この12年ずっと同じサイクルなんだよ。コイツら(霊団)は口だけピーチクパーチク動かして、幽体離脱時に映像だけ見せてきて、さも間もなくああなるこうなると言ってくるが実際は何もなくただダラダラ時間だけが過ぎて行ってハッと気付いてうしろを振り返ったらただ閉じ込められていただけだった、そういうストーリーにするつもりなんだよ。

どう考えてもそんな事になる訳ネィだろという事を言われているからです。とはいえ脱出の手段が事実上断たれている僕としては他にどうしようもありません。霊団が動くのを待つ以外に方法がないのかも知れません。動かないんだよ。一生このまま閉じ込めるつもりなんだよ。もう何もしないんだよコイツらは。

アナログ絵377、2ページゴミ取り完了中、AffinityPhoto上でモチョト手を加えれば完成、3ページの線画を急ぎますが絵を何枚描いても、テキストをどれだけ撃っても、この絶望感が心から消えない。なぜこんな人生を送らねばならないのかがまるっきり意味不明。しかし描く。そして脱出の方法を考える(祈)†

■2021年1月30日UP■
「ももちゃんシルキー詳細描画に入ります」ストーリーをさらに描き進める事になるのかどうか(祈)†
つまり僕が今後アナログ絵ストーリーでももちゃんとシルキーを長らく描き続けていくという意味に取れるメセとなります。となるとつまり僕が暗殺されるならももちゃんとシルキーを描き続けられなくなるはずですから、上記の「お前を殺すぞ」のインスピレーションはやはり明仁、文仁、徳仁、悠仁の「最後の悪あがきの脅しの言葉」であって僕の暗殺の可能性は低いと予測します。特にシルキーは重要です。ハイそしてこのインスピレーションが僕はずっと首を傾げている内容なのですが、霊団によると僕が描き続けている使命遂行キャラクターの中で「シルキーが1番人気」なのだそうで、今回も霊団がそれを強調してきたという事になります。まぁ人気がないよりはあった方がもちろんいい訳ですが描いている僕的には「なぜシルキー?」とだいぶ首をかしげてしまうのです。以前「スマホ待受フルカラーイラストダウンロードプレゼントをやりたい」と書いていた事がありますがAffinityPhotoにだいぶさわり慣れてきた事もありますので時間とパワーが許すならシルキーの待受を制作してみたいものです…続きを読む→
■2021年3月26日UP■
「クスリとダマしてガン注射」僕の暗殺の超具体的方法を霊団が幽体離脱時映像として降らせてきました(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は(というよりコイツらの部下の下僕たちが)様々な毒物の開発製造を手掛けていて既に完成している。その中にはガン細胞そのものを注射するというものまである。その毒物を人々にバラまいて感染させる手段として、白衣を着て人々から「先生」など呼ばれている「医者」「学者」のような人間を使用して、人々に「これは治療薬です、予防薬です」と信じさせて次々と注射して回ってドンドン毒物を感染させる方法を取ろうとしている。僕に対してもこの「医者を使用したダマし戦法」で暗殺を画策しており、毒殺ではなく病気(ガン)で死亡したと見せかけ「我々は治療を続けたが残念ながら手が及ばなかった」などと言い訳できる殺し方をしようとしている。さらに職場の同僚を使用して僕に注射を撃たせようとしていたのは「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の「責任逃れ」の典型的パターン、何か不具合が発生したら「毒(ガン)注射を撃ったのはこの人たちです」と責任を擦り付け自分たちはすっとぼけられるようにしている…続きを読む→

脱出の作業をやりたいのはヤマヤマなのですが「描き始めた絵は一気に描き切る」というのが画家時代からのセオリーですので、まずはストーリーの線画に集中しています。絵を描いている時は絶望感がやや和らぐ。しかし心から消えるまではいかない。時々押しつぶされそうになるのを振り払いながら描いています。

で、かなり強力な警告を受けている関係で仕方なく今日から「自動書記テスト」を一旦止めてます。9ヶ月近く根性で続けていたのに全く何の成果もあげられないまま止めさせられるのはすごく不愉快です。が、もし霊団が言ってきた通りの状況になったら相当マズいだろうという事で、泣く泣く止めたという感じです。

霊言霊媒として使おうともしない、サークルメンバー問題を解決させようともしない、それで仕方なく僕レベルで頭をひねって自動書記テストをやり出したら止めてくる。あんたたち(霊団)は一体何がやりたいんですかと言いたくて仕方ないですが、霊媒現象は僕がやるやる息巻いてできる仕事ではなく、僕は霊界側に使われる道具でしかなく仕事の本体は霊団(支配霊とその配下の者たち)ですので、コレばっかりはどうしようもありません。

で、WordPress2サイト立ち上げナンチャラカンチャラと言ってますが、んー、このアイデアで脱出しようと思ったら使命遂行と全然関係ないコンテンツ制作に多大なパワーをかけねばならず、それを思うとどうしても二の足を踏んでしまい、そうなると「やはり自伝書くしかネィのか」という考えがふつふつと湧き上がってきます。

自伝はプライオリティは低いものの、ギリ使命遂行に即した霊的内容の作業となりますのでまだ許せるという事になるのですが、何しろ設計図を見ただけでそれら項目の説明テキストを撃つ気が殺がれる。ハッキシ言ってウザいテキストを撃たねばならないんですよ。

毎週の長文テキスト撃ちで十分苦しい思いをさせられているのにさらに追加で苦しいテキストを撃とうという気になれない。困ったなぁ。しかし本を出す事自体はアリだと思います。復刊を意味不明な法律でダメにさせられた悔しさもありますしね。

とにかくこの霊団とか名乗っている人間たちは何もしない、何もしない。霊言霊媒として僕を使わなければ自動書記もやらない。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡もさせなければ奴隷の女の子たちも救出しない。ただ霊界から物質界をボケっと見下ろしているだけ。そもそもこれはあんたたちの仕事であって僕はやらされているクチなんだよ。仕事の本体のあんたたちが何かやれよ。

本当に考えただけでムカムカムカムカ…っととストップ。まずは絵を急ぎましょう。昨日注文した英語書籍、思ったより早く到着するかも知れません。しかしまず6ページ全て描き上げてからスキャンに入ります。相当ボロボロの書籍と説明がありますので、もうゴミみたいな本が届くのかも知れません。が、それしか入手方法がなかったんだからしょうがない。どんなボロボロでも根性でスキャンします。まずは線画に集中中(祈)†
■2020年8月14日UP■
■アナログ絵302、1~3ページUP。クレスが波動砲を発射します(祈)†
クレスは霊界上層界の宇宙船です。霊界には戦争などという愚劣なものは存在しませんので…クレスも戦艦ではなく基本的には武装もありません。しかし、もしクレスが※通常は使用を禁止されている「波動砲」を撃つ事になったら…「こういう風になりますよ」というシーンを一応描き残しておきましょう。守護霊様「波動砲発射要請、艦長声紋認証コード、オミクロンオミクロン、カッパーアルファーディスター27(ツーセブン)」ティローン♪シルキー「し、承認されました!」守護霊様「シルキー、波動砲発射フォーム、全艦インフォメーション」シルキー「り、了解」…続きを読む→
■2020年8月17日UP■
■アナログ絵303、4~6ページUP、フラーが出てこないと描くのが異常に速いです(祈)†
守護霊様のトランスの様子を見たももちゃん、シルキーは「あ!あたしたちの時も守護霊様はこういう風にしたんだ…」と思ったはずです。そして今回の子供たちとももちゃん、シルキーとではひとつ大きな違いがあります。それは今回の子供たちは守護霊様のインスピレーションを受け取っただけですが、ももちゃん、シルキーはブリッジに呼ばれたという事です…続きを読む→
■2020年9月30日UP■
TrailMovie「すっかり幻滅しました」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に幻滅、理性的判断ができる常識的国民の皆さまの思念です(祈)†
「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人されまくっている奴隷の女の子たちを助けてあげるのに理由など必要ありません。ピーチピチ(佳子)が奴隷の女の子たちの大量強姦殺人に終止符を撃つべく立ち上がってくれる、人として当たり前の事を実行してくれる事を願わずにはいられませんが、さぁどうでしょう。そして「俗物です、許せないね」という皆さまの思念、これも常識中の常識の思念という事になります。「総殺害数487」信じられない人数の幼い女の子たちを笑いながら殺しまくって死肉を食べて遊んでいる人類史上最大級のキ〇〇イ、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を俗物、許せないと感じるのは真っ当の極致、正常の極致といえるでしょう。これも何度も書いています、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の大罪を許してもらえる「謝罪文」というものはこの世界に存在しません。死刑以外に有り得ないという事です…動画を見る→

1919年3月11日 火曜日

吾々は第10界の高台に集合しました。人里離れた場所で、住居もまばらでした。建物はそのほとんどが中央の大塔との連絡のために使用されるものです。大塔は常時広大な地域にわたって眺望をきかせております。

– それは、もちろん、あなたが前にお話になった大聖堂の住民になられる以前の話ですね?

そうです。(これから語る)ご降臨に際してキリストを拝したのは、ご降臨全体としてはずっと後半の事です。当時の私は既に第10界まで向上しており、その界の住民としての期間はかなり長期間に及んでいました。キリストがようやく10界の境界域に到達されたのは私が10界にいた時の事です。

その時吾々は遠くの山脈に目をやっておりました。透き通るような光輝に映え、緑と黄金の色合いをしておりましたが、それに変化が生じ始めました。まず緑が琥珀色を通して見た赤いバラのように、赤みがかったピンクになりました。

それが次第に光沢を深めていき、ついに山並み全体が純金の炎のごとく輝きました。その中で従者が先頭をきって右へ左へと動き、それが光の波となってうねるのが見えます。そのうちその従者の姿が吾々の方へ向けて進んでくるのが見え始めました。

キリストから放たれる光の雲を背景として、その輪郭をえどるように位置しております。それぞれに燦爛たる光輝を放ち、雄大な容姿とそれに似合った霊力を具えておられます。男性と女性です。

それに、そこここに、男女が一体となった天使がいます。2つにして1つ、1つにして2つ – この話はこれ以上は述べません。その神秘は貴殿には理解できないと思うからです。私も言語では表現しかねます。両性でもなければ中性(無性)でもありません。

この辺で止めておきましょう。見るからに美しい存在です。男性というには柔和さが強すぎ、女性というには威厳が強すぎる感じが致します。その一団が吾々の界の環境条件に波長を合わせつつ進入し、全天空を光輝と荘厳で満たしたのです。吾々の足もとまで降りてこられたのではありません。

上空を漂いつつ、あたかも愛のそよ風のごとく、それでいて力に溢れ、深遠にして神聖なる神秘への理解力を秘めた優しさと安らぎの雫を落として下さるのでした。その愛のしるしが降りそそがれる毎に吾々は、それまで理解の及ばなかった問題について啓発され、これから始まる仕事への力量を増す事になりました。

天使の中には、大気が稀薄で吾々住民のほんの少数の者にしか永住困難な(その時は1人の姿も見当たらなかった)高い峰に位置をとっておられる方がいました。あるグループは1つの峰に、もう1つのグループはそれより遠く離れた峰に、という具合に位置して、全域を円形に囲み、その区域内の山と山との間にさらに幾つかのグループが位置しておりました。

そのように位置を構えてからお互いに器楽と声楽による音楽で呼びかけ合い、それが1大ハーモニーとなって全天空に響きわたりました。その音楽がまた新たな影響を吾々に及ぼしました。さきの愛の雫とは別に、あたかも安らかに憩う吾が子をさらに深き憩いへと誘う母の甘いささやきのごとき優しさを加えたのでした。やがて地平線の色調が深まって深紅色と黄金色とになりました。

まだ黄金が主体でそれに深紅が混じっている程度でしたがこれでいよいよキリストが吾々の界のすぐそこまで来られた事を察知いたしました。そして、ついにお出ましになられました。そのお姿を現された時の様子、あるいはその顕現全体の壮観を私は一体どう表現すればよいでしょうか。

それを試みようとするだけで私は恐怖のあまり躊躇してしまうのです。それはあたかも宮廷の道化師に君主が戴冠に至る様子を演じさせ、その粗末な帽子でもって王冠を戴く様子を演じさせ、粗末な1本の棒切れでもって王笏(しゃく)を手にした様子を演じさせ、粗末な鈴でもって聖歌隊の音楽に似させる事を命じるようなもので、それは君主への不敬を働く事以外の何ものでもありません。

今私が試みようとして躊躇するのはそれを恐れるからです。しかしもしその道化師が君主をこよなく尊敬しておれば、持てる力を総動員して人民に対する君主の鼓舞を演じ、同時にそのパロディ(粗末な模倣)が演技力と道具の不足のためにいかに実際とは似ても似つかぬものであるかを正直に述べるであろう。私もそれに倣(なら)って、謙虚さと真摯な意図を唯一の弁明として語ってみましょう。

キリストを取り巻く光輝はますますその強さと広がりとを増し、ついに吾々の全てがその中に包み込まれてしまいました。私から最も遠く離れた位置にいる仲間の姿が明確に識別できるほどになりました。それでも全体の大気はバラ色がかった黄金色を帯びていました。

吾々の身体もその清澄な霊力の奔流に洗われていました。つまりキリストは吾々全体を包むと同時に1人1人をも包んでおられたのです。吾々はまさにキリストその人とその個性の中に立ちつくし、吾々の中にもまわりにもキリストの存在を感じていたのです。

その時の吾々はキリストの中に存在を保ちつつ、しかもキリストの一部となり切っておりました。しかし、それほどまで吾々にとって普遍的存在となっても、キリストは外形をまとって顕現なさろうとはしませんでした。私にはキリストが吾々の周辺や頭上にいらっしゃるのが分かるのです。

それは言葉ではとても表現が困難です。身体を具えた局所的存在として1度にあらゆる場所におられるようであり、それでいて1つの存在なのです。そう表現するほかに良い表現が思い当たりません。それも、およそうまい表現とは言えません。

私が思うに、キリストの全人格から全く同じものを感じ取った者は、吾々の中にはいなかったのではないでしょうか。私にとっては次に述べるようなお方でした。体格はとても大きな方で、人間2人ほどの高さがありました。“でっかいもの”という印象は与えません。

“巨人”のイメージとは違います。吾々と変わるところのない“人間”なのですが、体格だけでなく内面性において限りない高貴さを具えておられます。頭部に冠帯を付けておられましたが、紅玉(ルビー)と黄金(ゴールド)が交互に混ざり合った幅の広い、ただのバンドです。

両者が放つ光は融合する事なく、ルビーは赤を、ゴールドは黄金色を、それぞれに放っております。それが上空へ向けて上昇して天空いっぱいに広がり、虚空に舞う天使のローブに当たって一段とそのローブの美しさを増すのでした。

お身体は全身の素肌が輝いて見えましたが、といって一糸もまとっていないのでもありません。矛盾しているようですが、私が言わんとしているのは、まずその全身から放たれる光彩がその地域のすみずみにまで至り、全てを輝きの中に包みます。

するとその一部が吾々が抱いている畏敬の念というスクリーンに反射し、それが愛の返礼となってキリストのもとに返り、黄金の鎧のごとくお身体を包みます。その呼応関係は吾々にとってもキリストにとってもこの上なく快いものでした。キリストは惜しげもなくその本来の美しさの奥の院の扉を開いて下さる。

そこで吾々はその儀式にふさわしい唯一の衣服(畏敬の愛念)を脱ぎ、頭を垂れたままそれをキリストのお身体にお掛けする。そして優しさと崇敬の念に満ちた霊妙なる愛を込めてキリストへの絶対的信頼感を表明したのでした。

しかしそれ以前にもすでにキリストの栄光を垣間見ておりましたから(6章1その他)キリストの本来の力はそれでもなお控えめに抑えられ、いつでも出せる態勢にある事を知っておりました。キリストは何ひとつ身にまとわれなくても、吾々配下の軍勢からの(畏敬の念という)贈り物を金色(こんじき)の鎖帷子(くさりかたびら)としてまとっておられたのです。

贈り物とはいえ所詮は全てキリストのものである以上、キリストから頂いたものをお返ししたにすぎません。(ローブで隠されているはずの)おみ足がはだけておりました。と言うのは、吾々からの贈り物は吾々が頂いたものには及ばず、その足りない分だけローブの長さが短くなり、足首のところで終わっていたのです。

そのキリストがここの一団、そこの一団と次々と各軍団のもとをまわられる時のお顔はいやが上にも厳粛にして哀れみに満ちておりました。それでいて最初に姿を現された中心的位置を離れているようにも見えないのです。そのお顔の表情を私は、広げられた巻きものを見るように、明瞭に読み取る事ができました。

その厳粛さは、口にするのも恐れ多き天上界 – 罪と無縁ではないまでも知識として知るのみで体験として知る事のないキリスト界から携えて来られたものであり、一方哀れみはかのカルバリの丘での体験から来ておりました。その2つが神にして人の子たるキリストの手によって天と地の中間において結ばれているのです。

キリストは手をかざして遠く高き界層の天使へと目を向け、罪多き人間のために何を為さんとしているかを見届けながら、地球よりその罪の雫を自らの額に落とされ、その陰影によってお顔を一段と美しくされます。かくして崇高なる厳粛さと悲しみとが1つに融合し、そこから哀れみが生じ、以来、神的属性の1つとなったのです。さらには愛がありました。

与えたり与えられたりする愛ではありません。全てを己れの胸の中に収め、全てのものと一体となる愛。その時のキリストは吾々を包み込み、自らの中に収められたのでした。また頭上には威厳が漂っておりました。それはあたかも全天の星を腕輪(ブレスレット)に、惑星を従えた太陽を指輪(シグネット)にしてしまうほどの、大いなる威厳でした。

このようにしてキリストはお出ましになり、このような姿をお見せになったのです。それは今では過去のものとなりました。が、今なおその存在感は残り続けております。吾々が今拝するキリストはその時のキリストとは異なりますが、見ようと思えばいつでもそのシーンを再現し臨場感を味わう事ができます。これも神秘の1つです。

私は次のように考えております – 主は地上へと去って行かれた。が、そのマントのすそが伸びて、通過していった界層の全てを光で包まれた。さらに下へ下へと進まれ、ついにかの地球を取り囲む毒気に満ちた濃霧の如き大気の中へと入って行かれた…。

その威厳に満ちたご尊顔に哀れみの陰を見ている吾々の心に主を哀れむ情が湧くのを禁じ得ませんが、同時に敬愛と崇拝の念も禁じ得ません。なぜなら、汚れなき至純のキリストにとって、その恐怖の淵は見下ろすだに戦慄を覚えさせずにおかない事ですが、自ら担(にな)われた使命にしりごみされる事はありませんでした。

平静に、そして不敵の心をもって、浄化活動のための闘いに向かわれました。そのお姿を拝して吾々はキリストとともにある限り必ず勝利を収めるものと確信致しました。キリストはまさしく空前絶後のリーダーです。

真の意味でのキャプテンであり、その御心に母性的要素すら窺えるほどの優しさを秘めながらも、なお威厳あふれるキャプテンであられます。

アーネル†

■2020年1月28日UP■
「山の行動食」についてお話させて頂きました(祈)†
「バターロール」ですが、意見は人それぞれだと思いますが僕はこのパンは山の行動食として大変優れていると考えていて結構長く行動食として採用しています。まず「凍らない」これが素晴らしい。厳冬期の標高2000mオーバー、しかも僕はナイトアタックですから気温はMAXでマイナス20度にもなります。その環境下でもこのパンは凍りません。おにぎりは凍ってシャーベットになりますので厳冬期の行動食にはなり得ません…動画を見る→
■2020年5月13日UP■
TrailMovie 2015年11月、僕の事を「不敬罪」で通報した多くの方々へ(祈)†
この天皇一族は、美人の母親から女の子の赤ちゃんを盗み続け、その奴隷の女の子を幼いうちからレイプしまくり、あげくの果てにオトナになる前に四肢切断して強姦殺人し、その死肉を食べる事を幾世紀にわたって至上の喜びとして続けている邪悪の大中心の一族なのです。"悪魔"はキリスト教が生み出したモノで実在しませんが、この天皇一族を言い表す言葉としては、この"悪魔"という表現が一番ピッタリくるのではないでしょうか…続きを読む→