【1/19】霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻 「天界の低地」篇 6 念力による創造実験

1913年10月8日 水曜日

私たちからの通信の奥深い意味を理解なさろうとする方にとって大事な事が幾つかあります。今夜はそうした表面を見ただけでは判らない事 – 普通の物の考え方では見落とされがちな問題を扱う上で役に立ち指針となるものをお教えしようと思います。

その1つは人間界から放射された思念がこちらへ届く時の様子です。善性を帯びた思念には輝きが見られますが善性が欠ける思念にはそれが見られません。その光輝は元々本人の身体(からだ)から出ており、それで私たちはその色彩(オーラ)を見て霊的性格を判断する事が出来ます。

単に明るい暗いとか、明るさの程度がどの段階であるといった事だけでなく、その人のどういう面が優れていて、どういう面に欠点があるという事まで判断します。その判断に基づいて、長所をさらに伸ばし欠点を矯正していく上で最も適当な指導霊を当てがう事になります。

こうして一種のプリズム方式によって性格を分析し、それに基づいて診断を下します。これは肉体に包まれた人間の場合であって、こちらではそんな事をする必要はありません。

と言うのは、こうした事は霊的身体(※)に関わる問題であり、こちらでは霊体は当然誰の目にも丸見えであり、それが言わば魂の完璧な指標なのですから、その人の霊的性格が全部分かってしまいます。

言い落としましたが、そうした色彩は衣服にも反映しますから、その中の支配的な色彩を見て、この人はどの界のどの程度の人だという判断を下す訳です。しかし思念は精神的行為の“結果”ですから、その霊が生活している環境を見てもどういう思念を抱いている人であるかが判ります。単に“見える”だけでなく“肌で感じる”事が出来ます。地上より遥かに正確でしかも強烈です。

(※日本の心霊学ではこれを幽体と霊体と神体とに分けるのが常識となっているが本書では霊体という用語を肉体とは別の“霊的な身体”という意味で用いる事にする。霊界についても同じである。 – 訳者)

こういう風に考えていけば私たちが強烈な思念を働かせれば、その思念が目に見える客観的存在となって顕現する事が当然有り得る事になります。という事は、美しいものを意識的に拵える事も出来るという訳です。

– 何か例をあげていただけますか。

よろしい。その方がよく分かって頂けるでしょう。ある時、こうした問題を勉強している仲間が集まって、どの程度進歩したかを試してみましょうという事になりました。そこで美しい森の空地を選び、全員である1つの像を念じてその出来具合を見ました。

私たちが選んだのは後で調べるのに都合が良いように固くて長持ちするものという事で象に似た動物でした。象とは少し違います。こちらにはいますが地上ではもう絶滅しました。

私たちは空地で円座を組み、その動物を想像しつつ意念を集中しました。すると意外に速くそれが目の前に姿を現しました。こんなに速く出来るものかと皆んなで感心しました。しかし私たちの目には2つの欠点が見えました。

1つは大きすぎるという事。全員の意念を加減する事を忘れたのです。もう1つは確かに生きた動物ではあるけれど、部分的には石像のようなところもある事です。生きた動物を想像して念じた者が多かったからそうなったので、結局は石と肉の混合のような妙なものになってしまいました。

他にも挙げれば細かい欠点がいろいろと目立ちます。例えば頭部が大きすぎて胴が小さすぎました。念の配分が片寄っている事を示すものです。こういう具合にして欠陥を知り、その修正方法を研究します。実験してみてはその成果を検討し再びやり直します。今紹介したのがその一例という訳です。

そうして拵えた像から注意を逸(そ)らして語り合っていると、その像が徐々に姿を消して行きます。そこでまた新たにやってみる訳です。私たちは同じモデルは2度と使用しない事にしました。送念の仕方が1つのパターンにはまってしまう恐れがあるからです。

そこで今度は果実の付いた樹木にしました。オレンジの木に似ていますが少し違います。今度は前よりはうまく行きました。失敗点の主なものとしては果実が熟したものと熟してないものとがあった事。それから葉の色が間違ってましたし枝の長さにまとまりがありませんでした。

こうして次から次へと実験し、その度に少しずつうまくなって行きました。あなたにはこうした学習の愉(たの)しさや、失敗から生まれる笑いやユーモアがある程度は想像して頂けると思います。

死後の世界には冗談も、従って笑いも無いかのように想像している人は、いずれその考えを改めて頂かねばなりません。そうしないとこちらへ来てから私たちとお付合いがしにくい – いえ私たちの方がその方たちとお付合いしにくいのです。

でも、そういう人でもやがてこの世界の愛に目覚め、至って自然にそして屈託(くったく)なく振舞う事ができる事を知り、そうならないとまともに相手にしてもらえない事を悟るようになります。地上というところはそれとは反対のように思いますが、いかがですか。

いえ地上には地上なりに生きてそれなりの教育を得る事です。そうすればこちらへ来て – ただブラブラするだけ、あるいはもっと堕落すれば別ですが – 当り前に生活すれば進歩も速いのです。そして学べば学ぶほど自由に使いこなせるエネルギーに感嘆するのです。

– アストリエル霊、昨日出られた方ですがここに来ておられますか。

今夜はお出でになりません。お望みであればまたお出でになりましょう、きっと。

– どうも。でもあなたにも来て書いて頂きたいですね。

ええ、それはもちろん。あの方も私も参りますよ。あなたのためでもあり同時に私たちにとっても、こうして霊感操作をする事が、今述べたのと同じように意念や霊力の使い方を勉強する上でも良い訓練になるのです。私たちが述べている事が映像となってあなたの意識に入ってくるのが見えませんか。

– 見えます。時には実に鮮明に見える事があります。そういう事だとは思ってもみませんでした。

おやおや、そうでしたか。でもこれでお判りでしょう、さっきの事を書いたのもそれなりの目的があったという事が。あなたはそれがどうもピンと来ない – 多分その通りだったのでしょう。

それは私たちも認めます – と思っておられましたし、一体何を訴えんとしているのかといささか不愉快にさえ思っておられた。ね、そうではなかったかしら。私たちはあなたのその様子を見てニコニコしていたのですよ。

でもあなたは私たちの思念を、ほぼ私たちが念じた通りに解釈しておられましたし、そうさせた私たちの意図も、意念というものがあれほど鮮明に、そして実感をもって眼前に現れるものである事を判って頂く事にあったのです。では、さようなら。あなたに、そしてあなたのお家族に神の祝福を。

<原著者ノート>アストリエル霊のメッセージは数多く書かれているが、全体に連続性が見られない。なぜかはよく判らない。が結果としては母の通信の合間に割って入るために、アストリエル霊自身の通信はもちろん母の通信の連続性も破壊してしまう。そこでアストリエル霊の通信は日付の順で出さずに、巻末の第6章にまとめて紹介する。

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†