心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム –

※OCR変換の誤変換部分が修正しきれず本文に残されているものと思われますが、とてもやり切れませんのでこのままUPさせて頂きます。通読、霊的知識摂取には問題ないと判断します(祈)†

心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム –

アルフレッド・R・ウォーレス著
近藤千雄訳

“Miracles and Modern Spiritualism”
by Alfred Russel Wallace
Spiritualist Press(1955)
London,England.

【目次】

第2部 超自然現象の科学的検討

第3部 スピリチュアリズム擁護論

まえがき

本書を構成する3つの小論文は、書かれた時期も違えば目的も異にしている。最初に掲げた論文(書かれた順序は最初ではない)は弁証法学会において、奇跡の本質的真偽性という基本問題を懐疑論者に考察していただく意図のもとに発表したものである。

2番目は約8年余り前に、ある非宗教派の機関誌 – 発行部数も限られ主として交友関係の人々の間で読まれているもの – に掲載されたものである。3つ目は最近 Fortnighly Review という隔週発行の評論誌に発表した記事である。

以上の3つについて改めて綿密な検討を加え、新たに相当な分量の証となり得る事実や論議、個人的体験などを加え、さらにカーペンター博士 W. B. Carpenter の最近の論文に対する批判を2、3添えた。

2番目と3番目の論文はともに同じ主題について一般的な見解を述べたもので、当然のことながら扱う問題に重複するところがあり、また同じ文献からの引用も多い。が決して細部まで同一のものの繰り返しはなく、それぞれに新たな事実、初めて紹介するものを含んでおり、結局2つの論文が互いに補足し合い支持し合う形となっているものと信じる。

さて、ここでいささか個人的なことについて述べておかねばならない。学界の知友が私の妄想だと決めつけるもの(スピリチュアリズム)についてみんながその理解に大いに戸惑っていること、そしてそのことが博物学思想の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分承知している。

そのうちの1人アントン・ドーアン氏 Anton Dohrn はその点をはっきり表明している。聞くところによると氏が1861年に発表したKritiker und Anti-Kritiker des Darwinismus の中でスピリチュアリズムと自然淘汰(とうた)とは相容れないものであり、私がダーウィン氏と見解を異にするに至った原因はそのスピリチュアリズム研究にあると述べている。

更に氏は私がそのスピリチュアリズムの教義を受け入れたことの背景には幾分宗教的偏見があるとも考えているようである。他の学界の知友もたぶんドーアン氏と同じ考えであろうと思われるので、ここで個人的な釈明をさせていただこうと思う。

私は14歳の時から進歩的思想をもつ実兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて科学に対する宗教的偏見や教派的ドグマに影響されないだけの確固とした物の考え方を身につけることになった。

そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ボルテール F. Voltaire とかシュトラウス D. F. Strauss、あるいは今なお尊敬しているスペンサー H. Spencer といった思想家にすっかり傾倒していたのである。従って初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋め尽くされた私の思想構造の中には、霊とか神といった物質以外の存在を認める余地はまるで無かったといってよい。

が、事実というものは頑固である、どうしようもないものである。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなくなった。そして、研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その現象の種類も多岐にわたることもわかり、その示唆するところが近代科学の教えることや近代哲学が思索しているものからますます遠ざかっていくことを知ったのである。

私は事実という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。

前に述べたように当時の私の思想構造の中には“そうしたものの存在を認める余地はまるで無かった”のであるが、次第にその“余地”ができてきた。それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実を1つ1つ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法が無かったのである。

私がスピリチュアリズムを受け入れた原因についてのドーアン氏の見解に関してはこの程度にして、では次に、そのスピリチュアリズムが自然淘汰(とうた)説と矛盾するという意見について述べてみたい。

今述べた通りの厳密な事実の検討から私はまず第1に、宇宙に人間を超えた、発達程度を異にする知的存在がいること、第2に、その知的存在の中には人間の五感では認知できないにもかかわらず物質に働きかけることができるものがいて、現にわれわれの精神活動に影響を及ぼしているとの2つの結論に到達し、それを応用した場合に自然淘汰説だけでは説明できずに残されている博物学上の現象がどこまで説明できるかを、論理的かつ科学的に推し進めているところなのである。

その“残された現象”と私が観ているものは例の『自然淘汰説』 Contributions to the Theory of Natural Selection の第10章で幾つか指摘してある。そして私はそれらが右に指摘した各種の目に見えない知的存在の所為かも知れないことも示唆した。

もっとも、その説を出すのにちゅうちょが無かったわけではない。そして私自身それを受け入れるにはさまざまな問題があることも示唆しておいた。しかし同時にそれが少なくとも理論的には筋が通っており、進化論の中心的支持者の多くが認めるように)、たとえそれが絶対的で申し分ないものでなく有機体の発達の“原因の1つに過ぎない”としても、自然淘汰による進化という大原則を全面的に受け入れることと何ら矛盾するものでないことを主張した。そして今なおそう主張するものである。

1874年12月1日

A・R・ウォーレス

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第1部 奇跡とは何か

幾世代にもわたって受け継がれ、精神構造の一部を構成するに至った教説や信仰ほど遠い過去の未開時代の考えや偏見が根強く残っているために誤りが多いことは、今では広く認められている。

従って教説とか信仰というものは、それがいかに確立されたものであり、あるいは神聖視されたものであっても、時にはそれと対立する教説や信仰と堂々と公開の場で対決して、更に長く生きのびる権利を求めるべく、それが有する事実関係や推論を検討し直すのが、真理としての正しい在り方なのである。

それは近代文明の産物とて例外ではない。たとえ数世紀にわたり大多数の教養人によって当り前の事実として認められているものでも、そうあるべきである。と言うのは、それを当り前の事実と認めようとする偏見がそこにあり、当然とされる度合が大きいほどその偏見もまた大きいからである。

たとえばアリストテレスの学説やスコラ哲学者のドグマに見られるように、その権威の重みと習慣の勢いのみで存続し、事実と理法のいずれにも反することが明らかにされた後も、久しく生きのびていることがあるのである。

かつては一般通念が恐怖の法律によって保護され、疑いを挟む者は命がけでそれに反論するという時代があった。今では真理は真理であり、権力によって保護される必要はなくなった。保護を必要とするのはむしろ誤謬の方である。

ところが、ここにもう1つ、同じく絶対的真理に対するクレームを意味し、従って学問的道義にも反する保護がある。すなわち反対論者によるあざけりと故意の曲解、あるいは軽蔑的に頭から論議を拒絶する態度である。

こうした態度はわれわれの学界において今なお見られる。すなわち1つの通念 – 信じまいとする通念ともいうべきものが存在し、それを支持する者は教皇不びゅう説に優るとも劣らぬものを主張し、2世紀にもわたって常用されてきた漠然たる論拠をもって、それが絶対に誤りでないことを証明せんとする。

私が指摘せんとする通念とは、いわゆる奇跡なるものはこの世に存在しない – 超自然現象なる用語で一般に理解されているものは存在しない – たとえ存在してもそれは人間的に説明のつくものばかりである – われわれに認識できる現象はすべからく確固たる物理法則に従っており、人間及び下等動物以外の知的存在がこの物質界に働きかけることは有り得ない、というものである。

こうした考えはすでに何世紀にもわたってほとんど何の疑いもなく信じ込まれてきている。一般教養としての教育に不可欠の理念として繰り返し教え込まれてきている。それが一般通念となり、知的進歩の指標の1つとさえ思われている。

かくして、われわれの精神構造の一部としてそれがすっかり定着してしまったが為に、それを否定する事象や論説はまともに取り合う必要のないものとして無視されるか、もしくは侮蔑の態度でもって取り挙げられるのが関の山である。

さて、こうした態度はもとより真理の発見という観点からすれば決してほめられた態度ではない。かつての誤りの体系が助長され維持され続けた時代の態度と驚くほどよく似ている。今こそその正当性を改めて問われるべき時代が到来していると考えるのである。

右の定説は、それが真実であるか否かは別として、極めて頼りない危険な基盤の上に成り立っているだけに、一層再検討を要するのである。というのも、これから私はそれを立証せんとして出された説のうちでこれはと思えるものを検討してみるのであるが、結果的にはどれもこれも見当違いのものばかりであり、およそそれを立証するものではないのである。

が、もともと説とか通念というものはそれを支持する論拠がお粗末であっても真実は真実であり、一方たとえ論拠は立派であっても誤りであることも有り得る。しかしながら、これまで、正しい説が立派な論拠によって支持されずに終わったものは1つとして無い。

それ故もしも奇跡全般の否定のためにこれまで使用された論拠のすべてがお粗末であることが明らかとなれば、その支持者たちは新たに立派な論拠を探すべきであり、もしもそれができぬとなれば、奇跡の存在を支持する証拠を公平に検討し、その上でその価値を判定すべきであって、決してこれまでのように法廷外に締め出すような真似はすべきではない。

これで私の目的がいわゆる超自然現象という大問題の論議のための地ならしをすることにあることがおわかりいただけると思う。私はその論議を肯定する方向へも否定する方向へももっていくつもりはない。問題全体を一般的論拠に基づいて解決するために、これまで出されてきたあいまいな説や推論を再検討することに限定するつもりである。

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1 ヒュームの奇跡の定義

スコットランドの哲学者ヒューム David Hume の優れた論文の1つに An Inquiry concerning Human Understanding(人間の理解力についての研究)があり、その第10章が「奇跡について」となっている。その中に、いかなる証拠をもってしても奇跡を立証することは不可能であることを論述した個所があり、この問題に関連して再三引用されている。ヒューム自身もこの部分には自信があったようで、その章の冒頭でこう述べている。

「私は賢明なる諸士並びに教養ある諸士にとって、あらゆる種類の迷信的妄想を阻止しこの世の続くかぎり有効な指針となるべき論証を発見したとひそかに自負している。思うに奇跡と天才児の物語は、聖俗の区別なく、今後も人間の長き歴史を通じて数多く発見されるであろうからである。」

ヒュームはいろんなケースを挙げながら証拠の本質と人間による証言の価値について2、3の一般的所見を述べた後、奇跡の定義へと進む。が、その冒頭からわれわれは異議を唱えねばならない。というのは、その仮定には根拠が無く、前提も誤っているからである。

彼はその論文の別々の箇所で2つの定義を述べている。その第1は“奇跡とは自然法則への違反である”、第2は“奇跡とは神の特殊な意志、または何か目に見えぬ因子の介入による自然法則の侵犯である”という。

この定義は2つとも不適切または不完全である。第1の定義によると、われわれはすでに自然法則の全てを知りつくしていることになる。つまり人間がこれまで知り得た法則を超越した未知の自然法則による特殊な影響というものは存在し得ないことになる。またそれは、たとえば何か目に見えぬ知的存在がリンゴを手にして空中にとどまらせた場合、その行為は引力の法則に違反することを意味する。

第2の定義は正確でない。“目に見えぬ“知的”因子”とすべきである。そうしないとガルバーニ電気や普通の電気の作用までも、それが発見された頭初および自然界の秩序の一部を構成することが確認されるまでは、この奇跡の定義にかなっていたことになる。“違反”と“侵犯”の用語も使い方が不適切であり、まさに論証すべきことを前提として巧みに論点をかわしたと言える。

一体ヒュームはある1つの奇跡が自然法則の違反であることをどうやって知るのであろうか。彼は一片の立証もなしにそう定義して、しかも、このあと明らかにするごとく、彼の論証の全てがその定義の上に成り立っているのである。

ここで、では奇跡または一般に奇跡と言われているものの正しい定義とは何かを検討する必要がある。かつて耳にしたことのない新しい自然現象とは違って、奇跡には可視または不可視の超人的知的存在が仮想される。といっても、発生した現象そのものが必ずしも人間の能力を超えていなければならないことはない。

たとえば何ら帰すべき原因もないのに、こちらの要求に応じてティーカップが空中に浮揚するといった単純な現象であっても、それが人間的行為つまり目に映じる行為なしに行われれば、それは家屋が浮揚したり傷が一瞬のうちにいえたり、あるいは見事な絵画が瞬間的にえがかれたりするのと同じく、立派に奇跡と認めてよいであろう。

従来一般に奇跡が直接または間接の神の仕わざと思われてきたことは事実である。それ以外の現象は奇跡と呼ぶに値しないと言う人もいることであろう。が、これでは絶対に証明不可能な仮定を提示するようなもので、定義とは言えない。奇跡と思われる現象が神の直接の仕わざであるとか、あるいは一人物の神聖なる使命の証しとして間接的に神が演出したものであるとかは、証明しようにもできるはずがない。

しかしそれが人間とはまったく別個の“何らかの”知的存在の仕わざであるということは証明できるかもしれない。そこで私としては奇跡を“超人的知的存在の実在とその作用を必然的に伴う行為または現象”と定義し、人体から離れた場での現象の場合は、その知的存在の一つとして人間の霊または霊魂を想定している。この方がヒュームの定義より意を尽くしており、一般に奇跡と呼ばれている現象の本質を正確にいい表している。

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2 奇跡に関する証言

さて、いよいよヒュームの説を検討する段階に至った。第1に取り挙げるのは次の説である。

「奇跡とは“自然法則の侵犯”である。そして自然法則は確固たる、しかも“不変の経験”によって確立されている故に、奇跡の存在を否定する論拠はその事実の本性そのものからして、経験に基づく説と同じく完全である。

人間が1人の例外もなく死なねばならぬこと、鉛は“それ自身では空中に浮いてはいられない”こと、火は木材を燃焼し、水をかければ消えること、万一こうした事実が自然法則にそぐわない場合が生じた時は、そこにはその法則の作用を妨げる原因となるべき法則侵犯、言い換えれば“奇跡”が要請されるといったことがなぜ蓋然性を超えた当然の事実であるのか。

大自然の通常の過程を経て起こるものは奇跡とは見なされないのである。たとえば見たところ健康体の人間が急死しても奇跡ではない。なぜならば普通よりは異例ではあっても人間にはよくあることだからである。が死んだ人間が生き返ったら、これは奇跡である。

なんとなれば、そのような事実は“いつの時代にもいかなる国にも起きていない”からである。従ってあらゆる奇跡的出来事には一致した体験が無ければならない。それが無いかぎり奇跡と呼ぶことはできない。

そして“一致した体験”が証明となるのであるから、奇跡の存在を否定するのは、事実の本性からして、直接的かつ十分な証拠があると言える。又そうした証拠がそれを上回る反証によって簡単に打ち崩されることはあり得ないし、奇跡が信じられるに至ることもあり得ない。」

この言説には根本的な誤びゅうがある。もしもこの言説の通りだとすると、まったく新しい事実の存在は証明されないことになるからである。それを最初に見た人、及びその後にそれを見た人それぞれが、それが奇跡でないことを証明する一般共通の体験をもっていなければならないことになり、これは不可能なことである。

たとえばトビウオの存在という単純な事実でも、ヒュームの論理でいくと証明できない。最初にそれを実際に見てその体験を叙述した人に対して、魚は空を飛ばない、あるいは飛ぶ動作に似た行為もしないという一般共通の観念が存在する。

そこでその証言は却下され、同じ論理が次の証人にも当てはめられ、そのあとの全ての証人にも当てはめられていく。かくしてこの現代においても1度も生きたトビウオ、あるいはトビウオが飛ぶところを実際に見たことのない人は、そのようなものが存在することを信じなくてよいことになる。

また、患部の上を手のひらを往き来させるだけで痛みもなく完治するという事実は、25年前には自然法則に反しかつ人間の一般的体験にも反し、従って信じられないことであるとされた。

ニュームの理屈でいくとこれは奇跡であったことになり、その奇跡はいかなる証言をもってしても真実であることは証明し得なかったことになる。ところが現代では多くの生理学者がその事実を認めており、そのメカニズムを解明せんとしている。もっとも、まだうまく説明できていないが。

しかし奇跡は、一般に思われているほどまれではない。決して一般的体験と対立した孤独な事実ではないのである。歴史上でも、1つの時代にも奇跡として騒がれた現象は豊富である。しかもその1つ1つが他の多くの現象と関連している。それがさらに現代において証言されている現象と実によく類似している。

それ故、ヒュームがしきりに強調するところの、奇跡を否定する普遍的体験というのは存在しないのである。たとえば人体の空中浮揚ほど鮮やかな奇跡的現象はないと思われるが、これも何世紀にもわたって多くの証言が記録されている。その中から有名なものを2、3挙げれば –

アッシジの聖フランチェスコはしばしば空中に浮上するところを大勢の人によって目撃されている。その事実は秘書によって証言されており、そんな時、浮揚した聖フランチェスコの足に触わるのがやっとだったという。

スペインの修道女テレジアも大勢の修道女の見ている前でよく空中に浮揚したという。ロヨラのイグナチウスにも同じ現象が目撃された記録がある。「聖者の生活」 Lives of Saints の中で著者バトラー Alban Butler はそうした多くの事実が信頼性に一点の疑問の余地なき人物によって語られ、みずからも見たと証言している、と述べている。

D・D・ホームの浮揚現象に関しても実際に目撃したことを進んで証言する教養人がロンドンだけで少なくとも50人はいることを知っている。

私は、今ここでその事実に関する証言を引用するつもりはない。この件を持ち出したのは、ヒュームの言説がいかに論拠に欠けているかを示すためである。彼の言説は一方では普遍的証言の存在を前提としながら、他方では証言は皆無であるとの前提に立っているのである。

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3 最近の否定論

次に更に新しい説をいくつか見てみたい。最近の否定論の1つは、絶対有り得ない仮定を立てて、そこからいかにも論理的ジレンマのようで実際はジレンマでも何でもないものを導き出そうとする型の理論である。

それにもいろんな形があるが、その1つを挙げると、“もしもだれかが自分はヨーク市から電線で送られてきたと言っても私は信じない。50人の人間が同じことを言っても信じない。何人の人間が言っても私は信じない。だから、いくら多くの証言を積み重ねても、D・Dホームは空中に浮揚したことはない”という論法である。

もう1つは“もしだれかが、ノーサンバランド館の石造のライオンがトラファルガー広場に出てきて噴水で水を飲んでいるところを見たと言っても、私はまず信じないだろう。50人が、いや何人の人間がそう言おうと私はやはり信じないだろう”という仮定を立てる。

こうした論法で、まともな人間ならまず信じないであろうような、ばかばかしくて信じられないことがこの世にはあるものだと結論づける。

さて、こうした例は一見いかにも筋の通った説であるかに思えるし、その理屈を正しく論破するのは容易でないように思える。が実はこれらは全くの虚偽の論理である。なぜならば、それが立脚している前提は、かつて発生した証拠もない、そして(私はあえて言うが)これからも絶対に有り得ないことだからである。この前提では、絶対に発生したことのない明白な事実を、大勢の真面目で正常で分別ある人間が、各自別々に繰り返し証言できることになってしまう。

さて、そのような前提が現実に生じた証拠はどこにもない。しかもその前提はパリ修道院で発生した数多くの奇跡的治癒の例、そして現代の科学者が近代スピリチュアリズムの心霊現象の真実性を信じるに至った数多くの経緯を考察すると、ますますもって奇怪に響くのである。

というのは、それに係わった人々はそうした事実に対して現実には有り得ないことであって従って妄想であるという警戒心をもち、その妄想を生む原因をあらかじめ想定し、しかも一方では現代の思想も学問もそうした現象を否定する傾向にあるにもかかわらず、みずから進んで研究調査に携わった末にその真実性を信じ続けているからである。

右の否定説が少しでも価値を有するためには、そうした学者の信念のもとになる証拠が全部誤りであるということも有り得ることを証明しなければならない。そうしないと、論証すべきことを前提として結論を出しているに過ぎないことになるからである。

ここで忘れてならないのは、われわれが考察しなければならないのはバカげた信仰やデタラメな推論ではなく、明白な事実だということである。しかも公平無私な正常な人間による重複証拠が全くの妄想と決めつけられた事実はないし、これまでも無かった。

単的に言えば、主張されている事実は有り得るか、さもなくば有り得ないかのいずれかなのである。もし有り得るとすれば、われわれが検討しているような証拠がそれを証明するであろうし、もし有り得ないことであれば、そうした証拠は存在しないということになり、従ってさきに紹介した論理はまったくの虚偽の論理であることになる。

なんとなれば、その基本的な前提はまったく証明不可能なものだからである。もしもあの論理が、ただ単に、物事というのは不思議で異常であればあるほどそれを証明するのにより多くかつより良い証拠を必要とするということを述べることに意図があったとするならば、それはわれわれも認めよう。

しかし私が主張したいのは、人間の証言というものは真面目な証言者が1人増えるごとにその数値以上の価値を増すものであるから、奇跡的とか超自然的と言われながら毎日のようにどこかで起きている現象に、これまで集められているほどの証言がある以上、そのうちの1つとして安易に却下すべきではないということである。証明の重荷はむしろそうした証拠が誤っていることもあり得ると主張する側にのしかかっている。

すなわち、その蓄積された証拠を有しながら結局は間違いであったことを証明されたケースが出せなくてはならない。推定ではなくて証明が出せなくてはならない。しかも忘れてならないのは、その誤りの原因を事細かく説明できないようでは完全な証明とは言えないということである。

たとえば、かつて魔法にも心霊現象と同じくらいの証言はあった、でも魔法というのはばかばかしくて話にならない、というのではいけない。これでは論証すべきものを前提としてしまっているからである。

魔女を悪魔の手先とするマニヤの説は愚かしくかつ誤っているかもしれないが、魔法の事実拷問にかけられた魔女自身の証言ではなく第3者によって証言された事実そのものは否定されるどころか、現代にも起きている数多くの同種の事実によって支持されているのである。

もう1つの新しい説は、いわゆる心霊現象の実在を否定する際によく使用されるもので、“それらの現象はあまりに不確実である。人間側から操作できないし、その現れ方に定まった法則がない。他のすべての自然法則と同じくちゃんとした法則に従って起きていることを証明してもらいたい。そうすればわれわれも信じよう”というものである。

この理屈をなるほどと思う人がいるようであるが、これは全く不条理の一語に尽きる。心霊現象と呼ばれているもの – それが真実か否かはここでは問題ではない – が究極的に教えているものは、これは自由意志をもつ知的存在の仕わざであるらしいということであり、だからこそ霊的あるいは超人的と呼ばれているわけである。

もしも一定の法則に従って発生し独立した意志の働きが認められれば、だれもそれを霊的であるとは想像しなかったであろう。それ故に右の説は次のようなわかり切った理屈を述べているにすぎない。

すなわち“あなたの言う心霊的事実が明らかに独立した知性の持ち主の存在を証明するかぎり、われわれはそれを信じない。もしもそれが自由意志をもつ知性ではなく、一定の法則に従って発生していることを証明してくれれば、その時はわれわれも信じよう“ということである。この理屈は私には幼稚に思えてならないのであるが、これがれっきとした思想家をもって任ずる人によって採用されているから恐れ入るのである。

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4 科学的立証の必要性

もう1つ私が耳にしている反論で共鳴者の多いのに次のようなものがある。普通でない現象あるいは信じ難い現象の実在を判断するには膨大な量の科学的知識が必要であり、科学者が検討してその実在を証明するまでは信じる価値はない、というのである。

あえて言うが、これほど大きな誤った説はこれまで無かったのではなかろうか。論題はきわめて重大であり、誤った説が多いのもやむを得ないが、ここに述べられていることは実際の事実と正反対のことである。というのは、私は自家撞着を恐れずあえて主張するが、いつの時代にも科学者が先験的知識に基づいて事実を否定したときはきまって科学者の方が間違っていたという歴史的事実があるのである。

そのことに関してはガリレオとハーベイとジェンナーという3人の世界的に知られている学者の名前を挙げるだけで十分であろう。周知の通り彼らの偉大なる発見は同時代の全ての科学者の猛烈な反論に遭った。彼らにはバカバカしくて信じられないものと映ったのである。

が、もっと新しい時代にも同じように顕著な例がある。ベンジャミン・フランクリンが英国学士院で避雷針の話題を持ち出したところ夢想家として一笑に付され、その論文は会報の Philoso-phical Transactions にも掲載されなかった。

トーマス・ヤングが光の波動理論に関する見事な証明を発表したときも、同じく同時代の著名科学者から荒唐無稽として無視された。トーマス・グレイが鉄道の可能性を支持する発言をした時、評論誌 Edingburgh Review はグレイを“拘束服の刑”に処すべきであると訴えた。

ハンフリー・デービー卿はロンドン全市にガス灯をつける考えを最初は一笑に付している。スチーブンソンがリバプールとマンチェスターの間の鉄道に機関車を使用する提案をした時、学者の間から、1時間12マイルのスピードを出すのも無理であるとの証言が出された。

別の科学のさる権威は大西洋を蒸気船で横断するのも同じく不可能であると断言している。フランスの天文学者アラゴーが電気による通信の問題を討議することを要求した時、フランス科学アカデミーは嘲笑をもってこれを断わった。

聴診器が発明された時も医学者の間で嘲笑の的にされた。催眠術による昏睡状態での無痛手術も最初は不可能でありそれ故にペテンであると宣言された。

1825年にトーキー市のマケナリ氏 McEnery が有名なケントのホール洞窟で、絶滅した動物の化石といっしょに火打ち石を発見した。がその報告は嘲笑とともにあっさりと退けられた。

15年後の1940年に英国地質学界の草分けの1人ゴドウィン・オースチン氏 Godwin Austen が改めてそれを地質学界に提出し、同じトーキー市のビビアン氏 Vivian もマケナリ氏の発見を確認する論文を送った。しかしこれも公表するには余りに真実性が乏しいという結論に終わった。

それから更に14年後にトーキー博物学会が念入りに調査した結果、それまでの説がすべて正しかったことを確認し、その報告書をロンドン地質学会に送付した。しかしこれまた公表するには真実性が乏しいとして却下された。

ところが最近5年間にわたってその洞窟が英国学術協会の調査委員会の監督のもとに組織的調査が行われ、過去40年間の報告がことごとく正しかったことが確認された。

“これが科学的慎重さというものである”そう主張する学者がいるかも知れない。たぶんそうだったのであろう。が何であれ、次の重大な事実を証明していることだけは間違いあるまい。すなわち、他のすべてのケースと同様に、この場合も謙虚でしかも往々にして無名の人間の主張が正しくて、それを頭から否定した学者が誤っていたということである。

そこで問題にしたいのは、一般に超自然的とか信じられない現象とされている現象の目撃者の主張は右に引用したような主張に比して注目する価値は少ないのかということである。たとえば、まず最初に霊視現象の例を取り挙げてみよう。

この現象を観察してきた人々、長い期間、ときには生涯をかけて綿密に研究してきた人は、その科学的知識と知的能力において他の分野の発見の観察者に劣らないだけのものをもった人々である。医学界だけでも次のような優れた人がいる。

Dr. Elliotson, Dr. Gregory, Dr. Ashburner, Dr. Lee, Dr. H. Mayo, Dr. Esdaile, Dr. Haddock, の7人であり、その他の分野にも Miss Martinean, Mr. H. G. At-kinson, Mr. C. Bray, Baron Reichenback 等のすぐれた才覚の持ち主がいる。

数々の発見の歴史に鑑みて、はたしてこれら11人の教養人が否定論のすべてを承知の上で、しかも現象をみずから細かく検討した上で、真実であると断定したのは間違いで、先験的知識だけでそのような現象は有り得ないとあっさり片づけた人が正しいのであろうか。それともその反対であろうか。

歴史と経験から学ばせてもらうならば、他のすべてのケースと同じく霊視現象の場合も、他人の観察結果を検討せずして否定している学者は間違っていることがいずれ判明する、と断定してよさそうである。

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5 レッキーの奇跡論

さて現代の奇跡論として、著名な思想家の1人で History of Rationalism と History of Morals の著者であるレッキー W. E. H. Lecky の説をみることにする。後書の中で彼は奇跡の問題にかなりのスペースを割いている。そしてその明快にして要領を得た説は現代の知識人の一般的見解と印象とを代表しているとみて差支えないであろう。彼はまずこう述べる –

「一般の知識人層の奇跡に対する態度は現存する証言に対する疑問・ちゅうちょ・不満の態度ではなく、むしろ純然たる軽信であり、人を愚弄するものであり、吟味してみる態度などさらさら見られない。」

そう述べてから、続いてなぜそうであるかを次のごとく論じる。

「ある種の社会層においては、“傑出した人物または強大な制度”のまわりに奇跡の伝説がある種の影響力のもとに“例外なくまとわりつく”ものである。そうした“奇跡的なものへと人間を駆り立ててきた”一般的原因を分析することは可能である。その原因が確実にそうした傾向を生んでいく過程を説明することも可能である。そしてまたその奇跡の信仰の衰退に“例外なく伴う”ところの精神的状態の段階的変化をたどることも可能である。

人間が“批判的精神を欠いた時”、いまだ一定不変の法則の観念が生まれざる時、そして人間の想像力がいまだ抽象的観念にまで至らざる時は、きまって奇跡の歴史が形成されかつ信じられる。そしてその状態が変化するまで繁栄し増大し続ける。人間がそれを信じなくなりかつ期待しなくなった時が奇跡が存在しなくなる時である…」

さらに言う –

「奇跡は到底あり得ないことだと述べているのではない。またわれわれが当たり前に信じている他の事実と同じように多くの証言によって実在が立証されていることを否定するつもりもない。ただ、“ある社会層においては”この種の“妄想”が必ず発生する、と言っているまでである…」

「ときとして迷信が読み違えているところの正確な自然現象を発見することもあるが、それよりは単なる一般的説明しかできないことの方が多い。そうすることによって、これらの伝説を“ある段階の”知識または知力の“正常な表現”として、その本来の場所に位置づけることが可能となる。その説明がすなわち奇跡の論ぼくでもあるわけである。」

さて、これらの論説の中にはヒュームのそれに劣らぬ顕著な誤びゅうが発見される。ある種の社会層において傑出した人物または強大な制度のまわりに奇跡の伝説が例外なくまとわりつく、という説は著名な歴史的な事実と完全に矛盾するように思われる。

ローマ・カトリック教会は古代においても近代においても常に奇跡の大舞台である。その教会において最も傑出した人物といえば法王であり、最も傑出した制度といえば教皇制度である。

従ってもしもレッキーの説が正しいとすれば、歴代の法王は抜群の奇跡の演出者であったことになるが、実際は初期の1人ないし2人の法王を除いて大部分の法王に奇跡の記録は見当らない。逆に牧師や信徒といった、教会の中でも身分の低い階層に奇跡の現像が見られ、それが彼らをして聖人の列に入らしめてきた。

もう1つ例を挙げれば、プロテスタント派の最も傑出した人物といえばルターである。彼自ら奇跡を信じていたし、当時は世界的に奇跡を信じる傾向があった。その奇跡は概して悪魔的性格を帯びていたが、ルターの死後何世紀にもわたってプロテスタント派の教会のすべてにおいて盛んに見られた。しかしルター自身には何1つ奇跡の伝説は残っていない。

さらに時代が下ると、 Irving という奇跡を行う集団の長がいる。また同じく奇跡を行う宗教であるモルモン教の創始者 G. Smith がいる。スミスがモルモン教を創始する以前に体験があると述べていることを除いては、2人には奇跡の伝説はいっさい聞かれない。

こうした顕著な事実は、ほとんど全ての奇跡にはそれなりの法則的基盤があるに相違ないこと、そして傑出した人物のまわりに奇跡の伝説がまとわりつくという説にはまったく根拠がないことを証明しているように私には思える。それは、いかにもそれらしく聞こえ理想的に思えるものでありながら、実際には何1つ証拠のない便利で大まかな言説の1つに過ぎない。

もう1つ問題となるのは、奇跡の信仰の衰退には例外なく精神的状態の変化が伴うというくだりであるが、この“例外なく伴う“という事実はまったく立証できない。なぜならば奇跡の信仰の衰退はこれまでの世界の歴史において(物質科学の発達に伴って)ただの1度しか起きていないからである。

さらに顕著なのは、そのたった1度の衰退に伴った精神的状態はその後も存続しており、むしろその傾向を強めてさえいるにもかかわらず、信仰の方は過去20年間にむしろ増大してきているという事実である。

ギリシャにおいてもローマにおいても言えることであるが、古代文明が高度に発達した状態において奇跡の信仰も最高に勢力をふるい、最高の地位の人々、あるいは最高の知識人によって証言されている。前世紀及び今世紀における信仰の衰退はそれ故に決してレッキーがいうような一定不変の法則の観念の欠如のせいではない。これはむしろ例外に属するケースなのである。

今日、批判的精神と一定不変の法則の観念が強くなっていることは確かであるが、文明世界のあらゆる国において、知性派の中にはレッキーその他が奇跡と呼び、従って信じられないとしているところの現象を実際に生身で確かめた上で信じ、しかもそれを自然法則の一部であると主張している人が何千何万といる。

これでわかるように、その信念はレッキーがいうような“ある社会層”における”ある段階の知識または知力の正常な表現“の指標ではなく、あらゆる社会層にも存在し、あらゆる段階の知力にも伴っているのである。

ソクラテスもプルタークも聖アウグスチヌスも超自然現象の存在を証言している。証言は中世にもずっと存在した。ルターとカルビンの2人の宗教改革者、英国のすべての哲学者、そしてヘイル卿 Matthew Hale に至るまでのすべての裁判官もそうした超自然現象の存在の証拠は動かし難いものであることを認めている。

多くの国において警察当局により厳しい調査を受けたケースも少なくない。またすでに述べたパリ修道院における奇跡的治癒は、ボルテールや百科全書編者の活躍したフランスの歴史においても最も懐疑的傾向の強い時期に起きながら、一連の明確な証拠によって立証され、なんの拘束もなく自由に調査を受けていたために、そこの修道僧が – 自らも徹底的に調査してその真実性を確信したうえで – ぜひその事実を一般に公表すべきであると主張したことで、バスチーユ牢獄に投獄されたという事実もある。

今日いわゆる近代スピリチュアリズムを信ずる人はあらゆる階層にわたって少なく見積もっても百万単位を数える。レッキーがある特定の知識階層にしか帰していない信仰は、実はありとあらゆる普遍性の要素を備えているように思えるのである。

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6 奇跡の信仰は未開思想の遺物か

奇跡に関するもう1つの見解として、タイラー E. B. Tylor が王立科学研究所における講演やその他の講演の中で述べているものに、スピリチュアリズムの思想や他の超自然現象にまつわる信仰はすべて未開時代の思想が文明人の間に引き継がれてきたものである、とするのがある。

しかしタイラー氏はそうした信仰へ駆りたてるところの実際の現象については一言も言及していない。教養ある人々が自らの体験による証拠と細心の調査の繰り返しによって超自然現象を真実の現実的事実であると確信したその概念が未開人のそれと根本的に異なるのは、ちょうど太陽や嵐、病気その他の自然現象に関する概念がまったく異なるのと同じである。

タイラー氏の言い分はちょうど太陽は炎の塊(かたまり)であるという現代人の信仰は未開人の思想の遺物である – なんとなれば未開人もそう信じていたからである、というのと同じである。

あるいは、病気は伝染するものであるという考えも、同じく病気を敵に移すことができるという未開人の考えの遺物であるというのと同一筆法である。問題は“事実”にあるのであって“説”や“概念”の問題ではない。人間が事実の断定を迫られたときには一般的見解や説や類推はまったく価値を失ってしまうというのが私の考えである。

今や数知れぬ知識人が自らの観察によって、学者が見もせずにバカバカしいとか有り得ぬことであると断言している不可思議な現象の中に、どうあっても真実と認めざるを得ないものがあることを悟っている。

それは人間が批判的精神を欠いたときや一定不変の法則の概念が生まれざるときだけ発生するものであるとか、ある種の社会層においてその種の妄想が現れるとか、それはある段階の知識または知力の当たり前の表れにすぎないとか、あきらかに現代の文明社会における未開思想の残存を証明するものである、などと述べるだけではその人たちへの回答にはならないし、事実の説明にもならない。

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7 結語

以上で私は次の4点を明らかにしたつもりである。

1、ヒュームの奇跡についての見解は、根拠のない憶測と誤びゅうと矛盾に満ちており、論理的説得力にまったく欠けている。

2、電線で送られてきたとか石造のライオンが水を飲んだといった仮説ではまるきり理論にならない。絶対に有り得ない空想を前提としていることになるからである。

3、一般の人が観察した事実よりも科学者の意見の方を優先すべきであるとの説は、人間の普遍的経験と科学の全歴史を通じて見られる事実に反する。

4、レッキーとタイラーの説はいかにももっともらしいが、誤った仮定ないしは立証されていない仮定を根拠としており、従って価値がない。

結論として私は、次の点を改めて強く指摘しておきたい。すなわち、私がいま問題としているのは奇跡が本当にあるのか、近代スピリチュアリズムが事実に基づいているか、それとも妄想かといったことでは決してなく、ただ単にこれまで奇跡についての決定的な説とされてきたものが本当にそれだけの価値を有するものであるか否かということにすぎない。

もしも私の論説によって、従来これ以上のせんさくを必要としないほど完ぺきに奇跡の問題を解決しているとされてきた説が全て間違っていることを明らかにできたとすれば – 私自身はできたと自負しているが – これよりその奇跡の証拠を出していく地ならしができたことになる。

いやしくも真理を知りたいと思う真面目な人間ならば、まさか“奇跡はいかなる量の証拠をもってしても証明不可能である”などという、さきの言い分によって奇跡の本質と資料の検討を避けようとはしないであろう。

今や、これまでの“嘲笑的かつ無調査の懐疑的態度”から非独断的かつ理知的態度へと変わるべき時代にきている。そうしないかぎり人間は宇宙の新しいエネルギーとその行使者の発見を制限し、他の人間の観察が正しいか否かを“調査もせずに”独断で決定してしまうという愚行を犯し、歴史に情ない汚点を残すことになるであろう。

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第2部 超自然現象の科学的検討

1 序論

これより私は奇跡または超自然現象と呼ばれ、従って一般に信じられないものとされている諸現象に関する証言を幾つか取り挙げていくが、それに先立ってまず奇跡とは何かということ、及び奇跡として不信の目で見られているものの多くが自然法則を超越するという意味で、決して奇跡的なのではないことを立証するための一般的考察を試みる。もしも奇跡を自然法則から逸脱したものとするならば、私自ら徹底した懐疑論者として奇跡を真っ向から排斥するところである。

ところで読者の中にはこれから紹介する不思議な現象を私自身も見たことがあるのかといぶかられる方もいるであろう。お答えしよう。私も同じ種類の現象を実際に目撃しているし、少なくとも私自身はその真実性を得心している。従って私が見たもの以上に更に驚異的な現象を目撃した人々の証言を拒絶する権利はないと思うわけである。

およそ目新しいもの、不思議なことは最初は“奇跡”として扱われ、まともに信じてもらえないのが通例である。それまで発見された自然法則にそぐわないからである。が同種の現象が10も20もそろえば、そこにおのずと小規模ながら1つの“自然の秩序”が構成される。

それでもなお信じてもらえないかもしれないが、もはや“奇跡”とは見なされなくなる。私の知る何千もの驚異的現象 – そのうちのほんのわずかだけこれから紹介するわけだが – についても同じことがいえる。そのうちの1つあるいは2つでも真実であることが証明されれば、残りの全てについても“有り得ないこと”だの“自然法則の逆転”だのといういいがかりは全てご破算となる。

真実を知りたい方は私が次に紹介する書物を丹念に読み、そのうえで果たしてその中に紹介されている事実の全てが詐術だの迷想だのということで片づけられるかどうかを判断していただきたい。そしてそのうちの1つでも2つでも真実であれば、残りも頭から否定することはできないことを肝に銘じていただきたい。

1、 Reichenbach: Researches on Magnetism, Electricity, Heat, Light, etc., inrelations to the vital force. Translated by Dr. Gregory.

2、 Dr. Gregory: Letters on Animal Magnetism.

3、 R. D. Owen: Footfalls on the Boundary of Another World.

4、 Professor Hare: Experimental Investigation of Spirit Manifestations.

5、 D. D. Home: Incidents of my Life.

次に本書の中でこれら諸現象の実在を確信している人として引用した氏名を列挙(リスト)しておく。この人たちが“正直な”人々であることは認めてもよいと思う。従ってこの人々が繰り返し目撃したと証言している現象が万一実在しないと仮定したならば、彼らが実在を信じているという“疑うべからざる事実”をどう解釈すべきか、読者にお聞きしたいところである。

私であれば、この著名な人々はそろってばかか気違いであったとしか証明しようがないが、それは、事実の観察能力と真偽の判断力を具えた正常な人間であると信じること以上に私には困難なことである。いやしくも良識を備えた人間ならば、世間の人々がばかげたこと、信じられないこととみているものを自分はみたと宣言するのは無論のこと、自分は決してだまされてはいないことを道義的にも確信する、と主張することは軽々しくできるものではなかろう。

リスト

1、Professor A. De Morgan 数学者・論理学者

2、Professor Challis 天文学者

3、Professor William Gregory 化学者

4、Professor Robert Hare 化学者

5、Professor Herbert Mayo 生理学者

6、Mr. Rutter 化学者

7、Dr. Elliotson 生理学者

8、Dr. Haddock 医師

9、Dr. Gully 医師

10、Judge Edmonds 弁護士

11、Lord Lyndhurst 弁護士

12、Charles Bray 思想作家

13、Archbishop Whately 牧師

14、Rev. W. Kerr 牧師

15、Hon. Col. E. B. Wilbraham 軍人

16、Capt. R. F. Burton 軍人

17、Nassau E. Senior 政治経済学者

18、W. M. Thackeray 作家

19、T. A. Trollope 作家

20、R. D. Owen 作家・外交官

21、W. Howitt 作家

22、S. C. Hall 作家

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2 奇跡と近代科学

“奇跡”とは一般に自然法則の無視または断絶を意味する。自然科学がこれまでに発見した法則は人間的努力の最高の結晶ともいうべきものであるから、哲学者ヒュームは、いかなる証拠をもってしても奇跡の存在を立証することは不可能であると断言した。ドイツの哲学者シュトラウスも同じ論拠すなわち、過去18世紀間の科学の歴史を通じて自然法則が覆された例は1つもないとの見解のもとに丹念な説を立てた。

そのこと自体は人間の経験が一致して支持する不変の事実である。現代科学はこれをもっと広い根拠に立って主張している。すなわち自然法則はことごとく相関関係にあり、それのみの存在というのは有り得ない。

従って物質はもちろんのこと、エネルギーや運動が新たに創造されたり完全に消滅してしまうようなことは有り得ないというのである。英国の物理学者チンダル教授 Jhon Tyndall も The Constitution of the Universe(宇宙の構造)と題する論文の中で

「奇跡とは厳密にいうとエネルギー不滅の法則の侵犯である。従って物質を新たに創造したり消滅させたりする現象は奇跡と見なしてよい。同様にエネルギーの創造も消滅も不滅の原理からすれば奇跡である。」

と述べている。また、かの世界的歴史家レッキーも大著「合理主義精神の歴史」History of the Rise and Influence of the Spirit of Rationalism in Europe の中で、過去2、3世紀間に神学的な考え方に替わって自然科学的な考え方が歴史、政治、科学等の分野で次第に強くなってきたと述べている。

過去30年間(19世紀半ば)の物質科学上の諸発見がその傾向に拍車をかけ、いやしくも教育を受けた者は宇宙が絶対不変の法則によって支配されていること、あらゆる現象がその法則下に帰せられること、つまりその法則に違反するような現象は有り得ないことを確信するようになった。

従ってもし奇跡が自然法則に違反するものだとすれば、当然現代科学には奇跡の存在を認める余地は無いことになる。宗教上の記録や歴史にみられる、超自然的行為者の存在なくしては起こり得ないと思われる現象を説明せんとして各方面の人間によるさまざまな説が出てきたのも当然すぎるほど当然な成り行きであった。

が、奇跡を説明することは容易ではない。皮肉なことに、奇跡的現象の証拠や証言だけはいつの時代にも実に豊富である。ごく最近までは奇跡というものの存在を信じる風潮も一般的であった。そしてはっきり断言できることは、一般的立場から奇跡を頭から否定する人で実際にその事実を究明しようと努力した者はほとんど皆無に等しいということである。

が、この問題には今深入りすまい。というのも、私には問題が問題だけに、多かれ少なかれ表現上の食い違いや誤解によって問題の根本が取り違えられているように思えるし、いわゆる奇跡として昔から言い伝えられている現象については、そういった考え方のもつれの多くを解く合理的な原理法則があるのではないかと思うのである。

その誤解の1つに、奇跡を否定する時に自然法則の“無視”であるとか“違反”であるとか“侵犯”であるとかの定義それ自体があるように思われる。この定義ではこれから出すべき結論を先に決めてかかっている。

自然法則である以上は自然界に起こる現象の全てに通じるものでなければならないはずで、従って奇跡的と思われる現象もやはり自然法則に従って生じているとみるべきである。従って“超自然的”などという用語はそれ自体ナンセンスであるし、“奇跡”という用語自体も、仮りに使用するとしても、その意味を根本的に改めなくてはならない。

他の分野の場合なら十分すぎるほどの証拠を前にしながら、ただそれが今まで知られた法則の範ちゅうに属さないからという理由で認めようとしない態度は、まるで全ての自然法則を知り尽くし、あらゆる現象の存否があらかじめ自分で決定できることを宣言しているようなもので、高慢このうえないと言わねばなるまい。

自然科学の発達の歴史をみてもわかるように、ある時代には“驚異”と見られたことが次の時代には当たり前の自然現象となるといったことを繰り返してきているのである。つまり一時は奇跡と思われたことも、実はその後に発見された自然法則によっていることを知りつつ、今日に至っているのである。

今日、一般にはごく当たり前と思われている現象にも、無知もうまいな人種にとっては正に奇跡と思えるであろう現象はいくらもある。氷や雪は熱帯地方の人種にとっては“超自然現象”であろう。気球の上昇も、その原因が理解できない人にとってはやはり超自然現象であろう。

かりに空気より軽い物質がまだ発見されていないとして、もし哲学者や化学者も含めた全ての人間が自然界で1ばん軽い物質は空気であるという固定観念を抱いていたら、気球が上昇するのを見たという人の証言はだれにも信じてもらえないであろう。

そして恐らくその理由としては“空気よりも重いものが引力に逆らって大気中を上昇することは自然法則に反することである”といったような言葉が聞かれるに相違ない。

もし100年前に電報というものがどんな遠いところでも一瞬のうちに届くとか、1秒で写真が撮れるなどと言ったら恐らく物笑いにされたろうし、信じるのは無知な人間か迷信かぶれした人間に限られていたはずである。

もっとさかのぼって500年前であれば望遠鏡や顕微鏡は奇跡と思われたであろうし、その話を当時の中国や日本へ行って聞かせても決して信じてはもらえなかったであろう。

であるから、現在たとえばしゃく熱の鉄鉱溶液の中に手を突っ込んでも平気な人がいると言ったら、とんでもないことだと目をむく人がいても無理からぬことなのである。まさしく自然法則に反するように見えるからであり、それを信じる信じないはせんずるところ先入観の問題であって、証拠のあるなしや内容価値の問題ではないのである。

19世紀半ばごろ外科手術に催眠術を施したら全く痛みを感じなかったという結果が発表されたときも、科学者や医学者によって頭から否定され、当の外科医と患者がペテン師扱いを受けたものである。

それが自然法則に反することと信じられたからであるが、現在では催眠術の効用はほとんど常識といってよいほど普及している。そういう結果をもたらすところのなんらかの未知の法則があるに違いないのである。

フランスの科学者カステレ Castellet がかの有名な科学者のレオミュール Reaumur に未交尾雌の産んだ卵から完全な蚕が生まれたと報告したとき、レオミュールは“無から有は生じない”という返事を送りその事実を信じなかった。

当時の確立された自然法則の1つに違反するからであったが、今ではカステレが報告した事実はだれ1人疑うことのない真実として認められており、当時絶対と思われた法則の方が絶対でなくなっているのである。

以上の2、3の例によっても、いわゆる奇跡としてかつて騒がれたものも、実は未知の法則だったかも知れないと理解することができる。われわれはまだ神経とは何か、生命力とは何か、それがどう作用し、どの程度まで人から人へと伝達されるかについてほとんど無知であることを考えれば、いわゆる奇跡的治癒とか超感覚的知覚とかの現象は絶対に有り得ないなどと断言することは軽率このうえないというべきであろう。

自然なものがいつしか奇跡とされ、また、われわれの信念というものがいかに簡単に先入観によって左右されるものであるかは、次の2つの事実がよく物語っている。

その1つは医学紙 London Medical Times に載った話であるが、コレラで死亡した患者が最前まで使用していたベッドにそのことを内証にして4人の健康なロシア人を寝かせてみたら、4人とも別に異常はみせなかった。

ところが、こんどはコレラ患者の寝ていたベッドに寝ていただきますと告げておいて実際には清潔なベッドに寝かせてみたところ、そのうちの3人が本当にコレラにかかり、“4時間もしないうちに死亡してしまった”、というのである。

もう1つは200年ほど前の話で、当時グレートラック Valentine Greatrak という心霊治療家がいて、手で軽くたたくだけで患者を治していた。それを実際に観察したディーン博士 Dr. R. Dean の記録には次のように出ている。

「私は3週間にわたって彼と起居を共にし、延べにして恐らく1000人はいたと思われる患者を手だけで治療するのを観察した。そして確かに普通では考えられないことを見せつけられたが、それは決して奇跡ではないことを知った。

現実に私の目の前で耳の聞こえなかった人がたった1回の治療で聞こえるようになったし、何か月も苦しみ続けた痛みが2、3回で取れてしまう。障害物や詰まったものなども簡単に取り除かれるし、胸部のガン性の結節も立ちどころに消えてしまった。」他にも細かい貴重な資料があるが、ここでは割愛する。

さてこの2つの話のうち、前のコレラの話はだれもがいちおう信じてくれる。少なくとも否定する人はいないが、あとの心霊治療の話はまず信じてもらえそうにない。

そして恐らくコレラの話は“気のせい”だとされ、心霊治療の方は奇跡とされるであろう。しかし厳然たる身体的現象を気のせいにするのは、単に事実を述べそこに働いている原因や法則についての完全なる無知を隠すことであって、なんの解決にもならない。

また一方、身体を手でさすっただけで治すという事実は、無数といってもよいほどの実例が厳然として存在する以上、これを頭から否定せんとするのは行き過ぎである。現在のところ精神と肉体との相関関係の原理というべきものは全然といってよいほど明らかにされていないからである。

が、そう言うと、その程度の説明で済むのは奇跡の中でも至って重要性の乏しいものに限られていると反論する人がいるであろう。たとえば多くの場合ただの物体が物すごい力を出したり、動いたり、原因もなく突如として重量が増したり、あるいは全くこの世にあるはずもないものが出現したとか、大自然の秩序ある進行が突如阻止されたといったことである。

こうした物理的な心霊現象に共通していえる特徴は、一般に本人がそういう奇跡的な力をもっていると単純に考えられている人とはまったく別の、外部の目に見えない異質の力と知能とが働いているらしく見えることである。

そのいちばんいい例が、多勢の観察者の目前で物体が部屋中を飛び回る現象で、細かく観察していると、放り投げられたように舞い上がり、たたきつけられるような勢いで落下して、床の上には音を立てずにそっと降りる。

昔の魔法使いの話にも同じような現象が語られているが、どう考えても目に見えない何者かが“操っている”としか思えない。これに現代科学によって合理的な解釈を施さんとすれば、その物体を操っている目に見えない知的存在を仮定しなくてはならない。

この仮定つまりわれわれのまわりに五感では感知できない知的存在がいて、ある条件のもとで物体に働きかけることができるという考えは、ある人にとっては狂気の沙汰のように思えるかもしれないし、そうまで思わなくても、それを受け入れるのをちゅうちょする人はさらに多いことであろう。

がしかし、いやしくも近年における自然科学の諸発見や学説に通じた人ならば、その可能性自体を否定することはできないであろう。というのは、目に見えぬ知的存在の仮定のもつ困難さは、現代科学が奇跡を絶対不変と断定している大自然法則への違反と定義した際の、その奇跡の存在の仮定の困難さとは本質的に異なる問題なのである。

ただのゼラチン状の塊りにすぎない原生動物が普通の動物と同じような生活を営んでいることが発見された。常識で考えると動物的生活を営むにはそれなりの器官が無くてはならないはずであるが、だからといって、その事実をもってすぐに自然法則に反するとは言えないように、人間の五感に感知できない知覚をもつ存在があっても、別に自然法則に違反することにはならないであろう。

そうした超人的知的存在がもし証明されれば、それはいかにわれらの五感が宇宙の限られた部分しか感識していないかを示す新たな、そしてより強力な証拠を提供するにすぎない。

私の想像では超自然現象についてあくまで懐疑的だったヒュームやシュトラウスが今かりにこの霊魂説を提示されたとしても、少なくともその可能性を頭から否定することだけは避けたであろう。そして恐らく2人とも次のような見解を述べるに相違ない。

“そうした問題について吾人はまだ十分といえる証拠を手にしていない。常識から言ってその種の存在形態はおよそ想像の及ばぬところである。常識ある人々のほとんどがそうした目に見えぬ存在に気づくことなく日々の生活を営んでいる。信じているのは概して無知もうまいな人種か迷信深い人に限られている。哲学者たるわれわれとしてはその説を頭から否定するわけにはいかぬが、明確にして満足のいく説明が得られるまでは事実として受け入れるわけにはいかない”と。

ところで仮にそうした目に見えぬ存在が実際にいるとしても、それは形のない希薄なものではないかと想像されるであろう。そしてそれがどうして重い物体に働きかけたり記録に見られるごとき奇跡的現象を起こしたりするはずがあるかと疑問に思うであろう。そういう人には次の事実を指摘しておきたい。

現代の自然科学の説くところによると、巨大な宇宙のエネルギー現象は限りなく精妙な物質の粒子の波動であり、千変万化の自然現象もその波動現象にすぎないという。それからまた、目に見えない光とか熱、電気および磁気、あるいは恐らく活力や引力までも、元はといえば宇宙にびまんするところのエーテルの波動にすぎないという。

従って春夏秋冬の移り変わりも、その折々の自然の美しさも、たった1つのエネルギーの“変化”にすぎないわけである。地球はその当初から限りない変化を繰り返してきている。

山が平野となり川となり、あるいは逆に平野が隆起して山となり谷を造ったが、そのエネルギーの根源はどこにあるかといえば、太陽のエネルギーに動かされたエーテルの現象である。

地中深く埋もれた鉱脈にしても輝く鉱石にしても同じエーテル現象である事実には変わりない。地上を美しく飾る野山の緑も小道の花も、太陽の熱と光という名の波動から生命と生長をうけている。

一方、脳というバッテリーをもち、神経組織という配線を備えた動物、さらにその上に“知性”を併せもつ人間も、おそらく同じエーテルの波動現象の1つにすぎないのであって、ただ驚異的な複雑さをもっている点が他の創造物と異なるだけである。

物体を動かす目に見えぬ力の例ならば自然界に幾つか発見できる。磁力などはその1つである。接触や衝激、そのほか人間が想像しうるかぎりの外部からの影響力もなく、しかも引力の法則も慣性の法則も無視して金属を持ち上げたり動かしたりする。

また稲妻は一撃のもとに大木を八つ裂きにしてしまうし、人間や動物も傷1つ負わせずに殺してしまうこともできる。こうしたことは現象という“目に見える結果”によってのみ、それを生ぜしめた“目に見えぬ力”の存在を知るのであって、その力そのものを実際に“見届けた人”はいないのである。

われわれの身のまわりにすらこれだけのものが存在する以上、もしエーテル的本性とでも言うべきものを具えた知的存在がいるとすれば、彼らが地上の全てのエネルギー、全ての運動、全ての生命の源泉であるエーテル的エネルギーを使用していないと断定する根拠はどこにもない。

なんといっても人間の感覚と知能は限られており、無限のエネルギー現象のうちでも熱とか光、電気、引力といった、はっきりとした物理反応を示すものしか感知できないし、その原理のすべてに通じているわけではない。故に、そうした基本的要素以外には何も存在しないなどと主張できる者は一人もいないはずである。

生まれつき目の不自由な人に“見える”という言葉の意味はわからない。まして“光”というものの存在、あるいはその光が織りなす大自然の美しさは到底理解しようもないのである。

仮りに人間に視力というものが無かったと仮定した場合、恐らく大自然についての人間の知識は現在の1000分の1にも満たなかったであろうし、そうなると、その1000分の1ほどの知識から作り上げる宇宙観あるいは人間観は恐ろしくゆがんだものとなっていたに相違ない。道徳観は想像もできないほど低俗となっていたであろう。人間の尊厳などどこにもなく、万物の霊長だなどと威張ることもできなかったであろう。

触覚や聴覚の世界に勝る視覚の世界が存在するように、その五感のすべてを超越した別個の感覚の世界が存在するということも考えられるし、多分存在するであろう。次の項ではいわゆる超自然的世界に関する最近の研究成果を検討してみたい。

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3 自然現象としてみた現代の奇跡

多くの知識人、中でも現代科学に通じた人が奇跡について強硬に主張する説に、仮りに心霊現象のような奇跡が実在するとすればそれは“神”の直接の仕業である、というのがある。

しかしその仕業を検討してみるに、その本質はおよそ教養ある人間には無限絶対の存在の直接の働きかけに帰するわけにはいかないものが多い。史上有名な奇跡にも神の仕業とするにふさわしいものはほとんど見当たらない。

しかも科学者こそ宇宙の絶対的精神に帰すべき属性について高まいにして近づき難き概念を最も形成しやすい立場にあるはずなのに、不思議なことに科学者はその難題の解決に際し、その神の仕業とする説を、奇跡の解釈の仕方に対する反論としてではなしに、奇跡が発生したこと自体を否定する根拠として打ち出すという非論理的な態度をとっているのがほとんどなのである。

中にはそれをさらに進めて、そうした奇跡を起こさせるのは程度の高い存在に相違ないという、同じく根拠のない説を出す学者もおり、従ってもしも現象がその高い存在の尊厳にそぐわない時は、検討することなしに事実そのものを否定してしまうのである。

そうした説を出す人の中にも、人間の精神はたぶん死とともに無に帰することはないと考え、従って無数の人間がひっきりなしに別の存在形式の世界へ移動していることは認める – ただしその者たちは精神的転換の奇跡でも起きないかぎり今の自分たちより低級な存在であるに相違ないと考える人が少なくない。

それ故、心霊現象が超人的知的存在によって演出されているという事実に対する彼らの反論には、現象そのものが一見たわいなく無意味であるために、問題の論理的解決に役立つ要素はまるでない。

超人的存在のすべてが平均的な人間より知的であるとの仮定はまったく根拠はなく、従って事実を否定する力はない。それはガリレオが木星にも衛星があると発表したとき、否定論者たちは“天体の数が7個を超えることは有り得ない。なぜなら「7」は完全数だからである”という理屈を立てたのと同類である。

ではこれよりその超人的知的存在の本質と能力について考察しようと思う。その存在こそ、私がこの時点で実証せんとするものなのである。

“まえがき”の中で私は宇宙には人間の五感では感知できない別種の(たぶん無限の)物的形態ならびにエーテル的運動様式があるかもしれないしその可能性は十分あるといった趣旨のことを述べ、その合理性を幾つかの理由を並べて説明した。

もしそれが事実であるとすれば、当然そうしたエーテル的存在にも意念を送信および受信するためのなんらかの感覚機能が備わっていることが想像される。

この無限の宇宙にはいろんな種類の感覚の存在が想像される。それはほとんど無限といってよいであろう。そしてその各々はちょうど視覚と聴覚とが異なるように、機能がまるで違っていることであろう。

そしてこれまで視覚がなかったところへ新たに視覚が加わったと仮定した場合に想像されるように、知識の範囲と知能の発達が飛躍的に伸びることであろう。

エーテル的存在であるからには(そういうものが存在するといちおう仮定して)、そうした超感覚的能力が一つあるいはそれ以上に備わっていて、宇宙の構造についても一段と深い洞察力をもち、それに応じて特殊な目的のために使用できる新たな作用形式を操るに必要な知力を備えていることであろう。その能力はエーテルの作用形式に適用したものとなっていることであろう。

もしかしたら彼らの動きは電気か光ほどの素早さをもっているかもしれない。その視力は望遠鏡も顕微鏡も及ばないかもしれない。あるいは人間が近代に至ってやっと発明した分光器のようなものが先天的に備わっていて、動物や植物、あるいは天の星までもわけなく観測しているかもしれない。

そうしたわれわれ人間に想像できない能力をもつものが実際に存在していても、それは限られた不正確な意味で用いた場合を除いては“超自然的”な存在ではない。そしてまた、ある条件下においてわれわれ人間に見える形で見えた場合でも、それをヒュームやチンダルが定義づけた意味での“奇跡”として扱うべき性質のものでもない。

つまり“自然法則を破壊するもの”では決してないし、“エネルギー不減の法則を犯すもの”でもない。新たに物質やエネルギーが原因もなく発生したり消滅したりするように見えるかもしれないが、それはわれわれ人間の目にそう見えるにすぎない。

無限の宇宙では、その物質とエネルギーの貯蔵庫も無限であるに相違ない。その限りないエーテルの貯蔵庫のエネルギーの一部を利用し、それに人間の身体から抽出すると思われるある種の物質を巧みに活用して、一見“創造”のように見える現象を演出したとしても別段驚くには当たらない。

それはちょうど何百万トンという海水がひっきりなしに大気中へ蒸発している事実と同じで、それが太陽の仕業であることがわかったのはやっと最近のことである。まだそのほかにも宇宙のぼく大さの中に見失われている原因と間接的につながっていることであろう。

が、いかなる原因が明らかにされようと、自然現象であるという事実には変わりはない。大自然の法則はあくまでも絶対である。われわれはある科学者の“未知なるものを究めるには五感という道具はあまりにもお粗末すぎる”という言葉を肝に銘じ、さらにまた、シェークスピアの“天地の間にはまだまだ人間の想像の及ばぬことが幾らでもある”という名セリフの深い意味を改めて味わうべきである。

さて、以上のような私の見解を首肯していただければ、五感で感知できない、人間以外の、あるいは人間以上の知的存在がどこかにいて、ある条件のもとで物質に働きかけることができるという説にいささかも矛盾どう着はなく、決して想像の及ばぬことでもないことがわかっていただけると思う。

中には実際の証拠がないという理由でその可能性を否定する人もいるであろう。が証拠はあるのである。それを直接観察すれば、いかに疑い深い人でも認めざるを得ないであろう。

これも調査研究の対象の1つにすぎないのであって、他の分野と同じように追試をする必要がある。また異常現象を収集し検討する必要もある。その場合でも、観察者あるいは体験者の教養の程度、観察眼の正確さ、信用性といったことを考慮せずに頭から信用するわけにはいかない。

少なくともそのうちの幾つかは慎重な追試をしてみる必要がある。そうした徹底した科学的態度で臨んではじめて誤りの全ての要素が排除されるのであり、重大な事実が真理として初めて認められるのである。

これより私は果たしてそれだけの厳しい科学的検討をうけた証拠があるのかどうか、また本当に真理の唯一の方法 – 実験と観察によって証明が得られるものなのかどうかを考察してみたいと思う。

証明可能な事実の1つは、近年いわゆる物質科学がめざましい進歩を遂げ、合理主義精神によって奇跡的ないし超自然的現象が疑問視される風潮の中で、例のフォックス家の現象をきっかけとして、それまで非常に可能性の乏しかった霊的存在を信じる人が次第に増えてきているという事実である。

その信奉者たちに共通していえることは、必ずなんらかの実際上の証拠ないし体験を手にしていること、そしてその大半は以前はそれを否定する見解と先入観を抱いていたということである。

つまりそれまでは唯物思想に凝り固まり、肉眼に映じない知的存在などは思いもよらず、まして自分が死後も今の個性をそのまま保持して生き続けるなどという考えを受けいれる余地は、彼らの思想構造の中には一片もなかったのである。

今現在そうした人の数は合衆国だけで300万人を数え、英国でも何万人もいる。そしてそのうちの多くが断続的に家庭交霊会を催しては新たな証拠を手にしている。

その当然の成り行きとして、その種の問題を扱う心霊雑誌がロンドンだけで6種類、ヨーロッパで数種類、そして合衆国ではさらに多くのものが出版されている。その読者層をみると決して教養のない“迷信ぶかい人”ばかりではない。むしろその大半は教養も地位もあるインテリなのである。文学者や科学者も多い。

その立場上いろいろと非難や中傷をうけながらもそれを物ともせず、真理探求者としての姿勢を絶対に崩さない。その言動に一片の異常も見られない。そしてその信じるところはいかなる宗派にも偏っていない。逆にあらゆる宗教の人がなんの違和感も抱くこともなく同居している。

かつては徹底した懐疑論者だった人、あるいは無神論者であった人も少なくない。その人たちが、厳然とした証拠を前にしては、しぶしぶながらも降参せざるを得なかったと口をそろえて述懐しているのである。

人間精神の全歴史を通じて1つの特徴的現象が見られる。それは、過去の似通った超自然児の実態を検討してみると、やはりその原因となるべき幼児時代の教育と同時に、奇跡と超自然現象の可能性と実際の現象の発生に関して、ほとんど普遍的ともいえる信仰が潜在していたということである。

それが物質科学の進歩とともに次第に懐疑的となり、ついに科学万能の今日では教養ある階層、とくに医学者と科学者が否定派の最右翼となっている。そうした傾向の中にあって私が特筆大書に値するとみている事実がある。

それは例のフォックス家事件をきっかけとして人間の死後存続に関する信仰が復活してから今日に至るまで、詐欺だのペテンだの自己暗示だのといった非難を数多く受けながらも、一応心霊現象をまともに研究した者は必ずその真実性を認め、そして一たんそう認めた者があとになってそれを翻した例が1つもないということである。

いわゆる霊媒も今日では何万何十万と数えられるであろうが、そのうちの1人として正真正銘の詐欺罪に問われた者はいない。また霊媒としての報酬を受け取る人の数は少ない。

よく考えてみると、これだけ世間から騒がれる仕事なら手品や腹話術を適当に使って、いっそのこと大きな商売でもやれそうなものである。うまくやれば新宗教でも興してその教祖にでもおさまれるかもしれない。ところがこれまでだれ1人としてやろうとしない。こんなにもうかる商売はないと思われるのだが。

次に、近代の哲学が、何よりも一致して説いていることを1つ挙げるとすれば、それは、自然現象ないしは自然法則に関して、人間は“先験的知識”は何1つもちあわせないということである。

たとえば何人かの目撃者によって支持されているある事実を有り得ぬことと断定し、それを確認すべきチャンスがあるにもかかわらず故意にそれを拒否することは、それに関して先験的知識をもちあわせていることを宣言するに等しい。

かつてある科学者がその絶対的タブーを犯してこう述べた。「物理化学上の原理法則にかかわる問題を扱うに際してわれわれは“有り得ること”と“有り得ないこと”とを前もってより分けてかかる必要がある」と。この人は人間の常識的判断がいかに頼りないものであるかを十分認識していなかったために、こんな科学者として恥ずべき言説を吐いてしまったのである。

常識で判断して絶対に有り得ないと思われたことが実際には有り得た例はいくらでもある。その昔ピサの斜塔から重さの違う2つの物体を同時に落としたらどっちが先に地面に着くかということが問題となった。常識で考えれば重い方が先に落下するにきまっている。現に当時の学者も皆そう思い込んだ。

ところが実際には2つが同時に落下した。五感による常識的判断というのはこの程度のものなのである。これを知ったガリレオは「私は判断力の養成ということをおろそかにしていたが、それと同時に自分の判断力の頼りなさについての自覚が足りなかった」と述べた。

科学者が絶対に有り得ないと断定する事実を疑問の余地のない条件下で繰り返し目撃しながら、なおかつ、唯一考えられる手段すなわち公平無私の態度で調査研究することを渋る人間は、現代にも地動説のガリレオとその敵対者の関係と似たようなケースがあることを証言しているようなものである。

はたしてそうした現象が単なる幻覚なのか詐術なのか、それともわれわれはまさに19世紀最大の驚異的かつ重大な発見をしたのか、その判断を読者自身にゆだねるために、私は次項で数人の証人を用意した。性急な結論を出す前にその証言をじっくりと検討していただきたいのである。

主として科学畑と芸術畑と文学畑とから紹介するが、その知性と誠実さはまず嫌疑の余地のない人ばかりである。そして特に主張しておきたいことは、特殊な事実に関する直接の証言に対しては一般論的な反論は何の意味もなさないということである。

そうした事実の多くは、それが実際に起きたと信じるか、それとも無目的の故意の虚言と決めつけるか、そのいずれかを選択するといった余裕を与えないほど絶対的な意義をもつものだからである。

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4 ライヘンバッハ線と透視能力

(1) ライヘンバッハ氏の研究

これから私は、もしも事実であれば超人間的知的存在の仕業としか考えようのない現象を実際に目撃した人々の証言を紹介するのであるが、その前に、人間の有する不可思議な能力に関する一連の観察事実を見ておく必要があるように思う。

その事実は帰するところある種の人間に特殊な感覚能力が備わっていて、それが時には五感と同じ働きをして自然界に新しいエネルギーを発見し、またあるときは五感的能力では説明のつかない作用の仕方をし、結局は人間にいわゆる超能力と呼ばれる心霊能力があって、肉体をもたない知的存在がそれを利用して演出していると考えられることを示唆しているのである。

さて最初に説明しなければならないのは、人間が1人の例外なく一種の磁気を所有していることで、最初の研究者であるライヘンバッハ氏 Baron Reichenbach はこれをオッド od-force と呼んでいた。かつてエジンバラ大学で化学の教授をしていたグレゴリー博士の英訳を参照しながらこれを説明していきたい。

そもそもライヘンバッハ氏がこの磁力を発見するに至る端緒となったのは、神経過敏症のような異常な神経症状を訴える患者に磁石や水晶を握らせたところ異様な反応を示し、暗室で行うと発光性の放射線が見られることを突きとめたことに始まる。

その後、健康で知的にもすぐれた人でも同じ反応を示すことを知った。ライヘンバッハ氏が実験した人の中から目ぼしい氏名を拾ってみた。

Dr. Endlicher 植物学教授。ウィーン植物園長。

Dr. Nied ウィーンの開業医。

Mr. W. Hochstetter 世界的地質学者 F. Hochstetter の息子。

Mr. T. Kotshy 牧師。植物学者。旅行家。

Dr. Huss スェーデン王侍医。臨床医学教授。

Dr. Ragsky ウィーンの化学教授。

Mr. C. Delhez ウィーン在住のフランス人言語学者。

Mr. E. Pauer ウィーンの枢機卿会議員。

Mr. G. Auschnetz ウィーンの画家。

Baron von Oberlaender チェコの山林管理人。

こうした人々が自分が手を触れた磁石から光や炎が発するのを実際に観察し、その大きさ、形、色、両極の強度、さらには幾つかの磁石を組み替えたり、レンズによってできる像を使用したりしていろいろと条件を変えたときの変化の様子を細かく記録したのである。

なお、実験に先立って異常神経患者について調べた実験結果を参考までに見せたところ全く信じられない様子であったのが、実験が終わって両方の記録を対照してみたら全く同一の結果が得られていたのである。

右の10人の他にウィーンの王立博物学院幹事 Dr. Deising とクラーゲンフルトの法延弁護士 H. von Rainer も発光現象は見られなかったが、磁石と水晶によって各種の知覚作用に極の鋭敏さを見せている。この他には年齢や職業、男女の別なく50人を選んで実験して全く同じ結果を得ている。

ところが前の12人の詳しい実験報告が医学の機関誌 British and Foreign Medico-Chirurgical Review に発表されたとき、ことごとく主観的幻影にすぎないとして、真っ向から否定されたのである。

その理由というのが、催眠術にかけられた患者は磁石を使用してもしなくても暗示によって“光”を見るから、というのであるが、これは私に言わせれば、催眠術でもライオンを見せることができるから、リビングストンがアフリカでライオンを見たというのはうそである、幻影であろう、というのと同じで、これほどナンセンスな理屈はない。

またライヘンバッハ氏は生理学者ではないとか十分な追試がなされていないといったことが反論の中に見られるが、そんな言いがかりは本当に追試をしていないことが証明されないかぎり – 実際には繰り返し追試していることは報告書で明らかなのである – し報告された膨大な証拠資料の前にまるで影はない。

一片の反証もないし、これだけの報告を拒否するのは近代科学の取るべき態度ではない。科学者がこうした態度に出るのは、そうした普通より高度な現象を不快に思う偏見があるからとしか考えようがない。現に、調査もせずに無視するというのが自然科学の教授達の共通した態度なのである。

またこの反論はライヘンバッハ氏の説は電磁石の使用によって否定された被実験者は電気が通じているか否かもわからなかった、と述べているが、いったいその実験の詳細はどこに発表されているのであろうか。

何回追試したのであろうか。またいかなる条件下で行われたのであろうか。ライヘンバッハ氏は同じ実験を何度も行っているのに、たった一度だけそうだったからといって、それが氏の説にどう影響を及ぼすというのであろうか。

氏の報告書に“Prof. Endlicher は電磁石の両極の上に高さ40インチの炎がさまざまな色彩を見せながら揺れ動いているのが見え、それがひとすじの発光性の煙となり、天井へ向けて上昇し、その明かりで天井が照らし出された”という部分がある。この種の現象を氏は実に100の単位で数えるほど挙げているが、これなどにその反論はどう対処するのであろうか。

否定論者が最少限やるべきことは、ライヘンバッハ氏が実験した同じ被実験者を使って同じ条件下で追試してみることであろう。被実験者たちも科学のためなら喜んで応じるであろう。その結果もしもニセの磁石を使ってみても“暗示”によって炎その他の現象が見られることが確認されれば、氏の実験結果も疑わしいということになるであろう。

が、ただ否定論ばかりが並べられて、科学的業績の点ではその否定論者に優るとも劣らぬ学者の実験結果が1度の追試もされていないというのでは、これはもはや勝負あったりで、偏見のない人なら、ライヘンバッハ氏の研究が自然界の新たな、そして重要な現象の存在について膨大な一連の証拠を確立してくれたことを認めずにはおれないであろう。

その成果を英語に翻訳紹介したグレゴリー教授も、同じ英国のアッシュバーナー博士 Dr. Ashburner とともに実験の幾つかを追試して、その正しさを十分確かめたうえで翻訳に取りかかったということを銘記すべきである。

また同じく英国のラター氏 Mr. Rutter も独自の実験を行ってその成果を「磁気流と磁力検出器」と題して詳しく解説している。それによると各種金属、物質、人間の男女各々の手あるいは男女の書いた手紙がそれぞれ異なった反応を示し、ことに興味ぶかいのは、同じ物質を水で溶いてほんの一滴を被実験者の手の上に落としても検出器にはっきりと反応が出たことで、その場合どんな物質が溶けているかを被実験者が知る知らないは関係ない。

この実験を追試した Dr. King はデシリオン分の1グレインの珪土(けいど)、1兆分の1グレインのキューネでも反応が出ることを確かめている。(デシリオンは1の下にゼロが60個つく数。グレインは約0.0648グラム)

ラター氏が実験に際して周到な注意を払ったことは言うまでもないことで、氏と検出器との間に第3者を置いてみても結果は同じであった。磁石と水晶が強力な反応を示したこともライヘンバッハ氏の結果と同じであった。

が同時に、その成果が現代の科学者によって無視されている点も全く同じである。とくにラター氏の場合は数年にわたって追試の便宜を提供していたが、それも無駄に終わっている。

これに類する新たな能力で霊視能力に幾分似通った要素をもつものに、占い棒を使用する水鉱脈占い(ダウジング)があるが、この能力にまつわる有名な記録としてアイマー J. Aymar による殺人犯発見の話がある。

アイマー自身および彼を知る者はその能力を占い棒のせいにしていたが、本当は紛れもなくアイマーの身体的なものである。ベアリング・グールドの「中世の不思議な物語」Curious Myths of the Middle Ages by Baring Gould という本にその話が詳述されていて、それにかかわった人々の氏名も全部出ている。

実際に立会って報告書まで出した医学博士の M. Chauvin、リヨンの医学校の学部長 the Sieur Patuhot、それに初審裁判所検事による口述調書もある。

その経過をかいつまんで紹介すると、1692年7月5日にリヨンの葡萄酒店の夫婦が殺害されてその死体が地下室から発見された。金銭は全部奪われ、死体のわきに血痕(こん)の付いた“なた鎌”が発見されたが、犯人の手がかりとなるものは全く見当たらなかった。

捜査当局が途方に暮れていたとき、4年前に、全く嫌疑のなかった人物が窃盗犯であることを見事に当てたジャック・アイマーという男の話が係官の耳に入った。

さっそくそのアイマーを呼んで例の地下室へ連れていったところ、手にしていた占い棒が激しく振動し、アイマーの動悸(き)がまるで熱があるときのように激しくなった。やがてアイマーは地下室を出て、まるで猟犬のように臭いをかぎながら通りを進んだ。やがて大司教の公邸の庭を横切ってローヌ川の河口まで来た。そのころにはすでに夜になっていたので、そこで一たん打切った。

翌日3人の係官に付き添われて再び追跡を開始し、ローヌ川の土手を下ってある植木職人の田舎家に来た。アイマーはそこまでは犯人は3人いたが2人だけがこの家に入り、テーブルに向かって腰かけて1本のボトルを開けてワインを飲んだと述べた。

植木屋はだれも来なかったと断言したが、家族を1人1人調べたところ2人の子供がその犯人と接触していることが判明した。2人の子供はしぶしぶながら、日曜の朝のこと、2人だけだった時に2人の男がいきなり入ってきてテーブルに向かい、右に指摘したボトルからワインを飲んだと告げた。

アイマーはさらに追跡を続け、川を下って犯人が寝た場所と使用した椅子とベンチを発見した。さらに追跡するとサブロンの陸軍キャンプに来た。そして最後にボーケールまで来て、そこで2人は別れた。

アイマーはそのうちの1人を刑務所まで追跡し、14、5人の囚人の中からせむし男を犯人であると指摘した。その男は入所してわずか1時間ほどしか経っていなかった。最初は頑強に否定していたが、それまでたどった家々を連れて回ったところ、どの家でもこの男に間違いないと証言した。狼狽(ろうばい)した男はついに白状し、結局は死刑を執行されている。

その数日にわたる見事な実験の最中にアイマーは行政長官による別のテストも受けていた。例の血痕(こん)の付いたなた鎌のほかに3本の全く同型のなた鎌を用意し、4本を庭の4か所に埋め、アイマーを連れてきて占わせたところ、血痕の付いた鎌のところで激しく占い棒が振動し、他の3本のところでは全然振動しなかった。

そこで4本を掘り起こして改めて埋めなおし、そこの行政区の監督官みずからがアイマーに目隠しをして庭へ連れてきて占わせたところ、結果は同じであった。残りの2人の犯人もその後追跡させたが、2人ともフランスの国外へ逃亡していた。

さて、これだけの証拠を備えた事実ならだれしも正真正銘と認めるところであろう。調査は行政官、警察、および医師の監視のもとに行われ、その結果殺人犯が見つかり、その追跡はかつてブラッドハウンド(猟犬の一種)が逃亡者を追跡した以上の正確さをもって行われた。

にもかかわらず、ベアリング・グールドはアイマーを“ペテン師”と呼び、その“正体暴露と没落”を物語っている。一体何を根拠にこうしたひどい言葉を使用するのであろうか。

恐らく彼が根拠としているのは、のちにアイマーが各界の名士や学界の好奇心によってパリに呼ばれたときにすっかりその能力がなくなっていたということしか考えられない。そのときアイマーはどうやら完全に的はずれの印象を述べたか、それとも能力の欠如を覆い隠すためにあえてうそをついたか、そのいずれかであったようだ。

しかし、たとえそうだったとしても、それがいったいいまわれわれが扱っている問題とどうかかわりがあるのであろう。パリではあっさりと間違いであることが判明したこと、というよりは超能力らしきものはいっさい見られなかったという事実が、むしろさきに紹介した一連の実験にペテンが無かったこと、そして一度もしくじらずに見事に成功したということを証明しているのである。

もしもアイマーをペテン師と呼ぶのなら、あの事件にかかわった人全員がペテン師であったことを証明してから、あるいは殺人は行われなかった、あるいは犯人はついに発見されなかったことを明確にしてからにすべきである。が、ベアリング・グールドも、あるいは他のだれ1人としてそういう努力をしていない。

こうした事情にかんがみて、われわれは例の殺人事件は間違いなくアイマーによって、紹介した通りの方法によって解決されたこと、またアイマーが現代の霊視能力者の能力と多くの点で似通った、新しい能力をもっていた、と断定してよいと考える。

この一連の生体磁気 Animal Magnetism の問題は今なお科学者の間で異論がある。そしてその現象にはいわゆる超自然現象の範ちゅうには入らないまでも、それに極めて近いものが多いので、その中から2、3の例を挙げてみたいと思う。

(1) 透視能力

まず私は前にも紹介したグレゴリー博士の証言を引用してみたい。博士は長年にわたって独自にこの問題を調査し1851年に「生体磁気の研究」Letters on Animal Magnetism と題して出版した。

それよりは単純な現象である催眠現象や生物電気現象は今日では一般に認められている。もっとも認められるに至るまでには同じような否定論や非難あるいは根拠のない言いがかかりと闘わねばならなかったことを忘れてはならない。今それが透視現象や生体磁気に浴びせられているのである。

単純な現象を支持し実験し立証した人間がより高度な現象も支持実験し立証しているのに、単純な現象を否定した科学者はより高度な現象をも否定する。証拠というものは双方にとってそうまで価値が異なるものなのか、それとも同じものなのか、それをこれからみてみたいと思う。

グレゴリー博士は透視現象を幾つかの段階に分類している。それが1人の能力者に全部見られることもあれば、個々の能力者に別々に見られることもある。が大きく分けて次の2種類に分類できるようである。

すなわち1つは以心伝心的読心現象、もう1つは純粋の透視現象である。前者は相変わらず唯物的生理学者によって否定されてはいるものの、実例は圧倒的に多く、どこにでもころがっているので一々列挙して紙面を割くことはあえてしない。ここでは後者にしぼって検討してみたい。

その1つは医学博士のハドック氏 Dr. J. Haddock が研究しているエマ Emma という女性霊能者の話で、グレゴリー博士の著書403ページに次のように出ている。

「私がエジンバラに帰るとたびたびハドック博士と連絡を取り、筆跡や毛髪などを同封して、それがどんな人物のものかをエマに当てさせた。むろんその人物のことはハドック博士にも内証にしてのことであったが、エマの能力は実に正確で、1つの誤りもなく言い当てた。」

さらに405ページにはこんな話が出ている。ロンドンの1女性から准男爵のトレベリアン氏 Sir Walter Trevelyan のもとに1通の手紙が届き、大切な金時計が紛失したが何とか捜す当てはないものでしょうかという依頼が述べられていた。トレベリアン氏はさっそくその手紙をハドック博士のところへ送ってエマにさせるよう頼んだ。

事情を聞いたエマはまずその手紙の主の容姿を透視し、その住居と家具の様子まで詳しく述べ、続いて例の金時計(くさり付き)を霊視し、さらに現在それを所持している人まで霊視して、“この人は別に盗む意志はもっていないようです。なんでしたらこの方の筆跡を教えてさしあげます”と述べた。

そこでハドック博士が以上のことを当の女性に書き送ったところ、その正確さに驚き、金時計をいま所有しているという女性は実はうちで働いている2人のメイドのうちの1人だが、とても信じられない。2人の筆跡といっしょに数人の筆跡を送るから、その中から当ててみてほしいと依頼してきた。

依頼をうけたエマはすぐその中から1つを選び“この方は奥さんの金時計を拾ったのでいずれお返しするつもりでいるようです”と告げた。さっそくその事をトレベリアン氏が手紙で書き送ったのであるが、それと入れ違いに当の女性からの手紙が届き、“メイドが例の時計を返してくれました。拾ったと申しております”と記してあった。

さらに407ページにはトレベリアン氏がグレゴリー博士に送った資料として次のような実験結果が出ている。トレベリアン氏が英国地理学会に依頼して数人の外国人の筆跡を送ってもらい、そのうちの3つをエマに送ってどんな人物のものであるかを当てさせた。

むろん3人の外国人の名前その他一切はトレベリアン氏にも内証である。ところがエマはすぐに3人の国籍を告げ、うち2人の人物を正確に語り、さらに現在3人がそれぞれどの国のなんという町にいて時刻はこの国の時計で何時である、ということまで述べた。経度から計算してもぴたり正確であった。

同じように厳しくチェックされた例が数多く細かく紹介されているが、単純直接透視現象とでもいえそうな現象も数多く見られる。例えば実験を見に来る人が途中のどこか好きな店で、中に格言が印刷された用紙の入った“くるみ”を何十個か買ってくる。

それを袋の中に入れておき、透視家が1つずつ取り出して中の金言を読む。読んだあとすぐにその“くるみ”を割って確かめたところ何百もの格言が正確に読まれていた。中には98語もの長いのがあった。これに類する厳しいテストが博士及び他の著名人によって考案され試されている。

ところで、前出の Britishand Foreign Medico-Chirurgical Review に載った批評ではそうした実例は1つも紹介せず、言及すらされていないという事実がはたして信じていただけるであろうか。

博士の実験課題つまり生体磁気の一般的性質についての博士の言葉を2、3引用しているだけで、これでは博士の研究が科学的実験と観察の結果であることはとうてい読者にはわからない。つまり読者はつんぼ桟敷(さじき)に置かれているわけである。

さすがに博士をはじめとして、こうした事象を証言する人々を故意のうそつきとまではいっていないが、発表されたものはみな紛れもない事実ばかりである以上、それを否定することはうそだと決めてかかっているのと同じことである。実は真実性を認めながらも暗黙のうちに否定しているのか、それとも記録をまったく読んでいないのかのいずれかであろう。

が、いくら科学者が暗黙に否定しても、あるいは無視しても、現代の人間にこうした重大な神秘的現象に対して目隠しをすることはもはやできない。正面からそれを調査研究することこそ、人間とは何かを知る唯一の道である。

英国学士院会員でキングズ・カレッジの解剖学と生理学の教授であり、英国外科医師会の会員でもあるメイヨ博士 Herbert Mayo は、同じ種類の現象について独自の証拠を集めている。その著書「迷信に蔵された真理の研究」Letters on the Truths contained in Popular Superstitions の178ページに次のような実験話が出ている。

「1845年から翌年にかけて私が住んでいたボパートの町から当時パリにいたあるアメリカ人に一房の毛髪を送ったことがあった。その毛髪は当時私が治療していた陸軍大佐のもので、大佐みずからの手で切り取って自分の机の中にあった便箋紙に包んでくれたのであるが、当のアメリカ人には大佐の名前すら知らせなかった。むろん一面識もないから、常識で考えるかぎり毛髪の持ち主を知る手がかりはその毛髪以外には何1つない。

さてその紙包みを受け取ったアメリカ人はそれを有名な催眠術師のところへ持っていった。それを手にした術師は“この方は腰と脚がところどころまひしています。それには習慣的に外科用具を使っています”と語った。そのことを伝え聞いた大佐は、あまりの正確さに高笑いをした。」

こうした博士の研究についても実は同じ医学誌に批評が載せられたのであるが、実験例は1つも取り挙げていないし、博士自身の説も言及すらされていない。

ところで、さきに紹介したハドック博士にも「催眠状態と霊魂説」Somnolism and Psycheism という著書がある。これは催眠現象と透視現象を生理学的見地と心霊学的立場から分析研究したもので、実に読みごたえのある書であるが、ここで、博士が巻末に付録として載せている実例の中から2、3紹介しておきたい。

というのも、こうしたことを小馬鹿にする人はよく、もしもそうしたことが実際にあったことなら何故その能力を紛失物の捜査とか海外ニュースの取材などに使用しないのかといった言葉を口にするので、次に挙げる例などがその格好な回答になるのではないかと思うのである。

その1つは1848年12月20日水曜日の夕刻、ボルトン市で食料品店を経営するウッド氏の店から金庫が盗まれた。さっそく警察に届け出たが、手がかりはつかめなかった。

そこでハドック博士に頼むことになったのであるが、博士はその依頼をさきの女性霊能者エマに告げた。するとエマは何秒と間を置かずに金庫を透視し、現在どこに隠されていて中に幾ら入っていると語り、さらに盗まれたときの様子と最初に隠された場所を説明し、最後にその盗人の容ぼう、衣服等をまるでだれかに語るように口走った。それは“ウッド氏の想像もしてなかった”人物であった。

知らせを受けたウッド氏はさっそくその男を捜し出し、直ちにハドック博士のところへ行くか、さもなくば警察へ出頭するようにと告げた。男は結局博士のところを訪ねたのであるが、部屋に入って来た男を見たエマは後ずさりして、間違いなく犯人はこの男だが服装が違っていると口走った。

男は初め否定していたが、やがて白状し、盗んだ手口もエマの言う通りであったことを認めた。そして金庫はすぐに戻った。この場合、氏名も場所も日時も指摘され、それが英国人医師によって書物に記載されたのであるから、もしもそれを否定するのであれば、自らその事件の現場へ行って調査すべきである。

次はもっと遠距離における透視の例である。リバプールの若者が家を飛び出してニューヨークへ行ってしまった。あわてた親は取りあえず幾ばくかの金を郵便船で送ったが、その後の情報で、その金はまだ受け取りに来ていないという。

そこで母親が20マイル離れたボルトンのハドック氏を訪ね、エマを通じて何か情報は得られないものかとお願いした。するとエマは若者の容貌を正確に叙述し、さらに細かいことまで当てたので、母親は自信を得てハドック氏に2週間ほどしてその間の息子の様子を知らせてほしいと依頼しておいた。

博士は言われた通りにエマを通じて得た情況をまとめて書き送ったところ、間もなく父親から連絡があり、その後息子から手紙が届いたが、その間にたどった足跡は“始めから終りまでエマの証言どおりでした”とあった。

次はリー博士 Edwin Lee が調査したディディエ Alexis Didier という霊能者の例で Animal Magnetism という著書で発表している。リー博士は14回にわたってテストしているが、その方法は目隠しをして当てさせるもので、材料にはトランプカード、封書、書物などを使っている。

立会人とトランプゲームをすると、カードを伏せたままで自分のものはもちろん相手のものまで読んでしまう。自動車のナンバーを記して封筒に入れて手渡すと即座に当てる。書物を渡して何ページの何行目を読むように言うと、そのページだけでなく、その8~10ページ先まで読んでしまう。そのほか箱の中味とか封書の内容についてもテストしている。

ディディエについて特に興味ぶかいことはフランスの奇術師ウーダンによってテストされ、決して奇術でないことを証明されたことである。ウーダンがふだん自分が使用しているトランプを自分で切って両方の手のひらに置くと、ディディエは一指も触れずに全部言い当てた。

さらにポケットに用意していた書物を無雑作に開き、そこから8ページ先の何行目のところを読むように言うと、ディディエはその行のところにピンを突き差し、そこから9ページ目の同じ行から4文字を読み取った。これにはさすがの世界的大奇術師も仰天し、その翌日次のような声明文を書いて自らサインしている。

「以上述べた事実に寸ごうの相違もなく、考えれば考えるほど私の専門である奇術と同類と見なすことが不可能であることを認めざるを得なくなります。」

それから2週間後にウーダンはド・ミルビル氏(この人を通じてディディエを知った)に手紙を書き送り、同じ実験をやってみたら今回も同じ結果だったと述べ、最後にこう結んでいる。

「そういう次第で私はまったく驚嘆したままその部屋をあとにしました。そしていかなる奇術師といえども単なる術(わざ)だけではあのような驚異的な芸は演出できないことを確信した次第です。」

英国地質学会のH・G・アトキンス氏は右のディディエの弟のアドルフを試した透視実験の1つを語ってくれた。ある有名な人が1枚の紙に1語だけ単語を書き、それを5重ないし6重に折ってアドルフに手渡した。アドルフは監視者に取り囲まれた中で単語を透視してその上に記した。

アドルフの変わったところはその単語を1度に正確に書かず、書いては消し(棒引きにして)書いては消してようやく正確につづるという点で、消した単語もほぼ正確なものばかりである。これは変わったやり方で、新しい感覚 – 徐々にでないと正確なものに到達しない初歩的感覚能力の一種 – の存在を示唆している。

霊視能力者が物体を叙述するときの方法とよく似ている。たとえばメダルを霊視するときでも、いきなり“メダルです”とは言わず、“それは金属です”“まるくて平たいです”“表に何か書いてあります”等の段階を経てからようやくメダルであることを言い当てる。

以上われわれはグレゴリー、メイヨ、リー、ハドックの4博士、及び才能的には同等ではないにしても真摯(し)である点においては決して負けていない何百人もの人々の証言を手にしたわけであるが、これでもなお全てをペテンの犠牲者として片づけることがはたして納得のいく解釈と言えるであろうか。

医学者というのは容易にはだまされない人種である。とくに実際に観察し繰り返しテストできる問題に関してはそうである。しかも手品の大御所であるウーダンでさえトリックはなかったと言い、単なる術やトリックだけでは不可能であると断言した以上、調査もせずに全てをごまかしであると決めつける人々に対し、われわれは完ぺきな回答を手にしたと言えるであろう。

これには自己欺まんの余地はまったくない。記録にある透視現象(間違いなく万を数える)の全てがペテンであったか、さもなくばある種の人間のもつ、そしてたぶん人間の全てが潜在的に所有するところの、新たな能力の存在について十二分な証拠を手にしたか、そのいずれかである。

もしも普通の視覚が透視能力ほど珍しいものであれば、透視能力の実在がこれまで見てきた通り困難であるように、普通の視覚の存在も証明困難となるところであろう。調査する意志さえあり、また先験的に有り得ることと有り得ないこととがわかっているなどという、哲理に最も反するドグマに迷わされないかぎり、絶対的な結論を導くに足る証拠は十分にそろっている。

米国のクラーク博士 T. E. Clark は入神現象の生理に関する論文(Quarterly Journal of Psychological Medicine 所載)の中で、清涼飲料水の検査官をしていたデピーヌ氏 Mr. Despine が観察した強硬症患者の例を挙げている。

「この患者は手のひらで物音が聞けるだけでなく、目を使わず指先だけで文字が読め、読みたいページの上を速いスピードで走らせる。時には手紙の文章を“左ひじ”で読み、それを右手で書き写すのを何度も観察した。

そういう実験をするときは必ず“分厚いボール紙で目を覆い、絶対に光線が入らないよう”にした。さらにその患者は足の裏、みぞおち、そのほか身体の各所に同じような能力を見せた」というデピーヌ氏の報告を紹介し、博士がこう付け加えている。

「このほかにもこれと同じように不思議な現象で、医学界の高い地位にある人々によって実際に観察されたものが数多くある。」

次項からいわゆる近代スピリチュアリズムと呼ばれる現象の証拠の検討に入りたいと思う。

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5 幽霊現象の検討

本項では超人的存在つまり霊魂の出現、俗にいう幽霊現象を検討する。そしてそれを立証する諸事実が他のいかなる学問における証拠にも劣らぬだけの確固とした真実性をもつものであることを立証したい。

その資料として私は主として前出のR・オーエン氏が収集し調査したものを引用させていただく。オーエン氏は米国会の元議員でナポリの米公使を歴任したこともあるほどの知名人であるが、Essays, Moral Physiology, The Policy of Emancipation 等の幅広い著作によってもその名を知られている人である。

その著作から判断するかぎり氏は徹底した懐疑論者であり、学問と理論的思考力に富み、従って事実を受け入れるに極めて慎重な人である。

氏が初めて心霊現象に興味をもったのは米公使としてナポリに赴任していた1855年に、かの世界的名霊媒であるホームを自分のアパートに招待して実験会を開いたときのことで、氏と同じく好奇心旺盛な3、4人の友人とともに囲んでいた重さ96ポンド(40キロ強)もあるテーブルがランプもろとも8インチから10インチの高さまで浮き上がり、6つから7つ数えられるくらいの間、みんなが手を置いたままの状態で浮いていたという。

さらに1858年にパリ近郊に住むあるフランス貴族の邸宅における昼食会に招かれたときにも、7人用のテーブルがフルーツやワインを載せたままいきなり宙に浮いてみんなをあわてさせた。客は全員立ったままで1人も手を触れていなかった。出席者全員の供述が一致している。

こうしたことが動機となってオーエン氏はいわゆる偶発的心霊現象の資料を集めることに手をつけ、それを「他界からの足音」Footfalls on the Boundary of another World と題して出版した。

表題はどこか小説めいているが、内容はきわめて学究的で、資料の選択といい編さん方法といい、他に類を見ない立派なものである。思うに表題をもっと学究的なものにして、例えば「超自然現象の学問的検討」とでもしていたら、あるいはもっと幅広い注目を浴びたのではないだろうか。

それはともかくとして、一般に幽霊現象についての考え方はペテンではないにしても幻影か錯覚と見られるのが普通である。その理由としてよくいわれるのが、2人で同じものを見た例がないというのであるが、いま紹介したオーエン氏の書物に次のような実話が出ている。

1785年10月15日のこと、シドニーに駐留していた英国33連隊のシャーブローク大尉とワインヤード中尉の2人は朝食のコーヒーを飲んでいた。場所は中尉邸の茶の間で時刻は9時ごろであったが、突然大尉がドアのところに青白い顔をした青年の姿を見て中尉を促した。何気なくその方向へ目をやった中尉は見る見る顔が青ざめ、思わず大尉の腕にしがみついて、その姿が消えるや否や“兄だ!”と叫んだ。

その兄というのは本国にいるはずである。大尉はだれかの間違いであろうと考えて直ちに捜査させたが、家の中にも屋敷のまわりにもそのような青年の姿は見当たらなかった。

そのうち同僚のゴア中尉がやって来たので捜査に加わってもらったが、やはり見当たらなかった。シャーブローク大尉はゴア中尉の助言でいちおうその日時をメモしておいた。すると案の定、英国本土からワインヤード中尉の兄が死亡した旨の連絡が入った。そしてその日時がメモの日時とぴたり一致していたのである。

これなどは明らかに2人の人間が同一の霊姿を見ており、しかもそのうちの1人はそれまで1度もその現れた人物すなわちワインヤード中尉の兄に会ったことも見かけたこともないのである。他に筋の通った説を提供せずにこれを否定する意見には私はとても耳を貸す気になれない。

次にこれに類する例をもう2、3オーエン氏の書物から紹介して、幽霊現象の一般的性格を検討したい。

その1つは同じく戦死にまつわる話であるが、1857年11月14日から15日にかけての真夜中のこと、当時インドに駐留していたホイートクロフト大尉がケンブリッジの妻の夢の中に現われた。夫人がはっとして目をさましあたりを見回すと、ベッドのわきに夢の中で見たのと同じ軍服姿の大尉が立っている。

その髪は乱れ、顔は青ざめ、両手を胸のところに押し当てている。目はいかにも何かを訴えんとするかのように大きく見開いて、じっと夫人を見ている。口もとが引きつっているのも、焦燥しているときの大尉の癖である。

夫人はいつも夫を目の前にしたときにしていたように服装に1つ1つ目を配った。そうしているうちに大尉は苦痛に耐えかねるように前かがみになり、何ごとか口ごもったが声にならない。そのうち姿は消えていった。その間、時間にして夫人の記憶では1分ほどであったという。

夫人は夜が明けるまで一睡もできなかった。そして夜が明けるとすぐさま母親にそのことを告げ、おそらく戦死か負傷のいずれかに間違いないと思うと語った。そしてその推測は不幸にも適中していた。ほどなくして戦死の電報が届いたのである。

が夫人はその知らせを届けてくれた弁護士のウィルキンスン氏に、夫が軍人である以上戦死は常に覚悟していたことだけど、ただ戦死の日時が1日違っているように思われるから確認してほしいと依頼した。

が、すぐに取り寄せられた陸軍省発行の証明書には“第6近衛竜騎兵連隊G・ホイートクロフト陸軍大尉は1857年11月15日戦死せることを証明する”と記されていた。

ところがその後驚くべき事実が明らかとなった。弁護士のウィルキンスン氏がロンドンの友人を訪ねたときのことである。その友人はいわゆる霊媒的素質の持ち主で、夫人も子供のころから幽霊を見ている霊能者である。

ウィルキンスン氏がホイートクロフト夫人の見た幽霊の話をすると、夫人が「その幽霊なら私たちがインドの話をしていた晩に見たのと同じ人に違いありません」と言う。

そこでウィルキンスン氏がいろいろと質問して確かめたところ、実はその晩、霊媒である夫を通してある霊から連絡があり、自分はたった今インドで胸に負傷して戦死した者だと述べたというのである。夫人の話では時刻は9時ごろであったが何日であったかは思い出せないという。

が、ウィルキンスン氏が細かくただしているうちに、その日夫が入神している最中に御用聞きが来て請求書を置いて帰ったことを思い出し、さっそく捜し出してきたのを見ると11月14日となっていた。またその後1858年3月にホイートクロフト家あてにG・C・大尉から前年の12月19日付の便りが届き、概略次のように述べてあった。

「自分は大尉が倒れたときすぐそばにいた者ですが、その日は至急報に載っている15日ではなく“14日の午後”です。胸に爆弾の破片を受けたもので、ディルクーシャの墓地に埋葬されており、墓の十字架にはG・Wと記され、11月14日の日付が入っております。云々」

結局夫人の言ったことが正しかったわけで、その後陸軍省もミスを認めて訂正し、念のためにウィルキンスン氏が取り寄せた証明書も日付のところだけが書き改めてあった。

この話はオーエン氏“自ら関係者に会って”取材したもので、陸軍省発行の証明書についても、最初にウィルキンスン氏が取り寄せたものとその後訂正されたものとの両方を入手しているほどの念の入れようである。

この場合も同じ霊が2人の人間、それも遠く離れた者に同じ夜に姿を見せ、さらに第3者の霊媒を通じて自分の戦死の様子と時刻を告げたわけで、これを“偶然の一致”と決めつけるようではもはや疑い深さを通り越して、むしろ逆に一種の迷信家といえるのではないかと思う。

次に紹介するのは俗にいう幽霊屋敷にまつわる話で、英国ケント州ラムハーストの古い領主邸に住むR夫人と、その夫人の依頼で調査に当たった霊能者S嬢の2人から直接オーエン氏が聞いたものである。

R夫人の夫は陸軍の高官で、1857年の10月にその領主邸を譲り受けて住むようになったのであるが、移って来たその日から、夫人をはじめメイドまでが得体の知れぬ物音や足音、とくに話し声に悩まされ続けた。青年将校であった夫人の弟も同じ声に悩まされ、調査しても原因はわからなかった。メイドの気味悪がりようは一通りでなかった。

そこで12月の第2土曜日に子供のころからよく幽霊を見るというS嬢に来てもらったのであるが、訪ねて来たとたんに入口のところに古風な服装をした2人の年輩の霊が出ているのを霊視した。

R夫人が気味悪がるといけないと思いそのときは言わずにおいたが、それから10日間のうちに数回にわたって同じ2人の霊姿を見た。それも必ず白昼で、場所はいろいろであった。

その姿はなぜかいつも灰色にくすんだ雰囲気に包まれ、3度目に見たときに初めて口をきき“私どもは以前この家に住んでいた者で姓をチルドレン Children と申します”と語った。表情はいかにも悲しげで元気がなく、“ラムハーストの家は私どもの所有物として大事にしていたのですが、いつの間にか他人の手に渡っていることを知って残念です”と付け加えた。

その後R夫人の方から何か変なものが見えたり聞こえたりしませんかと言われてS嬢が右の話をすると、夫人は自分の目で確かめようと1か月ほど頑張ったが、物音や声が聞こえるだけで、姿はどうしても見えない。そろそろあきらめかけていたある夕方のこと、食事ですよと何度も呼ばれて急いで着替えて階下へ降りかけたときのことであった。

通路にS嬢が述べたのと同じ衣装をまとった2人の霊姿が現れ、その姿を包むぼんやりとした雰囲気の中に燐(りん)光文字で Dame Children と書かれ、さらに、地上への念が断ち切れずにいることを告げる言葉がいくつか読み取れた。そのうち再び食事ですよと大声で呼ばれて、目をつぶったままその姿の間を突き抜けて食事部屋へ駆け込んだのであった。

2人の人間が同じチルドレンと名のる霊の姿を見た以上、当然の成り行きとして、本当にそういう名の人がいたかどうかを調べることになった。そしてそれから4か月後に、ある老婆の話で昔そこに住んでいたチルドレン家の猟犬の世話をしたことがあると語った老人がいたことが明らかとなり、これでいちおうチルドレンという姓の人がいたことが確かとなった。

オーエン氏は以上の話を1858年12月にその2人、つまりR夫人とS嬢に直接インタビューして取材したわけであるが、そのときの話をもう少し詳しく紹介すると、S嬢が霊から直接聞いたところでは、姿を見せた2人の霊は夫婦で、夫は名をリチャードといい1753年に他界したということであった。

オーエン氏はこうした事実を実証する資料を手に入れたいと思い、古物研究家を通じて根気よく調査した結果、大英博物館に Hasted Papers という資料があることを教えられ、さっそく調べてみると、間違いなくリチャード・チルドレンという人がラムハーストに住んでいたことがあり、その前はタンブリッジ教区にいたことも明らかとなった。

さらに年代を確かめるための調査を続けたところ、それから数か月後に1778年発行の“ケント州史”という古い書物に“ラムハーストは当地在住のリチャード・チルドレン氏が買ったが、チルドレン氏は所有権をもったまま1753年に83歳で他界した”とあり、さらに Hasted Papers には、息子はラムハーストにはまずタンブリッジに近いフェロックスホールに移り住んだとある。1816年以後ラムハーストの領主邸はある農家が住み、完全にチルドレン家の手から離れている。

かりにこの話の中に単なる幻覚が混ざっているとしても、それは決して全体にかかわるものではない。そのことは全体の話の“つながり具合”を検討していただければわかるはずである。

家の者全部がはっきりそれとわかる不可解な音や声を聞いている – 2人の女性が錯覚の1ばん起こりにくい条件下で異なった時刻に同じ姿を見ている、同じ名前を1人は声で、もう1人は文字で教えられている – 他界した年まで教えられ、それが第3者の独自の資料調査によって立証された、というのである。

以上は事実の概略を述べたもので、本来ならさらに細かい点やオーエン氏の見解等を全部採録したいところであるが、以上の概略を検討しただけでも、これが“幽霊物語“ではないことを立証する方法はとうてい見つかるものではない。

もう1つ紹介しよう。これは幽霊現象というよりは騒霊現象(ポルターガイスト)に類するもので、裁判沙汰にまでなった有名な話である。オーエン氏はその裁判の記録まで調べ上げて確かめている。大体の筋は次の通りである。

1850年から51年にかけての冬にフランスのシドビュで起きた出来事であるが、12歳と14歳になる2人の少年が教区牧師のティネル氏宅に勉強に来るようになってからやめるまでの2か月半にわたって、壁の板張りをまるでハンマーで力まかせにたたくような大きな音や何かでひっかくような音、地震のように家中がガタガタ揺れるほどの震動、あるいは家の者全員が一斉に木づちで床をたたいているみたいな騒々しい音などが絶えず聞こえるようになった。

木ずちの音はこちらの要求に応じて拍子を取ったり、付ちょうをきめて質問してみたところ、ちゃんとした返事が返ってきたという。

それ以外にも不思議なことがいろいろと起こっている。テーブルや机がだれも手を触れないのに動きまわったり、炉辺用具が部屋の真ん中へ飛び込んできたり、突如として窓ガラスがこわれたりした。

また大きなハンマーがいきなり家の中に飛び込んできて、まるで見えない手でそっと置くように音もなく部屋の真ん中に置かれたり、まわりにだれもいないのに衣服が引っぱられたことも一再でなかった。話を聞いた市長が確かめに来たときも目の前のテーブルが急に動きだし、もう1人の人といっしょに必死に引っぱったが、どうにもならなかったという。

うわさを聞いて“よしおれがトリックを見破ってやる”といった意気込みでやって来る名士や地位のある人が少なくなかったが、どう調べても結局は人間の仕業でないことを確認して帰っている。

この現象の興味はその証拠資料が法廷にまで持ち出されたことが第1。第2に、それよりわずか前に米国を騒がせヨーロッパではまだ知られていなかった例のハイズビル事件とよく似ているという点である。

同じころよく似た事件が英国エプワース市のウェスレー家でも起きていて、これも十分に立証されているが、こうして遠く海を隔てた3つの国において非常によく似た、それも実に細かい点まで酷似した現象が起き、それを一般のだれもが実際に観察してその事実を確認し、なんらのトリックも発見もされなかったということは、そうした現象を起こさせている原因が同一のものであることを示唆していて、その有する価値は大きい。

実際に見た人でさえトリックを発見できなかったそれらの現象を、1度も見たことのない者が詐術説などという無責任な説でもっともらしく説いても、まともに扱うわけにはいかないのである。

以上、私はオーエン氏の著書の中から幾つか実話を引用したが、むろんこれがオーエン氏の著書の内容と興味の全てを代表するものではない。が少なくともこれによってオーエン氏が1つ1つの事件について求めた証拠の本性、つまりその真実性だけは理解していただけたことと思う。

また自ら原資料を読んでみる気持ちになっていただけたらとも思う。1度お読みになれば、現在の世の中でもこれに類する事件が各地で起きていること、またそれらが必要以上の細かい調査と勝手な憶測をされながらも、最後には結局何1つトリックも詐術もなかったことが証明されていることに理解がいくことであろう。

つまり“文明の発達と共に幽霊も出なくなった”という世間一般の考えが誤りであることに気づかれるに相違ないと信じるのである。

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6 近代スピリチュアリズム – 科学者による証言 –

本項ではいよいよ本来の狭義のスピリチュアリズム、つまり霊媒と呼ぶ特殊な体質をした人間の近辺あるいはその身体を通じて見られる不可思議な現象を考察したい。

それを支持する証言は世界各地の教養も趣味も宗教も異にする数多くの人々から寄せられていて、わずかばかりの引用ではその説得力や趣旨の全てを伝えることは不可能である。が、取りあえず本項では3つの分野からそれぞれ最高の名声を得ている学者デモーガン教授、ヘア教授、エドマンズ判事の証言を紹介しようと思う。

英国の数学者で“デモーガンの法則”で有名なデモーガン Augustus De Morgan はケンブリッジに学び学位を取った。法延弁護士の勉強をする傍ら数学、論理学、伝記の著作も多い。18年間にわたって王立天文学会員を勤め、英通貨を10進法にすることを強力に唱道した人でもあった。

1863年に心霊的著作として「物質から霊ヘ – 10年にわたる霊現象の体験」From Matter to Spirit, the result of ten years’ experience in Spirit Manifestations を出版した。序文の筆者はA・B、著者はC・Dとなっているが、A・Bがデモーガン教授でC・Dが夫人であることは一般に知られている。

教授を知る者ならばその序文の内容を一読すればすぐにそれが教授のものであることがわかる。その事実はたびたび新聞や雑誌で指摘されながら教授自身は1度も否定したことがないし、現に Athenaeum(アシニーアム)(著名な文学者や学者の集まるクラブ)の機関誌の1865年号の中で暗に自分が著者であることを認め、今もってあの見解に変わりはないと述べている。その序文の中から2、3個所引用させていただく。その断固として、風刺さえ込めた文章は一読に値する。

「自分の目や耳で確かめたことや(本文で)紹介されている事象の中の幾つか、その他もろもろの事実から私は、立証し得るかぎりの立派な証拠を手にしていると信じる。私はいやしくも合理的思考力を備えた人間ならばペテンだの偶然の一致だの誤りだのの説ではとうてい説明にならない、いわゆる霊的現象を、不信の余地のないほど決定的にこの目で見この耳で聞いたことを確信している。」

「霊魂説を信じるいわゆるスピリチュアリストの方がむしろ従来の物質科学の進歩を導いた正道を歩んでおり、その反対者は進歩を阻害する人間の代表のようなものであることに疑いの余地がない。」

「私はさきにその妄想に駆られた霊媒たちこそ正道を歩んでいると述べた。彼らには未開の原野に今こそ自由に通れるようになった道を最初に切り開いた雄壮なる時代の気概と手段とを備えている。その気概とは何か。それは、下らぬことに首を突っ込んだことを知られるのを恐れるあまり今では全く顧みられずにいる包括的検討の精神である。」

「しかし現象の実在は知っていても、それがいったいなんでありなんで有り得ないかの判断のつきかねる者にとっては、よくよく思考すれば、その真相究明の向うべき方向 – 最も満足のいく結論を引き出せる可能性があるのは、いわゆる霊魂説であるように思われるであろう。私のいう霊魂説とはこの血と肉とでできた人間とは別個の知的存在が直接その現象に関与しているというものである。

この霊魂説をいったい有り得ることと推定したうえで、これを万有引力説と比較してみるとおもしろい。たとえば両方の説とも初めて耳にするという人間、神学も物理学も全く知らない人間がいるとして、その人間に2つの仮説のうちどちらかが正しくてどちらかが間違っているのであるか、どっちか1つを選んでみよ。もし間違ったら命はなくなるぞ、と言う。

第1の仮説は宇宙には肉体のない知的存在がいて、時おりそれが人間と交信するというものであり、もう1つの仮説は天の川の星の1つ1つが地上の分子に極微の引力の作用を及ぼしている、というものである。思うに人間はだれしも何らかの先入観を抱いているものであるから、こんな立場に置かれたらたいていの者が戸惑ってしまうであろう。

私は全面的にその目に見えない存在、かつて人間が想像したこともない何者かのせいにしている人間であるから、さしずめ英国学士院の異端者なのである。」

本文からも1個所だけ紹介しよう。

「私がこの目で見た最も目覚ましいテーブル現象は、私の家と同じく海岸に面した友人の家で起きた。友人の家族は6人で、それにもう1人、今ではそこの娘さんと結婚している男性が加わり、それに私が家族の1人を伴って出席した。金銭で雇われた人は1人もいない。

その中の男性の1人に心霊現象はもとより心霊一般に懐疑を表明している者がいて、その人だけ中央のテーブルから2、3フィート離れたソファに腰かけ、残りの者は全員テーブルのまわりに着席した。しばらくするとテーブルが傾いてラップによる通信で全員が起立して手をつなぐようにと言ってきた。

テーブルにはだれも手を触れていない。言われるままに起立した状態で15分ほどが過ぎた。みんな何が起きるのだろう、だまされてるのではなかろうかと、あれこれ思いを巡らしていた。やがてこのうちの1人2人がもう腰を下ろそうかと言い始めたときである。

8人から9人が座れるその古いテーブルが“まったくひとりでに”動きだした。われわれも相変わらずまわりに立って手をつなぎ合ったまま、そのテーブルのあとについて動いた。テーブルは例の1人だけソファに腰かけていた男性の方へ向けて移動し、やがてその男性を文字どおりソファの奥へ押しつけ、男性もついに“やめてくれ。もういい、わかった!”と悲鳴を上げたことだった。」

J・W・エドマンズ、通称エドマンズ判事 Judge Edmunds は、たいへんな名士である。ニューヨーク州議会員と国会議員に選ばれたことがあり、しばらく上院議員を勤めたこともある。刑務所監督官も勤め、刑務所制度を大幅に改善している。その後各種の下級裁判所を歴任したのちに、ついにニューヨークの最高裁判所判事となった。これが司法畑では最高の地位である。

これを6年間勤めたのちに辞任したのであるが、その理由がほかならぬスピリチュアリズムに傾倒していることに関して向けられた批難中傷にあった。それ以来彼は再び弁護士を開業し、その間ニューヨーク州記録官という重要なポストに推されたが、断っている。

スピリチュアリズムとの最初の出会いは、知人に誘われて交霊会に出席したときで、そこで目のあたりにした現象に度肝を抜かれた。がそれをペテンと信じてそれを暴くことを目的として本格的に調査する決心をした。次に紹介するのは「霊現象」Spirit Manifestations と題して出版された著書からの抜粋である。

「1851年4月23日、私は9人のメンバーと共に円卓のまわりに着席した。その円卓の上に照明用のランプが置かれ、暖炉の上でもう1つのランプが灯っていた。やがてその円卓がわれわれの見ている前で1フィートばかり浮き上がり、まるでわれわれがワイングラスをもてあそぶように軽々しく前後に揺れだした。

何人かで力のかぎり押さえようとしたがだめだった。それで“われわれ全員がテーブルから離れ”、そのマホガニー製の重いテーブルが宙に浮いているのを2つのランプの明かりの中で見つめていた。」

次に出席した交霊会では判事自身に各種の超常現象が起きた。

「部屋の片隅に立っていたときのことである。手の届く距離にだれもいないのに私のポケットに何者かが手を突っ込んだ。あとでその中に入れてあったハンカチを見ると六個所も結び目が出来ていた。

次にバスビオール(楽器の一種)が私の手に持たされ、私の足の上に置かれて演奏された。私の身体が何度も触られ、腰かけていた椅子が引っぱり取られた。片方の腕がまるで鉄で出来ているみたいな手で握られた。

親指と4本の指、手のひら、それに親指のつけ根のふくらみまで感じ取ることができた。その握力の強さはものすごく、逃れようとしてみたがだめだった。この握られている部分に片方の手で触ってみると、確かにそれは普通の人間の手ではないことを確信した。そうとしか判断のしようがなかった。

というのは、そのときの私の身動きの取れない状態ときたら、それはまるで握りこぶしの中の蠅のようなもので、どうにもならなかったのである。その状態はしばらく続いた。そして私はとことん自分の無力さを痛感させられ、ありとあらゆる手段を講じて逃れんとしたがだめだった。」

見えざる力による情報の適確さを示す例として判事はこんな話を挙げている。あるとき中央アメリカへ旅行している最中に、ニューヨークにいる友人たちが判事の行動に関する情報を遂一霊界から入手していた。

判事が帰ってからその記録と判事自身の日誌とを照らし合わせてみると、上陸した日付、健康状態の思わしくなかった日と良好だった日、等々がぴたり一致しており、頭痛を催した日などは、あまりの痛さにベッドに横になった時刻まで当たっていた。ニューヨークとは2000マイルも離れていたのである。

もう1つの例としてこんな話を挙げている。

「娘が幼い息子を連れてニューヨークから400マイル離れた親戚の家に遊びに行ったことがある。そのときのことであるが、朝4時ごろになってその子の具合が良くないとの霊信を受けた。

私はすぐさま見舞いに行ったところ、ちょうど私が霊信を受けたころは非常に容体が悪かったことがわかった。母親もおばも寝ずに看病していていて、私の話を聞いて驚いていた。」

「こうした例で、私が1年以上にもわたって週に2、3回の割で見ていたものがおよそどんなものかがわかっていただけるであろう。私は決して勝手に自説を立ててそれを裏づけるものを探し求める類の人間ではない。むしろ否定するものを真剣に求めていたのである。

自己欺まん、その他あらゆる種類の“ごまかし”を警戒して取った予防措置については詳しく述べなかったが、その点については、私に工夫できるかぎりのことは全て試みた、と述べるに留める。どんなに意地悪な質問でも遠慮なくしたし、どんなに図々しい調査でも遠慮なく行った。」

1853年8月6日付のニューヨーク・ヘラルド紙に掲載された手紙の中で判事は、まず自分の心霊研究の経過のあらましを述べてからこう言っている。

「私は初めこれをペテンだと考え、それを暴いて公けにしてやろうという意図のもとに調査に手をつけました。その調査結果から、初めに予期したものとは異なる結論にたどり着いた私は、こんどはその結果を公表する義務もあるという感じを強くもつのです。

従って私がその結果を世間に公表する動機は主としてその義務感にあるのです。主としてと言ったのは、私の心に強く訴えるもう1つの動機があるからです。それは私が得た知識をぜひ他人にも知らせてあげたいという所望です。その知識は人間をより幸せに、より立派にするに相違ないと信じるからです。」

はたしてこのエドマンズ判事は、以上紹介した現象や事実に完全にだまされていながら、しかも精神的に異常者ではなかった、ということが有り得るであろうか。弁護士として、ほぼ1年前に他界するまで最高の名声を得ていた人であることを忘れてはならない。

ペンシルバニア大学の名誉教授ロバート・ヘア博士 Robert Hare は米国でも屈指の化学者の1人であった。数多くの発明があり(その1つが酸水素吹管)、150に及ぶ科学論文があるほかに政治問題や道徳問題にも健筆をふるった。

心霊とのかかわり合いは1853年にテーブル現象とそれに付随した現象を見たときに始まる。それまで例のマイケル・ファラデーの説を読んでいてそれで十分だと思っていたのが、テーブル現象を実際に目撃して、その説では解決にならないと判断した教授は、テーブルを動かしているのはテーブルのまわりに着席している者から出るエネルギーであることを決定的に証明する(と自分で思った)装置を考案した。

その結果は彼の予想を裏切った。何度実験をやり直しても列席者とは別の力が働いていることを示唆する結果しか出なかった。しかもその“力”に加えて“知性”も見られた。結局教授は人間とは全く別個の存在が通信して来ていることを認めざるを得なかった。

心霊現象を信じようとしない人はよく科学者が心霊現象を徹底的に調査研究した試しがないと言う。これは事実に反する。第一、自分みずから真剣に探求したことのない人間には、この問題に口をはさむ資格はない。他の探求者が行った研究成果をよく知ったうえで言うべきであり、そのためにはなによりもまずヘア教授の「実験に基づく霊現象の研究」Experimental Investigation of the Spirit Manifestations を熟読すべきである。

これは実に5版を重ねている。ぎっちりと詰めて印刷された480ページから成る大部の本で、彼の行った実験の詳細な説明のほかに、哲学、道徳、および科学上の問題に関する数多くの論説も掲載されている。その論説には教授の鋭敏な頭脳と高度な論理的思考力が如実に現れている。

教授が実験に使用した霊媒は素人霊媒ばかりであった。そして厳格な条件下で現象にも通信にも絶対に霊媒がかかわれないように装置に工夫をこらした。たとえばテーブルの動きによって指示針が円盤上のアルファベットの上を回転するようになっていて、霊媒にはそのアルファベットは見えない。それでも意味の通った正確な通信がつづられた。

また複数の精密な金属球の上に載せた金属板の上に霊媒の両手を置いてもらい、テーブルにはわずかな力も加えられないようにしても、テーブルが自在にしかも知性のある動きをした。

もう1つのテストでは水の入った容器をテーブルに置き、その水の中に霊媒の両手を入れてもらい、どこにも触れられないようにしてみたが、それでもテーブルに18ポンド(約8キロ)の重量が作用したことが取り付けておいたばね秤(ばかり)で証明された。

こうした手の込んだ装置を施したテーブルによってつづられた霊信はぼく大な量にのぼる。人間の死後の生活について述べているが、私が判断するかぎりでは、全体としてみた場合いかなる宗教や哲学の教義よりもはるかに崇高にして合理的かつ一貫性のある霊の世界の叙述となっている。

しかも道徳性への志向を助長する点においても間違いなくすぐれており、われわれの天賦の才を最大限に開発することの重要性をこれほど強力に説いているものは他に見当たらない。

故に、かりにこうした通信が霊的な源から発しているという考えが万一幻想にすぎないことが証明されても、私はそうした長所にかんがみて、人間の死後に関する最良にして最高の、しかも最も合理的にして納得のいく説を提供してくれているものと主張し続けるであろう。その意味からだけでも私は、心ある人に、安易な否定論を出す前にまずそうした通信を検討してみることをお勧めしたい。

続いて私は近代スピリチュアリズムの現象に関する著名な知識人の証言のいくつかを簡単に紹介しようと思う。

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7 近代スピリチュアリズム – 文学者その他による証言 –

トロロープ氏 T. A. Trollope はオックスフォード大学に学び、旅行記、小説、伝記、歴史の各分野で素晴らしい著書を書いている著名な作家である。

その彼が1855年にライマー氏 Mr. Rymer に出した手紙が雑誌モーニング・アドバイザーで紹介され、さらにホープ氏の「私の人生の出来事」Incidents of my Life にも掲載されているが、その中でライマー氏宅でのD・D・ホームの現象をいっしょに見た物理学者ブルースター卿 Sir David Brewster の証言が不正確で公正さを欠くことを述べてから次のように結んでいる。

「この際、厳粛なる気持ちで出した私なりの結論がございます。最後にぜひともそれを述べておかないと私の良心が許さないのです。すなわちホーム氏にまつわる現象を何度も目撃し調査した結論として私は、その原因と本質がなんであれ、少なくともホーム氏自身によるペテンやからくり、手品、魔術、トリックの類によるものでは絶対にないということです。」

それから8年後に例のアシニーアムクラブの機関誌に寄せた書簡(1863年3月21日付)でそのことをこう書いている。

「私は英国でホーム氏の“交霊会”に数多く出席し、フィレンツェ(イタリヤ)の私の家でも何回も催し、同市の知人宅でも何度か目撃しております。(中略)そこで私の証言は次の通りです。

すなわち私はこれまでに知られ、一般に認められている物理法則では全く説明のつかない(と確信する)物理的現象をこの目で見、この手で触れて確認しています。それを熟練の奇術師が使うトリックに類するものとする説には、私はちゅうちょなく拒否します。」

その8年間にトロロープ氏は繰り返しホープの現象を観察し検査し考察している。これほどの名声ある人によるこれほど確信に満ちた証言なら、1度も目撃したことのない、あるいは、たとえあってもわずか1度か2度といった人による否定論よりはるかに価値あるものと受けとめねばなるまい。

英国外科医師会のジェームズ・ガリー博士 J. M. Gully は「神経病質と神経過敏症」Neuropathy and Nervousness「簡単な病気治療法」Simple Treatment of Disease「慢性病の水治療法」The Water Cure in Chronic Disease 等の著書がある。最後の著書についてアシニアムにこういう批評が載っている。

「ガリー氏の著書はまさに教養ある医学者の著書である。本書は水治療法に関するものの中では最も科学的であり、群を抜いている。」

ガリー氏は1860年の Cornhill Magazine に「小説より奇なり」Stranger than Fiction の題で紹介された有名な交霊会の出席者の1人で、その後もモーニング・スター紙にその記事の真実性を確認する書簡を寄せ、こう述べている。

「“小説より奇なり”の記事が逐一真実であること、そこに紹介されている現象が間違いなくその夜の交霊会で起きたこと、さらにわれわれが耳で聞き目で見たものが決してトリックや奇術、手品、その他の巧妙な仕掛けによるものでないことを、絶対の自信をもって断言いたします。現象そのものの真実性と併せて、そのことを確信いたしております。」

そう述べてから、博士が実際に目撃し手で触わって確かめたホーム氏の空中浮揚やホーム氏から3ヤード離れた場所でのアコーディオンの無人演奏などの現象についてそれまで出されている数々の説をすべてナンセンスであると一蹴している。

しかし最も重要なことはガリー博士が今ではホーム氏が最も尊敬する人物の1人となっていることである。度々ホーム氏を私宅に招待し、非公式に実験する機会をふんだんに得ている。従ってもしも大がかりな詐術があったとすれば、それを見破る機会もふんだんにあったわけである。大方の人間にとってはこの事実の方が、たった1回の実験での観察事実や何の根拠もなしに出される否定論よりもはるかに訴えるものがあろう。

ウィリアム・ハウイット William Howitt といえば有名な「英国の田園生活」Rural Life in England の著書であり、旺盛な研究を物語る歴史的著作も幾つかあり、小説も数多く書き、最近では「オーストラリアにおける発見の歴史」History of Discovery in Australia を出しているが、心霊現象の研究でも幅広い活動をしており、次に紹介するような歴然たる事実を見れば、その判断力に疑いをはさむ余地はない。

「見えない手がゼラニュームの小枝を妻(ハウイット夫人)に手渡した。そのゼラニュームはわれわれ2人が植えたもので、いま成長しているところである。これでその小枝が幻覚でないこと、屑や木の葉に変えられた妖精のお金ではないことは明らかである。

私は霊の手を実際に見たのである。自分の手を見るのと同じようにはっきりと見えた。触わってみたことも数回ある。1度はその手が私に一輪の花を手渡してくれた時であった。」

「それから数日後の夜、1人の女性がスピリットにアコーディオンで1曲弾いてほしいと要求したところ、さっそく弾きはじめたが、あまりひどいので一同がもうやめてくれと言った。

霊もすぐにやめたが、そのあとすぐ、明らかに別の霊と思われるが、アコーディオンが浮揚してその女性の頭上に宙ぶらりんとなって支える手も弾く手も見えないまま、同じ曲を実に素晴らしい演奏ぶりで最後まで披露してくれた。全員がそれを見、全員がそれを聞いた。」

この話で注意すべきことは、超人的な存在である霊が弾いているからといって、下手な演奏お世辞にも上手だとは言わなかったことで、そこに列席者の冷静な判断力がうかがわれる。同時に平凡な人間の五感も立派に真理の実証が可能であることを物語っている。

法廷弁護士で芸術雑誌アートジャーナル Art Journal の主筆で、文学、芸術、慈善事業の各分野でその名を知られているホール氏 S. C. Hall は心霊誌スピリチュアルマガジンに次のような書簡を寄せている。

「…私はD・D・ホーム氏が『私の人生の出来ごと』の中で述べておられることを信じる旨をここに表明しておきたく存じます。私は氏の述べておられる驚異的現象のほとんどすべてを目撃しました。あるものは氏の実験会で、あるものは他の霊媒による実験会で、そしてまたあるものは(妻と私の2人きりで)霊媒なしで起きました。

少し前でしたら私はすべての奇跡的現象に不信を表明したでしょうが、今では数多くの現象を実際に目撃して、クリスチャンとして世間に対しスピリチュアリズムの信仰を宣言すると同時に、内面的にも完全にして厳粛なる確信を抱くに至っております。

この計り知れない恩恵はスピリチュアリズムのおかげです。そしてその教訓的価値と幸福へのいざないとして、スピリチュアリズムの知識を勧めることが私の責務であると考えます。とりあえずこうしてホーム氏への全幅の確信を表明することがその責任の一端であろうかと存ずる次第です。」

ウィリアム・シニア N. William Senior は後年大法官庁裁判所の主事となった人で、オックスフォード大学で政治経済学の教授を二度勤めた人であるが、多くの人がどう慢にもペテンと決めつけている現象の真実性と実在をいち早く確信していた。

これを意外に思われる人が多いことであろう。がその著書「歴史と哲学に関するエッセイ集」Historical and Philosophical Essays の中で骨相学、ホモエパシー並びにメスメリズムを支持する証拠を細かく検討したうえで、こう結論づけている。

「こうした現象が観察と記録と分析整理に値するものであることには疑いの余地はない。それをメスメリズムと呼ぼうが何と呼ぼうが、要するにそれは呼び方の問題にすぎない。その真実性を信じている人の中にも不注意な観察者、偏見をもつ記録者、いい加減な分析をする人はいる。

が、その結果生じる過りや手落ちが知識の進歩の妨げになることはあっても、完全に阻止することはできない。われわれの予想では、これを信じる人と信じない人の双方を等しく翻ろうしているこの種の現象も、今世紀の終わりまでにはきちんと種類分けされ、それぞれに確認された法則に従っていることが判明する – 言い換えれば1つの純然たる科学の対象となっていることであろう。」

英国リプトン市の聖職禄所有牧師であるウィリアム・カー氏 The Rev. William Kerr は最近の著書「死後の罰と霊魂不滅と近代スピリチュアリズム Future Punishment, Immortality, and Modern Spiritualism」の中でこう証言している。

「筆者は長年にわたってこの問題に大きな関心を抱いてきて、今その経験と追試から十分な自信をもって、いわゆるスピリチュアリズム現象の大部分がペテンでも妄想でもないことを証言できる立場にある。

現象は真実である。100パーセント真実である。引退生活の私宅において、ほんの2、3人の選りすぐった友人だけで、しかも“専門の霊媒を雇わずに”行った交霊会で目撃した驚異的現象は、すでに活字で紹介されている驚くべき話の、いずれにも劣らぬものであった。」

世界的な小説家サッカレー W. M. Thackeray は人間の本質に関する熱心な研究家でもあるが、スピリチュアリズムに関しても、その物的証拠には勝てなかった。例の「小説より奇なり」と題する記事をコーンヒル・マガジンに掲載させたことで、サッカレーがある夕食会で批難されたとき、彼はその批難の意見に静かに耳を傾けたのち、やおら立ち上がってこう述べたという。

「たぶん1度もそうした心霊現象をご覧になったことのない皆さまがたがそうおっしゃることに、私は別に異議ははさみません。ですが私がこの目で見たものをもし皆さんが実際にご覧になれば、また違ったご意見をおもちになることでしょう。」

そう述べてから、ニューヨークでの夕食会でブドウ酒ビン、グラス、デザートなどが置かれている大きなディナーテーブルが床から優に2フィートほど浮揚した現象を紹介し、それは間違いなく霊的な力であり、奇術などではなかったし、また有り得ないことであったと断言した。そしてその現象によって霊的なエネルギーの存在を確信してスピリチュアリズムに傾倒し、それが例の記事の掲載を許可した理由であると弁明した。

大法官リンドハース卿 Lord Lyndhurst もスピリチュアリズムに転向した著名人の1人である。1863年スピリチュアル・マガジンに次のような記事がある。

「卿は何事につけ自分が関心をもったものについては細かい吟味を怠らず、またいかなるものにも偏向や偏見をもたず、D・D・ホームによる繰り返しの実験において、霊界が身近な存在であること、そしてその霊が地上の肉体に宿る人間と交信する能力を有することについて完全に得心した。

物理的現象についても1点の疑念もなく真実性を確信し、その信念をおくすることなく公言していた。それは多くの知人の証言するところがある。」

ダブリンのウェイトリー大主教 Richard Whately も実はスピリチュアリストだった。「ウェイトリー言行録」Memoirs of Whately by Fitzpatrick によると大主教は長い間メスメリズムを信じ、その後霊視や心霊現象を信じるようになったという。

「大主教の興味は極端から極端へと揺れ動いていた。そして遂に霊視能力の実在を密かに確信し、霊視能力を有する女性を説得して自宅に同居させるまでになった。そして晩年は興奮ぎみにテーブル現象やラップ現象に熱中していた」

というのであるが、これをわかりやすく表現すれば、大主教は結論を下す前に事実を徹底的に検討し、独自の実験によってその実在を得心し、事の重大性を認識して情熱を込めて調査に取り組んだということである。

医師で生理学者のエリオトソン博士 John Elliotson は長い間スピリチュアリズムを頑強に否定してきた1人であるが、最後にはどうしようもない事実の論理性に降参してその真実性を信じるに至った。1864年のスピリチュアル・マガジンには次のような博士の言葉が引用されている。

「今では私は心霊現象の実在性を完全に得心している。私はまだそれが霊魂の仕業であると認めるまでには至っていない。が、それを否定もしない。というのは私が目撃したものを満足に説明できる説が他に見出せないからである。それを説明せんとして出されている仮説はどれ1つ私を納得させてくれないが、さりとてここで私の意見を述べるのは控えさせていただく。

いずれにせよ私はこうした現象と出会うのがもう少し早かったら、と残念でならない。とくに最近目撃したものは私の心に深い印象を与え、その実在を認めることは、その原因がなんであれ、私の人生百般における考えや感じに革命をもたらしそうである。」

英国の探険家バートン卿 Richard Burton は“手の込んだペテン”などに引っ掛かる人ではない。“ダベンポート兄弟”の名で知られ、よくペテンが暴かれたと報道される米人兄弟霊媒 Ira Erasmus, William Henry が催した交霊会について述べている言葉は傾聴に値する。

ファーガソン博士 Dr. Ferguson へあてた手紙の中で彼は真実性の立証にとって最も好都合な条件、すなわち列席者は全員が懐疑派で、ドアにはかんぬきを掛け、霊媒を縛るロープもテープも、現象に使用される楽器も全てその出席者自身が用意した実験でも見事な現象が目撃されたと述べてから、更にこう続けている。(最初に出てくるフェイ氏はダ兄弟と親しくよく行動を共にした人物 – 訳者)

「フェイ氏も手と足をしっかりと縛られた状態で上着が脱がされました。その瞬間にマッチをつけたところ兄弟2人ともしっかりと縛られたままで、脱がされた上着が部屋の反対側へ飛んで行くのが目撃されました。全く同じ条件下で列席者の1人の上着も脱がされて、その人のひざの上に置かれました。」

そしてこう結んでいる。

「私は人生の大半を東方諸国で過ごし、多くの魔術師を見てきました。最近でもアンダーソンとトルマーク両氏の魔術を見る機会を得たばかりです。そして2人とも見事な腕を披露してくれましたが、“ダベンポート兄弟がやってのけるものを2人は試そうともしません”。

最後に申し上げますが、私はこれまで英国人の前にさらけ出されたいわゆる“ダベンポートトリック”に関する説明を逐一読みかつ聞いております。が、正直なところを申せば、もしも私をして“物質から霊へ”の驚異の跳躍をさせたものがあるとすれば、それは、“その現象を説明せんとして出される理屈の全くの不条理そのものにほかなりません”。」

ケンブリッジ大学の天文学教授チャリス Prof. J. Challis はたぶん私の知るかぎりでは、現象を実際に観察せずに資料だけを検討してその真実性を信じた唯一の学者であろう。宗教誌 Clerical Journal に寄せた書簡の中で教授はこう述べている。

「私はテーブル現象の実在を個人的観察に基づいて信じる根拠は持ち合わせないのですが、数多くの出典や証言者から寄せられる膨大な量の証拠には抗し切れるものではありません。

イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国、その他のキリスト教諸国のほとんどがそれなりの証拠を手にしております。(中略)要するに“証拠がこれだけ豊富でこれだけ一致している以上、事実を報じられている通りに受け入れるか、それとも人間の証言によって事実を立証することの可能性を放棄してしまうかの、いずれかを選択しなければならないでしょう”。」

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8 スピリチュアリズムの思想

前項で初めて心霊現象というものを知った方はいかにも奇怪に思われたことであろう。そしてこれを事実として受け入れるには、それが宇宙機構の一部を構成していることを立証するか、少なくともなんらかの納得のいく仮説のもとに統一されねばならないと要求されるであろう。

実はそうした仮説 – 基本的原理は古いが枝葉の点においては新しく、それらの全ての現象をこれまで科学によって無視され哲学者も明確な思索をしなかった自然界の一部門として統一する仮説がちゃんと存在するのである。

その説によれば、われわれが(他に用語がないので)“霊魂”と呼んでいるものが全ての意識的存在の核心部であり、身体はそれが他の存在や物体を感識したり働きかけたりするための機械または道具にすぎないという。

その道具なしには生活できないし、その機能による制約はあるにせよ、根源において、物事に心を動かし、知覚し、思考し、知識を求め、理性的判断を下し、神を崇め、美にあこがれるのは霊そのものなのである。

つまり人間の人間たるゆえんは“霊”なのである。霊こそ人間の心であり、脳や神経は磁気性を帯びたバッテリーであり、電信装置であり、それを手段として霊が外界と接触を保っているわけである。

さて霊は、普通、肉体と一体不離の関係にあり、霊が肉体に動物的生命と知的活動を賦与している(植物的機能は霊の存在なしに働ける)のであるが、肉体機能の束縛を超越して霊的機能を働かせることができる人、さらに肉体から一時的に脱け出ることのできる人がいる。

それも部分的に遊離するというだけでなく完全に脱け出て、遠距離まで出かけてまた帰ってくるという芸当までできる人がいる。死に際してはこれが永遠に肉体に別れを告げるわけである。

肉体に生理的法則があるように、霊魂には霊的法則があって、肉体から離れればなんでもできるというものではない。物質よりも霊への働きかけの方が容易であり、たいていの場合、霊媒を通じて物へ働きかける。

肉体に宿って何十年かの地上生活を送り幾多の経験を積んだ霊は、死によって肉体を離れても依然として地上時代の性癖、趣味、感情、愛等々をもっている。つまり死という現象は決して生命現象にピリオドをうつものではなく、死後の新たな生活も地上生活の延長にすぎない。

急に精神的な性格が新たに加わるわけではないし、道徳性が変化するものでもない。地上生活中に自分で築き上げた自分 – それがそっくりそのまま霊の世界で生活を始めるのである。

個性は少しも変化しない。ただ異なるのは肉体機能と霊的機能の差だけである。鈍重な肉体に比べればその感覚の鋭さは比較にならないであろう。その鋭い感覚機能駆使しての新生活は必然的にスケールの大きいものとなる。

こうみてくると、ノッチンガムにおける英国学術協会の総会でグローブ W. R. Grove が発表した“連続性の法則”the Law of Continuity は地上の自然界だけでなく、心霊学的にみた大自然、つまり顕幽両界にまたがる大自然にも当てはまることがわかる。

このことは科学的見地からも十分有り得ることとして、また現世と来世との間に大きな懸隔をおくキリスト教的生命観とは根本的に立場を異にするものとして、一般の科学者の注意を大いに喚起すべきものである。

仮りにこれを単なる1個人のスペキュレーションの産物としてみても筋の通った立派な説というべきであるが、それが単なるスペキュレーションではなく、これまでほんの一部を紹介したにすぎない膨大な量の実際的事実を科学的に説明し解釈してくれるし、死後の世界についても従来の宗教や哲学よりも納得のいく、つじつまの合った、調和性のある理論を提供してくれている。

ではその霊魂説によって心霊現象のいくつかを具体的に説明してみよう。たとえば最も単純な心霊現象の1つであるところの催眠現象では、施術者の暗示によって被術者の筋肉、感覚、考え等が意のままに操られるのであるが、このときは施術者と被術者との間の人体磁気の特殊な連絡関係が生じて、その関係を通じて両者の霊魂に直接の関係が生じるものとみられる。

つまり施術者がその意念によって被術者の精神機能と生理機能に働きかけて一時的に被術者を夢幻の境に導くのである。

霊視現象というのは催眠状態が少し進んで、施術者という第三者の力を借りずに自分の肉体機能を一時的に超越したときに生じるもので、これがさらに進むと肉体から脱け出て、距離の遠近を問わず、ときには外国まで行って(霊的なひもによって結ばれているが)そこの情景や出来事を(たぶん霊体の器官を通じて)観察して帰ってくるということにもなる。

次に物質化現象というのは明らかに他界した霊が霊媒から抽出される半物質体を利用して、肉眼に映じるような姿格好にメークアップするのであって、条件が良ければ手を触れられるほどにもなる。

実はこの物質化現象の原理は霊媒現象のすべてに通じるものであって、叩音(こうおん)現象は音を出すための器具を物質化するのである。物体の浮揚は持ち上げるための手またはなんらかの道具をこしらえるのである。

鉛筆や絵筆がひとりで動くのも、やはり肉眼に映じないほど稀薄な手で握られているからであり、いきなり空中から声のする直接談話は人間と同じ声帯をこしらえるわけである。

死に際に遠くの肉親や友人に姿を見せたり、肉声で自分の死を伝えたりするのも皆、同じ原理によるものと解釈される。こうした現象は、これを可能にする不可欠の条件がより一般的になれば、ますます頻繁に発生するようになることであろう。

このように古来“不可思議”であるとか“超自然的”であるとか言われてきた現象は全てわれわれと同じ人間 – 肉体を捨てただけで本質的には人間と少しも変わらない – ただ人間より1歩先を旅している霊の仕業なのであろう。

その現象のたわいなさと気まぐれさは、毎日のように無数のたわいない気まぐれな人間が霊界へ送り込まれ、しかも少なくとも当分は地上時代の人間性のままであるという事実を考慮すれば、別に不思議に思うこともあるまい。

が“全般的に見られる”その現象と通信内容の“たわいなさ”(いちおうそうと認めての話だが)も実際には少しもたわいないとはいえない。たとえば今かりに2、3人の人間が物を言わずに身振り手振りだけをしているとしよう。

一般通念からいえばこれは滑稽に見えるかもしれない。しかし実はその人たちは目と耳が不自由なのだとわかれば彼らは“サイン”という言語で話し合っているのであって、正常な人間の唇の動きや顔の表情と同じく少しも変ではないことになる。

実をいうと他界した霊魂にとって現界と直接連絡をとるのは極めて限られた条件下でしかできないらしいのである。従ってその連絡方法だけを見てたわいないとか品がないとかの批評を下すことの方が真の意味でたわいないことといえよう。

通信の内容に関しても、それが“霊魂としてふさわしくない”とよく評される問題であるが、肝心なのははたしてそれが肉体に宿っていたときと同じようにふさわしくないだろうかということである。

それにまた、現在のところ通信のほとんどはまず自分の死後存続を証明することに集中せにざるを得ない。それも、通信の可能性はおろか霊の存在そのものを否定する態度で臨んでくる人達を相手にしてのことである。

しかしそのことよりも、これまでそうした現象や通信を手がかりとして世界各地で何十万、何百万と知れぬ人達が人間の死後存続を確信するに至っているという現実に目を向けなくてはなるまい。

この事実は、なるほど現象そのものはたわいないかもしれないが、それでも数多くの人々を満足させ、他の方法では決してかなわなかったであろうと思われるより高い思想の追求へ立派にいざなっていることを意味している。

霊魂の存在と顕幽の交通の可能性を前提とする学説は、他のすべての学説を批判するのと全く同じ態度で批判されなければならない。つまりその説のより所となっている諸事実の本質と種類を解明すると同時に、それ以外には解明の方法がないことを立証しなければならない。

が、ここで忘れてならないのは、心霊現象が真実であると認めることと、それから導かれる仮説が正しいか否かは別の問題だということで、従って霊魂説の中に欠陥を見つけることは必ずしも心霊現象という事実そのものの存在を否定することにはならないということである。

私は今や心霊現象の実在は、事実を証明するための唯一の方法、すなわち正直で偏見のない、しかも慎重な観察者の共通した証言によって完膚なきまでに証明しつくされていると主張する。

その現象は真面目な探求者ならだれでも追試することが可能である。これまですでに26年にもわたってちょう笑と厳格な吟味の試練を受けながら、その間その真実性を信じる人は着実に増加している。その中にはありとあらゆる社会的地位の人、知力においても才能においてもあらゆる階層の人がいる。

しかも真剣に検討した者でその実在を否定した人は1人もいないのである。こうした事実は明らかに新しい真理の存在を物語るものであった、決して妄想やペテンではない。故に心霊現象の存在は“証明された”のである。

さて次項でスピリチュアリズム思想の本質を考察する前に私は、著名な哲学者でスピリチュアリズムを大体において容認しながら私がさきに簡単に紹介したような仮説とは異なる仮説を唱えているブレイ氏 Charles Bray の説を検討しておきたい。

氏は「必然性の科学」Philosophy of Necessity や「感性の教育」Education of Feelings などの著書で知られる思想家であるが、新しく「エネルギーについて」On Force という小冊子を著わし、その後半の全てを近代スピリチュアリズムへの言及に費やし、それを独自の哲学的原理に基づいて解釈を施している。その副題も「その知的ならびに道徳的相関関係と、スピリチュアリズム現象および他の精神的異常現象に潜在すると思われるものについて」となっている。

ブレイ氏はまず“自分は心霊現象を数多く観察したわけではない”と正直にいい、“しかし真実であろうという納得を得るだけの観察はしたつもりである”と述べている。

恐らく氏はおびただしい数の信頼のおける知識人による証言と、本質的に説明不可能な現象についての証言に信を置いているようである。氏が哲学者には珍しくあまり懐疑的でない心境に導かれた原因は間違いなく霊視現象に立会った経験にあり、その体験の1つを次のように語っている。

「私は1人の少女が催眠状態で“感応し合っている”術者によって見せられたもの、時には見せられたり見たりするものだけでなく、開けたこともない時計の中に刻まれているイニシャルなどを事細かく述べたり、あるいは遠隔の地の人間や景色を叙述するのをこの“耳で聞いている”。あとで確かめてみたところ、まさに“一点の疑問の余地もないほど”正確であった。」傍点はブレイ氏自身のものである。

右の著書から判断するかぎりでは、ブレイ氏は心霊関係の著書はほんの限られた範囲のものしか読んでおられないようで、これは氏自身の心霊的実体験が少ないだけに一層惜しまれるし、それだけに満足のいく仮説が立てられる立場にあるとは言い難い。

しかし自分では“真正な現象を説明する”仮説を立てたと思っておられるようであるが、現象が真正か詐術か、または自己敷まんによるものかを断定する資格の唯一の決め手になるところの厳密な調査はやっていないことを自ら認めている。

ブレイ氏の説を簡単に説明するのは容易ではないが、心霊現象を起こしているエネルギーについては“全ての脳からの放散物であって、全員がそれとの交渉にあずかれるように霊媒がその濃度を強めるのであり、知的存在というのは遠くにいる列席者の知らないだれかの脳の放散物であって、それが霊媒あるいは列席者の精神に働きかけるのである”と述べている。

また別のところでは“脳作用の結果として生じる精神的ないし想念的雰囲気であって、ただわれわれの有機的組織に反応するまで意識を生じないのである”とも述べている。私にはどうも氏はとうてい理解できないという大きな障害の中で必死にもがいている感じがしないでもない。

いったい“全ての脳からの放散物”とか“想念的雰囲気”とはなんのことであろう。またそれが前項で説明したようなエネルギー現象を起こしたり目に見える霊姿をこしらえたり、筋の通った訓話を述べたりすることが有り得るのであろうか。

“無意識の想念的雰囲気”がはたして目に見え触わってみることもできる“手”をこしらえて、それが花を運び込んだり文字を書いたり楽器を奏でたりすることができるものであろうか。こんな説ではもっと単純でしかも驚くべき現象である透視現象さえ合理的な説明はできないのではなかろうか。

グレゴリー博士の観察による最も信頼のおける透視現象を今一度みてみよう。格言の入った木の実の殻を店で買い求めて、それを透視家が正確に読み取るというのがあったが、この場合どの殻に何の格言が入ってるかは人間の知力ではわからない。

ではいったいブレイ氏のいう“全ての脳からの放散物”であるとか、その放散物を通じて遠くにいるだれかの知能“によって透視家が働きかけられるという説はこの格言の読み取りをどう説明づけるのであろうか。

もしもこの“放散物”それ自体に読み取り透視家に伝える能力があるというのであれば、それに個性がないといえないし、それがわれわれがいうところの霊魂(スピリット)とどう違うというのであろう。デモーガン教授がいうように、もしも“霊”の存在を認める説が“どうしようもなく困難”であるならば、この“脳の放散物”の説も同じく困難ではなかろうか。

そういうわけで私は、ブレイ氏の仮説はとても弁護できるものでないこと、そして個性的精神をもつ存在 – 肉体をもつわれわれだけでなく肉体をもたない存在がいて、ある特殊な条件においてのみわれわれ人間や物体に働きかけることができるという仮定の方が現象の全てをうまく説明できるという説を提起したい。この説ならば知的に理解できるし、哲学的にも有り得ることであると主張したい。

それはそれとして私はプレイ氏ほどの哲学者がスピリチュアリズム的現象に関心を抱き、それを解き明かす説が必要であるとの認識のもとに真剣に取り組んだことに満足の意を表するものである。この事実1つだけでも、大方の学者が先験的判断によって下らぬこと有り得ぬこととして検討を怠っている諸現象の証拠が立派に説得力をもつものであることの証左となる。

ブレイ氏の著書の出版は、たぶん霊現象やスピリチュアリズムに対する世間一般の関心が変化しつつあることを示唆するものであろう。そして難問中の難問、すなわち意識の起原と精神の本質の問題を部分的にせよ解決の方向へ導きそうに思えるある種の現象に識者の注目を向けさせるうえで効果があることは間違いない。

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9 スピリチュアリズムの教義

いよいよわれわれは、はたしてそうした現象 – 異次元の存在と交じわらせてくれる膨大な量の現象が、少しでも人間を賢明にそして立派にしてくれるものを教えてくれるかどうかを検討しなければならない。私自身は“教えてくれる”と信じている。そこで近代スピリチュアリズムの教義とはいかなるものかをできるだけ簡潔に述べてみようと思う。

スピリチュアリズムの霊魂説は古来の異常現象に合理的解釈を施した(他にそれができる説はない)のみならず、死後の生活についても明確な説を述べている点に特徴がある。これは現代の知性派の人々にも訴える要素をもつ唯一の説である。

膨大な量の現象と“霊的”と呼ばれている通信は、これまで類をみなかった種類の文献を提供し新しいタイプの宗教を発生せしめているが、全体として一致したものを有し一種の調和性が見られる。その中心的教義をまとめてみると –

1、死後、人間は一種のエーテル体で生活する。そのエーテル体には肉体機能とは別の新たな機能が備わっていて、従って生活形態もいろいろ異なっているが、知的ならびに道徳的には肉体に宿っていたときと少しも変わらない。

2、肉体を棄てたときから事実上永遠の進化の道程を歩むことになる。その進化の速度は地上生活において培われ、そして行使してきた知的ならびに道徳的程度に比例する。

3、死後の幸不幸を決定づけるのはほかならぬ自分自身である。つまり地上生活で修養しただけ、それだけ死後の生活が幸せで満足のいくものとなる。精神的修養を怠り物的快楽にふけった者は肉体を失って初めてその修養の不足を痛感し、苦しみのうちに少しずつ知的ならびに道徳的本性を発達させ、その行使が自然で楽しく感じられるまでに至らねばならない。善行の報いも、悪行に対する罰も、外部から当てがわれるものではなく、因果律によってその行為にふさわしい結果が自然法則的に出るのであり、これを避けることはできない。要するに地上で到達した知的ならびに道徳的段階を出発点として死後の生活が始まるのである。

ここにも現代科学の学説を確実に支持するものを見ることができる。地上の有機的生物は“適者生存”の大原則によって今日の高度な発達を遂げ、かつ外的自然界との調和を保っているのであるが、霊界においては“適者進化”の原則が作用し、地上に始まった個的存在としての生活が連綿として続く。

霊魂同士の通信は読心術と以心伝心の原理で行われ、親和性のある者同士の間の交信は完ぺきであるという。反対に親和性のない者同士の間にはほとんど、あるいは全然交信がなく、かくして死後の世界にもおのずと空間的、社会組織的に“界”または“区分”というものが生じる。

高級界から低級界への連絡は容易で現によく行われているが、低級界から高級界への連絡は意のままにならぬらしい。しかし向上進化の道は全ての者に開かれており、それはひとえに霊性の開発の努力いかんにかかっている。

悪霊などというものは存在せず、ただ無知で程度の低い霊というにすぎず、彼らといえども徐々にではあるが進化しつつある。高級界の美しさ楽しさは言語に絶するものであるという。意念の作用一つで美も力も思うがままとなり、果てしなき宇宙が高度な知性によって無限の知識を獲得する活動の舞台となる。

こうした概念は私自身の勝手な憶測にすぎないと思われるかもしれないが、決してそうではない。その1つ1つがこれまで紹介してきた叩音(こうおん)や自動書記による通信、入神講演等によって得た霊界からの情報を根拠としているのである。

私の説明が実は極力控え目に述べていることを知っていただくために、次に第1級の入神講演霊媒であるブリテン女史 Mrs Emma Hardinge Britten の入神講演から抜粋してみよう。「冥(めい)府」 Hades と題する講演の中で死後の向上進化をこう説く。

「こうした境涯とそこに生活する霊魂についての情報はその霊魂たち、つまり今なお冥府にいる者から直接聞いたものである。諸君は、ではいったい自分たちの死後の環境はどうなるのか、どのような生活をし衣服はどんなものを着るのか、住居は、景色は、仕事は、こうした点について今すぐにも知りたいと思われるであろう。

がその回答は目を自分の内部へ向けて、現在の生活すなわち霊界の予備校ともいうべき地上生活で自分は今まで何を学び何を為したかを反省すれば、おのずと出てくることなのである。冥府にも貴族社会があり、地位・階級が厳然として存在する。がその貴族とは有徳者のことであり、地位階級とは霊格の程度を表すのである。

支配者の立場に立つ者はその界の最高の賢者にほかならない。また最高の賢者が最高の有徳者であり、真の英知が最高の愛であるが故に、魂の尊厳は真理と愛に存するのである。そしてこの冥府において地球に関するあらゆる知識、あらゆる芸術、そしてまた宇宙に関する神秘の全てに通暁しなくてはならない。

かくして冥府より一段高い世界へ向上進化せんとする意気揚々たる霊魂は地上生活の全教訓を復習しつくし、高級界にて要求される全資格を身につけなければならないのである。霊魂は一たん地上を去ってもこの冥府において改めて地上生活の全ての相に通じ、かつまた、地球圏に属するこの冥府についての知識を全て身につけるまでは次の界へ進むことを許されないのである。

もっとも、霊的進化のスタートは地上生活から始まっているのであり、その地上生活で学び、思索し、努力して得たものは何ひとつ失われるものではない。が、その全てをこの冥府において最終的に再検討し、地上生活を真の意味で卒業するまでは、新しい言語を絶した次の世界へ向けて羽ばたくことは許されないのである。」

これほどまとまった、そしてこれほど素晴らしい来世観の説ける思想家あるいは科学者がはたしてこの世にいるであろうか。これが実に、詐欺だの狂人の戯言(たわごと)だのといわれてきたスピリチュアリズムの教えなのである。

まさにかくありたいと思う、その通りの来世観である。では別のところから抜粋してみよう。最初の一節に見られる謙虚な態度を、新しい教義だの哲学だのと説く指導者の“絶対誤びゅうなし”と自負する説と比較していただきたい。

「なるほど人間は有限であり不完全である。それ故、人間の言説は往々にして一個人の狭い量見によって着色され、その見解は限りある能力のために必然的に限定されることは避けられない。

しかしわれわれ霊にいわせれば、“人間を裁くが如くに天使を裁くべし”である。霊界の住民といえども完全無欠ではない。地上の人類よりわずかに1歩先を歩んでいる者たちの証言を披露しているにすぎないのである。従ってわれわれは決して諸君に対して判断力も理性もない盲従を要求するものではない。

さて、われわれの住む世界はあたかも諸君の住む地球の魂であり霊的エッセンスの如きものと思われたい。然してその場所はといえば、地球をぐるりと包んでいると考えていただけばよろしかろう。このことは独り地球に限ったことではない。あらゆる天体はそれ相当の霊界によって包まれており、その広がりのどこかにおいて互いに接触し、最後は調和のとれた霊的な大宇宙を構成しているのである。」

次に悪感情や悪徳について –

「こうした霊魂は地上生活における悪徳が骨の髄まで染み込んでいるのである。が悲しいかな、今やそれを満足させてくれる場所のない世界である。金銭欲が今なお魂の奥底で炎となって燃えさかる賭博師がいる。彼は地上の賭博師のそばをうろつきまわり、今またその欲望を満たさんとしてしきりにかげからそそのかす。

肉欲に狂える者、残虐に快感を覚える者、怒り狂える者、これを要するに、罪悪に身を沈め魂を汚し、おろかにも肉体が全てと思い込んでいた者たちがうようよしているのである。

彼らはもはや2度と地上時代の快感を味わうことができない。が欲望だけは致命的な性癖となって魂の奥底にこびり付いている。ためになんとかしてそれを満足させんとして、あたかも磁石が物を引きつけるが如くに、同じ性癖に身を汚せる地上の人間に近づいて離れようとしない。

ここで諸君はあるいはこう思うかもしれない。これではますます罪過を深めるばかりではないか。魂の目的は永遠の向上進化ではなかったのか、と。」

女史は自らこう問題を提起したあと、彼らも最後はその愚かさ、罪の深さを自覚して、いつかは向上進化の道を歩むことになることを見事に説き明かす。が、この問題はひとまずおいて – 続いて私は同じく女史の入神講演である「霊とは何ぞ」 What is Spirit ? の中から抜粋したい。例によって流麗な美文調でこう語る –

「あなた方も私たちと同じく立派に霊魂であることを忘れないでいただきたい。そして地上生活はこれからの永遠の旅路に備えるためにのみ神が与え給うたものであることを肝に銘じていただきたいのである。

若者よ、科学をおう歌し、その勝利のために知能を磨き論争するのも決して悪いとはいわぬが、霊魂不滅を根拠とする雄大無辺の人間学スピリチュアリズムに比して、他の科学がどれほどの価値があると思っておられるのか。地上生活を魂の学園と心得て生きたまえ。

それも、あくまでもその後に控えた雄大にしてより高等な学園へ行くためのものであると心得たまえ。地上生活の全体験を活用して魂に永遠に色あせることのない磨きをかけ、人生学校の卒業生としてその名に恥じぬ実力を身につけていただきたいのである。

死なずとも立派に霊魂であり、従って永遠に生き続けるものであることを自覚し、その自覚の上に立って地上生活の教訓を着実に身に修めていくこと、これこそ神の啓示された崇高なる最後のページにほかならない。その最後のページをよく読み、正しく理解し、確実に実行することこそ、近代スピリチュアリズムの真の使命ではないのか。

心霊現象なるものは、実は霊魂不滅を物的手段によって実証するために演出された、一時的な方便にすぎぬことを知っていただきたい。霊魂とは何か、何をなすべきか、言い換えれば地上的罪障と粗さを払い落とした純白の白衣で魂を盛装するためには地上生活をいかに生きるべきか、これを教えるのが近代スピリチュアリズムの唯一にして崇高なる使命であり目的なのである。」

ブリテン女史の教訓は他の全てのすぐれた霊媒の説くところと本質的に一致している。私はこれだけの教訓がはたしてペテン師が寄り集まって作り上げたものと思えるかと問いたいのである。

またこれだけのものが自己欺まん的なぜい弱な精神の持ち主から“無意識的に”産み出されたものであるとする解釈もとうてい考え難いであろう。なぜなら、その説くところがことごとく現代のいかなる学派の哲学者の説、そしてまた現代のいかなる宗派のキリスト教徒の説く信仰とも明らかに異なるからである。

その顕著な例が死後の状態に関する見解の対立である。すぐれた霊媒による、というよりは、彼らを“通して”得られた来世の状況、及び霊視家の目に映じた他界者の映像によると、他界した者はかならず“人間の形体”をしており、しかも携わる仕事も地上と類似している。

ところがたいていの西洋の宗教においては死者は翼をつけた存在であり、それが雲の上に乗っていたり雲に包まれていたりする。仕事といえば神の玉座の前で金色のハープを弾いたり、いつ果てるともなき讃歌の斉唱であり、祈りであり、礼讃なのである。

もしもスピリチュアリズムの思想が病的想像力による潜在的ないしは先入観的観念の焼き直しにすぎないとするならば、なぜそうした一般的概念が再現されないのか。

また霊媒が男性であろうが、女性であろうが、子供であろうが、あるいは教養があろうがなかろうが、さらにまた、イギリス人であろうがドイツ人であろうがアメリカ人であろうが、その説くところの霊的存在に関しては完全に一致し、従来の一般的概念とは異なっておりながら現代の科学的原理であるところの“連続性”の概念と見事に一致しているというのはどういうことか。

些細なことのようで、こうした事実は私にいわせれば霊界通信にある種の客観的真実性があることの確証である。

些細なことのようで重要なことをもう1つ指摘すれば、全ての既成宗教の来世観に共通していえることとして、人間性の重要な一面であり現世生活の幸福に欠くことのできない大きな役割を演じているところの“笑い”とその笑いが醸し出すところの“愉快さ”が見られないことである。

陽気な笑い、機智に富んだ笑い、ペーソスを誘うユーモア、その他高度な人間性を表すさまざまな感情が天国にも神の国にも見当たらないのである。地上生活の幸福の大半を占めているこうした感情を欠いた生活 – シェークスピアのいう“この世の煩悩の消え失せた生活”では、われわれはいったいどうやって自分を確認できようか。自我の同一性をどこに留めているのであろうか。

その点いわゆる霊界通信が死後も人間の個性は変わらないこと、喜びもあればウィットもある、笑いもある、そのほか人間的幸福感の源泉である全ての感情がそのまま残っており、地上時代の家庭生活のあの罪のない陽気なさんざめきの源であったたわいないできごとさえ、死後においてもなお楽しい感情を引き起こすことがあるとしている点は注目に値する。

その点をもって霊界通信の真実性を否定する根拠としている人もいる。しかしこの“連続性”こそわれわれ人類の知的発達の原理なのであり、その連続性を死の時点で突如として切断せんとする者は、それなりの根拠を提示しなければならない。が実際には彼らは1度たりとも自分たちの説が心霊的事実や自然界の類似現象と一致していることを証明しようとしたことはないのである。

同じようにスピリチュアリズムと既成宗教との間で対照的なのは“神”の概念である。現今の宗教家や神学者は神についてはすでに多くのことが判明したと主張する。彼らは神の属性を細かく分析し、さらに神の意志、感情、思索にまで立ち入っている。また彼らは神がこれまでいかなる事をなしてきたか、その理由は何かについても事細かく説明してくれる。そして死後は神と共に在り、その御姿を拝し、お目どおりもかなえられるという。

ところが、これまで人間界に送られてきた霊界通信にはそのようなことは一言も見当たらないのである。スピリットがいうには、自分たちより高級なスピリットと交じわることはあっても、宇宙神を拝し得ないことは地上の人間と同じだという。

その高級界の上にはさらに高級なスピリットの世界が控え、その上にもさらに高級な世界があって、その階梯(かいてい)は事実上無限に続き、いかなるスピリットに問うても、宇宙の絶対神について全てを知ることはできないと答えるのが通例だとのことである。

もしもこうした“霊的”な通信が気の弱い、迷信ぶかい、そしてごまかされやすい人間の心の産物であるとするならば、いったい、信心ぶかい人間や宗教家が最も大切にする信仰のひとつとこうまで真っ向から対立する説を唱え、しかも(たぶんたいていの霊媒も知らないはずの)最高の哲理すなわち全知全能、永遠にして無限なる絶対神は人間には絶対に理解できないこと、有限なる知能をもってしては未だ知られていないし、知ることができないし、“想像すらできない”、などという哲理を口にすることが有り得ようか。

では、スピリチュアリズムは何をもたらしたというのか、いわゆる霊魂はどんな新しい事実、どんな有用な知識を人間に与えてくれたのか – これはよく聞かされる質問である。

これに対する正しい回答はたぶんこういうことになるであろう。つまりもともと霊魂にとっては人間自らが己の能力を駆使して獲得するようにできているもの – その努力こそが人間にとっての鍛錬であり死後の生活への準備であるところのもの – それを人間に代わって授ける使命は帯びていないということである。

とはいえ、実生活に関連した事で霊魂からの情報が効を奏したことは豊富な記録が物語っている。たとえば最近シカゴで水不足になり、それが原因で衛生が悪くなったときの話であるが、科学者が絶対無駄と断言したのを井戸掘人が霊媒による指示に従って掘ったところ、きれいな水が尽きることなく湧いて出たという。が、こうした事実は例外なく“調査されない”まま否定されている。

そういうわけで私は、スピリチュアリズムに関してはその道徳的教説の方を重視するのである。死後の存在を確信している数知れぬ人々に目を向けたいのである。それが動機となって慈善事業に生涯を捧げている大勢の人々に目を向けたいのである。

霊界通信の流れるような名文と詩心あふれる内容、そしてそれが説くところの死後の世界の永遠なる向上進化という大いなる教義に目を向けたいのである。それは実際に読まれた方なら必ず認めるところである。

1度も読んだことのない人、あるいは1度も心霊現象を見たことのない人は、あえてみずから己の無知を表明しているに等しい問題に関して、せめていい加減な判断を下すことだけは控えていただきたいと思う。

以上私はわずかなページで概要を述べてみたが、スピリチュアリズムの教義は奥が深くかつ極めて重要な問題を含んでいるだけに、この程度の扱い方ではとても十分とは言い難い。たとえば太古より現代に至るまで連綿として発生し続けている同種の現象の歴史的証拠は全て割愛せざるを得なかった。

またヨーロッパ大陸におけるスピリチュアリズムの普及状況と著名人の研究、さらに密かに信じながらも公表していない科学者や医学者の紹介もできなかった。しかしなぜスピリチュアリズムを研究するのかという、その動機づけについては十分明らかにしたつもりである。つまりスピリチュアリズムはもはや一顧の価値だになき問題として蔑視(べっし)できる性質のものではないことを証明したつもりである。

私自身はこれまで紹介した事実の真実性と客観的実在性を固く信じており、それ故、いやしくも事の真相を知らんと欲する科学者であれば、“勝手な意見を述べる前に”、1日わずか2、3時間をかけて2、3ヵ月も調査研究すれば必ずや私と同じ確信を得ることができることを誓って断言するものである。というのも、繰り返していうが、これまでそうした実際の調査に携わった人で確信を得なかった人はいないのである。

そこで私は結論としてこう主張する。スピリチュアリズムを信奉するに至った人々のばく大な数とその質の高さ、事実の膨大な蓄積とその真実性にかんがみても、あるいはその事実が実証する人間の死後の世界の崇高なる教義にかんがみても、人体磁気や透視現象及び近代スピリチュアリズム現象に見られる俗にいう超自然現象は立派な実験科学の対象であり、その研究は間違いなく人間の本性に関する知識と最高の恩恵を大いに増すものであるということである。

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10 筆者の個人的体験

この小論文を最初に公表した時、私は自分の個人的観察には一切言及しなかった。そのわけは、その頃はまだ私的な交霊会において、それも職業霊媒を雇わずに実験を観察したことがなかったからである(素人霊媒の方が読者は安心される)。

が、その後私もより好ましい条件下で観察する機会を得ているので、ここで私の初期の体験を述べて解説を施してみようと思う。それというのも、私の知友の中には、私の体験の方がこれまで本書で紹介してきた証言者のものより彼らにとっては重みがあると、まことに有難くはあるが筋の通らぬことを言ってくれる人が多いからである。

本書で扱ってきた種類の現象で私自身が体験した最も古いものは1844年のことで、当時私はイングランド中部地方の学校で教鞭をとっていた。そのころホール氏 Spencer Hall が催眠術について各地で講演していて、その町にも訪れたので私は大勢の生徒を連れて出席した。われわれは大いに興味をそそられた。

上級生の何人かが下級生に催眠術をかけ、それが見事に成功した。そして私も数人の生徒に試してみて、ホール氏が講演会で実験して見せたのと同じ、実に不思議な現象を体験した。

私の興味は極度にあおられ、ウソごまかしのないように細心の注意を払って実験を繰り返し、現象の本質を探った。当時の実験の様子はまるで昨日のことのように、その細部まで記憶に残っている。その中から注目すべきものを2、3選んで簡単に紹介しておく。

(1)催眠中の現象 -12才から16才までの少年2人ないし3人が簡単に催眠にかかった。そして間違いなく催眠状態に入っていることを3つの方法で確認した。ひとつは瞼をめくってみると眼球が上がって瞳が見えなくなっていること。もうひとつは顔の表情の特徴ある変化。3つ目は硬直状態(カタレプシー)と、身体のどこにでも無感覚症状を誘発することができることであった。

その状態下での最も注目すべき現象はいわゆる“交感苦痛”の現象で、私が指先で被術者の頭部に触わると、その部分に関連した器官に正確な反応が出るのであった。私は長い間これは私が心にそう思うからだとばかり解釈していた。

ところがある時うっかりしてその部分がどの器官に関連するかを知らずに間違った場所を触わった。すると私が予期していた器官ではなく、やはり私が触れた部位と関連した器官に症状が出た。私はこのことに非常に興味を抱き、一人で密かに実験を行って、それが私の暗示や思念によるのではないことを完全に確認した。

そのために私は骨相学で使われる胸像を買い求めねばならなかった。被術者になった学生は1人として骨相学の知識はなく関心もなかった。それでも各器官に私が触れると、どんな順序で無言でやっても、歴然たる表情を見せ、いかなる俳優もかなうまいと思われる見事な人間的な感情の表現を見せた。

被術者と私との間の感覚の交感性は私にとって最も神秘的な現象であった。私が被術者の手を握ると、私が感じるもの、味わうもの、匂うものがそっくりそのまま被術者に伝わった。

そのときまでにありとあらゆる暗示現象を試みていた。私がこれはブランデーだと言って生水を飲ませても酔っぱらったし、からだに火が付いたぞと言うと衣服を全部脱いだりしたが、これはまた別の問題であった。

私は数人の学生に手を握って並ばせ、いちばん向うの端に被術者を置き、私が反対側の端に位置する。そうしておいて無言のまま私の身体のどこかをつねったりちくりと刺したりすると、被術者も同じ箇所に手をもっていって、つねられたとか刺されたとか言う。私が砂糖とか塩を口に含むと、被術者も口の中で何かをしゃぶるような仕ぐさをして、砂糖のときは甘そうに、塩のときは辛そうな表情をはっきりと見せた。

この現象に関して生理学者が出している説明にはひとつとして私を納得させるものは見当たらない。というのは彼らが落着く結論はきまってこうなのである – 被術者は実際に感じているのでも味わっているのでもない。

施術者が感じたり味わったりしたものを“過敏性の聴覚”で知るのである、と。しかし被術者がそのような過敏性聴覚をもっていたという説は私のあらゆる実験に反する。私は、私の感じたもの味わったものを被術者が五感によって知るのを防ぐよう特別の配慮をしたうえで実験をしたのである。

(2)覚醒状態での現象 – 私の術によって何度か昏睡状態を体験した学生のうちの何人かは平常時においても非常に感覚が鋭敏になった。手足を自在に硬直状態に陥らせることができた。が、些細なことではあるが私がおもしろいと思ったのは、その硬直状態が決して暗示によるのではなくて、本当に硬直していたことである。

あるとき1人の学生が私の部屋で硬直状態に陥っている時に夕食のベルが鳴った。私は胴体と手足をゆるめるために素早く指で空を切る仕ぐさをして、その学生といっしょに階下へ降りた。ところがテーブルに着いても片方の腕が動かず、何も言わずに私の方を訴えるような目で見ていた。私は彼の席まで行かざるを得なくなり、改めて空を切る仕ぐさをして、それでようやく食事を終えることができた。

これは奇妙でしかも重要な現象である。なぜなら少年は自分でも術が切れたと“思いながら”階下へ降りたのである。硬直は従って絶対に“思い込み”ではない。“その逆のこと”を思い込んでいたからである。私はこの少年ともう一人の少年を、五感のどれでも – たとえば聴覚でも嗅覚でも一時的に失わせることができた。

記憶力を完全に奪い取ることもでき、名前まで言えなくなって不快な思いや困惑を引き起こしたこともあるが、それがただ単に顔の前で簡単に指で空を切って“さあ、もう名前も言えないぞ”と言うだけでそうなった。

そして何分かの間当惑したあと私が逆の方向へ指を切って“さあ、もう名前がわかりますよ”と言うと、さっと表情が変わった。私の言葉がとっさに記憶を取り戻させたときの安堵(あんど)の表情だった。

当時こうした現象はたいてい被術者の側の芝居またはトリックとされたものであるが、今日では大部分の生理学者が純然たる精神現象であることを認め、これを“忘我”と“暗示”によって説明せんとする。ということは施術者の特殊な作用の存在を否定することになる。私にはこれではまるで説明になっていないように思える。

その証拠に、この説を立てる人はこの説にはまらない現象はすべて存在そのものを否定する態度に出ているのであり、催眠現象や交感苦痛現象、透視現象といった、すでに優れた学者によって細かく観察されテストされたものでも、人体ないし人間の精神にかかわるあらゆる現象を研究しているはずの学者からは科学的事実として認められていないのである。

私自身は以上のような個人的体験によってさらに微妙な催眠的昏睡(こんすい)現象を発見し、公私双方の場でそうした現象を実際に目撃して、今ではそれ以上に驚異的な現象においても詐術は行われておらず、また絶対有り得ないことを得心している。

カーペンター博士をはじめ多くの学者は相変わらず高度なスピリチュアリズム的現象で詐術でないものは全て催眠術において被術者が見せる現象と同じ主観的な印象にすぎないとしているので、ここで私は両者の特徴的な相違点を幾つか指摘してみようと思う。これはタイラー氏 E. B. Tylor にあてた書簡の中で述べたもので、1872年に学術誌 Nature に掲載された。

① 催眠術をかけられた者は自分が見たり聞いたりするものが実在するものと信じて疑わない。夢を見ている人間と同じで、置かれている環境がいかに不合理でもそれを不合理だとは思わないし、見たり聞いたりするものが現実の環境に適合しているかどうかを問いただすことはない。

さらに自分が何者であり、少し前にどこにいたかの記憶もない。たとえばロンドンの講堂へ講演を聞きにいき、それから30分後にはハリケーンに巻き込まれた大西洋航路の汽船に乗っていたり、熱帯のジャングルでトラを目の前にしていたりしても、なぜだろうという疑問はもたないのである。

その点ホームやガッピーによる交霊会の出席者は違う。そのことは心霊現象を否定する者も認めるし、まず例外なく最初にかけられる詐術の嫌疑がそれを明確に証明しているといえよう。彼らはそれ以前の現象を覚えているし、批判もすれば検査もする。メモを取るし、いろいろとテストを注文する。このどれひとつとして、催眠をかけられた人間にはできない。

② 催眠術者はある種の感受性をもつ個人(タイラー氏は“集団”というがこれはできない)に対して働きかけることができる。またそうした感受性をもつ人はごく少数に限られ、それも施術者による前もっての操作と被術者の側の受身的服従を必要とする。それなしに催眠状態に入れる人はきわめて少数で、たぶん一パーセントにも満たないであろう。

これに対し、同じ霊媒現象を他の人といっしょに目撃できる人の数には限度がない。ホーム氏並びにガッピー女史の実験会に出席した全ての人がそこで起きた物理現象を全部見ている。そのことは何百回と数える実験会の記録、それに、現象を懐疑的に見ている人の証言によっても立証されている。

それ故この2つの形態の現象は根本において異質のものである。もっとも両者に関連性がないわけではない。が一般にいわれているような関連性はない。心霊実験の場合、感受性をもつ者は霊媒であって列席者ではないのである。

霊媒は必ずといってよいほど催眠術にかかりやすく、昏睡、入神、硬直、それに異常な感覚能力を見せる。逆の言い方をすれば、催眠術にかかりやすい人間はまず例外なく霊媒的素質をもった人である。

以上指摘した通り両者の相違点はきわめて明瞭でありかつ重要な意味をもつものであって、従って両者を同一視せんとする人の論理的明快さには疑問がある。が著名な学者が自己の主張する説にそぐわない事実の意味をはぐらかしていく手口については、のちに例を挙げて改めて紹介するつもりである。

③ 心霊現象の体験と実験 – 私が博物学の研究に没頭して、南洋諸島で12年も放浪生活を送っていたころ、アメリカとヨーロッパにおいてテーブル現象とかラップ現象の呼び名ではやっているという不思議な現象の話を耳にしていた。当時の私にはすでに催眠術の知識があり、人間に科学では説明のつかないために無視されている不思議な能力があることを知っていたので、英国へ帰り次第本格的に調査してみようと心に決めていた。

そのころまでの25年間私は超人間的知性の存在に関しては全くの懐疑論者で、スピリチュアリストが騒いでいる奇跡的現象をそのまま真実として受け入れる可能性など、まず考えてもみなかった。その私が完全に思想を変えたのは、ひとえに証拠の力による。死後の存続の問題に入っていったのは決して、死によって無に帰することを恐れたからではない。

永遠の存続の可能性の証明とまではいかなくても、それを示唆する事実に真実性を確信するに至ったのは、私が永遠の存続に不条理なあこがれを抱いたからではない。実は私自身それまでの25年間に少なくとも3度は死に直面あるいはあと2、3時間の命というところまでいった経験がある。

そのときに感じたのは、せいぜい、これでこの美しい素晴らしい地球に別れを告げて、2度と目覚めることのない眠りにつくのかという、ほんのりとした物悲しさであった。これは通常の健康時の私には決して湧かない感慨であった。当時の私は死後の意識的存在などという大問題は人間の理解を超えた問題であると思っていた。

そこへ心霊現象という不思議な現象の話を耳にして、もしかしたら身体とは別個の目に見えぬ存在があるのかもしれないという、漠然とした期待を抱いていた程度であった。従って私が本格的にその現象の究明に乗り出した時は、希望的憶測や恐怖心によってゆがめられた先入観などは全くなかった。

私の主観が事実をゆがめることは有り得ないと思っていたからである。また、“霊”などという用語に対して根強い偏見ももっていなかった。そして今もって固定的定義をもつに至っていない。

私が初めてスピリチュアリズムなるものの現象を目撃したのは1865年の夏のことで、科学者で弁護士で懐疑論者である友人の家において、家族だけの列席者に混ざって参加させてもらったときである。

かなり大きな円卓を囲んで着席し、両手をその上に置いて少しすると小さい動きが始まった。よくある回転とか傾斜ではなく、ステップのような、とぎれとぎれの穏やかな運動で、それでも暫くするうちに部屋の端から端まで移動していたこともある。小さいが明瞭なたたくような音も聞こえた。観察中にありのままをつづったメモを紹介しておく。

「1865年7月22日 – 友人と奥さんと2人のお嬢さんとともに、低目の大きなテーブルを囲んで腰かける。昼間である。30分ほどしてかすかにテーブルが動くのが感じられ、続いてかすかにたたくような音が聞こえた。それが次第に強くなっていった。叩音(こうおん)は明瞭になり、動きは大きくなり、われわれは椅子をずらさねばならなかった。

それから奇妙な振動をはじめた。動物が身震いする動きにほぼ似ていた。その振動が“ひじ”まで伝わってくるのを感じ取った。この現象がいろんな変化を伴いながら2時間も続いた。あとで確かめたところでは、そのテーブルはよほどの力を入れないとあのようには動かせないことがわかった。また例の叩音もわれわれがテーブルに手を置いているかぎり出せる可能性は見出し得なかった。」

あるときは列席者が代わるがわる席を離れてみる実験をやってみた。が現象は叩音もテーブルの動きも前と少しも変わらなかった。そこで今度は私が1人ずつ席を離れてみるようにお願いしたところ、人数が減るにつれて、現象そのものは続いても勢いが衰えていき、最後に私1人になったときは、柱かテーブルの脚をこぶしでたたくような音が2つ聞こえただけだった。

聞こえただけでなくその響きが小さいながら私の身体に感じ取れた。もしも人間が出したとすれば私以外には考えられないが、私は断じてたたいてはいない。こうした実験によりその音と動きには列席者も“なんらかの形で”関与していることは確かとなったが、もしもそれに意図的な“まやかし”があったとすれば、友人の家族全員で私をだましていたことになる。

しかし別の日の実験では大きなテーブルが30分も着席していてなんの現象も起きなかった。そこで小さいテーブルに移ってみたところ、すぐさま叩音(こうおん)が起こりテーブルが動きはじめた。しばらくして再び大きい方のテーブルに戻ってみたところ、2、3分してから小さい方と同じ叩音と動きが起きた。

テーブルの動きは必ずといっていいほど曲線をえがいた。それはまるで脚に前進するための鉤(かぎ)でもついているみたいであった。右方向と左方向を交互に何回も繰り返し、ときにはそれを規則正しく行い、結果的にはジグザグ状に進みながら部屋を横切るのであった。ともかく以上の要領で都合12回余りの実験がほぼ規則的に行われた。

さて、こうしたテーブルの動きは列席者のだれかが(阻止されないかぎり)やったということも考えられるといわれれば、それを否定するわけにはいかない。が、われわれの実験によって少なくとも“必ずしもそうばかりとはいえない”ことが明らかとなった以上、全ての動きが人間がやっていると結論づけることはできないことになる。

一方叩音の方は、これは絶対に人間に出せる性質のものではなかった。テーブルのたれ板の下部を爪の長い指先でコツコツとたたく程度のものであった。全員の手はテーブルの上にあり、少なくとも私の目は常に見開いていたから、その叩音が列席者の指先によって出されたものでないことは得心している。

足の先に何か小さくとがったものをつけておけば確かに出せないことはなかったであろうが、もしそうだったとすると、以上紹介した実験は友人の家族全員で私をだました“まやかし”であったことになる。

しかし30分間も同じ位置にじっと着席していてなんの現象も起きなかったことがあること、そして起きた現象もいま紹介した程度のものばかりで、それ以上にはなんの進展もなかったことなどの事実を考え合わせると、知性と教養豊かな4人の家族がなんの得にもならない下らぬペテン現象に10数回にもわたって無駄な時間を潰すなどということはとうてい考えられない、と思うのである。私の当時のメモの最後にはこう記してある。

「これらの実験を通じて、テーブルのまわりに順序よく着席し両手をテーブルの上に置くと、その列席者の身体から未知のエネルギーが出ることを得心した。」

こうした実験観察をする少し前のことであるが、私は1人の紳士からその人の家庭内で起きている素晴らしい現象の話を聞かされていた。その中には固い物体がだれ1人触わりもせずそばにもいないのに、目を見張るような動きをしたという話も混ざっていた。そして私にぜひともロンドンの女性霊媒マーシャル夫人 Mrs. Marshall のところへ行ってみるよう勧め、その人の実験会なら同じような素晴らしい現象が見られると言った。

そこで私は1865年の9月のことであったが、たいてい友人を伴って、連続してマーシャル夫人を訪ねることになった。その友人は優れた化学者であり機械工であったが、同時に徹底した懐疑論者でもあった。われわれ2人が目撃したものは大別して2種類になる。すなわち物理的現象と精神的現象である。両者ともたいへんな数と種類があるが、その中から特徴の明瞭なものを2、3選んで紹介しておこう。

1、(私とマーシャル夫人を含む)4人の列席者が手を置いた小さなテーブルが、床から一フィートの高さまで垂直に浮き上がり、約20秒間その位置に停止していた。見物人として離れて座っていた友人は、このテーブルの胸が完全に床から離れている様子を横から観察することができた。

2、大きなテーブルで私の左側にT嬢、右側にR氏が着席していた時、T嬢が弾いていたギターが手からすり抜けて床に降り、私の足の上を通ってR氏のところへ行き、氏の脚をつたってテーブルの上に現れた。私とR氏はその様子を細かく観察したが、それはまるでギターそのものが生きているか、それとも小さな、目に見えない子供がそれを持ち運んだみたいな感じであった。これはこうこうとしたガス灯の明かりの中で行われた。

3、R氏の親戚の女性が座っていた椅子が彼女もろとも宙に浮いた。さらにその現象のあとピアノを弾いていた彼女がテーブルへ戻ったときのことである。腰かけようとすると椅子がすっと逃げる。引き寄せて腰かけようとするとまた逃げる。

これを3回繰り返したあと椅子が一見したところ床に固定されてしまったように動かなくなり、彼女の力では持ち上がらない。そこでR氏が代わって持ち上げたが、それも必死に力を入れてやっとのことであった。この実験会は晴天の日の真昼、2つの窓のある1階の一室で行われたものである。

体験のない読者にとってはいかに不思議でいかに非現実的に思えようと、こうした現象が数こそ少ないが私が叙述した通りに実際に起きたこと、そしてそこにはトリックとか詐術とかの疑いの余地は皆無であることを断言してはばからない。

どの実験のときもわれわれは始める前にテーブルと椅子を裏返して点検し、それがごく当たり前のものであること、床との間になんのつながりもないことを確かめ、われわれの望む位置にすえ、それから着席した。

現象の幾つかは初めから終わりまでわれわれの手の下で発生し、いわゆる“霊媒”とは無関係であった。くぎが磁石に引き寄せられる現象とまったく同じ実在的現象であり、それ自体は磁石現象に比べて少しも信じられないことでも理解し難いことでもないといえる。

次に最も多く発生した精神的現象は、列席者と縁のある故人の名前とか年令、その他なんらかの特徴的なことをつづる現象である。現象的にはあやふやな点があるが、うまくいくと目撃した人には実に決定的な印象を与える。

疑い深い人間が持ち出す説は、列席者が文字盤に目をやるその様子 – 通信がつづられる方法は文字盤の1字1字に目をやっていくうちに大きい叩音(こうおん)がする。それが必要な文字ということになる – によって霊媒がどの文字かを察知する鋭さと能力にすぎないとするものであるが、はたしてそれだけで説明になるものかどうかを示すために2、3の例を紹介してみよう。

私あての通信が初めてつづられたとき、私は極力ヒントになるものを与えないように文字盤の上を一定の速度で目を移動させた。にもかかわらず弟の死亡した場所の Para、名前の Herbert、そして最後に私の要請に応じて、弟を最後に見た友人の氏名 Henry Walter Bates が正確につづられた。

この日は私を入れた6人が初めてマーシャル女史を訪ねた日で、1人を除き、私を含む5人の氏名は女史には内証にしてあった。その1人というのは私の妹(既婚)で、従って私の氏名を知る“かぎ”とはなっていない。

同じ実験会でR氏の親戚の若い女性に通信が送られるとの連絡があった。そこでその女性は文字盤を手もとに寄せ、文字をひとつひとつ指示するのではなく、文字の上を一定の速度で鉛筆を左右に動かした。私がそれを観察しながら叩音(こうおん)が指示した文字を書き留めていった。

そうやってつづられた氏名は思いもかけなかった Thomas Doe Thacker であった。私は姓のつづりが間違っているに相違ないと思ったが、その名前の主はその女性の父親で、右のつづりに間違いはなかった。そのほかにも数名の人名、地名、日時などが正確につづられたが、紹介するのはこれくらいにしておく。以上の氏名は、いかに鋭敏な超人的知性の持ち主でも察知する手がかりは考えられないからである。

別の実験会に妹のほかにもう1人、今回が初めてという女性を伴って出席したとき、通信は列席者のちゅうちょする様子と霊媒の鋭敏さのせいであるとする説の愚かさを如実に示す現象を体験した。

連れの女性はある特定の故人の氏名を要求し、列によって文字盤を手もとに置き、指示されたつづりを私が書き留めた。最初に出た文字はyruの3文字で、女性は“あら、むちゃくちゃだわ。もう1度やり直しましょう”と言ったが、次に e の文字がつづられて私はピンときたので“そのまま続けてください。私にはわかりましたから”と言った。こうしてつづられた氏名は Yrnehkcocffej だった。女性は相変わらず判読できずにいたので私がそれを Yrneh と Kcocffej に分けて見せた。つまり Henry Jeffcock を逆につづっていたのである。これはその女性の要求した故人の氏名の正確なつづりであった。

力と知性の双方を必要とするもうひとつの現象に次のようなものがある。あらかじめテーブルを点検しておき、その真下に私が密かに印をつけた用紙を鉛筆といっしょに置いておく。そして列席者は全員両手をテーブルの上に置く。2、3分すると叩音(こうおん)が聞こえる。用紙を取ってみるとWilliamと書いてある。

別の実験会に田舎から私の友人霊媒とは一面識もなく一度も名前を口にしたこともない – が私とともに出席した。その友人の息子と名のる霊からの通信があったあと、右と同じ要領で用紙と鉛筆をテーブルの真下に置いたところ、2、3分して Charley T. Dodd と書かれた。息子さんの姓名の正確なつづりである。

両実験ともテーブルの下に器具は何1つ置いてなかったことは確実である。従ってもしも疑問に思うとすれば、はたして霊媒のマーシャル夫人がまずブーツを脱いで足の指で鉛筆と用紙を操り、名前を推測して書き記し、再びブーツを履き、その間ずっと両手をテーブルの上に置き、しかもそうした足の操作をだれにも気づかれないようにするということが可能かどうかということである。

さて私はその後の数か月間、マーシャル夫人のところへ行かないで自宅で同じ現象を起こそうと努力してみた。友人のR氏は間もなくわずかながらテーブルを動かす力があることを発見したが、意識的ないし無意識の筋肉作用でないことを得心させるほどのものではなかった。しかしそれによって得られた通信の文体と内容は、われわれの意識がかかわっていないことを得心させるものをもっていた。

そこでわれわれは明瞭な音等、もっと満足のいく現象を起こす力をもった人を知人の中に求めた。同じ条件下でいくらやっても、われわれだけでは満足のいくものが得られないと観念したからである。そして妹が、同居している夫人が叩音(こうおん)だけでなくほかにも珍しい現象を起こす能力をもっていることを発見した。1866年11月のことで、私はさっそくその夫人を呼んで私の家で一連の観察を開始した。その中から最も注目すべき現象を紹介しておく。

テーブルクロスのない低目の大きなテーブルで全員が両手を上に置いて腰かけると、たいてい2、3分で叩音が聞こえはじめる。その音の出所はテーブル板の裏側で、そのいたるところから聞こえた。音の種類と大きさはいろいろで、針の先か長い爪の先で突くようなものから、こぶしや平手でたたくようなものまであった。

また爪でひっかくような音とか濡れた手のひらでベタッと押し当ててこするような音もあった。そうした各種の音が次から次へと驚くほどの速いテンポで出てくる。しかもわれわれが指先でテーブルの上で出す音をほぼ正確に真似することもした。

列席者の1人が口笛で吹いた曲になかなか上手に合わせたし、こちらの要求に応じて曲を演奏(?)したこともある。こちらがテーブルをたたく拍子に合わせて叩音を出したこともある。こうしたものを自分の部屋で、明るい照明のもとで、自分のテーブルを用い、しかも列席者全員の手が見える状態のもとで繰り返し聞かされると、一般にいわれている単純な説明では歯が立たないように思える。

確かに、初めて叩音を耳にした時の第一印象はだれかが足先でたたいているような感じがする。そこでこの疑惑を晴らすためにわれわれは何度かテーブルのまわりで膝をついてみた。が相変わらず叩音がするし、それもただ聞こえるだけでなく、叩音の響きまで両手に伝わってくるのである。

もう1つの説は霊媒が腱をほぐしたり関節を鳴らしたりして出している音だというもので、これが科学者の間でいちばん一般的のようである。しかしもしもそうだとすると、だれかが自分の身体の骨または鍵でもってコツコツという音やベタッという音、ピシャッという音、ガリガリひっかいたりこすったりする音を出し、しかもそれをだれかが指先で鳴らす音や曲に合わせ素早く連続して出さねばならない。

さらにその音は列席者の位置からではなくテーブルの裏側から出し、そのたびに振動が列席者に伝わるようでなければならない。そんな芸当のできる人を連れてきてくれるまでは、こんなばかげた説を本気で信じる人間の浅はかさに、私が感嘆の念を抱き続けることを許していただいておく。

これよりさらに驚異的で私が最大の関心をもって観察したのは、列席者の筋肉作用の可能性を排除した条件下で見られたテーブルの強烈なエネルギーである。直径20インチほどの小型の仕事台のまわりに列席者が立ち、その中央部あたりに全員が両手を互いに近づけて置いた。

少しするとテーブルが左右に動きはじめ、やがて落ち着いたかに見えたら、こんどは床から垂直に6インチから1フィートほど上昇し、その位置に15秒ないし20秒ほど停止していた。その間、列席者の1人ないし2人がそのテーブルを押さえたりたたいたりしてみたが、ものすごい力で抵抗した。

だれしも最初はだれかが足で持ち上げているような印象を受ける。そこで私はその疑念にこたえるために、2度目からテーブルの裏側に密かにティッシュペーパーを張りめぐらし、足を突っ込むとすぐに破れるようにしておいた。

さて2度目もテーブルが浮上し、上から押さえつけるとまるで下に動物でもいるようなクッションを感じた。やがて一たん床にゆっくりと降り再び上昇して、最後は急に床に落ちたが、驚いたことにティッシュペーパーはどこも破れていなかった。

ただこの方法ではそのたびペーパーと紐とを取り替えなくてはならない手間と、実験が始まるまでにうっかり破ってしまう恐れもあるので、それに代えて私はカンバスで覆った円筒をこしらえ、その中にまるで井戸の中に入れるような格好でテーブルをすっぽりと入れた。

高さが18インチほどあったので足もドレスのすそも中に入る気遣いはなかった。が、テーブルはおかまいなく上昇した。霊媒の手は列席者の見ている目の前にちゃんと置かれていたから、間違いなく何か目に見えない力が作用していることは歴然としていた。この実験は繰り返し何回も行われた。以上の説明に絶対に間違いのないことに自信がある。

その他、わずか2、3度だけであったが、条件がよほどいいときにさらに驚異的な現象を目撃している。いつもの要領で大きいテーブルに向かって腰かけ、4フィートほど離れた位置にもう1つ小さいテーブルを置いた。その位置は霊媒と私の妹の背後になる。

その状態でみんなでおしゃべりをしていると、その小さいテーブルの方からかすかな音がするので目をやると、そのテーブルが短い間隔を置いてずり動きはじめ、やがて霊媒のすぐそばまで近寄ってきた。それはまるで強い引力作用でも受けているようであった。

そのあとわれわれの要請に応じて床の上に倒れて見せた。だれも指1本触れていない。しかもそれから、まるで生き物が立ち上がろうとしてもがくような仕ぐさをした。別の実験では大きな革張りの肘かけ椅子が4、5フィート離れた位置から、ほんのちょっとした準備運動のあと、突如として霊媒の方へ滑るように寄ってきた。

以上のような現象はどれも“そんなばかな!”と言われればそれでおしまいである。が、私は間違いなく事実であることを断言する。私をはじめ多くの人々が繰り返し目撃した事実に対して、簡単に“不可能”の文字を使えるほど自然界について知り尽くした人間は、いかなる業績を立てた人であっても、この世には1人としていないはずである。

1867年2月27日水曜の夜、注目すべき現象がいくつか起きた。出席者は私の妹、ニコル嬢(現ガッピー夫人)とその父親、H氏、それに私の若い友人であるM氏とM嬢で、私の妻とその妹もテーブルから少し離れた位置から観察していた。暖炉はなく、ガス灯を少し抑えぎみにした。全てがよく見える程度の明るさである。

全員が所定の位置に着くとすぐ叩音(こうおん)が聞こえた。調子が良好であるという内容であった。そこでさっそくニュル嬢とその父親の中間の床の上に置いておいたワイングラスをテーブルの上に運んでみてほしいと要求し、さらにそれを何かでたたいてみてほしいといった。

すると、ややあってから明瞭な澄んだ音が鳴り響いた。それがこんどは2個のグラスがぶつかり合う音に変わった。(グラスは1つしか置いてない。)そのあとは次から次に聞こえるさまざまな音にわれわれはただ驚くばかりであった。

たとえば2つのグラスの1つがもう1つのグラスの中に“入れられた状態で”出る音から、もう1つのグラスへ“落とされる”ときのカランという音まであった。いずれにしても2つのグラスをいろいろと操作して出す音にしか聞こえなかったが、部屋に置いてあったのは1つだけで、列席者全員の手はテーブルの上に置かれていて、まる見えであった。

次にわれわれはそのグラスを再びテーブルの上に置き、ニコル嬢とH氏の2人がそれを押さえて音が出ないようにしてみた。ところが少しの静寂のあとグラスを軽くたたくときのなんとも名状し難いデリケートな音がして、それが次第に大きくなり、ガラスの鈴でも鳴らすような冴えた音になっていった。

それから数分間、さまざまなバリエーションで続けられ、やがて小さくなり、そして消えていった。その後、私はマレー半島から持ち帰った竹製のハープをテーブルの下に置いてみたところ、ひとりであれこれ姿勢を変えたあと弦が人間の指で鳴らすのと全く同じ澄んだ大きな音を出した。

グラスでの実験がうまくいっていたのでハープではどうだろうかということでわれわれはハープにいっさい触れないで音が出せるかどうか尋ねた。するとやってみようという合図があったのでそのハープをテーブルの上に置いた。

するとややあってかすかな音が聞こえ、それが間もなく弦の音に変わっていった。それはワイングラスのときほど見事ではなかったが、明らかにハープの弦の音の擬音であった。こうした擬音をなんの物体も用いずに出す現象はニコル嬢の特殊な霊力を活用していることを、叩音による通信で知らされた。

余談になるが、ワイングラスによる擬音があまりに真に迫っていたので、列席者の中には会が終わってからテーブルを裏返して、どこかにもう1つ別のグラスを霊が持ち込んだのではないかと調べた者がいたが、結局何も見つからなかった。

否定論者はわれわれの証言の中に“出席者がやった可能性は絶対にない”という表現が多すぎると批判するが、私は右の現象においてもやはり列席者が手を出した可能性はなかったことを断言してはばからない。そして、同じ条件下において人間が見事に同じことをやってのけて、しかもその方法をちゃんと説明してくれるまでは、やはり私はその主張を引っ込めるつもりはない。

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第3部 スピリチュアリズム擁護論

(評論誌 Fortnightly Review 掲載)

1 序論

筆者はこれより最近あまねく広がりつつある心霊思想 – 大体においてちょう笑と侮べつをもって扱われているとはいえ人類の進化にとってこのうえなく重要な真理を蔵していると信じられる思想の概要を紹介するに当り、正直のところ、一方において大いなるちゅうちょを覚えるのであるが、同時にまたなんとかせねばならぬという差し迫った義務感も禁じ得ないのである。

扱う問題はその範囲があまりに広く、関連証拠はあまりに多種でありかつ驚異的であり、それにまつわる偏見は生易しいものではない。それだけに真相を正しく伝えようとすれば、どうしても細部にまでわたらざるを得ない。

それ故これから筆者にお付き合いくださる方は忍耐力を試されることになるかもしれないが、有り得ることと有り得ないことについての勝手な先入観をかなぐり捨て、提示されたものを受け入れるにせよ拒否するにせよ、各地で耳にする共通した証言の本質を慎重に吟味し、それのみを指針として真相を探れば、そのために費やされる時間も忍耐心も決して無駄には終わらないであろうことを信じて疑わない。

このせわしい時代に、特殊な問題についての膨大な本を読むほど余裕のある人はまずいない。自己の専門分野ないしは特殊な研究以外のことは定期刊行物を通じて大まかなことを知る程度である。もっとも大きかといっても分量は多くかつ綿密な内容になってきている。

現代のすぐれた思想家や研究家はその成果を機関誌や評論誌を通じて読者に知らしめることができる。そして知名度の低い人が権威ある人としてその成果を活字にして公表することを許されることは滅多にないが、これより考察する心霊問題に関するかぎり、この一般的規範は当てはまらない。

何年も何十年も心霊現象の研究に費やしてきた人でも大部分がその成果を聞いてもらうチャンスが与えられない。ところが一方そうしたことに一向に関心を示さずほとんど無知といってよいほどの人の見解が一方的に一般大衆の耳に入る。その実例として、スピリチュアリズムの現象と主張が論じられた記事の中から目立ったものを幾つか取り挙げてコメントしてみたいと思う。

雑誌 Fortnightly Review の読者なら「スピリチュアリズムの体験」Experiences of Spiritualism と題する記事を読まれたことと思う。

筆者は身分、識見ともに卑しからぬ人物で、5回も交霊会に出席して“この問題について語る資格を得るべく良心的努力を重ねた”と述べ、交霊会で目撃したことを詳しく述べてから、結論として霊媒は決して巧妙な詐欺師ではなく、“最も程度の低い手品師”であり、“心霊的な精神構造の人間は明々白々な詐術にまんまとひっかかり”大まじめで“手品を霊魂による現象と思い込む。”と述べ、最後に、霊媒もまた霊媒で、まぬけな列席者と同じように信じやすく、仕掛けられたワナにいとも簡単にひっかかってしまう、という。

さてこの筆者(アンバリー卿 Lord Amberley)が目撃したという現象に基づくかぎり、あるいはたった5回でなく50回の実験に立会った場合に得られたであろう証拠に基づいても、卿の結論は極めて論理的である。

というのは実際に卿が見たものはスピリチュアリストが確信を得る現象の見本とはほど遠く、卿がスピリチュアリズムの文献を少しひもといておれば、スピリチュアリストがその程度のもので霊の存在を確信しているのではないことは一目瞭然となっていたであろう。

そののちに出た記事(London Society 2月号)に、弁護士であり著名な作家でもあるダンフィー氏 Mr. Dunphy による次のようなものがある。

「私には固体が知らぬ間にドアを貫通して運び込まれたり重い家具が人間の手も触れずに動かされるなどということは、とても信じられなかった。哲学者はそんなことは絶対に有り得ないと断言するであろう。が、それが確かに起きたのである。

私は私的な友人の家でそうした現象の証言者の1人として何度か実験に立会った。その人たちの証言は法廷に出されても十分に通用するものばかりである。その中には貴族もおれば国会議員もおり、高位の外交官、判事、弁護士、外科医、牧師、各種学会員、化学者、技術者、ジャーナリスト、その他各界の知識人がいた。そうした人たちが集まっては実験方法を提案し合い、厳格で得心のいくものを実行してみた。

実験の前と後に霊媒(すべて素人)の身体検査をした。予告なしに中途で衣服を着替えさせるなどということまでした。縄で縛ったこともある。結び目にシールで印をしたこともある。その他ありとあらゆる工夫をこらしてみた。が、ごまかしはどこにも発見できなかったし、詐欺行為もなかった。だいいち、詐欺行為をしなければならない動機などどこにもない。実験の成功不成功に関係なく、いかなる形での報酬も与えられなかったのである。」

ここにわれわれは興味ぶかい蓋然(がいぜん)性の問題を発見する。つまりアンバリー卿の方がダンフィー氏をはじめとするそうそうたる人物より比較にならないほど観察力が鋭かった – 故に卿はわずか5回の交霊会(そのほとんどが失敗)によって、ダンフィー氏らが必死の実験・検討の挙句になお解決しかねている神秘をいとも簡単に見破ってしまったのか、それとも卿の鋭敏なる眼力もダンフィー氏らの一致協力した観察力には及ばなかった – 故に彼らの豊富な体験と、卿が目撃していない多くの現象を見たということは高く評価さるべきであり、少なくとも霊媒というものが“最も程度の低い手品師”でないことを示すものとすべきかのいずれかである。

1873年10月に創刊された季刊誌 New Quarterly Magazine に「スピリチュアリズム交霊会」Spiritualistic Seance と題する記事が掲載されたが、これは交霊会で必ず見られる類の現象の巧妙な物真似の記事にすぎなかったことが判明し、結局スピリチュアリストも否定論者もともにだまされた形となった。

これは一見するとスピリチュアリズムのまんが暴かれた事件のように映るが、実際はその逆の効果があった。というのは、驚異的現象は確かに起きるが、器械仕掛けによっても同じものを演出することができることをあらかじめ想定して行ったものだからである。この実験会では部屋の天井にも床にも壁にも特殊な仕掛けを施し、それを操作する者が待機した。経費は少なく見積もっても100ポンドはかかったであろう。

が、演出された現象は普通の実験会や霊媒の住居内でしばしば発生するありきたりの現象である。その記事が創作であることを示す証拠は明らかであるが、結果的にはそれと同じものが器械仕掛けなしでも起きることを証明する形となったのであった。

スピリチュアリズムに対する攻撃で、最近もっとも目立ったものとしては、1871年の Quarterly Review の10月号に載ったものが挙げられる。これはさる著名な生理学者の手になるもので、スピリチュアリズムの本質についての一般の人々の認識を誤らせるものをもっている。

報道された心霊現象に簡単にコメントしたあと、プランセットとテーブル傾斜による通信現象 – スピリチュアリストでさえ第三者に対する証拠としては価値を認めないもの – について相当詳しく言及し、それから次のように著者としての立場を明言している。

「そういうわけで、われわれの立場はいわゆる霊界通信なるものはそれを霊魂からのものと思い込んでいる人々自身の内部から出ているもので外部から来ているのではないということ、それは生理学者や心理学者が“心観的”と呼んでいるものに属し、テーブルの傾斜にせよプランセットにせよ、その動きは実際は当人の筋肉運動であって、それが自分の意志とは関係なく、あるいは全く無意識のうちに行われているのだ、ということである。」

こう述べてから、アンバリー卿の場合と同じくほとんど失敗ばかりの実験会の記述に入り、さらに霊界通信は全て悪魔からのものであるとする一牧師の体験を引用する。

こうした脆弱(ぜいじゃく)で決定性を欠く実験現象を引用すれば、それは当然“無意識の大脳作用”だの“予期観念の作用”だの“無意識の筋肉作用”だのといった常とう表現で片づけられるにきまっている。もっとも、驚異的な現象も2、3取り挙げてはいるが、結局は信のおけぬものであるとして、その目撃者の証言に疑念を投げかける仕末である。

しかもそうした現象に対するこれまでの膨大な量の証言やその価値、あるいは霊魂説が確立されるに至った一連の現象に関しての情報は一片も紹介されていない。

ヘア教授とクルックス博士の実験が引用されているが、この経験豊かな2人の物理学者は力学の最も単純な基本原則を知らず最も平凡な用心を怠っているといった趣旨のことを述べ批難している。

重い物体が指1本触れないのに動いたという数多くの、そして多種多様な現象の記録については言及せず、それどころか、唯一引用したバーレー氏 C.F. Varley の白昼小さなテーブルが指1本触れずしかも自分がいちばん近い位置にいたときに10フィートも浮揚したという例を“この種の精神の持ち主が自分の想像にだまされやすいことを示す一例”として挙げているのである。

この記事は、他に紹介したものと同様に、“1つの見解に対応するときにはそれを支持する最高のものをもって対応しなければ真に対応したことにはならない”という格言を、筆者が完全に忘れていることを示している。

霊魂説を支持するものとして収集された膨大な量の記録の中には、もちろん根拠に乏しく決定力を欠くものや、証拠として全く無価値なもの – 個人的には説得力をもつ理由があるものは別として – が数多くある。従ってそうした未整理の状態の資料の中からケチのつけられるもの、あるいは他の説で簡単に片づけられるものを拾い出すことくらいはいとも簡単なことである。

が、いったいなんのためにそんなことをするのであろうか。霊魂説を信じる人はそんないい加減なものを根拠としているのではない。もっと説得力のある、繰り返し目撃された、そして繰り返しテストされた事実を根拠としているのである。そうした事実には右の記事の筆者たちはそろって目をつむっている。

チンダル教授も1871年に発行された「科学についての断章」Fragments of Science の中で心霊現象を取り上げている。これまた失敗した交霊実験について細かい記述が載っているが、その中で教授はアンバリー卿と同じように自分自身のお粗末な体験を間に合わせに活用してスピリチュアリストを軽信的すぎると決めつけている。

その記事は一八六四年に書かれたものである。従ってわれわれとしては教授はその当時はまだ十分な心霊知識を持ち合わせず、他人が目撃したり証言したりしたものに関する知識を持ち合わせなかったと結論してよかろう。さもなければ、この程度の論文を学者としての研究成果の1つとして、また人類の知識への付加物として自信をもって発表することは有り得なかったはずである。

彼が引用した事実と推論についてはアレクサンダー氏 P. F. Alexander の「スピリチュアリズム – 論説と議論」Spiritualism-a Narrative and a Discussion という小論文の中で見事に論ばくしている。私はこの論文を、同じ現象を鋭敏にして偏見のない目をもった人だったらどう見るか、そして科学的見地からみてもチンダル教授が挙げた体験がいかに根拠薄弱であるかを知りたい方にぜひ一読を薦めたい。

1868年に Pall Mall Gazette(新聞)に載ったディスカッションや私の個人的文通を通して、私は科学者というものがほとんど例外なく、1つの研究を始めるに当たって頭初から自分で条件を設定することを許されると思い込んでいること、そして、もしもその条件下で何も発生しないときはそれをペテンとか妄想と決めつけるものであることを知った。

が実際は彼らも他の研究分野においては、必須条件を決めるのは彼ら自身ではなく自然界であることは承知しているのである。それがどういうものになるかはコツコツと研究することによって知っていくほかはなく、しかも各分野によって異なるものである。

ならば物理学者がまるで知らないような霊妙なエネルギーを扱う分野において、その条件は従来とはどんなにか異なったものになるであろうことが予想される。

従来と同じ条件下で扱うことを求めるということは、実質的には心霊問題に偏見をもつことを意味する。なぜならそれは物理学の世界と心霊学の世界とがまったく同じ法則によって支配されていると考えていることになるからである。

著名な科学者の心霊観を以上の如く概観することによってわれわれは、彼らの心霊問題に対する態度をほぼ正確に把握することができる。要するに彼ら自身は心霊現象をほとんど見ていない。そして他人が見たというものはなおさら信じられない。

たまたまトリックによって簡単にだまされる人に出会って、スピリチュアリストはすべて無意識的ないし故意にその程度のやり方で演出されたものによって霊魂説を信じているのだと結論づける。

それ以上に驚異的な現象があると聞いても、それは実際には存在しないものと先験的知識を根拠にして断定し、霊魂説を支持する直接的証言を前にしても、そういう人間はことごとくある神秘的妄想の犠牲者であると決めつけたがる。

こうした精神構造の持ち主はより身近な個人的体験でも全く無意味であることは明らかである。カーペンター博士の名言を引用させていただけば彼らには“そうした事実の落ち着く場が思想構造の中に存在しない”のである。

故に彼らはまずその“思想構造”そのものを改築する必要がある。そのためにはスピリチュアリズムを歴史的に概観し、各分野の研究によってその真実性を物語る証拠がいかに幅広くかつ多様なものであるかを示し、それらが1つの結論に向けていかに見事に融合しているかを知らしめるのがいちばんと思われる。

私はその歴史の中の典型的な証拠を各分野から不要な枝葉末節を省いて紹介することによって、霊魂説がいかに膨大な証拠の積み重ねによって成立してきたものであるかを明らかにしてみたいと思う。

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2 歴史的考察

近代スピリチュアリズムのぼっ興は1848年3月にさかのぼる。言い換えれば17世紀及び18世紀にモンペソン Mompesson とウェスレー Wesley の家族を悩ませた不可思議な叩音(こうおん)と似たような原因によって知的交信がその年になって確保されたということである。

その主役を演じたのがフォックス Fox 姉妹(当時9歳と12歳)で、今日“霊媒”と呼ばれている超能力者の中でも最初に調査研究の対象とされた人物である。

この最初の“近代心霊現象”が、彼女の家族の住むニューヨーク州ハイズビル村の全住民によって徹底的にその真偽性を調べ上げられたという事実は注目に値する。全住民が彼女たちを疑ってかかったのである。が叩音(こうおん)の原因はだれも突きとめることができず、その後フォックス家がその家を去ったのちも、激しさこそ減ったが、ずっと続いた。

そうした原因不明の騒音を霊魂の仕業とすることは愚かであり非合理的であるとする意見は耳にタコができるほど聞かされている。確かに、その騒音があくまでも騒音にすぎないのであれば、愚かしく非合理であると言われても致し方ない。

が、単なる騒音と思われていたものが実はある事実を物語る符ちょうであり、その事実はその場に居合わせた人々の全然知らないことであったにもかかわらず実際の事実であることが判明したとしたら、それでもはたして非合理であろうか。

しかもその事実というのは5年前にその家で殺人事件があり、死体が地下室の地下に埋められているというのである。警官の立会いのもとに行われた発掘作業の結果、事実その地下6、7フィートのところから白骨死体が発見され、さらにその後の調査で、確かに5年前に1人の行商人がその土地を訪れたきり、そのまま行方不明となり、しかもその家の住人が5年前からいなくなっているということが判明した。

通信者は自分がその殺された男だという。立会った人々もその通信がどう調べても生者からのものでなく常識的な原因が考えられないところから、結局その通信者は殺された男の“霊”であるという結論に達した。この“霊”という用語は科学者にとって抵抗のある用語であるが、ここでは“現象を起こす知的存在”といった程度の意味であって、特に明記しないかぎり“死者の霊”を意味しないものと理解されたい。

さて心ならずも霊媒となってしまったフォックス姉妹は、その後ロチェスター市へ引越したが、詐欺の疑いで市当局が組織した調査委員会による尋問を受けた。委員会は続けて3つも組織され、それぞれの調査が行われた。

3番目に出来た委員会は前の2つの委員会をまぬけの集りか、さもなくば犯罪の黙認者であると批難するほどの強硬論者から構成されていたが、徹底した調査の末にやはり原因は不明であるとの結論を出した。

フォックス姉妹は複数の女性によって身体検査され、“枕の上に素足で立たされ、関節部分はすべて衣服の上から紐で縛られた”にもかかわらず、壁と床から叩音(こうおん)が聞かれた。この強硬派ぞろいの委員会の出した報告書にはこうある。

「委員全員が叩音を聞いたが、その出所はついに突きとめることができなかった。現象に際して器具も詐術も使用されていないことが証明された。委員から出された質問 – その多くが知的な内容のものであったが – に対しても正確な返答が返ってきた。」

霊媒が12歳と9歳という2人の少女であり、しかも委員会のメンバーが強硬な否定論者ぞろいであり、頭から詐術を暴くことを目的として結成され、市民からも期待されていたという点を考慮すれば、この初期の段階においてすでに詐術だとか妄想であるとかの問題は結構解決されていたと私は考えるのである。

こうしたことがきっかけで、間もなく、フォックス姉妹の実験会に出席した人々の中に程度の差こそあれ似たような能力をもった人がいることがわかり、それから1、2年後にはいわゆる心霊実験会が合衆国の大半に広がり、現象の内容も多彩となった。

それはいきおい激しい批難と悪意を込めた敵対行為をよぶことになったが、同時に最高の知識人や学者の間にその真実性を信じる人を生んでいった。そうして1851年に至ってニューヨーク州に知識人による最初の研究グループ – 判事、上院議員、医師、弁護士、貿易商、牧師、それに作家 – が結成された。

このあと紹介するエドマンズ判事もその1人であった。3年後には2つ目の研究会が同じニューヨークに出来た。そのメンバーの中には4人の判事と2人の外科医がいた。これによっても、心霊問題がそのころすでに立派な研究対象となっており、社会的に高い地位を占める人々がそれに携わることを敬遠しなくなっていたことが知れる。

それから少しのちに著名な農業化学者メイプス Mapes 教授がスピリチュアリズムの本格的研究に着手した。教授はまず、12名の知友でサークルを結成した – そのほとんどが懐疑派であった – そして週に1度、都合20回の実験会を開いたが、18回目までは満足のいく現象は見られず、メンバーのほとんどが時間のムダであったと苦り切っていた。

が最後の2回の実験は目を見張らせる素晴らしいもので、それがきっかけで同研究会は“4年間にわたって継続され、結局全メンバーがスピリチュアリストとなった”のだった。

このころはスピリチュアリズムも合衆国全土に広まっていた。一方ではペテン師だのおめでたい連中だのと批難されたり、教職や聖職から追放されたり、精神病者として隔離されたり、いろんな人々によって無責任な解釈を施されたりしながらも、着実に存続し続けた。

その存続の秘密は、だれがどう勝手な解釈を施しても、それが現実に起きている現象に当てはまらないこと、そして現象の目撃者が数多くいたことであろう。真っ昼間、群集のいる前で霊媒が宙に浮いたことがあった。

さい疑心をもつ科学者が瞬間的に照明を当てられる装置を考案し、暗やみの中での実験でドラムが演奏されている最中に照明を当ててみたら、1本の棒だけがドラムをたたいていて、人間はだれ1人いなかった。しかもそのあとも2、3度たたいたあと、その棒が宙に浮き上がり、やがて一婦人の肩にそっと降りたという。

カナダのトロントでは完全な照明の中でカギの掛かったピアノが歌の伴奏をしたという。無学文盲の召し使いの少女の腕に文字が浮き上がって通信文がつづられたこともあった。その少女自身にはなんと書いてあるのか読めないことが多く、家の主人か奥さんが読むと消えていったという。

封書の中の文章を読んだり質問に答えたりするのは数多く見られた。言語はなんでもよかった。記録にあるものだけでもドイツ語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、中国語、フランス語、ウェールズ語、それにメキシコ語で、それに対する回答も同じ言語で正確に書かれた。が霊媒自身は普段はまるで読めなかったという。見たこともない、名前すら聞いたことのない人物の肖像画をえがく霊媒もいた。病気を治療する霊媒もいた。

が、スピリチュアリズムの普及という点で最も活躍したのはけだし入神霊媒で、流ちょうにして力強い言葉でスピリチュアリズムの原理と効用を説き、反論に答え、心霊現象に関する知識を広め、懐疑的だった人がその影響を受けて調査研究に着手したりした。そういう人は必ずといってよいほどその真実性を確信することになった。

英国を訪れた3人の入神霊媒による講演会に私は何度も出席して聞いたが、その磨きのかかった雄弁さといい、キメの細かい論理的教説といい、あるいは質問に対する適確にして説得力ある返答といい、英国の最高の雄弁家や説教者に優るとも劣らぬものがあった。印象的だったのはその態度のいんぎんさと当たりの柔らかさで、とくに猛烈な反論と非礼きわまる批難に対して見せた超然とした我慢強さと穏やかさに私は強く心を打たれた。

こうした多彩な現象によって最高の地位と学識ある人々の中に賛同者が出てきた。事実を組織的に根気よく考究すれば、いかなる学識をもってしても、いかなる法律的、医学的、科学的教育をもってしても、事実の有する圧倒的迫力には抗し切れなかったということである。

当時の米国内のスピリチュアリストの数は信ずべき筋の計算によれば800~1100万人であった。これは実はエドマンズ判事の推定である。これを誇張だという人がいるが、当時はまだスピリチュアリストでありながらどこかの教会に属し、自ら私はスピリチュアリストですと名のることがなかった事情を考慮しなければならない。1870年におけるスピリチュアリスト連盟が20、協会が105、講演者が207人、霊媒もほぼ同数いた。

他の国々においてもスピリチュアリズムの潮流は大小の差こそあれ着実に進展しつつあった。英国へは米国からさらに著名な数名の霊媒が訪れ、各階層に賛同者を生んだだけでなく、数多くのサークルを結成させ、また多くの家庭で霊媒的素質をもつ人を発見することにもなった。

現在(19世紀後半)ヨーロッパ大陸のどの市どの町でも、100の単位を数えるスピリチュアリストがいる。信ずべき筋によるとパリには5万人、リヨンには10万人いるという。フランスには4種の心霊定期刊行物があり、その1つは毎週5000部が出るという。右のスピリチュアリストの数字はこの数字から割り出した大ざっぱな数字かも知れない。

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3 歴史的考察からの結論

このあと筆者は著名な知識人がスピリチュアリズムを信じるに至った証言を紹介するが、その前に、そうした事実つまりあらゆる階層のおびただしい数の人々が最初はほとんど例外なく嫌忌または軽べつの態度でペテンないしは妄想であると決めつけて臨みながら、最後にはその真実性を認めるに至るという事実はいったい何を意味するかを考察してみたい。

人類の思想的歴史を通じて同じような例を私は知らない。人間はだれしも、そんな現象は絶対に有り得ない – 1度も起きたはずはない、という確信から始まる。信じる人間の数はその真理の証拠にはならない、とよくいわれる。これはたいていの宗教には当てはまるかも知れない。その教義は感情と知性にのみ訴え、知覚的実証性に欠けているからである。

また近代科学の大部分についてもいえる。万有引力の存在とか光の波動説はほとんどだれしもが信じているかも知れないが、だからといって真実性についての実感が少しも増すことはない。それというのも、大部分の人間はそれを立証する事実を実験してみたわけでもないし、その理論についていけるわけでもないからである。これはいうなれば科学という一種の権威を頼りとした盲目的信仰なのである。

が、心霊現象の場合はわけが違う。だれにとってもそれは初めは目新しく、不可思議で信じられず、普段の常識的思考を超えており、さらにその時代の一般的科学思想をも超越しているために、他の分野のような間接的な証拠だけではとうてい信じることも受け入れることもできない。

従って心霊現象に関するかぎりその実在を信じる人が何十万あるいは何百万もいるといった場合、この数は自分で実際にその現象を目撃し調査し、繰り返しテストして、その結果としてそれが有り得ることであることを認め、真実であることを認めざるを得ないと得心した人間の数なのである。

言い換えれば心霊現象がペテンであることを暴こうとして試みられたあらゆる“暴露行為”も、錯覚ないし妄想にすぎないとする“否定論”も、1つとして成功しなかったことを意味する。

スピリチュアリズムにも“ロバの橋”がある。(訳者注 – ユークリッド幾何学で2等辺3角形の両底角が等しいという基本的定理も理解できない生徒がよくつまづく橋のこと。橋とは定理の証明として引く補助線と底辺とが一見橋のように見えることからそういう。

(暴露せんとたくらむ者や錯覚・妄想のたぐいとして片づけんとする者にはその“橋”が越えられない。そうした人間はテーブル現象くらいではダメである。白昼重い物体が浮揚し、まるで知性をもった存在によって操られているかの如く振る舞う現象を、磁石が鉄を引きつけるように“いつどこでも、どんな条件下でも”可能であることを見せつけなくてはならない。

自動書記であれば(これは筆記する本人しか得心できず、ときには本人すら得心しないことすらある)レイトン A. Leighton のように鉛筆にも用紙にも指1本触れずに通信が得られるか、ないしはロンドンにおけるD・D・ホームの実験会であったように、ただ手だけが物質化して出現して鉛筆を握って書く、ということでもしないかぎり、彼らを得心させることはできない。

こうした驚異的な現象のおかげで、スピリチュアリズムには1度得心した者が信念を翻したという例はほとんどゼロに等しい。私が知り得たかぎりでは、自ら心霊現象を検討して結局はその真実性を否定したという例を知らないのである。

いわゆる“暴露行為”や“妄想説”等にしても、それがどこまで効果があったかといえば、結局は“霊魂説”を否定するというに留まっており、“現象の実在”を否定するには至っていない。こうした部類の人間は大体において実際には不可思議な現象を目のあたりにして極めて気詰まりで落ち着かぬ心理状態にあり、なんとかして全てを簡単に“片づける”説を探し求めんとする。そしてなんの結論も出し得ない。

その格好の例が長年 Journal of Mental Medicine という精神医学雑誌の編に携わっているロバートソン博士 J. L. Robertson である。博士は内科医で精神病を専門としている方であるから、およそ心理的妄想によってだまされる人ではない。その博士が今から14年前に強烈な現象を目撃した。頑丈なテーブルが博士の要求に応じて木っ葉みじんに砕かれたのである。

博士の自宅での出来事であり、そのとき博士は霊媒の手を握っていた。そのあと博士は念のため折れ残った1本の脚を思い切り折ろうとしたが、どうしても折れなかった。さらにもう1つのテーブルが出席者全員を乗せたまま左右に揺れ動いた。

その後D・D・ホームの実験会にも出席し、いつもの現象 – 楽器がだれも手を触れないのに演奏したり、手先だけが物質化して鉛筆を握って文章を書く等々 – を目撃し、“人間が指1本触れずに演奏した見事な音楽”“足もとにリンゴが落ちた事実を疑えないように、こうした(いわゆる)スピリチュアリズムの物理的現象を疑うことはできない”と述べている。

その報告書はいっしょに出席した友人の確認のもとに「スピリチュアリズムに関する弁証法学会報告」Dialectical Society’s Report on Spiritu-alism に載せられた。そして1870年のスピリチュアリストの会合でも右の事実を改めて肯定しながら、それが霊的な要因によることは否定しているのである。

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4 著名霊媒とその研究者たち

3人の霊媒

本項ではスピリチュアリズムの発展に寄与した世界的な名霊媒を取り上げ、その驚異的な現象を一流の学者がどのように研究したかを検討することによって、スピリチュアリズムがいかに広範囲な要素をもつものであるか、そしてまた、それに対して研究者がいかに決定的な結論を出しているかを紹介する。

【1】ケート・フォックス Miss Kate Fox

近代的霊媒の第1号であり、当時わずか9歳であったが(後年結婚してジェンケン夫人となってから語ったところによれば実際は5歳だったという)、以後26年間その霊能は衰えをみせなかった。

ケートの身のまわりに不思議な現象が起きることが広く話題になるようになってからというものは、うたぐり深い連中や研究グループが入れ替わり立ち替わり押しかけたり自分の家へ連れて帰ったりして、そのトリックを暴こうと努力したが、ケートの霊能はそうした企てをものともしなかった。

中にはおもしろい実験をした人がいた。1860年つまりハイズビル事件が有名になってから10年あまりたってからのことであるが、英国のチェンバーズ博士 R. Chambers という人が米国を訪れ、例のR・D・オーエン博士に天びんを使ってケートの“物を持ち上げる力”を試してはどうかと提案した。

賛成したオーエン氏はチェンバーズ氏と共に強力な“さおばかり”を持って予告なしにケートを訪ね、重さ121ポンドのテーブルを使って次のような実験をした。

まずそのテーブルを持参のさおばかりで釣りさげ、ケートと姉のマーガレット(同じく霊能があった)の足をオーエン氏とチェンバーズ氏が足で押さえ、出席者全員の手をテーブルの上に触れない程度にかかげた状態で、テーブルの重さがこちらの要求に応じて上がったり下がったりした。1ばん軽い時は60ポンド、1ばん重い時は134ポンドにもなった。この実験はファラデーが決定的実験として提案していたものである。

オーエン氏はこのほかにもいろいろと実験を試みているが、実験に際しての警戒ぶり、つまりトリックの予防措置はたいへんなもので、あるときは自分とケート以外の者の立会いを断り、また実験の直前にわざと部屋を替えることはしばしばであった。家具類は1つひとつ自分で点検し、ドアにはカギをかけてその上に紙で封をしたり、ケートの両手を握ったままで行ったこともあったが、そういうことにはおかまいなく次々と驚異的な現象が起きた。

その中でも最も驚異的だったのは、オーエン氏がひそかに持ち込んだ1枚の用紙が発光し、その明かりで黒い手が床に何かを書いているところが映し出されたことだった。その用紙はそのあと浮上して今度はテーブルの上に乗り、その上に書いてあった文章を映し出した。それはある約束事であったが、のちに確認されている。

が、ケートの霊能が最高に発揮されたのはニューヨークの銀行家リバモア氏 Mr. Livermo-re が実験したときだった。氏も最初はまったくの懐疑心から出発し、実験回数は延べ300回余り、期間は4か年にのぼり、実験室も自宅とケートの家とを交互に使用した。

その間に起きたさまざまな現象の中心となったのはリバモア氏の亡妻の物質化現象で、肉眼に映じるだけでなく手で触わってみることもでき、しゃべる声もはっきり聞こえたという。容姿は実に明瞭で、生前の容姿と寸分変わらなかったそうである。よく部屋中を歩きまわって、置いてある家具類をその手で動かし、カードに通信文を書き記したりしている。

現れ方はいろいろであったが、光輝性の雲のような塊りがまず現れて、それが次第に人間の容姿に変わってゆき、用事が終わると見ている目の前で一瞬のうちに消え失せたことが何度かあったという。当の霊の許しを得てドレスの一部を切り取らせてもらったが、手に取って見るとガーゼのようで、いかにも普通の布で出来ているように見えても、やがて消えてなくなったという。花も物質化されたが、これもすぐに消えてしまった。

こうした現象はリバモア氏とケートが2人きりのときに最高のものが起きているが、ほかに特に列席を許された人が2人いて、1人はリバモア氏と懇意の医師、もう1人はリバモア氏の従弟に当たる人で、始めは真実性を疑っていた。

4年にわたる心霊実験の成果は1862年と翌63年の Spiritual Magazine 誌に発表されているが、オーエン氏の著書 Debateable Land にはさらに驚異的な記録が載っている。またこの著書を一読すれば、そうした驚異的な現象がいかに厳しい条件と用心のもとに行われたかが理解できるであろう。

なおケートはその後英国へ渡り、そこでもある有能な学者のテストを受けてその威力を証明されているが、その後英国人の法廷弁護士と結婚、やがて生まれた赤ん坊にも、ケートの留守中に異常現象が起きてナースを驚かせたという話が残っている。

ケートの霊能は35歳ですっかり消えてしまったが、26年にわたる霊媒生活は永遠に消えることのない事実をわれわれに残してくれている。すなわち心霊現象を解明するカギはただ1つ“霊魂説”以外にはないということである。

【2】D・D・ホーム Daniel Dunglas Home

けだしホームは心霊史上最高の霊能者といってよい。そしてこの霊能は少なくとも20年にわたってテストを受けて1度もその真実性を疑われたことがなかった。幸い初期のころホームを実験したブルースター卿(前出)とブルーム卿LordBroughamの記録があるので抄録する。ちなみに両者とも徹底した懐疑論者だった。

「…だれも手を触れていないテーブルが本当に宙に浮いた。また小さなハンドベルをカーペットの上に伏せて置いたら、だれも触れないのに鳴りだした。そしてこんどはそれが同じカーペットの反対の位置に移動し、次に私(ブルースター)の手の上に乗った。さらにブルーム卿の上にも乗った。」そしてこう付け加えている。

「われわれ2人にはこれらの現象がなんであるのか全く説明できなかった。同時にまた、いったいこうしたことがどんなカラクリでどういう具合にして起きるのか憶測することすらできなかった。」(Home Life of Sir David Brewster)

これが奇術に関する著書 Letters on Natural Magic の著者の言葉であるだけに価値があるが、その当人が6か月後にはモーニング・アドバイザー紙への書簡の中で“これまでの観察で私は結局すべては人間の手と足でできることを得心した”と矛盾したことをいっている。

これに類する現象やこれよりはるかに驚異的な現象が当時から20年間にわたって何千回も起きたのである。それもホームが気軽に立ち寄った家庭内で起きているのである。そしてホームはそれらを、見る人が納得するまで思うように調べさせている。筆者も調べさせてもらった1人で、氏が片手で持っているアコーデオンがひとりでに演奏していたとき、私は近づいてキーを一つひとつ見つめたのであるが、どこをどう見てもトリックではなかった。

が、ホーム氏の霊媒現象の中で最も数多くテストされ最も驚異的とされているのは耐火現象であろう。半入神状態で氏は炉の中から真っ赤に燃えさかる石炭をつかみ出し、部屋中を持ち歩いて出席者にそれが本物であることを確認させる。

これはジェンケン H. D. Jencken, リンゼー Lord Lindsay, アデア Lord Adare, ダグラス Miss Douglas, ホール S. C. Hall、その他多勢の名士によって証言されている。がもっと不思議なのは、そのしゃく熱の石炭を列席者に持たせることまでできたことである。頭に乗せたこともある。ホール氏が五人の列席者の見ている前で頭に真っ赤な石炭を置かれたときの様子を夫人が次のように叙述している。

「主人はほぼ私と反対の位置に腰かけていました。ホーム氏はほんのちょっと主人の椅子のうしろに立ったあと、なんと、主人の頭の上に燃えさかる石炭を置いたのです!私はその後何度かそのときの様子を思い出して、よくもあのとき私が仰天しなかったことだと不思議に思うのですが、事実少しも怖いとは思わなかったのです。

絶対大丈夫という確信がありました。だれかが熱くはありませんか“と聞くと、“温かくは感じますが熱くはありません”と答えていました。それからホーム氏は少し主人から離れましたが、再び近づきました。相変わらず半入神状態です。

にっこりと笑い、とても満足そうでした。それからその真っ赤な石炭の上に主人の白髪を覆いかぶせました。赤い石炭を下にして主人の髪は銀色の糸のような様子を呈しました。ホーム氏はさらに主人の髪をピラミッド型に整え、中の石炭がその底を赤く照らし出していました。」(Spiritual Magazine 1970)

石炭を取り除いてみたところ頭部はやけどもなく毛1本焦げていなかった。ところが取り除いた石炭を他の者が指で触わったところやけどした。リンゼー卿とダグラス夫人も真っ赤な石炭を手のひらに置いてもらったが、熱いというよりはむしろ冷んやりとした感じすら受けたという。

でもやはり他の者が勝手に触わるとやけどし、顔を近づけすぎてもやけどをした。またホーム氏は同じくしゃく熱の石炭を自分のチョッキの内側に入れてみせたが、全く焦げなかったことを右の出席者全員が証言している。

紙の上に置いても燃えもせず焦げもしなかった事実がある。1870年2月号の Human Nature でニスベット氏 N. Nisbet は概略次のような事実を述べている。

1870年1月にホーム氏は自宅においてまず2人の列席者に真っ赤な石炭を素手で握らせたが、2人はただ温かいと感じただけだった。次にホーム氏はそれを折りたたんだ新聞紙の上に置いた。すると見る見るうちに焼け抜けて大きな穴があいてしまった。ところが別の真っ赤な石炭を炉から取り出して同じ新聞紙の上に置き3分間ほど持ち歩いたが、こんどは全然焦げなかった。

これに類する現象は多勢の目撃者の前で数え切れないほど起きている。もはや疑う余地のない事実である。そしてまた、生理学や熱理論ではとうてい説明のつかない現象である。

最近ではコックス軍曹 Sergeant Cox とクルックス博士によって個別にテストされているが、両者とも、ホーム氏が自分の方からテストするよう申し出てくる、とその態度に感心している。軍曹は自宅における実験に際し、その当日にわざわざアコーディオンを買い求め、それを手にしていたところホーム氏がピアノを弾きはじめると同時にそれがひとりでに演奏しだした。

続いてホーム氏はそのアコーディオンをキーが下向きになるように左手で持ち、右手でピアノを弾いていると“そのアコーディオンがピアノに合わせて少なくとも15分ほど見事に演奏した”という。(What Am I ?)

こうしたホーム氏の現象がトリックである可能性に関しては次のようなトロロープ氏(前出)の言明がある。

「もう一言付け加えさせていただけば、手品の権威の1人であるボスコ Bosco は私との会見の中で、私が目撃した種類のホーム氏の現象が彼の専門である手品を使って行われたのではないかとの説を、鼻であしらうように否定した。」

ホーム氏の生活はきわめて大っぴらであった。地位と才能に恵まれた人々の家にしばしば招待されてテストされながらの生活である。知人の中には科学、芸術、文学の分野での著名人も多い。現象を見もせずに否定してかかる人種に比して決して感性も理性も劣らない人たちばかりである。

これまでの20年間にわたって数え切れないほどの研究家によって懐疑の目で調査と吟味にさらされながら、ついにトリックの証拠1つ、器具1つ見つかっていない。もしもトリックだとすれば、現象の驚異性から推して、よほど精巧で、変幻自在で、しかも何人もの助手と共謀者を必要とする厄介な装置なしには演出できないであろう。幻覚説も同じく容れられない。幻覚を現実と区別するよい手段があれば話は別であるが。

【3】ガッピー女史 Mrs. Guppy(旧姓ニコル Nichol)

最後に紹介するのはガッピー女史であるが、筆者は女史が霊能を発揮しはじめた頭初から観察し、また私的な交際を続けた間柄なので、いろいろと紹介することが多い。

実は私がはじめて女史を知ったときはまだ未婚でニコルといい、スピリチュアリズムのことは何1つ知らなかったのであるが、あるとき私の家での実験会に招待したときに女史が非凡な霊能をもっていることを知った。それは1866年11月のことで、それから数か月にわたって女史を使っての交霊実験会を何回かやってみたのである。そんな次第で私は女史の霊能が徐徐に発達していく過程を手に取るように観察したわけである。

私が初めて女史の霊能もこれで本物だと感じたのは、女史も含めた4人の列席者が手を置いていた小さなテーブルが床から完全に浮き上がったときで、列席者が足を使って上げるのを警戒して(それ以外に上げようがない)いろいろと手段を講じてみたのであるが、テーブルはそんなことにはおかまいなく上がり続けた。とくにドラマチックだったのは、女史を乗せたまま浮き上がったときで、それも白昼であった。

当時の現象で特におもしろいものを手もとの記録の中から紹介してみよう。

ある友人宅での実験会であったが、中央にテーブルを置き、そのまわりに女史を含めて出席者全員が着席した。テーブルの真上にはガラスのシャンデリアが提がっている。女史のすぐ隣りに私の友人が着席して女史の両手を握った。この友人は私以外の人には一面識もない人である。そしてもう1人が要求があり次第いつでもマッチで明かりがともせるように用意をしている。その状態で次のような現象が起きた。

まず女史が着席していた椅子がいきなり引っぱり取られて女史は起立せざるを得なくなった。両手は握られたままである。それから1、2分してワイングラスをそっとテーブルに置くようなかすかな音が聞こえた。同時に衣服がすれるような音と、シャンデリアのペンダントが触れ合う音がした。

そのとき女史の手を握っていた友人が“女史がいなくなりました”と言った。そこですぐに照明係がマッチをすって明かりをともしてみると、驚いたことに女史はすぐ目の前の“テーブルの上で”椅子に腰かけている。そしてその頭のテッペンがシャンデリアに触れていた。

手を握っていた友人があとで言うには、女史の手は音もなく滑るように抜けい行ったそうで、あのガッチリとしたボリュームのある女史の身体を考えると、暗やみの中で数人の列席者が囲んでいるテーブルの上に椅子を持ち上げ、その上に音もなく腰かけるという芸当は少なくとも物理的にはとても不可能だと思ったし、今でもそう思うのである。

音楽現象もよく起きている。それも女史の場合は部屋になんの楽器もないときに演奏され、あるときは、初めて出席したドイツ人が好きな曲を数曲うたったところ、その歌に合わせて見事な伴奏が聞こえた。このときも出席者全員が手を握り合って円座を作っていた。

が、私がガッピー女史の霊媒現象の中でいちばん素晴らしいと思ったのは花と果物の速製現象で、それが初めて起きたのは女史の霊能が発揮されはじめたばかりの、ごく初期のころのことであった。真冬のことで、私の家に友人ばかりを集めてガス灯のついた暖かい部屋で実験会を開いたのであるが、女史は早目に訪れてお茶を飲んでいた。

そして4時間ほどたってからガス灯を消して実験に入ったのであるが、ふと見ると、始まってまだ2、3分しか経たないのに早くもテーブルの上に色とりどりの花が置かれている。アネモネ、チューリップ、菊、サクラソウ、それに数種のシダ類などであった。

ガス灯を消す前には間違いなくそのようなものは無かった。いずれも温室からたった今持ってきたばかりのように生き生きとしており、花びらにはしっとりと露がついている。花びら1つ取れておらず折れてもいない。シダの細い先端にも人の手が触れた跡がまったく見られず、文字どおり完全な状態である。

私は列席者全員の証言、つまりそのときのあらゆる条件から考えてそれらを人間が外部から持ち込むということは絶対に不可能であったとの証言を用紙に書いてもらった。そのときも思ったし今も信じて疑わないが、実験開始の4時間も前から前述のような完全な状態でどこかに隠しておくということは絶対に不可能なことである。ことに花びらに付いていた露の玉は暑い夏の日に氷を入れたグラスの外側に出来る滴のようで、これをそのままの状態で何時間も保てるはずはまずない。

以来この現象は何百回も起きているが、場所も違えば条件も異なっている。また数量もいろいろで、テーブルの上に山になるほど出たこともある。こちらの注文に応じて花なり果物なりが出たこともある。私の友人がひまわりを注文したときなどは根に土が付いたままの6フィートもあるのがテーブルの上に現れた。

むろん例によっていろいろと厳しいテストをしてみたのであるが、中でもいちばん“酷”なことをしたのはイタリアのフロレンスで催したときで、女史は当時すでに結婚していて夫君も列席した。男性の出席者2人が部屋中を点検し、女性の1人が女史を裸にして衣服を1つひとつ改めることまでやった。

そして検査が終わってテーブルについてからも、女史と夫君だけは席から離れられないようにされていた。やがて十分ほどして列席者が花の匂いがすると言うのでローソクをともしたところ、女史と列席者の1人の脇のところに黄水仙がいっぱい入っていた。

筆者はガッピー女史とは個人的にも親しい間柄で、以上のような現象1つひとつ実際に観察してきているので、その真実性あるいは信頼性については100パーセント保証できる。幻覚だろうとかトリックだろうといった憶測はもとより問題にならない。問題なのは、赤裸々な事実を目の前にしながらあえてそれに目をつむり、取るに足らぬ些細な失敗や疑わしい点を殊更に大げさに取りあげ、そうすることによって一般の注目を集めんとする卑しい根性で、とても私のくみし得ないところである。

最後に注意を促しておきたいことは、3人の現象はそれぞれ独自のものであり決して他人のコピーではないということである。それぞれの超能力によって演出されたものであることを示しており、またペテンでも幻覚でもないことをも示している。ペテンも幻覚もなんらかのコピーだからである。

3人の研究者

続いて私は霊魂説を支持した、あるいは遂に支持するに至った心霊家を紹介するが、その全を紹介することはむろん不可能なことである。その全てが体験を公表しているわけではないからである。そこで私はその代表として特に異彩を放つ3人の研究家にしぼって、その足跡をたどってみたい。

【1】エドマンズ判事 Judge Edmunds

名判事として知られたエドマンズ氏がスピリチュアリストの仲間入りをしたとき、世の否定論者たちはこぞって氏を批難し、中には氏は裁判の判決のことまで霊魂にお伺いを立てているとまで書き立てた。黙っておれなくなった判事は「世に訴える」An Appeal to the Public と題する自己弁護の論文を発表した。ニューヨークのイブニングミラー紙はその書評の中でこう述べている。

「当地区の最高裁判所判事であるJ・W・エドマンズ氏は有能な弁護士であり勤勉な裁判官であり、また良き市民の1人でもある。在職8年間、途切れることなく最高の地位を保ってきた氏は、たとえ人間的に完全でなくても、能力と勤勉さと正直さと肝の太さにおいてはだれ1人非難する者はいない。また氏の精神の健全さを疑う者もだれ1人いないし、その活動が迅速さと正確さと信頼性を欠いたことを案じる者もいない。弁護士、原告の双方から名実ともに最高裁の主席であることを認められている。」

それから数年後にはニューヨーク・トリビューン紙上にスピリチュアリズムに関する本格的な論文を連載した。その一部を紹介するが、氏がこの道の研究を始めたのが52歳の男盛りで、知的にも絶頂期にあったことを明記しておきたい。

「私がこの道の研究を始めたのは1851年1月のことで、それから2年後の53年4月になってようやく霊界との通信の実在に得心がいった。その正味2年を1か月にわたる期間中に私は実に何百種類にも及ぶ心霊現象を観察し、それらを細かくかつ注意深く記録した。

交霊会に出席するときは必ず筆記道具を持参して可能なかぎりメモし、帰るとすぐその会で起きたことを始めから終わりまできちんと整理するのが私の習わしで、その記録の細密さは私がかつて本職の判事として担当したどの裁判の記録にも劣らぬほどのものであった。

その調子で記録した交霊会は数にして200回近く、費やした用紙は実に1600ページにも及んでいる。むろん同一霊媒ばかりではなく、なるべく多くの霊媒の交霊会に出席したが、その折々の事情もまた様々で、2つとして似たような条件の会は体験しなかった。1回1回に何か新しいものがあり、前回とは必ず違っていた。出席者も違っており、現象も主観と客観のありとあらゆる現象が見られた。主観か客観のどちらか一方のこともあったが、両者が入り混じっていたこともあった。

私なりに幻覚を防ぐべく最大限の手段を講じてみた。というのも、そのときからすでに私や同志たちの心の底には、現在こうして生きているわれわれが他界した過去の人物と交信するということがもしも本当だとすれば、これはなんと素晴らしいことではないかというワクワクするほどの想いが渦巻いていたからである。

それだけに私はまたそうした自分の主観によって理性的判断がゆがめられてはならないと思い、その予防にも苦心した。それがためにときには極度に懐疑的になることもあった。来世の存在についての確信が揺らぐことも度々あったが、そんなときでも私は、どうしようもないほど確定的な事実は別として、疑える事柄は徹底的に疑ってかかることを恐れなかったのである。

従っていきおい次の交霊会が開かれるときまでには私の胸中には、どうしても突きとめたい幾つかの疑問点が宿されることが多かった。ところが不思議なことに、次の交霊会でその疑問に真っ向から答えるかの如き現象がよく起きて、その疑問を立ちどころに打ち消してくれることがあった。

それで万事すっきりしたのであるが、例によって家に帰ると私はその日の記録をきちんと整理し、それを数日間何度も読み返しては前回の記録と比較検討し、なんとかして霊魂説以外の説は有り得ないものかと、ありったけの知恵をしぼってみたものである。そんな次第であるから、次の交霊会には必ず新しい疑惑と研究課題とを持ち込むことになったのである。

こうした態度は当然、詐術やペテンに対する警戒心を生む。私もそのためにありとあらゆる手段を講じたものであるが、今そのころのことを思い返すといささか苦笑を禁じ得ない。が、ともかくも、そうしたしつこいまでの私の懐疑的態度が生み出す1つひとつの疑問が見事に解決されていったということは、私の研究過程において特筆大書に値する大切な事柄であると思うのである。」

氏が最初に発表した「世に訴える」の中にその点についてもう少し詳しく説明した箇所があるので紹介しておこう。

「交霊会に出席する日は私は1人自分の部屋に閉じこもり、ただすべき疑問点を細かくメモした。ところが会が始まると、その質問があたかも前もって手渡されていたかのように、箇条書きどおりに次々と答えられていくのである。それも私がまだポケットからメモを取り出していないうちのことである。むろんまわりの列席者のうちだれ1人として私が質問をメモしてきていることは知らない。

いわんや、どんな質問かは全く知るよしもないのである。にもかかわらず、私が何日も費やして考えに考えた挙げ句の、だれにも内証の、心の奥の奥の疑問を、まるで声に出して質問したかの如く、きちんとスピリットには知れていたのである。スピリットには私の考えが細大もらさず1つひとつ皆わかっているとのことだった。

それほどのことがあっても、私はなおも次のように疑ってみた。すなわち、それはだれかの心の反映ではなかろうか、ということである。ところが昨年の冬のこと私が中央アメリカへ旅行したとき、その私の留守中に催した何回かの交霊会で友人が私の居場所と健康状態をスピリットに尋ねてくれていて、そのことを帰国してから聞かされて、私はさっそく旅行中の日誌をめくって照合してみたところ、全てが見事に一致していたのである。

このことをよく考えてみるに、スピリットが述べたことはそのときの私の心には全く宿されていなかったことであるし、またそんな調査が行われているとは夢にも思わなかったことであるから、交霊会で述べられたことがだれかの心の反映であるという説は成り立たないことになるのである。」

エドマンズ判事を紹介する際に絶対に欠かせない事がある。それは、判事のお嬢さんのローラが霊言現象の霊能者で、自国語の英語のほかに数か国語を自由にしゃべったということである。

「娘はふだんは母国語以外は何もしゃべれず、せいぜい学校で習う片言のフランス語くらいのものであるが、いったん入神すると9か国語ないし10か国語をたて続けに1時間も楽々としゃべりまくることがある。外国人が娘のローラを通じて母国語で霊界の友人と会話を交えることは決して珍しくはない。」こう述べて、判事は次のような例を挙げている。

「ある夜、拙宅の客間に12人ないし15人の客を集めて交霊会を開いたことがあるが、初めに当市在住の画家G氏とギリシャ人氏の2人の新顔を紹介した。やがてローラを通じてスピリットが英語でG氏にいろいろと語りかけてきた。そのスピリットは数年前にG氏宅で死亡した友人であることがわかったのであるが、G氏を除くわれわれには名前も知らない人であった。

そのスピリットがときおり片言のギリシャ語を交えるので、中途からE氏がギリシャ語で話してもよいかと聞いたところ結構ですということになった。それから1時間余りはE氏はすべてギリシャ語で、ローラ(実はスピリット)は英語とギリシャ語の両方で会話が続けられた。」

これは決して特殊なケースではないが、これを紹介したのは実証性が極めて高いとみたからである。自分の娘が英語以外に8か国語も流ちょうに話せるか否かを知らない親はいるまい。その話せないはずの娘が縦横にしゃべりまくる。そのローラのロを使って語るスピリットは当然その言語を知っているはずである。

そして会話の中で生前の身元を明かし、その確かな証しとなる話題を語る。こうしたケースによって判事をはじめとして多くの識者がその重要性を痛感し、正しい解釈を施し、世の啓発のためにその真理の普及に尽力したのも当然の成り行きであったといえる。

【2】セックストン博士 George Sexton

その後の研究者の1人として、また、スピリチュアリズムにとって意義ある転向者の1人として挙げるべき人にセックストン博士がいる。

博士は長い間、無宗教主義運動の提唱者であるブラッドロー氏 Charles Bradlaugh の片腕として活躍していた人で、その彼をスピリチュアリズムの方向へ最初に引っぱり込むきっかけを作ったのは例のロバート・オーエン氏であった。

博士は熱心に心霊書を読み、また物理的心霊現象も数多く観察したが、どれもこれもみな霊蝶のトリックだと主張し、ときには講演会まで開いてスピリチュアリズムを真っ向から非難し、これを霊魂の仕業だと信じる者はよほどおめでたい人間であるとまで言ってちょう笑したものだった。

そのうち同じ無宗教主義の1人ターレー氏Turleyが、ミイラ取りがミイラになるの例えで、スピリチュアリズムの詐術を暴くつもりで研究を始めて結局熱心なスピリチュアリストになったことを知った博士は、愚かなやつだと一笑に付しながらも実は内心大きなショックを受けたようであった。

それから10年後に例のダベンポート兄弟を本格的に研究しはじめたのもその1つの表れで、「私はこうしてスピリチュアリストになった」How I Became a Spiritualist と題する講演の中でこう述べている。

「私は共同研究者のバーカー博士 Dr. Barker とともにダベンポート兄弟を招待して実験することになった。そしていっさいのトリックを防ぐ意味でロープとか器具その他、道具類はいっさい持参しないようにお願いし、必要なものはわれわれの方で用意した。

また兄弟にはいつもフェイ氏とファーガソン氏の2人が付き添っているのが気になるので、こんどだけは2人だけで来てくれるよう依頼したところ快く応じてくれた。ただ事情でフェイ夫人だけは例外として招待し、結局列席者はフェイ夫人のほかわれわれ身内の者と、特に親しい友人2、3人だけという構成になった。

われわれは半円形に座を作り、隣同士で手をつなぎ合ったが、いちばん端のフェイ夫人の片手が空いているのが気にかかるので、私が夫人の隣りに座って両手を握らせてもらったが、夫人はこれに快く応じてくれた。

念のために付言しておくが、霊媒のダベンポート兄弟の方はわれわれが用意したロープでしばりあげた上に両足の下に紙を敷いて、履いている靴の型どおりに線を引き、いったん動かしたら(暗やみの中では)2度と同じ位置に戻せないようにした。さらに靴の先端に硬貨(コイン)を置き、ロープには封をして身動き1つできないようにした。(中略)

これほど用心をした実験会でも、いつもの現象がすべて起きた。その詳しい説明は別の機会にゆずるが、ともかくこの会を契機としてバーカー博士は心霊党になってしまった。私自身はどうかといえば、相変わらずそれらの現象が霊魂の仕業であると信じるに足る根拠は見出せない。

ただ1つ納得できたことは、それらがトリックではないということである。思うにこの種の現象は現在の私の知識をもってしては説明のできないある不可思議な力の産物である。今や私にはすべての現象の真相が明らかとなった。今も言った通りこれはトリックではなく、未発見の自然法則の働きの結果である。それを発見すべく努力することが科学者の急務である。」

ではその不可思議な力とはなんなのかとその後度々質問されたのであるが、博士はそれに対してはいつも“霊媒が列席者のいずれかに備わっているもので、それが説明できたら潔く心霊党に入る”と語っていた。その立場はその後しばらく続いたが、さすがの徹底した懐疑派のセックストン博士もついにかぶとを脱がざるを得ない時期がやってきた。それは実に博士がこの道に手をつけてから15年目のことで、そのときの様子を次のように述べている。

「私が得た、これなら確かだと納得のいく証拠は今ここで細かく一般の方々に説明のできる性質のものではないし、その時間的余裕もないが、ごく簡単にあらましだけを申せば、実はそれほどの現象が起きたのは職業霊媒なしで私の家族と友人だけで催した家庭交霊会(ホームサークル)の席でのことであった。

その証拠というのは霊界の友人や親戚からの通信であった。列席者のだれ1人知らないプライベートな事実が霊界の友人や親戚の者から述べられ、あと調査したらずばりその通りだったというにすぎない。が、そうして語られた幾つかの事実があらゆる角度から検討してみて、どうあってもその本人、つまり他界した当人にしかわかるはずがないものであることが確認されたのである。

その後その友人たちは物質化して実際にその姿を現し、手で触れてみることも許してくれた。これで私の疑念のいっさいが消えた。つまり霊魂の存在はどうしようもない確固たる事実であることが十二分に得心がいったのである。そして間もなく私は自分がリットン卿の『不思議物語』に出てくるフェンピック博士 Dr. Fenwick in Lord Lytton’s “Str-ange Story”と同じであることに気づいた。

“あなたはご自分が求めておられるものを本当に信じていらっしゃるのですか”と聞かれて博士は“別に信じてはいないさ。真の科学には“信じる”ということはあってはならないものだ。真の科学は物事をすべて疑ってかかり、いかなるものも信じてかかってはならない。真の科学には3つの態度しか許されない。即ち否定と確信とその両者の間のぼく大な懸隔だ。この懸隔は信じ続けるということではなく、結論を控えるということだ“と答える。これはまさに私がたどってきた心理状態をよく言い表している。」

こうしてスピリチュアリストとなってからのセックストン博士は、それまでの否定に向けて見せたのと同じエネルギーをもってスピリチュアリズムの普及のために活躍しはじめる。講演者としての経験と才能、それに長期間の心霊現象の体験が相まって、伝道者としてうってつけの人物の1人となった。

伝道だけでなく、これを奇術であると宣伝する者たちの仮面をはぐこともやっている。それも単にその手口を説明するだけでなく、実際に会衆の面前で実演して見せ、そのからくりと本物との重大な相違点を指摘することまでしている。

これほどの人物、それも、それまで15年間にもわたって霊魂説を否定し続けてきた人物が、アンバリー卿のいう“明々白々たる詐術にまんまと引っ掛かり最低の手品に参ってしまう”人間の1人であり、あるいはチンダル教授が高等な科学的見地からいうような、科学もまったく無力となってしまうような心理状態に陥り“頭から信じたがりながらだまされるのはご免といった、科学的証明とはおよそ縁遠いお人よし”の1人であろうとはとうてい信じ難い。

言葉だけを並べるといかにも格好よく批判しているように見えるが、それがはたしてその道を真剣に研究し、しかるべき知識を身につけ、何年にもわたって良心的調査研究を続けてきた人の成果を踏まえての、堂々たる言葉であるか否かは読者ご自身の判断にまかせるとしよう。

【3】 クルックス博士 William Crookes

驚異的心霊現象の証言者として、もう1人ぜひとも紹介しなければならない人がいる。学者としての経験豊かな第一級の科学者クルックス博士で、その博士が自分の研究室を実験室として使用し、それまでと同じ厳格な科学的条件を心霊現象の研究に適用した。

英国学士院の会員である博士が、自ら心霊現象を研究しようという考えを発表したとき、ジャーナリズム界はこぞってその意図を歓迎したものである。というのも、かつて博士ほどの一流の科学者が心霊現象を研究した例がなかったからである。いわく –

“博士ほどの実力者によって調査研究がなされることに大いなる満足を覚える”

“心霊問題が科学界にその名を知られた人物の冷徹にして明せきなる頭脳の注目を集めはじめたことを知って満足の意を表する”

“博士の厳格にして公平無私の研究態度を疑う者はまずいないであろう”等々…

こうした博士に期待する声がしきりに紙面をにぎわしたものである。が、その“期待”たるや実は博士が心霊現象の虚構を暴いてくれるであろうとの一方的な期待であって、心霊現象の真実性をはっきりさせてくれることを期待する謙虚な態度とは本質的に異なるものであった。そして、そういったジャーナリズムの一方的な期待は見事に裏切られることになるのである。

博士の研究は4か年に及び、各地の実験会に出席する一方、自宅でもすでに紹介したホームとケートを使って徹底的に究明したのである。その成果は学術誌 Quarterly Journal of Science に掲載された。

それによると実験はほとんど全て明るい照明の中で行われ、条件は全て博士自身が配慮し、証人としての列席者を信頼のおける友人に限っている。そうした中で見られた現象は衝撃音、物体の重量の変化、物体の空中浮揚、人体の空中浮揚、各種の発光体の出現、列席者のものでない2本の手が出現して小さな物体を持ち上げる現象、同じく列席者のものでない1本の発光性の手が鉛筆を握って通信を書いたり、その手も消えてエンピツだけで書く現象、幽霊現象を思わせる各種の像や顔の出現、それに各種の精神的現象 –

こうしたものを豊富に、そして繰り返しテストした博士はその客観的実在を十分に得心した。前記の学術誌にはそのあらましが掲載されたわけであるが、その詳細の出版を準備中と聞いている。

そこで私は具体的な内容はその書物に任せることにして、その価値について一言述べておきたい。いかなる分野においても例外なくいえることは、それに先立つ研究結果がのちに確認されるということは大いにその価値を増すものとされ、最初の研究が受けたのと同じ不信感をもって迎えられるということはないということである。

しかもそれがその後3人ないし4人の研究者によって確認され、しかもそれを否定する側には単なる理屈という消極的な証明手段しかないとなると、これはもはや – 少なくとも暫定的には、そしてそれを上まわる証拠が提出されるか、前の研究者たちの誤りが明確に指摘されるまでは – 事実が完全に証明されたと見なしてよい。

クルックス博士の4年にわたる研究は前研究者たちが過去25年にわたって各地で、そして各種の条件のもとで、繰り返し確認してきたものにほとんど全ての点において決定的な確認を与えたのである。その観点において、たった1人の研究者による最初の研究結果とは比べものにならない価値があるといえる。

ところが妙なことに、スピリチュアリズムの分野においては、こうした幾人もの研究者による成果をあたかも初めての研究であるかの如く扱い、それでも気にくわないとまた新たな研究を求めるという傾向がある。新しい真理を否定し小ばかにする方法としては賢い方法であるかもしれない。

が、心霊現象はどこにでも存在するし、理屈抜きの事実であるから、真面目に研究した者を必ず信じさせずにはおかない。研究者はぼく大な量の現象を1つひとつ再現しなければならないが、その労をいとわず、最後にその客観的実在を信じるに至った人の数はこの1/4世紀だけでも着実に増えている。

キリスト教各派の牧師、文学者、弁護士、たいへんな数の医師、相当な数の科学者、非宗教主義者、哲学者、唯物論者、こうした人々がスピリチュアリズムがもたらす現象の圧倒的な論理によって考えを改めている。

ではその逆の人、つまり、いったん確信したあとまた考えを翻したという人はどうかといえば、科学、哲学、宗教、非宗教のいずれの分野においても、この世紀に1人もいない。この事実をみても、一方において否定論者が見せてきた卒直さと公平無私の態度と心霊知識とを最大限に評価しても、大部分のスピリチュアリストがもはやそうした科学者の意見に耳を貸そうとせず、反対に否定論者を説得しようともしなくなった現状は少しも不思議ではない。

スピリチュアリズムがそれほど着実に広がりつつあるということである。もはやそれ自らがもつ真理の勢いに乗って広がりつつあり、社会の全ての階層に行きわたりつつある。非難、排斥、ちょう笑、否定説を次々と浴びながらも着実に発展し続け、これ以降は著名人の名前の力を借りずとも発展していくことであろう。

科学者を歓迎しないというのではない。問題は、科学者というのは得てして自分で試さないと得心しないところがあり、他人の手になる証明では承服できないのである。いずれにせよ真理を拒絶することは自分自身の損失であって、スピリチュアリズムの真実性をいささかも減じるものではない。

言論界による辛らつな攻撃も批難も今ではユーモアをもって受けとめることができる。むしその筆者たちのあきれるほどの思い上がりと無知に対して哀れみさえ感じる。それが昨今のスピリチュアリストの見せる精神的態度なのである。こうなれば、インド哲学を知らないのと同じ程度においてスピリチュアリズム思想を知らない一般の人々も、積極的に理解するよう努力する方が得策ではなかろうか。

〔補遺〕

右の論文が印刷にまわされている最中に、クルックス博士と同じく英国学士院会員で高名な電気技師のバーレー氏 C. F. Varley による別個の新しい研究結果が、相前後して心霊誌 Spiritualist に発表された。

いずれも若い女性霊能者フロレンス・クック Florence Cook についての調査研究で、以前からクック嬢の交霊会に女性の物質化霊が出現することが報道され、その真偽について霊魂説の否定派はむろんのこと、スピリチュアリストの中にも疑問視する者がいた。

その疑惑の根源は物質化霊の容姿がクック嬢によく似ているということ、そして両者を同時に見た者がいない、つまり同一人物でないことが確認されていないということにあった。否定派は頭からクック嬢をペテン師であると決めつけ、縛りつけられた椅子から抜け出て、隠しておいた白衣に着替えるのだと主張し、スピリチュアリストの中の懐疑派は霊がクック嬢を椅子から解き放して白衣をまとわせ幽霊の格好をさせるのだと考えた。

それまでの実験でもそうした点に十分配慮し、現実問題としてそうした可能性は絶対ないことを確認していた。その疑惑に決定的な結論を出したのが右の2人の研究であった。

まずバーレー氏が専門の電気の知識を応用して真偽を確かめることになった。氏は金貨を電線にはんだ付けして、それをクック嬢の腕に接続させ、腕の小さな動き1つでも反応がすぐに知れ、着替えたり歩いたりしたら電流が切れるような仕掛けを用意した。

がその装置にはなんの反応も見られないまま、いつもの女性が現れ、腕を見せたり、おしゃべりしたり、物を書いたり、数人の列席者に触わったりした。その間約1時間近かったが、終わってキャビネットの中を確認してみると、クック嬢は深いこん睡状態にあった。会場はバーレー氏の自宅だった。

続いてクルックス氏がさらに決定的な証拠を手にした。博士は刺激性の少ない燐光ランプをこしらえ、それを手に携えて女性霊といっしょにキャビネットの中に入らせてもらった。そこで見たのは黒のビロードに身を包んだこん睡状態のクック嬢で、床に横になっており、そのそばに白衣をまとった女性霊が立っていた。

それまでの1時間近くの間、その霊は列席者の間を歩いてまわりながら談笑し、特に博士は許しを得て両腕でその霊姿を抱きしめさせてもらった。それはまさに、生きた女性そのものであったという。

それがクック嬢ではなく、他のどの人間でもないことは、その閉め切った部屋の中で、しかも厳しい監視の中で、その霊姿がいったん姿を消し、再び姿を現したことで明らかである。これも、クルックス博士の自宅での実験であった。

博士はその後も引き続いて1週間ほどクック嬢を自宅に監禁して徹底的に調査している。そのときにクック嬢が持参した携帯品は小さなバッグ1つだけだったという。しかもその1週間ばかり博士の家族の女性と寝起きを共にさせ、昼間の行動も必ずだれかが監視した。

がその間の実験でも必ず例の女性霊が出現し、博士は一連の写真を撮ってクック嬢との相違点を明らかにした。私も見せていただいたが、確かに両者は姉妹のように似たところがあったが、背の高さは明らかに霊姿の方が少なくとも頭半分は高く、着ているものも霊姿の方はいつも白で、クック嬢はいつも黒っぽかった。

しかもその霊姿はいつもの点検と会話と写真撮影が終わると“その姿を”消した。環境的条件からいっても一女性が忍びの行動をとるなどということは考えられないし、ましてや、現実問題として1週間ずっとどこかに身を隠していたとしたら食事はどうしたのかということになる。

その後同じような現象が他の霊媒による実験会でも見られた。オーエン氏の証言によると、霊媒の姿の見える場所に霊姿が現れ、室内を歩きまわり、列席者と語り合ったりしたあと、その場で姿を消した。まず頭部が消え徐々に下半身が消えていったという。またあるときは床からまず頭部と肩が現れ、やがて下半身が出てきたという。3人の霊がいっしょにキャビネットから出てきて列席者に話しかけたり握手を交わしたりしたこともある。

こうした現象ははじめて聞く人にはとても信じられないことかもしれないが、多くの心霊現像の実在を知る者にとっては、これこそ霊魂説を支持する決定的な証拠であるに相違ない。

弁証法学会調査委員会報告について

他にも紹介すべき研究者は少なくないのであるが、とてもその全てを紹介する余裕がないので、最後に、個人ではないが、弁証法学会で組織した調査委員会の報告書を簡単に紹介しておきたい。この委員会は33名によって組織され、そのうち頭初から現象の真実性を信じていたのはわずか8名で、しかもその原因が霊魂であると信じていたのはせいぜい4名であった。

また調査期間中を通じて少なくとも12名が実験担当の小委員会による物理実験 – 霊媒もほとんど全部メンバーがつとめた – を見てその真実性を確信するに至っている。また3名は委員会による実験とは別の実験に出席してそれまで抱いていた懐疑を晴らし、スピクチュアリストになっている。

メンバーの1人として、しかも小委員会の中でも最大規模の委員会のメンバーの1人として私は、各メンバーが抱いていた確信の度合は、質的には明確な相違点はあるにせよ、調査に当てた時間と労苦の量にほぼ比例していると断言できる。

この事実は異常現象の調査の全てに生じる結果で、結局いかなる自然現象の探求にもいえることである。これが詐術や妄想の調査となると逆の結果を生む。つまり実験の量の少ない者はだまされ、根気よく調査を続けた者は必ず虚偽あるいは妄想のからくりを発見する。

もしそうでなかったら、真理の発見も誤びゅうの探知もともに不可能となるであろう。その意味において、この委員会のメンバー自身による調査結果は、現象自体はこれまで私が紹介したものよりはるかに地味ではあったが、その現象よりも重要であるといえる。と同時に、これまで個々の研究者によって得られた結果がそうした知的で公平無私なグループによって確認されたという点においても重要である。

この調査委員会に関連して、フランスの知識層の心霊観をかいま見ることができるので、最後にそれに言及しておきたい。

フランスの世界的な天文学者であるカミール・フラマリオン氏が当委員会あてに貴重な書簡を送ってきた。その中で氏は10年にわたる氏個人の心霊研究の結果、現象の実在を認める旨を断言したあとこう述べている。

「小生の師であり友人でもある Babinet 氏は Liais 氏(現ブラジル測候所長)をはじめとして数名のパリ測候所の所員と共に心霊現象の本質とその原因をつきとめんと努力してきましたが、それが霊魂の仕業であるとの説には完全には納得しておりません。

もっともこの霊魂説 – これによってのみ解決のつく現象が幾つかあります – を認める人はフランス学術界の最高の人々の間にも多勢いるのです。その中には History of Chemistry と General Encyclo-paedia の著者である Hoeffle 博士と、14個の惑星の発見者で最近その死が悼まれている Hermann Goldschmidt 氏がおります。」

こうしてみると米国や英国と同様にフランスでも一流の科学者が心霊現象を調査してその実在を確信しており、その中には原因を霊魂であるとしなければ説明がつかないとしている人もいるようである。

霊魂説が出たついでに述べておくが、この霊魂説に関してこう述べる人がいる – 霊魂説を支持するような“証拠は一片もない” – この説を受け入れる人間は“適切な証明と不適切な証明とを区別するうえで救いようのない無能ぶり”を露呈している – この説は“実際の事実とは無関係に生まれた” – そしてそれを受け入れる人間は理性的思考力に欠け、たとえばテーブル現象にしても、他に動かす原因があることが考えつかないから霊魂がやっているに相違ないという“結論に飛びついた”にすぎない、というのである。

こうした愚かしい言説に対する回答は、これまで紹介した一流知識人による研究調査の過程をみてもらえば十分である。霊魂説は、全般的にいえば、他の全ての説が挫折した挙げ句に採用されている。

事実という事実、現象という現象がことごとく俗にいう死者がまだ生きていることの直接の証しであるとの結論に到達して初めて出されたものである。全事実の論理的帰結なのである。これを否定する者は、私の知るかぎり、ことごとく無知か不信のいずれからか事実の半面しか見ようとしない人である。

1つだけ例を挙げれば、(同じような決定的な例は数多くあるが)リバモア Livermore 氏は5年にわたって何百回もの実験を重ね、その間、他界した奥さんの紛れもない完ぺきな生前の姿を目に見、手で触れ、その動作が出す音まで耳にした。その霊姿は物を動かし、カードにメッセージを書き、それが今まで残っている。同じ霊姿を、同席した2人の友人も目撃し手を触れて確認している。

完全に閉めきった氏の自宅の一室で行い、他には霊媒である少女1人しかいなかった。これでもこの3人には霊魂説を支持する証拠は一片もない“というのであろうか。はたしてこれ以上の証明方法が考えられるであろうか。

それでもなお霊魂説を否定するのであれば、その前に5年間にわたる研究の事実そのものから否定しなければならない。しかしいくら“説”を否定しても、あるいは信じないと言っても、5年間の3人の証言者による“事実”は否定するわけにはいかない。3人とも責任ある地位の人間であり、その間ずっと一般市民の敬意と信頼を受けた人たちであった。

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5 心霊写真現象の検討

霊魂の姿を霊視する能力が人間に備わっていることはすでに指摘したが、心霊実験会においても、出現した霊魂の形体、客観、位置等をはっきりと述べる人が必ず何人かいるもので、その数が1人とか2人であれば単なる幻覚と決めつけても構わないが、逆にほとんどの人が同じものを見て、何も見えなかった人が1人か2人ということがある。もちろん出席者全員が同じものを見ることもある。こうなると霊魂の客観的実在ということが大きくクローズアップされてくるわけである。

われわれ人間の視力にも強弱があるように、霊視能力にも人によってかなりの差があるようである。霊姿の見えた位置とこの動作の説明は全員が一致しても、姿格好の説明になると、人間そっくりだったと言う者もおれば、薄ぼんやりとしたモヤのようだったと言う者がいたりする。むろんときには全員が全く同じ説明をする場合もある。そんな場合はたまたま霊視能力の程度が同じだったわけである。

が、霊姿の客観性を裏づける現象はほかにもいろいろある。特殊な例では手で触れてみてはっきりと感触を覚える物質化現象の場合がある。そのほか霊魂の述べる言葉がはっきりと聞こえる場合、さらに文字を書いたりする場合もあり、それによって間違いなく他界した何某であることが確認されることがよくある。これまで度々引用したオーエン氏の書にはそうした実例が数多く収められている。

こういうと読者の中には次のように反問する人がいるかもしれない – “おっしゃるように目に見え手に触れることまでできる霊姿の存在を証言する人は確かに多い。が集団暗示ということも考えられないことはない。つまりその場に居合わせた人たちが皆そろって同じ暗示にかかる場合である。その点を疑問の余地のない程度まで厳しくテストしてもらいたいものである。

思うに人間の眼に映じるということは、取りも直さず霊姿が光を反射していることを意味するわけであるから、写せばきっとカメラにも収まるはずである。ぜひともそのへんを試していただきたい。もし成功すれば、これこそ霊姿を見たという人の言葉を絶対的に裏づけることになるであろう”と。

実はこれに対する回答はすでに用意ができているのである。本項ではそうした心霊写真現像、俗にいう幽霊写真の問題を取りあげるのであるが、これにはあらかじめ理解しておいていただきたい大事なことが1つある。それは、“事実そのものと、その事実からの推論とは本来別問題だ”ということである。これは特にこの心霊写真現象を扱ううえにおいて留意する必要がある。

というのは、写真に写っている霊姿は、その原因が霊的なものであることは間違いないとしても、必ずしも霊魂そのものの姿ではないからである。その場の間に合わせにこしらえた“形体”にすぎないこともあるし、カメラに写りやすい物質を身にまとっている場合も考えられる。その場合、たしかに霊魂がそこにいたことは事実であるが、必ずしもそれが“本来の霊の姿”であるとは言いきれない。よくわかってもらうために地上にいたときの“姿に似せている”場合も考えられるのである。

そういった点を念頭においていただいたうえで、次にこれこそ純正な心霊写真であると断定できる条件を幾つかの箇条書きにしてみる。

【1】普通の写真術についての知識をもつ人が自分で感光板を持参し、他の用具つまりカメラをはじめとして付属品いっさいを細かく点検し、写真霊媒がシャッターを切るまでの操作も1つひとつ監視する。こうした条件下で得た写真に出席者以外の姿がはっきり写っているときは、たとえ出席者には見えなかったとしても、光線を反射または放射できるなんらかの客観的存在がその場にいたことを意味する。

【2】シャッターを切った霊媒とは一面識もない人の姿が現れて、それがすでに他界した某氏に間違いないと断定されたときは、たとえそれが某氏その人ではないとしても、霊的な客観的な存在であることは確かである。

【3】何枚か撮影し、そのたびに出席者が自分の好きなように位置と姿勢を変えても、霊姿がその出席者に間違いなく関連性のある写り方をしている場合。

【4】白衣をまとった霊視が現れ、その一部が出席者の姿で隠れているとき。二重写しか否かはネガを見れば容易に判断がつく。

【5】以上のいずれにも該当しない場合でも、霊媒とは別の霊能者が「ここにかくかくしかじかの霊がいます」と前もって指摘し、その通りの霊姿が写真に出たときも、たとえほかの列席者には見えなかったとしても実際にそこにいたと断定してよい。

以上の5箇条は英国でもこれまで幾度となく実験的に確かめられてきたことで、単なる理屈ではない。その点を次に述べる英国心霊写真史の概説の中から読みとっていただきたい。

英国で初めて心霊写真が話題となったのは米国より後れること10年、1872年3月のことで、ロンドンの心霊家ガッピー夫妻 Mr. and Mrs. Guppy が近くの写真家ハドソン氏 Mr. Hudson に写真を撮ってもらいに行ったときに始まる。

ハドソン氏は心霊写真はもとより心霊学そのものに関心がなく、従ってガッピー夫妻も初めは心霊写真を期待する気持ちはまるでなく、普通の手札型の肖像写真を撮ってもらうつもりで出かけたのであるが、カメラを前にして着席したとき、ふとガッピー氏は心霊写真が撮れるかもしれないと思い、夫人に自分のうしろにまわるように言った。

そうやって撮った写真を見ると氏の背後にぼんやりと白く大きな卵形のものが写っている。その格好はだれかが白い布地をかぶっているようであった。うしろにいた夫人は黒のドレスを着ていたのでそれが夫人でないことは明らかで、恐らくこれが英国における心霊写真の第1号ではなかろうかと思う。

この場合、初めから心霊写真を意図したものでないこと、写ったものがなんだか見分けのつかないものであったことが、かえってその純正さを増す結果となっているといえる。もしそれがにせの心霊写真をでっち上げる目的でやったものであれば、これほど気の利かないやり口はないからである。

その後2、3日して夫婦はこんどは幼い男の子を連れて訪れ、このときは息子さんを背もたれのない椅子に腰かけさせ、夫人がうしろから膝をついた姿勢で支えてやり、さらにそのうしろに夫君が立って2人を見下している格好で撮ってもらった。そしてこれがたいへんな成功を収めたのである。

白いガーゼのような布を身につけた背の高い女性が3人の背後の上方に写っており、その両手を開いて、あたかも祝福をたれているかの如く3人の頭上に伸ばしているのである。顔立ちもはっきりしており、どことなく東洋人の容ぼうをしていた。白い布は下までたれていたが、3人の姿にさえぎられた部分はネガを見ても見えなかった。ここが非常に大事な点である。

話が前後するが、実はこの写真のシャッターを切ったすぐあと、3人とも同じ位置で夫人がもう少し顔を持ち上げた姿勢で、もう1枚撮影してもらっていたのであるが、これが思いがけなくも貴重な写真となった。というのは、前の写真に出たのと同じ白い布をつけた霊姿が出たが、この位置が夫人の姿勢の変化に応じて少しずつ変化していたのである。

すなわち、手は前の写真では両手を水平に同じ高さにかざしていたので、夫人が顔が上がったために片手がそれだけ高くなり、そのために白布のヒダにも変化が生じ、また顔の向きもやや横向きになっていた。

これは心霊写真の原理を知るうえで大切な意味をもつものと思われる。さらに一言付け加えると、霊像の容ぼうがはっきりしていたことも詐術でないことを立証する有力な材料といってよいのではなかろうか。初めから詐術のつもりでやるのなら容ぼうがはっきり出ては困るはずである。

さてこうした心霊写真の話題はまたたく間に英国中に広がり、各地から大勢のスピリチュアリストがハドソン氏を訪ねて心霊写真を希望するようになった。その出来具合に程度の差こそあったが皆それなりに満足して帰っていくのであった。

ところがそのうち“詐術”のうわさが流れはじめた。そして、よく調べてみると確かにはっきりと“ごまかし”とわかる写真が数多く発見されたのである。考えてみるとそれも無理からぬことであった。というのは、始めに紹介したようにハドソン氏はいわゆる心霊写真家ではなく、心霊学について何も知らない人なので、最初の心霊写真のときから本人は大いに当惑していたのである。

ところが相次いで訪ねてくる人をみると自分以外の顔が写っていると喜び、何も写っていないと不満をいう。そうなると心霊写真の意義などまるで知らない人であるから、客が満足してくれるようなものを作ろうと考えたに相違ないのである。

その意味ではハドソン氏の場合は極めて単純な動機からやったことで、俗にいう詐術師扱いにはすべきでない。正直正銘の心霊写真も数多くあることが認められているのである。そして、むしろこの事件によって心霊写真にも偽物があるからよくよく検討しなければならないという用心をスピリチュアリストに植えつける結果となったのである。

ではそのハドソン氏による正直正銘の心霊写真を幾つか説明してみよう。その1つは他界した2人の息子が出た例で、父親が友人といっしょに撮ってもらったところ何年も前に死亡した2人の息子が写っている。

そのうち1人は連れの友人の知らない子で、これはなんでもないことのようで実は大切なことなのである。その写真を母親に見せたところ、手にした瞬間それとわかったという。父親は1872年10月号のスピリチュアル・マガジン誌の中で“完ぺきにし疑う余地のないわが子”の顔であったと記している。

次は母親が出た例で、初めそれが自分の母親であると気づかずに、わざわざ叔父のところへ送って見覚えのある人かどうか尋ねた。するとなんとそれは“お前を生み落とすと同時に死んだお前の母親だ”との返事があった。

これは無理もないことで、その母親の写真は1枚も現存しておらず、従って本人は自分の母親がどんな容ぼうの人であったか全く知らなかったのである。叔父も“どうしてまたこんな写真が撮れたのか不思議でならない”と述べていた旨が同じ心霊誌に出ている。

今度は、筆者自身の体験を紹介しよう。私がハドソン氏を訪ねたのは、1874年3月14日のことで、これが最初にして最後であった。あらかじめ連絡しておいて、霊能者であるガッピー夫人に同伴を願って訪れたのであるが、初め私には、もしだれか出るとすれば恐らく兄だろうという考えがあった。

というのは、そのときまでに私が出席した交霊会でガッピー夫人の口を通じて送られてくる通信に兄からのものが多かったからである。ただハドソン氏を訪ねる直前に催した交霊会では母親が出るかもしれないという連絡がラップで送られてきていた。

私は念のため3度位置を変えて3枚撮影してもらった。出来あがったのを見ると3枚とも私以外の人物像が写っていた。1枚目のは短剣を身につけた男性、2枚目は立姿の女性で2、3フィートほどわきへ寄り私よりやや後方に位置している。

そして最後の3枚目であるが、実はこの3枚目のシャッターを切る直前に私は心の中で、もし写っていただけるのならなるべく私に近寄って写ってほしいと頼んでみたのである。そうして出来あがったのを見ると、その要求通り私のすぐ前に女性が写っていて、その衣服のために私の下半身がかくれていた。

3枚とも現像するところを見せてもらったのであるが、現像液に浸すと私自身の像は20秒ほどしてやっと現れたのに、霊姿の方は浸すと同時に現れた。そしてそのままの状態、つまり現像されたネガを見たところでは3枚ともだれの像であるかわからなかったが、焼付けされたのを手にしたときは3枚目のものが母親であることがすぐにわかった。

といっても生前の母親の写真とそっくりだったのではない。表情や顔立ちの感じがどこか似ているといった程度であったが、それでも紛れもない母の顔であった。

2枚目の女性は写りがぼんやりとしていて、それにうつむきかげんで表情も違っていて、私が見たかぎりでは3枚目に写った母親とは別人であると判断した。そして最初の男性は私の全く知らない人であった。

さて右の女性の写っている2枚を妹のところに送ってみたところ、妹は私と反対で、2枚目のが母で3枚目は表情は似ているが口もととあごの辺りがおかしいといってよこした。が、よく調べてみるとその“おかしい”という箇所は焼付けのまずさによるもので、よく洗ってみたところ母親に一層よく似た顔になった。

それにしても2枚目が母に似ているとは私にはどうしても思えない。そこでそれから2、3週間後のことであったが、ふと思いついて虫めがねでよく見たところ、なるほど妹のいう通りだと思った。というのは、母は“うけ口”であごが突き出ていたのであるが、虫めがねで見るとその特徴がはっきりわかったのである。

母は数年前に他界したのであるが、晩年はやせていたせいもあって特にその特徴が目立っていた。しかし現存する母の写真でこの特徴がよく出ているのは22年前に撮ったものしかなく、口を心もち開き、あごを突き出しているところは2枚目の心霊写真そっくりなのである。そしてそれが3枚目の写真に比べて若く写っており、姿勢と表情はまったく異なるのに、顔の特徴だけは20年前のものとそっくりであるという点に私は大いに興味を抱いたのである。

ここで付け加えておくが、両方とも同じような格好で花束を抱いていた。私がカメラに向かって着席したときガッピー夫人が“だれだかよくわかりませんが、霊の姿が見えます。花を持っておられます”と言ったのであるが、この言葉から察すると、花の方ははっきり見えたが霊姿の方はぼんやりしていたのではないかと思われる。

それはさておき、以上の諸事実を総合してみると、2枚の写真に写った2つの顔は1人の人物の、22年という間隔をおいた2つの時期の特徴をよく表しており、しかもそれと同じ写真は現存しない、ということである。仮りにこれが心霊写真でないとしたら、ほかにいったいどんな説明ができるであろうか。

ハドソン氏が前もって私たちの母親の写真を全部手に入れていたとしても、右に説明したような写真をこしらえるのにいったいどんな細工ができるであろうか。どう考えても私はやはり母の生前の特徴を知っている霊がある目的をもって細工を施したとしか考えられない。

むろんこれだけで母親の死後存続の証明にはならないであろう。が証明にはならなくても、そう考える方がハドソン氏を首謀とする詐欺団がやたら時間と手間を掛けてまでして私をだまそうとしたのだと考えるよりも、よほど単純明快で自然であると信じるのである。

以上はプロの写真家の場合であったが、こんどはアマの写真家の場合を挙げてみよう。最初に紹介するのはメガネ店を経営するスレーター氏 Thomas Slater という人で、ロバート・オーエン氏と親交のあった人である。

この人は非常に手先の器用な人で、カメラも自分でこしらえるほどである。あるとき、手製のカメラを携えてハドソン氏を訪ね、そのカメラで自分の肖像写真を撮ってもらった。するとその写真に自分とは別の人物が写っていた。

それがだれであるかは別として、そのことがあってからスレーター氏は自分でやっても心霊写真が撮れるのではないかと思い自宅で実験してみたところ、氏の妹を撮ったものに2人の霊の顔が出た。1つはブルーム卿、もう1つはかなりぼけてはいたが紛れもないオーエン氏であった。

以来、自分や子息を撮った写真に母親などの顔や姿が次々と出るようになったが、ここでそれを細かく説明することは割愛する。というのは、スレーター氏の場合、それらがはたして間違いなく確認されたか否かは大した問題ではないと思うのである。

もっと大切なことは1人のアマの写真家が自製のカメラで自宅で自分の家族だけを使って、結構立派な心霊写真が撮れたということにある。また家族の手も借りずに自分で自分を撮っても見事な心霊写真が撮れているのであるが、これも注目すべきことである。

こうしたことを総合してみると、結局スレーター氏自身をはじめとして家族の者全員が霊媒的素質をもっているということであろう。筆者は氏の撮った心霊写真を全部見せてもらい、1枚1枚、撮った時の情況を説明してもらったが、詐術などの疑惑をはさむ余地はまずなかった。

中でもいちばん印象的だったのは妹を立姿で撮った時のもので、霊の姿は写っていなかったが、濃淡の陰影(かげ)のある大小さまざまな円形の模様の入った透き通るようなレースが全面をおおっていた。この種のものを私はかつて1度も見たことがないのである。

次に、成功率においてはスレーター氏ほどではないが、価値においては優るとも劣らぬものを残したもう1人のアマ写真家に医学博士のウィリアムズ氏 R. Williams がいる。この人は1年半にもわたる実験の結果ようやく3枚の心霊写真を得たという熱心家で、3枚とも霊姿が写っており、そのうちの1枚は容ぼうが実にはっきりしていた。

その後さらにもう1枚撮れたが、現像中に消えてしまったという。氏は筆者への手紙の中で“これらの心霊写真にはいかなるトリックの余地もありません。また現在のいかなる写真技術をもってしても、これと同じものを作製することは不可能です”と述べている。

挙げればまだほかにもアマの心霊写真家がいるが、しめくくりとして再びプロに戻り、心霊写真家の決定版ともいうべきものを残した英国のジョン・ビーティ氏 John Beattie を紹介したい。

ビーティ氏は写真家として20年の経歴をもつベテランで、写真専門誌 British Journal of Photography の編集長の言葉を借りれば“氏を知る人で、その思慮深さ、腕の良さ、頭のキレの良さに信を置かぬ者はいない。少なくとも写真に関したことではおよそだまされるなどということは有り得ない人で、同時にまた、他人をだますことなどとうていできる人ではない”。

氏は心霊写真の研究に関しては、医学博士でアマ写真家であるトムソン氏 Dr. Thomson の協力を得た。また実験の場としてもう1人の友人 – 初め霊魂説を信じなかったが実験に協力しているうちに霊能を発揮した人 – のスタジオを借り、さらに商人で霊媒の素質をもったもう1人の知人の協力も得た。ただし撮影に関係した仕事はすべてトムソン氏と2人でやり、他の2人は小さなテーブルに腰掛けているだけであった。

写真は1度に3枚ずつ数秒間隔で撮り、それを1日に何回も繰り返した。その後これが5枚ずつに増やされた。というのは、3枚ずつのときに出た霊像はほとんど人間ではなく、さまざまな色彩の断片ばかりであったが、それが枚数を重ねるにつれて1個の形体を整えていく傾向が見られたからである。

たとえば最初中央あたりに何やら角張った白いものが現れ、それが枚数を重ねるに従って徐々に人間らしい形体を整えていき、5枚目になると紛れもない女性の姿となる、といった調子であった。筆者は念のため全部の写真を送ってもらった。

32枚あったが、ビーティ氏は懇切にその1枚1枚について細かい説明をつけてくれていた。そしてトムソン博士もその真実性の保証人として自分の名前を出していただいて結構ですと述べてあった。

その説明を見て感服したことであるが、4人の仕事も実に努力と忍耐のたまものであった。あるときは20枚続けて何も写らなかったこともあり、延べにして数百枚にのぼる枚数のうち半分以上が完全な失敗だったという。が、それにも増して成功した写真のもつ意義は測り知れないものがある。それは図らずも他の2人のアマ写真家の成果とともに、これまで知られていない2つの重大な事実を示唆しているからである。

その1つは霊像の化学線に対する反応の特異性で、普通の映像よりはるかに速いことである。それは現像液に浸してみてわかったことで、霊像は瞬間的に出て、普通の人物像はずっとのちになって出た。筆者はプロの写真家のハドソン氏に撮ってもらった例の3枚の写真の現像作業をじかに見せていただいて驚いたのである。

もう1つの事実は、霊の顔ないし姿が白い布状の物質で包まれていることに関してであるが、これは物質化しにくい顔とか姿を物質化しやすい波長の物質で包むことによって物質化を補助し、同時にその部分を際立たせる効果をねらっているということである。昔話に出てくる“白い布に身を包んだ幽霊”は決して空想ではなく実際にあった話だったのである。これも未知の化学的法則の存在を暗示していて興味深い。

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6 心霊現象の種々相

心霊現象と呼ばれるものにはどんな種類があるのか。本項ではそれを便宜上2種類に大別して説明してみたい。すなわち物理的現象と精神的現象のことで、前者は肉眼で見たり手で触れたりすることのできる客観的なものをいい、後者は霊能者自身にだけわかって、はたの者が五感で確かめることのできない主観的なものをいう。両者をさらに細別して説明しよう。

物理的心霊現象

【1】ごく単純なもの – 代表的なものが叩音(ラップ)現象で、時計の針の音ほどのものからハンマーをたたきつけるような大きいものまで大小さまざまである。重量の変化もこの部類に属する。その他、人体が浮上したり、カギの掛かった部屋を自由に出入りしたり、クサリで縛られた状態から脱出するといった奇術的なものまである。が決して奇術ではない。奇術にはタネがあるが、心霊現象にはタネも仕掛けもない。

【2】(化学的なもの – 真っ赤に燃えさかる石炭を素手で握ったり炎の中に顔を突っ込んだりする現象がこの部類に属する。

【3】直接書記 – 鉛筆がひとりでに動いて文章を書く現象で、ときには絵具を使って見事な絵をかくこともある。わずか10秒ないし20秒のうちに1枚の絵が出来あがったことがあるが、出来あがったときはまだ絵具がしっとりとして濡れていたという。

石板を使うこともある。スレーター氏 Thomas Slater の方法によれば、8分の1インチほどの長さの石筆をテーブルの上に置き、その上にかぶせるように石板を置く。部屋は普段と同じ明るさである。やがて何やら物を書く音が聞こえ、2、3分して裏返してみると、はっきりとした文字でメッセージ – ときには長文のもの – が記されている。その内容はいろいろであるが、霊魂説を裏付ける“霊”とか“物質”の本質についての哲学的な説が記されていることもある。

【4】音楽現象 – 直接書記と同じく人間の手を触れずに楽器が演奏される現象で、楽器の種類はハンドベルからグランドピアノまでなんでもかまわない。霊媒によっては、条件さえそろえ格調高いメロディがオリジナルに作曲されることもある。ホームがその1人である。

【5】物質化現象 – これは現実にそこに存在するはずのないものが出現するもので、大別すると光輝性のもの、たとえば火花、火の玉、雲状の光輝性物質等が浮遊する場合と、人間の手、顔、あるいは毛髪から足の先までの全身が物質化して現れる場合とがある。

全身物質化の場合は顔と手を除くほかはたいてい白い布状の物質で身をくるんでいる。それが列席者と話をしたり部屋の中にあるものを手に取ったりして見せるのであるが、その様子はむろん列席者全員が肉眼で見ることができる。が、ときとして霊視能力者だけに見えて列席者には物体だけ、たとえば花とかペンとかが動くのが見えるだけということもある。

同様に、物質化霊がしゃべる様子つまり口の動きなどが列席者全員に見えるときと、声だけ聞こえて姿は霊視能力者にしか見えないことがある。物質化霊が頭からかぶって出てくる布状の物質の一部を切り取らせてもらいあとで調べようとしたことがあるが、ほどなく消えてなくなってしまった。花が物質化したことがあり、すぐに消えてなくなるものもあるが、実物と少しも変わらず、手入れ次第でいつまでも生き生きとしているものもある。

注意すべきことは物質化して出てくる霊の姿格好がそのまま実際の霊の姿格好ではないということである。あくまでテスト用として、あるいは自分であることを肉親や知人に認めてもらうためにメークアップした“仮りの姿”にすぎない。

【6】心霊写真現像 – これは霊魂説の物的証拠として価値が高いので、前項で詳しく説明した。

精神的心霊現象

【1】自動書記現象 – 直接書記と異なる点は人間が実際に鉛筆を手にして書くという点で、その内容が本人には思いもつかぬことや予想もしないこと、気に入らない言説、まるで予備知識のない事柄である場合がよくある。書いている途中で人が代わったように急に筆跡が変わることがある。また文章がさかさまにつづられることもある。ときには本人のまるで知らない外国語がつづられることさえある。人によって入神することもあるが、普段とまったく同じ状態で書く人の方が多く、ただその内容が通常意識と無関係である点がこの現象の特徴である。

【2】霊視・霊聴現象 – 肉眼に見えないものが見えるのが霊視で、肉耳に聞こえない声や音を聞くのが霊聴である。どの程度まで見えどの程度まで聞こえるかはその人の能力の程度によって決まることで、従って霊視現象も霊聴現象もそれだけ種類がさまざまであることになる。

【3】入神談話現象 – 入神状態の霊媒の発声器官を使用して霊が談話を交えたり一場の講演を披露したりする現象で、普段の霊媒とは表情が違うばかりでなく、その身ぶり手ぶり、談話の内容がすっかり変わってしまう。次のような例がある。

「かつて私は無学なバーテンが入神状態で幾人かの哲学者を相手に“理性と予知能力”“意志と運命”といった高等な問題を議論し合っているところを見たことがある。実は、私も加わって心理学上極めて難解な質問をしてみたのであるが、その解答は実に用意周到で英知にあふれ、また使用する言葉がバーテンにはおよそ似つかぬエレガントなものであった。ところが入神からさめていつもの本人に戻るとなんでもない幼稚な質問にも答えきれず、ごく平凡なことがうまく言えなくて戸惑う始末であった。」(“What am I ?”by Serjeant Cox)

これが決して大げさな話でないことは筆者自身その霊媒を幾度か観察しているので100パーセント保証できる。その他の入神霊媒たとえばブリテン女史、タッパン女史、ピーブルス氏等の講演の素晴らしさは、私の知るかぎり、いかなる説教者、講演者をもはるかにしのぐものがある。

【4】憑霊現象 – 原理的には入神談話と同じであるが、入神談話の時の霊は大体きまっていて性質的にも立派で知的であるのに反して、この現象ではどんな霊が憑依してくるかわからない。粗暴な霊がついてくると大変なことをしかねない。またいろんな国籍の霊が出るので同じ霊媒が次々と何か国語でもしゃべることになる。すでに紹介したようにエドマンズ判事のお嬢さんは普段は英語しか知らないのに入神すると8か国語以上を流ちょうにしゃべった。

【5】心霊治療 – これにもいろんな方法がある。患部に手を当てがうだけで治す人もいるし、軽くマッサージする人もいるが、全く手を触れずに祈るだけで治す人もいる。入神したり霊視能力を使ったりして、隠れた疾患を診察し、確実な処方を授ける人もいる。要するに医学的な物療的方法に頼らずに治療するわけである。

以上大ざっぱに心霊現象なるものを説明したが、これだけでもわかるように、精神的現象は主観的であるだけに、厳格なテストのできる2、3の現象を除いては、霊魂説の証拠として否定論者を納得させるだけの力には欠けている。

しかし現実には精神的と物理的の双方が混ざり合って起きているのが普通で、従って物理的心霊現象を十分に理解した人ならばそのうらに精神的なものが働いていることも理解できるはずである。

そして結局両者の背後で働いているのは同じ“霊魂“であることに納得がいくに相違ないのである。精神的なものはむろんのこと物理的なものも人類発生当初から起きているに相違ないのであるが、それが科学的な観察眼によって初めてとらえられたのが例のハイズビル事件であった。

以来、世界各国の著名科学者、医学者、あるいは文学者などによって徹底したテストを受けてその科学性が検討され立証されてきた。その歴史はすでに紹介したが、一方ではこれを否定せんとする科学者や批判者も少なくなかった。

そうした否定論者の説や態度については折にふれて言及してきたが、共通していえることは、われわれ肯定派が霊魂説を立証するために行ってきた長年の実験、研究、推論や、それに傾けた真摯な情熱に比して、純粋な学者的良心や誠意が全く見られないということである。

一例を挙げれば、ウィリアム・クルックス博士といえばその名を知らぬ者のない世界的科学者であるが、その博士が4年の歳月をかけて実験研究した結果を英国学士院で発表したとき、だれ1人それをメモする者がなく、また博士の研究室へ招待しても1人として訪れた人がいなかった。

さらにその成果を「スピリチュアリズム現象の研究」Researches in the Phenomena of Spiritualism と題して世に問うた。これは心霊学史上に一大エポックを画するもので、その意義は測り知れないものがあるが、批判家連中にはそれを確認してくれる“博士以上の証言者”が必要だといい、その確認がないと信じるわけにはいかないと主張する。

クルックスという科学界の第1人者の研究成果を前にしながら、それを認めるのに更に新たな確認を要求するとはいったいどういうことであろう。いったいだれが確認すればいいというのであろう。

現実には世界各地で次々と一流の知識人によって確認されているのである。例えば米国では最初の化学者ロバート・ヘア教授によってまず確認され、2年後には最高裁判事のエドマンズ氏が綿密な研究によって真実であると断言し、続いて2人目の化学者メイプス教授が確認した。

フランスでは、1854年にまずガスパリン伯爵が確認し、以後第1級の天文学者、数学者および化学者によって確認された。スイスでは1855年にサーリー教授が確認した。当地英国ではデモーガン教授、L・ロバートソン博士、T・A・トロロープ氏、R・チェンバーズ博士、コックス氏、C・F・バーレー氏、それに懐疑派の弁証法学会の調査委員会までがその大部分の真実性を確認した。

そして最後にそれを決定づけるものとしてクルックス卿が4年にわたる2人の霊媒を使っての独自の研究でほぼその全てを真実であると断言した。これには写真という“主観性”の入る余地のない物的証拠も入っていた。

これに対して否定論者はいったいどれだけのことをして何を提供したか。彼らはただ憶測による勝手な説を立てるだけで、何1つ根拠となるべき証拠を提供したためしがない。

筆者にいわせればもはやこれ以上心霊現象を追試する必要はない。殊に心霊実験は手品ではないか、まやかしではないかといった疑惑のうえに立った調査はもう時代おくれである。

つまり心霊科学も、他の既成科学と同様に、決定的な立証を得たとみて差支えないと主張したいのである。従ってこれ以後必要なのは心霊現象の真偽を検討することではなくして、新しい論理的帰納または演繹(えき)という前向きの姿勢である。

これを要するに、霊魂の実在を証明する段階は過ぎ去って、これからはその画期的な事実をもとにして、人間とは何か、霊界とはいかなる世界か、道徳観は在来のままでいいのかといった哲学的および宗教的な面まで発展させていくべきだというのが私の考えなのである。

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7 歴史にみる異常現象 – その心霊学的考察 –

近代スピリチュアリズムのもたらす教訓は大別して2つある。1つは物質科学で説明ができず、ために否定または無視されてきた歴史上の異常現象に合理的解釈を施すことができるということ。

もう1つは人間の本質と死後の道程について幾つかの決定的情報を手にし、そこから高等な実践的倫理観を引き出していることである。本項では前者の歴史上の異常現象についてスピリチュアリズム的考察を施してみたい。

【1】ソクラテスの悪魔(デーモン)

ソクラテスはその生涯において、ここという大事なときにデーモン Demon の声を聞いたという。古来このデーモンは“悪魔”の意に解釈され、ためにソクラテスは一方では大哲学者といわれながら人間的には精神的妄想患者であったとされるのであるが、心霊学的にいえばデーモンはソクラテスの守護霊ないし指導霊だったわけで、ソクラテス自身および彼を理解する知友はそれが決して悪魔などではなく危険を予知したりして常に守護してくれていることを弁護したが、その点の理解がいかなかった当時の人々、とくに為政者たちは社会の平和を乱す悪魔の手先であると決めつけて、ついにソクラテスに毒をあおらせたのだった。

【2】お告げ・神託

心霊学的にいえば霊言現象にすぎず、中にはいい加減なものもあったであろうが、全てをペテン、それを信じる者はすべてまぬけのお人よしとするのは誤りである。

とくにギリシャのデルファイの神託は当時の為政者や賢人が重要な問題を扱うに当たって最後の判断のより所とした点において特殊な意味をもっていた。神殿の奥の間で厳かな禊(みそぎ)を行ったのちに行われたことや、その託宣が日常語で語られる場合と謎めいた詩の形式で授けられる場合とがあったことに注目すべきで、有名な「プルターク英雄伝」によれば、詩の形で表現したものは主として一国の興廃にもかかわるような重大な問題の場合で、一般に知られてはまずいという配慮があったとのことである。デルファイの神殿の巫女ピシャについてプルタークは次のように語っている。

「ピシャの託宣はいかなる厳正な目で見ても少しの狂いも不正確さもなかった。その恩恵に浴した人々の感謝の貢ぎ物がところ狭しと神前に供えられているのが常で、またその人たちはギリシャに住む人たちばかりではなく、遠く外国から訪れる人もいた。お告げは単刀直入、ずばり問題の核心にふれるのが常で、そこにいかなるもどかしさもあいまいさもごまかしもなかった。かつてピシャの授けた神託が間違っていたとの非難の声を1度も聞かぬのである。」

むろん人間のすることであるからときには金を使って自分に有利なことを言わせるような罪なことも行われたであろう。が、だからといって事実を全て否定するのは筋が通らない。歴史上の偉大な人物の多くが頼りにしたという事実からもそれをうかがうことができる。きっと託宣が裏づけられた例が数多くあったからに相違ない。そしてそれはスピリチュアリズムを勉強すれば理解のいくことである。

【3】バイブルの中の奇跡

聖書にも心霊現象が随所に発見される。バビロン最後の王ベルシャザルの祝宴でその部屋の壁に運命を予告する文字が現れたとか、その父ネブカドネザルにまつわる話として、家来が焦熱の炉の中に入ってもやけど1つしなかったという話も事実であったことが理解できる。

パウロのいう“霊的能力”も“霊を試す”という言葉も、その本当の意味がわかるのはスピリチュアリストだけであろう。またイエスが悪魔や悪霊を追払ったという記述は決して比ゆ的にいったのではなく、実際に不浄な霊を払ったのである。

その他、水が葡萄酒に変じたのも事実であろうし、わずかばかりのパンと魚が何千人もの飢えを満たすほどに増えたのも事実だったはずである。同じような現象が現代でもどこかの実験会や交霊会などで現実に起きているのである。

【4】聖者の奇跡

聖者と呼ばれた人たちにも霊的現象がよく起きている。原因が自分にもわからなかったために1人悩んだ者が多かった。中には自分は悪魔に使われているのだと信じて、まわりに起きる異常現象を恐れかつ憎んだ人もいたようである。

記録に残っている例では“クレルヴォーのベルナール”と呼ばれたフランスの聖ベルナールは白昼でも身辺に起きる怪現象に悩まされ続け、アッシジの聖フランチェスコ、スペインの修道女テレジアの2人は空中浮揚現象がよく起きたが、これらもスピリチュアリストには理解のいくことである。

【5】魔法・妖精

これにも心霊学的にみると本物の心霊現象も確かにあるが、恐怖心から生まれる暗示的幻覚が加わって複雑になっているように見受けられる。呪文(じゅもん)を唱えて気合とともに品物を蒸発させたり、自分の姿を消したり、あるいは空中高く舞い上がるといった現象や、悪質な例では、憎い相手を祈り殺すといったことも心霊現象の原理からすればできないことではないが、それが本物であるか、単なる幻覚かを見分けられるのはスピリチュアリストのみである。

【6】聖母マリヤの出現

最近になってローマカトリックでは聖母マリヤとか聖者の出現の話題が多く、それが狂信家の信仰を一層あおっているが、姿を見たということは事実であるとしても、それを聖母マリヤであるとするのは単なる推測であって、スピリチュアリズム的に見ればありそうにないことである。

【7】千里眼

千里眼をはじめとして一般に迷信扱いされている未開人の超能力は事実なのである。霊的能力は山岳地帯の人ほどよくみられ、かつ強力であることはよく知られている事実で、そうした地域は文明度が低いために無知のせいにされてしまうのである。米国でもカリフォルニア州で最も素晴らしい心霊現象が見られるのは、そこの乾燥性の清澄な大気のせいである、というのはスピリチュアリストの間でよくいわれることである。

【8】祈りの奇跡

いわゆる“祈りの効用”もスピリチュアリズムによってそのメカニズムが解明された。祈りはその方法いかんではかなえられるものなのである。もっとも、それは神の直接の関与によるものではなく、また特定の宗教の教義とも無関係である。最も重要なことは本人が確固たる信念をもつことであり、その信念のもとに繰り返し真剣に、そして利己的な欲得を離れて、ひたすらに祈ることである。するとその波動に共鳴する霊がこたえてくれる。霊媒的素質がある人には奇跡が生じることもある。

その顕著な例を紹介しよう。ブリストルで孤児院を営むマラー氏 George Muller は過去44年間すべての経営資金を寄付で賄っているが、それが全て“氏の祈りにこたえて送られてくる”。氏の著書「主の計らい」Narratives of Some of the Lord’s Dealings with George Muller(1860年版)によると、氏は永年にわたって支出を細かく記録しているが、その間1度たりとも個人的に寄付をお願いしたことはなく、公募したこともないという。

にもかかわらず(一文無しで結婚した年の)1830年以来、家族と孤児 – 今では実に4000人にふくれ上がっているが – を無事育て上げている。食べるものも、それを買う金も、パンもミルクも砂糖もなくなったことが何百回も何千回もあったが、決して1回たりともツケで買ったことはないという。

にもかかわらず、驚いたことにその著書が言及している30年間に3度の食事を1度たりとも欠いたことがなく、食事の時刻がくると不思議にどこからか、そしてだれからか、食糧が届けられたという。まさしくその日暮らしだったのである。

その秘密をマラー氏は“祈り”だという。それが遠い昔の伝説ではなく、われわれと同時代の今、都会のど真ん中で40年間にわたって続けられ、現在もなお続いているのである。“やんごとなき”身分の方々が今なお“はたして祈りに効用ありや否や”を熱っぽく論じ合っているが、その方々はこうした事実はいっさいご存知ないのである!

スピリチュアリズム的に解釈すれば、これはマラー氏の人徳 – 完全な純粋性と信念と尽きることのない慈悲心と善性 – が同質の霊的存在を動かし、氏の霊媒的素質と相まって心ある人々を動かし、金銭、食糧、衣類等の必需品を寄贈させたのである。

同封されてきた手紙を見ると、ある時刻にふと寄付したい気持ちがわき、どうしても今でないといけないという気持ちに駆られて送ったという。届けられた時刻が実にそれを必要とした時刻であった。こうした事実をみても、その背後で働いている霊的存在がほうふつとしてくる。

これが単発的であったり一時的なものであれば他の解釈も可能であるが、それが生涯にわたって日常の必需品の全てを賄ってきた。それも1銭の預金も貯蔵品もなしにである。(そのようなものは氏にとって神への信仰の欠如を意味する。)こうなると偶然などでは片づけるわけにはいかないのである。

【9】ポルタガイスト

いわゆる霊的騒動事件も霊魂説によって解決がつく。オーエン氏はこの種の現象を数多く収集しているが、その幾つかを拾ってみると、1841年に英国学士院会員ムーア氏 Major E. Moor が53日間も鳴り続けたグレートビーリングスの自宅の呼鈴(ベル)のことを小冊子にして公表した。

原因はムーア氏をはじめベルの専門家の調査でも判明せず、同じ音を出そうとしても出なかった。そこでよい意見があったら寄せてほしいという広告を新聞に出したところ、英国全土から14通の手紙が届き、同じような現象がムーア氏のケース以上に長期間続いていて、やはり原因が不明であることが判明した。

1年半続いているもの、9年続いているもの、60年も続いているもの、差当たっては20年だが記録をたどると1世紀も続いているものまであった。いずれもトリック説では全くらちのあかないものばかりで、これも他の心霊現象と同じく霊魂説によってはじめて解決がつく。

【10】“死後”の問題に結着

スピリチュアリズムは宇宙には目に見えぬ霊的世界が存在し、その世界の生活者がわれわれの物質界へ働きかけることができることを立証し、人間哲学に革命をもたらしている。かつては想像もできなかったタイプの“物”の存在と、その存在形式を明かしている。

つまり“脳”を離れた“精神”の存在、われわれ人間の想像する“物的形態”を離れての“知性”の存在を立証し、かくして肉体が崩壊してのちの知的個性の存続に関する哲学論争に決着をつけることになった。同時にいわゆる“死者”は今なお宇宙のどこかに生き続け、見えざる世界からわれわれを導き元気づけてくれていることもわかった。

五感でとらえられないために気づかずにいるにすぎないのである。多くの人間が求める“来世の確証”が得られたのである。今までそれが得られないばっかりに大勢の人間が来世の存在を疑いながら、あるいは頭から信じないまま死んでいった。その“確証”がいかに強烈なものであるかは次のある牧師の言葉からうかがえよう。心霊現象を目撃したあとこう語っている。

「今の私にとって死はこれまでと全く別のものとなりました。息子を失ってからの大きな抑うつ状態から、確信とよろこびに満ちた人間となりました。今や私はすっかり別人です。」

これは永年キリスト教の牧師をしてきた人間に及ぼしたスピリチュアリズムの影響の典型であり、同時にこれは“スピリチュアリズムはいったい何に役立つというのか”という間に対する回答でもある。これまでのあいまいで得心のいかない信仰に代わって、確固たる真実味あふれる実際的確信を提供する。有能なる哲学者の全てが入手不可能と決めてかかっていた死後に関する情報を提供してくれるからである。

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8 スピリチュアリズムの意義

最後に私はこれまでを振り返り、心霊現象が人間についてあるいは人生について何を教えてくれたかを総括しなければならない。それを大ざっぱに箇条書きにすると –

1、人間は肉体のほかに目に見えないエーテル質の身体を備えている。それは出生時から肉体とともに生長し、それ相当の器官を備えている。

2、“死”とはそのエーテル体が肉体から永久に分離する現象であって、人格そのものは道徳的にも知的にもなんらの変化も生じない。

3、知的ならびに道徳的進化向上が各自に負わされた永遠の宿命である。地上生活で身につけた知識、精進、体験のすべてがその基礎となる。

4、死後も地上の霊能者を通じて人間と直接の通信が可能である。また霊能者を通じなくても日常生活において地上の愛する人、志を同じくする者へ念波によってかげながら忠言を与え、守護し、正しい“人の道”へ導くことができる。

5、「2」の項目から推察できることであるが、死によって人間は決して神になるわけでも仏になるわけでもない。それゆえ霊からの通信をなんでも絶対のものとして鵜呑(うのみ)みにすることは危険で、人間の言説を批判するときと同じ理性的判断力を要する。

以上は大ざっぱな概略で、さまざまな疑問もあれば問題点もあることであろう。それに関してはこれまで紹介してきた研究者の手になる業績を参照していただくことにして、ここでは私はそうしたスピリチュアリズムの教義が、これまでのいかなる宗教ないし哲学にも増して強力で効果的な説得力をもって人間の道徳律を示唆していることを詳しく説いてみたい。

それには私と同じ博物学者で思想家でもあるハックスレー教授 T. H. Huxley の言葉を引用することから始めるのが最も適切であろう。教授は弁証法学会へあてた書簡の中でこう述べている。

「しかし、たとえその現象が真実であっても私には興味はありません。もしもだれかが近くの町での老婆や牧師連中のおしゃべりを聞く耳を私に授けてあげると言ってくれても私はお断りします。もっとほかにしなければならないましな仕事があるからです。霊界とやらの連中がこれまで報告を受けているものよりもっとましで気の利いたことを言ってこないかぎり、右の連中のおしゃべりとたいして変わりはありません。」

教授がときおり見せる痛烈な皮肉を込めたこの一節は、“たとえ肉体の死後に生命が存在することが証明されても、霊界通信で下らぬことを言う者がいる以上興味はない”と言っているのでは決してない。確かに、科学者の中には本当にそれが霊からの通信であるなら、霊界通信の大半を占める愚にもつかぬことは言ってこないはずだという理由で全てを否定する者が多い。

しかし博物学者であり思想家であるハックスレー教授はまさかこれをまともな理由だとは思わないであろう。なぜなら、物事には精神的・物理的の区別なく原因なき結果というものは存在しないという学説を述べているのは、ほかならぬ教授だからである。

つまり漸進的発達と生涯にわたる – もしかしたら先祖伝来の – 慣習によって作り上げられた精神構造、才能、性癖等が、これまで知られたかぎりの、あるいは想像し得るかぎりのいかなる原因によっても、1度に変えられるものではないということである。

(教授はたぶん同意見だと思うが)もしも1度に変えられるとするなら、毎日のように地上を去っている人間の大半がたわいないおしゃべり連中であり、その楽しみは知的ではなく俗世間的なのであるから、そうした人間を肉体を離れると同時に1度に高等な知的人間に変えてしまうとすれば、そのエネルギーはいったいどこからくるというのであろうか。

これはまさに魔法であり奇跡中の奇跡である。まさか教授はこれが自然界の現象の1つとして霊界で毎日のように無数に生じているとは考えないであろう。いったいなんのためにそうあらねばならぬのかという問題が生じるからである。せんずるところ、地上生活の結果として当然受けるべき報酬から免れたいという願望からでしかない。が残念ながらそれは許されない。

スピリチュアリズムによるとわれわれ人間は、1人の例外もなく、その行為と思考の1つひとつによって精神的組織体を築きつつあり、そうやって築き上げた組織が次の行為や思考を左右している。その影響は地上生活中でも大きいが、死後の生活では決定的な作用を及ぼす。組織が立派であれば進歩と幸福感をもたらし、お粗末であれば進歩を妨げ不快感を生む。

その組織を立派にする最良の方法は魂に宿された神的属性を1つでも多く開発陶冶(とうや)することで、それがひいては死後の新しい生活を幅の広い生き生きとしたものにしてくれるわけである。

物欲にとらわれ神性の開発をおろそかにした者は、要するに新生活への準備を怠っていたのであって、その当然の報いとして、地上生活で“なおざり”にした努力を今一度やり直さねばならない。

哲学者スペンサーの名言に“人間は自分の行為が招来する当然の結果を体験させられるのが最良の教育である”というのがあるが、この言葉は現世と来世との関係についてのスピリチュアリズムの教えでもある。押しつけの報償も罰もない。地上で送った生活の避け難い自然の結果を善悪ともに受けるのである。

善なる生活、有意義な生活とは、一個人としての物的充足を求める欲望よりも社会の一員としての意義と知的探求、そして他人の幸せを思いやる心を優先させる生活である。

後者の心が人間性として高等であるという感覚は – 普遍性があり、なぜかと問われると説明困難な感覚であるが – やはり前者のような利己的充足のための才覚は人間本来の幸福という点ではほとんど不要なものであること、そしてそうした才覚を使わずにいると次第に萎縮(いしゅく)して、それにひきかえ後者が発達してくるという結論を指向しているように思えるのである。

それ故、確かに下らぬ駄弁程度の霊界通信ではハックスレー教授ならずとも気の利いたスピリチュアリストの全てが興味をもたず、自ら進んで聞く気持ちはさらさらないかもしれないが、しかしそういう駄弁(それが霊からのものであると仮定して)が霊界から送られてくるという事実は、地上生活を基点にして考えれば当然予想されることであり、重大な教訓を含んでいるといえる。

またそうした駄弁に類する霊信が受け取られる交霊会の性格も考慮しなければならない。知的程度と趣味を異にする各種の階層の人間の寄り集まりであり、中には夕食後の娯楽程度のつもりで来る者もおれば、全てばかか詐欺師ぐらいにしか考えないうたぐり深い人間もいる。

そんな程度の人間の集まりには高級界の優れた霊はまずやって来そうにない。そういう霊はたぶん新しい雄大な、そして知的な生活環境に心を奪われ、地上のその程度の人間を相手に余計なエネルギーを費やしたくないということが当然想像される。

もしも生前と同じお粗末なセンスのままでも地上と話ができるということ、しかし彼らが置かれている環境が、愚かな人間でも幸せに生きていける地上と違って、そのセンス次第で幸福が左右されるということが事実であれば、彼らは当然そうしたセンスを高める努力を怠った報いを受けていることであろう。

全てが精神的に機能する世界で身の置きどころに困り、できることなら生前のおしゃべり仲間のところへ行って古き良き昔の思い出にふけりたくもなるであろう。そうした低俗な趣味も高等教育への重大な刺激になることも有り得ることを、高等教育を唱道してやまないハックスレー教授ならきっと認めることであろう。

教授ならきっと人間の未来と同時に、現在にとっても真に実利的意義を有するものには興味をもたれるに相違ない。その意味でスピリチュアリズムのこうした低俗で忌ま忌ましく思われている現象も、“もし真実であれば”、それなりの実利的意義を有しており、それが高等な霊的教訓と相まって、地上生活に新生をもたらす深遠な道徳的指針となり得る要素をもっている。

というのも、日常的体験といってもよいほどの身近な心霊体験によって死後の世界に関する絶対的知識を得ているスピリチュアリスト – 悪感情や利己主義や金銭欲に浸り情愛や各種の高等な精神的能力の開発を怠っただけそれだけ物質のない世界つまり物質的欲望が満たされることがなく、肉欲も観念的にしか味わえず、仕事といえば調和と知的進化を目的としたものしかない世界における不幸の種をまくことになることを知った者は、必然的に純心で調和的かつ知的生活を心がける。その動機が単なるお説教や主義主張よりはるかに強烈だからである。

彼らは悪感情をむき出しにしたり、虚言を吐いたり、我を押し通したり、ぜいたくな物的生活にふけったりすることを恐れる。なぜならそうした悪癖に由来する当然の避け難い報いがそのまま来世での不幸であり、それを正すためには改めて精神的改造が必要であるが、久しくおろそかにしたものを再び使用するのはたいへんな苦痛であることを知っているからである。

罪悪も、それが生み出すところの悔恨の情の恐ろしさを知ると同時に、その罪悪に伴うところの悪感情が地上時代の生存競争と物的快楽の中に培われた精神構造の中にあっていつまでも苦痛をもたらすことを知る故に、思いとどまるのである。

銘記すべきことは、こうした信念には神学のそれと違って“生きた効力”があることである。私的な交霊会において繰り返し確認された事実に基づいており、いわゆる“死者”による直接的体験を繰り返し聞かされ、いかに鈍感な者でも、来世の幸不幸が地上生活における日常の思念と言葉と行為によって築かれる“精神構造“によって決まることを得心しているからである。

このように因果応報の原理をすべからく高等な精神的能力と道徳的本性の開発を基準とする考え方を、ある特殊な教義に基づく行為と信仰を基準とする既成宗教の考えと比較してみるとよい。前者が自然の理にかない、後者が不自然なこじつけであることはだれの目にも明らかである。

ところが実際にはスピリチュアリズムはまったくのペテンまたは妄想であるとされ、その教説は“願望的期待観念”と“無意識の大脳活動”の所産にすぎないという。しかし、もしもこれまで紹介してきた一連の現象的事実が現実には存在せず、その所産が今述べたような来世観であるとすれば、この事実一つだけでも右の説は否定されてしまう。

また教養のあるなしにかかわらず全ての霊媒を通じて得られた通信がことごとく右の来世観を絶対的に支持しているとなると、霊媒は自分の知っていることや信じていることしか言わないという単純この上ない意見はどうなるのであろうか。霊媒のほとんど全ては正統派的キリスト教信仰の中で育っていると見なしてよい。

となると、その口からキリスト教的天国観“がまったく”聞かれないのはどうしてであろうか。私はこれまで霊界からの通信を大小あわせて何10冊も読んできたが、その中に“翼をつけた天使”だの“黄金のハープ”だの“神の玉座” – どんなに慎ましいクリスチャンでも死後そこへ招かれると信じ込んでいる – といった用語は見当たらない。

過去の宗教の歴史をみても、霊媒の育った信仰上の環境と、その霊媒を通じて得られた来世観との間の対照性ほど顕著なものはない。米国の山奥であろうと英国の田舎町であろうと、伝来の天国地獄観の中で育った無教養な男女がいったん霊媒能力を発揮すると、その手や口をついて出てくる来世観が宗教性よりむしろ哲学性を帯びており、幼い心に深く染み込んでいるはずの来世観とまったく異なるということは驚くべきことである。

しかもその通信霊は地上でカトリック教徒だった者もいればプロテスタントだった者もいる。マホメット教徒だった者もいればヒンズー教徒だった者もいる。なのに、その言説にまったく宗教的色彩が見られないのである。末節の教義や信条においてはそれぞれの特色が見られないこともないが、死後の世界に関するかぎりその説くところは一致している。

カトリック教徒だった霊は別に錬獄や天国の話をしないし、死者は“必ずイエスのもとへ行く”と信じている宗派の霊も、今イエスと共に暮らしているとも、イエスと会ったとも言ってこない。

交霊会において信心深い列席者は必ずといってよいほど神およびキリストについて質問するのであるが、その返事はきまって“自分はこう思う”といった程度の意見であり、自分たち死後の世界の霊でもなおそうした問題に関しては地上と同じく直接的知識は得られないと言ってくるのがしばしばなのである。

このように交霊会における現象には何1つ不自然なところはない。そして通信霊に各種の宗教宗派の者がいるという事実も次の2点において霊魂説を裏付けている。

すなわち1つは、思想・信仰が深く刻み込まれた人間の精神構造は死と同時に一度に変化するものではないこと。もう1つは、そうした霊からの通信は決して霊媒の精神の反映でないということである。気の毒なことに霊媒の中には往々にして宗派が通信霊と同じであり、しかも自分にも霊的事情がよく理解できないために、その異常事態の説明に“サタンの誘惑”という考えを持ち込まざるを得なくなる者がいるほどである。

死後の世界とそれと関連した地上生活の正しいあり方に関するこうした教説は全てのスピリチュアリストの著作、全ての入神霊媒による講演、全ての自動書記霊媒を通じての霊信に共通したもので、余白さえあればいくらでも引用できる。ただその説き方と技葉の点においては若干の差が見られる。

そこでスピリチュアリズムでは、歴史家が信頼のおける資料を総合的に検討して各時代の歴史を書くように、そうしたあまたの情報を総合した中から基本的来世観を築いている。特定の個人の通信のみに絶対的信頼を置くべきでないことを承知している。

なぜなら霊界からの情報は人間という複雑な肉体的器管と精神構造を経過してもたらされるものであり、通信する霊と受信する霊媒の双方がその情報に影響していることを知っているからである。そこで心霊家は異なった国の異なった霊媒によって異なった時代に異なった条件下で得られた情報の中から、本質的な内容において同じことを述べているもの(枝葉の点において多少異なるが)を引き出す。

霊界通信の真実性を信じるようになったばかりの人はとかく特定の霊媒の特定の霊からの通信を絶対と思い込み、それのみで死後の世界全体を推し測っていく。その結果死後の環境を1つのパターンででき上がっているかの如く錯覚する。実際には地上とは比べものにならぬほど変化に富んでいるのである。

従って死後の環境、仕事、楽しみ、能力等について述べることが霊媒によって大なり小なり異なるのは、何も知らぬ者がやかましく言うように特に問題とすべきことではないどころか、逆にそうである方が自然なのである。同時にだからこそそうした中にあって基本的な点において全ての通信が同じことを述べていることはいっそう驚くべきことであり、死後の世界の存在を基本的事実として確立するゆえんでもあるのである。

スピリチュアリズムは古い迷信の遺物か、もしくはそのリバイバルであるという主張もよく聞かされるが、これに至ってはまったく根拠がなく、まさに何をかいわんやである。

観察と検討の上で確認された事実に基づく人間科学 – 事実と実験にのみ訴え、安易な見込みに基づく信用をあてにせず、研究調査と自力本願を知的人間の第一の義務とする学問 – そしてその結論として来世の幸福をより高度な知性と道徳性の陶冶(とうや)にあるとし、“それ以外には有り得ない”とする思想 – これは迷信であるどころか、むしろ迷信の敵であり、そうあらねばならない。

スピリチュアリズムは基本的には実験科学であり、それを基盤として真実の哲学思想と純粋の宗教を説いている。法則の世界を広げ大自然の次元を高めることによって“超自然的”とか“奇跡”とかの用語を不要としている。またそうすることによって歴史上の迷信とか奇跡といわれるものの中から真実のものを拾い出し、正しい解釈を施す。各宗教の教義上の矛盾を解くのもスピリチュアリズムであり、それ以外には有り得ない。

それは究極的には何世紀にもわたる絶え間ない不和と、測り知れない悪の根源であったところの宗教論争に決着をつけることになるに相違ない。スピリチュアリズムにそれが可能なのは、それが単なる信仰でなく“実証”に訴えるからであり、個人的見解に代わって事実を提供し、神の直接の働きかけとされてきたものの本来の源泉が他界した霊にあることを証明することができるからである。

こうみてくると、超能力の存在をいちおう認めてもせいぜい犯人捜査やダービーの優勝馬を予想すること以上の効用を知らない人間は、スピリチュアリズムの全体像についての無知を証明しているのみならず、近代科学に起因する唯物思想に毒されて死後の存続の可能性をまともに思考できない現代人の精神的まひ症状ともいうべきものを露呈している。

同時にまたスピリチュアリズムは単なる心理学的好奇心でもなく、これまで未知だった自然法則存在を示すに留まるものでもない。これはもはや何にも増して重大で現実的で、とてつもなく奥行きの深い科学であり、従って道徳家、哲学者、政治家はもとよりのこと、社会の改革と人間性の向上に心を砕く人々の全てが関心を寄せてしかるべきものなのである。

本書の読者はたぶんその大部分がスピリチュアリズムをあまりご存知でない方であろうと思う。そういう人にとってこの程度のものではもとより十分とはいえない。

それにしては長々と述べてきたように感じるが、本書を締めくくるのに当たって読者に心からお願いしたいことは個々の事象の細かいせんさく – 私によるこの程度の簡単な紹介では十分とはいえないかもしれない証拠のあら探しで終わることなく、その証拠全体の範囲の広さと、それが有するさまざまな意義に目を向けていただきたい。

私による説明不足の証拠そのものではなしに、その証拠が生み出す重大な意味に注目していただきたいのである。また、懐疑心から調査を始めて結局は熱心な唱道者となったそうそうたる知識人の数の多さに注目していただきたい。

そして、その人たちが1度は遭遇する不遇な立場を克服してきた、その堂々たる真理探求者としての姿勢を評価していただきたい。またそうした真摯(しんし)な探求者がかつて1人として現象の真実性を否定する結論に達した例がないという事実、1度霊魂説を得心した人がのちにそれを翻した例もないという事実に着目していただきたい。

そして最後に、人類史上の一連の奇跡的現象についてスピリチュアリズムが説き明かす原理と、そこから帰納されるところの崇高にして理にかなった来世観をとくと検討していただきたい。

以上の私の願いにこたえてくだされば、私がひたすら目指してきた成果が達成されることになろう。即ちそれは、これまでこの分野を取り巻いてきた偏見と誤びゅうを取り除き、事実は事実として、先入観をもたずに根気よく“自ら”検討してみる気持ちになっていただくことである。

真理は自らの手で発見しなければならないというのがスピリチュアリズムの大原則なのである。“又聞き”の証拠などで信じてはいけない。と同時に、根気と正直と、恐れを知らぬ真理探求心をもって検討することなしに事実を拒否してはならないということである。

(完)

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訳者あとがき

本書は原題を「奇跡と近代スピリチュアリズム」Miracles and Modern Spiritualism という。原著者のウォーレス Alfred Russel Wallace については改めて紹介するまでもない。ダーウィンと並んで自然淘汰説を進化論に取り入れた博物学者としてその名を知られているが、ごく最近になってこの自然淘汰(とうた)説は実はウォーレスの方がオリジナリティをもつものであったことが明らかにされた。(アーノルド・ブラックマン「ダーウィンに消された男」朝日新聞社刊)

しかしそれ以上に知られていない事実、というよりはむしろ偏見をもって誤解されている事実に、ウォーレスのスピリチュアリズム研究がある。目に見えぬ知的エネルギーの存在を単なる好奇心や俗趣味からでなく、人生哲学と専門の博物学の根幹として真剣に調査研究したその成果をまとめたのが本書である。

訳者はその抄訳をすでに10数年前に日本心霊科学協会の機関誌「心霊研究」に発表したことがある。そしていずれは全訳を出したいと思っていたのであるが、右のブラックマンの著書を読み、いよいよその時期が到来したと感じて世に問う次第である。

今回、全面的に訳し直し、ほぼ全訳に近づけた。“ほぼ”という意味は100年近い時代差による背景上の変化を考慮して、“補注”の中で今では無意味となったと思われるものは削除し、他のほとんど全てを本文の中に取り入れるよう工夫したということである。

これに関連するエピソードを明かせば、本書を「心霊研究」に連載するに際して許可を得たのは20年も前のことであるが、このたび単行本として出すに当たって改めてサイキックニューズ社に許可を求めたところ、“それは結構であるが、該書は今では時代遅れの感がするので、シルビア・バーバネルの「子供の死後」でも訳されてはいかが?”といった内容の返事が届いて、欧米との時代の差を思い知らされ、苦笑を禁じ得なかった。

確かに本書が出版されたのは1世紀も前のことであり、時代的に見るかぎりすでに意義は薄れているかに思える。現に欧米では絶版となっている。しかし、これほどの当時としては画期的といえる書がこれまで日本では紹介されていないという事実、そしてその内容がいかにも学者らしく理路整然としていて、現代の良識的知性派を十二分に得心させるものを備えているという事実から、訳者は今やたらに心霊心霊と騒ぎ立て、またそれに便乗していかがわしい心霊家がテレビ番組でもてはやされている日本の現状においては、心霊研究の原点とスピリチュアリズムの真髄を示す書として今こそ要請されているものと信じるのである。

ウォーレスが本書を“近代”と銘うったのは時代的な意味からではない。スピリチュアリズム的な思想は太古から存在し、今なお脈々と続いている。日本の神ながらの道の思想などは実にスピリチュアリズム的である。

その古来から自然発生的に存在する思想に科学的ならびに論理的検討を加え体系化するきっかけとなったのが1848年のハイズビル現象であり、それ以後の流れを新たに近代スピリチュアリズムと呼ぶわけである。つまり近代とは科学的という意味にとっても差支えないわけである。

イズム(主義)と呼んでいても、あくまで科学的ならびに論理的思想体系であって一宗一派の宗教思想ではない。日本人は民族的性向として論理的・分析的思考を好まず従って不得手でもあるが、これはぜひとも時代の推移とともに改めていくきべ性向であり、その意味からも日本の宗教関係者ならびに霊能者は一度は近代スピリチュアリズムの洗礼を受ける必要がある。本書などはそのための必読書の1つであると信じる。

さて初めのところで自然淘汰説のオリジナリティの問題に触れたが、同じ自然淘汰説でも両者の間に大きな、そして重大な相違点がある。それがなぜかあまり問題にされていない。というよりダーウィンの説のみがいろいろと批判を浴びつつも広く喧(けん)伝され、ウォーレスの説がほとんど顧みられない。それは博物学者の間で不思議なこととされてきた。

その相違点を一口で言えば、ダーウィンが徹頭徹尾唯物論的であるのに対し、ウォーレスが人類だけは別であるとし、形態上の進化のある段階において霊的要素が宿ったのが人類であるとする説 – いわゆる霊的流入説(スピリチュアルインフラックス) – を主張するのであるが、その差異を生んだ原因がほかならぬスピリチュアリズムの体験と思想にあったわけである。

もとよりウォーレスは博物学者であり、学界でも世間でもそれで通っていたのであるが、ではスピリチュアリズムは余技だったのかというと、それが決してそうではなかったことは、今述べた如くダーウィンとその進化論上の重大な差異がスピリチュアリズムから出ていることと、もう1つ、博物学者としての論文と並んで心霊学やスピリチュアリズム思想を弁護する論文も数多く発表している事実によっても知ることができる。

ウォーレスが心霊の世界に手を染めたことに対する学界の批判と失望はたいへんなものであったらしい。そうした事態は「まえがき」からある程度うかがうことができるが、それに対してウォーレスが取った態度は博物学者としての態度と少しも変わらぬ堂々たるものであり、その論理も明快を極めている。それは本書をお読みになられた方がまず第一に感じ取られた印象ではなかろうかと思うのである。

さきに私は“良識的知性派”といういい方をした。知的だの学問的だの科学的だのというといかにも聞こえはいいが、しょせんは肉体的欲望と複雑な感情を備えた人間のすることである。都合の悪いものには目をつむり、気に入らないものは無視してかかるのは人間のだれもが犯しがちな過ちであり、教養のあるなしにはあまり関係なさそうである。

否、むしろ学者として、あるいは著名人として、人目につくものを築いた者ほど、それに伴って生じる名誉心が目をくらませ都合の悪いものは意図的に排斥しようとする態度に出る。その点をウォーレスが繰り返し忌ま忌ましさを込めて指摘している。

が、ダーウィンがウォーレスを消しきれなかった如く、いかなる策をろうしても真理は抹消することはできない。ウォーレスが「まえがき」の中でいみじくも述べている如く、事実は頑固であるしどうしようもないものである。事実は潔く認めるにかぎる。

しかもスピリチュアリズムの根幹である霊魂と霊界の実在という事実は、それを認めることでなんの支障を来するのでもない。確かにそれを認めたことで聖職や学職を追われた例が幾つかある。が、それは決して真理がそうしたのではない。

その真理を理解できない人間の狭量な人間性がそうした非道な挙に出させたにすぎない。それはウォーレスがいみじくも述べている如く、人類の真理探求の歴史における汚点であり恥辱である。

訳者は今更そういう人種を相手にしようとは思わない。彼らには何を見せても何を説いても無駄である。しょせんは学問で厚化粧した利己主義の偽善者にすぎない。訴えるのならあくまでも“良識ある知識人”に訴えたい。真剣に真理を求める人に訴えたい。そういう人となら激論を闘わせても楽しくかつ有意義であろう。

が、ウォーレスも最後のところで述べている如く、真理はあくまでも自ら求めて自ら得心すべきものである。本書がきっかけとなってスピリチュアリズムへの本格的な興味を覚えることになれば訳者として本望である。

それは同時に原著者ウォーレスの本懐とするところでもあろう。

1984年暮

近藤千雄


「事実は頑固なものである」

ダーウィンと並ぶ英国の大博物学者ウォーレスは、ダーウィンに先がけて「自然淘汰説」をまとめた南洋諸島における採取生活中に心霊現象に興味を覚え、帰国して本格的研究に着手した。その成果を次々と学術誌に発表し、それが学者としての地位を損う羽目になったが、ウォーレスは「事実とは頑固なものである」との名言を掲げ、厳然と実在するものを無視することは学者的良心が許さないとの信念からその論文を1冊にまとめた。それが本書である。のちに出されたウォーレス独特の進化論「霊的流入説」もスピリチュアリズムの死後存続説に根拠を置いている。ウォーレスを理解する上で必読の1冊である。


心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム –

近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時に霊覚者間部詮敦氏、物理霊媒津田江山氏、浅野和三郎氏の著書との出合いによってこの道に入る。明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1985年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、シルバー・バーチ霊訓『古代霊は語る』(いずれも潮文社刊)

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†