ハァ、もうホントにムリ、何がムリって、自分にとってイヤでどうしようもない、嬉しくも何ともない事をいちいち掘り下げて説明するのが苦痛でどうしようもないのです。
使命遂行が少しでも前進していればもう少し違う気持ちにもなれると思うのですが、ただ最悪の中に閉じ込められるだけですのでモチベーションが完全にキレているのです。苦しくてどうしようもありませんが何とか撃ち切ってみましょう。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
ハァ、もうホントにムリ、何がムリって、自分にとってイヤでどうしようもない、嬉しくも何ともない事をいちいち掘り下げて説明するのが苦痛でどうしようもないのです。
使命遂行が少しでも前進していればもう少し違う気持ちにもなれると思うのですが、ただ最悪の中に閉じ込められるだけですのでモチベーションが完全にキレているのです。苦しくてどうしようもありませんが何とか撃ち切ってみましょう。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の残雪大失敗アタックの撮影画像をUPですが、別に嬉しくも何ともない事を少しだけ霊団に言われていますので、それについて説明せざるを得ないのですが、もうイヤなモノはイヤでイイんじゃネィのか、そこまで義務感を感じる必要はネィんじゃネィのか、という気さえしてきます。
帰幽後の霊界生活が僕の人生目標ですからそれに向かって努力している訳ですが、その未来の希望も失われるみたいな事も言われていますので、だったらもうムリヤリイヤな事をやらなくてもどのみち美しい境涯には赴けないんだから、などと思ってみたりみなかったり。
本当に心の底からイヤですが何とか撃ち始めてみましょう。あーもう!この人生いい加減にしてくれ(祈)†
悪い予感的中、残雪に時間を取られて撮影予定ポイントまで全然到着できない。踏み抜いた残雪の下は解けた水が流れていてシューズの中がビチョビチョになる。この状態で標高を上げて冷たい風に撃たれたら足指がたちまち低温にやられてしまう。
足指の低温にギリ耐えて撮影続行したとしても、今度はゴールタイムが異常に遅くなる。それでもしばらく進んだのですが、スタート3時間で「コリャ今日はダメだ」と判断、そのまま引き返したのでした。本当に大失敗。判断が甘かったです。標高を上げるのが1、2週間早かったです。
天候は最高で稜線上でグラデーション撮影をするつもりだったのですが、泣く泣く帰りの車の運転中に少し広いスペースで車を止めて臨時撮影をして帰ってきたのでした。イヤー雲ひとつない最高のグラデーション日和だったのに撮影できませんでした本当に大失敗。標高を上げたい気持ちで判断を誤ってしまいました。
さぁ明日の長文ブログですが、かろうじてインスピレーションは降ってますので撃たざるを得ない状態です。毎週ボイコットする気満々なのですがなかなかそうはなりません。イヤーホントに今日は最悪でした。
そして山にいる時は全然平気なのですがロングドライブがもう限界で、もうムリかも知れないと思い始めています。標高を上げるにはロングドライブが必須、さぁどうする。イヤどうもできない(祈)†
ライブカメラを見る限りまだ残雪がありますが、もう冬の低山はさんざん行きましたのでそろそろ標高を上げないといけません。ウズウズが止まりませんので。問題はロングドライブがキツすぎるという事ですが、最大限に対策して行くしか方法がありません。
そしてもはやトラウマと言いたくなるのですが次回長文ブログネタとなるインスピレーションは、ホンの申し訳程度に降っている状態です。宇宙および宇宙人関連のムービーを多数見た中で疑問に思った事を書いてやろうかと思ったりしましたが、たぶん書かないと思います、別の事を書かされるんだと思います。
あーヤダ、もうヤダ、いつまで閉じ込められるんだ、いつまでこの人生をやらされるんだ、なぜ本人がこれほど嫌がってるのに本人の意思が無視され続けるんだ、これは一体誰の人生なんだ。明日は天候だけは最高の予報ですので撮影をしっかりやらないといけません、それに集中する事でイヤな気持ちを忘れられたらイイのですが…(祈)†
「ところで人間が死後も永遠に生活し続けるとなれば、身体はどうなるのかという疑問が生じる。つまり死後にまとう身体に老化現象は起きないのかという疑問である。
これは死後の生活が地上と同じように心と身体の二元的生活であることが判った以上、当然その身体にはエネルギーの消費と磨耗と破壊とがあるはずだという考えから出てくるであろう。
それからもうひとつこれと関連して、その身体の構成要素の補給と、それを消化吸収するための器官があるはずだという考えが出てくる。この場合、問題を身体のみに限ってはならない。なぜなら、原理的には身体、精神、霊のいずれについても同じ疑問が生じてしかるべきだからである。
つまり成長とは内部からの発達であり、そのためには外部から何らかの要素を摂り入れなければならないからである。ひとつについて言えることは他のふたつについても言えるはずである。そこで私はこの問題を個人的存在としての発達成長という観点から観ていくことにする。
「霊魂の個人的生活には身体的と精神的と霊的の3つの面がある。死後の霊魂があなたたち地上の人間と同じように立派に形体を具えた知的存在であり、個的生活者であり、男であり女である以上、また何らかの表現形体を具えて主観と客観の生活を営んでいる以上、そして又、未だ表現機能なしに自己を表現できる段階にまで到達していない以上、当然その3つの面が生じてくる。
ここで注意しておきたいことは、身体的表現つまり表情や身振りは無論のこと、精神的な表現をする場合にも霊的な表現をする場合にも、かならず何らかの媒体つまり表現機能を使用しているということである。究極的にはどうなるにせよ、当面はその表現器官の存在を考えざるを得ないのである。
知性も地上と同じように何らかの表現器官が必要である – それがあなたという知的存在としての自己を表現する媒体なのである。そこで、これからその表現器官の存在と、その使用に伴う消費エネルギーの補給、さらには器官そのものの磨耗の問題について考察してみよう。
「霊体が肉体より次元の高い界の存在である以上、その機能作用は別の高い次元の法則によって支配されているはずである。それは肉体が地上的法則によって支配されているのと同じである。そして地上的生活を送るにはそれなりの絶対不可欠の作用があるのであり、霊体には地上とはまったく異質の作用があるのである。
「さて、そのように霊魂の身体にも生理的機能 – と表現した方が分りやすかろう – というものがある以上は、その機能の働きには人間の肉体と同じくカロリーの消費が伴い、同時にその消費しただけのカロリーを補給して健康と活動とを維持する必要が生じる。
かくして霊体の生命は地上と同じ – 精製、吸収の過程を通じて維持されている。一言にして言えば、肉体に宿っての物的生活は、霊的生活の次元の低い、お粗末な見本のようなものである。
「カロリーの補給過程の違いを知るためには、次のような実験をしてみるとよくわかっていただけると思う。それは、酷暑の日にノドの渇きを出来るだけ我慢しておいて、いよいよ堪らなくなった時に手先を水の中に浸す。
すると、しばらくするうちに手の皮膚を通って冷気と水分とが全身に行き亘り、いつの間にかノドの渇きも暑さも忘れてしまう。単純な過程ではあるが、実はこれが霊魂の身体の栄養補給法の見本なのである。要するに霊魂は浸透作用によって身体を維持しているのである。
同じことが磁気的にも心理的にも作用している。あなたがたも他人の心理的影響つまり愛情や憎しみ、その他の健康的要素も病的要素も互いに吸収し合っている。この吸収作用が、より高い次元において行われているのだと考えれば、私の説もあなが突っ拍子もないこととは言えないであろう。
まだ分かりません、何しろ霊団が「間もなくああなるこうなる」と言ってきてその通りになった事が1度もないのですから僕はハッキリ言って信用してませんが、霊団が僕を「動かす」みたいな事を言ってきてます。
もしそうなれば脱出できる事になりますが、イヤ、イヤ、甘いな。僕は霊団との付き合いが長いです、コイツらの性格は分かっているつもりです。もし僕が移動するとしましょう、そうなれば「こんな事なら残っていた方がよかった」と思ってしまうような、さらにヒドイところに飛ばされるに決まっています。
絶対そうなるに決まってますよ。ま、そんな事になりやしませんから静観しておきましょう。まずは自伝を完成させて、2冊3冊と書き続けられるようにする事に集中しないといけません。僕のチカラではどうしようもない強制力でさらにヒドイ状態にさせられてしまうというのか。
自伝挿入線画34枚目ようやく完成中。35枚目のゴミ取りに入ってます。関係ないお話ですがAffinityPhotoのアドオンが作業のスピードアップに猛烈に役に立っています。イヤーこのアドオン群、入手してよかったぁ。今後もど真ん中で使い続ける決定ですね。
本当にテキスト撃っても撃っても、線画描いても描いても、まだ全然終わりが見えてきません恐るべき作業になってます。ページ数がだいぶいっちゃいそうですが、しかしクオリティ重視。現時点の僕に考えられる限りのアイデアを駆使していきます(祈)†
タイヤ交換ができそうもない状況で(連絡がつかない、どうなってるんですか?)交換までのつなぎとして先ほどローテーションをおこないました。前輪と後輪を入れ替えました。これでしばらく時間稼ぎができるはずですのでそのあいだにタイヤ交換の事を考えましょう。
自伝挿入線画40枚目スキャン完了中、34枚目間もなく完成中、この自伝の作業は「無間地獄」という表現がピッタリ、作業してもしても全く終わりが見えてきません。すでに撃ち終わっているテキストを読み返して「あ、ココにも絵があった方が分かりやすいな」ってなってさらに追加で絵を描いたりしていますのでさらに完成が遅れています。
次回長文ブログネタとなるインスピレーションは恒例の枯渇状態。もう使命遂行そのものを終了してもイイんじゃネィのかと言いたいんですよ。ほとんど意味ないでしょ、僕のこの活動。イヤ、僕がやめればそれで終了か。僕の意思ひとつで決まるのか。ならやってやろうかな、考え中。
スピリチュアリズムによれば、死後の世界は幾段階かの“界”に分けられ、それぞれの界にさらに幾つかの“境涯”があるという。境涯は地上の地域または国に相当し、そこでは性格の似通った者同士が地上と同じような共同生活ないし社会生活を営んでいるという。
親和力の作用によって自然にそうなっていくのであるが、その親和力の作用が地上とは比較にならぬほど強烈であるために、たとえ他の境涯を訪れることは出来ても、いつまでもそこに留まっているわけにはいかない。自分の境涯に引き戻そうとする“引力”と、他の境涯に寄せつけまいとする“斥力”とが働くからである。
ひとつの境涯と他の境涯とは性格的に異っているばかりでなく、高級低級といった程度の差もある。それゆえ霊格が向上してくると次第にそれまでの境涯にいたたまれなくなり、その向上した霊格に似合った他の境涯へ引っぱられていく。かくして宇宙は引力と斥力の作用によって常に調和作用を営んでいるのである。
しかし霊格がある程度以上に向上してくると、より一層の向上進化のために、自分の属する境涯より上の界を訪れたり、自分より下の界、時には地上の人間の守護、指導、救済のために降りたりすることも出来るようになる。
それは前章で紹介した天使の活躍ぶりを見れば明らかである。それは下界の霊魂のためばかりでなく、自分のための体験であり修行でもあるのである。
さて第2章では死後の環境について観てきた。そして地上と同じ主観と客観の生活であることを知った。そこで本章ではその主観的生活すなわち精神的生活と、客観的生活すなわち身体的生活について観てみたい。最初に紹介するのは前章と同じモールスの『実用神秘学』で、通信霊は同じくティエン霊である。
これほど人生をブチ壊されて、日々徹底的に不愉快をやらされて、それでもなお導きに従い続ける、それはよっぽどお人よし、と言われれば確かにそうかも知れません。霊的知識の理解がなければとっくの昔に使命遂行をやめてDreamwork(画家の人生)に戻っていた事でしょう。今でも戻りたいと真剣に考えるくらいですから。
そう言うならその謝罪の気持ちを行動で示せといつも言っているのですが、コイツらは口だけピーチクパーチク動かしてくるが実際は何もやらない。破壊した僕の人生を立て直すかといったらそれは絶対にやってこない、ただ口を動かすだけ。この霊団の謝罪の言葉を受けるほど僕の心は冷え切るのです。
やはり霊団の言うように同人しかないというのか、それでは脱出が絶望的になる、それは困る。まずは自伝を、現時点の僕が考え得る限りクオリティを高めた状態で完成させ、出版社担当者に気に入ってもらって「ウチで出しますよ」と言ってもらえるようにする、くらいしか現時点で思いつきません。
メールの返信が来ないので先ほど電話しましたがつながりません。これはもしかしてもう廃業しているのでは?イヤそれは困る。さぁどうしようかな。
動画をUPしておられる方々、ガンバってますね笑。まぁチョト僕はココまでのスキルはないのでやらないと思いますが、節約したくて思わず調べたという事なんですよ。節約つまり脱出につなげようとしているのです。
失敗した時のために予備のタイヤを準備とか言って結局費用がかさむというアフォの事態になります。正直言って自分でできるならやりたいですが、今はこの「タイヤチェンジャー」やめておきましょう、何かあった時に対応できなくなる。それはマズイ。そもそも作業スペースがない、置いておく場所がない。その時点でムリ。
これだけやっても、タイヤチェンジャーを調べても、脱出できないというのか。あと僕はどう努力したら脱出できるんだ。「どうガンバっても脱出できない」という回答は永遠に認めない。もし霊団がそういうつもりなら僕はそれをくつがえすために帰幽1秒前まで闘い続ける事になります。死んでも認めないという事です。