1918年1月15日 火曜日
そこで吾々はこの時とばかり一斉に声を張り上げて合唱しました。声の限りに歌いました。その歌声は全ての坑道を突き抜け、闇の帝王たるボスの獰猛な力で無数の霊が絶望的な苦役に甘んじている作業場や洞窟の隅々にまで響きわたりました。
あとで聞かされた事ですが、吾々の歌の旋律が響いてきた時、彼らは仕事を中止して“その不思議なもの”に耳を傾けたとの事です。と言うのも、彼らの境涯で聞く音楽はそれとはおよそ質の異なるもので、しかも吾々の歌の内容(テーマ)が彼らには聞き慣れないものだったからです。
– どんな内容だったのでしょう。
吾々に託された目的に適った事を歌いました。まず権力と権威の話をテーマにして、それがこの恐怖の都市で猛威をふるっている事を物語り、次にその残酷さと恥辱と、その罠(わな)にかかった者たちの惨状を物語り、続いてその邪悪性がその土地にもたらした悪影響、つまり暗闇は魂の暗闇の反映であり、それが樹木を枯らし、土地を焦がし、岩場をえぐって洞窟と深淵(しんえん)をこしらえ、水は汚れ、空気は腐敗の悪臭を放ち、至るところに悪による腐敗が行き渡っている事を物語りました。
そこでテーマを変え、地上の心地良い草原地帯、光を浴びた緑の山々、心和(なご)ませるせせらぎ、それが、太陽の恵みを受けた草花の美しく咲き乱れる平地へ向けて楽しそうに流れていく風景を物語りました。
続いて小鳥の歌、子に聞かせる母の子守歌、乙女に聞かせる男の恋歌、そして聖所にてみんなで歌う主への讃仰の歌 – それを天使が玉座に持ち来り、清めの香を添えて主に奉納する。
こういう具合に吾々は地上の美を讃えるものを歌に託して合唱し、それからさらに一段と声を上げて、地上にて勇気をもって主の道を求め今は父なる神の光と栄光のもとに生きている人々の住処 – そこでは荘厳なる樹木が繁り、豪華絢爛たる色彩の花が咲き乱れ、父なる神の僕として経綸に当る救世主イエスの絶対的権威に恭順の意を表明する者にとって静かなる喜びの源泉となるもの全てが存在する事を歌い上げました。
– あなたの率いられた霊団は全部で何名だったのでしょうか。
7の倍にこの私を加えた15人です。これで霊団を構成しておりました。さて吾々が歌い続けていると1人また1人と奴隷が姿を現しました。青ざめ、やつれきった顔があの坑道この坑道から、さらには、岩のくぼみからも顔をのぞかせ、また吾々の気づかなかった穴や洞穴からも顔を出して吾々の方を覗き見するのでした。
そしてやがて吾々の周りには、恐怖におののきながらもまだ光を求める心を失っていない者たちが、近づこうにもあまりそばまで近づく勇気はなく、それでも砂漠でオアシスを見つけたごとく魂の甦(よみがえ)るのを感じて集まっていた。
しかし中には吾々をギラギラした目で睨みつけ、魂の怒りを露(あらわ)にしている者もいた。さらには吾々の歌の内容が魂の琴線に触れて、過去の過ちへの悔恨の情や母親の子守歌の記憶の甦りに慟哭(どうこく)して地面に顔を伏せる者もいた。
彼らはかつてはそれらを軽蔑(けいべつ)して道を間違えた – そしてこの道へきた者たちだった訳です。その頃から吾々は歌の調子を徐々に緩やかにし、最後は安息と安らぎの甘美なコードで“アーメン”を厳かに長く引き延ばして歌い終わった。
するとその中の1人が進み出て、吾々から少し離れた位置で立ち止まり、跪(ひざまず)いて“アーメン”を口ずさんだ。これを見た他の者たちは彼にどんな災難がふりかかるのかと固唾(かたず)をのんで見守った。
と言うのも、それは彼らのボスに対する反逆にほかならなかったからです。が、私は進み出て彼の手を取って立たせ、吾々の霊団のところまで連れて来た。そこで霊団の者が彼を取り囲んで保護した。これで彼に危害が及ぶ気遣いはなくなった。
すると三々五々、あるいは10人20人と吾々の方へ歩み寄り、その数は400人ほどにもなった。そして、まるで暗誦文を諳(そら)んずる子供のようにきちんと立って、彼に倣って“アーメン”と言うのだった。
坑道の蔭では舌打ちしながら吾々へ悪態(あくたい)をついている者もいたが、腕ずくで行動に出る者はいなかった。そこで私は、希望する者は全員集まったとみて、残りの者に向けてこう述べた。
「この度ここに居残る選択をした諸君、よく聞いてほしい。諸君より勇気ある者はこれよりこの暗黒の鉱山を出て、先ほどの吾々の歌の中に出てきた光と安らぎの境涯へと赴く事になる。今回は居残るにしても、再び吾々の仲間が神の使いとして訪れた時、今この者たちが吾々の言葉に従うごとく、どうか諸君もその使いの者に従う心の準備をしておいてほしく思う」
次に向きを変え、そこを出る決心をした者へ勇気づけの言葉を述べた。と言うのも、彼らはみな自分たちの思い切った選択がもたらす結果に恐れおののいていたからです。
「それから私の同志となられた諸君、あなた方はこれより光明の都市へ向けて歩む事になるが、その道中においてボスの手先による脅(おど)しには一向に構ってはなりませんぞ。もはや彼はあなた方の主(ぬし)ではなくなったのです。
そして、もっと明るい主に仕え、しかるべき向上を遂げた暁には、それに相応しい衣服を給わる事になります。が、今は恐れる事なく一途(ず)に私の言う事に従ってほしい。まもなくボスがやって来ます。全てはボスと決着をつけてからの事です」
そう述べてから、吾々がキャプテンと共にそこに入ってきた門、そして400人もの奴隷が通ってきた門の方へ目をやった。それに呼応するかのように、それよりさらに奥の門の方から騒々しい声が聞こえ、それが次第に近づいて来た。ボスである。
吾々の方へ進みながら奴隷たちに、自分についてきて傲慢きわまる侵入者へ仕返しをするのだとわめいている。脅しや呪いの言葉も聞こえる。恐怖心から彼の後に付いてくる哀れな奴隷たちも彼を真似してわめき散らしている。私はボスを迎えるべく一団の前に立った。そしてついにそのボスの姿が見えてきた。
– どんな人でしたか – 彼の容貌です。
彼も神の子であり従って私の兄弟である点は同じです。ただ、今は悪に沈みきっているというまでです。それ故に私としては本当は慈悲の心から彼の容貌には構いたくないのです。
彼が憎悪(ぞうお)と屈辱をむき出しにしている姿を見た時の私の心にあったのは、それを哀れと思う気持だけでした。が、貴殿が要求されるからにはそれを細かく叙述してみましょう。それが“強者(つわもの)よ、何ゆえに倒れたるや”(サムエル書(2)1・19)という一節にいかに深い意味があるかを悟られる縁(よすが)となろうと思うからです。
図体は巨人のようで、普通の人間の1.5倍はありました。両肩がいびつで、左肩が右肩より上がっていました。ほとんど禿げ上がった頭が太い首の上で前に突き出ている。煤けた黄金色をした袖無しのチュニックをまとい、右肩から剣を下げ、腰の革のベルトに差し込んでいる。
錆びた(鎧(よろい))のスネ当てを付け、なめされていない革の靴を履き、額には色褪(あ)せた汚れた飾り輪を巻いている。その真ん中に動物の浮き彫りがあるが、それは悪の力を象徴するもので、それに似た動物を地上に求めれば、さしずめ“陸のタコ”(というものがいるとすればであるが)であろう。
彼の姿の全体の印象を一口で言えば、“王位の模倣”で、別の言い方をすれば、所詮は叶えられるはずもない王位を求めてあがく姿を見る思いでした。その陰険な顔には激情と狂気と貪欲と残忍さと憎しみとが入り混じり、同時にそれが全身に滲(し)みわたっているように思えた。
実際はその奥には霊的な高貴さが埋もれているのです。つまり善の道に使えば偉大な力となったはずのものがマヒしたために、今では悪のために使用されているにすぎない。彼は“足をすべらせた大天使”なのです。それを悪魔と呼んでいるにすぎないのです。
– 地上では何をしていた人か判っているのでしょうか。
貴殿の質問には何なりとお答えしたい気持でいます。質問された時は私に対する敬意がそうさせているものと信じています。こで私も喜んでお答えしています。どうぞこれからも遠慮なく質問されたい。もしかしたら私にも気づかない要因があるのかも知れません。
その辺は調べてみないと分かりませんが、ただ、それに対する私の回答の意味を取り違えないで頂きたい。そのボスが仮に地上ではこの英国の貧民層のための大きな病院の立派な外科医だったとしても、少しもおかしくはありません。
もしかして牧師だったとしても、あるいは慈善家だったとしても、これ又、少しも不思議ではない。外見というものは必ずしも中身と一致しないものです。とにかく彼はそういう人物でした。大ざっぱですが、この程度で我慢して頂きたいのですが…
– 余計な質問をして申し訳ありません。
いや、いや、とんでもない。そういう意味ではありません。私の言葉を誤解しないで頂きたい。疑問に思われる事は何なりと聞いて頂きたい。貴殿と同じ疑問を他の大勢の人も抱いているかも知れない。それを貴殿が代表している事になるのですから…
さて、そのボスが今まさに目の前に立っている。わめき散らす暴徒たちにとっては紛れもない帝王であり、後方と両側に群がる人数は何千を数える。が、彼との間には常に一定の距離が置かれている – 近付くのが怖いのである。
左手にはムチ紐が何本も付いた見るからに恐ろしい重いムチがしっかりと握られていて、奴隷たちは片時もそのムチから目を離そうとせず、他の方向へ目をやってもすぐまたムチへ目を戻す。
ところがそのボスが吾々と対峙(たいじ)したまま口を開くのを躊躇(ちゅうちょ)している、その訳は、彼が永い間偉そうに、そして意地悪くものを言うクセがついており、今吾々を目の前にして、吾々の落着き払った態度が他の連中のおどおどした態度とあまりに違うためにためらいを感じてしまったのです。
そうやって向かい合っていた時である。ボスの後方に1人の男が正門のところで会った守衛の服装の2人の男に捕らわれて紐で縛られているのが私の目に入った。蔭の中にいたので私は目を凝(こ)らして見た。何とそれはキャプテンだった。
私はとっさに勢いよく進み出てボスのそばを通り – 通りがかりにボスの剣に手を触れておいて – 2人の守衛の前まで行き「紐をほどいてその男を吾々に渡すのだ」と命じた。これを耳にしたボスは激怒して剣を抜き私に切りかかろうとした。が、すでにその剣からは硬度が抜き取られていた。
まるで水草のようにだらりと折れ曲がり、ボスは唖然としてそれを見つめている。自分の権威の最大の象徴だった剣が威力を奪われてしまったからである。もとより私自身は彼をからかうつもりは毛頭なかった。しかし他の者たち、すなわち彼の奴隷たちはボスの狼狽した様子にユーモアではなく悪意から出る滑稽さを見出したようだった。
岩蔭から嘲笑と侮りの笑い声がどっと沸きおこったのである。するとどうであろう。刀身が見る間に萎(しお)れ、朽ち果て、柄(つか)から落ちてしまった。ボスは手に残った柄を最後まで笑っている岩蔭の男をめがけて放り投げつけた。
その時私が守衛の方を向くと、2人はあわててキャプテンの紐をほどいて我々の方へ連れて来た。とたんにボスのカラ威張りの雰囲気が消え失せ、まず私に、それから私の仲間に向かって丁寧におじぎをした。その様子を見ても、このボスは邪悪性が善性へ向かえばいつの日か、吾らが父の偉大な僕となるべき人物である事が分かる。
「恐れ入った…」彼は神妙に言った。「あなた様は拙者より強大な力を自由に揮(ふる)えるお方のようじゃ。その事には拙者も潔(いさぎよ)くカブトを脱ごう。で、拙者と、この拙者に快く骨身を惜しまず尽くしてくれた忠実な臣下たちをどうなさるおつもりか、お教え願いたい」
いかにも神妙な態度を見せながらも、彼の言葉の至るところに拗(す)ねた悪意が顔をのぞかせる。この地獄の境涯ではそれが常なのである。全てが“見せかけ”なのである。奴隷の境遇を唯一の例外として…
そこで私は彼にこの度の使命を語って聞かせた。すると彼はまた“お上手”を言った。「これはこれは。あなた様がそれほどのお方とは存じ上げず、失礼を致した。そうと存じ上げておればもっと丁重にお迎え致しましたものを…
しかし、その償いに、これからはあなた様にご協力申し上げよう。さ、拙者に付いて参られたい。正門まで拙者が直々にご案内致そう。皆さんもどうぞ後に続かれたい」
そう言って彼は歩き始め、吾々もその後に続き、洞窟や仕事場をいくつも通り抜けて、吾々が鉱山に入って最初にたどり着いた大きな門へ通じる階段の手前にある小さな門のところまで来た。
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†
これは物質界のお話ではありませんよ、霊界上層界のお話ですよ。要するにイエス様側近の天使の方々がイエス様の導きの方向性を支持しているという意味でしょうが、それは別に当たり前の事であり、僕も霊団に対して怒り憎しみを表明してこそいますが、イエス様が間違っているとか主張するほど愚か者ではありません。僕の小我の感情が大局で見た時に間違っているのは火を見るより明らかな事であり語るまでもありませんので、このインスピレーションに対する反論などみじんもありません。ただムカつくムカつかないで言ったらムカつくんですよ。まだ当分この最悪の状況をやらされると思ったらどうしても頭にくるんですよ…続きを読む→
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†
僕はイエス様を裁きません。僕が地球圏霊界を離れます。僕は果てしなく霊的知識をお勉強していますが、地球圏以外の惑星についての記述がほとんどないため、地球圏霊界を離れると言っても具体的にどういう風にすればいいのかがまだ分かっていません。もっともその資格アリと判断されなければそのようにさせてもらえないのでしょうが。しかし、僕の物質界での苦悩が事実イエス様が原因だったとしても、僕は霊的知識が十分に頭に入っており、その苦悩が帰幽後の自分の未来を明るくする事につながると理解していますから、現在は物質界に残されて延々とヒドイ目に遭わされていますのでどうしても許せない気持ちが沸き上がってきますが、帰幽して苦悩から解放されれば霊団に対する怒り憎しみの気持ちもだいぶ和らぐでしょう。イエス様に怒りの矛先を向けるのも筋違いであり逆に感謝しなければならないと思い知らされる事でしょう…続きを読む→
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→