WordPress霊関連書籍ヘッダーSPIRITUAL-UNFOLDMENT-ONE

このホワイトイーグル霊の書籍、実は今回が3回目の注文なのです。1回目は注文後いつになっても発送されないのであきらめてキャンセルし、イヤそれではいつまでたっても届かないだろうと思い直して2回目の注文をし、1ヶ月以上待った末に「この英国の販売元は発送を取りやめているようです」と連絡が入る。もっと早くメールできるだろ、と若干キレる。

そして別の販売元から3回目の注文をして、コレも1ヶ月くらい待たされました、待って待ってようやく手元に到着した1冊なのです。なぜこれほど時間がかかったのかが全く意味不明ですが、コレにてようやく「Spiritual Unfoldment One~Four」の4冊が揃いました。

現在「Two」が翻訳 & WordPress掲載済、「Three」「Four」が全ページスキャンとOCR変換まで完了中、これからGoogle翻訳にかけるところ、「One」はこれからスキャンを開始するところですが、アナログ絵379、全ページ完了中ですのでまずはコチラを急ぎます。

UPに際して少しテキストを撃つので少々お待ち下さい。今日中にUPできるか微妙ですがやるだけやってみましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†■2024年7月18日UP■
■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†
何しろクレスは特殊な船ですので、変わったお客様もやってきます。今回は地球から132億光年も離れたところからの訪問者です。花の種族、エゴンの方々、男女ふたり フラーデッキ クレスの子供たち、手に花を持ってお出迎え エゴンの女性「皆さまはフラーをはじめ、花をとても大切にして下さっています。本日はエゴンを代表して、そのお礼に参りました♪」エゴンの男性「この船は艦長が素晴らしい。この船で生活している子供たちは幸せです♪」子供たち「すごくイイにおいがするよー♪」子供たち「フラーのコクピットのニオイに似てるー♪」フラー17のウイングの上に座る香世子さんと僕「あんな美しい方々がいるなんて。僕たち地球人類はまだ宇宙の事、何も分かっちゃいないんだよね」ジョナサンも一緒 香世子さん「そうね」ユキも一緒…続きを読む→
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†■2024年8月1日UP■
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†
僕「子供たちでモミクチャだからごあいさつはできそうもないね」香世子さん「クス♪」僕「アリ?フェアリーとお友達なんですか?」エゴンの女性「今回の私たちのクレス訪問の本当の目的は、ステラに会う事でした」僕「ステラ?」フェアリー「アキトさん、わたしです♪」僕「え゙っ!?」フェアリーがしゃべった??フェアリーから輝くステラが現れる 僕「あ、あなたがフェアリーの本体ですか?」フェアリー「あなたがた地球人がフラーという、花をモチーフとした乗り物を設計し始めた当初から、私たちはその開発に影ながら関わってきました」フェアリー「今や機種も増え、あなたをはじめ多くのクルーがフラーの事を好きになってくれているのを見て、私たちは大変満足しています」フェアリー「あなたと宇宙を飛ぶのはとても楽しいです♪まだ当分クレスにお世話になるつもりですので、アキトさん、今後ともよろしくね♪」僕「は、はるばるどうも…」フェアリーにはいつもお世話になっております 香世子さん「……」フェアリー「…ね♪」男性「…ニヤリ♪」女性「…ニコニコ♪」……イエス様「お久しぶりです♪」ヨハネ氏もいる男性「こ…このようなところにいらっしゃるのですか?」女性「お会いできて光栄ですわ♪」…続きを読む→

[これまでに得た新たな観点からモーセ関係の記録の本質を検討してみて私は、その中に神の観念が徐々に発達していく様子を明瞭に読み取ることができ、結局“モーセ五書”はひとりの作者によるものではなく、数多くの伝説と伝承の集成にすぎないという結論に達した。その点について意見を求めると – ]

われわれの手引きによるバイブルの再検討において、そなたは正しい結論に達した。そなたその方向へ手引きしたのは、個々の書が太古の人間の伝説や伝承をまとめたものにすぎず、いかに信の置けぬものであるかを知ってもらうためです。そのカギを知らない者には見分けのつかないものなのです。この点は、われわれとしても、とくと訴えたいところです。

古代の宗教書から引用した言説にどこまで信を置くべきかは、むろんそなた自身の理解力にもよるが、それと同時にその引用した書の実像と、その言説のもつ特殊な意味にもよります。

最古の書の中にも崇高な神の概念を見出すことが可能である一方、その後に出た新しい書の中に、この上なく冒瀆的で、きわめて人間的な、不愉快千万な概念を見出すこともできます。

たとえば人間の姿をして人間と格闘する神、対立する神への報復の計画を人間と相談する神、血の酒宴を催し、敵の血をすすって満腹する残忍至極の怪物としての神、友人の家の入口に座し、仔ヤギの肉とパンを食する人間としての神、等々。

その説くところはひとつひとつ質が異なり、それをいくら集めたとて、正しい理性でもって判断すれば個々の話以上のものとはなり得ません。そなたは、無知ゆえに真相を捉えそこねて過ちへと迷い込むことのないよう、そうした言説は奥に秘められた意味を理解することが肝要です。

啓示の質は霊媒で決まる

重ねて言うが、啓示とは時代によって“種類”を異にするのではなく“程度”を異にするのみです。

その言葉は、しょせん、人間的媒体を通して霊界から届けられるものであり、霊媒の質が純粋にして崇高であれば、それだけその霊媒を通して得られる言説は信頼性に富み、概念も崇高さを帯びることになります。

要するに霊媒の知識の水準がすなわち啓示の水準ということになるわけです。ゆえに、改めて述べるまでもあるまいが、初期の時代、たとえばユダヤ民族の古記録に見られる時代においては、その知識水準はきわめて低く、特殊な例外を除いては、その概念はおよそ崇高と言えるものではありませんでした。

人類創造の計画の失敗を悔しがり、悲しんですべてをご破算にするような、情けない神を想像した時代から、人間は知識において飛躍的に進歩を遂げてきました。

より崇高にして真実に近い概念を探ろうとすれば、人間がその誤りの幾つかに気づき、それを改め、野蛮的想像力と未熟な知性の生み出した神の概念に満足できなくなった段階に到達した時代にまで下らねばなりません。野蛮な時代は崇高なものは理解し得ず、したがってより崇高なものは何ひとつ啓示されませんでした。

それは、神の啓示は人間の知的水準に比例するという普遍的鉄則に準ずるものです。人間のそもそもの過ちの根元は、その愚かにして幼稚きわまる野蛮時代の言説をそのまま受け継いできたことにあります。神学者がそれをすべての時代に適用さるべき神の啓示であるとしたことにあります。その過ちをわれわれは根底から改めたいと願っているのです。

もうひとつ、それよりさらに真理を台なしにするものとして、神は全真理をバイブルの全筆録者を通じて余すところなく啓示し、したがって根元的作者は神であるがゆえに、そこに記録された文字は永遠にして絶対的権威を有するという信仰があります。この誤りはそなたの頭からはすでに取り除かれています。

その証拠に、もはやそなたは、神が矛盾撞着だらけの言説の作者であるはずはなく、時代によって相反することを述べたはずもないということを理解してい
ます。霊界からの光が無知蒙昧な霊媒を通じて送られ、その途中で歪められたために、そういう事態になったのです。

そうした誤った言説に代ってわれわれは、啓示というものがそれを送り届ける霊の支配下にあり、その崇高性、その完全性、その信頼性に、その霊による“程度”が生じると説きます。

またそれゆえに、そのひとつひとつについて理性的判断をもって臨むべきであること、つまり純粋な人間的産物を批判し評価するのと同じ態度で判断すべきであると説くのです。そうなれば、聖典を絶対的論拠とすることもしなくなるでしょう。

すべての聖典を1個の資料として提供されたものとして取り扱うことになるでしょう。そうした批判的精神でもって臨む時、聖典そのものの出所と内容について、これまで是認され信じられてきたものの多くを否定せねばならないことに気づくはずです。

モーセ五書

さて、そなたは“モーセ五書”について問うている。これは、前にも少し触れたように、何代にもわたって語り伝えられた伝説と口承(こうしょう)が散逸するのを防ぐ目的で、エズラが集成したものです。

その中のある部分、とくに“創世記”の初めの部分は、記述者が伝説にさらに想像を加えたものにすぎません。ノアの話、アブラハムの伝説等がそれであり、これらは他の民族の聖典にも同一のものが見られます。“申命記”の説話もみなそうであり、エズラの時代に書き加えられたものです。

その他についても、その蒐集はソロモンとヨシアの時代の不完全な資料によってなされたものであり、それが又、さらにそれ以前の伝説と口承にすぎなかったのです。いずれの場合も、モーセ自身の言葉ではありません。また律法に関する部分の扱いにおいても、真正な原典からの引用部分は例外として、他に真正なものはひとつも存在しません。

いずれバイブルの初期の書に見られる神の概念について詳しく述べることになりましょうが、今は、そうした書が引用している話や伝説は、他の資料によってその真正さが確認された場合を除けば、その歴史的記述も道徳的説話も、一顧の価値もないものであることを指摘するに止めます。

[この通信は結果的に私自身の調査を確認するところとなった。編纂者が引用したのはエロヒスト(1)とヤハウィスト(2)のふたりの記録までたどることができると考えた。

それは例えば“創世記”第1章および第2章の[3]と第2章の[4]の天地創造の記述の対比、ゲラルにおけるアビメレク王によるサラの強奪(“創世記”第20章)と同第12章の[10]~[19]および第26章の[1]~[2]の対比に見られる。この見解が正しいか否かを尋ねた。]

それも数多い例証の中のひとつにすぎません。こうした事実を認識すれば、その証拠がそなたの身辺にいくらでも存在することに気づくでしょう。問題の書はエズラのふたりの書記エルナサン(3)とヨイアリブ(4)が引用した伝説的資料です。

数が多く、サウル王(5)の時代に蒐集されたものもあれば、さらに前の、いわゆる“イスラエルの士師”(6)の時代に蒐集されたものもあり、またソロモン(7)とヘゼキア(8)とヨシア(9)の時代に蒐集されたものもある。いずれも口承で伝えられた伝説に格好をつけたものにすぎません。

啓示の本流がメルキゼデクに発することはすでに指摘しました。それ以前のものはどれも信が置けません。霊に導かれた人物に関する記録も、必ずしもすべてが正確とはいえません。が、全体としての啓示の流れは、これまでわれわれが述べてきた通りであったと思えばよろしい。

[旧約聖書の聖典がそのような形で決められたとなると、“預言書”についてはどの程度まで同じことが言えるのかを尋ねた。]

預言者

あの預言の書はすべて、エズラ王の権威のもとに、現存していた資料を加え配列したにすぎません。そのうちのハガイ書(10)、ゼカリア書(11)、マラキ書(12)は、その後に付け加えられたものです。ハガイはエズラ書の編纂に関わり、またマラキとともにその後の書を付加して、ついに旧約聖書なるものを完成させました。

このふたりとゼカリアの3人は常に親密な間柄を保ち、大天使ガブリエル(13)とミカエル(14)がその霊姿を予言者ダニエル(15)の前に現わして使命を授けた時に、その場に居合わせる栄誉に浴しています。予言者ダニエルは実に優れた霊覚者でした。

有り難きかな神の慈悲。有り難きかなその御力の証。

– “ダニエル書”第10章にある“幻(まぼろし)”の話ですか。

ヒデケル(16)の土手のそばでの出来事でした。

– 同じものです。ということは、予言者の言葉からの抜粋にすぎないということでしょうか。

抜粋にすぎません。それには、もともと隠された意味があり、表面には出ておりません。霊現象の多発する時代が過ぎ去ろうとする時に、過去の予言の記録から抜粋されたのです。そして再び霊の声の聞かれる時代まで、聖典も閉じられたままになったのです。

– ダニエルは大予言者、つまり霊覚者であったと言われますが、当時は霊的能力は珍しくなかったのでしょうか。

ダニエルは格段に優れた霊的能力を具えておりました。霊的時代の幕が閉じられるころは、霊的能力も滅多に見られなくなっていきました。が、今の時代に比べれば霊力の開発に熱心でした。霊力と霊的教訓を大切にし、よく理解しておりました。

– となると、旧約聖書に見られる類の霊言や霊視の記録が相当失われているに相違ありません。

まさしくその通りです。記録する必要もなかったのです。記録されていたものでも、そなたたちのバイブルから除外されたものもまた多くあります。

[それから2、3日後の11月16日に、かねてより約束の、神の概念についての通信を要求したところ – ]

神の概念の発達

聖書に見られる神の概念については、これまでにも折にふれて述べてまいりました。このたびは次の諸点、すなわち神の概念が徐々に進歩してきていること、ゆえにアブラハムの神はヨブの神に劣ること、われわれが常に指摘している基本的真理 – 神の啓示は人間の霊的発達と相関関係にあり、人間の能力に応じて神が顕現されるものであることは、バイブルの至るところに見られることなどを、さらに明確に致したく思います。

その基本的概念を念頭に置いた上で、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、エゼキエル、ダニエルの各書を読めば、われわれの指摘する通りであることが一目瞭然となるでしょう。

初期の族長時代においては、絶対的最高神は数々の人間的概念のもとに崇敬されていました。アブラハム、イサク、ヤコブの親子3代にわたる神は、それを神として信じた当人にとっては優れた神であったかも知れませんが、近隣の族長の神よりも優れていたというにすぎません。

アブラハムの父は、そなたも知るとおり、変った神々を信じていた。息子の神とは別の複数の神を信じていました。いや、実は当時はそれが当たり前のことだったのです。各家族がそれぞれの代表としての神をもち、崇め、誓いを立てていたのです。そのことは最高神のことをエホバ・エロヒムと呼んだことからも窺えるでしょう。(17)

さらに、思い出すがよい、ヤコブの義父ラバンはヤコブが自分の神々を盗んだと言って追求し脅迫までしている。そのラバンはある時、家族の神々の像を全部まとめてカシの木の根もとに埋めて隠したりしている。こうした事実を見ても、エホバと呼ばれている神はアブラハムとイサクとヤコブの神なのです。つまり唯一絶対の神ではなく、一家族の神にすぎなかったのです。

そうした家族神がモーセとその後継者ヨシュアの時代にイスラエルの国家神へと広がっていったのは、イスラエルの民が一国家へと成長した段階になってからのことでした。モーセでさえ、その絶対神の概念においてまだ、“他の神より優れた神”といった観念から完全に抜け切っていたとは言えません。

そのことは、神々の中でエホバ神に匹敵するものはいないという言い方をしていることからも窺えよう。その類の言説が記録の中に数多く見られます。

かの「十戒」の中においてさえ、それを絶対神の言葉そのものであると言いつつ、イスラエルの民はその絶対神以外の神を優先させてはならぬと述べたりしています。ヨシュアの死の床での言葉を読むがよい。そこにも、“他の神よりも優れた神”の観念を見ることができるでしょう。

真の意味での絶対神に近い観念が一般的になってきたのは、そうした人間神の観念に反発を覚えるまでに成長してからのことでした。“預言書”ならびに“詩篇”を見れば、神の観念がそれ以前の書にくらべてはるかに崇高さを増していることに気づくはずです。

この事実に疑問の余地はありません。神はバイブルの中においてさまざまな形で啓示されています。崇高にして高邁(まい)なものもあります。“ヨブ記”と“ダニエルの書”がそれです。

一方、卑俗にして下品なものもあります。歴史書と呼ばれているものがそれです。が、全体としてみた時、そこに神が人間の理解力にふさわしい形で啓示されてきていることを窺うことができるでしょう。

また、それは必ずしも直線的に進歩の道をたどって来たともかぎりません。傑出した人物が輩出した時は、神の概念も洗練され品格あるものとなりました。必ずそうなっております。ことにイエスが絶対神を説いた時がきわだってそうでした。

今なお優れた霊が霊覚者を通じて、その崇高なる神の観念を伝え、より明るい真理の光を地上にもたらしつつあります。そなたが生きてきた全世代を通してその働きは続いており、かつてよりはるかに明るい神の観念が啓示されつつあります。

備えのない者は見慣れない眩(まぶ)しさに目をしばたかせ、目を被い、暗闇へと逃げ込みます。神の真理を正視しうるまでに魂の準備ができていなかったからにほかなりません。

– 聖火の伝達者ということになると思います。確かに歴史を見れば時代より1歩先んじた人物がいたことは容易に知ることができます。思うに、人類の歴史は発展の歴史以外の何ものでもなく、同じ真理でも、その時点での能力以上のものは理解できないことがわかります。

そうでなければ、永遠の成長ということが言えなくなるわけですから…。いずれにせよ、まだまだ私は知らないことばかりです。

自分の無知に気づかれたことは結構なことです。それが向上の第1歩なのです。そなたは今やっと真理の神殿のいちばん外側の境内に立ったようなものであり、奥の院にはほど遠い距離にあります。

まず外庭を幾度も回って知り尽くしたのちに初めて中庭に入ることを許されるのです。まして奥の院を拝するにふさわしい時が到来するまでには、永く苦しい努力を積まねばなりません。

が、それでよいのです。焦らぬことです。祈ることです。静かに、忍耐づよく待つことです。

†インペレーター

[注釈]

(1)Elohist 旧約聖書の最初の6書の中で神のことを Elohim と呼んでいる部分の編者のこと。注(17)も参照。

(2)Yahwist 旧約聖書の最初の六書の中で神のことをYahwehと呼んでいる部分の編者のこと。

(3)Elnathan

(4)Joiarib

(5)Saul イスラエル第1代の王。

(6)Judges of Israel 裁き人、執権者。

(7)Solomon 紀元前10世紀のイスラエルの王で、ダビデの子。

(8)Hezekiah 紀元前8~7世紀のユダ王国の王。

(9)Joshia 紀元前7世紀のユダ王国の王。

(10)Haggai 紀元前5世紀のヘブライの予言者。

(11)Zechariah 紀元前6世紀ごろのヘブライの予言者。

(12)Malachi 紀元前5世紀のユダヤの予言者で、これは本書でインペレーターと名のっている霊であるという。

(13)Gabriel バイブルにいう7大天使のひとりで、宇宙経綸をあずかる神庁の最高位の霊であるとされている。

(14)Michael バイブルにいう4大天使のひとりで、悪の勢力との対抗をあずかる霊団の最高位の霊であるとされている。

(15)Daniel 紀元前6世紀のヘブライの予言者。

(16)Hiddekel チグリス川のこと。トルコ、イラクを通り、ユーフラテス川と合流してペルシャ湾に注ぐ。

(17)エロヒムというのはイスラエル民族の神の呼称で、それもモーセ以降に生まれた概念であるから、エホバ・エロヒムといえば限られた特殊な神ということになり、絶対神ではないことになる。

「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†■2024年9月11日UP■
「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†
僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†■2024年8月29日UP■
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†
やはり「海割り」のシーンは何度見ても爽快ですね。この紀元前12世紀のモーセ氏が僕の「100の光の霊団」に協力して下さっているなどという事がどうして信じられるでしょう。霊団にそのような事を言われてもまるで絵空事のように聞こえます。よほど強烈な霊現象か何かでもこの眼で見ない限りそんな事は信じられるはずもありません。しかし霊団は「私を信じて欲しい」と言ってきてます。このインスピレーションがモーセ氏の思念という根拠はどこにもありませんので、まずは静観しておきましょう。これまでの霊団の動きからして、何もなく素通りしていくに決まってますので。ひとつたりとも言った通りになった事がありませんからね。しかし久々にムービーの作業をやってみて、やはりムービーは大事だなぁと改めて思ったりもします。僕はYouTubeにムービーをUPしても100%消されますから「消されると分かっているモノに対してパワーはかけられない」という気持ちが働いてトレイルムービーを作り続けられなくなったという経緯がありますが、このようにWordPress上にUPする事も一応できます…続きを見る→
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→

長文ブログUP直後の、テキストとして落とし込めないタイミングを狙ってわざと核心的インスピレーションを降らせてくるという事を霊団はしょっちゅうやってくるのですが今日もそれで、チョト説明できない事を複数言われています。僕のこれまでの苦難の使命遂行を振り返るような内容です。

そのインスピレーションの説明は次週できればするとしてアナログ絵379、3ページのゴミ取り進行中、明日のUPはムズカシイかなぁ、とにかく急ぎつつアナログ絵380の線画にも突入中。「Walking With The Angels」のスキャンはまだ未着手。「Paul In Athens」の英文見直しがいつ終えられるのか見当もつきません。

霊団はそういう事を言ってきますが、そう言われて僕の状況が急変するとかそういう事はなく結局閉じ込められている訳ですから、僕は僕にできる事をガシガシこなすより他にどうしようもないのです。書籍のテキスト化、アナログ絵描画、まずはこの作業に集中中。物質界の苦難試練はもう十分だ、いつまでやらされるんだ(祈)†

「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†■2023年4月19日UP■
「この窓から神秘に入る」帰幽後、僕が突入する状況について霊団が言ってきましたが(祈)†
インペレーターの霊訓より抜粋 私がこの地上を去ったのは遙か遠い昔のことになりますが、このたび戻ってまいりましたのは、この霊媒を通じて霊的啓示を届けんがためです。それが私の使命なのです。私の属する界層からこの地上へ戻ってくる霊はきわめて稀です。が、大神が特殊な使命のためにこの私を遣(つか)わされたのです。天界と地上との間の階梯(はしご)はつねに掛けられております。が、人間の側の不信心が天使の働きかけを遮断してまいりました。 – あなたは神の僕(しもべ)ですか。いかにも。神の僕として選ばれ使命を仰せつかることは、われわれ仲間の間にあってはただならぬことです。私はこの霊媒を通じての使命を終えたのちは2度と個的身体をまとって戻ることのできない境涯へと赴きます。他の霊を通じて影響力を行使するのみとなるでしょう。皆さんはすべからく大神の導きを求めねばなりません。おのれを恃(たの)む者は滅びる、滅びる、滅びる…(とくに厳粛な調子で述べた)。神は光明と導きを求める者を決してお見捨てにはなりません。決して、決して、決して……続きを読む→
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→

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霊団が何と言おうと僕は霊関連書籍のテキスト化を進めます。そして絶対的圧倒的絶望的に時間が足りません。どう逆算しても僕の物質界生活中に全書籍のテキスト化を完了させられません。どうしても脱出を決行して作業時間を捻出しなければなりません。

節約の成果が少しずつ数字として表れてきていますので、あともう少しで脱出アイデアを実行に移せるかも知れません。どうしてもこのまま閉じ込められる事を許容できません。最後の1秒まで反逆し続けます。

ホワイトイーグル霊の英語書籍のスキャンもおこないつつアナログ絵379、3ページゴミ取り続行中、今日のUPはムリですが明日、イヤあさってかな、UPできると思います。とにかく止まらずアナログ絵380にも突入します。

閉じ込められるのか。僕は一生閉じ込められるのか。これほど心の底からイヤがっているのに1歩も出られないというのか。一体僕が何を悪い事をしたというんだ、全く心当たりがない、よほど重いカルマでも背負っているというのか。僕は脱出してみせる。さらにロングドライブ問題もあるので移住まで目標に据えてます。

何も良い事がない、どっちを向いても最悪ばかり、しかし手だけは動かし続ける。最後は必ず光に到達できる、そう思わなければ生きていけない(祈)†

「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†■2024年9月11日UP■
「成長している」霊団が僕を最悪の中に閉じ込める理由がコレなのだそうですが(祈)†
僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね…続きを読む→

240911成長している

霊団の仕事のやる気のなさが絶望的レベルとなっていまして、仕事の本体がやる気ないのであれば使われる側の僕は一体どうしろというのか、この霊団の態度が本当に信じられませんが、まずは少ないインスピレーションをこのように羅列してみます↓

地球圏霊界というのは、ココまでして邪悪を守り通そうとする、邪悪を大切にするという事がよく分かりました。そしてマジメに使命遂行している人間はトコトンいたぶってくる。何という美しい世界でしょうか。地球圏霊界に本当に興味がなくなっていますが、やるべき事はキッチリやりましょう。

言う通りに実行するか? 出版 そんな気持ちをもっと固定させてあげたいなぁ

「言う通りに実行するか?」霊団は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状をトコトン僕に教えておきながら、全く邪悪を滅ぼそうとせず、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにすると言い切ってくる始末。

あげくの果てに僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせると言ってくるようになって一体何年が経過しているでしょう。僕は霊媒として仕事をする環境が全く整っていないのでできる訳がないのですが、僕は仕方なく霊団の導きの通りにブログを書き続けてきました。

しかし書いても書いても僕という霊媒は一向に発動せず(サークルメンバーがいないのですから発動する訳がないのです)それで僕はもう完全にイヤになってもう自分が霊媒として機能するだの何だのと言った事は一切書かない事に決めたのですが、霊団がこの期に及んでまだこういう事を言ってきます。

僕という霊の道具を使用して何かをやろうとしていて、その導きに従うつもりがあるか、と聞いてきています。霊団のこの12年の導きで言った通りになった事がひとつたりともありませんので僕の心は冷め切っており、もはや霊団を全然信用していませんが、物質界に残されている以上は使命遂行をやり切らねばなりませんので、まぁ霊団の言う事をまずは聞くしかないのでしょうが…。何をするつもりでいるのか、もう心底ウンザリしているのです。

「出版」僕は霊団が僕という霊媒から新規の霊言を降らせると言い続けていたので、それに合わせるカタチでAffinityPublisherをお勉強して書籍データを作成できるようになりました。事実、復刊を実現させようとして7冊近くのデータを作成、印刷テストまでおこなっています。

つまり新規の霊言さえ降ってくれば僕はいつでもそれを書籍化できる体制が完全に整っているのですが、その肝心の霊言が全く降ってこない。外堀だけはジャンジャン固まっていくが核心の作業が1ミリたりとも進まない。それで僕は完全にイヤになってしまったのです。(物質界のアフォな法律に復刊を阻まれているという事情もありまして…)

しかし霊団はまだしつこく出版的な事を僕にやらせるつもりと言ってきています。ただこのインスピレーションはややハッキリしない降らせ方でしたので詳細はチョト分かりません。僕は本は作る気満々なのです。霊団がやろうとしないのでムカついているのです。

「そんな気持ちをもっと固定させてあげたいなぁ」どんな気持ちを固定させたいのでしょうかよく分かりませんが。まぁ僕の心から霊団を信用する気持ちがすっかり失われてしまっていますので(こんなヒドイ状況をやらされれば誰だってこういう心境になります)霊団はその僕の精神状態を何とか霊性発現初期の頃に戻したいと思っているのでしょうが。ココまで壊滅的状態をやらされればもう以前の気持ちには戻れないと思うよ。
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

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死んでほしい 食べない 死にそう

240911死んでほしい

「死んでほしい」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念で間違いないでしょう。当初は僕を暗殺するつもりでいたが、僕に何度も暗殺を示唆するブログを先行で書かれてしまっていますので殺すに殺せなくなっており、僕が勝手に死んでほしいと思っているのではないでしょうか。

確かに僕は「帰幽カモン」であり一刻も早く物質界を離れたいと思っていますが、イエス様との約束がありますので簡単には死なないよ。僕は霊団には最大級に反逆しているもののかろうじて導きに従う気持ちはある。しかし強姦殺人魔の思惑通りにだけはならないよ。僕は最後の1秒まで闘うよ「1歩も退く気はない」コレが僕の座右の銘だ。

1歩も退く気はない

※「トリカブトちゃん作戦」と題してトリカブトちゃんのタネを蒔いていましたが今年は全く咲きませんでした。が僕はあきらめない、再びタネを入手して蒔きます、作戦2年目に突入します。咲くまで続けます。

「食べない」これは何でしょう、意味が分からないインスピレーションですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が四肢切断、強姦殺人した奴隷の女の子の死肉をもう食べないとか、そういう意味でしょうか。食べない訳ないだろう食べるに決まってるだろう、コイツらは女の子の死肉が大好物で日常的に殺して食べているんだから。

※「切断死体の撮影」「処刑遊び」これら過去ブログをぜひリライトしたいのですが、もう霊団が一切情報を降らせてこないので書くに書けない状態となっています。新規の情報降らせてこいよ。そんなに物質界の邪悪を守り通したいのか。

「死にそう」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の邪悪の正体が国民にバレまくって洗脳がすっかり破られてしまっている事にショックを受けているとか、そういう意味でしょうか。「3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁」が自殺するという趣旨の事は霊団が何度も言ってきていますが一向にその通りにならないじゃないですか。早くそうなるようにもっと追い込まないとダメだろ。

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このように横行されるとは 誘拐マーケット

240911誘拐マーケット

えーまず「誘拐マーケット」これは幽体離脱時映像だったのですが細かいところまで反芻できず、クロッキーにもメモできなかったため詳細は分かりません。ただ離脱から肉体に帰還後のトランス時に霊団が「誘拐マーケット」という言葉を脳内に印象付けてきたのでかろうじて覚えていたという内容です。

要するに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をはじめとしてこの世界には子供たちを誘拐して強姦殺人する事を喜びとしている人間が多数存在していますが「このように横行されるとは」つまり霊界側としても小児誘拐、強姦殺人が物質界でここまで横行する事になるとは思っていなかったという意味かも知れません。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは霊団いわく「総殺害数487」だそうですが、この数字は使命遂行開始初期の頃に霊団が降らせてきた数字であり、ココから相当年数が経っていますから、現在のコイツらの奴隷の女の子の殺害人数は600、700、ヘタしたら1000人とか、そういう事になっているかも知れません。

それほど女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっている邪悪のかたまりの人間が、全く逮捕されずに平然と生活しているのです。なぜ皆さまはそれに対して疑問すら抱かないのでしょうか。もういい加減に声のひとつも張り上げるべきだと思うのですがいかがでしょうか。個人の情報発信がこれほど容易になっている時代です、それくらいの事をやってもイイと思うのですが。

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来たぞ

「来たぞ」これがサッパリ意味が分からないインスピレーションで、削除対象でしたが、要するに「アサシン」が僕のところにくる、僕が殺されると言っているのか?それとも「ポリーチェPolice」が来るのか?(ポリーチェなら過去何度も来てるぞ)それともア〇〇〇が僕のところにきて僕の活動をやめさせるために脅しをかけてくるとか、そういう意味か?これだけでは全然分かりません。

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大天使

これも意味が分からないインスピレーションですが「100の光の霊団」の中に大天使的存在がおられるという意味かも知れません。

(「100の光の霊団」とは現在の僕の使命遂行を指揮している霊団の事で、霊性発現前までは守護霊様率いる小霊団によって僕の人生は導かれていましたが、霊性発現後は守護霊様が僕の守護の任から一旦離れ、イエス様を筆頭とした高級霊団によって導かれる事となって現在に至っています。もっともイエス様が僕を直で指揮、という事は絶対になく、生ぬるく見守っているというカタチだと思われます)

物質界に籍を置く一介の人間に大天使とも呼べるような霊格の高い方が付いて下さるというのは人間界最大級の光栄であり、一生永遠に感謝して帰幽後の霊界人生においても謙虚を貫かなければならないのですが、何しろ現在の僕は最低最悪の状況に閉じ込められていますのでその感謝の念が半減以下の状態になっています。

もっとも霊団がこのインスピレーションを降らせた意図が分かりませんので何とも言えません。あ、ひとつだけハッキリ言える事は、霊団は僕の事を大天使と表現したのではないという事です。当たり前の事ですよね。

イヤ、人間は誰しも大天使になる可能性を秘めた存在であり、いつかはそのように進歩向上する日も来るのだと思いますが、僕は反逆の思念が尋常ではないレベルですので、僕が大天使レベルまで向上するのは何万年も先のお話になるでしょう。

「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†■2024年6月12日UP■
「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†
どうもこのプレアデスの男性と霊団の動きが似ているような気がしてならない。これは霊界上層界の、守護を命じられた人間(霊)を進歩向上させるための厳格なルールみたいなものがあって、それを順守しているのでプレアデスの男性と僕の霊団の動きが似てくるのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。で、エレナさんはその邪悪の宇宙人どもに「脳内にチップを埋め込まれている」そうですが、それを取り除くシーンも紹介されていて、そこでプレアデスの男性と女性クルーとの間でバトルがあって、結局チップを取り除かずエレナさんの脳内に残したのです。これもおかしいだろう、取ってやれよ。たぶんですが、霊格が高まった方々にとっては肉体に起こる出来事など「ホンの一瞬の過ぎ去っていく出来事」であり、エレナさんの脳内にチップが残されているか取り除くかが問題なのではなく、エレナさんが物質界人生で学ぶべき事をしっかり学びきる事をプレアデスの男性は優先してわざと取り除かなかったのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。肉体などというモノは自動的に脱ぎ捨てるものであり、現在の肉体のエレナさんの姿がその女性本来の姿ではない、エレナさん本来の外郭(霊体?)はプレアデスに保管してあって、地球圏での仕事が終わったらエレナさんはその衣服に着替えて、肉体に埋め込まれたチップともども脱ぎ捨てて、そんな低次元のモノとはすっかり縁が切れるのだから、それよりも経験を積ませる事を男性は優先させたのではないか…続きを読む→

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成長している

240911成長している

はい、今回はコンパクトにまとめてみたいと思います。「成長しているこちらのインスピレーションをブログタイトルに冠し、最後に説明してみましょう。

これは要するに霊団が僕に課している「試練」を意味し、僕の目には霊団が僕をイジメ倒しているという風に映りますが、もちろんそんな理由ではなく、霊団が僕の霊的進歩向上を目的として継続的に試練を与えて克服させようとしているという事なのです。

そもそも物質界という境涯の存在意義が「試練を克服して霊格を高める」事を目的とした場所ですから、霊団のやっている事はまぁ当たり前と言えば当たり前なのですが、どうも使命遂行の本題から外れているように思えてならず、それで僕は継続的にカチンときている訳です。

僕にトコトン試練を与えて向上させる、それは結構な事ですが、物質界の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡はどこに飛んで行っちゃったんですか。肝心の仕事はホッポラカシで僕の向上のための試練だけを延々とやってくる、何かがおかしくないですかと、僕は言いたいのです。

で、霊団のやる気のなさ、あきらめムードとも言える空気感を日々感じていますので、霊団はもう僕の物質界生活中に肉眼に映じる結果を招来するつもりはネィんだな、このまま物質界の邪悪をホッポラカシにして僕を帰幽させるつもりだなと、そう思っているのですが、だったら僕を帰幽させればイイだけの話なのに帰幽させず物質界に残して試練だけを延々とやらせる。

八ヶ岳アタック1203行動には動機がある

それで僕の目には「これは単なるイジメだ」と映ってしまう訳ですが「行動には動機がある」と僕は公言し続けています、霊団のこの動きにももちろん意味があるという事になるでしょう。その理由は「僕の帰幽後にも仕事をやらせるつもり」という意味ではないかと思われます。

どういう事かと言いますと、既に霊界にて「次世代降下部隊」が編成されていて、僕が物質界で試練をやらされているのと同じようにその降下部隊のメンバーも別の境涯で研鑽を重ねている真っ最中。で、僕を可能な限り長く物質界に残してイジメの限りを尽くし、霊格を極限まで高めてから帰幽させます。

その後、降下メンバーと霊界にて打ち合わせに入り、要するに僕はそのメンバーの中のひとりの指導霊になるのでしょう。そしてそのメンバーの幼少時から影響力を行使し続け使命遂行に向けた精神力を培わせる幼少期を送らせます。

そしてその人間(男性か女性かは分かりません)が成年を迎えると使命感に目覚め、霊的知識普及および「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、天皇一族の滅亡に向けて活動を開始します。その活動を指揮する霊団の中に僕も入っている、その仕事を遂行する資格に到達させるために現在の試練をやらされている、そういう事なのではないか。

この予測が正しかったとして、ひとこと。「ヤダ」そんな仕事はやりたくネィ。僕は帰幽したが最後、2度と物質圏付近に降下するつもりはネィと公言しています。地球圏霊界を離れたいという願望も本気で公言していますが、ただし霊的知識を果てしなくお勉強してきて「そういう都合のイイ話はネィんだよ」という事も分かっています。

帰幽後の霊界人生の願望を叶えたいなら仕事しなきゃいけネィんだよ、試練の克服もなく霊格の向上もない人間が望みの境涯に赴かせてもらえる訳ネィだろ、そうなりたかったら仕事しなきゃいけネィんだよ、そういう事になりますので、遠回しに霊団は僕の願望を叶えさせてあげようとしているのかも知れませんが、正直言って試練の度が過ぎると思うんですけど。

霊団が僕を最悪の中に何が何でも全力で閉じ込めてくる、これは普通に考えれば極めて不自然な事で、その閉じ込めている場所にサークルメンバー候補になりそうな人間は全くいません。つまり僕をそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は一向に機能しないのです。なのになぜそこまでして閉じ込めてくるのか。

口だけピーチクパーチク動かして僕という霊媒から新規の霊言を降らせると言い続けてくるが、実際の行動はそれとは真逆であり、僕という霊媒が機能する事は一切ありません。そこで僕なりに考えて「自動書記テスト」というモノを敢行しました。しかし9ヵ月続けたのに1文字たりとも降ってくる事はなく、あげくの果てに脅して止めさせてきました。

言ってる事とやってる事がまるっきり正反対じゃないですか。あんたたちが新規の霊言を降らせるって言ってるから僕はそれに合わせて自動書記テストをやったんだろ、それを脅して止めてくるってどういう事なんだ。

そして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、および奴隷の女の子たちの悲劇の惨状を教えてきたのは他でもない霊団です。教えてきておいて全く邪悪を滅ぼすつもりもなければ女の子たちを助けるつもりもない。コイツァーおかしな話だ、じゃあ何のために教えてきたんだよ、となりますよね。

しかし「行動には動機がある」つまり霊団にはれっきとした意図があっての一連の行動とみるべきで、そう考えると霊団の目的は僕の物質界生活には置かれておらず、帰幽後にやらせる予定の仕事のための準備を今やらされていると考えるのがもっともスマートなのではないか、という考えにも到達するのです。イヤ、そうでも考えないと霊団の動きの説明がつかない。

「成長している」つまりその成長とは帰幽後に僕にやらせる予定の仕事のための成長であって、物質界生活中に結果に到達させるつもりはない、という意味に受け取れなくもない、という風になるのです。皆さまいかがですか、そんな事言われたら誰だって腐りますよね。

つまり残された物質界生活中「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して苦虫をかみつぶしながら一向に滅亡に追い込む事ができず、悔しさと怨念を煮えたぎらせる人生を送らされて怒りと涙とともに帰幽させられる。その怒りと涙が帰幽後の仕事の原動力となる。つまり全ては帰幽後に僕にやらせる仕事に向けた準備だと、そういう風に聞こえるインスピレーションなのです。

ヤダ、猛烈にヤダ、その仕事の進め方が気に入らない。しかし幸福な境涯に到達しようと思ったらやるしかない。スゴクイヤなんですけどこのシステム。僕を何が何でも物質界に残すというなら、物的肉眼に映じる結果に多少は到達してもらわなければモチベーションが続かネィだろ。犠牲的人生にもほどがあるぞ。

僕はずっと「反逆」という表現を用いていますが、これは反逆ではなく正当防衛だ、僕が脱出しようとしているのは人間として至極当然の事だと、かなり本気で思います。理不尽にもほどがあるだろ、全く何の結果にも到達させないつもり、ただ苦しみだけを延々味わわせると言われて誰がそれに従うか?

んんん要するに「視点の置きどころ」が僕たち物質界生活者と霊界生活者とでは根本的に違うという事ですね。霊界には時間の概念がありませんし、物質界で学ぶべきを学ばずに下層界でたむろしている大量の低級霊に長年悩まされている事情もありますから、地球圏を経綸している方々としては強姦殺人魔の問題のみならず地球圏が抱えている問題も解決させたいという願望もあるのでしょう。

で、悔しいですがこういう風にまとめるしかないでしょう。僕は霊団の仕事の進め方に超超超ムカついています。しかし現在僕を導く仕事をしている「100の光の霊団」のメンバー達も、かつて物質界生活中に現在の僕と同じような目に遭わされてそれを耐え抜いた方々であるという事です。でなければこの仕事を与えられませんので。できない人間にやらせる訳がありませんからね。

確かに僕の人生目標は「帰幽後に霊界にて賜る霊的褒章」であり、物的目標など全く心に掲げていませんので霊界生活の向上のために現在の苦難があると思えば分からなくもないのですが、そこまでして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通そうというのか。そこまでして奴隷の女の子を見殺しにし続けようというのか。納得いかぬ(祈)†

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「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†■2024年9月4日UP■
「戦争の可能性をすごく感じています」以前から何度も同じ意味の事を降らせていますが(祈)†
まず霊的知識をお勉強しておられる方には改めて言うまでもないと思いますが、戦争ほど愚かなおこないはありません。なぜかと言えば、人間とは「神」を共通の親とした霊的大家族、霊的同胞であり、戦争で敵国の人間を殺す事は自分の家族を殺す事と同義であるという霊的知識を全く理解していないという事になるからです。つまり戦争を起こす人間は霊的に全く無知の人間という事になるのです。霊的な事を理解している人間であれば戦争という愚劣行為はしないはずだからです。単純に物的側面だけを見ても何の問題解決にもなりません。一部の人間が利益を得るだけ、そいつらのために何千何万という人間が無意味に殺され、物質界で学ぶべきだった事を学べずに中途で強制帰幽させられて人生に大変なマイナスを背負う事になってしまうのです。戦争を続けているという事は、その種族、その文化がまだ全然霊的に成熟していない事を意味するのです。僕たち地球人類が宇宙全体から見た時にまだ全然進歩向上していない原始的種族という意味ですよ…続きを読む→
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†■2024年8月29日UP■
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†
やはり「海割り」のシーンは何度見ても爽快ですね。この紀元前12世紀のモーセ氏が僕の「100の光の霊団」に協力して下さっているなどという事がどうして信じられるでしょう。霊団にそのような事を言われてもまるで絵空事のように聞こえます。よほど強烈な霊現象か何かでもこの眼で見ない限りそんな事は信じられるはずもありません。しかし霊団は「私を信じて欲しい」と言ってきてます。このインスピレーションがモーセ氏の思念という根拠はどこにもありませんので、まずは静観しておきましょう。これまでの霊団の動きからして、何もなく素通りしていくに決まってますので。ひとつたりとも言った通りになった事がありませんからね。しかし久々にムービーの作業をやってみて、やはりムービーは大事だなぁと改めて思ったりもします。僕はYouTubeにムービーをUPしても100%消されますから「消されると分かっているモノに対してパワーはかけられない」という気持ちが働いてトレイルムービーを作り続けられなくなったという経緯がありますが、このようにWordPress上にUPする事も一応できます…続きを見る→
「主イエスのために」それは分かってますが、言い返せないのでやや卑怯です(祈)†■2024年8月28日UP■
「主イエスのために」それは分かってますが、言い返せないのでやや卑怯です(祈)†
僕たち人間は本体が霊で、その霊が肉体、幽体、霊体等の表現媒体をまとって自己表現をしていますが、この「霊」さえも【神】の生命表現のひとつでしかなく、この霊の先にさらに何かあるそうなのです。それは完全に次元が異なる問題ですので物的言語などでは全く説明不可能であり、どの霊関連書籍にも「霊の先にあるモノ」については一切叙述がありません。通信霊自体がその事を知らないからだそうです。例えばレッドインディアン、シルバーバーチ霊を霊界の霊媒として霊言を語っておられた3000年前に物質界人生を送っておられた高級霊(僕はこの方がエリヤ氏だと思っているのですが)この方は間もなく地球圏を脱出する寸前まで霊的に進歩しておられるそうですが、たぶんその先に「霊を超えた何か」が待ち受けているのではないでしょうか。僕は「地球圏霊界を脱出する」と公言していますが、エリヤ氏でさえ3000年経過してまだ脱出に至っていないのですから、反逆まみれのお子ちゃまの僕が地球圏を脱出して霊を超えたモノを理解するようになるのは1億年、100億年先となるでしょう。まさに「身の程を知らない恥さらし発言」という事になるのです…続きを読む→
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†■2024年8月21日UP■
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†
もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども…続きを読む→

美ヶ原アタック09プロセス実行

やる気がネィなら使命遂行やめればいいだろと、人の人生ココまで破壊しておいてやる気がネィとは一体ドォユゥ事なんだよと、本当に霊団に対しては怒り心頭ですが、インスピレーション量が少ないので今回のブログはテキスト量は少なめになるものと思われます。が、撃てる限り撃っています。

実は足回りの皮膚がかなりキビシイ事になっていまして、現在使用している山用のパンツが原因と思われるのですが、以前まで使用していたパンツはもう高くて買えません。それで安いものを履いているのですが皮膚が悲鳴を上げているという状況でして、かなり困っています。要するに僕は汗のかき方が尋常ではないという事なんですね。

さぁテキストを撃ち切ってアナログ絵379を仕上げましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日のガス残念撮影の画像をUP。この山域は遠すぎて運転があぶない、そのわりに得るモノがあまりないという事でよほど気が向かない限り行かないかも知れません。山よりロングドライブが危険なのです。

で、霊団が寸前ドッカーンインスピレーションをやってきませんでしたので枯渇状態のままテキスト撃ち始める事になります。あまり長文は撃てないかも知れませんができる限りの事はやってみるつもりです。

何ひとつ成果らしい成果が上がらないこの人生は一体何なんだ。なぜこんな人生をやらされねばならないんだ、Dreamwork(画家活動)の何がいけなかったというんだ、なぜ絵をやめさせられてこんな活動をやらねばならなかったのか。

最低限結果に到達させるところまでは責任もって仕事をやり切ってくれと、霊団に対してそれが言いたくて仕方ありません。んんん頭を抱えますが何とかテキスト撃ち始めてみましょう(祈)†

全くコンビニに立ち寄らず(1回トイレで道の駅に入っただけ)完全ノンストップで5時間かかってようやく登山道入口の駐車場に到着。メチャ遠い、精神的に凹みつつもスタート、ガンガン上っていきます。全く初めての山域に真っ暗闇のなか赴くので数回ルートミスがありましたが何とか上り続けます。

で、いよいよ稜線上に出るとまたしてもまたしてもガス!今シーズンは一体どうなってるんだ、ガスに撮影を阻まれっぱなし。しかも今回は初の山域でコースを全然把握してませんので稜線撮影がダメだった時の非常用撮影ポイントとか、そういうモノも分かりません。どうしようもないのでガスの中で稜線撮影。

もう全然ダメ撮影になってしまいましたが天候には勝てませんので今日はどうしようもありませんでした。撮影画像は明日UPさせて頂くとして明日の長文ブログがピンチです。インスピレーションも少ないですし脳内に全くテキストの設計図らしきものがありません。どう撃てばいいのか全く見当もつきません。

とはいえ往復10時間以上のドライブで(山にいる時間より運転時間の方が長い…)相当のダメージがありますのでまずはダメージの回復に集中しないといけません。イヤもう移住はやらないとダメだと思う。ジイサンの僕にはこのロングドライブは耐えられない。もう本気で考えないと。一旦切ります(祈)†

「ルクエ」フル稼働、アレを調理して、洗って次のモノを調理して、また洗って次、という事を何度も繰り返して全ての準備が整うまで1時間半、イヤ2時間近くかかってるかも知れません。アタック前日は何の作業もできない1日となってしまいましたが、このルクエ作業のおかげで行きも帰りも一切コンビニに立ち寄らずに済み、かなりの節約になっているのです。年ベースで計算すると侮れない数字になるのです。

アナログ絵379、3ページのゴミ取りも全くできませんでしたが380の4ページの線画も描き始めています。とにかくやるしかない、止まるという選択肢は僕の人生にない、今できる事を全力でやる、それが僕という人間だ。霊団に何と言われようと僕はこういう人間だ。

今回はチョト遠いところに赴いてみようと思っています。全く行った事のない人生初の山域です。地形も一切把握してませんので撮影のスケジュールが組めません、行ったその場でアドリブ撮影する事になります。グラデーションが撮れるかどうか、賭けるしかありません。

あーもう準備で疲れたぁ。アタック帰還後の長文ブログはピンチ中です、まぁ寸前ドッカーンインスピレーションが来るのかも知れません、もうヤダこの人生、いつまでやらされるんだ。まずは初の山域に集中中(祈)†

「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†
僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†■2024年8月21日UP■
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†
もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども…続きを読む→

[旧約聖書の時代と新約聖書の時代との間に記録のない時代があることについて尋ねてみた。]

霊力の満ち引き

その時期の記録は何ひとつ残っていません。その期間は、霊界からの働きかけが、特殊な場合を除いて、控えられたからです。そのことについては今は詳説しません。われわれが今目的としているのは、メルキゼデクに始まりイエスに至る大いなる霊力の流れを指摘することにあるからです。

取りあえずそなたとしては、その期間は暗黒と荒廃と霊的飢饉の時代であったこと、そしてその時代が終ったのち、ようやくわれわれが再び人間の心に黎明への希望を目覚めさせることを得たところであると理解すればよい。

今その最初の光が射し込んだ – その光の中のささやかな一部をわれわれの霊団が受け持っているのです。人間がようやく辺りの暗黒に気づき、その帷(とばり)が取り除かれて光が射し込むことを待ち望んだからです。

同じことがすべての民族についても言えます。時として地上的・物質的要素があまりに強く蔓延し、霊的なものが完全に地上から消滅したかに思える時期がありますが、実際にはそうではありません。

暗黒の時期が去り黎明の時が到れば、潜んでいた霊的胚芽が芽を出しはじめます。再び霊力の流れが起こり、人間はかつての真理より一段と高い霊的真理に目覚めます。その過程はあたかも、その日の仕事に疲れた者が休息を求めて横になるのにも似ているでしょう。

あたりのことが皆目わからない。精神は心労で擦り減り、身体も疲労困ぱいです。内外ともに陰うつな空気が漂っている。やがて寝入ってしまう。そして睡眠によって身体は元気を取り戻し、精神は立ち直り、太陽が再びその温かい光を注いでくれていることを知ります。その時、夜明けに味わう、あの躍動する喜びが蘇ります。

人類はその長い歴史において同様の体験を繰り返してきたのです。その時まで満足していた古い霊的教訓に知性がうんざりしはじめます。と同時に、物的要素が勢力を揮いはじめ、疑念と仲違いが生じ、根を張り、その影響が出はじめます。

それまでの真理がひとつまたひとつと疑いの目で見られるようになり、ひとつまたひとつと否定されていきます。そして、ついに神の真理の光が人間の目から被い隠されたことを自覚します。

太陽は霊的地平線の彼方へと沈み、不活発と陰うつと暗黒の夜が始まります。神の使者も活動を手控えます。地上を無知と絶望の夜が支配するにまかせ、眠れる魂が目を覚まして光を求める時期の到来を待ち望みつつ、ひたすらに耐え忍びます。

魂は死んだのではなく、ただ眠っているにすぎません。いつかは必ず訪れる覚醒の時期が到来します。そして、その夜明けの黎明の中において神の使者は、暗黒と絶望の中に光と喜びをもたらしてくれた神への讃歌を、高らかに謳(うた)うのです。

旧約聖書の最後の記録とともに終息した霊的期間と、新たに黎明期を迎えた霊的期間との間には、このような暗黒の時代があったのです。そなたたちの時代のすぐ前に、その黎明期があったのです。今こそわれわれは、そなたを霊的黎明に向けて導かんとしているのです。

疑ってはなりません。そなたにとっては今こそ黎明期となるべき時期であり、その夜明けは新たなる知識の夜明けであり、より広き知識の夜明けであり、より確信に満ちた信仰の夜明けとなることを疑ってはなりません。

その夜明けの光は前期の黄昏どきの薄明かりよりはるかに強く、かつ鮮明であることでしょう。ひたすらに待ち望むことです。その夜明けの光を見落とし、再び寝入り、折角の好機を見失うことのないよう、啓示への備えを怠ってはなりません。

啓示の需要と供給

[そうした暗黒の時期はかならず啓示の時代の前後に訪れるものなのかとの問いに – ]

用語が少しばかり適切さを欠いております。その時期はかならずしも“暗黒”の時期とはかぎりません。動揺と内的興奮のあとの休息と安らぎの時期であることもあります。地上生活に譬えてみれば、身体が栄養補給のために休息の時を必要とするのと同じです。

地上人類が摂取しうるだけの真理はすでに十分に与えられています。さらに多くを必要とする時期までは、それまでの過程が継続されます。真理が啓示されるには、それに先立って真理への渇望がなければなりません。

– ということは、啓示はまず内部から発するもの – つまり主観的ということでしょうか。

内部的希求と外部的啓示とが一致するということです。さきにも述べたように、人間は受け入れる能力にあまるものは授かりません。背後霊の指導のもとに徐々に意識を広げつつ、ある段階に至れば一段と次元の高い知識の必要を痛感します。その時こそ新たなる啓示が与えられる時です。

神学者の中には、人間みずからがその内的思考力によって論理的ないし思索的思想体系を生み出すのではないかと弁ずる者がいるようですが、彼らは神の使者たる背後霊というものの存在を知りません。

この通信が始まった当初われわれは、人間は霊的指導の媒体にすぎないと述べました。自分の思考の産物と思い込んでいるものも、実は背後霊の働きかけの結果なのです。

優れた神学者の中には真相のかなり近くまで踏み込んでいる者も確かにいます。その者たちが、もしも背後霊の存在についての知識を持ち合わせていれば、バイブルが完全にして誤りのない啓示であり、一言一句たりとも付加あるいは削除は許されないものと思い込んでいる者よりも、さらにさらに真相に近づくことができるであろうに、と残念に思います。

地上の人間の実生活にとっては、人間の思考作用と啓示との関連性について、あまり細かく分析・検討する必要はありません。分離できないものを分離しようとしたり、断定できないものを断定しようとしてみても、しょせんは迷いを深めるばかりです。

そなたとしては、要するに霊的準備が知識に先行するものであること、霊的準備さえ整えば進取的精神は真理へのより高い見解を獲得するものであること、そしてその見解が実は背後霊の示唆にほかならないことを知れば足ります。啓示というものは人間の必要度と相関関係にあるのです。

人間の独自性の主張は愚か

真理普及の仕事において、人間がしきりに自分の存在価値を求めようとすることに、われわれは奇異の念さえ覚えます。いったい人間はどうありたいと望むのでしょうか。

背後から密かに操作せずに、直接五感に訴える手段で精神に働きかけ、思想を形成すればよいとでもいうのでしょうか。奇術師が見事な手さばきで観客を喜ばせるように、目に見える不可思議な手段に訴える方がより気高く有効であるとでも思っているのでしょうか。

われわれが厳然たる独立性をもつ存在であることを示すに足るだけのものは、すでに十分に提供したつもりです。われわれの働きを小さく見くびることはいい加減にして、われわれがそなたの精神に働きかける影響を素直に受け入れてほしいと思います。

われわれはその精神の中の素材を利用するからこそ、印象が強くなるのです。われわれの仕事にとって不必要なものまで取り除いているのではないかとの心配は無用です。

– そんな懸念はもっておりませんが、ただ私も自分の個性だけは確保しておきたいという気持はあります。また、偉大な思想家の中には、もっと広い観点から神の啓示を完全に否定している者も大勢います。彼らが言うには、人間は自分に理解できないものを受け取るわけがないし、自分が考え出したはずもない内容の啓示を外部から受けて、それが精神の中に住み込むことは有りえないというのですが…。

そのことに関してはすでに述べてあります。それがいかに誤った結論であるかは、いずれ時がたてば、そなたにもわかるであろう。そなたはわれわれの仕事を何やら個性をもたない、自発性のない機械のように考えたがるようですが、それに対してわれわれは断固として異議を唱えるものです。

第一、自分の行為をすべて自分の判断のもとで行なっていると思うこと自体が誤りです。そなたには単独的行為などといえるものは何ひとつない。常にわれわれによって導かれ、影響を受けていると思うがよい。

[右の通信から数日後に私は、この霊訓から得た新しい光に照らしながら福音書を読み直してみた上で結論を述べてみた。それまでとはまったく異なった角度から観たもので、それが正しいといえるかどうか、新しい解釈といえるかどうかを尋ねてみた。]

大体においてその結論が正しいといえよう。が、格別に新しいものではありません。これまでも神学的束縛から脱して障害もこだわりもなく真理を追求した者は、とうの昔にそうした結論に達しています。その啓示を得た者は大勢いるのです。

モーゼスの不満

– では、なぜ私にその人たちの説を読ませてくれないのですか。面倒が省けるでしょうに…。

そなたはそなたなりの道をたどって結論に到達する方がよいからです。それから、それを他人の結論と比較すればよろしい。

– あなたの態度はいつもそうです。まわり道をさせられているように思えてなりません。仮りにあなたのおっしゃる通りだとしても、なぜこんなに長い間、私を誤謬の中で生きさせてきたのですか。

それは、すでに述べたように、そなたがその真理を理解する状態になかったということです。これまでの人生は、そなたが思うほど長かったわけでもないが、進歩のための周到な準備期間でした。その時点においては有益であり、進歩を促進するものでした。

が、それとても、より高い真理の理解へ導くための準備であったということです。今の段階についても同じことが言えます。いずれ将来において今を振り返り、この程度のことがなぜあれほどまでに驚異に思えたのであろうかと、不思議に思えることでしょう。

そなたの全存在である霊的生命は、常に進歩を求めます。が、その初期は、その後の発達のための準備期間にすぎません。

神学もそなたの訓育の一環としてどうしても通過しなければならない必須段階のひとつだったのであり、われわれとしても、そなたがその誤った見解を摂取していくのをあえて阻止しなかったし、また阻止しようにも、できなかった。その誤った教義をそなたの精神から取り除くことが、これまでの仕事における最大の難題でした。

が、われわれはそれを着々と片付け、今やそなたの目にも、啓示の問題に関して、われわれをしてその誤った見解を取り除き正しい知識を吹き込むことを可能ならしめた数々の知識を見出すことができるでしょう。

神学の中にあってはいかに尊ぶべきものであろうと、単なる語句に対する因襲的信仰が根を張っているかぎり、われわれは何も為し得ません。われわれとしては、人間を通して得られる啓示に、それがバイブルの中にあるなしに関わりなく、それなりの価値をそなたが見出せるようになるまで待つほかはありません。

議論に際して何かというとバイブルを持ち出すようでは、われわれは何も為し得ません。そのような者は理性的教育の及ぶところではありません。

イエスの生涯とその訓えの中には、われわれの側から照明を当てる前に、そなたみずからの判断で改めて検討し直すべきことが数多く存在します。その生涯に関する記録を検討すれば、多分そなたは、その信憑性、出所、権威等の問題について再考を促されることでしょう。

イエスの出生にまつわる話、その語録に基づく贖罪説 – イエス自身が説いたものとイエスの御名のもとに説かれているもの – それから奇跡、磔刑(はりつけ)、そして復活へと目が向くであろう。

また神および同胞に対する責務についてのイエスの教えとわれわれが説くところとの比較、祈りについてのイエスの見解と弟子たちの見解、同じくイエスと弟子たちによる運命の甘受と自己犠牲に関する説、慈善、懺悔と回心への寛容、天国と地獄、賞と罰、等々が目にとまることであろう。

真理の探求には勇気が必要

今やそなたも、そうした問題について正面から検討する用意ができた。これまでのそなたは、そうした問題については先入的結論をもって対応するのみでした。まずもって、その記録の信憑性を検討するがよい。

そこに記載されている言語のもつ正当な価値を検討することです。誇張的表現をそぎ落とし、事実そのものを直視されたい。神がかり的表現を冷静な理性の光に照らして検討されたい。

伝説・神話・因襲の類いにすぎないものを払いのけ、何ものにも拘束されずに、たどりつく結論を恐れることなく、勇気をもって自分の判断力ひとつで検討してみられよ。勇気をもって神を信じ、真理を追求するのです。啓示とは何かについて真剣に、そして冷静に、勇気をもって思考するのです。

そうした勇気ある真理探求は、それまで夢想だにしなかった知識と、いかなる在来の教義も与え得ない安らぎを与えてくれることでしょう。自分ひとりで求めたことのない者には知り得ない、神とその真理とを知ることでしょう。

はるか遠い他国をひとりで訪れそこに生活してみてはじめてその国の真実の姿を知り得るように、神の真理についてその実相に触れることでしょう。その者の背後には啓発の任務を帯びた霊団 – 人類に真理と進歩をもたらすための霊が集結することでしょう。

かくして旧(ふる)い偏見は崩れ去り、誤謬は新たな光に後じさりし、それ相応の暗闇の中へと消えて行き、魂は、何ものにも囚われない目で真理を見つめることになるでしょう。何ひとつ恐れることはありません。イエスもこう述べております – “真理こそ魂を解き放してくれるのです。その時、真実の意味であなた方は自由の身となるのです”(2)と。

[私はそれが現実に可能であるならば、何を犠牲にしても、ぜひそうありたいと思うと述べた。私は面白くなかった。そして自分ひとりであがくにまかされていることに不満を表明した。]

われわれは決してそなたを放置しておくわけではない。援助はします。が、そなたが為すべきことを肩代りすることはしません。それはそなた自身において為さねばなりません。そなたが努力していれば、われわれも真理へと手引きします。

われわれを信じて、ぜひとも実践されよ。それが最良の道であり、それ以外には真理を学ぶ道はありません。われわれが語って聞かせたところで、そなたは信じようとしないであろうし、理解しようともしないでしょう。

キリスト教の啓示の問題以外にも、そなたが目を向けねばならないものが数多くあります。キリスト教以外の神の啓示、キリスト教以外の霊的影響力の流れ等々の課題があるのですが、今はまだその時期ではありません。

これにて止めよ。神の啓発のあらんことを。

[注釈]

(1)背後霊についてのくわしい解説は上巻第1節に出ているので参照していただくことにして、ここで一言だけ付け加えれば、“背後霊”という用語は善なる霊、つまりその人間のためを思っていてくれている霊のことを指しており、意識的にせよ、無意識的にせよ、何らかの障(さわ)りを起こしている霊は含まない。これは因縁霊とか憑依霊と呼ぶべきである。

(2)ヨハネ8・32ほか。中巻18節の後注(3)を参照。

「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→