前巻の“あとがき”の最後のところで私は“いよいよ翻訳に取りかかる時は、はたして自分の力で訳せるだろうかという不安が過(よぎ)り、恐れさえ覚えるものである”と述べた。結局4度この不安と恐れを味わい、今やっと全4巻を訳し終えた。
長い長いトンネルをやっと抜けたといもう事実は事実であるが、そこにホッとした安堵感も満足感もない。はたしてこんな訳でよかっただろうかという不安とも不満ともつかぬ複雑な感慨が過(よぎ)る。
とくにこの第4巻は訳が進むにつれて私の置かれている立場の厳粛さと責任を痛感させられることになった。単に英語を日本語に直す訳者としての責任を超えて、天界の大軍が一千有余年の歳月をかけた地球浄化の大事業に末端的ながらも自分も係わっているという自覚から遁(のが)れるわけにいかなくなった。
これは自惚れとか尊大とかの次元を超えた、いわく言い難い心境である。本通信の重大性を理解してくださった方ならば、そういう自覚と責任感なしに訳せるものではないことはご理解いただけるであろう。
この道の恩師である間部詮敦氏(まなべあきあつ氏、以下先生と言わせていただく)との出会いは私が18歳の高校生の時で、そのとき先生はすでに60の坂を越えておられた。
その先生がしみじみと私に語られたのが“この年になってやっと自分の使命が何であるかが判ってきました”という言葉であった。私は“先生ほどの霊覚をおもちの方でもそうなのか”といった意外な気持でそれを受けとめていたように思う。その私が50の坂を越えて同じ自覚をもつに至った。この心境に至るのに実に30年の歳月を要したことになる。
ここで改めて打ち開けておきたいことがある。実はその出会いから間もないころ先生が私の母に、私が将来どういう方面に進む考えであるかを非常に改まった態度でお聞きになられた。(そのとき先生は私の将来についての啓示を得ておられたらしい)
母が「なんでも英語の方に進みたいと言っておりますけど…」と答えたところ、ふだん物静かな先生が飛びあがらんばかりに喜ばれ、びっくりするような大きな声で、
「それはいい!ぜひその道に進ませてあげて下さい」とおっしゃって、私に課せられた使命を暗示することを母に語られた。何とおっしゃったかは控えさせていただく。ともかくそれが30年余りのちの今たしかに実現しつつあるとだけ述べるに留めたい。
母はそのことをすぐには私に聞かせなかった。教育的配慮の実によく行き届いた母で、その時の段階でそんなことを私の耳に入れるのは毒にこそなれ薬にはならないと判断したのであろう。私が大学を終えて先生の助手として本格的に翻訳の仕事を始めるようになってから「実は…」といって打ち開けてくれた。
母は生来霊感の鋭い人間であると同時に求道心の旺盛な人間でもあった。当市(福山)に先生が月1回(2日ないし3日間)訪れるようになって母が初めてお訪ねしたとき、座敷で先生のお姿をひと目見た瞬間“ああ、自分が求めてきた人はこの方だ”と感じ、“やっと川の向う岸にたどり着いた”という心境になったと語ったことがある。
それに引きかえ父は人間的には何もかも母と正反対だった。“この世的人間”という言葉がそのまま当てはまるタイプで、当然のことながら心霊的なことは大きらいであった。
それを承知の母はこっそり父の目を盗んで私たち子供5人(私は二男)を毎月先生のところへ連れていき、少しでも近藤家を霊的に浄化したいと一生けんめいだった。やがてそのことが父に知れた時の父の不機嫌な態度と、口をついて出た悪口雑言(あっこうぞうごん)は並大抵のものではなかったが、それでも母は自分の考えの正しいことを信じて連れて行くことを止めなかった。
そのころ運よく当市で催された津田江山(つだこうざん)霊媒による物理実験会に、それがいかなる意義があるかも知らないはずの母が兄と私の2人を当時としては安くない料金を払って出席させたのも、今にして思えば私の今日の使命を洞察した母の直感が働いたものと思う。
当時は津田霊媒も脂(あぶら)の乗り切った時期で、『ジャック・ウェバーの霊現象』に優るとも劣らぬ現象を見せつけられ、その衝撃は今もって消えていない。当時のエピソードは数多いが、その中から心霊的にも興味あるものを1つだけ紹介しておきたい。
当時の母は一方では近藤家のためだと自分に言い聞かせつつも、他方、そのために必要な費用はそのことをいちばん嫌っている主人が稼いでくれているものであり、しかもそれを内しょで使っているということに心の痛みを覚えていた。
そこである夜、先に寝入って横向きになっていびきをかいている父に向かって手を合わせ“いつも内しょで間部先生のところへ行って済みません。きっと近藤家のためになると思ってしていることですから、どうかお父さん許してくださいね”と心の中で言った。
すると不思議なことに、熟睡しているはずの父が寝返りをうちながら“ああ、いいよ”と言った。それを見て母は“ああ、今のは守護霊さんだ。守護霊さんは分かってくださってるんだ”と思って、それまでの胸のつかえがきれいに消えたという。
けだし母の判断は正解であった。私はこの話を母から2度も聞かされたが、この話には母の人間性のすべてが凝縮されているように思う。“苦”と“忍”の中にあってなお思いやりの心を忘れないというのは、宗教的な“行”の中よりもむしろこうした平凡な日常生活での実践の方がはるかに難しいものである。
シルバーバーチが“何を信じるかよりも日常生活において何を為すか – それがいちばん大切です”と述べているのはそこを言っているのである。
母はこうした心霊的なエピソードがいろいろとあるが、今そのすべてを語っている余裕はない。ともかくそれらのすべてが今私がたずさわっている英国の3大霊訓およびこれから発掘されていくであろう人類の霊的遺産の日本への紹介という仕事につながっていることを、今になってやっと痛感させられているところである。
私は最近その母のことを“生身の背後霊”だったとさえ思うようになった。母にも母なりの人生があったことであろうが、その中での最大の使命は私を間部先生と縁づけ、そして以後ずっと勇気づけ父から庇(かば)ってくれたことにあったように思う。
あるとき母が少しはにかみながら私に1通の封書を見せてくれた。間部先生からの達筆の手紙だった。読んでいくうちに次の1文があった“あなたのような方を真の意味での人生の勝利者というのです…”母にとってこれ以上の慰めとなる言葉はなかったであろう。
では父はどうかと言えば、最近になって私は、そういう父なかりせば果たして今日の私にこれだけの仕事ができたかどうか疑問に思うことがある。もしも父が俗にいう人格者(これは大巾に修正を必要とする言葉となってきたが)で聞き分けのいい人間だったら、こうまでこの道に私が情熱を燃やすことにはならなかったのではないかと思われるのである。
母は真の人生の指導者を求め続けてそれを間部先生に見出した。そしてそれを千載一遇の好機とみて、父から何と言われようと、何とかして子供を先生に近づけようとした。そして私が大学を終えたのち父の期待を裏切って何の定職にもつかずに先生のもとへ走ったことで父が激高し、その責任を母になすりつけても、母は口応えすることなくじっと我慢して耐えてくれた。
こうしたことの1つ1つが節目となって私はこの道にますます深入りしていった。そうした観点から見るとき、その父の存在もまた神の計画の中に組み込まれていたと考えることができる。今ではそう信じている。
その父がこの“あとがき”を書いている日からちょうど1か月前に83歳で他界した。母がいかにも母らしくあっさりと10年前に他界したのとは対象的に、父は2年間の辛い療養生活ののちに息を引き取った。
2年前、私の『古代霊は語る』が出て間もないころに脳こうそくで倒れたのであるが、その時はすでに私のその本をひと通り読み通していて、“すらすらと読めるからつい最後まで読んじゃった。もう1度読み直そうと思ってるよ”と語っていた。それから1週間もしないうちに倒れて長男の家で療養を続けていたのであった。
その父が1週間前にやっと私の夢に姿を見せてくれた。白装束に身を包み、元気だった頃とは見違えるほどアクの抜けた顔で立っていたが、私が顔を向けるとうつむき終始無言のままだった。
これから修行の旅にでも出かけるような出で立ちで、ひとこと私に言いたいことがあるような感じがした。それは口にこそ出さなかったが、かつての父に似合わず小さくなっている態度が私に言葉以上のものを物語っていた。私が他界した時はぜひ母とともに笑顔で迎えてくれることを祈っている。
父と母と私、それに間部先生の4人によるドラマはすでに終り、私は曲がりなりにも与えられた使命を果たしつつある。その間の数えきれないほどの不愉快な出来ごとも、終ってしまえばすべてが懐かしく、そして何1つ無駄ではなかったことを知らされる。
あとは、最初に述べたように、はたしてこんな訳でよかったのだろうかという責任感が残るばかりである。その重大性を知るからこそ責任感も痛切なものとなる。
が、シルバーバーチがよく言うように、人生は、この世にあろうとあの世にあろうと、すべてが途中の階梯である。この霊界通信は通信霊の古さのせいで原典そのものが古風な英語で書かれており、私はこれを原典のそれなりの味を損なわない程度に現代風にアレンジして訳したつもりであるが、それもいつかは古すぎる時代がくるであろう。
それは人間界の常としてやむを得ないことである。その時代にはその時代で有能な人材が用意されていることであろう。そう期待することで一応、訳者としての肩の荷を下ろさせていただきたい。
訳の是非は別として、この通信そのものは私が改めて解説するまでもなく、これまでの“死後の世界”についての概念に大巾な修正を迫る重大な事実を数多く含んでいると信じる。
日本の神ながらの思想をはじめとして世界各地の古代思想において神話風に語られてきている天地創造の真相を“霊”の“物質”への顕現としてとらえ、さらに宇宙のチリほどの存在にすぎない地球の過去一千有余年にわたる特殊事情を説き、それが現在のスピリチュアリズムの潮流につながっている事実を示唆している。
いずれ日本にも日本人に親しみやすい形での“新しい啓示”が与えられる日が到来することであろうが、私見によればそれは、こうした西洋的啓示によって日本人特有の“霊”についての曖昧かつ魔訶不思議的概念を改められ、“霊こそ実在”とした合理的かつ論理的概念を十分に摂取してからのちのことになるであろう。その辺に本通信の日本人にとっての意義があると私は観ている。
最後に、こうした特異な通信を快く出版してくださった潮文社に対して深い感謝の意を表したい。(1986年)
新装版発行にあたって
「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。
平成16年2月
近藤千雄
霊界通信 ベールの彼方の生活 第4巻「天界の大軍」篇 – 新装版 –
近藤 千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英文の原典の研究と翻訳に従事。1981年1984年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 M.バーバネル『これが心霊の世界』『霊力を呼ぶ本』、M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、A.ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』、『古代霊は語る – シルバー・バーチ霊訓より』『シルバー・バーチの霊訓』(以上潮文社刊)、S.モーゼス『霊訓』、J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』、H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)
「高級霊が中止などしない」僕の役割は遠大な霊界計画の0.0001%という事です(祈)†
皆さまご存じのように2000年前のイエス様は律法学者どもの嫉妬を受けて磔刑にされ殺されました。僕は歴史に詳しくありませんが、イエス様以外にも信じられない人数の霊的使命遂行者が王などと自称する人間や、キリスト教の要職についている人間たちに徹底的に迫害され殺され続けてきました。※訳者、近藤千雄先生の著書の中にはそういった歴史の暗部を紹介しているモノがいくつかあります。何としてもそれらをテキスト化完了させ、多くの方にお読み頂ける状態にしなければなりません。物質界に使命遂行のために降誕した多くの高級霊の方々が、ことごとく軽蔑、嘲笑、迫害を受けて殉教の死を遂げています。しかし霊界側は「スピリチュアリズム勃興」という大計画まで発動し、霊的知識普及を大々的に進めてここまでやってきました。このインスピレーションは霊界側が気の遠くなる長い年月にわたって推進している霊的大事業を中止などする訳がないという意味であり、他でもないイエス様が僕などという画家くずれの人間に対して「怒涛の連続顕現」で猛烈に仕事をお願いしてきたのも、その大計画推進の道具のひとつとして僕を使用するためだった、という意味になるのです。…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→