インスピレーションで僕の霊聴に実際に日本語で語る担当の霊が数人いて、その数人は霊団上層部の指示を受けて僕に伝えるべき内容を日本語に変換して僕に分かるように降らせてくるという仕事を長年やっているものと思われるのですが、その霊団の声の中に聞き慣れないものが混じるようになっています。

ボイスボックス(肉体の声帯をエクトプラズムで拵え、そこに霊体の口をあてがって地上時代とそっくりの声で話す霊現象)で僕に語りかけているのではなくインスピレーションですから、声色などどうとでも操作できるはずで、いつもと違う声が聞こえたからと言ってあまり過度に気にする事はない、それより内容を重視すべきだと思うのですが、明らかに性格の違う事を言われています。(違う人物に思えるという意味)

モーセ氏のDVDを観て以降にこの変化が起こっています。僕はこのDVDは霊的にはあまり価値がないと判断していますが(霊関連書籍の方が断然価値は上)僕の予測では霊団内に新たな高級霊の方が参加しておられるとか、そういう事ではなくて、そういう空気感を演出する事によって僕を目くらましして何だかんだ言って僕を閉じ込め続ける事が目的だと思われます。

とにかく物質界の邪悪の事など何も考えていない、もはや霊団は僕を一生最悪の中に閉じ込める事以外何も考えていないと断言してもイイような事を言われているからです。その目的達成のための目くらましの声だと僕は思っているのであまり真剣に聞かないようにしているのですが、しかし言われている事は僕に突き刺さる内容なので困っているという状態です。

「I Appeal Unto Caesar」70%完成中「モーゼスの霊訓 下」98%完成中。間もなく「Paul In Athens」の作業にも突入します。そしてストーリーのネームは完成していますのでそろそろ線画を描き始めます。時間が足りない。あの最悪のところから脱出して作業時間を増やす事ができればモチョト使命遂行がスムーズに進行するはずなのです。脱出は何と言われても決行する。「感情と手は別レイヤー」ですから作業は続行中(祈)†

「じゃあねー♪」霊団が僕から離れるのだそうです、別にそれでイイですけど(祈)†■2023年9月27日UP■
「じゃあねー♪」霊団が僕から離れるのだそうです、別にそれでイイですけど(祈)†
「帰幽後に霊界で賜る霊的褒章」を人生目標としている僕にとっては、この霊団が降らせる物的苦難を乗り越えた先に得られる霊的喜びは想像を絶するものがあり、大いに耐え忍ぶ意味があるという事になるのですが、何かが引っかかるのは僕だけなのでしょうか。僕個人の霊的進歩向上の事は考えてくれているようだが、物質界の邪悪を滅ぼす気は全くない、強姦殺人され続けている奴隷の女の子たちの事など見向きもしない、この霊界上層界の人間たちの思考回路は一体何がどうなっているのか。やはり僕が公言している「物質界は地球圏霊界の刑務所」という言葉は正解だと思います。刑務所の生活環境を良くしてしまったら刑務所として機能しなくなってしまいます。やはりコイツら(霊団)は物質界の問題を解決するつもりが本当にないんじゃないのか。ただ僕のようにできるだけ多くの人間を向上させようとしている、そちらが上位の目的であり、物質界の邪悪性はその向上のためのトリガーとして必要だから改善させる訳にはいかないという事なのではないか…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→

240821十戒DVD01

DVD2枚組、計4時間を観終わりましたが、ウソを書く訳にはいきませんので(この作品のファンの方には申し訳ありませんが)霊性発現を果たして12年間にわたって霊現象に浴させて頂きながら人生を送ってきた僕が、この作品を観ての正直な感想を述べさせて頂きます。

えー、まず演出面がイマイチと感じました。このストーリーを見ながら「僕ならこのシーンはもっとこうやってああやって、そうすればもっとおもしろくなるのに」とか思いながらフラストレーションの中で4時間を過ごした訳ですが、この映画(DVD)はエンタテイメント作品ではない、旧約聖書を忠実に映像化したモノだと考えるべきなのかも知れませんね。

大昔の事ですから記録もほとんど残されていない中で数少ない資料をもとにストーリー展開を考えておられるのでしょうから、事実と違う事をアレコレ盛り込む訳にもいかないという事情もあっての事なのかも知れません。おもしろいストーリー展開にするために事実に反するシチュを次々挿入とか、そういう事はできないのかも知れません。

で、演出面はそういう事情等もあり仕方ないとして僕がもうひとつガックシさせられたのが「霊的内容の記述がほとんどない」という事です。イヤ皆さまは「有名なあんなシーンとかこんなシーンとか、霊的展開が十分盛り込まれているじゃないか」と思われるのかも知れませんが、僕的にはハッキシ言って不完全燃焼でした。

というのもモーセ氏と言えば地球圏霊界に燦然と輝く偉大な霊覚者ですから、その物質界生活時の様子は徹頭徹尾霊的展開だったはずなのです。それを考えた時、このDVDは霊的内容が薄すぎる、事実に反すると僕は感じたのです。

例えば、モーセ氏は大勢の民を率いて砂漠、荒野を40年間も放浪の天幕生活をしておられた訳ですから(出エジプト記、ですか?読んだ事ないんですけども…)その間の食糧問題はどうするんですか。みんなを食べさせなきゃいけないでしょ。

その時イエス様もおやりになった「数匹の魚を何千匹に増やした霊現象」を当然やっているはずなのです。数枚のパンを何千枚に増やして皆に食べさせていたはずです。絶対にやっているはずです。逆に考えてみて下さい。砂漠のど真ん中で食べるものが何もない大勢の人間たち、このままでは暑さと飢えで死んでしまう、そのとき人間は生き残るためにどうしますか。

十戒に「人を殺してはならない」って書いてあるのに仲間同士殺し合いの人肉喰いになるに決まってるじゃないですか。モーセ氏の霊団は十戒を降らせて正しい生活を人間に説いているのに十戒の内容と正反対の状況が発生してしまうんですよ、そこは霊的に解決するに決まってるじゃないですか。もっとも「モーセ五書」にはちゃんと書かれていてDVDの中にはそのシーンがなかっただけなのかも知れませんが。

さらに、荒野をさすらうという厳しい生活で、しかも幼い子供や老人もたくさんいます。ケガや病気も多発していたはずです。そうなればイエス様もヘリと一緒に砂漠の民と生活していた時に砂漠の民たちを治療していたように、モーセ氏も心霊治療家として民を治療したり、治療しきれない時は安らかに帰幽させてあげたりしていたはずなのです。これも絶対にやっていたはずです。

そういう霊的シーンが全然ないじゃないですか。これはおかしい、という事になるのです。これもやはり「モーセ五書」にはちゃんと書かれている、僕が知らないだけという事もあるのかも知れませんが。

とはいえDVDの中に数が少ないですが霊現象と思われるシーンがいくつか登場します。が、そこに霊的説明を入れてくれよと、僕はスゴク言いたいのです。

何だかよく分からない感じでボンヤリそのシーンが過ぎ去って次のシーンに強制的に切り替わるみたいな感じで「イヤイヤ、今のは霊団のこういう方がこういう風にモーセ氏を使用して起こした霊現象で、この時はエクトプラズム量が不足していたので長時間はできなかった」とか、そういう解説のアナウンスが挿入されるべきだと思うんですよ。じゃなきゃ観てる側(僕たち)が分かんないじゃないですか。

ちなみに補足ですが、インペレーター霊によりますと「モーセ五書」はモーセ氏本人によって書かれたモノではなくて後世の人間が書いたものなのだそうですね。で、その書いた人間が霊的な事をあまり分かっていない人間だったとしたら、そういう霊的記述がスッポリ抜け落ちた書籍になっているという事は十分に考えられます。

つまりこのDVDのストーリーはそもそも正確ではない大昔の書籍を参考にして制作された不正確なストーリー、という事になると思いますので、あまり作者を責めるような事を言うのは酷だと思うのですが、たぶんこの映画の作者は霊関連書籍(つまりスピリチュアリズム)にあまり、イヤほとんど精通しておらず聖書のみを参考にしてこのストーリーを書いたのではないかと予測されます。

だから霊的説明がほとんど入っていない、つまり霊的知識としても頭に入っていなかったし自身が霊性発現している訳でもないので霊的体験もない、なので霊的ストーリーが書けるはずもない、知らないんだから、という事なのではないか、と思ってみたりみなかったり。

インペレーター霊が聖書の間違いをたくさん指摘して下さっています。僕たち物質界で生活している地球圏霊界の幼稚園児はインペレーター霊の言葉に何としても耳を傾け、間違った情報に毒されず正しい霊的知識を獲得するよう努めなければなりません。そういう意味ではこの映画の作者の方に申し訳ないのですが、霊的な事をお勉強したいと思っておられる方には僕はこのDVDはオススメしません。

このDVDを観るより「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍を通読した方がはるかにはるかに正確に霊的知識を獲得できます。それは僕が絶対の自信をもって断言させて頂きます。イヤ、あの、お安いので1枚手元に持っておくくらいはイイんじゃないでしょうか、とフォローを入れたりなんかして。

ハァァ、夏休みの読書感想文の状態になってしまいましたが、観た所感を僕なりに正直に述べさせて頂きました。不完全燃焼、霊的記述がペライ、もっと霊現象を盛り込んでくれ、ちゃんと霊的説明のMCを挿入してくれ、という感じですね。

ハァ疲れた、テキストの作業およびアナログ絵ストーリーの描画を進めます(祈)†

[本質においてプライベートな内容のものを公表するのは、決して私の本意とするところではないが、それを、あえてこうした形で公表するのは、1人の人間の思想的遍歴が他の大勢の人たちの経験となることも有り得るであろうし、私がたどってきた精神的および霊的な葛藤の過程が、同じような過程をたどりつつある人たちにとって参考になるかも知れないと考えたからである。

さて、その後数日間、霊による宗教上の教えに関する通信が途絶えていたが、私の胸には、以前にもましてさまざまな疑念が湧き起こり、それを遠慮なく書かせてもらった。

当時の私の心境を思い起こすと、インペレーターの通信を読んでは途方に暮れ、茫然(ぼうぜん)自失の状態にあったようである。そんな目新しいものを受け入れる余裕はとてもなかった。そして、私にとって最も気がかりだったのは“霊の身元”だった。

その時の私の考えでは、霊の教説をうんぬんするよりも、霊の地上時代の身元を明かしてくれる方が先決のように思えたのである。また、それくらいのことは出来るはずだと信じていたので、それが叶えてもらえないことに焦燥を覚えたのである。

今でこそ理解できるが、まず獲得すべきなのは“確信”であって、私が期待したような形だけの身元の証明ではその確信は得られないことが、当時(1873年7月)の私には理解できなかったのである。

さらに私を悩ませたのは、いわゆる霊界通信の多くが、決して有害とまでは言わないにしても、愚かしく、かつ、いい加減なものであるという印象を拭い切れないことだった。私はそれをキリスト教の思想家の教説と比較してみたが、やはり後者の方が上だった。

また私には、霊の見解の中に大きな矛盾があり、いろんな思想が混ざり合っているようにも思えた。個人的にもそのほとんどに共鳴できないし、それを受け入れる人にプラスになるとも思えなかった。これを信じる者は狂信家か熱狂者の類であると想像し、不快感さえ感じていた。

内容的にも、また交霊会における現象にも大して魅力を覚えず、私は、さきに述べた疑問点を書き連ねた。それは、主として地上時代の身元の証明に関するものと、神と人間との関係(つながり)、およびスピリチュアリズムの一般的性格とその成り立ちに関するものだった。次に掲げるのがそれに対する回答である – ]

神の啓示も人間を通じて届けられる

友よ、ふたたびそなたと対話を交えることをうれしく思います。そして、たとえこの機会にそなたの質問のすべてに答えることができず、またすべてを解決し得ずとも、神と人間との関係、ならびにわれわれの使命についてそなたが抱いている誤解の幾つかを正すことができるでしょう。

そなたの誤解の根源は、神および神と人間との関係についての間違った概念にあるように思えます。人類の歴史を通じて、唯一にして同一の神の啓示が一貫して流れていることに間違いはありません。

が、人間がその啓示を理解しようとするうちに、愚かにもその本性と働きについて、真実から大きくかけ離れた奇々怪々な概念を想像するにいたりました。

太古においては、そのお粗末な概念は何らかの物体の形をとり、祈りが叶えられれば畏敬(いけい)され、叶えられなかったら即座に捨て去られることの繰り返しでした。

当時の人間は、目の前の物体そのものには何の霊力もなく、背後に霊が控えていて、筋の通る祈りは叶えてあげようとしている事実を知りませんでした。彼らにはそれ以上の神の概念は思いつかなかったのです。目に見え、手に触れるものにしか、神の概念を託すことができなかったのです。

この点を“とくと”注意してもらいたい。“彼ら自身の神の概念”を託したのです。神そのものではなく、彼らが精いっぱい想像した未熟な概念だったのです。いい加減な占いの結果からお告げを引き出し、それを基準にして勝手な祭礼の規範をこしらえ、あげくには、それをもって神まで裁くにいたりました。

自分たちの想像した神を裁いたのです。彼らは同族の者たちの間で畏敬の的とされる人間的属性を神の属性と考えました。人間から切り離せない幾つかの弱点を、神も有するものと考えたのでした。

こうして出来あがった神は、何よりもまず、おのれの名誉の維持に腐心する神であり、ときに我慢づよく、ときには優しい慈悲心をもつ神でした。しょせんは神を語る者自身が、神はかくあるべきであると“想像したもの”だったのです。

要するにそれは栄光を授けられた“人間”、普遍絶対性と全知全能をそなえた“人間”だったわけです。彼らはそういう神を想像し、そういう神ならばこうするであろうと考えたのでした。

かくして、いつの時代にも、神の概念にはその時代の特色が反映しているわけです。それは、しかし、人間の成長とともに進歩します。その知的発達と人間性の洗練の度合に応じて進歩したものとなっていきます。

ほかでもない、その通路となる霊媒(霊覚者)が無知の足枷から解放され、光と知識へ向けて進歩しただけ、それだけ神についての正しい概念を把握することが可能となるからです。

人間の受容度を超えたものは届けられない

神が人間の受容性に応じて啓示を垂れるという事実は、これまでもたびたび述べてまいりました。当然そういうことになるのです。神も、人間の霊媒を通じて啓示する以上、その霊媒の受容能力に応じたものしか啓示できないのが道理だからです。

それは、そなたには奇異に思われ、理解することは不可能でしょう。ゆえに、これ以後も、われらは徐々にそなたの受容度に応じて真理を注入してまいります。そして、いずれは現在のそなたの概念の誤りに気づいてくれる日も来ることでしょう。

が、今はまだその時期ではなさそうです。神について人間各自が抱いている概念がすなわちその者にとっての絶対的な神である以上、啓示がその受容度を超えることは絶対に有りえないのです。事の本質上、それは不可能なのです。

それゆえ、そなたが神の働きの真意にまで言及して「そのような絶対に有りえない。それでは神の本質に反することになる。神がそのような行為に出られるはずがない。なぜなら、あの時も神もそのような行為に出られなかったからである」と述べるということは、言い変えれば、「私の神の概念はかくかくしかじかであるから、今それ以外の概念を受け入れるわけにはいかない。私の信じるところによれば、私の神はそのような態度を取られるはずはないからである」と述べていることになります。

われわれが指摘せんとするのは、まさにそこです。そなたは自分で自分の神をこしらえ、自分がふさわしいと考えるとおりの働きを、神に強要しているのです。そのうち – この地上にせよ、死後にせよ – そなたの視野が広がるにつれて新たな光が射し込み、「なるほど自分は間違っていた。神は自分が想像していたものとは、まるで違う。なぜあのような愚かな概念を抱いていたのだろう」と述懐する日も到来することでしょう。

これは、すべての進歩的人間に言えることです。その目覚めの時は、かならずしも地上生活中に到来するとはかぎりません。ある者は死後の新たな生活まで待たねばなりません。

が、この地上において洪水のごとき知識の恩恵に浴する者もいます。魂が古い信仰に魅力を失い、無味乾燥に思え、新たな、より真実味のある啓示を求めます。干天の慈雨のごとく、生命を生き返らせる何ものかを求めるのです。

さて、そなたはそなたなりの啓示を得られた…いや、今まさに手にされつつあるところです。見方によれば、これはそなたの精神が広がり、その受容力に応じた神の概念の入る余地ができたしるしと言えるでしょう。

さらに見方を変えれば、外部から新しい豊かな神の啓示 – 人類の歴史を通じて得られた啓示と同じ根源からの啓示 – が流入したと考えることもできましょう。

それはどちらであっても構いません。啓示と理解力、知識と受容力とは常に相関関係にあります。受容力がそなわるまでは知識は授かりませんし、精神がその不足を意識するほどに進化するまでは、より高い啓示は得られません。その理由は単純です。精神そのものが啓示を受ける通路だからです。

バイブルの神は未熟な人間の精神の産物

そなたが抱いている神の概念は、すべて、人間の精神を濾過器として地上にもたらされてきたものです。神を求める人間的渇仰が具象化したものです。未熟な精神の産物であり、その精神の欲求はかならずしもそなたの真実の欲求とは一致せず、したがってその神は、というよりは、神についてのその見解は、そなたにとっては違和感があります。

それをそなたは何とかして自分の思想構造に適合させんとしておられるが、しょせん、それは叶わぬことです。何となれば、その概念たるや、発達程度を異にするさまざまな人間による産物の混合物だからです。

よく考えていただきたい。そなたは、われわれの述べるところの概念が、そなたが“聖なる記録”から引き出す概念と相容れないことを理由に、われらを神の使徒とは認めないという。

ではお尋ねするが、われらの説く神は、いったいどの神と異なると言うつもりであろうか。アダムとともに人間の姿で地上を歩き、何も知らない者たちの犯した罪 – 今ではささいな過ちにすぎないとされている罪 – に恐ろしい報復をしたと、まことしやかに語られている神のことであろうか。

それとも、忠実な友にそのひとり子を供物として捧げることを命じたという神のことであろうか。あるいは、君主としてイスラエルを支配し、公衆衛生法規の発令と礼拝堂の建立に意を注ぎ、イスラエル軍とともに戦場におもむき、罪なき無抵抗の他民族を全滅させるための残忍この上ない法律と法規とを発令したという神のことであろうか。

もしかしてその神は、イスラエル軍が流血と修羅場の中でもうあと数時間戦えるよう、ヨシュアに特別の力を与えて宇宙の運行を止まらせ、太陽系を麻痺させたという神のことであろうか。

それとも、自分が選んだ民イスラエル人が目に見える君主を要求したことに腹を立て、以後100年にもわたって手を変え品を替えて報復し続けたという、あの神のことであろうか。

さらに、われわれの教えは、バイブルの大予言者たちの説く神々のいずれと相容れないというつもりであろうか。イザヤの神であろうか。エゼキエルの神であろうか。それともエレミヤの病的な心の産物である、あの陰気な神のことであろうか。

それとも、かのダビデの神 – 半ば慈父のごとく、半ば暴君のごとく、残忍さと寛大さとを交互に見せ、つねに矛盾と不合理に満ちた神のことであろうか。それともヨエルの神であろうか、ヨハネの神であろうか。

それともパウロのカルヴァン(1)主義的な、あの身の毛もよだつ天命と地獄と選抜、それに白日夢のごとき物憂(ものう)げな天国等々の幻想のことであろうか。それらのいずれと矛盾するというつもりであろうか。パウロかヨハネか、はたまたイエスか。

改めて述べるまでもなく、神の啓示はいつの時代にも、その時代の人間の受容能力に応じたものが授けられ、それがさらに人間の精神によって色づけされております。言い換えれば、神の概念は、鮮明度の差こそあれ、それを受けた霊感者の考えであったと言えます。

精神に印象づけられた霊示が、その霊感者を取り巻く精神的環境によって形を賦与されていったのです。すなわち、その霊感者の受容度に応じた分量の真理が授けられ、それが当人の考えによって形を整えたのです。

真理のすべてを授かった者は1人としておりません。みな、その時代、その民族の特殊な要請にかんがみて、必要な分量だけが授けられたのです。今も引き合いに出したように、神の概念が種々様々であるのはそのためです。

むろん、われわれと、われわれの説く神とは、ヨシュアとその神とは異なります。パウロとその神とも違います。もっとも、神なるものを最も正しく理解し、その真近かで生活したイエスによって、何も知らない民に寓話に託して説かれた曖昧な神の概念を、われわれの説く神と同列に置いて比較しようとは思いません。

イエスは、弟子の誰よりも鮮明に神を認識しておりました。その説くところは、きわめて単純にして平易であり、そして真摯(しんし)でした。その神の教えもまた、平易そのものでした。“天に在(ま)しますわれらが父” – 無知な人間が勝手に神の属性ときめつけ、他愛ない要求を神に押しつけている神学上の教説に比して、これはまた何という違いでしょう!

神!そなたはまだまだ神の何たるかをご存知ない!そのうちそなたも、その目をさえぎるベールの内側に立った時、それまで愚かにも想像していた神の概念の誤りを知って驚くことであろう。

真実の神は、およそそなたが想像しているものとは異なります。もしも神がキリスト教の説くとおりのものであるとすれば、その神は、創造者としてあるまじき侮辱を受けたとして、それを最初になすりつけた傲慢無礼なる人物に報復すべきところです。

神の本質は人間の理解力を超えている

が、神はそのようなものではありません。人間の哀れな奴隷根性などで捉えられる性質のものではないのです。神はそうした卑屈な想像しかできない愚昧な人間の無知を哀れみ、赦されます。けっして咎めだてはなさいません。無知は、故意でさえなければ、けっして恥ではありません。

が、神は、低劣な概念をいつまでも御生大事にする愚かさ、おのれの偶像を宿す暗くカビ臭い心に、新たな光を入れようとしない態度をこそ、お咎めになります。

闇を好み、光を嫌い、いつまでも過去の未熟な幻想にしがみつき、イエスの説いた単純素朴にして雄大な神に美を見出すことができずに、その崇高な概念に未開時代の神人同形同性説を継ぎ木しないと承知できない者たちをこそ咎められるのです。

それ以上の崇高な教えを受け入れられない者は今なお、けっして少なくありません。が、まさかそなたはその1人ではありますまい!

もしもそなたが、軽率にもわれらの教えを旧約聖書のそれと矛盾すると決めつけるのであれば、われらとしては次のように答えるほかはありますまい。すなわち、確かにわれらの教えは、神をあのような、腹を立て嫉妬するような人間的暴君に仕立てた、古い不愉快きわまる教説とは大いに矛盾するであろう。

が、イエスを通じて授けられた神聖そのものの啓示とは完全に軌(き)を一(いつ)にする。ただ、人間はそのイエスの教えを身勝手な欲求によって堕落させ、悲しいかな、その真の信奉者にまで背を向けさせるに至ったのである(2)、と。

もしもわれらの述べる神、および死後の生命についての言説に何ひとつ心に訴えるものを見出しえないとすれば、それは、そなたの魂が、かつて喉を潤(うるお)した雄大にして単純素朴な概念に魅力を覚えなくなったということであるに相違ありません。

多分そなたの魂が邪霊の策略にかかり、地上と神との間をさえぎる暗雲が、そなたに恐ろしい影響を及ぼしつつあるということであるに相違ありません。願わくばわれらがその暗雲を取り払い、今一度、感化と安らぎの光をそなたの魂に注ぎ込むことができればと思います。

永遠に拭(ぬぐ)いきれない危害がそなたに及ぶとは危惧しておりません。そなたがこれまでの知識の基盤を総ざらいすることを、われらは別に残念とは思いません。それも無益ではないでしょう。

“悪魔”も人間の産物

さしたる意味もない、ささいな問題に囚(とら)われることは止めることです。大きな問題、神についてのより明瞭な啓示の必要性、神およびわれわれ使徒について今地上にはびこっている冷ややかな無関心と無知の問題、われわれが明かす生命躍如たる来世観を十分に検討してもらいたい。

想像の産物にすぎない“悪魔”の問題で心を悩ますことは止めることです。真摯な心の持ち主、純真な心の持ち主、誠意ある心の持ち主にとって、神学がまことしやかに説く悪魔も魔王も存在しません。悪は近づけないのです。邪霊は逃げ去り、悪の勢力も彼らの前では無力となるのです。

そのまわりは天使によって保護され、明るい霊の支配を受け、進むべき正しい道へと導かれます。彼らの前途には限りない知識と、彼らの知性を高揚し気高くするものが待ち受けております。

悪魔などは、みずから創造しないかぎり、恐れるに足りません。善性への親和力が善なるものを引き寄せるからです。まわりには守護にあたる霊たちが控え、みずから求めぬかぎり、邪霊の餌食(えじき)とはなりません。

と言って、悪の誘惑や罠(わな)が特別に免除されるというのではありません。試練の時に味わわされる雰囲気も免れることはできません。魂が悲しみと懊悩(おうのう)の暗雲におおわれ、罪の重荷に打ちひしがれるやも知れません。すなわち、辺りに見る不幸と悪におのれの無力さを感じ、良心の呵責に苦しめられることもあるでしょう。

が、悪魔が彼らを囚(とりこ)にし、あるいは地獄へと引きずり下ろすなどということは、絶対にありません。そうした懊悩も悲しみも、良心の呵責も、しょせんは魂の経験の一部であり、その体験の力を摂取して、魂は一段と向上していきます。

それは進歩の手段として背後霊が用意した試練であり、ゆえに細心の注意をもって悪の勢力から保護してくれているのです。

悪を好み、霊性の発達を欠き、肉体的欲望に偏った者のみが、肉体を捨てたのちもなお肉体的欲望を捨てきれない同質の未発達霊を引き寄せるのです。悪の侵入の危険性にさらされているのは、そうした類いの人間のみです。その性癖そのものが悪を引き寄せるのです。

“招かれた悪”が住みつくのです。そうした人間が地上近くをうろつきまわり、スキを見ては侵入し、われらの計画を邪魔し、魂の向上のための仕事を挫折させんとする霊を引き寄せるのです。

さきに、そなたは軽率にも、霊界通信なるものがいい加減で益になるとは思えないと述べたが、それはすべて、その種の低級な邪霊の仕わざなのです。

人間的愚かさが悪を生む

友よ、そなたはその点の理解を誤っている。低級な人間がみずから招いている低級な霊の仕わざをもって、われわれを咎めてはなりません。咎められるべきは、聖純なものや高尚なものを嫌い、低俗にして下劣なものを好む、他愛ない人間的愚行の方です。

かの愚かな法律をまず咎めるべきです。単なる慣習と流行によって助長されたにすぎない愚行と罪状によって行く手を阻まれ、堕落の道へと引き下ろされた数多くの人間を、何の予備知識もないまま死後の世界へ追いやる法律を、まず咎めるべきです。

さらには酒場、精神病院、牢獄、そして、そういうものによって増幅された情欲と悪魔のごとき強欲(ごうよく)を咎めるべきです。無数の霊が永遠に火刑に処せられるとは、実にこのことです。キリスト者が想像した物的な炎ではありません。死後もなお消えやらぬ強欲が、炎のように魂を焼き続けるのです。

燃えるだけ燃え、その強欲を焼きつくせるだけ焼きつくして、ようやく魂が清められるのです。さよう、咎められるべきは、善霊を偽って人間をたぶらかし、軽薄と誤りによって翻弄せんと企てる、低級霊たちです。

これ以上のことは又の機会としよう。すでにわれわれは予定していたもの以上のことを述べました。それに、わたしの耳に、神への礼拝の時の到来を告げる声が聞こえます。これより、わたしもその礼拝の儀式に参列することになっております。(3)

願わくばわたしの祈りが慈悲ぶかき神の御胸に届き、そこから流れ出る御恵みの流れのひとすじがそなたにも届き、和(なご)みと静かなる確信がその悩める魂を癒やし、慰めとなるよう祈ります。

†インペレーター

[注釈]

(1)John Calvin 16世紀のフランス生まれの神学者。スイスにおける宗教革命家。カルビンとも。

(2)イエスの実像に関しては本書のいたるところで述べられており、端的に言えば、インペレータ霊団はイエスとバイブルに関する誤った認識を改める作業を通じて基本的な霊的真理、いわゆるスピリチュアリズム思想を説くことを使命としていたと言えよう。

それと同じことを英国の元牧師のモーリス・エリオットが心霊科学とスピリチュアリズムの観点から行なった著作が、同じく元牧師の山本貞彰氏によって翻訳され、『聖書(バイブル)の実像』のタイトルでコスモ・テン・パブリケーションから出版されている。

新約篇と旧約篇とがあり、その内容は本書で述べられていることと完全に一致している。とくにバイブルが原典から翻訳される際の誤訳にまで言及しているところは、学問的な説得力がある。

たとえば、“マグダラのマリヤ”といえば売春婦だったというのが通説だが、“マグダラ”という用語には“癒やされた”という意味があるという。つまり、イエスによって奇跡的に癒やされた女性で、それがきっかけで生活物資の面でイエスを援助したというのが真相らしいのである。

その他、イエスとバイブルの実像が納得のいく形で鮮明に描き出されていて、キリスト教に関心のある方にとって画期的な必読書といえる。

(3)これはシルバーバーチの霊言の中にもたびたび出てくる霊界の上層界での行事のことで、世界各地で行なわれている地球を霊的に新生(スピリチュアライズ)させるための活動、いわゆるスピリチュアリズム活動の指導霊が一堂に会して行なう、審議と祈りの集会のことである。

が、これ以外にも、上層界へ行くほど讃仰(ごう)の祈りがしばしば行なわれているらしい。参考までに2つの例を挙げておく。

ひとつは“コスモのテン・ブックス”の1冊となっている『妖精世界』の著者ジェフリー・ホドソンが霊視したもので、それを日本のスピリチュアリズムの先駆者・浅野和三郎氏が「心霊と人生」誌に訳出しておられるので、それを漢字・かなを一部修正して紹介しておく。出典は Coming of the Angels。

≪天使たちは太陽を全組織の大中心、一切の生命の大本源と考える。ただし、天使たちが太陽について抱く神秘的な意義は、一般の人類には十分にわかっていない。太陽は実に最高級の天使たちの大本営であり、それより以下のすべての天使、すべての自然霊にとって、実に憧憬・渇仰の中心なのである。一切の活力、一切の指導方針はみなそこから賦与される。

むろん最高級の天使においては、全組織の中に遍在する霊気と合流融合してしまっているから、外部的に具体化した神の姿を特別に崇拝することはしない。彼らは万有に宿れる神と合一し、彼らにとって神は随所に存在するのである。要するに神とは力・光・生命および意識の没人格的大中心なのである。

しかし、それは最高の理想の境地であって、その域に達することは、わずかに少数の天使たちにのみ可能である。ふつうの天使はみな、太陽を崇拝の中心とするのである。

これがため、彼らは時として地界から遠く離れた天空に留まり、各自の神格に応じて、秩序整然たる幾重の円を描いて、感謝と祈願の誠を捧げる。円の層は一段また一段と次第に高くなり、末は渺茫(びょうぼう)として無形の世界へ消える。

天使たちの身体はいずれも光り輝いているので、かくして造られた集団は、宛然(えんぜん)、生きた光のさかずきである。すべての心は愛と絶讃とに満ち、すべての眼は、生命の本源たる日の大神にさし向けられ、それらが渾然(こんぜん)融合して、ここに清き尊き力の凝体ができ上がる。

その中から奔流のようなすさまじさをもってほとばしり出る光の流れは、上へ上へと上昇して太陽神の御胸に達する。

俄然として虚空にいみじき音楽が起こる。礼拝者たちの胸の高鳴りが加わるにつれて楽声もまた強さを増し、ここに歓天喜地の、光と音との、世にも妙(たえ)なる世界ができ上がる。

それにつられて、いかなる天使も、日ごろ住むおのれの領域よりはるかに高き境涯に進みのぼりて、太陽神の荘厳無比の御姿を目(ま)のあたりに拝するのである。

かくて全てが随喜渇仰の最高潮に達した瞬間に、大神の御答えが初めて下される。それは黄金の光の洪水となって、すべての天使の魂にひしひしとしみ込む。前後左右、天上天下、辺りはただ澎湃(ぼうはい)たる光の海。

そしてその真っただ中に、いちだん清く、強く、そして美しき日の大神の御姿が浮かぶ。むろん神の御姿は見る者の霊格によってそれぞれに異なる。いかなる者も、自己の器量だけしか拝むことはできないのである。≫

もうひとつは、ジョージ・オーエンの霊感書記通信『ベールの彼方の生活』の中で、アーネルと名のる通信霊が、暗黒界の探訪を終えて、その報告のために上層界に戻ってきた時の体験をこう綴っている。

≪その界を取り囲むように連なる丘の上でわれわれは一団の出迎えを受けました。みんな大喜びでわれわれの帰還を待ちわびており、みやげ話を熱心に聞きたがりました。

そこでわれわれは、いっしょに歩を進めながらそれを語って聞かせているうちに、いよいよ“聖なる山”の大聖堂の前に広がる大平原にたどり着き、そこを通り抜けて“聖なる山”をのぼり、聖堂の袖廊(ポーチ)まで来ました。

そこから奥へ招き入れられ、中央の大ホールへ来てみると、そこに大群集が集まっており、跪(ひざまず)いて、姿なき大霊への讃仰の祈りを捧げているところでした。

われわれはそこを通り抜けて最後部で待機していたのですが、われわれの動きに一べつすらくれる者は1人もいませんでした。

地上の人間は真の静寂というものを知りません。地上には完全な静寂というものがないのです。音の無い場所というものがありません。が、あの大聖堂での讃仰の祈りの時は、まさしく静寂そのもので、荘厳さと畏敬に満ちておりました。≫

「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→

えっと、まず現代の演出ではちょっと考えられないような遅く長い前置きに驚きましたが(こんなオープニングでは本編を観る前に人が離れていくだろ、と思うのですが)まずは40%観ました。明日残りを観ますが、若き日のモーセ氏が自分に霊能がある事、物質界で果たすべき使命がある事を自覚する前のストーリーです。後半から霊的ストーリーが展開していくものと思われます。

で、なぜ霊団はこういう事をしてくるのかが未だに意味不明なのですが、長文ブログUP直後の、テキストとして落とし込めないこのタイミングを狙ってなのか、わざとインスピレーションをドッカーンと降らせてくるのです。イヤガラセとしか思えない、しかも内容は重要と思われるモノで、次回に説明する事になると思いますが。

「I Appeal Unto Caesar」最終見直し60%終了中といったところ、Google翻訳の機械文でややぎこちなさが拭えないものの、この書籍の日本語翻訳文章は現時点で存在しない可能性が高いため、この作業をやる意味は十分にあると思います。僕という霊媒は機能しないのですからこの作業をやるしかないのです。

山に向かうロングドライブ時の眠気防止問題が本当に窮地に立たされていまして、もうこれ以上はムリというところまできています。山をあきらめるという選択肢はありませんからロングドライブを続けられる何かしらのアイデアを構築するか、もしくはロングドライブをせずに済む状態にする(移住)を実行しなければなりません。しかし移住はできそうもありませんので先ほどあるモノを注文しました。効果があるとイイのですが。

先ほど霊団が降らせてきたインスピレーション、ひとつだけ紹介しますと「そばに天使がいる」というモノがありました。僕が天使の保護下に置かれているという事のようです、それは有り難い事ですが、結果を出してはもらえませんかね、このままずっと苦しみだけが続くというのはそろそろご勘弁願えませんかね、というのが僕の正直な気持ちとなります。

テキスト見直し作業続行中。DVD観終わったら主要シーンのキャプチャとかもしましょう、せっかくですからね。あ、アナログ絵379、380のストーリーも描き始めます(祈)†
■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†■2024年7月18日UP■
■アナログ絵377、前半3ページUP「花の種族エゴンの方々」がクレスを訪問しました(祈)†
何しろクレスは特殊な船ですので、変わったお客様もやってきます。今回は地球から132億光年も離れたところからの訪問者です。花の種族、エゴンの方々、男女ふたり フラーデッキ クレスの子供たち、手に花を持ってお出迎え エゴンの女性「皆さまはフラーをはじめ、花をとても大切にして下さっています。本日はエゴンを代表して、そのお礼に参りました♪」エゴンの男性「この船は艦長が素晴らしい。この船で生活している子供たちは幸せです♪」子供たち「すごくイイにおいがするよー♪」子供たち「フラーのコクピットのニオイに似てるー♪」フラー17のウイングの上に座る香世子さんと僕「あんな美しい方々がいるなんて。僕たち地球人類はまだ宇宙の事、何も分かっちゃいないんだよね」ジョナサンも一緒 香世子さん「そうね」ユキも一緒…続きを読む→
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†■2024年8月1日UP■
■アナログ絵378、ストーリー後半UP。宇宙関連で意見を述べさせて頂きました(祈)†
僕「子供たちでモミクチャだからごあいさつはできそうもないね」香世子さん「クス♪」僕「アリ?フェアリーとお友達なんですか?」エゴンの女性「今回の私たちのクレス訪問の本当の目的は、ステラに会う事でした」僕「ステラ?」フェアリー「アキトさん、わたしです♪」僕「え゙っ!?」フェアリーがしゃべった??フェアリーから輝くステラが現れる 僕「あ、あなたがフェアリーの本体ですか?」フェアリー「あなたがた地球人がフラーという、花をモチーフとした乗り物を設計し始めた当初から、私たちはその開発に影ながら関わってきました」フェアリー「今や機種も増え、あなたをはじめ多くのクルーがフラーの事を好きになってくれているのを見て、私たちは大変満足しています」フェアリー「あなたと宇宙を飛ぶのはとても楽しいです♪まだ当分クレスにお世話になるつもりですので、アキトさん、今後ともよろしくね♪」僕「は、はるばるどうも…」フェアリーにはいつもお世話になっております 香世子さん「……」フェアリー「…ね♪」男性「…ニヤリ♪」女性「…ニコニコ♪」……イエス様「お久しぶりです♪」ヨハネ氏もいる男性「こ…このようなところにいらっしゃるのですか?」女性「お会いできて光栄ですわ♪」…続きを読む→
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†■2024年7月17日UP■
「ロスタイムをここまで利用するのは普通では有り得ない」もう十分だ帰幽にしてくれ(祈)†
そして何の仕事をやらされるのかと思えば(その仕事内容を検討する霊界で催された会議に僕も霊体で参加しています。もっともその会議の内容は全く物的脳髄で反芻できませんでしたが)「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の悲劇の惨状の情報拡散というとんでもない仕事だったのです。霊界高級霊の方々は僕の心の中が丸見えです、僕より僕の事が分かっています。つまり僕なら物質界の邪悪の脅迫に屈せず仕事を続行できると踏んでこの仕事をやらせたのです。そして事実、僕はイエス様を筆頭とした霊界高級霊の方々の期待通り(なのかどうか今となっては疑問ですが)天皇一族が強姦殺人魔であると徹底的に拡散していきました。その情報拡散の中でSNS(Twitter)のアカウントをどれだけ消されてきた事でしょう、もう覚えていないほどやられてきました。そしてこれ以上消されないためにWordPressを開始したのです。つまりどれだけヒドイ目に遭わされても全く使命遂行をやめるつもりがなかったという事です。その部分は霊団の予測的中だったという事です…続きを読む→

インペレーター霊(紀元前5世紀のユダヤの霊覚者で旧約聖書のマラキ書の筆者マラキ)の守護霊が「紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者エリヤ」で、エリヤ氏の守護霊が「紀元前12世紀ごろのヘブライの予言者モーセ」という事になります。

「霊訓」「インペレーターの霊訓」はインペレーター霊(マラキ氏)が降らせた霊言であり「シルバーバーチの霊訓」は3000年前に物質界で生活していたという事以外、自分の正体を60年間明かさなかった霊(僕はこの霊がエリヤ氏ではないかと予測しているのです)が降らせた霊言。

このふたつの人類史上最高といって間違いない霊言を降らせたインペレーター霊とエリヤ氏(予測)の上にはモーセ氏という大親分が控えていて、つまりこのふたつの霊言はモーセ氏の指示監督のもとに降らせてきたモノと言ってもイイのではないかと思うのです。

そのモーセ氏に関するインスピレーションが2回降ってくるというのは(しかも本気の全力で反逆している僕という人間に対して降らせてくるというのは)これは相当の異常事態といえます。で、これはこのままって訳にはいかないだろうという事で「十戒」DVD入手という運びとなりました(メチャ安かったので「コレならイイかな」と思いまして)

とはいえ旧約聖書時代と現在とでは状況が違いますので、この内容をそのまま現代に当てはめて考えるのは厳禁です(インペレーター霊もそのように仰ってます)これからこの2枚組DVDを観ていきますが「この当時はこういう感じだったんだろうなぁ」という目線で観るべきであり、あまり傾倒しない方がイイと思います、多少冷めた感じに観るつもりです。

WordPress霊関連書籍ヘッダーシルバーバーチの祈り

ちなみに「シルバーバーチの祈り」の中に、レッドインディアン、シルバーバーチ霊を霊界の霊媒として霊言を語っていた3000年前の人物(僕はこの人物がエリヤ氏だと思ているのですが)この方は間もなく地球圏霊界を突破する寸前まで向上している方なのだそうです。つまり地球圏の中ではほぼ最上界まで到達していると言っていいと思うのです。

エリヤ氏で地球圏脱出寸前という事は、そのエリヤ氏より上のモーセ氏は既に地球圏脱出を果たして既に全然別の次元で生活しておられるのではないかと予測されるのです。そんなとてつもない方のインスピレーションが2回降ってくる、これはどういう事だ?という感じなんです。

ご参考までにコチラを抜粋させて頂きます↓

「シルバーバーチの祈り」まえがき

『シルバーバーチの霊訓』の全訳という企画が一抹(いちまつ)の不安のうちに始まって間もなく、「次の巻はいつ出ますか?」「第3巻は?」といった期待の手紙にまじって、「シルバーバーチの祈り」に感動した体験を綴(つづ)った手紙が多く寄せられるようになり、それは巻を重ねるごとに増えていった。

祈りの文章の翻訳は困難を極める作業なので、その労苦が報われる思いがして嬉しかったが、そのうち、さらにエスカレートして、旅行や通勤にも持参したいので、祈りだけを1冊にまとめていただけないだろうかという要望が届けられるようになった。本書はそうした要望に応えて企画されたものである。

また、英語の素養のある方から祈りの英語の原文が知りたいとの要望もあったので、本書にも短めの祈りの英文も添えて、簡単な解説を施(ほどこ)しておいた。「あとがき」をシルビア・バーバネルの詩文の原文の解説にしたのも、その1つと理解していただきたい。

なお、『霊訓』のシリーズをお読みの方は先刻ご承知のことであるが、シルバーバーチは最初のころは自分はインディアンであると自己紹介していたが、ある時期から、実は自分は地球圏から脱出する直前の存在で、物的存在とは直接のコミュニケーションが取れないので、このインディアンを中継者、いわば霊界の霊媒として使用しているという事実を明かした。

既刊で紹介した祈りのほとんどが「あなたの僕(しもべ)インディアンの祈りを捧げます」で終わっているが、そうした事実にかんがみて〈インディアン〉という一語を削除したことをお断りしておく。その他、訳者の私の一存で祈りとして朗誦(ろうしょう)しやすく書き改めた箇所があることも了解願いたい。

が、それはあくまで訳者個人の一存によるのであるから、読者各位においても、ご自分の語感に従って、意味に変化をきたさない範囲で語調を変えられることは、決して悪いことではないと考えている。

訳・編者 近藤千雄

さぁ4時間のDVDなので今日明日中には観られません、チョト時間がかかりますが何とか観てみるつもりです。ハァァ疲れたので一旦切ります(祈)†

「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†■2024年8月21日UP■
「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」えぇやめるつもりはありませんがヒドすぎなんですよ(祈)†
もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども…続きを読む→

240821お前はこの聖なる仕事をやめないよ

まぁた霊団が「寸前ドッカーンインスピレーション」をやってきました。(寸前になってインスピレーションをドッカーンと降らせてくる、という意味)なのでネタはあります。それと書きたい気持ちになるかどうかは別問題です。まずは削除せずに残したインスピレーションをこのように羅列してみますが↓

僕は反逆(脱出)をあきらめるつもりが全くありませんが、霊団は僕を閉じ込める事を絶対にあきらめるつもりがないようです。つまり合流点はないという事で延々とバトルが展開されているのです(バトルと思っているのは僕だけなのでしょうが)とにかく説明してみましょう。

ネバーギブアップ もう1回実験しよう チョトいけなかった 忍耐 時間延長 生命(いのち)を大切に くじけないで

240821生命(いのち)を大切に

「ネバーギブアップ」「もう1回実験しよう」要するに霊団が僕の反逆に負けずに僕を閉じ込め続けようとしているという意味。最低最悪のインスピレーション。

「チョトいけなかった」本当はスゴクいけなかったと霊団は言いたいのでしょうが僕の反逆を考慮してこういうやわらかめの言い方にしているのでしょう。

「忍耐」「時間延長」最悪、これも最悪のインスピレーションで、何が何でも僕を閉じ込め続けるつもり、耐えなさい、と言っている、しかも閉じ込めを延長するかのような事まで言ってきています。そこまでしてひとりの人間をイジメ抜く事に一体何の意味があるというのか。

「生命(いのち)を大切に」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁がとにかく僕、たきざわ彰人を殺すつもりでいるので僕をその危険に近付けないようにしているという意味。イヤ、だから、だったらなぜ僕にこの仕事をやらせたんだよという根本的疑問がどうしても拭えないのですが。

奴隷の女の子たちも全く助けてあげるつもりがないという事が、このインスピレーションからさらにさらに分かります。僕は霊性発現初期の頃からずっと「帰幽カモン」と公言し続けているだろ。僕は物質界に残されていたくないんだよ。やるべきをキッチリやってとっとと帰幽できればそれでイイんだよ。僕の身の危険とか、そんな事はどうでもいいから奴隷の女の子たちを助けてやれよ。

「くじけないで」コッチのセリフだよ。物質界の邪悪に屈してるのはあんたたち(霊団)の方だろ。つまり僕に「閉じ込められてもくじけないで」といっているのですが、ガンバリどころが違うだろ、僕を閉じ込める事ではなく物質界の邪悪を攻撃する事にパワーを向けろよ。一体何がどうなってるんだよ。
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→

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予測はつく 知らなければなりません マインドアップを全開にして 地球には耐えられない方法 特殊な環境が過ぎる コレはマズイ

240821予測はつく240821地球には耐えられない方法

「予測はつく」「知らなければなりません」「特殊な環境が過ぎる」これは霊団が僕を日本の中心に行かせない理由のインスピレーションと思われるのですが、チョト説明は控えさせて頂きます。

「マインドアップを全開にして」これは「視点を高く持て」という意味だと思われます。これは僕的に心に刺さりまして、山の行き帰りのロングドライブ中に「ベールの彼方の生活 2巻」のMP3を聞いているのですが、ザブディエル霊の語る内容を聞いていると苦しくなってくるのです。

ザブディエル霊のお話は徹頭徹尾「霊界での進歩向上の促進」に向けられており、物質界の苦悩の回避に向けているパワーを帰幽後の霊界での進歩向上の方に転換しなければならないと痛感させられて心が苦しくなるのですが、しかし分からないのは、僕を最悪の中に何が何でも閉じ込めたその先に一体何の使命遂行の前進があるのかという事です。

「地球には耐えられない方法」「コレはマズイ」これは「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が自分たちの邪悪の正体に国民の注意関心が向けられてしまうのを防ぐ「視点外し」として、地球には耐えられないレベルの人工災害(もっと単純に戦争とか)を引き起こそうと画策しているという意味かも知れません。

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オーバーステップ ピィィィン

240814オーバーステップ

先週の長文ブログ「オーバーステップ」↓

■2024年8月14日UP■
「オーバーステップ」霊界側の当初の予定から逸脱しているという事のようなのですが(祈)†
wp.me/sa9cvW-overstep

WordPressの作業をしていてこのブログタイトルに目が行った時、ピィィィンといういつもの、しかしかなり高い波長を降らせてきたのでした。霊団が言いたい事はこのインスピレーションに集約されているという事をさらに強調してきたという意味のようです。

要するに現在の物質界はまだ物質界の邪悪「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を撃ち滅ぼすところまで進化していない、洗脳はだいぶ破られているがまだ恐怖による支配を精神的に打破するところまで人類が到達しておらず、強姦殺人魔滅亡が時期尚早だと言っている、のでしょうか霊団は。

だぁかぁらぁ、いつも言っているように、ならなぜ僕にこの使命遂行をやらせたんだよ。できもしないのにやらせたってドォユゥ事なんだよと、その根本的疑問がどうしても拭えません。最初から僕に無駄足を踏ませる目的で霊性発現させたとでもいうのか。

霊団の動きはまるで“何もしない”“強姦殺人魔を守ろうとしている”“物質界の邪悪を温存させようとしている”と錯覚してしまうような動きであり、それで僕は「地球圏霊界は強姦殺人容認国(祈)†」と公言するほどに怒っている訳ですが、今回の波長はやはり霊団の意思に変更がない事を証明しているようです。

分からない、この人たち(霊団)は何がしたいんだ。全く理解できない。

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十戒

240821十戒

■2024年8月7日UP■
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†
wp.me/pa9cvW-8Hm

↑このブログの中で「モーセの森」というインスピレーションを紹介しましたが、頭にきてどうしようもなくて説明を完全にキャンセルしてしまった、という事がありました。

240807モーセの森

で、今回少し戻って説明してみようと思うのですが、ある山からの帰りの運転中「〇ェ〇トの森」という大きな看板が立っているところがあります。僕はその看板に目をやって特に意味もなく「〇ェ〇トの森」と声に出して読み上げたのです。

すると次の瞬間、霊団が霊聴に「モーセの森」と言ってきたのです。僕はそれの意味が分からなくて運転しながらずっと「???」の状態だったのですが、結局意味は分からずじまいで無視のブログになってしまった訳ですが、何と霊団が再び「十戒(じっかい)」と降らせてきたのです。

要するに「紀元前12世紀ごろのヘブライの予言者モーセ」の事を言ってきている、しかも強調して2回も言ってきたという事で、さすがに今回は無視せず書き残す事としました。

ちなみに「霊訓」という人類史上まれにみる高等な霊界通信を降らせたのはインペレーター霊(紀元前5世紀のユダヤの霊覚者で旧約聖書のマラキ書の筆者マラキ)で、そのインペレーター霊に指示を出しながらイエス様とも直接やりとりをしていたプリセプターという方がおられたそうですが、そのプリセプターは「紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者エリヤ」なのだそうです。

で、インペレーター霊(マラキ)の守護霊がエリヤで、エリヤの守護霊がモーセなのだそうです。さらに以前「エリヤ、いっぺんに参ってしまう」というインスピレーションが降っていますが、この時に「シルバーバーチ霊が実はエリヤ氏なのではないか」という予測をするに至っています。

231220エリヤいっぺんに参ってしまう

つまりモーセとは「霊訓」「シルバーバーチの霊訓」という、人類史上に燦然と輝く霊言を降らせた方々の守護霊、という事になるのです。恐るべきお方という事になるのですが、そのモーセ氏に関するインスピレーションを霊団が2回降らせてきました。これは一体どう解釈したらいいのでしょうか。

霊団は僕という霊媒を使う使うと言いながら全く僕という霊媒が発動し新規の霊言が降る事はなく、僕はもう自分が霊媒として仕事するという事を考える気にもなれず、基本的にその手のインスピレーションは全て無視する事に決めているのですが、霊団はココまで言ってくるのです。

新規の霊言が降ってくるならそれに越した事はありませんが、僕はもう何年も自分が霊媒となった時にはああなるこうなるとブログで書き続けてきて、いい加減ウンザリしていますので、もうその事について書くつもりはありませんが、果たしてそういう日は来るのでしょうか。サークルメンバー問題が絶対に解決しませんのでその日は来ないと思います。

↑目次へ↑

お前はこの聖なる仕事をやめないよ とんでもない明るさだからな 雪それは準備されて やめて初めてその重要性に気付く

240821お前はこの聖なる仕事をやめないよ

はい、インスピレーションをさらに追加削除しながらここまでテキスト撃ってきました。イヤでイヤでどうしようもなかったからです。今回は「お前はこの聖なる仕事をやめないよをブログタイトルに冠しましたが、心境は複雑です。説明だけはしてみましょう。

「とんでもない明るさだからな」コレなんですが、受け取った最初は全然意味が分からなかったのですが「ベールの彼方の生活 2巻」ザブディエル霊の言葉が僕の心に深く突き刺さっていた時に降らせてきたインスピレーションという事で、帰幽後の霊界生活の方を向かせようとして言ってきた事だろうと理解しました。

つまり帰幽後に僕が赴く境涯が「とんでもない明るさ」という事のようなのです。もっとも「以前はそうだった」と注意書きがつくでしょう。現在は反逆の度合いがスゴすぎるのでその高い境涯からは落とされているものと思われますが、反逆から謙虚に戻る事ができればその明るい境涯に赴く事ができるのかも知れません。

僕の人生目標は「帰幽後に賜る霊的褒章」とずっと公言し続けています。つまり僕の人生目標は物質界にはない、ココはただ通過するだけの場所でありココに目標は設定されていない、という事で、現在もこの目標に変更はないのですが、とにかく物質界の試練がヒドすぎて心は折れまくり、霊団に対して怒り憎しみを燃やす状態になってしまっているのです。

ただ、どうもがいても脱出できない、何が何でも霊団に閉じ込められるという事になれば、もう帰幽後に赴く境涯を少しでも高く明るくするために開き直って試練を克服するという風に思考を切り替えるしかないでしょう。要するに霊団は僕をそういう風にさせようと思ってこういう事を言ってきているのだと思われますが。

しかし首を傾げるのは、あの最悪のところに僕を閉じ込めて、大いに苦しみを味わわせる事によって霊的に向上を果たす事ができるというのは分からなくもないのですが、あの場所に閉じ込める事と使命遂行を前進させる事とは何の接点もありません。

その場所は霊的要素ゼロ、僕の使命遂行と一切関係ありません。その場所に閉じ込められている時は全く何も生み出さない無の時間をやらされている状態であり、それで僕は怒りが収まらないのです。

その僕を閉じ込めている場所が使命遂行に何の役にも立たない事は僕以上に霊団が把握しているはずなのに全力で僕をそこに閉じ込めようとしてくる、つまり使命遂行を前進させるつもりが全くないという風に受け取れるため、それで僕の怒りが収拾がつかなくなっているのです。無意味な人生をやらされていると僕の目には映るからです。

「雪それは準備されて」帰幽後には本人の希望がことごとく叶えられるそうですが(その資格に到達した者は、という注意書きがつきますが)僕は白銀の世界が大好きで、スノーシューで雪山を切り裂いて進む事を無上の喜びとしていますが、霊界上層界は常夏の世界であり雪はないとお勉強しています。

そこは僕的に残念ですが、とはいえ霊界は思念の世界ですので、その気になれば雪山を再現するくらいワケない事は以前から分かっていました。で、霊団が「雪は準備されているからアキトくん安心しなさい」という趣旨の事を言ってきた、つまり僕の意識を物質界から霊界に引き戻そうとするインスピレーションであり、僕もそれ自体は賛成するのです。

使命遂行を果たし切って帰幽したら、明るい(高い)境涯で存分に雪山を堪能できるから安心して試練に身を晒しなさい、という事を霊団は言いたいのでしょう。それは僕も了解なのですが、その用意してもらった雪山を霊体の僕はあらかた堪能して、それ以降はたぶん雪山に興味を抱かなくなって上層界本来の美しさの方に意識が移っていくものと思われます。

雪が好き、などと言いますがそれは所詮物質界レベルでの「スキ」であって、上層界に赴けばそこには全く次元の異なる美が無数に存在していますから(例えば色彩でも紫外色、赤外色など、物質界に存在しない色彩が無数に存在します)雪などという物質臭の漂うモノにアッサリ興味を失っていく事になるのは明白。ってか僕も早くその心境に到達したいと思っていますが。

インスピレーションでこういう事を霊団が言ってくる、要するにグズるお子ちゃまのご機嫌取りですね。僕が反逆しまくるお子ちゃまという事です。ややカチンときますが真実ですから言い返せません。まいりましたね。

「やめて初めてその重要性に気付く」僕は霊団に全力で反逆していますが使命遂行そのものは全くやめるつもりがありません。が、霊団が念押ししてくるような事を言ってきています。要するに使命遂行やめたら後悔するよと言ってきているんですね。

それは僕も重々承知しています。ただ霊団には言い訳に聞こえるでしょうが、霊団が僕を閉じ込め続けているあの場所は使命遂行と全く何の関係もありません。あの場所に残されてみたところで何ひとつ前進しないのですから、だったら別にそこを脱出しても影響はないのではないか。

僕は僕レベルで使命遂行の諸作業を続行させるのであって、むしろあの最悪の場所を離れる事によって作業時間が増えますから、使命遂行をさらに前進させる可能性が高くなるのです。使命遂行と何の関係もない場所から離れて使命遂行の作業時間を確保する、コレの何がいけないというのでしょうか。

そこまでして全力で僕をあの最悪の中に閉じ込めようとする、それは裏返すとまるで使命遂行がこれ以上進展しないように妨害しているようにさえ見えます。霊団が言い出しっぺで始めたこの仕事を霊団が全力でやめさせようとしてくる。コレが宇宙の七不思議、どういう事なのかサッパリ分からないのです。

「お前はこの聖なる仕事をやめないよ」最後にこのインスピレーションについて撃って終わりとさせて頂きますが、先ほども書きましたように僕は使命遂行そのものは全くやめるつもりがありません。が、霊団はこのような事を言ってくる。どういう事でしょうか。

要するに僕の反逆(脱出)が達成されて最悪の場所から離れて生活が現在とガラッと変わったら、その影響を受けて僕の心にも変化が生じ、物的なモノにすっかり心が奪われるようになって霊的なモノをいつしか忘れていくようになる、そんな事を霊団が懸念してこういうインスピレーションを降らせてきたのかも知れません。

イヤ、霊団に反逆しているのは紛れもない真実ですが僕は「帰幽カモン」です。僕の人生目標は「帰幽後の霊界生活での進歩向上」であり、それは終生変更はありませんから、使命遂行をやめるという事は有り得ないのです。なのにこういう事を言ってくるのはどういう事なのか。

霊団は僕の心の中が丸見えです、僕以上に僕の本心を知っていると言ってもイイくらいでしょう。ですので僕が(たとえ反逆していると言っても)霊的向上と正反対のおこないに没頭するような愚かな事はしないと分かっているはずなのにこういう事を言ってくるという事は、まぁ“警告”と考えるのが自然でしょうが、ブログのネタ提供というおかしな見方もあるかも知れません。書かせ続けようとしているという事です。(長文を撃ち続ける事を相当イヤがっていますので)

もう僕という霊媒が機能するだの、新規の霊言が降るだの、そういう事を書くつもりは一切ありませんが、現存する正真正銘の霊関連書籍をテキスト化する作業は全力で続行するつもりでいるのです。その作業を続けるイコール「本を読み続ける」という事になり、さらに深く霊的知識を理解する事につながるので僕的に好都合ですし霊的知識拡散という意味でも大変重要なのです。

なぜ霊団がそこまでしてあの無意味なところに僕を閉じ込め続けようとしているのかがどうしても分かりません。僕をあそこに閉じ込めてみたところで僕という霊媒は機能しない、新規の霊言は降らない、「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡にもつながらない、奴隷の女の子たちもひとりたりとも助けてあげられない。何ひとつイイ事ないじゃないですか。

なのにそこに閉じ込められる事を耐え抜けば僕は霊的に向上を果たす事ができて明るい境涯に赴く事ができるのだそうです。邪悪を滅ぼす事より、殺される運命の女の子を救出する事より、仕事を前進させる要素ゼロの意味なしの場所に閉じ込められる事の方が霊的向上に寄与するとは、これは一体何がどうなっているのでしょうか。本気で意味不明なんですけども。

えー僕的にはザブディエル霊の言葉が心に突き刺さっていて反逆が宜しくないとつくづく感じているものの、どう考えてもあの最悪の場所にこれ以上閉じ込められる事に意味を見出せないため、やはり脱出を決行するつもりでいますが、ある脱出アイデアを実行してもなお脱出できない可能性もあるため(保証は全くありませんので)結果的には霊団の思うツボになるのかも知れません。

どうしても納得がいかないので脱出はします。そして使命遂行は全力で続行します。モーセ氏とかエリヤ氏とか、信じられないようなインスピレーションは降ってますが、僕という霊媒が機能する日などやってきませんので、僕は現存する霊関連書籍のテキスト化と拡散に全力を尽くします。それが現時点の僕にできる最良の霊的知識普及だと信じます。
しかし、しかし、それにしても、地球圏霊界上層界の人間というのは、そこまでして物質界の邪悪を温存しようというのか。そんなに強姦殺人魔が大切なのか。※これまでさんざんブログで書きてきていますように、僕に危険が迫っているので霊団は危機回避しようとしているんですよ。それは分かるのですが奴隷の女の子を見殺しにするのはどう説明するつもりだ。首を1億回ひっくり返しても納得できる回答を見出せない(祈)†

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「オーバーステップ」霊界側の当初の予定から逸脱しているという事のようなのですが(祈)†■2024年8月14日UP■
「オーバーステップ」霊界側の当初の予定から逸脱しているという事のようなのですが(祈)†
要するに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡に到達しかねないところまでオーバーステップしているという意味ももちろん含まれているでしょう。到達すればイイじゃネィか、それが目的で僕の霊的スイッチをONにしたんじゃネィのかよ。僕がどれだけ霊団の導きの方向性をイヤがっているか皆さまにご理解頂けるでしょうか。僕は反逆のペナルティで帰幽後にヒドイ状況に、イヤ物質界生活中の現在ですでにペナルティは発動しており、僕は徹底的に自分の心と正反対の状況に閉じ込められていますが、霊団は僕にはペナルティを課すが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁には指1本触れようともしないこの宇宙最大級の理不尽。この状況を納得できる日はもう永遠に来ないでしょう。そんなに邪悪を守り通したいのか。地球圏霊界とは正しいおこないをする人間より邪悪の人間を守り通すというのか。ほぉー、これは何とも美しい世界だ、あこがれる、ぜひ住んでみたい。あー地球圏に生まれてよかったなぁ。正しいおこないをすればするほど苦しい状態にさせられ、邪悪なおこないをすればするほど守られる。本当に物質界なんて必要ネィんじゃネィのかと、かなり本気でそう思うに至っています…続きを読む→
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†■2024年8月7日UP■
今回は霊団のインスピレーションをほぼ全て無視し、僕の心境を語らせて頂きます(祈)†
これは詳細説明できないのですが、実は霊性発現初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象に長らく苦しめられた時期がありました。この時の実際の状況は諸事情がありまして説明できないのですが、どうもこの隔離フィールドの時から現在までが1本の線でつながっているのではないか、僕の人生はこの隔離フィールドからおかしくさせられたのではないか、という気もしているのです。ごめんなさい、これは説明できないのです。僕という霊媒から新規の霊言を降らせたいのなら、いくらでも方法があるはずだろう、サークルメンバーのいるところに僕を移動させる、自動書記で霊言を綴る、できなかったなどとは言わせない、絶対にできるはずだ。コイツらは言ってる事とやってる事が完全に正反対だ。僕がある方向に動くととにかく脅して止めてくる。何の結果にも到達しないようにしているとしか思えない。で、僕は反逆(脱出)などと言っていますが、実際に脱出が実現したとしましょう。そうなると僕は現在の生活より自由に使用できる時間を増やす事ができるようになり、使命遂行に多くの時間を割く事ができるようになり、さらに霊的仲間を求めて外洋に飛び出す事もできるようになります。現在の生活では困窮を極めているためにそれができません…続きを読む→
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†
僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†■2024年7月24日UP■
「地上に知れ渡るのか恐るべき事実だな」真実は必ず知れ渡る、隠し通す事は不可能です(祈)†
その男性が失われた良書を復活させようとしている事をシルバーバーチ霊が「真一文字に突き進みなさい」と言って鼓舞しているシーンがあります。僕はこのシルバーバーチ霊の「真一文字に突き進みなさい」の言葉が大好きで、画家時代から人生の指針としていたほどです。で、続いてシルバーバーチ霊が秘書の女性に話しかけ始めますが、ココで評価が一変します。シルバーバーチ霊はこの秘書の女性を「黄金の心を持つ女性」と言ってベタ褒めします。女性は赤面して「私は無力な人間です」と言いますがシルバーバーチ霊はこの女性をココぞとばかりに褒め続けます。この秘書の女性は出版業の男性を影で支えているのみで、実際の作業は男性がやっているのですが、霊界側では女性の方がこのように評価されるのです。これは物的成果を見ているのではなく“心の持ちよう”を見ているからこうなるのではないかと僕は思ったりするのです。つまりこの秘書の女性には私利私欲、自己主張のようなものが全然心の中になかった、献身的姿勢を貫いていたのではないか、それをシルバーバーチ霊が読み取っていたからベタ褒めしたのではないかと僕は予測するのです…続きを読む→

八ヶ岳アタック1311プロセス実行

自分の心と正反対のインスピレーションの説明を長々と撃つのが苦痛でどうしようもなく、さらに追加でインスピレーションの削除をしてしまっています。もうイヤだ、この作業イヤだ。いつまでやらされるんだこの無間地獄。

全く何の進展もなくイヤでイヤでどうしようもないところに徹底的に閉じ込められて、脱出の努力をどれだけ続けても全く脱出できず、ただ苦しい作業だけを延々とやらされる。いつまでたっても全く何の結果にも到達しない。もう僕の心は怒りでイッパイなのです。

本当にこの人生いい加減にしてくれ、自己犠牲にも限度があるんじゃないのか。って言いだすと過去の使命遂行者の例を持ち出して、あの方はもっと大変な試練を耐え抜いたとか、あの方にくらべればアキトくんの試練など取るに足らないとか、そういう事を言ってくるのかも知れませんが、それを引き合いに出されたら言い返せなくなるのでやや卑怯です。

今回はインスピレーション削除量が多いのでテキスト量も少なめになると思います。とにかく撃ち切りましょう。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の山の撮影画像をUPですが、インスピレーションは降ってますのでブログネタはまぁあります、テキスト撃てない事はないのですが、イヤでイヤでどうしようもない事を延々インスピレーションで降らせてきて、なぜその自分がイヤがっているモノを毎週全力で説明しなきゃならないのかが全く意味不明。

しかしどうやら僕の物質界生活が改善される事はない、このまま最悪をやらされるという事のようで、霊団はもう「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の方は全く見ていない、僕を最悪の閉じ込める事にだけ全パワーを投入している状態で、一体コイツらは何がしたくて生きているのかが究極に意味不明。

僕は何かよほど強大なカルマでも背負っているのだろうか、なぜここまでヒドイ目に遭わされなければならないのだろうか。どうやっても心が納得できませんが仕方ない、テキスト撃ち始めましょう、やるべき事はやらないと(祈)†

道路を調べまくって今まで1度も行った事のない山に行きましたが、駐車場の手前でゲートが閉じられていてそれ以上進めず、泣く泣く引き返して行き慣れた場所からスタートしました。

ちなみにその1回も行った事のない場所に向かう道路上でシカちゃんと遭遇しまくり、大げさな数字ではなくホントに40頭ぐらい遭遇したかも知れません。あんなにいっぱいいるなんてビックリ。

ゲートを回避して駐車場に到達する迂回ルートがあるので次回はそこから行ってみようと思います。今まで存在すら知らなかった(山岳地図にも載っていなかった)かなりマイナーな山域です。

で、明日の長文ブログはまぁ何とか撃てると思いますが、とにかく僕にとって最悪な内容ばかり。自分がイヤだと思っている事を何で毎週全力で説明しなきゃならないんでしょうか。今日の撮影画像のUPは明日。山よりロングドライブの疲労が大きいのでまずは回復に集中中(祈)†

えーたぶん長文ブログ内で説明する事になるんだろうと思いますが、インスピレーションをほぼ無視した大反逆ブログの時に降ったインスピレーションで「モーセの森」というモノがありました。その意味をその時にちゃんと説明するつもりだったのですが、あまりにも頭に来ていたので無視してしまったのです。

すると何と再びモーセに関するインスピレーションを霊団が降らせてきたのでした。これは一体ドォユゥ事だ、となりまして仕方なく「十戒」のDVDを(メチャ安かったのでコレならイイかなぁという事で)注文するハメになってしまいました。4時間の2枚組、長い…だからといって聖書を買うつもりも読むつもりもありませんので(これは絶対。読みません)まぁ仕方なかったのかなぁという感じですが。

さぁもう明日の山のアタック準備ですので今日の作業はココまでですが「I Appeal Unto Caesar」の翻訳文見直しが完了してます。WordPressにUPするための整形作業に入ってますが今日は間に合いませんのでUPは長文ブログUP後となります。

できもしない霊媒発動に関するテキストをまた撃たされるというのか。もうそれは断固拒否します。絶対撃たないよ。僕のウンザリレベルはその辺のウンザリとは訳が違うんだよ。もう心底イヤがってるんだよ、もう霊団に僕の心を書き換えるのはムリだと思う、怒りがタダ事ではないので、まずその怒りの元を取り除かない限り僕の心は動かないと思う。

明日の山ですが、新たな山域に赴くつもりで調べていたのですが、道がメチャ難しくていきなりはムリと判断、モチョト調べてしっかりルートを把握してから赴くつもりです。明日はグラデーション撮影はできなそうな予報ですがとにかく撮れる限りのモノを撮ってきます。まずはココまで(祈)†

「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†■2023年1月18日UP■
「クスリ」霊団が意図的に僕を苦しい状況に閉じ込めているという意味です(祈)†
海で隔てられていても大霊の前では兄弟であり姉妹なのです。私たちの教えは単純です。しかし真実です。自然の摂理に基づいているからです。摂理を無視した方法で地上世界を築こうとすると混乱と無秩序が生じます。必ず破綻をきたします。忍耐強い努力と犠牲を払わない事には、これからも数々の戦争が起きる事でしょう。タネを蒔いてしまった以上はその産物を刈り取らねばなりません。因果律はごまかせないのです。流血の争いというタネを蒔いておいて平和という収穫は刈り取れません。他国を物理的に支配せんとする欲望の張り合いをしながら、その必然の苦い結果を逃れる訳にはまいりません。愛のタネを蒔けば愛が実ります。平和のタネを蒔けば平和が実ります。互助のタネを地上のいたるところに蒔いておけば、やがて互助の花が咲き乱れます。単純な真理なのです。あまりに単純すぎるために、かえって地上の“お偉方”を当惑させるのです…続きを読む→
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→