『シルバーバーチの霊訓⑦』
【大霊(神)を全能でしかも慈悲ある存在と形容するのは正しいでしょうか―】何ら差支えありません。大霊は全能です。なぜならその力は宇宙及びそこに存在するあらゆる形態の生命を支配する自然法則として顕現しているからです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
大霊より高いもの、偉大なもの、強大なものは存在しません。宇宙は誤る事のない叡智と慈悲深き目標をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化している事は間違いない事実です
『シルバーバーチの霊訓⑦』
この事は慈悲の要素が神の摂理の中に目論まれている事を意味します。ただその慈悲性に富む摂理にも機械性がある事を忘れてはなりません。いかなる力をもってしても因果律の働きに干渉する事はできないという意味での機械性です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
いかに霊格の高い霊といえども一つの原因が数学的正確さをもって結果を生んでいく過程を阻止する事はできません。そこに摂理の機械性があります。機械性という用語しかないのでそう言ったのですが、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―この用語ではその背後に知的で目的意識をもったダイナミックなエネルギーが控えている感じが出ません。私がお伝えしようとしている概念は全能にして慈悲にあふれ完全で無限なる神であると同時に、地上の人間がとかく想像しがちな“人間神”的要素のない神です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかし神は無限なる大霊である以上その顕現の仕方も無限です。あなた方お一人お一人がミニチュアの神なのです。お一人お一人の中に神という完全性の火花、全生命のエッセンスである大霊の一部を宿しているという事です。その火花を宿していればこそ存在できるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかしそれが地上的人間性という形で顕現している現段階においては皆さんは不完全な状態にあるという事です。神の火花は完全です。一方それがあなた方の肉体を通して顕現している側面は極めて不完全です。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
死後あなた方はエーテル体、幽体、または霊的身体―どう呼ばれても結構です。要するに死後に使用する身体であると理解すればよろしい―で自我を表現する事になりますが、その時は現在よりは不完全さが減ります。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
霊界の界層を一段また一段と上がっていく毎に不完全さが減少していき、それだけ内部の神性が表に出るようになります。ですから完全といい不完全といい、程度の問題です。【バラもつぼみのうちは完全とは言えませんが満開となった時に完全となるのと同じですね―】
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―全くその通りとも言いかねるのです。厄介な事に人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達する事ができないのです。知識にも叡智にも理解力にも真理にも究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
今成就できないものも、そのうち成就できるようになります。ハシゴ段を昇って行き、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くというのです。それで完全という段階が来ないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑦』
もしそういう事が有り得るとしたら進化という事が無意味となります。【これは当然の事ながら論議を呼び、幾つかの質問が出たがそれに一通り応答した後シルバーバーチはこう述べた―】
『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなた方は限りある言語を超えたものを理解しようとなさっているのであり、それはぜひこれからも続けていくべきですが、たとえ口では表現できなくても心のどこかで“チラッ”と捉え理解できるものがあるはずです。例えば言葉では尽せない美しい光景、―
『シルバーバーチの霊訓⑦』
―画家にも描けないほど美しい場面を“チラッ”と見た事がおありのはずですが、それは口では言えなくても心で感じ取り、しみじみと味わう事はできます。それと同じです。あなた方は今、言葉では表現できないものを表現しようとなさっているのです。
地上生活に必要なものは神は全て用意して下さっています。動物実験をして特殊な成分を抽出などしなくても人間の健康に必要なものは全て自然界に存在するそうです。麻酔もなしにメスを入れられる動物たちが何の苦痛も恐怖も感じてないと思われますか?動物実験は断じて間違いであり根絶すべきです(祈)
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