どこかのブログで書きましたが、僕が大キライなモノを延々霊視に見せてくるという事を霊団は長年やってきていまして、今日もそれを見せてきて、僕はその映像を徹底的に心で無視し続けていました。すると次の瞬間霊団が「出られないよ」といった趣旨の事を言ってきたのです。

つまり僕がイヤでイヤでどうしようもない、脱出するつもりでいる場所からキミは出られないよと言ってきている訳です。僕はそれを完全に無視してクロッキーにも一切メモせず、脱出をさらに固く心に誓うのでした。

長年にわたり大キライなモノを延々映像として見せられている事で僕の霊団への怒り、不信感はもはや言語に絶するレベルとなっており、この異常な導きに従うという選択肢はもはや僕の心の中に1ミリたりともありません。宇宙が消滅してもこの導きにだけは従うつもりはありません。

これだけは絶対にお前らの言う事は聞かない。死んでも脱出してみせる。僕をこう言う気持ちにさせたのはお前らだ、イヤだと言い続けているのにそれを見せ続けてきた、その性格の悪さが僕をこうさせたんだ。他の事はともかくこの脱出の件についてはもう何をどう手を変え品を変えて言われようとも従うつもりはない。それによってペナルティを受ける事になろうとも従うつもりはない。

お前ら(霊団)の仕事の進め方はヘタクソだ、守護霊様を見習え。もう2度とアレを見せてくるな、どっか行け、もう2度と僕の人生に関わってくるな。帰幽したが最後、地球圏霊界と縁を切りたいという僕の願望はホンモノだ。もっとも叶えられる訳がないけども。

まずは脱出アイデアを実行に移す、そして脱出を実現させて作業時間を増やす。そこまで行ったら心に多少余裕も生まれると思う。閉じ込められている状態でアレしようコレしようという気持ちには全くならない。もうシャレじゃなく本気で霊団と縁を切りたい。オメィラどっか行け、僕の人生に関わってくるな(祈)†

■2021年9月22日UP■
「実際に戦争に送ろうと思ってるんだよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕を体よく殺そうとしているのです(祈)†
皆さまは「戦争」というものを「勃発してしまったら国民は戦争に赴かなければならないものなんだ、イヤでもやらなければならないものなんだ」みたいに考えておられますか。皆さま霊的知識をお勉強して下さい。その考えは1億%間違っています。僕たち人間は年齢、性別、人種等に関係なく全員が【神】から「神性の火花」を賜って個的存在を獲得した「神を共通の父(親)とした霊的同胞、霊的兄弟、霊的大家族」です。霊的知識を正しく理解すると、戦争で敵国の兵士を殺す事は「自分の家族を殺す事と同義」という事が理解できます。戦争というものは無知から生じる大変愚かな行為という事になります。そして僕は以前「コロナウソ」に関してこのような事を書いた事がありますが…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→

霊団が何を言おうと、もう絶対に僕のこの意思を曲げる事は不可能です。僕の中ではもう、脱出するか、死ぬかのどちらかしかないのです。もちろん脱出します。そして脱出後に移住まで完了させるつもりで「もし移住したらアレとかコレとか必要だろうなぁ」というモノを調べて回ってました。

だいたい目星はつきましたがまだ入手する必要はない。このまま自分の心が1ミリも望まないところに延々閉じ込められる人生を送るというのは絶対に、絶対に有り得ない、そんな状態にさせられるなら強制帰幽する。それくらい拒絶するのです。絶対に拒否します。

今日はロードランを敢行しましたので作業がほとんどできませんでしたが、このロードランはもう死ぬまで続行すべきでしょう。山に行き続けるために最後の1秒まで鍛え続ける必要があるからです。昨シーズンのスノーシューのリベンジを何としても果たす。今シーズンはフルアタックしてみせる。

移住先で生鮮食料品を入手する場所とか、そういう事まで調べて回っているのです。それくらい本気という事です。安いチェーン店を見つけましたのでそのお店の付近に移住する事が当面の目的です。野菜だけは日々お店で入手しないといけませんので。

さぁ書籍のスキャンとアナログ絵380を急がないといけません。霊団が何と言ってこようと僕はこの作業時間不足を脱出によって解決してみせる。僕の全生命をかけて脱出してみせる。ある脱出アイデア決行日までまだ時間がありますので気を抜かずに節約を続行します(祈)†

「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†■2024年5月8日UP■
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†
初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象が僕の身に起こりました。どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、全く未知の霊現象のためやむなく自分でこのように命名した霊現象となります。この隔離フィールドの詳細説明は諸事情で割愛させて頂きますが、実はこの隔離フィールド時に「地縛霊、低級霊のジャマを一切無視する修行」のような事をずっとやらされていたのです。半強制的に地縛どもの声を霊聴に流されて、寝ている時以外はずっとその地縛どもにムカつく事を言われ続けながら生活する、という状態を延々やらされていたのです(ちょうどセブンで仕事を始めた頃です)それはもう最初は大変な精神的苦痛を味わわされました。しかしその修行の成果もあって、低級な声のほとんどを無視する事ができるようになっています。2度とあの「隔離フィールド」の状態にさせられるのはゴメンですが、僕がもし自動書記霊媒として機能するようになったら、あの時と似たような状態にさせられるから覚悟しておきなさいと霊団が言っているのかも知れません…続きを読む→
■2020年4月15日UP■
TrailMovie “処刑遊び"について、深いレイヤーまで掘り下げて徹底的に解説してみようと思います(祈)†
この悪魔4人に取り囲まれて誰も助けてくれる人もなく、いくら泣き叫んで懇願しても聞いてもらえず、悪魔4人は喜びながら笑いながら自分の手足を切ってくる…この奴隷の女の子の心境、そして絶望はどれほどのものでしょうか。女の子を恐怖と悲しみと絶望の底に叩き落とす事に最大級の喜びを感じる天皇一族男子(明仁、徳仁、文仁、悠仁)は間違いなく【人間ではない】と言い切る事ができます…動画を見る→
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→

[ある書物でインドが人種と宗教の揺籃の地であるとの説を読んだことがあり、われわれの交霊会でも、その問題に触れた霊言を聞いたことがあった。その点を質すと、プルーデンスがこう綴った – ]

救世主信仰は太古からある

その通りです。今の貴殿の信仰の底流となっている宗教的概念の多くは、インドにその源流を発しています。インドに発し、太古の多くの民族によって受け継がれてきています。その原初において各民族が受けた啓示は単純素朴なものでしたが、それにインドに由来する神話が付加されていったのです。

たとえば救世主出現の伝説は太古からあります。いずれの民族も自分たちだけの救世主を想像しました。キリスト教の救世主信仰も、もとをたどればインドの初期の宗教の歴史の中にその原型を見出すことができます。

インドの伝承文学の研究がこれまで貴殿が勉強してきた言語的側面と大いに関わりがあるように、その遠く幽(かす)かな過去のインドの歴史の宗教的側面の研究は、今の貴殿にとって必要欠くべからざるものです。関心を向けていた
だきたい。援助する霊を幾人か用意してあります。

インド、ペルシャ、エジプト、ギリシャ、ローマ、ユダヤ – これらの民族とその知的発達に応じた神の概念の啓示の流れについて、今こそ学ぶべきです。ジャイミニー Djeminy(1)とヴェーダ・ヴァーサ Veda Vyasa(2)がソクラテスとプラトンの先輩であったことを知らねばなりません。

そのことに関しては、その時代に地上生活を送りその事実に詳しい者が、いずれ教えることになるでしょう。が、その前に、地上に残る資料をみずからの手で蒐集する努力を積まねばなりません。指導はそれが終了したのちのことになります。

さらに、その資料の中に人間がいつの時代にも自分たちを救ってくれる者の存在の必要性を痛感してきたこと、そして又、そうした救世主にまつわる伝説が太古から繰り返されてきている事実を見出さねばなりません。

数多くの伝説を生んだ神話のひとつが、純潔の処女デーヴァキ- Devaki の奇跡の子クリシュナ Chrishna(3)の物語であることもわかるであろうし、そうした事実が、これまでキリスト教の中で闇に包まれていた部分に光を当てることにもなるでしょう。

もっとも、われわれはこの事実を重大なものとして、早くから指摘しております。貴殿の異常な精神状態がその分野に関する無知と相まって、われわれに手控えざるを得なくさせてきたのです。

このほかにも、まだまだ取り除かねばならない夾雑物があります。これを取り除かないかぎり、正しい思想体系の構築は望めません。大まかな荒筋においてさえ、貴殿にはまだ奇異に思えるものが多い。まずそれに馴染んだ後でなければ、細部へ入ることはできません。

たとえば、古代の4大王国、すなわちエジプト、ペルシャ、ギリシャ、ローマの哲学と宗教は、その大半がインドから摂り入れたものです。インドの大革命家であり説教者であったマヌ Manou(4)がエジプトではマーニー Manes となり、ギリシャではミノス Minos となり、ヘブライ伝説ではモーセ Moses となった。

いずれも固有名詞ではなく“人間”Man を意味する普通名詞でした。偉大な真理の開拓者は、その顕著な徳ゆえに民衆から The Man と呼ばれたのです。(5)民衆にとっては人間的威力と威厳と知識の最高の具現者だったわけです。

大思想家マヌ

インドのマヌはイエスより3000年も前の博学な学識者であり、卓越した哲学者でした。いや実は、そのマヌでさえ、それよりさらに何千年も前の、神と創造と人間の運命について説かれたバラモンの教説の改革者にすぎません。

ペルシャのゾロアスター(6)が説いた真理も、すべてマヌから学んだものでした。神に関する崇高な概念は、元をたどればマヌに帰します。法律、神学、哲学、科学等の分野において古代民族が受けたインドの影響は、貴殿らが使用する用語がすべてマヌ自身が使用した用語と語源が同じであることが事実であるのと同様に、間違いない事実であるとの得心がいくでしょう。

近代に至ってからの混ぜものがその本来の姿を歪めてしまったために、貴殿は類似点を見出し得ないかも知れませんが、博学な言語学者ならば、その同一性を認めることでしょう。

一見したところ世界の宗教はバラモンの伝承的学識の中に類似性を見出せないように思えますが、実はマヌが体系づけ、マーニーがエジプトに摂り入れ、モーセがヘブライの民に説いた原初的教説から頻繁に摂取してきたのです。哲学および神学のあらゆる体系にヒンズー(インド)的思想が行きわたっています。

たとえば古代インドの寺院において、絶対神への彼らなりの純粋な崇拝に生涯を捧げたデーヴァダーシー Devadassi と呼ばれる処女たちの観念は、古代エジプトではオシリス Osiris の神殿に捧げられる処女の形をとり、古代ギリシャではデルポイ Delphi の神殿における巫女(みこ)となり、古代ローマではケレース神 Ceres の女司祭となり、のちに、かの女神ウェスタ Vesta に身を捧げた処女となって引き継がれていったのです。

こうしたことは、われわれが教えたいことの一例にすぎません。ともかく貴殿の注意をその方向へ向けてもらいたい。われわれはきわめて大まかな概略を述べたにすぎません。細かい点は、これから後に埋め合わせることにしましょう。貴殿はまだ概略以上のことは無理です。

– 確かに私は知らないことばかりです。それにしても、あなたは人間がまるで霊の道具にすぎないような言い方をされます。できのいい道具、お粗末な道具、物わかりのいい道具、悪い道具…。

これまでもしばしば述べてきたとおり、知識はすべて霊界からもたらされます。実質はわれわれの側にあり、人間はその影にすぎません。地上世界でも、教えやすい者ほど多くを学ぶことになるのと同じく、われわれとの交わりにおいても、素直な者ほど多くを学ぶことになります。貴殿に学ぶ心さえあれば、いくらでも教える用意があります。

真理は常に相対的

– 人間には大して取り柄はないということですか?

従順さと謙虚さの取り柄があります。従順にして謙虚な者ほど進歩します。

– 万一霊側が間違ったことを教えた場合はどうなります?

すべての真理には大なり小なりの誤りは免れません。が、その滓(かす)はいずれ取り除かれます。

– 霊によって言うことがことごとく違う場合があります。どれが正しいのでしょう?真実とはいったい何なのでしょう?

言うことが違っているわけではありません。各霊が自分なりの説き方をしているまでです。ゆえに細部においては異なるところはあっても、全体としては同じことです。そのうち貴殿も、“悪”と呼んでいるものが実は“善”の裏側にすぎないことがわかるようになるでしょう。

地上では混じり気のない善というものは絶対に有り得ません。それは空しい夢想というものです。人間にとって真理はあくまでも相対的なものであり、死後も長期間にわたって相対的であることは免れません。

歩めるようになるまではハイハイで我慢しなければなりません。走れるようになるまでは歩くだけで我慢しなければなりません。高く舞い上がれるまでは走るだけで我慢しなければなりません。

プルーデンス

事故死者の霊がモーゼスに憑依

[私が『霊の身元』と題する記事で紹介した、例の他界したばかりの霊による不気味な影響力を受けたのはこの頃だった。ある人がベーカー通りに近い通路の舗装工事中にローラー車の下敷きとなって悲惨な死を遂げ、私がたまたまその日に現場を通りかかったのである。

そのとき私はその事故のことは知らなかった。そしてその夜、グレゴリー夫人宅でデュポテ男爵による交霊会に出席したところ、その霊が出現した。2月23日(1874年)にその件について尋ねると、その霊の述べた通りであることがインペレーターからの通信で確認された。]

その霊がそなたに取り憑くことができたこと自体が驚きである。そなたがその男の死の現場の近くを通りかかったからです。そのことはあまり気にせぬ方がよい。心を乱される恐れがあります。

– (最近他界した)私の友人がまだ眠りから覚めないでいるのに、なぜその男はすぐに目を覚ましたのでしょう?

非業の死を遂げたあとの休眠を取っていないまでのことです。本当は休眠した方がよいのです。休眠しないと、そのままいつまでも地縛の霊となります。そうした霊にとっては休息することが進歩への第一歩となります。未熟な霊はなるべく休眠を取り、地上生活を送った汚れた場所をうろつかないことが望ましいのです。

– あのような、想像するだけでぞっとするような死に方をして、霊は傷つかないのでしょうか。

肉体がひどい傷を受けても、霊まで傷つくことはありません。ただし、激しいショックは受けます。それがために休息できず、うろつきまわることになるのです。

– あの霊は死の現場をうろつきまわっていた?それがどんな具合でこの私に取り憑いたのでしょうか。

あのような死に方をした霊は、よく現場をいつまでもうろつきまわるものです。そこをそなたが通りかかった。そなたは極度に過敏な状態にあるから、磁石が鉄を引きつけるように、霊的影響を何でも引き寄せてしまうのです。

この種の霊的引力は、そなたにはまだ理解できないであろう。が、それではいけない。地上では低い次元での霊的引力の作用が現実にあるのです。日々の交わりの中で引力と斥力とが強力に作用しています。

大半の人間は気づいていませんが、すべての人間、とくに霊感の鋭い者は、その作用を受けております。肉体が無くなれば、いっそうその作用は強烈となります。五感を通して伝達されていたものが、親和力と、それと相関関係にある排斥力の直覚的作用に代るのです。

が、この件に関してはあまり気にせぬがよい。あまり気にしていると、ふたたび親和力の法則が働いて、未発達霊の害毒を引き寄せることになります。彼には特別の思いがあってのことではありません。そのことは、あの気の毒な霊も、そなたに取り憑いたことで何の益にもならなかったことで知れます。

†インペレーター

[注釈]

(1)インド哲学のご専門の方の助言によれば、Jaimini が正式の綴りであるという。モーゼスの記憶の層にある英語の知識が外来語の綴りの邪魔をしたのかも知れない。

(2)ジャイミニーの師

(3)Krishna と綴られることもある。

(4)原文の綴りのままであるが、同じインド哲学のご専門の方の助言によれば、Manu が正しく Manou という綴りは有り得ないという。訳者の推測では、英語の母音は長音化する傾向があるので、マヌがマヌーとなり、しかも語尾がuで終ってウーと発音する単語は純粋の英語には存在しないので、モーゼスの英語感覚の影響を受けてouとなったのであろう。

ouをウーと発音するものならsoup(スープ),group(グループ),route(ルート)など、いくらでもある。

(5)現在でも、その年で最も活躍の目覚ましかった人を The Man of the Year などと呼ぶ。

(6)Zoroaster 紀元前600年頃の宗教家。ゾロアスター教の開祖。Zarathustra とも。

(7)Spirit Identity 心霊誌 Light に連載されたもので、その後1冊にまとめられて1878年に出版されている。

それによると、実は“事故死”ではなく“自殺”である。また、デュポテ霊媒による交霊会となっているが、初めから交霊会を催す予定だったのではなく、会食のために集まった時の出来事である。

食事が終った直後にモーゼスが自動書記の衝動にかられ、あわてて紙とエンピツが用意された。すると“自殺した – 今日自殺した – ベーカー通り – 霊媒が通りかかった”と綴られた。

そのあとは乱れて読めなくなった。というのはモーゼスの興奮の度がひどくなり、やがて入神状態となって立ち上がり、こんどは霊言現象となって「そうだ!そうだ!自殺したんだ – 血だ、血だ、血の海だ!」

と叫んだ。憑依現象はそれだけで終ったのであるが、モーゼスはそれから数時間にわたってひどい不快感に悩まされ、完全に抜け切るまでに数日かかったという。

この事実で興味ぶかいのは、会食に集まった者の誰ひとりとしてその事故のニュースを知らなかったことである。みんな翌日の新聞でそれが事実であることを知ったのだった。

「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→