僕は法悦状態を媒介とした間接的なコミュニケーションにより、背後霊団の“意思”を僕なりにくみとり、それに従って地上における描画を終了する決断をし、読書と瞑想練習という生活に突入して現在に至っています。が、実は僕は既にその背後霊団の意思に4回反逆しています。つまり本を読むのをやめて絵に戻ろうとした訳です。
とはいえ僕は画家なので、自分の作品を描きたいと思うのはある意味当然の欲求なのですが、背後霊団が僕に絵をやめさせ、本を読むように仕向けているのは、人間の脳で考える“人知”ではなく、この地上人生を超越したより大きな視点に立った霊団から与えられる“叡知”によるものだと考え、それに従うことが、今は意味を理解できなくとも将来的にそれが自分にとって最適の選択肢だったことを得心する日がくると信じ、読書に没頭していた訳です。
しかし、僕に辛抱が足りずに何度も何度も絵に戻ろうとしてしまう訳です。今回はその4回目の“幼稚な反逆”の様子をちょっと紹介してみようと思います。
初期の旅立ちのメッセージを受け取ってから間もなく半年にもなろうとしています。その待ち期間があまりにも長く辛いので、僕は旅立ちを切望するようになっていました。しかし明けても暮れても旅立てず、毎日期待と落胆の繰り返しで僕はすっかりくさっていました。そしてついに耐え切れなくなって、僕は本をかなぐり捨てて衝動的に部屋を飛び出し、近所の低山に行ってシングルトラックをメッチャクチャに爆走していたのです。心の中で幼稚な叫び声を上げながら。
「いつですか!?いつになったらそちらに行けるんですか!?何でいつまでも本を読み続けなきゃいけないんですか!?何で“絵を描いたら負け”みたいな空気になってるんですか!?画家が絵描いてなにが悪いんですか!怠けたりふざけようとしてるんじゃないんです、一生懸命描こうとしてるんじゃないですか!どうしてなんですか!?もうー!!」とまぁこんな感じで…(恥)旅立てず、さらに絵というお気に入りのおもちゃを奪われてかんしゃくを起こした“だだっ子”のような状態だったのです。それはもう恥ずかしい限りの、幼稚極まる状態でした。
そして翌日には、もう本は読まない、絶対絵に戻ると完全に決心するまでになっていました。その決心と時を同じくして、7月8月頃に体験していた強烈な法悦状態が久々に僕の全身に降りかかってきたのです。ものすごく鼻がキィィィィンって!頭、体がフワァァァって!なるんです。僕はその素敵な法悦状態に喜びつつも、僕の人知による決断が元で背後霊団との連絡路が絶たれてしまうのではないかという不安を感じていました。でも僕の決心はやはり変わらず「僕はもう本は読みません!44作を描きます!もうこれ以上無理です!限界です!」と心の中で叫んでいました。
それからしばらくして心がリラックスした状態だった時、フッ…と「あ、やっぱ本読まなきゃ」という“ひらめき”のような考えが急に頭の中によぎったのです。「…って、あれ?あんなに固く決断したのに何で急にこんな考えが?」と思いながらも次の瞬間にはさらに「でもやっぱり読むべきだよなぁ」と考えたりするのです。その瞬間、僕は数年前に山で経験したある出来事を思い出したのです。僕はその頃、既にトレイルランを始めていて、山が大好きになって毎週山を駈け回っていたのです。そしてある山を全力で駆け下っていた時に、今回と同じような“ひらめき”があったのです。
それは、その時期抱えていたひとつの“問題”についてのひらめきでした。その時期、僕はある男性とある事業を起こそうとしていて、その計画が着々と進行している最中でした。僕はその事業の中で“デザイナー”として参加する予定になっていたのです。しかし僕は正直その男性に尊敬の念を感じることはできず、あまり長い付き合いにはならないだろうと考えていました。
そして山から帰宅後、山でのひらめきの通りにあるメールを書き、その男性に送信しました。すると、僕の方には男性を怒らせる意図など全くなかったのに、烈火の如く怒りまくった返信メールが帰ってきたのです。僕はそれに落ち着き払ってさらに返信し、あれよあれよという間に別れ話がまとまり、難なくその男性と縁を切ることができたのです。
そしてその時のメールのやり取りの中で、男性の心にひとつの“たくらみ”があることがわかったのです。もし僕がその男性と行動を共にしていたら、僕はデザインの仕事と全然関係ない重い荷物を背負わされ、身動きができない状態に陥る所だったのです。そして僕に重い荷物を丸投げして、その男性は全く別の分野に進出しようと考えていたようなのです。
本当に危うい所で背後霊団の導きに助けられた、という出来事が過去にあったのです。「君の道はそっちじゃないよ、こっちだよ」と、あの時言われていたと今になって得心するに至ったのでした。そして今回の「あ、やっぱ本読まなきゃ」というひらめきの様子が、この数年前の出来事の際に感じたひらめきとそっくりの感触だったのです。僕を正しい方向に導くために、僕の心に強烈にインスピレーションを吹き込んでくれたんだと思います。
そして、その日のうちに僕は再び以前の状態に戻って読書を始めていました。ついさっきまで僕は、完全に絵に戻る!44作を描く!もう本は片付ける!…と、そう固く固く決断していたのに。…それが、僕の心に指先でそっと触れられただけで、あっという間に回心してしまったのです。それこそパウロのように。
僕がとった幼稚な行動によって、僕自身が恥ずかしさでいたたまれなくなるのは当然の結果なのでそれはいいとして(恥)本当に、今まで何度も何度も素敵な現象に浴させてもらっていますが、今回も再び決定的な体験をさせてもらい、それによって大いに学び、自分の弱さを恥じ、背後霊団の広い心と優しさを感じ、さらにさらに様々な教訓を得させてもらったような気持ちです。学ぶことは本当に無限にあるのだと、そう感じずにはいられません。
この強烈な待ち期間の中で謙虚さを維持することは、今の僕の人間的成長度ではとても難しく、何度となく道を誤ってしまいます。その度にやさしく、かつ大局的視点に立って僕の未来の進歩、向上に最適な道を進ませようとあらゆる手を打ってくれている背後霊団のことを思うと…自分の未熟さを徹底的に痛感させられ情けなくて悲しい気持ちになりますが、これが今の僕の限界点なので、この恥ずかしさを全身に浴びてそのまま進むしかありません。。。
それにしても今回の体験で、あれほど強烈に絵に戻る決断をしたのに、あっという間に心変わりさせられてしまう、その霊団の“威力”とでも言えばいいのでしょうか(霊団側は“愛”と言ってくれと思うことでしょうが汗)を心底味わいました。本を果てしなく読み続けて、人間というものはそれ自体に創造的能力はなく、すべからくインスピレーションの受信装置でしかない、ということを知識としては知っていましたが、今回の経験でそれを徹底的に思い知らされた、そんな気がします。
つまり、僕は今まで自分のちからで絵を描いてきたと思ってきましたが、実際はそうではなく、創造的産物はすべて向こうが始原であり、人間はそれを良きにつけ悪しきにつけ受信して表現しているに過ぎない…ということを完全に得心した…そんな体験でした。
人間にはある一定範囲内での自由意志がある、僕は本でそのように勉強しています。しかし今回の体験で、僕は心まで背後霊団に牛耳られているのかも知れない、という考えも浮かんでくるのです。人間には本当の意味での“自由意志”はないのではないか…そんな風に思っちゃったりもするんです。(もっとも、導きを拒絶するという自由はあるでしょうが笑)でも僕はそれに対して別に不快感は感じません。僕にとって良かれと思える方向に導いてくださってる訳です。この気持ちを何と表現すればいいのでしょう…。“心地よい降伏”…とでも言えばいいのでしょうか。そんな心境なんです☆
ってな訳で、本当に早くそちら行きの高速船をこちらに到着させてくださいよ。何もかもかなぐり捨てて乗船しちゃいますよ。お願いしますよ、ホントにもう(切望)…久々の高レベル法悦状態に喜びつつ、何とか読書を続けている…たきざわ彰人でしたm(_ _)m(祈☆)
■2012年11月20日にUPしたブログ「幼稚な反逆の果てに」
■2014年5月21日にUPしたブログ「“パウロの如く”再びの回心インスピレーション」
これまで果てしなくツイートしてきましたが、交霊会開催に必要なサークルメンバーを集めるための“最後のカード”を普及会のお二人に投げ、それがまさかまさか空を切り、その直後に「ターン!」という超超超超超鮮明な声(たぶん守護霊様のお声だと思います)が霊聴に響き、さらに帰幽カウントダウンのインスピレーションを受取った事で、これにて僕の地上での“霊的知識普及の使命遂行”が終了し、ようやく、ようやく待ちに待った“帰幽”が実行に移され、地上を離れる事ができると(複雑な思いを抱えつつも)僕の心は喜び跳ねるのでした。
そして帰幽当日「今日こそ、今日こそ、帰幽を実行に移して頂きますよ。頼みますよ」と霊団の方々に念押しするような思念を送りつつ、登山道入口に止めた車にお別れを言って日の出3時間前の暗黒の樹林帯に向けてスタートしたのでした。ヘッドライト、ハンドライトで闇を切り裂きながらガンガンスピードを上げて進んでいく。僕のアタックはいつも“往復コース”を取っているので、前半の往路は闇の中を進み、後半の復路は明るくなってからさっき辿った道を戻ってゴールする、という形になります。
その往路を進む最中、僕の頭を支配するのは帰幽にまつわる思考で、どういう帰幽方法になるのか、帰幽後に僕が書き残したブログ、ツイッターはどうなるのか、結局僕が撃ちまくったテキストは誰にも信じられず、チリと消えていくのか、ま、でもそんな地上的評価に用はない、霊的評価こそ真実の評価なのだから、地上の人々にインチキ呼ばわりされようとも霊界の方々は僕の正しい姿を理解して下さってるのだから気にとめる必要もない…こんな感じの考えがひたすら頭の中でよぎりまくるのでした。
そしていよいよ日の出が近づき空が白み始めた頃、少し雪が残るゴツゴツした岩場を手も使って上るようなセクションに差し掛かっていました。その時、目の前の木の枝が二重に見え「はっ!これは以前、霊関連書籍を読みまくってた時に良く起こった現象だ、霊体の目が発動してるんだ」と瞬間的に理解し、さらに、明らかに霊体が肉体から半分離脱してるようなフワフワした浮揚感、2012年夏頃に最も浴させて頂いていた“法悦状態”にも似た感覚が走るのでした。
僕は心拍を上げてガンガン岩場を上りながら「来るのか!?今日なのか?ビンゴなのか?ならカモン!帰幽カモン!いっちゃって下さい!いつでもやっちゃって下さい!」と、最高に疲労感に包まれつつも顔には思わず笑みがこぼれ、霊団の方々に向かって“帰幽実行お願いします”と思念を送り続けるのでした。このまま意識が遠のいて岩場に倒れ、肉体から抜けて帰幽完了、となるのか?などと、この時の僕の頭の中は完全に“帰幽”に関する思考で占領されていて、他の考えなど一切なかったのです。
ところが!次の瞬間、数日前に“ある男性から頂いたメール”に関する思考がなぜか!なぜか!急に頭の中に飛び込んできたのです!えー、軽く説明しますと、そのメールというのは、帰幽カウントダウンのインスピレーションを受取った翌日に送られてきたものなのですが、僕の本心、願望はあくまでも帰幽最優先ですから、もう帰幽が目の前に迫っているのにそのメールに返信とかしてそちらで時間や手間がかかってしまったら帰幽が遅らされてしまう、それに最後のカード、普及会の方々に背を向けられた時点で“これで終った”という気持を強く抱いていた事もあり、僕はその“ある男性から頂いたメール”に返信せずに帰幽当日の山へのアタックに出かけた…という事だったのです。
その時の僕はまさに帰幽寸前ともいえる状況で、頭の中にそのメールに関する考えなど1ミリも無かったはずなのに、何の前ぶれもなくいきなり僕の頭の中にその考えが飛び込んできたのです。そしてつい数秒前まで僕の頭の中を占領していた帰幽に関する考えがひとつ、またひとつと消えていき、その消えたスペースをメールに関する考えが取って代わって占領して行き、ホンの数秒の間に僕の頭の中はその“ある男性から頂いたメール”の事でいっぱいになってしまったのでした。
「なっ、何だこれは!?何でいきなりあのメールの事で頭がいっぱいになっちゃったんだ!?考えてもなかったのに…」僕は息を切らしながら自分の心の動きを必死に追っていました。そして瞬間的にひらめいたのでした。「あぁっ!これは“パウロ戦法”だ!」と。えー、これについて、まずは僕の2012年11月のブログ「幼稚な反逆の果てに」をぜひご覧頂きたいと思うのですが、この時の僕の状況はこの過去ブログにて書いた状況と全く同じだったのです。霊関連書籍に親しんでおられる方ならお分かりの事と思いますが、霊界の人々は、インスピレーションによって地上の人間の思考をかなりの程度まで操作できるのです。
つまりこういう事です。僕が帰幽寸前とも言える状況に突入していたその時に、霊団から“そのメールに対応しなさい、帰幽はその成否が判明してからです”という強烈なるインスピレーションを受取り、ホンの数秒で一気に頭の中、心の中を“書き換えられてしまった”という訳です。ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも“僕の心に指先でそっと触れられただけで、あっという間に回心してしまったのです。それこそパウロのように”と書きましたが、僕は遠くに見える雪が残った山々を眺めながら「またしても、またしても、何という威力なのですか!」と霊団の方々に向けて心の中で叫んだのでした。
その時の僕の頭の中の動きを良く表す表現として“オセロ”を思い浮かべて頂きたいのです。盤面は1コマを残して全て黒で埋め尽されてます。その残った最後の1コマに白が置かれると、その白を中心として黒が次々とピラピラめくれて白に変っていき、それがどんどん外に広がっていってさらに黒がピラピラめくれていって、ついに盤面全体が白で埋め尽くされてしまった…こんなイメージなのです。
その後、空はすっかり明るくなり復路に突入したのですが、僕の頭の中から帰幽に関する思考が完全に消え去り、“ある男性から頂いたメール”の事でいっぱいになっていて、どう返信しようかとか、実際にその男性とお会いするとしたらこんな風にお話が進むのではないかとか、そんな事ばかり考えるようになっていたのです。そしてさらにもうひとつ、数日前にツイートした内容に僕の“勘違い”があった事を理解したのでした。それに関するツイートがこちらです↓
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今日の幽体離脱、(文字数節約の為)“姫の霊団”と呼ばせて頂きますが、その方々が僕の所に来て下さって離脱中の演出をしてくれたのですが、どうにもいつもと“空気”が違い、僕はずっと違和感を感じていたのです。僕がそんな事する訳ないでしょ、とか僕がそんな言い訳する訳ないでしょ、と自分で→
→自分に突っ込みたくなるような言動を僕はしてたのです。肉体に帰還後「おっかしいよなぁ~」とずっと首を傾げてました。で、今回、姫の霊団の方々が来て下さった理由は分ってるのです。僕を心配しての事だったのですが「皆様、心配して来て下さって本当に感謝なのですが、大変、大変申し訳ないの→
→ですが、どうか、どうか、お引取り下さい…」と僕は目を閉じてトランスを維持したまま何度も姫の霊団の方々に思念を送り続けたのでした。すると「もう少し頑張れ」という声が霊聴に響き、誰か分らなかったので姫の霊団の方々かもと思い「ノンノン、帰幽は僕の霊団によって既に決定してますので、→
→お気持は有難いのですが、どうか今日はお引取り下さい…」と何度も思念を返すのでした。姫および姫の霊団の方々、心配して頂いて感謝です。ただ、またしても帰幽が延期になりそうなダークゾーンの気配を感じてますが一応カウントダウンに従えば間もなく決行です。帰幽を最優先にさせて下さい(祈)
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この時、明らかに僕の霊団とは違う“外部の者”が絡んでいたため、僕の判断に狂いが生じてしまっていたようなのです。この時僕が霊聴にて聞いた「もう少し頑張れ」の言葉を、僕はその“外部の者”からの言葉と判断してしまっていたのです。しかし今回の強烈なる!強烈なる!回心インスピレーションを受けて「あ、あのお言葉は僕の霊団からのものだったんだ」と自分の誤りに気付いたのでした。つまりこういう事です。小インスピレーションで僕が誤った理解をしてしまったので、今度は大インスピレーションを送って正しく理解させた、という事です。もう少し頑張れ、つまりそのメールに対応しなさい、というメッセージだった訳です。
往路を進んでいた時は“帰幽”の事で頭がいっぱいだったのに、復路を進んでいる今は帰幽に関する考えが頭から完全に消えてしまっていて“ある男性に頂いたメール”と、帰ってからこのブログをどう書こうかと考えるので頭がいっぱいになっていたのでした。「往路と復路で完全に別人格じゃないですか!どっちが僕ですか!そこまで書き換えますか!ホントに…何たる霊力!!!何たる威力!!!」ハイスピードで樹林帯を切り裂きながら僕は心の中で何度も叫ぶのでした。
今回、帰幽目前の僕に向けて霊団から送られた、強烈なる!壮絶なる!インスピレーションによって、僕はまたしても“コロッ”と回心させられてしまったのでした。えー、こういう表現はどうかとも思うのですが、僕は知識としてではなく経験として体得してしまっていますので、あえて言わせて頂きます。地上の人間というものは完全に霊界の方々の“あやつり人形”であると。僕の霊体には、霊界にある霊質で出来た超超超超超高性能PCから伸びたUSBがガッチリ刺さっていて、そのPCを操作する者(イエス様かも知れません)の意のままに操られている…もうそんな絵さえ浮かんでくるのです。。。誤解を恐れずあえて言うならば、僕たち地上人には“自由意志”は無いのかも知れません。まぁ、導きを拒絶する自由はあるでしょうが。。。
…うー、今回の山へのアタックは↓
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■往路→帰幽
■復路→メール対応
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みたいな感じで、頭の中が完全に切替わってしまった…という訳です。そしてゴールに向けて進んでいる時、複数の人々との出会いがあったのですが、これは霊的事象とは関係ないものかも知れませんが“全ての事に意味がある”という霊的知識に照らせば、この出会いも霊団側の霊的演出だったのかも知れない…という思いもありますので一応軽く紹介させて頂きます。
まずトレラン風のウェアに身を包んだ外国の男性との出会いがありました。その男性がカタコトの日本語で話しかけてくれたので、僕はその男性に分りやすいように難しい日本語は使わず、身振り手振りを交えながらゆっくり説明したのでした。すると「ワカルワカル」と返してきてくれて話がどんどん進んでいき、僕も男性もすっかり笑顔になっていたのでした。その外国の男性はよほど喜んでくれたのか別れ際に僕のウェアを褒めてくれて、僕も楽しい気分に包まれつつ調子に乗って「僕はいつもオレンジなの」と返してお互い笑い、山での再会を約束して爽やかな気持で別れたのでした。
さらに進むと今度は数人の先生に引率された子供たちの行列(50人はいたでしょうか)に遭遇し、ゴールの駐車場に向けて下る僕が通れるようにみんなが道を空けてくれるのでした。すれ違い際に子供たちが「こんちはー、こんちはー」と声をかけてくれたので僕も「ありがとねー」とか返しつつ楽しい気持に包まれ進み、何の気なしに「何年生?」とか聞くと女の子が「中1♪」とか可愛く答えてくれたので僕はまたしてもすっかり笑顔になって「アラそうなの♪」とか返し、子供たちと爽やかな気分で別れたのでした。
僕は笑顔で下りながら「ついさっきまで最高レベルに帰幽カモンだったのに何でこんな気分になっちゃってるんだ!?」と自分で自分に突っ込みまくりつつ、大きな疲労感に包まれながらも心は爽快感に満ちて、帰幽を逃してガッカリのはずなのに何とも楽しい気持でゴールしてしまったのでした。。。この出会いについては霊的なものとは全く関係ないのかも知れません。しかし、しかし、「帰幽は必ずできるのだから元気をお出しなさい…」と、イエス様そして霊団の方々にそう言われてるような、何となくそんな気がしてならないのでした…。
…はい。という訳で、最後のカードが空を切ったにもかかわらず、再びの強烈なる回心インスピレーションの威力によって、僕はまたしても帰幽延期させられて地上に取り残されてしまった…という事なのです。現在“ある男性から頂いたメール”の返信内容を検討中。このメール対応の成否(このメールを送って下さった男性およびその関係者がサークルメンバーとなってくれるかくれないか)によって、“霊的知識普及の使命続行”か“帰幽”かが決まる、といった状況です。うー、正直難しいと思ってますが、とは言えこれだけ強烈なるインスピレーションを受けて“そのメールに対応せよ”と言われちゃってますので、やるだけはやってみるつもりです。さ、どうなるのでしょうか…(祈)
■2014年4月23日にUPしたブログ「人形たちの住む村」
はい。今回のブログは数日前に僕がツイートした内容に関係がありますので、まずはそのツイートをご覧下さい↓
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事情があり詳細説明できないのですが今日の幽体離脱にて僕が最高レベルに嫌がってる“ある道具”のイメージが延々降り続けるという状況に突入し、帰還後、トランスを維持しながら僕は猛烈な怒りに包まれてしまうのでした。実はこれまでその“ある道具”のイメージが何十回も降って来てます。→
→そのたびに僕は激しく怒り「次それを降らせたら攻撃とみなします!」と霊団側に宣言までしてるのですが、それでもまだこうして降らせてくるのです。その“ある道具”の意味は“何とか現状に留まって使命遂行して欲しい”という霊団のご意思の表れである事は分ってるのですが、僕は現状に→
→留まる事を最高に拒絶してます。どうしても嫌な理由があるのです。しかし霊団側はサークルメンバーが集まらないにも拘らず何としても僕をこの環境に閉じ込めようとするのです。この“ある道具”のイメージを延々僕に降らせる手法には本当に頭にきてます。なぜもっと工夫を凝らさないのか(祈)
昨日“ある道具”のイメージが降りまくった事に激しく怒り「なぜもっと工夫を凝らさないのか」と霊団に対して怒りを表明しました。と今日の幽体離脱にて“工夫を凝らした”メッセージを受取らせて頂きました。とても急いで準備したような雰囲気で、その内容は過去ブログ「青いグミと赤いグミ」と→
→同様の強烈なメッセージ性を帯びたものでした。今回のメッセージ映像はブログに書くべきと思いますので何とか書いてみます。今回僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えて頂いて霊団の方々には感謝なのですが“ある道具”のイメージをノーアイデアで延々降らせるのだけは本当にやめて頂きたいです(祈)
今日の幽体離脱で受取らせて頂いたメッセージ映像、僕は十分“効き目”があると思うんです。僕が拒絶する“ある道具”のイメージを延々降らせるよりどれだけ霊団および僕にとって有意義な仕事ができる事か。あなた方があのインスピレーションを僕に送り続ける“真意”は分ってますとも!だから→
→デザインの仕事にいくらでも転職できるのに現状に何とか踏み留まってるんじゃないですか!僕だって自分が背負った使命の重大性は理解してますよ!今回のようにお互い工夫し協調して霊的仕事をしましょうよ。僕も全力で受取り解釈させて頂きますよ。お互い最善の手法で使命遂行しましょうよ(祈)
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…とまぁこんな感じで、僕がずっと拒絶している“ある道具”のイメージがひたすら降ってくる事に僕は猛烈に怒りを感じていた訳ですが、僕が霊団の方々に向けてもらした“なぜもっと工夫を凝らさないのか”という言葉を霊団側が大急ぎで実行して下さり、その日の夜の幽体離脱にて、今まであまり見た事のない印象深い映像を見させて頂く事となったのです。今回はその“ストーリー”を僕なりの表現でブログに書かせて頂こうと思います↓
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『人形たちの住む村』
江戸時代の日本でしょうか、平屋建ての建物がポツポツと建つ小さな村がありました。暮らす人は少ないのですが、その村には至るところに「人形」がありました。どれも純和風な可愛らしい人形たちです。その人形たちはみな、この村に暮している「人形職人」の手によって作られたものなのです。人形職人は人形たちをとても愛していて、次から次へと人形を制作し、村の中は次第に人形でいっぱいになるのでした。
そんな中、赤い和服をまとった長髪の少女がいました。この少女は人形に“魂”を吹き込む能力をもっていて、その能力を駆使して人形職人の作った可愛らしい人形たちに命を与えようと考えました。人形職人はそれを知って大いに喜び、ぜひやって欲しいと少女にお願いするのでした。
しかし小さな村にはあっという間にこの話題が広まり「そんな事はさせるものか」と役人が人形職人のところへ押しかけてきて、職人の手から人形を奪おうとするのです。人形職人は自分の愛する人形を身を挺して守ります。しかし結局人形は奪われ、職人も連行されてしまうのでした。そして赤い和服の少女も同様に役人に捕まってしまうのでした。
※補足。過去幾世紀、霊能者、霊覚者は真理を説きながらも民衆に理解されず糾弾され、非業の死を遂げるという歴史を繰返してきました。この、人形職人と赤い和服の少女が連行されてしまうという描写に、僕は同じ意味性を感じたのでした。過去の日本においてもこういう事が実際に起こっていたのかも知れません。現代の日本においてはこういう悲劇が繰返されずにすむ事を祈らずにはいられませんが…。
その後、村中の人形を焼いて無くすという法が施行され、人形職人がこれまで作ってきた人形が村の隅々まで徹底的に探し出されて一ヶ所に集められました。そこは、薪を高く積み上げた周りに円形のひな壇のようなものが置かれた場所、いわゆる「人形焼却場」で、人形たちはそのひな壇に立てかけられました。そしてついに中央の薪に火がくべられ、炎は徐々に大きくなっていきます。
その様子を人形職人と赤い和服の少女が遠くから見つめています。自分の愛する人形たちが今にも焼かれようとしている…しかしふたりはどうする事もできず、ただ息をのんで見つめるしかありません。そして炎はさらに大きさを増し、いよいよ人形たちが立てかけられているひな壇に迫ってきました。炎が揺らめき、今にも人形に届きそうになった次の瞬間…。
突然、一陣の風が人形焼却場に吹き、まるでろうそくの火をフッと吹き消すかのように、いとも簡単に巨大な炎を一瞬で消し去ってしまったのでした。遠くから現場の様子を見つめていた人形職人と赤い和服の少女は、愛する人形たちが間一髪のところで助けられた事に「神風だ」とでも言わんばかりに喜び跳ねるのでした。
しかし…寸前のところで救われたその人形たちは、ついさっきまで自分に危機が迫っていた事も何も理解していない様子で、ひな壇に立てかけられながら、ひとことも発せず、ただただ虚空を見つめるのでした…。
END
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…はい。いかがだったでしょうか。読む人それぞれに感じ方があるとは思いますが、誰しもこのストーリーに“重いもの”を感じたのではないでしょうか。僕はこれまで、ありとあらゆる“ストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてますが、今回のこのストーリーは何とも言えぬ“もの悲しさ”、“やり切れなさ”を感じるものでした。
ま、ここは僕のブログですので一応僕の所感を述べさせて頂きますが、僕はこのストーリーの“人形たち”は、過去ブログ「青いグミと赤いグミ」の中の“青いグミ”と同じポジションだと理解しました。青いグミたちは、地上の試練(大風)に立向かう事ができずにポロポロとロケットブースターの上から脱落していきました。そして今回の人形たちは、霊的事象に全く感応しない“大多数の地上の人間たち”を表しているのではないか…僕はそう思った訳です。
人形職人や赤い和服の少女、このキャラクターはいわゆる使命を帯びて地上に降下した人たち(僕は使命を帯びてませんでしたがイエス様にほぼ勅命のような形で突然に使命遂行する事になってしまったのですが…)を広義の意味で表し、民衆に対して、地上生活の中で最も大切な“霊的なもの”へ関心を向けさせるべく活動をするものの様々な抵抗に遭い、その活動が頓挫寸前にまで陥るのですが、間一髪で高級霊からの援助(神風)を得て危機を脱する…そんな意味を感じたのでした。
しかし、使命を帯びた人たちが民衆の心を開かせようと忍耐強く活動を続け、霊界の高級霊の方々もありとあらゆる援助を“霊的方法で”施しているのですが、地上の大多数の人々は悲しいまでにその事情、高級霊の方々の愛から発する心を砕いた活動に気付く事なく、自分の身の回りで展開している霊的現実に全く目を向ける事も無く、あさっての方ばかり見つめている…炎の危機から救ってもらっても何の反応も示さず虚空を見つめる人形たちは、きっとこういう意味だと思うんです。皆さんはどんな風に感じたでしょうか?
今回このような、僕の幼稚な怒りと要求に即座に答えるという形で霊団側がとても印象深いストーリーを提示して下さいました。このリアクションスピードを逆説的に解釈すれば、霊団側の“使命遂行に向けた必死さ”そして“何としてもサークルメンバーを集めて交霊会を開催する”という強烈なるご意思を表すものであると理解できます。そして実は、この翌日にもちょっとした“ショートストーリー”を幽体離脱にて受取らせて頂いてます。せっかくですのでそちらの方も軽く紹介してみようと思います↓
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このショートストーリーは僕が登場します。僕はいつものように山へアタックし、心拍を上げながらガンガン標高を上げていきます。そして標高2500m付近に到達した僕は、空を見上げ手を広げ、天空(霊団)から降ってくる膨大な量のメッセージを猛烈に身に浴びるのでした。
僕は受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えようとします。しかしその“伝える手段(サークルメンバー)”は遠くに見える山の標高3000m付近にいて、現在僕がいる2500mのポイントからはルートが違っていてそこに到達できません。僕は仕方なく下山し、翌日に、昨日到達できなかった3000m付近のポイントに辿り着けるルートを選択して上り始め、再び2500mまで標高を上げて降ってくるメッセージを身に浴びるのでした。
あとはその僕が受取ったメッセージを地上(日本)の人々に伝えるだけです。が、何と昨日3000m付近にいた“伝える手段(サークルメンバー)”の人たちも移動していて、現在はまた違う山域の3000m付近にいたのです。現在僕がいる場所からそのポイントに行くにはまた下山せねばなりません。僕はガックリと肩を落としながら下山し、翌日に再び標高を上げ、再びメッセージを受取り、再び3000m付近の人々のところに行けず…という状況が何日も続くのでした…
END
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はい。このショートストーリーは分りやすいですよね。背後霊団は僕を霊媒(道具)として使用する準備が整い、僕は道具として使用される準備が整っているのですが、外的要因(サークルメンバー)だけが整わず、どうしても交霊会を開催する事ができない、霊言を地上に降らせる準備はすっかり整っているのに、あと一歩のところでどうしても地上に霊言をもたらす事ができずにいる、という意味だとすぐに分りますよね。
えー、僕のブログ、ツイッターをどれだけの日本の方が真剣味をもって読んで下さってるかは正直分らないのですが、今回紹介させて頂いたストーリー『人形たちの住む村』に内封されたメッセージ性は、きっと皆さんの心に、それぞれそれなりの形で響いたのではないか…僕はそう願わずにはいられません。ブログ、ツイッター、さらには音声(MP3)にて果てしなく!果てしなく!説明させて頂いてますが、僕を“ダブルデジタル霊媒”として交霊会を開く事の重大性、日本に最新の霊言が日本語で降ってくる事の重大性、どうか、どうか、皆さんにもう一度お考え頂きたいのです。
日本人の皆さん。この、日本が霊的に進歩向上する千載一遇のチャンスを決して無駄にしてはいけないと、ここに改めて宣言させて頂きます。僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになる事に興味、関心を抱きつつも決めあぐねている方がいましたら、その方に向けて僕からこの言葉を贈らせて頂きます。「どうか勇気をもって立ち上がって欲しい」と。あなたのその“勇気”が、ひいては日本を霊的に救う事になるからです。今回僕が紹介させて頂いたストーリーの“意味”を、ぜひ噛みしめてじっくりと読み込んで頂きたいと思います(祈)
■2014年5月1日にUPしたブログ「“最後のカード”普及会の皆様へ」
※このブログは、スピリチュアリズム普及会の方々にサークルメンバーのお誘いをかけた手紙の内容をそのまま紹介したものです。途中いくつか伏せ字がありますが手紙では伏せ字なしで全て記載しています。これが交霊会開催に向けて僕が切る、正真正銘の最後のカードであり、このカードが普及会の方々の心に届かなければ、僕の帰幽が決定し、僕はようやく地上から離れる事ができる、という事になります。では普及会以外の方もご覧下さい↓
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スピリチュアリズム普及会の皆様へ
普及会の皆様、はじめまして。
僕は元画家、山を愛する霊覚者の、たきざわ彰人(あきと)と申します。
普及会の中のどなたかが僕のブログ、ツイッターを見て下さっている事、その方が僕の現在の霊的状況をある程度理解して下さっている事を願ってやみません。今回、普及会の方々にぜひお力をお借りしたくこのようなテキストを撃たせて頂いたのですが、どこからどう説明してよいのやら悩みます。えー、まずは僕のツイッターのプロフィールのテキストをここに転載させて頂きます↓
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元画家、山を愛する霊覚者です。果てしない山へのアタック及び高負荷の作品描画によって霊性発現となりました。イエス様の怒涛の連続顕現に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命を遂行してきました。僕という通路から現代の地上にもう少しで新たな霊言が降るところでしたが、残念ながら霊媒発動とはなりませんでした(祈)
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はい。僕の現在の状況を簡単に説明すると上記の通りなのですが、シルバーバーチ等の書籍の内容を果てしなくWeb上に掲載し続けておられる普及会の方々なら、きっと僕の“依頼”の意味を正しく理解して下さると信じ、単刀直入に言わせて頂きます。
僕の背後霊団は、僕の口と手を使って、音声とテキストの2種類の新時代の霊言を日本に降らせる準備がすっかり整っています。僕も“霊の道具(霊媒)”として霊団の方々に使われる準備がすっかり整っています。あとは“サークルメンバー”さえ集まれば、かのシルバーバーチ霊の時のように“交霊会”を開催する事ができ、僕という通路から最新の、いわば“次世代のシルバーバーチの霊訓”とも言える内容の霊言が日本語で降ってくるのです。普及会の方々には、その“サークルメンバー”になって頂けないでしょうか?という僕からのお願いなのです。
これまで僕は可能性のある様々な方々にサークルメンバーへのお誘いをかけてきましたが、ことごとく、ことごとく断られ、背を向けられ、無視され、時には非難、侮蔑を浴び、さらには幽体離脱中にあらぬ方向に誘われる…なんて事もありました。このままでは霊団側の準備が整っているにもかかわらず、その準備が無に帰してしまう事になります。普及会の方々にはどうか、どうか、この日本にとっての最大級の“霊的ビッグチャンス”を無駄にする事のないよう、ぜひとも交霊会のサークルメンバーとしてご参加頂き、僕を助けるのではなく、イエス様をはじめとした霊界の方々の悲願を達成する手助けをして頂きたいと思うのです。
では詳細説明の前に、この「交霊会開催外略図」をご覧下さい。
はい。まず、何をどう説明しても信じてはもらえないでしょうが、現在、かのシルバーバーチ霊の霊媒、英国紳士のモーリス・バーバネル氏が僕の支配霊として付いて下さっています。書籍で紹介されている老齢のバーバネル氏のお顔ではなく、現在の霊界でのキリッとした若々しいお顔をインスピレーションにて拝させて頂いています。
そのバーバネル氏が、かつてシルバーバーチ霊が座っていた“霊界の霊媒”のポジションにつき、僕と融合して僕の口を使って霊言を語られますが、普及会の方々ももちろんご存知の通り、語って下さるのはバーバネル氏ですが、語られる内容はバーバネル氏のものではありません。その、バーバネル氏を使って語る高級霊の方々の中に、イエス様もおられる、そしてもしかしたらイエス様が僕たち日本人に直接日本語で語りかけて下さるかも知れない、と僕は予測しています。
そして僕の手は、バーバネル氏とはまた別の霊の方がエーテル質の青い光線を駆使して僕の指を操り、超高速でキーボードを撃つ事になります。その方がどなたであるか、現時点で詳細なメッセージは受取っていませんが、いつかインスピレーションにてお会いできる日も来る事でしょう。
僕がどのように霊性発現し、画家のはずの僕がなぜこうして“霊の道具”として仕事をする事になったのか…それについてはここでの詳細説明は控えさせて頂きます。いつかお暇な時間ができましたら僕のブログを読んで頂ければそれで十分と思いますし、今回の“お誘い”が脇道にそれてしまいますので。
普及会の皆様はこれまで骨身を削ってスピリチュアリズム普及のために日々精進の限りを尽してこられた方々であり、僕などという宗教的活動と全く無縁なデザインの世界で暮してきた画家がとても意見など言えるはずもないのですが、この交霊会を可能な限り“毎週”続ける事で、過去のスピリチュアリズム勃興の時以来の膨大な量の霊言を地上(日本)にもたらす事ができる、という霊的現実をどうか正しく理解して頂きたいと思うのです。
手で撃たれたテキストは、交霊会が終了して僕がトランスから回復したと同時にテキストファイル(.txt)として保存しますし、録音された音声も、同時にMP3ファイルとして保存します。過去のスピリチュアリズム勃興の時と違い、2種類の全く趣の異なる霊言が僕というたったひとつの小さな通路からもたらされ、即座にデジタルデータとして保存されるのです。
そして、この僕という通路からもたらされたふたつの霊言は僕のものではありません。僕はこのふたつのデジタル霊言データの元データ(降ってきたまま、一切加工していないテキストおよび音声ファイル)を全て普及会の皆様に提供致します。普及会の方々と僕の双方で元データを保有し、できるだけ多くの日本の方々に広めるべく僕もブログにUPしますし、普及会の皆様にも自由にお使い頂きたいと思うのです。
そして僕という通路から降ってきた新時代の霊言を見た、聞いた方々が、それぞれに自由意志を行使してさらに別方向に広めたり、あるいは各国語に翻訳して海外に紹介したり、さらには音声の霊言をテキスト起こしして下さる方も現れるかも知れません。中には良からぬ方向に利用する輩も現れるかも知れませんが、それも全て因果律に委ね、自己責任において広められるだけ広めるべきでは、と僕は考えています。そういう意味も込めて、全ての元データを普及会の皆様にお渡し致します。
そしてもうひとつ具体的なお話ですが、交霊会開催の場所として僕は過去ブログにて「横浜(関内)にあるレンタルスペース」を利用すると書いていますが、もし普及会の皆様がサークルメンバーになって頂けるという事であれば、皆様に横浜まで毎週ご足労させる訳にはいきませんので、僕が毎週そちら(○○県)の方に通わせて頂く事も考えています。
先ほど計算をしましたら、毎週高速道路で普及会の皆様のところに通うと、ギリギリの生活をしている僕にはかなり厳しい交通費の数字がはじき出されてしまいましたが、神のご意思を地上にもたらす霊媒の仕事をするために通う訳ですから、シルバーバーチ霊もおっしゃっているように、きっと物的必需品は何とかなる、という霊界の導きを信じて通い続けるしかないのでしょうね。。。
さらに交霊会の開催の曜日、時間についてですが、僕の希望としては一応「毎週○○○の○○○:○○開催」を希望していますが、この件については普及会の皆様がサークルメンバーになる事を承諾して下さったのちに改めてお話させて頂こうと思います。曜日の変更は対応可能ですが、できれば開催時間は○○○を希望しています。
えー、語りたい事はまだまだ山のようにあるのですが、詳しくは僕のブログ、ツイッターをご覧頂くとして、まずは普及会の方々に、僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになって頂きたくこのような内容を書かせて頂きました。サークルメンバーが集まらない事には一歩も前に進めないのです。そして僕は2012年12月16日をもって帰幽完了していたはずの男であり、霊的知識普及の使命遂行のために地上に引き止められている身なのです。サークルメンバーが集まらず、交霊会が開催されなければ、いよいよ僕の帰幽が実行に移され、僕は地上を去る事になってしまいます。
それでは日本に最新の霊言がもたらされるチャンスが無に帰してしまう事になります。普及会の皆様。乱筆で大変申し訳ありませんが、どうか、どうか、僕からのお願い、日本の霊的未来、ひいては世界の霊的未来のために、サークルメンバーとなる事を真剣味をもってご一考頂きたいと思います。これが僕が切る最後のカードです。もうこれ以上サークルメンバーを集めるアイデアはありません。このカードが皆様の心に届かなければ、僕の地上での使命は終了します。
では、普及会の皆様、僕のブログにコメントという形でも、僕のツイッターのアカウント(@Akito_Takizawa)にダイレクトメッセージという形でも、下記のメールアドレスに返信という形でも、どういう形でも構いませんのでご返事を頂けたらと思います。宜しく御願い致します。
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たきざわ彰人
○○○○○○@○○○
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※…はい。という内容の手紙を普及会の方々に向けて送付しました。交霊会開催か、それとも帰幽か。この最後のカード、結果やいかに…(祈)
■2014年2月27日にUPしたブログ「再びの“帰幽”メッセージ」
背後霊団側の準備はすっかり整い、僕の準備もだいたい整い、あとは外的要因“サークルメンバー”さえ集まれば即!霊媒現象発動!というところまで迫っている状況の中、全く使いものにならない実母、長男を排除した形で何とかメンバーを集められないかと、チカラの限りあの手この手を尽してきました。しかし最終的にはメンバーになる事を立候補してくれた“たいじゅさん”ただひとりの参加、という事になってしまい、やむなく僕はたいじゅさんと2人で交霊会を“強行開催”する事を心に決めたのでした。
この“たいじゅさんと2人で強行開催する”事を心に決めた時期は、交霊会開催ちょうど1週間前だったのですが、この決断以降に霊団から降ってきた“メッセージ”が明らかに今までとは違う様相を呈していたのでした。今まで、この重大極まる使命遂行に関わる、いわば“重い”メッセージがたくさん降ってきていたのに、この決断以降に降ってきた幽体離脱およびインスピレーションによるメッセージは、特にこれと言ってメッセージ性のない、使命の重大性とあまりに不釣合な“軽い”ものばかりになっていったのです。僕は不思議で仕方ありませんでした。
「なぜなんだ?これから重大極まる交霊会が始まるというのに、この“肩すかし”みたいなメッセージの群れは一体何なんだ?」僕は何度も首を傾げるのでした。そして、この“軽い”メッセージの象徴ともいえるのが、津波で帰幽したと思われる女の子「野川萌ちゃん」との幽体離脱での出会いだと思います。萌ちゃんには申し訳ないのですが、萌ちゃんは僕の霊的使命と何の関係もない女の子です。その萌ちゃんとの出会いがなぜこんな重大極まるタイミングで演出されたのか?まずはその時の内容のツイートをご覧下さい↓
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もう交霊会の準備に際して霊団から“ああしなさい”的なメッセージは一切降って来ません。霊団も僕も準備完了、といった所でしょうか。今日の幽体離脱もメッセージ性は一切無かったのですが大勢の人々と出会いました。その中で「野川萌ちゃん」というショートヘアで細身の女の子と随分長い時間→
→行動を共にしてました。どうやらその女の子は津波で他界したようで、津波に関わるイメージを沢山見ました。そして萌ちゃんは歌とダンスが大好きで、僕と一緒に歩きながらほんわかな歌を口ずさむのでした。景色の話になり、僕が遠くの山を指して「ホラ、アレだよ」と言うのですが萌ちゃんには→
→遠くの山は見えず手前の山しか見えてなかったようです「ベールの彼方の生活」に似たシーンが紹介されてますので読んで頂きたいです。そして幽体離脱から帰還後、トランスを維持してると「すっごく幸せ」と言う女の子の声が霊聴に響きました。萌ちゃんの声かな?こちらこそ嬉しかったです(祈)
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萌ちゃんは小学校高学年くらいの女の子でした。僕と行動を共にしている間、終始楽しそうで、僕もそんな萌ちゃんの様子を見て嬉しい気持に浸るのでした。津波の水が追いかけてきて一緒に逃げる、そんなシーンもありましたが決して恐怖感や緊迫感はなく、萌ちゃんが霊界での生活の中で既に津波の恐怖を克服している事が理解できたのでした。ちなみに、萌ちゃんの外見は…過去ブログ「僕の心を最高に揺り動かした女性」にて紹介した“アイさん”に似てると言えば似てました(照)
で、この萌ちゃんとの出会いを受けて僕が辿り着いた“予測”はこうです。つまり、僕が1週間前に“たいじゅさんと2人でやる”と決断した瞬間に失敗は決定していた、霊団側には「このメンバー数では霊媒現象は発動できない」という事が1週間前の時点で分っていた、という事なのです。もう失敗する事が分っているから、霊団側としては特に僕に向けて発信するメッセージはない、しかし開催までまだ1週間も時間が残ってるので、いわば“穴埋め”みたいな感じで特に意味のないメッセージが沢山降って来た…と。
そして萌ちゃんがとても僕に会いたがっていたので“まぁ、じゃあ時間が余ってるので、会わせてあげようか…”みたいな感じで霊団主導で僕と萌ちゃんの幽体離脱での出会いが“おまけ”みたいな形で実行され、萌ちゃんは突然に願いが叶ってものすごく喜んでくれた…という事だと思われるのです。萌ちゃんにあんなに喜んでもらえたのは僕としてもとても光栄だったのですが、このメッセージはまさに“交霊会の失敗”を予見させるものだったのだと、1回目の交霊会が失敗した以降に理解したのでした。
次男の帰幽を受け「今こそ絶好機」とばかりに実母、長男にプレゼントした「シルバーバーチの霊訓」も全く功を奏さず、僕が実母、長男を何とか交霊会に参加させようと2度にわたって行った“封書攻撃”も全く功を奏さず、このままでは次男が命がけで作ってくれた、実母、長男が霊的知識に目を開く地上生活最大級のビッグチャンスが無駄になってしまうと、僕は日々悶々としていました。そんな中、上記の“1週間前”よりさらに前のタイミングですが、実母に関わるこんな“とてつもない”メッセージまで受取ったのでした。こちらをご覧下さい↓
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今日の幽体離脱、かなり長い時間、次男と過してました。それ以外にもあらゆる場所に赴き、3~4日くらい過したかのような感覚です。完全に地上的時間を超越してます。で、最後に赴いた場所で何と“巨大イモムシ”との出会いがあったのです。体長1m、胴回り13cmくらいで足が沢山あります→
→正直デカくてキモくてグロいので僕はイヤだったのですがイモムシは僕と距離を縮めてみたり、また距離をとったりして僕の様子を伺ってるのです。そしてついに寝そべってる僕の右腕に這い登って来てピタリと動きを止めたのです。まるで僕の右腕が木の枝であるかのように。僕はどうしたものかと→
→困ってたのですが、よく見ると噛む訳でも悪さする訳でもなく、おとなしくじっとしているのです。それで少し僕の心が変化して「もうそんなにイヤじゃないよ」とイモムシに向けて思念を送ったのです。と次の瞬間!イモムシが寝ている僕の腕から胸まで這ってきて胸の上でものすごいスピードで→
→ピョンピョン跳ねてクルクル横回転してラッパの多重奏のような喜びの声を上げたのです!目の前で喜び跳ねる巨大イモムシの映像はまさに強烈でした!そして幽体離脱から帰還しトランスを維持していると、何と!何と!このタイミングでイエス様が顕現して下さったのです!表情は真剣そのものです→
→眉を逆ハの字にして熱く僕に何かを語りかけておられるのです。音声はありませんでしたので何と言っておられたかは分りませんが僕にはそのイエス様の言わんとしている事が直感的に理解できたのでした。僕は昨日、実母が使命遂行の妨害をしサークルメンバーに相応しくないと書きました。イエス様の→
→メッセージはまさにそれだ、去年4月末から僕にずっと同じ内容のメッセージを送り続けているイエス様、今回もそのメッセージの強調であるとすぐ理解したのでした。どうしても実母を心で受入れられない僕に対して「母をそう毛嫌いするでない」というご意思を示しておられるとすぐ理解したのでした→
→僕がイモムシを受入れたように実母も受入れなさい、そんな意味を感じたのでした。にしても今回の幽体離脱は超特殊な体験で、本来なら間違いなくブログで書くところですが現在僕は交霊会開催に向けて書かねばならないブログが幾つかあってとても今回の件を書けませんのでとりあえず保留します(祈)
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本当に強烈!強烈!あの巨大イモムシの“歓喜の超高速スピン”の映像は今まで見させて頂いた映像の中でも間違いなくトップ3に入るであろう強烈なインパクトがありました。この“イモムシ”は、きっと霊性発現前の“実母”を象徴的に表したものではないかと思うのです。書籍「母と子の心霊教室」の中に“蝶の変化”という図が掲載されてます。その図の中の“イモムシ”が実母で“蝶”が僕、という事なのではないかと思いました。
しかし、これほどまでの強烈極まる演出をしてまで、イエス様は僕に「母と共に仕事をしなさい」というメッセージを投げかけてこられるのです。イエス様からのメッセージは今までもずっとそうでした。「母も愛してやれ」という音声のインスピレーションを過去に受取らせて頂いた事もあります。使命遂行に“僕が実母を受入れる”という要素がどうしても必要なようなのです。しかし、しかし、イエス様には大変申し訳ないのですが、それだけは、それだけは、どうしても僕はできないのでした。
そして交霊会当日…“悪夢”とも思えるような出来事が起こってしまったのです。たいじゅさんが僕の家に到着する前から僕と実母は激しい口論を展開していました。実母は“私の家でそんな事絶対にさせない”“やるなら外でやってくれ”“これは私の家だ”と物質臭極まる発言を連発し“お金”の事で僕に延々ネチネチ文句を言い、さらには“たいじゅさんを絶対家に入れない”とまで言い出したのです。あまりにも心が物的視野で矮小化して、全く、全く、霊的視点でモノが見れていない実母に絶望感を抱く中、たいじゅさんが家のベルを鳴らし、玄関に入ってきました。
するとなんと!高齢で自ら何一つ行動を起こそうとしない怠惰の塊のような実母が、僕のお客様であるたいじゅさんに向けてまで罵倒の言葉を浴びせ始めたのです。たいじゅさんは突然の事態にすっかり縮こまっていました。僕を攻撃するのはともかくとして、実母は僕のお客様に対してまで“キバ”をむいたのです。これはサークルメンバーになる、ならない以前に“人として失格”の行為であり、僕は完全に!完全に!キレたのでした。僕はたいじゅさんの盾になって実母に向けて猛烈にまくし立て、実母を1階の奥の部屋に戻るよう何度も叫ぶのでした。
今まで何かを学ぶという事を全くしてこなかった実母ですから、頭の中のボキャブラリーが極端に乏しく、僕がまくし立てる言葉に反論する言葉を持ち合わせていませんので、実母は“何を…”“フン…”とかいう相づちくらいしか僕に言い返す事ができません。そしてしばらくして根負けしたように自分の部屋に戻っていったのでした。
僕はたいじゅさんに何度も実母の無礼を謝って2階に上がり、僕たち2人の心に大いに動揺の感情が残る中、しばしの雑談を交したあと、トランスに突入しようとしたのですが「第1回交霊会『失敗』の音声」をお聞きになった方はお分りと思いますが、結局僕は1週間前に決定していた通りに“失敗”してしまったのでした。
ただ、僕がトランスに突入しようと目を閉じ続けている姿を20分以上見続けていた“たいじゅさん”はさぞ大変だったろうと思いますし、たいじゅさんの目には何も変化が見られなかった事と思いますが、実は僕の“内部”では猛烈な霊的状況に突入していたのです。僕の頭には強烈な霊力が降り続け、何度も僕の霊体が肉体から離れるような感覚が走りました。特に“手”に関しては霊体の手が完全に肉体の手から離れていたかも知れません。手の“重さ”を全く感じない状態に突入していたからです。
「このメンバー数では成功しないのだが、○○○くん(僕の本名)の心意気を無駄にしないために我々もできる限りの事はやってみよう…」きっとバーバネル氏はじめ霊団の方々はこんな感じで“ダメもと”で僕に霊的影響力を行使して下さったのではないかと思います。ただ、失敗こそしてしまいましたが僕としては“成功時のイメージ”をかなりハッキリと心に描く事ができた体験であり、僕にとっては大いに意味のあるものでした。
それにしても、実母は既に高齢で、そう遠からず旅立ちの日がやってきて、家も金も全部地上に残して“こころ”ひとつで向うに出発せねばならないというのに、あの陳腐な物的執着心には呆れ果ててモノも言えません。実母の心の中はまさに“空っぽ”であり、帰幽後の生活の備えが1ミリもできていません。次男が与えてくれた“最後のチャンス”を、もののみごとに無駄にしてくれました。あなたは地縛霊決定です。残念でした。
そして、この「第1回交霊会の失敗」「実母の狂乱」を受けて、その日の夜に膨大なボリュームのメッセージを受取る事になったのです。幽体離脱に突入して、まず最初に再び次男と会いました。ハッキリ言って次男は喜び跳ねてました☆「相変わらずだな、次男」などと思っていると、今度は親戚のおじさんが鳥のエサを部屋の床いっぱいに蒔き散らしているのです。僕は「蒔き過ぎだろ」と半笑いでおじさんに突っ込むのでした。
で、実はこの時、僕の両腕は“ガクガク”の筋肉痛のような状態で肩、ヒジ等が全く自由に動かせず、壊れかけのロボットみたいな動きしかできないのでした。肉体の話ではありませんよ、幽体離脱中の“霊体”のお話です。しかし痛みは一切ありませんでした。当然です。霊体が傷ついたり苦痛を感じる事など絶対にありませんので。もし霊体が傷つくような事があれば、その傷が肉体にも現れ、僕は今こうしてブログを撃つ事ができなかったはずです。
で、僕は自分のこの状況をこう解釈しました。つまり昨日トランスに突入できずに失敗したものの、霊団の方々は僕の霊体がこんなふうにガクガクになるくらい猛烈に影響力を行使したんだよ、という事を示したメッセージだと。事実その後すぐに僕の霊体の腕は回復しましたので。
するとその後、場面が変り、木の枝の上で2羽の色彩鮮やかな大型インコがくちばしをカチカチ合わせながら戯れている超美麗映像が降ってきたのです。この映像を見て僕はすぐにピンと来ました。それは過去、フランス語の勉強に伴って猛烈な怒りに包まれてしまっていた時に見させて頂いた「ホバリングする2羽の美しい鳥の映像」と同じメッセージ性を感じたからです。その件についてのツイートはこちらです↓
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今日、沢山のインスピレーションが降ってきましたが、その中に“もったいない”という声のメッセージがありました。誰のお声かは分りませんでした。きっと僕が今回の霊的導きに従えば帰幽後に受取れるはずの霊的褒章が受取れない事に対する“もったいない”という意味だったんだと思います→
→この言葉を受けて僕はまたしても激しい怒りに包まれてしまうのでした。今日僕に言葉をかけたあなた、あなたは地上の人間を何と心得ていらっしゃいます?何一つ憂う事の無い有利な境涯から鼻歌交じりで余裕ぶっこいて僕を見ているあなた。現在僕が浴びている究極正反対の環境を理解しておられます?→
→今まで生きてきた全てを棄てて全くの別人格になる、そんな芸当がそう簡単に出来ると本気で思っておいでです?人のこれまでの努力を何と思っておいでです?地上人をブリキ人形か何かだとでも思っていらっしゃいます?あなたの今回のその軽薄極まる発言、僕は断固として抗議させて頂きます(祈)
僕の背後霊団も必死です。僕というたった1つの霊的チャンネルを活かそうと懸命の様子です。今日も幽体離脱、インスピレーションにて実に様々なメッセージを受取らせて頂きました。とても全ては紹介できませんが全体的に“グズる子供をなだめる”内容だったと思います…(悲)その中に1つ→
→何とも美しい2羽の鳥が優雅に翼を羽ばたかせ、尾羽で素晴しくバランスをとりながらホバリングし、2羽が向き合ってダンスするようにクルクル空中で回りながらくちばしを何度も絡ませてました。実に、実に美しい映像インスピレーションを見させて頂きました。僕を取巻く現状はともかく→
→素晴しい映像、感謝致します。自分の心と究極正反対の状況にもがきつつも、何とかフランス語の勉強は続けてます。決して捗ってるとは言えませんが。しかしこのまま勉強を続けていけば以前見させて頂いたインスピレーションのように本当にパリで通訳として仕事をする事になるのかも知れません(祈)
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はい。こんな感じで僕は霊聴にて聞かせて頂いたお声に対して猛烈な怒りを表明してしまったのですが、そんな僕の“怒り”を鎮めるかのような2羽の鳥の超美麗映像を受取らせて頂き、僕は心の平静を取戻した、という事が過去にあったのです。今回受取らせて頂いた2羽の色彩鮮やかな大型インコの映像も、
僕に対する「あまり落ち込むでない」といった感じのメッセージだったのではないかと理解したのでした。
そしてその日の幽体離脱の最後!ついに決定的なメッセージを受取る事になってしまったのです。ユキ(僕が以前飼っていた白文鳥)が飛んできて僕の手に止まりました。そのユキは僕が知っている若かりし日の真っ赤なくちばしのユキではなく、すっかり色が薄れて淡いピンクのような色のくちばしをしていました。全身を覆う白い羽毛には光沢がなく、左足を引きずって片足で僕の手の上にかろうじて立っている、そんなすっかり老衰し切った様子だったのです。
そしてついに力尽きるように僕の手からテーブルの上にかろうじて飛び降りて、そこで命が尽き果て、早送り映像のようにあっという間に“死後3日目”みたいな骨と羽毛だけの状態に変化してしまったのです。僕は地上ではユキの最後を看取れなかったので、そのユキの様子を見て「おぉー、ユキ☆僕の目の前で逝ってくれてありがとうな☆」と喜びの声を上げるのでした。
そして僕は、近くにいた人にデジカメを借りて(地上では見た事のない立方体のデジカメだったので“ん?”と思いましたが、まぁいいやと思い直して)目の前で朽ち果てたユキの亡骸を数アングル“パチ、パチ”と撮影するのでした。えー、ここで皆さん。ひとつ確認しますよ。ユキは既に帰幽して地上を離れ、霊界で生き生きと生活しています。そのユキが霊界で再び老衰で死ぬ、などという事は有得ないのです。
※ここで“霊界の動物”について補足説明をさせて頂きます。人間は、一度人間としての個的形体を与えられると永遠に存在し続けますが、残念ながら動物は地上生活終了後“類魂”に埋没して個的存在を失ってしまいます。ただし人間からの愛情を受けている間はその個的形体を維持する事ができます。最も永遠には維持できませんが。
つまり、僕はユキに対して十分な愛情を抱いていますので、ユキは当分の間は霊界にてその形体を維持できる訳です。では今回、僕の目の前で尽き果てたユキは一体どういう事か?そうです。これこそ、ユキをいわば“俳優”に起用しての僕に対する『帰幽』のメッセージである事に間違いないのです。ユキの老衰の様子も、僕に対して帰幽のメッセージを伝えるために為された、ユキを使っての“霊的演出”であり、目の前のユキは死んでなどいないのです。霊体は自由に形体を変化させられる訳ですから、きっと鳥類に詳しい方がユキの霊体に対してそういう操作をして、今回のメッセージの演出をして下さったのではないかと予測します。
その証拠に撮影中、骨と羽毛に変り果てたユキの頭が“ピクッ”て動いたり、魚の目みたいになっているユキの目が“キョロッ”って動いたりするのです。僕はその様子を見てニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべながら「コラ、ユキ♪まだ撮影するんだからちゃんと“死ぬ演技”して♪」と思念を送って、ユキが動きそうになるのを止めつつ、しばらく遊び半分みたいな感じで撮影を続けたのでした。
この帰幽のメッセージはちょうど2012年7月の過去ブログ「小鳥に見つめられて」で出会った野鳥の“ノビタキちゃん”のメッセージとほぼ同一の内容といっていいと思います。ノビタキちゃんが地上版メッセージ、ユキが霊界版メッセージ、といったところでしょうか。そしてその後、僕は幽体離脱から帰還したのでした。
えー、何と言えばいいのでしょうか。確かに僕はずっと“帰幽カモン”と言い続けてきましたし、現在でも最高レベルに帰幽を望んでいます。現在の環境(住居および仕事)に留まる事を最高にイヤがっています。一刻も早く帰幽完了して“思念描画”に突入して紫外色、赤外色に触れたいという願望を強く強く抱いています。
正直言って、ユキの帰幽メッセージ映像を受けて僕は心から“喜んで”ました。残念ながらこれこそ僕の“本心”であり、自分の心にはウソはつけません。霊媒現象の発動こそなりませんでしたが、元々僕はそういう仕事をする器の人間などではなかったと思えば、僕的には納得できる部分もあるのです。これだけ公言の限りを尽して霊的知識のタネを蒔きまくってきたのだから、その活動をもって“使命遂行完了”とさせては頂けないでしょうか?という考えも正直言って心の中にあります。。。
…が!が!!が!!!やはり“悔しさ”は拭いきれませんよね。あと一歩!本当にあと一歩!僕という小さな通路から高級霊の霊言が地上にもたらされるまで本当にあと一歩のところまで来ているのです。あともうちょっとなのです。ここまで頑張ってきて、こんな中途半端で帰幽したら、間違いなく僕は後悔しますよね。イエス様に会わせる顔がありませんよね。
今回の第1回交霊会での“実母の狂乱”は、霊団の方々にさえ驚きをもって受止められた出来事だったのではないか。あの実母の様子を見て、さすがの霊団側も「このお方はもはや打つ手なし」と思われたのではないか…そんな気もしてます。んーまぁ「君が母に対する“こころ”を変えられなかった事が今回の帰幽メッセージに繋がったのだ」と、イエス様および霊団の方々はきっと思っておられる事でしょうね。しかし日本の中で唯一、たいじゅさんだけは分って下さるのではないかと思うんです。「あの人は無理だ」と。霊団の方々、本当に申し訳ありませんが、やはり、やはり、何をどう頭をひっくり返しても実母と霊的協力関係を構築するなど100%不可能とここに宣言させて頂きます。
なのでやはり実母、長男に頼らずにメンバーを集めねばならないと思うんです。たいじゅさんは「また交霊会に参加します!」と頼もしく言って下さっています。しかし上記に説明した通り、僕たち2人だけではどうしようもないのです。霊団側がもっと練習をつめばできるようになるのではないか、という事ですが、練習は十分やってきました。霊団側は何度も何度も僕がトランスに突入しているタイミングを利用して僕との融合練習を行ってきました。霊団側の準備は十分に整っているのです。そして僕の準備もだいたい整っているのです。あとはサークルメンバー“外的環境”のみなのです。
1ヶ月ほど前だったでしょうか、モーリス・バーバネル氏、後白河天皇、レオナルド・ダヴィンチ先生のお三方が揃ってインスピレーションにて顕現して下さいました。それこそ「霊界側の準備は完了した」というメッセージだったのです。そのメッセージを受けて「あわわ、僕も準備しなきゃ」みたいな感じで大慌てで部屋を片付け始めた…という訳なのです。
うー…こんな事を自分の口から言うのは“反則”かも知れませんが、ここまで来た以上、僕がこれまで果てしなく受取らせて頂いている霊的事実に基づき、あえて書かせて頂きます。僕という“霊的チャンネル”を失う事は、日本の方々のみならず地球人類にとって大きな損失です。霊界側ではすっかり“新時代の霊言”のテキストデータおよび、バーバネル氏が語るべき内容の準備が整っているはずなのです。あともうちょっとで降ってくるのです。現在の地上には存在しない珠玉の霊的知識が今にも僕を通して降ろうとしているのです。
確かに僕の心は帰幽カモンですが、ここまで来て!ここまで来て!中途半端で終るのは僕だってやはり悔しいです。あとはサークルメンバーのみなのです。メンバーさえ集まれば即!ダブルデジタル霊媒発動!なのです。第1回のトランス失敗の時に感じたあの離脱的感覚…本当にあともうちょっとなのです。
このブログをご覧の皆さん、そして僕がお誘いをかけた数人の方、お誘いをしていないけど僕のブログを真剣味をもって読んで下さっている方、もう一度、もう一度、僕がする事になってしまった、この重大極まる“霊的知識普及の使命”について理解して頂きたいと思います。あとはサークルメンバーだけなのです。どうか、どうかもう一度熟考して頂き、僕のツイッターのアカウントにダイレクトメッセージを送って頂けたらと思います。
それでも何でも、どうしても、何が何でも結局やっぱりサークルメンバーが集まらない…という事になれば、ユキの帰幽メッセージ映像が“実行”に移される事になると思います。現状がイヤでイヤで仕方ない僕としては、そうなったらなったでもう構わないという思いもあるのですが、どうにも釈然としないものが残るでしょう。まだ帰幽に関する具体的な情報(帰幽場所、日程等)のインスピレーションは降ってきてませんが、複雑な思いを抱えつつも、霊団の方々に対し一応ここに希望を記述させて頂きます。
希望する帰幽場所はもちろん山です。帰幽時期は、メンバーが集まらないと完全に判明した時点で“すぐに”お願いします。帰幽が決定した際は“速やかに”インスピレーションにて諸情報を送って頂き“速やかに”帰幽を実行に移して頂きたいと思います。
ふぅ…現状で新たなサークルメンバーとして声を掛けられそうな人は全くいません。霊団側も“お手上げ”といった状況ですが、僕の心の中に“奇想天外”なカードがあと1枚だけ残っています。あまりにも突拍子のないカードですが、もうこうなったらその“奇想天外カード”をその当人に向けて投げてみようか…とも思っています。そのカードが当人の“こころ”に届けば、使命遂行が続行されるかも知れません。届かずに道ばたにポトリと落ちれば、その瞬間をもって僕の帰幽が決定する…となるかも知れません。さぁ、どうなるのでしょうか…(祈)
■2013年9月23日にUPしたブログ「“お家”をプレゼントしてくれた女の子(使命に向けた最終意志確認)」
はじめに、このブログを読むにあたり、皆さんに心に留めておいて頂きたい2つのキーワードがあります。それは、霊的知識普及の使命遂行における…
【意志】と…
【環境】
です。これからこの2つの言葉の意味を解説していきます。
まず【意志】について。僕は幽体離脱やインスピレーションにて様々な、本当に様々なメッセージを背後霊団から日々受取らせて頂いてますが、そんな中、数週間前ですが幽体離脱にてある小さな女の子との出会いがありました。その女の子は7歳くらいの日本人の女の子で、フワッとした可愛らしいサマードレスを着ていました。
それについてツイートした内容がありますので、まずはそちらをご覧下さい↓
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今日の幽体離脱、小さい女の子が紙で作った手作りのお家の模型をプレゼントしてくれて「早く帰ってきてね」って言うのでした。僕は「こんなスゴイのありがとう」ってお礼を言ったのですが、使命遂行があるのでまだ霊界に帰れない事が分ったからでしょうか、その女の子は泣き出してしまうのでした→
→きっと「このお家に帰ってきてね」って事だったんでしょう。そんな風に言ってもらえて本当に嬉しかったです。そしてしばらくその女の子と遊んだのでした。そして離脱から帰還後、トランスを維持してるとイエス様が顕現して微笑んで下さったのでした…地上で僕に出来る限りをさせて頂きます…(祈)
昨日、幽体離脱中に小さい女の子から手作りのお家の模型をプレゼントしてもらった事を書きましたが、その「お家」は正直僕の目にはどうしてもお家には見えなかったのです。でも女の子がそういうんだからお家なんだろう、と思っていたのですが、そのお家の「意味」が分りました!青空天井です→
→「ベールの彼方の生活」をお読み頂けば分りますが、霊界の家は青空天井(屋根が無い)である事が多いそうです。つまりあの小さい女の子は、その子なりに霊界の家を忠実に再現して模型を作ってくれていたのです。すごい!女の子☆この苦しい使命を何とか果たし切ってああいう家で暮したいです(祈)
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まずは女の子がプレゼントしてくれた“お家”ですが、長方形の厚紙を地面に見立てて、その上に、スーパーマリオの“土管”みたいな(こんな事言ったら女の子に怒られちゃうかもしれませんが汗)形にボール紙を丸めたものを地面の厚紙の上にピタッとくっつけたような、そんな紙の模型だったのです。地面に見立てた厚紙の上に何やらメッセージが書きこまれていたのですが、その内容までは反芻し切れませんでした(残念)
あの形あのままではないのでしょうが、きっとあの女の子が現在暮らしている“お家”は、模型と同じく青空天井で、天界の光がふんだんに注ぎ込まれ、土管の空洞の中は沢山の壁で仕切られ部屋になっていて、壁そのものも光輝を放って明るく室内を照らしている、そんなお家なのではないか…なんて予測したりもするのでした。(詳しくは“ベールの彼方の生活”をご覧下さい)
そしてこの時の幽体離脱での出来事は、僕の“使命遂行”への心、決意が本物であるかを見るための“最終意志確認”だったのでは…と思うのです。なぜそう思うか、それは女の子の“様子”でした。
この最終意志確認をするにあたり、霊界の子供たち(幼くして他界した子供たちは高い界で生活してます)の中から、僕を本当に“好きに”なってくれた女の子が、僕の使命遂行の最終意志確認の“試験官”として特別に選ばれたのではないか、そう予測するのです。
そして女の子は僕への好意を込めて“本気”で「早く帰ってきてね」と言ったんだと思います。そして当然僕がその願いを聞き入れてくれるものと思っていたんだと思います。僕はその女の子にプレゼントのお礼を言いながら、背中を軽くポンポンって叩く感じでハグしました。その時“僕はまだ地上でやらなきゃいけない仕事があるからココ(霊界)には帰って来れないんだ”と心に思っていました。その僕の“真意”を霊体を通して感じ取ってしまい、女の子は思わず泣き出してしまった。という事だと思うのです。
その僕の様子を見て、つまり“帰幽”を踏みとどまり、地上に残って使命を遂行する意志、決意が本物である事を確認し、離脱から帰還後のトランス時に、イエス様が“ニヤリ”って感じで顕現して下さったんだと思います。
帰幽が決定していた僕に、何とか使命に燃えて欲しいとの思いからこの約半年間、イエス様はじめ高級霊の方々から実に様々なインスピレーション等のメッセージを受け取らせて頂きました。そのおかげで、何とかあれほど最高レベルに待ち望んだ“帰幽”をあきらめ、イエス様のご意志に従って地上に残って使命を果たす【意志】は固める事ができたのでした。
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そして次は【環境】ですが、これについてはブログ「イエス様、怒涛の連続顕現の“意味”と“その後”」にてイエス様のご意志に従い、帰幽をあきらめ地上に残る事を天界のイエス様に向って声に出して宣言した直後から、ずっと!ずっと!ずっと!一貫したメッセージが僕に降り続けていました。それは…僕がどうしても首をタテに振る事が出来なかった“ある条件”についてのメッセージでした。
そもそも僕が画家時代、連日連夜フルパワー発動を繰り返して高負荷な作品を描きまくっていたのは、現在の環境から脱出して長野県に移住し、北アルプス、南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、という大目的があったからです。しかし上記の通りイエス様のご意志に従った直後、最初に受け取ったメッセージが、ずっと脱出したいと思っていたこの環境に“何とか留まってもらえまいか”というものだったのです。
最初にこのメッセージを受け取った時は本当にビックリしました。「何でいきなりそんな正反対のものが降って来るんですかぁぁ!」って、僕は心の中でふんぞり返って仰天してしまったのでした。そしてそれ以降、ずっとその僕が受け入れる事の出来ない“ある条件”を受け入れて欲しいというメッセージ、僕の心の願望と完全に正反対のメッセージが果てしなく徹底的に降り続けたのでした。
なぜその条件を受け入れて欲しいのか、僕には正確には分りません。しかし一番最初にそのメッセージが降って来て、それ以降も降り続けているところを見ると、使命遂行にとってとても大切なファクターである事だけは間違いないと思います。しかしその“ある条件”(詳しい説明はごめんなさい、個人的問題なのです謝)を僕はどうしても受け入れる事ができず、その心の壁を超える事ができず、僕は完全に混乱してしまったのでした。
しかし霊団側も必死の様子で、何とか僕にその心の壁“小我”“地上的概念”とでも言えばいいでしょうか、それを改めさせようと、なっにっがっなっんっでっもっ!僕にインスピレーションを送り続けるのでした。僕は悩みました。悩み続けました。最高レベルに苦悩しました。心の中で進んだり戻ったりを何度も何度も繰り返しました。
そしてある時は“これで僕は完全に心を入替えた!これでイエス様の導きに従える!”と思った事もあったのです。…が、霊界の方々には我々地上の人間の心の中など全てお見通しなのです。やはりその時の僕は“単に口で言っている”だけで、心の底から僕がどうしても受入れられなかった“ある条件”を受入れたのではなかったと理解したのでした。
そして、あるアタック(山へ行く事)前日「山でビックリ」というインスピレーションを受け取らせて頂いたのですが、実はそれは「山から帰ってきたらビックリ」という事であったと翌日知る事になりました。アタック帰還翌日に、猛烈!!!壮絶!!!なる怒涛の顕現に浴させて頂いたからです。その中には、今まで何度もイエス様と対で顕現して下さった後白河天皇の単独顕現もありました。
これについてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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怒涛!怒涛!怒涛!「使命遂行布陣予想図」で描いた方々がインスピレーションにて怒涛に顕現して下さり、僕が当初から首をタテに振れずにいるある件について猛烈に影響力を行使したのです。それが使命遂行に向けての最後の障害のようです。ここが潮時のようです。心を変えないといけません(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に後白河天皇のお顔の顕現もありました。しかも僕が「使命遂行布陣予想図」で描いた絵に合わせた容姿で顕現して下さったのです。僕に分り良い様にして下さったんだと思います。後白河天皇の顕現は「日本」という国に対して重大な意味を含んでると思うんです(祈)
今日の怒涛のインスピレーションの中に「開かれし者の心が狭い為に…」という文章の顕現もあったのです。つまり僕の心が狭い為に霊団側の計画が発動できずにいる…という事なんだと思います。我を捨て「神の道具」に徹するというのは地上に籍を置く人間にとって最高に難しい壮絶な試練なのです(祈)
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…はい。この怒涛の顕現ですが、今にして思えば、後白河天皇の単独顕現は僕に向けての最後の“呼びかけ”であったと思われます。つまり「何としても現在の環境(日本)に留まった状態で使命遂行してもらえまいか」というイエス様、後白河天皇、霊団の方々の最後の訴えであったと、後になって理解したのでした。
そして、今まで何度もイエス様が後白河天皇と対で顕現して下さったのも、幽体離脱での「伝道指南」の時にイエス様が日本の軽自動車に乗っておられたのも、全て僕に現在の環境に何とか残って頑張って欲しいというメッセージが含まれていたんだと、これも後になってようやく理解できたのでした。
僕がそういう理解に到達した直後、使命遂行の【環境】についてはイエス様のご意志に沿う事ができなくなってしまった事を決定づけるインスピレーションを受け取る事になってしまったのです。
その【環境】に関しての新たな展開を思わせるインスピレーションの様子についてもツイートしてますので、こちらをご覧下さい↓
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実は「ヨーロッパ」「フランス」「パリ」というインスピレーションを受取ってます。守護霊様、これは一体…まさかパリ移住とかじゃないですよね(滝汗)ヨーロッパアルプスに近くなるのは嬉しいですけど(悩考)一応導きに従いフランス語入門書籍注文。僕は語学苦手なので難しいと思いますが…(祈)
数日前の幽体離脱の内容、僕は部屋を完全に引き払い、鍵を管理人に返す、というものでした。そして離脱から帰還後、いつものようにトランスを維持してると、山によくある道標に思いっきり「フランス」と書いてあるインスピレーションが降ってきました。その後さらにトランスを維持してると→
→「丘の上の6人衆」とでも呼びたくなるような、高台に立つ6人の姿を見たのでした。その方々はきっと「使命遂行布陣予想図」でも描いたダヴィンチ先生率いる霊団の6名ではないかと思いました。人数が合ってるだけでなく、その方々の服装が何とも“中世”を思わせる雰囲気に満ちていたからです→
→この予測が正しいかは分りませんが、僕がパリに移住したら協力して下さる霊団の方々である事は間違いないと思いました。とは言え僕はフランス語どころか英語も全然話せません。一応勉強を開始するつもりではいますが正直独学でモノになるとは思えません。使命遂行の“環境”が混沌としてます(祈)
昨日、現在の環境に留まるかパリへ移住かの二択の話をしましたが、一応パリ移住の方向で考え始めてます。しかしこのルートについて以前の男性指導霊から「何も良い事ないよ」と言われてます(※)本当に移住したら、それはそれは厳しい使命遂行の状況に突入するのは間違いないものと思われます(祈)
詳細はブログで書きますが、僕は霊団から「現在の環境に残る」「フランス移住」の二択を迫られていましたが、事実上フランス移住が決定したと言えるインスピレーションを受取りました。状況がとても複雑なのでここでは説明できませんが、これでフランス語を猛勉強せねばならなくなりました…(祈)
正直語学には自信ありませんが、使命遂行に当って僕はフランス語を勉強するしかなくなってしまいました。帰幽が決定してたはずの僕に更に更に追加の試練が降って来る訳です。この使命、壮絶です。でも今まで浴させて頂いた霊的状況を思い返すほど、ここで引き下がる訳には行かないと思えるんです(祈)
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(※)修正。長野県民になりたいと考えていた時にそう言われたのでした。間違ってしまいました、失礼しました(謝)つまり僕が画家時代に目標としていた“長野移住”は使命遂行のためのルートには入ってないよ、という事を示していたんだと思います。
…はい。山によくある道標に書かれた文字…超超超超超鮮明に「フランス」と書いてあったのです。その鮮明さが“環境の変化が決定した”というイメージを僕に強力に印象づけたのでした。「あぁ、もう間違いない。僕は行かなきゃいけないんだ。イエス様のご意志に完全な形で沿う事ができなくなってしまった…」そう理解した瞬間でした。自分の小我を越えられなかった、その自分の未熟さが心底身に沁みました。
という訳で、僕はイエス様のご意志を受け取らせて頂いて以降、何とか自分の心を変えようと努力を続けてきたつもりですが、帰幽をあきらめて地上に残って使命遂行する【意志】は本心から固める事ができたのですが、現在の【環境】に留まる事は心から承諾できずに終ってしまったのでした。
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この長文ブログを読んで下さった方々、感謝致します☆そしてその方々の多くがこう思ったのではないかと思うんです。「そんなにイヤなものを受入れる必要はないのでは?自分の考えで行動すればいいじゃないか、人間には自由意志があるんだし…」と。僕だってもちろんそう思ってます。いつもそういう考えとの格闘なのです。僕は最高レベルに帰幽したいですし、どうしても地上に残るというのであれば、せめて絵に戻りたいと常々考えてます。
しかし!しかし!イエス様はじめ霊団の方々から降って来るインスピレーションは…詳しく説明するのは難しいのですが、地上的概念を完全に突き抜けて、帰幽後の霊界生活全体まで含めた超俯瞰の視点から送られて来る、まさに“大上段”から振りかぶって来るメッセージなのです。この“インスピレーション”に浴させて頂いていない皆さんにはどうしても僕の語る言葉が理解できないのかも知れません。皆さんにとって“ノー”である事が僕にとっては“イエス”である事もあるのです。
『禍を転じて福となす』『汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん』これです。地上の苦しみ、悲しみを耐え忍び、乗り越えてこそ本来の生活の場である霊界にて真の幸福を味わえる“資格”を手にする事ができる…そういう視点からのメッセージを果てしなく果てしなく受け取らせて頂いて来たのです。しかし地上において肉体をまとった状態でその心の境地に“100%”到達するのは至難の業であり、今回のブログの通り、僕も完全にはその心の域まで達観できなかった…という事なのです。
僕は自由意志を行使して「使命を遂行する」と決断しました。なので、何故いきなりフランスなのか正直意味が分りませんが(きっと帰幽して霊界側から俯瞰で見れば納得のいく理由があるのでしょう、今は肉体に包まれてるので理解できないんだと思います)導きの“セカンドルート”への準備として、フランス語教材数点購入、現在猛勉強中です。フランス語、最高に難しい言語ですね…はぁ、どうなる事やら。。。
今回の内容を受けて、僕なりにイエス様に対する自分の信仰度、忠誠度をあえて自己採点するなら…まぁ30点といったところでしょうか。ダメダメな未熟者という訳です。使命遂行の状況がこういう事になってしまいましたが、僕なりに出来る限りの事はさせて頂きたいと考えていますので、イエス様、守護霊様、高級霊の方々…今後ともよろしくお願い致します…(祈)
■2013年7月10日にUPしたブログ「僕の心を最高に揺り動かした女性」
僕が現在の「使命遂行」を決断する前、まだ使命遂行と帰幽の間で心が揺れまくっていた時、幽体離脱にて、ある女性との出会いがありました。今まで幽体離脱やインスピレーションにて様々な方とお会いしていますがブログに紹介していない方がまだまだいるのです。今回紹介する女性はその中の一人です。離脱中にその女性と行動を共にした時の様子は…今でも最高に!最高に!僕の心に鮮明に印象づけられています。
気がつくと僕は学校の教室のようなところにいて、机が横に二つ並んだ状態になっていて、右の席に僕が、そして左の席にその女性が座っていました。その女性は「アイさん」という名前で、その名前が言葉ではなく僕の心に直接届くのでした。
そのショートヘアで細身な超洗練された姿のアイさんを見て僕はドキッとしました。アイさんの容姿はまるで(こんな事を書くのは恥ずかしいですが滝汗)僕の「理想の女性像」そのまま、完全に生き写しだったからです。こんな事を言っては怒られちゃうかも知れませんが(謝)まさにアイさんは僕の…「ど真ん中ストライク」な女性だったのです。
※ちなみに「アイさん」と言う名前ですが、これはきっと僕に分りやすいように現代的な平易な女性の名前を名のってくださったんだと思います。その可能性は高いと思ってます。実際のお名前は地上の人間には発音不可能な名前だと予測します。「ベールの彼方の生活」をお読み頂ければこの意味も理解して頂けると思います。
するとアイさんは横に座っている僕にそっと寄りかかってきて、太陽神経業のあたりをさすりながら「このあたりがね…苦しいの…」と言うのでした。言葉で話したのではありません。テレパシーとでも言うべきものでアイさんの考え、想い、僕に向けられた「好意」のようなものが心に直接伝わってきたのです。
僕は寄りかかってくるアイさんに思いっきり照れてしまい、あはは、みたいな感じで照れ笑いでごまかす事しかできませんでした。するとアイさんはさらに寄りかかってきて倒れそうなほどだったので、思わず手でアイさんの頭と首を支えたんです。するとアイさんは「ふぅぅ…」みたいな感じで静かに息を吐きながら僕の腕に全体重をあずけてくるのでした。
間近で感じるアイさんのシルクのような白い霊体、伝わってくるオーラとでもいうべき雰囲気…何とも言いようのない…柔らかい、長閑な雰囲気、優しさや親愛の情、信頼感が満ちあふれたような空気、とでも言えばいいのでしょうか。僕に身体をあずけきってくれたその所作が…本当に心の底から「心地よさ」を感じさせたのでした。
僕は回数こそ少ないですが、過去、幽体離脱において高級霊の方々とお会いするという光栄に数回浴させて頂いてますが、今回の「アイさん」の時に感じた美しく優しい雰囲気も、その高級霊の方々の時とそっくりでした。アイさんは普段暮している高い界からわざわざ降下して僕に会いに来てくれたんだ…そんな確信が僕の心に芽生えるのでした。
その後シーンが変り、僕は一人で町を歩いていたのですが、すると目の前に女性の姿。アイさんです。しかし今回は見た事のない古風な装束…巫女のような、神子のような装束を身にまとっているのです。僕がその何とも言えない美しさに溢れた装束に見とれていると、アイさんは僕にドリンクを差し出してくれるのでした。
その古風な装束のイメージがものすんごく鮮明に脳裏に焼きついていたので、起床後にWEBでイメージ検索してかなりあれこれ調べたのですが、僕が見たアイさんの装束と同一のものどころか、それに少し似たイメージさえ見つける事ができなかったのです。ひょっとして地上での装束ではなくて霊界にて着用している装束なのかも知れません。本当に特長のある、そして美しい装束でした。
その装束から受けた雰囲気から、アイさんは室町とか、平安とか、そんなような時代、古代の日本において神に生涯を捧げる人生を送った、そして地上を去って既に千年近く経過して遥か遥か高い境涯まで向上している女性なのではないか…。あの古風な装束姿を見て僕はそういう予測をするのでした。でもこの予測はまぁまぁ的を得ていると思っています。あの、アイさんに寄りかかられた時の何ともいえない雰囲気、あれがアイさんの霊格を表していると思うからです。
その後さらに場面転換して、僕は一軒のカフェに立ち寄りました。これがまた何とも雰囲気の良い店内なんです。そこにはアイさんとアイさんの友人の女性が座っていました。が、しばらくすると店のマスターが2階に退避していき、アイさんの友人の女性も「あたしも逃げちゃおっかなぁ~」とか言ってマスターに付いて2階へ上がって行きました。これでその部屋はアイさんと僕の二人きりになったのでした。そんな二人の配慮がまた何とも照れるのでした。
アイさんが野菜のスープを取り分けてくれて、僕たちはそのカフェで語り合いました。僕にとって最高に素敵な女性、アイさんとの時間…まさに至福の時でした(本気照)きっとその時、僕はアイさんが普段生活している高い界の話を聞いていたんだと思いますが、その会話の内容は幽体離脱から帰還したあと、この物的脳髄などでは全く反芻できませんでした。つまりそれくらい物的次元を遥か飛び越えた美しい境涯のお話だったのではないか、そんな風に予測したりもするのでした。
今回のブログはなかなか書き上げる事ができず、書いたり戻ったりを繰返してようやくここまで書き上げた、って感じでした。なぜ書くのに苦労したか…それは内容が正直「恥ずかしかった」からです(照汗)幽体離脱での「アイさん」との出会いは、今の僕にとって照れくさい思い出あると同時に厳しい使命遂行に当っての心の支え、そして掛けがえのない霊的財産です。それ以降の僕は、ことあるごとにアイさんの事を思い出したりしてしまうのでした。
ただ、今になって思い直してみれば、あの頃の僕は現在のように使命遂行に突入して果てしなく地上に残る事になるとは夢にも思っておらず、何よりも帰幽を最高レベルに望んでいた時だったので、このアイさんとの出会いも、そんな僕に何とか使命感を持ってもらいたいという霊界側の働きかけの一環だったのではないか…そんな風にも思ったりする訳です。
アイさんが僕の理想の女性像そのまんまだった事もその働きかけの一つなんだと思います。霊界側には僕のしょぼい心の中などは全てお見通しなので、その情報をもとに僕の好みにピッタリのアイさんにお声がかかり、そしてアイさんは快く引受けて下さり、僕と会うために本来の所属界から降下して来てくれた…という事なんだと思います。つまり「アイさんのいる高い界を目指して努力しなさい」という事です。確かに進歩向上のための努力目標としてアイさん以上の存在はないのかも知れません…僕にとって、ですが(照恥)
にしてもその「ご意志」を正しく読取れず明けても暮れてもぐずりまくっている自分の事を思うと、つくづく情けない少年だなぁ…と思ってしまうのです。とは言えもう責任を帯びてしまっているので、何とかグッと堪えて使命を果たし切り、いつの日か、地上からいきなり到達はできないでしょうが、前回ブログでも書いた通り、神から「つばさ」を頂戴して、アイさんの暮す高い界へ少しでも近づけたらいいなって思っています(祈)
■2013年7月26日にUPしたブログ「青いグミと赤いグミ」
僕は2012年6月頃から「霊性発現」して以降、睡眠と覚醒の中間状態(いわゆるトランス状態)において守護霊様より数々のインスピレーションを受取らせて頂いていますが、その中に一つ、去年11月頃でしたが、他のインスピレーションとは明らかに違う「寓話的映像インスピレーション」を受取らせて頂いた事がありました。
その寓話の内容が、僕のみならずこのブログをご覧の皆さんにとっても霊的真理を悟る上で大いに役に立つのでは?と常々そう思っていたのですが、今回使命遂行の一環という意味も込めて(書籍の抜粋テキストを撃つので日々イッパイ×2なのですが…滝汗)その「寓話的映像インスピレーション」のお話をここに紹介させて頂こうと思います。
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寓話的映像インスピレーション『青いグミと赤いグミ(仮題)』
作:守護霊様ならびに霊界の方々 テキスト撃ち:たきざわ彰人
雲ひとつない澄み切った青い上空(大気圏内)に「国際宇宙ステーション」のようなものがフワフワ、プカプカ浮いていました。そのステーションのドックにはシャトルがこれまたプカプカ係留されていて(まぁ外観はスペースシャトルのようなものを想像して頂ければいいと思います)シャトル本体の左右にロケットブースターが装備されています。
巨大なエンピツみたいなロケットブースターの上には、たくさんのコビトみたいな、頭も腕も足もある、4頭身ぐらいの透明感のあるプニュプニュした外観の「青いグミ」がワサワサと忙しなく動き回っていました。それこそ何万人という数です。
すると間もなく、国際宇宙ステーション全体を揺さぶるような「大風」が吹き荒れ始めたのです。青いグミたちはその強烈な風にあおられ、ロケットブースター後部、噴射ノズルの方へ押され、ロケットブースター後部は満員電車のように青いグミでギュウギュウ詰めになってしまいました。
しかし風はやみません。青いグミたちはさらにブースター後部に押されて行きます。ロケットブースターは円筒形、当然端の方にいる青いグミは他の青いグミに押し出される形でポロポロと空に落ちていきます。風は一向にやまず、青いグミが一人、また一人とロケットブースターの上から脱落していくのでした。
が、そんな中、数人、本当に数人ですが、グミの身体を「青色」から「赤色」に変色させて、プニュプニュした腕を小鳥みたいに一生懸命パタパタと羽ばたかせ、風に立ち向かうように少しずつ少しずつロケットブースターから上昇して行く者たち、数人の「赤いグミ」たちがいました。
必死に羽ばたく「赤いグミ」たちの顔は遥か上空を見つめています。下の青いグミの方を振り返りません。そんな赤いグミたちとは対照的に、青いグミたちは次から次へとロケットブースターからポロポロ落ちていきます。そしてついに、何万人もいた青いグミたちは一人残らずロケットブースターの上からいなくなってしまったのでした。
大風の試練に撃ち勝って上昇を続けたホンの数人の赤いグミたちは、風のエリアを突破してさらにさらに青い空を上昇し続けました。しばらくすると国際宇宙ステーションよりもさらに上空(まだ大気圏内)に、国際宇宙ステーションよりさらに巨大な母艦(スタートレックのエンタープライズ号みたいなものを想像して頂ければいいと思います)がこれまたプカプカ浮いているのでした。
そしてその巨大な母艦の甲板上に二人の人影が見えます。一人はキラキラと光をちりばめたような美しい純白の衣装を身にまとって、赤いグミたちを迎え入れるように両手を広げて立つ、女性の天使様。もう一人はその女性の天使様の右やや後方の位置で、胸に手を当ててひざまずく、これまた光をちりばめた衣装を身にまとった男性の天使様。
ほどなくして、数人の「赤いグミ」たちは母艦の甲板に辿り着き、光り輝く二人の天使様の祝福を受けたのでした…。
END
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…はい。僕が守護霊様に見させて頂いた映像インスピレーション、こんな感じだったのです。いかがだったでしょうか。このお話は、まさに僕たちの「地上生活」そのものだと思うんです。国際宇宙ステーションに吹き荒れた『大風』これは要するに、地上生活中に人類全員が例外なく浴びる事になる『試練』そのものだと思うんです。
その試練、艱難辛苦にほとんどの青いグミ(地上人類)は耐えられず、立ち向かう事ができず、地上生活の目的を果たせないままポロポロと脱落して行った…という訳です。そんな中、ホンの一握りの「赤いグミ」がその艱難辛苦に敢然と立ち向かい、苦難の末に青色から赤色に変色(霊性発現)して上層界へ羽ばたいて行った…僕はそんな守護霊様からのメッセージを感じました。みなさんはどんな風に感じられたでしょうか?
※ちなにみ、この女性の天使と男性の天使の「配置」にも意味があるのです。霊界の上層界は地上のような「男性支配型」ではなく、より進化した「女性主導型」なのです。詳しくは「ベールの彼方の生活」第4巻をお読み頂ければ理解して頂けると思います。が、1巻から読み進めて4巻に到達するという読み方をオススメします。その読み方でないと意味が理解できない可能性が高いからです。
僕が見させて頂いたこのストーリーが、皆さんの霊的知識の理解の助けになる事を切に切に願っています。艱難辛苦に真正面から立ち向かい「赤いグミ」のように素敵な境涯へ到達できるよう、地上生活を闘い抜きましょう。ここで僕、たきざわ彰人から皆さんへ向けて…応援の気持を込めた「シャウト」をさせて頂きます、行きます!(汗謝)
「艱難辛苦カモン!!!」
「霊性発現カモン!!!」
…以上、失礼しました(祈)
『シルバーバーチの霊訓』1巻 3章 なぜ苦しみがあるのか
※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、ご参考までにそのまま掲載させて頂きます(祈)
『シルバーバーチの霊訓①』
この交霊会に出席される方々が、もし私の説く真理を聞く事によって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いた事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださる事が私どもの真の目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な宝はいかなる地上の宝にも優ります。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまう事は絶対にありません。苦難から何かを学び取るように努める事です。耐え切れないほどの苦難を背負わされるような事は絶対にありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
何らかの荷を背負い、困難と取り組むという事が旅する魂の本来の姿なのです。それはもちろん楽な事ではありません。しかし魂の宝はそう易々と手に入るものではありません。もし楽に手に入るものであれば、何も苦労する必要などないでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
痛みと苦しみの最中にある時は中々その得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ魂にとって一番の薬なのです。私どもは、いくらあなた方の事を思ってはいても、あなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手を拱いて傍観する他ない場合がよくあります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そこから教訓を学び取り霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。知識には必ず責任が伴うものです。その責任を取ってもらう訳です。霊はいったん視野が開かれれば悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔やむ事はないはずです。
『シルバーバーチの霊訓①』
燦々と太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身に沁みません。魂が目を覚まし、それまで気づかなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲垂れ込める暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上の人生は所詮は一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもよいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。
『シルバーバーチの霊訓①』
すなわち動物的進化の段階の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上に生まれてくるのはその試練に身を晒すためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためにはぜひとも厳しい試練が必要なのです。
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『シルバーバーチの霊訓①』
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に敢然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られる訳ですが、その判断はあなたの自由意志に任されています。もっとも自由といっても完全なる自由ではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
その時点において取り巻かれている環境による制約があり、これに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるでしょう。地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。
『シルバーバーチの霊訓①』
そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢を取るか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるという事です。地上生活はその選択の連続と言ってもよいでしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり同時にまた、寿命尽きて霊界へ来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といった事もそれによって決まります。
『シルバーバーチの霊訓①』
その事に関して忘れてはならないのは、持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなるという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しない者は、才能の無い人より大きい責任を取らされます。当然の事でしょう。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味を持つものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、一番よく魂の目を覚まさせるものです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしその教訓が簡単に学べるものであればそれは大した価値のないものという事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって深甚なる価値があると言えるのです。
書籍は購入できます。読む事もできます。しかし深い理解に到達するのは長い道のりです。僕も初めてシルバーバーチの1巻を買ってから今の理解に至るまで長い苦難の道でした。もし書籍を手にされた方がいましたら、気負わずそしてあきらめず長いスパンで読み続けて欲しいなって思います☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
真理は魂が悟る準備ができた時に初めて学べるのです。霊的な受入れ態勢ができるまでは決して真理に目覚める事はなく、こちらからいくら援助の手を差しのべてもそれを受入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機を決するのは魂の発達程度です。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂の進化の程度が悟りの時を決するのです。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来事を物的ものさしで測り、考え、評価するのは無理もない事ですが、それは長い物語の中のほんの些細なエピソード(小話)にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
失意のドン底の時はもう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力、それまで発揮されたものより遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では決して発揮されません。
『シルバーバーチの霊訓①』
苦痛と困難の中にあってこそ発揮されるのです。金塊もハンマーで砕かないとその純金の姿を拝む事ができないように、魂という純金も悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。他にあると言う人がもしいるとしても私は知りません。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間の生活に過ちはつきものです。その過ちを改める事によって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくという事は、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
何もかもがうまくいき、日なたばかりを歩み、何一つ思い患う事のない人生を送っていては魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において魂の武器庫の扉を開き神の武器を持出す事、それが悟りを開くという事です。
僕は守護霊様の導きに従い、果てしなく読書してきました。それだけでも十分霊的知識の理解を深める事ができましたが、今こうして“抜粋”する事でさらに内容を復唱し、さらに×10 理解が深まっていくのを感じます。勉強して無駄な事なんて何もないと自らの体験を通して心底実感するのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂のこやしです。むろん困難の最中にある時はそれを有難いとは思えないでしょう。が、あとでその時を振り返った時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ないこやしであった事を知って神に感謝するに相違ありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
この世に生まれくる霊魂がみな楽な暮しを送っていては、そこには進歩も開発も個性も成就もありません。これは酷しい辛い教訓ではありますが何事も価値あるものほどその成就には困難がつきまとうのです。魂の懸賞はそう易々と手に入るものではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
神は一瞬たりとも休む事なく働き、全存在の隅々まで完全に通暁しております。神は法則として働いているのであり、晴天の日も嵐の日も神の働きです。有限なる人間には神も、宇宙も、地球も、あなた方自身さえも裁く資格はありません。物的尺度があまりに小さすぎるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
物的尺度で見る限り世の中は不公平と不正と邪道と力の支配と真理の敗北しか見えないでしょう。当然かも知れません。しかしそれは極めて偏った、誤った判断です。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的に見て、あなたにとって何が一番望ましいかは、あなた自身には分りません。もしかしたらあなたにとって一番イヤな事が実は、あなたの祈りに対する最適の回答である事も有得るのです。難しい事ですが物事は物的尺度ではなく霊的尺度で判断するよう努める事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
というのは、あなた方にとって悲劇と思える事が私どもから見れば幸運と思える事があり、あなた方にとって幸福と思える事が私どもから見れば不幸だと思える事もあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
祈りにはそれなりの回答が与えられますがそれは必ずしもあなたが望んだ形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとって一番望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるような事は致しませんが、神が施される事を地上的感覚で判断する事はやめなくてはいけません。
猛烈な法悦状態に包まれながら、シルバーバーチ霊が「神」について語ってる部分を抜粋してる時、いきなり法悦レベルが上がり、耳に“カチッ”ってスイッチが入ってキィィンって高い波長が響くのです。もう反応がダイレクトすぎて、僕は光栄かつ恐縮な気持でテキストを打ち続けるのでした…(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
絶対に誤る事のない霊的真理が幾つかありますが、その中から二つだけ紹介してみましょう。一つは動機が純粋であればどんな事をしても決して被害を被る事はないという事。もう一つは人のためという熱意に燃える者には必ずそのチャンスが与えられるという事、この二つです。
『シルバーバーチの霊訓①』
焦ってはいけません。何事も気長に構える事です。何しろこの地上に意識をもった生命が誕生するのに何百万年もの歳月を要したのです。さらに人間という形態が今日の如き組織体を具えるに至るのに何百万年もかかりました。
『シルバーバーチの霊訓①』
その中からあなた方のように霊的真理を理解する人が出るのにどれほどの年数がかかった事でしょう。その力、宇宙を動かすその無窮の力に身を任せましょう。誤る事のないその力を信じる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何千年という歳月を生きてきたのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。一つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きる事です。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と叡智をもって臨めば、何事もきっと成就します。聞く耳を持つ者のみが神の御声を聞く事ができるのです。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
愛が全ての根源です。愛―人間的愛―はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的真理を知った者は一片の恐怖心も無く毎日を送り、いかなる悲しみ、いかなる苦難にも必ずや神の御加護がある事を一片の疑いもなく信じる事ができなければいけません。苦難にも悲しみにも挫けてはなりません。なぜなら霊的な力はいかなる物的な力にも勝るからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
恐怖心こそ人類最大の敵です。恐怖心は人の心を蝕みます。恐怖心は理性を挫き、枯渇させ、麻痺させます。あらゆる苦難を克服させるはずの力を打ちひしぎ、寄せつけません。心を乱し、調和を破壊し、動揺と疑念を呼び起こします。
『シルバーバーチの霊訓①』
つとめて恐れの念を打ち消す事です。真理を知った者は常に冷静に、晴れやかに、平静に、自信に溢れ、決して取り乱す事があってはなりません。霊の力はすなわち神の力であり、宇宙を絶対的に支配しています。
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ単に力が絶対というだけではありません。絶対的な叡智であり、絶対的な愛でもあります。生命の全存在の背後に神の絶対的影響力が控えているのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
鋼は火によってこそ鍛えられます。魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置く事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部である事を悟らなくてはいけません。陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体ですから片方は欲しいがもう一方は要らないという訳にはいかないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間の進化のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうした法則の全てに通暁する事は人間には不可能です。どうしても知り得ない事は信仰によって補うほかありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。
一日も早く霊界の方々に「帰幽オッケー」と言って頂けるよう、僕は自分の全存在をかけて撃って出るのです。霊的知識のタネを徹底的に蒔いて蒔いて蒔きまくるのです。僕のツイートをご覧の一人でも多くの方が、僕たちにとって最も重要な霊的実相を悟るキッカケを得られる事を切に祈ります(本気祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然その霊の力に対する不動の信念を生み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則です。
『シルバーバーチの霊訓①』
恐怖心、信念の欠如、懐疑の念は折角の霊的雰囲気をかき乱します。私たち霊は信念と平静の雰囲気の中において初めて人間と接触できるのです。恐れ、疑惑、心配、不安、こうした邪念は私ども霊界の者が人間に近づく唯一の道を閉ざしてしまいます。
『シルバーバーチの霊訓①』
太陽が燦々と輝き、全てが順調で、銀行にたっぷり預金もあるような時に神に感謝するのは容易でしょう。しかし真の意味で神に感謝すべき時は、辺りが真っ暗闇の時であり、その時こそ内なる力を発揮すべき絶好のチャンスです。
『シルバーバーチの霊訓①』
然るべき教訓を学び、魂が成長し、意識が広がりかつ高まる時であり、その時こそ神に感謝すべき時です。霊的マストに帆をかかげる時です。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解した事にはなりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来上がります。どうもその点がよく分って頂けないようです。
『シルバーバーチの霊訓①』
種を蒔きさえすれば芽が出るというものではないでしょう。芽を出させるだけの養分、そして太陽と水が揃わなくてはなりますまい。そうした条件が全部うまく揃った時にようやく種が芽を出し、成長し、そして花を咲かせるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもうまくいき鼻歌まじりの呑気な暮しの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります。そしていったん霊的知識に目覚めると、その時からあなたはこの宇宙を支配する神と一体となり、その美しさ、輝き、厳しさを発揮し始める事になるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
そして一旦身につけたらもう二度と失う事はありません。それを機に霊界との磁気的な強力な繋がりが生じ、必要に応じて霊界から力なり影響なりインスピレーションなり真理なり美なりを引き出せるようになります。魂が進化したその分だけ自由意志が与えられます。
『シルバーバーチの霊訓①』
霊的進化の階段を一段上がるごとに、その分だけ多くの自由意志を行使する事を許されます。あなたは所詮現在のあなたを超える事はできません。そこがあなたの限界と言えます。が同時にあなたは神の一部である事を忘れてはなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
いかなる困難、いかなる障害もきっと克服するだけの力を秘めているのです。霊は物質に勝ります。霊は何ものにも勝ります。霊こそすべてを造り出すエッセンスです。なぜなら霊は生命そのものであり、生命は霊そのものだからです。
2週間前、深みのある男性の声で「○○○くん(僕の本名)」と霊聴で聞きました。その男性に全く心当たりがなかったので「こんにちは…どちら様ですか?」と心の中で聞き返しましたが返事はありませんでした。その後さらに考えましたがやはり全然心当たりがないのです、そして…あ、あれ?→
→まさか、ひょっとして、この声の主は、あのお方なのでは…?という考えが頭に渦巻き始めて…確認する手段がないので何とも言えません。が、今までの流れから推測すると十分可能性があるのでは、と思ってしまう訳です。確定ではありませんがイエス様に直接名前を呼んで頂いたかも知れません…(祈)
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