【6/20】これが死後の世界だ 第8章 むすび

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以上で死後の世界についての一通りの紹介を終えた。読者の脳裏には死後について様々な概念が浮かんでいることであろう。矛盾しているように思えるところもあろうが、全体を通じて一貫したものが厳然と存在することも認められるであろう。

そのうちの幾つかを拾ってみると、まず第1に言えることは、死後の世界が夢まぼろしのような“静”の世界でなくて、しっかりとした実感のある“動”の世界だということである。

その実感は地上人の理解を超えるほど強烈で、上の界へ行くほど一層強烈になっていくという。デービスの言う通りこの地上こそ“存在の初歩的段階”であるらしい。

次に指摘したいのは、死後の世界が向上進化の世界であるということである。どの霊も霊格の成長と共に1界また1界とその霊格に合った境涯へと向上して行き、理屈はともかく、実際上は終りというものがないと語っている。

こうした来世観はわれわれ人間に大いなる希望と勇気と生きがいを抱かせてくれる。物質的に、あるいは精神的に苦境に喘ぐ人は、逃避しがちな消極的姿勢から、それを正面から受け止めて忍耐と希望をもって克服せんとする積極的姿勢へと転換するキッカケを与えられる。

霊界あくまで進歩的であるように、地上生活もまた進歩的であり同じ状態がいつまでも続くはずはないという信念も生まれて来よう。カギは本人の心の姿勢にある。そこに長幼の別、男女の別、民族の別、宗教・信仰の別はないのである。

こうした思想は当然キリスト教の教義と対立する。キリスト教では善の神と悪の神いわゆる悪魔の存在を説き、教義に忠実に生きた者は天国に召され、罪を犯した者は地獄へ落ち、悪魔の裁きのもとに永遠の刑罰を受ける。そこから救われる道はイエスへの信仰しかないと説く。いわゆる贖罪(しょくざい)説である。

しかし、霊界通信でこうした説を確認したものはひとつもない。死後の世界では教義や信仰は何の役にも立たない。身分や家柄も意味がなくなる。大切なのは内的人間性すなわち霊性のみだという。

如何なる人間も他人の罪を背負うことは出来ないし、自分の罪を肩代りしてくれる人はどこにもいない。自分が蒔いたタネは自分で刈り取らねばならないのである。その意味で、地獄も天国も自分で拵えることになる。

人間に霊魂がある以上、これが生活する場すなわち霊界があるというのは理論的に当然の帰結である。その生活の場は事実上限りなく続く。地上はその個的意識をもった人間の永遠の旅の出発点であるらしい。

つまり普遍的霊の世界から有限の個的意識体がこの物質界に誕生し、そこから1界1界と向上していく。地上生活の目的は実にそこにある。古賢の言葉に「生命は鉱物の中で眠り、植物の中で胎動し、動物の中で夢を見、そして人間において目を覚ます」というのがあるが、まさにその通りかも知れない。

その目を覚ました人間が魂に宿る霊性のすべてを開発するには地上の人生はあまりに短かすぎる。が、死後にも無限の生活の場が用意されている。デービスの啓示録を見てもわかる通り、その無限性はとても人智の及ぶところではない。

が、その人間的理解を超えた宇宙は神の愛と叡智によって支配され、いかなる極悪人も、いかなる重罪人も、いかに信仰なき人間も、宇宙から放り出されたり、見放されたり、見落されたりすることはない。

ある霊は、地上の人間は半分居睡りしているようなものだと言う。そして、死んで始めて目が覚めるのだと言う。となると、その半醒半夢の地上生活で犯す過ちは一夜の悪夢にすぎぬのかも知れない。

蝶がさなぎから飛び立つように、肉体から解放された霊は始めて本当の自分に目覚め、地上生活の垢を落としつつ新しい世界での旅を始める。そこには病気も金銭的苦労もない。何と希望に満ちた生命観であろうか。

デービスの説く調和哲学、つまり物質界を出発点として内的宇宙が進化という至上目的のために協調的生命活動を営みつつあるという宇宙観は極めて重要な意味をもつ。

というのは外面的に見れば宇宙は幾層かの界に分かれ、地上界を最低界として上は宇宙の大中心たる神界にまで至っていても、内面的にはその全体が霊性によってつながっている。従って霊的能力さえ目覚めればその内的世界をのぞくことが出来る。

宗教家の啓示も、芸術家のインスピレーションも、科学者の発明発見も、ことごとくその内的世界からの贈物なのである。それは人間が地上にいながら実質は霊の海の中で生きていることの証拠である。地上は決して宇宙の中の特殊な生活場ではないのである。

その全大宇宙を不変不滅の神の摂理が支配している。誰ひとりとしてその支配から逃れられない。神は絶対にごまかせない。一個人であろうと一国家であろうと、蒔いたタネは自分で刈り取らねばならない。摂理を無視した時、その代償は自分にかかってくる。

人間は煩悩に迷わされ、道義の鏡を曇らされて過ちを犯す。地球誕生以来、地上には幾度となく文明が発生しては滅びていった。滅びたあとまた新しい文明が生まれるが、煩悩ゆえの争いから再び自分の手で滅ぼしてしまう。それを幾度となく繰り返し、今まさにまた“いつか来た道”を歩みつつある。

同じ過ちを繰り返さないためには、地上生活の意義と目的を知るしかない。果てしない宇宙の中にあって地球はいかなる位置を占めているのか。何のためにこの地上に生まれてくるのか。そうしたことを正しく理解することである。

そのためには死の彼方の人間の宿命を知らねばならない。死によって全てがおしまいになるのではないことをまず知る必要がある。そしてその死後の世界へ旅立った先輩たちからの忠言に耳を傾ける必要がある。

死後の世界の情報は読めば読むほど希望に満ち、人間に生きる勇気を与え、善意の心を呼び覚ましてくれる。その全ては理解しつくせないが、少なくとも死の彼方にも生命の旅が続くということだけは厳然たる事実である。

本書はその死後の世界の一端を披露したにすぎないが、これが読者の生活に新しい視野を開かせることになれば幸いである。(注21)

「霊体で会議に参加し続けてるんですよ」物的脳髄でその様子を全く反芻できません(祈)†■2023年1月25日UP■
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どの人間も例外なく物質界に降下するにあたり、指導霊と相談したうえで「こういう試練を体験すればこれだけ向上を果たせる」と考え、自分でその人生を選択して降下してくるのだそうで、つまり奴隷の女の子たちも「殺される人生をあえて選択して降下してきた人間たち」という事になるのですが、僕はそう言われて奴隷の女の子たちを見殺しにする気にはどうしてもなれません。これは僕の個人的意見ですが、物質界に降下するにあたり、基本的には「こういう人生を送る事になる」という概要は決まっているのでしょうが、中には例外もあるのではないかと思っているのです。僕の「霊性発現」はその例外に当たるのではないかと思っているからです…続きを読む→
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†■2024年5月22日UP■
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実は何もやる気がないのではないか。この12年の霊団の動きを見ればおのずとそういう回答が導き出されるのではないか。僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言していますが、この言葉は実は大正解なのではないか。本当にこの霊団とか名乗っている奴らは最後まで口だけピーチクパーチク動かして何もやらずにボケっと見てるだけで終わらせるつもりなんじゃないのか。要するに「アキトくんの場合はインスピレーションで事足りているのでわざわざ低次元の霊媒現象をやらなくても我々の目的をだいたいにおいて達成している」という事なのかも知れません。インスピレーションが霊界側にとってもっとも自然な交信方法という事は霊的知識をお勉強して頂ければ分かります。霊媒現象というのは霊力に感応しない物質界の人間に霊的な事を理解させるために霊界側が物的次元まで波長を下げる犠牲的仕事ですが、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれれば、そしてさらにそのインスピレーションによる導きに従ってくれれば、霊界側はその犠牲的仕事をせずに済み、思念の送信だけで目的達成できますからこんな簡単な事はない、という事になります…続きを読む→
「だとしてもそのまま行きますよ」もう使命遂行は事実上終わっているという事なのです(祈)†■2024年10月23日UP■
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僕は霊団のやる気を受けて、降ってくる新規の霊言を書籍化するためにAffinityPublisherのお勉強を進め、自力で書籍データを作成できるようになりました。それだけにとどまらず実際に書籍を印刷するテストまでおこなっており、霊言さえ降れば書籍化、流通、拡散等々、準備万端整えていたのです。しかし僕の側がココまでやっているのに霊団側は何もしない、時間だけがムダに流れていく、その間、僕はイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められる状態が続く。これは一体どういう事なのか。口だけはやるやる言ってくるが実際は何もしない。僕でなくても誰でも「コイツァーおかしい」となるはずですよね。そして何度も書いて申し訳ありませんが、サークルメンバー問題が解決する見通しが全くありませんから僕が霊言霊媒として機能する事はないはずだ、僕から新規の霊言を降らせるのであれば「自動書記」しかないのではないか、そう思い、僕は9ヶ月もの長きにわたって「自動書記テスト」を敢行しました。しかしこの9ヶ月間、1文字たりとも降ってくる事なく、結局最後は霊団に脅されてやめさせられました。この時の僕の怒りは尋常なモノではありませんでした。僕はできる限り霊団の意向に沿って歩み寄っていたつもりなのですが、努力しても努力しても霊団は何ひとつやろうとしない、ただボケっと見てやがるだけ…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†