本当にこの英文見直しは地獄の作業、苦しかったですが何とか終わらせる事はできました。しかしまだGoogle翻訳した日本語文章の見直しが残っています。明らかにおかしい部分(例えばパウロ Paul がポールと訳されていたり)そういう単語単体は修正できますが、僕は英語能力がありませんので文章の流れとかは全然修正できません。

ですので基本的にはGoogle翻訳の翻訳文そのままでUPさせて頂きます。いつか僕の帰幽後に使命に燃えた方が完全版に翻訳してくれる事を祈りましょう。僕のこの作業はその前座という事になります。このまま止まらず「Paul In Athens」の英文見直しにも入ります。

が、もう明日の山のアタック準備ですので作業はここまで。明日の天気が微妙で、コースを変更する可能性もあります、どしよかな、どのコースで行こうかな。帰還後の長文テキスト撃ちがユウウツで仕方ありません。今のところインスピレーションは相当枯渇してます。

2週連続インスピレーション無視という訳にはいかないでしょう(反逆という心境的にはそうしてもいいくらいの気分なのですが…)なので少ないインスピレーションを膨らませて撃つしかなさそうです。本当にこの毎週のテキスト撃ちは地獄なんですよ。一体いつまでこれをやらされるのか。この霊団とか名乗っている奴らはどれだけ人をこき使えば気が済むというのか。

僕の事は徹底的にイジメ倒すが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともしないこの宇宙最大級の理不尽感。この状況をどう心で納得しろというのか。永遠に納得できる訳がないのです。まずは山に集中中(祈)†

「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†■2024年7月17日UP■
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†
そして何の仕事をやらされるのかと思えば(その仕事内容を検討する霊界で催された会議に僕も霊体で参加しています。もっともその会議の内容は全く物的脳髄で反芻できませんでしたが)「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の悲劇の惨状の情報拡散というとんでもない仕事だったのです。霊界高級霊の方々は僕の心の中が丸見えです、僕より僕の事が分かっています。つまり僕なら物質界の邪悪の脅迫に屈せず仕事を続行できると踏んでこの仕事をやらせたのです。そして事実、僕はイエス様を筆頭とした霊界高級霊の方々の期待通り(なのかどうか今となっては疑問ですが)天皇一族が強姦殺人魔であると徹底的に拡散していきました。その情報拡散の中でSNS(Twitter)のアカウントをどれだけ消されてきた事でしょう、もう覚えていないほどやられてきました。そしてこれ以上消されないためにWordPressを開始したのです。つまりどれだけヒドイ目に遭わされても全く使命遂行をやめるつもりがなかったという事です。その部分は霊団の予測的中だったという事です…続きを読む→
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→
「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†■2024年6月12日UP■
「とんでもない悲劇が」まだ試練を浴びせ足りないのか、地球圏霊界を脱出したい(祈)†
どうもこのプレアデスの男性と霊団の動きが似ているような気がしてならない。これは霊界上層界の、守護を命じられた人間(霊)を進歩向上させるための厳格なルールみたいなものがあって、それを順守しているのでプレアデスの男性と僕の霊団の動きが似てくるのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。で、エレナさんはその邪悪の宇宙人どもに「脳内にチップを埋め込まれている」そうですが、それを取り除くシーンも紹介されていて、そこでプレアデスの男性と女性クルーとの間でバトルがあって、結局チップを取り除かずエレナさんの脳内に残したのです。これもおかしいだろう、取ってやれよ。たぶんですが、霊格が高まった方々にとっては肉体に起こる出来事など「ホンの一瞬の過ぎ去っていく出来事」であり、エレナさんの脳内にチップが残されているか取り除くかが問題なのではなく、エレナさんが物質界人生で学ぶべき事をしっかり学びきる事をプレアデスの男性は優先してわざと取り除かなかったのではないか、なんて思ってみたりみなかったり。肉体などというモノは自動的に脱ぎ捨てるものであり、現在の肉体のエレナさんの姿がその女性本来の姿ではない、エレナさん本来の外郭(霊体?)はプレアデスに保管してあって、地球圏での仕事が終わったらエレナさんはその衣服に着替えて、肉体に埋め込まれたチップともども脱ぎ捨てて、そんな低次元のモノとはすっかり縁が切れるのだから、それよりも経験を積ませる事を男性は優先させたのではないか…続きを読む→

[翌日、前回の通信に関連した長い入神談話(1)があったあと、インペレーターと名のる、いつもと同じ霊が、例のレクターと名のる筆記者を使って、ふたたび通信を送ってきた。

それが終わってから交霊会が開かれ、その通信の内容についての議論が交わされた。その中で新たな教説が加えられ、私が出しておいた反論に対する論駁が為された。

当時の私の立場から見れば、その教説は論敵から無神論的ないし悪魔的と言われても致し方ないように思われた。私なら、少なくとも広教会的(2)と呼びたいところである。そこで、私はかなりの時間をかけて、キリスト教の伝統的教説により近い見解を述べた。

こうして始まった論争を紹介していくに当たって、当時の私の立場について少しばかり弁明しておく必要がありそうである。私はプロテスタント教会の厳格な教理を教え込まれ、ギリシャ正教会およびローマ正教会の神学をよく読み、アングリカン(3)と呼ばれる英国国教会の教義も、それまでに私が到達した結論にもっとも近いものとして受け入れていた。

当時の厳格な信仰もある程度は改められていたが、本質的には国教会の教義を厳格に守る人、いわゆる高教会派(4)の1人をもって任じていた。

ところが、このころから、ある強烈な霊的高揚を覚えるようになってきた。これに関してはこれ以後たびたび言及することになることと思うが、その高揚された霊的状態の中で、私は、1人の威厳に満ちた霊(インペレーター)の存在とその影響を強く意識するようになり、さらにそれが私の精神に働きかけて、ついに霊的再生とも言うべき思想的転換を引き起こさせることになる。]

神とは

そなたは、われわれの教説を伝統的教説と相容(あいい)れぬものとして反駁されました。それに関して、今少し述べるとしましょう。

そもそも魂の健全な在り方を示す立場にある宗教には、ふたつの側面があります。ひとつは“神”へ向けての側面であり、今ひとつは“同胞”へ向けての側面です。では、われわれの説く神とは一体いかなる神か。

われわれは、怒りと嫉妬に燃える暴君のごとき神に代わって、“父なる愛の神”を説きます。名のみの愛ではない。摂理において愛であり、その働きも、愛をおいて他の何ものでもありません。最下等の創造物に対しても公正と優しさをもって臨みます。

われわれの説く神には一片のおべっかも無用です。戒律を犯したものを意地悪く懲(こ)らしめたり、罪の償いの代理人を要求するような神の観念を拒否します。

いわんや天国のどこかに鎮座して、選ばれた者によるお世辞を聞き、地獄に落ちて光と希望から永遠に隔絶された霊の悶え苦しむ様を見ることを愉(たの)しみとする神など、絶対に説きません。

われわれの教義には、そのような擬人的な神の観念の入る余地はありません。“その働き”によってのみ知り得るわれわれの神は、完全にして至純・至聖であり、愛であり、残忍性や暴君性といった人間的悪徳とは無縁です。

罪はそれみずからの中にトゲを含むがゆえに、人間の過ちを慈(いつく)しみの目で眺め、かつその痛みを不変不易の摂理にのっとったあらゆる手段を講じて和らげんとします。

光と愛の根源たる神!秩序ある存在に不可欠の法則にのっとって顕現せる神!恐怖の対象ではなく、敬慕の対象である神!その神についてのわれわれの理解は、到底そなたたち人間には理解し得ぬところであり、想像すらできないでしょう。

しかし、神のお姿を拝した者は1人もいません。のぞき趣味的な好奇心と、度を過した神秘性に包まれた思索によって、神についての人間の基本的概念を“あいまいもこ”なものとする形而上的詭弁もまた、われわれは認めるわけにはまいりません。

われわれは真理をのぞき見するような態度は取りません。これまでに述べた神の概念ですら、そなたたちの神学より雄大にして高潔であり、かつ崇高です。それよりさらに深い概念は、告げるべき時期の到来を待つとしましょう。そなたも待つがよい。

神と人間

次に、神とその創造物との関係について述べることにしますが、ここにおいてもまたわれわれは、長い年月にわたって真理のまわりに付着した人間的発想による不純物の多くを、まず取り除かねばなりません。

神によって特に選ばれた数少ない寵愛(ちょうあい)者 – そのようなものはわれわれは知りません。“選ばれた者”の名に値するのは、おのれの存在を律する神の摂理にのっとって、みずからを、みずからの努力によって救う者のことです。

盲目的信仰ないしは軽信仰が、少しでも効力を見せた例をわれわれは知りません。ケチ臭い猜疑心に囚われない霊的理解力に基づいた信頼心ならば、われわれはその効力を大いに認めます。それは神の御心にそうものだからであり、したがって天使の援助を引き寄せましょう。

が、かの実に破壊的な教義、すなわち神学的ドグマを信じこれに同意すれば罪過が跡形もなく消される – 生涯にわたる悪徳と怠慢の数々もきれいに拭(ぬぐ)い去られる – わずかひとつの信仰、ひとつの考え、ひとつの思いつき、ひとつの教義を盲目的に受け入れることで魂が清められるなどという信仰を、われわれは断固として否定し、かつ告発するものです。これほど多くの魂を堕落せしめた教えは他に類を見ません。

また、われわれはひとつの信仰を唯一絶対と決めこみ、他のすべてを否定せんとする態度にも、一顧の価値も認めません。真理を一教派の専有物とする態度にも賛同しかねます。

いかなる宗教にも真理の芽が包含されているものであり、同時に、誤った夾雑物も蓄積しています。人間自身は気づかないでしょうが、1個の人間を特殊な信仰へ傾倒させていく地上的環境が、われわれには手に取るようにわかります。

それはそれなりに価値があることをわれわれは認めます。優れた天使の中にも、かつては誤った教義のもとに地上生活を送った者が数多くいることを知っております。われわれが敬意を払う人間とは、たとえ信じる教義が真理から大きく外れていても、“真理の探求においては真摯”な人間です。

人間がよろこぶ枝葉末節の下らぬ議論には、われわれは関知しません。キリスト教的神学を色濃く特徴づけているところの、理性的理解を飛びこえた“のぞき趣味”には、われわれは思わず後ずさりさせられます。

われわれの説く神学は至って単純であり、理性的理解のいくものに限られます。単なる空想には価値を認めません。派閥主義にも興味はありません。いたずらに怨恨と悪意と敵意と意地悪な感情を煽(あお)るのみだからです。

生活 即 宗教

われわれは“宗教”というものを、われわれにとっても人間にとっても、もっとも単純な形で関わるものとして説きます。修行場としての地上生活の中に置かれた人間は、われわれと同じ永遠不滅の霊として、果たすべき単純な義務が与えられ、それを果たすことによって一段と高度な進歩的仕事への準備を整えます。

その間、不変の摂理によって支配されます。その摂理は、もし犯せば不幸と損失をもたらし、もし遵守すれば進歩と充足感を与えてくれます。

同時に人間は、かつて地上生活を送った霊の指導を受けます。その霊たち(5)は人間を指導・監督すべき任務を帯びているのです。ただし、その指導に従うか否かは、当人の自由意志に任せられています。

人間には善悪の判断を下す基準が先天的にそなわっており、その判断に忠実に従い、そして迷うことさえなければ、かならずや真理の道へと導いてくれるはずのものなのです。

善悪の判断を誤り、背後霊の指導を拒絶した時、そこには退歩と堕落があるのみです。進歩が阻止され、喜びの代りに惨(みじ)めさを味わいます。罪悪そのものが罰するのです。

正しい行為の選択には背後霊の指示もありますが、本来は霊的本能(良心)によって知ることができるものです。為すべきことをしていれば、進歩と幸福が訪れます。魂が成長し完成へ向けて新しい、より充実した視野が開け、喜びと安らぎをもたらします。

地上生活は生命の旅路の一過程にすぎませんが、その間の行為の結果は死後にもなお影響を残します。故意に犯した罪は厳しく裁かれ、悲しみと恥辱の中に償わねばなりません。

一方、善行の結果もまた死後に引き継がれ、霊界においてもその聖なる霊を導き、高級霊の指導教化を受け易くします。

生命はひとつにして不可分のものです。ひたすらに進歩向上の道を歩むという点においてひとつであり、永遠にして不変の法則の支配下にあるという点においてもひとつです。

誰1人として特別の恩寵には与(あずか)りません。また誰1人として不可抗力の過ちのために無慈悲な懲罰を受けることもありません。永遠なる公正は永遠なる愛と相関関係にあります。

ただし、“お情け”は神の属性ではありません。そのようなものは不要です。なぜなら、お情けは必然的に“刑罰の赦免”を意味し、それだけは、罪障をみずから償った時以外には絶対に有り得ないことだからです。衰れみは神の属性ですが、情けは人間の属性です。

いたずらに沈思黙考に耽り、人間としての義務をおろそかにする病的信仰は、われわれは是認するわけにはいきません。そのような生活では、神の栄光はいささかも高められないことを知っているからです。

われわれは仕事と祈りと崇拝の宗教を説きます。神と同胞と自分自身の魂と身体)への義務を説きます。神学的虚構をいじくり回すのは、無明(むみょう)の暗闇の中であがく愚か者に任せましょう。われわれが目を向けるのは実際的生活であり、それはおよそ次のように要約できましょう。

地上生活の規範

父なる神を崇(あが)め敬う(崇拝)…神への義務

同胞の向上進歩を扶(たす)ける(同胞愛)…隣人への義務

身体を大切にする(肉体的養生)…自己への義務

知識を取得する(知的進歩)…自己への義務

より深い真理を求める(霊的開発)…自己への義務

善行に励む(誠実な生活)…自己への義務

祈りを通して背後霊との連絡を密にする(霊的修養)…自己への義務

以上の中に、地上の人間としての在(あ)るべきおおよその姿が示されています。いかなる教派にも偏ってはなりません。理性が容認できない教えに盲目的に従ってはなりません。

一時期にしか通用しない特殊な通信を無批判に信じてはなりません。神の啓示はつねに進歩的であり、一時代、あるいは一民族によって独占されるものではないことを、いずれそなたも理解することになるでしょう。

神の啓示は、1度たりとも“終わった”ことはないのです。その昔シナイ山において啓示を垂れたように(6)、神は今なお啓示を送り続けておられるのです。人間の理解力に応じてより進歩的な啓示を送ることを、神は決しておやめになりません。

完全な啓示は存在しない

また – これ又そなたには得心しかねることでしょうが – すべての啓示は人間を通路としてもたらされるために、多かれ少なかれ人間的誤謬(ごびゅう)によって脚色されることを免れないのです。したがって、いかなる啓示も、“絶対”ということは有り得ません。

信頼性の証は合理性の有無以外には求められません。ゆえに、新しい啓示が過去の一時期に得られた啓示と一致しないからといって、それは、必ずしも真実性を疑う根拠にはならないのです。いずれも、それなりに真実なのです。ただ、その適用の対象を異にするのみなのです。

正しい理性的判断よりほかに勝手な判断の基準を設(もう)けてはなりません。啓示をよく検討し、もし理性的に得心がいけば受け入れ、得心がいかない時は、神の名においてそれを捨てさるがよろしい。

そして、あくまでも、そなたの心が得心し、進歩をもたらしてくれると確信するものにすがることです。いずれ時が来れば、われわれの述べたことが多くの人々によってその価値を認められることになりましょう。

われわれは根気よくその時節を待ちます。そして同時に、そなたとともに、神が人種の隔てなく、真理を求める者すべてに、より高く、より進歩的な知識と、より豊かで充実した真理への洞察力を授け給わんことを祈るものです。

神の御恵みの多からんことを!

[注釈]

(1)Trance Speaking トランス(入神)状態の霊媒の口を借りて霊がしゃべる現象で、大きい会場で行なう場合を入神講演、小さな部屋で行なう場合を入神談話ないし霊言現象と呼んでいる。霊媒の教養と人格に応じて感応する霊の程度と種類もさまざまで、したがって“霊がしゃべった”という現象だけでご大層に思うのは禁物である。

ここでは入神して無意識状態にあるモーゼスの口を使ってインペレーターがしゃべるので、モーゼス自身はその内容がわからず、録音装置のなかった当時としては筆録されたものを読むか、それを聞いた列席者からおよその内容を教えてもらうしかない。

このあとに出ている“交霊会”というのは、そうした霊媒を通じて霊と交わる催しの総称で、ここでの出席者はスピーア博士夫妻を中心に、ごく親しい知人2、3人だけだった。

(2)Latitudinarian 英国国教会内の中道派で、伝統的儀式を重視しない。正式には Broad Church といい、Latitudinarianという時は軽蔑的なニュアンスが込められている。

(3)Anglican 英国国教会の別称で、前後に出ている広教会も高教会もこの中に入る。カトリックとプロテスタントの両要素をそなえながら、どちらにも偏らない。

(4)High Church 国教会の一派で、教義や儀式を重んじる。ローマカトリックと東方正教会に近い。

(5)第1節および第2節の各注(1)を参照

(6)旧約聖書の“出エジプト記”その他に出てくる“モーセの十戒”のこと。

■2019年9月20日UP■
「意味がスッゴイあった事になりますよ」「何でもかんでも止めたかった」アリ?やっぱり帰幽のメセなのか?(祈)†
これもホコリ(物質界)を振り払って守護霊様と共に霊界上層界での進歩向上の生活に突入する、さらに部屋をホコリまみれに、というのも「もう物質界には戻らない」完全なる出発で、もう地上圏との関わりが断たれる、という風にも読めます。えー幾度となく公言していますように僕は「帰幽カモン」です…続きを読む→
■2019年11月11日UP■
多くの方々が僕を祝福しているようで実は嫉妬の嫌がらせ…そういう幽体離脱時の映像を拝しています(祈)†
これまでずっと嫉妬男子の攻撃を浴びながら生活してきましたので今さら驚く事はないのですが、離脱中の霊体の僕はとにかくため息なんですよ。「はいはい、僕を嫉妬するんならあんたが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にしなさいよ。自分を犠牲にせずコソコソ影に隠れて何ひとつ行動も起こさないくせに、よくもまぁいけしゃあしゃあと…」僕はただただ呆れ返るばかりでした…続きを読む→
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

ハァァ、もうホントにウンザリの究極形、それを言い出したら使命遂行の根本が崩れるだろと言いたくなるような事を霊団がインスピレーションで降らせてきています。この霊界の人間とかいう奴らは自分たちの責任についての認識が欠落しているのではないだろうか。

それを言い出すという事はそれを僕にやらせたあんたたちがそもそもおかしかったって事になるはずだろ、その部分の言及が全く無くてなぜ僕だけがブースカパースカ言われなきゃならないんだよ、そういう感じの事を言われているのです。理不尽感が宇宙最大級レベル。

えーっとー、つまりまた書きたくもない内容について長文を撃たされるハメになるという意味で、この人生ホントにいい加減にしてくれよ、イジメイヤガラセにもほどがあるぞ。霊界の人間というのはそんなチャランポランな仕事で進歩向上できるのか、ハァ、実に公正だ。納得できる。

とにかくやるべき事をやってくれよ、何もしないつもりなんだよコイツらは。仕方ありませんので僕は僕レベルでできる事を続行しますが、物質界の邪悪を滅ぼすつもりが全くない霊団の仕事姿勢が頭にきてどうしようもありません。いつまでこんな気持ちで生活せねばならないというんだ。だったらもう終わりにしてくれ(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→

「I Appeal Unto Caesar」英文テキスト見直し80%完成中「Spiritual Unfoldment Three」スキャン& OCR変換45%完了中。心に絶望感が巣食っていても手だけは動かし続けています。やるしかないからです。

脱出アイデアを実行する気満々なのですが数字の壁に阻まれてまだ実行できずに悶々としていますが、コレばっかりは1歩間違うと生活が破滅状態に陥ってしまうので軽々しくできません。徹底的に節約しつつ機を伺います。

そしてやはり僕というキャラは絵を描かない訳にはいかないという事でストーリーをもうひとつ描こうかなとネームを描き始めていますが、このストーリーはマズいかも知れないと思いつつ、どうせ反逆者なんだからもう細かい事は気にしなくていいか、などと思ってみたり。んー、このストーリー、どぉしたもんか。

そして次回長文ブログが本格的にピンチです。今のところ全然インスピレーションが降っていません。まぁ先週あれだけ思いっきり無視したのに降らせてくれとせがむ事自体がおかしいんですけども。まぁこのまま枯渇状態という事であれば僕レベルで何かしら撃とうと思います。そうするより他にどうしようもないでしょうから。

昨日ロードランするのをすっかり忘れてしまい(脱出の事で頭がイッパイでロードランの事が頭から消えてしまったのです)今日あわててロードランをおこないました。チョト疲れましたが僕は山に行き続けなければなりませんので鍛えるのは必須です、サボるの厳禁。

脱出できない、どうしても脱出できない、しかし徹底的に脱出のための外堀固めをおこなっています。何としても脱出してみせる。ストーリーのネームをモチョト煮込みます(祈)†
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†■2021年12月29日UP■
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†
「イヤ、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事で日本の平和と安定が保たれているのだから、女の子は強姦殺人し続けるべきだ」とあなたは仰いますか。あなたのような人間の事を霊界、物質界問わず【神】が経綸するこの全宇宙で何と呼ぶか知っていますか「偽善者」というのです。自分の考えの正当性を主張なさるのであれば、あなたは目に入れても痛くないほどかわいがっている愛する自分の娘を笑いながら強姦殺人して下さい。近所に住む笑顔のカワイイ女の子を誘拐して強姦殺人して下さい。そうすればあなたは逮捕されますが、あなた以上に信じられない人数の女の子を殺しまくっている「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が一向に逮捕されない事を全ての日本国民にどうやって納得させますか…続きを読む→
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†■2023年1月4日UP■
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→

[新プラトン主義思想(1)に関する通信があった。見覚えのある容貌をした霊の写真も撮れたが、衣服は見慣れないものだった。私の質問に対して、心霊写真に写るためには、ある程度の物質化が必要で、霊視能力に写る映像とは違うとのことだった。

新プラトン主義の特徴的な教義についての説明は実に克明で、私のまったく知らないことばかりだった。忘我の状態で神性に背くものすべて排除し、ひたすら神との合一を求めるスーフィズム(2)という恍惚的瞑想行為について長々と説明してから、その理想的人物として1人の名前を挙げた。

そのとき教わったもの、とくにその理想的新プラトン主義者の教説については、その後なるほどと思わせるものがある。もっとも、私自身はすでに体験していたこともあって、驚きの度合が和らげられてはいるが…。

その後、短期間ではあったが、通信が途絶えた。その間に出席してみたある交霊会でイタズラ霊による偽名行為がまた発覚し、私も大いに考えさせられた。その後の通信で、よその交霊会には絶対に出席しないようにとの忠告があった。

霊媒には強い磁力があり、他の霊媒の交霊会に出ると、私の磁力がそこでの現象に悪影響を及ぼし、同時に悪影響を持ち帰ることになるから、霊媒どうしの接触は絶対避けるようにとのことだった。

宮廷詩人だったリドゲート(3)のものを中心とする素晴らしい詩が、それによほど興味をもっているように見うけられる霊によって書かれた。その霊はただ詩を綴ること以外は何もしなかったが、その筆跡は見ごとで特徴があった。

その後1873年6月13日に開かれた交霊会で、神学に関する質問を数多く用意しておいたところ、それに対して入神談話の形で長々と回答が述べられた。当然その全部は筆記できず、部分的で不完全な筆跡しか残されていない。が、その翌日、その入神談話をした霊が、こちらからの要請もないのに、次のような通信を送ってきた。]

真理の受け入れを妨げるもの

昨夜述べたことの中には、先を急ぐあまり、十分に意をつくさなかったことが多く、筆録も正確とはいえません。あのような重大な問題は十分に念を入れ、ぜひとも正しく理解していただかないといけません。

そこで、意をつくせなかったことを、ここでより解り易く述べておきたいと思います。交霊会であなたの口を借りて語るのは、必ずしも、こうした方法(自動書記)で伝えるほど正確を期することはできません。完全に隔離された状態のほうが、緻密(ちみつ)さと正確さの得られる状態に入るのが容易です(4)。

昨夜は、われわれが神から託された使命について述べたつもりです。その使命の前途をさえぎる多くの困難の中でも最大のものは、その使命達成においてわれわれが何よりも頼りとしている気心の合った同志が、あまりに神学的先入観に囚われ、あるいは、それまで説き聞かされてきた信仰と相容(あいい)れないことに恐怖を覚えるために、われわれとしても為すすべがなく、あげくの果ては、悲しいかな、われわれの説く神の教えが邪霊の言葉とされ、その背後で操る強力な悪魔のさしがねと決めつけられてしまうことです。

われわれに敵対する者の中でも、こうした種類ほど嘆かわしいものはありません。

勝手に定めた条件のもとに、自分のお気に入りの手段でしか物事を判断しようとしない似非科学者たち – われわれを、単に人間をたぶらかす者、嘘つき、狂える者のたわごとと決めつける材料として以外には取り扱おうとしない科学者たち – 彼らは、われわれにとってまず用はありません。

その曇った目には真理は見えず、長年の偏見によって包まれ束縛された知性は、われわれにとって何の役にも立ちません。どう気張ったところで、霊界との交信の真相を垣間(かいま)見ることすらできません。

彼らが獲得する知識は、たとえそれ自身は有用であり、価値のあるものであっても、われわれの特殊な使命には、まずもって役に立ちません。われわれが目指しているものは、われわれの使命の一側面でしかない現象面にのみ目を向けたがる科学者がとやかく言うものとは、いささか方角が違うのです。

永いあいだ物理学的観察に馴らされてきた知能は、その分野の解明に向けるのが無難でしょう。われわれの分野はそれとはまた異なるのです。霊と霊との関係であり、霊のたどる宿命についての知識を扱うのです。

さらに、われわれが述べんとする真理についての知識をまったく持ち合わせず、その理解には、こののち長年にわたる人生の試練を必要とする、無知にして未熟な者たち – この種の者は、いずれは理解できる段階にまで向上してくることでしょうが、今の段階では用はありません。

いわんや高慢にして傲(ごう)慢な知識人、自分の世界でしか通用しない説を振り回す道学者、慣例と体面を守ることに汲々たる宗教家 – 彼らについては言葉もありません。

彼らを納得させるには、さらに多くの物的証拠を必要とします。今の段階では、われわれが述べる言葉は、たわごとにしか聞こえないでしょう。

最大の障害 – 神学的ドグマ

が真に頼りとするのは、神とその天使の存在を知り、愛と慈悲を知り、いずれ死後に自分がおもむく境涯について知りたいと思う人物です。が、悲しいかな、神によって植えつけられ、霊によって育(はぐく)まれた天賦の宗教的本能が、人間の勝手な宗教的教義―幾世紀にもわたって知らず識らずのうちに築き上げられた、無知と愚行の産物によって、がんじがらめにされております。

どこをどう突ついても、返ってくるのはおよそ真理から外れたことばかりです。父なる神の啓示を説き聞かせれば、神の啓示はすでにその全てを手にしていると言います。

そこでその啓示の矛盾点を指摘し、そこに終局性も不謬(ふびゅう)性もないことを説けば、教会がこしらえた取りとめもない決まり文句を繰り返すか、それとも“絶対に誤ることのない人”として選んだ人物の言葉を引用するのみです。

つまり彼らは、一時期・一地方の特殊な必要性に応じて授けられた、限られた啓示をもって普遍的真理と思い込み、それを唯一のものさしとして、われわれを裁こうとするのです。

また、古代において霊覚者を通じて行なったように、われわれが信頼に値する神の使者であることを表明し、その証拠として奇跡的現象を演出してみせても、彼らは、奇跡の時代は終わった、神の啓示の証として奇跡を行なうことを許されたのは聖霊のみである、と主張します。

そして、悪魔は – といっても彼らの勝手な想像の産物にすぎないのですが – 神を装うことができるとし、われわれ及びわれわれの使命を、神と善に対抗する外敵、暗黒界の使者であると決めつけます。

また、こうも言います – できることなら力になってあげたい、なぜなら、言っていること自体はなるほどと思わせるものばかりだからである。が、それが悪魔が使う誘惑の常套(じょうとう)手段だから困るのだ、と。確かに、彼らがそう思うのも無理はありません。

なぜなら、やがて善を装った邪霊集団がやってくることをバイブルが予言しているからです。われわれこそその邪霊集団なのでしょう。彼らにとってはそうであるに違いありません。神聖にして犯すべからざる古(いにしえ)の神学が、神の子イエスを否定しようとする勢力の到来を予言しているではありませんか。

現にわれわれの説はキリスト神の定めたイエスの位置とその使命を根底から否定しています。また、われわれは理性を信仰の上に置いています。われわれの説く福音は、信仰よりも善行をすすめる福音であり、忠実な信仰でなく善の実践こそ佳(よ)しとする教えです。

彼らにとっては、こうした教えを説く霊はすべて、光の天使を装う大悪魔の手先であり、魂を破滅に陥(おとしい)れようとする企(たくら)みにほかならないのです。

われわれにとっては、本来なら協力を期待したい真摯(しんし)な信心家からこうした態度に出られることこそ、痛恨のきわみなのです。彼らの多くは愛すべき真面目な人物です。ただ、その明るい魂の炎が地上の暗闇を照らすに至るには、ぜひとも“進歩性”を必要とします。

われわれとしては、彼らにぜひとも友好のメッセージを贈りたいところです。しかし、すでに築き上げられた神および人間の義務についての確固たる信仰基盤に建て増しをするには、その前に、進歩を阻む夾雑(きょうざつ)物を取り除かねばなりません。

宗教にも理性が必要

宗教がその名に値するためには、2つの側面をもたねばなりません。ひとつは神への信仰であり、もうひとつは人間についての教えです。その道の専門家によって“正統”と呼ばれている伝来の信仰は、その2点についてどう説いているのでしょうか。

その教えとわれわれの教えとは、どこがどう違うのでしょうか。その“違う”部分はどこまで理性を納得させるでしょうか。なぜそう問うかといえば、われわれは何よりもまず神が植えつけ給うた理性こそ唯一の判断基準であると主張するからです。

われわれは、あくまでも理性に訴えます。なぜなら、古(いにしえ)の聖賢がこれこそ神の唯一にして最後の啓示であると断定して聖典を編纂した時も、彼らなりの理性に訴えたのです。その断定に際して彼らなりに理性に訴えたのです。ゆえにわれわれもまた理性に訴えます。

われわれ霊団の同志は、啓示の永遠不変の支柱とすべきものを“神みずから”規定されたと主張しているであろうか。われわれも又、“神の使者”にほかなりません。

かのヘブライの予言者たちを導いた霊たち、そしてその啓示を神の言葉と断定した者たちを指導した霊たちと同様、われわれも又、神によって導かれている霊なのです。(6)

われわれも、彼らと同じ神の使者なのです。たずさえてきたメッセージも同じです。ただ、より“進んでいる”というまでです。われわれの説く神も、彼らが説いた神と同一です。ただその神性をより明確に説いているまでです。つまり人間臭が減り、より神々(こうごう)しい存在となっているということです。

こうしたわれわれの訴えを、その言葉どおりに神聖なものと受け取るか否かは、そなたたちの理性(背後霊の指導を受けることは間違いないが理性であることに変わりはない)が最後の判断を下すことです。

それでもなお拒否する者は、みずからの理性の愚昧(ぐまい)さを証言する者にほかなりません。盲信を理性的信仰と同等に見なすわけにはまいりません。信仰にも根拠のある信仰と根拠のない信仰とがあるからです。根拠のある信仰は論理的裏づけが可能であり、その場合にも理性が最終的判断を下します。

後者は論理的裏づけのない信仰であり、これでは人を動かすことはできません。まして、まったく根拠のない盲信にいたっては、われわれもその頼りなさと信用のなさについて、これ以上論ずる必要さえ認めません。

われわれは理性に訴えるのです。理性的に判断して、どこまでわれわれの言うことが悪魔性を証しているのか、われわれの説く教義がどこまで邪霊的であるのか、何をもってわれわれを悪魔的と断ずるのか – こうした点については、これよりのちに改めて説くことにしましょう。

[注釈]

(1)Neoplatonism 3世紀に始まったギリシャ哲学の一派で、プラトンの思想を中核として、これに東洋の神秘思想を加味したもの。その代表的思想家の1人が、第5節でプルーデンスの名で出ているプロティノス Plotinus。

(2)Souffism

(3)John Lydgate(1370~1451?)

(4)霊界通信の難しさを正直に述べている。49名からなるインペレーター霊団は、周到な計画のもとに役割分担を決めて、予備練習を重ねた上で実行しているにもかかわらず、なおこの難しさである。

またシルバーバーチ霊は霊媒のバーバネルが誕生する前から英語を勉強し、誕生の時点から言語機能の発育をつぶさに見届けながら準備し、人間としてのバーバネルのクセを知り尽くした上で、18歳の時にはじめて霊言現象(雲媒をトランス状態にして自分が語る)を実行に移した。それでもなお当初はぎこちなくて、何と言っているのかが分からなかったという。

インペレーターの場合もシルバーバーチの場合も、中継役として“霊界”の“霊媒”を置いていたので、それだけ普通よりは複雑だったという要素はあるにしても、そもそも独立したひとつの個体が他の個体を、そう簡単に、そして自由に操れるはずがない。

そうした点から言っても、死んで間もない、霊的意識がまるで目覚めていない霊が、そう簡単にしゃべれるものではないのであるから、高級霊によるご託宣と同じく、他界したばかりの身内や有名人が出てきて、いかにもそれらしく語り、それを聞いて感涙にむせぶといったシーンは、まずもって低級なイタズラ霊のしわざと思って間違いない。

そういうことが得意で、霊界をドサ回りしている霊団もいるので、用心が肝要である。

(5)ローマ法王のこと。ローマ・カトリック教会では、1870年の第1回バチカン会議で、法王(正式には教皇)は聖霊に導かれたキリストの代表者であり、信仰と道徳に関して宣言することは絶対に間違いはないという“教皇不謬説”を教義として認めている。

(6)ここでいう“古の聖賢”“ヘブライの予言者”はみなインペレーター霊団に属していたとみてよい。

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
■2020年11月18日UP■
TrailMovie「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
「デマハウス」にありますようにコイツらが流し続けてくるウソ洗脳情報にいつまでもダマされ続けてあげてコイツらをおだて続けてあげるというのであれば、その人は「やさしい心の持ち主」という事ではなく「あたまカラッポのおめでたい人間」という事になります。皆さまは果たして自分の愛する笑顔のカワイイ愛娘が明仁、文仁、徳仁、悠仁にむごたらしい方法で強姦殺人されてもコイツらに笑顔で手を振って陛下殿下などと呼び頭を下げるでしょうか。僕は常にブログで【神の因果律】について、そして【神】が僕たち人間全員に与えて下さった【理性・良心】についてブログを書き続けてますが、皆さまにはそろそろ自分の理性、良心に背く行為をやめて頂かねばならないと全力で公言させて頂きます…動画を見る→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダーSPIRITUAL UNFOLDMENT THREE

ホワイトイーグル霊の英語書籍の入手を進めています、こちらもさっそくスキャン、OCR変換と進めていき、Google翻訳にて日本語化してWordPressに全文UPさせて頂きます。僕という霊媒が機能する日は来ない、ならこの作業をやるしかない、という事になるのです。

霊団が全く意味不明の幽体離脱時映像を見せてきますが、そんなものブログで説明できる訳がない、という内容なのでクロッキーにもメモしませんでしたし長文ブログのタイミングでも一切書く事はありませんが、霊団の苦心の跡がうかがえるという事だけは分かるような気もします。降らせる内容に困っているという意味です。

脱出アイデアを今すぐ実行したいのですが間もなくサーバーの支払いがありまして(僕は突然のアクセス急増に備えて少しだけ上のプランを契約しているので)チョトお高いのです。それと脱出アイデアの数字が同時に来ると僕の生活では耐えられない可能性が99%なのでサーバー支払いが終わってからアイデア実行しようかなぁと冷静に考えてます。

こうやってアレがあって遅らせる、コレがあって遅らせる、って気付いてみればずっと遅らせ続けるだけで一向に実行できない、そういうストーリーを霊団は狙ってるものと思われますので(この12年の霊団の動きを見れば自動的にそういう予測が立ちますから)その導きの方向性は破壊しないといけません。何としても脱出を実行しないと。

「Spiritual Unfoldment Three」ペラいペーパーバックですのでスキャンはすぐ終わります、そして新しい書籍でスキャン画像がキレイですのでOCR変換もスムーズと予測、わりと早く全文UPさせられるかも知れません。先ほどの地震に関する波長の事は何も言ってこない、あの鮮明な波長は何のために降らせたんだ。意味が分からないなぁ(祈)†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†■2023年1月11日UP■
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようとせず放置している。奴隷の女の子はひとりたりとも救出しようとせず完全に見殺しにしている。僕の人生を完全に破壊したが、使命遂行は全く前進させない。最低最悪のところに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。誰だって怒るに決まってるだろ。反逆するに決まってるだろ。人の心を一体何だと思ってるんだよ。人の人生を一体何だと思ってるんだよ。一体あんたたちの頭の中は何がどうなってるんだよ。これだけヒドイ状態にさせられても僕がエゴイストだと非難されなければならないのか。それはよかったですね…続きを読む→

地震の備えとか、津波の避難とか、そぉゆぅページを見ていた時に霊団がいつものピィィィンという高い波長を、しかも強調の降らせ方をしてきました。えっと、波長の前に霊聴にカチッてスイッチ音が鳴って、それからピィィィンって響きだすというモノで、さらにその波長が相当高く鮮明でしたので、これはかなり高度な強調の降らせ方だと思います。

※この事前のスイッチ音(カチッ)は霊性発現初期の頃に何回か降ってきた経験がある手法で、近年ではほとんど記憶がありません。えっと、本当に僕の霊体にスイッチがあって霊団がそれをONにしているとかそういう事ではなくて、そういう音声的演出をしているという事ですよ。音による強調です強調。

霊団が「地震」というキーワードでわざわざここまでしてくるという事は、もしかするともしかするのかも知れませんが、霊団が単なる自然現象に対してインスピレーションを降らせてくる事は考えにくく、使命遂行と関連があるからこそ降らせてきたと考えるのが自然です。

となるとこの一連の地震騒動は僕がずっと公言している「視点外し」なのではないか、国民の視線が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に集まらないように地震の恐怖で国民を脅して視点外ししているのではないか、などと勘ぐる事もできます、これまでの使命遂行の流れから言えば。

波長のみで霊団は何も言ってきていませんのでこれ以上の事は書けません。今のところ僕の反逆、先週のインスピレーション完全無視が響いて今週分のインスピレーションは相当に枯渇しています、次週ブログは相当のピンチです。

ちなみに僕はサブスクが大キライですが、あるAIを仕方なくサブスクで導入してアレコレ試しているのですが、使用を止めた方がイイかも知れないと思い始めてきました。危険があるようなのです。今のところ使命遂行にも脱出にも全く役に立っていませんから、使用を止めてもほぼ影響なしかも知れません。支払ってしまっているのでそこが残念ですが。

たったいま書籍が1冊到着してます、作業に入りますので一旦止めます(祈)†

■2019年11月28日UP■
■アナログ絵287UP。奴隷の女の子たちがどれだけヒドイ目に遭わされているか、何としても理解して頂かねばなりません(祈)†
その苦悩を1ミリも理解できない方があのようなコメントを返してきた事があるのです。霊団のインスピレーションに感応できるようになるまでの修行の道のりがどれほどのものであったか、facebookの女性然り、ご覧の皆さま然り、僕がどれだけ力説しても1ミリも伝わらないでしょうし僕もそんな事言いたくもありません。facebookの女性はインスピレーションを小バカにしていました、受け取れもしないくせに。霊的なものをバカにする、僕は霊性発現以降ずっとこの手の軽蔑、嘲笑を浴び続けてきました…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→

[この頃ホーム氏(1)と会った。その日はたまたまダービーの日で、ホーム氏を通じて、ダービーのために霊的状態が悪く、仕事にならないと言ってきた。そこで翌日(5月29日)その点を質(ただ)してみたところ、いろんなことを述べたあと、次のように書いた – ]

ギャンブルの弊害

そうした催しは道徳的雰囲気を乱し、われらを近づき難くします。そこには、われらに敵対心をもつ邪霊が集結し、物欲を満たさんとして集まった人間に取り入ろうとして、スキを窺うのです。昨日はそうした人間が大挙して集結しました。

邪霊たちにとって彼らは絶好の標的です。アルコールが入り、野獣のごとく肉欲に燃える者、大金を当てにして興奮する者、その当てが外れて絶望の淵に落とされる者、等々がいます。

邪霊の誘いにもっとも乗りやすいのは、この最後に挙げた連中です。たとえそこまで落ち込まないまでも、道徳的感覚が狂い、感情を抑制し邪霊から守る盾となるべき冷静さと心の平衡がくずれ、つけ入るスキを与えることになります。

こうしたものは、絶対的悪とまではいわないとしても、自制心を失い狂乱状態に陥った精神が、攻撃の格好の条件を用意することになります。ですから極力避けねばなりません。

その種の心は霊的悪影響、未熟にして有り難からぬ低級霊にまんまと掛かりやすいのです。興奮のあまり節度と理性を失った精神には、くれぐれも用心されたい。

以上のような理由により、そなたが質したような催しの日は、善の使者の努力が、最大限、要請されることになります。総攻撃をしかけんとして集結した邪悪な未熟霊の計画を不首尾に終わらせるためです。

祝日のプラスとマイナス

– しかし、そうなると、祝日はすべていけないことになりませんか。

必ずしもそうではありません。祝日の雰囲気が感情の手綱(たずな)をゆるめさせ、のどを焼くアルコール、欲情の満足といった、霊性を忘れた振舞いに追いやることになれば、その祝日は許し難いものと言えるでしょう。手綱を奪われた肉体が邪霊の思うがままの支配下に置かれることになるからです。

しかし、祝日が身体に休息を与え、魂に憩(いこ)いのひと時を与えることになれば、話はまた別です。過労によって疲弊(ひへい)した身体が心地よい、そしてほどよい休息によって生気を回復することでしょう。

毎日の気苦労と煩(わずら)わしさに苦しめられている精神も、適度な娯楽に興じることによって緊張がほぐされ、しばしその煩わしさを忘れることになるでしょう。

そうした心地よい気分転換がむしろ精神を引きしめ、刺激することにもなります。そうしているうちに穏やかな静けさが魂を支配し、それが何にもまして天使による暖かい支配を可能にします。かくして天界の使者の威力が強化され、いかにしつこい悪霊たちの計画も効を奏さぬことになります。

祝日を人間の堕落の日としないためには、人間側が善霊の働きと人間としての義務についての認識を深めねばなりません。暴動と放蕩、肉欲とギャンブル、邪念と絶望しか生み出さない祝日は、われわれにとって少しも祝うべき日ではなく、“恐るべき日”であり、警戒と祈りを忘れるわけにはいかない日です。神よ、無分別な愚行に耽る、理性なき魂を救い、そして守り給わんことを!

[そのころ催した実験会が、どうやら、いい加減な現象によって邪魔されていたらしく、通信霊の心霊写真を撮ろうとした試みも失敗に終わった。写っていた霊はみずからはレクターと名のったが、友人の判断でわれわれとは何の関係もない、いかがわしい霊で、出席者の誰も知らないことが判明した。私は何か通信を得たいと思って机に向かったが、一向にまともな通信が得られないので、やむなく諦(あきら)めた。

その翌日、いつもの受け身の精神状態を取り戻した。すると、こちらから求めないうちに、霊側から通信を送ってきた。私は前日の実験会のことに言及して、あのような場合、われわれの方で為すべきことはどんなことか尋ねてみた。するとドクターが – ]

レクターは、あなたの混乱した精神状態のために、通信を送ることができませんでした。あの混乱は実験会でのエネルギーの負担が大きすぎるせいです。あの実験会での霊言はまったく当てになりません。あなたの精神状態は異常なほど反抗的でした。

写真に写った人物をレクターと思ったようですが、レクターはあの種の現象には不慣れなので、あなたの度の過ぎた興奮が、今述べた精神状態と相まって通信を不可能にしている事実までは、彼自身も気づいていません。

あのような精神状態の時は、いかなる話題についても通信を求めてはなりません。そのような時に得た通信は当てにならず、不完全であり、往々にして危険でもあります。

[私の当惑は大きかった。そこで、あのような現象をたびたび見せられては、私のささやかな信念がすっかり失われてしまう、と不平を述べた。それまでは1度も体験したことがなかったからである。すると – ]

あなたはこれまで、この私(ドクター)ないし、われわれのうちの誰かが付き添い、注意と保護を与えうる時以外は、あのような実験会には出席していません。昨日の実験会には、物質的成分を操る霊しかいませんでした。その結果あのような混乱となったのです。

あの時も前もって注意を与えましたが、ここで改めて警告しておきます。あの時のあなたの反抗的精神状態では、とてもレクターには支配できません。あなた自身の興奮状態が通信を不可能にしたのです。

[それ以来私は、身体の調子の悪い時や、どこかに痛みを感じている時、あるいは精神的な悩みや心配ごとのある時、さらにそうした人が近くにいる時や混乱をきたしそうな雰囲気の中にいる時は、絶対に自動書記はしないよう慎重を期した。

そのせいと思われるが、その後の通信は実に規則正しく、かつ落着いた感じを与える。大体において筆致は驚くほど流暢で、書かれたノートを見ても(巻頭グラビア参照)1か所の削除も訂正も見当たらない。内容もまったくムラがなく、論旨が一貫している。]

可能なかぎり精神を受け身に、そして冷静に保つことです。仕事で過労ぎみの時、心配ごとで苛立(いらだ)っている時、あるいは気が滅入(めい)っている時は、われわれとの交信を求めてはいけません。交霊会に新たなメンバーを加えてもいけません。調子を狂わせ、妨げにしかなりません。

余計な干渉をせず、すべてを任せてほしい。メンバーの構成について変更すべきところは、こちらから助言します。会合する部屋を変更しないように。そして、できるだけ受容性に富む心構えと健康体をもって出席してもらいたい。

– 確かに、1日中身体と頭を働かせたあとは、条件として良くないとは思いますが、日曜日はさらに良くないように見うけられます。

日曜日の交霊会は不可

日曜日はわれわれにとって好ましくありません。なんとなれば、そなたの心身から緊張が消え失せ、魂が行動する意欲を失い、休息を求めようとするために、われわれの働きかけに反応しなくなるのです。こうなると、われわれはそなたに新たな現象を試みることに恐れを感じるのです。危険を恐れて、物理的実験を控えるのです。

理由はそれだけではありません。物理現象はわれわれの本来の目的ではなく、補助的なものに過ぎないからでもあります。これまで述べてきたわれわれの使命の証(あかし)として見せているのであり、それのみに安住してもらっては困ります。

日曜が好ましくない特殊な事情がもうひとつあります。人間には気づかないであろうが、平日と条件が変わることによってわれわれが被(こうむ)る困難です。前にも述べたことですが、食事のあとすぐに交霊会に臨むことは感心しません。

われわれが求める身体的条件は、受容性と反応の敏速性です。その受容性も、怠惰と無気力から生じるものとは異なります。アルコールとともに腹いっぱい食した後の、あの眠気と無気力状態ほど、交霊会にとって危険なものはありません。

アルコールの刺激が物理現象を促す場合も無きにしもあらずですが、われわれの霊団にとっては障害にしかなりません。より物質性の強い霊の侵入を許し、われわれの霊力が妨害されるからです。

これまでも、そうした妨害を頻繁(ひんぱん)に受けてまいりました。そなたはその点をよく考慮し、われわれとの交信を求めるに際しては、何事につけ、度を過ごさぬよう注意を払ってもらいたい刺激物で身体がほてり、食べ過ぎで倦怠感を覚えるようではいけません。

精神が眠気を催し、不活発となるのも良くありません。いずれの状態もわれわれにとっては、思うように仕事ができません。状態そのものが醸(かも)し出す影響力がわれわれにも及び、われわれのエネルギーを大いに阻害します。出席者の中に1人でもそうしたメンバーがいる時、もしくは身体を病み苦痛を感じている者がいると、われわれは手の施しようのない状態が発生するのです。

– しかし、栄養不足による虚弱な心身では仕事にならないと思いますが…

中庸こそ大切

われわれは節制を説いているまでです。食事によって体力をつけなければなりませんが、食したものが消化するまでは、交霊を始めてはなりません。日常の仕事のためには適度の刺激物を取ることも必要ですが、それも常に用心して摂取すべきであり、まして、われわれとの交霊は、さきに述べた条件を厳守した上でなければ、絶対に始めてはなりません。

心または身体が眠気を覚えたり注意を持続することができないような時、もしくは、どこかを病んでいたり痛みを感じている時は、こちらからの指示がないかぎり、机に向かってはなりません。

同じく、満腹している時は低級霊の活動が優勢となることが予想され、われわれは近づけません。そのような条件のもとでは物理現象も質が低下し、粗暴となり、好条件のもとで行なわれる時のような品の良い、美しい現象は望めません。

われわれにとっては“極端”が困るのです。断食で衰弱しきった身体ではもとより仕事になりませんが、飽食によって動けないほど詰め込まれた身体もまた、用をなしません。節制と中庸、これです。

友よ、そなたが少しでもわれわれの仕事をやり易くし、最良の成果を望むのであれば、交霊会にはぜひとも感覚明晰にして鋭敏な身体と、柔順にして受容性に富む精神状態で臨んでもらいたい。

そうすれば、そなたの期待以上のものが披露できましょう。列席者全員が調和し、構成が適切であれば、現象はいっそう上質となり、述べられる教訓もいっそうあか抜けし信頼性に富むものとなりましょう。

さきにそなたが言及した光 – [当時よく交霊会で無数の燐光性の発光体が見られた] あれも、好ましい条件のもとでは淡く澄み、曇りが見られませんが、好ましくない状態の時は、鈍く、薄ぎたなく、曇って見えるでしょう。

[われわれの交霊会によく出現していた夫婦の霊が、別々の仕事の境涯へ向上して行ったと聞いていたので、夫婦の絆(きずな)は永遠のものではないのかと尋ねてみた – ]

霊的親和性が決める死後の絆

それは、ひとえに、霊的嗜好(しこう)の類似性と霊格の同等性にかかっています。その両者が同等であれば、2人は相寄り添って向上できます。われわれの世界では、共通の嗜好をもつ者、同等の霊格をもち互いに援助し合える者の間にのみ、交わりがあります。

こちらの生活では魂の教育がすべてに優先し、刻一刻と進化をしています。同質でなければ共同体は構成されません。したがって当然、互いの進化にとって利益にならない者同士の結びつきは永続きしません。

地上生活で互いに魂を傷つけ合い、向上を妨げるのみだった夫婦の絆は、肉体の死とともに終わりを告げます。逆に、互いに支え合い援助し合う関係にあった結びつきは、肉体から解放されたのちも、さらにその絆を強め、発展していきます。そして2人を結ぶ愛が、互いの発達を促します。

このように、両者の関係が永続するのは、それが地上で結ばれた縁であるからということではなく、相性の良さゆえに、互いが魂の教育に資するものがあるからです。そうした結婚の絆は不滅です。

ただし、その絆は、親友同士の関係ていどの意味です。それが互いの援助と進化によっていっそう強化されていきます。そして、互いに資するところがあるかぎり、その関係は維持されます。

やがて、もはや互いに資するものがなくなる段階にくると、両者は別れて、それぞれの道を歩み始めます。そこには、しかし、何の悲しみもありません。なぜなら、相変らず心は通じ合い、霊的利益を分かち合う仲だからです。

もしも地上的縁が永遠・絶対のものであるとすれば、それは悲劇までも永遠であることを意味し、向上進化が永遠に妨げられることになります。そのような愚かしいことは何ものにも許されていません。

– それはわかります。しかし、私が見るかぎりでは、知的にも道徳的にも同等とは思えない者どうしが、互いに深く愛し合っているケースがあるように思えるのですが…

愛は時空を超越する

愛し合う者を引き裂くことは絶対にできません。そなたは、とかくわれわれ霊の世界の関係を時間と空間の観念で理解せんとするために納得がいかないのです。

霊は空間的に遠く離れていても親密に結び合うことができるということが理解できないのでしょう。こちらには時間も空間も存在しません。われわれは知性の発達程度が完全に同一レベルでないかぎり、直接の交流は有りえません。

しかし、知的には同等でなくても、真実の愛があれば、その絆によって結ばれることは可能です。離ればなれになった兄弟も、たとえ海を隔て、別れて何年たとうとも、兄弟愛はいささかも失われません。

たずさわる仕事は異なるかも知れません。物の考え方も違うでしょう。が、互いの愛は不変です。夫に虐待され死ぬ思いに耐えつつ、なおその夫を愛しつづける妻もいます。

肉体の死は妻をその虐待の苦しみから救ってくれます。そして天国へと召されます。一方、地上の夫はさらに地獄への道を下りつづけるでしょう。が、たとえ2人は2度と結ばれることはなくとも、夫への妻の愛は不滅です。その愛の前に空間は消え失せるのです。

われらにとっても空間は存在しません。これでそなたも、おぼろげながらも理解がいくことと思いますが、霊にとっての結合関係とは、発達程度の同一性と、嗜好の共通性と、進化の協調性を意味するのであり、人間の世界によくある“くされ縁”などというものは存在しません。

– では聖書の「天国では嫁を貰うとか嫁にやるとかということはなく、すべて神の使いとして暮らすのみである」という言葉は事実でしょうか。

通信内容に矛盾が生じる原因

その言葉どおりです。さきにわれわれは進歩の法則と交わりの法則について述べましたが、その法則は不変です。現在のそなたにとって立派に思えることも、肉体の死とともに捨ててしまうであろうことが数多くあります。地上という環境がそなたの考えを色づけしているのです。

そこで、われわれの側としては、比喩を用い、地上的表現を借りて説明せざるを得ないことが多々あります。それゆえ、われわれの世界にのみ存在して人間界に存在せず、現在のそなたの知識を超越し、したがって地上の言語によって“およそのこと”を伝えるしかない事情のもとで用いた字句に、あまりこだわりすぎてはいけないわけです。

– なるほど。それで霊界通信に食い違いが生じることがあるわけですね?

そうした食い違いは、通信を送る霊の無知から生じる場合、それから霊媒を通じて伝える能力に欠けている場合、さらにまたその時の交霊の状態が完全さを欠く場合などが考えられます。

他にも原因はあります。そのひとつが、人間側が単なる好奇心から下らぬ質問をするために、つい、霊の方も人間の程度に合わせて下らぬ返答をしてしまう場合です。

– しかし、高級霊ならば“愚か者の愚かな質問に答える”ことをしないで、その質問者を諭(さと)せばいいでしょう。

むろん、できることならそうしたいものです。しかし、愚かしい精神構造はそうした配慮を受けつけようとしないものです。類は類を呼びます。いっときの気まぐれや愚かな好奇心の満足、あるいは、われわれを罠(わな)にはめんとする魂胆からしか質問しない者は、同程度の霊と感応してしまいます。

そのような心構えでは、われわれとの交信は得られません。敬虔(けいけん)にして真摯(しんし)な精神は、その受容性に似合った情報と教訓をみずから引き寄せます。うぬ惚れが強く、軽薄で、無知で、ふざけた質問しかしない者は、似たような類いの霊しか相手にしません。

もとよわれわれは相手にせず、たとえ相手にしても、適当にあしらっておきます。その種の連中は避けるが賢明です。下らぬ愚か者ばかりだからです。

[注釈]

(1)D.D.Home(1833~86)心霊史上最大・最高と評される英国の霊媒で、霊能の種類においても驚異性においても、他に類を見ない。とくに空中浮揚現象は有名で、いつでもどこでもやってみせた。

(2)モーゼスの背後霊団については、巻末の≪参考資料≫の(2)でくわしく紹介するが、この一節に関連した部分を簡単に説明しておくと、総勢49名が7人ずつ7つのグループに分かれていて、それぞれに“受け持ち”があり、そのひとつに、物理的現象を起こすことを担当しているグループがいる。

が、物理現象は物的波長を操るので、物質性の強い低級霊に任せられるのが普通で、ここでも第3節で述べられている“地縛霊”の状態からようやく目覚めたばかりの未熟霊が、罪滅ぼしの目的もかねて、“高級霊の監視のもとに”、いっしょうけんめい働いている。が、やはり波長が低いために、とかく邪魔が入りやすいことを、この一節は物語っている。

モーゼスほどの学問と教養を兼ねそなえた第一級の霊媒が高級霊の監視のもとに行なった交霊会でさえ、そんな次第である。心霊常識のカケラもない者が、少し超能力があるからということで霊言や自動書記を行なうことがいかに危険で信のおけないものであるかが、これでおわかりいただけるであろう。

「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→

物的情報に全く興味がない僕でもさすがにチョト気にしないといけないと思わせる揺れでした。これまで長年にわたって描いてきた厖大な枚数のアナログ絵の原画(漫画原稿用紙B4)をまとめてあるB4トレーがあるのですが、それが床に落ちて中の原画が散乱する状況となりました。

それ以外は特に被害と呼べるものはなさそうですが、さて霊団がインスピレーションを降らせてきていまして、もちろん地震の事ではなく使命遂行の事ですが、僕が霊団の導きの方向性を脅しと表現している事で降らせ方が慎重になっている気配感があります。霊団はそんなつもりじゃなくても受け取る僕には脅しに聞こえる、そういう事なのでしょう。

とにかくこれ以上閉じ込められるのが死んでも絶対にムリなので何としても脱出するつもりでいるのですが、数字の問題がありましてどうにも実行できずにいます。さらに節約を加速させて何とか実行までこぎつけるつもりでいます。

45分ノートの時間、という表現で今まで書いてきたものがあります、これは職場の休憩時間の事なのですが(そういう風に書きたくなかったのでわざと遠回しな表現を用いているのですが)休憩中にノートでテキストの作業をしたりアナログ絵の原画を書いたりしているのですが、その時に眠気防止て飴ちゃんをなめていました。

この飴ちゃんの購入頻度もなかなかのもので、この飴ちゃんを買わずに済めばさらに節約になるはずだ、という事で近々に導入したオートミールを飴ちゃんがわりにして飴ちゃんを買うのをやめる事とします。これでさらに浪費を減らせるはずです。とにかく何でもやる。それくらい全力で脱出したいという事なのです。

どうしてもこれ以上閉じ込められるのがイヤなのです、絶対に受け入れる事はできないのです。さらに節約できるところがないか調べます。英文テキスト見直しを続行させましょう(祈)†

脱出実現に向けて節約という事をやっていましたが、こちらはかなり効果がある事が分かりました。なのであとはそのアイデアを実行するだけなのですが、とにかく数字がデカくてどうにも手が出ません。本当に困りました。1歩間違うと生活が破壊されてしまうほどの数字なのでどうしても踏み込めません。

WordPress2サイトの構築が頓挫しているのでもう1回チャレンジしてみようかなぁ。それからにしてみようかなぁ。インストールできない訳がないんだ、何かが間違っているんだ、それを究明してからアイデア実行を決めようかなぁ。そゆこと言ってるからいつまでたっても脱出が実現しないんですけどね。イヤ数字がデカすぎる。

で、Chatナンチャラカンチャラで画像生成してみたりするのですが、んーどぉしたもんかなぁ。画像が小さい、クオリティがイマイチ。プロンプトを工夫すればモチョトクオリティが上がるのか、それとも高いサブスクをやらないと美しい画像は書き出せないのか。たぶん後者でしょう。サブスクはヤダ、んーこちらのアイデアも困ったなぁ。大きい高画質画像で書き出して下さい、と指示しても小さく書き出される。これは何だろう。意味ネィジャン。

で、先ほど英文をGoogle翻訳していた時に霊団がある事を言ってきまして、それが結構決定的な事で、これは僕、たきざわ彰人が日本の男性陣にどのように思われているかというインスピレーションで、もし霊団が言ってきた通りだとすれば、僕はもう物質界生活中に友人を作るのは不可能という事になりそうです。

僕は元々ひとりで生きていくつもりで山の麓に移住してずっと単独行する人生を送る準備をしていた男ですから、ひとりで生きていく事に何の抵抗もないのですが、まぁ霊団が言ってきた事は要するに誤解で、そんな事になりやしネィのに日本の男性陣にはそのように思われていて敵意を抱かれているようなのです。

正しいおこないをすると敵意を向けられる、正義のおこないをすると誤解される、これは物質界のみの低次元の現象で、霊界、特に上層界で生活できるようになれば心の中が丸見えの状態で生活しますから誤解も敵意もなく、みんなオープンに仲良く生活できる訳ですが、物質界生活者は基本的にテレパシーは使えませんからこのように誤解を受ける訳です。

僕の残された物質界人生は何だか知りませんがとにかく敵意を向けられてイヤガラセを受け続ける人生になるという事のようです。ま、笑かしてくれますよね。言われてみれば過去の霊覚者たちはみな同じ目に遭わされていたのかも知れません。物質界には理解者はいないと考えるのが僕のような人間の基本的姿勢となります。だから帰幽カモンと公言しているんですよ。一刻も早く物質界を離れたいという意味です。

さぁ脱出アイデア困ったな。数字がデカすぎる手が出せない。もう脱出する以外に考える事がない。そんな敵意向けられているところにいつまでも閉じ込められてたまるかよ。試練にもほどがあるぞ霊団。本気で心の底からあんたたちを憎んでいるよ。僕の反逆は正当だと強く信じます(祈)†
■2020年9月2日UP■
TrailMovie Dreamwork(ドリームワーク)について(祈)†
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…。41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと霊性発現後になって改めて理解したのです…動画を見る→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→