先ほど霊団が言ってきた通りの状況という事であれば脱出、さらには移住しても何ら問題はないだろう、というお話になるはずで、なぜその状況に僕を追い込んでおきながら無意味の究極形のところに何が何でも閉じ込めようとするのかがまるっきり意味不明なのです。

移住は費用的にムリでしょうが最低限、脱出は完了させるとさらに強く決断する事ができました。あんな事言われて誰がイヤでどうしようもないところにすすんで残るものか、そんな選択をする人間がこの全宇宙に存在する訳がないのです。何とか今年中に脱出アイデアを実行に移しましょう。数字が相当にキビシイですが…。

ちなみに移住ですが、このままココに閉じ込められて歳を取れば「高齢者ロングドライブ」の状態となり、それは非常に宜しくありません(高齢者が悲惨な事故を起こして刑務所生活をしているというムービーを観たりしています)

現時点で4時間5時間のロングドライブが限界点に達しており、もうこれ以上はムリというところまで追い込まれていますので、悲劇的状況になる前に移住を完成させて、登山道入口の駐車場まで1時間以内、遠くても2時間以内に到達できるようなところに移り住む必要があるのです。

アナログ絵379、3ページのゴミ取りを続行してますが、明日はロングドライブ時の眠気防止対策でアレコレ準備しないといけませんので作業はほとんどできません。霊団が完全にやる気ゼロなんだから移住を本気で考えないといけない。炊飯器の使用を止めるのはやはりムリがあるようです。作業続行中(祈)†

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
■2019年9月6日UP■
2018年6月13日UP「グリーンカーペット特急」このメッセージの意味を図りかねていますが、一応皆さまにご説明させて頂きます(祈)†
ラダーのような橋が架かっていて、その上にも緑のカーペットが敷かれていて次の車両へとつながっています。長ーい長ーいグリーンカーペット特急が走っている状態です。で、その電車を上空からヘリで眺めるベリーショートの女性がいます。ヘリには僕も同乗していて、その女性のベリーショートの髪が風になびくのを見ながら、その女性のさわやかな嬉しい感じの思念が僕の霊体にフワーって伝わってくるのでした…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→

目的はやせるためとか米を食べないようにするためとか、そういう事ではなくて「節約」です。炊飯器を使わずに済めば多少電気代の節約になるのでは、と思って「オーバーナイトオーツ」テストを思いついたという流れです。

さっそくやってますが、テストと言うほどのものでもなくオートミールを水に漬けるだけ、すごく簡単にやわらかくなりますので、あとは食べる時の味付けとかバリエーションさえ考えればこのアイデアはイケそうな気もします。しばらく美味しく食べられなくてもくじけずテストを続行してみましょう。こんな事まで考えてしまうくらい脱出に本気という事なのです。

アナログ絵379、3ページ線画完成中スキャン完了中AffinityPhoto上でのゴミ取りに入ってます。次回長文ブログ後にはUPできると思いますので作業を急ぎます。現在ホワイトイーグル霊の英語書籍3冊注文中ですが1冊も到着しません。海外発送おそるべし。霊関連書籍全てのテキスト化は僕の物質界生活中には実現不可能の公算大。しかしやる、最後の1秒までやるしかない。

昨日物的雑務で時間が取れませんでしたので今日ロードランを敢行しました。コレも休んではダメ、山に行き続けるために身体のコンディションを良好に維持しないといけない。スクワット等々の筋トレも続けています。昨シーズンのスノーシューアタックが悲惨な状況になってしまいましたので今シーズンは雪山に行き続ける事を必須目標にしています、そのために鍛え続けているのです。

次回長文ブログネタとなるインスピレーションは枯渇状態です。ってか霊団はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体についても、奴隷の女の子についても何も言ってきません。僕の人生をココまで完璧に破壊してこの使命遂行をやらせておきながら仕事の本体である霊団がやる気ゼロという意味不明の状態なのです。

もうこの使命遂行を進めるつもりがないというのなら、この人生をやらせた責任を取ってもらわなければ、僕じゃなくても誰だって納得しないでしょう。いちばん簡単な責任の取り方は「僕を帰幽させる」事でしょう。しかし霊団は僕という道具を使う気がないくせに僕を物質界に残し続けようとしてきます。仕事する気がないのに僕を物質界に残してどうしようというんだよ。

まずは3ページのゴミ取りを急ぎましょう。このまま無意味にダラダラ残されてたまるか。僕にできるレベルでやれる限りの事をやるぞ(祈)†

「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→
■2020年11月28日UP■
明仁、文仁、徳仁が逮捕されるかも知れない幽体離脱時映像を霊団が降らせてきました(祈)†
この3人は悠仁を除く明仁、文仁、徳仁の3人であると考えるのが最もスマートでしょう。年老いた3人は言い訳するヒマもないといった感じで速攻で手錠をかけられ連行されていくのでした。で、霊体の僕を含め10人程度がいたその部屋にポリーチェ(POLICE)4人ほどが来たのですが、もちろん僕は逮捕、連行されませんでした。逮捕どころか僕は脅迫罪の訴えをポリーチェに反故(ほご)にされているのですから僕の方からポリーチェを訴えるのが筋というもので、霊団が降らせた映像では一応そのようになっていました…続きを読む→
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†■2023年5月10日UP■
「基礎を積み上げる者ほどその後の進歩が速い」帰幽後の話かよ使命遂行終了か?(祈)†
ん?今軽くトランスに入った時に「そんな事ない」って言ってきました。という事は物質界生活中に結果に到達できるのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられるのか。奴隷の女の子たちを助けてあげられるのか。イヤ、これまでの霊団の動きを見ればそんな一言は信じられない。甘いな。んんん、僕の人生目標は「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」であり、物質界でああなろうとかこうなろうとは夢にも思ってませんから(2度と物質界に戻るつもりはありませんので)帰幽後の明るい人生を連想させるこのインスピレーションは、僕個人としては喜ぶべき意味なのですが、霊界の仕事とはそんなにもいい加減なものなのか。そんな事でいいのか。一体いつになったら物質界の邪悪を本腰を入れて滅ぼすつもりなんだ。僕が1代目だとして、一体何代目で滅亡を完了させる計画なんだ、どんだけ悠長なんだ…続きを読む→

[1873年11月2日。私から提出した質問が無視され、バイブルに記録が見られる時代のキリスト教系全体の、“神”の啓示の発達のあとを本格的に解説してきた。これが、並行して進行している多くの啓示のうちのひとつであることは、以前から予告されていた。]

メルキゼデクからモーセへ

これよりわれわれは、太古において同じく人間を媒体として啓示が地上にもたらされたその過程について述べたいと思います。バイブルに記録を留める初期の歴史を通じて、そこには燦然と輝く偉大な霊の数々が存在する。彼らは地上にあっては真理と進歩の光として輝き、地上を去ってのちは後継者を通じて啓示をもたらしてきました。

そのひとり – 神が人間に直接的に働きかけるという信仰が今より強く支配していた初期の時代のひとりに、メルキゼデク(1)の名で知られる人物がいました。彼はアブラム(2)を聖別(3)して神の恩寵の象徴としての印章を譲りました。これはアブラムが霊力の媒体として選ばれたことを意味します。

当時においては、まだ霊との交わりの信仰が残っていたのです。彼は民にとっては暗闇に輝く光であり、神にとっては、その民のために送った神託の代弁者でした。

ここで、今まさに啓発の門出に立つそなたに注意しておきますが、太古の記録を吟味する際には、事実の記録と、単に信仰の表現にすぎないものとを截然と区別せねばなりません。

初期の時代の歴史にはつじつまの合わない言説が豊富に見うけられます。それらは、伝えられるような秀でた人間の著作によるものではなく、歴史が伝説と混じり合い、単なる世間一般の考えと信仰とがまことしやかに語り継がれた時代の伝説的信仰の寄せ集めにすぎません。

それゆえ、確かにそなたらのバイブルと同様に、その中に幾つかの事実も無きにしもあらずですが、その言説のひとつひとつに無条件の信頼を置くことは用心せねばなりません。

これまでのそなたは、それらの説話を絶対的同意の立場から読んできました。これからは新しい光より有益で興味ぶかい見地から見る必要があります。

神は“創世記”に述べられているような、神人同形同性説的な存在ではありません。また、その支配はそれに相応しい霊を通して行なわれてきたのであり、けっして神みずからが特別に選んだ民のみを愛されたのではありません。

神と人間との結びつきは、いつの時代にも一様にして不変です。すなわち人間の霊性の開発に応じて緊密となり、動物的本能が強まればそれだけ疎遠となり、肉体的ならびに物質的本能の為すがままとなります。

かの初期の時代において、選ばれたアブラムに神の聖別を与えたのがメルキゼデクです。が、キリスト教徒もマホメット教徒もこぞって称えるそのアブラムは、メルキゼデクのような直接の霊的啓示には与(あずか)らなかった。

アブラムはその死とともに影響力を失い、在世中のみならず死後も、人間界に影響といえるほどのものは及ぼしていません。そなたには不審に思われることかも知れませんが、地上にその名を馳せた霊の中にも、同じような例が数多くあるのです。

地上での仕事が終ってのち、地上と関わった新たな仕事を授からないことがあるのです。在世中の仕事に過ちがあったのかも知れません。そして、死後その霊的香気を失い、無用の存在となり果てるのです。

「十戒」の価値

メルキゼデクは死後ふたたび地上圏へ戻り、当時の最大の改革者 – イスラエルの民をエジプトから救い出し、独自の律法と政体を確立した指導者モーセを導きました。霊力の媒介者として、彼は心身ともに発達した強大な人物でした。

当時すでに、同時代の最高の学派において、すばらしい知的叡智、エジプト秘伝の叡智が発達していました。人を引きつける彼の強烈な意志が、支配者としての地位にふさわしい人物としました。

彼を通じて強力な霊団がユダヤの民に働きかけ、それがさらに世界へと広がっていきました。大民族の歴史的大危機に際して、その必要性に応じた宗教的律法を完成させ、政治的体制を入念に確立し、法と規律を制定しました。

その時代はユダヤ民族にとって、のちに他の民族も同様に体験した段階、すなわち古きものが消えてゆき、霊的創造力によってすべてのものが装いを新たにする、霊的真理の発達段階にあったのです。

ここにおいても又、推理を誤ってはなりません。モーセの制定した法律は、そなたたち説教者が説いているような、いつの時代にも適用されるべき普遍的なものではありません。

その遠く古き時代にのみ適応したものが授けられたのです。すなわち当時の人間の真理の理解力の程度に応じたものが、いつの時代にもそうであったように、神の使徒によって霊的能力を持つ者を通して授けられたのです。

当時のイスラエルの民にとって第1に必要な真理は、彼らを支配し福祉を配慮してくれるのは唯一絶対の神であるということでした。エジプトの多神教的教義に毒され、至純な真理の宿る霊的恩義を知らない民に、その絶対神への崇敬と同胞への慈悲と思いやりの心を律法に盛り込んだのです。

今日なお存続している例の「十戒」は、変転きわまりない時代のために説かれた真理の一端にすぎません。もとより、そこに説かれている人間の行為の規範は、その精神においては真実です。が、その段階を超えている者に字句どおりに適用すべきものではありません。

あの「十戒」は、イスラエルの騒乱から隔絶し、地上的煩悩の影響に超然としたシナイ山の頂上において、モーセの背後霊団から授けられました。

霊団は、今日の人間が忘れているもの – 完全な交霊のためには完全な隔離が必要であること、純粋無垢の霊訓を授けるには、低次元の煩雑な外部的影響、懸念、取り越し苦労、嫉妬、論争等から隔絶した人物を必要とすることを認識していたのです。それだけ霊信が純粋性を増し、霊覚者は誠意と真実をもって聞き届けることができるのです。

モーセは、その支配力を徹底させ民衆に影響力を行きわたらせる通路として、70人もの長老 – 高い霊性をそなえた者 – を選び出さねばなりませんでした。当時は霊性の高い者が役職を与えられたのです。モーセはそのための律法を入念に仕上げ、実行に移しました。

そして地上の役目を終えて高貴な霊となったのちも、人類の恩人として末永くその名を留めているのです。

モーセからエリヤへ、エリヤからエリシャへ

メルキゼデクがモーセの指導霊となったように、そのモーセも死後エリヤ(4)の指導霊として永く後世に影響を及ぼしました。断っておくが、今われわれは、メルキゼデクからイエスに至る連綿たる巨大な流れを明確に示すために、他の分野における多くの霊的事象に言及することを、意図的に避けております。

その巨大な流れの中に数多くの高級霊が出現しているが、今はその名を挙げるのは必要最少限に留め、要するにそれらの偉大なる霊が地上を去ったのちも、引き続き地上へ影響を及ぼしている事実を指摘せんとしているところです。

また、他にも多くの偉大なる霊的流れがあり、真理普及のための中枢が数多く存在しました。が、それは今のそなたには関わりはないでしょう。イエスに至る巨大な流れこそ、そなたにとって最大の関心事であろう。もっとも、それらをもって真理の独占的所有権を主張するような、愚かにして狭隘な宗閥心だけは捨ててもらわねばなりません。

偉大なる指導者エリヤ、イスラエル民族が授かった最高の霊は、かつての指導者モーセの霊的指揮下にありました。ユダヤ民族が誇るこのふたりの指導者への崇敬の念は、神がモーセの死体を隠し、一方エリヤを火の馬車に乗せて天国へさらって行ったという寓話にも示されています。(5)

崇敬の念のあまりの強さが、こうした死にまつわる奇怪な物語を生んだのです。指摘するまでもないと思うが、霊が生身の肉体をたずさえて霊の世界に生き続けるなどということは、絶対にありません。偉大な仕事を成し遂げた霊が次の世界から一段と強力に支配することを教えるための寓話にすぎません。

エリヤはその後継者エリシャ(6)に自分の霊を倍加して授けたという。が、それは、エリシャが倍加された徳を賦与されたという意味ではない。そのようなことは有りえないことだからです。

そうではなく、エリヤの霊力による輝かしい業績が後継者の時代に倍の勢力をもって働きかけ、エリシャがそれを助成し実践していったという意味です。

そのエリヤもまた、のちの世に地上へ戻り、指導に当たりました。そなたも知っているように、かの“変容”の山上でモーセとともにイエスの側にその姿を見せました。ふたりはその後ヨハネにも姿を見せ、それよりのちにも再び地上を訪れることがあることを告げたとあります。

[私はこの通信の書かれた11月2日の時点では、最後の一文にあるような、ふたりがのちに再び地上に戻ると述べたというくだりが理解できなかった。それがヨハネ黙示録11・3その他に出ている“ふたりの証人”のことであることが分ったのは最近のことで、それも、私の無名の友人が送ってきたヨハネ黙示録に関する小論文を読んで、はじめてそれと気づいた。

もしもその小論文を見なかったら、知らずじまいになるところだった。その小論文はたまたまそのふたりの証人とふたりの予言を扱ったもので、私にとっては実にタイミングよく届けられたのだった。

右の通信で私はいろいろと質問をしたが、その中でメルキゼデクの前後にも神の啓示を受けた霊覚者がいたかどうかを尋ねた。すると – ]

知られざる霊覚者たち

無論です。われわれは今、最後にイエスに至る系譜の最初の人物としてメルキゼデクを持ち出したにすぎません。その系譜の中にさえ名を挙げるのを控えた人物が大勢います。すでに述べたように、その多くが神の啓示を受けていたのです。エノク(8)がそのひとりでした。

彼は霊覚の鋭い人物でした。同じくノア(9)がそのひとりでした。もっとも、霊覚は十分ではありませんでした。デボラ(10)も霊覚の鋭い人物であり、歴史上で“イスラエルの士師”と呼ばれている行政官はすべて、霊感の所有者であるという特殊な資格をもって選ばれたのでした。

そのことについて詳しく述べている余裕はありません。ユダヤの歴史に見られるその他の霊力の現われ方については、こののち述べることもあるでしょう。今はまずその古い記録全般に視点を置き、さらにその中の霊的な流れの中から、イエスに連なるひとつだけに絞っていることを承知されたい。

– あなたはそうした古い記録を文字どおりに受け取ってはならぬとおっしゃったことがあります。“モーセ五書”(11)のことですが、あれはひとりの著者によるものでしょうか。

モーセ五書

あの五書はエズラ(12)の時代に編纂されたものです。散逸の危険性のあったさらに太古の時代の記録を集め、その上に伝説または記憶でもって補充した部分もあります。モーセより前には生の記録は存在しません。「創世記」の記述も、想像の産物もあれば伝説もあり、他の記録からの転写もあります。

天地創造の記述や大洪水の物語は伝説にすぎません。エジプトの支配者ヨセフに関する記述も、他の記録からの転写です。ともあれ、現在に伝えられる“五書”はモーセの手になるものではありません。エズラとその書記たちが編纂したものであり、その時代の思想と伝説を表わしているにすぎません。

もっとも、モーセの律法に関する記述は他の部分にくらべて正確です。何となれば、その律法の正確な記録が聖なる書として保存され、その中から詳細な引用がなされたからです。

こうした事実を述べるのは、論議の根拠として“五書”の原文が引用される際に、いちいちその点を指摘する面倒を省くためでもあります。記録そのものが字句どおりには正確でないのです。

ことに初めの部分などはまったく当てにならず、後半も、当てになるのは、わりに正確な記録が残されている、モーセの律法に関する部分のみです。

– 想像の産物だとおっしゃいましたが…..

散逸した書を補充する必要があり、それを記憶または伝説から引き出したのです。

– アブラハム(14)のことは簡単にあしらっておられるようですが…。

そういうわけではない。神の使者としてその霊的指導に当たったモーセにくらべて、霊格の程度が低かったというにすぎません。こうした問題を扱うにおいて、われわれはいちいち人間界の概念にはこだわりません。アブラハムは人間界ではその名を広く知られているが、われわれにとっては、さして重要な人物ではない。

– エノクとエリヤの生身での昇天 – あれは何だったのでしょう?

生身の昇天は原始的迷信

伝説的迷信にすぎません。民衆の崇敬を得た人物の死には、とかく栄光の伝説がまとわりつのです。太古において民衆に崇(あが)められ畏敬の念をもってその名が語られた人物は、生身のまま天の神のもとへ赴いたとの信仰が生まれたものです。

霊力の行使者であり、民衆の最高指導者であったモーセも、その死に神秘的な話が生まれた。生前においては神と直接(じか)に親しく話を交わし、今やその神のもとへ赴いたと信じられた。

同様に、人間的法律を超越し、何ひとつ拘束力というものを知らず、あたかも風のごとく来り風のごとく去って行った神秘的な霊覚者エリヤ – 彼もまた生身のまま天へ召されたと信じられました。いずれの場合も、その伝説の根底にある擬人的な神と物的天国の観念による産物でした。

前にも述べたように、人間は神と天国に関して、その霊的発達程度以上のものは受け入れることはできません。古代においては神を万能の人間 – すべての点で人間的であり、さらにその上にある種の特性、人間の自然の情として、かくありたい、と憧れる特質をそなえた“人間”として想像しました。

言い換えれば、人類の理想像にある特性を付加し、それを“神”と呼んだのです。これは決してあざ笑うべきことではありません。程度の差こそあれ、人類の歴史は同じことの繰り返しなのです。

啓示はすべて、元は神より出でても、生身の霊覚者を通過し、しかもその時代の人類の発達程度に適合させねばならない以上、人間的愚昧の霧によって曇らされるのは必定です。それは地上という生活環境においては避けがたい自然の結果というべきです。

そこで、人間の知識が進歩し叡智が発達するにしたがい、当然、神の概念も改められることを要します。人間がその必要性を痛感してはじめて、新たな光が授けられるのです。

(そなたたちの中には、神と霊的生活と進歩に関して、われわれの教説からは何ひとつ学ぶものはないと言う者がいるが、その者たちには、今述べたことが最良の回答となろう。)

天国についても同じです。そなたたちは前時代の者が想像していた天国の概念を大幅に改めてきました。今どき、生身のまま天国の館に赴くなどと信じる愚か者はいないはずです。地上で崇められた人物が生身をたずさえて擬人的な神のもとへ昇天していくなどと信じる時代は、もはや過去のものとなりました。

まさかそなたはその生身をたずさえて、全知全能の神のまわりで、あたかも教会でするように、讃美歌三昧に耽るなどとは想像しないでしょう。そのよう
な天国は根拠のない夢想にすぎません。霊の世界へ入るのは霊のみです。

肉体のまま天空のどこかへ連れて行かれ、そこで地上とまったく同じように、人間と同じ容姿の神、ただ能力において人間を超越しているというにすぎない神のもとで暮らすなどという寓話は、そなたはもう卒業しているはずです。

そのような天国は、予言者ヨハネに象徴的に啓示された天国像からの借用にすぎません。そのような神が存在するわけがないことくらいは、そなたにもわかるはずです。死はすべての人間に訪れます。が、生身のままではありません。

地上の務めを終えた疲れ果てた身体から脱け出て、栄光ある魂として、より明るい世界、いかなる霊覚者の想像をも絶する輝ける天国へと召されるのです。

– 伝説の中にも、あとで事実であったことが判明したものが沢山あります。問題は、事実と伝説とを見分けることが困難なこと、毒草を抜こうとして薬草までいっしょに抜いてしまう危険があることです。神話の中にもちゃんとした意味をもち、立派な真理を含んだものがあります。

空想と誤謬と真実の選り分けが大切

それはその通りです。そなたたちが聖なる記録としているものの中に混入した伝説は、多くの場合、偉大なる人物にまつわる迷信的信仰です。神話の中に真理の核が包蔵されていることも事実です。

これまでもたびたび指摘したことですが、人間はわれわれのような霊とその影響力と目的に関して、あまりに誤った概念を抱いてきました。その原因には人間としてやむを得ない要素もありますが、克服できる要素もあります。知性の幼稚な段階では、その知性の理解力を超えたものは絶対に理解できないのが道理です。

それはやむを得ないことです。それまで生きてきた環境、体験した唯一の環境とまったく異なる環境の霊的生活を正しく想像できるわけはありません。そこで、図解と比喩をもって教えねばならないことになります。これもやむを得ないことです。

ところが人間は、比喩として述べた言葉と観念をそのまま掻き集めて、そこからつじつまの合わない愚かな概念を築き上げます。これよりのち、そなたたちも知識の進歩とともに、その過程をよりいっそう明確に理解することになるでしょう。

また人間は、神の啓示はすべて普遍的適用性をもち、一字一句に文字どおりの意味があるものと思い込んできました。われわれの説き方がいわば親が子に教えるものと同じであることが分らなかった。

抽象的な真理の定義を説いても、子供の頭では理解できません。子供は教えられた事がらをそのまま受け止めます。それと同じ態度で人間は啓示の一言一句を、あたかも数学的にそして論理的に正確なものとして受け止め、その上に愚かしい自己矛盾に満ちた説を打ち立てます。

子供は親の言葉を躊躇なく受け入れ、それを金科玉条とします。それが実は譬え話にすぎなかったことを知るのは、大人になってからのことです。人類は、神の啓示をそれと同じように扱ってきたのです。比喩的表現にすぎないものを言葉どおりに解釈してきました。間違いだらけの、しかも往々にして伝説的記録にすぎないものを、数学的正確さをもって扱ってきました。

かくして今なお、嫉妬に狂う神だの、火炎地獄だの、選ばれた者のみの集まる天国だの、生身のままの復活だの、最後の審判だのといった愚かきわまる教説を信じつづけております。

これらは言わば幼児の観念であり、大人になれば自然に卒業していくべきものです。霊性において成人した人間は、すべからくそうした幼稚な概念を振り棄てて、より高い真理へと進まねばなりません。

しかるに現実は、原始的迷信、愚かきわまる作り話がそのまま横行しております。想像力に富む民族が描いた誇張的映像がそのまま事実として受け入れられています。数々の空想と誤謬と真理とがまさに玉石混淆(こんこう)となり、より高い真理を理解した理知的人間にはとても付いて行けません。

そうした支離滅裂の寄せ集めをひとつに繋いでいるものは、ほかならぬ信仰心です。われわれはその信仰心を切断し、信仰心で無批判に受け入れてきたものを、理性でもって検討し直しなさいと言っているのです。きっとその中に、人類の幼児時代から受け継がれた人間的産物を多く見出すことでしょう。

煩わしく、かつ無益なものに反発を覚えることでしょう。が、同時に、その残りの中に、理性に訴えるもの、体験によって裏付けされたもの、そして神から出たものを発見することでしょう。父なる神が、子なる人間のために用意した計画の一端を暗示するものを手にすることでしょう。

しかし今のそなたには、それ以上のことは望めません。今のそなたの心にあまりに多く巣くっている愚かな誤謬と誤解とから解放された、新しい局面を切り開くことのみで良しとしなければなりません。

過去は、根本においては、現在へ投げかける照明として、そしてまた未来を照らすほのかな光としての価値を有するものであることを、そなたもそのうち次第に認識していくことでしょう。

これで分ってくれるでしょうが、われわれの現在の仕事の目的もそこにあります。すなわち神と生命と進化についてそなたたちがこれまで抱いてきた思想をより純粋なものに近づけ、恥ずべき要素を排除することです。

そのためにはまずキリスト教の教義の誤りと、神の真理として罷り通ってきた人間的想像の産物と、理性的には反発を覚えつつも信仰心によって受け入れられ、今や歴史的事実のごとく結晶してしまった伝説を指摘せねばならないのです。

われわれとしては、そなたに忍耐づよい真摯な思考を要求するほかはありません。また、われわれの為すことをすべて破壊的と受け取ってはなりません。夾雑物が取り除かれれば、建設も可能となるでしょう。

それまでは、もしもそなたの目にわれわれが破壊的思想をまき散らしていると見えるならば、それは、より神々しい神の、より崇高な神殿、より聖なる聖堂を築かんがための予備工事として、まず夾雑物を掻き集め、それを取り除かんとしているにすぎないと理解してもらいたい。

†インペレーター

[注釈]

(1)Melchizedek 旧約聖書「創世記」14・18

(2)Abram ユダヤ人の始祖

(3)聖なる仕事のために世俗から離す。

(4)Elijah 紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者。

(5)旧約聖書はこのふたりにまつわる話が大半を占める。

(6)Elisha エリヤの後継者

(7)ある日イエスが弟子たちとともに高い山に登った時、イエスがこの世のものとも思えない神々しい姿に変わったという。マタイ17・1~13、マルコ9・2~13。

(8)Enoch(9)Noah(10)Deborah いずれも旧約聖書中の人物。

(11)旧約聖書の最初の五書 – 「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」

(12)Ezra 紀元前5世紀ごろのヘブライの律法学者で祭司。

(13)Joseph「創世記」30・22~24

(14)Abraham 前出のアブラムと同一人物。

(15)仏教でいう“成仏する”ということで、そこで霊的存在としての本来の自覚を取り戻すが、そのままそこの界層の住民となるわけではない。地上でいかに高潔と思われている人間でも、意識的・無意識的に何らかの罪過を犯しているもので、これは物質界に身を置く人間の宿命といえる。

その償い – 言うなれば“後片づけ”のために再び地上圏へ戻らねばならないのが通例である。それは誰かの背後霊となって生活を共にする方法を取る場合もあれば、もう1度肉体をまとう – いわゆる再生の形を取る場合もある。が、どういう霊がどういう手続きのもとにどういう経路で再生するかは、高級霊でも知り得ないものらしい。

いかにも知り尽くしているような再生論を述べたり、これまでの幾度かの再生の旅をさかのぼって調べてあげますなどと、高級霊でも知り得ないことをいかにも分った風な態度で述べて、高額な料金を取る自称霊能者がいるので、用心が肝要である。

私は、再生はあるかないかと問われれば“ある”と答えるが、それ以上のことは論じないことにしている。論じてみても何の益もないからである。インペレーターも“再生はあるが、地上の人間が考えているようなものとは違う”と述べている。しょせん肉体にくるまれた人間には理解できない性質のものなのである。

2021年10月
それが自然の摂理です■2021年10月27日UP■
「それが自然の摂理です」天皇一族が滅びるのは自然、必然という意味です(祈)†
他人の宝物を盗み続けて神の公平な分配を妨げて自分たちだけ資源を欲しいまま捨て放題の生活を送り、仕事もせず毎日女の子をレイプしながら遊び呆けて、国民に対しては「自分たちが善人で国民に親しまれている」とウソニュースを流し続けてふんぞり返って生活を続けています。みんなそれが「大偽善」のウソだという事などとっくに分かっています。ただ脅されて言えずにいるだけで心の中では「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する怒りがドンドン蓄積されていきます。どこかのブログで「ダム決壊」という事を書いたと思うのですが、その人々の怒りが蓄積して必ずダムが決壊する時がきます。これは自動的にそうなります…続きを読む→
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†■2024年8月7日UP■
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†
これは詳細説明できないのですが、実は霊性発現初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象に長らく苦しめられた時期がありました。この時の実際の状況は諸事情がありまして説明できないのですが、どうもこの隔離フィールドの時から現在までが1本の線でつながっているのではないか、僕の人生はこの隔離フィールドからおかしくさせられたのではないか、という気もしているのです。ごめんなさい、これは説明できないのです。僕という霊媒から新規の霊言を降らせたいのなら、いくらでも方法があるはずだろう、サークルメンバーのいるところに僕を移動させる、自動書記で霊言を綴る、できなかったなどとは言わせない、絶対にできるはずだ。コイツらは言ってる事とやってる事が完全に正反対だ。僕がある方向に動くととにかく脅して止めてくる。何の結果にも到達しないようにしているとしか思えない。で、僕は反逆(脱出)などと言っていますが、実際に脱出が実現したとしましょう。そうなると僕は現在の生活より自由に使用できる時間を増やす事ができるようになり、使命遂行に多くの時間を割く事ができるようになり、さらに霊的仲間を求めて外洋に飛び出す事もできるようになります。現在の生活では困窮を極めているためにそれができません…続きを読む→

アレは何だったんだろう、古代文明の雰囲気が漂ってました、そして古い文献のようなモノがたくさん登場し、その著者のような方々も多数登場するのですが、とにかく全て意味が分かりません。

その古代文献は今にして見返してみると不正確な記述が散見されますが、その当時はその記述で精一杯だった、という感じの内容で、これは霊団が古代文献を僕という霊媒から降らせようとしているとか、そういう意味でしょうか。

だから何度も言っているように僕にはその仕事をやる環境が全く整ってネィだろ。僕を霊媒として機能させたいならサークルメンバーのいるところへ僕を移動させればいいだろ、絶対ムリなところに延々閉じ込めているのは他でもないあんたたちだろ。

んー全く反芻できない数々の古代文献のようなもの、あれは何だったのでしょうか。今となってはもう判断できません。しかし霊団はこのようにあんなモノこんなモノを見せてきたり霊聴にピーチクパーチク言ってきたりしますが、それがその通りになった事が1度たりともないのです。この人たちの仕事とは一体何なのでしょうか。何がしたくて生きているのでしょうか。

僕は僕レベルの作業を続行します。霊団の動きに合わせたり待ち続けたりするより僕がガンガン動く方がはるかに有意義な仕事ができます。脱出を実現させて作業時間を増やすという目標はもはや反逆ではない、そう思うほどになっています。とにかく脱出してみせる、あともう少ししたらあるアイデアを実行できるかも知れません。やるしかないんだ、ボケっとしていられるか(祈)†

「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†■2024年5月22日UP■
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†
実は何もやる気がないのではないか。この12年の霊団の動きを見ればおのずとそういう回答が導き出されるのではないか。僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言していますが、この言葉は実は大正解なのではないか。本当にこの霊団とか名乗っている奴らは最後まで口だけピーチクパーチク動かして何もやらずにボケっと見てるだけで終わらせるつもりなんじゃないのか。要するに「アキトくんの場合はインスピレーションで事足りているのでわざわざ低次元の霊媒現象をやらなくても我々の目的をだいたいにおいて達成している」という事なのかも知れません。インスピレーションが霊界側にとってもっとも自然な交信方法という事は霊的知識をお勉強して頂ければ分かります。霊媒現象というのは霊力に感応しない物質界の人間に霊的な事を理解させるために霊界側が物的次元まで波長を下げる犠牲的仕事ですが、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれれば、そしてさらにそのインスピレーションによる導きに従ってくれれば、霊界側はその犠牲的仕事をせずに済み、思念の送信だけで目的達成できますからこんな簡単な事はない、という事になります…続きを読む→
「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†■2024年5月29日UP■
「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†
僕の活動内容は徹頭徹尾霊的内容であり、インスピレーションに基いて怒涛の勢いでブログを更新し続けています、その教会とは情報量が圧倒的絶対的に違いますので、霊的能力のない牧師が僕のWordPressを見たら少なからず恐怖を感じるかも知れませんね。そういう意味で「奪われてしまう」と霊団が降らせてきたのかも知れません。「岩におじさんの顔が」コレなんですが昨日のスーパーレインアタック(山行)の時に、ふと道の岩に目をやった時に、その岩に知らないおじさんの顔が見えたのです。しかもかなりハッキリ見る事ができました。僕はサイキックではありませんので自分の意思で見たいモノを霊視したりする事はできません。今回の映像ももちろん霊団が見せてきたものとなります。で、今週の動きから推察するに、このおじさんもたぶんキリスト教関係者ではないかと予測します。もう帰幽している元牧師とか、そういう感じかも知れません、もしかしたら訳者、山本貞彰氏だったりなんかして。山本氏の画像がありませんので容姿を知りませんが、そういう可能性もなくもないです。山本氏が僕の復刊に向けた作業に対して感謝の念を抱いて下さっているという意味かも知れません…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダーPaulInAthens

恐ろしく時間かかってます。まだ38ページ、10%ほどしか進んでません。「Paul In Athens」この書籍の翻訳文をWordPressにUPできるのは来年になるかも知れません。それくらい絶望的に時間がかかってるという事です。だからこそ「作業時間を増やしたい」という僕の願望が生まれたりもするのです。もっともこの願望は画家時代からずっとありましたが。

今日は物的雑務があって作業が全然進みませんでしたが、それでも何とかアナログ絵379を描き進めようともがいてます。この物的雑務が無意味の究極形で、僕はこんなもの絶対に必要ない、個人の選択制にすべきだと思っているのですが法的に強制されるもので回避できません。アレコレ調べてひとつだけ回避する方法があります「フリーになる」つまり個人事業主になるというモノです。

何もそこまでする必要ネィんじゃネィのかと皆さまは思われるかも知れませんが、僕はそれくらい無意味で時間のムダだと思っているのです。この物的雑務、ぜひキャンセルしたい。僕にはこんなモノ全く必要ないからです。詳細説明はゴメンナサイ、問題あるかも知れませんので。

現在描画中の6ページストーリーをUPしたら今度こそ「フラー26」の新規デザインに戻りましょう。途中で止まってしまっていますので最後まで描き切りましょう。使命遂行と全く関係ありませんが「フラー30到達」という目標も掲げています。僕のデザインの血が描かせる部分もありますので何とかやってみましょう。

んー本当に霊関連書籍全てのテキスト化は僕の物質界生活中には実現不可能かも知れません。ましてやトレイルムービー復活なんて夢のまた夢かも。しかしこの物的生命が鼓動している限り1秒たりともあきらめる訳にはいきません。帰幽1秒前まで可能性を追求し続けましょう。まずは作業時間を増やす。そのためには脱出が必須(祈)†

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→

モーゼスの「霊訓」(下)
W・S・モーゼス著
近藤千雄訳

Spirit Teachings
by William Stainton Moses
(c)Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.)
20 Earlham Street, London,
WC2H 9LW, England.


▶写真説明

中巻の写真と同じく、1872年、モーゼス33歳の時にスピーア博士といっしょに撮ったもの。写真左の横向きの霊姿は霊団のひとりのレクター。The College of Psychic Studies 所蔵。Mary Evans Picture Library 特約。

スピーア博士の後ろに立っているモーゼスは半入神状態となっていて、意識がもうろうとしている表情が窺える。これは出現した霊のエクトプラズムの濃度が高くて、心霊写真の域を超えて物質化現象となっているためである。エクトプラズムは神経細胞の一種で構成されているために、あまり多く抽出されると意識が薄れ、さらに昏睡状態となってしまう。

レクターはその後『霊訓』としてまとめられた通信の大半の筆記係をつとめることになるが、この時点ではまだ本格的な通信は始まっておらず、モーゼスの身辺に異常現象が多発していた。この写真もそのひとつである。

スピーア博士ならびにレクターに関しては上巻<参考資料>を参照されたい。


モーゼスの「霊訓」(下)
もくじ

前二巻(上)(中)のあらましと本巻の特色(訳者)
第23節 イエスに至る霊的系譜
第24節 霊的啓示の黎明(れいめい)と黄昏(たそがれ)
第25節 旧約聖書の実像
第26節 新局面の展開
第27節 古代インドの霊的思想
第28節 古代エジプト人の宗教的生活
第29節 邪霊集団の暗躍
第30節 霊界の祝祭日
第31節 進歩と堕落
第32節 真理
第33節 通信、終息へ
人類史上における『霊訓』の意義


前2巻(上)(中)のあらましと本巻の特色 訳者

ステイントン・モーゼスはオックスフォード大学で厳格なキリスト教神学を学び、それを唯一絶対の真理であると信じ、卒業後は英国国教会の牧師としてそれを誇りをもって説いてましたが、30歳ごろから体調を崩し、医師のスタンホープ・スピーア博士による治療を受け、そのまま博士宅で療養生活を送りながら、博士の子息の家庭教師をすることになりました。

インペレーターと名のる霊団の最高指導霊の説明によりますと、神学を学ばせたのも、体調を崩させたのも、そしてそれが縁でスピーア博士宅で過ごすことにさせたのも、すべて霊団側の予定どおりの計画であったといいます。

博士の奥さんが大変熱心なスピリチュアリストで、当時の第1級の霊能者、たとえばスピリチュアリズム史上もっとも多彩な霊能者といわれるホームなどの交霊実験に出席していたことから、当然の成り行きとして奥さんからスピリチュアリズムについて聞かされることになり、モーゼスはそれに反発を覚えながらも、少しずつ馴染んでいくことになりました。

そうするうちにモーゼス自身の霊能が発現し、身辺にさまざまな異常現象が発生しはじめます。その中でもいちばん驚異的だったのはモーゼス自身が宙に浮き上がったことでした。が、そのうち腕がひとりでに動いて文章が綴られるようになりました。いわゆる自動書記現象です。

初めのうちはこれといった意味のない内容のものが書かれていましたが、ある時点からキリスト教の教義と真っ向から対立する見解が“インペレーター”の署名のもとに述べられはじめます。

反発を覚えたモーゼスが一体あなたは何者かと問うと、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれたお方の命令をうけて参った一団の頭(かしら)である、という返事です。地上時代の名前は?と問うと、霊にとっては地上時代の名前は意味がないので言わぬ、と言います。

では一体何の目的あってのことか、と問えば、人工的教義によって生命を失ってしまったキリスト教に代って、正しい霊的真理(スピリチュアリズム)を説くことであるという返事です。

こうした調子で、キリスト教の教義を中心として広く人間生活に関わる一般問題や霊の世界のこと、霊界と地上界とのつながり等に関する問答が延々と続けられますが、キリスト教神学がこびりついているモーゼスにとってはそれがどうしても受け入れられず、問答が次第に議論となり、やがて激論となり、モーゼスの方は体調を崩し、一方インペレーターの側はモーゼスのしつこさに手を焼いて“総引き上げ”の最後通牒を突きつけるまでに至ります。

その危機一髪の時に、たまたまモーゼスの親友が他界し、さっそくインペレーターと会って、願わくば人間としてのモーゼスの心境をおもんぱかって今少しの猶予を、と嘆願します。

この辺の経緯はまさに本通信の圧巻で、互いに見栄も打算も名誉心も排し、霊団側は使命の貫徹を、モーゼスはひたすらに真実を求めて正面からぶつかり合ったその熾烈(しれつ)さは、人類史上、他に類を見ないもので、私も訳者としての立場を忘れて、しばし感涙にむせぶことも一再ではありませんでした。

これをクライマックスとして、以後はモーゼスも精神的平静を取り戻し、多少の心理的ぶり返しはありながらも、霊団から授けられた霊的教訓を新しい啓示として受け入れるようになります。

この(下)巻では、そうした落着いた心境の中でモーゼスがバイブルの中の説話の由来について質問し、それに対して霊団側のそれぞれに詳しい霊が回答しています。

総体的に言えば、すべての宗教の源流はインドにあり、エジプトを経由し、さまざまに変形しながら語り継がれてきたもので、その中にはただの神話や伝説、作り話、寓話等が混じり合っていること、しかし同時に、いずこの国にも霊的啓示の系譜というものがあり、根底においては、人類の進化に適応した霊的真理の進歩のあとが一貫して認められるはずである、といった解説がなされています。

それと併行して注目すべきことは、邪霊集団の暗躍に関する警告がくり返し述べられていることで、これは、昨今の日本の心霊事情にかんがみても、よくよく心すべきことであると思われます。

最後のモーゼス自身による締めくくりの言葉は、その数行だけを読めば当たり前のことのようで、ほぼ10年間に及んだ、文字どおり死にもの狂いのモーゼスの真理探求の葛藤のあとをたどってくると、読む者に厳粛な感慨を呼び起こさずにはおかないでしょう。

「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

僕は物的情報にまるっきり興味がないのですが(帰幽したが最後、2度とこのような腐った境涯に戻ってくるつもりはありませんので)作業の合間に、話題になっている「2025年7月ナンチャラカンチャラ」関連のムービーを観たりしています。

予言にも僕は全然興味がなくて(ちなみに予言の類というのはサイキックの範疇で、五感の延長としてそういうのを見たりできる人がいるのだそうです)当たる外れると騒ぐつもりは全然ないのですが(備えは確かにした方がイイと思います)僕が言いたいのは霊団の動向です。

霊団は僕を霊性発現させて以降のこの12年間に「2025年7月ナンチャラカンチャラ」に関する内容をインスピレーションおよび幽体離脱にて降らせてきた事は1度もありません。イヤ、ごく初期の頃に地震やら津波やらの幽体離脱時映像を少し見たような記憶はあるのですが(確か無料ブログにもそのように書いた記憶があります)今騒がれている事とはまるっきり無関係のように思えます。

僕の使命遂行はこの「2025年7月ナンチャラカンチャラ」とは全く別枠のモノなんだと思います。それについては多くの方が情報拡散をしておられます「アキトくんの仕事はそれじゃネィよ」という事なのではないかと。僕の脳内に情報がまるで入っていなければそれに関するインスピレーションを降らせる事もできないから今まで降ってこなかったという見方もできます。

で、最近ムービーを複数見て「2025年7月ナンチャラカンチャラ」に関する情報が脳内にインプットされました。霊団がもし僕にコッチ方向の仕事をやらせるつもりだったなら、インスピレーション降らせる準備が整ったという事になるのですが、それでも降ってこないところをみるとやはり霊団は僕にこの仕事をやらせるつもりがないようです。

ただおかしいのは、僕にやらせるつもりだった「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散を霊団はまるっきりストップさせており「仕事しろよ」と僕は突っ込みたくて仕方ないのですが、僕が殺される可能性が大変高くてこれ以上深く突っ込めないという事情があるようなのです。そこを突っ込まなきゃ何も変われないだろ。

悲劇災害ナンチャラカンチャラと騒いで人々の恐怖心を煽るつもりは毛頭ありません、物質界の悲劇をことさら大きく騒ぐ時点で霊的知識が頭に入っていない証拠と言えると思いますので(物質界は試練の境涯であり苦難試練が当たり前、それを克服してこそ帰幽後に霊界で高い境涯に赴いて真の幸福を享受できる資格を得るのです)大切なのは予言キャーキャーと騒ぐ事ではなく物質界で学ぶべき事をキッチリ学んで帰幽する事です。

物質界は一時的に降下させられるだけのトレーニングセンターであり人生の場ではありません、人間の人生とは霊界生活の事です。物質界の事をキャーキャー騒ぐのではなく、こういう物質界生活を送っていると帰幽後にこういう風にキビシイ状態になるよ、という霊的知識を学ぶ事が人生最優先課題です。

あーもっと書きたい、時間がありませんのでまた別の機会に。作業は続行中(祈)†

「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→

霊団は僕を何が何でも閉じ込めるつもりのようですが一応僕はそうはさせない、脱出を完了させるつもりで“ある脱出アイデア”を実行するための下準備としてずっと節約をおこなっています。さらにさらに考えて、いっそ炊飯器を使うのをやめようかと、そこまで考えてます。まぁ炊飯器を使わなくても他の調理器具を使いますから電気代は同じかも知れませんけどね笑。それくらい脱出を本気で考えてるという事です。

アナログ絵379(ストーリー前半1~3ページ)380(ストーリー後半4~6ページ)を早く描き上げて次の作業に移行しないといけないのですが、霊団は「止まって下さい」とまで言ってくるくらいですからそうは思っていないでしょうが僕は作業時間が圧倒的に足りないと思っていて、フラストレーションがスゴイのです。

やりたい作業は本当に大げさなお話ではなく一生かかってもやりきれないくらいあるのです。しかしそれが一向に着手できずにいるのでフラストレーションとなるのです。イヤでどうしようもないところに閉じ込められているのが許せないというのが脱出のいちばんの理由ですが、作業時間を増やしたいというのも大きな理由なのです。

フゥゥこんな事書きたくないですが脱出アイデアが不発になる可能性もあります。脱出できると思って始めたら脱出にまで至らなくてただ使命遂行以外の作業が増えて自分で自分の首を絞めただけだった、という最悪のストーリーもなきにしもあらず。霊団はそれを狙っている事でしょう。そこまでして閉じ込める動機が意味不明なんだよ。本人がココまでイヤがってるんだよ、もうイイだろ。

昨日霊団は出版関係の事をほのめかしてきました、そっち方向で閉じ込めを続行させようと画策しているのかも知れません。本は僕も作りたいですので、それで僕が自ら閉じ込められる事を了承させようとしているのかも知れません。反逆心と本を作りたい気持ちが半々で僕も回答に詰まります。

本も作りたいですがムービーも作りたいんですよ。作ったムービーをSNSにUPしてもアカウントをやられるだけですからWordPress上で運営させるつもりです。ぜひやりたい。霊的知識拡散のためのムービーを作るつもりなんだよ、なぜ霊団はそれをジャマする。動機がおかしいだろ。

もう節約するところがない、思いつかないくらいありとあらゆる部分に対して節約をおこなっています。が、まだまだ考えましょう。節約と関係ないですが実は以前と比べて痩せてまして、現在の僕は高校時代より痩せている状態です。これには自分でもビックリ。別に痩せるために何かしているとか、そういう事は一切ありません。3ページ線画をUPさせましょう(祈)†

「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→

《参考資料》

(1)D・ダドレー著『第1回ニケア会議の真相』に寄せられた大学教授 H・ホテマの“序”全訳(カッコ内近藤)

<古代においては、いずれの国家にも宗教体制があって、その聖職者階級の支配力によって治められていた。ジュリアス・シーザーに始まるローマの皇帝たちも、コンスタンチヌスに至るまでは、その征服国家の宗教体制はそのまま存続を許してきた。が、それも、西洋と東洋の宗教がローマにおいて激突して大混乱を引き起こすに至って、終止符が打たれることになる。

当時のローマの宗教でとくに勢力が大きかった神は、東洋のヒンズー教のクリシュナ神と、西洋のドルイド教のヘサス神だった。実は両者とも同じ太陽神に由来しており、太古よりそう信じられ、そう崇拝されてきていたのであるが、狡猾なローマの聖職者たちはそれを巧みに人間神にすり替えていた。そのことを国民は知らなかったのである。

そのうちクリシュナ神派の司教たちは、ヘサス神派の煽動によって次第に浸透してきたクリシュナ神への疑念と不信の波に不安を覚えるようになった。

両派ともに自分の宗教の神こそ最古で唯一の、真実の神であると主張して譲らなかった。西暦324年ごろにはその争いが深刻となり、よほど思い切った方策を講じないと収まりがつかないところまで来ていた。

以上が、福音書にいうイエスなる人物の刑死後300年を経た紀元4世紀におけるローマ帝国の宗教事情であるが、バイブルの筆録者によれば、そのイエスがこう言ったとある – “よく聞かれよ。あなたの名はペテロ(ス)である。私はその巌(いわお)の上に私の教会を建てるつもりである。地獄の門もこれには勝てぬであろう”と。(マタイ16・18。ペテロはギリシャ語のペテロスに由来し、“巌”を意味する。)

が、当時の事情は“地獄の門”が“私の教会”に大混乱を巻き起こしており、それが又、その教会の布告によって古代の歴史がすべて破棄され、国民に知られたくない事実をことごとく抹殺した新しい歴史が書かれることになった理由でもあるのである。(それを議決したニケア会議での経緯はあとで述べるとして – )

そうした破壊的な歴史的陰謀が暴かれ始めたのは、かのニケア会議から200年のちに(その会議で皇帝派の暴力によって追放された)アリウス派の勝れた後継者ユノミウスが、その事実を知って公表に踏み切ったことに端を発する。それがキリスト教界に大きな衝撃を与えたのである。

ローマ教会としては当然そうしたユノミウスによる暴露事実が広く知れわたるのを放置しておくわけにはいかない。そこで、その強力な権力を行使して、ニケア会議の経緯を記したユノミウスの全著作、さらにはそのユノミウスを告訴しようとする動きに抵抗する者たちの著作のすべてを、一片の痕跡も残らないまでに隠滅する工作に出た。

ユノミウスが暴いた事実は、ローマ国教会なるものがいかなる経緯で紀元4世紀に設立され、さらにその“神(ゴット)”として“イエス・キリスト”なる人物がどのようにしてでっち上げられるに至ったかを明かしていたのである。

が、真実を永久に隠しつづけることはできない。陰謀に満ちた教会成立の過程と、謎の人物イエスの真相を隠し反抗勢力を抑圧せんとする懸命の工作にもかかわらず、世界を唖然とさせる黒い陰謀を暴くまぎれもない物証が、古代史家の手によって遺跡の中から発掘される日がついに到来した。(その個々の資料をまとめたのがダドレー氏の本文)

正義が永く眠らされることはあろう。が、いつかは必ず目を覚まして仕返しに出る。真実が深く埋もれることはあろう。が、抗しがたい力で、突如、さん然たる光線を放ちながらその勇姿を現わし、策士たちの肝を寒からしめる。

そもそもニケア会議なるものが開かれた目的は何だったのか – それは(表向きは)ヒンズー教のクリシュナ神をドルイド教のヘサス神の上位に位置づけるべきか、それぞれ個別に崇拝すべきか、それとも合体させて1個の神として祀るべきかを討議することにあった。

コンスタンチヌスは(ニケア会議の召集にいたるまでは)議論を収拾するために、両方の神を併用してはどうかという案を出していた。当然その案は失敗した。そして両派の論議が敵意むき出しの様相を呈してきたので、コンスタンチヌスはこれを本格的に検討するために、両派の有力な司教をニケアに召集することにしたのだった。

その会議を、ローマ領とはいえ小アジヤの小王国ビテニヤのニケアで開催したことには、実はコンスタンチヌスの下心があった。(いっそのこと新しい宗教をこしらえようという)その本当の目的を国民に知られないようにとの深謀である。

西暦325年の5月に始まった審議がようやく終了したのは8月だったというが、一説によると、衝突があまりに激しくて、9月にまで及んだという。(その舞台裏では着々とバイブルの改ざん工作が進行していたことになる。)

発掘された断片的資料や出席した司教たちの書簡などによると、その会議に召集された司教の数は1800名にのぼったようである。

(イタリヤの古代王国)ヘラクレアの司教サビナスは、友人に宛てた手紙の中で、コンスタンチヌスと(パレスチナの古代都市)カイザリアの司教ユーセビウスの2人を除けば、両派の神の名を合体させるという皇帝の案に最終的に賛成票を投じた300名の司教たちは“およそ理解力というものを持ち合わせない、無教養でおめでたい連中ばかり”だったと述べている。

そして、今日“キリスト教”の名で知られる新しい宗教体制を率いる新しい神の名を“イエス・キリスト”とすることを認めそして受け入れよとの皇帝の強制的な案に賛成票を投じたのも、そうした、何の節操も持ち合わせない、ただただ“異端者”の烙印を押されることを恐れ、皇帝に媚びへつらい、そして、こんな怒号に満ちた審議会は1日も早く終ってもらいたいと願うしか能のない、愚かな聖職者たちだった。

かくして、福音書にいう“救い主イエス”が誕生した。その強行採決にいたる経緯はこうだった。

コンスタンチヌスが提出した案に賛成したのは、最初の採決では1800名中わずかに300名だった。コンスタンチヌスはこれに激怒した。反対派の中心人物は(アレキサンドリアの司教)アリウスだった。

アリウス派はその案への反対声明文を提出した。それを皇帝派が破り棄てた。たちまち“聖なるキリスト教議会”は大混乱に陥り、それを収めるためにコンスタンチヌスはローマの衛兵を呼び入れた。

皇帝と武装した衛兵を頼みに、勢いづいた皇帝派はアリウスとその一派全員の聖職権を剝奪し、衛兵が議場から連れ出した。そしてコンスタンチヌスの一存でアリウスは国外へ追放された。

アリウスとその支持者1500名が議場から追い出されたあと、改めてコンスタンチヌスの案が、初めから賛成するに決まっている300名の司教の前に提出され、“万場一致”で可決された。

かくしてキリスト教の世界に“その血をもって罪を洗い流し給う”(黙示録)救い主イエスが誕生したのだった。>

1965年
ヒルトン・ホテマ
Hilton Hotema

こうした事実を裏付ける資料をまとめたのがダドレー氏の著書で、これで、シルバーバーチが再三にわたって“バイブルは改ざんされています”と述べていることの裏付けが取れたことになる。そのことをシルバーバーチが明確に指摘した部分を次に紹介しておく。

(2)バイブルの改ざんに関するシルバーバーチの見解(一牧師との対話)

牧師「神は地球人類を愛するがゆえに、唯一の息子を授けられたのです。」

シルバーバーチ「イエスはそんなことは言っておりません。イエスの死後何年もたってから、例のニケア会議でそんなことがバイブルに書き加えられたのです。」

牧師「ニケア会議?」

シルバーバーチ「西暦325年に開かれております。」

牧師「でも私がいま引用した言葉はそれ以前からあるヨハネ福音書に出ていました。」

シルバーバーチ「どうしてそれが分ります?」

牧師「いや…歴史にそう書いてあります。」

シルバーバーチ「どの歴史ですか。」

牧師「どれだかは知りません。」

シルバーバーチ「ご存知のはずがありません。一体バイブルが書かれるもとになった書物はどこにあるとお考えですか。」

牧師「ヨハネ福音書はそれ自体が原典です。」

シルバーバーチ「いいえ、それよりもっと前の話です。」

牧師「バイブルは西暦90年に完成しました。」

シルバーバーチ「その原典になったものは今どこにあると思われますか。」

牧師「いろんな文書があります。例えば…」と言って、ひとつだけ挙げた。

シルバーバーチ「それは原典の写し(コピー)です。原典はどこにありますか。」

牧師がこれに答えられずにいると –

シルバーバーチ「バイブルの原典はご存知のバチカン宮殿に仕舞い込まれたまま1度も外に出されたことがないのです。あなた方がバイブルと呼んでいるものは、その原典のコピーのコピーの、そのまたコピーなのです。おまけに“原典にないものまで”、いろいろと書き加えられております。

初期のキリスト教徒は、イエスは遠からず再臨するものと信じて、イエスの地上生活のことは細かく記録しなかったのです。ところが、いつになっても再臨しないので、ついにあきらめて、記憶をたどりながら書きました。イエス曰(いわ)く – と書いてあっても、実際にそう言ったかどうかは、書いた本人も確かでなかったのです。」

牧師「でも、4つの福音書には、その基本となったいわゆるQ(キュー)資料(イエス語録)の証拠が見られることは事実ではないでしょうか。中心的な事象はその4つの福音書に出ていると思うのですが…」

シルバーバーチ「私は別に、そうしたことがまったく起きなかったと言っているのではありません。ただ、バイブルに書いてあることの一言一句に至るまでイエスが本当に言ったとはかぎらないと言っているのです。バイブルに出てくる事象には、イエスが生まれる前から存在した書物からの引用がずいぶん入っていることを忘れてはいけません。」

Teachings of Silver Birch by A. W. Austen

(3)幽体脱離の状態で霊界から自動書記と直接書記を観察したモーゼスの体験

“サークルのメンバーの向上心の高さが、訪れる霊の性格を決めるのです。出席者の精神的波動は霊界まで波及し、その程度次第で、集まる霊の程度も決まります。このことをすべての人にわかってもらえれば有り難いのですが…”

これは直接書記によって綴られたインペレーターの通信で、書記役のレクターがそれを操作している様子を、モーゼスが体外遊離(幽体脱離)の状態で観察した。その様子をモーゼスが次のように記述している。

<その日はひとりで自分の部屋にいた。ふと、書きたい衝動を感じて机に向かった。それほど強烈に感じたのは、ほぼ2ヶ月ぶりのことである。まず最初の部分をふつうの自動書記で書いた。どうやらその時点で無意識状態に入ったようである。

気がつくと、自分の身体のそばに立っている。例のノートを前にしてペンを右手にして座っている自分のそばである。その様子と辺りの様子とを興味ぶかく観察した。

自分の身体が目の前にあり、その身体と自分とが細い光の紐によってつながっている。部屋の置きものがことごとく実体のない影のように見え、霊的なものが固くて実体があるように見えた。

その私の肉体のすぐ後ろにレクターが立っていた。片手を私の頭部にかざし、もう一方を、ペンを握っている私の右手にかざしている。そのほかにインペレーターと、これまで永いあいだ私に影響を及ぼしてきた霊が数人いた。さらには私に見覚えのない霊が出入りして、その様子を興味ぶかそうに見守っていた。

天井を突き抜けて、柔らかい心地よい光が注がれており、時おり青味を帯びた光線が何本か私の身体へ向けて照射されていた。そのたびに私の身体がギクリとし、震えを見せていた。生命力が補給されていたのであろう。さらに気がつくと、外の光も薄れて、窓が暗く感じられた。したがって部屋の中が明るく見えるのは霊的な光線のせいだった。

私に語りかける霊の声が鮮明に聞こえる。人間の声を聞くのと非常によく似ているが、そのひびきは、人間の声より優美で、遠くから聞こえてくるような感じがした。

インペレーターが、これは実際のシーンで、私に霊の働きぶりを見せるために用意した、といった意味のことを述べた。レクターが書いているのであるが、私が想像していたのと違って、私の手そのものを操っているのではなく、また私の精神に働きかけているのでもなく、青い光線のようなものを直接ペンに当てているのだった。

つまり、その光線を通じて通信霊の意志が伝わり、それがペンを動かしているのだった。私の手はただの道具にすぎず、しかも、必ずしも無くてはならぬものでもないことを示すために、光線がそのペンを私の手から放し、用紙の上に立たせ、さらに驚いたことに、それが用紙の上を動きはじめ、冒頭に掲げた文章を綴ったのである。

出だしの部分を除いて、ほとんどが人間の手を使用せずに綴られたものである。インペレーターの話によると、人間の手を使用せずに直接書くのは容易なことではなく、そのため綴りにいくつか誤りが見られるとのことだった。事実その通りだった。

そのあと私は、一体ここにいる(人種の異る)霊たちはどうやって通じ合うのだろうという疑問を抱いた。すると、すかさずその疑問に答えて、数人の霊が代わるがわる、違う言語でしゃべってみせた。私にはさっぱりわからなかったが、インペレーターが通訳してくれた。

その上さらに、霊がいかなる要領で思念の移入によって通じ合うかを実演してみせてくれた。またインペレーターは、音も物的媒体なしに出すことができることを説明してくれた。その時に、例の鈴の音が聞こえ、また部屋中に霊妙な芳香が漂った。(モーゼスの交霊会ではよく鈴の音が聞こえ、不思議な芳香が漂った。)

その場にいた霊はみな、前に見た時と同じ衣装をつけていた。そして、まわりの物体には何の関係もなく、自在に動き回っていた。そのうちの何人かは、私の身体が向かっている机を取り囲んでいた。

私自身も白のローブに青の帯をしているように見えた。さらに、その上に紫の布、一種のオーバーローブのようなものを羽織っていたように思う。どの霊も自然発光的に輝いており、部屋中が非常に明るかった。

そのうち私は、戻ってこのことを書き留めておくように言われた。肉体に戻るまでのことは意識にないが、部屋で観察したことに関しては絶対に確信があり、それを素直に、そして誇張をまじえずに綴ったつもりである。>


訳者 近藤 千雄

訳者 近藤千雄(こんどう かずお)
(平成元年8月写す)

昭和10年生まれ。18歳のときにスピリチュアリズムとの出会いがあり浅野和三郎の訳書の影響を受けて、大学で翻訳論を専攻。現在までに訳したスピリチュアリズム関係の原典約40冊、著書2冊。広島県福山市在住。

「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†■2022年7月13日UP■
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†
誰もみな「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する恐怖心があって公言できずにいるが、心の中では僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行を応援して下さっている、という事でいいのではないでしょうか。それこそ本心であり、人間として当然の感情であり、信じられない人数の幼い女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して怒りの感情を抱かないとしたら、それはもはや人間とは呼べず、人間のカタチをマネているだけの何らかの暗黒物質という事になるでしょう…続きを読む→

まだ具体的な事を言われていませんが霊団がある事を実行しようとしているかのような事を言ってきていて、それに従う気があるかと言われています。まぁココまでやってきておいてNOという訳にもいかないでしょうからやりますけども、霊団のこれまでの動きのパターンからしてそのやろうとしているモノが最悪のモノである事は想像に難くないでしょう。

って口だけピーチクパーチク動かして結局何もしないというのもいつもの霊団のパターンですのでまずは冷めてみておき、僕は手元の作業をガシガシこなすしかないでしょう。アナログ絵379、2ページゴミ取り95%完成中。3ページ線画35%完成中。間もなくUPできると思いますのでそちらを急ぎます。

節約対策であるモノを入手したのですが、これは(あまり言わない方がイイのでしょうが)家〇のエサだな、食べ続けるのは相当苦しい、しかし買った以上何とか消費しないといけないという事で工夫を始めています。どのみちこれはリピしないケテイですね。とても食べられたものではない。僕が入手したモノが何であるかは言わないでおきます宜しくないかも知れませんので。

霊団が言ってきた事で僕が「あぁこれイイナァ」となった事が12年で1度たりともありませんので今回霊団が言ってきた事も間違いなく最悪の内容でしょうが、出版に関連したような事を匂わせていました。僕は絶版書籍を復刊する気満々でAffinityPublisherのお勉強もしました。書籍データを問題なく作れるようになっていますのでもちろん本の作業はやりたいですよ。

まぁたろくでもない事を言われるのでしょうからまずは絵に集中中(祈)†

「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→