(訳者注 – サクラメントというのはキリスト教の儀式の中でもとくに大切にされている儀式で、“秘跡”と訳されることが多いが、各派によって異なるのでここでは原語のまま用いた。)

1917年12月4日 火曜日

貴殿は受け取った観念を文章に綴ってくれればそれでよろしい。そしてそれが吾々の霊団からのものであることに疑念を抱かれる必要はまったくありません。と言うのも、一方において吾々は貴殿が筆記されている間は貴殿の身柄をしっかりと確保し、他方において吾々の通信を横取りして自分たちの通信に使用せんとする狡賢(ずるがしこ)い霊の集団を排除すべく努力しているからである。

それが可能なのも、カスリーンを通じて実際に貴殿との通信を始めるずっと以前から貴殿について準備し、また吾々の側の準備をも着々と積み重ねてきたからです。

さて今夜はキリスト教の聖なる儀式の問題について語ってみたい。キリスト教界において今なお行われており、キリストを主と仰ぐ者にとって大いに関心をもつべきものだからです。中でも聖体拝領の儀式(マタイ26)はキリストを主と仰ぐ者にとって生涯にわたる意味を秘めている。

これには数々の意味が含まれているので、これより少しばかり述べてみたい。まず、その由来について。現存する聖典から推察されるように、キリストの生涯については過去幾世紀にもわたって伝えられてきたものよりも記録されずに終ったものの方がはるかに多い。大ざっぱに読んでもそれが推察できるであろう。

しかも残っている記録も、本質においては相通じるものがあっても、細かい点になると曖昧なところが多い。残っている記録は数多くあったものの中のごく一部にすぎないことを知らねばならない。他の記録は完全に地上から消滅したか、まだどこかに残っていて、いつの日か陽の目を見ることになるかも知れない。

が、こちらの世界にはその全記録が保存されており、吾々もこの度それを勉強したところです。これから述べることはそれを根拠にしています。

(訳者注 – その一例が自動書記霊媒カミンズ女史を通じて書き記された The Scripts of Cleophas で、聖書の欠落した部分やその後の歴史を物語る通信が見事な散文体で書かれている。これは第1級の聖書研究家やキリスト教の聖職者によって“正真正銘”の折紙がつけられている)

そのとき主イエスは肉体を具えた存在から肉体なき存在への変化を目前にしていた。死期の迫ったことを知ったイエスは、12人の弟子との会合の中で、自分の死後もこの弟子たち並びに自分の教えに従う者との霊的交わりを強化し、自分を生命力の源とさせるための、思い出と霊交の儀式を行ったのです。

ここで前回に述べた霊交の3つの型を思い出していただきたい。最高界より流れくるところの脈動する生命力は、その鋭敏さゆえに、主の王国全体(*)に張りめぐらされている特殊な組織への針の先でつついたほどの衝撃さえ中心的始源まで波及し、即時に反応が返ってくることが理解していただけよう。

その反応と緻密性(ちみつせい)と即時性を具体的に説明せんとしても、地上にはそれを譬(たと)えるべきものが何1つ見当りません。ここではせめて“運動する粒子はその速度が速ければ速いほどそれに加えられる外的刺激による反応が大きい”という法則を思い出していただくに留めておきましょう。

(*最高界といい王国というも地球的規模における話。イエスは普遍的キリスト神の地球的表現すなわち地球の守護神の部分的表現である。6章でその詳しい説明が出る – 訳者)

父なる神より湧き出た生命の流れがまず主に至り、主の霊性を加味されて御国のすみずみにまで放散されるのは、その組織があるからこそです。その組織への衝撃が例の“主の祈り”(マタイ・6)とともにパンとぶどう酒による儀式によって与えられる。

すると会衆の前に並べられた品々にその生命の流れが注がれ、主の生命と融合し、主みずから述べられた如くに、それが主の聖体とおん血に変わる。貴殿らが使用する祈りは“祈願”であると同時に主の生命を受け入れることへの会衆の“同意”を意味します。

何となれば、同意なくしてはいかなる恩恵といえども人間に押しつけることは許されないからです。その同意はかならずしも声に出す必要はない。要は“心”です。それが地球へ向けて流れくる主の生命力の流れに遭遇し、オリーブ山を越えてサレムへ来られるイエスを迎えに集まった者たちと同じように、そこで合流し主の流れの即時的反応を受けて再び元の会衆へ戻ってくる。

こうして与えられる恵みは3つの形を取る。まず第1は霊と霊との交わり、すなわち祈願する者と主との交わりです。第2はその霊を包むところの身体すなわち霊体の健康と活力の増進です。そして第3がその2種類の作用の自然な結果、つまり内的活力と肉体との融合です。

これを吾々はキリストの総身(*)の活性化と呼びます。すなわち根源からの生命の流れと合流し、1人ひとりが活力を得ることによってキリスト自身も活力を増進していくのです。(*顕幽にわたる地球規模の自然界そのものをさす。第6章で詳しく解説 – 訳者)

この聖体拝領の儀式にはもう1つの意味が秘められています。が、その説明は簡略なものに留めざるを得ません。何となれば、いかに努力してみたところで、その真相の全てを伝えることは無理だからです。

吾々にも吾々の言語があるのですが(*)、それでは貴殿の方が理解できず、さりとて地上の言語ではまったく用を為さない。その真相は地上の言語の痕跡(こんせき)を留めない上層界にわたることであり、最高界に近い崇高な界層の言語でしか伝え得ないものです。

(*死後の世界では言語は使用されないと言われるが、音声による形態の言語は無いという意味であって、地上の各民族によって言語が異なるごとく、各界層によってその表現形式の異なる言語があるようである – 訳者)

聖書にあるごとくパンとぶどう酒という2つのありふれた品物はイエスの聖体とおん血に変わる。従ってそれはその言葉(マタイ26・26~29)を発したイエスの一部となったことになります。

このことに関してこれまで、一体なぜ肉と骨と血でできた身体をまとっているイエスにそれが出来たのかという疑問があったようですが、実は人間は1人の例外もなく、生涯を通じてひっきりなしに、外部の物体と霊的に反応し合っている。身にまとったものには、その人の個性が沁(し)みこむ。

手を触れるものにも住まう家にも個性が伝わり、それは永遠に消えることがない。そういう性質を生まれながらにして具えているのです。(心霊学でいうサイコメトリ現象がそれを証明している – 訳者)

イエスは、ユダヤとガリラヤにおいて病める人や不自由な者をその生命力で癒したごとく、また弟子たちに霊力を吹き込みその生命力で鼓舞したごとく、そのパンとぶどう酒に生命力の流れを注ぎ、かくしてそれは真実の意味においてイエスの身体(からだ)となり血となったのです。

今日とて同じです。イエスは晩餐(ばんさん)が終ればあとは十字架にかけられるのを最後に、すべてが終りとなる身であった。そのような身の上の者が自分とからだと血を永遠のものとして授けるはずはありません。そうではない。

その時のパンとぶどう酒、12人の弟子たち、並びにそこに参集せる者たちへ注がれたのは、その時のイエスが束の間の地上生活のためにまとい、やがて使い古した衣服のごとく棄てられる肉体と血ではなかった。また、始源から流れくる生命力の流れの通路となったイエスの霊体でもなかった。

それはイエスの霊そのもの、今も昔も変らぬ永遠なるキリストの生命そのものであり、それは肉体があろうと無かろうと同じことであった。なぜなら霊力や霊的エネルギーに関するかぎり、そうした形式は問題ではないからです。表現形式はどうあろうと、表現されるもの自体は少しも変わりません。

それ故、最後の晩餐(ばんさん)においてパンとぶどう酒が主の願いと意図のもとに生命力の貯蔵庫となり、その意味において主の聖体とおん血となったと言うのは正しいわけです。

そして又、イエスのからだがこの世から消えたからといって、そのことは主の働きかけを阻止するどころか、むしろ1つの媒体がなくなったことによって、より一層容易にそして直接的に働きかけることが可能となったと言えます。

少なくとも肉体が無いということは、主より流れ出る生命力がパンとぶどう酒に注がれることを妨げることにはなりません。

それゆえ司祭が会衆の同意のもとに、パンとぶどう酒を食卓に並べ置き高き天界に在す主の犠牲を祈願する時、それは実質において主の御胸に手を置き、高き天使の在す天上界へ目を向け、父なる神の顔を見つめ、人類のためにその子イエスの愛と認識を嘆願していることになるのです。

もしその司祭が素直にして幼子(おさなご)のごとき心の持ち主であるならば、今日でさえその手の下に主の御胸の静かなる生命の鼓動を感じ取ることができるでしょう。その生命力による援助のもとに、その祈りの念は聖にして純なる天界へと送り届けられ、“主の祈り”そのものとして嘉納されることになるのです。

■2020年8月1日UP■
「死んでも謝るよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の大罪を許してもらえると思っている思念です(祈)†
霊団は「死んでも謝るよ」と明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念を降らせました。抵抗する術を知らない幼い女の子を徹底的に強姦殺人しまくっている「悪魔」が許される世界というのは、物質界にも、僕たち人間の本来の生活の場である霊界にも、地球圏霊界を突破した無限の宇宙に広がる無限の生活の場においても一切ありません…続きを読む→
■2020年12月19日UP■
「一旦メディコ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が入院という形の逃亡を本当に実行する可能性があります(祈)†
「視点外し」にやられないで下さいという意味です。僕たち日本国民は今こそ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をDNA1片たりとも残さずに完全に死刑にして滅ぼし切らねばならないという事、これ以上このバカヤロウどもの洗脳にやられ続け目を閉じ続けない事、奴隷の女の子の強姦殺人を「血税を盗まれる」というカタチで手伝わされている、この理不尽に絶対に決着をつける事。2度とこの「人類の恥」「人間のクズ」の事を陛下だの殿下だのと呼ばない事、このバカヤロウどもに絶対に敬語を使わない事、絶対に頭を下げない事、コイツらのパレードに参加して沿道で笑顔で手を振らない事、僕たちが取る態度はただひとつ…続きを読む→
■2021年1月9日UP■
「あー何とかしたい」明仁、文仁、徳仁、悠仁を何とか死刑にしたいという皆さまの思念です(祈)†
コイツらふざけすぎだ絶対許せない、日本の邪悪は全てコイツらから始まってるんだ、なぜこの世界最大級の犯罪者に金を払い続けなきゃいけないんだ、大量強姦殺人魔は死刑以外に有り得ない。いかがですか皆さま、こういう感情が湧いてきませんか。【神】が僕たち人間全員に与えて下さったプレゼントは決して判断を誤りません。常に人間として正しい回答いわゆる「善なる指標」を皆さまの心にひらめかせてくれるものです。判断に困った、迷った時こそ「自分の心に聞いてみる」のです。そうすれば【理性・良心】から正しい回答が降ってくるはずなのです。僕たち人間の心はそういう風にできているからです。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に完全に牛耳られている洗脳の旗手、各種マスコミが流してくる「視点外し、ウソインチキ洗脳ニュース」等々それらの情報にポンポコホイホイあっけなくダマされ続けて生活するのを僕たち日本国民はいい加減にやめねばならないところに来ています…続きを読む→

インペレーターの霊訓校正刷り表紙Amazon

重い作業ですがペーパーバックのデータを登録する一連の手順を把握できました。今後の作業の円滑化のためにその一連の作業手順をテキスト化してあります。次の書籍以降はそのテキストをコピってサクサク、という風になるとイイのですが。

校正刷りが到着したらWordPressに画像をUPさせて頂きます。止まらず次は電子書籍データの登録をおこないます。が、またしても明らかに僕に対してペナルティを降らせるといった趣旨の事を霊団に言われています。イヤ、あの、僕は高いハードルを突破してこうして復刊を実現させようと作業しているんですけど、それのどこがペナルティなんですか、と言わずにはいられませんが。

ペナルティの詳細はのちほど。「モーゼスの霊訓上」スキャン30%完成中。霊団の言ってる事が意味不明だけど僕は作業続行中(祈)†

これは何だ?表紙も本文もエラーまみれ、どういう事だ。以前、電子書籍データをUPした時はこんなに苦戦しなかったように記憶しているけど。あ、PDFの書き出し方法を変更したらエラーがなくなった。イヤー重い作業だなぁ。

おーふぁん的な壁と、もうひとつAmazonにもパブリックドメインという壁があります。霊団が言ってきた宇宙最大級にムカつくセリフ「できません」つまり復刊できないという意味ですが、この心のかけらもないインスピレーションを無視して作業続行せねばなりませんが、これほど苦労して準備してきて最後の最後で承認されないという可能性も十分考えられます。

イヤそれを言ったら全ておしまいになる、真正面から行くしかないんだ。たった1冊本を出すだけでこれほどパワーを消耗するのか。自分で書いた本ならこの半分以下のパワーで出せる。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりが全然ない、奴隷の女の子は助けてあげるつもりが全然ない、僕という霊媒から新規の霊言を降らせるつもりもない、だからせめて復刊という方法で使命遂行を続行しようとしている。

その復刊もできないという事なら、もう僕はやる事がなくなる、人生目標がなくなる。Dreamworkに戻ろうかという気になる。何の使命遂行の前進もなくただ無意味にダラダライヤでどうしようもないところにあと何十年も閉じ込められてたまるか。そんな人生は死んでも拒否する。霊団の不吉なインスピレーションを振り払って作業続行するしかない。

重い、作業が重い。いつまでもは続けられないかも知れない、イヤ弱音は禁止だ。やるしかないんだ。「シルバーバーチの霊訓3巻」テキスト見直し60%完成中。「モーゼスの霊訓 上」スキャン中。2年がかりでここまでやってるのに復刊できないなんて事があってたまるか。最後の1秒まであきらめるな。霊団の言葉を無視しろ(祈)†
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†■2022年7月20日UP■
「私たちは始まっている頃に殺されました」何と「100の光の霊団」に関するメセです(祈)†
【神】から神性の火花を賜って個的存在を獲得した僕たち人間は「永遠の存在であり死はありません」僕たち人間は物質界生活後も霊界で霊的表現媒体をまとって永遠に生き続けるのです。その永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界生活中に善いおこないをするか悪いおこないをするかによって、その後の人生に天と地ほどの差が生じます。皆さま、このふたりの人間、どちらが【かしこい】と思われますか。先ほど、王の生活をうらやましいと思う事が、霊的知識の無知から導き出される愚劣の極致の発言と書きました。近視眼という事です。どちらの人生が僕たちの歩むべき人生だと思いますか。もっと言いましょう【神】は僕たち子等に、どちらの人生を歩んでもらいたいと望んでおられると思いますか…続きを読む→
■2021年3月17日UP■
霊団があからさまに「使命遂行ストップ」と言ってきています。絶対に許容できません(祈)†
これは我々にとっても前例のない挑戦なのだ、という事を言いたいのかも知れません。僕は霊団の事を心の底から激しく憎んでいますが「挑戦」の部分だけはギリ賛同できます。座して待っていても目標達成はできませんリスクを恐れずアタックする以外に道はありません。夢の成就は眼前に聳え立つファイヤーウォールを越えた先にあります。そのファイヤーウォールに恐れる事なく張り付き、全身大やけどを負いながら登攀し、苦労して壁を突破して初めて夢に到達できます。僕の画家時代の夢Dreamworkも完全にこういう考えに基づいて自分の作品を描きまくっていたのです。その経験が現在の僕の人格を形成したのです(正確には守護霊様によってそういう風に育て上げられた、という事になりますが)ファイヤーウォールの前でボケっと見ているだけで何ら努力をしようとしない者に夢の成就はありません。それが物質界という試練の境涯の存在意義であり僕は臆病者に用はありません。しかし霊団の言葉が「アキトくん本書けと言っているのも目標達成のための挑戦のひとつなのだ」という意味だとしたら、0.00000001ミリだけ認める気にもなりますが…続きを読む→
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→

1917年11月30日 金曜日

“美”なるものは“真”である – これが天界において最も目立つ原則の1つです。逆の言い方をすれば、見た目に醜(みにく)く歪(いびつ)なものは、細かく観察すると必ずどこか真実のもつ特質に欠けていることが判ります。

吾々が“真実”というときは貴殿らが神または父と呼ぶところの究極の精神(こころ)と調和したものを意味する。父より湧き出ずるものには必ず秩序があり、その子孫たる吾々の至高にして至純なる憧憬と相通ずるものがある。その特質に相応しいものは“美”を惜いて他にありません。

何となれば美なるものは見た目にも心地よいものだからです。愛の本質を知る者にとって、その愛を心地よく包むものは“調和”です。その愛のみが上(のぼ)せうる馳走に何の食欲もそそられない者は、どこか愛に逆らうものを宿している者にかぎられます。そして、ここで銘記すべきことは、愛は神より出ずるものであると同時に神そのものでもあるということです。

そこで吾々は陸の風景にせよ海の風景にせよ、あるいは人間の顔にせよ身体にせよ、その美しさ、その均整美は神の倉庫より取り出せる美の表現であり、真なるものも神の意思と調和したもの以外には有り得ないことを理解しているので、美なるものはすべて真であり、真なるものはすべからく美を具えていなければならないと言うのです。

神の生命の流れが汚されるのはその本流に逆らう何らかのエネルギーが流入するからであり、この譬(たと)えはそのまま人類に当てはまる。すなわち一家庭内ないしは一国家内の不和はそれ自身の中にあるのではなく、その源ははるか天界において神の目的と意志に逆らうものが混入した時点にまで遡(さかのぼ)ることができる。

しかし、神の御力はあくまでも“奇しきもの”である。究極的には神がそうした不純な要素をも有用なるものに変え、活用を誤った神的生命力の対立的表現の1つ1つから、人間も天使も含めた全存在の向上進化のために役立つものを抽出していく。

– おっしゃることが(私の筆で)正しく表現できているかどうか私には判りませんが、いずれにしてももう少し判り易い話題、そして単純に表現できるものにしていただけないでしょうか。

では、すでに話題にした例の大聖堂について今少し述べるとしましょう。この話題なら貴殿の霊聴力と同時に霊視力も使用できるので、吾々にとっても表現しやすく、貴殿にとっても受けやすいでしょう。貴殿は今夜は吾々の期待するほどの心の平静さが見られません。

その大聖堂に大きな塔が付いている。が、その塔に吾々に解(げ)しかねる一角があった。その大塔は建物の角(かど)に立っており、正方形をしている。その4つの角の1つが他の3つと様子が異なるのだった。

が、妙なことに吾々の中の誰1人として、他の角と比較して“何が”欠けているとか“どこがどう”違っているとかが判らなかった。4つの角を同時に見た時は、私の目には形も均整も他とまったく同じに見える。

ところが他の3つを見てからその角に目をやり、さらに近づいその台座を見て回ると、明らかに調和に欠けるものを感じる。何度やっても同じものを感じるのです。余計な話は省略して結論を急ぎましょう。

結局その欠陥を見出したのは、その建築に携わった吾々のうちの誰でもなく、たまたまその第5界を通りかかった、もう1つ上の界の方で、その方があとで詳しく原因を教えて下さったのであった。

その方は暗黒の下層界で大きな対立や反乱が起き、その悪影響が境界を接したすぐ上の界へ及んでいる時に、その鎮圧に赴く霊団のお1人である。そうした騒乱による悪影響は強烈で、上の界まで及んで進歩を阻害し、ようやく光明界へ向けて向上せんと必死に努力している霊を挫(くじ)けさせ、一時的に努力を怠らせる結果となる。

もっとも、よほどの騒乱でないかぎり完全に絶望的なものには至らない。その方はそうした騒乱が発生した時に霊団の1人として暗黒界へ降りてその鎮圧に当たり、せっかく光明に目覚めて向上しかけた霊が足を引っぱられぬよう配慮する仕事に携わっておられる。

吾々を困惑させていた塔の異常の原因をすぐに突き止めることができたのも、そうした烈しい仕事に永く携わってこられたからである。その方はまず4つの壁を入念に点検されてから、その建物を離れて遠くの丘に上がり、そこからしばらく塔を見つめておられた。やがて戻って来られ、吾々を平地に呼び集めて、およそ次のような言葉で欠陥を説明してくださった。

「皆さんがこの聖堂の建築に携わっておられた時、この塔の部分だけを残してまず他のホールの仕上げを急がれた。それが終ってから持てるエネルギーの全てをこの塔を強固にする作業に集中された。そのとき仕事に夢中になって1つだけ見落されたことがあります。

4つの側面の手入れに同じ頭数(あたまかず)で当るべきだったことです。その上、高く聳えた塔の上の部分に遠くからの光が当ったときに下の部分で働いていた人たちの意思がその方へ奪われ、その時そこを流れていた霊力に十分に曝(さら)されなかった。

ちょうどその時です。たまたま私たちの一団が暗黒界での仕事からの帰りにここを通りかかりました。私たちは悪戦苦闘したあとで、すっかり体力を消耗していましたので、そこを流れていた霊力を吸収してしまったのです。そのとき4つの側面に同じ人数が携わっていれば良かったのですが、私たちもそうとは知らずに、その数の少ない問題の部分から吸収してしまったということです。

ですから問題の角は形と均整がいびつなのではなくて、素材のキメが粗いのです。この私の話を念頭におかれてもう一度よくご覧になれば、他の3つの角に較べてその角だけが色調が暗いことに気づかれるでしょう。それはいまも言ったとおり私たちによって生命力を奪われ光沢を失ったからで、形態は他と少しも変わらないのに、見た感じが見劣りがするわけです」

そのあと吾々もその通りであることを確認し、その修復を行ったが、それは簡単に済みました。最初に建築に携わった同じメンバーを集めて仕事に取り掛かりました。

全員から湧き出る意念の流れをその問題の箇所に向けて放射すると、次第に色調が明るさを増して他の部分と同じ光輝を放つようになりました。そして完全に同じとなった段階で意念の放射を止めました。仕上がりは上々で、完璧な調和を見せておりました。

これでお判りの通り、そもそもの原因はまだ建築が完全に仕上がっていない段階で暗黒界でエネルギーを使い果たした一団がそうとは知らずに近くを通りかかったことにあった。悪というものは本質的には“侵略的”なものではなく“消極的”なものです。“善性の欠如”にすぎません。

善なるものには力があります。暗黒界での仕事でエネルギーを使い果たした一団が吸い取った力も善なる天使の力です。吾々の側を通りかかった時に無意識のうちに生命力を再摂取したのも、元はといえば暗黒界の悪影響に原因があり、それが不調和を生んだ。それは美の欠如を意味する。かくして吾々は廻りめぐって“美なるものは真である”という最初の言葉に戻って来た。では失礼します。祝福を。

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダーモーゼスの霊訓上WordPress霊関連書籍ヘッダーモーゼスの霊訓中WordPress霊関連書籍ヘッダーモーゼスの霊訓下

まずコチラ3冊を追加入手しました。というのも、既に所持していてスキャン、OCR変換まで完了させてある「世界心霊法典1 霊訓」は復刊させるのは不可能だろうと予測したため「コチラの書籍なら復刊できる可能性がある(既に存在しない出版社のため)」急きょ入手しました。「インペレーターの霊訓」は復刊させるのにコチラ本編を復刊させないのはおかしいという事になると思いますので。

で、霊団はハッキリ「復刊できない」と先ほど言ってきました「あきらめろ」とも言っていましたが、じゃあ残された物質界人生、何を目標にして生きろって言うんだよ、寝ぼけた事を言ってるんじゃないよ。こんなモノは完全無視です。脱出を目指して最後の1秒まで作業を続行します。

さぁイヤでイヤでしょうがないおーふぁん的なモノに再着手しないといけません。なぜフラーを描くのを止めてこんな嫌がっているものをやらねばならないのかという事になりますが、フラーを描いても脱出につながらないのだからもうこれをやるしかない。霊団の寝言は完全無視。3冊のスキャンにも入っています(祈)†

「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†■2022年12月28日UP■
「間違えちゃったゴメンね」ゴメンの一言で済む訳ネィだろ!この人生の責任取れ(祈)†
肯定的書籍という事であれば、僕のWordPressを日々ご覧になって僕の霊的使命遂行を応援して下さっている方であると予測できます。否定的書籍という事であれば「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通す事で生活の糧を得ている宮内庁、皇宮警察、政治上層部等の強姦殺人ほう助の人間という事が容易に想像できます。否定的書籍の場合はもちろん僕、たきざわ彰人が殺されて反論できない状態になってからデタラメな内容の書籍を出しまくって国民を再洗脳し、強姦殺人容認制度を存続させようと企む邪悪勢力の思念という事で間違いないでしょう。僕が生きている間に否定的書籍が出版されるのは、それはチョトないんじゃないかって思ったりもします。というのは「国民はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を分かってる、もう洗脳からだいぶ目覚めている、そこまでバカじゃない」と思うからです。出したらかえって逆効果になると思うからです。ですので霊団からの「殺されるところから離れさせる」という警告という意味かも知れません…続きを読む→
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→

地獄はいつまでも続くがその地獄の作業が成果につながるという事が全くない、いつになったら目に見える形で成果が表れるというのか、まさか物質界生活中ずっと何の結果も出せずに終わるんじゃないだろうな。それは勘弁してくれ。

ブログでは絶対に脱出してみせる、復刊してみせると書き続けていますが(確かにその決意で作業しているのですが)実際冷静に状況を見ていくと、復刊は何とかできるかも知れませんが脱出はどんなにもがいてもできないかも知れないという思いがあります。

かと言ってそれを受け入れて閉じ込められる事を容認するつもりはない、最後の1秒まで脱出のための努力を続けるつもりですが、返す返すも腹立たしいのは、霊団がちょっかい出してこなければそもそもその脱出のための努力もせずに済んだのです、その脱出のための作業に費やす時間とパワーを絵に向ける事ができていたはずなのです。

なぜいつまでもどこまでも不毛な作業にパワーを奪われて生きなければならないのか、そこがムカついてどうしようもありません。フラーから離れて久しいですが、何としても戻ってみせる、また描けるようになってみせる。なぜ描きたいモノも描けない人生をやらされねばならないのか。そこが全く意味不明。だったらなぜ僕は絵の才能を賦与されて物質界に降下したというのか(祈)†

「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→

240501いま目の前にある観念と混同してはいけません

本当にこの人生そろそろいい加減にして欲しい。人を閉じ込めるにも限度がある。全く何の結果にも到達させないようにしているとしか言いようのない状況です。インスピレーションも寸前になってドッカーンと降らせてきやがって、慌てて対応させられるのでムカついてますが、まずは削除せずに残したモノをこのように羅列してみましょう↓

これらインスピレーションのほとんどがつい先ほど降ってきたモノで、頭の中で全然内容がまとめられていませんのでほとんどアドリブでテキスト撃つ事になります。説明が稚拙になるのはどうかご容赦下さい。文句は霊団に言って下さいと言いたいです。撃つだけは撃ってみましょう。

大神の御心のままに

240501大神の御心のままに

これは霊的使命遂行の根幹にかかわるインスピレーションで、物質界に身を置いて霊的仕事を推進する霊の道具(霊覚者、霊媒)は小我を滅却し霊の導きに完璧に従い切れる精神状態でなければならないのですが、僕ももちろんそのつもりでいましたよ、霊性発現初期の頃は。

ココまでヒドイ人生やらされるとは想像だにしてませんでしたから、多少希望に胸膨らませていましたよ。それがやらされてみたらこの人生破壊の度合い、何なんですかコレ。もうとても従い切れん、という状況になってしまっているのです。

僕などというお子ちゃまが神についてアレコレ語るつもりは毛頭ないのですが、ただ、神のご意志を物質界において遂行する事が宇宙最大級にムズカシイという事だけは分かりましたよ。霊界の方々は人間の心の中が丸見えで、仕事をするに足る精神的資格に到達しているかどうかが一目でわかります。

つまり僕にこの霊的使命遂行をやらせたという事は「アキトくんならできる」と霊界側が判断したから、という事になるのですが、どうやらその判断は僕を買いかぶりすぎだったという事になると思います。僕はシャレじゃなく本気の本気で反逆しまくっていますので、もう僕にはムリなんじゃないかという気もしてます。

人生破壊の程度がヒドすぎる、心と正反対の状況にあまりにも閉じ込められすぎている、仕事は全く前進しない、この12年間、決して大げさな表現ではなく真実として、事態が好転した事が1度もない。悪化につぐ悪化を辿ってここまで来ました。イヤ、あの、そろそろいい加減にしてもらっていいですか、というのが僕の正直な心境なのです。

↑目次へ↑

はげましてあげました コレ和服探し ハイ少々お待ち下さい おしまいだよ

240501ハイ少々お待ち下さい

「はげましてあげました」これは幽体離脱時映像だったのですが、ちょっともう詳細は忘れてしまいました。が、その離脱から帰還後に霊団が「はげましてあげました」と霊聴に言ってきて「ハァ?今のどこがですか?」となった事だけはハッキリ覚えています。つまり僕には到底励ましの内容とは思えなかったという事です。

「コレ和服探し」これが意味が分からないのですが、サークルメンバーを霊団が探しているという意味かも知れません。まだ言うかそれを。交霊会交霊会ってあんたたちは何年言い続けているんだよ。1秒たりとも僕という霊媒を機能させる事ができていないじゃないか。

あんたたちが僕を閉じ込めている場所を見てみろよ。僕だってこんな事言いたくないけど、どこをどう頭をひっくり返したらあの中にサークルメンバーがいるんだよ。僕という霊媒を霊言霊媒として機能させる事はもう不可能なんだよ。だから僕は自動書記テストをずっと続けているんだよ。そろそろ自動書記をやってくれよ、真実に目覚めてくれよ。

「ハイ少々お待ち下さい」「おしまいだよ」コレなんですが、僕の反逆に対するペナルティのように聞こえます。うん、それでいいよ。最初からその覚悟で反逆してきたんだから。どうやら僕に最悪がやってくるという事で間違いないようですが、僕はそれを真正面から受けるつもりでいます。神の因果律に逃げ道などありませんからね。

ただひとつだけ僕が言い残したい事としては「罰の恐怖心を利用して言う事を聞かせようとする導きの手法を取るなら僕はあんたたちの言う事を聞かない」という事です。僕は「1歩も退く気はない」だ、最後の1秒まで闘う男だ。人を怖がらせて意のままに操ろうとするのは原始人の手法だ。僕はそういうモノには屈しない。これだけはハッキリ言うぞ。

キリスト教の2000年の呪いがまさにこれに当てはまります。聖職者というのは地獄の恐怖を人々に植え付けて自分たちの権力を維持する事に汲々としていた奴らです。霊団もそれと同じ事をするというなら僕は永遠の宣戦を布告するぞ。
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

↑目次へ↑

受けるしかない ありがとう 処罰 知らない

これは上記の説明の延長となるインスピレーション群ですが、まず「受けるしかない」これは僕の思念で、霊団が僕を罰すると意味を受け取れる内容を降らせてきた事を受けて、僕は「反逆したのは事実だからそれは受けるしかない」と思ったのでした。

「ありがとう」その僕の思念を受けて霊団がこのように即答してきたのです。まぁ僕を罰するのは当然といえば当然でしょうから、僕はどこにも逃げませんのでやりたきゃやればいいと思いますが、それをやれば僕の心の中にあんたたち(霊団)に対する拭う事が不可能な溝ができるのは間違いないと思うよ。

「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようともせず邪悪を存続させる気満々、奴隷の女の子たちはひとりたりとも助けようとせず見殺しにする気満々、画家の人生を破壊されても使命遂行を続行している人間の事は徹底的にイジメ抜いてくる。ひとこと言ってもいいですか。本当に大したご身分だよ。やるべき事をやってから人を罰してくれよ。

「処罰」僕を処罰という意味に間違いないでしょうが、もしかしたら「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がようやく法的に正しく裁かれるという意味も含まれているのかも知れません。が、霊団のこれまでの動きを思うとそういう事にはならないだろうと思っています。

「知らない」これは霊団からの警告で、反逆の先にどういうモノが待ち受けているかキミは知らない、と言っているのでしょう。そうですね、僕が愚か者だったと帰幽後に思い知らされる事になるのでしょう。しかし僕は反逆をやめるつもりは毛頭ない、脱出だけは死んでも完了させるつもりでいます。これ以上閉じ込められるのは絶対に許さない。

↑目次へ↑

サークルが4つに増えてる

これが全然意味が分からないインスピレーションで削除対象だったのですが、僕、たきざわ彰人のWordPressをチェックしてくれている人の集まりのようなモノ(サークル)がいくつか存在しているという意味でしょうか。そうだと有り難いのですが。

もしそうだとして、そのサークルの方々にお願いしたい事としましては、僕、たきざわ彰人は帰幽したが最後、2度と永遠に物質界に戻るつもりがない男ですので、消えていく人間に注目するのはよしましょう。霊的知識に関心を向けて頂きたいと思います、それが皆さまの未来を明るくする事につながるのですから。

そして僕亡きあと、物質界の邪悪をどうか滅ぼして頂きたい、僕にできなかった仕事を完成させて欲しいと思うのです。奴隷の女の子たちもどうか助けてあげて下さい。霊団はまるっきり助ける気がないようですので。霊団の仕事の方向性が本当に頭にきてどうしようもありません。

↑目次へ↑

到達 完全とは言えず 行ける事になります

240501完全とは言えず

この3つのインスピレーションは僕の帰幽後の霊界生活の事を言っているようです。「到達」これは僕がまぁまぁの境涯に到達するという事のようですが「完全とは言えず」とも霊団が言ってきていますように、僕が霊団の導きに従い切っていればもっと高い境涯に赴く事ができたのが、反逆が災いしてこのレベルの境涯までしか向上できなかった、という意味のようです。

「行ける事になります」一応アキトくんはまぁまぁ明るい境涯に行ける事になりますが、当初予定されていた境涯よりは低いところになります。そして本来赴くはずだった境涯に到達するためには長く苦しい反省の期間を経なければなりません、という意味に間違いないでしょう。それは重々了解してます覚悟はできてます。

↑目次へ↑

どこの国でおこなわれようとそれは一向に構わぬ事

コレは僕が大好きな「ベールの彼方の生活」の中のラメル氏のセリフをマネして霊団が降らせてきたインスピレーションですが、最初意味が分かりませんでした。しかしたぶん「こういう意味ではないか」という考えに到達しています。

「アキトくんという霊媒が機能しなくても、物質界の他の国にキミより優れた霊媒がいて、我々はその霊媒を使用して霊言を降らせる事とした」という意味ではないでしょうか。それは僕としても大賛成です。

どう考えても霊媒として機能させる事ができない人間にいつまでもこだわって時間とパワーをムダにするくらいなら、霊媒として使える人間のところに行ってガンガン新規の霊言を降らせるべきだと思います。で、もしその霊媒の方に許しがもらえるなら、その降った新規の霊言を拡散するお手伝いを僕はやらせて頂きますよ。僕という人間は霊媒として仕事するよりそっちの方が合ってると思う。

ただし自動書記テストだけは続行するつもりでいます。何しろ書籍化の準備が完全に整っていますので、降ってきさえすれば速攻で本を作る事ができるからです。もう僕を霊言霊媒として使用する事はあきらめて自動書記にスッパリ切り替えてくれ、と僕は言いたいですが、物質界の人間の小我などもちろん霊界側で採用されません。

↑目次へ↑

真心を分かってらっしゃいません 全然言う通りになりません ガックガクデザイン

240501真心を分かってらっしゃいません

「真心を分かってらっしゃいません」霊団は僕に良かれと思ってこの12年間、試練を降らせ続けていたが、その霊団の真意「愛」と表現すべきでしょうが、それを僕が全く理解していないという意味です。うん、それは了解ですね。あまりにもヒドイ人生を長年にわたりやらされ続けてきたので、もうそういう上っ面だけの理想論など吹き飛びました。

この試練を耐え抜いた先に真の栄光があるという事は霊的知識を果てしなくお勉強してきた中で十分理解していますが、これも何度も書き続けてきていますが「物事には限度というモノがある」あんたたちはいくら何でもやりすぎたんだよ。イジメにもほどがあるという事だ。

「全然言う通りになりません」霊団が僕を導くのに苦心している、困り果てているという意味ですが、僕だって初期の頃はあんたたちに従うつもりでマジメにやってただろ。あまりにも人生破壊がヒドすぎるから脱出しない訳にはいかなくなってるんだよ。このまま閉じ込められ続けるのだけは死んでも有り得ないんだよ。

「ガックガクデザイン」霊団の当初の計画(デザイン)がガックガクに崩れているという意味でしょう。あんたたちのやり方がヒドすぎるからこういう事になっちゃってるんだよ。本当にあんたたちの仕事の進め方は失敗だったと思ってるよ。

↑目次へ↑

個人的心配 向上できます いま目の前にある観念と混同してはいけません

240501いま目の前にある観念と混同してはいけません

はい、申し訳ありませんがほとんど当日のアドリブで撃っているテキストですので分量は少なめとなっています。残りも一気に行きましょう。今回は「いま目の前にある観念と混同してはいけませんのインスピレーションをブログタイトルに冠しました。

「個人的心配」これは僕の反逆の小我ぶりを表現しているものと思われます。現在の僕が自分の置かれたごく狭い範囲の物的事象にのみ心を奪われ、大俯瞰の霊的視点で自分の人生を眺める事ができていないという意味でしょう。それは全くその通りで、僕も自分の小我の方が霊界側の大我より正しいなどと愚かな事を言うつもりはないんです。

しかし、とにかく、どうしてもイヤなモノはイヤなんですよ。どうしても閉じ込められるのがイヤなんですよ。この最悪の状況に閉じ込められる事によって使命遂行が前進するとか、僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるとか、そういう事だったらまだガマンのしようもあると思うのですが、ただ閉じ込め続けようとしてくるだけでその先に何の進展もないから頭にきてるんですよ。

ただ霊的知識には「何事も焦ってはいけない」というものがあります。霊団も僕にこのひとことを言いたいのでしょうが、イヤ、霊性発現から何年が経過しているか言ってみてくれよ。(2024年6月で丸12年になります)僕のこの反逆は焦っている、慌てているという事ではないと思うよ。一般的な忍耐の限界期間はとっくに突破していると思うよ。

そうでなくても僕はDreamwork(画家の人生)を破壊されて、まず前提条件として頭にきている、しかしそれを霊的知識に照らし合わせてずっと耐えて使命遂行を続けてきたんだよ。しかし耐えても耐えてもやってくるのは最悪ばかり。

人生破壊がどんどん進行していって現在は目も覆わんばかりの状態になっている。この状態にさせられてひとことの文句も言わない人間がいたとしたら、それは考える能力のないアタマカラッポの人間という事になると思うよ。

僕は確かに小我のワガママを言っているんだろうけど、これだけヒドイ状況にさせられても使命遂行を続行できる人間はなかなかいないと思うよ。9割以上の人間はこんな状況にさせられたらとっくにやめていると思うよ。あんたたちの仕事の進め方がヒドすぎるって言ってるんだよ。

つまり物質界的概念で言えば僕の反逆は至極当然、こんな状態にさせられれば誰だって脱出を実行に移すに決まっているという事です。しかしもちろん霊団はそんな物質界的価値観に迎合する訳がありません。僕の価値観を霊界レベルに引き上げようとしてきますので、そこで衝突が生じる訳です。

もちろん霊団の動きが正解で、僕の動きが不正解なのです。それは頭では分かっているのですが、何しろ僕は肉体をまとって物質界に残されて人生を送っていますので、その置かれた環境条件を一切無視して霊的事象のみに思考を巡らせて生きようと思っても、イヤ、そんなファンタジーでは済まされないでしょう現実の生活というものがあるのですから。

いかがでしょう皆さま、ご理解頂けるでしょうか。霊団は僕の価値観を霊的レベルに引き上げて、物質界のアレやコレやという事に超然とさせようとしている、僕も頭ではそれは分かっているつもりだが、何しろ毎日イヤでイヤでどうしようもないモノに直面させられながら生活しているので超然と言っても限度がある。

それで何が何でも脱出しようとしているという事なのですが、僕はそれで処罰(ペナルティ)を受けるのだそうです。この釈然としない僕の心情をぜひご理解頂きたいと思うのですが…。

「向上できます」僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言してはばかりませんが、このインスピレーションもまさに「口だけインスピレーション」の典型と言っていいでしょう。気休めの一言といってもいいかも知れません。

僕の人生目標は「帰幽後に賜る霊的褒章」ですから、もちろんできるだけ高い境涯に赴けるように自分を向上させたいと思っていますが、そのためにはこれほどまで自分の心と正反対の状況に閉じ込められなければならないのか。

イヤ、目の前に倒すべき敵がいて、その敵との闘いの中で様々な苦痛を味わわされるというのらまだ分かる気もするのです。倒すべき敵、滅ぼすべき邪悪(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)は全く別のところにいて、来る日も来る日の使命遂行と何の関係もない人たちに囲まれて、霊的要素ゼロの会話をしながら人生の時間の大半を無意味の究極形の作業に費やされる。

この作業をどれだけやっても使命遂行は何ひとつ前進しない、なので当然の帰結としてその無意味な時間をキャンセルして使命遂行に時間を割くために脱出しようとする。すると霊団が全力で閉じ込めようとしてくる。これは一体どういう事だ。使命遂行するなという事か。

だったらなぜ僕の意思に関係なく霊的スイッチをONにして霊能者にしたんだよ。僕という霊の道具を使用して果たしたい仕事があったから霊力に感応するようにしたんじゃないのか。僕にこの仕事をやらせたのはあんたたちだ、やらせておいて進展しないようにしてくるとは、一体何がどうなってるんだ。

「向上できます」もちろん僕だって向上したいですよ。もっと言うと2度と物質界に戻ってきたくないですよ。そのためにできる限りの事をやろうと思ってますが、あんたたち(霊団)のやっている事はイジメ以外の何ものでもないのではないか。どう頭をひっくり返しても納得できる合流点がない。

「いま目の前にある観念と混同してはいけませんんー、そうですね、僕などという反逆男がイエス様について語る資格はないのですが、この最後のインスピレーションを説明するにあたり、イエス様を題材にして少しお話してみましょうか。

まずイエス様は幼少期から霊能をフルに発揮していました、そして自分の霊団のメンバー構成、自分の霊界生活時の身分等も理解しているというすさまじい霊覚者でした。幼くして神のご意志を遂行していましたので、当時の律法学者どもから信じられないような嫉妬の嫌がらせを受け続けていました。リンチされた事まであります。(「イエスの少年時代」参照)

それに比べれば僕は幼少時はただ絵を描きまくる事で頭がイッパイだった「単なるお絵かき少年」であり、霊能などというものとは全く無縁、イジメられる事もほとんどなく、毎日ギャグを言っては友達を笑わせているようなひょうきん、能天気な少年でした。

そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。

少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。

僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。

そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます。

最後まで神のご意志を遂行し、物質界で味わえる限りの苦難を全て味わい尽くして「これ以上ヒドイ目に遭わされる事はない」という最悪の人生をやらされて帰幽します。現在の僕は霊団の手によってヒドイ人生をやらされている真っ最中ですが、あえてイエス様の物質界人生と比較すれば、もちろんイエス様が味わわされた苦難の1億分の1の苦しみという事になります。

で、霊団がそういう事を考えているのかどうかは分かりませんが、少なくともイエス様の苦しみのホンの一端でも味わわせようとしてこんな理不尽な閉じ込めを強行しているというのか。そういう視点で考えなさいと言っているのか。

んー、イエス様を引き合いに出されたら全宇宙で文句言える人間がひとりもいない事になってしまいますから、その部分がやや卑怯ですが、まぁ確かに僕の反逆がお子ちゃまという事だけは分かります。それだけは間違いなく分かります。

で、イエス様が味わわされた苦難に比べればアキトくんの苦しみなど全く取るに足らない、だからがんばりなさいという意見は正しいですし言っている事も分かるのですが、イヤ、だから、僕の現在の状況は「ただ最悪の中に閉じ込めているだけ」でしょ。その先になんの使命遂行の前進もないでしょって言ってるんですよ。

そんなに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、物質界の邪悪を守り通さなければならないのか。物質界とはどれだけ最悪のところだというんだ。僕は「物質界は地球圏霊界の刑務所」と公言していますが、ちなみに近藤千雄先生は書籍の中で「物質界の事をそういう風に考えるのはよくない、貴重な体験をするための境涯なのだ」といった感じの事を書いておられます。どの書籍だったかな。

近藤先生の仰る事はもっともであり、霊界生活は基本的に快適ですから物質界で苦難を体験する事は進化にとって必須であり、物質界での理不尽を体験せずに霊格の向上は有り得ませんので、僕が刑務所と言っているのは間違いという事になるのかも知れませんが、僕は現在自分がやらされている人生に照らし合わせてそういう感想を抱いているという事になります。

僕もこれだけ霊的知識をお勉強して生きてきましたので、物質界生活中に怠惰をむさぼり物的金銭に浸りきってダラダラ過ごそうなどとは考えていないんですよ。最後まで闘う決意なんですよ。しかしあんたたち(霊団)のやっている事はまるで敵前逃亡支援ではないですか。

まぁこれまでさんざん、書いてきた僕も把握しきれないほど「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるという内容のブログを書いてきましたから、僕を守るという意味も含めての閉じ込めなのかも知れませんが、イヤー、守り方なら他にもあるだろう。とにかく釈然としない。

閉じ込められる事を受け入れてこの先20年も30年も延々と無意味な人生をやるなどという事があってたまるものか。僕は最後まで闘うぞ。邪悪を目の前にしながら何もせずボケっと過ごす事が物質界の試練だとでもいうのか。殺されると分かっている奴隷の女の子の事をまるで頭から消して知らぬフリして生きる事が物質界の学びだとでもいうのか。そんなモノは認められない。

僕の反逆を処罰する?やればいいだろ。そういうあんたたちは物質界の邪悪を滅ぼすために何をした。僕は霊媒として機能できなくても何とか復刊というカタチで霊的知識普及をやろうとしてるだろ。あんたたちはそれをただボケっと見てるだけだろ。
僕が罰せられるのは非常に納得できる。あー理に適っている。あー間違っているのは僕の方だ。反逆は続行するぞ。処罰、やるならやれ。僕は自分の「理性・良心」に従って行動しているつもりだ、それで罰せられるのなら仕方ない。地球圏霊界とはそこまでして邪悪を守り通そうとするところなのか。あー実に美しい。できれば帰幽後、地球圏を離れたい(祈)†

↑目次へ↑

「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†■2024年4月24日UP■
「小宇宙に入ってれば分かんなくなっちゃうからね」肉体の事を言っているのでしょう(祈)†
確かに冷静に考えた時に「どう考えてもこの導きの手法は間違っていただろう、守護霊様だったらこういう事はしなかったはずだ」と思える部分がいくつもあるのです。その最たるモノと僕が思っているのが上記にも書きました「支配霊バーバネル氏の僕を導く手法」で、僕はバーバネル氏は完全に失敗したと思っているのです。バーバネル氏は僕に敵意を抱かれるほどになってしまっていますので、こんな精神状態の人間と融合して思った事を100%述べるなどできる訳がありません。バーバネル氏が僕という霊媒を使用して霊言を語るのは絶対ムリと断言してイイでしょう。ですので僕は自分が霊言霊媒として機能する事はもう全然考えていなくて(そもそもサークルメンバー問題が絶対解決不能なのですから、やろうと考える事自体がおかしいのです)もう新規の霊言は自動書記で降らせるしかないと思っているのです。バーバネル氏の物質界生活時の功績は大いに尊敬しますが、僕を導く手法に関しては大失敗だったと思っています…続きを読む→
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†■2024年4月10日UP■
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†
物質界生活中に邪悪な人間の手によって苦しめられ、大いに試練を味わわされた僕たち善良な国民は帰幽後、明るい境涯に赴き、大いに自由を堪能する事になります。そして物質界生活中に奴隷の女の子を強姦殺人し続けた明仁、文仁、徳仁、悠仁は、魂も凍る暗黒の底の底に落ちて千年万年にわたる正真正銘の地獄を味わわされる事になります。そういう意味では「神の公正」がこの宇宙に厳然と働いており、それに身を委ねている限り何も恐れる事も心配する事もないという理屈になるのですが、結局物質界が最悪の場所である事は変えようとしないという事ですか、その部分だけがどうにも納得いかない。確かに霊的知識によれば真の安寧(あんねい)は霊界にこそあり、物質界生活中に幸福を求める事自体が本末転倒であり、物質界でどれだけ頑張るかによって帰幽後の霊界での幸福度が決定するという意味では、霊界での幸せを求めて物質界人生を耐え抜く事が重要と言えるのですが…続きを読む→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→

八ヶ岳アタック1154プロセス実行

この人生は一体何なんだ。なぜこんな状態にさせられなければならないんだ。霊団は僕を罰するそうです、だったら今度の今度こそDreamworkに戻ってやろうかなと思ったりもします。人生破壊の度合いがヒドすぎる到底受け入れられない。

フゥゥ、まずはテキスト撃ち終えて、それから次の作業に入りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日のレインアタック撮影画像をUPですが、もうヤダ、いつまでこんな人生やらなければならないんだ。慌ててインスピレーションの処理をやらされる。撃っても撃っても全く結果らしい結果に到達しない。いつまでもどこまでも自分の心と正反対の状況に閉じ込められる。

ちなみに書籍2冊目が到着中、3冊目が到着したら画像をUPさせて頂きます。復刊への道のりは恐ろしく殺人的にメンドクサイ。しかしもうやるより他にどうしようもない。ウンザリ感が尋常ではない中、テキスト撃ちに入りましょう(祈)†

スクワットが効果絶大のようで足回りの問題がかなり改善されています。以前のように足に何の不安を感じる事もなく山で登攀してゴールする事ができています。この当たり前の事がすごくうれしい。スクワットはずっと続けていかねばなりません。

で、明日の長文ブログが(毎週同じ事を書いてるので僕もいい加減イヤなのですが)またしてもピンチで、このまま霊団がダンマリを決め込むなら反逆について僕の所感を書く事になると思います。どうやら僕は本格的に霊団に処罰を受けるようですので、受けるべきはキッチリ受けさせて頂きますが猛烈に釈然としないものがありますのでその部分のテキストを撃つつもりです。

何なんだろうなぁ。宇宙最大級に納得できないものがある。言いたい事がスゴクいっぱいありますが明日に取っておきましょう。今日の撮影画像の加工をもう少しやってからダメージの回復に入ります(祈)†