『ベールの彼方の生活④』【4 地球の未来像の顕現】1919年3月28日 金曜日  この段階で吾々は既に、それぞれの天界の住処にふさわしい本来の身体的条件を回復しておりました。それ故、吾々は実際は地球を中心としてそれを取囲むように位置しているのですが、地球の姿は既に吾々の目には→
『ベールの彼方の生活④』→映じませんでした。勿論この事は私自身の境涯に視点を置いて述べたまでで、私より地球に接近した界層の者の事は知りません。多分彼らにはそれらしきものは見えた事でしょう。これから述べる事は私自身の視力で見た限りの事です。私はその巨大な虚空の内部を凝視しました。
『ベールの彼方の生活④』全てが空(くう)です。その虚空が、それを取り巻くように存在する光輝によって明るく照らし出されているにもかかわらず、その内部の奥底に近づくにつれて次第に暗さが増していきます。そしてその中心部になるとまさに暗黒です。そう見ているうちに、その暗黒の虚空の→
『ベールの彼方の生活④』→中心部から嘆き悲しむ声に似た音が聞こえてきました。それが空間的な“場”を形成している吾々の方角へ近づくにつれて“うねり”を増し四方へ広がっていきます。が、その音が大きくなってくるといつしか新しい要素が加わり、さらにまた別の要素が加わり、→
『ベールの彼方の生活④』→次々と要素を増していって、ついに数々の音階からなる和音(コード)となりました。初めのうちは不協和音でしたが吾々に近づくにつれて次第に整い、ついには虚空の全域に1つに調和した太く低い音が響き渡りました。そうなった時はもはや嘆き悲しむ響きではなく、→
『ベールの彼方の生活④』→雄々しいダイヤペーソンとなっておりました。それがしばらく続きました。すると今度はそれに軽い音色が加わって全体がそれまでのバス(男性の最低音)からテノール(男性の最高音)へと変りました。変化はなおも続き、ついに吾々が取り囲む内部の空間が得も言われぬ→
『ベールの彼方の生活④』→色合いを見せる光輝に照らし出されました。そしてその中央部、すなわち吾々の誰からも遠く離れた位置で“顕現”が始まっている事が分りました。それは次のようなものでした。まず地球が水晶球となって出現し、その上に1人の少年が立っています。
『ベールの彼方の生活④』やがてその横に少女が現れ、互いに手を取り合いました。そしてその優しいあどけない顔を上方へ向け、じっと見つめているうちに2人ともいつしか青年に変身し、一方、立っている地球が膨れ出して、かなりの大きさになりました。
『ベールの彼方の生活④』するとその1ばん上部に曲線上に天蓋のついた玉座が出現し、女性の方が男性の手を引いて上がり段のところへ案内し、そこで女性が跪くと男性だけが上がり段をのぼって玉座の中へ入りました。そこへ大勢の従臣が近づいて玉座の周りに立ち、青年に王冠と剣(つるぎ)を進呈し→
『ベールの彼方の生活④』→豊かな刺繍を施した深紅のマントを両肩にお掛けしました。それを合図に合唱隊が次のような主旨の祝福の歌を歌い上げました。 →あなたは地球の全生命の“主宰者”として、霊の世界よりお出ましになられました。あなたは形態の世界である外的宇宙の中へ踏み込まれ、→
『ベールの彼方の生活④』→あたりを見回されました。そして両足でしっかりと踏みしめられて、地球がどこかしら不安定なところを有しながらも、よき天体であるとお感じになられました。それから勇を鼓して一方の足を踏み出し、さらにもう一方の足を踏み出され、かくして地球を征服なさいました。
『ベールの彼方の生活④』そこで再び周囲を見渡されて、あなたのものとなったものを点検なさいました。それに機嫌をよくされたあなたはその中で最も麗しいものに愛をささやかれました。そのとき万物の“父”があなたのために宝庫よりお出しになられた全至宝の中でも、あなたにとっては→
『ベールの彼方の生活④』→女性が最愛の宝物となりました。征服者としての権限により主宰者となられたあなたへの祝福として詠唱した以上の事は、その通りでございましょうか。  青年は剣を膝の上に斜めに置いてこう答えました。 →地上での数々の闘いに明け暮れた私をご覧になってきた→
『ベールの彼方の生活④』→そなたたちが歌われた通りである。正しくご覧になり、それを正しく語られた。さすがに吾等の共通の“主”の家臣である。さて私は所期の目的を果たし、それが正当であった事を宣言した。武勇において地上で私の右に出る者はおりませぬ。地球は私が譲り受ける。
『ベールの彼方の生活④』私みずからその正当性を主張し、今それを立証したところである。しかし私にはまだ心にひっかかるものがある。これまでの荒々しい征服が終了した今、私は次の目標をいずこへ求めればよいのであろう。永きにわたって不穏であった地球もどうにか平穏を取り戻した。
『ベールの彼方の生活④』が、まだ真の平和とは言えぬ。地球は平穏な状態にうんざりし、明日の平和を求める今日の争いにこれきり永遠に別れを告げて、真の平和を求めている。そこで、これまで私を補佐してこられたそなたたち天使の諸君にお願いしたい。幾度も耳打ちしてくれた助言を無視して→
『ベールの彼方の生活④』→私がこれまでとかく闘いへの道を選んできて、さぞ不快に思われた事であろう。それは私も心を痛めた事であった。しかし今や私も高価な犠牲を払って叡智を獲得した。代償が大きかっただけ、それだけ身に沁みている。そこで、これより私はいかなる道を選ぶべきか、→
『ベールの彼方の生活④』→そなたたちの助言を頂きたい。私もこれまでの私とは違う。助言を聞き入れる耳ができている。今や闘いも終り、この玉座へ向けて昇り続けたその荒々しさに、われながら嫌気がさしているところである。  そう言い終ると従臣たちが玉座の上がり段を境にして両脇に分れて→
『ベールの彼方の生活④』→立ち並び、その中間に通路ができました。するとその中央にさきの女性が青の縁どりのある銀のローブで身を包んで現れました。清楚に両手を前で組み、柔和さをたたえた姿で立っておられます。が、その眼差しは玉座より見下ろしている若き王の顔へ一直線に向けられています。
『ベールの彼方の生活④』やがて彼はおもむろに膝の上の剣を取り上げ、王冠を自分の頭から下ろして階段をおり、その女性のそばに立たれました。そして女性が差し出した両腕にその剣を置き、冠を頭上に置きました。それから一礼して女性の眉に口づけをしてから、こう告げました。 →
『ベールの彼方の生活④』そなたと私とで手を取り合って歩んで来た長い旅において私は、数々の危機に際してそなたの保護者となり力となってきました。嵐に際しては私のマントでそなたを包んであげました。急流を渡るに際しては身を挺して流れをさえぎってあげました。
『ベールの彼方の生活④』が、行く手を阻む危険もなくなり、嵐も洪水も鎮まり、夏のそよ風の如き音楽と化しました。そして今、そなたは無事ここに私と共にあります。しかし、この機をもって私は剣をそなたに譲ります。その剣をもってその王冠を守ってきました。
『ベールの彼方の生活④』ここにおいてその両者を揃えてそなたに譲ります。もはや私が所有しておくべき時代ではなくなりました。どうかお受け取り頂きたい。これは私のこれまでの業績を記念する卑しからぬ品であり、あくまで私のものではありますが、それが象徴する全てのものと共に、→
『ベールの彼方の生活④』→そなたにお預け致します。どうかこれ以後もそなたの優しさを失う事なく、私が愛をもって授けるこの2つの品を愛をもって受け取って頂きたい。それが私より贈る事のできる唯一のもの―地球とその2つの品のみです。  青年がそう言い終ると女性は剣を胸に抱き抱え、→
『ベールの彼方の生活④』→右手を差しのべて彼の手を取り、玉座へ向かって階段を上がり玉座の前に並んでお立ちになりました。そこでわずかな間を置いたあと彼は気を利かして1歩わきへ寄り、女性に向かって一礼しました。すると女性はためらいもなく玉座に腰を下ろされました。
『ベールの彼方の生活④』彼の方は脇に立ったまま、これでよしといった表情で女性の方を見つめておりました。ところが不思議な事に、私が改めて女性の方へ目をやると、左胸に抱えていた剣はもはや剣ではなく、虹の色をした宝石で飾られたヤシの葉と化しておりました。王冠も変化しており、→
『ベールの彼方の生活④』→黄金と鉄の重い輪が今はヒナギクの花輪となって、星の如く輝く青と緑と白と濃い黄色の宝石で飾られた美しい茶色の髪の上に置かれていました。その種の黄色は地上には見当たりません。若き王も変っておりました。お顔には穏かさが加わり、→
『ベールの彼方の生活④』→お姿全体に落着きが加わっておりました。そして身につけておられるローブは旅行用でもなく戦争用でもなく、ゆったりとして長く垂れ下がり、うっすらとした黄金色に輝き、その“ひだ”に赤色が隠されておりました。そこで青年が女性に向かってこう言いました。 →
『ベールの彼方の生活④』私からの贈りものを受取ってくれた事に礼を申します。では、これより先、“私とそなた”ではなく、“そなたと私”となるべき時代の辿るべき道をお示し願いたい。  これに答えて女性が言いました。 →それはなりませぬ。私とあなたさまの間柄は、あなたさまと私との間柄と→
『ベールの彼方の生活④』同じだからでございます。→これより先も幾久しく2人ともども歩みましょう。ただ、辿るべき道は私が決めましょう。然るべき道を私が用意します。しかし、その道を先頭きって歩まれるのは、これからもあなたさまでございます。  アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【3 崇高なる法悦の境地】1919年3月25日 火曜日  さて、未来へ向けて矢が放たれたところで1たん出発点へ戻り、これまでお伝えしたメッセージを少しばかり手直しをしておきましょう。私が述べたのは人類の発達途上における目立った特徴を拾いながら→
『ベールの彼方の生活④』→大ざっぱな線について語ったまでです。しかし人類が今入りかけた機構は単純ではなく複雑を極めております。次元の異なる界がいくつも浸透し合っているように、いくつもの発展の流れが合流して人類進化の大河をなしているのです。
『ベールの彼方の生活④』私がこれからは男性支配が女性の柔和さにその場を譲ると言っても、男性支配という要素が完全に消滅するという意味ではありません。そういう事は有得ません。人類の物的形態へ向けての進化には創造主が意図した目的があるのであり、その目的は、成就されればすぐに廃棄→
『ベールの彼方の生活④』→されてしまう程度のものではありません。ようやく最終段階を迎えつつある進化の現段階は、男性の霊的資質を高める上で不可欠だったのです。ですから、その段階で身につけた支配性は、未来の高揚のために今形成しつつある新しい資質の中に融合されていく事でしょう。
『ベールの彼方の生活④』ダイヤからルビーの光が除去される事はありません。もしそうなればダイヤの燦然たる美しさが失われます。そうではなく、将来そのダイヤが新たな角度から光を当てられた時に、その輝きがこれまでよりは抑えられたものになるという事です。
『ベールの彼方の生活④』かくしてこれからのある一定期間は、そのまたたきが最も顕著となるのはこれまでのルビーではなくエメラルドとなる事でしょう。(訳者注―前回の通信の最後の寓話になぞらえて、ルビーが男性的性格、エメラルドが女性的性格を象徴している)
『ベールの彼方の生活④』また遠い過去においてそのルビーに先立って他の色彩が顕著であった時期がある如く、ダイヤの内奥には、このエメラルドの時代の終った後、永遠の時の中で然るべき環境を得て顕現するさらに別の色彩があるのです。さらに言えば、私の言う女性の新時代は激流の如く→
『ベールの彼方の生活④』→押寄せるのではなく、地上の人間が進歩というものを表現する時によく使う言い方に従えば、“ゆっくりとした足取り”で訪れます。言っておきますが、その時代はまだ誕生しておりません。が、いずれ時が熟せば誕生します。
『ベールの彼方の生活④』その時期が近づいた時は―イヤ(ここで寓話に変わる―訳者)救世主は夜のうちに誕生し、ほとんど誰にも気づかれなかった。しかも新しい時代の泉となり源となった。→
『ベールの彼方の生活④』→それから世の中は平凡なコースを辿り、AUC(ローマ紀元。紀元前753年を元年とする)を使用している間は何の途切れもなく続いた。が今日、かの素性の知れぬ赤子(イエス)の誕生がもとでキリスト教国の全てがDC(西暦紀元)を採用する事になり、→
『ベールの彼方の生活④』→AUCは地上から消えた。貴殿は私の寓話を気に入って下さるので、どうか以上の話から何かの意味を読み取って下さい。また例の“天使の塔”における“キリストの顕現”の話を思い出して頂きたい。あれはこの地上への吾々の使命に備えるための学習の一環だったのです。
『ベールの彼方の生活④』私の叙述から、その学習がいかに徹底したものであったかを読み取って頂けるものと思います。物的宇宙の創造を基盤とし、宇宙を構成する原子の構造を教えて下さったのです。それが鉱物、植物、動物、そして人間となっていく永くかつ荘厳な生命の進化の過程が啓示されたのです。
『ベールの彼方の生活④』さらに学習は続き、地球に限定して、その生命を構成する要素を分析して、種類別に十分な検討を加えました。それから地球の未来を覗かせて頂き、それが終って今こうして貴殿にメッセージを送っている訳です。その人類の未来を覗かせて頂いた時の顕現の全てを叙述する事は→
『ベールの彼方の生活④』→とても出来ません。ダイヤモンド(※)の内奥には分光器にかからない性質の光線が秘められているからです。ですが、その得も言われぬ美と秘密と吾々にとっての励ましに満ちた荘厳なるスペクタクルについて、貴殿にも理解し得る範囲の事を語ってみましょう。
『ベールの彼方の生活④』(※これも前回の通信の寓話になぞらえて、全ての色彩が完全に融合した時の無色透明な状態を象徴している―訳者)地球を取り巻く例の霧状の暗雲が天界の化学によって本来の要素に分析されました。それを個々に分離し、それぞれの専門家の手による作業に任されました。
『ベールの彼方の生活④』その作業によって質を転換され、一段と健康な要素に再調合する過程がほぼ完了の段階に近づいた時に、吾々は各自しばし休養せよとの伝達を受け、その間は他の霊団が引き受けてくれました。そこで吾々は所定の場所へ集合しました。
『ベールの彼方の生活④』見ると天界のはるか上層へ向けて一段また一段と、無数の軍勢が幾重にも連なっておりました。得も言われぬ荘厳なる光景で、事業達成への一糸乱れぬ態勢に吾々は勇気百倍の思いが致しました。その数知れぬ軍勢の1人1人が地球上の同胞の救済のために何らかの役割分担を持ち、→
『ベールの彼方の生活④』→その目的意識が総監督たるキリストにおいて具現されているのでした。それを内側から見上げれば、位階と霊格に従って弧を描いて整列している色彩が、あたかも無数の虹を見る如くに遥か遠くへと連なっておりました。そしてその中間に広がる、1個の宇宙にも相当する大きさの→
『ベールの彼方の生活④』→空間の中へ、既にお話した事のある静寂という実体(1章2)が流れ込んできました。それはすなわち、そこに我らが王が実在されるという事です。
『ベールの彼方の生活④』静寂の訪れを感じて吾々はいつもの如く讃仰のために頭(こうべ)を垂れました。崇高なる畏敬の念の中に法悦を味わい、目に見えざる来賓であるキリストを焦点とした愛の和合の中にあって吾々はただただ頭を垂れたまま待機しておりました。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【2 男性支配型から女性主導型へ】1919年3月24日 月曜日  吾々から送られるものをそのまま書き記し、疑問に思える事があってもいちいち質問しないで頂きたい。全部書き終ってから読み直し、全体として判断し、部分的な詮索はしないで頂きたい。
『ベールの彼方の生活④』このような事を今になって改めて申し上げるのも、吾々が用意している通信は多くの人々にとって承服しかねるものであろうと思われるからです。ですが、とにかく書き留めて頂きたい。吾々も語るべき事は語らねばなりません。それをこれより簡略に述べてみましょう。
『ベールの彼方の生活④』キリストがガリラヤのイエスとして地上に降誕するまでの人類の進化は、知性においても力においても、男性の“右腕”による支配の線を辿っておりました。それが人類進化における男性的要素でした。他にも様々な要素があったにしても、それは本流に対する支流のようなもので→
『ベールの彼方の生活④』→進化の一般的潮流にとっては大して意味はありません。私はこれよりそうした細かい事は脇へ置いて、本流について語ります。イエスは地上に降り、人間社会の大混乱を鎮静させるためのオイルを注がれました。聞く耳をもつ者に、最後の勝利は腕力にせよ知力にせよ→
『ベールの彼方の生活④』→強き者の頭上に輝くのではなく、“柔和なる者が大地を受け継ぐ”(詩篇37・11)と説きました。“受け継ぐ”のです。“奪う”のではありません。お分りでしょう。イエスは人類の未来の事を語っていたのです。
『ベールの彼方の生活④』この言葉を耳にした者は実際的であると同時に美しくかつ真実である事を認めました。そして以来2千年近くにわたって両者を融合させようと努力して参りました。すなわち支配力に柔和さを継ぎ木しようとし、国内問題、国際問題、社会問題その他あらゆる面で両者をミックス→
『ベールの彼方の生活④』→させようとしたのです。が両者は今なお融合するに至っておりません。そこである者はキリスト教は公共問題においては無能であると言います。その結論は間違っております。キリストの教えは地上の人生において唯一永続性のある不変の真理です。
『ベールの彼方の生活④』人間は暴力と威圧による支配が誤りであった事を認識しました。が、それを改めるためにこれまでに行なってきた事は、その誤った要素はそのまま留めておいてそれを柔和さという穏かな要素によって柔らげる事でした。
『ベールの彼方の生活④』つまり一方では男性が相変わらずその支配的立場を維持しつつ、他方では女性的要素である柔和さによってその支配に柔らかさを加味しようと努力したのです。結果は失敗でした。あとは貴殿にも推察がつくでしょう。唯一残されたコースはその誤った要素を棄て、→
『ベールの彼方の生活④』→女性的要素である柔和さを地上生活における第1位の要素としていく事です。地球の過去は男性の過去でした。地球の未来は女性の未来です。女性は今、自分たちの性の保護のために何か新しいものの出現を期待する概念が体内から突き上げてくるのを感じております。
『ベールの彼方の生活④』それは感心しません。ひとりよがりの考えであり、従ってそうあってはならない事だからです。かの昔、1人の女性が救世主を生みましたが、それは“女性の”救世主としてではなく→
『ベールの彼方の生活④』→“全人類”の救世主として誕生しました。現在の女性の陣痛から生まれるものも同じものとなるでしょう。何か新しいものを求める気持の突き上げを感じて女性は子孫への準備に取りかかりました。男児のための衣服を作り始めております。私は今“男児”と言いました。
『ベールの彼方の生活④』女性が作りつつある衣服はやはり男性のためのものなのです。そのための布を求めに女性は、男性だけが売買をしている市場へ行って物々交換を申し出ました。“私たち女性にだって男性の仕事はできます”と言います。そのとき女性は自分が新しいブドウ酒を古い皮袋に→
『ベールの彼方の生活④』→入れているにすぎない事に気付いていません。いけません。女性が男性の立場に立つ事をしては両者とも滅びます。女性は男性がこれまでに学ばされてきた苦い体験から女性としての教訓を学び取らなくてはいけません。男性はどこに挫折の原因があったかを学びました。
『ベールの彼方の生活④』ではどうすべきかが分らぬまま迷っております。片方の手で過去をしっかりと握り、もう一方の手を未来へ向けて差し出しています。が、その手にはいまだに何も握られていません。過去を握りしめている手を放さない限り空をつかむばかりでしょう。
『ベールの彼方の生活④』女性は今、かつての男性が辿ったのと同じ道を辿ろうとしています。男性と対等に事を牛耳ろうとしています。しかし女性の未来はその方向にあるのではありません。女性が人類を支配する事にはなりません。単独ではもとより、男性と対等の立場でも支配する事にもなりません。
『ベールの彼方の生活④』これからは女性が主導(リード)する時代です。支配するのではありません。前にも述べた通り、これまでの地球の進化は物的なものへ向けての下降線を辿ってきました。そこでは男性が先頭に立ち、荒々しい闘争のために必要な甲冑がよく似合いました。
『ベールの彼方の生活④』が、その下降線も折り返し点に到達し、今まさにそこを後にして霊的発達へ向けて上昇を開始したところです。霊の世界には人間が考え出した(神学の)ような、ややこしい戒律による規制はありません。あるのはただ愛による導きのみです。
『ベールの彼方の生活④』地上にも、優位の立場からの支配は女性の性(さが)に不向きである事を悟った暁に女性が誘導(ガイダンス)によってリードしていく場があります。しかし、その女性主導の未来がどういうものであるかは、いかなる形にせよ説明するのはとても困難です。
『ベールの彼方の生活④』と言うのも、これまでのそうした主導権の概念は支配する者と支配される者、抑える者と従わされる者、といった2者の対立関係を含んでおりますが、これからの主導権にはそうした対立関係は含まれていないからです。この“主導”という用語からして既に一方が先を行き→
『ベールの彼方の生活④』→他方がその後に付いていくという感じ、一種の強制観念をもっています。これからの人類を待ち受けていると私が言っている主導はそれとは異なるものです。次のように説明すればどうでしょうか。それはイエス・キリストにおいて明白に体現されております。
『ベールの彼方の生活④』男性としての美質が1かけらの不快さも醜さも伴わずに体現されていると同時に、女性としての優しさが1かけらの弱々しさも伴わずに融合されております。未来は両者が、すなわち男性と女性とが、いかに完璧に一方が他方を吸収した形であっても、2つの性としてではなく、→
『ベールの彼方の生活④』→1つの性の2つの側面という形をとる事になります。力の支配するところでは“オレが先だ。お前は後に付いてこい”という事になります。愛の支配するところでは言葉は不要です。以心伝心で“最愛なる者よ、共に歩こう”という事になります。
『ベールの彼方の生活④』私の言わんとする事がこれでお分りと思います。【―分ります。ただ今日までの慣習に親しんできている者にとっては、一方が(優しく)手引きし他方が(素直に)付いて行くようでなければ進歩が得られないというのは、いささか理解が困難です。】
『ベールの彼方の生活④』おっしゃる通りです。今の言い回しにも苦心のあとが窺えます。今貴殿は地上でいう組織や整然とした規制、軍隊や大企業における上下の関係を思わせる語句を使用しておられます。もちろん天界においても整然たる序列が存在します。しかしそれは権力の大小ではなく、→
『ベールの彼方の生活④』→あらゆる力の背後に控えるもの―愛がそうあらしめるのです。実際においてそれが何を意味するかを次の事実から微かにでも心に描いてみて下さい。比喩的な意味ではなく実際の事実として、地上でいうところの高い者と低い者、偉大な者と劣等なる者は存在しません。
『ベールの彼方の生活④』地上から来たばかりの霊と天使との間にも必ず共通した潜在的要素が存在します。その意味で、若い霊も潜在的には天使と同じであるのみならず、さらに上の大天使、力天使、能天使とも同じであると言えるのです。(訳者注―ここではオーエンがキリスト教の牧師である事から)→
『ベールの彼方の生活④』→(神学における天使の分類用語を使用しているまでの事で、実際にそういう名称で呼ばれている訳ではない。要するに造化の仕事に直接携わっている高級霊と考えればよい)さらに、例えば天使と“父”との関係について言えば、地上的な観点からすれば当然天使の方が→
『ベールの彼方の生活④』→小さい存在ですが、天界全体として考えた時、両者の関係は1つの荘厳なる実在すなわち“絶対神”の中に吸収されてしまいます。そこにおいては天使も絶対神と一体となります。“より大きい”も“より小さい”もありません。それは外部にまとう衣服については言えましょう。
『ベールの彼方の生活④』宝石の“枠飾り”のようなものです。が、内奥の“至聖所”ではその差別はありません。その事はキリストの顕現の度に思い知らされる事です。すなわちキリストは確かに王であり吾々はその従臣です。しかしキリストはその王国全体と一体であり、その意味において→
『ベールの彼方の生活④』→従臣もその“王の座”を共有している事になるのです。キリストが命を下し、指揮し、吾々はその命に服し、指揮に従います。が、“命じられたから”そうするのではなく、キリストを“敬慕するから”であり、キリストもまた吾々を敬愛なさるからです。お分りでしょうか。
『ベールの彼方の生活④』ともかく、こうした天上的な洞察力の光を幾ばくかでも人類の未来へ向けて照射して頂きたい。きっとそこに、こうして貴殿に語りかけている吾々に啓示されているものを垣間見る事ができるでしょう。また次の事も銘記して下さい。
『ベールの彼方の生活④』理性というものは男性的資質に属し、従って私の言う未来を垣間見る手段としては不適当である事です。直感は女性的資質に属し、人間の携帯用望遠鏡のレンズとしては理性より上質です。思うに女性がその直感力をもって未来をどう読まれるにしても、理性的に得心がいかないと→
『ベールの彼方の生活④』→満足しない男性よりは、私が言わんとする事を素直に理解して下さるでしょう。女性は知的理解をしつこく求めようとしません。理屈にこだわらないのです。あまりその必要性がないとも言えます。直感力が具わっているからです。
『ベールの彼方の生活④』それで十分間に合いますし、これより先は女性と男性の双方にとってそれがさらに有益となっていく事でしょう。【―例によって寓話をお願いしたいですね。】ある金細工人が王妃の腕輪(ブレスレット)→
『ベールの彼方の生活④』→に付ける宝石としてルビーとエメラルドのどちらにしようかと思案しました。彼は迷いました。ルビーは王様がお好みであり、エメラルドは王妃がお好みだったからです。思案にあまった彼は妻を呼んで、どう思うかと聞いてみました。
『ベールの彼方の生活④』すると妻は“あたしだったらダイヤにする”と答えました。“なぜだ。ダイヤはどっちの色でもないぞ”と聞くと、“お持ちになってみられてはいかが?”と答えます。彼は言われた通りに持参してみる事にしました。恐るおそる宮殿を訪れてまず王様にお見せしたところ、→
『ベールの彼方の生活④』→“でかしたぞ。このダイヤはなかなかの透明度をしている。ルビーの輝きがあふれんばかりじゃ。さっそく妃のところへ持って行って見せてやってくれ”と言います。そこで王妃のところへ持って行くと王妃もことのほか喜ばれ、→
『ベールの彼方の生活④』→“なかなか宝石に目が高いのお。このダイヤはエメラルドの輝きをしている。さっそくそれでブレスレットを仕上げておくれでないか”とおっしゃいます。訳が分らないまま帰ってきた金細工人は、妻になぜ王妃はこのダイヤが気に入られたのだろうかと聞いてみました。
『ベールの彼方の生活④』すると妻は“お2人はどんなご様子だったのですか”と尋ねます。“お2人とも大そうお気に召されたんだ。王様はなかなか上質でルビーの色をしているとおっしゃり、王妃もなかなか上質でエメラルドの色をしているとおっしゃった”と彼は言いました。すると妻は答えました。
『ベールの彼方の生活④』“でもお2人のおっしゃる通りですよ。ルビー色もエメラルド色も、砕いてみれば何もない無色の中から出ているのであり、他にも数多くの色が混ざり合っているのです。愛はその底に全ての徳を融合させて含んでおり、1つ1つの徳が愛の光線の一条(ひとすじ)なのです。”→
『ベールの彼方の生活④』→“王様も王妃もその透明な輝きの中にお好みの色をご覧になられたのです。お2人が違う色をご覧になったからといって別に不思議に思われる事はありません。”
『ベールの彼方の生活④』“お互いの好みの色はその結晶体の中で融合し、自他の区別をなくして本来の輝きの中に埋没してしまっているのです。それはお2人が深く愛し合う仲だからですよ” アーネル†

『ベールの彼方の生活④』9章 男性原理と女性原理【1 キリストはなぜ男性として誕生したか】1919年3月21日 金曜日 貴殿に興味のありそうな話題は多々あるのですが、話が冗漫になるといけませんので割愛させて頂き、兄弟かきにせめぐ今日の危機(第1次世界大戦)→
『ベールの彼方の生活④』→(1914―18―訳者)に至らしめた大きな原因について述べようと思います。それはつまるところ、霊的なそしてよりダイナミックな活動をさしおいて、外面的な物的側面を高揚する傾向であったと言えます。
『ベールの彼方の生活④』その傾向が西洋人のあらゆる側面に浸透し、それがいつしか東洋人の思想や行動意志まで色濃く染め始めました。それは実際面にも表れるようになり、一般社会はもとより政治社会、さらには宗教界にも表れ、ついには芸術界すらその影響から逃れられなく→
『ベールの彼方の生活④』→なりました。すでにお話した物質と形態へ向けて“外部へ、下方へ”と進んできた宇宙(コスモス)の進化のコースを考え合わせて頂ければ、その事は別段不思議とは思えないでしょう。顕現としてのキリストについてもすでに述べました。
『ベールの彼方の生活④』私はこう述べました―いかなる惑星に誕生しようと、言いかえれば、地上への降誕と同じ意味でいかなる形態に宿ろうと、キリストはその使命を託された惑星の住民固有の“形態”を具えた、と。その事は降誕する“土地”についても言えますが、→
『ベールの彼方の生活④』→同時に降誕する“時代”についても言えます。ではこれより私は、ガリラヤのイエスとしての前回の地上への降誕について述べてみます。人間は次の事実すなわち、少なくとも吾々が知る限り“神性”において性の区別はない事、男性も女性もない事、→
『ベールの彼方の生活④』→なのにイエスは、いつの時代においても、かのガリラヤにおいても“男性として降誕した”という事実のもつ重要性を見落としております。私はこれよりその謎について説明してみます。これまでの全宇宙の進化は“自己主張”すなわち形体をもって自己を顕現→
『ベールの彼方の生活④』→する方向へ向かってまいりました。絶対的精髄である霊は、本来、人間が理解している意味での形体はありません。悠久の(形態上の)進化もようやく最終的段階を迎えておりますが、その間のリーダーシップを握ったのは男性であり、女性ではありませんでした。
『ベールの彼方の生活④』それには必然性があったのです。自己主張は本来男性的な傾向であり、女性的ではないからです。男性は個性を主張し、その中に自分の選んだ女性を組み入れて行こうとします。その女性を他の女性から隔絶して保護し、育み、我がものとしていきます。
『ベールの彼方の生活④』我が意志が彼女の意志―つまり女性は自分の意志の全てを男性の意志に従わせます。その際、男性の性格の洗練度が高いか低いかによって女性に対する自己主張の仕方に優しさと愛が多くもなり少なくもなります。しかし、その洗練というものは→
『ベールの彼方の生活④』→男性的理想ではなく女性的理想へと向かうものです。この点をよく注意して下さい。大切な意味があるのです。そこで地球について言えば―このたびは他の天体の事には言及しません―悠久の進化の過程において、身体的にも知性的にも力による支配の原理が→
『ベールの彼方の生活④』→表現されてきました。この二元的な力の表現が政治、科学、社会その他あらゆる分野での進歩の推進的要素となってきました。それが現代に至るまでの地上生活の主導的原理でした。人類の旗には“男性こそリーダー”の紋章が描かれておりました。
『ベールの彼方の生活④』キリストが女性としてでなく男性として地上へ誕生したのはそのためでした。しかし、男性支配の時代はやっとそのクライマックスを過ぎたばかりです。と言うよりは、今まさにそれを越えつつあります。
『ベールの彼方の生活④』そのクライマックスが外部へ向けて表現されたのが前回の大戦でした。  ―その大戦の事はすでに多くを語って頂いております。これからまたその話をなさるのではないでしょうね。  →多くは語るつもりはありません。しかし私がその惨事について黙する事は→
『ベールの彼方の生活④』→その大戦で頂点を迎えた、人類の進化に集約される数々の重大な軌跡を語らずに終わる事になります。その軌跡が大戦という形で発現したのは当然の成り行きであり不可避の事だったのです。冷静に見つめれば、自己主張の原理の良い面は男性的生活態度が→
『ベールの彼方の生活④』→“創造主”の面影をほうふつとさせる事ですが、それは反面において自分一人の独占・吸収という野蛮な側面ともなりかねない事が分かるでしょう。洗練された性格の男性は女性に対して敬意を抱きますが、野獣的男性は女性に対して優位のみを主張します。
『ベールの彼方の生活④』同じ意味で、洗練された国家は他の国家に対して有益な存在である事を志向し、相手が弱小国であれば力を貸そうとするものです。が、野蛮な国家はそう考えず、弱小国を隷属させ自国へ吸収してしまおうとする態度に出ます。
『ベールの彼方の生活④』しかし、程度が高いにせよ低いにせよ、その行為はあくまでも男性的であり、その違いは性質一つにかかっております。善性が強ければ与えようとし、邪性が強ければ奪おうとします。が、与える事も奪う事も男性的性向のしからしむるところであり、→
『ベールの彼方の生活④』→女性的性向ではありません。与える事は男性においては美徳とされますが、女性においては至極当たり前の事です。男性は功徳を積む事になりますが、女性はもともとその性向を女性本能の構成要素の中に含んでおります。
『ベールの彼方の生活④』キリストはこの自己主張の原理を自ら体現してみせました。それが人類救済の主導的原理だったのです。男性としてキリストも要求すべきものは要求し、我がものとすべきものは我がものとしました。これは女性のする事ではありません。
『ベールの彼方の生活④』が、徹底的にその原理を主張してしまうと、今度は男性の義務として、全てを放棄し全てを与えました。が、その時のキリストは男性としての理想に従っているのではなく女性としての理想に従っているのです。
『ベールの彼方の生活④』しかも女性としての理想に従っていながら、いっそう完全なる男性でもあるのです。このパラドックスはいずれ根拠を明らかにしますが、まずはイエス・キリストの言葉を2、3引用し、キリストが身体的には男性でありながら、男性と女性の双方の要素が→
『ベールの彼方の生活④』→連帯して発揮されている、完全なる“神性の顕現”である事をお示ししましょう。「人、その友のために己れを棄つる、これに優る愛はなし」(ヨハネ15・13)確かにそうですが、それは男性的な愛です。それよりさらに大なる愛が存在します。
『ベールの彼方の生活④』それは敵のために己れの生命を棄てる事です。自分を虐待する男になおもしがみつこうとする女性の姿を見ていて私は、そこに女性特有の(友のために捧げる愛よりも偉大な)憎き相手に捧げる愛を見るのです。イエスは自分を虐待する者たちのために自分の生命を棄てました。
『ベールの彼方の生活④』私にはそれはイエスの本性に宿る男性的要素ではなく女性的要素が誘発したように思えるのです。また、なぜ「奪うより与える方が幸福」(使徒行伝20・35)なのか。男性にとってはこの言葉は観念的にも実際的にも理解が困難ですが、女性にとっては容易にそして自然に理解が→
『ベールの彼方の生活④』→いきます。男性はそれが真実である事に同意はしても、なお奪い続けようとするものです。女性は与えるという行為の中に喜びを求めます。受けたものを何倍にもして返さないと気が済まないのです。この事を考え合わせれば、今だに論争が続いている例の奇蹟に敬虔の念を→
『ベールの彼方の生活④』→覚えられる事でしょう。つまり、僅かなパンを何十倍にも増やして飢えをしのがせた行為も同じ女性的愛から発していたのです。しかしこの問題はこれ以上深入りしないでおきましょう。私が言いたかった事をまとめると次のような事になります。
『ベールの彼方の生活④』つまりこれまでの地上世界は全ての面において英雄的行為が求められる段階にあったという事。従って“雄々しい力”という言葉が誰の耳にも自然な響きをもって聞こえ、“女々しい力”という言い方から受ける妙な響きはありません。
『ベールの彼方の生活④』しかし男性は神威の“1つの側面”―片面にすぎないのです。その側面がこれまでの永い地上の歴史の中で存分に発揮されてきました。が、これより人類が十全な体験を積むためには、もう一方の側面を発揮しなければなりません。
『ベールの彼方の生活④』これまでは男性が先頭に立って引っぱってきました。そしてそれなりの所産を手にしました。これからの未来にはそれとは異質の、もっと愉しい資質が用意されております。  アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【4 イエス・キリストとブッダ・キリスト】【1919年3月19日 水曜日】キリストについての地上的概念の解体作業はこうして進行していきましたが、これはすでに述べた物質科学の進歩ともある種の関連性があります。とは言え、それとこれとはその過程が異なりました。
『ベールの彼方の生活④』しかし行き着くところ、吾々の目標とするところは同じです。関連性があるといったのは一般的に物的側面を高揚し、純粋な霊的側面を排除しようとする傾向です。この傾向は物質科学においては内部から出て今では物的領域を押し破り、霊的領域へと進入しつつあります。
『ベールの彼方の生活④』一方キリスト観においては外部から働きかけ、樹皮をはぎ取り、果肉をえぐり取り、わずかながら種子のみが残されておりました。しかしその種子にこそ生命が宿っており、いつかは芽を出して美事な果実を豊富に生み出す事でしょう。しかし人間の心はいつの時代にあっても→
『ベールの彼方の生活④』→ひとつの尺度をもって一概に全世界の人間に当てはめて評価すべきものではありません。そこには自由意志を考慮に入れる必要があります。ですからキリストの神性についての誤った概念を一挙にはぎ取る事は普遍的必要性とは言えません。イエスはただの人間にすぎなかった→
『ベールの彼方の生活④』→という事を教えたがために、宇宙を経綸するキリストそのものへの信仰までも全部失ってしまいかねない人種もいると吾々は考えました。そこで、信仰そのものは残しつつも信仰の中身を改める事にしました。でも、いずれそのうちイエスがただの人間だったとの説を耳にします。
『ベールの彼方の生活④』そして心を動揺させます。しかし事の真相を究明するだけの勇気に欠けるために、その問題を脇へ置いてあたかも難破船から放り出された人間が破片にしがみついて救助を求める如くに、教会の権威にしがみつきます。一方、大胆さが過ぎて、これで“キリストの謎”が全て解けたと→
『ベールの彼方の生活④』→豪語する者もいます。彼らは“キリストは人間だった。ただの人間にすぎなかった”というのが解答であると言います。しかし貴殿もよく注意されたい。かく述べる吾々も、この深刻な問題について究明してきたのです。教えを乞うた天使も霊格高きお方ばかりであり、→
『ベールの彼方の生活④』→叡智に長けておられます。なのになお吾々は、その問題について最終的解決を見出しておらず、高級界の天使でさえ、吾々に比べれば遙かに多くの事を知っておられながら、まだ全ては知り尽くされていないとおっしゃるほどです。地上の神学の大家たちは→
『ベールの彼方の生活④』→絶対神についてまでもその本性と属性とを事細かにあげつらい、しかも断定的に述べていますが、吾々よりさらに高き界層の天使ですら、絶対神はおろかキリストについても、そういう畏れ多い事は致しません。それはそうでしょう。親羊は陽気にたわむれる子羊のように→
『ベールの彼方の生活④』→威勢よく突っ走る事は致しません。が、子羊よりは威厳と同時に叡智を具えております。さて信仰だけは剥奪せずにおく方がいい人種がいるとはいえ、その種の人間からはキリストの名誉回復は望めません。それは大胆不敵な人たち、思い切って真実を直視し驚きの体験をした→
『ベールの彼方の生活④』→人たちから生まれるのです。前者からもある程度は望めますが、大部分は少なくとも偏見を混じえずに“キリスト人間説”を読んだ人から生まれるのです。むろんそれぞれに例外はあります。私は今一般論として述べているまでです。実は私はこの問題を出すのに躊躇して→
『ベールの彼方の生活④』→おりました。キリスト教徒にとっては根幹に関わる重大性をもっていると見られるからです。他ならぬ“救世主”が表面的には不敬とも思える扱われ方をするのを聞いて心を痛める人が多い事でしょう。それはキリストに対する愛があればこそです。それだけに私は躊躇する→
『ベールの彼方の生活④』→のですが、しかしそれを敢えて申し上げるのも、やむにやまれぬ気持からです。願わくはキリストについての知識がその愛ほどに大きくあってくれれば有難いのですが…。と言うのも、彼らのキリストに対する帰依の気持は、キリスト本来のものではない単なる想像的産物に→
『ベールの彼方の生活④』→すぎないモヤの中から生まれているからです。いかに真摯であろうと、あくまでも想像的産物である事に変わりはなく、それを作り上げたキリスト教界への帰依の心はそれだけ価値が薄められ容積が大いに減らされる事になります。
『ベールの彼方の生活④』その信仰の念もキリストに届く事は届きます。しかしその信仰心には恐怖心が混じっており、それが効果を弱めます。それだけに、願わくはキリストへの愛をもってその恐怖心を棄て去り、たとえ些細な点において誤っていようと、キリストの真実について考えようとする者を、→
『ベールの彼方の生活④』→キリストはいささかも不快に思われる事はないとの確信が持てるまでに、キリストへの愛に燃えて頂きたいのです。吾々もキリストへの愛に燃えております。しかも恐れる事はありません。なぜなら吾々は所詮キリストの全てを理解する力はない事、謙虚さと誠意をもって臨めば→
『ベールの彼方の生活④』→キリストについての真実をいくら求めようと、それによる災いも懲罰も有り得ぬ事を知っているからです。同じ事を貴殿にも望みたいのです。そしてキリストはキリスト教徒が想像するより遙かに大いなる威厳を具えた方であると同時に、その完全なる愛は人間の想像を→
『ベールの彼方の生活④』→遙かに超えたものである事を確信なさるがよろしい。【キリストは地上に数回にわたって降誕しておられるという説があります。たとえば(ヒンズー教の)クリシュナや(仏教の)ブッダなどがそれだというのですが、本当でしょうか】事実ではありません。
『ベールの彼方の生活④』そんなに、あれやこれやに生まれ変わってはおりません。その事を詮索する前に、キリストと呼ばれている存在の本性と真実について理解すべきです。とは言え、それは吾々にとっても、吾々より上の界の者にとっても未だに謎であると、さきほど述べました。そういう次第ですから→
『ベールの彼方の生活④』→せめて私の知る限りのことをお伝えしようとすると、どうしても自家撞着(パラドックス)に陥ってしまうのです。ガリラヤのイエスとして顕現しそのイエスを通して父を顕現したキリストがブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの説は真実ではありません。
『ベールの彼方の生活④』またキリストという存在が唯一でなく数多く存在するというのも真実ではありません。イエス・キリストは父の1つの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。
『ベールの彼方の生活④』人間も1人1人が造物主の異なれる側面の顕現です。しかし全ての人間が共通したものを有しております。同じようにイエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有しております。しかし顕現の大きさから言うとイエス・キリストの方が→
『ベールの彼方の生活④』→ブッダ・キリストに優ります。が、真のキリストの顕現である点においては同じです。この2つの名前つまりイエス・キリストとブッダ・キリストを持ち出したのはたまたまそうしたまでの事で、他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、その全てに右に述べた事が→
『ベールの彼方の生活④』→当てはまります。貴殿が神の心を見出さんとして天界へ目を向けるのは結構です。しかしたとえばこのキリストの真相の問題などで思案に余った時は、バイブルを開いてその素朴な記録の中に“兄貴として”また“友人として”の主イエスを見出されるがよろしい。
『ベールの彼方の生活④』その孤独な男らしさの中に崇拝の対象とするに足る神性を見出す事でしょう。差し当たってそれを地上生活の目標としてイエスと同等の完璧さを成就する事ができれば、こちらへ来られた時に主はさらにその先を歩んでおられる事を知る事になります。天界へ目を馳せ憧憬を抱くのは→
『ベールの彼方の生活④』→結構ですが、その時にも、すぐ身の回りも驚異に満ち慰めとなるべき優しさにあふれている事を忘れてはなりません。ある夏の事です。2人の女の子が家の前で遊んでおりました。家の中には祖母(ばあ)ちゃんがローソクの光で2人の長靴下を繕っておりました。
『ベールの彼方の生活④』そのうち片方の子が夜空を指さして言いました。「あの星はあたしのものよ。ほかのよりも大きくて明るいわ。メアリ、あなたはどれにする?」するとメアリが言いました。「あたしはあの赤いのにするわ。あれも大きいし、色も素敵よ。ほかの星のように冷たい感じが」→
『ベールの彼方の生活④』→「しないもの」こうして2人は言い合いを始めました。どっちも譲ろうとしません。それでついに2人はばあちゃんを外に呼び出して、どれが一番素敵だと思うかと尋ねました。ばあちゃんならきっとどれかに決めてくれると思ったのです。ところがばあちゃんは→
『ベールの彼方の生活④』→夜空を見上げようともせず、相変わらず繕いを続けながらこう言いました。「そんな暇はありませんよ。お前たちの長靴下の繕いで忙しいんだよ。それに、そんな必要もありませんよ。あたしはあたしの一番好きな星に腰かけてるんだもの」→
『ベールの彼方の生活④』→「これがあたしには一番重宝してるよ」 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【3 キリストについての認識の浄化】【1919年3月18日 火曜日】前回はキリストについて語り、キリスト教徒がそうと思い込んでいるものより大きな視野を指摘しました。今回もその問題をもう少し進めてみたいと思います。実は吾々キリスト教界を担当する霊団は→
『ベールの彼方の生活④』→いよいよ地球に近づいた時点で一旦停止しました。吾々の仕事の様々な側面をいっそう理解するために、全員に召集令が出されたのです。集合するとキリスト自らお出ましになり、吾々の面前でその形体をはっきりお見せになりました。中空に立たれて全身を現されました。
『ベールの彼方の生活④』その時の吾々の身体的状態はそれまで何度かキリストが顕現された時よりも地上的状態に近く、それだけにその時のキリストのお姿も物的様相が濃く、また細かいところまで表に出ておりました。ですから吾々の目にキリストのローブがはっきりと映りました。
『ベールの彼方の生活④』膝のところまで垂れておりましたが、腕は隠れておらず何も付けておられませんでした。吾々は一心にそのローブに注目しました。なぜかと言えば、そのローブに地上の人間が様々な形で抱いているキリストへの感情が反映していたからです。それがどういう具合に吾々に→
『ベールの彼方の生活④』→示されたかと問われても、それは地上の宗教による崇拝の念と教理から放出される光が上昇してそのローブを染める、としか言いようがありません。言わば分光器のような働きをして、その光のもつ本質的要素を分類します。それを吾々が分析してみました。
『ベールの彼方の生活④』その結果分かった事は、その光の中に真の無色の光線が1本も見当たらないという事でした。いずれもどこか汚れており、同時に不完全でした。吾々はその問題の原因を長期間かけて研究しました。それから、いかなる矯正法をもってそれに対処すべきかが明らかにされました。
『ベールの彼方の生活④』それは荒療治を必要とするものでした。人間はキリストからその栄光を奪い取り、代って本来のものでない別の栄光を加える事をしていたのです。が加えられた栄光はおよそキリストにふさわしからぬ“まがいもの”でした。やたらと勿体ぶったタイトルと属性ばかりが目につき、→
『ベールの彼方の生活④』→響きだけは大げさで仰々しくても、内実はキリストの真の尊厳を損なうものでした。【例を挙げていただけませんか。】キリスト教ではキリストの事を神(ゴッド)と呼び、人間を超越した存在であると言います。これは言葉の上では言い過ぎでありながら、その意味においては→
『ベールの彼方の生活④』→なお言い足りておりません。キリストについて2つの観点があります。1つの観点からすれば、キリストは唯一の絶対神ではありません。至尊至高の神性を具えた最高神界の数ある存在のおひとりです。父と呼んでいる存在はそれとは別です。それは人間が思考しうる限りの→
『ベールの彼方の生活④』→究極の実在の表現です。従って父はキリストより大であり、キリストは父に所属する存在であり神の子です。しかし別の実際的観点からすれば、吾々にとってキリストは人間が父なる神に帰属させているいかなる権能、いかなる栄光よりも偉大なものを所有する存在です。
『ベールの彼方の生活④』キリスト教徒にとって最高の存在は全知全能なる父です。この全知全能という用語は響きだけは絶大です。しかしその用語に含ませている観念は、今こうして貴殿に語っている吾々がこちらへ来て知るところとなったキリストの真の尊厳に比べれば貧弱であり矮小です。
『ベールの彼方の生活④』その吾々ですらまだ地上界からわずか10界しか離れていません。本当のキリストの尊厳たるや、果たしていかばかりのものでしょうか。キリスト教ではキリストは父と同格である、と簡単に言います。キリスト自身はそのような事は決して述べていないのですが、→
『ベールの彼方の生活④』→さらに続けてこう言います―しかるに父は全能の主である、と。ではキリストに帰属すべき権能はいったい何が残されているのでしょう。人間はまた、キリストはその全存在をたずさえて地球上へ降誕されたのであると言います。そう言っておきながら、天国の全てを→
『ベールの彼方の生活④』→もってしてもキリストを包含する事はできないと言います。こうした事をこれ以上あげつらうのは止めましょう。私にはキリストに対する敬愛の念があり、畏怖の念をもってその玉座の足台にひざまずく者であるからには、そのキリストに対して当てられるこうした→
『ベールの彼方の生活④』→歪められた光をかき集める事は不愉快なのです―たまらなく不愉快なのです。そうした誤った認識のために主のローブは全く調和性のない色彩のつぎはぎで見苦しくなっております。もしも神威というものが外部から汚されるものであれば、その醜い色彩で主を汚してしまった→
『ベールの彼方の生活④』→事でしょう。が、その神聖なるローブが主の身体を守り醜い光をはね返し、それが地球を包む空間に戻されたのです。主を超えて天界へと進入する事態には至らなかったのです。下方へ向けて屈折させられたのです。それを吾々が読み取り、研究材料としたのです。
『ベールの彼方の生活④』吾々に明かされた矯正法は、ほかでもない、“地上的キリストの取り壊し”でした。まさにその通りなのですが、何とも恐ろしい響きがあります。しかしそれは同時に、恐ろしい現実を示唆している事でもあります。説明しましょう。建物を例にしてお話しすれば、→
『ベールの彼方の生活④』→腕の良くない建築業者によって建てられた粗末なものでも建て直しのきく場合があります。全部取り壊さずに建ったまま修復できます。が一方、全部そっくり解体し、基礎だけを残して全く新しい材料で建て直さなければならないものもあります。
『ベールの彼方の生活④』地上のキリスト観は後者に相当します。本来のキリストの事ではありません。神学的教義、キリスト教的ドグマによって“でっち上げられたキリスト”の事です。今日キリスト教徒が信じている教義の中のキリストは“本来のキリスト”とは似ても似つかぬものです。
『ベールの彼方の生活④』ぜひとも解体し基礎だけを残して、残骸を片づけてしまう必要があります。それから新たな材料を用意し、光輝ある美しい神殿を建てるのです。キリストがその中に玉座を設けられるにふさわしい神殿、お座りになった時にその頭部をおおうにふさわしい神殿を建てるのです。
『ベールの彼方の生活④』この事―ほんの少し離れた位置から私が語りかけている事を、今さらの如く脅威に思われるには及びません。この事は既に幾世紀にもわたって進行してきている事です。ヨーロッパ諸国ではまだ解体が完了するに至っておりませんが、引き続き進行中です。
『ベールの彼方の生活④』地上の織機によって織られた人間的産物としての神性のローブをお脱ぎになれば、天界の織機によって織られた王威にふさわしいローブ―永遠の光がみなぎり、愛の絹糸によって柔らか味を加え、天使が人間の行状を見て落とされた涙を宝石として飾られたローブを→
『ベールの彼方の生活④』→用意しております。その涙の宝石は父のパビリオンの上がり段の前の舗道に蒔かれておりました。それが愛の光輝によって美しさを増し、その子キリストのローブを飾るにふさわしくなるまでそこに置かれているのです。それは天使の大いなる愛の結晶だからです。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【2 宗教界の浄化】【1919年3月17日 月曜日】次に浄化しなければならない要素は宗教でした。これは専門家たちがいくら体系的知識であると誇り進歩性があると信じてはいても、各宗教の創始者の言説が束縛のロープとなって真実の理解の障害となっておりました。
『ベールの彼方の生活④』分かりやすく言えば、私が地上時代にそうであったように(4章2参照)ある一定のワクを超える事を許されませんでした。そのワクを超えそうになるとロープが―方向が逆であればなおの事強烈に―その中心へつながれている事を教え絶対に勝手な行動が許されない事を→
『ベールの彼方の生活④』→思い知らされるのでした。その中心が他でもない、“組織としての宗教の創始者”であると私は言っているのです。イスラム教がそうでしたし、仏教がそうでしたし、キリスト教もご多分にもれませんでした。狂信的宗教家が口にする言葉はなかなか巧みであり、→
『ベールの彼方の生活④』→イエスの時代のユダヤ教のラビ(律法学者)の長老たちと同じ影響力を持っているだけに吾々は大いに手こずりました。吾々は各宗教のそうした問題点を細かく分析した結果、その誤りの生じる一大原因を突き止めました。私は差し当たって金銭欲や権力欲、狂信という言わば→
『ベールの彼方の生活④』→“方向を間違えた真面目さ”、自分は誠実であると思い込んでいる者に盲目的信仰を吹き込んでいく偽善、こうした派生的な二次的問題は除外します。そうした事はイスラエルの庶民や初期の教会の信者たちによく見られた事ですし、さらに遠くさかのぼってもよくあった事です。
『ベールの彼方の生活④』私はここではそうした小さな過ちは脇へ置いて、最大の根本的原因について語ろうと思います。吾々は地球浄化のための一大軍勢を組織しており、相互に連絡を取り合っております。が各小班にはそれぞれの持ち場があり、それに全力を投入する事になっております。
『ベールの彼方の生活④』私はかつて地上でキリスト教国に生をうけましたので、キリスト教という宗教組織を私の担当として割り当てられました。それについて語ってみましょう。私のいう一大根本原因は次のような事です。地上ではキリストの事をキリスト教界という組織の創始者であるかのような→
『ベールの彼方の生活④』→言い方をします。が、それはいわゆるキリスト紀元(西暦)の始まりの時期に人間が勝手にそう祭り上げたに過ぎず、以来今日までキリスト教の発達の頂点に立たされてきました。道を求める者がイエスの教えに忠実たらんとして教会へ赴き、あの悩みこの悩みについて→
『ベールの彼方の生活④』→指導を求めても、その答えはいつも“主のもとに帰り主に学びなさい”と聞かされるだけです。そこで、ではその主の御心はどこに求めるべきかを問えば、その答えは決まって1冊の書物―イエスの言行録であるバイブルを指摘するのみです。
『ベールの彼方の生活④』その中に書かれているもの以外は何一つ主の御心として信じる事を許されず、結局はそのバイブルの中に示されている限りの主の御心に沿ってキリスト教徒の行いが規制されていきました。かくしてキリスト教徒は1冊の書物に縛りつけられる事になりました。
『ベールの彼方の生活④』なるほど教会へ行けばいかにもキリストの生命に満ち、キリストの霊が人体を血液がめぐるように教会いっぱいに行き渡っているかに思えますが、しかし実はその生命は(1冊の書物に閉じこめられて)窒息状態にあり、身体は動きを動きを停止し始め、ついには→
『ベールの彼方の生活④』→その狭苦しい軌道範囲をめぐりながら次第に速度を弱めつつありました。記録に残っているイエスの言行が貴重な遺産である事は確かです。それは教会にとって不毛の時代を導く一種のシェキーナ(ユダヤ教の神ヤハウェが玉座で見せた後光に包まれた姿―訳者)のごとき→
『ベールの彼方の生活④』→ものでした。しかし、よく注意して頂きたいのは、例のシェキーナはヤコブの子ら(ユダヤ民族)の前方に現れて導いたのです。その点、新約聖書は前方に現れたのではなく、後になって崇められるようになったものです。それが放つ光は丘の上の灯台からの光にも似て確かに→
『ベールの彼方の生活④』→真実の光ではありましたが、それは後方から照らし、照らされた人間の影が前方に映りました。光を見ようとすれば振り返って後方を見なければなりません。そこに躓きのもとがありました。前方への道を求めて後方へ目をやるというのは正常なあり方ではありません。
『ベールの彼方の生活④』そこに人間が自ら犯した過ちがありました。人間はこう考えたのです―主イエスはわれらの指揮者(キャプテン)である。主がわれらの先頭に立って進まれ、われらはそのあとに付いて死と復活を通り抜けて主の御国へ入るのである、と。が、そのキャプテンの姿を求めて→
『ベールの彼方の生活④』→彼らは回れ右をして後方へ目をやりました。それは私に言わせれば正常ではなく、また合理性にもそぐわないものでした。そこで吾々は大胆不敵な人物に働きかけて援助しました。ご承知の通りイエスは自分より大きい業を為すように前向きの姿勢を説き、後ろから→
『ベールの彼方の生活④』→駆り立てるのではなく真理へ手引きする自分に付いてくるように言いました。(※)その事に着目し理解して、イエスの導きを信じて大胆に突き進んだ者がいました。彼らは仲間のキリスト教者たちから迫害を受けました。しかし次の世代、さらにその次の世代になって、→
『ベールの彼方の生活④』→彼らの蒔いたタネが芽を出しそして実を結びました。(※ヨハネ14・12)これでお分かりでしょう。人間が犯した過ちは生活を精神的に束縛した事です。生ける生命を1冊の書物によってがんじがらめにした事です。バイブルの由来と中身をあるがままに見つめずに―→
『ベールの彼方の生活④』→それはそれなりに素晴らしいものであり、美しいものであり、大体において間違ってはいないのですが―それが真理の全てであり、その中には何一つ誤りはないと思い込んだのです。しかしキリストの生命はその後も地上に存続し、今日なお続いております。
『ベールの彼方の生活④』4人の福音書著者(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)によって伝えられたバイブルの中のわずかな言行は、およそキリスト教という流れの始源などではあり得ません。その先の広い真理の海へと続く大きい流れの接点で立てている“さざ波”程度のものにすぎません。
『ベールの彼方の生活④』その事に人間は今ようやく気づき始めています。そしてキリストは遠い昔の信心深き人々に語りかけたように今も語りかけて下さる事を理解し始めております。そう理解した人たちに申し上げたい―迷わず前進されよ。後方よりさす灯台の光を有り難く思いつつも、→
『ベールの彼方の生活④』→同時に前方にはより輝かしい光が待ち受けている事を、それ以上に有り難く思って前進されよ、と。なぜなら当時ナザレ人イエスがエルサレムにおられたと同じように今はキリストとして前方にいらっしゃるからです。(後方ではなく)前方を歩んでおられるのです。
『ベールの彼方の生活④』恐れる事なくその後に付いて行かれる事です。手引きして下さる事を約束しておられるのです。後に付いて行かれよ。躊躇しても待っては下さらないであろう。福音書に記された事を読むのも結構であろう。が、前向きに馬を進めながら読まれるがよろしい。
『ベールの彼方の生活④』“こうしてもよろしいか、ああしてもよろしいか”と、あたかもデルポイの巫女に聞くが如くに、いちいち教会の許しを乞う事はお止めになる事です。そういう事ではなりません。人生の旅に案内の地図(バイブル)を携えて行かれるのは結構です。進みつつ馬上で開いて→
『ベールの彼方の生活④』→ご覧になるがよろしい。少なくとも地上を旅するのには間に合いましょう。細かい点においては時代遅れとなっているところがありますが、全体としてはなかなかうまく且つ大胆に描かれております。しかし新しい地図も出版されている事を忘れてはなりません。
『ベールの彼方の生活④』ぜひそれを参照して、古いものに欠けているところを補って下さい。しかし、ひたすら前向きに馬を進める事です。そして、もしも再び自分を捕縛しようとする者がいたら、全身の筋肉を引き締め、膝をしっかりと馬の腹に当てて疾駆させつつ、後ろから投げてかかるロープを→
『ベールの彼方の生活④』→振り切るのです。残念ながら、前進する勇気に欠け前を疾走した者たちが上げていったホコリにむせかえり、道を間違えて転倒し、そして死にも似た睡眠へと沈み込んで行く者がいます。その者たちに構っている余裕はありません。なぜなら先頭を行くキャプテンはなおも→
『ベールの彼方の生活④』→先を急ぎつつ、雄々しく明快なる響きをもって義勇兵を募っておられるのです。その御声を無駄に終わらせてはなりません。その他の者たちの事は仲間が大勢いる事ですから同情するには及ばないでしょう。死者は死者に葬らせるがよろしい(マタイ8・22)
『ベールの彼方の生活④』そして死せる過去が彼らを闇夜の奥深くへ埋葬するに任せるがよろしい。しかし前方には夜が明けつつあります。まだ地平線には暗雲が垂れ込めておりますが、それもやがて太陽がその光の中に溶け込ませてしまう事でしょう―すっかり太陽が上昇しきれば、→
『ベールの彼方の生活④』→そしてその時が至れば全ての人間は、父が子等をひとり残らず祝福すべくただ1個の太陽を天空に用意された事に気づく事でしょう。その太陽を人間は、ある者は北から、ある者は南から、その置かれた場所によって異なる角度から眺め、従ってある者にとってはより明るく、→
『ベールの彼方の生活④』→ある者にとってはより暗く映じる事になります。しかし眺めているのは同じ太陽であり、地球への公平な恩寵として父が給わった唯一のものなのです。また父は民族によって祝福を多くしたり少なくしたりする事もなさりません。地上の四方へ等しくその光を放ちます。
『ベールの彼方の生活④』それをどれだけ各民族が自分のものとするかは、それぞれの位置にあって各民族の自由意志による選択にかかった問題です。以上の比喩を正しくお読み下されば、キリストがもし一宗教にとって太陽の如きものであるとすれば、それは全ての宗教にとっても必然的に同じもので→
『ベールの彼方の生活④』→あらねばならない事に理解がいくでしょう。なんとなれば太陽は少なくとも人間の方から目を背けない限りは、地球全土から見えなくなる事は有り得ないからです。確かに時として陽の光が遮られる事はあります。しかし、それも一時の事です。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』8章 地球浄化の大事業【1 科学の浄化】【1919年3月12日 水曜日】さて、今やキリストの軍勢に加わった吾々はキリストの後について降下しました。幾つかの序列に従った配置についたのですが、言葉による命令を受けてそうしたのではありません。
『ベールの彼方の生活④』それまでの鍛錬によって、直接精神に感応する指示によって自分の持ち場が何であるか、何が要求されているかを理解する事ができます。それで、キリストとの交霊によって培われた霊感に従って各自が迷う事なくそれぞれの位置に付き、それぞれの役割に取りかかりました。
『ベールの彼方の生活④』ではここで、地球への行軍の様子を簡単に説明しておきましょう。地球の全域を取り囲むと吾々は、その中心部へ向けて一斉に降下して行きました。こういう言い方は空間の感覚―3次元的空間の発想です。吾々の大計画の趣旨を少しでも理解して頂くには、こうするより他に→
『ベールの彼方の生活④』→方法がないのです。キリストそのものは、既に述べましたように“偏在”しておりました。絶大な機能をもつ最高級の大天使から最下層の吾々一般兵士に至るまでの、巨万の大軍の1人1人の中に“同時に存在した”のです。自己の責務について内部から霊感を受けていても、→
『ベールの彼方の生活④』→外部においては整然とした序列による戦闘隊形が整えられておりました。最高の位置にいてキリストに最も近い天使から(キリストからの)命が下り、次のランクの天使がそれを受けてさらに次のランクへと伝達されます。その順序が次々と下降して、吾々はそれをすぐ上の→
『ベールの彼方の生活④』→ランクの者から受け取る事になります。その天使たちは姿も見えます。姿だけでしたら大体3つ上の界層の者まで見えますが、指図を受けるのは、よくよくの例外を除けば、すぐ上の界層の者からに限られます。さて吾々第10界の者がキリストの後について第9界までくると、→
『ベールの彼方の生活④』→吾々なりの活動を開始しました。まず9界全域にわたってその周囲を固め、徐々に内部へ向けて進入しました。するとキリストとその従者が吾々の界に到着された時と同じ情景がそこでも生じました。9界に比べて幾分かでも高い霊性を駆使して吾々は、その界の弱い部分を→
『ベールの彼方の生活④』→補強したり、歪められた部分を正常に修復したりしました。それが終了すると、続いて第8界へと向かうのでした。それだけではありません。9界での仕事が完了すると、ちょうど11界の者と吾々10界の者との関係と同じ関係が、吾々と9界の者との間に生じます。
『ベールの彼方の生活④』つまり9界の者は吾々10界の者の指図を受けながら、吾々の後について次の8界へ進みました。8界を過ぎると、8界の者は吾々から受けた指図をさらに次の7界の者へと順々に伝達していきます。かくしてこの過程は延々と続けられて、吾々はついに地球圏に含まれる→
『ベールの彼方の生活④』→3つの界層を含む大気の中へと入って行きました。そこまでは各界から参加者を募り、1人1人をキリストの軍勢として補充していきました。しかしここまで来ていったんそれを中止しました。と言うのは、地球に直接つながるこの3つの界層は、一応、1つの境涯として→
『ベールの彼方の生活④』→扱われます。なぜなら地球から発せられる鈍重な悪想念の濃霧に包まれており、吾々の周囲にもそれがひしひしと感じられるのです。黙示録にいう大ハルマゲドン(善と悪との大決戦―16・16)とは実にこの事です。吾々の戦場はこの3つの界層にまたがっていたのです。
『ベールの彼方の生活④』そしてここで吾々はいよいよ敵からの攻撃を受ける事になりました。その間も地上の人間はそうした事に一向にお構いなく過ごし、自分たちを取り巻く陰湿な霊気を突き通せる人間は極めて稀にしかいませんでした。が、吾々の活動が進むにつれてようやく霊感によって吾々の存在を→
『ベールの彼方の生活④』→感じ取る者、あるいは霊視力によって吾々の先遣隊を垣間見る者がいるとの話題がささやかれるようになりました。そうした噂を一笑に付す者もいました。吾々を取り巻く地上の大気に人間の堕落せる快楽の反応を感じ取る事ができるほどでしたから、多くの人間が→
『ベールの彼方の生活④』→霊的な事を嘲笑しても不思議ではありません。そこで吾々は、この調子では人間の心にキリストへの畏敬の念とその従僕である吾々への敬意が芽生えるまでには、よくよく苦難を覚悟せねばなるまいと見て取りました。しかしその事は別問題として、先を急ぎましょう。
『ベールの彼方の生活④』とは言え、吾々の作戦活動を一体どう説明すればよいのか迷います。もとより吾々は最近の地上の出来事について貴殿によく理解して頂きたいとは願っております。素晴らしい出来事、地獄さながらの出来事、さらには善悪入り乱れた霊の働きかけ―目に見えず、従って→
『ベールの彼方の生活④』→顧みられる事もなく、信じられる事もなく、しかし何となく感じ取られながら、激しい闘争に巻き込まれている様子をお伝えしたいのです。貴殿の精神の中の英単語と知識とを精一杯駆使して、それを“比喩的”に叙述してみます。それしか方法がないのです。
『ベールの彼方の生活④』が、せめてそれだけでも今ここで試してみましょう。
『ベールの彼方の生活④』地球を取り巻く3層の領域まで来てみて吾々は、まず第1にしなければならない仕事は悪の想念を掃討してしまう事ではなく、善の想念へ変質させる事である事を知りました。そこでその霧状の想念を細かく分析して最初に処理すべき要素を見つけ出しました。
『ベールの彼方の生活④』吾々より下層界からの先遣隊が何世紀も前に到着してその下準備をしてくれておりました。ここでは吾々第10界の者が到着してからの時期についてのみ述べます。地球の霊的大気には重々しくのしかかるような、どんよりとした成分がありました。
『ベールの彼方の生活④』実はそれは地上の物質科学が生み出したもので、いったん上昇してから再び下降して地上の物質を包み、その地域に住む人々に重くのしかかっておりました。最も、それはたとえ未熟ではあっても真実の知識から生まれたものである事は確かで、その中に誠実さが多重に→
『ベールの彼方の生活④』→混じっておりました。その誠実さがあったればこそ3つの界層にまで上昇できたのです。しかし所詮は物的現象についての知識です。いかに真実味があってもそれ以上に上昇させる霊性に欠けますから、再び物質界へと引き戻されるに決まっています。
『ベールの彼方の生活④』そこで吾々はこれを“膨張”という手段で処理しました。つまり吾々は言わばその成分の中へ“飛び込んで”吾々の影響力を四方に放散し、その成分を限界ぎりぎりまで膨らませました。膨張した成分はついに物質界の外部いっぱいにまで到達しました。
『ベールの彼方の生活④』が、吾々の影響力が与えた刺激はそこで停止せず、自らの弾みで次第に外へ外へと広がり、ついに物質界の限界を超えました。そのため物的と霊的との間を仕切っている明確な線―人間はずいぶんいい加減に仕切っておりますが―に凸凹が生じ始め、そしてついに、→
『ベールの彼方の生活④』→ところどころに小さなひび割れが発生しました―最初は小さかったというまでで、その後次第に大きくなりました。しかし大きいにせよ小さいにせよ、いったん生じたひび割れは2度と修復できません。たとえ小さくても、いったん堤防に割れ目ができれば、→
『ベールの彼方の生活④』→絶え間なく押し寄せていたまわりの圧力がその割れ目めがけて突入し、その時期を境に、霊性を帯びた成分が奔流となって地球の科学界に流れ込み、そして今なおその状態が続いております。これでお分かりのように、吾々は地上の科学を激変によって破壊する事のないように→
『ベールの彼方の生活④』→しました。過去においては一気に粉砕してしまった事が1度や2度でなくあったのです。確かに地上の科学はぎこちなく狭苦しいものではありますが、全体としての進歩にそれなりの寄与はしており、吾々もその限りにおいて敬意を払っていました。
『ベールの彼方の生活④』それを吾々が膨張作用によって変質させ、今なおそれを続けているところです。カスリーン嬢の援助を得て私および私の霊団が行っているこの仕事は今お話した事と別に関係なさそうに思えるでしょうが、実は同じ大事業の一環なのです。これまでの吾々の通信ならびに→
『ベールの彼方の生活④』→吾々の前の通信をご覧になれば、科学的内容のもので貴殿に受け取れる限りのものが伝えられている事に気づかれるでしょう。大した分量ではありません。それは事実ですが、貴殿がいくら望まれても、能力以上のものは授かりません。しかし、次の事実をお教えしておきましょう。
『ベールの彼方の生活④』この種の特殊な啓示のために貴殿よりもっと有能で科学的資質を具えた男性たち、それにもちろん少ないながらも女性たちが、着々と研さんを重ねているという事です。道具として貴殿よりは扱いやすいでしょう。その者たちを全部この私が指導している訳ではありません。
『ベールの彼方の生活④』それは違います。私にはそういう資格はあまりありませんので…。各自が霊的に共通性をもつ者のところへ赴くまでです。そこで私は貴殿の元を訪れている訳です。科学分野の事については私と同じ霊格の者でその分野での鍛錬によって技術を身につけている者ほどには→
『ベールの彼方の生活④』→お伝えできませんが、私という存在をあるがままにさらけ出し、また私が身につけた知識は全てお授けします。私が提供するものを貴殿は寛大なる心をもって受けて下さる。それを私は満足に思い、また嬉しく思っております。
『ベールの彼方の生活④』貴殿に神のより大きい恩寵のあらん事を。今回の話題については別の機会に改めて取り上げましょう。貴殿のエネルギーが少々不足してきたようです。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【4 第10界へのご到着】【1919年3月11日 火曜日】吾々は第10界の高台に集合しました。人里離れた場所で、住居もまばらでした。建物はそのほとんどが中央の大塔との連絡のために使用されるものです。大塔は常時広大な地域にわたって眺望をきかせております。
『ベールの彼方の生活④』【それは、もちろん、あなたが前にお話になった大聖堂の住民になられる以前の話ですね?】そうです。(これから語る)ご降臨に際してキリストを拝したのは、ご降臨全体としてはずっと後半の事です。当時の私は既に第10界まで向上しており、その界の住民としての期間は→
『ベールの彼方の生活④』→かなり長期間に及んでいました。キリストがようやく10界の境界域に到達されたのは私が10界にいた時の事です。その時吾々は遠くの山脈に目をやっておりました。透き通るような光輝に映え、緑と黄金の色合いをしておりましたが、それに変化が生じ始めました。
『ベールの彼方の生活④』まず緑が琥珀色を通して見た赤いバラのように、赤みがかったピンクになりました。それが次第に光沢を深めていき、ついに山並み全体が純金の炎のごとく輝きました。その中で従者が先頭をきって右へ左へと動き、それが光の波となってうねるのが見えます。
『ベールの彼方の生活④』そのうちその従者の姿が吾々の方へ向けて進んでくるのが見え始めました。キリストから放たれる光の雲を背景として、その輪郭をえどるように位置しております。それぞれに燦爛たる光輝を放ち、雄大な容姿とそれに似合った霊力を具えておられます。男性と女性です。
『ベールの彼方の生活④』それに、そこここに、男女が一体となった天使がいます。2つにして1つ、1つにして2つ―この話はこれ以上は述べません。その神秘は貴殿には理解できないと思うからです。私も言語では表現しかねます。両性でもなければ中性(無性)でもありません。
『ベールの彼方の生活④』この辺で止めておきましょう。見るからに美しい存在です。男性というには柔和さが強すぎ、女性というには威厳が強すぎる感じが致します。その一団が吾々の界の環境条件に波長を合わせつつ進入し、全天空を光輝と荘厳で満たしたのです。吾々の足もとまで降りてこられたのでは→
『ベールの彼方の生活④』→ありません。上空を漂いつつ、あたかも愛のそよ風のごとく、それでいて力に溢れ、深遠にして神聖なる神秘への理解力を秘めた優しさと安らぎの雫を落として下さるのでした。その愛のしるしが降りそそがれる毎に吾々は、それまで理解の及ばなかった問題について啓発され、→
『ベールの彼方の生活④』→これから始まる仕事への力量を増す事になりました。天使の中には、大気が稀薄で吾々住民のほんの少数の者にしか永住困難な(その時は1人の姿も見当たらなかった)高い峰に位置をとっておられる方がいました。あるグループは1つの峰に、もう1つのグループは→
『ベールの彼方の生活④』→それより遠く離れた峰に、という具合に位置して、全域を円形に囲み、その区域内の山と山との間にさらに幾つかのグループが位置しておりました。そのように位置を構えてからお互いに器楽と声楽による音楽で呼びかけ合い、それが1大ハーモニーとなって全天空に→
『ベールの彼方の生活④』→響きわたりました。その音楽がまた新たな影響を吾々に及ぼしました。さきの愛の雫とは別に、あたかも安らかに憩う吾が子をさらに深き憩いへと誘う母の甘いささやきのごとき優しさを加えたのでした。やがて地平線の色調が深まって深紅色と黄金色とになりました。
『ベールの彼方の生活④』まだ黄金が主体でそれに深紅が混じっている程度でしたがこれでいよいよキリストが吾々の界のすぐそこまで来られた事を察知いたしました。そして、ついにお出ましになられました。そのお姿を現された時の様子、あるいはその顕現全体の壮観を私は一体どう表現すれば→
『ベールの彼方の生活④』→よいでしょうか。それを試みようとするだけで私は恐怖のあまり躊躇してしまうのです。それはあたかも宮廷の道化師に君主が戴冠に至る様子を演じさせ、その粗末な帽子でもって王冠を戴く様子を演じさせ、粗末な1本の棒切れでもって王笏を手にした様子を演じさせ、→
『ベールの彼方の生活④』→粗末な鈴でもって聖歌隊の音楽に似させる事を命じるようなもので、それは君主への不敬を働く事以外の何ものでもありません。今私が試みようとして躊躇するのはそれを恐れるからです。しかしもしその道化師が君主をこよなく尊敬しておれば、→
『ベールの彼方の生活④』→持てる力を総動員して人民に対する君主の鼓舞を演じ、同時にそのパロディ(粗末な模倣)が演技力と道具の不足のためにいかに実際とは似ても似つかぬものであるかを正直に述べるであろう。私もそれに倣って、謙虚さと真摯な意図を唯一の弁明として語ってみましょう。
『ベールの彼方の生活④』キリストを取り巻く光輝はますますその強さと広がりとを増し、ついに吾々の全てがその中に包み込まれてしまいました。私から最も遠く離れた位置にいる仲間の姿が明確に識別できるほどになりました。それでも全体の大気はバラ色がかった黄金色を帯びていました。
『ベールの彼方の生活④』吾々の身体もその清澄な霊力の奔流に洗われていました。つまりキリストは吾々全体を包むと同時に1人1人をも包んでおられたのです。吾々はまさにキリストその人とその個性の中に立ちつくし、吾々の中にもまわりにもキリストの存在を感じていたのです。
『ベールの彼方の生活④』その時の吾々はキリストの中に存在を保ちつつ、しかもキリストの一部となり切っておりました。しかし、それほどまで吾々にとって普遍的存在となっても、キリストは外形をまとって顕現なさろうとはしませんでした。私にはキリストが吾々の周辺や頭上にいらっしゃるのが→
『ベールの彼方の生活④』→分かるのです。それは言葉ではとても表現が困難です。身体を具えた局所的存在として1度にあらゆる場所におられるようであり、それでいて1つの存在なのです。そう表現するほかに良い表現が思い当たりません。それも、およそうまい表現とは言えません。
『ベールの彼方の生活④』私が思うに、キリストの全人格から全く同じものを感じ取った者は、吾々の中にはいなかったのではないでしょうか。私にとっては次に述べるようなお方でした。体格はとても大きな方で、人間2人ほどの高さがありました。“でっかいもの”という印象は与えません。
『ベールの彼方の生活④』“巨人”のイメージとは違います。吾々と変わるところのない“人間”なのですが、体格だけでなく内面性において限りない高貴さを具えておられます。頭部に冠帯を付けておられましたが、紅玉(ルビー)と黄金(ゴールド)が交互に混ざり合った幅の広い、ただのバンドです。
『ベールの彼方の生活④』両者が放つ光は融合する事なく、ルビーは赤を、ゴールドは黄金色を、それぞれに放っております。それが上空へ向けて上昇して天空いっぱいに広がり、虚空に舞う天使のローブに当たって一段とそのローブの美しさを増すのでした。お身体は全身の素肌が輝いて見えましたが、→
『ベールの彼方の生活④』→といって一糸もまとっていないのでもありません。矛盾しているようですが、私が言わんとしているのは、まずその全身から放たれる光彩がその地域のすみずみにまで至り、全てを輝きの中に包みます。するとその一部が吾々が抱いている畏敬の念というスクリーンに反射し、→
『ベールの彼方の生活④』→それが愛の返礼となってキリストのもとに返り、黄金の鎧のごとくお身体を包みます。その呼応関係は吾々にとってもキリストにとってもこの上なく快いものでした。キリストは惜しげもなくその本来の美しさの奥の院の扉を開いて下さる。そこで吾々はその儀式にふさわしい→
『ベールの彼方の生活④』→唯一の衣服(畏敬の愛念)を脱ぎ、頭を垂れたままそれをキリストのお身体にお掛けする。そして優しさと崇敬の念に満ちた霊妙なる愛を込めてキリストへの絶対的信頼感を表明したのでした。しかしそれ以前にもすでにキリストの栄光を垣間見ておりましたから(6章1その他)
『ベールの彼方の生活④』キリストの本来の力はそれでもなお控えめに抑えられ、いつでも出せる態勢にある事を知っておりました。キリストは何ひとつ身にまとわれなくても、吾々配下の軍勢からの(畏敬の念という)贈り物を金色(こんじき)の鎖帷子(くさりかたびら)としてまとっておられたのです。
『ベールの彼方の生活④』贈り物とはいえ所詮は全てキリストのものである以上、キリストから頂いたものをお返ししたにすぎません。(ローブで隠されているはずの)おみ足がはだけておりました。と言うのは、吾々からの贈り物は吾々が頂いたものには及ばず、その足りない分だけローブの長さが→
『ベールの彼方の生活④』→短くなり、足首のところで終わっていたのです。そのキリストがここの一団、そこの一団と次々と各軍団のもとをまわられる時のお顔はいやが上にも厳粛にして哀れみに満ちておりました。それでいて最初に姿を現された中心的位置を離れているようにも見えないのです。
『ベールの彼方の生活④』そのお顔の表情を私は、広げられた巻きものを見るように、明瞭に読み取る事ができました。その厳粛さは、口にするのも恐れ多き天上界―罪と無縁ではないまでも知識として知るのみで体験として知る事のないキリスト界から携えて来られたものであり、→
『ベールの彼方の生活④』→一方哀れみはかのカルバリの丘での体験から来ておりました。その2つが神にして人の子たるキリストの手によって天と地の中間において結ばれているのです。キリストは手をかざして遠く高き界層の天使へと目を向け、罪多き人間のために何を為さんとしているかを→
『ベールの彼方の生活④』→見届けながら、地球よりその罪の雫を自らの額に落とされ、その陰影によってお顔を一段と美しくされます。かくして崇高なる厳粛さと悲しみとが1つに融合し、そこから哀れみが生じ、以来、神的属性の1つとなったのです。さらには愛がありました。
『ベールの彼方の生活④』与えたり与えられたりする愛ではありません。全てを己れの胸の中に収め、全てのものと一体となる愛。その時のキリストは吾々を包み込み、自らの中に収められたのでした。また頭上には威厳が漂っておりました。それはあたかも全天の星を腕輪(ブレスレット)に、→
『ベールの彼方の生活④』→惑星を従えた太陽を指輪(シグネット)にしてしまうほどの、大いなる威厳でした。このようにしてキリストはお出ましになり、このような姿をお見せになったのです。それは今では過去のものとなりました。が、今なおその存在感は残り続けております。
『ベールの彼方の生活④』吾々が今拝するキリストはその時のキリストとは異なりますが、見ようと思えばいつでもそのシーンを再現し臨場感を味わう事ができます。これも神秘の1つです。私は次のように考えております―主は地上へと去って行かれた。が、そのマントのすそが伸びて、通過していった→
『ベールの彼方の生活④』→界層の全てを光で包まれた。さらに下へ下へと進まれ、ついにかの地球を取り囲む毒気に満ちた濃霧の如き大気の中へと入って行かれた…。その威厳に満ちたご尊顔に哀れみの陰を見ている吾々の心に主を哀れむ情が湧くのを禁じ得ませんが、同時に敬愛と崇拝の念も→
『ベールの彼方の生活④』→禁じ得ません。なぜなら、汚れなき至純のキリストにとって、その恐怖の淵は見下ろすだに戦慄を覚えさせずにおかない事ですが、自ら担われた使命にしりごみされる事はありませんでした。平静に、そして不敵の心をもって、浄化活動のための闘いに向かわれました。
『ベールの彼方の生活④』そのお姿を拝して吾々はキリストとともにある限り必ず勝利を収めるものと確信致しました。キリストはまさしく空前絶後のリーダーです。
『ベールの彼方の生活④』真の意味でのキャプテンであり、その御心に母性的要素すら窺えるほどの優しさを秘めながらも、なお威厳あふれるキャプテンであられます。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』【3 お迎えのための最後の準備】【1919年3月10日 月曜日】以上のような経緯は地上的に表現すれば“永い歳月”に及んでいる事を知っておいて頂きたい。その間、吾々には吾々なりの為すべき事がありました。地上でも、1つの改革が進行している間も一般大衆には→
『ベールの彼方の生活④』→それぞれの日常生活があります。吾々もそれと同じでした。しかし吾々の生活全体を支配している“思い”―何に携わっていても片時も心から離れなかったのは、キリストの降臨と、そのための上層界の態勢づくりの事でした。いずこへ赴いてもそれが窺えました。
『ベールの彼方の生活④』時には仲間が集まってキリストの接近による光輝の変化の事を細かく語り合う事もありました。特に上層界から使者が訪れ、吾々の界層の環境に合わせた身体をまとい、山の頂上とか中空に立って集合を命じた時はほとんど全員が集まりました。指定の場所に集まった者は→
『ベールの彼方の生活④』→何事であろうと期待に胸をふくらませるのでした。前回に述べたのもその1つでした。しかしそうした時以外はいつもの生活に勤しみ、時には領主からお呼びが掛かって将来の仕事のための特別の鍛錬を受け、また時には特別の使命を授かって他の界層へ赴いたりしていました。
『ベールの彼方の生活④』他の界層へ赴いている間は連絡関係がふだんより緻密さを増します。急な用事で帰還命令が出された時に素早くそれをキャッチするためです。そうしたふだんの体験にも貴殿に興味のありそうなもの、ためになるものがいろいろとあるのですが、それは今は措いておき、→
『ベールの彼方の生活④』→将来その機会が巡ってくれば語る事にしましょう。さし当たっての私の目的はキリストその人の降臨について語る事です。吾々キリストの軍勢の一員として選ばれた者は、例の天使の塔の聳える風致地区内に集合しました。待機しながらその塔の頂上にのっているヤシの葉状の→
『ベールの彼方の生活④』→王冠を見上げると、1人また1人と天使の姿が現れ、全部で大変な数になりました。ひざまずいている者、座している者、立っている者、例のレース細工によりかかっている者など、様々でした。他の場所からその位置へ移動してきたのではありません。吾々の見ている前で、→
『ベールの彼方の生活④』→吾々の視力に映じる姿をまとったのです。最初は見えなかったのが見える形をまとったのです。見えるようになると、どの天使も同じ位置に留まっていないであちらこちらへと動き回り、対話を交えておりました。霊格の高い、かつ美しい方ばかりです。
『ベールの彼方の生活④』同じ光景を前にも叙述した事があります。顔ぶれはかなり変わっておりましたが、同じ天使も多く見かけました。さて全天使が揃うと新たな現象が見え始めました。それはこうです。王冠の中に初めて見るものが現れました。十字架の形をしており、中央から現れて上昇しました。
『ベールの彼方の生活④』そのヨコ棒の片側に最後に到着した天使が立ち、その左手をタテ棒の上部にあてています。他の天使に比べて1まわり光輝が広がっています。身体も十分に吾々の界の環境条件に合わせ終わると左手をお上げになり、吾々を見下ろされながら祝福を与えて下さいました。
『ベールの彼方の生活④』それから鈴の音のような鮮明な声で話しかけられました。大きな声ではありませんが、はるか下方に位置する吾々ならびにその地区一帯に立ち並ぶ者全員にまで届きました。遠くの丘や広い草原にいる者もあれば、屋上にいる者、湖のボートに乗っている者もいました。
『ベールの彼方の生活④』さてその天使はこう語られました。「このたび貴殿たちを召集したのは、いよいよこの界へお近づきになられた主キリストについてのメッセージを伝え、ご到着とご通過に際してその意義を理解し、祝福を受け損なう事のないよう準備をして頂くためである。」→
『ベールの彼方の生活④』→「貴殿たちはこれまで幾度か主をご覧になっておられるが、このたびのお出ましはそれとは全く異なるものである事をまず知られたい。これまでは限られた目的のために限られた必要性に従って限られた側面を顕現してこられた。が、このたびは、その全てではないが、」→
『ベールの彼方の生活④』→「これまでをはるかに凌ぐ王威をまとわれてお出ましになられる。これまでは限られた所用のために降りてこられた。このたびは大事業への父なる大神の勅命を体して来られるのである。これはただならぬ大事業である。地球は今や貴殿らによる援助の必要性が切迫している。」→
『ベールの彼方の生活④』→「それ故、主が通過されるに際し貴殿ら1人1人が今の自分に最も欠けているものをお授け下さるようお願いするがよい。それによってこれより始まる仕事に向けて体調を整え、完遂のための体力を増強する事ができるであろう。万遺漏なきを期さねばならない事は」→
『ベールの彼方の生活④』→「言うまでもないが、さりとて主のご威光を過度に畏れる事も控えねばならない。主は貴殿らの必要なるものを携えて来られる。主ご自身はさような必要性はない。貴殿らのために燦爛たる光輝をまとわれてお出ましになるのである。その光輝の全てが貴殿らのためである。」→
『ベールの彼方の生活④』→「それ故、遠慮なくそれに身を浸し、その磁気的エネルギーに秘められている力と高潔さとを己れのものとなさるがよい。では、これより貴殿らの思うがままに少人数でグループを作り、私が今述べた事について語り合ってもらいたい。私が述べた言葉はわずかであるが、」→
『ベールの彼方の生活④』→「それを貴殿らが膨らませてほしい。行き詰まった時は私の仲間がその解釈の手助けに参るであろう。そうする事によって主が間もなくお出ましになられた時に慌てずに済むであろうし、この界を通過される間にその目で見、その耳で聞き、その肌で感じて、」→
『ベールの彼方の生活④』→「さらに理解を深める事になるであろう。」話が終わるとすぐ吾々は言われた通りにしました。例のヤシの葉状の王冠の中にいた天使たちはその間も姿をずっと消される事はありませんでした。それどころか、吾々の中に降りてこられて必要な援助を与えて下さいました。
『ベールの彼方の生活④』その時の魂の安らぎの大きかった事。おかげでキリストがいつ通過されてもよいまでに全員がそれなりの準備を整える事ができました。キリストの生命力の尊い流れから汲み取って吾々のものとする事ができるのです。
『ベールの彼方の生活④』それはキリストの内的叡智と決意の洗礼を受ける事に他なりません。以上がキリストの降臨までに開かれた数々の集会の最後となりました。終わるとキリストの霊との一体感をしみじみと味わい、静寂と充足感の中にそのご到着をお待ちしました。 アーネル†