【4/4】これが死後の世界だ 第2章 死後の環境

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スエーデンボルグの『天国と地獄』の中にはスエーデンボルグ自身が実際に訪れて観察した死後の世界の様子が綴られている。それを読むと、死後の世界では生活状態と環境が本人の内的性格(本性)によって左右されていることを知る。

同時に、霊界通信によくある「子供は天界においても成長を続け、真理を獲得することによって最後は天使的資格を得る」という文句が非常に具体的に説明されている。中でもわれわれの興味をひく言葉に次のような一節がある。

「宇宙間どの事物をとってみても、それには必ずそれに先立つ何物かが存在する。言いかえれば自分で自分を拵えたものはひとつもない。これを推し進めて行くと、結局、森羅万象は宇宙の第一原理から生まれたことになるが、彼等(天使)はその第一原理のことを全生命の究極的存在と呼んでいる。

また天使にもやはり生活というものがある。なぜなら、生活とは存在し続けることであり、存在し続けることは第一原理との関係を保ち続けることだからである。第一原理との関係が切れた時、その時は存在が消滅する時である。」この文句の中にもデービスのいう自然界の一連性の原理を窺うことが出来るのである。

『天国と地獄』で終始一貫して説いていることは、死後の生活環境が心の持ち方と常に一致しているということである。これをスピリチュアリズム流に表現すれば“親和力の法則”の働きが強烈なのである。罪深い人間が天国に住んでいるようなことは絶対にない。有り得ないのである。

なぜなら、罪深い人間はその罪の深さに相当した“心の地獄”を背負って歩くことになっているからである。しかしそれは絶対的なもの – つまり永遠に変えられないものではない。生命は常に変化と向上を求めてやまない。それ故、改心して努力しさえすれば必ず天国への道が開けるのである。

心と環境とが一致するということは、地上生活にも言えないことはない。ただ地上ではカネというものに物を言わせることが出来るので、カネさえあれば、どんなに罪深い人間でも御殿のような家に住み、暖衣飽食の生活を楽しむことができる。

しかしその生活はあくまでカネの力によるものであって、心の美しさ豊かさを示すものではない。逆に物に囚われるだけ、それだけ心の方がおろそかにされ、それが続くと、常に変化と進化を求めてやまぬ魂は不快と焦燥とを覚えるようになる。

その不快と焦燥こそ悪魔に笑みをもたらしめる本当の不幸の表われなのである。結局、親和力の働きは地上も死後も同じことである。ただ死後の世界の方がより速やかに働くというに過ぎない。では次に、その具体的説明を『天国と地獄』から抜粋してみよう。」

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†