ハァァ、もうホントにウンザリの究極形、それを言い出したら使命遂行の根本が崩れるだろと言いたくなるような事を霊団がインスピレーションで降らせてきています。この霊界の人間とかいう奴らは自分たちの責任についての認識が欠落しているのではないだろうか。

それを言い出すという事はそれを僕にやらせたあんたたちがそもそもおかしかったって事になるはずだろ、その部分の言及が全く無くてなぜ僕だけがブースカパースカ言われなきゃならないんだよ、そういう感じの事を言われているのです。理不尽感が宇宙最大級レベル。

えーっとー、つまりまた書きたくもない内容について長文を撃たされるハメになるという意味で、この人生ホントにいい加減にしてくれよ、イジメイヤガラセにもほどがあるぞ。霊界の人間というのはそんなチャランポランな仕事で進歩向上できるのか、ハァ、実に公正だ。納得できる。

とにかくやるべき事をやってくれよ、何もしないつもりなんだよコイツらは。仕方ありませんので僕は僕レベルでできる事を続行しますが、物質界の邪悪を滅ぼすつもりが全くない霊団の仕事姿勢が頭にきてどうしようもありません。いつまでこんな気持ちで生活せねばならないというんだ。だったらもう終わりにしてくれ(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→

「I Appeal Unto Caesar」英文テキスト見直し80%完成中「Spiritual Unfoldment Three」スキャン& OCR変換45%完了中。心に絶望感が巣食っていても手だけは動かし続けています。やるしかないからです。

脱出アイデアを実行する気満々なのですが数字の壁に阻まれてまだ実行できずに悶々としていますが、コレばっかりは1歩間違うと生活が破滅状態に陥ってしまうので軽々しくできません。徹底的に節約しつつ機を伺います。

そしてやはり僕というキャラは絵を描かない訳にはいかないという事でストーリーをもうひとつ描こうかなとネームを描き始めていますが、このストーリーはマズいかも知れないと思いつつ、どうせ反逆者なんだからもう細かい事は気にしなくていいか、などと思ってみたり。んー、このストーリー、どぉしたもんか。

そして次回長文ブログが本格的にピンチです。今のところ全然インスピレーションが降っていません。まぁ先週あれだけ思いっきり無視したのに降らせてくれとせがむ事自体がおかしいんですけども。まぁこのまま枯渇状態という事であれば僕レベルで何かしら撃とうと思います。そうするより他にどうしようもないでしょうから。

昨日ロードランするのをすっかり忘れてしまい(脱出の事で頭がイッパイでロードランの事が頭から消えてしまったのです)今日あわててロードランをおこないました。チョト疲れましたが僕は山に行き続けなければなりませんので鍛えるのは必須です、サボるの厳禁。

脱出できない、どうしても脱出できない、しかし徹底的に脱出のための外堀固めをおこなっています。何としても脱出してみせる。ストーリーのネームをモチョト煮込みます(祈)†
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†■2021年12月29日UP■
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†
「イヤ、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事で日本の平和と安定が保たれているのだから、女の子は強姦殺人し続けるべきだ」とあなたは仰いますか。あなたのような人間の事を霊界、物質界問わず【神】が経綸するこの全宇宙で何と呼ぶか知っていますか「偽善者」というのです。自分の考えの正当性を主張なさるのであれば、あなたは目に入れても痛くないほどかわいがっている愛する自分の娘を笑いながら強姦殺人して下さい。近所に住む笑顔のカワイイ女の子を誘拐して強姦殺人して下さい。そうすればあなたは逮捕されますが、あなた以上に信じられない人数の女の子を殺しまくっている「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が一向に逮捕されない事を全ての日本国民にどうやって納得させますか…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†■2023年1月4日UP■
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→

[新プラトン主義思想(1)に関する通信があった。見覚えのある容貌をした霊の写真も撮れたが、衣服は見慣れないものだった。私の質問に対して、心霊写真に写るためには、ある程度の物質化が必要で、霊視能力に写る映像とは違うとのことだった。

新プラトン主義の特徴的な教義についての説明は実に克明で、私のまったく知らないことばかりだった。忘我の状態で神性に背くものすべて排除し、ひたすら神との合一を求めるスーフィズム(2)という恍惚的瞑想行為について長々と説明してから、その理想的人物として1人の名前を挙げた。

そのとき教わったもの、とくにその理想的新プラトン主義者の教説については、その後なるほどと思わせるものがある。もっとも、私自身はすでに体験していたこともあって、驚きの度合が和らげられてはいるが…。

その後、短期間ではあったが、通信が途絶えた。その間に出席してみたある交霊会でイタズラ霊による偽名行為がまた発覚し、私も大いに考えさせられた。その後の通信で、よその交霊会には絶対に出席しないようにとの忠告があった。

霊媒には強い磁力があり、他の霊媒の交霊会に出ると、私の磁力がそこでの現象に悪影響を及ぼし、同時に悪影響を持ち帰ることになるから、霊媒どうしの接触は絶対避けるようにとのことだった。

宮廷詩人だったリドゲート(3)のものを中心とする素晴らしい詩が、それによほど興味をもっているように見うけられる霊によって書かれた。その霊はただ詩を綴ること以外は何もしなかったが、その筆跡は見ごとで特徴があった。

その後1873年6月13日に開かれた交霊会で、神学に関する質問を数多く用意しておいたところ、それに対して入神談話の形で長々と回答が述べられた。当然その全部は筆記できず、部分的で不完全な筆跡しか残されていない。が、その翌日、その入神談話をした霊が、こちらからの要請もないのに、次のような通信を送ってきた。]

真理の受け入れを妨げるもの

昨夜述べたことの中には、先を急ぐあまり、十分に意をつくさなかったことが多く、筆録も正確とはいえません。あのような重大な問題は十分に念を入れ、ぜひとも正しく理解していただかないといけません。

そこで、意をつくせなかったことを、ここでより解り易く述べておきたいと思います。交霊会であなたの口を借りて語るのは、必ずしも、こうした方法(自動書記)で伝えるほど正確を期することはできません。完全に隔離された状態のほうが、緻密(ちみつ)さと正確さの得られる状態に入るのが容易です(4)。

昨夜は、われわれが神から託された使命について述べたつもりです。その使命の前途をさえぎる多くの困難の中でも最大のものは、その使命達成においてわれわれが何よりも頼りとしている気心の合った同志が、あまりに神学的先入観に囚われ、あるいは、それまで説き聞かされてきた信仰と相容(あいい)れないことに恐怖を覚えるために、われわれとしても為すすべがなく、あげくの果ては、悲しいかな、われわれの説く神の教えが邪霊の言葉とされ、その背後で操る強力な悪魔のさしがねと決めつけられてしまうことです。

われわれに敵対する者の中でも、こうした種類ほど嘆かわしいものはありません。

勝手に定めた条件のもとに、自分のお気に入りの手段でしか物事を判断しようとしない似非科学者たち – われわれを、単に人間をたぶらかす者、嘘つき、狂える者のたわごとと決めつける材料として以外には取り扱おうとしない科学者たち – 彼らは、われわれにとってまず用はありません。

その曇った目には真理は見えず、長年の偏見によって包まれ束縛された知性は、われわれにとって何の役にも立ちません。どう気張ったところで、霊界との交信の真相を垣間(かいま)見ることすらできません。

彼らが獲得する知識は、たとえそれ自身は有用であり、価値のあるものであっても、われわれの特殊な使命には、まずもって役に立ちません。われわれが目指しているものは、われわれの使命の一側面でしかない現象面にのみ目を向けたがる科学者がとやかく言うものとは、いささか方角が違うのです。

永いあいだ物理学的観察に馴らされてきた知能は、その分野の解明に向けるのが無難でしょう。われわれの分野はそれとはまた異なるのです。霊と霊との関係であり、霊のたどる宿命についての知識を扱うのです。

さらに、われわれが述べんとする真理についての知識をまったく持ち合わせず、その理解には、こののち長年にわたる人生の試練を必要とする、無知にして未熟な者たち – この種の者は、いずれは理解できる段階にまで向上してくることでしょうが、今の段階では用はありません。

いわんや高慢にして傲(ごう)慢な知識人、自分の世界でしか通用しない説を振り回す道学者、慣例と体面を守ることに汲々たる宗教家 – 彼らについては言葉もありません。

彼らを納得させるには、さらに多くの物的証拠を必要とします。今の段階では、われわれが述べる言葉は、たわごとにしか聞こえないでしょう。

最大の障害 – 神学的ドグマ

が真に頼りとするのは、神とその天使の存在を知り、愛と慈悲を知り、いずれ死後に自分がおもむく境涯について知りたいと思う人物です。が、悲しいかな、神によって植えつけられ、霊によって育(はぐく)まれた天賦の宗教的本能が、人間の勝手な宗教的教義―幾世紀にもわたって知らず識らずのうちに築き上げられた、無知と愚行の産物によって、がんじがらめにされております。

どこをどう突ついても、返ってくるのはおよそ真理から外れたことばかりです。父なる神の啓示を説き聞かせれば、神の啓示はすでにその全てを手にしていると言います。

そこでその啓示の矛盾点を指摘し、そこに終局性も不謬(ふびゅう)性もないことを説けば、教会がこしらえた取りとめもない決まり文句を繰り返すか、それとも“絶対に誤ることのない人”として選んだ人物の言葉を引用するのみです。

つまり彼らは、一時期・一地方の特殊な必要性に応じて授けられた、限られた啓示をもって普遍的真理と思い込み、それを唯一のものさしとして、われわれを裁こうとするのです。

また、古代において霊覚者を通じて行なったように、われわれが信頼に値する神の使者であることを表明し、その証拠として奇跡的現象を演出してみせても、彼らは、奇跡の時代は終わった、神の啓示の証として奇跡を行なうことを許されたのは聖霊のみである、と主張します。

そして、悪魔は – といっても彼らの勝手な想像の産物にすぎないのですが – 神を装うことができるとし、われわれ及びわれわれの使命を、神と善に対抗する外敵、暗黒界の使者であると決めつけます。

また、こうも言います – できることなら力になってあげたい、なぜなら、言っていること自体はなるほどと思わせるものばかりだからである。が、それが悪魔が使う誘惑の常套(じょうとう)手段だから困るのだ、と。確かに、彼らがそう思うのも無理はありません。

なぜなら、やがて善を装った邪霊集団がやってくることをバイブルが予言しているからです。われわれこそその邪霊集団なのでしょう。彼らにとってはそうであるに違いありません。神聖にして犯すべからざる古(いにしえ)の神学が、神の子イエスを否定しようとする勢力の到来を予言しているではありませんか。

現にわれわれの説はキリスト神の定めたイエスの位置とその使命を根底から否定しています。また、われわれは理性を信仰の上に置いています。われわれの説く福音は、信仰よりも善行をすすめる福音であり、忠実な信仰でなく善の実践こそ佳(よ)しとする教えです。

彼らにとっては、こうした教えを説く霊はすべて、光の天使を装う大悪魔の手先であり、魂を破滅に陥(おとしい)れようとする企(たくら)みにほかならないのです。

われわれにとっては、本来なら協力を期待したい真摯(しんし)な信心家からこうした態度に出られることこそ、痛恨のきわみなのです。彼らの多くは愛すべき真面目な人物です。ただ、その明るい魂の炎が地上の暗闇を照らすに至るには、ぜひとも“進歩性”を必要とします。

われわれとしては、彼らにぜひとも友好のメッセージを贈りたいところです。しかし、すでに築き上げられた神および人間の義務についての確固たる信仰基盤に建て増しをするには、その前に、進歩を阻む夾雑(きょうざつ)物を取り除かねばなりません。

宗教にも理性が必要

宗教がその名に値するためには、2つの側面をもたねばなりません。ひとつは神への信仰であり、もうひとつは人間についての教えです。その道の専門家によって“正統”と呼ばれている伝来の信仰は、その2点についてどう説いているのでしょうか。

その教えとわれわれの教えとは、どこがどう違うのでしょうか。その“違う”部分はどこまで理性を納得させるでしょうか。なぜそう問うかといえば、われわれは何よりもまず神が植えつけ給うた理性こそ唯一の判断基準であると主張するからです。

われわれは、あくまでも理性に訴えます。なぜなら、古(いにしえ)の聖賢がこれこそ神の唯一にして最後の啓示であると断定して聖典を編纂した時も、彼らなりの理性に訴えたのです。その断定に際して彼らなりに理性に訴えたのです。ゆえにわれわれもまた理性に訴えます。

われわれ霊団の同志は、啓示の永遠不変の支柱とすべきものを“神みずから”規定されたと主張しているであろうか。われわれも又、“神の使者”にほかなりません。

かのヘブライの予言者たちを導いた霊たち、そしてその啓示を神の言葉と断定した者たちを指導した霊たちと同様、われわれも又、神によって導かれている霊なのです。(6)

われわれも、彼らと同じ神の使者なのです。たずさえてきたメッセージも同じです。ただ、より“進んでいる”というまでです。われわれの説く神も、彼らが説いた神と同一です。ただその神性をより明確に説いているまでです。つまり人間臭が減り、より神々(こうごう)しい存在となっているということです。

こうしたわれわれの訴えを、その言葉どおりに神聖なものと受け取るか否かは、そなたたちの理性(背後霊の指導を受けることは間違いないが理性であることに変わりはない)が最後の判断を下すことです。

それでもなお拒否する者は、みずからの理性の愚昧(ぐまい)さを証言する者にほかなりません。盲信を理性的信仰と同等に見なすわけにはまいりません。信仰にも根拠のある信仰と根拠のない信仰とがあるからです。根拠のある信仰は論理的裏づけが可能であり、その場合にも理性が最終的判断を下します。

後者は論理的裏づけのない信仰であり、これでは人を動かすことはできません。まして、まったく根拠のない盲信にいたっては、われわれもその頼りなさと信用のなさについて、これ以上論ずる必要さえ認めません。

われわれは理性に訴えるのです。理性的に判断して、どこまでわれわれの言うことが悪魔性を証しているのか、われわれの説く教義がどこまで邪霊的であるのか、何をもってわれわれを悪魔的と断ずるのか – こうした点については、これよりのちに改めて説くことにしましょう。

[注釈]

(1)Neoplatonism 3世紀に始まったギリシャ哲学の一派で、プラトンの思想を中核として、これに東洋の神秘思想を加味したもの。その代表的思想家の1人が、第5節でプルーデンスの名で出ているプロティノス Plotinus。

(2)Souffism

(3)John Lydgate(1370~1451?)

(4)霊界通信の難しさを正直に述べている。49名からなるインペレーター霊団は、周到な計画のもとに役割分担を決めて、予備練習を重ねた上で実行しているにもかかわらず、なおこの難しさである。

またシルバーバーチ霊は霊媒のバーバネルが誕生する前から英語を勉強し、誕生の時点から言語機能の発育をつぶさに見届けながら準備し、人間としてのバーバネルのクセを知り尽くした上で、18歳の時にはじめて霊言現象(雲媒をトランス状態にして自分が語る)を実行に移した。それでもなお当初はぎこちなくて、何と言っているのかが分からなかったという。

インペレーターの場合もシルバーバーチの場合も、中継役として“霊界”の“霊媒”を置いていたので、それだけ普通よりは複雑だったという要素はあるにしても、そもそも独立したひとつの個体が他の個体を、そう簡単に、そして自由に操れるはずがない。

そうした点から言っても、死んで間もない、霊的意識がまるで目覚めていない霊が、そう簡単にしゃべれるものではないのであるから、高級霊によるご託宣と同じく、他界したばかりの身内や有名人が出てきて、いかにもそれらしく語り、それを聞いて感涙にむせぶといったシーンは、まずもって低級なイタズラ霊のしわざと思って間違いない。

そういうことが得意で、霊界をドサ回りしている霊団もいるので、用心が肝要である。

(5)ローマ法王のこと。ローマ・カトリック教会では、1870年の第1回バチカン会議で、法王(正式には教皇)は聖霊に導かれたキリストの代表者であり、信仰と道徳に関して宣言することは絶対に間違いはないという“教皇不謬説”を教義として認めている。

(6)ここでいう“古の聖賢”“ヘブライの予言者”はみなインペレーター霊団に属していたとみてよい。

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
■2020年11月18日UP■
TrailMovie「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
「デマハウス」にありますようにコイツらが流し続けてくるウソ洗脳情報にいつまでもダマされ続けてあげてコイツらをおだて続けてあげるというのであれば、その人は「やさしい心の持ち主」という事ではなく「あたまカラッポのおめでたい人間」という事になります。皆さまは果たして自分の愛する笑顔のカワイイ愛娘が明仁、文仁、徳仁、悠仁にむごたらしい方法で強姦殺人されてもコイツらに笑顔で手を振って陛下殿下などと呼び頭を下げるでしょうか。僕は常にブログで【神の因果律】について、そして【神】が僕たち人間全員に与えて下さった【理性・良心】についてブログを書き続けてますが、皆さまにはそろそろ自分の理性、良心に背く行為をやめて頂かねばならないと全力で公言させて頂きます…動画を見る→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→