「死後の世界」にて全ての書籍の入手およびスキャンが完了したとか言ってましたが、案の定追加で書籍を入手するハメになっています。しかしわずかな復刊の可能性にかけるという意味での入手となります。3冊全て揃うのはGW明けかも知れません。まずはココまで(祈)†
2枚同時UP。ハンネン・スワッハー氏とコナン・ドイル氏です。予定していた絵はココまで(祈)†
まずシルバーバーチ霊の交霊会の司会を長らく務めていた英国ジャーナリズム界のご意見番「ハンネン・スワッハー氏」(左)の画像を元に絵を描きました(右)こういう雰囲気のキャラはほとんど描いた事がなかったのでかなり苦戦しましたが。
そしてシャーロック・ホームズの原作者として世界的に有名ですが、実は「スピリチュアリズムのパウロ」の異名をとるほど霊的知識普及に尽力した「アーサー・コナン・ドイル氏」(左)も、苦戦しつつ何とか絵として描き起こしてみました(右)
「インペレーターの霊訓」の最終校正に戻ります。どれだけ努力しても全く脱出の糸口さえつかめない、信じられない、こんな人生は有り得ない。とにかく脱出に最大集中し、達成してから次の事を考える、脱出せずに次のアクションを考えるという事はない。まず脱出が最優先。

「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→
霊団に対する怒り憎しみが僕の心から消える事がなく、その思念が僕の進歩を阻害するという意味です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりが全然なく存続させる気満々ときてやがる、奴隷の女の子は完全に見殺しにするつもりときてやがる、僕の進歩向上は阻害しようとしてきやがる。一体あんたたちは何がしたくて生きてるんだよ。

「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→

「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→
【4/28】霊界通信 ベールの彼方の生活 3巻 「天界の政庁」篇 2 象徴(シンボル)の威力 – 十字を切る事の意味
1917年11月28日 水曜日
貴殿がもし吾々の存在を疑わしく思うような気分になった時は“十字”を切って頂くと宜しい。それだけでも吾々が守ってあげている事を認識されると同時に、貴殿と吾々との間に割って入ろうとするあの手この手の邪魔を排除する事ができます。
身体(からだ)を張って邪魔するのではなく、思念を放射し、それがモヤのように漂って吾々の視界を遮るのです。程度から言うと吾々よりも彼らの方が貴殿の近くまで接近し、吾々の望んでいる好条件を奪ってしまう事があるので、よくよく注意して頂きたい。
– 十字を切るとどういう効果があるのですか。
それが象徴するところの“実在の威力”が発揮されます。よく考えてみると記号というものも実に大きな威力を発揮しているものです。それは記号そのものに能動的な力が潜んでいるからではなく、それが象徴しているところの存在ないしはエネルギーの潜在力のせいです。
– 例えば?
例えば貴殿が今使用しておられる文字も単なる記号にすぎない。が、それによって綴られた文章を親しみと愛をもって読む者は、こうしたものを全く読む事なく人生を終る者と違って、こちらへ来てからの進歩を促進する適応性を蓄える事になる。
1人の王様の名前も、その王を象徴する記号に過ぎないが、その名前を軽々しく口にする者は、その王の署名のもとに布告された命令を無視する者と同様に、秩序ある国家においては軽々しく見逃される事はない。
それによって生ずる混乱と不統一が原因となって国家の運営が著しく阻害されるからです。故に名前というものは崇敬の念をもって扱わねばならない。地上に限りません。天界においても同じ事です。
例えば大天使の名前をぞんざいに呼ばわる者は、携わる仕事が何であれ、その者の立場を危うくしかねない。そういう事になっているのです。そして最後の御名である主の御名は、貴殿らの聖典で規制されているように最高の敬意をもって扱わねばなりません。
さて、もともと“十字架”の記号は吾々が教わり、遠い過去より今日に至るまでに地上の人間に啓示された多くの聖なる記号の中の1つに過ぎない。ところが今日では他のいずれにもまして威力をもつに至っている。ほかでもない、地上の進歩のために注がれる“生けるキリスト”の生命の表象(しるし)だからです。
他の時代には他の – ためらわずに書かれよ – キリストの世があった如く(※)今の世は天界の政庁から派遣された最後の、そして最高のキリストの世という意味において特殊な世なのである。
それ故、十字架を使用する者はキリストの生命を意味する“おん血”によって書かれた親署を使用する事を意味し、たとえキリストの絶対的権威を認めずその愛を理解せぬ者も、キリストの十字架の前には自ずと頭(こうべ)を垂れなければならない。
何となればそれを前にすればその威力を思い知らされ畏(おそ)れおののくからである。(※キリストの名で呼ばれる存在が他にもいたという事にオーエン氏が戸惑いを見せている。イエス・キリストの真相についてはこの後の3つの章で細かく説かれる。 – 訳者)
– では地獄にいる者でもキリストの十字架の威力が分かるという事ですか。
まさにその通りである。ここで少しばかりその問題に触れておきたい。というのも地上には理解力が不足しているために、この記号にあまり崇敬の念を覚えぬ者が多いからです。
私はしばしば薄暗い低級界を訪れる事があるが – 最近は他に用があって訪れていないが – 訪れた時はなるべく十字を切らないようにする。何となれば、心に少なからず苦悶を抱く哀れむべき魂にとっては、十字を切る事がその苦悶の情をいっそう掻き立てる事になるからです。
– 十字を切られた時の反応を実際の例で話して下さい。
ある時私は地上からの他界者の1人で妙な事にいきなり第2界へ連れて来られた人物を探しに派遣された事があった。当然そこは居心地がよくなくて、やがて薄暗い下層界へと引き下ろされていった。なぜこのような事になるのかは今ここで詳しい説明はしない。滅多にない事ではあるが全く有得ない事でもないのである。
指導と案内に当る者の認識不足によって、あちこちで同じような事態が起きている事は事実です。一生懸命になるあまり、善意が先走って判断力と洞察力を追い越す事があるもので、少し複雑で問題の多い人物の処遇に当たって往々にしてそういうケースが生じます。
さて私は陰鬱(いんうつ)な境涯へ降りて身体が環境に適応しきるのを待って、いよいよ捜索を開始した。市(まち)から市へと捜し歩いたあげくに、やっとその人物の気配を感じる門の前まで来た。貴殿には私の述べる事が容易に理解できないであろうけど、構わず筆を進められたい。そのうち理解できる日がきます。
さて、中へ入ってみると、まず目に付いたのは広場一帯を覆う陰気な光で、そこにかなりの数の群集が集まっていた。空気はまるで鍛冶(かじ)屋の如く火照(ほて)り、群集が気勢を上げると明るさを増し、意気消沈すると弱まるという風であった。
その中央に石の台があり、そこに私の探し求めている人物が立っていた。何やら激しい口調で群集に向かって演説を打(ぶ)っている。私は蔭に隠れて聞き入った。彼は“贖(あがな)い”と“贖い主”について語っていた。が、その名が出てこない。暗に言及しているだけである。
そこに注意して頂きたい。2度、3度と名が出掛かるのであるが、どうしても出ない。口元まで出掛かると顔に苦痛の表情が浮かび手をぐっと握りしめ、暫し沈黙し、それからまた話を進めた。誰の名を言わんとしているのかはその場の誰1人として知らぬ者はいなかった。
彼は悔い改めの必要性を長々と説いた。そして自分が宗教心の不足から否応なしに、ほんのわずか垣間見た天国と光明界からこの苦悶と悔恨の境涯へ引きずり下ろされた事を語って聞かせた。
彼はこう語った – 自分はこの界へ降りてくる道すがら、この目を見開いて道を“しかと”確かめてきた。だからどこをどう行けば光明界へ行き着くかをよく知っている。が、その道は長く苦しい登り坂となっており、しかも暗い。
そう述べてから、自分と共に出発する意思のある者を募り、羊の群の如く一団となり手を取り合って進めば、たとえ道中は苦しくとも必ず目的地に辿り着き、ゆっくりと休息できる。ただ道中ではぐれぬよう注意する必要がある。
道なき峡谷を通り、左右の見分けもつかぬ森林地帯を抜けて行かねばならぬ。万一はぐれたら最期(さいご)、道を見失って1人永遠にさ迷い続ける事になる。いずこをさ迷っても常にそこは暗闇であり、また極悪非道の輩(やから)が待ち伏せして通りかかる者に残虐の限りを尽くす危険がある。
だから絶対に自分が掲げる旗から目を離さぬ様に。そうすれば恐れるものは何もない。なぜならその旗には道中に耐えるだけの強大なシンボルとなるものを用意するつもりでいるからだ、と。以上が彼の演説の要旨である。
これに対して群集はまんざらでもない反応を示しているようであった。彼は台から降りて、暫し黙したまま立っていた。すると群衆の1人がこう聞いた – 「どういう旗を考えてるんだ。何の紋章を飾るつもりだ。我々が付いて行くのに分るものでないと困るぞ」と。
するとさっきの男が再び広場の中央の石の上に立って右手を高く上げ、それを下へ向けて直線を描くように下ろそうとするが、下ろせない。何度も繰返すが、そのたびに手がしびれるようであった。
そして結局最後は – 彼を知る私には見るに忍びない光景であったが – 大きな嘆息と苦悶の涙と共に、その手をだらりと力なくぶら下げるのだった。が間もなく彼はきりっと姿勢を正し、顔に決意の表情を浮かべて、もう1度試みた。そして何とか手を垂直に下ろす事ができた。
するとどうであろう、その手の辿った跡に微かに光輝を放つ1本の線が描かれているではないか。そこでまた力を振り絞り、用心深く今度はその垂直の線の真ん中よりやや上あたりに横棒を描こうとして手を上げるのであるが、またもや出来ない。私には彼の心が読めていた。
光明界への旅に彼が掲げ持つ旗の紋章として十字架を飾る事を群集に示そうとしていたのである。あまりの哀れさに私は進み出て、ついに彼の側に立った。そしてまだうっすらとではあるが目に見えている直線をなぞった。ゆっくりとなぞった。
するとさっと光輝が増して広場全体と群集の顔という顔を照らし出した。次に私は横棒を画いた。それも同じように光輝を放った。私はその光輝を避けて見えない所に身を隠した。ところがその直後に狂乱した声と泣き叫ぶ声が聞こえてきたので再び出てみた。
十字架はやや輝きを失っていたが、群集はある者は地面にひれ伏し、ある者はのた打ち回りながら顔を隠し、十字架のイメージを消そうと必死になっていた。嫌っているのではない。そこの群集は既に自分の罪に対して良心の呵責(かしゃく)を覚える段階にまで達した者達であった。
苦痛の原因はその良心の呵責を覚えさせるほどの“進化”そのものであった。悔恨の情が罪悪と忘恩の不徳に対する悲しみへと変化し、その進化そのものが悲しみの情に一層の苦痛を加えていたのである。
くだんの男はそうした群集のようにひれ伏さずに両手で顔を覆(おお)い、両ひじを膝の上に置いて跪(ひざまず)き、他の者達と同じく悔恨の情に身体を2つに折り曲げるようにして悶えていた。私はやっと気がづいた。私のした事は彼らにとって余りに早まった行為だったのである。
慰めになると思ってやってあげた事が実は彼らの古傷に手荒に触れる行為となっていたのである。そこで私は群集を鎮める為にその友人に代ってあの手この手を打った。そして何とか治まった。
私はその時その場で、これ以後は低級界ではよくよくの事がない限り十字架のサインは使用しない決心をした。心に傷を持つ者はそれが痛みを増す結果になる事を知ったからです。
– 今その男の事を“友人”と呼ばれましたが…。
その通り。彼は私のかつての友人だったのです。2人は地上で同じ大学で哲学を教えた事がありました。彼はまっとうな生活を送り、時には奇特な行いもしないでもありませんでした。が残念ながら敬虔(けいけん)な信仰心に欠けていた。もっとも今はもう順調に向上の道を歩み、善行にも励んでいますが…。
先の話に戻りますが、どうにか旗が出来あがった。しかしそれはおよそ旗と呼べる代物ではなかった。2本の木の枝、それも節だらけの曲がったものを十字に組んだものに過ぎない – この界層でもそんな樹木しか見当たらないのです。
それでも彼らには立派な十字架に見えるのだった。横棒がぐらぐらしている。彼らの一途な気持と彼らにとっての深刻な意味合いを考えると、余りにグロテスクすぎるが、彼らにとってそれは自分達を守ってくれる霊力を意味し、又その源であるキリストを意味する。
従ってそれはそれなりに彼らにとって最も“聖なるしるし”であり、喜び勇んで、しかし沈黙と畏敬の念をもって付いて行くべき目標であった。2本の枝の交わる部分を結わえている赤の布切れは血の流れの如くなびいていた。
そして彼らはいよいよその十字架の後に付いて長き旅に出発した。足は痛み、疲れ果てる事もしばしばであろう。が光明が見出せる事を信じて、あくまでも高地へ高地へと進み続ける事であろう。
– どうも。これでおしまいにしたいのですが最後に1つだけお聞きしたい事があります。昨夜の例の聖堂の事ですが、最初にその建立の目的は地上界への援助の為とおっしゃって、後でそれとは全く違った使用目的を話されました。そこのところが納得できません。ご説明願えますか。
吾々の述べた事に何ら誤(あやま)りはありません。ただ吾々が意図したほど明瞭には伝わっていないだけです。昨夜は貴殿は重々しい感じがしていました。今も疲れておられる。吾々の意図していた真意は次の機会に述べるとしよう。では今宵も神の祝福のあらん事を。

「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→

霊団が奴隷の女の子たちを救出しない決定を下している理由についての個人的所感(祈)†
霊団側はブループリント作成の時点で「この使命遂行を実行するにあたり、ああなるだろう、こうなるだろう」という事があらかじめ分かっているという事です。つまり霊界側は「現在の物質界は、まだ奴隷の女の子たちを救出するに必要な悟りの境地に到達していない、まだその時期は到来していない」という事もあらかじめ分かっていたはずなのです。だったらなぜ僕に奴隷の女の子の存在を怒涛に教えてきたんだよ。助けてあげられると思ったから教えてきたんじゃないのかよ。助けられないという事だったらなぜ教えてきたんだよ…続きを読む→

「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†
そのフグを3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁が僕に食べさせて殺す事を画策しているという意味なのですが、そもそも食べられないのにどうやって食べさせるつもりなのか、という事になります。それについても霊団は何度となくインスピレーションを降らせているのです、そしてそれは皆さまにお話できない内容なのです。が、今回は少しだけ書かせて頂きます。こういう事です。奴隷の女の子を使って僕を殺す、となります。霊団から相当に具体的な事を言われていますが、とにかくその説明はできないのです。どうかご了承下さい。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、特に文仁が最も積極的に僕を殺そうとしています。その殺す手段、手法について霊団からかなり深い部分まで情報を得ています。が、お話はできないのです…続きを読む→
AmazonペーパーバックのUP(情報入力)に入っていますが、1ヶ所気になるところがある(祈)†
パブリックドメインという項目があって、おーふぁん的なモノだけでなくAmazonにも高い壁がある事が分かりました。復刊書籍販売開始状態にもっていくまでにさらにさらにシチメンドクサイ行程を経なければなりません。正直心が挫けています。やっぱりもう復刊じゃなくって自分で本書こうかな、という気にさせられます。イヤ、出したきゃ出せばいいけどそんなんじゃ脱出できないよ。
「インペレーターの霊訓」表紙データ完成中、あとは最終校正をおこなってAmazonにUPし、おーふぁん的なモノを進める事になりますが、もう本当にどうしようかな。これほど猛烈なストレスに晒されなきゃ脱出ひとつできないというのか。なぜ霊団は自動書記を降らせようとしないのか。書籍化する準備が完全に整っているというのに。
まずはあと2枚、絵を完成させてシルバーバーチの霊訓のテキスト見直しに入りますが、心は完全に挫けています。メンドクサすぎる。自分の書籍の原稿撃ちもやった方がイイな万が一に備えて。
あと以前から考えていたモノで「ブログ書籍化」というアイデアがあり、これはテキストが完全に揃ってますのですぐにでも実行できるのですが、作ってみたところでまるっきり脱出につながらない事は明白で、ガンバリ損になる可能性100%ですので実行まではしませんが、最悪やっちゃうかも知れません。もう本当にどうしよう(祈)†

「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→

「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→
もう3枚絵を描きます。まずは「ベールの彼方の生活」著者のオーエン氏です(祈)†
復刊用「ベールの彼方の生活」書籍の中に使用されている画像も万が一の肖像権対策という事で絵として描き起こす事とし、その3枚中まず1枚目「オーエン氏」(左)を線画として描きました(右)
本当に復刊に向けた事務作業が不愉快でイヤでイヤでどうしようもありませんが、とにかくやるしかない、その前準備としてAmazonで販売開始状態にまでもっていき、そこからようやく事務作業開始となりますので(作業者は僕ひとりしかいませんので同時進行はできないのです)まずはペーパーバック、電子書籍データを完成にもっていきます。
霊団に心底疑問を投げかけたいのは、そこまでして僕をあの最悪のところに閉じ込めた、その先に一体何の使命遂行の前進があるのか、という事です。全く前進要素などないところに閉じ込めようとしてくる、つまり僕を「何もできない人間」にしようとしているという事か。それを僕が文句ひとつ言わず受け入れる訳ネィだろ。僕は「1歩も退く気はない」だ。最後の1秒まで死力を尽くすに決まってるだろ。
その姑息な手段のいちばんイイところは「フラーに戻れる」という事です。僕的にイイだけであって霊団的にはよくも何ともないという事になりますのでたぶんできなくさせられると予測しますが、じゃあどうしろって言うんだよ、どう生きろって言うんだよ。やるしかないんだよ。表紙データを完成させましょう(祈)†

「私は確信をもって今の時代に役立つと思います」シルバーバーチ霊の思念と思われますが(祈)†
僕もこれまで果てしなく霊的知識をお勉強し続けてきて、霊言を降らせる事の重大性は十分すぎるほど理解していますから、シルバーバーチ霊の言葉に反対を表明するほど愚かではありませんが、霊界にはウソというモノが存在しません、僕の心の中など霊団およびシルバーバーチ霊には全て丸見え筒抜けですからあえて正直に書かせて頂きますが、ハッキシ言ってもうウンザリなんですよ。霊性発現(2012年6月)から一体どれだけの月日が流れていますか。この10年以上、霊団はひたすら口だけをピーチクパーチク動かし続けてきましたが物的状況には一切変化はありません、さも今動く、今変わる的な事を延々言われてその通りにしてきてハッとうしろを振り返ってみたら最低最悪の場所にただ閉じ込められ続けただけだった。僕が霊団に対して抱いている怒り憎しみの念はもはやただ事ではないレベルになっているのです、長年の蓄積があるからです…続きを読む→

「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
【4/27】霊界通信 ベールの彼方の生活 3巻 「天界の政庁」篇 3章 天界の経綸 1 寺院の建造
1917年11月27日 火曜日
話題はこちらで用意してあり、いつでも述べられる態勢にあります。再び貴殿の精神をお貸し頂きたい(※)。こちらで進行中の仕事を吾々が監督する要領を知って頂くためについ最近吾々の界で起きた出来事をぜひ貴殿に語って聞かせたいと思うのです
(※前にも延べた事ではあるが、霊界の者から見ると人間の精神は人間自身が想像している様な無形の観念ではなく具体的な実質があり触れると実感がある。 – 訳者)
それは他でもない、寺院風の建物の建造です。その建造の目的は強いて言えば天界のエネルギーが地上へ届き易いようにそこで調整するためである。今ゆっくりと最後の仕上げをしており完成も間近い。これよりまずその建物に使用する資材を説明し、続いてその用途を述べるとしよう。
資材には様々な色彩と密度とがある。さりとて地上のごとくレンガや石等を積み重ねるのではない。全体として1つなのである。吾々は設計図が出来上がった所で、こぞって予定された敷地へ向かった。その敷地は第5界の低地と高地の中間に位置する台地にある。
なお吾々の通信における界層の数え方はザブディエル殿に倣(なら)っている事を承知されたい。数え方は霊団によって様々ですが、貴殿にとっては既に親しんでいるものが良かろうという事でそうする事にしました。また、それが他の数え方と較べてなかなかうまく出来ています。
他のものはあまりに複雑すぎたり、反対にあまりに大ざっぱすぎたりします。その点ザブディエル殿の数え方は言わば中庸を得ているので、ここではそれに倣(なら)う事にします。
さて敷地に到着すると吾々は、まず全員の創造エネルギーを一丸とするための精神統一を行なったのち、そのエネルギーを基礎工事へ向けた。すると、そのエネルギーが敷地からゆっくりと湧き出てきて、そのまま高く伸びて頂上にドーム形の屋根をこしらえた。
そこへ大天使が姿を現し、吾々のエネルギーを1つにまとめて一旦ご自分の霊力の中に収められ、それを少しずつ放射しつつ、穏かに吾々の仕事に細かい手を加えられた。その間、吾々は念波の放射を手控えて見守っていた。
何ゆえ大天使までお出ましになるのか – 貴殿にはそれが不思議に思われるであろう。理由(わけ)を述べよう。1つの霊団として我々もそれ相当の修養を積み、協調的仕事にも長い間携わってきた。
しかし脆弱(ぜいじゃく)な第1段階の基礎工事の仕上げに当っては、吾々よりはるかに強烈な霊力をお持ちの大天使によって、吾々の放射したエネルギーを調節して頂く必要がある。それを怠ると形体にキズが残ったり、思わぬ不備から構造が崩れせっかくの努力が烏有(うゆう)に帰する事も有り得る。
その他にも理由はあるが、それは吾々の言語を理解してもらえない以上は説明困難です。もっとも、次のように考えて頂けば、手段はともかくとして理由だけはたぶん分って頂けるであろう。
つまり原理的に言えば誕生時の“へその緒”の切断、死亡時の“たまの緒”の切断、もしくは堰(せき)の水門の急激な閉鎖、大体そういったものに類似したものを想像していただけばよい。そうすれば地上の言語で表現できないものを、おぼろげにでも理解して頂けるでしょう。
こうして第1期工事はまず外形の完成に集中する。あくまでも外形であって、そのまま手を引けば見る間に消滅してしまう。一服したのち吾々は引き続き第2期の基礎工事に着手した。第2期は柱、門、大小の塔を強固にする事である。
最下部から始めて徐々に上方へ向けて手を加えて行き、最後にドームにまで達する。これを幾回となく繰り返した。まだ外形のみでである。が、外形としては一応完成した。残るは色彩を鮮明にする事と、細かい装飾、そしてそれが終ると最後に全体を引き締めて、幾世紀にも亘る持続性を与える事である。
吾々はしばし工事に携わっては休み、その間にエネルギーを補充し、再び工事に着手するといった過程を幾度となく繰り返し、その寺院風の建物に全身全霊を打ち込んだ。美の創造に携わる事ほど楽しく且つ有難いものはない。
吾々の建造せるその建物は大きさといい、デザインといい並外れて雄大なものであり、同時に又、その雄姿が自分達の力で着々と美しさを増していったのであるから尚の事であった。
こちらの世界における建築が全てこれと同じ方法で行なわれるとは限らない。が、いかなる方法にせよ、出来上がったものは建築家による建造物というよりは“我が子”のような存在となる。全てが建造者のエネルギーと創造力によって造られたものだからです。
そうして出来上がった建物が、のちにその建物において仕事をする者の理想に叶(かな)っている事も論を俟(ま)たない。何となれば、その建物には既に生命がこもっている。意識的生命ではないが一種の“感性”を宿しているからです。
こう言えばよかろうか。つまりこちらの世界の建物とその創造者との関係は、言うなれば肉体とそれに宿る霊との関係のようなものである。肉体と霊とは覚醒(かくせい)時は言うに及ばず、睡眠中でも常に連絡を保持している。
それと同じく、吾々建造者はたとえ完成後に各地へ分散しても、常にその建物を“意念の焦点”として互いに連絡を取り合っているのです。その生き生きとした実感と満足感は実際にこちらへ来て創造の仕事に携わってみなければ判らないであろう。もっとも、こちらへ来た者の全てが創造の仕事に携わるとは限らないが…。
さて建物としての一応の形が整い、さらにそれを強固にし終ると、あとに残された仕事は内部装飾の仕上げである。すなわち各室、ホール、聖堂等々にそれなりの装飾を施し、柱廊は柱廊らしく仕上げ、噴水には実際に水を通してその流れ具合を確かめる。
それをするのに吾々はまず外部に立って念波を送り、それから内部に入って仕上がり具合を点検する。手先はあまり使用しない。主役をつとめるのは頭と心である。
そこまで終了すると、以後は吾々が実際にその建物で生活して、地上の言い方をすれば毎日のように部屋から部屋へ、ホールからホールへと足を運び、設計図に照らして少しずつ手直しをする。そして最後に全体を美しく飾って終りとする。
こうして吾々による仕事が完了した暁に、恐れ多くも大天使が再度はるか高遠の世界から降りてこられ、細かく点検して回られた。そしてもし不備の点があれば大天使みずから手を加えられた。が、時として吾々の勉強の為を思われて吾々に直々にお言いつけになる事もある。
かくして落成の日が訪れると、その大天使がもう1人の大天使を伴って再びお出でになられた。霊格がさらに上の方である。その権威はイスラエルで言えばアロン(※)とその弟子達のそれにも相当しよう。
ギリシャなら神官、キリスト教ならば主席司祭にも相当しよう。その時の目的は建物の“聖化”とでも呼ぶべきものである。(※ユダヤの最初の大祭司。モーセの兄 – 訳者)
– 献堂式(※)でしょうか。(※新築の教会堂を神に奉納する儀式 – 訳者)
それで良かろう。地球を含む低級界とを結ぶ保護のための拠点となり、同時に又、それ以後そこに住む人々が神の恩寵と霊力に与る中継の場となるのである。地上の寺院は天界の寺院のお粗末な模倣にすぎない。が、その目的と機能は本質的には同一である。
イスラエルにおいては雲が地上界とエホバ神との中継をすると考えられた。古代エジプトにも同じ考えがあった。ギリシャの都市国家においては寺院の霊的活力が衰えていたが、まだ少しは残っていた。イスラエルにおいては天界からの援助と高揚という特殊な側面には全く関心を示さないようである。
私はイスラムの霊界を訪ねてみた事があるが、そこには顕幽(けんゆう)の交わりが根本的に違った形で行われている事を知った。キリスト教の(霊界の)教会堂にも同じくその観念はあるが、程度の差が著しい。
キリストを祀(まつ)る幾つかの教会堂においてはキリストとその側近の大天使の顕現がもう少しで見られる段階に至っている。実際に見られるようになるのも遠い先の話ではなさそうに私には思える。
そういう次第で、地上の寺院も基本理念においては同じものをもっており、遠い過去が引き継がれているのであるが、それがこちらの世界では目に見えて霊験あらたかとなり、見た目に美しくもあり、天界の高地へ向けて1界また1界と上昇していく者への祝福に満ち満ちているのである。
– 今回お建てになった寺院には特別な使用目的があるのでしょうか。
あれは第5界の各地、時にはそれより下の界から訪れる者が身を浸(ひた)すエネルギーの貯蔵所としての機能を開始しかけている所です。訪れた者は色彩の持つ霊妙な波動に浸り、堂内を流れる生命を秘めた小川と噴水に身を洗われ、すみずみまで漲(みなぎ)る霊妙な旋律に包まれて、欠乏した生命力を補い、鈍化した知力を啓発される。
そこに注目されたい。単なる保養所ではありません。もっと“質の高い”機能を有している。それから先の魂の向上の旅に備えて体力をつけ、入手する知識を即座に、そして効率よく理解する知性を身につける場でもある事は確かであるが、同時に、その聖堂を焦点として愛と生命力を注ぎ、彼ら巡礼者の向上を待ち受ける高級神霊との霊的交わりを得る所でもあるのです。
– 向上する者は必ずそこを通過しなければならないのでしょうか。
そうと決まっている訳ではありませんが、第5界の者は大半がそこを通過します。この界は永く滞在する者がわりに、いや随分多い所です。各自の特性を点検し調整して円満さを身につけなければならない大切な界だからです。(第2巻8章参照)
その意味では卒業しにくい界であり、滞在が永びいている者が多く見出される理由はそこにある。聖堂の建立もそのためであった。その必要性が生じたのである。出来あがってまだ日も浅く、これからいろいろと機能を発揮していくことであろう。また経験を積むにつれて細かい手直しも施される事であろう。
が、その聖堂まで来て中を覗いてみて学ぶべきものが特に見当たらず、自己の中に改めるべきものも見当たらないほどの“ゆとり”をもってこの界を卒業していく者もいる。そうした優等生的霊魂はさっさと上の界へと進み、その道すがら祝福を垂れ、通過する道が一段と輝きを増すほどである。
近くの者はそれを有難がり、その姿を見て勇気を鼓舞される。地上ではこうした事は見かけぬであろう。が第5界まで向上した者は品性卑しからず、己より美しく且つ高き霊力を具えた者を見る事が己れ自身の美徳を高め、かくして“全て神の子”の真実味をいやが上にも確認する事になるのである。

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→

■アナログ絵345「フラー01ver3.0カラーリング」UP。イエス様搭乗機です(祈)†
Dreamwork、画家時代を彷彿とさせる壮絶な描画負荷を経てようやくフラー01ver3.0、イエス様搭乗機を完成までもってくる事ができました。この機体は本当に長い道のりでした。イエス様搭乗機のひとつ前の機体、フラー01ver2.0がだいぶ古い機体でしたのでどうしてもバージョンアップの必要性がありました。キャラのレオ(ライオンちゃん)の変形ギミックをどうしても完成させられなくて何度もボツを繰り返しては立ち上がり、フラー本体のカラーリングではパーツひとつひとつに個別にグラデーションをかけねばなりませんでしたので大変な時間がかかってしまいました。何度も心が折れながらの作業となりました。やっとの思いで塗り終えてみて、全体を眺めてみて、まぁまぁ納得のいく機体に仕上がったのではないでしょうか。色を塗るのはもうご勘弁といった感じですがストーリーは白黒原稿ですので、ぜひストーリー上にはこの機体を登場させたいものです…続きを読む→

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
人間は窮地に陥ると、つい姑息な手段に訴えてしまうものです、とシルバーバーチ霊が仰っていますが(祈)†
その姑息な手段で以前から考えているモノがひとつありまして、復刊させる方法はもうおーふぁん的なモノをやるしかない、しかしこれがストレスが尋常ではないレベルでモノスンゴイやりたくない。その壁を突破してやってみたところで書籍を販売状態にしておく限りいつまでもどこまでも供託金を支払い続けなければならないという不愉快のオマケつき。
しかしそこまでやっても脱出できるかどうかはまた別問題で、さんざん苦労したのに結局脱出まで到達できない可能性もあります。だったらもう姑息な手段をやってしまおうかという気持ちが再び頭をもたげ始めています。それくらい僕の心がイヤがっているという事です。
自動書記テスト続行してますが一向に僕の手が動いて文章が綴られる事はありません。自動書記で新規の霊言が降ってくれば一気に問題解決になるのですが霊団は全くやる気ゼロです。「インペレーターの霊訓」ペーパーバックおよび電子書籍データ、最終校正中、間もなく完了し、即AmazonにUPして校正刷りをおこないますが、本当にどうしたものか。頭を抱えています(祈)†

「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→

「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→

「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†
心臓が鼓動しているのが、血液が全身を循環しているのが、脳髄でアレコレ思索を巡らせる事ができるのが霊のチカラのおかげだというこの単純な真理が理解されるのにあと何千年かかるというのか。2000年前にイエス様が同じ事を言っていたじゃないか、まだ分からないのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体にも、自分が霊的存在であるという事実にも、一体人々はいつになったら気が付くというのか。この狂った腐った物質界は、あと何千年、正しいおこないをする者を磔刑(はりつけ)にし続けるというのか。そんなに洗脳が好きなのか、そんなに帰幽後に地獄に落ちたいのか。ステキな境涯に案内してあげようと大切な事を教えるために物質圏に犠牲的降下をして下さっている高級霊の方々の愛を、あと何千年裏切り続ければ気が済むのか…続きを読む→
5枚目の絵、完成中「ケーティ・キング霊」です。知らない方はお勉強しましょう(祈)†
クルックス博士の著書「心霊現象の研究 – 心霊科学の世界的古典(※この書籍もぜひ復刊させたいのですが…)」の中に紹介されている完全物質化霊「ケーティ・キング」(左)この画像も復刊書籍での使用許諾などもらえる訳がないでしょうから絵を描き起こしました(右)
クルックス博士が撮影したケーティ・キング霊の画像が計44枚あり、それらは使用料を支払う事で入手できたそうですが、それは当時のお話で、もう写真は完全に擦り切れて現像不可能だそうです。入手もたぶん不可能、そもそもどこに許諾を求めればいいかも分かりません。なのでどのみち自分で描くよりどうしようもなかったのかも知れません。もっとも70年問題はクリアしているものと思われますが。
ハァァ本当におーふぁん的なモノをやりたくない、メールでのやりとりの不愉快度が尋常ではなくて正直もう関わり合いになりたくない気分ですが、著作隣接権者と連絡を取る手段が完全に断たれましたので、もう復刊の可能性はこれしかないという事になってしまいました。
この経験から、ゆうパックも封書も同じ郵便局の仕事ですから、封書の住所に当人が住んでいない事が分かれば新住所に転送してくれるはず(旧住所から新住所を探し出せるはず)なのです、ゆうパックの時のように。
つまり近藤千雄先生のご家族の方々が「父宛てに届く「霊的内容の連絡」は一切無視する」という方針で、拒否する旨、郵便局に届け出を出しているのではないか、と予測されるのです。完全にブロックしている、それで全く届かない、たぶんそういう事。
で〇〇ぼ〇さんが近藤先生の書籍を復刊できない理由も僕と同じなのではないか。つまり著作隣接権者(ご家族の方々)が完全にブロック、拒否しているから復刊できずにいるのではないか、という予測です。まぁ関係者に話を聞いた訳ではありませんから詳細は分かりませんけども。
実は霊性発現初期の頃に味わわされた最悪体験のいくつかはWordPressにも書いていないのです。思い出したくもないから書かずにいるのです、それくらい最悪な体験を初期の頃に複数味わわされているのです。あ、イヤ、どっかに書いたかも知んない。もう覚えてないや。
あーヤダ、文化庁の人間とメールでやりとりしたくない。まずは「インペレーターの霊訓」のペーパーバック、電子書籍データを完成させてAmazonにUPさせ、校正刷りをおこなうところまでやりましょう。あー気が重い、作業だけは何が何でも続行中(祈)†

「ポリーチェ(POLICE)は全く何の役にも立っていません」について説明してみましょう(祈)†
ザクヤーとは風俗業で、幼い女の子をたくさんザクヤーハーレム内に閉じ込めて営業し資金源としながら(有名人が多数利用しているのです)女の子たちをオトナになる前に殺し続けています。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁とほぼ同じ大犯罪をやっているのですが全く逮捕されないのはなぜか。それはザクヤーとポリーチェが「親友」だからです。「強姦殺人遊びでつながった大親友」という事になります…続きを読む→

「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→
【4/26】霊界通信 ベールの彼方の生活 3巻 「天界の政庁」篇 4 男性原理と女性原理
1917年11月23日 金曜日
前回の話を続けたい。吾々霊団の精神的融合体と、そこから出る思念体の流れを受け取る貴殿の鉛筆と用紙との間の連絡関係は、今まさに完璧な状態に近づきつつあります。
当初、貴殿の人間性と特質の調査を終えたあと吾々は、こんどは吾々と貴殿との間を取り次ぐもの – その思念体の流れを受け取り、屈折させ、ある程度まで変質させ、言ってみればスペクトルの中の無用の要素、つまり人間の網模(もうまく)に感応しない要素に相当するものを取り除くことの出来る存在(カスリーン)を探す必要に迫られた。
これでお判りのように、最終的に貴殿に届けられるのは吾々が最初に発送したもの全部ではないのです。それは譬(たと)えてみればスペクトルの中の可視光線と呼ばれている部分、つまり赤外線と紫外線を除いた波長でできた、人間の目に映じる部分と同じである。人間の手によって綴られる通信に筋の通らないものが見られる要因も、そうした複雑な事情によります。
法則というものは全ての分野で一貫しており、どこか相通ずるものがあるもので、この問題においても同じである。例えば人間の目に映じる白色光は合成体ではなく統一体であるが、吾々の霊団についても同じことが言える。
つまり白色光が複数の色彩を統一して1色の光波つまりは無色の光の流れをこしらえるのと同じように、吾々霊団も6名の要素の寄せ集めではなく、融合統一することによって、あたかも1つの精神のように思えるほどの一体性を作り出す。
そこから出る思念がカスリーンという素晴らしい媒体を通過することで一層その度合を強める。その一体性を出すためには各自の霊力の割合をうまく調節しなければならない。さもないと効果が損われます。それはちょうど光を構成している色彩の割合が崩れてそのうちの1つでも目立つと、もはや無色ではなくなり色合いが出てしまうのと同じです。
さてここまでの説明は言ってみればプディングの材料を1つ1つ用意してきたようなものです。このままではまだオーブンには入れられない。もう1つだけ大切なものを忘れている。と言うよりは“軽く扱い過ぎて”いる。吾々がカスリーンに目をつけたのは、貴殿の血縁関係の1人との間の交友関係と2人の間の親和性とがあったからです。
– ルビーのことですか。
いかにも。他にはいないでしょう。貴殿のお嬢さんのルビーはカスリーンにとって親友であると同時に指導者でもあります。うまくしたものです。と言うのは、カスリーンについても貴殿の場合とほぼ同じような調査をしたのですが、そのうち吾々の仕事の成否を左右しかねな非常に微妙でしかも“ほほえましい”問題に逢着したのです。
吾々6人は男性である。カスリーンは女性である。地上と同じように、こちらの世界でも科学の分野は圧倒的に男性が支配しており、地上との関係においても男性の頭脳の方が働きかけ易いものです。
そこで – 勿体(もったい)ぶらず結論を急ぐが – 吾々は一方において吾々男性と通じ合うことができ、他方において女性とも通じ合える人物を見つけ出した。それがルビーで、吾々の通訳のような役をしてくれています。
彼女はこちらの世界の存在であり、同時に吾々の霊団の1人でもあり、従って実際の事実にも通じ、それもすでに長い期間に及んでいる。メンバーの1人として霊団とよく調和しており、同時に女性の特性においてカスリーンともウマが合う。
吾々の精神活動 – 思念操作 – の全体をまとめ上げ、ブレンドした上で、さらにそれをカスリーンを通して貴殿に届けてくれるのはルビーなのです。通信全体を通しての思想とその表現に男性的雰囲気が漂っているのに気づかれるであろう。それは霊団の中の班を構成している吾々6人の男性的要素が支配しているからです。
しかし、その中にあって時おり女性的要素が顔を出すのに気づかれるであろう。それは通信の内容上、女性がリードして吾々男性が哀れにも車を後押しするような形でちからを貸した方が都合がよい時です。
カスリーンも時おり顔をのぞかせることがあるでしょう。そしてそれが彼女特有のナイーブな雰囲気をもたらして可愛らしさを感じさせるであろう。吾々にとっても同じです。
– お聞きしていると今回の通信はこの先かなり長く続きそうな感じがします。嫌がってるように受け取られては困るのですが、前回(第2巻)の時が苦痛だったものですから…。
いや、いや、そう怖がられることはない。今回の通信 – そう大(たい)そうなものではないが – に当たってはずいぶん骨を折ってきたが、貴殿が止めたいと希望されるなら、いつ止めても結構です。が、私が観たところ貴殿は吾々霊団を見放すようなことはなさらないであろう。
現に貴殿は、こうして吾々に接近して通信に耳を傾けることを結構楽しんでおられる。このまま私の意図したとおりに通信が続きそうである。ただ貴殿が懸念しておられるので私から一言申し上げておくが、吾々が目論(もくろ)んでいるものはザブディエル殿の通信ほど大きなものではない。あれほど深刻な内容のものではありませんが、しかし有益であるに相違ないと思う。
– あなたは時に"私"と言い、時に"吾々”とおっしゃっています。思うにそれはあなたの通信に2つの面があるからでしょう。流れは1つでも、その流れを構成している要素は複数である。それで7人が時に複数でしゃべり時に単数でしゃべる。そうじゃないですか。
– まずい説明とも言えない。ある程度は正鵠(せいこく)を得ている。が、ある程度です。“私”と言っている時は(現在のところ)36名の霊団全体のリーダーの資格において語っており、“吾々”と言う時はこの小班の他の6名を代表して“私”が語っている。
そこで貴殿もよく考えてほしい。統一性と多様性、単数と複数とがいかに見事にしかも、この通信に見られるように、いかに簡単に使い分けが可能であるかをです。
よく承知していただきたい。こちらの世界には肉体に宿っている者がどうあがいても探り得ない深層があります。何となれば、地上というところは崇高なる“三位一体の神秘”を秘蔵した宇宙最奥の聖殿の“外郭”に過ぎないからです。
<原著者ノート>この通信のあとカスリーンが私の妻が使用しているプランセットを通じて私のことで次のようなことを言って来た。「ジョージ(私)は明日教会で1人になれるでしょうか。“リーダー”が彼にあまり会話をさせないようにと望んでおられるのです。
話をしに来る人たちがジョージに余計な神経を使わせるのを気にしておられます。明日早朝に“リーダー”が通信を送られるので私がその準備に参ります。カスリーン」
私が「そのリーダーというのはあなたの属する班のリーダーのことですか」と聞くと、「そうです。私たちはいつも“リーダー”とお呼びしています」とのことだった。これで私はこれ以後の通信の全てをリーダーからのものと判断した。

「J9」アナログ絵123に描いたゴールに到達するという意味だと信じたいですが(祈)†
そして仕事を休んで遠くの会場まで足を運ばされ、訳の分からないトランスの真似事のようなものを集団でやらされて(今にして思えば僕の回りにいた連中はみんな僕を信者にするためのグルメンバーだったのかも知れませんが)僕はそもそも宗教臭の漂うモノが大キライ、頭にきて頭にきてもうガマンできなくて途中で帰ってしまったのです。これは霊関連書籍に精通しておられる方なら理解できる事と思いますが、要するに霊団が「僕をそういうところ(いかがわしい宗教)から遠ざけて真っ当な霊的活動をさせるためにわざとそこに行かせてキライにさせた」という事なのですが、そうと分かっていてもあの体験は人生最悪でした。もう死んでも行きたくありません…続きを読む→

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→

「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「インペレーターの霊訓」書籍データ最終修正をおこなってます、復刊できるのか(祈)†
もう完成しているはずのデータなのに見返すとアチコチ修正ポイントがあります。描いた絵を挿入して、もう一度全体を最終校正して、あとは目次内のページ番号の修正をおこなえば(セクションマネージャが使えればこのあたりを自動化できるのに、どうしても使えない…)ようやくAmazonにUP、校正刷りをおこなう事ができますが、とにかく作業してもしても全く脱出につながってこない。
恐るべき絶望感が襲ってきて心が挫けそうになります。本当に一生閉じ込められる事になるとでもいうのか。先ほどの幽体離脱時映像は正直意味が分からないモノでしたが、離脱帰還後に霊団が「はげましてあげました」と言ってきました。は?今のどこがはげましですか。
ただ、要するにただ口だけ動かしてはげますだけで実際は何もしないという事を霊団は言っている訳でして「我々はアキトくんを一生閉じ込める事を決定した」と最後通告を突きつけられたような気分になって、まるっきりはげましと逆の意味になっています。
そうやって脅して言う事聞かせる手法は原始人の常とう手段ではなかったのか。そこまでして閉じ込める事に一体何の意味があるというのか、あの場所には使命遂行を前進させる要素は1ミリたりともないというのに。性格の悪さが宇宙レベルすぎてもうコイツらと永遠に縁を切りたい気分です。作業だけは続行中ですが絶望感がスゴイ(祈)†

「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→

「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→