この3巻は僕の大好きな「暗黒界の探訪」が掲載されている巻となりますが、読み進めていくと霊媒オーエン氏の受信状態の悪さが現れている箇所が散見されて時々不快感が襲ってくる事もあります。
しかしこれは僕も経験がありまして、霊性発現(2012年6月)して以降、果てしなく霊的現象に浴させて頂き、霊団とコミュニケートしながら生活していますが、ハッキリ言ってムカつかされる事がたくさんあるんですよ。
何しろ霊界と物質界とではそもそも次元が違います。高次元のメッセージを低次元の境涯に届けようと思ったら、そこに様々なシチメンドクサイ変調の作業が発生し、それを受け取る物質界の霊媒(つまり僕)はイヤでもストレスのかかる状態にさせられます。
霊界側も仕事ですのでメッセージは届けねばならない、そこで僕が不愉快な状態だと分かっていても多少強引に降らせるべきものは降らせないといけなくて、受け取る僕はカチンとさせられる、そういう事がしょっちゅうあるのです。
ですので、オーエン氏の叙述が読み進めていく中で多少不愉快に思えたとしても、僕から皆さまにお伝えしたい事としましては「霊的仕事って往々にしてそういうものなんですよ、どうかご勘弁を。それより内容に集中しましょう」と言いたいところです。
さぁこの3巻の内容についても語りたい事がいろいろあるのですが、キリがありませんのでコチラ3つに絞らせて頂きます。「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」ハイ、この3つについて所見を述べさせて頂きます。
まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。
確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。
しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります。
この男がその心境になる頃にはネイン(妹)はさらにさらに高い境涯に向上しているでしょうから、共に暮らすとかそういう事はできませんが、時折ネインが男(兄)のところに降りてきて励ましの言葉を述べる事はあるでしょう。
それを受けてこの男はそれまでの勇気のない態度をようやく改め、試練に真正面から立ち向かって1歩1歩向上に励むようになる、という霊界上層界の高級霊(この場合は男の守護霊と言うべきかも知れません)が案出した「向上ストーリー」が読み取れませんか?いかがですか皆さま。
そしてこの男は間違いなく物質界に再降下する事になると思いますが、それも「自ら志願して」降下するように仕向けていく高級霊の作戦だと思うのです。【神】が経綸するこの全宇宙には厳然たる目的があり、それは僕などという男が語るのもどうかと思いますが【進化】の一言に尽きると思います。
進歩の遅いこの男のような人間も、永遠に下層界に閉じこもる事はない、いつかは自覚が芽生えて試練に自ら立ち向かうようになる、高級霊の叡智によってそのように「もっていかされている」という事なのです。霊的知識に精通しておられる皆さまにはぜひそこまで“深読み”して頂きたいと思うのです。
続いて「7章 善悪を超えて 3 苦の哲学(171ページ)」ですが、これはアーネル霊(リーダーの名前)が心地よい草原で座って瞑想していて、知らぬうちに草原に咲くお花ちゃんをおケツで潰してしまっていたというお話です。
皆さまはこのお話をきっと何でもなく受け取る事でしょうが、これは僕が現在やらされている苦難の使命遂行とも大いに関係がある深遠な内容なのです。
アーネル霊の守護霊と思われる男性が、その潰されたお花ちゃんが瞬く間に回復して元通りに咲き、自分がどこに座っていたかも分からなくなる、その霊的意味についてサラッとお話して下さっていますが、これは「“苦難”は永遠の人生の中のごく一瞬の出来事に過ぎない、受けた傷もすぐ回復する」という事を言っているのです。
僕は現在霊団によってやらされている使命遂行があまりにも過酷極まりない(というより自分の望まないところに延々閉じ込められている)ために、心の中が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれるに至ってしまっていますが、そんな僕に対して霊団が「ごく短い期間なんだよ」と言ってきた事がありました。(そのインスピレーションをブログで紹介したかな、どうだったかな。何しろ書いている量が尋常ではないので思い出し切れません)
で、霊団はそう言ってきますが僕にとっては“短い期間”なんてとんでもない、まだこの先10何年も最悪のところに閉じ込められるなんて絶対に有り得ない、死んでも脱出してやると思っているのですが、既に肉体を脱ぎ捨て、霊体をまとって永遠の進歩向上の人生を送っている霊界の人間にとっては、物質界での苦難の期間など「あっという間に過ぎ去って忘れてしまうもの」と思っているのでしょう。
おケツで潰されたお花ちゃんが何もなかったようにあっさり咲き直す様子と、アーネル霊がこれから赴く暗黒界で舐めさせられる辛酸は、どちらも苦難の渦中にあってはそうは思えなくても、過ぎ去ってしまえば一瞬の出来事であり、たちまち回復するものなのだ、だから全然気にする必要はないのだ、という事を言っているのでしょう。
これは肉体をまとって物質界人生を送っている状態で悟るのはほぼ不可能な精神的境地ではないかと僕は思うのです。その苦難を突破してまぁまぁの境涯に赴かせてもらって初めて「あぁよかった」という心境になれるのであって、苦しみの真っ最中にあぁよかったとはどうしてもなりません。
もっとも本編ではこのあと「イエス様の顕現」が展開され、僕などという男では説明できない深遠なストーリーとなっていますのでぜひ皆さまなりに意味をお考え頂きたいと思います。お花ちゃんがおケツで潰されてもすぐ咲き直すのと同じ原理で、苦難試練で受けた傷もすぐ回復する、という事ですね。
では最後に「8章 暗黒界の探訪(187ページ~)」のお話をさせて頂きますが、僕はこのストーリーが本当に大好きで、僕はWordPress上でストーリー(マンガ)を描いていますが、この暗黒界の探訪の中で紹介されているこちらのエピソード↓
「アーネル霊が暗黒界の門番(キャプテン)に手を触れて、キャプテンは苦しみ悶えるがアーネル霊は全く何のダメージもない、霊格の差から生じる力学のお話」これを参考にしたストーリーを描いたりもしています(アナログ絵346、347)それくらい気に入っているという事です。
もうひとつ「7 救出」の中で紹介されていますこちら↓
「地獄の底のボスがアーネル霊率いる霊団をだまして部屋に閉じ込めるが、アーネル霊たちは霊体の波長を上げて自分本来の状態に戻し、ラクラク壁を通過して部屋を出る、振動数の変化のお話」
これが実は僕の霊性発現ごく初期の頃「隔離フィールド内の聖戦」という、どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない完全に未知の霊現象に晒されながら、結構長い期間にわたって苦しい生活を余儀なくさせられた事があるのですが、その「隔離フィールド」の原理の元ネタと言えるストーリーなのです。
この隔離フィールドについては何しろ大昔の事ですので説明は割愛させて頂きます。というのもこの隔離フィールドにはチョトお話できない裏の事情がありまして、その内情はお話しないまま帰幽するつもりでいるのです。申し訳ありません(だったらこの話を持ち出さなければいいだろ、と思ったりもしますが…)
あと最後にひとつ、暗黒界の探訪を読み進めてつくづく思う事として、物質界で富豪になるとか、要職に就いて大金を稼ぐとか、そういう人生を送った人間はほぼ例外なく下層界に落ちるという事です。僕のこれまでのお勉強の経験から推察するに、これには例外はないと思っています。
とはいえ大金を稼いでいる人間の中にも善の人はいるのではないか、稼いだ金を善行に使用している人間もいるのではないか、と言う方もおられる事でしょう。僕も少しそう思います。しかし「イエスの少年時代」の中で少年期のイエス様が叔母のマリア・クローパスに「それはムズカシイ」と話しているシーンがあります。
財産を稼いだ人間はその財産を守る事で頭がイッパイになり、他人に善行を施す事をしない、という事のようですが、僕的にもうひとつ経験から思う事として、財産を稼ぐポジションに就くという事は「他人を虐げるポジションに就く」事を意味し、その稼いだ金で善行を施しても、そもそもその金を得るために多くの人間を虐げているのでそれで帳消しになるのでは、と思ったりもします。
この「暗黒界の探訪」のボスもそういう(慈善家のような)人間だったようです。それがこのザマ。醜さ、愚かさ、幼稚の究極形。これこそ全人類が知るべき霊的知識です。拡散の限りを尽くさねばならないと心底思っています。
【神の因果律】はこの全宇宙を支配する絶対無二の法則です。犠牲と奉仕の人生を送った者には霊的褒章が、私利私欲に走り他人を虐げた者には反省の境涯が寸分の狂いもなく与えられるのです。物質界の法律は不完全であり幾度となく改正されますが、神の因果律は完璧であり間違いという事が絶対にありません。
その完璧な神の法則に従って生きる方が帰幽後の自分の人生を明るいモノにする事ができるのは至極当然、人生のプライオリティを間違わないために霊的知識のお勉強、理解が必須なのです。ですので霊関連書籍の復刊は意味があると自分に言い聞かせて苦しい作業を続行しているのです(祈)†
2024年3月1日
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†
※オマケ – ハイ、今回は「ヨハネ氏」を表紙に描かせて頂きました。僕はイエス様の顕現には多数浴させて頂いていますが、ヨハネ氏の顕現にも数回浴させて頂いているのです。が、僕はヨハネ氏がどういうお顔の方であったのか全く知りません。
で、ググってダ・ヴィンチ先生(レオナルド、ダヴィンチ氏)が描かれたヨハネ氏の肖像画を見て、それを参考にして僕の画風でキャラキャラした感じのヨハネ氏を描いたのです。するとその後、トランス時にあるリアルなお顔の顕現があり、それが誰だか分からずにしばらく考えていたのですが「あ!僕が描いたヨハネ氏の顔に似てる!」と分かった、という事がありました。これがヨハネ氏の最初の顕現でした。
つまり僕に見せてきたそのお顔はヨハネ氏本来のお顔ではなく、僕に「自分がヨハネ」である事を分からせるためにわざと僕が描いた絵に似せて顕現した、という事だったのです。それ以来ずっとその顕現の際のヨハネ氏を思い出して描き続けているのです。それがヨハネ氏ご本人とは似つかなくても、他に描きようがないためそのようにしているのです。
そのヨハネ氏がなぜ僕に何度も顕現して下さっているのか、その「意味」が光栄至極であり、反逆の限りを尽くしている僕にはその資格が全くないと思っているのですが、ヨハネ氏と言えば「イエス様の一番弟子」でありイエス様にもっとも愛された弟子です。
つまり「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けて(泣く泣くとはいえ)イエス様のご意志を遂行する人生を選び「イエス様ハンドリング」と称して霊的使命遂行を開始した僕が「イエス様に喜んで頂けている」という意味を込めた「ヨハネ氏の顕現」だったのです。(※初期の頃、イエス様に「友よ」と言われた事もありました)これは物質界に籍を置く人間にとって光栄の究極形と言えるのではないでしょうか。
ただし、それは霊性発現初期の頃のお話です。現在の僕は霊団に対して本気で怒り憎しみの感情を抱いており、人生の全てをかけて反逆していますので、現在はイエス様にお喜び頂いているという事は100%ないと断言していいでしょう。
しかしお喜び頂けていないとしても、怒涛の連続顕現でイエス様と交わした「男と男の鉄の約束」がありますので、導きの方向性に究極にムカつかされていても使命遂行だけはやりきるつもりでいるのです。
現在怒涛におこなっている「絶版状態の霊関連書籍の復刊」の作業も、イエス様と交わした約束を果たし切る作業の一環(霊的知識普及)という事になります。
僕としては「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出はどうなっちゃったんだよと言いたいのですが、そちらはもう全くやる気がないようなのです。だったら僕の11年およびDreamwork(画家の人生)を返してくれと本気で言いたいのですが、とにかく僕は殺されるのでそっちに行かせないようにしているという事のようなのです。
最悪、ホントに最悪。人生をブチ壊されるだけブチ壊されて全く物的肉眼に映じる結果に到達していません。あげくの果てにイヤでイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められている。これでムカつくなという方がムリな話なのです。っとと、グチはここまでにしましょう。イヤ、グチではなくて真実ですけどね(祈)†
新装版発行にあたって
「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数、寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。
平成16年2月
近藤千雄
霊界通信 ベールの彼方の生活 第3巻「天界の政庁」篇 – 新装版 –
近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1984英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』, M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』, A.ウォーレス『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』,『古代霊は語る – シルバー・バーチ霊訓より』,『シルバー・バーチの霊訓』(以上潮文社刊), S.モーゼス『霊訓』, J.レナード『スピリチュアリズムの真髄』, H.エドワーズ『ジャック・ウェバーの霊現象』(以上国書刊行会刊)
復刊者 山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)
元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†
■2024年3月20日UP■「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→ ■2024年3月27日UP■「全て殺されてきました」3000年にわたり使命遂行者は殺され続けてきたという意味です(祈)†「イエスの成年時代」の復刊書籍の表紙の線画を描くにあたってどうしてもそういうたぐいのモノを見ざるを得ない状況になってしまい、イエス様の磔刑(はりつけ)の宗教画とかを見ていたのです。するとイエス様が十字架を運ばされている絵が複数出てきます。自分が間もなく磔刑にされて殺される十字架を自分で背負って運ばされているのです。要するにイエス様が当時の民衆の人気者で、霊能がずば抜けていたために、それを当時の聖職者だの律法学者だのといった、自分の事をエライと勘違いしているバカヤロウどもが嫉妬して、イエス様にイヤガラセしてイジメて殺したと、そういう事だと思います。※「イエスの成年時代」の中に、逮捕、連行したイエス様を律法学者どもが取り囲んで取り調べをしている最中に、その中のひとりがイエス様に野獣のように飛び掛かって殴り倒すというシーンがあります。皆さまがどのようにお感じになられるか分かりませんが僕の考えをストレートに書きますと、聖職者だの律法学者だのといった人間は「原始人」です「原始的微生物」です。そういうおこないをして帰幽した先に、自分にどれほどの地獄が待ち受けているかを全く理解していない、宇宙最大級の近視眼の愚か者という事になります…続きを読む→