本のデータはいくらでも作れるのに一向に復刊できない、このウンザリ感はタダ事ではありませんが、とにかく本を作るスキルだけは着実に上がっているのでしょう、そう思わなければやってられません。
フラー26のゴミ取り続行中。あとに控える作業が殺人的な量ですのでとにかく急いでます。このまま最悪に閉じ込められる人生がどうしても許せない、何としても脱出しなければいけない、しかしどうもがいても1歩も出られない。しかし帰幽1秒前まであきらめない。間もなく霊団主導でさらなる最悪に突入させられる可能性アリ(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
本のデータはいくらでも作れるのに一向に復刊できない、このウンザリ感はタダ事ではありませんが、とにかく本を作るスキルだけは着実に上がっているのでしょう、そう思わなければやってられません。
フラー26のゴミ取り続行中。あとに控える作業が殺人的な量ですのでとにかく急いでます。このまま最悪に閉じ込められる人生がどうしても許せない、何としても脱出しなければいけない、しかしどうもがいても1歩も出られない。しかし帰幽1秒前まであきらめない。間もなく霊団主導でさらなる最悪に突入させられる可能性アリ(祈)†
以前、文化庁の人間とメールをやり取りした時の内容を読み返してみると、相当キビシイ事が書いてあり「ヤパーリ復刊はムリかなぁ」という気持ちにさせられるものの、イヤ、そこを突破しなきゃならないんだ、僕はもうやるしかないんだ、という事で、ある場所にメールを出しています。
さぁどうなるか、今回の場所がダメなら次の場所、さらに次、という感じで3ヶ所くらいにコンタクトする予定です。しかし書籍復刊というものがこれほど難しくメンドクサイものなのか、と思い知らされています。
復刊は物的肉眼に映じる現象ですからぜひ実現させたい。あと、もちろん「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も物的肉眼に映じますので実現させなければなりません。しかし霊団はそうは思っていないようなのです。だったら何で僕にこの使命遂行やらせたんだよ。
最悪のところに閉じ込められている限り何度でもあの状態がやってくるのです(その場所でやらされている作業と関係があるのです)だから余計に脱出しないといけないのです。霊団は本気で使命遂行を遅らせようとしている、イヤ、ストップさせようとしている、ジョォォォダンじゃネィよ。
風邪薬を買ってあるのですが逆に具合が悪くなるので(すごいアタマが痛くなる)もう飲んでません、もう自力で保温で治します。買わなきゃよかったホント(祈)†
1913年10月8日 水曜日
私たちからの通信の奥深い意味を理解なさろうとする方にとって大事な事が幾つかあります。今夜はそうした表面を見ただけでは判らない事 – 普通の物の考え方では見落とされがちな問題を扱う上で役に立ち指針となるものをお教えしようと思います。
その1つは人間界から放射された思念がこちらへ届く時の様子です。善性を帯びた思念には輝きが見られますが善性が欠ける思念にはそれが見られません。その光輝は元々本人の身体(からだ)から出ており、それで私たちはその色彩(オーラ)を見て霊的性格を判断する事が出来ます。
単に明るい暗いとか、明るさの程度がどの段階であるといった事だけでなく、その人のどういう面が優れていて、どういう面に欠点があるという事まで判断します。その判断に基づいて、長所をさらに伸ばし欠点を矯正していく上で最も適当な指導霊を当てがう事になります。
こうして一種のプリズム方式によって性格を分析し、それに基づいて診断を下します。これは肉体に包まれた人間の場合であって、こちらではそんな事をする必要はありません。
と言うのは、こうした事は霊的身体(※)に関わる問題であり、こちらでは霊体は当然誰の目にも丸見えであり、それが言わば魂の完璧な指標なのですから、その人の霊的性格が全部分かってしまいます。
言い落としましたが、そうした色彩は衣服にも反映しますから、その中の支配的な色彩を見て、この人はどの界のどの程度の人だという判断を下す訳です。しかし思念は精神的行為の“結果”ですから、その霊が生活している環境を見てもどういう思念を抱いている人であるかが判ります。単に“見える”だけでなく“肌で感じる”事が出来ます。地上より遥かに正確でしかも強烈です。
(※日本の心霊学ではこれを幽体と霊体と神体とに分けるのが常識となっているが本書では霊体という用語を肉体とは別の“霊的な身体”という意味で用いる事にする。霊界についても同じである。 – 訳者)
こういう風に考えていけば私たちが強烈な思念を働かせれば、その思念が目に見える客観的存在となって顕現する事が当然有り得る事になります。という事は、美しいものを意識的に拵える事も出来るという訳です。
– 何か例をあげていただけますか。
よろしい。その方がよく分かって頂けるでしょう。ある時、こうした問題を勉強している仲間が集まって、どの程度進歩したかを試してみましょうという事になりました。そこで美しい森の空地を選び、全員である1つの像を念じてその出来具合を見ました。
私たちが選んだのは後で調べるのに都合が良いように固くて長持ちするものという事で象に似た動物でした。象とは少し違います。こちらにはいますが地上ではもう絶滅しました。
私たちは空地で円座を組み、その動物を想像しつつ意念を集中しました。すると意外に速くそれが目の前に姿を現しました。こんなに速く出来るものかと皆んなで感心しました。しかし私たちの目には2つの欠点が見えました。
1つは大きすぎるという事。全員の意念を加減する事を忘れたのです。もう1つは確かに生きた動物ではあるけれど、部分的には石像のようなところもある事です。生きた動物を想像して念じた者が多かったからそうなったので、結局は石と肉の混合のような妙なものになってしまいました。
他にも挙げれば細かい欠点がいろいろと目立ちます。例えば頭部が大きすぎて胴が小さすぎました。念の配分が片寄っている事を示すものです。こういう具合にして欠陥を知り、その修正方法を研究します。実験してみてはその成果を検討し再びやり直します。今紹介したのがその一例という訳です。
そうして拵えた像から注意を逸(そ)らして語り合っていると、その像が徐々に姿を消して行きます。そこでまた新たにやってみる訳です。私たちは同じモデルは2度と使用しない事にしました。送念の仕方が1つのパターンにはまってしまう恐れがあるからです。
そこで今度は果実の付いた樹木にしました。オレンジの木に似ていますが少し違います。今度は前よりはうまく行きました。失敗点の主なものとしては果実が熟したものと熟してないものとがあった事。それから葉の色が間違ってましたし枝の長さにまとまりがありませんでした。
こうして次から次へと実験し、その度に少しずつうまくなって行きました。あなたにはこうした学習の愉(たの)しさや、失敗から生まれる笑いやユーモアがある程度は想像して頂けると思います。
死後の世界には冗談も、従って笑いも無いかのように想像している人は、いずれその考えを改めて頂かねばなりません。そうしないとこちらへ来てから私たちとお付合いがしにくい – いえ私たちの方がその方たちとお付合いしにくいのです。
でも、そういう人でもやがてこの世界の愛に目覚め、至って自然にそして屈託(くったく)なく振舞う事ができる事を知り、そうならないとまともに相手にしてもらえない事を悟るようになります。地上というところはそれとは反対のように思いますが、いかがですか。
いえ地上には地上なりに生きてそれなりの教育を得る事です。そうすればこちらへ来て – ただブラブラするだけ、あるいはもっと堕落すれば別ですが – 当り前に生活すれば進歩も速いのです。そして学べば学ぶほど自由に使いこなせるエネルギーに感嘆するのです。
– アストリエル霊、昨日出られた方ですがここに来ておられますか。
今夜はお出でになりません。お望みであればまたお出でになりましょう、きっと。
– どうも。でもあなたにも来て書いて頂きたいですね。
ええ、それはもちろん。あの方も私も参りますよ。あなたのためでもあり同時に私たちにとっても、こうして霊感操作をする事が、今述べたのと同じように意念や霊力の使い方を勉強する上でも良い訓練になるのです。私たちが述べている事が映像となってあなたの意識に入ってくるのが見えませんか。
– 見えます。時には実に鮮明に見える事があります。そういう事だとは思ってもみませんでした。
おやおや、そうでしたか。でもこれでお判りでしょう、さっきの事を書いたのもそれなりの目的があったという事が。あなたはそれがどうもピンと来ない – 多分その通りだったのでしょう。
それは私たちも認めます – と思っておられましたし、一体何を訴えんとしているのかといささか不愉快にさえ思っておられた。ね、そうではなかったかしら。私たちはあなたのその様子を見てニコニコしていたのですよ。
でもあなたは私たちの思念を、ほぼ私たちが念じた通りに解釈しておられましたし、そうさせた私たちの意図も、意念というものがあれほど鮮明に、そして実感をもって眼前に現れるものである事を判って頂く事にあったのです。では、さようなら。あなたに、そしてあなたのお家族に神の祝福を。
<原著者ノート>アストリエル霊のメッセージは数多く書かれているが、全体に連続性が見られない。なぜかはよく判らない。が結果としては母の通信の合間に割って入るために、アストリエル霊自身の通信はもちろん母の通信の連続性も破壊してしまう。そこでアストリエル霊の通信は日付の順で出さずに、巻末の第6章にまとめて紹介する。
おかしいな、体調が好転する兆しがない、どうも霊団にやられてるような気がする。現在頭がガンガンしています、この状態で追加で薬を飲んだら間違いなくブッ倒れるでしょうから一旦飲むのを止めましょう。長引いてるな、困ったな。
そしてフラー26汎用モードのゴミ取りをAffinityPhoto上でおこなっています。フラーのプライオリティが下がりまくっています。しかし実は霊団がフラーの新規ギミックに関する幽体離脱時映像を降らせて来たりするのです。ドォユゥ事だ、描けって言ってるのか。
そして書籍復刊に向けて複数のところにあるメールを出す事を考えているのですが、そのメール本文を撃つ時間さえない有様。もしこのアイデアが功を奏すようならオーファンワークスをやらずに済むという事になりますが、さぁどうなるか。
僕は僕本分の作業(デザイン)に集中したい、事務作業は外注に投げたい気持ちでイッパイです、全く手が回らない。霊団はどうあっても僕を脱出させない、閉じ込め続けるつもりのようですが、あれほど腕が痛くなる、あそこまで身体的に異常が出ているのにさらに閉じ込め続けるという事は有り得ないはずだ。
【神の因果律】は確か公正と聞いている。これ以上閉じ込める事はしないはずだ。間もなく出られるはずだ。でなければおかしい。体調回復しなくても作業続行中(祈)†
UP直後に問題点を発見してしまいましたが、まぁこれもテスト印刷ですからもうしょうがないかな、このまま行っちゃいましょうか。「イエスの少年時代」「インペレーターの霊訓」に続いて3冊目のテストですが、まだ問題点なし100%完全データ入稿というものをやった事がありません。書籍データを作るというのは本当に難しいものです。
さぁ今週の長文ブログが両腕の激しい痛みによって全然書けませんでしたが、書かなかった直後に複数のインスピレーションを降らせてきているのです。書かせないためにわざと腕を重症にしやがったのか。そう思わざるを得ない状態です。腕があんなに痛くなったのはこれまでの人生で記憶にない。そこまでしてくるって一体どういう事なのか。
3冊目のテスト印刷が手元に到着しましたらまた画像をUPさせて頂きます。必ず復刊できる、信じるしかないんだ。とにかく書籍データだけは作り続けるんだ。フラー26汎用モードの線画がようやく終わりました、あとは航行モードとハンドライトソードを描いて設定資料のUPとなります。こちらも急ぎましょう(祈)†
※霊団から本当にヒドイ事を言われているのです。
1913年10月6日 月曜日
この度の“収穫感謝祭”はまたずいぶん楽しかったではありませんか。あなたは気づかなかったようだけど私たちはずっとあなたの側にいたのですよ。忙しくて私たちの事を考える余裕がなかったのでしょうけど。地上にいる方々と共に礼拝に参加して何らかのお役に立てるのは嬉しいものです。
驚かれるかも知れませんが、こちらの光明界でも時おりあなた方と同じような儀式を行い豊かな稔りを神に感謝する事があります。地上の同胞の感謝の念を補うためでもあり、同時に私たち自身の霊的高揚のためでもあります。こちらには地上のような収穫はありません。ですがそれに相当する他の種類の恵みに感謝する儀式を取り行うのです。
例えば私たちは周りに溢れる美と、仕事と向上への意欲を与えてくれる光明と愛を神に感謝する儀式を行います。そのような時には大抵高い界からの“顕現”が見られます。その1つをこれからお話しましょう。川のある盆地(※)で聖餐式(ユーカリスト)を催していた時の事です。
流域に2つの丘がその川を挟むような形で聳えております。私たちは讃仰(さんごう)と礼拝の言葉を述べ、頭(こうべ)を垂れ、こうした時に必ずみなぎってくる静かな安らぎの中で、その日の司祭を勤められている方からの祝福の言葉を待っておりました。
その方は丘の少し高い位置に立っておられるのですが何1つおっしゃらないので私たちはどうしたのだろうと思い始めました。(※原文では渓谷(バレー)となっている。“谷”というと日本人は切り立ったV字型の谷間を想像しがちであるが、本来は川を挟んだ広い低地を意味する事が多いので、ここでは盆地とした。 – 訳者)
暫くして私たちは頭を上げました。まるで“内なる声”に促されたように一斉に上げたのです。見ると司祭の立っておられる丘が黄金色の光に包まれ、それがベールのように被(かぶ)さっておりました。やがてそのベールがゆっくりと凝縮し司祭の身体のすぐ周りに集まってきました。
司祭はそうした事にも一切気づかないような態度で立っておられます。その時ようやく我に帰られ、その光のベールの中から出て私たちの方へ近づき“少しお待ち下さい。高き界から降りてこの儀式にご臨席になっておられる方のお姿を拝する事が出来ます”とおっしゃいました。そこで私たちは有難い気持でお待ちしました。
こちらではおっしゃった事は必ず実現するのです。見ると、凝縮していた光が上昇して流域全体を覆い、さらに止まる事なく広がり続けてついに天空を覆い尽くし、覆ったかと思うと今度はゆっくりと下降してきて私たちを包みました。
私たちはまさに光の海 – 私が本来属する界の光よりも遥かに明るいのですが柔らかくて心地よい光の海 – に浸っておりました。浸っているうちにその光で視力が増し、やがて目の前に約束の影像が展開するのが見えてきました。まず2つの丘が炎のように煌々(こうこう)と輝き始めました。
よく見ると両方の丘が“玉座”の側部ないしは肘掛となりその周りがイザヤ書と黙示録の叙述を髣髴とさせるように虹の色に輝いておりました。しかし玉座におられる方の真の姿は私たちには見えません。少なくとも形体をまとったお姿は見えません。
私たちの目に映ったのは父なる存在を示すための顕現の1つでした。そして丘の中腹の台地 – そこがちょうど玉座の“座”の位置になります – のところに大勢の天使が集まっており、側にある大きな揺り籠の中を覗き込む姿で礼拝しているのです。
その揺り籠の中に1人の子供がいて天使団に向って微笑んでおります。やがてその子供が両手を高々と伸ばしますと天空から一条の光が射し込んだように見えました。見るとその子供の両腕の中に黄金色に輝く一個の球体が降りてまいりました。
すると子供が立ち上がってそれを左手で捧げ持ちました。それは生命の光で躍動しキラキラと輝き燃えさかり、いやが上にも明るさを増してついにはその球体と子供以外は何も見えなくなり、その子の身体を貫いて生きた光が放射されているように見えました。
やがてその子は球体を両手で持ち、それを真二つに割り、その割れた面を私たちの方へ向けました。一方にはピンクの光線が充満し、もう一方には青の光線が充満しております。よく見ると後者には天界の界層が同心円状に幾重にも画かれており、その1つ1つが輝くばかりの美しい存在に満ち溢れております。
その輝きは内側ほど強烈で外側になるほど弱まりますが、私たちの目には外側ほど鮮明に見えます。それは私たちの界がそれに近いからです。一番中心部になると光輝が強すぎて私たちには何があるのか全然見えません。反対に外側の円は私たちの界層である事が判りました。
もう1つのピンクの半球はそれとは違って中に何の円も見えませんが、地球を含めた惑星上の動植物の全ての種が見えます。最も、あなた方が見ているものとは少し様子が異なり完成された姿をしております。人間から最下等の海の動物までと、大きな樹木や美味な果実から小さな雑草までがありました。
私たちが暫くそれを見つめていると、その子が両半球すなわち荘厳なる天界と完成された物質界とを1つに合わせました。合わさったとたんに継ぎ目が見えなくなりどっちがどっちだか見分けがつかなくなりました。
ところが見る間にそれが大きくなり始め、ついに子供の手から離れて浮上し、天空へ向けて少しばかり上昇したところで止まりました。美事な光の玉です。その時です。その玉の上にイエス・キリストの姿が現れたのです。左手に十字架を持っておられます。
その1番下の端は球体の上に置かれ、1番上は肩の少し上あたりまで来ております。右手で先ほどの子供を支え持っておられます。見るとその子供の額のところに紐状の1本の黄金の環が冠せてあり、胸のあたりには大きなルビーのような宝石が輝いております。
そう見ているうちに光の玉はゆっくりと天空へ向けて上昇し始め、視界の中で段々小さくなって行き、ついに2つの丘の中間あたりの遥か上空へと消えて行きました。そこで全てが普通の状態に戻りました。
仲間たちと一緒に腰を下ろして今見たものに感嘆し合い、その意味を考え合いました。が、こうではないかといった程度の事を言い合うだけで確信をもって述べられる者は1人もいませんでした。その時ふと司祭の事を思い出しました。
光に包まれ、見た目には私たちより遥かに強烈な影響を受けたように思いました。見ると司祭は岩の上に腰掛けておられ静かな笑みを浮かべておられました。何だか私たちが最後にこうして自分のところへやってくる事を見越して思い出すのを待っておられたみたいでした。
司祭は私たちにもう1度座るように命じられ、それから先ほどの幻想的シーンの説明を始められました。実は司祭は既にあの現象についてあらかじめ説明を受けておられ、それを私たちに授け、より高尚な意味、より深い意味については私たち自身でよく考え、自分なりの理解力に応じたものを摂取する事になっていたのです。
今回のような手段による教育が授けられる時はいつもそうなのです。ピンクの半球は私たちの界より下層の世界の創造を意味し、青の半球は私たちの界および上層界の創造を象徴しておりました。
が両者は“2種類の創造”を意味するのではなく、実は全体として1つであって2つの半球にも他の小さな区分にも隔たりはないという事を象徴していました。子供は始まりと進歩と終りなき目的を具象化したもので要するに私たちの限りなき向上の道を象徴していた訳です。
ルビーは犠牲を象徴し、黄金の環は成就を象徴し、光球が上昇した事、そこへキリストが出現し片手に子供を捧げ持った事は、現在の私たちには到達できない高い界層への向上心を鼓舞するものでした。もちろん以上は概略であってまだまだ多くの意味が込められております。
さっき述べたようにそれをこれから自分で考えて行く事になっている訳です。私たちの慣習としてそれをこれから先、折に触れて発表し合い議論し合う事になりましょう。
– どうも有難うございました。ここであなたに尋ねて欲しいという依頼のあった質問をさせて下さい。
お書きになるには及びません。あなたの心の中に読み取る事ができますから。その言葉も書かれる前から判っておりました。Eさんが教会の祭壇で見かけたというハトは、私が今述べた類(たぐい)の一種の“顕現”です。あの儀式には目に見えない集会も催されておりました。
祭壇の周りに大勢の霊がいて、受け入れる用意のある人にはいつでも援助を授けようと待機していたのです。その霊たちの心の優しさがハトとなって具現して、人を怖がる事なく飛び回っていたのです。
進歩の遅れた人にとっては、そうした恐れを知らない純真さを高級霊の前で維持する事は容易にできる事ではありません。その輝かんばかりの崇高さが時として、僅かながらも持っている彼らの徳を圧倒してしまい、気の毒な事ですが、疑いを宿す者を怖気させる事があるのです。
<原著者ノート>この通信を受ける数日前の事であるが、オックスフォードで催されたハローマス(※)の集会で出席者の1人が聖餐式(せいさんしき)の行われている最中に、祭壇の上を1羽のハトが飛び回っているのを霊視したと私に語ってくれていた。(※天上界へ逝った諸賢人の霊をまつる祝祭日。 – 訳者)
要するに低温にやられての「風邪」と判断し、風邪薬を飲んで、多少回復してます、これならかろうじて仕事に行けます、イヤーあぶなかった。しかしあんなに腕が痛くなるなんて(まだチョト痛いですが)テキスト何にも撃てなかった。
で、霊団がいよいよ僕の反逆のペナルティを課す事を強調してきてます。霊団主導で悲劇的状況に突入させられるという事のようですが、反逆していたのは事実ですからペナルティは了解として、それでもまだあの最悪の場所に閉じ込められるというのであれば本当に釈然としません。なぜそこまで閉じ込める必要がある?全く意味不明。
苦しくても書籍データの制作を続けています。明日にはデータアップロードができる予定。止まらず次の書籍データ作成に入りますが、この作業自体もできなくさせられるような事まで言われています。イヤだから、あんたたち(霊団)は何がしたいんだよ。霊的知識普及として書籍復刊を進めてるんだろ。普及を妨害してどうするんだよ。
今日の長文ブログ(全然長文ではありませんでしたが)がグダグダになってしまった穴埋めで少し追加でテキストを撃つかも知れません。霊団から絶望的な事も言われています、それらを説明するかも知れません。まずはココまで。腕が痛いのにはマイッタ(祈)†
とにかくどうしようもないくらい腕が痛い。今日はずっとテキストもろくに撃てずに悶絶してました。スゴイ重症。あんなブログになってしまって申し訳ありませんでしたが今日はどうしようもありませんでした。それより明日の仕事が困る、このままじゃ仕事できない、さぁどうするか。
とにかく回復させないといけませんので本当は「ベールの彼方の生活1巻」の書籍データを印刷会社にアップロードしないといけないのですが、今日はもう休みます。この腕の痛みじゃ何にもできない。WordPressの作業もいろいろあるのですがとにかく休みます。続きは明日とさせて頂きます。
僕の霊団への反逆がいよいよ宜しくない事態を招いているという事のようです。本当にこの人生悲しすぎる、なぜこれほどまで自分の心と正反対をやらされねばならないのか。シルバーバーチ霊も「正反対の体験をする事で向上する」と仰ってますが、それにも限度というものがあるんじゃないのか。
回復させる、そこに集中中。今はしょうがない(祈)†
現在、両腕がしびれています。昨日の低温スノーシューアタックで腕を痛めたのではなくて、霊団に閉じ込められている場所のダメージです。これだけ身体に症状が現れていても僕は閉じ込められなければならないのだろうか。そして霊団が全然インスピレーションを降らせてきません。今回はこのように少なくなっています↓
霊団がここまで何も言ってこないのも珍しい。だいたいいつも幽体離脱から肉体に帰還してしばらくトランスの状態が続き、その時にアレコレとインスピレーションを降らせてくるのですが、今日はそのトランスがなく、肉体に帰還してすぐに目覚ましが鳴ったのでした。(つまり霊団が全然降らせるつもりがなかったという事)少ないですが説明してみましょう。
これは「使命遂行を捨てられやしない」「どんな苦難に見舞われようともアキトくんは使命遂行を果たし切るだろう」と言っているのでしょう。イヤ僕ももちろんそのつもりでいます、投げ出すつもりなど毛頭ないのですが、物事には限度というものがあるのです。
物質界の苦難の先に霊界での栄光が待ち受けている、物質界で試練を味わえば味わうほど帰幽後の進歩向上がスムーズになり、2度と物質圏付近に降下せずに済むようになるという事を、僕は知識としてしっかり理解しています。
「終活」お?帰幽するのか。物質界に1秒も残っていたくありませんから全然それでいいんですけど、とにかく釈然としない。物質界の邪悪を全く滅ぼせていない、何の結果にも到達していない状態で僕を帰幽させて使命遂行を終わりにするつもりか。あんたたちはそんないい加減な仕事で許されるのか。
※申し訳ありません、すごく苦しいです。腕がしびれるだけでなく全身が言う事を聞かない感じです。頭がボーッとしてきました。チョト撃ち続けられそうもありませんので早めに切り上げさせて頂きます。
これは霊団主導で僕の人生がグチャってさせられるという意味で、もう十分グチャってなってるだろ。霊団が何かしてくるのかも知れませんが、霊性発現以降の11年、霊団が「間もなくああなる、こうなる」と言い続けてきてひとつもその通りになっていませんので、この言葉も全然信用できません。
近年記憶にないほど苦しい状態にさせられていますのでサクッと撃って終わりとさせて頂きますが「出して頂いて★」これは現在僕が全力で進めている「復刊に向けた霊関連書籍データ制作」の事で、霊団は一応僕のこの作業は認めているようですね。
で、復刊実現に向けてある「物的事務作業」をおこなうつもりでいるのですが、申し訳ありません、その説明は後日とさせて頂きます。今はチョトムリ。
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