1913年11月4日 火曜日

神の恵みと安らぎと心の平静のあらん事を。これより述べていく事について誤解無きを期するために、あらかじめ次の事実を銘記しておいて欲しい。

すなわち我々の住む境涯においては、差し当たり重要でないものは“しつこく”構わず、現在の自分の向上進化にとって緊要な問題と取り組み、処理し、確固たる地盤の上を1歩1歩前進して行くという事である。

もとより永遠無窮の問題を心に宿さぬわけではない。“究極的絶対者”の存在と本質およびその条件等の問題をなおざりにしているわけではないが、今置かれている界での体験から判断して、これより先にも今より更に大いなる恩寵が待ち受けてくれているに相違ない事を確信するが故に、そうした所詮理解し得ない事は理解し得ない事として措(お)き、そこに不満を覚えないというまでである。

完全な信頼と確信に満ちて修身に励みつつ、向上は喜ぶが、さりとてこれより進み行く未来について“しつこく”求める事はしないという事である。それゆえ、これより扱う善と悪の問題においても、我々が現段階において貴殿に明確に説き得るものに限る事にする。

それは、仮に虹を全真理に譬えれば、1滴の露ほどのものに過ぎぬし、あるいはそれ以下かも知れない事を承知されたい。“悪”なるものは存在しないかの如く説く者がいるが、これは誤りである。もし悪が善の反対であるならば善が実在する如く悪もまた実在する。

たとえば夜という状態は存在しない – それは光と昼の否定的側面に過ぎない、という理屈が通るとすれば、悪なるものは存在しない – 実在するのは善のみであるという理屈になるかも知れない。が、善も悪も共に唯一絶対の存在すなわち“神”に対する各人の心の姿勢を言うのであり、その1つ1つの態度がそれに相応(ふさわ)しい結果を生むに至る必須条件となる。

ならば当然、神に対する反逆的態度はその反逆者への苦難と災害の原因となる。神の愛は強烈であるが故に、それに逆らう者には苦痛として響く。流れが急なれば急なるほど、その流れに逆らう岩の周りの波は荒立つのと同じ道理である。火力が強烈であればあるほど、それに注ぎ込まれる燃料と供給される材料の燃焼は完全である。

神の愛をこうした用語で表現する事に恐怖を感ずる者がいるかも知れないが、父なる神の創造の大業を根源において支えるものはその“愛”の力であり、それに逆らう者、それと調和せぬ者には苦痛をもたらす。

この事は地上生活においても実際に試し、その真実性を確かめる事ができる。罪悪に伴う悔恨と自責の念の中でも最も強烈なものは、罪を働いた相手から自分に向けられる愛を自覚した時に湧き出るものである。

これぞ地獄の炎であり、それ以外の何ものでもない。それによって味わう地獄を実在と認めないとすれば、では地獄の苦しみに真実味を与えるものは他に一体何があるのであろうか。

現実にその情況を目(ま)の当たりにしている吾々は、神の業が愛の行為にあらざるものは無いと悟って悔恨した時こそ罪を犯した者に地獄の苦しみが降りかかり、それまでの苦しみは本格的なものでなかった事を知るのである。

が、そうなると、つまり悪に真実味があるとなれば、悪人もまた実在する事になる。盲目は物が見えない事である。が物が見えない状態があると同時に、物が見えない人も存在する。また物が見えないという状態は“欠如”の状態に過ぎない。

つまり五感あるべき所が四感しかない状態に過ぎない。が、それでもその欠如には真実味がある。生まれつき目の見えない者は視覚の話を聞いて始めてその欠如を知る。そしてその欠如の状態について認識するほど欠如の苦しみを味わう事になる。

罪もこれと同じである。暗闇にいる者を“未熟霊”と呼ぶのが通例であるが、これは否定的表現ではない。“堕落霊”の方が否定的要素がある。そこで私は盲目と罪とを表現するに“無”とは言わず“欠如”と言う。

生まれつき目の見えない者は視力が“無い”のではない“欠如”しているにすぎないのである。罪を犯した者も、善を理解する能力を失ったのではない“欠如”しているにすぎない。

譬えてみれば災難によって失明した状態ではなく、生まれつき目が見えない人の状態と同じである。これは聖ヨハネが“真理を知る者は罪を犯すこと能(あた)わず”と述べた言葉の説明ともなろう。

但し論理的にではない。実際問題としての話である。と言うのは、真理を悟って光と美を味わった者が、自ら目を閉じて盲目となる事は考えられないからである。それ故に、罪を犯す者は、真理についての知識と善と美を理解する能力が“欠如”しているからである。

目の見えない者が見える人の手引きなくしては災害に遭遇しかねないのと同じように、霊的に盲目の者は、真理を知る者 – 地上の指導者もしくは霊界の指導霊 – の導きなくしては罪を犯しかねないのである。

しかし現実には多くの者が堕落し、あるいは罪を犯しているではないか – 貴殿はそう思うかも知れない。その種の人間は視力の弱い者または不完全な者、言わば色盲にも似た者たちである。つまり彼らは物が見えてはいても“正しく”見る事ができない。

そして何らかの機会に思い知らされるまでは自分の不完全さに気付かない。色盲の人間は多かれ少なかれ視力の未発達な者である。そうした人間が道を誤らないためには“勘”に頼る他はない。それを怠る時そこには危険が待受ける事になる。罪を犯す者もまた然りである。

が、貴殿は当惑するかも知れないが、一見善人で正直に生きた人間が霊界へ来て、自分を未発達霊の中に見出す事が実に多い。意外に思うかも知れないが、事実そうなのである。彼らは霊的能力の多くを発達させる事なく人生を終え、全てが霊的である世界に足を踏み入れて始めてその欠如に気付く。

知らぬ事とは言え、永きに亘って疎(おろそ)かにしてきた事について、それから徐々に理解していく事になる。それは色盲の人間が自分の視力の不完全さに気付く事なく生活しているのと同じ事である。しかも他人からもそうとは知られないのである。

– 何か好い例をお示し願えませんか。

生半可な真理を説く者は、こちらへ来て完全な真理を説かねばならなくなる。インスピレーションの事実を知る者は実に多いが、それが神と人間とのごく普通の、そして不断の連絡路である事は認めようとしない。

こちらへ来れば代って自分が – 資格が具われば – インスピレーションを送る側にまわり、その時初めて自分が地上時代にいかに多くのインスピレーションの恩恵に浴していたかを思い知る。こうして彼らはまず自分に欠如した知識を学ばねばならない。向上はそれからの事であり、それまでは望めない。

さて、悪は善の反対である。が、貴殿も知る通り双方とも一個の人間の心に存在する。そのいずれにも責任を取るのはあくまで自由意志に係わる問題である。その自由意志の本質とその行使範囲については又の機会に述べるとしよう。

神のご加護のあらん事を。アーメン†

「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†■2022年3月2日UP■
「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†
ある意味「暗殺よりヒドイ」と僕は思っていまして、何をどう頭をひっくり返しても許容できない事を霊団に言われているのです。信じられない、本当に最悪、こんな人生死んでも有り得ない、霊団はそういう状況に僕を突入させる事を完全に決定したと意味を受け取れる内容であり、到底承諾できません。その苦しみを身に浴びる事によって「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡の実現につながり、奴隷の女の子たちの救出につながるという事であれば、まだ耐える意味を見出す事もできると思うのですが、霊界側はもう完全に女の子たちを見殺しにする事を決定した様子で「目標に到達できないのに苦しみだけ続行させられるとはどういう事だ」という考えがイヤでも出てきてしまうのです…続きを読む→
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→

まず本文の最終校正は完了してますがまだ細かい作業が残ってまして、そちらをやっていました。目次のページ数がグチャグチャ。慌てて数字を修正しました。この部分もセクションマネージャを扱えるようになれば自動化できるのです。何とか自動化したい。AffinityPublisherのチュートリアルムービーを見てもそこまでは解説されていません。さぁ困ったな。

で、復刊者コメントはたぶん明日には撃ち終わりますので、そこから表紙1、4のtiffを作成してデータアップロードとなります。そうなれば3月の頭ぐらいに書籍が手元に到着する事になるものと思われます。止まらず「ベールの彼方の生活4巻」のテキスト流し込みに入ります。

さらに現在「私の霊界紀行」のOCR変換テキストの見直しも進行中。さらに「シルバーバーチの霊訓」は現在1巻2巻がテキスト化完了してますが、3巻~12巻、さらにそれとは別にもう5、6冊あります、それら全てのテキスト化を完了させないといけませんので、考えただけで絶望的作業量となります。しかしやるしかない。

「自動書記嘆願の祈り」継続中ですがまるっきり無視されている状態です。しかし出版社設立して事業継続していこうと思ったら新規の霊言が降ってくる事が必須です。霊的知識を物質界に拡散させるという意味でも何とか降らせてくれよ、と僕は思っているのですが霊団はそうは思っていなくて別の事を言ってきます。それについて次回長文ブログで説明するかも知れません。

まずは復刊者コメントをUPさせる事に集中中。復刊が実現するとして本番用の印刷会社の選定をやらないといけません。現在使用中の日本最安(と思われる)印刷会社は製本のクオリティが低く本番流通用としては全く使えませんのでそこも考えないといけません。印刷費がお高くなってしまいますが仕方ない(祈)†

「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†■2023年7月12日UP■
「巻は続くと」これはシルバーバーチの霊訓が続くという意味、そうあって欲しいですが(祈)†
僕はこの「カミンズ方式」で霊媒の仕事をするつもりでいるのです。僕の意見などどうでもいい、それより霊団が降らせるつもりで準備してきたテキストを滞りなく全て降らせる事に集中するという事です。仮にその僕の姿勢が功を奏して霊団側の仕事がスムーズに進み、予定時間より早く降らせる分のテキストを降らせ切ってしまい時間が余ったとしましょう。それでも僕は口を挟まないつもりで、その余った時間で霊団が個別に言いたい事があるかも知れませんので、それも紙にしっかり書いてもらう事に集中し、僕からは何も言わない、要求しないつもりなのです。というのも、僕の場合は何も自動書記のジャマなどしなくても日常的にインスピレーションというカタチで霊団と意思疎通、やり取りをしているからです。僕の生活に孤独というものは存在しません、来る日も来る日も霊団が霊聴にピーチクパーチクしゃべくってきてムカつかされていますので自動書記というカタチでやり取りしなくても別にいいのです…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

凝ろうと思えばまだいくらでも描き込めるのですが、とりあえずこれくらい描けば十分ではないかという事で表紙をUPさせました。あとは「復刊者コメント」を撃って書籍データ完成となります。今回はやや長文になりそうです、さっそく取り掛かりましょう。

あと、AffinityPublisherの「セクションマネージャ」を使いこなせるようになりたいのですが(目次、ヘッダー等を自動挿入できるようになる機能)どうしてもマスターできずにいます。このセクションマネージャ、挙動が分からない、全然思ったように設定できない。スゴイおかしなクセがあってどうしても扱えません困っています。自動化してさらに作業スピードを上げたいところなのですが。

あと、明日「出版社の表札」が到着します。到着したところで外に貼る訳にもいかず、ただ持っているだけになってしまいますが「何が何でもやってやる」という決意を込めた注文でした。WordPressにはモザイクで画像をUPさせて頂きます。さぁ作業を急ぎますのでここまで(祈)†

「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→

1913年11月3日 月曜日

守護霊のザブディエルと申す者です。語りたい事があって参りました。

– ご厚意有難く思います。

ご母堂とその霊団によって綴られてきた通信(第1巻)にようやく私が参加する段取りとなりました。これまでに授けられた教訓をさらに発展させるべき時期が到来したという事です。貴殿にその意志があれば是非ともそのための協力を得たいと思います。

– 恐縮に存じます。私に如何なる協力をお望みでしょうか。

ここ数週間に亘ってご母堂とその霊団のために行って来られた如くに、私のメッセージを今この時点より綴って欲しく思います。

– という事は母の通信が終わり、あなたがそれを引き継ぐという事でしょうか。

その通りです。ご母堂もそうお望みである。もっとも、時にはその後の消息をお伝えする事もあろうし、直接メッセージを届けさせようとは思っています。

– で、あなたが意図されている教訓は如何なる内容のものとなりましょうか。

善と悪の問題、並びにキリスト教界および人類全体の現在並びに将来に関わる神のご計画について述べたいと思う。もっともそれを貴殿が引き受けるか、これにて終わりとするかは、貴殿の望む通りにすればよい。

と申すのも、もとより私は急激な啓示によって悪戯に動揺を来す事は避け徐々に啓発して行くようにとの基本方針に沿うつもりではあるが、その内容の多くは、貴殿がそれを理解し、私の解かんとする教訓の論理的帰結を得心するに至れば、貴殿にとってはいささか不愉快な内容のものとなる事が予想されるからです。

– 私の母とその霊団からの通信はどうなるのでしょうか。あのままで終わりとなるのでしょうか。あれでは不完全です。つまり結末らしい結末がありません。

さよう終わりである。あれはあれなりに結構である。もともと1つのまとまった物語、或いは小説のごときものを意図したものでなかった事を承知されたい。断片的かも知れないが正しい眼識をもって読む者には決して無益ではあるまいと思う。

– 正直言って私はあの終わり方に失望しております。あまりに呆気(あっけ)なさすぎます。また最近になってあの通信を(新聞に)公表する話が述べられておりますが、そちらのご希望は有りのままを公表するという事でしょうか。

それは貴殿の判断にお任せしよう。個人的に言わせてもらえば、そのまま公表して何ら不都合はないと思うが…ただ一言申し添えるが、これまで貴殿が受け取ってきた通信と同様に、今回新たに開始された通信も、これより届けられる一段と高度な通信の為の下準備である。それをこの私が行いたく思います。

– いつからお始めになられますか。

今ただちにである。これまで通り、その日その日、可能な限り進めればよい。貴殿には貴殿の仕事があり職務がある事は承知している。私を相手とする仕事はそれに準じて行う事にしよう。

– 承知しました。出来る限りやってみます。しかし正直に申し上げて私はこの仕事に怖れを感じております。その意味は、それに耐えて行くだけの力量が私には不足しているのではないかという事です。と言いますのも今のあなたの言い分から察するに、これから授かるメッセージには、かなり厳しい精神的試練を要求されそうに思えるからです。

これまで同様に吾らが主イエス・キリストのご加護を得て、私が貴殿の足らざる所を補うであろう。

– では、どうぞ、まずあなたご自身の紹介から始めて頂けますか。

私自身の事に貴殿の意を向けさせる事は本位ではない。それよりも、私を通じて貴殿へ、そして貴殿を通じて今なお論争と疑念の渦中にあり、或いは誤れる熱意をもって“あたら”無益な奮闘を続けているキリスト教徒へ向けた啓示に着目して貰いたい。

彼らに、そして貴殿に正しい真理を授けたい。それを更に他の者へと授けて貰いたいと思う。その仕事を引き受けるか否か貴殿にはまだ選択の余地が残されております。

– 私は既にお受けしています。そう申し上げたはずです。私ごとき人間を使っていただくのは誠に忝(かたじけな)い事で、これは私の方の選択よりそちらの選択の問題です。私は最善を尽します。誓って言えるのはそれだけです。ではあなたご自身について何か…。

重要なのは私の使命であり私自身の事ではない。それはこれより伝えていく思想の中に正直に表れる事であろう。世間というものは自分に理解できない事を口にする者を疑いの目をもって見るものである。仮に私が「大天使ガブリエルの顕現せる者なり」と言えばみな信ずるであろう。聖書にそう述べられているからである。

が、もし「“天界”にて“光と愛の聖霊”と呼ばれる高き神霊からのメッセージを携えて参ったザブディエルと申す者なり」と申せば彼らは果して何と言うであろうか。故に、ともかく私にそのメッセージを述べさせてもらいたい。

私および私の率いる霊団についてはそのメッセージの中身、つまりは真実か否か、高尚か否かによって判断して貰いたい。貴殿にとっても私にとってもそれで十分であろう。そのうち貴殿も私のあるがままの姿を見る日が来よう。その時は私についてより多くを知り、そしてきっと喜んでくれるものと信じる。

– 結構です。お任せ致します。私の限界はあなたもご存知と思います。霊視力もなければ霊聴力もなくいかなる種類の霊能も持ち合わせていないと自分では思っております。

– しかし少なくともこれまで綴られたものについては、それが私自身とは別個のものである事は認めます。そこまでは確信しております。ですからあなたにその意思がおありであれば私は従います。それ以上は何も言えません。私の方から提供するものは何も無いように思います。

それでよい。貴殿の足らざるところはこちらで補うべく努力するであろう。今回はこれ以上は述べない事にしよう。そろそろ行かねばなるまい。用事があるであろう。主イエス・キリストのご加護のあらん事を。アーメン†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†■2022年12月21日UP■
「人の心を救いたまえ」物質界の邪悪を滅ぼすな、奴隷の女の子を救出するな、という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁は物質界生活中は自身の犯罪をゴマかし通しすっとぼけ続ける事ができても帰幽後にその邪悪の行為の責任を寸分の狂いもなく取らされる、イヤ取らされるどころか神から賜った個的存在を剥奪されるかも知れない。奴隷の女の子たちには物質界で味わわされた悲劇、悲しみを補って余りある埋め合わせが待ち受けているのだから、何も悲しむ必要はない。霊団はそういう視点でインスピレーションを降らせているのかも知れませんが、今こうしている現在も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁によって四肢切断、強姦殺人され続けていると知っていてただ指をくわえて見ていろというのか。僕の悟りが足りないと霊団に言われるのかも知れませんがやはり釈然としません…続きを読む→
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†■2023年4月26日UP■
「中止します」地球圏霊界は大量強姦殺人魔を容認し放置するという意味です(祈)†
僕を苦しめる事そのものが当初からの目的だったのではないか。僕に物質界の邪悪の情報拡散をさせる事によって、邪悪の滅亡時期を若干早める事はできるだろうが、僕一代で目的達成させようとは考えていない。で、霊界側としては僕の物質界生活中にできる限りの仕事をさせつつ、僕の霊格も可能な限り高めさせておいて、帰幽後も僕を仕事(物質界浄化活動)に活用し続けるつもり。そういう長いスパンで僕という霊の道具を使い倒すというのが当初からの(もっと言えばイエス様の)計画で、それで助けられないのに奴隷の女の子の事を延々と僕に教えてきて苦しみを倍加させる事で(苦難を与えるという意味)僕の霊格を高めさせたという事なのではないか)…続きを読む→

先ほどお話したアイデアですが「絶版状態の霊関連書籍の復刊」が実現できなくても書籍を出していくアイデアという事になり、本当は僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってきてそれを書籍化するのがベストと思っていたのですが、それすら無さそうなのでかくなる上は自分で書くという事です。

「自動書記の嘆願の祈り」を続行してますが、物質界の人間にそう言われてハイ分かりましたやりましょう、という簡単なモノではありません、霊界側で超シチメンドクサイ準備をしなければならない作業ですので、僕の嘆願が聞き入れられないのは当然としても、霊言というカタチで降らせる事が不可能なんだからもう自動書記しかないだろ、そう思うからこそ祈りを始めたのです。

新規の霊言を降らせてそれを物質界に拡散できればあんたたち(霊界の人間)も願ったり叶ったりのはずだろ。僕の方の拡散の準備はすっかり整ってるんだよ、降ってこないからできずにいるんだよ。あんたたち次第なんだよ。どうもやる気が無さそうな感じに見えますが。

ただコレには霊的事情というものがありまして、以前もどこかのブログで書いたような気がしますが、さらに説明する必要もあるかも知れませんので次回の長文テキスト撃ちの時にそれを撃つつもりで準備しておきましょう撃たないかも知れませんが。異なる次元間を股にかけての仕事ですから簡単じゃあないんですよ。

表紙カラーリング、復刊者コメント、OCR変換テキストの見直し、このあたりを急ぎます。どうしても復刊できなくても本は出す、という事です。もっと言うと脱出してみせる、という事です。このまま閉じ込められ続けるのは死んでも有り得ない。何が何でもやってやる(祈)†

「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†■2022年8月10日UP■
「天使を喜ばせる事にはほぼ成功している」人間の霊と天使は別個の存在です(祈)†
霊界と物質界つまり顕幽をつなぐ通信方法としてもっとも健全かつ正常な手段が「インスピレーション」であり、霊界側にとっても、物質界の人間が霊的チャンネルを開いてくれてインスピレーションを受け取れるようになってくれる事が一番手間が省けるという事なのです。霊媒現象を実現させようと思ったら、異なる次元間にあんなメンドクサイ橋、こんなメンドクサイ橋をかけねばならず、また決まって人間側の無理解、無知、不信心が障害となって霊界側の長年の準備が泡と消されてしまうという事が往々にしてあるそうです…続きを読む→
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†■2022年10月5日UP■
「あなたを守りたい」これがつまり奴隷の女の子を助けないという意味なのです(祈)†
僕が奴隷の女の子を救出すると、その霊団が降らせて教えてきた物的攻撃に晒される事になり、霊団はその攻撃から僕を守るために奴隷の女の子の救出をあきらめざるを得ないといったような事を言っているのです。そして奴隷の女の子の事をあきらめさせるために交霊会の事をずっと言い続けてくるのです。「アキトくんの気持ちは分からないでもないが、奴隷の女の子たちは自らの罪障消滅のため、霊的向上のために自ら志願してその人生を選択し、奴隷の女の子として物質界に降下した人間なのだ。それよりキミは自分の使命遂行を成功させる事を考えなさい」とでも言っている霊団の声が聞こえてきそうです。要するに奴隷の女の子たちを見殺しにするのは非情というのとは違う、霊的視点に立って考えないと真実の理解には到達しない、という事なのですが、この心の中に渦巻く釈然としない気持ちはどうやっても拭う事ができません…続きを読む→

「ベールの彼方の生活3巻」最終校正完了中。あとは表紙と復刊者コメントを用意すればデータアップロードにもつれ込む事ができます。とにかく急ぎますが、昨日霊団が降らせてきたインスピレーションに関連して僕の中でひとつアイデアのようなものが浮かんでいますが、イヤ、それは僕がアイデアを思いついているのではなくて霊団にそのように心をもっていかされていると言った方が正しいでしょう。

が、霊団にやらされてる感があってややムカつくものの、そのアイデア自体は以前から「やれたらいいなぁ」と思っていたもので、もう力業(ちからわざ)でやってしまってもいいのかも知れないと思い始めていますが、やってみたところで脱出にはつながらない、今の最悪のところに閉じ込められてただ作業量が増えて自分で自分の首を絞めるだけの状況になるのは火を見るより明らか。

さぁどぉぉしたもんかと思いつつも一応前向きに検討中です。「自動書記の嘆願の祈り」と関連して霊団にこのように心をもっていかされている状態と言っていいと思います。簡単には説明できませんので長文ブログのタイミングでお話させて頂く事になるかどうか。心境微妙なアイデアではあるものの「出版社設立」を実現させる最短ルートと言えるかも知れないアイデアとなります。イヤ別に何でもない簡単なお話なんですけどね。

OCR変換テキストの見直しも続行中。OCR変換まではやってあるがテキストを完全版に出来ていない書籍が60冊以上あります。本当に地獄の作業ですが、だからこそ日々少しずつでも進めないといつまでたっても終わりません。あらゆる書籍のテキスト化を完成させておけば「引用」でガンガン使えるようになるのです。それがスゴク大事。

まずは表紙のカラーリングにケリをつけます急ピッチで作業中。そして今回の復刊者コメントは長文を撃つ事になりそうですので(言いたい事がたくさんあるため)なおさら急がないといけません。アイデアについてはまたお話させて頂きます、一旦切ります、作業続行中(祈)†

トレイルムービー「これほどバカな事はないよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁に国民の皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†■2022年1月5日UP■
トレイルムービー「これほどバカな事はないよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁に国民の皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†
トレイルムービーの制作に大いに苦しめられています。とにかく「長文テキスト撃ち」「アナログ絵描画」「トレイルムービー制作」という3つのコンテンツを同時進行で制作し続けるのは何をどうやってもムリなのです。そんな中、今回は「字幕をpngで書き出す」「MP3をテキスト読み上げフリーソフトで書き出す」というふたつの新たな試みをテストしてみましたが、結果はどちらも大変時間がかかる作業だと判明しました。このふたつの手法を今後も採用し続けるのは非現実的です。やはり「字幕.srtファイル」の編集に戻るしかなさそうな空気感となっています。とにかくトレイルムービーの制作は苦しくて続ける自信がありませんが、できるところまでやってみます…続きを読む→
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→

本書は原著者の「まえがき」にもあるとおり1913年から始まった本格的な霊界通信を4つの時期に分けてまとめた4部作のうちの第1部である。

「推薦の言葉」を寄せたノースクリップ卿が社主をつとめる「ウィークリー・ディスパッチ」紙上に連載され、終了と同時に4冊の単行本となって発行されたのであるが、これとは別に、オーエン氏の死後、残された霊界通信の中から断片的に編集されたものが2編あり、それが1冊にまとめ第5巻として発行されている。

誰れが編纂したのか、その氏名は記されていない。それは己むを得ないとしても、内容的に前4巻のような一貫した流れがなく、断片的な寄せ集めの感が拭えないので、今回のシリーズには入れないことにした。

通信全体の内容を辿ってみると、第1巻の本書はオーエン氏の実の母親からの通信が大半を占め、その母親らしさと女性らしさとが内容と文体によく表われていて、言ってみれば情緒的な感じが強い。

がその合間をぬってアストリエルと名告る男性の霊からの通信が綴られ、それが第6章にまとめられている。地上で学校長をしていたというだけあって内容がきわめて学問的で高度なものとなっている。がそれも第2巻以後の深遠な内容の通信を送るための(オーエン氏の)肩ならし程度のものであったらしい。

第2巻を担当したザブディエルと名告る霊はオーエン氏の守護霊であると同時に、本通信のために結成された霊団の最高指導霊でもある。が地上時代の身元については通信の中に何の手掛かりも出て来ない。

高級霊になると滅多に身元を明かさないものであるが、それは1つには、こうした地上人類の啓発のための霊団の最高指揮者を命ぜられるほどの霊になると、歴史的に言っても古代に属する場合が多く、たとえ歴史にその名を留めていても、伝説や神話がまとわりついていて信頼できない、ということが考えられる。

さらには、それほどの霊になると地上の人間による評判などどうでもよいことであろう。このザブディエル霊の通信の内容はいかにも高級霊らしい厳粛な教訓となっている。

これが第3巻そして第4巻となると、アーネルと名告る(ザブディエルと同じ界の)霊が荘厳な霊界の秘密を披露する。とくにイエス・キリストの神性に関する教説は他のいかなる霊界通信にも見られなかった深遠なもので、キリストを説いてしかもキリストを超越した、人類にとって普遍的な意義をもつ内容となっている。まさに本通信の圧巻である。

さて近代の霊界通信と言えば真っ先に挙げられるのがステイントン・モーゼスの自動書記通信『霊訓』であり、最近ではモーリス・バーバネルの霊言通信『シルバーバーチの霊訓』である。そして時期的にその中間に位置するのがこの『ベールの彼方の生活』である。

内容的に見ると『霊訓』はキリスト教的神学の誤謬(ごびゅう)を指摘し、それに代わって霊的真理を説くという形で徹頭徹尾、文字どおり“霊的教訓”に終始し、宇宙の霊的組織や魂の宿命、たとえば再生問題などについては概略を述べる程度で、あまり深入りしないようにという配慮さえ窺われる。それは本来の使命から逸脱しないようにという配慮でもあろう。

これが『ベールの彼方の生活』になると宇宙の霊的仕組みやキリストの本質について極めて明快に説き明かし、それが従来の通念を破るものでありながら、それでいて理性を納得させ且つ魂に喜悦を覚えさせるものをもっている。もっともそれは、正しい霊的知識をもつ者にかぎられることではあるが。

そしてシルバーバーチに至ると人間世界で最も関心をもたれながら最も異論の多い“再生”の問題について正面から肯定的に説き、これこそ神の愛と公正を成就するための不可欠の摂理であると主張する。

ほぼ50年続いた霊言に矛盾撞着は1つも見られない。同時にシルバーバーチが“苦難の哲学”とでも言えるほど苦しみと悲しみの意義を説いているのも大きな特徴で、「もし私の説く真理を聞くことによってラクな人生を送れるようになったとしたら、それは私が引き受けた使命に背いたことになります。

私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そして一層力強い人間となって下さることが私どもの真の目的なのです」と語るのである。

こう観て来ると、各通信にそれぞれの特徴が見られ、焦点がしぼられていることが判る。そして全体を通覧した時、そこに霊的知識の進歩のあとが窺われるのである。それをいみじくも指摘した通信が『霊訓』の冒頭に出ている。その一部を紹介する。

『啓示は神より授けられる。神の真理であるという意味において、ある時代の啓示が別の時代の啓示と矛盾することは有り得ぬ。但しその真理は常にその時代の必要性と受け入れ能力に応じたものが授けられる。一見矛盾するかに見えるのは真理そのものにはあらずして、人間の心にその原因がある。

人間は単純素朴では満足し得ず、何やら複雑なるものを混入しては折角の品質を落とし、勝手な推論と思惑とで上塗りをする。時の経過とともに、いつしか頭初の神の啓示とは似ても似つかぬものとなって行く。矛盾すると同時に不純であり、この世的なものとなってしまう。やがて新らしき啓示が与えられる。

がその時はもはやそれをそのまま当てはめられる環境ではなくなっている。古き啓示の上に築き上げられた迷信の数々をまず取り壊さねばならぬ。新らしきものを加える前に異物を取り除かねばならぬ。啓示そのものには矛盾は無い。が矛盾せるが如く思わしめる古き夾雑(きょうざつ)物がある。

まずそれを取り除き、その下に埋もれる真実の姿を見せねばならぬ。人間は己れに宿る理性の光にて物事を判断せねばならぬ。理性こそ最後の判断基準であり、理性の発達せる人間は無知なる者や偏見に固められたる人間が拒絶するものを喜んで受け入れる。

神は決して真理の押し売りはせぬ。この度のわれらによる啓示も、地ならしとして、限られた人間への特殊なる啓示と思うがよい。これまでも常にそうであった。モーセは自国民の全てから受け入れられたであろうか。

イエスはどうか。パウロはどうか。歴史上の改革者をみるがよい。自国民に受け入れられた者が1人でもいたであろうか。神は常に変わらぬ。神は啓示はするが決して押しつけはせぬ。用意の出来ていた者のみがそれを受け入れる。無知なる者、備えなき者はそれを拒絶する。それでよいのである。』

今あらためて本霊界通信を通覧すると、第1巻より第4巻へ段階的に“進歩”して行っていることが判る。それを受け入れるか否か、それは右の『霊訓』のとおり“己れに宿る理性の光”によって判断していただく他はない。願わくば読者の理性が偏見によって曇らされないことを祈りたい。

訳者としてはただひたすら、本通信に盛られた真理を損ねないようにと努めるのみであるが、次元の異なる世界の真相をいかに適切な日本語で表現していくべきか、前途を思うと重大なる責任を感じて身の引きしまる思いがする。が“賽(さい)は投げられた”のである。あとは霊界からの支援を仰ぐほかはない。

シルバーバーチの言葉を借りれば、“受け入れる用意の出来た人々”が1人でも多くこの霊界通信と巡り合い、その人なりの教訓を摂取して下さることを祈る次第である。

(1985年)


復刊者コメント

僕(たきざわ彰人)は、この「ベールの彼方の生活 全4巻」が本当に大好きなのです。霊界下層界での生活の様子を紹介した書籍は他にもありますが、次元が違うために3次元の物質界の言語などでは到底説明できない上層界での生活の様子を可能な限り詳細に紹介してくれている霊界通信は、現時点で「ベールの彼方の生活」以外にないのではないでしょうか。

この1巻は著者であり霊媒でもあるオーエン氏の、既に帰幽されたご母堂からの通信が大半を占めており、2巻、3巻、4巻と比べると軽視される傾向があるのかも知れません。しかし僕は読み進めるほどにご母堂の語る内容の深遠さに激しく胸を撃たれるのです。

ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。

あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。

っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです。

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僕は守護霊様におケツをひっぱたかれた記憶はないなぁ。霊性発現後に守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れ、代わって「100の光の霊団」の管轄に切り替わってからは、その導きの方向性がキビシすぎてすっかり心が怒り憎しみに包まれてしまっているのです。が、このお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

守護霊様についてはたくさんブログを書いていますが、ご参考までにコチラを紹介させて頂きます↓

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
wp.me/pa9cvW-67H

上記のご母堂の言葉を僕に当てはめるなら「人間に死はなく帰幽後も霊界で永遠の向上の生活を送る」という霊的知識を完全に理解した事によって物質界の邪悪に何ら恐怖心を抱く事がなくなった、それで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を長年にわたって公言する事ができているという事になります。「霊的知識を理解すると勇気ある行動に出る事ができる」僕は図らずもこの状態をやらされてしまっているという事になります。

あと、6章のアストリエル霊ですが、できればもっと天体の事についてお話して頂きたかったですね。しかしこれについても「物質界の人間に軽々しく知識を教えてはならない」という霊界側の厳格な決まりがあるそうで、あくまで物質界の人間みずから刻苦努力してその秘密を探り当てねばならないのだそうです。

その努力の方向性で僕が経験から思う事は「物的努力」よりも「霊的努力」によって秘密を探り当てるのだろうという事です。その、霊界側が明かさずにいる秘密、秘奥というのはもちろん「霊的秘奥」のはずですから物的肉眼には映じず、いかなる物的機器をもってしても計測できない性質のものでしょう。霊的方法でその秘密を解明しなければならないという事だと思うのです。

さぁ、僕は70冊超の霊関連書籍を何とか復刊させようとしていますが、単純に作業量が殺人的すぎて僕の物質界生活中に全ての作業を完結させられないだろうという思いと、もうひとつ物的事情によって実現を阻まれるというふたつの理由で、全ての書籍の復刊は叶わないものと予測しますが、できるところまではやるつもりです。

僕はこれらスピリチュアリズム関連の書籍群を「人類の宝」だと思っていまして(この僕の考えには多くの方が共感して下さるものと信じますが)絶版状態を回避させて未来、後世にこの正しい霊的知識を伝え残さねばならないと強く思っています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はありませんので、既存の霊関連書籍の復刊が「霊的知識普及プライオリティ最上位」の作業という事になります(祈)†


ベールの彼方の生活1巻表紙テスト01-line-small

※オマケ – 表紙の線画の原画をUPです。僕は「イエス様ハンドリング」と銘打って霊的使命遂行を長年にわたっておこなっている関係で、イエス様の絵も多数描いています。(WordPressの中の「アナログ絵」からご覧頂けます)現在は全然なくなりましたが、霊性発現初期の頃は何度も何度もイエス様のお顔の顕現に浴させて頂きました。

(※その顕現の最大のモノはブログで何度も書いています「イエス様の怒涛の連続顕現」でした。物質界に籍を置く人間として、これ以上の光栄はないのではないでしょうか。もっともそこから僕の苦悩の人生が始まってしまったので良いやら悪いやらといったところなのですが…)

僕が描くイエス様の絵は、一応その顕現の時に拝したお顔を参考にして描いているのですが、僕が描くとどうしてもキャラキャラしてしまって威厳のようなものがありません、そこが宜しくありません。とはいえ僕はこういう絵柄ですので開き直って描くしかありません。

イエス様を描き始めた当初はもちろん“恐れ多い”気がして描くのを渋ったものですが、もう年月が経過していて、さらに霊団に対してだいぶムカついているという事情もありまして、イエス様もその他の方々もほぼ抵抗なくジャンジャン描くようになりました。アウトプットしなければいけませんのでもう四の五の言ってられないのです。

ももちゃん、シルキーはもはや霊的使命遂行メインキャラクターといっても過言ではない状態になっており、今後もツートップで描き続ける事になるでしょう。まぁ霊体の僕(ハタチの空気感)を前面に出すより100倍イイでしょう。ま、時々は僕も書籍表紙に登場させるかも知れませんが…(祈)†


新装版発行にあたって

「スケールの大きさに、最初は難解と思ったが繰り返し読むうちに、なるほどと、思うようになりました」こんな読後感が多数寄せられてきた本シリーズが、この度、装いも新たに発行されることになり、訳者としても喜びにたえません。

平成16年2月
近藤千雄


霊界通信
ベールの彼方の生活
第1巻「天界の低地」篇 – 新装版 –

近藤千雄(こんどう・かずお)
昭和10年生まれ。18歳の時にスピリチュアリズムとの出会いがあり明治学院大学英文科在学中から今日に至るまで英米の原典の研究と翻訳に従事。1981年・1985年英国を訪問、著名霊媒、心霊治療家に会って親交を深める。主な訳書 – M.バーバネル『これが心霊の世界だ』『霊力を呼ぶ本』、M.H.テスター『背後霊の不思議』『私は霊力の証を見た』、『シルバー・バーチの霊訓』『古代霊は語る』『心霊と進化と – 奇跡と近代スピリチュアリズム』(いずれも潮文社刊)

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2021年9月3日UP■
「いい加減にしてくれジャマ」これはキリスト教の2000年の呪いという意味ではないでしょうか(祈)†
インスピレーション「いい加減にしてくれジャマ」の説明に戻ってみましょう。これはつまり霊界サイドは物質界に正しい霊的知識を普及させようとして、それこそ2000年前のイエス様の犠牲の降誕の時からイヤそれ以前からずっと仕事をしている訳ですが、キリスト教という呪いが物質界に蔓延してしまった事で霊的知識普及の大事業が遅れに遅らされてしまった。それを受けての霊界高級霊の方々の「我々には成すべき仕事が山のようにあるんだよ、そろそろジャマも本気でいい加減にしてくれ」という意味が込められているのではないかと僕は思ったのです…続きを読む→

AffinityPhoto、AffinityPublisherの作業はだいぶ早くなりました。テキストさえそろっていればそれをAffinityPublisherに流し込んでキンドルファイヤーで最終校正をする一連のプロセスをサクサクこなせるようになってきました。AffinityPhotoのアドオンを駆使しての表紙作成もだいぶ早く描き上げられるようになってきています。

しかしどうしてもスピードを上げられない作業があります「OCR変換テキストの見直し修正」です。これがいちばん苦しくて時間がかかります。だからこそやらないといけませんので「心霊と進化と」の次の書籍のテキストを揃える事をやりましょう「私の霊界紀行」「コナンドイルの心霊学」「霊は実在する、しかし」「迷える霊との対話」このあたりのテキストを揃えたいです。って、まだまだいくらでもあるのですが。

ベール3巻の「復刊者コメント」も撃ち始めますが、今回は長文を撃つ事になりそうです。というのも僕的に言いたい事がたくさんあるからです。そこは手を抜かず語るべきをしっかり語って、それから再び印刷テストを敢行しましょう。

霊団がいくつかインスピレーションを降らせてきていまして、詳細は長文ブログのタイミングに譲りますが、僕の「自動書記嘆願の祈り」に対する回答のような内容も含まれていて、要するに霊界側としては自動書記という鈍重な手段を用いるまでもなく我々はアキトくんという道具を駆使してもう十分に目的を達成している、なので自動書記をやる必要はない、と意味を受け取れそうな感じの事を言ってきていますが、イヤそうじゃなくって書籍化するのに必要だから降らせて下さいって言ってるんですよ。詳細はのちほど。

テキストを揃える事が最重要、それさえ整えばAffinityPhoto、AffinityPublisherの作業は早いです。OCR変換テキストとにらめっこする苦しい作業を何としても続けないといけません。言いたい事はまだまだありますが一旦切ります(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†■2023年5月31日UP■
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→

※フゥゥ、フラーの新規デザインとフラーのストーリーが描きたい。しかし今は脱出が最優先。って、脱出は叶わない可能性が大なのでこのまま絵が描けず終わる可能性すらある。それは認められないので戻るなんて事もあるかも…。

ベール3巻と言えば僕が大大大Dai好きな「暗黒界の探訪」が掲載されている巻ですが、その暗黒界降下前のエピソードにも僕の心に深く、イヤ痛く突き刺さる内容が含まれています。これは「復刊者コメント」の中で説明するかも知れません。キンドルファイヤーで読み込みながら(最終校正)心がえぐられる思いがするのでした。

3巻表紙の選択範囲も切ってます、間もなく切り終わってカラーリングに本格的に着手し、AffinityPhotoのアドオンを駆使して一気に仕上げます。そして2月中に印刷会社にデータのアップロードをおこないましょう。止まらない、絶対に止まらない。

この3巻を読み進めていると、現在僕が霊団の手によってイヤでイヤでどうしようもないところに徹底的に閉じ込められている理由が少し分かる気がしなくもなかったりします。もっともそれを心の底から認める気にはとてもなれませんが。これはとても一言ではお話できません。長文ブログのタイミングで腰を据えてテキスト撃つ性質の内容となります。イヤ撃てないかも。

僕はもう限界の限界までチカラを振り絞って努力している。もうこれ以上努力の積み重ねようがないと言えるくらいに努力しているつもりですが、それでもまるっきり脱出できない。これは絶対に100%おかしいという事になる。これだけやってるんだから出られるはずだ。これは異常事態だ。その理由が霊的理由という事のようなのです。

まずはベール3巻のUPに集中し、止まらずベール4巻の書籍データ作成にも着手します。4巻が終わってもさらに作成を続行します。復刊すべき書籍はまだまだたくさんあります。そして「自動書記の嘆願の祈り」も続行します。これは毎日霊団に対して思念を送信する精神的行為となりますが、僕のこの祈りは聞き入れられないものと思われます。しかし続行します。こちらも日を改めてまた説明させて頂きます、一言では説明できません。

ベールの彼方の生活、復刊できると信じてますが、とにかく書籍データの作成を通じてさらに深く読み進める事ができたのは僕にとって良かったと思います。この3巻は胸に深く突き刺さる。実際に痛みを感じる。

出版社の表札は数日中に到着予定。到着しても使用できません、ただ持ってるだけの状態となりますが「出版社設立絶対にやってやる」という決意の表札作成となります。WordPressにモザイクで画像をUPするかも知れません。最終校正の作業続行中(祈)†

「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→

1913年10月31日金曜日

吾々がこうして地上を訪れるのは人間を援助するためである、と思ってくださるのは結構であるが、人間本来の努力が不要となるほどの援助を期待されるのは間違いです。

地上には地上なりの教育の場としての価値があり、その価値を減じるようなことは許されません。これはもう自明の理と言ってもよいほど当たり前のことでありながら、人間にしか出来ないことまで吾々に依頼する人が多く、それも“ほどほど”ならともかくも、些(いささ)か度を超した要求をする人が多くて困ります。

– どなたでしょうか。

ご母堂と共に参りました。アストリエルとその霊団の者です。

– どうも。いつもの母の霊団の文章とは違うように思えたものですから。

違いましょう。同じではないはずです。その理由(わけ)は1つには性格が異なり、属する界が異なり、性別も違うからです。性別の違いは地上と同じく、こちらでもそれぞれ特有の性格が出るものです。もう1つは、地上での時代がご母堂たちとは違うからです。

– 古い時代の方ですか。

さよう。英国でした。ジョージ1世(1660~1727)の時代です。もっと古い時代の者もおります。

– 霊団のリーダーとお見受けしますが、ご自身について何かお教えねがえませんか。

いいでしょう。ただ地上時代の細かい事柄は貴殿らには難なく分かりそうに思えても、吾々には大変やっかいなものです。でも分かるだけのことを申し上げましょう。

私はウォーリック州に住み、学校の教師 – 学校長をしておりました。他界したのが何年であったか、正確なことは判りません。調べれば判るでしょうが、大して意味のないことです。

では用意して来たものを述べさせていただきましょうか。吾々は援助することは許されていても、そこには思慮分別(しりょふんべつ)が必要です。たとえば吾々霊界の者は学問の分野でもどんどん教えるべきだと考える人がいるようですが、これは、神が人間なりの努力をするための才能をお授けになっていることを忘れた考えです。

人間は人間なりの道を踏みしめながら努力し、出来るかぎりのことを尽した時にはじめて吾々が手を差しのべ、向上と真理探求の道を誤らないように指導してあげます。

– 何か良い例を挙げていただけますか。

すぐに思い出すのは、ある時、心理学で幻影と夢について研究している男性を背後から指導していた時のことです。彼は夢の中に予知現象が混じっている原因を研究していました。

つまり夢そのものと、その夢が実現する場合の因果関係です。私との意志の疎通ができた時に、私は、今までどおりに自分の能力を駆使して研究を続けておれば時機をみて理解させてあげようという主旨のことを伝えました。

その夜彼が寝入ってから私は直接彼に会い(※)、現在という時の近くを浮遊している出来ごと、つまり少し前に起きたことと、そのすぐ後に起きることとを影像の形で写し出す実験をする霊界の研究室へ案内しました。

そこでの実験にも限界があり、ずっと昔のことや、ずっと先のことまでは手が届かないのです。それはずっと上層界の霊にしか出来ません。

(※睡眠中人間は肉体から脱け出て、地上又は霊界を訪れる。その時かならず背後霊が付き添うが、その間の体験は物的脳髄にはめったに感応しない。きちんと回想できる人が霊能者である。 – 訳者)

吾々は器具をセットしてスクリーンの上に彼の住んでいる地区を映し出し、よく見ているように言いました。そこに“上演”されたのは、さる有名な人物が大勢の従者を従えて彼の町に入ってくる光景でした。終わると彼は礼を言い、吾々の手引きで肉体へ戻って行きました。

翌朝目を覚ましたとき何となくどこかの科学施設で実験をしている人たちの中にいたような感じがしましたが、それが何であったかは思い出せません。が午前中いつもの研究をしている最中に、ふと夢の中の行列の中で見かけた男性の顔が鮮明に蘇って来ました。それといっしょに、断片的ながら夢の中の体験もいくつか思い出しました。

それから2、3日後のことです。新聞を開くと同じ人物が彼の住んでいる地区を訪問することになっているという記事を発見したのです。そこで彼は自分で推理を始めました。

吾々が案内した実験室も、スクリーンに上演してみせたものも思い出せません。がその人物の顔と従者だけは鮮明に思い出しました。そこで彼が推理したのはこういうことでした。 – 肉体が眠っているとき人間は少なくとも時たまは4次元の世界を訪れる。

その4次元世界では本来のことを覗き見ることが出来る。が、この3次元の世界に戻る時にその4次元世界での体験の全てを持ち帰ることは出来ない。しかし地上の人物とか行列の顔といった3次元世界で“自然”なものは何とか保持して帰る、と。

予知された夢と実際の出来ごととの関係は4次元状態から3次元状態への連絡の問題であり、前者は後者より収容能力が大きいために、時間的にも、出来ごとの連続性においても、後者よりはどうしても広い範囲に亘ることになります。

さて、こうして彼は自分の才能を駆使して、私が直接的に教示するのと変わらない、大いなる知識の進歩を遂げました。それは同時に彼の知能と霊力の増強にも役立ちました。

むろん彼の出した結論はこちらの観点からすればとても合格とは言えず、幾つか修正しなければならない点がありますが、全体的に見てまずまずであり、実際的効用をもっております。私が直接的にインスピレーションによって吹き込んでも、あれ以上のことは出来なかったでしょう。

以上が吾々の指導の仕方の一例です。こうしたやり方に不満を抱き、人間的観点からの都合のよいやり方をしつこく要求する人は、吾々は放っておくしかありません。謙虚さと受容性を身につけてくれれば再び戻って来て援助を続けることになります。

ではこの話が差し当たって貴殿とどう関わりがあるかを説明しましょう。貴殿は時おり吾々の通信が霊界からのものであることに疑念も躊躇もなしに信じられるよう、なぜもっと(貴殿の表現によれば)“鮮明に”してくれないのかと思っておられるようであるが、以上の話に照らしてお考えになれば、貴殿がみずから考察して行く上でヒントになるものはちゃんと与えてあることに納得が行かれるはずです。

忘れないでいただきたいのは、貴殿はまだまだ“鍛練”の段階にあるということです。本来の目的はまだまだ成就されておりません。いや、地上生活中の成就は望めないでしょう。ですが吾々を信じて忠実に従って下されば、事情がだんだん明瞭になって行きます。

自己撞着(どうちゃく)のないものだけを受け入れていけばよろしい。証拠や反証を求めすぎてはいけません。それよりは内容の一貫性を求めるべきです。吾々は必要以上のものは与えませんが、必要なものは必ず与えます。批判的精神は絶対に失ってはなりません。がその批判に公正を欠いてはなりません。

貴殿のまわり、貴殿の生活には虚偽よりも真実の方がはるかに多く存在しています。少しでも多くの真理を求めることです。きっと見出されます。虚偽には用心しなければなりませんが、さりとて迷信に惑わされて神経質になってはなりません。

例えば山道を行くとしましょう。貴殿は2つの方向へ注意を向けます。すなわち一方で正しい道を探し、もう一方で危険が無いかを確かめます。が、危険が無いかというのは消極的な心構えであって、貴殿なら正しい道という積極的な方へ注意を向けるでしょう。

それでよろしい。危険ばかり気にしては先へ進めません。ですから、滑らないようにしっかりと踏みつけて歩き、先を怖がらずに進むことです。怖がる者はとかく心を乱し、それがもとで悲劇に陥(おちい)ることがよくあります。

では失礼します。こちらでの神の存在感はただただ素晴らしいの一語に尽きます。そして地球を取り巻く霧を突き抜けて輝き渡っております。その輝きは万人に隔てなく見えるはずのものです – 見る意志なき者を除いては。神の光は、見ようとせぬ者には見えません。

<原著者ノート>読者は多分、母からの通信を中心とするこのシリーズの終わり方が余りに呆っ気なさすぎるようにお感じであろう。筆者もその感じを拭い切れない。そこで次に通信を引きついだザブディエル霊にその点を卒直に質してみた。(第2巻の冒頭で – 訳者)

– 私の母とその霊団からの通信はどうなるのでしょう。あのまま終わりとなるのでしょうか。あれでは不完全です。つまり結末らしい結末がありません。

さよう、終わりである。あれはあれなりで結構である。もともと1つにまとまった物語、あるいは小説のようなものを意図したものではないことを承知されたい。断片的かも知れぬが、正しき眼識をもって読む者には決して無益ではあるまい。

– 正直言って私はあの終わり方に失望しております。あまりに呆気(あっけ)なさすぎます。また最近になってこの通信を(新聞に)公表する話が述べられておりますが、そちらのご希望は、有りのままを公表するということですか。

それは汝の判断におまかせしよう。個人的に言わせてもらえば、そのまま公表して何ら不都合はないと思うが。ただ一言申し添えるが、これまでの通信も今回新たに開始された通信も、これより届けられるさらに高尚なる通信のための下準備であった。それを予が行いたい。

結末について筆者が得た釈明はこれだけである。どうやら本篇はこれから先のメッセージの前置き程度のものと受け取るほかはなさそうである。

G・V・オーエン

「失われた10年を返せ」人生破壊、人権蹂躙の究極形、永遠に理解できないのです(祈)†■2022年3月30日UP■
「失われた10年を返せ」人生破壊、人権蹂躙の究極形、永遠に理解できないのです(祈)†
僕、たきざわ彰人は、全く違う人生を送るはずでした。「山を愛する“画家”・たきざわ彰人」として生涯1000作品を描く事を固く心に誓っていたのでした。しかし、壮絶な負荷を自分に課しての絵画作品の描画(一切手抜きをしなかったという事)そして山での果てしない修行によって肉体、精神の浄化が進んだからなのでしょうか、僕の人生は「霊性発現(2012年6月)」という想像だにしない展開に突入したのでした。自身の背後霊団の声が1日中霊聴に聞こえ始め、霊体のアチコチでスイッチがカチ、カチ、と入れられる感覚が走り、その後、猛烈な「法悦状態」に突入し、だいぶ長い間(正味6~8ヶ月くらいだったでしょうか)法悦の霊力が降り続け、僕はずっと鼻がキィィィン、頭、身体がフワァァァ、という状態で生活していたのでした…続きを読む→
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→