「いまや私の霊眼には地上のさまざまな存在物と、私を含めた幾人もの人間の身体がかつてなかったほど明るく且つ生き生きと映ってくる。その時気づいたことだが、私がそれらの存在を認めることが出来るのは、霊視能力という霊魂の光があるからだ。
霊視能力にとって肉体なぞ少しも障害にならない。見えるのは生き生きとした霊の姿ばかりだ。かくして私は、この霊視能力のお蔭で第2界の存在物と親しい交わりをもつ準備が整った。すると、いつしか眼前に第2界の広々とした生活風景が展開しはじめた。
「第2界の生活者は大きく3種類に分類することができる。まず精神的に若くて未熟な者。次に人間でいえば中年期に相当する者で、かなり進歩している。第3が第2界の最高層に位置する者で、形体においても実力においても第2界では完全である。
「地球に限らず、あらゆる天体上で幼くして死んだ幼児の霊魂はみな、まずこの第2界において真理の教育を受ける。その真理は第2界のことだけとは限らない。未熟のまま捨て去った地上生活のこともあわせて教育される。そしてみな立派に成長し完成されていく。
その点は子供にかぎらず無知な霊すべてに言えることである。いや無知な者ばかりではない。地上でインテリと言われ高い教養を積んだ者も、やはりこの界において全存在について改めて学ばねばならない。なんとなれば彼らはこの第2界において子供や無知な者より当然高い地位を占める者だからである。
「右の3種の霊は進歩の程度と親和力の性質に応じてさらに3つの“社会”又は“集団”を構成している。そしてさらにそれぞれの社会は三種三様の霊的大気によって包まれている。その大気はそこに住む霊魂の発する霊的光線の反映である。
むろん個々の霊もそれぞれに異った特有の雰囲気を放っているが、同時にその社会全体に共通した“一般的雰囲気”をも出している。共通なものを有すればこそひとつの集団として共存できるのであり、互いに親しく近づき合うことも出来るのである。
「よく見ると近づき合う者同士はその明るさの度合が大体似ている。同質性と親和性つまり愛の法則がそうさせるのである。同一社会に住む霊魂の開発せる愛と純粋性の度合が大体一致しており、お互いが愛慕の情を抱き合っているのであり、かくして3つの共同体が構成されているのである。
「第1の社会は幼児と未熟な霊によって占められている。彼らは地上から来たばかりで、地上を去った時と同じ姿、同じ発達程度のままである。発達程度を異にする種々様々の未熟な霊が湿り合っている。
それが第2の社会へ行くと、神の原理と真理とにある程度の悟りをもった者が集まっている。第3の社会になると第2界では最高といえる霊格を具えた者が集まっている。その大部分は木星、土星等からの渡来者であり、さらに他の太陽系の惑星からの渡来者も混っている。
この第3の社会を包む大気は非常に高度な光に輝いており、下のふたつの社会の霊が近づこうとしても、その光の強さに圧倒されて近づくことが出来ない。非親和性のために弾き返されてしまうのである。
「第1の社会を包む大気は雑多でボンヤリとした光輝を発している。上の社会に比して元気が無く、言わば陰うつで暗くて調和性に欠けている。低級な未熟霊の発する光輝なので無理もないが、しかしその中にも地上に見られない或る種の純粋性を認めることが出来る。
「第2の社会を包む大気は第1の社会に比べると余ほど融和性に富んだ光輝を発しており、そこに住む霊の純粋性と高尚さを示している。その光輝は地上では見られない多種多様の色彩を帯びている。その調和の完全さは純粋性と高尚さの象徴のように感じられる。
さらに大気全体に叡智の輝きが見られるが、その叡智は主として物的または基礎的なことに関する叡智である。個々の霊を比較すれば知的な面で大きな差が見られるが、叡智つまり真理の理解の程度においては大体似たような霊が集まっている。
「第3の社会を包む大気は霊妙そのもので、そこに住む霊の霊格の完全さを表象している。ありとあらゆる色彩が混合しており、さらに第1及び第2の社会の大気が反射していて、一層その美しさを引き立てている。その美しさは殆んど言語に絶する。
「第1の社会の霊は依然として物的観念から脱していない。すなわち地上生活で得た教訓と印象の範囲内で生活しながら、第2第3の社会へ向上するための叡智を摂取しているのである。
「第2の社会は“原因”の世界である。すなわち地上という可視的結果の世界を操っている不可視の内的原因に通じている。それ故、第2の社会の霊には地上の生活現象が何から起こり如何なる過程を経ていくかが手に取るように判る。が彼らに判るのはそこまでであって、その因果関係に如何なる目的があるかについては何も知らない。
「第3の社会は“結果”の世界である。ここに住む霊は全計画に通じ、あらゆる事物の存在意義を察知する能力を具えている。完全に開眼した心眼と鋭い洞察力は外的事物を貫通して内部の本性と特性のみを感識する。彼らの視界は自己の生活のすみずみまで行き亘り、同時に下界のあらゆる創造物にも通じている。
彼らの叡智は、ある時は光となり、ある時は愛となり、またある時は英智となり、さらにまた法悦ともなる。その光、その愛、その英智、その法悦の素晴らしさはことごとく言語的説明の域を超えている。その霊覚に映じる世界の広さと美しさは到底地上人の想像、理解を超えている。
「第3の社会は原因の世界から結果の世界への超脱であると同時に、第2界から第3界へ進むための修行場でもある。
「見落してならないのは、以上の如き相違があるにもかかわらず、3つの社会は完全に調和し、互いに依存し合った生活を営んでいることである。第1の社会からひっきりなしに愛慕の念が湧き出で、それが渦を巻きつつ上昇して第2の社会を通って、第3の叡智の社会にまで到達する。
すると反射的に第3の社会から愛に育(はぐく)まれた叡智の渦が生じ、第2の社会を通って第1の社会にまで行き亘る。行動の一体性、身分関係の円満さ、各自の立場の妥当性がみずから第2界を完全なる兄弟関係にまとめている。
「第2界における会話は“音声”によるのではなく、相手に自分の考えを浸透させるのである。その浸透は一種の呼吸作用によって行われる。目によって相手の意中を察することもある。
なぜなら目は内的自我が顔をのぞかせる窓だからである。また一見したところでは耳を使用しているようにも見える。が、これは物質界における音声による生活の癖が残っているからにすぎない。
「事物の本性を観察する際には映像の形で感識する。が彼らは映像は本性そのものでなくその反射にすぎないことをよく知っている。それ故、受け取ったものをそのまま鵜呑みにするようなことはしない。呑み込む前に一応の判断を下すが、その判断は映像の形態によるのではな洞察力または看破力によって直接その本性を見抜くのである。
「この界の霊も地上の人間同様、親和性の作用によって近づき合うが、地上と違うのはその親和性の働く動機である。地上の人間関係は得てして下品な肉体的感能を伴うが、第2界の関係にはそれがない。すなわち近づき合う前に互いが相手の内的親和性の愛の程度を判断している。
「さらに気づいたことは、過去のあらゆる体験が漏れなく記憶に留められていることである。衝撃的な体験は言うに及ばず、何気ない些細な体験でもちゃんと記憶の層に収められている。ただその印象の強弱によって回想の際の鮮明度が違うだけである。
「外界からの影響のみならず心に宿した考えや思想もそのまま記憶に残っていて、良きにつけ悪しきにつけ現在の生活に影響を及ぼす。概して思い出したくないような不愉快な体験は記憶の層の奥に押しやられ、愉快な楽しい体験が表面を占めていて、時おり意識に上(のぼ)っては魂をよろこばせてくれる。
それ故に人間はなるべく楽しいこと愉快なことを考えるようにし、且つ実行しておくことである。もし社会的環境がそれを許さないというのであれば、その環境の方を改めて、死後の生活に備えるべきである。
「会話中たまたま話題が過去の記憶にふれると、たちまち眼前にその体験時の情景が展開する。それが相手にもわかる。私は高級霊が記憶を甦らせているところを目撃したが、その情景は実に“美しい”の一語に尽きる。高級な霊ほど回想する体験も高尚で美しく、また教訓に富んでいる。
「この界ではすべてが叡智の働きによって創造され表現される。完全な秩序と調和とが行き亘っているのはそのためであり、その秩序ある調和に満ちた生活から言うに言われぬ幸福感が湧き出るのも、叡智の支配が徹底しているからこそである。彼ら第2界の生活者は自分に授かったものは、いかなるものであっても神の光と生命の贈物、神的叡智の命令と信じて、感謝して受け入れる。
■2023年12月13日UP■「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→
■2024年1月10日UP■「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
■2024年2月14日UP■「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→