[本節の通信も、前節と同じくインペレーターからのものである。地上という養成学校における、もっとも望ましい生活はいかなる生活かという質問から始まった。それに対してインペレーターは、頭脳と同時に心の大切さを強調し、身体と知性と愛情の調和のとれた発育が望ましいことを説いた。要するにバランスの欠如が進歩を妨げる大きな要因であるという。そこで私は、博愛主義者が理想的人間像なのかと尋ねた。すると – ]

真の博愛主義者・真の求道者

真実の博愛主義者、すべてに先んじて同胞の利益と進歩とをおもんぱかる人こそ、真実の人間、真の神の子です。神こそ無上の博愛主義者だからです。

真の博愛主義者とは、時々刻々、神へ近づきつつある者のことです。絶え間ない努力によって永遠・不滅の同情心を広げつつ、その不断の同情心の行使の中に、汲めども尽きぬ幸福感を味わいます。博愛主義者と求道(ぐどう)者、すなわち人類愛に燃える人間、偏見のない真理探究者こそ神の宝、比類ない価値と将来性に満ちた珠玉です。

前者は民族の違い、土地の違い、教義の違い、名称の違い等の制約に捉われることなく、一視同仁(いっしどうじん)、全人類を同胞として、その温かい心の中に抱き込みます。

すべての人間を友として、また兄弟として愛するのです。思想のいかんを問わず、ひたすらその者の必要とするものを洞察し、それに相応(ふさわ)しい進歩的知識を授けることに無上の喜びを覚える – こういう人こそ真の博愛主義者です。

もっとも、しばしば似て非なる博愛主義者がいます。自分の名声を広めんがために、自分に同調する者、媚(こ)びへつらい施しをする者のみを愛します。このような似非(えせ)博愛主義者は、その真実の印である“愛”の名を傷つける者というべきです。

一方求道者は、いっさいの宗教、いかなる教派の教義(ドグマ)にも媚(こ)びず、いっさいの偏見を捨て、いかなる真理でも、いやしくも証明されたものであれば潔(いさぎよ)く受け入れます。

すなわち、かくあるべし – したがってかくあらねばならない、という固定観念に捉われることなく、神的叡智の探究に邁進(まいしん)し、そこに幸せを見出します。

彼には、宝庫の尽きることを懸念する必要などありません。神の真理は無限だからです。生命の旅を通じてひたすらに、より豊かな知識の宝の蒐集(しゅうしゅう)に喜びを見出すのです。言いかえれば、神についての、より正しい知識の蒐集です。

この2者の結合、すなわち博愛主義者的要素と求道者的要素とが一体となったとき、そこに完璧な理想像ができあがります。両者を兼ねそなえた魂は、片方のみを有する魂より大きな進歩を遂げます。

– “生命の旅”と言われましたが、それは永遠ですか。

さよう、生命は永遠です。そう信じるに足る十分な証(あかし)があります。生命の旅には2つの段階があります。すなわち進歩的な“動”の世界と、超越的な“静”の世界です。

今なお“動”の世界にあって、人間の用語でいえば、幾十億年、限りある知性の範囲を超えた、事実上無限の彼方までの進化の道程を歩まんとしているわれらとて、超越界については何ひとつ知りません。

しかし、われわれは信じています – その果てしない未来永劫(えいごう)の彼方に、いつかは魂の旅に終止符をうつ時がある。そこは全知全能なる神の座。過去のすべてを捨て去り、神の光を浴びつつ宇宙のいっさいの秘密に通じることになる、と。が、それ以上は何ひとつ語れません。あまりに高く、あまりに遠すぎるからです。

人間はそこまで背伸びすることはありません。生命には、事実上、終末はないものと心得るがよろしい。そして、その無限の彼方の奥の院のことよりも、その奥の院へ通じる、はるか手前の門に近づくことを心がけておればよろしい。

– 無論そうであろうと思います。あなたご自身は、地上におられた時よりも神について多くのことを知られましたか。

神の愛の働き、無限なる宇宙を支配し導く、温かいエネルギーの作用については、より多くを知ることができました。つまり“神について”は知ることができました。しかし、“神そのもの”を直接には知りえません。これより後も、かの超越界に入るまでは知りえないでしょう。われらにとっても、神は“その働きによって”知るのみです。

人間の無知が生み出す罪悪

[引き続いての対話の中で、私はふたたび善と悪との闘いに言及した。それに対して、というよりは、その時の私の脳裏にわだかまっていた疑問に対して、長々と返答が綴られた。そして、これから地上に霊的な嵐が吹きすさび、それが10年ないし12年続いて、ふたたび一時的な凪(なぎ)が訪れると述べた。予言めいたことを述べたのはこれが初めてである。次に掲げるのは、内容的にはその後も繰り返されたことであるが、その時に綴られたままを紹介しておく。]

そなたが耳にしたことは、これより後も続く、永くかつ厳しい闘いの“ささやき”ていどに過ぎません。善と悪との闘いは、時を隔てて繰り返し起きるものです。霊眼をもって世界の歴史を読めば、善と悪、正と邪の闘いが常に繰り返されてきたことがわかります。

時には未熟な霊が支配した時期もありました。ことに大戦の後にそれがよく見られます。機が熟さないうちに肉体から離された戦死者の霊が、大挙(たいきょ)して霊界へ送り込まれるためです。

彼らはまだ霊界への備えができていません。しかも、戦いの中で死んだ霊の常として、その死に際(ぎわ)の心は憤怒(ふんぬ)に燃え、血に飢え、邪念に包まれています。死した後もなお永きにわたって、その雰囲気の中で悪のかぎりを尽くすのです。

霊にとって、肉体から無理やり離され、怒りと復讐(ふくしゅう)心に燃えたまま霊界へ送り込まれることほど危険なものはありません。いかなる霊にとっても、急激に、そして不自然に肉体から切り離されることは感心しません。

われらが死刑という手段を、愚かにして野蛮な行為であるとする理由もそこにあります。死後の存続と向上・進化についての無知が未開人のそれに等しいがゆえに野蛮であり、未熟な霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせ、さらに大きな悪行に駆(か)り立てる結果となっているがゆえに愚かというのです。

現在の地上人類は、みずから定めた道徳的ならびに社会的法律に違反した者の取り扱いにおいて、あまりに盲目的であり、あまりに無知です。幼稚にして低俗な魂が道徳に反することをする、あるいは法律を犯す。すると、すぐにその悪行の道を封じる手段に出る。

本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純な霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、すぐに牢獄に閉じ込めてしまう。

そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿な邪念に燃えています。それのみか、霊界の未熟な邪霊もそこにたむろし、双方の邪念と怨(おん)念とによって、まさに悪の巣窟(そうくつ)と化しています。

何たる無分別!何たる近視眼!何たる愚行!と叫びたくなります。その巣窟には、われらが入ろうにも到底入ることはできないのです。神の使徒は手の施しようもなく、ただ茫然(ぼうぜん)として立ちつくすのみです。

人間の無知と愚行の産物である、地上ならびに霊界の悪の集団を目(ま)のあたりにして、悲しみの涙を流します。人間が犯す罪の心はしょせん癒やせぬものと、そなたたちが諦(あきら)めるのも不思議ではありません。何となれば、人間みずからが、罪の道に堕(お)ちる者を手ぐすねひいて待ちうける悪霊に、まざまざと利用されているからです。

いかに多くの人間がみずから求めて、あるいは無知から悪霊の虜(とりこ)にされ、冷酷な心のまま牢獄から霊界へ送り込まれているか、そなたたちはご存知ないし、また知りえぬことでしょう。

しかし、もしも右のような事実を考慮して事に臨めば、必ずや効を奏し、道を踏みはずした霊たち、悪徳の世界に身を沈めている霊たちに、計り知れない救いを授けることになりましょう。

罪人は教え導いてやらねばなりません。罰するのはよい。こちらの世界でも処罰はします。が、それは、犯した罪がいかに自分自身を汚し進歩を遅らせているかを悟らせるための、一種の戒(いまし)めであらねばなりません。

神の摂理に忠実に生きる者たちの中に彼らを置き、罪を償(つぐな)い、真理の泉で魂をうるおすことを体験させてやらねばなりません。そこには神の使者が大挙して訪れ、その努力を援助し、温かい霊波を注ぎ込んでくれることでしょう。

ところが現実はどうでしょう。罪人を寄せ集めては、手を施す術(すべ)なき者として牢に閉じ込めてしまいます。その後さらに意地悪く、残酷に、そして愚かきわまる方法によって処罰します。

そうした扱いを受けた者は、刑期を終えて社会へ復したのちも、繰り返し罪を犯します。そしてついに、最後の、そして最も愚かな手段に訴えるべき罪人の名簿に書き加えられます。すなわち死刑囚とされ、やがて斬首されます。

心は汚れ果て、堕落しきり、肉欲のみの、しかも無知な彼らは、その瞬間、怒りと増悪と復讐心に燃えて霊界へ来ます。それまでは肉体という拘束物がありました。が、今その拘束から放された彼らは、その燃えさかる悪魔のごとき邪念に駆られて暴れまわるのです。

人間は何もしりません!何ひとつ知りません!自分たちのしていることがいかに愚かであるか、一向に知りません。人間こそ人間の最大の敵であることを知りません。神とわれらと、そしてわれらに協力する人間を邪魔しようとする敵を利することになっていることを知らないのです。

知らないと同時に、愚かさの極みです。邪霊がほくそえむようなことに、あたら、努力を傾けています。凶悪人から身体的生命を奪う。単なる過ちを犯したにすぎない者に、報復的刑罰を与える。

厚顔にも、法の名のもとに流血の権利を勝手に正当化しているのです。断じて間違いです。しかも、こうして心を傷つけられた霊たちが霊界から報復に出ることを、地上の人間は知りません。

神の優しさと慈悲 – 堕落した霊を罪悪と憤怒(ふんぬ)の谷間から救い出し、聖純さと善性の進歩の道へ手引きせんとして、われら使者を通じて発揮される神の根本的原理の働きを知る必要があります。右のごとき行為を続けるのは、神の本質についてまったく知らないからです。神学者たちは自分の本能的欲求にとって都合のよい神を勝手に作りあげています。

すなわち、どこか高い所から人間を座視し、自分の権威と名誉を守ることのみに汲々とし、自分の創造物については、自分に媚(こ)び自分への信仰を告白した者のみを天国へ召して、その他の者に対しては容赦(ようしゃ)も寛恕(かんじょ)もない、永遠の刑罰を科してほくそえむ、悪魔のごとき神をでっち上げました。

そうした神を勝手にこしらえながら、さらにその神の口を通じて、真実の神には身に覚えのない言説を吐かせ、温かい神の御心には到底そぐわない律法を定めました。(1)

何と見下げ果てた神!一時の出来心から罪を犯した無知なわが子に、無慈悲な刑を科して喜ぶとは!作り話にしても、あまりにお粗末です。お粗末にして愚かなる空想であり、人間の残忍性と無知と未熟な心の産物にすぎません。

そのような神は存在しません!断じて存在しません!われらにはとても想像の及ばぬ神であり、人間の卑劣な心の中以外のどこにも存在しません。

父なる神よ!願わくは無明(むみょう)の迷える子らに御身を啓示し、御身を知らしめ給え。子らが御身について悪夢を見ているにすぎないこと、御身についてのこれまでの愚かな概念を拭い去らぬかぎり、真の御姿を知りえぬことを悟らしめ給え。

しかり。友よ、人間が設けた牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方のすべてが、ことごとく誤りと無知の上に成り立っているのです。

戦争および大虐殺にいたっては尚のこと恐ろしいことです。本来なら同胞として手をつなぎ合うべき霊たち – われわれにとっては身体は眼中にありません。一時的に物的原子をまとった“霊”こそ関心の的です – その霊たちの利害の対立を、人間は戦闘的手段によって処理せんとします。

血に飢えた霊たちは、怨念(おんねん)と憤怒を抱きつつ肉体から引き裂かれ、霊界へと送り込まれます。肉体の束縛がなくなった霊たちは、燃えさかる激情にさらに油を注がれたような激しさをもって地上界を席巻(せっけん)し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心をいっそう駆り立てます。

しかし、その拠ってきたるそもそもの原因は、単なる野心の満足、一時のきまぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かな野望に類するものであったりします。

ああ、友よ、人間はまだまだ知らねばならぬことばかりです。しかもそれを、これまでに犯した過ちを償うためにも、苦(にが)くかつ辛(つら)い体験を通して知らねばなりません。

何よりもまず、愛と慈悲こそ報復的処罰にまさる叡智であることを知らねばなりません。かりにもし神が、キリスト者が想像するように、人間が同胞を処罰するごとくに人間を扱うとすれば、キリスト者みずからが、間違いなく自分の想像する地獄へ堕ちねばならなくなります。

神について、われら第使徒について、そして自分自身について、人間はまだまだ知らぬことばかりです。それを知った時はじめて人間としての真の進歩が始まり、邪霊を利する行為でなく、われら神の使徒の使命達成のために協力することになりましょう。

友よ、もしもわれわれのメッセージの有用性と利益について問う者があれば、それは、無慈悲と残虐と怨念の産物に代わって、優しさと慈悲と愛の神を啓示する福音であると告げられよ。神への崇敬の念とともに、愛と慈悲と憐憫(れんびん)の情をもって人間のために尽くさんとする霊的存在について知らしめんがためであると告げられよ。

人間がみずからの過ちを悟り、神学的教義の他愛(たわい)なさに目覚め、知性をいかにして自分の進歩のために活用するかを学び、与えられた好機を自分の霊性の向上のために活用し、死してのち同胞に再会した時に、社会の障害物・厄介者だったと非難されることのないよう、常に同胞のために役立つ生き方を教えるものであることを告げられよ。

それこそがわれらの栄(は)えある使命であることを、その者たちに告げられるがよい。これを聞いてもし彼らが嘲笑し、それまでのお気に入りの説にて事足れりと自負するのであれば、その者たちには構わず、真理を求めてやまぬ進取的な魂の目を向けられよ。そして彼らに、地上生活の改革と向上を意図せる神のメッセージを届けるがよい。

そして、真理に目覚めぬ者のためには、死してのち霊界にて目を覚ました時に、自分の惨憺(さんたん)たる姿に絶望することのないよう、祈ってあげるがよい。

[注釈]

(1)西暦325年に開かれたニケーア会議の舞台裏で、時の皇帝コンスタンチヌスは、宗教によって人心を縛るための得策として、かずかずの“しるしと不思議”つまり奇跡的心霊現象を起こしたナザレ人イエスが死後もなお根強い人気と話題をさらっている風潮に目をつけ、これを“神の子”に仕立てるために世界中の神話・伝説から適当なものを借用してもっともらしくつなぎ合わせ、今にいう“新約聖書”なるものをでっち上げた。

そして、それをもとに次々と教義をこしらえて“神学”という体系を築き、これに異議を唱える聖職者は処刑されたり追放されたりした。これがさらに教育・文化・芸術の分野にまで拡大され、西洋史にいう“暗黒時代”を迎える。

それは、西洋史ではルネッサンスつまり文芸復興期(14~16世紀)まで続いたとされているが、潜在的にはごく近代にまで尾を引いていたことを、インペレーターは指摘している。

「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†■2022年9月7日UP■
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†
僕はイエス様を裁きません。僕が地球圏霊界を離れます。僕は果てしなく霊的知識をお勉強していますが、地球圏以外の惑星についての記述がほとんどないため、地球圏霊界を離れると言っても具体的にどういう風にすればいいのかがまだ分かっていません。もっともその資格アリと判断されなければそのようにさせてもらえないのでしょうが。しかし、僕の物質界での苦悩が事実イエス様が原因だったとしても、僕は霊的知識が十分に頭に入っており、その苦悩が帰幽後の自分の未来を明るくする事につながると理解していますから、現在は物質界に残されて延々とヒドイ目に遭わされていますのでどうしても許せない気持ちが沸き上がってきますが、帰幽して苦悩から解放されれば霊団に対する怒り憎しみの気持ちもだいぶ和らぐでしょう。イエス様に怒りの矛先を向けるのも筋違いであり逆に感謝しなければならないと思い知らされる事でしょう…続きを読む→

Google翻訳ほぼ完成中、で、さすがにその自動機械翻訳文そのままって訳にはいかないので全文を見返して明らかにココおかしいよねってところは修正して、それからWordPressにUPさせて頂きます。「天使と妖精」の全ページスキャン、OCR変換まで完了しているのにそちらのテキスト修正をやらずに原文を自力で翻訳したのです。どうにもイヤだったからです。が、内容は同じです。

で、霊団がまた毛色の違う絶望的な事を言ってきています。近々の最悪ではなく遠い視点の最悪です。帰幽後にどういう境涯に置かれるかはともかくとして物質界に残されている間は本当にヒドイ人生をやらされる事になりそうです。

それをそのまま受け入れる訳がないのでもちろん反逆する訳ですが、本当に悟った人間であればその苦難を「神からの賜りもの」として真正面から受け入れるのですが、それにも限度がある、僕はもう絶対耐えられないレベルに到達しているのでそういう聖人ぶった事はできそうもありません。

次回長文ブログネタとしてのインスピレーションは相変わらず枯渇中、霊団のやる気のなさがヒドイ状況で、やる気がないなら終わりにすればいいだろと思うのですが、霊団は何が何でも僕を物質界に残し続けようとしているそうです。これは究極のイジメです。地球圏霊界を離れる方法を模索し続けます。ホワイトイーグル霊の英語書籍の中にヒントがないか探してみましょう。

本当は復刊、流通させたいのです、それが意味不明の法律の壁に阻まれてできない、この狂った物質界を一刻も早く離れたいというのに霊団は正反対の事を言ってきやがる。なぜこんなヒドイ人生をやらされねばならないのかが永遠に理解できない。脱出アイデア実行準備中、間もなくやるかも(祈)†

■2020年9月2日UP■
TrailMovie Dreamwork(ドリームワーク)について(祈)†
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…。41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと霊性発現後になって改めて理解したのです…動画を見る→
■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†■2021年11月10日UP■
「コイツらだけは絶対許さない」強姦殺人魔、天皇一族に対する皆さまの思念です(祈)†
「この強姦殺人魔どもに対してこれ以外の感情が湧くというのであれば、どういう事なのか説明してもらいたい」という事になります。人間としてこれ以上当たり前の感情はないという意味です。その当たり前の感情がなぜこれほど長い年月にわたって公の場で語られる事が無かったのか、それが「洗脳」と「脅迫」と「視点外し」という事になると思います。まず「洗脳」ですが、世界中の強姦殺人魔は総じてメディアを牛耳っています。そのメディアを駆使して徹底的に自分が善人で国民に人気があって親しまれているという趣旨のニュースを休みなく流しまくり認識を捻じ曲げ続けてきます…続きを読む→

苦しくなるというのは訳文が機械的で読むのが苦しいという意味ではなく、その内容が僕の心に突き刺さる部分が多々あるという意味です。文章自体はまぁ十分許容範囲なのではないでしょうか。もしかしたら次回長文ブログ前に全文UPできるかも…イヤームリかなぁ、まぁどのみち完成させます。

で、節約のお話ですが、昨日入手したのは「オートミール(ロールドオーツ)」で、そんな感動するほどでもありませんが調理なしでそのまま普通に食べられます。これは普段の生活の食事用に入手しているのではなくロングドライブ時の眠気防止対策のポテチを毎週コンビニで大量に買うハメになっていたのをやめるために入手したのです。

で、米化というモノがありますのでさっそくルクエで加熱させておにぎりにして食べてみましたが、確かに米の代用という感じで味はゴハンにそっくりですね。米をやめてこちらに完全に切り替えるとか、そういう事は考えていませんので(米よりは高くつくので節約の意味がない)日常的に食べるつもりはありませんが、ロングドライブ時にコンビニを一切活用しないためのアイデアをいろいろ試してみましょう。これを常態化させれば年〇万円の節約になるのです。これは大きいですよ。

オートミール(ロールドオーツ)に興味があったから入手したのではなく脱出を実現させるために入手したのであって、コレの料理アレンジに夢中になって消費量がかさんで結局いっぱい買うハメになったりしたら本末転倒、節約の意味が無くなってしまいますので、あまりそちらばかり見ないようにしましょう。

ロングドライブをせずに済めば一気に問題解決なのです。つまり山の麓に移住すれば登山道入口にすぐ到着できて眠気防止対策も必要なくなります。が、現状ではどう頭をひっくり返しても移住などムリですが、物件だけはずっと見ているのです。夢で終わらせない、ずっと頭に、心に、移住をイメージし続けるという意味でアレコレ見て回っているのです。ログハウスは禁止。訴訟とかも起こっているそうですね。もっとも僕はそれ以前に購入などできませんが。

ホワイトイーグル霊のGoogle翻訳文を読んでいて、僕の反逆を責めるような内容がアチコチに見受けられて、読んでいて苦しくなるのでした。しかしそれでも反逆(脱出)をあきらめるつもりは毛頭ない。閉じ込められ続けるのは死んでも有り得ない、絶対に認めない。シルバーバーチ霊の仰る「締め切られたドア」を何が何でもこじ開けてみせる。開かずに僕は帰幽後に最悪に突入するという事になるのですが。そうと分かっていてもやります。それくらいイヤだからです。間もなく脱出アイデアを実行するかも知れません(祈)†
■2019年10月18日UP■
「ゴミにしか見えない」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する皆さまの思念です(祈)†
なぜか分からないながらもムカムカする、という感じでしたね。そのムカムカ、怒りが一体何であるかなど考える事さえしませんでした。「お前らなんか知るか」これが霊性発現前の僕の強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する正直な感想だったと思います。ただ唯一ピーチピチ(佳子)だけは「カワイイ女の子だなぁ、全然親と似てなくておかしいなぁ」とは思っていましたが…続きを読む→
■2019年9月13日UP■
幽体離脱時、思いっきり「宇宙人」と遭遇する映像を拝しましたが、文仁、紀子、悠仁の思念のようです(祈)†
結局地上人を支配して命令を聞かせようとしていると分かるのでした。これは要するに「我々は異星人」と意味は同じで、その液体大理石の3人とコミュニケートする中で霊体の僕はコイツらが文仁、紀子、悠仁だと見抜くのでした。荒唐無稽な方法で支配を続けようとしている、そういう思念をこのような映像で霊団が表現したのかも知れません。そして液体大理石の文仁、紀子、悠仁はとにかく「ネコちゃん」と殺そうとしています…続きを読む→

(原典では各節に番号がふってあるだけで見出しの語句がないが、理解の便を考慮して訳者が付した。)

霊的新時代の幕開け

[世界の歴史においても特異な意味をもつ今の時期とその特質についての対話が交わされたあと、次のように綴られた。]

今まさに、新しい真理の普及のための特別の努力が払われつつあるところです。神の使徒による働きかけです。それが敵対者の大軍による、かつてない抵抗に遭遇しております。世界の歴史はつねに善と悪との闘争の物語でした。

一方に神と善、もう一方に無知と悪徳と邪悪 – 霊的邪悪、精神的邪悪、そして物的邪悪です。そこで、時として – 今がまさにその時期のひとつなのですが – いつもとは異なる努力が払われることがあります。神の使徒が一段と勢力を強めて集結し、人間を動かし、霊的知識を広めます。目的達成の時も近づいております。

油断ならないのは真理からの逃亡者であり、生半可(なまはんか)者であり、日和見(ひよりみ)主義者です。そうした人種に惑わされてはなりません。しかし、神の真理のために惑わされることがあってもなりません。

– おっしゃることはわかります。しかし、何をもって神の真理とするか、その判断に迷う者はどうすればよいのでしょう?真剣に求めながら、なお見出せない者が多いのです。

切に求める者にして、最後まで見出せぬ者はいません。その道のりが遠く久しい者はいるでしょう。地上を去り、高い界へ至ってようやく見出す者もあるやも知れません。

神はすべての者を試されます。そして相応(ふさわ)しい者にのみ、真理を授けられます。一歩進むにも、それ相当の備えがなくてはなりません。それが進歩の鉄則です。適性あっての前進です。忍耐が必要であるゆえんはそこにあります。

– それはわかるのですが、教会内部の意見の衝突、証拠が納得してもらえないこと、偏見、その他もろもろの要因からくる障害はどうしようもないように思えます。

それは、“あなたにそう思える”というに過ぎません。いったい何ゆえに神の仕事に抵抗するのでしょう?もろもろの障害とおっしゃるが、われらが過去において遭遇した障害にくらべれば、現在の障害など、ものの数でないことをそなたはご存知ない。

あのローマ帝政の末期、放蕩(ほうとう)と肉欲と卑俗と悪徳とにひたりきった地域から、聖なるものすべてが恐れをなして逃げ去った、あの暗黒の時代にもしもそなたが生をうけておれば、悪が結束した時の恐ろしさを思い知らされたことでしょう。

その非常さは絶望のそれであり、その陰気さは墓場のそれでした。肉欲 – ただ肉欲のみでした。天使はその光景を正視できずにその場を去り、その喘(あえ)ぎを和らげてやることなどは及びもつきませんでした。

信心などは思いもよらず、それよりさらに悪質でした。世をあげて霊的なものを侮蔑(ぶべつ)し、われわれの行為を貶(さげす)み、すべての徳をあざ笑い、神を愚弄(ぐろう)し、永遠の生命をののしり、ただ食べて飲んでの放蕩三昧(ざんまい)の日を送るのみでした。まさしく、堕落しきった動物同然の生活でした。

それほどの悪の巣窟(そうくつ)さえ、神とその使徒は見事に掃(は)き清められたのです。それをあなたは、わずかな障害を前にして、“どうしようもない”と嘆くとは、情けないことです!

啓示は時代とともに変わる

[このあとも、地上人類のための計画が、人間の無知と強情ゆえに何度も挫折してきた経緯(いきさつ)が述べられた。そこで私は、この度も失敗に終りそうなのかと尋ねた。すると – ]

神はそなたの想像以上に働きかけを強めておられる。地上の各地に神の真理普及のための拠点ができ、魂の渇(かわ)きを潤(うるお)し、知性を納得させるような真理が、ふんだんに地上へ注がれています。

むろん、中には古い教えのみにて足れりとし、新たな真理を受け入れようとしない者もいることでしょう。われわれは、そうした人種をかまうつもりはありません。しかし、古い啓示を十分に学び尽くし、さらに深い真理を渇望している者が大勢いるのです。

そうした者に神はそれなりの手段をもって啓示を授けられます。それが彼らを通じて縁ある人へと波及し、やがて全人類へ向けて公然と啓示を垂れる日も来ることでしょう。

見るがよい!神の隠密は地上の低い階層にあって研鑽(さん)を重ね、その知識と体験とによって確信した真理を唱道します。その隠れた小さな泉がやがて多くの流れを集めて大河を成すのです。

測り知れないエネルギーを宿すその真理の大河は激流となって地上に溢れ、その時は、今そなたを悩ませている、無知も不信も愚かな思想も罪も、一気に押し流してしまうことでしょう。

– その“新しい啓示”ですが、それは“古い啓示”と矛盾していませんか。その点で二の足を踏む者が多いのですが…

啓示は神から授けられます。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾するということは有りえません。ただし、その真理は、かならず時代の要請と、同時代の人間の受け入れ能力に応じたものとなります。一見すると矛盾するかに映じるのは真理そのものではなく、人間の側に原因があります。

人間は単純・素朴では満足せず、何やら複雑なものを混入しては、せっかくの品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをしてしまいます。そして時の経過とともに、いつしか当初の神の啓示とは似ても似つかぬものになりはてます。矛盾するばかりでなく、もはや不純であり、“この世”的なものとなりはてています。

そこでまた新しい啓示が与えられます。しかしその時はもはや、それをそのまま当てはめる環境ではなくなっています。そこで、古い啓示の上に築き上げられている迷信のかずかずをまず取り崩さねばなりません。新しいものを加える前に異物を取り除かねばならないのです。

啓示そのものに矛盾はありません。が、矛盾するかに思わせる古い夾雑物があります。まずそれを取り除き、その下に埋もれている真実の姿を顕(あらわ)す必要があります。

人間は自分に宿る理性の光によって物事を判断せねばなりません。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達した人間は、無知な者や偏見に固められた人間が拒絶するものを、喜んで受け入れます。

神はけっして真理の押し売りはいたしません。この度のわれらによる啓示も、地ならしとしての、限られた人間への特殊な啓示と思っていただきたい。これまでも常にそうでした。

モーゼは自国民のすべてから受け入れられたでしょうか。イエスはどうだったでしょう?パウロはどうだったでしょう?歴史上の改革者をごらんなさい。自国民のすべてに受け入れられた者が1人でもいたでしょうか。

神は常に変りません。神は啓示はしても、けっして押しつけはしません。用意ある者のみがそれを受け入れていきます。無知な者、備えのない者は拒絶します。そうでしか有りえないのです。あなたが嘆かれる意見の衝突も相違も、単なる正邪の選り分けの現われにすぎません。

しかも、取るに足らぬ原因から起こり、邪霊によって煽(あお)られています。結束した悪の勢力の働きかけも覚悟しなければなりません。しかし、足もとのみに囚われてはなりません。常に未来に目を向け、勇気を失わぬことが大切です。

背後霊とは

– 背後霊(1)のことですが、どういう具合にして選ばれるのでしょうか。

背後霊は必ずしも“指導すること”を目的として付くのではありません。そういう場合(ケース)がいちばん多いことは事実ですが、時には背後霊自身にとっての必要性から付くこともあります。

しかし、その場合でも、人間を導くという傾向は自然に出てきます。また時には特殊な使命を帯びた霊が付くこともあります。性格に欠けたものがあって、それを補ってやるために、その欠けたものを豊富に有する霊が選ばれることもあります。

反対に、霊の側に欠けたものがあり、それを身につけるために適当な人間を選ぶという場合もあります。これは高級霊が好む手段です。自分の霊的向上のために、あえて指導が困難で、不愉快な思いをさせられる可能性の大きい人間に付くことを、みずから希望するのです。その人間と苦労を共にしつつ向上していくのです。

中には霊的親和力によって結ばれるケースもあります。地上的縁の名残りで引きつけられることもあります。そして、特別な使命を帯びていない人間の背後霊は、魂が向上するにしたがい、しばしば入れ替わることがあります。

– そうやって地上へ戻ってくる霊はどの程度の霊ですか。

主として、地球にもっとも近い下層の3界(2)の者たちです。地上の人間との連絡が取りやすいからです。高級霊の場合は、いわゆる霊媒的素質に似たものをもつ者に限られます。このことについては多くは語りません。

われらの通信を正しく伝えることのできる霊媒を見出すことは至難の業(わざ)であるということを申し上げるにとどめます。通信を望む霊は実に多いのです。しかし、適切な霊媒が見当たらないこと、それを求めて、あたら無駄な時を費すのを嫌うゆえに、彼らは地上との接触を断念するのです。

ここにも霊界通信の内容に矛盾の生じる要因があります。時おり発見される間違いは、必ずしもわれらの側の落度とは限りません。そのうち、通信に影響を及ぼす事情について、さらに多くを語る時期もくることでしょう。

悪魔と邪霊集団

– 神に敵対する霊のことを述べられましたが、それはどういう霊ですか。

われらの使命を阻止せんとする邪霊集団のことです。彼らは、いかにもわれわれと同じ勢力、同じ仕事仲間であるかに装(よそお)いつつ、わざとしくじり、人間ならびに霊の、われらへの反抗心を煽ることをします。

悲しいかな、彼らは善性を求める心を魂の奥へ押し込めてしまい、邪悪な道に快感を求め、とくに悪の要素の強烈な霊を首領として集結し、われわれに増悪を抱き、仕事を邪魔しようとします。

彼らは悪戯(いたずら)に長(た)け、ある時は人間の悪感情を煽り、ある時はわれわれと同じ仲間であるかのごとく装いつつ、わざとヘマをやっては、半信半疑の真面目な人間を迷わせ、なかんずく、崇高にして高雅なものを授けんとするわれわれの努力の裏をかき、真摯(しんし)な学徒に、下劣にして卑俗なものを与えようと企(たくら)みます。神の敵であり、人間の敵というべきです。善の敵であり、悪の使者です。彼らに対して、われらは飽くなき闘いを挑むものです。

– そうした悪の組織の存在は聞くだに恐ろしいことですが、一方には悪の存在を否定し、すべて善であり、悪に見えるものも善が悪を装っているに過ぎないと説く人がいるのですが…。

ああ、哀(あわ)れなるかな!哀れなるかな!善なるものへ背を向け悪への道を選んだ者ほど哀れなものはありません。そなたは、その邪霊たちが群れをなしてわれらの使命を阻止しようとしていることが驚異だとおっしゃるが、それなど、まだまだ驚くには当たりません。実状はそれどころではないのです。

人間は霊界へ来たからとて、地上時代といささかも変るものではありません。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪(けんお)感をそのまま携(たずさ)えてくるのです。変るのは肉体を棄てたということだけです。低俗な趣味と不純な習性をもつ魂が、肉体を棄てたくらいでその本性が変るはずはありません。

それは、誠実にして純真な向上心に燃える魂が、死と同時に俗悪な魂に一変することが有りえないのと同じです。そなたがそれくらいのことを知らずにいることこそ、われわれにとっては驚異です。

考えてもみられよ。純粋にして高潔な魂が、視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できるであろうか。しかるに、あなたがたキリスト者は、神を憎み、善に背を向け、肉欲に溺れた罪深い魂も、懺悔(ざんげ)ひとつで清められて天国へ召されると説かれる。前者が有りえないごとく後者も絶対に有りえません。

魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれるのです。すぐに剥(は)げ落ちる上塗(うわぬ)りではないのです。魂の本性に織り込まれ、切り離そうにも切り離せない一部となりきること、それが向上であり成長というものです。

そうして築かれた本性がもしも崩れるとすれば、それは、長い年月にわたる誤った生活によって徐々に朽ちるのであって、織物を乱暴に切り裂くように、一夜にして崩れることはありません。

ありません!絶対にありません!習い性となり、魂に深く染み込んでいくのです。肉体の煩悩に負けた魂は、ついにはその奴隷となっていきます。そうなったが最後、純なるもの、聖なるものを嫌い、死後もなお、かつての地上の遊び場へ赴(おもむ)いて、肉の快楽に耽(ふけ)ります。魂の本性となり切っているからです。

これで納得がいかれるであろう。悪の軍団とは、そうした未発達・未熟の霊のことであり、それが、親和力の働きによって、善なるもの・聖なるものへの反抗心のもとに結束するのです。

彼らに残された更生への道はただひとつ、高級な霊の導きによって道義心が目覚め、懺悔のうちにひとつひとつ過去の罪を償(つぐな)いつつ、歪(ゆが)んだ心を正し、苦しみの中に1歩1歩向上することのみです。

こうした低級霊が実に多いのです。そのすべてがわれらの敵なのです。善に対抗し、真理の普及を妨げようとする悪の組織の存在を否定する言説こそ、人間を迷わせようとする彼らの策謀(さくぼう)であることを心すべきです。

– その首謀者というべき“悪魔”がいるのでしょうか。

彼らを煽動する悪玉は沢山います。しかし、キリスト教神学で説くような“悪魔”は存在しません。善良な霊も邪悪な霊も、すべて、善悪を超越した宇宙の大霊の支配下にあります。

[注釈]

(1)地上に生をうけた霊(人間)の天命の成就と罪障消滅を目的として、陰から守護・指導・援助する霊(複数)を指す、総称的な用語。本人の魂の親に当たる守護霊(ガーディアン)を中心として、複数の指導霊(ガイド)と支配霊(コントロール)が含まれる。その意図するところは各自まちまちであるが、守護霊の許しを得て、その監督のもとに働いている点においては同じ。したがって邪霊・因縁霊の類いは“背後霊”と呼ぶべきではない。

(2)インペレーターによると宇宙は大きく3階層に分かれていて、各階層がさらに7界ずつに分かれている。地球は最下層の階層の中の最上界に属するという。第3節でくわしい説明がでる。

「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→
■2020年10月18日UP■
「認めてしまう」明仁、文仁、徳仁、悠仁が追及されて自身の大罪を認めてしまうというメセです(祈)†
美人の女性から盗んだ、もしくは「パレット」から買った幼い奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいる人類史上最大級の犯罪者「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自分たちの邪悪の正体が徹底的に国民周知の事実となりゴマかし切れなくなり洗脳も通用しなくなり、いよいよ国民から追及を受けるシチュに突入してしまい、どうにも言い訳のしようがなくなってしまって思わず「はい、ブタ(奴隷の女の子)を殺すのが私たちの仕事ですから」と発言してしまうという意味です。絶対この通りに実現させなければならない霊団からのインスピレーションとなりますが、毎度の事で皆さまには大変申し訳ないのですが……続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→

「Spiritual Unfoldment Two」こちらも少し英文見直し修正があるものの、ページ数が少ないのでそれほど時間もかからずにWordPressへUPできるかも知れません。とにかくやるだけはやります。

で、Google翻訳にかけた訳文を見ていますが、アリ?なんか「天使と妖精」の訳者の訳文に少し雰囲気が似てるような気もするなぁ。もしかして原文自体がそういう文体で、訳者はまぁまぁ忠実に訳していたのかも知れないとか思ってみたりなんかして。ただやはりこの訳者の訳文がどうにも気に入らないので(近藤先生の訳文が素晴らしすぎるのでそう思えてしまうのかも知れませんが)ホワイトイーグル霊の書籍は可能な限り僕の手で翻訳してみようと思います。

さぁ努力すればするほど最悪に向かって突き進むという絶対許せない人生を突き進んでいますが、まだ、まだ、脱出の見込みが立ちません。しかし永遠にあきらめません。脱出が実現するまで最後の1秒まで闘います。

先ほどある節約食材が到着してますが、まず食べてみて(ググるとそのまま食べるのはオススメしないみたいな事が書いてありますが)味は全く問題なし。僕はコレ全然イケる。あとは前回の煎り大豆のように身体に変調をきたさないかを確認しないと採用できませんので、しばらく食べ続けて様子を見ます。

大丈夫という事になればそれをロングドライブ時に使用し、だいぶ節約できる事になります。そうなってもらわねば困りますが。使命遂行と関係ないですがその食材について公表するかも知れません。

んー霊団が何も言ってきませんが、テキストと格闘しつつ絵も描こうかなぁ。僕の残された人生はそれをやるしかありませんので。復刊の道も閉ざされてしまいましたし(本当に頭にくる)かくなる上はブログを季刊誌(年4回)で出すというアイデアを採算抜きでやってしまおうか、などと考えたりもします。せっかくAffinityPublisherを使えるようになったのですからもったいないですし。んんん作業続行中(祈)†

「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†■2022年6月15日UP■
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁はこの全宇宙最低の地球よりさらにヒドイところに生まれ直させられるのだそうです霊団によると。皆さまはそうは思われない事と思いますが、現在肉体をまとって地球圏物質界で生活している僕たち人間は「最下等の生命表現をしている霊的存在」なのだという事を理解しましょう。僕たちの本体である霊は無限です。その生命表現手法も無限です。物的肉体をまとっての生命表現は、この全宇宙の中の「もっとも程度の低い生命形態、初期的自己表現手段」という事です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、その最下等の生命表現よりさらに程度の低い生命表現媒体をまとわされての人生に突入するという事を霊団が強調しているのです…続きを読む→
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→

この機械自動翻訳文で果たしてイイのだろうか、せっかくの珠玉の霊界通信の重厚感が殺がれるのではないかという懸念が拭えないものの、とはいえ僕には英語能力がありませんので他にどうしようもありません。見直しが終了している英文パートをガンガン翻訳しています。やるしかないのです。

この調子で英語書籍の翻訳に慣れていくしかありません。僕という霊媒は機能する事はありません新規の霊言など降らないのです、だったらもうこの作業をやるしかないのです。できもしない事を明けても暮れてもやるやる言ってくるどっかの誰か(霊団)の言う事など構ってられません。

入手予定の英語書籍は実はすごいイッパイあるのです。77冊以上の霊関連書籍の入手、スキャン、OCR変換まで終了して、あとはテキスト見直しだけ、やっと重責から解放されると思っていたらこの有様。ですので脱出を霊団に止められていますが作業時間の確保という意味でも脱出しなければならない状況なのです。シャレじゃなくホントに一生かけても終わらない作業量だと思いますので。

さらにさらに節約できないか、あらゆる可能性を調べています。間もなく注文していたあるモノが到着します。それが使えるようならさらにコンビニを使用しなくてすむようになり年間ベースで考えた時に節約となります。節約そのものが目的ではなくて「脱出」を実現させるためにここまでやっているという事になります。

そして、んー、どしよかな、そろそろフラー26本体デザインに戻りたい衝動もありつつ、英語書籍の翻訳でイッパイイッパイの時に時間とパワーをメチャもっていかれるフラーを描くかぁ?という思いもあり、さぁ困ったな。描き始めたら他の作業がピタリと止まってしまう事が分かっているので悩みどころです。

とにかく霊団は反逆(脱出)ヤメレヤメレを連発してきます、さっきバカとまで言われました。このまま一生閉じ込められるのは死んでも拒否する、ヴァカで結構、僕はそういう感じですが、帰幽後に死ぬほど後悔するハメになると予測できるので一瞬たじろぎます。

帰幽後の境涯をタテに脅してくるのは最大級に卑怯ですが、まずとにかく脱出は完成させます。それと使命遂行続行は別問題。作業だけは何が何でも続行中。霊団の脅しは卑怯ですがやるべきはやらなきゃいけないんだ(祈)†

■2021年9月10日UP■
■アナログ絵326「タワー展望ブリッジ」のストーリーUP。キツイ絵のオンパレードでした(祈)†
宇宙船クレスには「ふたつのブリッジ」が存在します。通常、ブリッジと言えば、艦長の守護霊様が指揮を執る、船の運行全般を司る「シップのブリッジ」の事を指しますが、もうひとつ、クレスで生活する人たちの生活全般の管理を仕事とした「タワーの展望ブリッジ」というものが存在します。今日は、ももちゃん、シルキーが展望ブリッジの見学にやってきました。これも霊的お勉強の一環です。シルキー「何コレ、タワー内の状況が全部1発で分かるようになってる」ももちゃん「人数がスゴイ、ホント、クレスって大きな船だよね」トライブ崎柿崎「たとえば今、この小学校で催し物のための新たなコンサートホールを思念で作っているところよ」シルキー「こ、こんな大きいのを作ってるんですか?」ももちゃん「でも何か、うまくいってないみたい」トライブ崎柿崎「小学校の子供たちが思念でモノを作るお勉強をしてるけど、子供たちだけではうまく作れないのよ、そういう時に、ホラ」…続きを読む→
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→

本書の大半を構成している通信は、“自動”書記ないし“受動”書記と呼ばれる方法によって得られたものです。これは“直接”書記とは区別する必要があります。

前者においては霊能者がペンまたは鉛筆を手に握るか、あるいはプランセット(1)に手を置くと、霊能者の意識的な働きかけなしにメッセージが書かれるのに対し、後者においては、霊能者の手を使わず、時にはペンも鉛筆も使わずに、直接的にメッセージが書き記されます。

自動書記というのは、われわれが漠然と“スピリット”(霊または霊魂と訳されるが、ここでは“霊”に統一する)と呼んでいる知的存在の住む、目に見えない世界からの通信を受け取る手段として広く知られています。

読者の中には、地上と交信するそんな得体(えたい)の知れない目に見えない存在 – 人類の遺物・かつて人間だった者の殻のような存在 – を“霊(スピリット)”と呼ぶことに違和感を抱かれる方がいるであろうことは承知しています。

が、私は“霊”という用語がいちばん読者に馴染みやすいと思うからそう呼ぶまでで、今その用語の是非について深く立ち入るつもりはありません。とにかく私に通信を送ってきた知的存在はみな自分たちのことを“霊”と呼んでいます。

多分それは私の方が彼らのことを”霊”と呼んでいるからでしょう。そして、少なくとも差し当たっての私の目的にとっては、彼らは“霊”でいいのです。

その霊からのメッセージが私の手によって書かれはじめたのは、ちょうど10年前の1873年3月30日のことで、スピリチュアリズムとの出会いからほぼ1年後のことでした。

もっとも、それ以前にも霊界からの通信はラップ(2)や霊言(3)によって数多く受け取っていました。私がこの自動書記による受信方法を採用したのは、この方が便利ということと同時に、霊的教訓の中心となるべく意図されているものを“保存しておくため”でもありました。

ラップによる方法はいかにもまどろこしくて、本書のような内容の通信にはまったく不適当でした。一方、入神した霊媒の口を使ってしゃべると、部分的に聞き落とすことがあり、さらに、当初のころはまだ霊媒(私)自身の考えが混じらないほど完全な受容性を当てにすることは、不可能でもありました。

そこで私は、ポケットブックを1冊用意し、それをいつも持ち歩くことにしました。すると私のオーラがそのノートに染み込んで、筆記がより滑らかに出てくることがわかったのです。

それは、使い慣れたテーブルの方がラップが出やすく、霊媒自身の部屋の方が新しい部屋よりも現象が起きやすいのと同じ理屈です。スレートを使った通信(4)の専門霊媒であるヘンリー・スレイドも、新しいスレートを使ってうまく行かない時は、使い古したものを使うとまず失敗がなかったといいます。が、今はこのことにこれ以上言及しません。その必要がないほど原理は明白だからです。

最初のころは文字が小さく、しかも不規則だったので、ゆっくりと、そしてていねいに書き、手の動きに注意しながら、書かれていく文章を後から追いかける必要がありました。そうしないとすぐに文意が通じなくなり、結局はただの落書きのようなものになってしまうのでした。

しかし、やがてそうした配慮も必要でなくなってきました。文字はますます小さくなりましたが、同時にひじょうに規則的で、字体もきれいになってきました。あたかも書き方の手本のような観のするページもありました。

ページの頭のところに書いた私の質問に対する回答にはきちんと段落をつけ、あたかも出版を意図しているかのように、きちんと整理されていました。God(神)の文字はかならず大文字で、ゆっくりと、うやうやしげに綴られるのでした。(巻頭グラビア参照)

その通信の内容はつねに純粋で高尚なものばかりでしたが、その大部分は私自身の指導と教化を意図したプライベートな色彩を帯びておりました。1873年に始まって80年まで(5)途切れることなく続いたその通信の中に、軽率な文章、ふざけた言葉、卑俗な内容、不条理な言語、不誠実な、あるいは人を誤らせるような所説の類いは、私の知るかぎり一片も見当たりませんでした。

それは当初から霊団側が公言してきた大目的、すなわち知識を授け、霊性を啓発し、正しい人の道を示すという目的にそぐわないものは、およそ見られなかったということです。

虚心坦懐(きょしんたんかい)に判断して私は、インペレーターを中心とする霊団の各霊はみずから主張していた通りの存在であったと断言して憚(はばか)りません。その言葉のひとつひとつに誠実さと実直さにあふれておりました。

初期の通信は、さきに説明した通り、きちんとした文字で書かれ、、文体も一貫しており、署名(サイン)はいつもドクター・ザ・ティーチャー(6)でした。通信の内容も、それが書かれつづけた何年かの間ずっと変わることがありませんでした。

いつ書いても、どこで書いても筆跡に変化がなく、最後の10年間も、私自身のふだんの書体は変わっても、自動書記の方はほとんど変化がありませんでした。文章上のクセもずっと同じで、それは要するに、通信全体を通してひとつの個性があったということです。

その存在は私にとって立派な実在であり、1人の人物であり、大ざっぱな言い方をさせていただけば、私がふだん付き合っている普通の人間とまったく同じように、文体および表現に明確な特徴と個性をもった存在でした。

そのうち別の通信がいくらか出はじめました。筆跡によっても、文体および表現上の特徴によっても、それぞれに区別がつきました。その特徴は、いったん定着すると、変わることがありませんでした。私は、その筆跡を一目見て、誰からの通信であるかが判断できたほどです。

そうしているうちに次第にわかってきたことは、私の手を自分で操作できない霊がほかにも大勢いて、それがレクター(7)と名のる霊に書いてもらっているということでした。確かにレクターは私の手をよく使いこなし、私の身体の負担もあまりありませんでした。

不慣れな霊が書くと、一貫性がない上に、私の体力の消耗が大きくなりました。そういう霊は自分が私のエネルギーを浪費していることに気づかず、それだけ私の疲労も大きかったわけです。

さらに、そうやって代書のような役になったレクターが書いたものは流暢で読みやすかったのに対して、不慣れな霊が書いたものは読みづらい上に、書体が古めかしく、いかにも書きづらそうに書くことがあり、ほとんど読めないこともありました。

そういうことから、当然の結果として、レクターがぜんぶ代書することになっていきました。しかし、新しい霊が現われたり、特殊なメッセージを伝える必要が生じた時は、当の本人が書きました。

念のために申し上げておきますが、私を通じて得られた通信のすべてがひとつの源から出ているわけではありません。ただし、本書で紹介したものにかぎって言えば、同じ源から出たものばかりです。すなわち本書は、インペレーター(8)と名のる霊が私と係わり合った期間中の通信の記録です。

といっても、インペレーター自身が直接書いたわけではなく、レクターが代書しています。その他の期間、とくにインペレーターとの関係が終わったあとは、明らかに別の霊団からの通信があり、彼らは彼らなりの書記を用意しました。その通信は、その霊団との係わりが終わる最後の5年間は、とくに多くなっておりました。

通信が書かれた時の環境条件は、その時々でみな異なります。原則としては1人きりになる必要があり、心が受け身になるほど通信が出やすかったのは事実ですが、結果的にはいかなる条件下でも受け取ることができました。

最初のころは努力を要しましたが、そのうち霊側が機械的に操作する要領を身につけたようで、そうなってからは、本書で紹介するような内容の通信が次から次へと書かれていきました。本書はその見本のようなものです。

本書に紹介したものは、初めて月刊誌に発表した時と同じ方法で校正を施してあります。最初は心霊誌“スピリチュアリスト”(9)に連載され、その時は筆記した霊側が校正しました。内容の本質が変えられたところはありません。

その連載が始まった時の私の頭には、今こうして行なっている書物としての刊行のことは、一切ありませんでした。が、多くの友人・知人からサンプルの出版を頼まれて、私はその選択に取りかかりました。もっとも、脈絡のことは考えませんでした。

その時の私を支配していた考えは、私個人の私的(パーソナル)な興味しかないものだけは絶対に出すまいということだけで、それは当然、まだ在世中の人物に言及した部分も避けることにもなりました。

私個人に係わることを避けたのは、ただそうしたいという気持からで、一方、他人に言及したものを避けたのは、私にそのような権利はないと考えたからです。結果的には、しかし、私にとってある意味でもっとも衝撃的で感動的な通信を割愛(かつあい)することになってしまいました。

本書に発表されたものは、そうした、今は日の目を見ることができないが、いずれ遠い将来、その公表によって私を含め誰1人迷惑をこうむる人のいなくなった時に公表を再考すべき膨大な量の通信の、ほんの見本にすぎないと考えていただきたいと思います。

通信の中に私自身の考えが混入しなかったかどうかは、たしかに一考を要する問題です。私としてはそれを避けるために異常なほどの配慮をしたつもりです。最初のころは筆致がたどたどしくて心もとなく、書かれていく文をあとから確かめるように読んでいかねばならなかったほどですが、それでも内容は私の考えとは違っていました。

しかし、間もなくその内容が、私の思想・信仰と正面から対立するような性格を帯びてきたのです。そこで私は、筆記中つとめて他のことがらを考えるコツを身につけ、難解な思想書を推理・分析しながら読むことさえできましたが、それでも通信の内容は一糸乱れぬ正確さで筆記されていきました。

こうした中で綴られた通信だけでも相当なページ数にのぼりますが、驚くのは、その間に一語たりとも訂正された箇所がなく、ひとつの文章上の誤りも見出せないことで、一貫して力強い美しい文体で綴られております。

だからと言って、決して私は、私自身の精神が使用されていないと言うつもりもないし、得られた通信が、それが通過した私という媒体の知的資質によって、形体上の影響を受けていないと言うつもりもありません。私の知るかぎり、こうした通信にはどこか霊媒の特徴が見られるのが常で、影響がまったく無いということは、まず考えられません。

しかし確実に言えることは、私に送られてきた通信の大部分は、私の頭の中にあることとはおよそ縁のないものばかりであり、私の宗教上の信仰とも概念上において対立しており、さらに、私の知らなかったことで、明確で確実で証明可能な、しかもキメ細かい情報がもたらされたことも幾度かあったということです。

テーブルラップによって多くの霊が自分の身元についての通信を送ってきて、それが後に確認されたことが多くの交霊会(10)でありましたが、私の自動書記によっても、その種の情報がくり返し送られてきました。

私はその通信のひとつひとつに議論の形で対処しています。そうすることで、ある通信は私にとってまったく新しい知識であることが明確となり、また別の通信では、私の考えとまったく異なる考えを述べる別個の知的存在と交信していることを確信することができるわけです。

本書に集録した通信の多くは、その本質をつきつめれば、多分まったく同じ結論に帰着するはずです。

通信はいつも予期していない時に来ました。私の方から要求して始まったことは1度もありません。要求しても、まず与えられませんでした。突如として、一種の衝動を覚えます。どういう具合にかは、私にも説明できません。とにかくその衝動で私は机に向かって書く用意をします。

一連の通信が規則正しく届けられている時は、1日の最初の時間をそれに当てました。私は早起きです。そして起きるとまず、私なりの朝の礼拝をします。衝動はしばしばその時に来ました。と言って、それを当てにしていると、絶対に起きませんでした。

自動書記以外の現象(11)もよく起きました。健康を損(そこ)ねている時(後半はよく損ねました)を除き、いよいよ通信が途絶えてしまうまで、何の現象も起きないということは滅多にありませんでした。

さて、膨大な量の通信の中でも、インペレーターと名のる霊からの通信が、私の人生における特殊な一時期を画(かく)しております。本書の中で私は、そのインペレーターからの通信を受け取った時の魂の高揚、激しい葛藤、その後、求めても滅多に得られない心の安らぎに包まれた時のことに言及してあります。

それは、私が体験した霊的発達のための教育期間だったわけで、結果的には、私にとって一種の霊的新生となりました。

その期間に体験したことは他人に伝えようにも伝えられる性質のものではありませんし、また伝えたいとも思いません。しかし、内的自我における聖霊の働きかけを体験したことのある方には、インペレーターという独立した霊が私を霊的に再教育しようとした、その厚意ある働きかけの問題は、それでもう十分解決されたと信じていただけるものと思います。

表面的にはあれこれと突拍子(とっぴょうし)もないことを考えながらも、また現に、問い質(ただ)すべきいわれは幾らでもあるにもかかわらず、私はそれ以来、インペレーターという霊の実在を真剣に疑ったことは、ただの1度もありません。

この“まえがき”は、私としてはまったく不本意な、自伝風のものとなってしまいました。私に許される唯一の弁解は、1人の人間の霊的体験の物語は、他の人々にとっても有益であることを確信できる根拠が私にあるということだけです。

これから披露するものを理解していただくためには、不本意ながら、私自身について語る必要があったのです。私はその必要性を残念に思いながらも、せめて本書に記載したことが、霊的体験のひとつの典型として、心の琴線に触れる人にとっては有益であると確信した上で、その必要性におとなしく従うことにしました。

真理の光を求めて2人の人間がまったく同じ方法で努力することは、まずないでしょう。しかし、私は人間各自の必要性や困難には、家族的ともいうべき類似性があると信じています。

ある人にとって、私が取った方法によって学ぶことが役立つ日が来るかも知れないのです。現にこれまでも、そうした方がおられたのです。私はそれを有り難いことと思っております。

こうしたこと、つまり通信の内容と私自身にとっての意義の問題以外にも、自動書記による通信の形式上の問題もありますが、これはきわめて些細(ささい)な問題です。通信の価値を決定づけるのは、その通信が主張する内容そのもの、通信の目的、それ本来の本質的真理です。

その真理が真理として受け入れられない人は多いことでしょう。愚か者のたわごととしか思えない人もいることでしょう。私は決して万人に受け入れてもらえることを期待して公表するのではありません。その人なりの意義を見出すことのできる人にとって本書が少しでも役立てば、それで私は満足です。

1883年3月30日

M・A(12)

[注釈]

(1)原理的にはコックリさんと同じで、エンピツで文字が綴られる仕掛けになっている点が異なる。

(2)Rapping 文字どおり叩く音によって通信する方法で、いちばん多いのはテーブルが傾斜し上下運動をしながら脚の1本が床を叩いて通信するもの。前もってモールス信号のような符丁を取り決めておく必要がある。

(3)Trance Speaking 入神(トランス)状態になった霊媒の発声器官を使って霊がしゃべる。世界的に有名なのが、モーリス・バーパネルを霊媒として60年間にわたって週1回の割で出現した、シルバーバーチと名のる霊による霊言。

(4)Slate Writing 2枚のスレートを合わせて置いておくだけで、その片面または両面に通信が書かれる。一種の直接書記現象。

(5)これは本書に収められた、インペレーター霊を中心とする霊信にかぎってのことで、最初のラップによる通信から最後の途切れとぎれの通信までを入れると、1871年から82年までとなる。

(6)Doctor,the Teacher 巻末《参考資料》参照

(7)Rector 巻末《参考資料》参照

(8)Imperator 巻末《参考資料》参照

(9)Spiritualist のちに Light と改名。

(10)自動書記は自分の部屋で1人で行なったが、モーゼスは他の霊媒によって行なわれていたテーブルラップや霊言等による交霊の場にもよく出席していた。インペレーターの身元に関する情報を得たいという気持からだったが、波動がよくないから行かないようにと忠告する文章が本文の後半によく出てくる。

(11)本書ではそれは紹介されていないが、モーゼスの死後にスピーア博士夫人(第4節注2参照)が編纂した More Spirit Teachings(日本語訳「インペレーターの霊訓」潮文社)には、かなり詳しく出ている。

(12)Master of Arts の略で、日本の文学修士号に相当する。モーゼスはオックスフォード大学を出ている。

「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†■2022年12月7日UP■
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†
心臓が鼓動しているのが、血液が全身を循環しているのが、脳髄でアレコレ思索を巡らせる事ができるのが霊のチカラのおかげだというこの単純な真理が理解されるのにあと何千年かかるというのか。2000年前にイエス様が同じ事を言っていたじゃないか、まだ分からないのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体にも、自分が霊的存在であるという事実にも、一体人々はいつになったら気が付くというのか。この狂った腐った物質界は、あと何千年、正しいおこないをする者を磔刑(はりつけ)にし続けるというのか。そんなに洗脳が好きなのか、そんなに帰幽後に地獄に落ちたいのか。ステキな境涯に案内してあげようと大切な事を教えるために物質圏に犠牲的降下をして下さっている高級霊の方々の愛を、あと何千年裏切り続ければ気が済むのか…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†■2023年5月31日UP■
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→

幽体離脱時映像およびインスピレーションにていくつかの事を言われていますが、そう言われて僕に何をどうしろというのかサッパリ理解できません。無視するより他にどうしようもありません、何もできません、ですので「Spiritual Unfoldment Two」スキャン再開させて先ほど全ページ完了しました。(ページ数が少ないですので)

OCR変換も間もなく終了中、英文の見直しはほとんどやらなくて良さそうなほどきれいなスキャン画像ですので、止まらず一気にGoogle翻訳にかけてみて「天使と妖精」の翻訳文と見比べてみるつもりです。そしてもちろんWordPressに全文UPさせます。

僕は僕にできる作業を全力でやります。できもしない事、存在しないものに向かってどう努力しろというのか。何を言っているのかサッパリ分かりません、先ほど霊団が言ってきた事は基本的に無視します。どうしようもないからです。

「I Appeal Unto Caesar」「Paul In Athens」こちらの英文テキスト見直しが本当に地獄ですが、このふたつはOCR変換テキストが結構ガタガタなので「Spiritual Unfoldment Two」のようにはいかなそうです、苦しくても見直しをしないといけません。メチャ時間がかかるんですよ。

脱出に活用するつもりでChatナンチャラカンチャラ(AI)を導入したもののWordPress2サイトを立ち上げられなくて全然活用できません。お金払ってるのに使えない、困りましたね、という事でコチラに作成画像を張ってみたりします。

僕を霊媒として使用するという一連の話はもう聞きたくない、もう関わり合いになりたくない、その話題をここに書きたくない。もうイヤだ、どっか行ってくれ。もう本当にイヤだ。必ず脱出してみせるぞ(祈)†

「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†■2023年7月12日UP■
「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†
僕はこの「カミンズ方式」で霊媒の仕事をするつもりでいるのです。僕の意見などどうでもいい、それより霊団が降らせるつもりで準備してきたテキストを滞りなく全て降らせる事に集中するという事です。仮にその僕の姿勢が功を奏して霊団側の仕事がスムーズに進み、予定時間より早く降らせる分のテキストを降らせ切ってしまい時間が余ったとしましょう。それでも僕は口を挟まないつもりで、その余った時間で霊団が個別に言いたい事があるかも知れませんので、それも紙にしっかり書いてもらう事に集中し、僕からは何も言わない、要求しないつもりなのです。というのも、僕の場合は何も自動書記のジャマなどしなくても日常的にインスピレーションというカタチで霊団と意思疎通、やり取りをしているからです。僕の生活に孤独というものは存在しません、来る日も来る日も霊団が霊聴にピーチクパーチクしゃべくってきてムカつかされていますので自動書記というカタチでやり取りしなくても別にいいのです…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→

コチラの書籍はペーパーバックです、つまり昔の古いボロボロの書籍ではなく最近作られた新しい書籍ですのでスキャン画像がキレイです。OCR変換にかけてもほとんど誤字らしいものもなく、しかも日本語書籍の変換の時と違って英語ですので余計変換精度が高いのかも知れません。ほとんど変換テキストそのままでGoogle翻訳にかけられそうなキレイさです。

で、少し翻訳してみましたが、この「Spiritual Unfoldment Two」は日本語版「天使と妖精」と同じ内容ですので、Google翻訳した日本語テキストと天使と妖精の和訳テキストを見比べたりしてますが、この訳者の方が英語原文をかなりいじって翻訳している事がよく分かります。まぁ意味が違くなるほどいじってる訳ではないのですが、Google翻訳の文章でもそんなに問題ないような気もします。

とにかくホワイトイーグル霊の英語原書がすごくイッパイあるので、僕はもうそちらの翻訳にチカラを注ぐ事にします。できもしない「自分という霊媒を使用して新規の霊言を降らせる」などという霊団の言い分にはもう付き合ってられません。いつまでできもしない事をブログに書き続けなきゃならないんだよ、どれほどのストレスだったと思ってるんだよ。もう心底ウンザリなんだよ。

そしてこのホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳の作業時間を捻出する意味も込めて反逆(脱出)も実行します。かえって作業時間が削られて生活が苦しくなるなんて最悪ストーリーもなきにしもあらずですが、どのみちこれ以上閉じ込められるのが耐えられないのでやる以外に道はないのです。

霊団は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を全く滅ぼすつもりがない完全に温存させるつもりでいやがる、奴隷の女の子はひとりたりとも助けるつもりがなく完全に見殺しにするつもりでいやがる、サークルメンバー問題が解決する見込みが全くないのに僕という霊媒を使う使うと口だけ動かして何年も言ってきやがる。どれもこれもウンザリの究極形。

もうホワイトイーグル霊の英語原書の翻訳にチカラを入れるつもりです。もうイヤだ。この人生もうイヤだ、心の底からイヤだ、こんな人生は死んでも認めない。何としても多少は改善してみせる。ペナルティと言われていますし、さらに追加でムカつく事も言われていますので僕の残された物質界人生はもう最悪決定です。努力してもしても最悪にさせられる。何と愉快な人生だろう。理に適ってる、納得できる(祈)†

■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†■2024年2月14日UP■
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→
「あなたに悲しみの光を」悲しみでイイから事態を進展させてくれ、閉じ込めは許さぬ(祈)†■2024年1月24日UP■
「あなたに悲しみの光を」悲しみでイイから事態を進展させてくれ、閉じ込めは許さぬ(祈)†
「我々はアキトくんを守ってあげようとしているんだよ」そう言いたいのでしょうが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている奴隷の女の子を目の前にしてそのセリフを言ってもらっていいですか。「目の前にある恐ろしいものを」これも僕が日本の中心に行ったらそういうモノに直面させられるのだそうです。イヤ、だから、そう言うんだったらあんたたちはそもそも僕になんでこの使命遂行をやらせたんだよ。物質界の邪悪を滅ぼすつもりがないんだったら今すぐ僕の人生を元に戻せ。霊的知識を獲得する事の効用のひとつに「物質界に恐れるものがなくなる」というものがありますが、僕は物質界の邪悪な人間に対しても何ら恐怖心を抱く事はありません。僕を脅しているその邪悪な人間の霊格が僕よりはるかに低く、帰幽後に地獄の底の底に落ちていく人間だという事を知っているので、その人間に対して恐怖は抱かず憐れみを感じるのです。(後なるものが先に)…続きを読む→

アナログ絵378_1

4ページ
僕「子供たちでモミクチャだからごあいさつはできそうもないね」
香世子さん「クス♪」
僕「アリ?フェアリーとお友達なんですか?」
エゴンの女性「今回の私たちのクレス訪問の本当の目的は、ステラに会う事でした」
僕「ステラ?」
フェアリー「アキトさん、わたしです♪」
僕「え゙っ!?」フェアリーがしゃべった??

アナログ絵378_2

5ページ
フェアリーから輝くステラが現れる
僕「あ、あなたがフェアリーの本体ですか?」
フェアリー「あなたがた地球人がフラーという、花をモチーフとした乗り物を設計し始めた当初から、私たちはその開発に影ながら関わってきました」
フェアリー「今や機種も増え、あなたをはじめ多くのクルーがフラーの事を好きになってくれているのを見て、私たちは大変満足しています」

アナログ絵378_3

6ページ
フェアリー「あなたと宇宙を飛ぶのはとても楽しいです♪まだ当分クレスにお世話になるつもりですので、アキトさん、今後ともよろしくね♪」
僕「は、はるばるどうも…」フェアリーにはいつもお世話になっております
香世子さん「……」
フェアリー「…ね♪」
男性「…ニヤリ♪」
女性「…ニコニコ♪」
……
イエス様「お久しぶりです♪」ヨハネ氏もいる
男性「こ…このようなところにいらっしゃるのですか?」
女性「お会いできて光栄ですわ♪」

はい、反逆の一環として入手した宇宙書籍に紹介されていた宇宙種族をストーリーに活用させて頂きましたが、実は以前から「フェアリーの本体を何とか表現したいなぁ、どぉしたもんかなぁ」と思っていました。で、このエゴンという宇宙種族を知った時「これは使えるかも」と思い、僕の中で以前からくすぶっていたフェアリーの本体に関するストーリーをこのようにサラッと描いてみました。

アナログ絵309~313、15ページの長編ストーリーの時に描きましたように、明らかに霊体の僕よりフェアリーの方がフラーの事情を知っているという設定でした。

霊体の僕よりフェアリーの方が実は霊格が高いという前提で僕はこれまでストーリーを描いてきましたので、このエゴンのステラという女性ももちろん霊体の僕よりはるかに霊格が高い女性という事になり、僕はステラはじめエゴンの方々にペコペコしています。失礼のないようにしなければなりませんので当然そうなります。まぁ霊団に対して全力で反逆している僕がこういう事を言っても説得力がないかも知れませんが…。

で、この6ページストーリーに関連してひとつお話したい事があったのですが、その話を皆さまによりよく理解して頂くために図を描いてみました。が、この図は実際には2Dでは表現できない図となりますので超強引に描いたという事をまずご了承下さい。

アナログ絵378宇宙界層図

えーっとー…どう説明したらいいんでしょう、まず右下に地球がありますが、この地球を包み込むように地球圏霊界が広がっています。この図のように1方向に延びているのではなく全方位に広がっています。紙の上に図としてそのように描けないので仕方なく上にグイーンって伸びている絵にしました。実際は霊界が物的天体(地球)をまるごとくるんでいる状態となります。肉眼でそれが見えないだけです。

で、下層界、上層界ともにその霊格に到達した人間(霊)が生活していますが、自分が生活している界およびそれより下の界の事は見る事も知る事も出来ますが、自分がまだ到達できていない上層界の事は霊眼で見る事も、情報を得る事もできません。

上層界の事を知りたいと思ったら自分の霊格を高める、つまり向上するしかありません。で、霊界と宇宙とは厳密には違うかも知れませんがここではほぼ同義として扱う事とし、図にありますように地球圏霊界下層界は「下層宇宙」とつながっており、地球圏霊界上層界は「上層宇宙」とつながっている、とします。

この下層宇宙、上層宇宙という言葉は僕が勝手に呼んでいる造語であり、このような言葉は霊関連書籍に一言も出て来ませんのであまり参考にしないようにして下さい。

で、先ほど説明しましたように、自分が到達している霊格に見合った境涯以上の情報を得る事はできませんから、下層界で生活している霊(人間)は、宇宙旅行しようと思ったら自動的に下層宇宙を平行移動する事となり、上層宇宙に赴く事はできません。

逆に上層界に進出している高級霊の方々は、上層宇宙、下層宇宙、どちらも旅行する事ができます。霊格が高ければ高いほど自由の行使範囲が広がるという事になります。

下層界には人格的に未熟な者、未発達な者、霊的な事を理解していない者、等々、まだ人間的成長が未成熟な者たちが生活しており、この者たちが下層宇宙を平行移動したとして、そこで出会う宇宙種族ももちろん自分と同レベルの者たちという事になり、現在の地球より優れたテクノロジーを有し、UFO等を駆使して次元移動などができる種族かも知れませんが霊格は低いという事になります。

そしてこの下層宇宙には、現在の僕たち地球人類が想像も及ばないような邪悪な種族が存在する可能性が高いという事です。それは決して未来のおとぎ話ではなく、現在のアメリカなどは邪悪宇宙人に完全にダマされて喰われちゃっている状態ですね。ナンチャラ条約とかいうものを交わしてしまって地球人の拉致を認めてしまい、多くの罪なき人々がグレイ的なモノに拉致されて恐怖体験をさせられるハメになっているのです。

現在の地球ではお金のチカラを使ってロケットを飛ばして下層宇宙を平行移動しようとしている人間が複数いるようですが、現在の地球人類は邪悪な宇宙種族と遭遇した際に、その邪悪に対処する術も知識も全く持ちあわせていません。

もし物的ロケットで無防備に下層宇宙に飛び出して、大変な邪悪種族に捕捉されてしまったら、テクノロジー、経験等はそちらの方がはるかに上ですから、向こう(邪悪宇宙人)は地球人の程度をよくわかっているが僕たちはその宇宙人がどういう者たちであるかを全く理解できません。

そして圧倒的優位なポジションから言いくるめられてしまって現在のアメリカのようにその邪悪種族に“完全にいいようにやられて”しまいます。大変、大変危険という事を僕は強調したくてこの図を描いたのです。

僕たち地球人類は宇宙の中ではまだまるっきり幼児の状態である事をハッキリ認識しなければなりません。経験豊かで僕たちより優れたテクノロジーを持っているが、心は進歩しておらず邪悪な生活を送っている種族がいないと誰が断言できますか。「新スタートレック」のヴォーグのような種族とハチ合わせになったら、僕たち幼稚な種族などは虫以下の扱いを受けるでしょう。

で、僕が言いたかったのは「物的ロケットで下層宇宙を平行移動するのではなく、地球人類全体の霊格を高めて上層界に進出し、邪悪な者たちのいない上層宇宙を安心して旅行できるようにならなければならない」という事です。現在地球でお金のチカラを使って物的ロケットを飛ばそうとしている方々は「目標を間違っている」と言いたいのです。

「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→

↑こちらのブログで「僕たち地球人類が目指すべきは物的ロケットで下層宇宙を平行移動する事ではなく、霊格を高めてイエス様の顕現に浴させて頂けるくらい高い境涯に到達する事」みたいに書きました。これはつまり危険な下層宇宙に無防備に飛び出すのは宜しくありませんよ、まずは上層界に到達して、そこで十分にお勉強してから、安心して善良な方々の生活している上層宇宙を平行移動すべき、という意味で言ったのです。

もうひとつ、上層界に進出する事の利点は「優位に立てる」という事で、図にも描きましたように、下層界の人間は上層界の事を霊眼で見る事もできなければ赴く事もできません。が、霊格の高い高級霊の方々はアレもできるコレもできる、アッチにもコッチにも霊体ひとつで行ける、UFOも物的ロケットも全然必要ない。善なる思念を心に抱き霊的向上を果たした人間は、霊界(宇宙)において圧倒的有利なポジションに立てるのです。

地球人類全体が霊的知識を理解し、善意の生活をして霊格が高まると、地球そのものの振動数も加速され、言わば昇華されていき、下層宇宙の邪悪宇宙人の霊眼の視界から地球という惑星が消えます。ちょっかい出せなくなるという事です。図で言うと、右下の地球の位置が上の方に上がっていくイメージでしょうか。これが邪悪宇宙人から身を守る最大最良の方法です。

物的ロケットで下層宇宙に無防備に飛び出そうとしている方々に僕の呼びかけが届くとは思いませんが「その人生目標は一見崇高に思えますが実際はかなり危険で向こう見ずなんですよ。まず霊的知識を理解して、地球人類の霊格を高める事を目標とすべきなんですよ、さもないと対処不能の巨悪に遭遇して5世紀も10世紀も後戻りさせられるハメになりますよ」という事を訴えかけたくてこの6ページストーリーを描きました、というと大げさすぎるかも知れませんね。

物質界においてテクノロジーを発達させる事は正しいおこないだと思いますが、それを第一義にしてはいけません。あくまでも僕たち人間は霊的存在であり、物質界人生というのは永遠の人生の中の一瞬を修行目的で降下してきているだけであり、すぐ霊界に帰るのであり、その霊界生活こそ僕たち人間の本当の人生であり、プライオリティを間違えてはいけませんよ、という事を訴えかけてアナログ絵377、378の説明を終わりとさせて頂きます。もっと言いたい事はあると言えばあるのですがキリがありませんので(祈)†

■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†■2024年7月18日UP■
■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†
何しろクレスは特殊な船ですので、変わったお客様もやってきます。今回は地球から132億光年も離れたところからの訪問者です。花の種族、エゴンの方々、男女ふたり フラーデッキ クレスの子供たち、手に花を持ってお出迎え エゴンの女性「皆さまはフラーをはじめ、花をとても大切にして下さっています。本日はエゴンを代表して、そのお礼に参りました♪」エゴンの男性「この船は艦長が素晴らしい。この船で生活している子供たちは幸せです♪」子供たち「すごくイイにおいがするよー♪」子供たち「フラーのコクピットのニオイに似てるー♪」フラー17のウイングの上に座る香世子さんと僕「あんな美しい方々がいるなんて。僕たち地球人類はまだ宇宙の事、何も分かっちゃいないんだよね」ジョナサンも一緒 香世子さん「そうね」ユキも一緒…続きを読む→