えーたぶん長文ブログ内で説明する事になるんだろうと思いますが、インスピレーションをほぼ無視した大反逆ブログの時に降ったインスピレーションで「モーセの森」というモノがありました。その意味をその時にちゃんと説明するつもりだったのですが、あまりにも頭に来ていたので無視してしまったのです。

すると何と再びモーセに関するインスピレーションを霊団が降らせてきたのでした。これは一体ドォユゥ事だ、となりまして仕方なく「十戒」のDVDを(メチャ安かったのでコレならイイかなぁという事で)注文するハメになってしまいました。4時間の2枚組、長い…だからといって聖書を買うつもりも読むつもりもありませんので(これは絶対。読みません)まぁ仕方なかったのかなぁという感じですが。

さぁもう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまでですが「I Appeal Unto Caesar」の翻訳文見直しが完了してます。WordPressにUPするための整形作業に入ってますが今日は間に合いませんのでUPは長文ブログUP後となります。

できもしない霊媒発動に関するテキストをまた撃たされるというのか。もうそれは断固拒否します。絶対撃たないよ。僕のウンザリレベルはその辺のウンザリとは訳が違うんだよ。もう心底イヤがってるんだよ、もう霊団に僕の心を書き換えるのはムリだと思う、怒りがタダ事ではないので、まずその怒りの元を取り除かない限り僕の心は動かないと思う。

明日の山ですが、新たな山域に赴くつもりで調べていたのですが、道がメチャ難しくていきなりはムリと判断、モチョト調べてしっかりルートを把握してから赴くつもりです。明日はグラデーション撮影はできなそうな予報ですがとにかく撮れる限りのモノを撮ってきます。まずはココまで(祈)†

「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†■2023年1月18日UP■
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†
海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。忍耐強い努力と犠牲を払わない事には、これからも数々の戦争が起きる事でしょう。タネを蒔いてしまった以上はその産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れる訳にはまいりません。愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります。互助のタネを地上のいたるところに蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“お偉方”を当惑させるのです…続きを読む→
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→

モーゼスの霊訓(中)
W・S・モーゼス著
近藤 千雄訳

Spirit Teachings
by William Stainton Moses
© Spiritualist Press (1952)
(現 Psychic Press Ltd.,)
20 Earlham Street, London, WC2H 9LW, England.

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▶写真説明

33歳の時のモーゼスとスピーア夫人。モーゼスの右肩のあたりに写っている人物については不明。1872年にハドソン写真館にて撮影。
The College of Psychic Studies 所蔵。Mary Evans Picture Library 特約。

ハドソンは英国における心霊写真家第1号といわれている人で、元来はふつうのスタジオ写真家だったのが、ちょうどこの1872年ごろから、彼が撮影した写真にその時スタジオにいなかった人物像が写るようになり、家族の証言でそれがすでに他界した身内の者で、しかもそれと同じ写真はこの世に存在しないことが判明するということが相次ぎ、ハドソンが特殊な心霊能力をもつ写真家として有名になると同時に、心霊写真が人間の死後存続の有力な証拠として注目されるようになった。

なお、スピーア博士夫人については本巻冒頭の“自動書記通信が入手されるまでの経過と本巻の内容”を参照されたい。

自動書記通信が入手されるまでの経過と本巻の内容

本書の編著者であり霊能者でもあったウィリアム・ステイントン・モーゼスは、オックスフォード大学でキリスト教神学を学んだあと、牧師としてマン島に赴任しました。

若いながらも教養と人間味を兼備した、有能な青年牧師として大変な期待と尊敬を受けていましたが、1869年、30歳の時に重病を患い、翌年回復して英国本土に赴任しますが、病気が再発したために、ついに牧師職を断念して、ロンドンで教職につくことになります。

こうした経過は、背後霊団による計画的なものだったようです。というのは、病気再発後、長期療養のために世話になった医師のスタンホープ・T・スピーア博士の夫人がスピリチュアリズムに大変熱心で、子息のチャールトンの家庭教師としての家族ぐるみの生活の中で、霊的現象についての知識と体験を少しずつ身につけていったのです。そして間もなく、モーゼスの身のまわりにも、さまざまな物理現象が発生しはじめます。

テーブル浮揚、人体(モーゼス自身)の浮揚、物品引寄(アポーツ)、香気の発生、楽器を置いてない部屋での器楽演奏、手先などの物質化現象、等々ですが、やがて自動書記と霊言が生じるようになります。

それまでの一連の物理現象は、目に見えない知的存在の実在と威力をモーゼスに得心させるためのもので、すべてが自動書記と霊言を最終目標として計画的に進められていたことが、のちに霊側の証言で明らかとなります。

本書に収められたのは自動書記通信ばかりですが(霊言は続編の More Spirit Teachings に収められていて『インペレーターの霊訓』のタイトルで潮文社から出ている)、最初のころは取りとめのない内容のものが多くてモーゼスもあまり真剣に取り組んではいなかったようです。

ところが、1873年から出始めたインペレーターと名のる霊からの通信内容が、それまでモーゼスが絶対的に信仰していたキリスト教の教義内容と正面衝突するものとなっていき、戸惑いと不満をぶちまけたモーゼスの質問に対してインペレーターが、忍耐づよく、克明に、そして丁寧に、しかし時には叱りつけるような語気をもって教えさとすという形での内容が、1880年まで続きました。

上巻に引き続いて、本書に収められた内容も、相変らずキリスト教信仰から抜け切れないモーゼスが執拗に反論し、その反抗的態度と猜疑心、つまり、インペレーター霊団はバイブルにいう“天使を装った悪魔”の集団ではなかろうかという疑念が捨てきれないモーゼスにほとほと手を焼いたインペレーターが、ついに“総引き上げ”の最後通告を出すに至るという、まさに火花を散らした壮絶な論争に発展していきますが、それを、その頃に他界したモーゼスの友人が間に入って取りなすという、顕幽両界にまたがるドラマチックな展開を見せながら、“論争”という形での問答は、本巻をもって、モーゼスの得心という形で終息します。

下巻では、論争ではなくモーゼスから問い質すという形で、キリスト教の本質を改めて取り上げ、さらには、その原型となっているという古代インド思想へと発展していきます。

「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†■2024年3月27日UP■
「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†
「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→
「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†■2024年4月24日UP■
「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†
確かに冷静に考えた時に「どう考えてもこの導きの手法は間違っていただろう、守護霊様だったらこういう事はしなかったはずだ」と思える部分がいくつもあるのです。その最たるモノと僕が思っているのが上記にも書きました「支配霊バーバネル氏の僕を導く手法」で、僕はバーバネル氏は完全に失敗したと思っているのです。バーバネル氏は僕に敵意を抱かれるほどになってしまっていますので、こんな精神状態の人間と融合して思った事を100%述べるなどできる訳がありません。バーバネル氏が僕という霊媒を使用して霊言を語るのは絶対ムリと断言してイイでしょう。ですので僕は自分が霊言霊媒として機能する事はもう全然考えていなくて(そもそもサークルメンバー問題が絶対解決不能なのですから、やろうと考える事自体がおかしいのです)もう新規の霊言は自動書記で降らせるしかないと思っているのです。バーバネル氏の物質界生活時の功績は大いに尊敬しますが、僕を導く手法に関しては大失敗だったと思っています…続きを読む→

「I Appeal Unto Caesar」テキスト見直し75%完了中ですが、機械翻訳文で読みにくさは否めないものの、この書籍の中にはイエス様の磔刑後の実母マリアに関する記述があります。

ヨハネ氏(イエス様にもっとも愛された弟子)がイエス様との最後の約束「母を守ってやって欲しい」をしっかり果たし切っていた事、自身も命を狙われ、実際に襲撃を受けたりしながらも何とか生き延び、逃亡先(エジプト)から戻ってきてマリアと再会し、マリアの最期を看取った、など貴重な事が記されています。

そして母マリアはルカ(だったかな)に連れられて拘束中のパウロの元へ変装して赴き、そこでパウロとの面会を果たし、パウロは母マリアのうしろに立つイエス様を霊視で見て感動したという記述もあります。このあたりのストーリーは聖書にも記述がないという事のようです。僕は聖書など生まれて1度も読んだ事がありませんので知りませんが。

そしてパウロはとにかくずっと拘束され続けるという最悪の人生をやらされたようです。まぁ若い時にさんざんイエス様の使徒たちを迫害、殺害していましたからその因果律としての拘束だったのかも知れませんが、しかしパウロの使命遂行の決意は非常に固く、何度も天使の顕現に浴させてもらっていたようです。霊団に反逆しまくりの僕とは大違い、といったところでしょうか。

さぁ霊団からお叱りのインスピレーションが降っています。まぁ僕が怒られるのは当たり前ですので仕方ないとして、何と以前ムカついてインスピレーションをほぼ全て無視した時に紹介した「モーセ」に関するインスピレーションを再び降らせてきています。反逆者になぜそのような事を言ってくるだろうか。正直意味が分からないんですけども。

次回長文ブログネタ枯渇継続中、もうこの長文撃ちも苦痛でどうしようもありません。いつまでこの最悪人生をやらされるというのか。パウロの拘束と僕の現在の状態とがやや重なって見えるのは気のせいだろうか。僕はそういう目に遭わされる覚えが全くないのですが、前世から持ち越したカルマによってヒドイ状態に閉じ込められているという事はあるかも知れません。

僕はいま自分にできる事を全力でやる以外にどうしようもありません。僕が霊媒として機能するとか、僕から新規の霊言が降ってくるとか、そのたぐいの事はもう2度と書きたくありません。もうこの話とは関わり合いになりたくない。もうウンザリだ。僕は書籍のテキスト化に全力を傾ける、それが使命遂行最良の道だ。ストーリーのネーム完成中、線画も描き始めます(祈)†

「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†■2023年12月13日UP■
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†
私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→

今日は手は動かして作業してましたが霊的には何もない、まるで霊性発現していないかのような生活でした。霊団に全力で反逆している僕ですが、ここまで霊的要素が生活から締め出されると「ヲイヲイ、これじゃ霊性発現した意味ネィじゃネィか、僕という道具で仕事する気ネィなら帰幽にしてくれよ」と突っ込みたくなります。

まぁ確かに毎日何かしら降らせるというのも義務感みたいな感じで、インスピレーション降らせる側も苦しいのかも知れませんが、本当に何もやる気ないんだったらなぜ僕の霊的スイッチをONにしたんだよ。目的があって僕を霊能者にしたんじゃネィのかよ。なぜ12年も何もしないんだよ。どういう神経してるんだよ。

えっと、節約アイデアテストで「冷凍のポテト」的なモノを入手していたのですが、ルクエで加熱して食べるとフツーに美味しいですがこれをロングドライブ中に食べられるかというとかなり苦しそうです。運転中ですからワンハンドで食べられないと。このポテトはフォークを使わないと食べられない。つまり運転中に両手が塞がる事になる、んーチョトキビシイですね。このアイデアはボツかなぁ、マイッタナァ。

霊的話題がないので物的話題を。今日もロードランを敢行しました。昨年のスノーシューシーズンは足の不具合でほとんど雪山に行けず低山アタックを余儀なくされるという悲しい結果となってしまいましたので、今シーズンは全開でスノーシューアタックできるようにするため鍛え続けているのです。

ロードランで主に心肺機能を鍛えます。そしてスクワットで脚部、ヒザまわりの筋力をつけ、他にもいくつかの筋トレを毎日おこなっています。もう物質界に残されている間は鍛え続けるしかありません。山に行けなくなったら物質界に残されている意味が無くなりますので。

霊的内容が書けません困りました。イヤ、実は霊団の声は霊聴に聞こえ続けているんですよ。となりの部屋に霊団メンバーが常駐していてペチャクチャしゃべっているのが聞こえてくるみたいな感じなんです。聞こえはするがよく聞き取れないという感じでクロッキーには全くメモできません。さぁこのまま霊的要素が締め出される生活になるのか。僕は霊能者じゃなくなるのか。それが反逆のペナルティだというのか(祈)†
■2021年5月26日UP■
霊団が「奴隷の女の子たち」を救出する気が全くない事を霊的見地から説明してみます(祈)†
物質界に霊的知識を普及させる大業は遅々として進まないと僕は考えます。このやり方では物質界の霊能者がついてこないからです。ただ苦しみばかりを押し付けられて「埋め合わせは帰幽後に存分に」と繰り返し聞かされても「つまり物質界生活中はずっとこのままって意味じゃねーか、やってられるかそんなもん」となるからです。物質界生活中に多少まぁまぁな埋め合わせが発生するような仕組みに切り替えない限り、あの霊能者もこの霊能者も霊の導きに背を向け続ける事になると思います。頭にきて頭にきてしょうがないからです。僕は霊的知識がしっかり頭に入っていてまぁまぁの理解レベルに到達している人間ですから、本当はその知識を駆使して自分の人生を達観できなければならないはずなのですが、1年2年だったらそういう考え方もできるでしょうが、僕は霊性発現してから9年も経過しています。これほど長い年月にわたって苦悶のど真ん中をやらされれば、上っ面だけの理想論など吹き飛びます…続きを読む→
■2019年11月16日UP■
「昨日がラストチャンスだった」ピーチピチ(佳子)の心情と思われる悲しめラブソングを聴きましたが…(祈)†
その女性は家庭ゴミを片付けてコンビニ袋を縛ってから歌を歌い始めますが、その楽曲は自分がフラれる歌詞の曲で女性アイドルが微妙な表情を浮かべながらカメラ目線で歌っていきます。えーだいたいですがその女性アイドルが自分の彼氏に向けて「あなたがシチュを全部用意してくれると思ってた、バカな思い出、アホな思い出」みたいな感じの楽曲で正直曲はイイ感じでしたが…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

(1)モーゼスの略歴

1839年、小学校の校長を父として生まれる。小学生時代に時おり、俗にいう夢遊病的行動をしている。1度は真夜中に起きて階下の居間へ行き、そこで前の晩にまとまらなかった問題についての作文を書き、ふたたびベットに戻ったことがあったが、その間ずっと無意識のままで、書かれた作文は見事な出来だったという。しかし、それ以外には異常能力を見せた話はない。

オックスフォード大学を卒業後、国教会(アングリカン)の牧師としてマン島に赴任している。24歳の若さながら、教区民から非常な尊敬と敬愛を受けた。とくに当地で天然痘が猛威をふるった時の勇気ある献身的行為は、末永く語りつがれている。

1869年、30歳の時に重病を患い、S・T・スピーア博士の世話になったことが、生涯にわたるスピーア家との縁の始まりであると同時に、スピリチュアリズムとの宿命の出会いでもあった。

博士の奥さんが大変なスピリチュアリストだったのである。翌年、病気回復とともにドーセット州でふたたび牧師の職についたが、病気が再発し、ついに辞職して、以後、2度と聖職に戻ることはなかった。

翌年、ロンドンのユニバーシティ・カレッジで教員となり、1889年に病気で辞職するまでの18年間教鞭をとった。その学識と人格によって、学生から大きな信望を得たという。

この霊界通信は、その教員時代の1871年から1882年にかけてのほぼ10年間に得られたもので、モーゼス自身にとっては死に物狂いで真理を求めた時期であり、人類にとっては大いなる霊的遺産を手にした、意義深い時期だったと言えよう。

(2)霊団の構成

右の(1)で紹介したスピーア夫人が、モーゼスの死後、ぜひとも公表すべきものとして編纂した続編 More Spirit Teachings の冒頭で、インペレーターが霊言で次のように語っている。

〈私こと Imperator Servus Dei(神の僕(しもべ)インペレーター)は、49名からなる霊団の頭(かしら)であり、監督と統率の任にあり、他のすべての霊は、私の指導と指示によって、仕事に当たります。

私は全知全能の神の意志を成就せんがために、第7界より参りました。使命達成の暁には、2度と地上には戻れない至福の境涯へと向上していくことでしょう。しかしそれはこの霊媒(モーゼス)が地上での用事を終えた後となるでしょう。そしてこの霊媒は死後において、地上よりさらに大きな使命を与えられることになりましょう。

私の下に、私の代理であり副官であるレクターがいます。彼は私の不在の折に私に代って指揮を取り、とりわけ物理的心霊現象にたずさわる霊団の統率に当たります。

レクターを補佐する3番目に高い霊が、ドクターです。彼は霊媒の思想を指導し、言葉を感化し、ペンを操る。このドクターの統率下に、あとで紹介する知恵と知識を担当する一団が控えています。

次に控えるのが、地上の悪影響を避け、あるいは和らげ、危険なものを追い払い、苦痛を軽減し、良い雰囲気をかもし出すことを任務とする2人の霊です。この2人にとって抗し切れないものはありません。が、内向的罪悪への堕落はどうしようもありません。

そこで霊界の悪の勢力 – 霊媒の心変わりを画策し、聖なる使命を忘れさせようとする低級霊の誘惑から保護することを役目とする2人の霊が付いております。

じきじきに霊媒に付き添うこの4人を入れた7人で、第1の小霊団(サークル)を構成しております。私たちの霊団は7人ずつのサークルで構成されており、それぞれに1人の指揮官がいて、6人を統率しております。

第1のサークルは、このように守護と啓発を担当する霊 – 霊団全体を統率し指揮することを任務とする霊から成ります。

第2のサークルは愛のサークルです。すなわち神への愛である崇敬、同胞への愛である慈悲、そのほか、優しさ、朗らかさ、哀れみ、情け、友情、愛情、こうした類いのものすべてを配慮します。

3番目のサークル – これも同じく1人が6人を主宰しています – は、叡智を司(つかさど)る霊の集団です。直感、感識、反省、印象、推理、といったものを担当します。直観的判断力と、観察事実からの論理的判断力とを指導します。叡智を吹き込み、かつ判断を誤らせようとする邪霊からの影響力を排除します。

次のサークルは知識 – 人間についての知識、物事についての知識、人生についての知識を授け、注意と比較判断、不測の事態の警告等を担当します。また、霊媒のたどる困難きわまる地上生活を指導し、有益な実際的知識を身につけさせます。直感的な知恵を完成させます。これはドクターの指揮のもとに行なわれます。

その次に来るのが、芸術・科学・文学・教養・詩歌・絵画・音楽・言語等を指揮するグループです。彼らは崇高で知的な思念を吹き込み、上品さと優雅さにあふれる言葉に触れさせます。美しいもの、芸術的なもの、洗練されたもの、教養あふれるものへ心を向けさせ、性格に詩的なうるおいを与え、気品あふれるものにします。

次のグループは、愉快さとウィットとユーモアと愛想の良さ、それに楽しい会話を受け持ちます。それがこの霊媒の性格に軽快なタッチを添えます。つまり社交上大切な生気あふれる明るさであり、これが日々の重々しい苦労から気分を解放します。愛想が良く、心優しい、魅力あふれる霊たちです。

最後のサークルは、物理的心霊現象を担当する霊たちです。高等な霊的真理を広める上で、ぜひ必要とみた物的証拠を演出します。指揮官代理であるレクターの保護・監督のもとに、彼ら自身の更生をかねて、この仕事にたずさわっております。

この霊媒ならびにわれわれ背後霊団との接触を通じて更生への道を歩むのです。それぞれに原因は異なりますが、いずれも地縛霊の類いに属し、心霊現象の演出の仕事を通じて、浄化と向上の道を歩みつつある者たちです。

このように、私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。

愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るい愛想の良い霊たち、この低い地上界の、単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて、低い境涯から高い境涯への進化という恩恵に俗さんとして勤しむ霊たち – この霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。

いずれのグループの霊もみな、みずからも進歩を求めているのです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩を望んでいる者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによって、みずからも向上せんとしているのです。

われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。

全能の父なる神の祝福のあらんことを〉

以上がインペレーター自身による霊団の説明であるが、The Controls of Stainton Moses by A.W.Trethewy(モーゼスの背後霊団)によると、このインペレーターの上にさらにプリセプター Preceptor と名のる総指揮者が控えていたという。

私の推察ではこれがモーゼスの守護霊(類魂の中心霊)で、地球全体の経綸に当たる“地球の守護神”の命令を直接受け取り、それがインペレーターに伝えられる、という仕組みになっていたものと思う。

守護霊というのは表立った活動はしない傾向があり、たとえばインペレーターと並んで有名なシルバーバーチ霊の霊媒だったバーバネルには別に守護霊がいたはずであるが、60年間、そのことに言及すらされていない。

(3)霊団の身元

本文でインペレーターも繰り返し述べているように、霊の地上時代の身元を詮索することは、単なる好奇心の満足になるだけで、それによってその霊に対する信頼性がいささかも増すものではない。だからこそ、シルバーバーチ霊などは六十年間ほぼ週一回の割で出現しながら、ついに地上時代の名前も国籍も明かさなかったわけである。

とは言え、興味の対象であることには違いないので、おもな霊の地上時代の名前を紹介しておくが、これはみずから明かしたのではなく、モーゼスのしつこい追求にあって、霊団の他の霊が「実はあの方は…」という形で漏らしたものである。

インペレーターは紀元前5世紀のユダヤの予言者で、旧約聖書の“マラキ書”の編纂者マラキ Malachi(マラカイとも)。

レクターは初期キリスト教時代のローマの司教だった聖ヒポリタス Hippolytus。

ドクターは紀元2世紀ごろのギリシャの哲学者アテノドラス Athenodoras。

プルーデンスは新プラトン主義哲学の創始者プロティノス Plotinus。

その他、本書に登場していない人物で歴史上に名のある人物としてプラトン、アリストテレス、セネカ、アルガザーリ等の名が見られる。

ここで参考までに訳者の個人的見解を述べておきたい。スピリチュアリズムの発展にともなって守護霊・指導霊・支配霊等の、いわゆる背後霊の存在が認識されはじめたことは意義ぶかいことであり、背後霊の方でも、自分たちの存在を認識してくれるのと無視されるのとでは、霊的指導において大いに差がある、というのが一致した意見であるが、そのことと、その背後霊の地上時代の名声とか地位とかを詮索することとは、まったく別問題である。

地位が高かったとか名声があったとかいうことは、かならずしも霊格の高さを示すものではない。そのことは現在の地上の現実を見れば容易に納得のいくことである。

偉大なる霊ほど名声とか地位、権力、家柄といった“俗世的”なものとは縁のない道を選んで再生するというのが、多くの霊界通信が一致して指摘することで、したがってその生涯はいたって平凡であり、その死も身内の者を除いてほとんど顧(かえり)みられないことが多い。

したがって、そうした人物が死後、誰かの守護霊として、あるいは指導霊として働いた時、その身元をとやかく詮索して何になろう。満足のいく結果が得られるはずがないのである。しかも、霊は死後急速に向上し変化していくという事実も忘れてはならない。インペレーターの霊言に次のようなものがある –

<地上へ降りてくる高級霊は一種の影響力(インフルエンス)であり、いわば放射性エネルギーです。そなたたちが人間的存在として想像するものとは異なり、高級霊界からの放射物のようなものです。高等な霊信の非個人性に着目していただきたい。

この霊媒との係わりをもった当初、彼はしつこくわれわれの身元の証明を求めました。が、実はわれわれを通して数多くの影響力が届けられているのです。死後、首尾よく2段階、3段階と上がった霊は、そなたたちのいう個体性を失い、形体なき影響力となっていきます。

私は人間の世界に戻れる、ぎりぎりの境涯までたどり着きました。が、距離には関係なく影響力を行使することはできます。私は今、そなたたちからはるか彼方におります。>

西洋においても日本においても、営利に走る霊能者は軽々しく背後霊や前世のことを口にしすぎる傾向があるが、その正確さに問題があるばかりでなく、そのこと自体が本人にとって害にこそなれ、何の益にもならないことを強く主張しておきたい。たどればすべて神に行き着くのである。

その途中の階梯で“高い”だの“低い”だのと詮索して何になろう。霊的指導者の猛省を促したい。

 

訳者 近藤 千雄(こんどう かずお)(平成元年8月写す)
昭和10年生まれ。18歳のときにスピリチュアリズムとの出会いがあり浅野和三郎の訳書の影響を受けて、大学で翻訳論を専攻。現在までに訳したスピリチュアリズム関係の原典約40冊、著書2冊。広島県福山市在住。

霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→

できもしない交霊会について、僕はこれまでどれだけのパワーを浪費してブログを書き続けてきたでしょう。書いても書いても僕という霊媒が機能する日は一向に来なかった。自動書記テストを9ヶ月にもわたって続行しても1文字たりともコイツらは降らせてこなかった。

そして今、僕の反逆に対してある事をやると言ってきてますが、僕はもう全く信用していないのです。コイツら(霊団)がやるやる言って実際にやった試しが1度たりともないからです。その逆で僕の人生を破壊する事は全て実行されています。

ですので今日霊団が降らせてきたインスピレーションも使命遂行を前進、進展させるという意味ではなく、僕の反逆に対してペナルティを課す、罰を実行するという意味に解釈するのがもっとも自然という事になるでしょう。

ガンバってもガンバっても徹底的にヒドイ目に遭わされる。全く何の結果にも到達しない。物質界の問題を解決させるという気概が1ミリたりとも感じられない。僕はココまで完全にイヤがっているのにコイツらと手を切る事ができない強制的にインスピレーションが降ってくる。この人生は地獄か。なぜ地獄に突入させられなければならないのか、その理由に思い当たるフシが全くない。

次回長文ブログネタとしてのインスピレーションはまたしても枯渇しており「もう撃たなくてもイインジャネ?」という気にさせられますが、何かしら撃つつもりではいます。地球圏霊界の人間というのはそこまでして邪悪を温存しようというのか、そんなに強姦殺人魔が大切か。1億回頭をひっくり返しても納得できる要素がない。

移住すると書きましたが、物質界生活中はもちろんの事、帰幽後の霊界生活においても、この邪悪を擁護し続ける人間たちと関わり合いになりながら生活するのは断固拒否します。僕にその資格はないと思われるものの、できる事なら善良な方々の境涯に赴いて生活したい。もうコイツら(霊団)と関わり合いになるのはまっぴらゴメンだ。ましてや共に仕事をするなど100%ムリ。手だけは作業続行中(祈)†

「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→

急きょこのような画像を制作しコンビニのマルチコピー機で10円プリントして部屋の目につくところに貼りました。僕は長年にわたり、本当にヒドイ、ヴァッカじゃネィのかと言いたくなるヒドイところに閉じ込められて1歩もそこから出られない状態にさせられているのです。

僕は“霊団に対する反逆”という表現を用いていますが、僕がやっている事はハッキシ言って反逆でも何でもなく人間として当たり前の事であり、あんな最悪のところに閉じ込められれば誰だって脱出しようと全力を尽くすに決まってるだろ。それが人間の通常反応だと思うからです。

なので霊団にどれだけ脅されても脱出の意思を全く曲げるつもりがなく、ただ脱出するだけではまた霊団の手によってその最悪のところに戻される可能性があるため、この土地そのものから完全に離れて2度と戻されないようにしようと思っているのです。それを何としても実現させるためにこのように部屋に貼り付けたのです。

ハァァ悲しいですが威力は霊団の方が上ですのでこの作業もむなしい努力となる可能性が高いですが、これくらいやってしまうくらいイヤだという僕の心の叫びなのです。本人がココまでイヤがっているのに閉じ込める事を強制する事はできないという事を僕は皆さまに訴えかけたいのです。

ちなみに自分でこんな事言いたくないですが、若い時にこういう貼り付けを何回かやった記憶がありますが、言われてみればその通りに実現した事が1回もなかったような気がしなくもないなぁ…もう覚えてないけど。

そうそうDreamwork(画家の夢)は一時期は実現したんだよ、霊団に霊的スイッチを強制的にONにさせられて(霊性発現つまり霊能者にさせられて)やめさせられたんだよ。12年経過した今でもまだムカつくんですよ。それくらい僕は画家の人生に本気だったという事なんです。

霊能者になった初期の頃は嬉しい気持ちが少しありましたよ、こんなヒドイ人生やらされるなんて夢にも思ってませんでしたからね。しかしそんな喜びの気持ちなどアッという間に吹き飛びました。霊性発現初期の頃から霊団は僕の心と正反対の事ばかり言ってきましたからね。初期の頃から実はムカついていました。あまりおおっぴらに言っちゃあいけないんでしょうけど。

さぁ書籍テキスト化の作業続行中ですが複数書籍を同時進行させていますので苦しみも倍増、チョト分散はやめた方がイイかも知れません。まずは「モーゼスの霊訓 下」テキスト見直し88%完成中ですのでコチラを優先的にやりましょう。

脱出実現のための節約アイデアも継続中。先ほどあるモノが到着してそれを冷凍庫の中に入れました。ロングドライブ時にコンビニを一切使用しないための作戦です。使命遂行と全然関係ありませんので詳細説明割愛させて頂きます。霊的な事が僕の頭の中からどんどん消えていきます。悲しいですがしょうがない(祈)†

「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→
インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†■2022年3月2日UP■
インスピレーションを読み返してますが、とにかく最悪がやってくるのです(祈)†
この10年の努力は一体何だったのか。霊団におべっか使っていれば違う結末になったのか。霊界にはウソが存在しない事を知識として理解していたから僕は常に正直にブログを書いてきた。ウソを並べ立てて霊団を褒め称えておけば閉じ込められずに済んだとでもいうのか。1億歩譲って僕の事は仕方ないとしても、奴隷の女の子を全く助ける気がないというのは一体どういう事なのか。そもそも奴隷の女の子の存在を教えてきたのは霊団だ。教えてきたのに助けるつもりがない、ではなぜももちゃんの事を僕に教えてきたのか。ただの冷やかしだったのか。僕は「正直者がバカを見る」の状態にさせられます。真面目に使命遂行を続けてきた結果がこれですか。本当におもしろい…続きを読む→
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†■2022年3月9日UP■
「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†
僕の物的肉眼では全体像が見えませんので、ごく一部だけを見ている僕の意見より全体を俯瞰で眺める事のできる霊団の判断の方が最終的に正しいという事を知識として理解していますので、現在の僕には使命遂行が成功していないように映るとしても、より長いスパンで見た時に、アキトくんの使命遂行によって、あの当時は動きがなかったが、あの活動によって十分に“タネ”が蒔かれ、そのタネがアキトくんの帰幽後に芽を出し花を咲かせ、結果的に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡、物質界の邪悪の消滅、奴隷の女の子の強姦殺人容認システムの破壊へとつながったのだ。という風になるのかも知れません…続きを読む→

[この頃には、迫ってくる例の影響力が一段と強まり、他の通信が一切締め出されてしまった。7月24日に私の方からいつもの霊に通信を求めたが、ダメだった。その影響力には不思議と精神を高揚させるものがあり、それが私の精神活動を完全に支配していた。

日常生活はいつもの通りに行なっていたが、その合間に1分1秒でも割いて、その影響力と、私にとって目新しい教えのことを考えた。考えはじめると、すぐにその影響力が割り込んできて、かつて感じたことのない力と物静かな美しさで迫ってくる感じがした。

それまで私はキリスト教神学を長年にわたって広く深く勉強してきたが、数ある教説も、アラ探しをする意図のもとに読んだことは1度もなかった。辻褄の合わない点も、批判するよりむしろ、うまくつなぎ合わせるようにしたものである。

ところが今や私にとってまったく新しい考え – それまで金科玉条として受け入れてきたものの多くを根底から覆(くつがえ)しかねない思想を突きつけられている。

7月26日、私は前回のインペレーターの通信にふたたび言及してこう述べた – ]

[あなたの述べられた事柄についていろいろと考え、日ごろ尊敬している同僚に読んで聞かせたりもしました。何といっても、私たちが信仰の基本として教え込まれてきたキリスト教の教義が、事もあろうに、十字架の象徴(しるし)のもとに否定されていることに驚きを禁じ得ません。

私の置かれた窮地は言葉で尽くせるものではありませんが、あえて表現させていただけば、確かにあなたのおっしゃることは知的には理解できても、過去1800年以上もの長きにわたって存在し続けてきたキリスト教信仰が、たとえ理屈では納得できるとは言え、これといった権威ある立証もない教説によって軽々しく覆されては堪(たま)らないという心境です。

いったいあなたはイエス・キリストをどう位置づけるのか、また、イエスの名のもとに教えを説くかと思えば否定し、古い福音に代えて新たな福音を説いたりする行為を、一体いかなる権能のもとに行なうのか、お尋ねしたい。

また、あなた自身の地上での身元の確認と、あなたが広言される使命の真実性を証明する十分な証拠をお示し願いたい。合理的思考力をそなえた者なら誰もが得心する証拠です。

天使であろうと人間であろうと、あるいは霊であろうと、またそれが何と名のろうと、何の立証もない者から送られてきた言葉だけで、神の起源とその拘束力とについて、これほど致命的な変化を受け入れるわけにはいきません。

また、そのように要求されるいわれもないように思われます。その変化には、徐々にではあっても、歴然たる相違点が発見されます。あなたの同僚である複数の霊からの通信の内容にも食い違いがあるようです。そうした統一性のないものから送られてくる思想には団結性がないものと判断せざるを得ません。]

煩悶と懐疑は軽信に勝る

友よ、これほど真摯にして理性的な質問をそなたより引き出し得たことは、われわれにとって大いなる喜びです。真摯に、そして理知的に真理を求めんとする心 – その出所が何であろうと単なるドグマはこれを拒否し、すべてを正しい理性によって検討し、その理性的結論には素直にしたがう用意のある心、これこそ神意にかなうものであることだけは信じて欲しく思います。

われわれはそうした態度に異議を唱えるどころか、それを受容性のある真面目な心の証として称賛します。

従来の信仰をそれ相当の根拠なしには捨てず、一方、新しい言説は、形而上的ならびに形而下的に合理的な証拠さえあれば喜んで受け入れる…そうした懐疑と煩悶の方が、もっともらしく色づけされたものを無批判に鵜呑(うの)みする軽信的態度よりはるかに価値があります。

思想的風雨にさらされても何の反省も生まれず、そよ風にも能面のごとき無表情をほころばせることもなく、いかなる霊的警告も通じない無感動と無関心の魂よりも、はるかに貴重です。

そなたの抱く懐疑の念は、むしろわれわれの指導の成功の証として称賛します。そなたがわれわれに挑む論議は、神の使者として述べた言説を、分別心をもって検討してくれていることの証拠として歓迎します。そなたを煩悶させている問題については、いずれ、われわれの力の及ぶかぎりにおいて回答を授けるつもりです。

われわれには、証拠を提示することの不可能な、ある超えられない一線があります。それは、われわれも十分に承知しております。われわれは人間世界で言うところの“証人”を立てることができないという、大きな不利な条件のもとで難儀しています。

われわれは地上の人間ではありません。それゆえ、法廷に持ち出すたぐいの証拠を提示するわけにはまいりません。そなたには、ただわれわれの証言を聞いてもらい、理解してもらう – 証拠によって明らかにし得ないものは知性にまかせ、公正に判断してもらうほかはないのです。

木はその実によって知れる

それは、われわれの説くことが、われわれとともにこの仕事にたずさわる者を除いては、まずもって、これを支持してくれる者がいないからでもあります。実際には、われわれの霊団の者の多くが地上時代の身元を明かしております。(1)

そうして、その名前の歴史上の人物について、そなたは決定的ともいえるものを事細かく知り尽くしておられる。

あくまでもそれでは納得できないと言うのであれば – もしもそれを偽りの霊の仕業(しわざ)であるとし、そなたを欺くために集めた情報にすぎないというのであれば、われわれとしては、そなたとのこうした霊的な交わりのもつ霊的雰囲気に着目し、“木はその実によりて知らるべし。茨(いばら)より無花果(いちじく)を取らず、薊(あざみ)より葡萄を収めざるなり(2)”とイエスが述べた判断の基準を思い出していただきたい。

われわれの教えが神意に適うものであるとの証を、全体の雰囲気の中にかならずや見出されるであろうことを断言して憚りません。

しかし、これ以上この点について弁明していては、われわれの使命の沽券(こけん)にかかわりましょう。そなたがこの点を質されたことには、われわれはみじんも驚きを感じておりません。

が、もしも右の弁明でもなお得心がいかないとなれば、われわれとしてはもはやこれ以上つけ加えるものを持ち合わせず、あとはそなたがこれを納得してくれる日の到来を忍耐づよく祈るほかはありません。それまでは押しつけがましいことは言わずに、辛抱づよく待つことにしましょう。

人工の教義は、死後、無価値となる

われわれの霊団に所属する各霊 – 地上時代はそれぞれ異なる国家、異なる時代に生き、神および死後についての見解も異にした者たちの結びつきについては、語ろうと思えば多くを語ることができますが、それはまた別の機会に譲るとしましょう。

差し当ってここでは、地上生活には避け難い誤解を指摘しておきます。地上の人間はいわゆる自説(オピニオン)というものがほとんど無価値であることを知りません。

死の過程をへて肉体から離れる。すると、目隠しをされていたベールが取り払われたように、それまで金科玉条としていた信仰が、いかに愚にもつかぬ、他愛ない幻想に過ぎないものであったかを思い知らされます。

が、目隠しをされている今は、それがわからないのです。一方、程度こそ違え、すべての神学的教義には、その奥に本質的にきわめて類似した真理の芽が宿されていることも知りません。

友よ、人間はとかく宗教というものを難解なものにしたがりますが、本来宗教とは決して難解なものではありません。人間に授けられている限りある知性によっても、十分に理解し得るものです。

かの神学的産物 – 神の啓示を被い隠している気まぐれな人工的教義はいたずらに人間を迷わせ、当惑させ、真摯に道を求める者を無知と迷信の霧の中へ迷い込ませる以外に、何の役にも立ちません。

向上進化を求める魂の特徴である暗中模索の真理探求は、いつの時代も同じでした。目の見えない者が光を求めるように、迷える魂が必死に真理を求めますが、迷信という名の迷路があります。無知という名の霧があります。曲がりくねった道をよろめきつつ、躓(つまづ)きつつ進み、時には路上に倒れて踏みつけられます。が、すぐまた立ち上がり、手を差しのべつつ、なおも光を求めます。

こうした彷徨(さまよえ)る魂は、そなたの目にはみな同じように映るかも知れません。が、われわれ霊界の者の目には、実に多くの相違点があることがわかります。古来、人間的ドグマの迷路の中にあって必死に光源を求めて喘(あえ)ぎつつ進む魂は、外側より見た目にはみな一様に見えるでしょう。

が、われわれから見れば、“教会”と呼ばれる各教派を特徴づけている神学上の教説は、そなたが考えているほど同一ではありません。われわれの目にはその質的な差異が見て取れます。

また、われわれは未知なるものについてまったく同一の理解をもつ者は2人と存在しないことを知っています。いかなる魂も、大なり小なり、他の魂と同じような見解は抱いていても、決して同一ではありません。

その迷いの霧が晴れるのは、死のベールを通過したのちでしかありません。人間的詮索は肉体とともに滅び、個人的見解は取り除かれ、かくして曇りのない目に、それまでおぼろげに抱いていた真相が姿を現わし、鋭さを増した判断力によって地上生活の印象を修正していきます。

そのとき悟るのは、すべてに真理の芽が宿されていること、それが、ある者においては受容性豊かな心と霊的洞察力とによって生長を促進され、またある者においては、束縛された知性と卑しい肉体ゆえに生長を阻害されるということです。

しかし、神と、自分のたどる宿命についての真理を求めてやまない魂においては、死とともに地上時代の誤った信仰は速やかに影をひそめ、みな、その低劣さと非真実性を悟っていくものです。いつまでも地上時代のままを維持し続ける者は、真理への欲求を欠く者に限られます。

地上時代の信仰の相違は、死後は取るに足らぬものとなる

これでそなたにもわかるであろう。真理はいかなる人間、いかなる宗教の専有物でもないのです。それは古代ローマにおいて霊の浄化と禁欲を求めたアテノドラス(3)の思想の底流にも見出すことができます。

ギリシャのヒポリタス(3)がおぼろげながら垣間(かいま)見ていた実在の世界を信じて地上生活を犠牲にし、神との一体を求めたその信仰の中にも見出すことができます。

同じ真理への希求がローマの哲学者プロティノス(3)をして地上にありながらすでに地上界を超越せしめました。アラビアの神学者アルガザーリ(3)には、教説そのものには誤りがありながらも、その奥底に正しい理解がありました。

それと同じ真理の芽がアレッサンドロ・アキリーニ(3)の思想を照らし、その教説の言葉に力と真実を賦与したのでした。

このように、彼ら指導者の教説には同じ純粋な宝石が輝いているのです。その光が彼らをして、人間が神から授かった真理の堆積物(たいせきぶつ)を清め、神の概念および霊のたどるべき宿命についての、より霊的な解釈を施すことによって人間の歩むべき道をいっそう気高く、いっそう崇高なものにするという共通の目的のために、一丸となって邁進(まいしん)せしめたのでした。

彼らにとって今や地上時代の教説の相違は取るに足らないことなのです。そうした夾雑物はとうの昔にかなぐり捨て、かつて地上で魂の目を曇らせ進歩の妨げとなった人間的偏見などは、跡形もありません。

それは今や完全に葬り去られ、ひとかけらの悔いも残っておりません。“復活”の信仰も見当たりません。とうの昔に捨て去っております。が、その信仰の奥底に秘められた宝石は一段と輝きを増し、永遠にして不滅です。

その啓発的影響力 – ただ存在するだけで他の魂を鼓舞するその影響力に、かつて地上で大いに教説を異にした霊たちを結びつける、神秘的な親和力の絆が存在します。

今その彼らが、より崇高にして純粋な宗教的知識を広めるために共同の仕事に一丸となっていることが、決してそなたが考えるほど不可思議なことではないことの理由(わけ)が、これで得心がいくことであろう。

そのための地上の道具として最も適切とみて、そなたを選んだのです。その判断に誤りはないことは、われわれが1番よく知っています。われわれの述べたことを根気よく熟読玩味(じゅくどくがんみ)すれば、いずれそなたも、その合理性に得心がいくことであろうことを確信します。

その絶対的証拠は?と問うのであれば、それは、そなた自身が死のベールを突き破り、一点の曇りもない目をもってわれわれの仲間入りをするまで待つほかはありますまい。

今のわれわれとしては、精々、そなたが少しずつわれわれに対する確信を築き上げてくれることを望むのみです。どうかイエスが人を裁く時に使用した判断の基準 – おのれが裁かれんと欲するごとくに人を裁くべし、という神の摂理をわれわれにも適用して欲しく思います。

思想上の指導の難しさ

われわれの教説に矛盾があるように思うのは誤りです。これまでそなたと交信したさまざまな霊によって、いろいろな形での論議がなされ、取り挙げられた論点もまた多様でした。

確かにわれわれは、そなたをわれわれが伝えんとする根源的教説へ向けて徐々に導くために、取りあえずそなたの精神に深く根差し、われわれの教説と正面衝突することが明らかなものは無論のこと、差しあたって必須でないものは避けてきました。

そのことは否定しません。われわれの基本方針は、そなたの心に存在する特異な部分をいじくるよりも、その中に見出される真理の芽を発達させることにあったからです。それを目ざして、幾つかの接点を確保し、大切にして参りました。一方、それとは関わりのない問題点は避けてきました。

そうした、これまで見過ごしてきた点、論議を避けてきた諸点については、これ以後に取り挙げることになりましょう。が、これまでも、われわれから見て明らかに誤りがあり、いつまでも放っておけないとみた見解について、そなたの方から批判を求めてきた時は、遠慮なく啓発してきたつもりです。

われわれの目には、そなたの心に想念の潮流が発生し、それがそなたの魂にとってもはや安全ではなくなった古い停泊所から運び出さんとする動きがよくみて取れます。それを見てわれわれは、そなたをその潮流と風のなすがままに放置し座礁(ざしょう)するにまかせておくに忍びず、われわれがその水先案内をしてきました。

その際われわれは、教説という名のロープを一本また一本と、少しずつ穏やかにゆるめ、より安全にして確実な港へ係留してきました。もしも一気にその港へ引っ張り込んでいたなら、古いロープは切れ、そなたの魂は疑念と煩悶の嵐の中に巻き込まれ、舵(かじ)を取る者もなく、立ち寄るべき港も見当たらず、ただ風波に翻弄(ほんろう)され、救われる見込みはなかったことでしょう。

われわれが衝突を避けられるものは避け、荒波を立てないよう配慮したことを咎(とが)めてはなりません。致し方のないことだったのです。そなたの思う方向へ向けて援助することは出来ないでもありません。

が、かりに援助してそのロープを締めることによって、そなたの魂を死物と化した遠い過去へいっそう強くつながれることにはしたくなかったのです。

そなたの心の態度ひとつで、われわれはそなたをその嵐から超然とさせ、新たな生命あふれる信仰をたずさえて、より静かでより広い海原に乗り出さしめ、地上という試練の場と、死後の安らぎの港との間に横たわる苦難の海を、首尾よく乗り切れるよう援助することが可能となるのです。

こうした作業においてわれわれは、そなたに過激な衝撃を与えぬようにと、慎重の上にも慎重を期してきました。いかなる点においても指導を誤ったことはないことを断言します。ごまかしたこともありません。そなたに与えたわれわれの教説には、あらかじめ徹底した吟味が為されております。

なるべくそなたの精神に宿る思想を取り出し、それを敷衍(ふえん)し発展させるよう心がけました。そうしてその中に、より新しい、かつより真実に近い見解を育み、導き、注入するよう努めましたが、いかなる点においても偽ったもの、歪められたもの、あるいは誤ったものは一点もありません。

また、われわれ霊団の者が個々に述べてきた教説には、実質上の齟齬(そご)は何ひとつありません。一見したところそう思えるものが存在しても、それは通信上の難しさと、そなたの精神による種々の影響のせいです。

つまり、通信霊の未経験に起因する場合もあるでしょうし、そなた自身の先入観の影響も大いに考えられます。そなたの精神が受けつけようとしないものは、われわれも伝えることはできません。

そこでわれわれとしては、いつかそなたが曇りのない目で見るであろうところの真理を、象徴的に大まかに伝えるしかありません。霊媒の魂があまりに煩悶している時、身体が苦痛にさいなまれている時、あるいは精神状態が病的になっている時には、明確な通信を伝えることはできません。

それどころか、荒れ模様の天気、電気的障害、あるいは近隣の人々の非友好的態度ですら、通信にいろいろと反映して、明確にそして十分に意を尽くすことを妨げるものです。そうしたことが、警戒心に満ちたそなたの目には“矛盾”として映るのでしょう。

が、それも些細(ささい)なことであり、また数の上でも取るに足りません。それらは障害が取り除かれると同時に雲散霧消することでしょう。そして又、ここぞという困難と危機に際して、高邁(こうまい)な霊的洞察力によって導かれていたことを知ることでしょう。

啓示には計画性がある

そなたはわれわれの説く教えが一般に受け入れられる見込みは乏しいとおっしゃるが、その点についてもそなたは真相をご存知ない。

お粗末なつぎはぎだらけの、朽ちかけた古い信仰が、より高尚にして崇高な信仰 – 本質的には対抗するものではなく補足ないし補充するもの – と置きかえられ、イエスの説いた福音が、より高い次元において理解されることになる日は、そなたが考えるよりもはるかに近い将来に迫りつつあります。

友よ、よく心されたい。今われわれが従事している神の計画が、人間の必要性との関連性を無視して不用意に届けられることは絶対にありません。われわれの仕事も神の一大計画のほんの一部門にすぎません。他にも数多くの霊団が、それぞれの使命に邁進しています。

その教えは徐々に、そして着実に、それを受け入れる用意のある者に受け入れられていくことでしょう。それが神の計画なのです。神の“時”を地上の“時”の概念で考えてはなりません。また、われわれの視界は人間の視界のような、狭く限られたものではありません。

いずれ、われわれの意図した通りの知識が地上に広まる日も到来することでしょう。その間、それに備えて、進歩的な魂は着々と教育を受けています。貴重な種子が蒔かれつつあります。やがてその収穫の時期も到来しましょう。その時を、そなたも、われわれとともに待たねばなりません。

われわれの述べたところを心して読めば、われわれが提供しつつある状況証拠などよりはるかに明確に、その本質を読み取ることができるはずです。繰り返しますが、神は決して福音の押し売りはしません。神はただ提供するのみです。それを受け入れるか拒否するかは、人間の選択に任されています。

が、そなたをはじめ、われわれが係わり合っている者のすべてが、いずれ、その神性を確信してくれることでしょう。あくまでも否定する者は、浅薄(せんぱく)な頑迷さの網にかかり、神学という名の足枷をはめられ、鉄のごときドグマによって束縛された者たちだけでしょう。

そうしたドグマ主義者、頑固な迷信家、偏狭な信者・独善家は、われわれは取り合うつもりはありません。魂にしみ込んだ古い信仰に何よりの安心立命を見出している者も又、われわれは取り合いません。神の御名にかけて、彼らには、そのまま古きものにすがらせておくことにしましょう。

彼らにもいずれ進歩の時が訪れることでしょう。今はその時ではないということです。そなた、およびそなたと志を同じくする進歩的求道者には、われわれが決して悪魔の使いでもなければ悪魔的意図も持たぬことを、これ以上弁明する必要はありますまい。

啓示には段階性がある

また、啓示についてのわれわれの言説を熟読玩味すれば、われわれの教説も、神に関する知識の段階的進歩の一つの階梯にすぎないことを理解されるでしょう。すなわち、神を人間と同一と考えた神人同形同性説の時代から、人間的煩悩と感情を神の属性とすることの不合理を悟りはじめた現在に至るまで、神の啓示も、人間の進化とともに徐々に向上してきているということです。

本質的には、われわれの啓示はそれに先立つ啓示と何ら異なるところはありません。ただ、人間の知識と同様に、前より一歩向上したというにすぎません。その拠ってきたる根源は同じであり、それを送り届ける手段も同じです。

それは、今も昔も人間であり、完ぺきは期し難く、時には誤りを犯します。人間を通信手段とする以上、それは免れないことです。さらには、われわれの取っている態度を振り返ってみていただきたい。

われわれは一貫して、かの伝承的教説 – 単に古い時代のものという意味での伝統的教義 – を金科玉条とする盲目的信仰に代って、あくまでもそなたの理性に訴えるという立場を取っていることがおわかりいただけるはずです。

軽信に代って合理的・知性的検討をすすめ、確信に基づいた容認を要求しているのです。神の使者であるというだけで、われらの教説 – 今の時代に授けられたという意味での新しい教説を信じていただこうなどとは、さらさら考えておりません。

理性の天秤(てんびん)にかけ、知性の光に照らし、得心がいかなければ拒絶すればよいのです。十二分に得心するまでは、決して同意することも行為に出ることも求めておりません。

それゆえ霊的教義の内容は、正しい理性を得心させるべきものであると同時に、われわれがそなたにその受け入れを求める根拠もまた、合理的かつ論理的思考を完全に満足せしめるものを有しております。

道を誤っているとはいえ真摯な求道者はもとよりのこと、進歩的人間の真面目な生活において、過去1800年以上もの永きにわたって後生大事にされてきたもののことで、われわれが結果を焦るあまり、いたずらに反目させることになることは、神が許しません。

それほど永きにわたって大事にされてきたという事実そのものが、彼らの崇敬を受けるに足る資格を物語っていると言ってよいでしょう。ただ、われわれの広い視野から見る時、その説くところが古い蒙昧(もうまい)な時代ならいざ知らず、この開け行く時代には、それなりに視野を広げ、霊性を賦与しなければならないと思うのです。

とは言え、われわれとしては急激な改革によって混乱を来(きた)すことは望みません。今あるものに磨きをかけ、新しい解釈を施したいと思います。引きずり下ろし、足で踏みにじるようなことは致したくありません。

シナイ山にて嵐のごとき口調で啓示された戒め(4)に代えて、イエスが慈悲と滅私の純心さをもって、より崇高な信仰を説いたように、われわれはそれをさらに新しいこの時代の受容能力と必要性にかんがみて説こうとするものです。

“そのようなものは今の時代でも受けつけない!”と申されるか。(5)なるほど、それもよろしかろう。われわれとしては、少なくともこうした見解の存在を知らしめるだけのことはしました。

ひとつの真理がはじめて語られ、それが最終的に受け入れられるに至るまでの道程は、しばしば永き年月を要するものです。収穫にはまずタネ蒔きの時期がなければなりません。

その後、雨にうたれ、霜に埋もれ、寒々とした冬の季節は、いかにも長く感じられることでしょう。が、やがて暖かい太陽の光に照らされてタネが芽を出し、真夏の恵みを受けて豊かに実(みの)り、そして収穫の季節を迎えます。

耕作の時期は長いかも知れません。タネを蒔いたあとの“待つ時期”は、暗く憂うつかも知れません。が、収穫の季節はかならず来ます。その到来を阻止することはできません。

収穫時に手を貸すことはできます。タネ蒔きに手を貸すことはできます。が、手を貸す貸さないに係わりなく、あるいは、たとえそれを阻止せんとしても、神の時節(とき)はかならず到来します。

その時、神の言葉を受け入れるか拒否するかの問題は、本質的には個々人の問題でしかありません。受け入れる者は進歩し、拒否する者は退歩する。そして、それに係わってきた天使が、あるいは喜び、あるいは悲しむ。それだけのことにすぎません。

イエスは空前絶後の霊覚者

次にそなたは、われわれがイエス・キリストをいかなる地位(くらい)に位置づけるかを問うておられる。われわれとしては、さまざまな時代に神によって派遣されたさまざまな指導者について、興味本位の比較をすることを控えたいと思います。まだその時期ではありません。

ただし、今、このことだけは明白に言えます。すなわち、人類の歴史においてイエスほど聖純にして気高く、神の祝福を受け、かつ同胞に祝福を与えた霊はいないということです。

その滅私の愛によって、イエスほど人類の敬愛を受けるに相応しい霊は他にいません。イエスほど人類に祝福をもたらした霊は、他にいません。要するに、イエスほど神のために働いた霊はいないということです。が、しかし、神より遣わされた偉大な指導者を比較して論じる必要性を、われわれは認めません。

われわれとしてはその1人1人に称賛を贈り、克己と犠牲の愛の生涯を、それぞれの時代が要請した手本として賞揚したく思います。

キリストの例にしても、もしも人類がその際(きわ)立った素朴さと誠実さ、愛に発した献身と真摯な目的、自己犠牲と聖純さの模範として仰いでいたならば、かの宗教的暗黒時代の神学者たち、後の世に呪(のろ)いの遺産ともいうべき愚かきわまる思索の産物を残した者たちも、少しは有意義な存在となり、人類の呪いとはならずに、むしろ祝福となったことでしょう。

神の尊厳を傷つけることもなく、キリストの素朴な教えを素直に受け入れていたことでしょう。しかるに彼らは、神人同形同性説的神学を丹念に築き上げ、それがキリストの素朴な教えからいっそう遠ざけることになりました。

今やその名と教義は、派閥間の争いの戦場と化し、その教えは滑稽な猿真似(パロディ)となり下がってしまいました。その有様を聖なるキリストの霊は衷心より悲しみ、哀れに思っておられます。

”儀文は殺す。されど霊は生かす”

友よ、神の摂理と人間的解釈とは、截然(さいぜん)と区別しなければなりません。われわれは主イエスの威厳の前にはひれ伏しますが、人間が勝手に解釈し、それをイエスの名において説く教説 – イエスみずからが否認なさるであろう教説を黙認することによって、イエスの面目を汚すようなことは潔(いさぎよ)しとしません。そのようなことだけは絶対にいたしません。

主はもとより、主の父であり全存在の父である神の面目を真に辱(はずか)しめるのは、バイブルを正しく理解せず、その心を掴みそこねて、ただ字句どおりの解釈に固執するあまり、無知のなせる業(わざ)とはいえ、逆に神への不敬を働いている者たちなのです。

われわれではなく、彼らこそ真に神の名誉を傷つけているのです。たとえ永年の慣用の歴史を有するとはいえ、また、たとえその字句を彼らが聖なるものと断定した書物(バイブル)からの引用によって飾ろうと、さらに又、それらの書に、そこに述べられていることに異議を唱える者への呪いの言葉が見出されようとも、真に神を冒瀆しているのはわれわれではなく、彼らなのです。

われわれはその呪いの言葉を、哀れの情なくしては見つめることができません。われわれとしては差し当たって実害のない誤りは、あえて覆そうとは思いません。しかし、神を冒瀆し魂の向上の妨げとなる言説は、赦しておくわけにはいきません。

本来ならば神に帰すべき名誉をイエスなる一人間に押しつけ、神に対する個人的敬意と愛をおろそかにすることは、神に対する人間としての義務を無視することにほかなりません。

狭隘(きょうあい)にして冷酷きわまるドグマを、その一言一句に至るまで頑(かたくな)に遵守せんとする態度は、魂を束縛し、霊性を歪(ゆが)め、進歩を遮(さえぎ)り、生長を止めます。

バイブルには“儀文は殺す。されど霊は生かす(6)”とあります。それゆえわれわれは、火炎地獄のような作り話に見られる神の観念を否定します。贖罪説のような伝統的教説に代ってわれわれは、より清き、より理性的教説を宣言します。

要するに、われわれは霊性を基盤とする宗教を説くものです。死物と化した形式主義、生命も愛も見られない教条主義からそなたを呼び戻し、霊的真理の宗教、愛に満ちた天使による象徴的教訓、高き霊の界層へと誘(いざな)わんとするものです。そこには物的なものの入る余地はなく、過去の形式的ドグマも永遠に姿を消します。

以上、われわれは事の重大性にかんがみて、細心の注意をもって語ったつもりです。そなたも細心の注意をもって熟読されたい。ひたすらに真理を求める心をもって検討し、隔てなき神の御加護を祈り求められんことを希望します。

†インペレーター

[注釈]

(1)巻末《参考資料》参照

(2)ルカ6-44

(3)ここに引用された古代の思想家および宗教家はすべてインペレーター霊団に属している。《参考資料》参照。

(4)モーセの「十戒」

(5)モーゼスの精神の中にそう反論する想念を見て取って、こう述べたもので、モーゼスが書いたのではない。

(6)コリント第2、3-6

上巻終

「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
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「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→
「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†■2024年3月27日UP■
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「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†■2024年4月10日UP■
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物質界生活中に邪悪な人間の手によって苦しめられ、大いに試練を味わわされた僕たち善良な国民は帰幽後、明るい境涯に赴き、大いに自由を堪能する事になります。そして物質界生活中に奴隷の女の子を強姦殺人し続けた明仁、文仁、徳仁、悠仁は、魂も凍る暗黒の底の底に落ちて千年万年にわたる正真正銘の地獄を味わわされる事になります。そういう意味では「神の公正」がこの宇宙に厳然と働いており、それに身を委ねている限り何も恐れる事も心配する事もないという理屈になるのですが、結局物質界が最悪の場所である事は変えようとしないという事ですか、その部分だけがどうにも納得いかない。確かに霊的知識によれば真の安寧(あんねい)は霊界にこそあり、物質界生活中に幸福を求める事自体が本末転倒であり、物質界でどれだけ頑張るかによって帰幽後の霊界での幸福度が決定するという意味では、霊界での幸せを求めて物質界人生を耐え抜く事が重要と言えるのですが…続きを読む→

まず「The Source of all our Strength」全ページスキャン& OCR変換まで完了中、Google翻訳をおこなうための英文見直しに入りますが、霊団はこれまで長い年月の中でたびたび「我々はもうキミから手を引く」といった趣旨の事を言ってきて僕を脅した事がありますが、今日もその手の事を言われました。

が、そう言ってきて本当に霊団が僕から離れた事は1度もなく、現在までこうしてヒドイ状況をやらされて苦しめられている訳ですが、要するに霊団はこのような事を言って僕を脅してきて導きに従わせようとしているのであり、その意図も重要性も分かるのですが、そう言われたからといってこの状況でこれ以上何をどう努力しろというのでしょうか。

僕はもうどうしようもありません。そのどうしようもない状況に閉じ込めたのは他でもないあんたたちだろ。閉じ込めて何もできなくさせておいて関係を断つと言ってくる、つまり最初から何もやる気がなかったと受け取れるような言い回しだ。本当に言ってる事がおかしい。ただひたすらに首を傾げる。

離れたきゃ離れればいいだろ、そんなモノ僕にハンドリングできないあんたたち主導の問題だろ。人生破壊はこの12年全力でやってきたが人生構築はひとつたりともやってこなかった。そしてあげくの果てに脅しの言葉を降らせてくる。この地球圏霊界の人間というのは一体何がしたくて生きている人間なのだろう。もはや目的が分からない。

えーひとつ新たな山域を目指そうかなぁと考え中ですがこのお話はまたのちほど。もう僕の頭の中から霊的な事がどんどん消えて行ってます。全然使命遂行が進行しないからです。そのうちインスピレーションが降ってこなくなるという事もあるかも知れません、それならそれでしょうがない、僕にはどうしようもない(祈)†

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→

アナログ絵379、380の6ページストーリーのネームを当初の予定から大幅に変更しました、事情がありまして。で、僕の使命遂行の事を考えればこんな絵描いてる場合じゃないと霊団にも皆さまにも突っ込まれそうなのですが、イヤもう僕の残された物質界人生はこういう作業をひとつひとつこなしていくより他にどうしようもないのです。

霊団がもうまるっきりやる気ゼロなのですから絵を描くしかありません。それが元々の僕のキャラですので。で、使命遂行の作業として霊関連書籍のテキスト化を最大級に続行中ですが、まず「I Appeal Unto Caesar」翻訳文見直し60%終了中。「Paul in Athens」OCR変換まで完了中、これからGoogle翻訳にかけるところ。「モーゼスの霊訓 下」テキスト見直し75%完成中。「The Source of all our Strength」全ページスキャン& OCR変換まで完了中。「Spiritual Unfoldment Three」OCR変換まで完了中。

さらにホワイトイーグル霊の英語書籍を2冊注文中ですが(だいぶ前に注文していますが)全然到着しません。さらに英語の古書をもう3冊ほど入手する必要があるのですが、コレがググっても全く見つからない、今のところどうしようもない状況、たとえ見つける事ができてもアゴガ外れるような値段でしょう。

そして近藤千雄先生翻訳の日本語書籍のテキスト見直しがまだ50冊も60冊も残されています。これを地獄と言わずに何と言うのでしょうか。まさに一生かかっても終わらない(かも知れない)作業量となります。作業は絶望的、脱出も絶望的、帰幽後の霊界生活も絶望的。この状態でどう未来に希望を抱けというのでしょうか。フツーならとっくにイヤになってるはずです。

イヤ、僕は脱出だけは達成させますよ。他のモノは耐えられてもこの脱出だけは耐えられないので。これだけは霊団にどれだけ脅されても実行します。節約アイデアをググりまくり調査中。先ほど冷凍庫の中を片付けました。だいぶ空きスペースができました。ココを活用できないか、という事です(祈)†

「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†■2023年8月9日UP■
「助けてくれ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の宇宙最大の寝言の思念です(祈)†
霊界とは完全なる自己責任の世界であり、物質界生活時に果たさなかった仕事の責任を完全なカタチで取らされるようになっています。その責任を果たさないと高い境涯に向上する事は許されません。「身元の確認はしましょう」と言ってきたアナウンサー的男性も、天皇一族が強姦殺人魔だと知っていながらコイツらの事を善人だというニュースを流しまくり、自身も善人を装って物質界人生を送ったその自責の念、後悔の念が霊的向上の阻害となっており、その罪障中和の目的で「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言する僕の背後霊として仕事をする事になった男性ではないのか。僕はその可能性は十分にあると考えるのです。ちなみにテレビ業界には今回の「身元の確認はしましょう」の男性と同じように、心の中ではよくないと知りながら、仕事を失わないために「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を善人であると洗脳ニュースを流し続け、そのおこないに後悔し心を痛めている人間がスゴイたくさんいると思っているのです…続きを読む→
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†
そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→