インペレーターの身元について、モーゼス再度の要請

[この時期の私の精神状態はいかなる種類の現象にも満足できなくなっていた。私を支配している影響力は相変らず強烈で、私が何をやろうとしても満足を与える結果をもたらしてくれなかった。

そして私をしきりに過去を吟味するよう、そしてそこからまとまった見解を得るように仕向けるのだった。私の背後で何が行なわれているのか、当時はまるで理解できなかったが、今にして思えば、それは私の霊的教化の一環であった。

私は幾度も幾度も過去を徘徊させられた。そして、それまでの通信の内容をあらゆる観点から吟味し、再びそれをバラバラに分解してしまうことを余儀なくされた。昼も夜も心の安まることがなかった。

それほど、私を支配した力は強烈だったのである。私の心がこの通信以外のことを思うのは、わずかに教師としての仕事に携わっている時だけで、これだけは一切邪魔されることはなかった。

そこで私は自分で厳律をもうけた。それは通信に関わる問題を考えるのは日課を終えてから、ということで、これはここ10年間守りつづけている。日課を終え、さて、と思うと、とたんに私の心は通信の問題に襲われるのだった。

さんざん考え抜いたあげくに、私は、これまでインペレーターが相手にしてくれなかった問題を、これ以上いくら蒸し返しても無駄であるとの結論に達した。インペレーターの頑固な態度には何か特別の意味があると見たのである。

私はインペレーターの要求を何ひとつ拒絶したことはなかったが、逆にインペレーターは、意味がないと思われることは完全に無視する態度に出ていた。が、この目に見えない知的存在が一体何者であるかについて、私なりの得心を得るための証拠を要求する権利が絶対にあると考えた。

それによって自分が決して自分の空想や妄想、あるいは私を騙そうと企む一団によって弄(もてあそ)ばれているのではないとの確信が得られると思ったのである。

そこで私は率直に私の苦しい心境を述べ、それが今だに相手にされていないこと、私から手を引くかもしれないとの脅(おど)しは、事を悪化させるばかりであると述べた。

さらに私は、これからも待つ用意があること、これまでの通信を吟味するつもりであること、そしてこれ以後に付け加えてくれるものがあれば、それも読んで吟味したいとも述べた。

しかし同時に、身元についての得心が得られるまでは、これ以上先へ進むわけにはいかないとも断言した。私の態度に対する非難に具体性がなく曖昧であること、そして私が置かれている精神状態は、あのような表現では正しく表現されていないと指摘した。

また、イエスが“しるし”を見せろとの要求を全部拒絶し、自分の言葉だけで十分であると述べたのは確かに重要なポイントではあるが、これを引き合いに出すのは危険ではないかとも述べた。

総引きあげの件についても、そんなことをすれば、それはこの私を、不信とは言わないまでも、半信半疑の状態のまま放置することであり、結果は事態を私自身の手に負えない混乱状態に陥れることになるのみであること、何とか収拾がつけば為になる要素もあるかも知れないが、そうでなければまずもって無用であり、無益であり、そんなことをしても無駄であると述べた。すると、すぐに返事が来た – ]

総引きあげの警告の意図

友よ、そなたの述べたところを吟味してみて、われわれもそなたの言い分に妥当性を認めたく思います。われわれがあのような厳しい言葉で責めたのは、情報を得たいというそなたの欲求そのものではなく、われわれに応じきれない条件を強要するその心の姿勢です。

また、そなたのしつこい反抗的態度、少なくともその時のそなたの不安と不信の念がわれわれに与える印象を、ぜひそなたに知らしめたいと考えたのです。あのような乱れた精神状態はわれわれの妨げとなるからです。

われわれには果たさねばならない使命があります。いたずらに無為に過ごし、貴重な時と機会を無駄にするわけにはいかないのです。為さねばならない仕事があるのです。何としても果たさねばならないのです。そなたのサークルがだめとなれば、他のサークルを通じてでも果たさねばなりません。

われわれが総引きあげの意図がある旨を述べたのは、要求を満たしてくれなければ先へ進めないというそなたの言い分を受け入れたからにほかなりません。われわれの側として、そのような要求に応じるわけにはいかなかったのです。それで総引きあげの必要を感じたのです。

われわれとしても、せっかく築きあげた関係を打ち切り、辛苦の中に成就してきた仕事を1からやり直すことは、もとより望むところではありません。将来はそなたをいっそう強く支配することになるかも知れません。休息と反省とがわれわれとそなた自身にとってよい薬となるかも知れません。

今はひたすら瞑想し、交霊会は滅多に催さない方がよい。よくよく真剣な要求でもないかぎりは、われわれは応じません。これまでに述べてきた以上のことを付け加える第意図意図も、まったく持ち合わせません。そなたが要求している条件も感心しません。

そのような条件がひとつ増えるごとに環境が変化し、それが余計な心配と手間の原因となります。好都合をもたらす見通しでもあれば文句は言いませんが、この際はその見通しもなく、それゆえ、そなたの提案に同意するわけにはいかないのです。

そなたが霊媒となって行なうすべての物理的実験を、これ以後絶対に禁じます。それによる肉体的消耗にそなたは耐えられないからです。昨今はあまりに物理的現象に重きを置きすぎています。現象はせいぜい副次的な意味しか持ちません。しかもそなたは、他のサークル活動にも顔を出すという危険を冒している。

すべて差し控えてもらいたい。いたずらに進歩を遅らせ、ついには危害と落胆をこうむるのみです。そのような手段では、そなたの益になるものは得られません。これまではあえて出席を阻止することまではしませんでしたが、これ以後は阻止しなければならないことを承知されたい。

われわれとの仕事を継続するかぎりは、他のサークルの影響は排除してもらわねばなりません。これは大切なことです。排除してくれなければ、われわれの仕事はますます困難となり、他の霊にそなたが憑依される危険性もあります。

その霊たるや、そなたがもしもその本性を知れば、そなたの方から逃げ出したくなる類のものであり、およそわれわれと仕事を共にできる性質(たち)のものではありません。

そなたの霊能が他のサークルの霊にとって役に立つと思うのは誤りです。われわれはあえて阻止します。そのような方法ではそなたの求める証拠は得られないし、他の霊媒の為にもなりません。むしろ逆効果です。そのようなことにそなたが使用されるのを見過ごすわけにはいきません。

身元の証明を再度拒否

そなたが持ち出した問題について、今はこれ以上深入りしません。もしもわれわれがそなた本来の実直さと忠節を認めていなければ、とうの昔に、これほど実りのない苦労は中止していたことでしょう。

今少し賢明であれば行なわずに済んだであろうことを、そなたは無知ゆえに行なってきました。そなたの同志たちも、われわれが期待したほどには援助になっていないが、彼らにも、そしてそなたにも、できるかぎりの益をもたらしてきたつもりです。

しかし、こうした問題においては、われわれの力にも意志にも、限界があります。しかも、全体的にみて、そなたに相応(ふさわ)しくないものを押しつけることになれば、われわれの側に配慮が足らなかったことになります。

これよりのちも援助することになることでしょうが、差し当たってこの時点では、これ以上のことはできかねます。新しい試みをするつもりもありません。
これ以上無益な時間と労力とを費すわけにはいきません。無益であることを、そなたの状態をみて悟ったのです。そなたの言説を聞けば、少なくともそなたの知力はわれわれの仕事の本質を理解していないことがわかります。

大前提として要求している例の実験(1)には応じられないし、応ずる気にもなれません。そのようなことで確信が得られるものではなく、神の使徒であることの保証が得られるものでもありません。

そのような要求に応じても、そなたはまた新たな要求を突きつけてくるにきまっています。確信というものは、そのような物理的手段によって確立されるものではないのです。

それよりも、これまで為されてきたことをよく吟味するがよい。そなたは目の前に提出されたものを脇へ押しやっています。そなたが得心のいかないものを率直に拒否すること自体、少しも非難はしません。が、拒否されてしまえば、もはやわれわれとしては、他に取るべき手段を知りません。

ゆえにそなたの選択は永遠の重要性を秘めていることになるのです。そして、そなたはすでに最終的選択を行なっているやに察せられます。それが果たして賢明なる選択であるか否かは、時が証明してくれるでしょう。そして、その時に、その選択の誤りを幾分かは修正することができるかも知れません。

が、願わくば今、細心の反省を行なうことによって、その選択を撤回してくれることを祈り求めるものです。

†インペレーター

[翌10月4日も引き続いて通信が来た。その中にあまりに私的な内容のものが含まれているので、その部分は公表を控えさせていただく。が、全体として極めて威厳に満ちた言葉で綴られ、しかも最初は祈りの言葉で始まっている。

内容的には結局これまでの主張のくり返しであるが、部分的には私の要求の幾つかに譲歩を示している。とくに総引きあげの件についての譲歩は印象的で、純粋な人間的理性がにじみ、これまでの通信に終始一貫してみられる理路整然とした論調の典型を思わせるもので、幾分か私的な色彩があっても、そのまま紹介する。

きわめて読みやすい文字で、しかも猛スピードで書かれ、書き終えるまで私にもその内容がわからなかったほどである。]

他界した友人による仲裁

神の僕(しもべ)として、また使者として、そなたの指導と守護の任にある者として、わたしは、そなたに神の御恵みの多からんことを祈ります。至聖にして慈悲深き父なる神の祝福のあらんことを。目にこそみえなくとも、そなたを包む力強き神の御力が、何とぞそなたを良きに計らい給わんことを。

われわれは今、これ以後の計画をすべて放棄する前に、ぜひともしばしの間を置くようにとの要請を受けております。とくに〇〇氏 [他界したばかりの私の友人で死後すぐに通信してきた](2)から強い要請がありました。

彼は信仰問題でそなたが置かれている苦しい立場について、われわれより生々しく、かつ強烈な印象を有しているのであろう。

われわれの仕事は、もしそなたが駄目であれば別の者を通じて成就することになろうが、それはそれとして、ともかくしばしの猶予を考慮してやってほしい – そなたほどの証を手にする者が最後まで完全な確信に抵抗しうるはずはない、というのがその言い分である。

そなたの視点、いかに公明正大な精神も免れ得ない偏見、それに、交霊につきものの様々な困難 – こうしたものも考慮せねばなりません。そなたには疑わしく思えても、われわれはそ

の真相を知り尽くしているがゆえに、そなたのその頑固な態度がいかにも合点(がてん)がいかないが、それでもなお、われわれはそなたの疑念に率直さと現実味とを認め、それが、これよりのちの確信の可能性を示唆するものであろうとの希望を抱いております。

最後通牒についての弁明

これまでわれわれは、そなたの心が近づき難い雰囲気に包まれていないかぎり、そなたの悩みに答えてきました。が、あれほどの辛苦の末に結成したサークルも用を為さぬほどに調和を欠くに至った以上、もはやわれわれの計画も挫折し、これ以上の努力の意味なしと判断せざるを得ませんでした。

物理実験のしつこい要請はわれわれの望むところとあまりに懸け離れていました。われわれはそのような目的でそなたを選んだのではありません。かりにそうであったとしても、そなたの身体をあのような現象で消耗させるわけにはいきません。

さなきだに激しい消耗を強いられる生命力と、絶え間なく動揺する身体的特質を考慮した時、とてもあのような実験を許すわけにはいきません。あの種の実験にはそれなりの体質を必要とします。それには、反対に精神的現象の不得手な、より動物的体質の者が適切です。

そなたを通してわれわれは、こうして“書く”手段によって、述べたいことを実に効果的に伝えることを得てきました。が、振り返ってみるに、その大部分はそなたの抗議への対応に終始し、サークル活動も、その所期の目的は今だに達成されぬままとなっております。

そうした中において、さらにそなたは、われわれが不可能かつ不必要とみる実験を要請してきました。その折われわれは、これを、さらに新たな要求を突きつけてくる先がけにすぎないと受けとめたのです。

そして、そなたはまだわれわれのこれまでの言説を十分に吟味していないと見ました。その上われわれは、証拠ならばそなたが愚かにも要求しているもの以上のものを、われわれにとっての好機を見計らって出すこともできたのです。

そこでわれわれは、いっそのことそなたがこの仕事を中止すれば、言い換えれば、われわれがこの通信の仕事からしばし引きあげてしまえば、多分そなたの心はおのずと過去へ向かい、そこから正しい教訓を学んでくれると判断したのです。

が、別な見方もできます。つまり、たとえわれわれが引きあげたところで、そなたの霊的能力まで消すことはできない。われわれが使用を中止するということにすぎません。

するとその霊力が他の霊によって牛耳られ、悪だくみと虚偽の侵入を許し、ついには、われわれの仕事が完全に挫折してしまうことになりかねません。その危険を無視するわけにはいきません。もしもそなたをそのような状態に放置すれば、そなたが懐疑から不信へと陥るであろうことも十分承知しています。

直感的判断力よりはるかに幅をきかせているそなたの論理的判断の習性のために、恐らくそなたは、それまで毎日のように出ていたものが出なくなれば、その存在を信じなくなるでしょう。印象が薄れ、やがて消滅していくことでしょう。

インペレーター、揮身の説得と祈り

そこで、困難を回避する唯一の道は辛抱強く待つことであるように思われます。将来の結果を予言することはできませんが、そなたの前に2本の道が横たわっていること、そのいずれを選ぶかはそなたの理性が決めることであること、この2点に間違いはありません。

われわれにも選択を迫りたい希望はあるが、それを強要する権利はありません。責任はすべてそなたにあります。選択に誤りがなければ、そなたの魂は進歩と啓発の道を歩むことになります。その道を拒絶すれば、当然、暗黒と退歩の道を進むことになりましょう。それもこれも、そなたの判断次第で決まることです。

われわれとしては、これまでの主張を一語たりとも削るつもりはありません。むしろ、さらに強調したいところです。その実相については、そなたもこののちいっそう明確に理解することになるでしょう。

が、今は神の使徒としてのわれわれの存在と、これまでの教説について、真摯に、祈りの心を込めて細かく吟味してもらいたい。過去を振り返ることです。教説を吟味することです。記録を分析し、その中からそなたなりの結論を引き出すのです。

その間の進歩の足跡に注目していただきたい。神より出された教義がいかに入念な配慮によって仕上げられてきているか、その過程に着目されたい。そして、その過去を踏まえて将来への展望を広げてみてほしい。

そなたは今まさに重大な境界線上に立っていること、魂の進歩の前に取り除かねばならぬものが数多くあること、建物を構築するに先立って地ならしの工事が必要であること、永遠がそなたを待ちうけていること、われわれが真理の扉を開くカギを授けんとしていることを認識されたい。

どうか、2度と訪れぬこの機を拒否する前に、しばしの間を置いてみられることを切望する。拒否したが最後、それは暗い影となって永遠にそなたの魂につきまとい続けることであろう。受け入れれば、それは魂の宝となって、永遠にその輝きを増し続けることであろう。

祈れ!父なる神に祈るのです!そなたを守り、われわれをして引き続きそなたを導くことを得さしめ給わんことを祈るのです。冷ややかにして陰気なる地上の雰囲気より脱し、そなたを導かんとして待機している明るい霊との交わりを求めて祈るのです。

そなたほど厚き看護を受けている者はいないものを、その看護をそなたほど無益にした者はいないということになっても構わぬのであろうか。そうならぬよう、また身体的にも霊的にも邪(よこしま)なる影響力から守られるよう、そして又、より高き知識の海原へ、さらにより確固として揺るぎなき信頼へと導かれるよう、そなたとともにわれわれも祈ろう。

父よ!永遠にして無限、全知全能なる神よ!子なるわれらに、御前に近づき、願いごとを述べさせ給え。きっとお聞き届けくださると信ずるゆえにほかなりませぬ。

永遠なる神よ!何とぞわれらを妨げんとする者たちと障害物とを取り除き給え。疑う心に一条(すじ)の光を照らされ、暗き心の片隅を明るく照らし、潜み隠(ひそ)れる敵対者を払いのけ給わんことを。

われらの労苦に慰めの愛を授け給え。労苦が大なれば、それだけその愛も大なるを要します。仕事が大なれば、それだけその愛の力も大なるを要するのでございます。

全能なる神よ!何とぞ御力を授け給え。われらの讃仰の御しるしと致させ給え。御前に感謝と崇敬の念を表明し、心からの敬慕の念を捧げさせ給え。

御身の使者たるわれらより、御力のしるしである宇宙を通じて、御身に栄光と祝福と名誉と讃美の祈念を捧げ奉ります!

†インペレーター

[この通信が事実上これまでの一連の議論の締めくくりとなった。むろん、これで私があっさりと確信に至ったわけではない。しばしの議論の小休止、とくに霊界との関係を全面的にストップしたことが、私にこれまでの通信の経過を自由な気持で振り返らせることになった。

それまでの霊的影響力を直接的に受けなくなってからは、以前よりも冷静に判断できるようになり、通信の実直さと誠意と真実性に対する確信が徐々に芽生えてきた。というよりは、信仰心が実感を伴って深まり、知らない間に懐疑心が薄れていったと表現したほうがよいであろう。]

[注釈]

(1)他の霊媒を通じてインペレーターがしゃべり、モーゼスを通じて働きかけている霊と同一であることを証明し、そうすることで、その存在が客観的存在でありモーゼスの第二人格でないことを証明するということ。

これは条件次第では可能なことで、シルバーバーチも1度だけ、エステル・ロバーツという女性霊言霊媒を通じてバーバネル夫妻に語りかけたことがある。

が、この場合、ロバーツ女史の背後霊団もシルバーバーチの霊団と同じスピリチュアリズムの大計画の一環を担った霊団であり、しかもバーバネルはそれまでにロバーツ女史の交霊会のほとんど全部に出席して、そのメモを取っていたほどの親密性があったからこそ出来たことである。

(2)モーゼスのサークルの数少ないメンバーのひとり。よほど霊的知識を理解した人であろう。そうでないと他界してすぐに通信を送ることはできない。この重大な時期に他界し、しかもその仲裁のおかげで霊団の使命がどうにか完(まっと)うできたことを考えると、インペレーターよりさらに霊格の高い霊で、この霊団の総監督であるプリセプターの配慮によるものと察せられる。

「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→

見えない事はないのですが細かいところが見えにくくなっていまして、いよいよ僕も老眼がやってきています。猛烈に悲しいですが、しかし僕にとって絵を描くのをやめる事は生きる事をやめるのと同義ですので、以前入手したものの気に入らなくて使っていなかった拡大鏡を急きょ取り出して、それをかけて絵を描いてみるとまぁまぁサクサク描けるので、それで描いています。

葛飾北斎氏の晩年の作品はキャンバスがデカいモノが多いようですが、これはやはり老眼が影響していたからではないかと僕は思ったりするのです。細かいところが見えにくくなっていたので細かく描かずに済むように作品自体がデカくなっていった、という事なのではないか。つまりそこまでして描き続けようとしたという意味で、その執念がスバラシイと僕は思ったりするのです。

アナログ絵379、間もなく2ページの線画完了中、止まらず3ページに突入しますが、もう山のアタック準備をしないといけません。節約のためにロングドライブ時に一切コンビニに立ち寄らないという事をやっている関係で、事前に家でアレコレ準備しないといけなくなっており時間がかかるのです。

この節約の成果があともう少しで数字として表れてくると思うので、そこからいよいよある脱出アイデアを実行に移すつもりです。これはもう霊団に何と言われようとやります。絶対にこれ以上閉じ込められるのを認める訳にはいかないのです。早く描き終えてテキストの作業に戻らなければ。帰幽までにやらねばならない作業が殺人的に控えている(祈)†

「行動には動機がある」邪悪の宇宙人の行動の動機が僕にはどうしても分からないのです(祈)†■2024年6月19日UP■
「行動には動機がある」邪悪の宇宙人の行動の動機が僕にはどうしても分からないのです(祈)†
まず罪もない、抵抗する術もない子供たちを次元間移動で拉致している時点でこの宇宙人たちが邪悪である事は明白です。そこに何ら正当化する理由はなく、このおこないをしている宇宙人が「霊格が極めて低い」という事も証明されていると言い切ってイイでしょう。オカルティックな筋によれば邪悪な宇宙人は人類創世の時からずっと地球にちょっかい出し続けて現在に至るそうで、ひたすらに地球人の進歩向上を阻害する事を続けてきたのだそうです。古代の地球人類たちはそれが理解できず、そのトカゲのような姿の邪悪な宇宙人たちを「神」と思い込んでしまったという古代文献の記録も多数あるようです。で、この話も深掘りしません、僕の知識がまだ足りませんので。つまり邪悪の宇宙人たちは年数は分かりませんがシュメール文明だの何だの、イヤそれよりもっと前から、それこそ1億年前とか、そういうレベルで地球にちょっかい出し続けている邪悪な者たちという事になるのですが、ココで僕は分からなくなる、頭が混乱するのです。そこまでして邪悪のおこないを続けたその先に「光」がない事くらい、自分たちの種族の幸福、向上、進化がない事くらい、1億年も生きていれば悟れるはずだろう…続きを読む→
「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†■2024年7月10日UP■
「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†
僕は至ってまともな事を言っているだけだと思っていますが、帰幽後に僕に下される判断はそういうモノではないのでしょう、かなりキビシイ状態にさせられるのでしょう。それは了解してます、全てこの身に受けるつもりです。が、それでもなおあんたたちの導きに方向性はヒドすぎる、到底許容できないと思っているのです。「もうのむ訳にはいかない」「これしかないんだと」僕が強硬姿勢なら霊団も強硬姿勢で、もうアキトくんのワガママに折れる訳にはいかない、アキトくんの肉眼には全体像が映っていないから、この道の先にどれだけの悲劇が待ち受けているかを理解できない。我々の霊眼はアキトくんの未来の悲劇が見える。今はアキトくんは理解できなくてもいつかは必ず理解できる時が来るから、アキトくんがどんなに嫌がっているとしてももうこの道を進ませるしかないんだと、霊団がそのように言ってきてます。【い】【い】【か】【げ】【ん】【に】【し】【て】【く】【れ】【!】確か人間には「自由意思」というモノがあったはず。霊団はその自由意思を完全に無視する事を決定したとでもいうのか。それは霊界の決まりに完全に反する事なのではないか。そんな事が許されていいのか。ただ、裏返すとそれくらい僕の置かれている状況が危機的という事なのかも知れませんが…続きを読む→
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†■2024年7月17日UP■
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†
そして何の仕事をやらされるのかと思えば(その仕事内容を検討する霊界で催された会議に僕も霊体で参加しています。もっともその会議の内容は全く物的脳髄で反芻できませんでしたが)「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の悲劇の惨状の情報拡散というとんでもない仕事だったのです。霊界高級霊の方々は僕の心の中が丸見えです、僕より僕の事が分かっています。つまり僕なら物質界の邪悪の脅迫に屈せず仕事を続行できると踏んでこの仕事をやらせたのです。そして事実、僕はイエス様を筆頭とした霊界高級霊の方々の期待通り(なのかどうか今となっては疑問ですが)天皇一族が強姦殺人魔であると徹底的に拡散していきました。その情報拡散の中でSNS(Twitter)のアカウントをどれだけ消されてきた事でしょう、もう覚えていないほどやられてきました。そしてこれ以上消されないためにWordPressを開始したのです。つまりどれだけヒドイ目に遭わされても全く使命遂行をやめるつもりがなかったという事です。その部分は霊団の予測的中だったという事です…続きを読む→

眼前に残されている作業量を考えればボケっとしている時間などない、シャレじゃなく本当に帰幽までに全ての作業を完了させられない可能性が濃厚のため、作業時間を増やす事、作業スピードを上げる事は至上命題なのですが、言ってその通りにできれば誰も苦労しない訳で…実際はなかなかそうはなりません。

先週、山のアタック中に霊団がまぁまぁ重要な事を霊聴に言ってきて、山ではメモできないので忘れる可能性が高いのですがその時は何とかゴールまでその内容を覚えていて、車内のクロッキーにメモったという事がありました。

山で霊団がピーチクパーチク言ってくる事は全然珍しい事ではなくむしろ日常茶飯事で、山でメモできないのはやはり使命遂行的に宜しくないという事を再認識しました。実は以前は「防水ノート」をちゃんとザックに入れていたのですが、全く使う機会がなく、使ってないのにザックに入れていただけでボロボロになって捨ててしまったという事があって、それきりザックにメモ帳を入れずにいたのです。

しかし防水ノートは高いけどこの安いメモ帳ならダメになってもイインジャネ、という事で先ほど入手しました。これをザックに入れて霊団が何か言ってきた時に備えます。ここまでやってるのに何ひとつ事態が進展、前進しない事に猛烈に頭にきますが(たぶん一生何もなく終わると予測)

しかし僕はできる限りの事をやった、物質界の状況が改善されなかったのはあんたたち(霊団)の仕事が怠慢だったからだ、と帰幽後に言える状況にするために、僕レベルでできる事はしっかりやっておく必要があるのです。もっともこんな小我の自己保身など【神の因果律】の絶対的公正の前には跡形もなく吹き飛んでしまい、僕という人間がハダカ同然にされて真実のみが浮き彫りにされる訳ですが。

実は今日、同僚女性に「復刊」に関する説明をするシチュが発生し、復刊をあきらめざるを得なくなった理由を説明する事となり、改めて悔しさがこみ上げてくるのでした。その説明はブログでも書いています、コチラ↓

「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

さぁストーリーはカラーリングの作業がありませんのでわりと早くUPできると思いますので急ぎましょう。まずはココまで(祈)†

■アナログ絵376「モーゼスの霊訓 上」表紙UP。復刊させるつもりでいるからここまで描いているのです(祈)†■2024年6月10日UP■
■アナログ絵376「モーゼスの霊訓 上」表紙UP。復刊させるつもりでいるからここまで描いているのです(祈)†
まず上巻表紙には霊媒モーゼス氏を登場させました。モーゼス氏が物質界に残した「霊訓“Spirit Teachings”」は人類史上に残る金字塔である事に疑いの余地はありません。これほど素晴らしい仕事をやり遂げたモーゼス氏ですから今頃素晴らしい境涯で生活しておられる事と思いますが、しかしモーゼス氏も懐疑の念が尋常ではありませんでした。このモーゼス氏の疑いの気持ち、霊団に対する反発心に比べれば、僕がずっと霊団に反逆している事などまだかわいく思えてきたりもします。特に中巻は壮絶を極めます。僕は霊団がムカついてどうしようもないですけど霊的な事を疑った事は全然ないですから、その部分がモーゼス氏と違うかも知れませんね。僕の場合は毎日霊団が霊聴にピーチクパーチクインスピレーションを降らせてきますので、霊的なモノを疑うとかそういうレベルのお話ではないんですよ、もう完全に人生の一部、日常生活の風景ですので。モーゼス氏はインスピレーションというカタチで霊団とコミュニケートはしていなかったそうですが、自動書記はガンガン受け取っていたという事です。僕は逆で、インスピレーションはガンガン受け取っているが自動書記テストはどれだけ続けていても全く手が動いて文章が綴られる事はありません…続きを読む→

[この時点でいろんな霊からの通信が届けられた。彼らが言うには、その目的は死後存続の確証を積み重ねて、私の心に確信を植えつけるためということだった。その中のひとりに、著名人で生前私も親しくしていた人がいたので、その事実をその人の身内の人に知らせてもよいかと尋ねた。すると – ]

他界直後の通信は不可能

それは無駄であり、賢明でもありません。彼の身内の者は交霊の事実を知らないし、われわれが知らしめようとしても不可能でしょう。たとえそなたがその話をしたところで、気狂いのたわごとと思われるのが関の山でしょう。

とにかく今は身内の者に近づくことはできないでしょう。これは、後に残した地上の肉親と何とかして連絡したいと思う、他界したばかりの霊が味わう試練のひとつなのです。

大体において他界してすぐは、身内の者に近づくことはできません。何とかして思いを通じさせねばとあがく、その激しい念が障害となるのです。自分からのメッセージが何よりも証拠として効果があり、かつ望ましかろうと思いすごし、その強い波が肉親の悲しみの情と重なり合い、突き破ろうとしても破れない強い障壁をこしらえるのです。

霊側の思いが薄れ、地上の者がその不幸の悲しみの情を忘れた時にはじめて、霊は地上へ近づくことが可能となります。このことに関しては、このあと改めて述べることもあるでしょう。

さて、そういう次第で、そなたの知人は今は血縁関係の者との連絡を断たれております。受け入れる用意のない者に押しつけてみても有害無益です。これは、われわれにもどうしようもない不変の摂理のひとつなのです。

理解力のない者に霊的知識を押しつけるわけにはまいりません。哲人でさえなお驚嘆の念をもって眺める大自然の神秘を、3歳の童子に説いてみたところで無意味でしょう。

もっとも、童子には実害はないかも知れません。が、不用意に押しつけることによって、われわれの本来の目的達成が阻害され、真理を授かるべき者が授からずに終ることにもなりかねません。賢明な者はそのような愚は犯しません。

受け入れ態勢の有無を考慮せずに、ただ霊的真理を送り届けさえすれば地上天国を招来できると期待するのは誤りです。それでは試練の場としての地上の意義は失われ、霊力を試そうとする者たちの、ただの実験場と化し、法も秩序も失われるでしょう。そのような法の逆進は許されません。そう心得ていただきたい。

直接書記の演出

[ほぼ同じ時期のことであるが、人間的手段を一切使わない、いわゆる直接書記(1)によって書かれた氏名の綴りが間違っていたことから、例の身元確認に関する私の迷いが一段と強くなった。この場合、霊媒に責任がないことは明らかである。そこで私は自分の氏名もロクに綴れないような霊を信用するわけにはいかない、と強く抗議した。するとインペレーターが答えた – ]

今ここで身元確認の問題について議論しようとは思わないが、そなたが指摘していることは容易に説明のつくことです。あの霊の身元についてはこのわたしが保証し、そなたも、少なくともわたしの言葉を信じてくれた。綴りの誤りはあの霊自身ではなく、筆記した霊が犯したものです。

そなたらが直接書記と呼んでいる現象は、今回はそなたのたっての要請に応じて行なったが、あのような特殊なものが演出できる者は数多くはいません。そして実際に筆記するのはそれに慣れた霊であり、通信を望む霊の、いわば代書のような役をするのが通例です。

これには、多くの場合、数人の霊が携わります。今回の軽率な誤りに関しては交霊会の最中に訂正したが、そなたはそれに気づかなかったとみえる。誤謬や矛盾についてはムキにならず、じっくりと調べるがよい。多くは今回のように容易に説明のつくものばかりであることがわかるであろう。

[私の精神状態の乱れのせいで、交霊会の調子まで乱れてきた。現象の現われ方がおかし時に乱暴になったり不規則になったりした。霊側からは“楽器の調子がおかしいと、それから出る音も調子はずれで、軋(きし)むのです”と言ってきた。

が、交霊会を催すと気が休まることがあった。しかし反対に、神経が緊張の極に達することもあり、その時の苦痛は並大抵のものではなかった。1873年9月30日に次のような通信が届けられた。]

霊的向上を妨げようとする邪霊の存在

神経を休ませ和(なご)ませることが可能な時もありますが、神経の1本1本が震えるほど神経組織全体が過労ぎみで緊張の極にある時は、それも叶いません。

われわれとしてはほとんど手の施しょうがなく、せめてそうした精神状態が呼び寄せる低級霊に憑依される危険からそなたを守るのが精一杯となります。そのような状態の時は、われわれの世界との交信は求めぬよう忠告します。数々の理由により、これ以後は特に注意されたい。

そなたはこれより急速に進歩し、それが、あらゆる種類の霊的影響を受けやすくします。多くの低級霊が近づき、交霊会を開かせては仲間入りを企(たくら)みます。悪そのものは恐れるに足りませんが、それによる混乱は避けられません。

高度に発達した霊媒(霊能者)は、指導に当たる霊団以外の霊に邪魔される危険性のある会への出席は避ける用心が肝要です。交霊会に危険はつきものですが、今のそなたの精神状態では2重の危険性に身をさらすことになります。催す時は忍耐づよく、かつ受け身の精神で臨んでもらいたい。そうすれば、そなたの望む証拠も得やすいでしょう。

[私は、たとえそういう態度で臨んだところで、結局は私自身の判断力で判断するほかはないのではないか、と述べた。さらに私は、疑問を解くカギになると思える事柄を2、3指摘した。私の目には、地上で名声を謳(うた)われた著名人からの通信 – それも私をただ惑わせるだけだったこれまでの通信よりも、その方がよほど決定的な重要性をもっているように思えたのである。

どう考えても、世界的な大人物が、私ごとき一介の人間のために、人を惑わせるような些細なメッセージを伝えにやってくるとは思えなかった。そこで、むしろ最近他界したばかりの、生前私たちのサークルの熱心なメンバーだった知人の身元を明かす、何か良い証拠を出してくれるよう要求した。それが身元証明の問題を解決する決定的なチャンスになるように思えたのである。

さらに私は、スピリチュアリズム思想の拠(よ)ってきたる淵源と規模との問題点、とくに霊の身元の問題について、明快にして総合的な説明を切望した。私は、これまでの言説のすべてを真正なものと認めた上で、そうなるとこんどは、それを嘲笑の的とする反対派の批判に応えるための証拠を、完ぺきで間違いないものにしてくれないと困る、と述べた。

その段階での私には、いくつかの心霊現象とそれを操る知的存在がいる、といった程度のこと以外には、証言らしい証言は何ひとつ見当たらなかったのである。

それでは話にならない。いくら好意的心情になろうと努力してみても、拭い切れずにいる疑問が一掃されないかぎり、それ以上先へ進めなかった。こうした私の言い分に対して、10月1日に次のような通信が届けられた – ]S

懐疑心と猜疑心とは違う

全能の神の御恵みの多からんことを!

そなたが提出した問題についてわれわれがそのすべてに対応せず、また議論しようともしないのは、今のそなたの精神状態では満足のいく完ぺきな証拠を持ち出すことが不可能だからに過ぎません。

もっとも、多くの点においてそなたが率直で汚れのない真情を吐露してくれたことには、感謝の意を表したい。が、それでもなおかつ、そなたの心の奥底にわれわれの言説に対する不信と、われわれの素性に対する信頼の欠如が潜んでいることを認めぬわけにはいきません。

これは、われわれにとって大いなる苦痛であり、また不当であるように感じられます。疑うこと自体は決して罪ではありません。ある言説が知的に受け入れられないことは、決して咎められるべきことではありません。

が、出された証拠を公正に吟味することを拒絶し、想像と独善主義の産物にすぎない勝手な判断基準に照らそうとする態度は、悲しむべき結果に終るであろうし、そこに、われわれの不満の根源があるのです。

そなたの疑念にはわれわれも敬意は払います。そして、それが取り除かれた時はそなたとともに喜ぶことでしょう。が、それを取り除こうとするわれわれの努力を“あたら”無駄に終らせる態度は、われわれとしても咎めずにはいられないところであり、非難するところです。

その態度はそなたを氷のような障壁の中に閉じ込め、われわれの接近を阻みます。またそれは、率直にして進歩的な魂を孤立と退歩へと堕落させ、地上の地獄ともいうべき暗黒地帯へと引きずり込みます。

そうした意固地な心の姿勢は邪霊による破壊的影響力のせいであり、放置すれば魂の進化を永久に阻害することにもなりかねません。

われわれは、そなたからそのような態度で臨まれるのはご免こうむります。そなたとの霊的交わりを求めんとするわれわれの努力がことごとく警戒心と猜疑心とによって監視されては堪(たま)りません。

そなたは何かといえばユダヤ時代の世相と少数の神の寵愛者を念頭におき、その視点から現在を見ようとする傾向がありますが、当時のユダヤ人がイエスに神のしるしを求めた時にイエス自身の口から出た言葉が、われわれの言い分と同じであったことをここに指摘しておきたい。

イエスが最後まで自分の言葉以外のしるしは与えなかったことは、そなたもご存知であろう。なぜか、何の目的あってのことか、それは今は詮索しないでおきましょう。不可能だったのかも知れません。不必要とみたのかも知れません。

精神的土壌がそれを受け入れない状態にあったのかも知れません。今のそなたがまさにそれと同じ状態です。議論を強要する時の、その荒れた気性そのものが、われわれの適切な返答を阻んでしまうのです。

イエスの純心さ

イエスの場合も多分それと同じ事情があったのでしょう。そなたの注意を喚起しておきたいのは、イエスが慰めの言葉でもって答え、あるいは奇跡の霊力をもって応えたのは、議論を挑んだパリサイ派の学者でもなく、サドカイ派の学者でもなく、おのれの知識に溺れた賢人でもなく、謙虚にして従順な、心のか弱い人々、真理ひとつ拾うにも、おどおどとしてその恵みに浸る勇気もなく、それがいずこよりいかなる状態でもたらされるものであるかも詮索しない、忠実にして真っ正直な人たちでした。

イエスのその態度は生涯変わりませんでした。その姿勢は、まさに父なる神が人間に対するのと同じでした。神の真実の恩寵に浴するのは、おのれの我が儘を押しつけておいてそれがすぐに満たされないと不平をかこつ高慢不遜の独善者ではなく、苦しみの淵にあってもなお“父よ、どうか私の望みよりも、あなたの御意(みこころ)のままに為さらんことを!”(2)と祈る、謙虚にして疑うことを知らない、敬虔な平凡人です。

霊団としての最後の弁明

これが神の御業(みわざ)のすべてを支配する摂理です。それを具体的にキリスト教界に見ることは、今は控えます。ただ、ここで指摘しておきたいことは、そなたの頑固(かたくな)な心の姿勢、こうと決めたら1歩も退こうとしない独善的議論の態度は、そなたにとって何の益にもならないということです。

不本意ながらも、われわれはその姿勢を譴責(けんせき)せねばなりません。過ぎこし方を振り返ってみるがよい。われわれとの関わり合いの中で体験したもろもろの出来事を思い返してみるがよい。

そなたの生活全体に行きわたっている背後霊の配慮について、そなたは何ひとつ知りません。

そなたの心に向上心を育(はぐく)ませるための配慮、邪(よこしま)な影響から守り通すための配慮、悪霊の排除、難事に際しての導き、向上の道への手引き、真理についての無知と誤解から救うための配慮 – – こうした目に見えない配慮について、そなたは何ひとつ知りません。しかし、その努力の証は決して秘密にしてきたわけではありません。

このところ、そなたのもとを離れたことは一日とてありません。われわれの言葉、われわれの働きかけは、そなたの知るとおりです。ことに通信は間断なく送り届け、それがそなたの手もとに残っている。その言説の中に一語たりともそなたを欺(あざむ)いた言葉があったであろうか。

われわれの態度に、卑劣なもの、利己的なもの、あるいは不親切に思えるものがあったであろうか。われわれにとって不名誉なことをしでかしたであろうか。そなたに対して侮辱的な言葉、愚かしい言葉を述べたことがあったであろうか。卑劣な策略、浅ましい動機によってそなたを動かしたことがあったであろうか。向上の道から引きずり下ろすような行為をしたであろうか。

要するに、われわれがもたらした成果から判断して、果たしてわれわれの影響は“善”を志向するものだったであろうか、“悪”を志向するものだったであろうか。神を志向するものだったであろうか、その逆を志向していたであろうか。

そなた自身は、それによって“改善”されたと思えるであろうか、それとも“改悪”されたと思えるであろうか。無知が深まったように思えるであろうか、無知から救われたように思えるであろうか。少しでも“まし”な人間になったように思えるであろうか、“つまらぬ”人間になり下がったと思えるであろうか。少しでも幸せになったと思えるであろうか、それとも幸せを感じなくなったであろうか。

われわれの存在そのものについて、あるいはわれわれの教説について、誰が何と言おうと、筋の通ったものであれば、われわれは少しも苦にはしません。聞く耳をもつ者すべてに、われわれは公然と主張します – われわれの教説は神の教えであり、われわれの使命は神より命じられた神聖なるものである、と。

われわれは、イエスがそうであり、みずからもそう述べているように、公言した教説については、必ずその証となるべき“しるし”を提供してきました。当然納得してしかるべき一連の証拠を提供しました。これ以上付け加えようにも、もはや困難なところまで来ています。

霊力の証を求めるそなたの要求に対しては、決して労を惜しむことなく応じてきました。それどころか、よりいっそう顕著な現象を求める同志の要求を満たさんとして、そなたの健康を損ねることまで行ないました。いかなる要求も、それが可能でありさえすれば、そしてわれわれの高い視野から判断して望ましいとみたものは、すべて、喜んで応じてきました。

確かに、要求を拒否してきたものもあることは事実です。が、それは、そなたが無理な要求をした場合、ないしは、そうすることがそなたにとって害になることを知らずに要求した場合にかぎられます。そなたとは視点が異なることを忘れてはなりません。

われわれはそなたよりはるかに高い視点から眺め、しかも、そなたよりはるかに鋭い洞察力をもって眺めている。ゆえに、人間の無知と愚かさから出た要求は拒否せざるを得ないことが、しばしばあります。もっとも、そうした正当な理由によってわれわれが拒否してきたものは、要求に応じて提供した証拠に比べれば、微々たるものにすぎません。

その証拠は、地球に属さないエネルギーの存在、慈悲ぶかく、崇高にして尊い霊力の存在を証し、それがほかならぬ神の御力であることを証すに十分です。それほどの証を与えられ、それほどまで威力を見せつけられてきた霊力をそなたは信じようとせず、かつ又、われわれの身元についての言説を真剣に疑(うたぐ)る…。

どうやら、そなたにとっては、これまで崇めてきた尊い歴史上の人物が、神の使徒をもって任ずる者の指揮のもとに人類の命運の改善を旗印として働いていることが、よほど引っかかるのであろう。

そこでそなたは拒絶し、無知からとはいえ、無礼にもわれわれを詐称者である – 少なくともそうではなかろうかと疑い、口先でごまかしつつ善人ぶったことをしているのである、と非難する。

が、そう批判しつつも、そなたは、われわれが詐称しなければならない根拠を何ら見出し得ず、神のほかに帰すべき源も見出し得ず、慈悲のほかにわれわれが地上に派遣された動機を見出し得ず、人間にとっての不滅の福音以外にその目的を見出し得ずにいる。

モーゼスへの酷しい譴責と警告

そなたのそもそもの誤りはそこにある。われわれもその点は譴責せざるを得ません。あえて言おう。それはそなたにとって、もはや“罪”ともいうべきものであり、これ以後その種の問題について関わりをもつことは、われわれはご免こうむる。そのような視点から要求する証は提供するつもりはありません。

われわれは、もはやこれ以上1歩も譲歩できないギリギリの限界にきている。これまでそなたの前に披露してきたものを侮(あなど)るのは結構であるが、それによって危害をこうむるのはそなた自身にほかならないことを警告しておきます。

過ぎこし方をよくよく吟味し、その教訓に思いを寄せ、証拠の価値を検討し、かりそめにも、これほどの教訓とこれほどの量の証拠を、ただの幻想として片づけることのないよう警告しておきます。

今はこれ以上は述べません。ともかくわれわれとしては、そなたのような判断を下されることだけはご免こうむります。われわれは当初、こうした霊的教訓の受信者として、そなたを最適任者として選んだ。

願わくば現在の無知と愚かさとから一刻も早く脱し、われわれがそなたを選んだ時の、あの穏やかにして真実のそなたに立ち戻られんことを切望する。そうしたわれわれの願いを、そなたが持てるかぎりの能力と率直さとをもって検討しなければなりません。

今後のそなたとの関係も、それによって決定されます。ぜひとも公正に、そして神に恥じぬ態度で判断してもらいたい。決して焦ってはなりません。早まってはなりません。事の重大性と、その決断のもつ責任の重大さを認識した上で決定されたく思います。

その間、新たな証を求めてはなりません。求めても与えられないと思っていただきたい。他のサークルとの交わりも避けるよう警告しておきます。あのような方法による通信は危険が伴うことを承知されたい。いたずらに迷いを増幅させ、それがわれわれをいっそう手間どらせることになります。

やむなく生じた問題に関しては、われわれから情報を提供しよう。また、われわれのサークルでの交霊会は、決して勧めもしませんが、あえて禁止もしません。ただし、たとえ開いても、新たな証拠は出しません。開く以上は何らかの解明と調和のある交霊会の促進を目的としたものであらねばなりません。

かつてわれわれは、そなたにとって必要なのは休息と反省であると述べたことがあります。このたびも、改めて同じことを述べておきます。そなたのサークルが何としても会を催したいというのであれば、ある条件のもとで、時には参加いたしましょう。その条件については後で述べます。が、なるべくならば当分は催さない方がよい。

こう申しても、決してそなたをひとりに放置しておくということではありません。そなたは常に2重3重に守られていると思うがよい。これにてひとまずそなたのもとを去りますが、祈によってそなたを守りつづけます。

みずからを律しきれずにいるそなたに、全能の神の導きのあらんことを!

†インペレーター

[注釈]

(1)モーゼスは“まえがき”の冒頭で自動書記のことを“直接書記”とは区別する必要があると述べたり、直接書記の専門霊媒ヘンリー・スレイドを引き合いに出したりしていることからも窺えるように、この現象には特別の関心を抱いていて、Direct Spirit Writing(霊による直接書記)という論文調の書物を出している(1878)ほどである。

その中にはいろんなタイプの例が紹介されているが、モーゼスらしく、自分自身の体験は述べていない。が、モーゼスの死後、スピーア夫人によって公表された本書の続篇 More Spirit Teachings の中に興味ぶかいモーゼス自身の体験が出ているので、それを《参考資料》として巻末に紹介しておく。

(2)ルカ22・42

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「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→