のテキストデータ化の作業は続けています。ちなみに潮文社はとっくに自主廃業しているそうですね。霊関連書籍が物質界から失われてしまう、入手できなくなるという悲劇は絶対に避けねばなりません。作業続行中(祈)†

「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†■2022年2月2日UP■
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→

「シルバーバーチの霊訓」より→「気楽な道は前途に霊的な目標をもたない人に任せればよろしい。霊的な鍛練とそれに伴ってもたらされる霊的な豊かさを求める者には厳しい道が用意されます。霊的褒章は気楽な道を求める者にはもたらされません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「もしそうでなかったらその褒章は敢えて求めるほどの価値はない事になります。闘いを挑み苦しみ抜いた末に勝利を得る方が、何の挑戦課題もなく呑気に生きているよりはるかに上です。魂が自我に目覚め内在する神性が表現の機会を得るのは必死に努力するその最中です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「いかなる事態に立ち至ろうとそれはあなたにとっての挑戦課題として受止めなさい。魂はその根源において神性を帯びているが故に、その挑戦を真正面から受止め克服し一段と強力になっていくだけの力を秘めております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「いかなる事態も歓迎し、決して悲観したりグチをこぼしてはいけません。あなたほどの霊的知識をそなえた方ならば毎朝の訪れを内的な喜びをもって迎える事ができてしかるべきです。永遠の魂を傷つけるほどの事態は決して起こり得ないからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「偉大な魂ほど困難な地上生活を耐え忍ばねばなりません。魂の偉大さは試練と洗練の過程を経ずしては達成されません。つまり霊性の強度が見せかけのものでない事を、その美と光輝と雄大さの中で示せるようでないといけないのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「困難は魂にとって薬です。身体にとっても薬になる事があります。内部の潜在力を表面に呼び出すための挑戦課題です。かくしてその人は成長し発達し開眼して神性が発揮されるようになります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊と精神と身体を支配する自然の摂理と調和した生活をすれば健康が維持されるのみならず進むべき道をしっかり踏みしめているとの確信を覚えるようになります。その霊的自覚はますます大きく強くなってまいります。それが存在というものの、そもそもの目的なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「挫折も人生の1コマです。抑止と照合の作用を抜きにした人生は有得ません。思いきり前進できる時期があるかと思えば進もうにも進めない時期があります。それはそれで意義があるのです。摂理は完璧で必ず作用し各自がそれ相当のものを受けるようになっているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「塞込むのは止めなさい。誰の人生も孤独を味わう時期があるものです。周りにどんなに親しい人がいても孤独に思うものです。がそこから意気消沈の状態へ落込んではなりません。あなたほどの霊的知識を手にされた方なら地上にも霊界にも恐れるものは何一つありません」

「シルバーバーチの祈り」→「ああ真白き大霊よ。あなたの法則が全大宇宙を支えております。あなたは全生命の責任者におわします。あなたの創造なされたものだからでございます。物質の世界の子等にもあなたの神性をお授けになられました」

「シルバーバーチの祈り」→「あなたは子等をご自分に似せてお造りになられました、その魂にあなたの霊力を植え付けられ、それが子等を永遠にあなたと結びつけております。それは子等も進化するにつれて、より一層あなたに似た存在となりうる事を意味します」

「シルバーバーチの祈り」→「ああ神よ。あなたは無窮の過去より全大宇宙を治め、、無窮の未来にわたって絶対的な支配者におわします。なんとなればあなたは全生命の始源たる大霊にあらせられるからでございます。あなたは全存在を支え、生命の全側面に顕現しておられます」

「シルバーバーチの祈り」→「それは物質の世界であろうと、はるか高き次元の霊の世界であろうと、意識ある存在に例外はございません。このたび私たちはあなたのお召にあずかり、あなたの使者として地上へご意志をもたらし、ご計画を啓示し、それを実らせるべく派遣されました」

「シルバーバーチの祈り」→「私たちは物質の子等との協調活動の中において彼らがあなたを理解し、彼ら自らを理解し、憎み合いから生まれた組織を愛の組織に置換え自己中心主義を互助の精神に置換え戦争を止めさせ平和をもたらし飢餓に終止符を打ち、あなたの恵みが平等に行き渡るよう願っております」

「シルバーバーチの祈り」→「大いなる神よ。私たちは片時とはいえこうして低き界層にて生活するあなたの子等と交わる時を得て、彼らとの協調的活動によってより大きな仕事を成し遂げ、暗闇の中にいる者に光明をもたらし、病める者を癒す仕事に勤しむ事ができる事に深く感謝申し上げます」

「シルバーバーチの祈り」→「ここはまさに魂の安息所であり光明の聖殿にございます。かくの如き場を得さしめ給いし事に我々は深く感謝し、この場を通じてご意志の一層の支配を行き渡らせるために、それを妨げる障害を取り除かんと努力いたす所存でございます」

「シルバーバーチの祈り」→「その目的のために私どもは祈り、刻苦し、地上の民に奉仕する事によりあなたに奉仕せんと願うものです。ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます」

■2020年12月3日UP■
「大量殺戮(さつりく)兵器を使うつもりなんだよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪のたくらみの思念です(祈)†
人生イコールS〇Xと降らせてきています。動機はここに全て帰着します、この言葉が全てです。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量殺戮(さつりく)兵器で国民を大量殺害するとすれば、その動機は「奴隷の女の子をレイプし続け強姦殺人し続け死肉を食べ続けるため」という事になります。このバカヤロウどもの行動の動機、人生の目的は「S〇X1本」です。S〇Xが人生の全てです。幼い女の子をレイプし続けるためなら国民を何百万人でも平気で殺す人類史上最大のキチ〇イです。皆さまはS〇Xのために大量殺戮(さつりく)兵器まで持ち出そうとしている明仁、文仁、徳仁、悠仁をいつまで許し続けるおつもりなのでしょうか…続きを読む→
■2020年12月31日UP■
やはり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子たちを皆殺しにするつもりのようです(祈)†
この人類史上最大級のバカヤロウどもは幼い女の子たちを徹底的に盗みまくり、もしくはパレットから買いまくり買った女の子全員を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人して死肉を食べて遊んでいる奴らであり、女の子の命、人権、人生、夢を完全に無視してオモチャ扱いして殺しまくっているのですが、それに飽き足らず現在邸内地下で生きている奴隷の女の子たちも皆殺しにする気満々であるという事なのです。つまり女の子たちの事を全く人間扱いしていないという事であり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する怒りの炎が1万℃100万℃に燃え上がる事けたたましい訳ですが、皆さまはまだ、まだ、この宇宙一のキ〇〇イ共に血税をプレゼントし続け強姦殺人ほう助を間接的に続けるおつもりなのでしょうか。一体皆さまはいつになったら目が覚めるのでしょうか…続きを読む→
■2021年1月15日UP■
「僕を殺す事はできないんだよ」霊団によると僕の暗殺はないそうですが問題はそこではありません(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「僕、たきざわ彰人を暗殺して、僕などという人間はまるで最初から存在していなかったかのように完全に無視してすっとぼけ続け視点外しのニュースを流しまくってゴマかすつもりだった」という事ですが、もうそれもできなくなったという事です。つまりもう僕、たきざわ彰人の存在および明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が相当に知れ渡っているので、この状態で僕を暗殺してみたところで「ヲイヲイ!タッキーのブログの更新が止まったぞ!ホントに暗殺されちゃったぞ!」という感じに騒ぎになり、暗殺イコール僕のブログの真実性の証明につながる訳ですから、もう明仁、文仁、徳仁、悠仁は僕を殺す事もできない、もう手出しできないという意味で間違いないでしょう。もうすっとぼけられないまでに拡散した、という事でしょう…続きを読む→
■2021年1月28日UP■
「もうウソは必要ないと思う」明仁、文仁、徳仁、悠仁が必要ないという皆さまの思念です(祈)†
もっと噛み砕いて分かりやすい表現で言ってみましょう、こうです。すっとぼけ続けている。という事です。公の場でメディアに向かって「たきざわ彰人、お前そろそろいい加減にしなさい」などと怒りの発言をしたらどうなりますか。僕のブログに一気にアクセスが集中してネット中に議論が噴出するはずです。で、ここで皆さまお考え下さい。もしコイツら、明仁、文仁、徳仁、悠仁が何も犯罪行為をしていない、心にやましい事がないのであれば議論が沸き上がって何も困る事はないはずです。かえって自分の身の潔白が証明される事になって願ったり叶ったりのはずです。しかし「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁はその議論が勃発しないように視点外しに終始していますね。行動には動機がある。つまりこうです、コイツらの邪悪の正体は実はもうとっくの昔に「周知の事実」なのです…続きを読む→

以前「字幕vtt障害特設ページ」というものを作成した事がありました。WordPress1サイト(このサイト)でMP4の字幕が表示されない不具合をどうやっても解消する事ができなくて仕方なく力業でそのような事をやったのですが、例えばこういうモノを以前作りました↓

この手法を使えば、字幕が表示可能な状態のムービーを1サイト上で管理できるのですが、これがまた恐ろしくめんどくさくて(あと他にも少し理由がありまして)再開には足踏みしてしまいます。そしてとにかく「2サイト(トレイルムービー特設サイト)」をやめたくてやめたくて仕方ないのです。んもぅメンドクサイの究極形でとてもやってられないからです。

長文ブログとアナログ絵でイッパイイッパイ、僕は毎週ブッ倒れる寸前までチカラを振り絞って長文を撃ってます。これ以上は何をどうやってもムリなのです。「ならブログをやめてムービー1本にすれば?」と思われるかも知れませんが、ですから「トレイルムービーの元ネタは長文ブログ」ですので、まずテキストを撃たない事には始まりません。テキスト無しでムービーだけ作るというのは有り得ません。

あぁぁ他にもいろいろあるのですがタイムアップ。まずはココで切ります。とにかくムリなモノはムリという事です。この最低最悪の人生をやらせた霊団に対して怒り憎しみの感情を抱くなというのが土台無理な話なのです(祈)†

■2021年7月7日UP■
「これから起こる事の大変さに比べれば」現在の僕の苦しみなど取るに足らないという意味です(祈)†
実はバーバネル氏が1回だけ僕の肉の口を使って言葉を発した事があるのです。なぜ過去ブログでその事を書いていないのか、それは書きたくなかったからです。なぜならその時、僕は事情があって大泣きしていたのです。2014年1月だったかな。僕はあふれる涙を抑える事ができず号泣していました。その時です。僕の口から、思ってもいない、考えてもいない一言が飛び出したのです。最初はなぜ自分がそんな事を言ったのか理解できませんでしたが「あ!バーバネル氏が僕の肉の口を使って言わせたんだな!誰がそんな事言いたいって言った!チクショー!」と気付いて、それがショックでさらに号泣した、という事が1度だけあったのです。つまりバーバネル氏はたった1回ではあるものの僕の肉の口を使って日本語を発声する練習はしているという事になるのです…続きを読む→
■2020年7月12日UP■
「とにかく宇宙を洗脳しろ」明仁、文仁、徳仁、悠仁のキ〇〇イの極致と言える思念です(祈)†
自分の事を皇族だの天皇だのと自称し幼い女の子を盗みまくり(買いまくり)邸内地下に閉じ込めてレイプの限りを尽くし「処刑遊び」と称して女の子を四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくる事が自分の仕事だと本気で思っている人類史上最悪のキ〇〇イ、明仁、文仁、徳仁、悠仁が、僕の公言する「宇宙一のバカ」の言葉に相当頭にきている、その怒りの表現として「宇宙を洗脳しろ」などという寝言の極致の思念を抱いている、という意味なのではないでしょうか…続きを読む→

– “インスピレーション的霊能”というのは具体的にはどういうものですか。

「思想を言語に置きかえずに直接的に受信する能力のことである。これは霊能者の存在全体が霊の支配に浸り切れるようになってはじめて可能な、最高の交霊手段である。この場合、霊との交信は精神的に(以心伝心で)行われ、言語は必要としない。もともと霊界の上層においては声も言語も存在しない。霊と霊とが直接的に認識し合い、その交信は完璧であり、聞き落とすということがない」

「貴殿は今われわれが脳へ伝達した概念を、いつも使用している言語で書き表している。これにはいつも4人の霊がかかわっており、周囲を外敵より遮断し、適切な調和状態を確保してくれている。手書きの手段を選んだのは個性の証(あかし)としての意味以外には格別の意味はない。用語は貴殿がふだん使用しているものであり、思想だけがわれわれのものである」

「われわれは今、至上の大使命にたずさわっているところである。神の計画にもとづく仕事であり、それを人間が挫折させるようなことになってはならぬ。これまでわれわれは段階的経過のうちに霊的真理を明かすべく努力してきた。われわれが神の使徒であることをイエスと同様に“しるし”(心霊現象)によって証さんとしてきた。が、同時に心霊現象は大事業の補助的手段にすぎず、したがって、それにあまり熱心になりすぎるのも、あるいはそれでもって事足れりとするのも間違いであることを警告してきた。

現象はただの殻にすぎない。物理的と呼んでいる客観的現象の演出は、霊的真理の啓示というわれわれの使命を裏書きするものとしてのみ存在価値がある。現段階においてはまだ必要性があり、またそれを必要とする者はつねに存在するであろう。それゆえにこそ折にふれてわれわれは驚異的現象を演出して見せてきたが、同時に、それにあまり興味をもちすぎぬように警告し、時として危険でさえあると述べてきた。総じて心霊現象には副次的な価値しかないものである」

「霊媒能力も過度に使用すると体力を消耗させる。この種の現象(物理的現象)は、あくまでも、真理を渇望する魂のためにわれわれが系統だて整理して伝えている通信を受け取るという仕事の補助的な価値しかもたない」

「物理的現象に実在性があるかに思うのは間違いである。往々にして最低の手段にすぎないことがあり、霊媒にとって危険でもあり、霊的交信のアルファベット(最も基本的なこと)を学ぶ者のためにのみ有効であるに過ぎない」

「心霊写真に写る霊姿は霊的素材(エクトプラズムの一種)の映像であって、霊そのものではない。言わば“作られたモデル”であって、確認してもらうために輪郭を整えたにすぎない。白い霧状の物質で包んであるのも同じ理由からである。霊的素材をまとった状態を維持するのは容易でないので、そうやって位置と形を保つのである」

– その霊的素材は物質化現象で見られる物質と同じものでしょうか。

「いや、同類のものではあるが、物質化の程度が異る。むしろ実験中に見られるライトに近く、濃度を濃くも薄くもできる性質のものである」

– そうやって確認されても、その場にいた証拠にはならないとおっしゃいましたが……。

「それは“存在”の絶対的証拠とはならないということである。人間は存在の概念を物質的に考える。すでに述べたように、霊は遠距離からの操作も可能である。そこで、存在の証拠とはならなくても、他界した知人が地上へ戻って来た“しるし”として、そういうものをこしらえるのである。

心霊写真は認知を目的として霊的素材でこしらえる映像である。その霊自身がこしらえる場合もあるし、その霊の指図で複数の霊(霊界の技術者)がこしらえる場合もあろう。ただし、邪霊に騙されていなければ、の話である。邪霊集団にはよくよく注意するよう改めて警告しておく。ウヨウヨしているし、これからますます暗躍が活発となろう。貴殿はそうした霊からの攻撃も覚悟しておく必要がある。われわれの使命が重大なものであるだけに、彼らの嫉(ねた)みを買いやすく、攻撃を受けることは避けられないのである。強く警戒を要請しておく」

「真理を求める者は、肉を霊の支配下に置けるようでなければいけない。真実の霊的知識に憧れる者は生活のすべての面において純粋で、心身ともに勇猛果敢で、真理の追求において一途(いちず)で、足れるを知る人間でなければならない。純粋さ、素朴さ、一途さ、そして進歩と真理への憧憬 – こうしたものが霊的知識の領域へ導いてくれるのである。これに反し、肉体的煩悩が霊性を抑圧している者、霊的知識を卑俗な目的のために悪用せんとする利己主義者 – この種の者は深刻な危険にさらされていると言える。

移り気な人間はとかく神秘的なものに引かれる。神秘のベールが単なる好奇心でもって突き通せるものと安直に考えるのである。見栄(みえ)が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるように見せかける。それが他人のものを“のぞき見”する悪趣味を生む。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険がつきまとう。真摯な探求者には何ひとつ危険はない」

「根っからの悪人とはいえないまでも、自制心と規律に欠ける者、節度と調和を失える者は、邪霊による攻撃の格好の的にされやすい。その種の人間との付き合いは避けるがよい。同じく霊的であっても、未発達の有難からぬ指導霊の都合のよい手先にされていることがよくあるからである。不節制で、非理知的で、興奮しやすい性格の持ち主には用心するがよい」

さぁ作業進捗ですが、フラー21のストーリーのネームを描いているところなのですが、シルキーのシーンのテキストを撃っていた時に霊団がポォォォォという、いつものピィィィンという高い波長と対照的な低い波長を霊聴に降らせてきました。波長は肯定の意味ですが、この低さは何なんだ?消極的肯定とでも言えばいいのでしょうか。分からないなぁ。

ただ波長はともかくネーム単体としてまだ煮込みが足りない感じがあります、この完成度では原稿用紙に線画を描き始められませんのでどのみち一旦待ちましょう。短いページの中にしっかり霊的意味を持たせたストーリーでなければなりません、フラーのストーリーといえども軽はずみに描く訳にはいかないのです。

ですのでまずはアナログ絵334の中のテキストにもあります「ランディングギア問題」を片付けましょう。さっそくクロッキーを引っ張り出して少しラフを描いています。このままの勢いでフラー22のキャラのデザインにも着手してしまってもいいのかも知れませんが、作業は順番に行きましょう。

昨日あれだけブログを書いてもまだまだ言いたい事が鬼のように地獄のようにあるのです。全然語り足りないのです、撃ち切れないのです。チカラの限界の限界まで振り絞ってテキストを撃っても全然不完全燃焼なのです。しかし「感情と手は別レイヤー」作業だけは何が何でも続行中(祈)†

「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→
■アナログ絵334「フラー21カラーリング」UP。カラーコンセプトはショートケーキです(祈)†■2022年2月6日UP■
■アナログ絵334「フラー21カラーリング」UP。カラーコンセプトはショートケーキです(祈)†
フラー21のカラーコンセプトが「イチゴのショートケーキ」という事もありましたので(フラー21本体のカラーリングが生クリーム&スポンジケーキ)アナログ絵334のUPに合わせて「イチゴのショートケーキ」を撮影しようという事で普段は絶対に買わないスイーツを購入してこのような画像を撮りましたが、買っておいてまさか捨てる訳にもいきませんのでもちろん食べる訳ですが、僕はこういうモノを食べると100%の確率で具合が悪くなるのです。事実2個入りショートケーキを1日1個で2日に分けて食べました。それでも少し具合が悪くなったくらいです…続きを読む→
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†■2022年2月2日UP■
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→