コナン・ドイルの心霊学

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コナン・ドイルの心霊学

アーサー・コナン・ドイル著
近藤千雄訳

The New Revelation
by Arthur Conan Doyle(1918)
Psychic Press Limited
23 Great Queen Street,
London, WC2B5BB, England.

【目次】

第1章 心霊現象の実在を確信するまで

第2章 新しい啓示とは

第3章 死後の世界の実相

第4章 問題点と限界

第1章 迫られる人類の意識改革

第2章 霊魂説の弁護

第3章 スピリチュアリズムの科学的基盤

第4章 向上進化を基調としたスピリットの世界

第5章 バイブルに見る心霊現象

序 – 知られざる、ドイルのスピリチュアリズム研究 近藤千雄

シャーロック・ホームズ”の人気のさなかで

サー・アーサー・コナン・ドイルといえば誰しも思い出すのが、名探偵シャーロック・ホームズである。そのシリーズは1887年の『緋色(ひいろ)の研究』を皮切りに長短60編にも及んでおり、世界100か国語に翻訳されているという。これを読み解き、新発見をして楽しむ愛好家を“シャーロッキアン”と呼ぶ。

「シャーロック・ホームズ協会」というのがロンドンにあり、1987年にはそこの主催で“シャーロック・ホームズ生誕100周年”の記念行事が大々的に催された。ホームズの“誕生日”とされる1月6日には国会議事堂で記念晩餐会が開かれ、4月から5月にかけて主役のホームズや友人で医者のワトソンなどの“仮装行列”が行なわれ、BBC放送も特別記念番組を組んだほどだった。

日本にも「日本シャーロック・ホームズクラブ」というのがある。最初の日本語訳は1894年(明治27)で、今でも小・中学校の図書館の貸し出しベストテンに必ず入っているという。

その原作者であるコナン・ドイルが医学部(エジンバラ大学)出身の医師で、眼科を専門にしていたことを知る人は意外に少ない。実を言えばシャーロック・ホームズ・シリーズは医者としての仕事の暇つぶしに書いた『緋色の研究』が思わぬ好評を博したので、やむを得ず次から次へと書く羽目になってしまったというのが真相らしく、シャーロッキアンには悪いが、ドイル自身はあまり乗り気ではなかったという。

それは本書をお読みいただけば納得がいかれるであろう。1882年に医科を出たころは、米・国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。そして、ちょうど『緋色の研究』を執筆中と思われるころに、ニューヨーク州の最高裁判事 J.W.エドマンズの霊的体験記を読んでいる。

しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを読みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものかと、むしろ哀れにさえ思ったという。

驚異の現象を目のあたりにして

しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人たちであることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思いはじめ、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変っていった。

そして間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレイスン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(閉め切った部屋へ外部から物品を引き寄せる)を目(ま)のあたりにして、深く考えさせられた。

それがきっかけとなって、知人の中でスピリチュアリズムに関心をもつ2人と自分の3人で、自宅で交霊会を催すようになった。霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカにできない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変らず懐疑的態度を崩しきれなかった。

本文でも述べていることだが、ドイルがのちに、異常現象をすぐに摩訶不思議に捉えてはいけない – あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。

こうしてスピリチュアリズムに関心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。

ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には“スピリチュアリズムのパウロ”とまで言われるほど、この新しい霊的思想の普及のために太平洋と大西洋をまたにかけて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒やその研究者たちと直接(じか)に接することができたからだった。

そして、その研究成果を旺盛に吸収していくと同時に、世界スピリチュアリスト連盟の総会の議長をつとめるなど、目覚ましい活躍をしている。

2つの時代的背景

本書に収められた2編(『新しき啓示』『重大なるメッセージ』)は、40年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た“死後の世界の実在”への揺るぎない確信をもとに、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。

その2つの意義については本文をお読みいただくことにして、それを正しく理解する上で念頭に置かねばならない時代的背景を2つ指摘しておきたい。

1つは、第1次世界大戦に象徴される、当時のヨーロッパにおける帝国主義的植民地支配の趨勢である。その中心的勢力となっていたのが、ほかならぬドイルの母国イギリスで、手段を選ばぬ策謀によって他国から利権を奪い巨利を搾取していく母国の資本主義者たちに、ドイルは激しい憤りを覚えていた。

良識的観点からも許せないことであるのみならず、当時すでに“確信”の域に達していた死後の存続の事実に照らしても、愚かしい人間的煩悩の極みを見る思いがしていた。

もう1つは、それと表裏一体の関係にあるという見方もできるが、その第1次大戦の戦場となったヨーロッパは、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以来、実に2000年近くもキリスト教的道徳観によって支配されてきた世界だったという事実である。

つまりドイルは、あの血なまぐさい暗黒時代を生み出すまでに人心を牛耳ったはずのキリスト教が、なぜ戦争の歯止めにならなかったのかと問いかけるのである。そしてその最大の原因は、キリスト教の教義がバイブルにいう“しるしと不思議”を無視した、言わば“人工の”教義であり、天国を説いても地獄を説いても、その裏付けとなるものを持ち合わせていないことにある、と主張する。

心霊現象は“電話のベル”

その主張の根拠となっているのは、言うまでもなく現代の“しるしと不思議”ともいうべき実験室内での心霊現象である。その心霊現象をドイルは電話のベルに譬(たと)える。

つまりベルが鳴る仕掛けは単純きわまりないものだが、そのベルが重大な知らせの到来を告げてくれることがあることに譬えて、テーブルが浮いたり楽器がひとりで演奏したりする現象は確かにそれだけでは何の意味もないが、その他愛ない現象は目に見えない知的存在、いわゆるスピリットの実在を物語るものであり、その意味では(そしてその意味においてのみ)大切なものである、というのである。

しかし、その段階にとどまって好事家(こうずか)的趣味で終ってはならない、とも主張する。こんどは自動書記や霊言によって入手された霊界通信に目を向けて、遅かれ早かれわれわれも赴くことになっている、その見えざる世界について学ぶべきである、というのである。

夫人と共に海外講演旅行へ

さて、本書に収めた2編を執筆しているころから、ドイルはスピリチュアリズム思想の普及のための世界旅行を計画していた。そして手始めに1918年と翌年の2年間を英国内での講演に費している。

そして翌年の1920年からの2年間を、夫人同伴でオーストラリアとニュージーランドでの講演旅行に費している。さらに1922年には北米に渡って東海岸の主要都市を回り、その翌年には西海岸のカリフォルニアまで足を運んでいる。

そのあと、どういう事情があったのか、4年間ほど講演旅行に出た形跡はない。が、1928年、すなわち他界する2年前には、北ヨーロッパの主要都市を回っている。

こうした講演旅行を計画し手配したのは“ドイルの右腕”といわれたアーネスト・オーテンで、のちに英国スピリチュアリスト連盟を設立し、その初代会長をつとめている。そのオーテンの語ったところによると、その講演旅行の経費は20万ポンドにのぼったという。

円がケタ違いに強くなった現在のレートで換算してもおよそ5000万円になるが、当時のレートでいけば億の単位となるであろう。たぶん、シャーロック・ホームズ・シリーズで得た印税収入のすべてを注(つ)ぎ込んだのであろう。そして、わずか2年後の1930年に71歳で他界している。ドイルが“スピリチュアリズムのパウロ”と呼ばれるゆえんである。

心霊現象の科学的研究

ドイルが生きた時代、すなわち19世紀後半から20世紀初頭にかけての数10年間は、心霊現象が最も華やかで、それだけにニセモノも横行したが、科学界の1線級の学者を中心とする多くの知識人が真剣にその真偽を確かめようとした時代だった。

頭から毛嫌いして、調査も研究もせずに“そんなものがあるはずがない”と一方的に否定論をぶつ学者もいたが、非難を覚悟で思い切って手を染めた学者は、“1人の例外もなく”、その真実性を確信する声明を発表している。これは特筆大書すべきことで、それがやがて“霊魂説”へと発展していくのである。

ドイルは、そうした研究者たちの成果を持ち前の推理力を駆使して点検する一方、直接の面会や交流を通じてその真実性の確信を深めていった。その経過をたどりながらスピリチュアリズムの起原と思想を平たく解説したのが、本書に収められた2編である。

その後は自然界の精霊の存在を扱った『妖精物語』(1922)や、講演旅行をまとめた『2人のアメリカ冒険旅行』(1923)およびその続編(1923)、そして1926年には大著『スピリチュアリズムの歴史』を著している。これは、1、2を併せて700ページにのぼる厖大なもので、ドイルのスピリチュアリズム研究の集大成であると同時に、スピリチュアリズムの貴重な文献となっている。

物理的なものから精神的なものへ

私は今、ドイルが生きた時代は心霊現象の最も華やかな時代だったと述べたが、それは主として物理的現象のことで、それが少しずつ下火になっていくにつれて逆に精神的なもの、あるいは思想的なものが多く出はじめ、霊言現象や自動書記現象によって、人類史上かつて類をみない高等な人間観や宇宙観が啓示されるようになった。

そうした側面になると、ドイルの時代以降に輩出したものの方が組織的かつ学問的で、そこに明らかに進歩のあとが窺える。そういう波動(オクターブ)の高いものが受けられる霊媒が多く輩出したということである。本書ではそうしたドイル以降のものについては“訳註”で補足する形で、あまり深入りしない程度に解説しておいた。

深入りしないのは、たぶん本書の読者の大半の方、もっと言えば日本人の大半の人にとって、思想的にややこしい問題はどうでもよいこうして現実に生きているわれわれ人間とは何なのか、何のために生きているのか、死んだらどうなるのかといったことの方が切実な問題であろうと察せられるからである。

もとより、ドイルが本書で目標としているのもそこにあるのであるが、正直言って本書で披露されているものだけでは、やや隔靴掻痒の感を拭い切れない点が見うけられる。そこで私はその不足分をドイルのその後の著書からの引用で補ったり、“訳註”の形で解説させてもらった。が、それも所詮は西洋的なものばかりで、読者によってはそのバタ臭さに抵抗を感じられる向きも無きにしもあらずであろう。

そこで私は、日本で発掘された資料の中でも“第1級”の折紙がつけられているものを巻末で紹介して、参考に供したいと思っている。しかしそれも、ドイルが解説してくれているスピリチュアリズムという普遍的な霊的原理の理解があってはじめて納得のいくものであることを承知されたい。

“スピリチュアリズム”の語原

このたびの翻訳に使用したのは、サイキックプレス社発行の『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の合本で、1981年に復刻されたものである。前者の初版は1918年、後者はその翌年であるから、ほぼ60年後の再出版ということになる。

読者の中には“なぜ今になってそんなに古いものを”と思われる方がおられるであろう。もしかしたら“スピリチュアリズムはもう古い”という考えを抱いている方がいらっしゃるかも知れない。が、それは大変な見当違いの認識であると申し上げたい。

なぜそう言えるのかを解説することがスピリチュアリズムの本質を解説することにもなるので、最後にひと通り述べさせていただきたい。それには“スピリチュアリズム”という用語の由来を述べるのがいちばん手っ取り早いように思う。

人間の自我の根源を西洋ではプシュケーとかサイケ、あるいはスピリットと呼んできた。日本語の“霊”に相当すると考えてよいであろう。それが物的身体と結合して出来あがるのが自我意識である。

譬え話で説明すれば、地上生活は潜水服という肉体をまとって海中(大気)にもぐっているようなもので、1日1回、酸素の補給のために海面上にあがってくるのが睡眠である。が、そのうち潜水服を脱ぎ捨てて陸(おか)へあがってしまう。

それが“死”である。それで“本来の自分”に戻るのである。つまり人間はもともとがスピリット、つまり“霊”なのであって、肉体は殻であり道具にすぎない。

したがって、地上生活にあってもそのこと、つまり本来は霊的存在で当然死後も生き続ける、ということがスピリチュアリズムの基本的認識である。ところが、物質文明の発達はその霊性の自覚をマヒさせ、“物欲”によるさまざまな闘争を生んできた。

人類の歴史は闘争の歴史といってもよいほど、血なまぐさい殺戮と虐待の繰り返しである。それは現代に至るも、少しも変っていない。兵器が発達して殺し方の効率が上がったというだけのことであって、本質的には少しも変っていない。つい先ごろの湾岸戦争で、世界の人がそれをテレビで目のあたりにしたばかりである。

霊性の回復のための霊界からの働きかけ

スピリチュアリズムというのは、そのマヒした霊性の自覚を回復させることを目標とした霊界からの、地球規模の働きかけである。つまり人類をスピリチュアライズすることであり、そこからスピリチュアリズムという用語ができた。

したがってこれに“心霊主義”とか“神霊主義”とかの訳語を当てるのは間違いなのである。主義・主張の類いではなく自然発生的に生まれてきたものであるから、本来なら名称を付すのはおかしいのであるが、その存在を明示するために取りあえずそう呼んでいるまでのことである。

これでお分かりいただけたことと思うが、霊性の自覚は地上人類にとって平和共存のための必須の条件であり、過去においても必要だったし、現在においても必要であるし、また未来にわたっても要請され続ける性質のものである。

ニュートンが発見する以前から万有引力は働いていたし、今なお働いている。コペルニクスが『天体の回転について』を著す前から地球は太陽のまわりを回っていたのであり、今なお変らぬ速度で回っている。

それと同じく、人間の霊性は今も昔も同じであり、未来永劫にわたって人間は霊的存在であり続けるのである。そのことを科学的に裏付けされた実証的事実を基盤として説いたものを“近代スピリチュアリズム”と呼んでいるまでのことで、本質的には新しいものでも古いものでもない – 永遠不変の原理なのである。

その原理を教えてくれる書物なら、古いもの、新しいものを入れると厖大な数にのぼる。私の手もとにも、優に100冊を超える原書が揃っている。

その中からあえてこのドイルのものを訳出したのは、ドイルの知名度もさることながら、世界中のシャーロック・ホームズ・ファンを楽しませたコナン・ドイルが、ひそかに生き甲斐を求めて探求しつづけたのがスピリチュアリズムだったという事実を知っていただくと同時に、その探求のあとをドイルといっしょにたどっていただくことが、“人類にとって最も重大”とまでドイルが断言するスピリチュアリズムの概略を知っていただくきっかけになると考えたからである。

憂慮すべき日本の心霊界の現状

今、日本の現状に目をやってみると、あまりにいい加減な心霊書が出回り、しかもよく売れている。“いい加減”という意味は、科学的ないし理性的チェックがなされていないということである。あろうはずもない神々からの霊言やら“世紀末”という、何やら意味ありげな用語で不安を煽る、不健全きわまる予言書が氾濫している。

チャネリングとかいって、分かるはずもない、また分かっても何の意味もない前世のことを、さも分かったように口にする、商売根性まる見えの自称霊能者が横行している。

そうした実情にかんがみても、19世紀半ばに勃興して以来この方、世界的学者や知識人による徹底的な検証を受けた心霊現象の科学的研究から生まれたスピリチュアリズム思想は、霊的なものを判断する上で欠かすことのできない、大切な尺度であると考える。

と言って、科学者による研究書では煩雑で退屈で、かえって興味が殺(そ)がれてしまう。そうかといって、いきなり霊界通信をまるごと読んでも、これまた、疑念百出で、こんがらがってしまうであろう。

その点ドイルは学者でもなければ霊能者でもない – われわれ一般人と同じ真理探求者という立場で、その双方を適当にないまぜにしながら、概略的にまとめてくれている。本書との出会いが、1人でも多くの読者にとって、人生観のコペルニクス的転回のきっかけとなれば幸いである。

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コナン・ドイル

献辞

この上なく重大な事実の真実性を証言するために、1848年のハイズビル事件以来70年にわたって嘲笑と世間的不遇を物ともしなかった、道義的勇気にあふれる人々に本書を捧げる。

1918年3月
A.C.ドイル

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第1部 新しき啓示 まえがき

スピリチュアリズムの思想的側面については、私より思索力に富む多くの方が取り扱っており、一方、スピリチュアリズムの現象的側面についても、私より科学的頭脳をお持ちの多くの方が取り扱っておられる。が、私の知るかぎり、そのふたつの側面の相関関係を細かく取り扱うという試みは、これまで無かったように思う。

この度の私の試みによって、人類にとって最も重大と私が見ている問題を少しでも理解しやすいものにすることができれば、私の努力も無駄でなかったことになるであろう。

すぐれた霊媒のひとりであったパイパー夫人(1)が1899年の入神講演で“霊性に富む宗教”の将来について、こんなことを述べている。

「来るべき20世紀にはこのスピリチュアリズムが驚くほど多くの人々の理解を得ることになるでしょう。が、ここで私からひとつの重大な事実を予言しておきます。必ずや現実となることを明言しておきます。

すなわち、霊界から新しい啓示が届けられるに先立って、世界各地で恐ろしい戦乱が生じます。霊的視野を通して霊界の同胞の存在(死後の存続)を確信するには、前もって地上世界の清浄と浄化が必要なのです。完成へ向けての一過程として、あえてそういう作業を必要とすることがあるのです。友よ、しかと心されたい」

確かに、“世界各地で恐ろしい戦乱”が起きた。地上人類が“霊界の同胞の存在を確信”するようになるのは、まさにこれからである。

1918年(第1次大戦終結の年)

訳註

(1)Leonore E. Piper(1859~1950)

スピリチュアリズム史にその名を残している霊言霊媒の中でも、この人ほど厳しい条件と監視のもとに繰り返しテストされた霊媒も珍しい。霊言現象というのは、霊媒の口を使ってスピリットがしゃべるという、日本で古来“口寄せ”などと言われていた現象。それが果たして霊媒自身の潜在意識とは完全に別個のものかどうかを見分けることが、この現象の最大のカギで、そのカギを握っているのが司会者(さにわ)である。

日本人は霊的なものに弱い人種で、霊媒の口をついて出た言葉を唯々諾々(いいだくだく)とうけたまわる傾向があるが、オリバー・ロッジとかリチャード・ホジソン、ジェームズ・ヒスロップ、フレデリック・マイヤースといった世界的な学者は、その点を確認するためにパイパー夫人を使ってテストを繰り返し、ついにスピリットの実在を信じるようになった。

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第1章 心霊現象の実在を確信するまで

私にとって、心霊現象の研究ほどあれこれと思索をめぐらし、そして、結論を出すのにこれほど時間の掛かったものは、ほかにない。

誰の人生にも、ある時ふと関わり合った事柄に心を奪われ、あっという間に青年期が過ぎ、そして中年期が足早やに過ぎ去っていくという体験があるものだが、私にも、先日それを身に沁みて思い知らされることが起きた。

心霊誌に「ライト(1)」というのがある。地味な月刊誌だが、内容がなかなかいい。ある日ふと目にとまった記事に、30年前の同じ日付の出来事が特集してあって、その中に、1887年のある交霊会における私の興味ぶかい体験を綴った手紙が掲載されていた。

それを見て、われながらこの道への関心がずいぶん長期間にわたっていることを思い知った。と同時に、私が心霊現象の真実性を確信してそれを公表したのはこの1、2年のことであるから、私がその結論に到達するのが決して性急だったとは言えないことも明確となった。

本章では、これまでに私が体験してきた経験と困難のいくつかを披露するのであるが、それを“自己中心的”と受け止めないでいただきたい。読んでいただけば、この道を探求なさる方の誰もが体験するであろうことを、点と線で図式的にスケッチしていることがお分かりいただけると思う。それが済んでから、第2章で一般的かつ普遍的な性格のものへと進んでいきたい。

眼科医として開業したころ

1882年に医学生としての課程を終えたころの私は、他の若い医者と同じく、物的身体に関しては、確信に満ちた唯物主義的概念を抱いていた。しかし一方、信仰的には神の存在を否定し切れずにいた。と言うのも、ナポレオンがエジプトへの航海中、ある星の降るような夜に、お供をしていた数名の無神論の学者に向かってこう尋ねたという。

「しかし先生方、あの星は一体だれがこしらえたのかね?」この問いに対する答えが、その時の私にも出せなかったのである。

この宇宙は不変の法則によってこしらえられたのだという説では、それではその法則は誰がこしらえたのかという疑問を生むだけである。と言って、むろん私は人間的な容姿をした神様の存在を信じていたわけではない。

私の考えは、今も同じであるが、大自然の背後に知性をそなえたエネルギーが存在する – それはあまりに複雑かつ巨大なもので、ただ“存在する”ということ以上には、私の頭脳では説明しようのないもの – ということである。

善と悪についても、たしかに重要な問題ではあるが、神の啓示を仰ぐほどのものではない、明々白々のことと見なしていた。ところが、われわれのこの小さな個性が死後にも存在するかどうかの問題になると、大自然のどこを見ても、それを否定するものしか見当たらないように思えた。

ローソクは燃えつきると消える。電池を破壊すると電流がストップする。物体を溶かすと、それで存在がおしまいとなる。だから、身分の高い低いにかかわらず、だらしない人生を送っている人間がそのまま死後も生き続けるというのは納得できない。どう考えても、それは一種の妄想であるように思える。

そこで、結論として私は、死はやはりすべての終焉であると信じた。ただ、その死の概念が、なぜこの短い地上生活における同胞への義務にまで影響をもったりするのかは、理解できなかった。

以上が、私が初めて心霊現象に関心をもつようになったころの心理状態だった。要するに“死”は地上における最もナンセンスな問題であると考えており、詐欺的行為を行なった霊媒が摘発された時も、まともな人間がなぜあんなものを信じるのだろうくらいに考えていた。

そんな折に、その“あんなもの”に興味をもっている(複数の)知人に出会った。そして誘われるままに交霊実験に参加した。テーブル通信(2)が行なわれた。確かに、どうやら意味の通じるメッセージが綴られた。が、結果的には、私に猜疑心を抱かせることにしかならなかった。

メッセージには時として長文のものが綴られることがあり、偶然に意味が通じるようになったということは、とても考えられなかった。となると、“誰か”がテーブルを操っていることになる。

当然それは“私以外の誰か”だとにらんだ。この私でないことは確かだ。そこから私はジレンマに陥った。その知人たちは、どう間違っても、そんなことで私を騙(だま)す人たちではない。かといって、あれだけのメッセージが“意識的”操作なしに綴られるわけもなかった。

そのころ、たぶん1886年だったと記憶するが、『エドマンズ判事の回想録』というのを偶然手に入れた。エドマンズ氏(3)はニューヨーク州最高裁の判事で、大変な人望を得ていた。

その本の中に、亡くなった奥さんが交霊会に出てきてエドマンズ氏と語り合うということが長期間にたって続いている話が出ていた。実に事細かに述べられていて、私は興味ぶかく読んだ。が、あくまでも懐疑的態度は崩さなかった。

私は、これは、どんなに実務的な人間でも弱い面をもっている良い例であると考えた。つまりエドマンズ判事の場合、日ごろのドロドロとした人間関係を裁く仕事の反動として、そういう霊的なものへの関心を誘発されているのだと考えたわけである。

そもそも、エドマンズ氏のいう“霊”とは人体のどこにあるのであろうか。交通事故で頭蓋骨部を強打すると、性格が一変してしまうことがある。才気煥発だった人間が役立たずになったりする。アルコールや麻薬その他に中毒すると、精神が変ってしまう。やはりスピリットも物質から生まれているのだ…当時の私はそう理論づけていた。

実際に変るのはスピリットではなくて、そのスピリットが操っている肉体器官なのだということには、思いが至らなかった。たとえば、バイオリンの名器も、弦が切れてしまえば、いかなる名手も弾けなくなる。それをもって演奏家が死んでしまったことにはならないのと同じである。

その後、私は片っ端からスピリチュアリズム関係の本を読んでいった。そして驚いたのは、実に多くの学者、とくに科学界の権威とされている人々が、スピリットは肉体とは別個の存在であり死後にも存続することを完全に信じ切っていることだった。

無教養の人間が遊び半分にいじくっているだけというのであれば歯牙(しが)にもかけないところであるが、英国第一級の物理学者・化学者であるウィリアム・クルックス(4)、ダーウィンのライバルである博物学者のアルフレッド・ウォーレス(5)、世界的な天文学者のカミーユ・フラマリオン(6)といった、そうそうたる学者によって支持されているとなると、簡単に見過ごすわけにはいかなかった。

もとより、いくら著名な学者による徹底した研究の末の結論であるとはいえ、“可哀そうに、この人たちも脳に弱いところがあるのだな”と思ってうっちゃってしまえば、それはそれで済むかも知れない。

が、その“脳の弱さ”が本当は自分の方にあったということに気づかない人は、それこそ“おめでたい人”ということになりかねない。私もしばらくの間は、それを否定する学者たち、たとえばダーウィン(7)、ハックスレー(8)、チンダル(9)、スペンサー(10)などの名前をいい口実にして、懐疑的態度を取り続けていた。

ところが、実はそうした否定論者はただ“嫌っている”だけのことで、まるで調査・研究というものをしたことがないこと、スペンサーは“それまでの知識”に照らして否定しているにすぎないこと、ハックスレーに至っては、“興味がないから”というにすぎないことを知るに至って、こんな態度こそまさに非科学的であり、独断的であり、一方、みずから調査に乗り出して、そうした現象の背後の法則を探り出そうとした人たちこそ、人類に恩恵をもたらしてきた正しい学者の態度であると結論づけざるを得なくなった。かくして私の懐疑的態度は以前ほど頑固なものでなくなっていった。

その傾向は私の個人的な実験でさらに促進された。といっても、当時の実験は霊媒なしで行なったことを忘れてはならない。これは、たとえてみれば望遠鏡なしで天体を観測するようなものである。私自身には何ひとつ霊的能力はなく、いっしょに実験に参加した人たちも五十歩百歩だった。

4、5人でテーブルを囲んでいると、人体から出る磁気が蓄積されて、それを活用して“何ものかが”メッセージを綴るのであるが、その内容が首をかしげたくなるものや、時にはバカバカしいものもあった。

今でも当時のメモを保存しているが、調べてみると必ずしもバカバカしいものばかりではなかったことが分かる。たとえば、ある時私が、今私のポケットに硬貨がいくつあるか当ててほしいと言うと、テーブル通信で、「われわれは教化と高揚を目的として行なっているのであって、当たった、外れたの次元でのお相手をしているのではない」という返事が返ってきた。

さらに続けて、「アラ探しの根性ではなく、敬虔な心を鼓吹したいのです」と言う。これを幼稚くさいと言える人がいるだろうか。

ところが、その一方で私は、出席者の手が無意識のうちに操っているのではないかという疑念に、終始つきまとわれていた。そんな時に、実に不愉快で不可解な体験をさせられた。ある日の夜の実験だったが、とても調子がよくて、どう考えてもわれわれ出席者の意識とは無関係に行なわれていた。

長くて細かい内容のメッセージが綴られた。自分の名前を綴り、地上時代はある企業の得意先回りをしていて、先だってのエクセター市での劇場の火災で焼死した。ついては、カンバーランド州のスラッテンミアという土地にいる家族に、このたびのことを知らせてやってほしい、ということだった。私はよろこんで手紙を認(したた)めて、言われた通りの住所へ書き送った。ところが、それが“配達不能郵便”として送り返されてきた。

これは、私たちが騙されたのか、それとも住所の聞き違いか、今もって分からないままであるが、とにかくそのことに不快感を覚え、私の興味は下降線をたどっていった。真面目な探求でも、その中に悪ふざけの要素が入ると、もう真面目にやりたくなくなるものだ。この地球上にスラッテンミアというところがあったら教えていただきたいものである。

そのころの私は、サウスシーという町で病院を開業していた。同じ町にドレイスン将軍という、英邁な軍人が住んでおられ、その方が英国のスピリチュアリズムの草分け的存在のひとりでもあった。ある日私は、将軍の家を訪ねて私の迷いの心境を打ち明けた。将軍はじっと私の話に聞き入ってくださり、私が得た通信についても、私がつまらないと思っていたものの価値を指摘し、私がこれはと思って高く評価していたものを一蹴した。そしてこう私に論(さと)した。

「あなたはまだ霊的なものについての基本的認識ができていませんね。実を言うと人間は死んであの世へ行っても、性格は今と少しも変らないのです。この世に軟弱な人間、愚かな人間がいるように、スピリットの世界でも同じです。その見分けができないといけません。それはこの世でも同じです。

かりに自分の家から一歩も外へ出たことのない人間がいるとしましょう。その人が、ある時ふと世の中はどんなところだろうと思って、窓から顔を出したとします。そして、なんだこりや、どうってことないじゃないか、と思うかも知れません。世の中の楽しさも大きさも分かりません。くだらん世の中だとタカをくくって顔を引っ込めます。今のあなたが、まさにそれですよ。

ちゃんとした目的もなしに、不用意に交霊会をやるからそういうことになるのです。スピリットの世界の小さな窓から顔を出して、すぐそこにいるくだらぬ連中からの話を聞いたにすぎなかったわけです。もう少しマシなものを求めないといけません」

その時の私は完全に腑に落ちるところまではいかなかったが、今思うと、大ざっぱな説明ながら、見事に的を射ていると思う。

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SPR(11)(心霊研究協会)に所属する

以上が、私とスピリチュアリズムとの最初の関わり合いである。その時はまだ懐疑心は拭えなかった。が、少なくとも調査・探求してみようという意欲はあった。そして、古めかしい考えに囚われている否定論者が“あんなものはみなペテンだ、手品師でもあれくらいのことはやってみせるよ”といった意見を述べるのを聞いても、少なくともその意見の方がナンセンスであるという確信はできていた。

といって、その時点までの私の個人的体験はとても得心させてくれる性質のものではなかった。が、ずっと読み続けていた心霊書によって、その著者たちがいかに積極的に、そして深く心霊現象を探求しているかを知り、宗教性をもつ問題がこれほどの証拠性をもつに至ったのは、世界の歴史を見ても前例がないことを認識していた。

もとより、それだけで真実性が証明されたことにはならない。しかし少なくとも敬意をもって扱うべきものであること、他愛もないものとして無視すべきものでないことを証明していた。

たとえば博物学者のウォーレスが“近代の奇跡”と呼んでいる驚異的な現象がある。霊媒のD・D・ホームが地面から70フィートも浮揚して、建物のひとつの窓から出て別の窓から入ってみせたというのである。私にはとても信じられないことだった。

が、その現象を実際に見たという人が3人もいる – しかもそれが、ダンレイブン卿(12)、リンゼイ卿(13)、ウィン艦長(14)といった、名誉と名声をほしいままにしている英国第一級の人物ばかりであり、口を揃えて“神に誓って、いつでも証言する”と述べていることを知って、私は、これは全世界が真実と認めている出来事よりももっと真実味があることを認めずにはいられなかった。

その間も相変らずテーブル通信を続けていた。何の通信も来ないこともあったし、来ても、下らないものばかりだったこともあれば、驚くほど筋の通ったものが届けられたこともある。今でもその時のノートを取ってある。その中からこれは本物だと思えるものを紹介しておきたい。

当時は私の魂を高揚させるものとしてではなく、ただ面白いというにとどまっていたが、その後オリバー・ロッジ卿の著書『レーモンド(15)』や、それ以降の霊界通信と共通するものがあり、今ではまったく違った価値を見出している。

死後の世界についての叙述はどれも少しずつ異なったところがあるもので(地上の世界についての叙述だって人によって違うものだ)、全体として捉えた時にはじめて大きな共通点が見出せるのであるが、これから紹介するものは、私がそれまで考えていたものとも違うし、いっしょに交霊会を行なったふたりの女性が考えていたものとも、その概念が大きく違っていた。

通信を送ってきたのはふたりで、まず最初のひとりが、われわれ3人の誰も知らない Dorothy Poslethwaite という名前を綴った。5年前に16歳でメルボルンで死んだが、今は幸せで、する仕事もあると言い、地上で通った学校はふたりの女性のうちのひとりと同じだったという。知ってる名前をいくつか綴るように要求すると、その学校の校長(女性)の名前を綴った。その通りであることを確認した。

さらにその通信者は、今住んでいる界層(67ページ第1図のイラストに見られるとおり死後の世界はいくつかの層を成しており、それを“界層”と呼び、地上社会の“階層”と区別して用いることにする – 訳者)は地球のまわりに存在すること、火星には地球人類より進化した人類が住んでおり、例の運河は火星人がこしらえたものであること、今いる世界には身体上の苦痛は何ひとつないが、精神上の悩みはあること、やはり統治されている世界であること、養分を摂取しなければならないこと、地上時代はカトリック教徒で今でも同じ信仰をもっていること、仏教徒やマホメット教徒もいて、それで別に問題はないこと、まだイエス・キリストの姿を拝したことはなく、キリストについての格別の知識も得ていないけど、その影響力は地上時代より強く感じていること、今いる界層でも祈りがあり、次の世界へ行く時は死に似た形体上の変化があること、娯楽もいろいろあって、音楽もそのひとつであること、光と笑いに満ちた世界で、金持ちも貧乏人もおらず、全体として地上よりはるかに幸せであること – 大体そんなようなことを綴った。

その女性がお休みなさい”と綴って去った直後に、テーブルが強烈な力によって動かされはじめた。どなたですかとの問いに、英国の有名なクリケット選手だった Dodd(ドッド)の名を綴った。

この人とは私はエジプトの探険旅行をしたことがあり、彼がナイル川をさかのぼるというのを私が反対して、真剣に口論したことがある。彼はそのままひとりで出発して、そこで客死してしまった。1896年のことである。

いっしょに交霊会をしていたふたりの女性はドッド氏のことは知らなかった。そこで私が本人がすぐ目の前にいるような調子でいくつか質問すると、すぐに正確な答えが返ってきた。返事の内容には私が予測したこととは正反対のこともあったので、私の潜在意識が作用しているとは思えなかった。

彼は今はとても幸せで、2度と地上生活に戻りたいとは思わないと言い、地上では信仰というものを持たなかったが、そのことは死後の世界とは何の関わりもないと言った。ただし“祈る”ということは結構なことで、それがスピリットの世界とのつながりを強くすることになると言い、自分がもっと地上で祈りの生活をしていたら、霊界での位置はもっと高いものになっていただろうとも述べた。

信仰を持たなくても幸せになれるということと、祈りが死後の幸せを増すということとは矛盾しないでもないが、考えてみれば、信仰を持つ人でも必ずしも祈りの生活をしていないことを思えば、一概にどうこう言えないのかも知れない。

死んだ時は少しも苦痛はなかったという。ポールフィールという名の若い将校が彼より先に死んでいるが、死んだ時に迎えに来てくれた人々の中にその姿は見えなかったとも述べた。ドンゴラの陥落のことはよく覚えているが、すぐそのあとのカイロでの祝宴には“スピリットとして”その場に行っていたという。

今はいろいろと仕事があり、生命についても地上時代より多くのことを学んでいるという。カイロでのふたりの口論のことはよく覚えていた。死後すぐに落着いた界層での滞在期間は地上時代より短かったという。

ゴードン将軍(16)とはまだ会っていないし、その他、地上で著名だった人とはひとりも会っていないという。スピリットの世界でも家族や集団で生活しているが、地上で夫婦だったといっても必ずしもいっしょではないが、真実の愛の絆があれば、再びいっしょになれるという。

以上、きわめて大ざっぱではあるが、長さといい内容といい、ここで紹介するのに適当と思って選んでみた。否定論者はすぐに中身がバカバカしいという批判をするが、右の話の中身がもしもバカバカしいというのであれば、世の中にはバカバカしくないものはないことになってしまう。と言って、その中身が100パーセント真実であるという証拠もまた、私には見出せなかった。そして、それをどう理解したらいいのか、戸惑うばかりだった。

今でこそ、その後の幅広い体験によって、世界各地で同じような死後の情報を得ている人が大勢いることを知り、これだけの証人が意見の一致をみている以上は、それを真実と認めてよいと考えるに至っているが、当時の私の思想構造の中には、そういう来世の概念の入る余地はなかった。

それ以後も私は死後の問題に関する書物を読み続け、読めば読むほど、いかに多くの人たちが、いかに慎重に探求してきているかを知るばかりだった。わずか3人の仲間による実験で入手するものよりも、はるかに私の精神を感化した。そんな時に、ジャコリオというフランス人の書いたオカルトの本を読んだ。

この人はフランス領インドの主席判事で、ひじょうに批判的な精神の持ち主であるが、同時にスピリチュアリズムには少し偏見を抱いていた。彼は複数のヒンズー教の苦行僧を使って一連の実験を行なったという。彼がヒンズー教をよく理解しヒンディー語をしゃべったせいもあって、苦行僧たちは彼を信頼していたらしい。

その本によるとジャコリオは、詐術を排除することに大変苦心している。それは省略するとして、結果的に彼が得たものは、たとえばD・D・ホームがやってみせたような近代の欧米の心霊現象と同じものだった。身体の浮揚、まっ赤に燃えた石炭を素手でつかむこと、ある物体を遠い位置から動かすこと、植物の苗を目の前で生育させること、テーブルの浮揚、等々を確認している。

その原因の説明も先祖霊の仕業であるということで、スピリットであるとする点も同じである。唯一スピリチュアリズムと異なるのは、自然界の心霊的(サイキック)エネルギー(17)を活用している点で、それは古代カルデアの魔法使いから引き継がれてきていると彼らは信じていた。

しかし、ともかくも、近代の欧米の心霊現象とまったく同じものが見られ、しかもそこに欧米で見られるようなトリックが一切なかったということに、私はひじょうに感銘をうけた。

この頃、<弁証法学会・調査委員会報告書(18)>というのを読んで大いに考えさせられた。提出されたのは1869年にさかのぼるが、実に説得力に富んだ内容である。当時の、無知で唯物観に凝り固まったジャーナリストからは嘲笑の的とされたものだが、大変な価値のある資料だと思う。

調査委員会は、スピリチュアリズムの現象を調査するために信頼のおける地位にあり思想的に偏りのないメンバーによって構成されていた。報告書にはそのメンバーによる実験と、詐術に対する入念な予防策が記述されている。

これを読めば、誰しもそこに述べられている現象が疑うべくもない純正なものであり、これまでの科学によって発見されていない法則やエネルギーの存在を示しているという結論に到達するはずである。

それにつけても奇妙なのは、もしもこの学会による報告書の結論が“心霊現象を否定する”ものであったら、スピリチュアリズムへのノックアウトパンチとして大いに賞賛されるはずだったのに、それが逆にその“実在を証言する”ものであったばっかりに、非難のつぶてを投げつけられた。

これは1848年のハイズビル事件以来各地で行なわれた調査結果の多くがたどった運命であり、米国のヘア教授(19)が詐術を暴く目的で調査を開始して、最終的にはその真実性を認める結論を出したことで身をさらされた運命でもあった。

さて、私は1891年に心霊研究協会(SPR)に加入し、そのメリットとして、協会が所有する調査報告のすべてに目を通すことができた。読んでみて私は、協会のたゆまざる入念な努力と表現の慎重さには大いに敬意を表したくなったが、同時に、慎重さが“もどかしさ”を感じさせ、またセンセーショナルなものは公表を控えるという態度が、肝心なことを世間に知らしめなくしているという事実を認めずにはいられなかった。

特別の興味をもって読む人を除いては、用語を学問的に見せようとする態度が鼻について、途中で読むのを止めたくなるほどである。ロッキー山脈の猟師が、ある大学教授の道案内をした時の話として、私にこう言ったことを思い出す – 「大学の先生ともなると脳味噌がわれわれとは違うんですなぁ。話を聞いても、何をおっしゃってるのか、さっぱり分かりませんでした…」と。SPRもそんなところがある。

もっとも、そうした点はあるにしても、闇の中で光を求める者にとって、SPRのきちょうめんな仕事は大いに役に立っている。それは、今日の私の思想の基盤を築いてくれた要素のひとつであることには間違いない。

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肉体を離れての精神の活動

が、もうひとつ、私の心に大きく引っかかっていた事実があった。それは、あれほどの資料と実験結果を手にしながら、それを総合的にまとめてひとつの思想体系をこしらえる努力がなされていないことだった。たとえばSPRの記念碑的著作のひとつであるフレデリック・マイヤースの『人間の個性とその死後の存続(20)』がある。

この著作の中でマイヤースは、蒐集した不思議な体験のすべてを解く“霊的方程式”を打ち出すまでには至らなかったが、彼みずから“テレパシー”という用語で呼んだ精神(マインド)と精神との反応(以心伝心)の実在は、完璧なまでに証明されている。

目の前の事実に故意に目をつむろうとする人は別として、これはもはや科学的事実として定着している。しかし、この事実の発見が大変な進歩であるとの認識が不十分なのである。

もしも1個の精神が遠距離にある別個の精神に直接的に作用することが有り得るとすれば、これは、この宇宙にはわれわれが理解している“物質”とはまったく異質のエネルギーが存在することになる。唯物論者にとっては、その拠って立つべき足台が取り払われたことになる。実は私が土台としていた理屈も崩れ去ってしまった。

それまでの私は、ローソクの炎は、ローソクが無くなれば消えてしまう、という事実を根拠にしていた。ところが、テレパシーの事実は、ローソクから遠く離れた場所で“炎だけ”が活動することが有り得ることを物語っている。私の理屈は根拠を失ったことになる。

精神(マインド)、霊(スピリット)、ないし知性(インテリジェンス)が身体から遠く離れたところで活動できるとすれば、それは、もともと身体とは別個の存在を有するものであることになる。となると、身体が滅んだあとにそれが存続しても不思議ではないことになる。

ある人が死んで、同じ時刻に遠距離にいる身内の誰かが不吉な予感を得たという場合、テレパシーの現象である場合と、実際にその死者自身が、肉体が滅んだあと、それに代る別の身体でそこへ訪れた場合とが考えられる。

このように、単なる思念の読み取りという単純なケースが一方にあり、他方には身体とは別個の存在による働きかけというケースがあるわけであるが、基本的には両者は1本につながったクサリの両端であって、ただ単に目を奪うような現象ばかりを雑然と蒐集するだけだったものに、マイヤースは、初めて組織的な秩序をもたらしたと私は考える。

この頃に興味ぶかい体験をしている。SPRの代表団のひとりとして、ある有名な幽霊屋敷で夜通し立ち会うことになった。そこでは、1726年に英国のエプワースで起きたウェスレー家の現象(21)や、1848年の例のスピリチュアリズムの発端となったハイズビル事件(22)と非常によく似た現象が何年にもわたって起きていた。結果的にはこれといってセンセーショナルなものは起きなかったが、といって、まったく無駄に終ったわけでもなかった。

第1日目の夜は何事も起きなかった。が、2日目の夜に、まるで棒でテーブルを激しく叩いているような、物凄い音がした。もとよりイタズラの防止策には万全を期していた。が、きわめて巧妙な悪ふざけにわれわれがまんまと引っかかったのだという説を完全に否定する根拠も見当たらなかった。ともかくその時はそれだけのことで終った。

ところが、それから数年後に、かつてその家に住んだことのある家族のひとりから、われわれSPRのメンバーが訪れたあとで、その家の庭から子供の白骨死体が発掘されている話を聞かされた。しかも、ずいぶん古いものだという。これは捨ておくわけにはいかない話である。

幽霊屋敷というのはそう滅多にあるものではない。そして、その屋敷の庭に白骨死体が埋められていたという話も、滅多にあってほしくない。怪奇現象と白骨死体との関連は一考の価値はあるとみてよいであろう。

ハイズビルにおけるフォックス家事件でも白骨死体と殺人事件との関連が、大きな話題を呼ぶきっかけとなったことを想起していただきたい。あの場合は、それによって殺人事件の解明にまでは至っていない。が、それは別問題なのである。

たとえば、前述のウェスレー家の怪奇現象の場合も、その現象を起こしている霊と親しく交信することができていたら、なぜそういう現象を起こすのかという動機も解明されたはずである。

子供の白骨死体の発見という事件から想像すれば、幼くして残酷な形で生命を断たれることによって、その無念の気持がつのって、そういう現象という形でエネルギーが発散されたのかも知れないのである。

この時期から第1次大戦の終結の頃まで、私は引き続き心霊現象の勉強に余暇のすべてをつぎ込んだ。一連の交霊会で驚異的な現象をいくつも見た。その中には薄明りの中での物質化現象もあった。ところが、それから間もなくして、同じ霊媒がトリックを使用したことが判明して、私はその霊媒による現象のすべてを、信用性のないものとして破棄することにした。

こうした態度は、霊媒によっては必ずしも妥当でないこともある。たとえばユーサピア・パラディーノ(23)の場合のように、霊的エネルギーが弱まった時にはトリックを使用したこともあるが、どうあっても本物と断定できる現象もあった。

同じく心霊現象でも、最低次元のものになると、スピリットとの関わりはまったくなくて、五感の延長としての心霊的エネルギーの発現にすぎないものがある。当然それは気まぐれで、意識的なコントロールができない。

パラディーノは少なくとも2回はへたなトリックを使ってそれが暴かれているが、一方、フランス、イタリア、イギリスの高名な科学者によって構成されたいくつかの調査委員会による長時間の検証にも、見事にパスしたことが数回もある。

しかし私は、やはり、1度信用を失った霊媒による体験は、私の主義として、そのすべてを記録からカットしたい。また私は、たとえ純正な現象であっても、暗闇の中で行なわれた物理現象は、何らかの証拠性のある通信が伴っていなければ、価値は半減すると考える。

否定論者は、問題を起こした霊媒を全部除外していったら、現象の真実性を支持する証拠もほとんど全てを除外しなければならないと主張するが、これは見当違いというものである。私はそのトリック事件に引っかかるまで1度も金銭を取る職業霊媒の交霊会には出席したことがなかったが、それでも証拠性という点では確かな体験を積み重ねてきた。

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D.D.ホーム

報酬を絶対に受け取らなかった世界最高といわれる霊媒のD・D・ホームは、白昼でも現象を見せ、いかなるテストにも応じ、1度もトリックの嫌疑をかけられたことはない。同じような霊媒は他にも大勢いるのである。

問題は、金銭を取る霊媒が、アラ探しやスキャンダル探しのレポーター、アマチュア探偵などに目をつけられ、どこからでもケチをつけられかねない、いい加減な現象を見せ、そのあげくに挙げられた場合である。

心霊現象の原理について何も知らない陪審員や裁判官の前では、いくら正当な弁明をしても、そのまま通用するはずはない。そもそも、現象が起きなかったら報酬は支払わないという慣行が間違っている。専門の霊媒が結果にかかわりなく年金を貰えるようにする以外に、トリックを防止する方法はないであろう。

以上、第1次大戦に至るまでの私の心霊観の発展の跡をたどってきた。その間、私は一貫して慎重な態度を維持し、否定論者が言うような、安直な軽信性はなかったつもりである。どちらかと言えば慎重すぎたほどである。

というのは、私は変った出来事を何でもかんでも検討の対象とすることには躊躇してきた。もしかしたら私は一生涯を一心霊研究家として、たとえばアトランティス大陸の存在とかベーコン論争(24)のような、面白くはあっても道楽的要素の強い問題で、ああでもない、こうでもないと、迷い続けていたかも知れなかった。

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心霊現象は“電話のベル”

が、幸か不幸か、大戦が勃発した。戦争というものは“生”を真剣に見つめさせ、一体何のために生きているかを改めて考えさせることになった。

苦悩する世界の中にあって、毎日のように夢多き青春が満たされないうちに次々と散っていく若者の訃報に接し、またその魂が一体いずこへ行ってしまうのかについて明確な概念をもたないまま嘆き悲しむ妻や母親たちの姿を見て、突如、私はこれまで自分がだらしなく引きずってきた問題は、実は物質科学が知らずにいるエネルギーが存在するとかしないとかいった呑ん気なものではなく、この世とあの世との壁を突き崩し、この未曾有の苦難の時代に人類に用意された霊界からの希望と導きの呼びかけなのだという考えが閃いた。これは大変なことなのだと気がついた。

そう思った私は、客観的な現象への興味が薄らぎ、それが実在するものであることさえ確信すれば、それで、その現象の用事は済んだのだと考えた。それよりも、それが示唆している宗教的側面の方がはるかに大切なのだと思うようになった。

電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もなく重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は、目を見張るようなものであっても、ささいなものであっても、電話のベルにすぎなかったのだ。それ自体は他愛もない現象である。が、それが人類にこう呼びかけていたのだ –

“目を覚ましなさい!出番にそなえなさい!よく見られよ、これが“しるし”なのです。それが神からのメッセージへと導いてくれます”と。

本当に大事なのはその“しるし”ではなく、そのあとにくるメッセージだったのである。新しい啓示が人類にもたらされようとしていたのである。それが果たしていつのことなのか、どの程度のものがどれくらいの鮮明度をもってもたらされるかは、誰にも分からなかった。

しかし大切なのは – 現象そのものの真実性は、まじめに取り組んだ人には一点の疑念の余地もないまでに立証されているが、実はそれ自体は重要ではなく、その現象が示唆しているものが、それまでの人生観を根底から覆し、生命の死後存続という宗教的課題がもはや“信仰”の領域のものではなく、確固たる“客観的事実”となってしまうに違いない – ということである。

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その後の体験

次章ではその問題を取り上げることになるが、その前に付け加えておきたいことがある。第1次大戦以降、私は現在の私の心霊観の土台となっている一般的事実の真実性を再確認する機会にたびたび恵まれたのであるが、次に述べる体験もそのひとつである。

それは私の家族と起居を共にしていた夫人(L・Sと呼んでおく)が自動書記能力を発揮しはじめたことに端を発する。数ある心霊現象の中でもこの自動書記というのは、他人を騙すというよりは自分を騙している – つまり一種の自己暗示で綴っているにすぎないことがあるので、その検証には最大限の厳格さが必要である。

つまり、この場合、はたしてL・Sは自分の潜在意識で書いているのか、それとも彼女自身が主張しているとおり目に見えない知的存在が彼女の腕を使って書いているのか、どっちなのかを見きわめる必要がある。

L・Sが綴った通信の中には、明らかに間違っていることがいくつかあった。とくに時間的要素が入っているものは当てにならなかった。ところが、数字がぴったり一致しているものの中には、常識では考えられないもの、たとえば予言が的中しているものもあった。英国の豪華船ルシタニア号の、ドイツ潜水艦による撃沈の予言がそれで、

「恐ろしいことです、恐ろしいことです。そして戦争に大きな影響を及ぼします」

と綴られた。この事件が、米国が第1次大戦に参戦する最初の大きな引き金となった事実を考えると、このメッセージは正しかった。

また、私のもとに何月何日に大切な電報が届く – 発信人はだれそれ、という予言をしたこともある。その発信人は思いもよらない人だったが、その通りになった。細かい点の間違いはあったにせよ、総合的に判断して、インスピレーションというものの存在を疑うことはできなかった。言ってみれば、性能の悪い電話ですばらしい知らせを聞いているようなものだった。

もうひとつ、私の記憶に鮮明に残っている事実がある。ある慢性病の婦人が死亡し、枕元からモルヒネが発見された。死因査問にはこの私が立ち会った。その日から8日後に V・ピーターズという霊媒による交霊会に出席した。入神したピーターズ氏はいろいろ語ったが、私には曖昧でつじつまの合わない内容だった。が、そのうち、

「今ここに、どなたか名前は知りませんがご婦人の霊姿が見えています。年上の婦人に抱きかかえられて立っています。“モルヒネ”という言葉を繰り返し言っています。3度言いました。意識が混濁しているようです。モルヒネを欲しがっているのではありません」

と言った。私からのテレパシーは考えられなかった。その時は霊媒からのメッセージに夢中で、その婦人のことはカケラほども念頭になかったからである。

私の個人的体験とは別に、ここ2、3年の間に出版された書物によって、スピリチュアリズムはさらに大きな確証を得るに相違ない。昨年だけで5冊のすばらしい著書が出ている。オリバー・ロッジ教授の『レーモンド』(前出)、クローフォード博士(25)の『心霊現象の実在』、アーサー・ヒルの『心霊問題の調査」、バレット教授(26)の「見えざる世界の入口に立って」、バルフォーの『ディオニシュオスの耳』であるが、この5冊だけでも、理性をそなえた真理探求者にとっては、心霊現象の真実性を立証する上で十分であると私は考える。

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ふたつの反論

第2章では私のいう“新しい啓示”がどのようにして入手され、何を訴えているかを取り上げるが、その前に、心霊界の実情に触れておきたい。われわれが普及しようとしているスピリチュアリズムに反抗している勢力に2種類ある。

ひとつは至って単純なもので、心霊現象は全部ウソだと決めてかかっている連中である。本章はそうではないことを述べたもので、その問題はもう片づいたと考える。

もうひとつは、キリスト教信仰から出ているもので、スピリチュアリズムは神によって禁じられている領域に踏み込んでおり、一刻も早くそこから出て、2度と手をつけぬことだ、というものである。

が、私には当初からキリスト教信仰というものはなく、あくまでも科学的ないし証拠性を基本として取り組んでいるので、私にとってはこの警告は何の意味も持たないが、そういう不安を抱きながらスピリチュアリズムにも関心をもっている方もおられることであろうから、ここで1、2、私なりの考えを披露しておきたい。

第一に強調したいのは、使用してはならない能力を神がお授けになるはずがないということである。そういうものを所有しているという、その事実そのものが、われわれはそれを正しく使っ発達させる義務があるということの証明であると私は考える。

言うまでもなく、他のあらゆる能力と同じく、理性と良識を失えばその使用を誤ることが有り得るのは事実である。それは当然のこととして、人間にそういう能力があるという事実は、それを使用することは決して摂理への違反ではなく、むしろ義務ですらあることを物語っていると、繰り返し主張するものである。

次に主張したいのは、そうした“禁じられた知識”にまつわる迷信は、バイブルなどの言葉を根拠にして、これまでの人類の知識の進歩にことごとく反抗してきたということも事実である、ということである。

そのためにガリレオは地動説を撤回せざるを得なかった。ガルバーニが人体にも電気があることを発表した時も、とんでもない話とされた。『種の起原』を出したダーウィンも、人間の尊厳を汚すものとされた。これがもう2、3世紀前だったら、間違いなくダーウィンは火刑に処せられていたはずである。

シンプソン博士がクロロホルムを使用して無痛分娩を行なった時も、バイブルに出産には痛みはつきものと書かれていることを理由に、非難された。が、どれひとつとして、それによって事実が覆されたり否定されたことは1度もない。そんないい加減な言いがかりは、まじめに取り上げるわけにはいかない。

しかし、どうしてもキリスト教信仰が大きな足枷となっている人に対しては、次の2冊の小冊子を奨める。著者はいずれも牧師である。1冊は F・オールドの『スピリチュアリズムは悪魔か』、もう1冊は A・チェーンバーズの『死後の自我」。同じく牧師の C・トウィーデール氏(27)にもスピリチュアリズム関係の著書が何冊かある。

ついでに付け加えれば、私がスピリチュアリズムに関する説を公表しはじめた当初、まっ先に賛同の手紙を寄せてくださった人々の中に、英国国教会の大執事ウィルバーフォース氏がいた。

神学者の中には、交霊会を禁じるばかりでなく、心霊現象もスピリットからのメッセージもみな先祖霊の名を騙(かた)ったり天使を装ったりする悪魔の仕業であるとまで説く人がいる。実際にその場に立ち会ったことがなく、そういうメッセージによる慰めや感激といったものを味わったことがないから、その程度の説教で済まされるのである。

ジョン・ラスキン(28)は、自分の来世信仰はスピリチュアリズムのお陰だと述べていながら、しかし自分にとってはそれだけで十分で、それ以上はスピリチュアリズムに深入りしたくない、などと述べている。私にはどういう論理でそんなことを言うのかが理解できない(29)が、スピリチュアリズムとの出会いによって死後の存続の事実と、それが人生に及ぼす意義とを徹底的に理解し、それまでの唯物主義的人生観を完全に棄てた人は実に多いのである。ほかならぬ私もそのひとりだ。

それがもしも悪魔の仕業だとすれば、悪魔というものはずいぶん殊勝なことをするものだと言いたくなる。

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訳註

【1】Light

1881年に創刊されたロンドン・スピリチュアリスト連盟の機関誌で、世界的に有名なモーゼスの『霊訓』Spirit Teachings は最初この心霊誌に連載された。

【2】Table Turning(Table Tapping)

複数の出席者が両手をテーブルの上に置いて、歌をうたったり祈ったりしているとそのテーブルが傾いて、1本の脚でフロアを叩きはじめる。そこでモールス信号のような符牒をきめて問答を交わす。わりに危険性の少ない方法ではあるが、高等な内容のものは受け取れない。

【3】Judge Edmunds(1816~1874)

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J.W.エドマンズ

ニューヨーク州議会の議長をつとめたこともある行政官であり、ニューヨーク州最高裁判事までつとめた司法官でもあり、同時に心霊現象の解明に意欲を燃やした心霊研究家で、米国のスピリチュアリズムに一時代を画した人物。

当初は心霊現象をトリックと見なして、それを暴く目的で交霊会に参加したのであるが、どうあっても真実としか思えない現象を体験させられて、その真相解明に乗り出したのが、スピリチュアリズムに深入りするきっかけとなった。

しかし、判事という仕事柄、世間の目は好意的でなく、「エドマンズ判事は判決のことまでスピリットにお伺いを立てている」といったうわさまで聞かれるようになり、それを弁明するために『世に訴える』Appeal to the Public という釈明文を新聞紙上に掲げたりしたが、あまりの批判の大きさに法曹界から身を引き、自由な立場でスピリチュアリズムの真理の普及につとめた。

【4】William Crookes(1832~1919)

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W.クルックス

1863年に英国学士院会員に選ばれ、1897年にナイト爵に叙せられ(サーの称号を受ける)、1910年にメリット勲位を与えられ、英国学士院をはじめとして化学協会、電気技師協会、英国学術協会の会長を歴任している。その間、タリウム元素の発見、クルックス放電管の発明などで世界的な名声を博した、純粋に科学畑の人物である。

そのクルックスが心霊現象に関心を向けはじめたのは1869年のことで、一笑に付すわけにはいかない問題だと考えて、1871年に本格的な調査・研究に入ることを宣言する一文を発表した。“近代科学の光に照らしてスピリチュアリズムを検証する”と題したその声明文の中で、こう述べている。

「まだ何ひとつ理解していない課題について、見解だの意見だのといった類のものを私が持ち合わせているはずがない。いったいどういう現象が起きるのか、どういう現象は起きないのかといったことに関しては、一切の先入観を持たずに研究に入りたい。

が、同時に、油断なく判断力を働かせた上で間違いないと確認した情報は、広く世間の知識人にいつでも提供するつもりでいる。なぜなら、われわれ人間はまだ知識のすべてを手にしてはおらず、物理的エネルギーについても、その深奥を究め尽くしてはいないと信じるからである」

そしてその声明文は次の一文で締めくくられている。

「科学的手段を次々と採用していけば、スピリチュアリズムの愚にもつかない現象を、魔術と魔法のはきだめに放り込んでしまう学者が続出することになろう」

この最後の一文から推察するに、クルックスはそれまでのスピリチュアリズムとの片手間の関わり合いによって、何かありそうだが、どうもマユツバもの、といった印象をもっていたようである。

ジャーナリズム界は、クルックスのこの声明を大歓迎し、これですべてが片付く、と確信した。ところがその期待は見事に裏切られることになる。公表された実験報告の内容が、100パーセント心霊現象を肯定するものだったからである。

案の定、英国学士院はその報告記事の掲載を拒否した。が、別の学術季刊誌 Quarterly Journal of Science がそれを連載し、のちに Researches in the Phenomena of Spiritualism(スピリチュアリズムの現象の研究)という単行本となって出版され、大センセーションを巻き起こした。心霊現象の科学的研究はクルックスに始まると言われている。(第2部第3章の訳註【2】【3】参照)

【5】Alfred Russel Wallace(1823~1913)

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A.R.ウォーレス

ダーウィンより10歳以上も若かったが、自然淘汰説の共同発見者として名前が知られるようになった英国の博物学者。早くから心霊現象にも関心をもち、マレー諸島での採取旅行中に本格的な調査・研究の決意をして帰国。

その間の博物学研究の成果をThe Malay Archipelago(マレー群島)と題して1869年に出版してから積極的に交霊会に出席して、その成果を Miracles and Modern Spiritualism(奇跡と近代スピリチュアリズム)と題して1878年に出版している(拙訳『心霊と進化と』潮文社)。

これは、“論文”の形でいくつかの学術誌に発表したものを1冊にまとめたものであるが、発表直後から“学者としてあるまじきこと”として批判を浴びていた。が、右の著書のまえがき”でこう反論している。

《ここで、いささか個人的なことについて述べておかねばならない。学界の知友が私の妄想だと決めつけているもの(スピリチュアリズム)について、みんながその理解に大いに戸惑っていること、そしてそのことが博物学の分野で私がもっていた影響力に致命的なダメージを与えたと信じていることを、私は十分に承知している。(中略)

私は14歳の時から進歩的思想をもつ兄と起居を共にするようになり、その兄の感化を受けて、科学に対する宗教的偏見や教派的ドグマに影響されないだけの、確固とした物の考え方を身につけることになった。

そんな次第で、心霊研究というものを知るまでは、純然たる唯物的懐疑論者であることに誇りと自信をもち、ボルテールとかシュトラウス、あるいは今なお尊敬しているスペンサーといった思想家にすっかり傾倒していたものである。

したがって初めて心霊現象の話を耳にした時も、唯物論で埋めつくされていた私の思想構造の中には、霊とか神といった、物質以外の存在を認める余地はまるで無かったといってよい。

が、事実というのは頑固なものである。知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象がきっかけとなって生来の真理探求心が頭をもたげ、どうしても研究してみずにはいられなかった。

そして、研究すればするほど現象の実在を確信すると同時に、その種類も多種多様であることが分かり、その示唆するところが、近代科学の教えることや、近代哲学が思索しているものから、ますます遠ざかっていくことを知ったのである。

私は“事実”という名の鉄槌に打ちのめされてしまった。その霊的解釈を受け入れるか否かの問題より前に、まずそうした現象の存在を事実として認めざるを得なかった。

前に述べたように、当時の私の思想構造の中にはそうしたものの存在を認める余地はまるで無かったのであるが、次第にその余地ができてきた。それは決して先入観や神学上の信仰による偏見からではない。事実をひとつひとつ積み重ねていくという絶え間ない努力の結果であり、それよりほかに方法はなかったのである。(後略)》

【6】Camille Flammarion(1842~1925)

世界的に著名なフランスの天文学者。20歳過ぎごろから心霊現象に関心を持ち、1865年に Unknown Natural Forces(未知の自然力)と題する本を出版している。が、この時点ではあくまでも物理的エネルギーの作用と考えており、霊の実在は信じていなかった。

霊魂説を意識しはじめたのは、このあと註【23】で紹介するユーサピア・パラディーノという女性霊媒を自宅に呼んで実験会を催したころからだった。しかし、“意識しはじめた”というだけで、その後もずいぶん無理なこじつけ理論で心霊現象を解き明かそうとしている。が、1923年つまり他界する2年前にSPRの会長に就任した時の講演で霊魂説を完全に認めて、こう述べている。

「人間は“霊(スピリット)”の属性である未知の能力をもっており、複体(ダブル)(肉体と霊体とをつなぐ接着剤のようなもの)というのを所有している。思念は肉体を離れて存在することができるし、霊的波動が大気を伝わり、われわれは言わば見えざる世界の真っただ中に生きているようなものである。

肉体の崩壊後も霊的能力は存続する。幽霊屋敷というのは確かにある。死者が出現することは、例外的で稀ではあるが、事実である。テレパシーは生きている者どうしだけでなく、死者と生者との間にも可能である」

【7】Charles Darwin(1809~1882)

改めて解説する必要もないほど有名な進化論の元祖。最近その学説、いわゆるダーウィニズムそのものの疑問点が次々と指摘されてきているが、その一方では註【5】のウォーレスとの共同発見とされる“自然淘汰説”についても、ダーウィン一派による“陰謀説”というのが浮上してきている。(A・C・ブラックマン『ダーウィンに消された男』朝日新聞社)

【8】Thomas Huxley(1825~1895)

英国の生物学者。ダーウィンの進化論を支持した。

【9】John Tyndall(1820~1893)

英国の物理学者。結晶体の磁気的性質・音響などを研究。とくに“チンダル現象”で有名。

【10】Herbert Spencer(1820~1903)

英国の哲学者、社会学者。進化論哲学の樹立者。

【11】Society for Psychical Research

心霊現象の研究を目的とする公的機関で、英国SPR、米国SPRなど、いくつかある。毎月“SPR会報”というのが発行されており、それをまとめた“年会報”というのもある。その資料だけを見るかぎり厖大なものであるが、問題はその分析・調査の方法が一昔前の物質科学のものであり、物質を超越したものを対象とするには無理がある。現在ではすっかり権威を失い、有名無実の存在となっている。

【12】The Earl of Dunraven(生没年不明)

英国の貴族でカトリック教徒。息子のアデア卿とともに心霊現象に関心を示した。D・D・ホームと自宅で起居を共にしながら2年間にわたってその現象を観察して、それをExperiences in Spiritualism with D.D.Home(ホームによる心霊現象の実験)と題する著書にまとめた。

が、ごく限られた人たちにしか渡っていない。たぶんカトリック教会からの弾圧を案じたためと推察されている。本文にあるホームの浮揚現象はその中で述べられているもので、3階の窓から出入りしている。

【13】Lord Lindsay(1847~1913)

註【12】のダンレイブン伯爵、アデア卿、D・D・ホームなどとの親交を通じて、スピリチュアリズムの初期に関わった人物。のちにクロフォード伯爵となる。

【14】Captain Wynne(生没年不明)

英国海軍の将校であったこと以外は不明。

【15】Raymond

英国が生んだ世界的物理学者オリバー・ロッジの息子レーモンドが第1次大戦で戦死したのち、女性霊媒オズボン・レナードの交霊会に出現して、死後の世界その他について語ったことをロッジがまとめたもの。

ロッジは霊魂説を信じたあとも“信仰はキリスト教で十分”などと言っていたのが、この息子との交霊によってキリスト教信仰の非現実性に目覚めた。それは同時にスピリチュアリズムの宗教性と現実性とを物語るエピソードでもある。

【16】General Gordon(1833~1885)

英国の軍人で、中国の“太平天国の乱”を鎮定し、のちにスーダンのハルツームで反乱軍に襲われて死亡。

【17】超物質的エネルギーには大きく分けて2種類ある。ひとつは五感の延長としてのサイキックなもので、最近はやりの“超能力”はみなこの部類に属する。これにスピリットの援助が加わって、病気治療とか高次元の世界のものを直観したりするものが、もうひとつのスピリチュアルなものである。

【18】33名によって組織された学会で、うち、当初から現象の真実性を信じていたのは8名。そのうち霊魂説を信じていたのは4名にすぎなかった。が、“報告書”では少なくとも15名が現象の真実性を信じるようになっている。第2部で詳しい紹介がある。

【19】Robert Hare(1781~1858)

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ロバート・ヘア

ペンシルベニア大学の名誉教授で、科学論文だけで150以上、その他、政治や道徳に関す著書も多数出版している著名人のひとりだった。

1853年、72歳の時に「理性も科学も無視して、スピリチュアリズムという途方もない妄想に取りつかれていく狂気の潮流を止めるために何らかの貢献をするのが、科学者としての同胞への義務である」と考えて、心霊現象の本格的な調査に乗り出し、いろいろな実験道具を考案してトリックを暴こうとした。が、予測に反して、心霊現象の実在と霊魂説とを証明する結果となってしまった。

それを公表したことで彼も、例によって科学畑の知友から非難を浴びた。ハーバード大学の教授連からは非難の決議文まで突きつけられ、1854年、ワシントンでの米国科学振興協会主催の講演会でスピリチュアリズムに関する講演をしかけた時には、あまりのヤジと怒号に耐え切れずに降壇している。

が、その後もスピリチュアリズムの真実性への信念は変ることなく、ついにそれと引き換えに教授職を辞している。

【20】Human Personality and Its Survival of Bodily Death by Frederic W.H.Myers

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F.W.H.マイヤース

英国の古典学者で詩人だったマイヤースが、人間の個性の死後存続を裏づける霊的異常体験を蒐集したもので、上下2巻の大部のもの。この著作のための過労が死の原因といわれるほど、マイヤースはこれに全霊を打ち込んだ。具体的な説を出すまでには至らなかったが、心霊学の貴重な資料として、今なお評価が高い。未翻訳。

【21】地名にちなんでエプワース事件とも呼ばれている怪奇現象で、現象そのものは次の註【22】のハイズビル事件とひじょうによく似ている。ただ違う点は、後者が学者や知識人の関心を呼んで科学的調査の対象とされたのに対して、これはただの怪奇現象としてヤジ馬的興味の対象とされるだけで終ったことである。

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フォックス家の人々(下はフォックス夫妻、上の中央が長女・右が二女・左が三女)

【22】スピリチュアリズム勃興の発端となった、米国で起きた有名な怪奇現象。1847年末にハイズビルの一軒家に引っ越してきたフォックス家は、空中から聞こえる原因不明の音に悩まされていた。

しかもそれはふたりの娘がいる場所にかぎって聞かれるので、ふたりは初めのうち怖がっていたが、明けた1848年3月31日に、娘のひとりが思い切ってその音のする方向へ「あたしのすることと同じようにしてごらん」と言って、両手でパン、パン、パンと叩いてみた。すると空中から同じ数だけ音が返ってきた。

そこで今度は、質問の通りだったらいくつ、違っていたらいくつ、という符牒をきめて、いろいろと尋ねていったところ、その音の主は生前はその地方を回っていた行商人で、5年前にこの家に行商に来た時に当時の住人に殺されて金を奪われ、死体をこの家の地下室に埋められた、というショッキングなストーリーが出来あがってしまった。

死体の発掘作業は、大量の水が出たりして長びいたが、その間にフォックス姉妹は調査委員会による調査を受けた。これが心霊実験の始まりで、その後も科学者による研究の対象とされ、それがきっかけとなって、異常能力をもったいわゆる霊能者が全米で学問的調査の対象とされるようになった。こうして心霊研究というものが盛んになっていった。

現象的にみれば大したものではなかったにもかかわらず、ハイズビル事件がスピリチュアリズムにおける重大事件とされているのは、この現象をきっかけとして、科学・文化・法曹界といった知識人層が本格的な調査・研究に参加するようになったからである。

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第1図 見えざる世界の3つの界層
Between stage. Earth’s atmosphere. Paradise region(地球大気圏内の中間境・パラダイス)
Sphere1(幽界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere2(霊界)
Between slage, or space(中間境)
Sphere3(神界)
C.L.Tweedale THE NEWS FROM THE NEXT WORLD より

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第2図

【23】Eusapia Paladino(1854~1918)

スピリチュアリズム初期の物理霊媒で彼女ほど多くの学者によって繰り返し試された霊媒も珍しい。イタリア人だったこともあって主としてイタリアとフランスの学者が中心となって調査委員会が設置され、さらにイギリス、アメリカへも招待されて徹底的に調査されている。

ちなみに、一般によく知られている名前だけをあげれば、ノーベル生理学・医学賞受賞者のリシェ、精神病理学者のロンブローゾ、天文学者のスキャパレリとフラマリオン、おなじみのキュリー夫妻、イギリスではオリバー・ロッジ、マイヤース、キャリントンなどの調査を受け、アメリカではコロンビア大学とロード教授の私邸で実験会を催している。

ユーサピアはいたって無教養で良識にも欠けていたために、せっかく一点の疑惑の余地もないほどの驚異的心霊現象を見せながら、次の実験では、疲労のためいい現象が出そうにないと思うと、トリックを使ったりする愚かなところがあり、それが、すべてがマユツバモノという印象を与える結果を生んでしまった。

【24】英国の哲学者フランシス・ベーコンが実はシェークスピアだったのではないかという説があり、それをめぐる論争のこと。

【25】W.J.Crawford(?~1920)

北アイルランドのベルファストにあるクィーンズ大学の機械工学の講師で、同市に住むゴライヤーという、家族全員が霊媒的素質をもった一家 – 俗に“ゴライヤーサークル”という – を研究対象として、主として物体浮揚における力学を心霊学的に解明する仕事をし、それを3冊の著書にまとめた。

本文に出ているのはその最初の1冊。叩音(ラップ)による通信も交わすことがあったが、難しい説明を要する時は、家族のひとりが入神して霊言による説明を受けている。

【26】William F.Barrett(1845~1926)

アイルランドの首都ダブリンにある王立科学院の物理学教授をつとめながら心霊現象を熱心に研究した。当初は、テレパシーは神経の異常によって誘発されたもの、物理現象は幻覚の産物と片づけていたが、その後の体験と観察によって、霊魂説に変った。本文に紹介されているのはそれを集大成したもの。

【27】Charles Tweedale(生没年不明)

英国国教会の司祭で、妻に霊媒的素質があったことから、司祭館の中でさまざまな心霊現象が発生し、自動書記による通信も多く入手された。Man’s Survival of Death(人間の死後存続)、Present-day Spirit Phenomena and the Churches(今日の心霊現象とキリスト教会)、News from the Next World(他界からの便り)などがある。

この最後の著書にはバイオリン製作者として有名なストラディバリ、ピアニストのショパン、小説家のコナン・ドイルやブロンテ姉妹などが自動書記で出現して、その証拠性をさまざまな角度から披露している。

トウィーデール氏はその数人の霊に死後の実情について個別に質問を提出して、その回答をまとめた上で、第1図(上記参照)のようなイラストをこしらえている。第2図はストラディバリが描いたバイオリンの構造図。

【28】John Ruskin(1819~1900)

オックスフォード大学の美術史教授で、透徹した文明評論で知られた。死後の存続を100パーセント信じていながら、ある時期から“もうあの【信仰】は捨てた”と表明したことに関して問われ、こう答えている。

「私の考えを変えさせたのは、おもに反論の余地のないスピリチュアリズムの証拠です。低俗な詐術や愚かしいモノマネが横行していることは知っております。が、そうしたガラクタの下には、この肉体の死後にも個的生活が存続することを示す証拠が厳然と存在することを、私は確信しています。そう確信したら、それはもう“信仰”ではなく“事実”なのですから、スピリチュアリズムには関心がなくなったという意味で申し上げたのです」

【29】これはドイルの誤解であることが註【28】の弁明で明らかである。

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第2章 新しい啓示とは

啓示の基盤としての心霊現象

前章はいくぶん個人的色彩の濃いものとなったが、ともかくもこれで問題の核心に迫る準備ができたことになる。

一連の“新しい啓示”が人類に届けられているらしいことは、前章で重ねて述べてきたことである。では、それは一体どこから届けられているのか。主として自動書記(1)という、人間の手を媒体として、死者のスピリットと名のる先輩たちが綴るという形で、霊界から届けられている。

その中でも、ジュリア・エイムズ(2)やステイントン・モーゼス(3)のものが有名である。とくにモーゼスの場合は、非常に高級なスピリットからのものとされている。

さらに、そうした“綴られたもの”のほかに“語られたもの”つまり、入神した霊媒の口を媒体として届けられたメッセージ(4)もある。時には霊媒の口も使わずに、直接空中から声がする(5)こともある。海軍司令長官だったアズボン・ムーア氏の著書『スピリットの声』に数多くの例が紹介されている。

このほかに、前章で紹介した、私を入れて3人で行なったテーブル通信のような、家庭交霊会(ホーム・サークル)において入手されたものや、デ・モーガン夫人(6)によって紹介されたものに見られるような、子供の手によって綴られたものもある。

さて、ここで当然予測される反論にぶち当たる – それが霊界からのものだということを、何を根拠として断定するのか、ということである。霊媒が勝手に書いているのではないという根拠はどこにあるのか – かりに意図的ではないにしても、潜在意識によって無意識のうちに綴ったという可能性をどう否定するのか、という反論である。

これはまさに的を射た批判であり、われわれはひとつひとつの通信に厳格にこの懐疑的態度で臨まねばならない。というのは、もしもそうした“小さな予言者”たちが何の証拠性もないまま自分のメッセージだけを押しつけるようなことを野放しにしていたら、われわれはまたしても、かの押しつけ信仰の暗黒時代(7)へと逆戻りしてしまうからである。

そこで、右の批判に対する回答は、真実性を検証できない通信を受け入れる前に、検証できる種類の証拠を要求するということになる。古代においても、霊界からの通信を取り次ぐ霊能者に対して、必ず何らかの“しるし”を要求した。これは実に理にかなった要求であって、今日でもそうあるべきである。

かりに、どこか高い界層からやってきたというスピリットがその界層での生活を私に語ってくれても、なるほどと得心させてくれる何らかの“しるし”を提供してくれなければ、私はそれをそのままクズかごの中へ放り投げてしまうであろう。そんなものに関わり合っているには、人生はあまりに短すぎるのだ。

が、もしもステイントン・モーゼスの『霊訓』に見られるように、神の使者と名のる一団からの教説が届けられる一方で、モーゼス自身の身のまわりに実に多種多様の心霊現象が起きていれば – モーゼスは英国が生んだ最高の霊能者のひとりである – 私もそれを真剣な気持で検討するであろう。

また、ジュリア・エイムズの場合のように、地上時代の同僚のステッドも知らなかった話を持ち出して、検証の結果それが事実であることが判明した場合は、それ以外の検証できない部分も信じてよいという考えにも、一理を認めてよいであろう。

さらにまた、レーモンドが英国には存在しない写真の話を持ち出して、検証の結果それが説明どおりであることが判明し、また、霊界の中継役を通して地上時代のこまごまとした話をし、身内の者ですら確認しなければ分からないようなことが事実その通りだったことが判明すれば、その時の、レーモンドのいる界層の生活状況や体験の話も、まず本当であろうと推定しても、あながち不用意とはいえないのではなかろうか。

以上はほんの一例を挙げただけで、他にも多種多様なケースがある。が、私が指摘したいのは、下はテーブルラップという物理的現象から、上は高級霊による霊言に至るまでの精神的現象も、すべてがひとつにつながったクサリのようなもので、その最低部分に相当する物理的現象が人類の手に届けられたそもそもの意義は、まともに理性を働かせれば、その最先端で待っている高尚な霊界通信にまで至る、その“しるし”として用意されたものだった、ということである。

したがって一見他愛もないかに思える現象でも小バカにしてはならないということである。テーブルが傾いて、コツコツと床を鳴らすだけ、あるいはタンバリンやメガホンが部屋中を飛び交うだけといった現象が、金儲けのために悪用されたりトリックでやる者がいたりしても、それでもって全てと思ってはいけない。

ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した。ワットは蒸気でヤカンの蓋がカタカタいっているのを見て、蒸気機関を発明した。ガルバーニは解剖したカエルの脚だけがピクピクと引きつるのを見て、静電気の発見に至る一連の実験を思いついた。

同じように、ハイズビルの怪現象騒ぎが、その後20年間にわたって第1級の学者の頭脳をとりこにするほどの研究分野を切り開き、さらに人類史上かつてなかったほどの大きな発展をもたらすに違いないと私が確信している、死後の世界についての情報をもたらすことになった。

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宗教の共通の基盤としてのスピリチュアリズム

私が深く敬意を払っている先生方、とりわけウィリアム・バレット教授は、心霊研究は宗教とはまったく縁のないものであると主張している。確かにその通りであると私も思う。研究家としては立派でありながら人間的には感心しない人もいることを考えれば、当然のことである。

ところが、その研究成果と、それから導かれる推論、そしてそれが教えている教訓は、魂の死後存続の事実、その世界の様子、そしてまた、それがこの世の所業によってどう影響されるかについての情報なのである。

このことをもってしてもなお宗教とは無縁、というのであれば、私は正直いってどこが無縁なのかが理解できない。私にとって、それはまさに宗教そのもの – 宗教の真髄なのである。

といって、スピリチュアリズムがいずれ新しい宗教としての体系をもつに至るという意味ではない。私個人の意見としては、そういうことには絶対ならないと信じている。言うまでもなく、現在の地上人類は宗教的にはバラバラである。

私はむしろそれを一体化させるもの – キリスト教系の宗教であろうと非キリスト教系の宗教であろうと、ありとあらゆる宗教が、さまざまなタイプの人間の心に訴える固有の体系を確立する – その必要があればのことであって、必ずしもその必要はないと思うが – そのための共通の基盤としての統合的要素であると見なしたい。(8)

南方の民族は北方の民族よりも“厳格さの少ないもの”を求める傾向があるし、西方の民族は東方の民族よりも“せんさく好き”である。すべてを一列平等に並べて考えてはならない。が、霊的教訓によって確認の得られた宗教的大前提が広く受け入れられることになれば、宗教界の調和と一体化へ向けて、大きな1歩を踏み出すことになる。

そこで、問題は、これまで人類に影響を及ぼしてきた伝統的な宗教と人生思想にこの新しい啓示がどう影響を及ぼすかということである。

それに対する回答は、致命的な打撃を受けるのはひとつしかない – 唯物思想である、ということになる。こう述べる時の私には、唯物論者への敵意のようなものはみじんもない。れっきとした思想体系をもつ一派としてみるかぎりは、真摯であり道義をわきまえた人たちであると私は信じている。

しかし、スピリットが物質を離れて存在するという事実が確立された以上、唯物思想の根底が無くなったことになり、必然的にその思想体系は崩れ去ることになるであろう。

その他の思想に関していえば、霊界からもたらされた教えを受け入れれば、伝統的なキリスト教思想は大幅に書き改めねばならなくなることは必定である。それは、両者が正面衝突するという意味ではなく、本来の意味を正しく解説し発展させるという方向での修正である。

良識ある人間が理性的に考えて明らかにおかしいと思える誤りを正すことになるが、同時に、死後の存続の事実という宗教の絶対的基盤を、改めて確認し現実的なものとしてくれる。罪悪にはそれ相当の罰が伴うことはその通りだが、永遠の火刑だの地獄だのといったものは存在しないことも明らかにされるであろう。

また、西洋で“天使(エンゼル)”と呼んでいる高級霊と、その高級霊による整然とした支配体制が確かに存在し、それが無限の高さにまで伸び、論理的にいえばその頂点に全知全能の神が存在するということになる。無上の幸福の境涯としての天国が存在する一方、試練の境涯というものが存在するが、呪われた者が堕ちる地獄というものは存在しない。

かくしてこの新しい啓示は、最も重大な教えに関するかぎり、古い信仰を破壊するものではなく、あらゆる宗教における真摯な求道者にとっては、悪魔にそそのかされた油断のならない敵ではなく、むしろ強力な味方として大歓迎されてしかるべきものなのである。

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キリスト教の検証

では、ここでキリスト教を例にして、ぜひとも修正すべき教義をいくつか挙げて検討してみよう。

キリスト教徒には申しわけないが、ズバリ言って、教会がその体質をよほど思いきって改めないかぎり、キリスト教は地上から姿を消すことになろう。真実にはこちらから適応するしかない – さもなければ自分が滅びる、というのが存在の大原則である。

ところが教会は科学的常識の発達をよそに、一向に体質を改めようとせず、そのうち信者が半減して日曜集会もガラガラとなり、残ったのは女性ばかり。ついには、都会でも田舎でも、有識者層と極貧層から完全に見放されるに至っている。

なぜそうなってしまったのか、ここでその原因を検討してみよう。これはキリスト教のすべての宗派に共通した傾向であるから、そこに何か共通した深い原因があるはずなのである。

大衆が教会に背を向けていく最大の理由は、正直いって、牧師の説くことを信じなくなったということである。理性と良識が等しく反撥するからである。イエスによる身代りの犠牲そのものの概念が納得できないし、そんなことで宥(なだ)めすかされる神の概念がさらに納得がいかないのである。

さらに、“罪の贖(あがな)い”だの“小羊の血によって潔められる”などといった表現が理解できない。“人類の堕落”だの“原罪”だのを口にする以上は、そのいわれについての説明が学問的にきちんとできていなければならない。

それができずにいるうちに、進化論の発達によって、穴居生活や漂流生活をしていた時代、さらにさかのぼって“類人猿”から“類猿人”へと進化してきた、はるか遠い時代について学び、連綿とした途方もない規模の生命の進化のあとを振り返ってみると、人類は一度も“堕落”などしていない – ひたすら1歩1歩、向上進化を続けてきている事実が明らかとなった。

となると、いったい贖罪(しょくざい)だの救いだの原罪だの、その他、キリスト教の謎めいた思想の大部分はどうなるのか、ということになる。神学大系の中ではいかようにも理屈づけはできようが、“事実”ということからは懸け離れている – そこに問題がある。

また、イエスの死についても大ゲサに扱いすぎている。信仰のために死ぬことは別に珍しいことではない。どの宗教にも殉教者というのがいるものだ。いつの時代にも信念のために死んでいった人がいる。今この時点(第1次大戦中)でも、祖国イギリスのために何万という若者がフランスで死んでいる。

したがってバイブルの中のイエスの死は、たしかに美しくはあるが、それが革命のための、他に類のない特別な出来事であったかのような、必要以上の重大性を謳(うた)いすぎているように思えるのである。

私に言わせれば、死よりも、むしろイエスの“生きざま”の素晴らしさについての言及が少なすぎると思う。イエスの偉大さと本当の教訓は、その日常生活にあったと思う。バイブルという限られた記録の中で見るかぎりでも、イエスの取った態度に見苦しいものは何ひとつない。

人への思いやり、やさしい慈悲心、ゆとりのある中庸性、穏やかな勇気、つねに進歩的で新しいものを受け入れていく態度、それでいて自分が改めさせようとしている旧式の考えに対しても必ずしも辛辣(しんらつ)ではなかった点など…。

もちろん、時としてあまりに頑迷で量見の狭い聖職者に対しては、激しい不快感を露(あら)わにしたことはある。とくに宗教の本質を説き、教理や儀式にこだわることの非を説いているところなどは共感を覚える。

イエスほどの逞(たくま)しい良識と人間の弱みへの同情心をそなえた人物は、まずいない。このように、キリスト教の本当の核心はイエスの死ではなく、生きざまの中で見せたその“素晴らしい非凡さ”でなければならないと私は考えるのである。

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イエスの実像

では次に、その点について霊界通信はどう述べているかを見てみよう。高級霊が述べていることも、必ずしも完全に一致しているわけではない。が、数多くのスピリットからの通信を検討した結果、およそ次のようなことが言えそうである。

この地上を去って霊界入りしたスピリットよりさらに霊格の高いスピリットが存在する。それにもいくつかの界層がある。古い宗教用語を用いれば“天使(エンゼル)”である。その界層をのぼりつめたところに最高級のスピリットが存在する。絶対神ではない。絶対的存在ならば無限の普遍的存在であるから、1個の存在として認識することはできない。

その最高級霊はそれ以下の存在よりは絶対神に近い存在であるから、それだけ絶対神の属性を顕現していることになる。それが“キリストのスピリット(9)”である。

地球の守護の任をあずかる存在で、その高級霊が今日とあまり変らない邪悪に満ちた時代 – 腐敗と悪行で堕落しきった時代に、この地上に肉体をもって降誕した。目的は人間としての理想の生き方の範を示すためだった。そして、大きな足跡を残して地上を後にし、本来の所属界へと戻っていった。

以上が霊界から届けられた情報によるキリストの実像である。“贖罪”とか“救い”とかの概念はみじんもない。あるのは、われわれ凡人にも実行可能な、納得のいく生活教訓である。これなら私も信じられる。

もしもこうしたキリスト教観が一般に受け入れられ、さらに、次々と霊界から届けられている“新しい啓示”によって確信が得られ、さらに“しるし”によって確認が得られれば、キリスト教会をひとつにまとめる教義が生まれ、それは科学とも握手し、いかなる攻撃にも対処できる、無窮の未来までも永続する信仰体系が確立されるであろう。

理性と信仰がついに和解し、うなされ続けた悪夢から解放され、霊的な安らぎに満たされることになるであろう。もとより私は、それが一気呵成の征服や無謀な革命のような過程で成就されるとは考えていない。

永遠の地獄説のような幼稚な考えが薄れていくにつれて、徐々に参透していく性質のものであろう。が、それには、人間の魂が艱難によって培われ均(な)らされるということが先決であって、その時はじめて真理の種子が植えられ、それが霊的な実りをもたらすのであろう。

私はスピリチュアリズムの知識に照らしながら新約聖書を改めて読み直してみて、キリストの教えの肝心なところが、初期キリスト教時代にすでに失われてしまっていて、その後のキリスト教徒が、今日に至るまで、それについて何も知らずにいることを知り、深く考えさせられた。

現代に伝えられているキリスト教思想においては、スピリチュアリズムが扱っている“死”の真相を教える現象は大して意味をもたないようである。が、スピリチュアリズムの勃興以来、霊媒現象を通して得られたものによって死後の実相を垣間見た者にとっては、死の問題は完全にクリアされたといってよい。

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心霊現象の原理は今も昔も同じ

バイブルの中には現代でいう浮揚現象、一陣の風、霊的能力、超常現象といったものが実に多く出ている。それを読んでいると、最も重大な中心的課題である死後の生命の存続と死者(スピリット)との交信は、当時から間違いなく知られていたのだと思う。

また“ここの者たちは信じる心を持たないから不思議現象は起こさなかった”という言葉に見られるキリストの考えは、心霊現象の研究によって分かった心霊法則と完全に一致してはいないだろうか。

また、病気の女性がキリストの身体に触れた時、“今わたしに誰か触わりましたね?わたしのからだから徳力が脱け出て行きました”と言ったというが、この“徳力”なるものは現代の心霊治療家が“霊力”と呼んでいるものと同じであろう。さらに、“まずそのスピリットの本性を試せよ”という戒めは、安直に霊能者を頼りにする無知な人間に対する絶好のアドバイスといえるであろう。(10)

こうした問題は私が扱うには大きすぎるが、ただはっきり言えることは、今キリスト教会内でも過激にスピリチュアリズムを批判している一派が否定しているそうした事実こそ、実は本来のキリスト教の中心的な教えであらねばならないということである。

このテーマについてもっと詳しく知りたい方はウォーレス博士の『ナザレのイエス(11)』をお読みになることをお薦めする。小冊子ではあるが、実に価値ある1冊で、絶版になっていなければ幸である。

その中でウォーレス博士は、キリストの奇跡がすべてスピリチュアリズムでいうところの心霊的法則の範囲内におさまるものであることを、説得力をもって論証している。右に挙げたものがその一例である。

その他にも数多くの例が細かく論証されているが、その中でも私が最高に得心がいったのは、キリストがペテロとヤコブとヨハネの3人を“変容の丘”へ連れて行ったのは3人を霊媒として使用するためで、高い山を選んだのは清浄な雰囲気を求めてのことだったということである。

3人が眠気を催したのも、イエスの容姿が変化したのも、光の雲が現われたのも、みな心霊実験会で生じているのと同じ現象ばかりである。

“われわれは3つの幕屋を建てましょう”というペテロのセリフの中の“幕屋”とはキャビネットに相当する。あれだけの現象を起こすには3人もの霊媒が必要だったのである。このように、すべてが心霊科学によって説明がつく。

その他、たとえばパウロのいう“キリストの弟子としての資質”というのも、霊視や予知能力、霊的治癒能力、物理現象のための霊媒能力を含む、強力な霊的能力のことを言ったのである。

初期のキリスト教会にはスピリチュアリズムと少しも変らない“しるしと不思議”があふれていた。しかも、“聖職者の便益以外の目的には使用してはならない”などという旧約聖書の“禁”をものともしていなかったようである。

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訳註

【1】霊界から地上界へ通信が届けられる方法には大きく分けて次の3つがある。

(1)スピリットが“語る”場合 –

【霊言現象】スピリットが霊媒に乗り移ってしゃべる場合で、日本で“お告げ”とか“口寄せ”と呼ばれているものがこの部類に入る。交霊会の場合は主として中心的支配霊がしゃべり、その支配霊の許しを得て親族の者や知人などがしゃべるという形を取るので、騙される心配がない。

このほかに“招霊会”といって、人間に害を及ぼしているスピリット(日本では“因縁霊(いんねんれい)”と呼ぶことが多い)を霊媒の背後霊団が強制的に乗り移らせて司会者が“諭(さと)す”ことを目的とする会もある。

【直接談話現象】霊媒から出るエクトプラズムという特殊物質で人間の発声器官と同じものをこしらえて、スピリットがしゃべるもので、霊媒から離れた空中から直接声がするのでそう呼ばれている。

(2)スピリットが“書く”場合 –

【自動書記現象】通信霊が霊媒に乗り移って、われわれと同じ要領で綴る場合で、“おふでさき”と呼ばれているものはこれに属する。スピリットが高級になると直接乗り移らずに、テレビその他のリモコン操作と同じように霊波によって操る場合と、インスピレーション式に思想波だけを送り、それを霊媒がキャッチして綴る場合とがある。これを霊感書記と呼ぶ。

【直接書記現象】紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、暗号などの場合もある。大変なエネルギーを要するので、長文のものは書かれない。

(3)幽体離脱(体外遊離)による旅行体験記の場合 –

霊的身体で体験したことや教わったことを肉体に戻ってから自分で綴るもので、次元の異なる世界の事情を、脳を中枢とした意識でどこまで正確に再現できるかが問題である。

【2】英国の著名なジャーナリストでスピリチュアリズムにも熱心だったウィリアム・ステッドの自動書記によって、生前の仕事仲間だったジュリア・エイムズから届けられた通信が After Death – or Letters from Julia(死後 – ジュリアからの便り)として出版され、反響を呼んだ。

【3】Stainton Moses(1839~1892)

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S.モーゼス

キリスト教神学の中でも最も厳格といわれるオックスフォード大学神学部の出身で、最初の赴任地であるマン島での司牧生活は、牧師の鑑としてその土地の語り草になっているほどであるが、30歳ごろから体調を崩し、S・T・スピーア博士の病院に入院した。

病気の回復が思わしくなく入院加療が永びいているうちに、スピーア家との家族ぐるみの縁が濃くなり、スピリチュアリズムに関心のあったスピーア夫人に誘われて交霊会に出席するうちに、モーゼス自身の身のまわりに驚異的な現象が起きはじめた。

物体が部屋から部屋へと飛んで移動することがたびたびあり、そのうちモーゼス自身が宙を運ばれて、ソファの上に放り投げられるという現象が起きた。楽器類は何ひとつ置いていない部屋で音楽が演奏されることも一再ではなかった。

モーゼス自身はそうした現象が大嫌いで、それを死者のスピリットとする考えを拒否し続けていたが、1871年、32歳の頃から右腕がひとりでに動いて文章を綴るようになり(自動書記現象)、やがて左手でも書くようになり、さらには両足でも書けるようになった。

両手両足で同時に綴ったものが、つないでみると一貫した意味のある見事な文章を構成していることを何度も確かめている。ただ、内容そのものは大した意味のないものばかりだった。が、そのうちキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものが、整然とした形で現われはじめた。

キリスト教を唯一絶対のものと信じていたモーゼスは、そのことに反撥して“一体あなたは何者なのか”との問いを綴ると、“大神の使者として、地上に流布している神の概念を正し、新しい霊的真理を説くために来た”といった趣旨の返答が綴られた。

そうした形で始まった問答は回を追うごとにキリスト教の根幹にかかわる問題へと発展し、“問答”が“議論”の様相を呈し、さらには“論争”へと発展し、動揺したモーゼスは体調を崩し、スピリットの側はモーゼスのあまりの頑固さに手を焼いて“総引き揚げ”の最後通告を突きつけるといった迫真の展開を見せる。

通信はひとりではなく、インペレーター(仮名)と名のる、紀元前に地上生活をしたという古代霊を中心とした、総勢49名から成る大霊団が組織されていたという。

モーゼスは最終的にはスピリチュアリズムを全面的に受け入れることになるが、それは必ずしも“教え”に納得したというだけのものではなかった。最も大切な点は、インペレーターからの通信を受け取る時の強烈にして崇高な雰囲気によって啓発されたことにゼある。そこが肝心である。

霊的な通信を読む際に大切なのは、そこに何が書いてあるかではなく、それをどういう態度ないし雰囲気で説いているかである。“良いことを言ってる”だけでは意味がない。第一、新しい霊的真理を“いい”とか“間違ってる”とかの判断は人間にはできない。

“いいことを言ってる”というだけなら、何もスピリットの言ってることに限られたことではない。人間の書いたものでも、いいことを言ってるものは幾らでもある。イエスが“まずスピリットを試せよ”と述べたのは、そのことだったのである。

さてモーゼスは、延べにして10年にわたる自動書記通信を Spirit Teachings と題して「ライト」という月刊誌に連載し、それが1冊にまとめられて1883年に出版された。連載中から反響を呼び、単行本となってから今日に至るまで、1世紀以上にわたってロングセラーを続け、今なお“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて愛読されている。

内容はきわめて重厚で、中心的通信霊が紀元前の人物であることもあって表現に古風な傾向が見られる。それを忠実に日本語に反映させた翻訳が国書刊行会から『霊訓』と題して出ている。それを現代風に平易にアレンジしたものとしては、太陽出版から『モーゼスの霊訓』(上)(中)(下)3巻として刊行されている。

なお、モーゼスの死後、スピーア夫人が“追補”の形で編纂したものに More Spirit Teachings という小冊子があり、これには霊言通信も含まれていて興味ぶかい。日本語訳は『インペレーターの霊訓』と題されて潮文社から出ている。(いずれも近藤千雄訳)

【4】霊媒が入神(トランス)状態に入って意識を引っ込め、代ってスピリットがその言語中枢を使用して語る現象のこと。

入神と睡眠との違いは、睡眠の場合は本人のスピリット自体が肉体から離れてしまい、身体は電源を切られた機械のようになって機能を停止してしまうのに対して、入神の場合は、霊媒のスピリットは肉体にとどまったまま意識をオーラの中に引っ込めて、無意識状態のままバッテリーのような役割を果たしている。

霊媒の場合は自我を引っ込める機能を先天的にそなえているために、その切り換えがうまく行くが、これが通常の人間の場合に別のスピリットが何らかの原因で憑依して、ひとつの意識中枢をふたりのスピリットが使用するような状態になると、支離滅裂なことを言うようになる。

これを心理学や精神医学では二重人格症ないし多重人格症といい、原因はスピリットの侵入にあるのであるから、霊的に処理する、つまりそのスピリットを排除する、ないしは出ていってもらうしかない。

これを心霊学では“除霊”という。米国の精神科医のカール・ウィックランド博士は19世紀末から20世紀初頭にかけての30余年間、ウィックランド夫人を霊媒として、この除霊によって数多くの精神疾患を奇跡的に治療し、その記録を Thirty Years Among the Dead と題する1冊の大著にまとめている。

【5】同じくスピリットが語る現象であるが、エクトプラズムという特殊物質によって人間の声帯と同じものをこしらえて語る現象で、霊媒から遠く離れた位置から声がするので、スピリットが直接しゃべっているような印象をうける。メガホンの中に声帯をこしらえて、列席者のひとりひとりに声をかけてまわることもある。

【6】英国の数学者で“デ・モーガンの法則”で知られる Augustus De Morgan の夫人。デ・モーガン教授自身も熱心な心霊研究家で、From Matter to Spirit – the Results of Ten Years’ Experiences in Spirit Manifestations(物質から霊へ – 10年にわたる霊現象の研究成果)という著書がある。未翻訳。

【7】Dark Ages

歴史上ではローマ・カトリック教会による知的弾圧、つまりキリスト教の教義にそぐわないものを徹底的に抑圧していった時代のことをいうが、その原因をさかのぼると325年の第1回ニケーア公会議において、コンスタンチヌス大帝の強引な独断によって“キリスト教”というものをでっち上げ、イエスの説いたものを大幅に改ざんし、その上に次々と新しくこしらえた教義を築き上げ、いわゆる“神学”なるものを作り上げたことにある。

宗教を政治の具に使用し、それに従わないものをことごとく抹殺し、それがのちに十字軍による暴虐、さらに陰惨きわまる“魔女狩り”へと発展していく。その後遺症は西洋文化に今なお色濃く残っている。スピリチュアリズムというのは、暗黒時代に失われた人類の霊性を取り戻すための地球規模の大事業なのである。

【8】このドイルの意見はスピリチュアリズムの真髄を理解した“卓見”というべきである。この時期までにドイルが目を通していた本格的な霊界通信はモーゼスの『霊訓』だけであるが、それから数年後には G・V・オーエンの The Life Beyond the Veil(拙訳『霊界通信・ベールの彼方の生活』全4巻・潮文社)が出て、スピリチュアリズムが紀元前から計画されたグローバルな地球浄化活動の一環であることを明かしている。

さらに、同じころから霊媒モーリス・バーバネルを通じて語り始めた古代霊シルバーバーチが、まったく同じ趣旨のことを述べている。この三者に共通しているのは、地球浄化の計画は、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれた人物のスピリットが本来の所属界(地球神界)に戻ってから霊団を組織して、神界→霊界→幽界と押し進めてきたもので、それがいよいよ地球圏にたどりついたのが19世紀半ばのハイズビル事件だったとする点である。

当初は現象的なものが圧倒的に多かったが、次第に思想的なものへと移行し、さらにはハリー・エドワーズに代表されるように、霊的治療という形での霊力のデモンストレーションが主流となりつつある。

スピリチュアリズムというのは、地球人類の意識をスピリチュアライズ(霊的に改革)するための活動を総合したものをいい、組織をもったり信条を誓ったりする性質のものではない。ドイルの言うとおり、あくまで個々人の理解力によって人生に適用していくべきものである。

【9】The Christ Spirit

元来、“キリスト”という用語はヘブライ語“メシア”のギリシャ語訳“クリストス”から来たもので、その本来の意味は“油を注がれた人”、つまり偉大な人格をそなえた人物、ということだった。

流浪の民ユダヤ人は、イエスの驚異的な能力、いわゆる“しるしと不思議”を見て、この人こそわれわれが求めていた神の申し子だと信じて Jesus the Christ と呼んだ。そこから救世主の概念も生まれたのであるが、このパターンは太古においてはどの民族にもあったことである。

しかし、この“ナザレのイエス”にかぎって、それだけでは済まされない特殊な事情があったことが、新しい啓示によって明らかになってきた。つまりイエスは“スピリチュアリズム”という名称を旗印とする地球浄化の大事業の最高責任者で、本来の所属界は地球神界であり、その計画の推進にそなえて文字どおり“身”をもって地上界に降誕し、物的波動の環境での体験を積んで本来の所属界へ戻った。

33年の生涯はいわば“下見”と“霊力の増強”というふたつの目的があったと考えられる。その意味からも“はりつけ”による死をことさら意味ありげに説くのはおかしいのである。どういう死に方でもよかった。現に、イエスは実は十字架上では死なずに、その後何年かを生き延びたという説がいくつもあるのである。

大切なのは、大工の家に生をうけたイエスは、地球神界でも最高位に位置する大天使が自己を滅却し、波動を極度に下げて物的身体に宿ったもので、霊格は途方もなく高かったが、やはり一人間だったということである。

地上に降誕した高級霊の中でも、イエスほどの高い霊格をそなえたスピリットはそれ以前にもそれ以降にもいないし、これからも出ないというのが、高等霊界通信の一致した言い分である。

ドイルのいう“キリストのスピリット”とは、イエスの本来の霊的影響力のことであって、教会で見かけるような人間的形体をそなえた人物像を想像してはならない。

【10】“スピリットからの通信”と銘うったものを目の前にした時の人間の取るべき態度は、果たしてそれが“銘柄”どおりに純粋な霊的産物であるかを“疑ってかかる”ことである

その理由のひとつは、ただの霊媒の潜在意識から出たものにすぎないものが多いからである。通信の純粋さは、どこまで霊媒の潜在意識を排除できたかということにほかならない。いくら高級なスピリットからのものでも、人間の意識中枢を通過する以上は、100パーセントの純度はまず有り得ないことで、高級なスピリットほどそのことを正直に認めている。

ある交霊会で、入神した霊媒がいつもの霊言らしくないことをまくしたてるので、列席者が怪訝(けげん)に思っていると、続いて「実は今のべたことは私の考えではなく、この霊媒のものでして、潜在意識に強く残っていて邪魔になるので、一気に吐き出させました」と語った。

油断ならないものに、純度は百パーセントに近いのだが、乗り移っているのが極めて悪質な低級霊で、歴史上の著名人や神話上の神々の名を騙(かた)って、いかにもそれらしい態度を装って語る場合である。

こういう場合は、本当は失礼に当たるような質問をわざと投げかけてみることである。低級霊ならそのうち腹を立てて去ってしまう。高級霊はいかに試されても“絶対に”腹を立てない。

もうひとつ油断がならないのは、自称霊能者、つまり自分では霊能者であると自負していても、実際は一種の自己暗示にかかっているおめでたい人間が、大人物になったつもりで語る場合で、きまって大言壮語をする。それでいて読む人に少しも感動を与えない。最近は“語る”こともしないで、“ただ書いただけ”の霊言も多いようである。

では最終的に何を基準にして判断を下すかということになるが、実は具体的な基準になるものはないのである。霊言の現場に立ち合った時の雰囲気、印刷されたものであればそれを読んだ時の印象で、“直観的に”判断するしかない。現役の霊能者であれば招霊の“実演”を要請すべきであろう。

【11】Dr.A.Wallace: Jesus of Nazareth(絶版)

バイブルをスピリチュアリズム的に解釈した霊界通信は少なくないが、キリスト教牧師が手がけたものとして、モーリス・エリオットの次の二著が最も詳しい。新約を扱ったものが The Psychic Life of Jesus で、日本語訳は同じくキリスト教の元牧師・山本貞彰氏による『聖書(バイブル)の実像』(太陽出版)が出ている。旧約を扱ったものは When Prophets Spoke で、日本語訳はまだ出ていないが、同氏によって進められていると聞く。

一方、現行のバイブルから離れて、イエスの生誕から生い立ち、修行時代、そして伝道時代について同時代のスピリットが送ってきた通信として最も興味深いのは、ジェラルディン・カミンズ女史の自動書記通信 The Childhood of Jesus, The Manhood of Jesus の二著で、いずれも山本貞彰氏による日本語訳が「霊界通信・イエスの少年時代』『霊界通信・イエスの成年時代』として潮文社から出ている。

【12】Cabinet

心霊実験を行なう際に霊媒を隔離しておく場所のことで、同時にそこは、霊界の技術者が現象を演出するため準備をする“控え室”のような役割も果たす。といって特別なものをしつらえるのではなく、部屋の片隅をカーテンで仕切っただけの三角形のものだったり、壁を背にして四角形に仕切ったものなど、さまざまで、霊媒によってはそういうものを必要としないこともある。

キャビネットの必要が生じた最大の理由は、現象に使用されるエクトプラズムが“光”を嫌う性質があるからであるが、霊媒によってはキャビネットを必要としないばかりでなく、白色光の電灯で部屋を明るくしてもよいこともある。ただし、赤色電灯ないし燐光ランプのような弱い光にした方が、現象が“長もち”することは事実である。

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第3章 死後の世界の実相

霊界通信の信憑性の拠り所

前章ではキリスト教を例に挙げて、スピリチュアリズムの啓示によって改革を迫られるに相違ないと思われる教義を指摘したが、これは伝統的宗教のすべてに及ぶべき、きわめて範囲の広い、しかも問題点の多いテーマである。ここではこれ以上広げないで、新しい啓示によって明らかとなった死後の実相に迫ってみたい。

このテーマになると資料は豊富である。しかも、スピリットからの通信に矛盾点もあまり見出せない。メッセージは世界のすべての国ないし民族において“お告げ(メッセージ)”という形で太古から入手されてきている。問題は、それがどこまで正確かということである。

その判断の拠り所として、太古から引き継がれてきた死後の世界の概念と比較してみて、細かい点でまったく相反する事柄について新しい啓示がことごとく一致しており、そこに一貫性が認められる場合は、それを真実と受け取ってよいと私は考える。

たとえば、私が個人的に受け取った15ないし20種類のスピリット・メッセージがことごとく同じことを言っているのに、それがすべて間違っているということは、ちょっと考えられないことである。

メッセージの中には地上時代のことに言及したものも多く、それが人間個性や記憶の証拠とされることが多いが、そうしたスピリットが、過去の地上世界のことは本当のことを言い、現在の霊界のことはウソを言うということも、とても考えられないことである。

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死の直後

死の直後について私がまず間違いないと見ているのは、次の諸点である。“死ぬ”という現象には痛みは伴わず、いたって簡単である。そして、そのあとで、想像もしなかった安らぎと自由を覚える。やがて肉体とそっくりの霊的身体をまとっていることに気づく。

しかも、地上時代の病気も障害も、完全に消えている。その身体で、脱け殻の肉体の側に立っていたり、浮揚していたりする。そして、霊体と肉体の双方が意識される。それは、その時点ではまだ物的波動の世界にいるからで、その後急速に物的波動が薄れて霊的波動を強く意識するようになる。

いわゆる“臨終”の際に遠くにいる肉親や縁者に姿を見せたりするのは、その時点ではまだ霊体に物的波動が残っているからである。エドマンド・ガーニー氏(1)の調査によると、その種の現象の250件のうち134件が死亡直後に発生していることがわかっている。物的要素が強いだけ、それだけ人間の霊視力に映じやすいということが考えられる。

しかし右の数字は、蒐集された体験のほぼ半分ということであって、地上で次々と他界していっている厖大な死者の数に比べれば、稀れなケースでしかない。大部分の死者は、私が想像するに、思いも寄らなかった環境の変化に戸惑い、家族のことなどを考えている余裕はないであろう。

さらには、自分の死の知らせで集まっている人たちに語りかけても、身体が触れても、何の反応もないことに驚く。霊的身体と物的身体との波長の懸隔があまりに大きいからである。

光のスペクトルには人間の視覚に映じないものが無数にあり、音のスペクトルにも人間の聴覚に反応しないものが無数にあるということまで分かっている。その未知の分野についての研究がさらに進めば、いずれは霊的な領域へとたどり着くという考えは、あながち空論とは言えないのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。

それはさておいて、死者がたどるそのあとの行程を見てみよう。やがて気がついてみると、自分の亡骸(なきがら)の置かれた部屋に集まっている肉親・知人のほかに、どこかで見たことのある人たちで、しかも確か他界してしまっているはずの人たちがいることに気づく。

それが亡霊といった感じではなく、生身の人間と少しも変らない生き生きとした感じで近寄ってきて、手を握ったり頰に口づけをしたりして、ようこそと歓迎してくれる。

その中に、見覚えはないのだが、際立って光輝にあふれた人物がいて、側に立って“私のあとについて来なさい”と言って出て行く。ついて行くと、ドアから出て行くのではない。驚いたことに、壁や天井を突き抜けて行ってしまう。こうして新しい生活が始まるというのである。

以上の点に関してはどの通信も首尾一貫していて、一点のあいまいさも見られない。誰しも信じずにはいられないものである。しかも、世界のどの宗教が説いていることとも異なっている。先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。

人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさもたずさえた生前のその人そのままである。予想もしなかった体験に、いかに軽薄な人間も、あるいはいかに愚かしい人間も、畏敬の念に打たれて、いっぺんに慎み深い心境になってしまうのではないかと想像される。

事実、一時的にはそういうことになるかも知れない。が、時がたつにつれてその感激が薄らいで、かつての本性がふたたび頭をもたげてくるものらしい。それは、交霊会に出てくるスピリットの言動から十分に窺い知ることができる。

ここで話が少し後戻りするが、そうした新しい環境での生活が始まる前に、スピリットは一種の睡眠状態を体験するらしい。睡眠時間の長さはさまざまで、ほんのうたた寝ほどの短時間の場合もあれば、何週間も何か月もかかる場合もある。(2)

ロッジ卿のご子息のレーモンドは6日間(地上の日数にして6日に相当する時間)だったという。私がスピリットから聞いたものにも、この程度の期間のものが多いようであるが、意外なのは、スピリチュアリズムの先駆者であるフレデリック・マイヤースが、かなりの期間、無意識状態のままだったことである。

私の推察では、睡眠期間は地上時代の精神的体験や信仰上の先入観念が大きく作用するもののようである。つまりこの悪影響を取り除くための期間であって、その意味では、期間が長いということはそれだけの睡眠が必要ということになる。したがって幼児はほとんど睡眠を取る必要はないのではあるまいか。

これは私の推測にすぎないが、いずれにせよ、死の直後とそのあとの新しい環境での生活との間には、大なり小なり“忘却”の期間があるということは、すべての通信が一致して述べていることである。

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“地獄”という名の場所は存在しない

さて、その睡眠から目覚めたばかりのスピリットは、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、いたって脆弱(ぜいじゃく)である。が、地上の赤ん坊と違ってスピリットは急速に元気を取り戻し、新しい生活を始める。ここでわれわれの頭をよぎるのは、天国と地獄の問題である。

いやしくも理性をそなえた方ならば私の意見に同意なさると思うが、私はこれで地獄説は完全に脱落すると考える。

全知全能の創造者という概念にとっても冒瀆的な、この不快きわまる概念は、もともと誇張的になりがちな東洋的語句から生まれ出たもので、ちょうど野生の動物が探険家の“焚き火”に怯(おび)えたように、野蛮な時代の人間を脅(おど)しておとなしくさせるには有効だったかも知れない。

が、どうやら“地獄”という場所は存在しないことが明らかとなった。しかし、罰の概念、浄化のための戒めを受けるという意味での煉獄ならば存在するというのが、一致した意見である。

たしかに、邪を正すための罰がなければ、宇宙に“公正”は存在しないことになろう。たとえば邪悪な僧侶の代名詞のように言われているラスプーチンが、僧侶の鑑のように言われているダミアン神父と同じ運命をたどるということは、とても考えられない。善因善果・悪因悪果の法則は厳然として存在するはずである。

ただ、“善”と“悪”のふたつの概念だけですべてを片づけてはなるまい。“霊性”の発達程度を基準にして考えれば、発達の遅れたスピリットはそれを促進するのに相応しい環境に落着く。それは低い界層かも知れないが、未熟なスピリットには相応しい。

それが、体験と上層界のスピリットによる援助と教育とによって、霊性の発達とともに上層界へと進んでいく、ということであろう。高級霊にとってはそれが重要な仕事のひとつであるという。それをジュリア・エイムズは次のようにうまく表現している – “天国の最大のよろこびは、地獄を空(から)にすることである”と。

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生命躍如たる活動の世界

こうした境涯での生活は、刑罰というよりは一種の修養ないし鍛練(トレーニング)であり、病的に歪んでいる魂にとっては“療養”の性格も持つであろう。が、いずれにせよ、それは死後の世界の一側面であって、全体としては死後の生活は地上生活とは比較にならないほど明るく愉しいものであるらしく、それはすべての通信が一致して述べているところである。

“類は類をもって集まる”で、似た性格の者、趣味の共通した者、同じ才能をもつ者が集まって都生き生きとした時を過ごしており、地上に戻りたいとは、さらさら思わないという。こうした情第報を大いなる喜びとして受け止めない人がいるであろうか。

しかも、繰り返すが、これは単なる信仰や願望から生まれたものではないのである。ひとつやふたつではない、実に多くの証人が、たったひとつの、まったく同じ事実を証言しているのである。

その証言の内容が、もし仮に、全知全能の神の玉座にかしずいている仰々しい神話の登場人物からのものだというのであれば、それはもしかしたら、その霊媒が幼少時代に教え込まれた神学の反映かも知れないと考えられないこともないであろう。ところが、これまでにスピリチュアリズムの霊媒を通して得られた通信内容は、従来のどの宗教の信仰や教義とも異なるものばかりなのである。

しかも、その“通路”となった霊媒についても、世界的に著名な学者が数多く参加して徹底した研究・調査がなされ、“霊媒現象”というものが間違いなく実在することが証明しつくされているのである。しかも、その霊媒を通して得られた死後の世界の情報が基本的にピタリ一致を見ているのである。

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信仰から事実へ

ところで、死後の生命の問題は“信仰”の領域に属しているという認識が一般的であろう。しかし、信仰というものは、本来、個々人の主観的なものであり、それなりに敬意を払うべきものではあっても、それが集団体制のもとで強制されると、両刃の剣となる。人類の直感力が均一で、すべての人間の信仰が一致するものであればよいが、そうはいかないことは誰しも知るところである。

もともと“信仰”というのは、証明はできないが自分はこう信じる、という意味である。したがって、ひとりは“こう信じる”と言い、もうひとりも“こう信じる”と、ふたりがまったく違うことを言う。しかもふたりとも証明はできないから、そこに“争い”が生じる。“口”だけの争いならまだよいが、“からだ”を張っての争いとなることもある。

これが権力のある者と無い者との間だと、一方が力ずくで信じさせようとする。フィリップ2世は、スコットランド低地人に自分の信仰を押しつけようとして、抵抗する者を1万人も殺している。彼にしてみれば、こんなに素晴らしい信仰を信じようとしない者は生きる資格はないと思うほどに、その信念が強かったということである。

しかし、今は時代が違う。証拠のないものを押しつけることは良識が許さなくなった以上は、現象をよく観察し、理性的に判断して、誰しもが得心する共通の結論に到達しなくてはならない。スピリチュアリズムの良いところはそこにある。

その主張の根拠が教本だの伝説だの直感だのといったあやふやなものではなく、交霊会や実験会で得た科学的資料だからである。そこは言わばこの世とあの世の交流点であり、古い伝統的信仰とはまったく別の、しかも最新の、ふたつの世界の協力による情報と現象を根拠としたものなのである。

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すべてのことが知れるわけではない

もっとも、霊界から得た情報を根拠としているとはいうものの、それだけで死後の世界がオランダ庭園のように整然としたものである、と想像するわけにはいかない。

というのは、地上へ戻ってきて情報を伝えてくれるスピリットにも一定の範囲がある – “戻ってこれる”程度のところまでしか地球圏から遠ざかっていないスピリットばかり、ということも考えられる。常識的に考えれば、大体において他界後あまり年数がたっていないスピリットから送られてくるもので、年代的に遠く離れるほど幽(かす)かとなっていくことであろう。

そういう考えのもとにイエスの死後の記述を改めて読むと、弟子たちに姿を見せた(物質化現象)のは死後3年以内に限られていて、その後は初期キリスト教徒の中にもイエスを見たという人はいない。

スピリチュアリズムの歴史を見ても、出現した古いスピリットの中で身元が確認されたケースは稀れである。私が読んだものに限って言えば、ローレンス・リディアードで生まれて1677年にロンドン北東部のストーク・ニューイントンに埋葬された、マントンと名のる男性からの通信がいちばん古い。清教徒革命の時に将軍オリバー・クロムウェルの従軍牧師だったことが分かっている。

そうした次第であるから、いかなる通信もそれをもって最終的なもの、絶対的なものと考えることは禁物である。その辺の事情を暗示しているのがジュリア・エイムズからの通信である。彼女は他界直後の体験の素晴らしさに夢中になり、通信を受け取るための専門の施設、いわゆる“ジュリア局”の創設をしきりにステッドに要請した。

ところが、その後、年数がたって霊界の事情が詳しく分かってくると、死んで霊界入りする人間のうちで通信を送りたがるのは100人にひとりもいないことが分かったと述べ、現に彼女自身も、ステッドをはじめとする知人・友人がぜんぶ他界してしまうと、それきり通信を送ってこなくなっている。

そういうわけで、われわれが入手するものはどうしても部分的で断片的で不完全なものでしかないといえよう。しかし、それはそれなりに辻褄が合っており、地上の人間にとっては興味しんしんなものがある。何しろそれは、われわれ自身およびわれわれの愛する者たちが死後にたどる過程にかかわることだからである。

では、そうした通信が異口同音に教えてくれていることを、ひとまずまとめてみよう。まず、死後といっても、その直後と、しばらくしてからとでは、かなりの違いがあるらしい。つまり死後の世界も段階的に広がりがあり、直後の目を見張るような体験がひと通り終ると、さらに異なる環境が展開する。

といって、前の界層と新しい界層との間では、地上界と死後の世界との間よりも、通信・連絡は容易であるという。低い界層から高い界層へは行けないが、高い界層から低い界層へは意のままに行けるようである。

生活形態は基本的には地上生活と同じで、霊的身体による主観と客観の生活であるが、霊体をはじめとして環境を構成している成分が、物質にくらべてはるかに意念の影響を受けやすく、その人の個性と思想が環境に反映しているという。食事や金銭、痛みといった肉体に付随したものが無くなり、精神的なもの、芸術的なもの、思想的なもの、霊的なものが大勢を占め、それだけ進歩も早い。

衣服は実質的には不要なのであるが、地上時代の習慣と、慎ましさと、美的センスが、その人特有のものを身につけさせている。また老若といった地上特有のものが消えて“老い”が若さを取り戻し、“若さ”が成長して大人らしくなり、みなそれぞれの霊性を表現した容姿になるという。

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強烈な親和力の作用

最大の特徴は親和力が強く作用することで、類は類をもって集まるの譬えの通り、性格の似通った者で共同社会を形成しているという。男女の関係も地上時代の肉体上の“性”による結びつきではなく、あくまでも“愛”という精神的なものによって一緒の生活を送ることはあっても、地上のような子供の出産はないという。

そうした親和力が基本になっていることから当然予想されることとして、民族的な差異も大ざっぱながら存在している。しかし、意念が伝達手段となっているために、言語の違いが障壁となることはないという。

地上時代に共同研究者だったフレデリック・マイヤース、エドマンド・ガーニー、ローデン・ノエルの3人が、その3人をまったく知らないホランド夫人を通して送ってきた通信や、ジェラルド・バルフォーを通して送られてきたベロールとブッチャーのふたりのドイツ人教授からの通信(3)をみても、同類の霊性をもったスピリット(類魂)(4)どうしの間の親密度がいかに深いものであるかがよく読み取れる。

ついでに述べておくと、右のふたつの通信もそうであるが、霊界からの通信を読んでいて思うのは、霊界のスピリットたちはよほど厖大な資料を保管してある図書館のようなものを利用しているらしいということである。

そうでなかったら、彼らは霊界へ行ってから“全知”に近い能力を身につけたことになってしまう。何でもすぐに分かってしまうのである。それがまた、人間業ではとても考えられないほど正確なのである。

以上が死後の世界の概略である。それも、思い切って簡略にしたものにすぎない。実際はこんなに単純なものではない。おぼろげながら私が掴んでいる見えざる世界の構図によれば、下は陰うつな暗黒界から上は活動にあふれた光明界まで、果てしなく界層が連なっていて、事実上無限の生活模様が展開しているらしいのである。

地上生活との関連でいえば、地上時代の宗教的信仰は何の意味も持たないということ、あくまでも生活体験によって磨かれた霊性がすべてであるという点では、どの通信も一致している。同時に、“祈る”という行為、より高いものを求めて精神を高揚させる行為を、結構なことであるとする点も、すべての通信が一致している。

その意味では – その意味に“かぎって”言えることであるが – 地上に存在する思想・信仰はその段階的過程のひとつとして“誰かにとって何らかの”意義があるということになる。大人になればバカバカしくなるオモチャも、幼児にとっては大切なのである。自分の現段階の意識水準のみで他を批判してはならないわけである。

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死んだことに気づかないスピリットの存在

さて、死後の事情の中で、われわれ人間にとって不思議でならないことがひとつある。それは、死んだ直後は、自分が死んでしまったこと、つまり肉体がなくなって別の境涯にいることに気づかない、ということである。地上の日数にして数日たってようやく気づくというのが一般的で、中には何か月も何年も、例外的には何世紀もの間、ずっと地上にいるつもりでいるスピリットもいるという。

これは一見信じ難いことであるが、それは死の現象を肉体現象としてのみ見ている人間の習慣がそう思わせるのであって、スピリチュアリズムの観点からすれば、きわめて当然のことであると納得がいく。

自分というのは霊的意識体なのであるから、肉体から脱け出たあとも、意識そのものは何ら変るところはないわけである。しかし、“死んだ”という事実に気づいた時は誰しも当惑し、その当惑した精神状態が、霊界での生活への導入の妨げになることがある。

その意味からも、地上にいる時から死後の実情について基本的な認識をもっておくことが大切なのである。死を全ての終りと考えている場合、あるいは宗教的信仰がまったく事実から懸け離れている場合には、誰しも死後の体験を、幻影を見ているとしか考えない。

信仰が深ければ深いほど、それだけ新しい環境への順応が難しくなる。その意味で – “それだけ”の意味に止まるわけではないが – この新しい啓示は、人類にとってきわめて大切である。その大切な啓示を人生の終末に近づいて知ったからといって、少しも悔やむことはない。もっともっと雄大な生活の場が死後に待ちうけているのだから。

死後の生活については以上の概略に止めておくのが無難であろう。細かいことになるとキリがない。いずれにせよ、われわれも遠からずそこへ行くのである。今すぐその全てを知ろうとするのは無駄な好奇心というべきである。

われわれだって、まるい地球上に住んでいるという事実はすでに間違いないことはわかっていても、ではその地球の表面にわれわれ人間を引きつけている“引力”について明確な説明を求められたら、学者以外の者はお手上げであろう。

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霊界にも“もの”が存在する

それと同じで、死後の世界にも、地上の物質に相当する“もの”が存在することは間違いないらしい。それを生み出す“合成化学”というものが存在し、それを専門としている高級霊がいるらしい。彼らにとってはその操作はいとも簡単で、その片鱗は物理実験における“物質化”で見せてくれている。

ただ、それがいかなるメカニズムで行なわれているかとなると、その専門のスピリットには分かっていても、一般のスピリットに説明を求めるのは酷であろう。われわれも引力とは何か、電気とは何か、磁気とは何かを子供から訊ねられると困るのと同じである。

オリバー・ロッジの『レーモンド』の中でレーモンドが死後の環境の構成物質について説明しているところがある。(5)レーモンドは自分なりの物理学を述べているが、それはあくまでもその時点でのレーモンドが置かれた界層での話であって、それより上の界層ではまた別の物理学が存在するかも知れないのである。

レーモンドによれば、霊界の化学者には何でもこしらえることができること、低級霊でもアルコールやタバコの成分のエキスをこしらえることができ、その味が忘れられない中毒者がいる、といったことまで述べている。

こうした突拍子もない話が唯物論者に攻撃の材料を与えてしまっているが、私に言わせれば、突拍子もないことに思えるのは地上の環境とあまりに似すぎているからであろう。霊界へ行った本人にとってはそういう現実が目の前にあるわけである。それを正直に、そして、臆することなく述べている点に、私はむしろ信憑性を見るのである。

批判的意見でいちばん多いのは、霊界通信に描かれている世界があまりに現実的すぎるということである。これを言い換えれば、そう批判する人たちがこうあってほしいと心に描いているものとは違っていると言っているようなものである。

そういう人たちに申し上げたいのは、この地上世界にも、本当はこうあってくれたらいいのにと思うことで現実的にはそうはなっていないことがいくらでもある、ということである。

かりにその“現実性”を返上して、ではどうあれば気に入っていただけるのかを検討してみると、これは実に厄介なことになる。ただの水蒸気のように、空中をふわりふわりと漂っているような存在であればいいのであろうか。身体もなく、個性もないということは、“消滅してしまった”ということと同じである。ところが、個性がちゃんと残っていることは完全に証明済みなのである。

かりに幼い時に亡くしたわが子が個性を失って、笑顔も見せずヤンチャもしない完全無欠な存在となっているとしたら、母親はそのことを喜ぶだろうか。やはり地上時代のままの小憎らしい、はなたれ小僧のままでいてくれた方がうれしいのではなかろうか。が、それは、地上と同じ現実味と固体性を基本として営まれている生活環境のもとでしか有り得ないことである。

物質的固体性を当然のこととして生活しているわれわれ人間にとって、この肉体を失ったあとも固体性と感情と感覚をそなえた現実味のある生活があることは、確かに想像しにくいことではある。しかし、固いといい柔らかいといい、すべては相対性の問題であることを忘れてはならない。

たとえば、どこかにこの物質界より1000倍も濃密で鈍重な環境の世界があると仮定しよう。そこの生活者にとって、その環境は、われわれが地上環境に対して感じているのと同じ程度に感じられるはずである。

そして、もしもそこの住民がこの地球を訪れて地上生活を直接体験したならば、あまりの軽快さと流動性と柔軟さに驚いて、これで果たして実感を得ているのだろうかと疑うことであろう。われわれが地上という環境にあってそれなりの実感を得ていることまでは想像が及ばないであろう。

それと同じ相対関係を死後の世界に当てはめて考えれば、われわれ人間にとっては蒸気か影のようにしか思えないスピリットも、その環境にあっては、われわれが物的環境に実体があるように感じ取る機能をそなえているように、霊体には霊的環境を実体あるものとして感じ取る機能がそなわっているのである。(6)

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訳註

【1】Edmund Gurney(1847~1888)

古典学者であり、音楽家であり、医学研究家でもあるという多才な人物。27歳から31歳にかけての5年間に集中的に心霊実験会に出席して手応えを得ていた筈であるが、すぐには公表せず、1年後に設立されたSPR(心霊研究協会)の会報にそれを掲載し、現在でもSPR自慢の貴重な資料となっている。もっとも、スピリチュアリズムの観点からすると隔靴掻痒の感は拭えない。

ガーニーの存在価値が発揮されたのはむしろ死後のことで、複数の霊媒を通じて自動書記でまったく同じ内容のメッセージを送ってきて、その付帯状況から判断して、ガーニーの個性存続を立証するものとなっている。

【2】死者のスピリットは、他界直後はしばらく睡眠状態に入るのが通例である。これは、地上に誕生した赤ん坊が乳を飲む時以外は眠っているのと同じで、その間に新しい生活環境への適応の準備をしているのである。したがって、幽体離脱(体外遊離)が自在にできる人を除いては、眠った方がいいのである。

ところが、戦争や事故で、あっという間に死んだ場合など、怨みや憎悪といった激しい感情を抱いたまま死んだ場合には、その感情が邪魔をして眠れず、したがって霊的感覚も芽生えないので、いつまでも地上的波動の中でさ迷うことになる。

これを地縛霊(じばくれい)といい、その種のスピリットの出す波動が地上の生者にさまざまな肉体的ならびに精神的障害をもたらしていることが明らかとなってきた。

その地縛霊を霊媒に乗り移らせて司会者(さにわ)が霊的実相を語って聞かせると、言いたいことをさんざん言ったあと、なんだか眠くなってきた、と言い出すことが多い。激しい感情の波動がおさまって、魂が休息を求めるようになるのである。

すると大抵、肉親や親戚・友人など、地上で親しくしていた故人の霊姿が見えるようになる。ここまでくると、いわゆる“成仏”できる条件が整ったことになる。

同じく睡眠でも、キリスト教の“最後の審判”説を本気で信じていた人間によく見られる睡眠は実に厄介である。このドグマはローマ帝国がキリスト教を国教としたあとでこしらえられたもので、啓示でもなんでもない。

地球の終末に全スピリットが集められて、天国へ行く者と地獄へ行く者との“名簿”が読み上げられる – その日までは墓場で眠っている、というのであるが、これを幼児期から聞かせられて育った者は、魂の髄までそう信じているために、呼び起こしても“(地球の終末を告げる)ラッパはもう鳴ったのか”と聞き返し、まだだ、そんなものはいつまでたっても鳴らないと説き聞かせても、また眠ってしまう。

ウソのような話であるが、西洋の霊界通信の中には大抵そういう話が出てくる。信仰は自由かも知れないが、間違った自由は死後、大変な代償を払わされる。

【3】私の手もとにあるのは1918年のSPR会報に掲載されたもので、45ページばかりの記事である。これに大幅に加筆されたものが単行本として発行されているらしいが、私は入手していない。

内容的には人間の知識と記憶の限界をはるかに超えたものが自動書記で綴られたというだけのもので、知識そのものは断片的で一貫性に欠ける。当時としては珍しかったかも知れないが、その後それをはるかにしのぐものが陸続として入手されているので、今日的価値はもう失われている。

【4】ガーニーの同僚だったマイヤースも、地上時代の研究は資料的には確かに厖大だったが、確固とした結論を出せないまま他界している。しかし他界後、霊界で勉強したことを、女流作家で霊媒能力をもつジェラルディン・カミンズの腕を使って The Road to Immortality(永遠への道)、Beyond Human Personality(人間的個性の彼方)という、いかにも学者らしい香りに満ちた高等な霊界通信を送ってきている。

その中で、有名な“類魂説”Group Soul の原理を説き、かつての平面的な霊魂観を打ち破って、立体的で発展性に富んだものとした。これを簡単に説明しておく –

人間社会は原則として血のつながった家族を単位として営まれているが、それぞれの肉体に宿っているスピリットはタテの霊的近親性によって結ばれた霊的家族の一員で、夫婦といえども、親子といえども、必ずしも同じ霊系に属しているとはかぎらない。全員が別々の霊系に属している場合もあるし、全員が同じ霊系に属していることもある。

その、同じ霊系に属するスピリットの集団を“類魂(グループソウル)”という。その中心的存在を日本的に表現すれば“守護神”で、その守護神の指名を受けて地上のスピリットの責任を担わされているのが“守護霊”である。それがタテのつながりで、この関係は“守護”という用語から連想されるものとは違って、向上進化を第一義とした厳しいものである。

が、これがヨコのつながり、つまり同じ霊系の仲間同士の関係になると、地上の家族関係よりはるかに親密度が強く、互いに魂を鼓舞し合い、生き甲斐を感じ合う間柄となる。そこには民族や国家の別はない。

【5】『レーモンド』から2箇所紹介しておく。

《ぼく(レーモンド)が今いちばん伝えたいと思うのは、こちらへ来て最初に置かれた環境のことです。最初のうちは頭の中が混乱してしまいました。でも、ひとつ有り難かったことは、環境が地上と同じように実質があって固いということで、そのおかげで早く環境に馴染むことができました。

ぼくにとって今のいちばんの課題は、そうした環境が物理的に何で構成されているかということです。まだ本当のことは分かっていないのですが、ひとつの理論はもっています。と言っても、これはぼく自身が考え出したものではなく、折にふれて聞いていたことから結局はこうではないかと推論しているに過ぎませんけど…

よく、霊界の環境は自分の思ったことが具象化したものだと言う人がいますが、これは間違っています。ぼく自身もそう考えた時期がありました。たとえば建物も花も木も大地もみな意念によって造られたものだと考えるわけです。むろん、これにも半分の真理はあるのですが、それで全部が片づくわけではありません。つまりこういうことです。

地球から一種の化学的成分がひっきりなしに上昇していて、これが上昇するにつれて、いろいろと変化して霊界に定着し、それが霊界に実質性を与えるというわけです。むろん今ぼくが置かれている環境について述べているだけですけど…

ですが、地球から何かが放射されて、それが霊界の木や花に実質感を与えていることには確信をもっています。それ以上のことはまだよく分かりません。目下勉強中というところです。まだ時間が掛かるでしょう》また別のところで –

《ぼくの身体も地上にいた時とよく似ています。夢かも知れないと思ってときどき抓(つね)ってみることがあるのですが、やはり痛いです。もっとも肉体ほど痛くはないですけど…内臓は肉体とは違うようです。同じであるわけがないでしょう。しかし、外形はどう見ても肉体そっくりです。ただ、動きが肉体より自由です》

【6】われわれ人間は今どっぷりと物質的環境に浸って生きているので、それをごく当たり前と思い込んでいるが、では生まれた瞬間からそれに適応できたのかといえば、きわめて頼りない、そして危なっかしい期間があったわけである。

生命をつなぐものは“呼吸”しかなく、鼻をつままれたら、それきり死んでしまうところだった。出産の過程でもたつくと死産となる。無事生まれても、呼吸すること以外には、自分ひとりでは何もできなかったことを思い起こす必要がある。それからの2、3年間は、物的環境に適応するための必死の努力の連続だった。

最近は脳生理学の発達によって、幼児期の手足の運動が脳を刺激して、神経網の発達を促していることがわかってきた。それは言い換えれば物的環境への適応能力の発達であって、さらに言い換えれば、それを当たり前と思うようになる訓練をしたようなものである。霊的なものが理解できなくなる原因のひとつはそこにある。

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第4章 問題点と限界

霊的意識と肉体的意識

この“新しい啓示”の内容とその信憑性に関しては、前章で扱ったものよりも大きな論点がいくつかあるが、それはひとまず措(お)いて、むしろもっと細かくて身近な問題で私がこれまでに関心を向けずにはいられなかったものを、いくつか取りあげてみたい。

まず、死後に赴く世界が、どこか遠くにあるのではなくて、すぐ近くにある – 否、今自分がいるのと同じ場所にあって、われわれも実は睡眠中に何度もそこを訪れている、という事実(先輩霊たちはそう言っている)である。

愛する者を失った人が、本当ならそのまま発狂しかねないほどの悲しみに暮れながらも、そのうち立ち直って明るさを取り戻していくのは、実は睡眠中に“その人”と会っているからなのだという。もとより、霊的意識と肉体的意識との切り換えは完璧で、その間の霊的体験の記憶は甦らないが、慰めの情は潜在意識を通して運び込まれているという。

今言ったように、霊的意識と肉体的意識の切り換えは完璧なのだが、時として、原因はともかくとして、1秒の何分の1かの隙間(すきま)ができ、その間隙(かんげき)を縫って霊界での体験が流れ込むことがある。その中には予言的性格の夢があることも数多くの証言がある。

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私が見た予知的性格の夢

私も最近こんな夢体験をした。その予言性は完全に立証されたとは言えないかも知れないが、今でも鮮明に憶えている。

1917年4月4日のことである。目を覚ました瞬間、私の耳に Piave という単語が鳴り響いた。それと同時に、睡眠中に何かメッセージを受けたような感じがした。1度も聞いたことのない単語だった。

が、そのひびきから、どうやら土地の名前だろうと思い、服を着換えるとすぐに書斎に入って、地図帳の索引を調べた。確かにある。イタリアの川の名で、(第1次大戦の)最前線から40マイルばかり後方にある。

当時はイギリス・フランス・ロシアおよび同盟国が大驀進を続けているところだったので、前線がそこまで後退させられるなどということはまず有り得ないことであり、第一、そんな地域で戦闘が繰り広げられるということ自体が、私にはとても想像できないことだった。

しかし、目覚めた時の印象があまりにも強烈なので、私はすぐさまこの内容をまとめて秘書に書き取らせ、署名し、さらに証人として妻にも署名させ、日付を添えてもらった。

なんと、それから6か月後に、それが歴史上の事実となってしまった。イタリアの前線は総崩れとなり、次々と陣地を放棄して後退し、ついには軍事専門家たちが戦術上絶対に有り得ないと断言していたその川までの退却を余儀なくされてしまった。

本日は1918年2月20日である。かりにそれ以上の特別なことが起きなくても、私の夢は戦局と無縁ではなかったことになり、たぶん霊界の誰かがそうした戦局を予見して教えてくれたのであろう。が、希望的観測として私は、あの夢が意味しているのはただそれだけではない –

もしかしたら、そこで同盟国側が勢力を立て直して大勝利へと転回するきっかけとなる、といったことになるのではないかという考えを棄て切れずにいる。そうでないと、わざわざ私に知らせてきた意図が理解できないのである。

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私の夢理論

夢というとグロテスクで残忍で、思い出すのも恥ずかしいようなものしか見ない人は、そんなものが霊界という高次元の世界のものであるはずがないという理由で、私の夢理論に異議を唱えることであろう。が、私には確固たる夢理論がある。それをここで披露しておくのも無駄ではないであろう。

私は、夢には大きく分けてふたつのタイプがあると考えている。ひとつはスピリットが肉体から脱け出て体験したもの、もうひとつは、その脱け殻となった肉体に残存している低級なイメージの支離滅裂の活動、このふたつだけである。

前者はスピリットが肉体に戻った時点で途切れて、脳にまで感応することが滅多にないので、体験する人はきわめて少数であるが、体験そのものは美しさにあふれている。これとは対照的に、後者は誰しも毎晩のように見ており、内容も多様であるが、大体において支離滅裂で、いやらしいものもある。

そこで、後者の低俗な夢を分析して、そこに欠けているものを認識することで、スピリットの本質をおぼろげながらも知ることができよう。たとえば、目覚めてから滑稽に思える体験が、夢の中では少しも滑稽に思えないところをみると、まずスピリットが脱けたあとに残っているものにはユーモアのセンスが欠けていると判断される。

次に、理性や良心、あこがれといったものがまるで欠けている。つまり、高等な精神が欠け、反対に恐怖心や性欲、自衛本能といった低級な要素が、その高等な精神による支配から解放されて、意識状態の時よりも一段と自由奔放に活動する。

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“交差通信”テストで分かったスピリットの条件

さて、問題とすべき点のもうひとつは、スピリットが人間に及ぼす影響力の限界である。先祖霊が今なお存在するのなら、なぜこうしてくれないのか、ああしてくれないのか、という質問をよく受けるが、答えは簡単である – “できない”のである。

スピリットといえども、われわれ人間と同様に、いかんともし難い制約(自然的条件)があるらしいのである。それは“交差通信(クロス・コレスポンデンス(1))”と呼ばれる実験で明確になったとみてよいであろう。

これは、まず複数の自動書記霊媒がそれぞれにメッセージを受け取る。霊媒どうしは互いに面識はなく、そういう実験が行なわれていることも知らない。受け取られたメッセージはそれぞれ独立した形では意味不明、または脈絡が読み取れない。

ところが、全部のメッセージを集めてつないでみると、見事な内容の通信文となる、というものである。実験の目的は、一貫性のある文章が出来あがったという事実に“偶然性がない”ことを証明することにある。

それで分かったことは、スピリットには霊媒に伝えるべき事柄は明確に認識していても、それが霊媒にどこまで正確に伝わったかという点になると、必ずしも確認できていないということである。

だから実験中にスピリットの方から「わかりますか」とか「大丈夫ですか」と、しきりに訊ねてくることになる。マイヤースの場合も「円形は見えたが三角形の方ははっきりしなかった」と言ってきたりした。

マイヤースやホジソンのように、地上時代から心霊問題に関わっていた人でも、スピリットになってしまうと、物的要素の強いもの、たとえば筆記された文章を読み取るのは難しかったようである。つまり、視力をある一定限度まで物的波動に近づけないと読めないらしく、ふたりにはその能力、つまり物質化させる力が乏しかったのかも知れない。

このことは、否定論者がよく引き合いに出すマイヤースの失敗、すなわち他界前に自分で書き記して封印をしておいた文章が完全には読めなかった、という事実の有力な原因のひとつでもあると考えられる。その時点でのマイヤースの置かれた位置(意識状態)からは文章の読み取り(2)が出来ず、記憶も戻らなかった(3)のであろう。

スピリットが犯す間違いの多くは、同じ理由で説明がつくように思う。スピリットが訴えるところによれば – この訴えは私にはよく理解ができる – スピリット自身が今置かれている環境についてならば自信をもって語ることができるが、地上の人間の側からテストされると – 時にはそれもやむを得ないことがあるが – 彼らは意識を地上次元に下げなければならず、それが彼らを困難な立場に立たせることになり、とかく間違いを犯しやすくなるということである。

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スピリットは“姓名”が苦手

否定論者が引き合いに出すもうひとつの問題点は、スピリットが地上時代の自分の姓名を思い出すのに苦労することである。そのことが、せっかくの通信の信憑性を曖昧にし、かつまた、証拠性を不十分なものにしてしまう。

あるひとつの事実について、スピリットがそれに関わる事柄をあれこれと語り、それが細かい点まで正確なのに、肝心の、それに関わっている人物の名前のことになると、まるきり思い出せないことがある。心霊誌「ライト」に最近それのよい例が載っている。

死んで間もない若い将校がロンドンにおける直接談話霊媒スザンナ・ハリスの交霊会に出現して、父親へのメッセージを伝えた。ところが肝心の自分の生前の名前がどうしても出てこない。

が、父親がダブリンのあるクラブのメンバーであることを告げたので、関係者が調査したところすぐに父親の身元が判明したばかりでなく、さらに面白い事実も判明した。父親の方も同じころダブリンでの交霊会に出席していて、そこに息子の霊が出現し、自分の生前の身元の調査にロンドンからやってくる、というメッセージを受けていたというのである。

私は、氏名というものの本質は何なのか – 地上だけの儚(はかな)いもので個性とは何のつながりもなく、死後まっ先に棄て去られるものなのか、その点については何も言うべきものを持ち合わせていない。

ただ、そういうものである可能性は十分にある。あるいは、霊界側に何らかの規制があり、そう易々と通信が伝えられない仕組みになっていて、ある一定限度以上のことは、人間の知性の働きに任されているのかも知れない。

そういう考えはクロス・コレスポンデンスの実験が大いに実証している。ズバリ断言できずに、持って回った言い方が多いのである。たとえば“St.Paul”(聖パウロ)という概念をふたりの自動書記霊媒を通して伝えた実験がSPRの資料に残っている。通信霊はホジソン博士ということになっていて、ふたりの霊媒は互いに遠く離れていて、ひとりは英国、ひとりはインドにいた。

人間の常識的判断ではふたりとも簡単に“St.Paul”という単語を綴りそうに思うのであるが、それがそうは行かないのである。ふたりとも聖パウロに関連した事柄をあれこれと述べ、バイブルにあるパウロの書簡から5つの文章を引用している。

作為や偶然性を超越しているという点からみれば見事な出来であるが、ズバリ“St.Paul”と書かずに回りくどく説明するところを見ると、人間が想像するほど簡単に行かない事情があるのかも知れない。

冗談めいた譬えになるが、全知全能の天使がいて、「人間にラクをさせてはならぬ。少しは脳味噌を使わせるようにするがよい。何もかもやってやると、ただのロボットになってしまうのでな」とでも言っている図を想像すれば片づくのであるが、実際はどういう事情になっているのであろうか。とにかく極めて顕著な事実であることは間違いない。

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予言の“日時”はなぜズレるのか

霊界通信でもうひとつ注目すべきことがある。時間的要素が入ってくると、必ずといってよいくらいあやふやになることである。通信の中で予告した日時はことごとく外れている。

たぶん、地上の時間と霊界の時間によほど勝手の違う要素があるのであろう。それで混乱が生じるのである。すでに紹介したように、私の家の雇い人のひとりが霊媒能力をもっていた。その女性に男兄弟が4人いて、そのうちの3人がすでに第1次大戦で戦死していた。その3人からの通信が届けられることがよくあった。

ところが、“事実”の叙述にはまず間違いが見出せないのに、“日時”の点になると、正確だったことはほとんどない。しかし、その中にひとつだけ例外的に正確だったことがある。いろいろと示唆に富んでいるので紹介しておこう。

彼女を通して得られたスピリットの予言は大抵、何週間ものズレがあり、時には何か月もズレたことがあるが、ひとつだけ1日も違わずピタリと当たったことがある。それはアフリカからの電報が届くことを予告した時である。

確かにその日に届いた。ところが消印を見ると、彼女が予告した時点では、その電報はすでに発信されていて、ある事情で何日か遅れて届けられていたことが明らかとなった。ということは、通信を送ったスピリットは電報が発信されたあとに生じる一連の出来事まで予知して、最終的に私のもとに届けられる日まで計算できたことになる。

彼女はまた、捕虜としてドイツに抑留されていた4人目の弟がいずれ脱走することも予言していて、その通りになっている。一体、予言というものがなぜ可能なのか、そしてそれがどこまで可能なのか、といった問題に関しては、私はまだ確たる考えを持つに至っていない。

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人間を騙してよろこぶスピリットの存在

そうした真面目な問題とは別に、残念ながら非常にタチの悪い、冷血ともいえるスピリットによる騙しのテクニックにも対処しなければならない。霊言にせよ、自動書記にせよ、実際に関わったことのある人ならきっと、なかなか立派で真実味のある通信に混じって、意図的に騙そうとする企みをもった通信が届けられることがあることをご存知であろう。

バイブルにも、出てきたスピリットをすぐに信じてはいけない – 真面目なスピリットかどうかを試しなさいという警告がある。これは、初期キリスト教時代においても、スピリチュアリズム的な理解があったことを物語ると同時に、われわれと同じ厄介な問題にも直面していたことを窺わせている。

いちばん厄介なのは、一見なかなか筋の通った長文の通信があり、こちらの事情も細かいところまでよく知っている内容なのに、最終的にはそれが完全にでっち上げだったということが判明した場合である。

しかし、ニセモノがあるからといってホンモノがないと決めつけてはなるまい。むしろ逆に、たったひとつでもホンモノがあれば、他の多くの失敗のすべてを償うことになるはずである。

例えば電報というものが用いられはじめた当初は、内容が正確に伝わらなかったことがよくあったが、たった1度でもきちんと伝われば、それは、そこに電信線というものがあり、打電した人がいたということの証明であり、それがすべての失敗を償うことになるのと同じである。

ただ、そうしたものがあるということが不信感を生むことは確かである。それとよく似たもので、同じく用心しなければならないものに、歴史上の有名人の名を騙(かた)るスピリットの存在である。

ミルトンと名のりながらその詩に韻律がなく、シェリーと名のりながらその詩に押韻がなく、シェークスピアと名のりながらその文章に知性がないといった調子で、バカバカしくなるようなモノマネがあるので注意が肝要である。

私の推察では、これには霊媒自身がやっている場合とスピリットがやっている場合とがあるようであるが、その事実をもって、だから霊界通信は全部ニセモノであると決めつけるのは、悪い人間に騙されて、この世は悪人ばかりであると決めつけるようなもので、あまりに大人げない判断というべきであろう。

ここでひとつだけ特筆しておきたいことがある。それは、そうした霊言のニセモノがよくあることは事実だが、私はこれまでに1度たりとも冒瀆的な内容の通信や、わいせつな通信に接したことはないということである。その種のものは絶無とは断言しないが、あるとしてもまず例外的なものに属するに相違ない。

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心霊実験に凝りすぎるのは危険

また、霊媒は精神病になりやすいと言う人がよくいるが、これはまったくの憶測から出た説にすぎない。精神病施設の統計を見ても、そういう説の出る根拠はまったく見当たらないし、霊媒の寿命も普通の人とまったく変りない。

ただ言えることは、交霊会における現象に凝りすぎる人がいることで、これは感心しない。心霊現象が実在するということを確信したら、もうそれで現象的なものの効用は果たされたわけで、そのあともあちらこちらの交霊会を渡り歩くのは、次元の低い、ただの物好きのすることである。

何事もそうであるが、あるひとつのことに凝ると、とかく全体像を見失いがちである。この場合も、あまり物的証拠にこだわって現象ばかり追い求めていると、スピリチュアリズム本来の目的、すなわち来世の存在の確信と現世の生活の意義の理解、そして物質の儚さと目に見えない霊的なものの大切さの自覚という、肝心なものを忘れてしまう危険性がある。

結局、私の長年にわたる探求の結論として言えることは、スピリチュアリストが嘆かわしく思う詐術は確かに存在するし、それが引き起こす無責任な当てずっぽう的憶測に迷惑をこうむることはあっても、スピリチュアリズムには、私がこれまでに接してきたいかなる宗教的思想も及ばない、かぎりなく絶対的証明に近い、確固とした大きな核心があるということである。

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否定論者の卑怯な態度

すでにお気づきと思うが、スピリチュアリズムの思想はまったく新しい発見というよりは“再発見”というべき性格のものである。が、この物質万能の時代においては、“結果的には新しいもの”である。

ウィリアム・クルックス、アルフレッド・ウォーレス、カミーユ・フラマリオン、シャルル・リシェ、オリバー・ロッジ、ウィリアム・バレット、チェザーレ・ロンブローゾ、ウィリアム・ステッド、エドマンズ判事、その他、枚挙にいとまがないほどの著名人が、多くの時間と情熱を注いで確立した見解を“ナンセンス”だの“たわごと”だのといった、ぞんざいな言葉で片づけていられる時代は確実に去りつつある。

アーサー・ヒル氏がいみじくも言っているように、今まさにスピリチュアリズムは、これまで以上の証拠を出そうと思えば溢(あふ)れるほど出せるし、それに対する反証をいくら出しても、ことごとくその人の重荷となっていく段階に立ち至っている。

証拠、証拠としつこく要求する人ほど、実はそれまでに出されている厖大な証拠をまじめに検討していない人たちである。しかも、新規に1から証明を求めようとする。

たとえば最近でいえば、オリバー・ロッジ卿が『レーモンド』を出すと、それに懐疑的な態度を取る人は、ロッジ卿に先立つ多くの学者の研究成果のいっさいを参照せずに、ロッジ卿は自分の体験だけで安直に霊魂説を打ち出したかのごとく受け止めて、批判する。

これは、批判する者の態度としては正当とは言えない。著者や体験者は自分の体験ひとつで結論を出しているわけではない。それに先立つ数多くの証言の一致というものが、確信の根幹となっているのである。

もっとも、機械工学博士のクローフォード氏の研究のように、それひとつが完全な科学的証拠性をそなえているものも、数多く存在する。博士はゴライヤーという女性霊媒を使って、物理的現象が発生する時の霊媒の体重の変化を実に細かく、学者的用心をもってテストし、それを記録することに成功している。そこには何ひとつとしてアラ探しの余地はない。

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科学に裏うちされた宗教的人生思想

もはやスピリチュアリズムは、心霊現象に関して、これまでの長年の調査・研究によって、自ら目をつむる人はいざ知らず、偏見のない開けた心の持ち主ならば必ずや確信させずにおかない確固とした証拠性を確立している。

心霊現象を面白半分に珍しがる時代はすでに過ぎ去り、その基盤の上に宗教的人生思想を構築すべき時機が熟していると見てよいであろう。

霊媒現象が何を意味しているかを考えずに、ただ珍しがっているだけで終っていては、それは未開人が無線電信機を珍しがり、伝えられてくる通信の内容はさっぱり分からないのと同じではなかろうか。

それよりも、確かに霊媒を通して得られる通信は微妙で捉え難い性格のものではあるが、用心の上に用心をして断固たる態度で臨み、人間の理性とスピリットからのインスピレーションに基づいた思想体系を打ち立てるべきではなかろうか。

心霊現象はすでにゲーム遊びの段階を過ぎて、大いに議論し合うべき、科学界の新しい分野として頭角を現わしてきた。そして、太古から引き継がれてきた要素と、まったく新しい近代的要素とを併せもつ確固とした宗教的思想体系を、今まさに構築しつつあるところであり、また、ぜひとも構築すべきである。

その体系を基盤とする証拠文献は厖大な量にのぼり、全部を収容しようとするとよほど大きい図書館を必要とするほどであるが、その証人はとなると、これがまた遠い過去の、もはや証人尋間のできない人たちではなく、われわれと同時代の人たちであり、しかも世界中すべての人から敬意を払われてしかるべき人格と知性を兼ねそなえた人たちばかりなのである。

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ふたつの選択肢

そこで、論点は一点にしぼられそうである。19世紀半ばから今日(1918年)に至るまでのスピリチュアリズムの事象はいったい何だったのかという問いに対する回答は、次のふたつのうちのいずれかひとつであって、それを折衷した中間的選択肢は有り得ない。きわめて単純明快である。

そのひとつは、人類はこの数10年にわたって突如として発狂した – それも、他の面では人類として最高の正常性をそなえた男女を襲ったというものである。

そしてもうひとつ、それは実はイエス・キリストの死後最大の宗教的大事業で、見えざる世界から新しい啓示を届けるための働きかけであった – “死”の概念を根本から覆し、人間が否応なしにたどるべき宿命を解き明かす目的があった、というものである。

このふたつの見解の中間に他の見解の入る余地はない。たとえば詐術説や錯覚説は、厖大な量の証拠にはとても敵(かな)わない。狂気の産物か、さもなくば宗教的生命観の大革命である。

それは副産物として死の恐怖を完全に取り除き、愛(いと)しい人が去った時に、計り知れない慰めを与えてくれる。あなたはそのどちらをお取りになるであろうか。

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スピリチュアリズムの効用

最後に、実際面に即したことを2、3述べておきたい。これは、私の説を真実として受け入れてくださっている方に対してであることは言うまでもない。

われわれはスピリチュアリズムという、人類史上における最大の発見ともいうべき、途方もない知識を手にした。では、これをどう活用すべきなのか。これほどの価値あるものを手にした以上は、積極的に人に説くべきであろう。とくに悩みを抱えている人にはそうである。が、その受け入れを強いるべき性質のものではなく、あとは本人の取捨選択にまかせるべきであろう。

本来、スピリチュアリズムには既成宗教を転覆させようという意図など、さらさらない。目的としているのはただひとつ、人生観が唯物的に偏りすぎている人たちを原点に立ち返らせる – 狭苦しい谷間から引き上げてその淵に立たせ、より清澄な空気を吸わせてあげると同時に、はるか彼方にまだまだ多くの丘があることを教えてあげることである。

既成宗教は、そのほとんどが硬直化し、堕落し、はびこった形式で身動きが取れず、秘義だの奥義だので勿体をつけて、みずから成長を止めている。スピリチュアリズムは、そんな余計なことをする必要がないことを教えている。最も大切なものは単純かつ明快であることを教えている。

死後の存続の実証の要請がもっとも鮮烈なのは、身内の者を失った人が、そのスピリットとの“声の再会”を望む場合である。が、これも人間側の“人情”で一方的になりすぎないように配慮する必要がある。

というのは、かりに自分の息子が遠い外国へ留学しているとして、その子に近況を逐一書いて寄越すように要求してよいものだろうか。息子には息子の、その環境での生活がすでに出来ている。

その生活の流れをたびたび中断させるのは感心しないであろう。他界したスピリットとの関係にも同じことが言える。うまくコンタクトが取れても、それに夢中にならないよう、理性的な自制心が肝要である。

前にも注意したことだが、いい加減な証拠で満足してはならない。徹底的に“スピリットを試す”ことが大切である。が、たとえ100パーセント確信できたとしても、今も言った通り、それにあまり夢中になりすぎてはならない。遠からず必ず再会できるのであるから、その時を楽しみに待つという余裕もあってしかるべきであろう。

私は、現在わが子と“声の対面”をしているという母親13人と面接している。すべて第1次大戦で息子を失った人たちで、そのいずれもが、父親も、息子に間違いないとの証拠性に得心している。そのうちで、大戦勃発前から心霊問題に関心があった人は、たったひとりである。

そのうちの何人かの人が、交信が取れるまでに特異な経過をたどっている。ふたりの母親は、自分の写真のすぐそばに息子が写っていた – いわゆる心霊写真である。もうひとりの場合は、まったく知らない人が交霊会で息子からのメッセージを受け取り、住所を教えてもらって届けてくれた。それから交霊会というものに出席して直接息子と語り合っているという。

さらにもうひとつのケースでは、メッセージの届け方が直接話しかけるのではなくて、遠く離れたところにある幾つかの図書館を指名し、そこにある書物を何冊か指摘して、何ページの何行目から何行目までを抜き出すようにと指示してきた。言われた通りにしてそれをつなぎ合わせてみたら、全体でまとまったメッセージになったという。この場合などはテレパシー説はまったく論外となる。

さて、ではあなたはどうするか – これが実に厄介な問題なのである。霊媒とか霊能者とか呼ばれている人も、必ずしも真面目な人ばかりとはかぎらない。適当な演出をしてごまかす者が多いので用心がいる。

かりに、幸い信頼のおける有能な霊媒に出会ったとしても、必ずしも交信が叶えられるとはかぎらない。相手あっての交信であるから、相手がその気になって働きかけてこないかぎり、何の反応もないことになる。そこが霊的通信の難しいところである。その時どきの事情というのが大きく作用するわけである。

むろん、すぐさま交信ができる場合もある。こればかりは、こうすれば必ずこうなりますという一定の法則は申し上げられない。霊界には霊的法則があり、地上界には物的法則があるからである。

霊媒や霊能者に頼らずに、みずから能力を開発するという手段もあるが、これにはよくよくの用心が肝要である。自己暗示にかかる場合もあるし、低級霊に騙される危険性もある。真剣であると同時に、敬虔な祈りにも似た気持で臨まねばならない。

ただし、ひとつだけ断言できることは、誠心誠意、真剣な態度で臨み、手段を誤りさえしなければ、その誠意は必ずや霊界側に通じ、いつかはそれに応えてくれるということである。

ところで、スピリットとの交信を求めることは、そのスピリットの向上の妨げになるとの理由で異議を唱える人がいる。が、これはまったく根拠のない言い分で、その点についてスピリットの意見を聞いてみると、まったく正反対のことを言ってくる。つまり、地上に残した愛する者との接触によって元気づけられ、救われる思いがしているというのである。

私がこれまでに読んださまざまな通信の中でも、ロッジ卿のご子息のレーモンドが、いっしょに戦死した同僚たちが地上の家族にメッセージを送ろうとしながらも、それが無知と偏見とによって拒絶された時のさみしい心情を述べている次の一節ほど心を打つものはない。

《わが子が死んでしまったとは思いたくないのが人情なのに、実際にはそう思っているような態度に出る親が多いのです。うちの親はなぜ何の問いかけもしてくれないのだろうという切実な思いを聞かされると、私の心も千々に乱れます》

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私は訴える

そこで私が訴えたいのは、何はともあれ、個性の死後存続を証明する霊界通信を読まれることだ。世間一般の人だけでなく、心霊現象の実在を信じている人でも、読まない人が多すぎる。ぜひとも読んで、真理の厳粛さをしみじみと味わっていただきたい。その圧倒的な説得力のある証拠性に触れてみてほしい。

現象的なものから手を引いて、ウィリアム・ステッドの『死後 – ジュリアからの便り』(4)やスティントン・モーゼスの『霊訓』(5)のような珠玉の霊界通信を読んで、その崇高な教訓を学ばれることだ。

他にも、価値は劣るが、高度な内容の通信が実に数多く入手されている。そういうものを読まれることによって、視野を広げ、人生観に霊的要素を取り入れてほしい。そして、それを実生活に生かしてほしい。

われわれも遅かれ早かれ同じ世界へと進むことになっているということを、信仰や信念としてではなく、今こうして地上に生きているという事実と同じくらい現実味をもった事実として、認識してほしいのである。

そこは、あらゆる“苦”から解放された、幸福そのものの世界である。唯一その幸福を妨げるものは、この短い地上人生の中で犯した愚かしい行為と利己的行為である。地上にあっても、死後においても、“無私・無欲”ということが幸せと向上の基調であるらしいのである。

ここで改めて指摘しておかねばならないのは、この“新しい啓示”は、キリスト教のドグマを頑固に信じている人にとっては破壊的なものとして受け止められても、キリスト教的体制が途方もない巨大な“虚構”であることを見抜いている人にとっては、まったく逆の影響を及ぼしているということである。

“古い啓示”にも類似したものが数多く見られることは事実である。同じ始源から発しているからである。しかし、それも時の経過とともに損傷が進み、人間の身勝手な誤用と唯物観によって台なしにされていながら、体制としての威力だけは隠然たるものがある。

今、それと同じ源から発した新しい啓示によって、死後の生活、高級霊の存在、地上における行為を基準とした死後の境遇、苦難による浄化、守護霊ならびに指導霊の存在、宇宙の無限なる中心的エネルギーとしての神の存在、その神へ向けての無限に連なる向上進化の道程 – こうしたことについての再確認がなされたのである。

古来、神は人類の意識の進化に応じて、さまざまな形で啓示を垂れてきている。それがキリスト教神学者の無謬性(むびゅうせい)(絶対に間違いがない)と独占権の乱用、偏狭と知ったかぶり、加えて人工の儀式典礼によって肝心の生命が抜き取られたのである。げに、真理を台なしにしたのはキリスト教神学、これひとつに尽きる。

この小著を終えるに当たって、ぜひとも紹介しておきたい一節がある。これは、英国の詩人であり高邁な思想家であったジェラルド・マッセー氏(6)の『スピリチュアリズムについて』で述べられたもので、その考え方といい文体といい、私は最高の敬意を払うものである。

《私にとってスピリチュアリズムは、他の大勢の方たちと同じように、それまでの狭い精神的地平線を広げて“天界”を見せてくれた恩人である。その、信念から事実への見事な凝縮はまさしく天啓で、それを知らずに送る人生は、ハッチを密閉してローソク1本の光で送る、暗く窮屈な生活以外の何ものでもない。

そんな生活の中で、ある星の降るような夜、ふとハッチを開けてデッキに出てみたら、途方もなくでかい天空の大機構が、神の栄光に燦然と輝いていた – その手引きをしてくれたのがスピリチュアリズムだったのである》

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訳註

【1】Cross – correspondence

“十字通信”と訳すこともある。その要領は本文でドイルが述べている通りであるが、この実験の特殊な点をいえば、これにたずさわった学者たちは死後の個性存続の事実を当たり前のように確信していた人たちで、その事実をいかにして立証するか – ドイルのいう“つき合わせた文章の一貫性に偶然性がない”ことを証明するため – 霊界側と知恵を出し合った上で試みられたもので、もともと“死後の存続”を証明することが目的ではなかったということである。

言ってみれば、“信じようとしない人に完璧な証明を披露すること”が目的だったのであるが、ドイルが述べている通り、波動の原理の制約があって、十分なものは得られなかった。

【2】ドイルが本書を出す30年も前に出版された Spirit Teachings の中に“読み取りの実演”という項目がある。参考までにモーゼスと通信霊との対話の一部を紹介しておく。(自動書記による)

– あなたは読み取りができますか。
霊「いえ、私にはできません。が、ザカリ・グレーができますし、レクターにもできます。私には物的操作ができない – つまり物的要素を意念で操作することができないのです」

– そこにどちらか来ておられますか。
霊「ひとりずつ呼んでみましょう。まず…あ、レクターが来ました」

– あなたは読み取りがおできになると聞いておりますが、その通りですね?書物から読み取れますか。
霊「できます、なんとか」(筆跡が変っている)

– では“アエネイス”の第1巻(ローマの詩人ヴァージルのラテン語の叙事詩で、全12巻 – 訳者)の最後の一文を書いてみていただけますか。
霊「お待ちください – Omnibus errantem terris et fluctibus aestas.」(この通りであった)

– どうやって読み取るのですか。
霊「読み取るというのは特殊な操作でして、こうしたテストのとき以外は必要でありません。昨晩ドクターが言っていた通り、われわれも幾つかの好条件が整わないとできません」『モーゼスの霊訓』(太陽出版)より

【3】心霊実験のひとつに“招霊実験”というのがある。これは“霊言現象”が高級霊みずから憑依して語るのに対して、低級霊を強制的に霊媒に憑依させて、司会者(さにわ)と語り合うことによって霊的真理を諭すという方法であるが、いったん他界してしまうと、地上時代の記憶は急速に忘れていくものらしく、自分の名前すら思い出せない者が多い。

この招霊の方法を精神病治療に応用した米国の精神科医のカール・ウィックランドの記録に Thirty Years Among the Dead というのがある。

精神疾患の大半は低級霊の憑依であることが明らかとなってきているが、その憑依霊を患者から引き離して霊媒(ウィックランド夫人)に乗り移らせて迷いを覚まさせるという仕事を30年余りも続けた、その成果をまとめたものであるが、これによっても、ほとんどのスピリットが名前や年齢をはっきりと思い出せないことが分かる。

それと同時に、自分がすでに死んでいることに気づいていない者が多いのも驚きである。他界直後の低界層の事情がよく分かる興味ぶかい本である。『迷えるスピリットとの対話』(仮題)のタイトルで出版準備中。

【4】After Death 副題を Letters from Julia といい、日本語訳は浅野和三郎が『ジュリアの通信』と題して部分訳を出したことはあるが、全訳は出ていない。近々全訳を手がける予定。

【5】Spirit Teachings これについては第2章の“訳註”で詳しく紹介したが、その後シルバーバーチと名のる古代霊が英国の霊媒モーリス・バーバネルの口を使って60年間も霊的教訓を述べている。自動書記と霊言の違いはあるが、高級霊からの霊界通信の双璧として、スピリチュアリズムの本質を知るための必読書である。

日本語訳はシリーズ第1期が潮文社から『シルバーバーチの霊訓』全12巻、第2期が太陽出版から『愛の摂理』『愛の力』『愛の絆』の3冊となって出ている。

【6】Gerald Massey(1828~1907)
英国の詩人で、その詩の随所にスピリチュアリズムの思想が反映している。そのことを次のように語っている。

《私の詩の中に反映しているスピリチュアリズムは、死者の復活という伝統的信仰から出た妄想的観念とは違います。来世の存在に対する信仰は、事実と私自身の体験に基づくものです。

それも、40年という歳月をかけたものですから、私の確信は決して安直に信じたものとはわけが違うのです。人間的個性と知性は、死の過程によってブラインドが取り払われたあとにも間違いなく存続することの証拠を、十分に与えてくれております》

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第2部 重大なるメッセージ

The Vital Message
by Arthur Conan Doyle(1919)
Psychic Press Limited
23 Great Queen Street,
London, WC2B5BB, England.

まえがき

前著『新しき啓示』(第1部)で私は、迫りくる人類の意識革命の曙光のようなものについて述べた。本書ではすでに太陽は高く昇り、見えざる世界との関係(つながり)も一段と明確になってきた。私はそれをより詳細に、そしてより広汎にわたってお目にかけようと思う。

今、ペンを手にして遠く人類の未来を思いやる私の脳裏に、かつてアルプス山脈の中で岩と雪だけの荒涼とした頂上から、遠くイタリアの方角を見渡した時のことが甦ってくる。ロンバルディアがまばゆい太陽の光の中で青い湖と緑の山並の一大パノラマとなって広がり、その遠い果ては黄金色のモヤとなって地平線を包み込んでいた。

新しい啓示によって、今この荒れ果てた地上界の彼方に、約束された素晴らしい世界が待ちうけていることが明らかとなった。先駆者たちは、もう、とうの昔にその峠を越えている。

みずから目を被う者はいざ知らず、目をしっかりと見開いている者には、その素晴らしい世界が鮮明に見えている。もはやその事実の認識を妨げるものは何ひとつ存在しない。

私の同志のひとりである V・C・ディザーティス氏は、大乱の後にいつもささやかれる“救済”は、この度は霊界から地上界への“下降”の働きかけではなく、地上界から霊界へ向けての“上昇”の努力によって、両者が融合することによってのみ達成されることになろうと述べている。その当否は別として、少なくとも興味ぶかい考えであることは確かである。

しかし私の考えでは、そこまで大掛かりな逆転は無理としても、われわれはすでに科学と宗教について、そして人生そのものについての考え方を、根底から改めさせるに十分な知識を手にしている。その変革がどういう形を取るか、そしてまた、その根拠と証拠とはいかなるものか、それを本書で述べてみたいと思っている。

1919年7月 A・コナン・ドイル

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第1章 迫られる人類の意識改革

悲劇の体験から学ぶべきこと

この第1次大戦をはさむ時代に生をうけた世代の人間は、人類の数知れない世代の中でも、つてなかった恐怖の体験をさせられる運命(さだめ)にあったと言えよう。実はこれには、絶対に否(いな)めない、そしてまた、絶対に見過ごしてはならない、厳粛な事実が控えている。

その苦難に耐え抜いたわれわれは、それが意図している教訓を学びそして後世に残さないことには、苦難を体験した意味がないということである。今この時点で学びそして認識し合わないで一体いつ学び、いつ認識し合うというのか – これほどの霊的な掘り起こしと地ならしとタネ蒔きの準備が行なわれることは、2度と有り得まいと思うのである。

この恐怖に満ちた5年間の犠牲と緊張に虐(しいた)げられたわれわれの精神が、もしも何ひとつ変革を生み出さなかったとしたら、せっかくの霊界からの新しいインスピレーションの流入に応えうる資格をもつ者が、はたして他にいるであろうか。

もしもただの悲劇の体験のひとつで終るとしたら、人類の未来はまさに絶望的となろう。そして幾世紀にもわたって向上の可能性は見出せないことであろう。(1)

人類はなぜこんな悲劇的体験をさせられるのであろうか。万物の創造主が新しい民族の連帯関係をこしらえるために、地球上の全人類を坩堝(るつぼ)の中に入れて混ぜ返し、とことん疲弊させているのだなどと考える浅はかな人間もいるようである。が、このたびの激動の原因とその目的は、そんなものよりは、はるかに深遠なのだ。

本質的には宗教的なものであり、政治的なものではないのである。国家間の小ぜり合いを超えた、もっともっと深いところにある。これから1000年のちには、そうした国家間の政治的問題の結果は大した意味をもたなくなっているであろう。そして、逆に、宗教的問題の結果は世界規模の重大な意味をもつに至っていることであろう。

その宗教的な意味とは、今日の退廃的なキリスト教の大改革である。新しい形による霊的交流と、その結果として得られた死後の明快な実相を取り入れることによって、複雑怪奇な組織を思い切って簡素化し、不純な人工的教義を取り除き、活性のあるものにすることである。

大戦によるショックは、われわれ人類に精神的ないしは道徳的な真摯さの大切さを意識させ、勿体ぶった宗教的みせかけの仮面をはぎ取る勇気を与え、壮大な新しい啓示を理解し取り入れていかざるを得なくなるように仕向けるためだったのだ。

偏見のない心の持ち主ならば、近代スピリチュアリズムが蒐集した証拠と霊界通信が、質量ともに文句のつけようのないものであることに納得がいくであろう。

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退廃と残虐をきわめた為政者の所業

この大戦の勃発する以前の世界情勢は酷(ひど)いものだった。人間の悪魔性をのぞかせた所業を世界の歴史にたどってみても、18世紀から19世紀にかけて発生したものに匹敵するものが他に見出せるであろうか。

ロシアを見るがよい。貴族界の野獣性と民主政界の退廃性、双方が行なった虐殺のかずかず、ユダヤ人の虐待はどうだったであろうか。

ベルギーのレオポルド2世がアフリカで行なった虐殺と虐待のかずかずはどうだったであろうか。まさに生身の悪魔性の仕業だった。そのレオポルド王の死に際してのローマ教会の態度はどうだったか。その悪魔的行為のひとつたりとも非難することなく、枢機卿からの賛辞のうちに恭々(うやうや)しく葬っている。

南米のプートゥマイオ川(アマゾンの支流)における同様の残虐行為の酷さを思い出してみるがよい。そして、その時に取った英国の資本主義者たちの態度はどうだったであろうか。暴動そのものには関与しなかったものの、見て見ぬふりをして、その裏で利益を搾取していたではないか。また、トルコにおいて頻発していた大量虐殺を思い出してみるがよい。

世界各地における“持てる者”たちの淫乱の生活と“持たざる者”たちに対する獣的行為のかずかず、ファッション界の軽薄文化、宗教界の陰湿さと良心の麻痺ぶりはどうだったであろうか。深い、真の霊的衝動を感じる者は絶え果てていた。

とくにドイツにおける宗教界の組織的な唯物主義と傲慢と無慈悲さはどうだったであろうか。血の通ったキリスト教精神を連想させるものすべてが否定されていた。総じて、人類がこの時代ほど非人間的側面をむき出しにしたことは、かつてなかったと言ってよい。

強いて明るい側面を探せば、それは主として宗教とは無縁の、実生活に不可欠の分野、たとえば病院や大学、市民団体による慈善事業に見出すことができよう。キリスト教国のヨーロッパだけでなく、仏教国の日本でも顕著に見られた現象だった。

それは、個人的に見れば人類にはまだ徳性も寛容性も善性も残っていたということを物語っている。が、組織体としての教会はもぬけの殻となり、人類にとっての霊的滋養分などさらさら持ち合わせず、魂の抜けた儀式典礼の世界と化してしまい、人間一般の行為に役立つものは何ひとつ見出せなくなっていた。

私が述べていることは決して誇張ではない。これで、一体あの大戦の勃発に秘められた理由 – 最初に私が“厳粛な事実”と述べたもの – が何であったかも分かっていただけるのではなかろうか。

ただのゴシップパーティにすぎない豪華な茶会、戦争崇拝、土曜の夜の酒盛り、党利党略に終始する政治、神学的詭弁、こうしたものとの縁を切り、今こそ人類が危急存亡の重大な局面に立っていることを悟らせるためのものではなかったろうか。いいかげん偽善の仮面を脱ぎ捨て、真摯なる赤心と勇気とをもって霊的真理の指示するところに従うべきであることを教えていたのではなかろうか。

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認識を改めるべきふたつの通念

その霊的真理の真実性は、怠惰や臆病、既得権益に目をくらまされなかった先輩たちを、例外なく得心させてきたのである。われわれもその真理とは何なのか、いかなる方向へ向けての改革を迫られているのかを理解しなければならない。私の心の中にあるのは、その新しい霊的啓示のみである。

が、それが現実的な影響力を及ぼすためには、それに先立って人類に要求されているふたつの意識改革がある。スピリチュアリズムという名の新しい啓示そのものの真実性については、私は絶対的な自信をもって説くことができる。が、そのふたつの改革については読者の評価を仰がねばならない。

まず、現在の西洋人の宗教思想の根幹となっているバイブルには、“生命あるもの”(新約)と“生命なきもの”(旧約)とが同居していて、後者が前者を汚染している事実を指摘したい。言うなればミイラと天使とが同棲しているようなもので、これは、どうみても不自然である。

旧約聖書は、宗教学者の手にゆだねられているうちは害は少ないが、それが教えを説く者や指導する者の手にゆだねられては、明快な思考も筋の通った教えも不可能となる。1冊の書物として読む時は素晴らしい本である。最古の物語もあり、豊富な知識が盛り込まれており、歴史あり詩歌ありオカルトあり伝説ありで、読む者を飽きさせない。

しかし、現代的な意味での宗教とはまったく無縁である。君臨するのは特殊な民族の神(ゴッド)で、これがまたひどく人間的で、怒ったり嫉妬したり復讐したりする。それが旧約聖書の全編に行きわたっている。

その中でも最も霊的で美しいとされている詩篇でさえ、そのゴッドが仇敵に仕返しをする、身の毛もよだつような話を歌っている。大量虐殺をそそのかし、一夫多妻を大目に見、奴隷制度を容認し、いわゆる魔女を焼き殺すことを命じる神である。

現代のわれわれは、盗みをすると両手を切断したり、ヒゲの手入れを怠っただけで罰を与えたりする掟(おきて)は、一笑に付すであろう。そんな支離滅裂な内容のものを“聖なるもの”と認めるわけにはいかない。どう屁理屈を並べても、まともな人間を納得させることはできないのである。

ところが、そのムチャクチャな掟を口実にして、過去にどれほど多くの残虐な行為が行なわれ、そしてそれが正当化されてきたことであろうか。とくに宗教戦争においてそうであった。みな、旧約聖書からの思いつきだったのである。

“容赦なく打ちのめせ!”“目には目を!” – こうした殺人鬼的な言葉が狂信的な指導者の口から発せられ、歴史を血に染めていったのである。

新約聖書の方が重んじられている今の時代でさえも、その教えは、どぎつい旧約聖書によって光を曇らされているに相違ない。その文学的価値は保持したいものだが、宗教的思想の泉を毒する要素だけは取り除きたいものだ。

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神の子イエスの“死”よりも人間イエスの“生きざま”の方が大切

以上が、人類の未来をより明るいものにするためにまず改めねばならないと私が考えている点のひとつである。それに比べれば、これから述べるもうひとつの点は、さして大きな問題ではないかも知れない。改めるというよりは、観点を少し変えるだけのことである。

よく知られている通り、イエスが地上で生活したのは、バイブルの記述から推定するかぎり、わずか33年間であり、捕縛から処刑、そして蘇りまでは1週間足らずにすぎない。

にもかかわらず、総体的にみてキリスト教の中心はその悲劇的な“死”にあり、死に至るまでの美しい生涯にはあまり重きを置いていない。双方とも重大ではあるが、前者に重点を置きすぎ、後者の扱い方が軽すぎるというのが私の見解である。

たしかにイエスの死は美しく、感動的である。しかし、真理のために身を犠牲にした例は、なにもイエス・キリストひとりではない。それに匹敵する例を歴史の中に拾えば、何十人でも挙げることができる。

が、その生きざま – 生涯を一貫して流れる隣人愛、心の広さ、無私の心、勇気、理性的判断力、進歩性に焦点を当てた時、そこには超人的ともいえるほどの群を抜いた人物像が浮かび上がってくる。新約聖書に記録されている断片的な、それも翻訳された、間接的な資料が描いているものなのに、われわれはただただ深い畏敬の念に満たされるのである。かのナポレオンでさえこう語っている。

「…その点、キリストは別格だ。キリストに関することのひとつひとつが私には驚きである。その精神の高さには不意をつかれたような驚きを覚えるし、その意志の気高さには戸惑いすら感じる。

キリストとこの世的なものとの間には、まず比較すべきものが見出せない。まったく別格なのだ。キリストに近づけば近づくほど、そしてキリストの生きざまを細かく見れば見るほど、すべてにおいて私には手の届かない存在であるように思えてくる」

実は、それほどの高級霊がこの地上に降誕した本当の目的は、ナポレオンをそこまで感嘆させるほどの大人物を、魂を鼓舞する見本として人類に垂示することにあったと私は考える。

もしも人類が、身代りの犠牲だの堕罪だのといった空想上の教義やそれにまつわる謎めいた議論にうつつを抜かさずに、キリストの人物像そのものを手本とする努力を真剣に続けてきていたならば、今日の人類の文化と生き甲斐ある人生のレベルがずっと高度のものとなっていたことであろう。

理性と道徳性のカケラもない教義こそが、最高の知性と人格をそなえた人物をキリスト教に反撥させ唯物主義へと追いやった元凶だったのである。真理への憧憬の本能がどうしても承服できないものと葛藤しているうちに、真実なるもの、美なるものを失っていったのである。

キリストの最期は確かにその気高い生涯に相応しいものであり、有終の美を飾ったと言えるかも知れない。しかし、人類の宗教にとっての永続性ある基盤を遺(のこ)してくれたのは、その生きざまだった。

もしも人類がそれを日常生活における行為と宗教の規範として仰いできていたら、後世に生じた宗教戦争も、内部の権力抗争も、宗閥間の対立による悲劇も、よしんば全面的には回避されなかったとしても、少なくとも最小限にとどまっていたことであろう。

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当時のユダヤ社会の特殊性の認識も大切

が、このキリストの生涯と、それが有する模範としての効用を考察しようとすると、他にもいくつか考慮に入れなければならないことがある。そのひとつは、キリストの生涯を煎じつめれば、当時の伝統的宗教であるユダヤ教を強健な常識と勇気をもって糾弾し、儀式典礼の無意味さを白日のもとにさらし、それに代る霊的真理を説いたということに尽きるであろう。

そこにこそキリストの信奉者にとっての、心掛けの肝心なところがあるのであって、ローマ帝国が権威の拡大のために勝手にこしらえた何の根拠もない教義を後生大事に受け入れることではあるまい。

キリスト教の権威と、人間の一生がもつ権威の一体どちらが大切であろうか。“聖なる書”の観念のもとに、用語のひとつひとつにこだわり、書記による綴りの間違いや書き損じまで大切に保存するなどということは、狂気の沙汰というべきである。

もしもキリストが例の“童子のごとき”正直さをもってユダヤ教を信奉していたなら、“キリスト教”などというものは生まれなかったであろうことは、容易に想像のつくことである。キリストは当時の伝統的信仰の間違いを指摘し、聖職者階級の堕落を糾弾したのである。

現在、クリスチャンと称する人たちはその点に思いを馳せ、勇気をもって新しい啓示に耳を傾けるべきである。キリストは1度たりとも自分のもたらした啓示がすべてであり最終的なものであるとは言っていない。そのキリストの言葉すら正しく理解されていないのである。

そのキリストの啓示に匹敵するものが、この現代に至って同じ真理の源から届けられたのである。ただ、キリストに匹敵するほどの大人物はまだ出現していない。キリストの出現にはあの時代なりの意味があったのであろう。私は、時が熟せば、これからもキリストほどの大人物の出現も有り得ると信じて疑わない。

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イエスのことばは“聞き伝え”にすぎない

考慮すべきもうひとつの点は、そのキリストの啓示はキリスト自身が直接書き記したものではないということである。キリストがそう語ったと、間接的に伝えられたものにすぎない。もしもキリスト本人が書き残してくれていれば、われわれの立場にとっても有り難かったのであるが…

が、残念ながらすべては“聞き伝え”によるものであり、しかも、その主役たちは、真面目だったかも知れないが教養の程度は低かった。もっとも、あのローマの統治下のユダヤにおいて、漁師や収税吏その他の平民に読み書きの出来る人がいたということは、当時としては大変な教養の高さを物語る事実なのかも知れない。

ルカとパウロはもちろん身分も教養も高かった。が、ふたりが手にしたキリストに関する情報は、身分も教養も低いキリストの弟子たちを通して得たものだった。そのふたりの筆になる記録は、総体的に見れば一貫性があり、キリストの教えと人物像が明快に描かれている。しかし同時に、形而上的な問題になると、矛盾撞着がいくつか目につく。

たとえばキリストの復活に関しても、4つの福音書は細かい点でかなり食い違っている。法律的に見るかぎり、とてもそれらの文書を証拠性のあるものと見なすわけにはいかない。

常識的に見て、どの福音書も霊感を受けて書いたものとは考えられない。記録上の間違いもあったろうし、個人的信念もまぎれ込んでいようし、東洋的誇張表現にも問題があるし、翻訳上の問題も考慮しなければならないであろう。

改訳版ではそうした点がある程度考慮されていることは確かである。が、例の“儀文は殺す、されど霊は生かす”の名文句から、われわれは、キリストはあの時点で今日に至るもなお続いている“文字”の弊害を予見していたものと信じてよさそうである。それは、キリスト自身がユダヤ教の神学者に手を焼いた体験から来ているのかも知れない。

その意味からも、今日のわれわれは、キリストの教えを適用する際には理性と叡智を用いるべきであろう。キリストの教えは、“当時の”社会環境に基づいて“当時の”表現形式を用いたところが多分にある。それをそのまま“今日の”世界に当てはめるのは考えものである。

たとえば“汝の敵を愛せよ”と言われても、ドイツ軍の捕虜となった英国兵士にドイツ皇帝が愛せるだろうか。“自分の持ち物を売ってでも貧しい者に施せ”と言われても、今の時代にそんなことをする意味があるだろうか。

あえてそれを今日の世界に当てはめて実行することは、強健な良識を最大の特質とするキリストの教えを、むしろ曲解することになる。人間性の本質から考えて不可能なことを要求することは、合理的なものを要求する際にその訴えを弱めることになるであろう。

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新しい啓示の中のイエス像

さきに私は、問題点としてあげた3つの課題、すなわち旧約聖書からの卒業、キリストの“死”よりも“生”をもっと重要視すべきであること、そして現代の宗教の基盤とすべきものとしての新しい啓示のうち、絶対的根拠をもって主張できるのは、最後にあげた新しい啓示のみであると述べたが、これは私があえて遠慮がちに述べたものである。

最初にあげた旧約聖書の問題はあくまでも私個人の見解であるが、次のキリストの実像とその教えの本質については、霊界通信でもたびたび取りあげられているテーマである。

霊界通信は、通信霊がいま霊界で置かれている位置によって視点が異なるし、さらには、地上時代に吹き込まれた信仰が先入観となって根強く残っていることもある。が、そうした点を考慮しつつ信頼のおける通信を読んでみて、第1に言えることは、キリストによる罪の贖(あがな)い(贖罪説)は全然といってよいほど説いていないということである。

キリストが地上人類として空前絶後の最高級霊の降誕であることは異口同音に認めている。その意味では確かに“神の子”と呼ぶにふさわしいが、われわれもみな同じく神の子であり、ただ、キリストの方がより神に近い存在であったというにすぎないとしている。

死後そのキリストの霊とのお目通りが許されるのは、ごくごく稀なことに属するという。昼となく夜となく、数え切れない人が他界していっていることを思えば、それは当然のことであろう。

そのうちわれわれも他界するわけであるが、かりにお目通りが叶えられたとしたら、キリストはたとえようもなく優しい、同情心にあふれた、力強い指導者であると同時に、親しみのある先輩霊のひとりでもあろう。そのキリストの霊的影響が、姿は見えなくても、地上の全存在に及んでいるという。地球圏に属するあらゆる界層の中心的存在なのである。

次の第2章ではスピリチュアリズムを本格的に扱うことにするが、その前に、さきの2点をもう1度おさらいをしておきたい。

旧約聖書の影響もキリストの贖罪死の問題も、致命的というほど重大な問題ではない。そういうものに関係なく、新しい発展が次々となされていくことであろう。そもそも、古くから続いている宗教的慣習は、そう一気に変えられるものではない。

ましてや神学者が会議を開いて、旧約を書棚の奥に仕舞い込んでバイブルは新約のみとする、といった英断が下されるなどといったことは望むべくもないことである。

同じく、キリストの扱い方においても、教会はその“死”に重きを置きすぎていた、といったことが正式に表明されることも、まず有り得ないことであろう。まだまだキリスト教会の道徳的勇気は、その高さにまで至っていない。

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重大な局面にさしかかっている人類

が、過去の血なまぐさい人類の所業への反省から霊的覚醒と真剣さが促進されて、理性的に納得のいくもの、真実なものが選り分けられるようになっていけば、たとえば旧約聖書について言えば、ちょうど動物の退化器官が進化の過程の低い段階を物語るものとして残っているように、すでに存在価値を失った文献であるとの認識が行きわたることであろう。

そうなった時、それは人類が二度と踏んではならない轍という形での教訓として以外には、人類の行為への影響力は失っているであろう。

キリストの教訓についても同じことが言える。永遠の刑罰などというおどろおどろしい説が遠からず影をひそめるにつれて、キリストに関する謎めいた部分が消え、今日の異端の説が明白なる常識となっていくことであろう。時が至れば、そうしたことがすべて調整されていくことであろう。

それは時の流れにまかせることにして、われわれはすでに新しい重大なメッセージを手にしていることを次章で説き明かすことにしたい。その中には骨と皮にやせこけた生命に肉づけし、ミイラに生命の息吹きを吹き込むものが秘められている。

個性の死後存続が確実に裏づけされ、自分の行為には最後まで自分が責任をもち、いかに権威あるものであろうと、それに責任を転嫁することはできないという倫理観が確立されれば、人類は、かつてない強固な道徳的規範を手にすることになるであろう。われわれは今まさに、その重大な局面に立っているのである。

忌々しい近代の世界史は、ローマ帝国に始まった西洋の知的暗黒時代 – 神への信仰を忘れ、束の間の物的快楽に自我の霊性を忘れた、愚かしい人類の所業のクライマックスだったのだ。

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訳註

【1】ここは第1部の“まえがき”で述べたことを念頭において述べている。すなわち、第1次大戦勃発前にパイパー夫人が“新しい啓示”の流入を予告しながら、しかしその前に大きな掃除が必要であると述べ、世界中で戦乱が起きることを予言したことで、事実、歴史はその通りの道をたどっている。

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第2章 霊魂説の弁護

懐疑の暗雲を吹き払う科学的研究

ハイズビル事件を契機として新しい啓示が次々と入手されはじめた頃、ブルーム卿(1)が奇妙な比喩を用いてこう述べた – “一点曇りなき無神論の青空に、たったひとつ小さな雲が漂いはじめた。それが近代スピリチュアリズムである”と。

ふつうなら“無神論の暗雲の切れ間にチラリと青空が見えはじめた”とでも表現すべきところであろう。しかし、これを裏返せば、卿のキリスト教への懐疑がいかに徹底したものであったか、そしてまた、スピリチュアリズムのもつ重大性をいかに強く意識していたかを物語っていると言えよう。

ジョン・ラスキンも、死後の生命に確信を得ることができたのはスピリチュアリズムの科学的研究のおかげであると述べている。同様の趣旨のことを何十人、いや何百人もの著名な人が認めている。どれひとつ取り上げても、真実を証言するに十分な重みをもった名前である。

彼らは、言うなれば、その曙光を最初にとらえた“高き峰”だったのかも知れないが、その光は、これがさらに広がれば、いずこの低地にいる者にも拝めるようになることであろう。

そこで、この2000年の間に他の何ものにも為し得なかった、人類の思想と行為の改革を必ずや為し遂げるであろうスピリチュアリズムを、これからいっしょに検証してみたいと思う。

私は、その良い面だけを紹介するようなことはしない。まだまだ残されている問題もあるので、それも紹介したい。核心的な面において絶対的な自信をもって扱うことができれば、他のすべての面における真実性を臆することなく主張することが出来ると信じるからである。

生命を失って血の通わなくなった既成宗教に活力をもたらすことは確実と信じられるこの新しい潮流は、“近代スピリチュアリズム”と呼ばれることがある。これは意味のあることである。

というのは、その底流にある霊性は、表現形態こそ異なっても、人類の歴史とともに存在してきたのであり、とくに地球上に生じた全宗教の理念の根幹において赤々と燃えさかってきたのである。バイブルにもそれが一貫して流れている。

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宗教の基本原理としてのスピリチュアリズム

スピリチュアリズムは、その霊的真髄を、かつては“しるしと不思議”としてイエスが顕現してみせたのを、実験室内での霊媒現象という形で見せようとしたものである。ところが、残念ながらニセモノを演出して金儲けを企むペテン師によってスピリチュアリズムの名が汚され、不幸な出来事によって陰湿な印象を与える結果となってしまった。

苦慮した関係者の中には、ちょうど“ mesmerism メスメリズム”(催眠術)が“ hypnotism ヒプノティズム”(催眠学研究)と言い換えることによって長年の中傷から逃れることができたように、“心霊的宗教”とでも言い換えてはどうだろうと考えたほどだった。

その一方には、そんな非難中傷をものともしなかった先駆者の一群がいたことを忘れてはならない。輝かしい経歴と世界的名声に傷がつくことを恐れず、“正気”を疑われることさえ顧みずに、スピリチュアリズムの旗印のもとに、真実は真実として堂々と公表したのだった。これを“近代スピリチュアリズム”と呼ぶのである。

新しい宗教ではない。そんな単純なものではない。全人類が等しく共有できる霊的遺産なのだ。もっとも、遺産の全部ではない。まだまだ一部にすぎない。が、その一部が、かつて蒸気が小さなヤカンの蓋を踊らせる現象が蒸気機関の発明へとつながったように、いずれは普遍的な人類の指導原理となっていくことであろう。

つまり、最終的には“ひとつの宗教”としてではなく“全宗教の基本的原理”としての存在意義をもつに至るであろう。宗教ならば、もう地球上には多すぎるほど存在する。不足しているのはその普遍的原理・原則なのだ。

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ハイズビル現象の意義

スピリチュアリズム勃興のきっかけとなったハイズビル現象は、それ以前にもしばしば見られていた怪奇現象と少しも変ったところはない。が、大きく違っている点がひとつだけある。

その当事者であるフォックス家の家族が怪奇現象にただ驚き、かつ怖がるだけで終らずに、それを引き起こしていると思われる“何ものか”に向かって語りかけ、そこに見事に交信が成立したという点である。

1726年にエプワースで起きた現象も、現象自体をみるかぎりハイズビルのものとよく似ていた。メソジスト派の創立者であるジョン・ウェスレーの父親サミュエル・ウェスレーの牧師館で起きたものであるが、こちらから語りかけても、ネズミの鳴くような声しか返ってこなかったという。もしもフォックス家のようにうまく行っておれば、それがスピリチュアリズムの発端となっていた可能性もあるわけである。

フォックス家の場合は、ふたりの幼い姉妹のひとりが奇妙な叩音(ラップ)のする方向へ向かって「あたしがする通りにしてごらん」と言って手を叩いたら、それと同じ数だけ叩音が返ってきた。

「じゃ、あたしの年齢(とし)は?」と聞くと、ちょうどその子の年齢の数だけの叩音が返ってきた。こうして、その目に見えない原因の主(ぬし)と人間との間で“知的な”通信が交わされたのだった。

知的といってもあまりに素朴であり、これほどアカ抜けのしない話もないが、この現象に当代の第1級の学者たちが関心を向けたことによって、人類史の大転換期のひとつ – 王朝の没落や大軍の壊滅的敗走よりも重大な意義をもつ事件 – であることが明らかとなっていったのである。今後ともますますその意義の重大性が明らかにされていくことであろう。

かりに将来、ハイズビル事件をどこかの画家に1枚の絵画に描いてもらったら、どんなものになるであろうか。たぶん、掘っ立て小屋のような木造の平屋の居間で、その娘(こ)が笑顔で天井を向いて手を叩いている様子 – まわりでは半ば畏れ、半ば懐疑の念を露わにした近所の人々が大ぜい集まって見守っている風景を描くことであろう。

その家屋の暗い片すみでは、得体の知れない新しいエネルギーがうごめいていた。同じエネルギーが、かつても何度か活動していたのだが、それがついに地上に根づいて、人間の思想を根本から変革するまでに影響を及ぼすことになったのである。

それにしても、なぜそれほどまで重大な結果が、そんなチャチな原因を通してもたらされたのであろうか、と誰しも疑問に思うであろう。

が、ギリシャ・ローマの大思想家たちも、パウロや漁師のペテロをはじめとする無教養な弟子たちが、女性や奴隷やユダヤ教の異端者たちと共に、自分たちの博学な理論を超えたものを説き、太古からの哲学を打破してしまったことに、やはり“なぜ!?”という驚きをもったのである。

目的を成就するための手段として何がもっとも適切であるかは、神のみぞ知る問題であり、それはわれわれ人間が勝手に想像するものとは滅多に一致しないものである。

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心霊現象のメカニズム

むろん今では、その後のスピリチュアリズムの飛躍的発展によって、1848年のハイズビル村で起きた現象の詳しいメカニズムが明らかとなっている。当時はきわめて特殊な異常現象のように思われていたが、よく分かってみると、宇宙のすべての現象と同じく、きちんとした法則と条件の重なり合いによって生じていたのである。

簡単に言えば、霊界側に地上的波動をもつスピリットがいて、彼らは地上の霊媒的素質をもつ人間から発散される特殊なエネルギーを活用する方法ないし技術を心得ている。

一方、地上にそうした霊媒的素質をもった人間がいて、その両者が現象の起きやすい条件下で揃うということである。例えてみればカメラのシャッターを押すタイミングが、被写体とそれを撮る側との間でピタリ一致したようなものである。

それと同じ効果を実験室で求めて見事に成功した最初の科学者が第1部で紹介したクローフォード博士で、『心霊現象の実在』『心霊科学の実験』の2冊にまとめている。

その中で博士は、発生した物理現象の重量と同じ重量だけ霊媒の体重が減ることを確認している。結局、霊媒現象の秘密は、スピリットが霊媒のもつ特殊エネルギーを利用している点にある、ということになる。

では、一体なぜ同じ人間でありながら、そうした体質の人間とそうでない人間とがいるのであろうか。これは、音楽的天才と音痴とがいるのはなぜかという疑問と同じで、その理由はわからない。

当初は心霊現象といえば物理的なものと思われていて、テーブル現象(人間が手を触れなくても宙に浮く)や楽器演奏(人間が手を触れなくても演奏される)といった他愛ないものでありながらも、目に見え耳に聞こえるものばかりに注意が向けられた。

主要政学作その単純さが詐術行為(トリック)を生む原因ともなったのであるが、その後、それとは別に、知的ないし精神的要素の強い心霊現象もあることが分かってきた。

自動書記・霊視・霊聴・直接談話・入神談話などなど、キリストやその弟子たちが見せたのと同じものであり、それもすべて、たったひとつの霊的エネルギーの顕現であることが明らかになっている。

詐術行為を助長した原因のひとつとして、実験室を暗くする必要があったことがあげられるが、それは必ずしも絶対的条件ではなく、このあと詳しく紹介するD・D・ホームなどは、いつでもどこでもやってみせた。

それはホームの能力の偉大さを物語るものではあるが、同時に、明るい部屋より暗い部屋の方が、また、じめじめした天候よりもからっとした天候の方が、良い現象が見られるというのも事実である。

そこに、心霊現象もかなり物質的要素が関与していることの証拠があると言えるであろう。無線電信も昼間より夜間の方が鮮明であり、雨の日は聞こえにくいという事実は右の事実を裏づけているし、心霊実験では赤色光を使うのがいちばん害が少ないとされている事実は、写真家の体験と共通している。

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否定派に欠落している学問的論拠

今ここでスピリチュアリズムの勃興と発達の歴史を細かく紹介する余裕はない。全体としての動向は、そのスタートの時点から、これを大変なこととして受け止める派と、真っ向から茶番と決めつける派とがあった。

ヘア教授やグリーリ氏(3)などは、真っ先に関心を寄せ、その真実性に得心した教養ある少数派であった。それが原因で気の毒な人生をたどった著名人も各界にいた。そうしたケースは、否定する人たちの無理解がいかに非人道的なものであったかを物語るものであって、スピリチュアリズムの非を物語るものではない。

否定派は当時の唯物思想に基づくもので、この科学万能の時代にキリストの時代と同じような奇跡的現象が起きてたまるかという考えが、その根本にあった。たとえ紛(まご)う方なき証拠を見せつけられても、一瞬どきっとし、たじろぎつつも、“そんなバカな!”とやみくもに叫んで否定するだけだった。

現代の科学者もやはり根本的には唯物的であり、予想もしなかった新しい事実を目の前にすると、公明正大な学者的態度をどこかへ捨ててしまう。

たとえばマイケル・ファラデーなどは、心霊現象のような新しい分野を検討する際には、あらかじめ“有り得ること”と“有り得ないこと”とを心に用意しておくべきだなどと、とんでもないことを述べている。

トーマス・ハックスレーは、霊界通信が“たとえ本当にあるとしても”、大聖堂のある町の司祭たちのゴシップほどの興味もない、と言った。ダーウィンは、そんなものを信じるようになったら、人間もうお終いだとまで言った。H・スペンサーは、まともな検討もせずに、ただ頭から一蹴しただけだった。

が、学者のすべてがそうだったわけではない。さきに紹介したヘア教授に続いて、物理・化学者のクルックス教授、博物学のウォーレス博士、電気技師のC・F・バーレー、天文学者のフラマリオンなど、その世界的名声を危険にさらしながら、真実は真実として主張した勇気ある学者も少なくなかった。

彼らは決してお人好しの軽信家ではなかった。それどころか、詐術行為もあることを知っていた。皮肉なことに、それを暴(あば)いたのも大半は彼らだったのである。

シェークスピアだのシーザーだのと名のって出てくるスピリットを笑い飛ばして、その化けの皮をはがしたのも彼らだった。人類滅亡の予言をしたり、株投機の時機の予測に霊媒を使用する低俗さを非難したのも彼らだった。

このように、彼らは交霊会を悪用して詐欺行為をする者がこの世にもあの世にもいることを知っていながら、なおかつその奥には、動かし難い厳然たる真実があることを確信するだけの広いビジョンと健全な平衡感覚をそなえていたのである。取り巻きに不純分子がいるからというだけで重大な真実から逃げていく、腑抜けの学者ではなかったのである。

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人格と才能を兼ねそなえた霊媒、ホーム

当時の代表的な霊媒はスコットランド生まれの米国人 D・D・ホームで、スピリチュアリズム史上、最高・最大の評価を得ている。ある意味では“超人”といってもよいこの人物の特筆すべき点は、霊媒として30年近くを公衆や研究者の前に身をさらしながら、1度も報酬を得たことがなかったことで、信頼のおける理性的な人であれば、よろこんで要請に応じた。

照明はどんなに明るくてもよかった。自宅でもよかったし他人の家でもよかった。決して資産家だったわけでもなく、身体的にはどちらかというと弱い方だった。

現象は、今日知られている心霊現象で出来ないものはないほどで、それもすべて最高の形で見せた。自分自身の浮揚現象はもっとも有名である。重い物体を指1本ふれずに持ち上げることもできた。真っ赤に燃えた石炭を素手で取り、それを列席者に持たせることもできた。

物質化現象も心霊治療もできた。スピリットからのメッセージをインスピレーションで伝えることもできた。あまりの素晴らしさに、ホームを超人として崇拝の対象としようとする動きすら出はじめて、ホーム自身を困らせたこともあった。

がにそんなホームにも霊媒能力に盛衰があり、時にはまったく出なくなった時期もあった。ホームが人間としても正直者で、欲に動かされない人であることを物語る事実として、私は、そんな時にはいかなる要請にも応じなかったことをあげたい。

能力の衰えを予見して断ったこともある。パリの“ユニオン・サークル”という心霊グループから2000ポンド(現行のレートを250円で換算して50万円)の謝礼を提示された時も、きっぱりと断っている。

霊媒能力の間欠性 – つまり前回は実に見事だったのに、今回はどうも思わしくなかったりする性質 – が、時として霊媒を不純な行為に走らせることがあるのは、残念ながら事実である。道義的勇気に欠ける霊媒はそれを正直に打ち明けることができずに、下手なトリックを使ってしまう。

金銭欲に負けるケースもある。第1部でも紹介したユーサピア・パラディーノは物理現象では科学者を圧倒する驚異的なものを見せながら、人間的品性と教養に欠ける人物で、うまく行かない時は平気でトリックを使い、それが簡単にバレるために、研究者たちを面喰らわせたものだった。

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弁証法学会の“調査委員会報告書”

スピリチュアリズムの発展途上において、もうひとつ大きな時期を画したものに、1869年に公表された〈弁証法学会・調査委員会報告書〉がある。この学会はさまざまな知的職業にたずさわる学者によって構成されたもので、その目的は心霊現象の事実性を追求することにあった。

メンバーの内訳は、神学博士・内科医・外科医・エンジニア・ふたつの理科学会の代表・弁護士・思想家その他。さらに証人として招待された人の中には、博物学者のアルフレッド・ウォーレス、霊能者のエマ・ハーディング女史、D・D・ホームなどがおり、さらに、文書で証言を寄せた人の中には、詩人で政治家のリットン卿、天文学者のカミーユ・フラマリオンなど、各界の著名人がいて、そうした人々を入れると総勢50名を超えていた。

委員会は6つの小委員会に分かれていて、部門別に40回に及ぶ実験会を催している。その結果を報告書は次のようにまとめている。

1、重量のある物体 – 時には人間 – が何の支えもなしに上昇し、しばらく宙に浮いているところを目撃したと証言した者、13名。

2、出席者とはまったく別の人間またはその一部が出現し、それを手で触れたり握ったりして確認した者、14名。

3、出席者全員の両手が見える状態の中で、それらとはまったく別個の手によって身体のあちらこちら – 時にはこちらから要求した箇所を触れられたと証言する者、5名。

4、五感で確認したかぎりでは、いっさい手を触れられていない楽器が、ひとりで曲を演奏したと証言する者、13名。

5、霊媒が真っ赤に燃えている石炭を手のひら、または頭部に置いても、火傷(やけど)も毛髪の焦げも認められなかったと証言する者、5名。自分も同じ実験をして平気だったと証言する者、3名。

6、叩音(ラップ)、筆記、その他の方法でその時は知らなかった事実を知らされ、後で確認して本当であることが判明したと証言する者、8名。

7、それとは反対に、細かい情報を知らされながら、それがまったく間違いであることが判明したことを証言する者、1名。

8、人間業では不可能な速さで鉛筆と絵具を使って何枚かの絵が描かれたことを証言する者、3名。

9、何日か前、あるいは何週間か前になされた予言がその通りに実現した – “何時何分”まで正確だったものもあった – と証言する者、6名。

このほかにも入神談話・病気治療・自動書記・密室における花や果物の物品引寄現象(アポーツ)・直接談話などについての証言もある。〈報告書〉は次の“確信”の表明をもって締めくくっている。

《本委員会は、右に紹介した事実よりもさらに驚異的な現象が存在することを証言する多くの証人の高潔な性格と高度の知性、小委員会によって支持されている証言の多さ、多岐にわたった現象でいっさいの詐術も錯覚も存在しなかったという事実、さらには、現象の異常さと、それにもかかわらず全文明国のあらゆる階層においてその超自然的原因について大なり小なり関心を抱いている人たちがきわめて多いという事実、しかもその合理的説明がいまだに得られていないという事実、等々にかんがみて、この分野はこれまで以上の真剣かつ慎重な調査・研究に値するとの確信を表明する義務があると考える》

これでお分かりのように、この調査委員会のメンバーの構成にも調査報告書にも、偏見というものはまったく見られない。公表されたのが1869年で、以来、半世紀近い歳月が流れている。その間に出された研究成果や見解は大変な量にのぼるが、一部を除いて、この委員会の報告書をしのぐものは出ていない。

にもかかわらず、当時のジャーナリズムはこぞって嘲笑的態度を取った。もしも内容が正反対のものだったら、こぞって賞賛の拍手を送っていたであろうことは想像に難(かた)くない。

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物理的なものから精神的なものへ

時代はそれより数年さかのぼるが、当時の著名な数学者のデ・モーガン教授が妻との共著『物質から霊へ – 10年にわたる霊現象の研究成果」を出版している。最高の頭脳の持ち主が全力投球したものだけに、今でも読む価値のある1冊である。

その中で教授は、スピリチュアリズムがやがて物理的なものから精神的なものへ、たとえば自動書記通信へと移行していくであろうと予測している。

確かにその予測どおりの経過をたどり、最近では直接談話と心霊写真が大勢を占めている。そのいずれを取り上げても、頭から懐疑的態度を取っている者は、とても実験会に臨むことはできないほど生々しいものである。

直接談話というのは、霊媒は実験室の片隅に腰かけているだけで、その霊媒から離れた場所からスピリットの声がする現象で、現在では米国のアマチュア霊媒フレンチ女史が第1級のひとりにあげられる。かなり年輩の方で、きゃしゃな身体をしておられるが、口を塞がれていても男性的で力強い声が身辺から聞こえてくる。

私が調査した4人の霊媒の場合も、スピリットの声には生々しい実在感があって、腹話術説などは問題にならない。4人のうちひとりについては、途中で着色した水を口に含ませたが、同じ声による話が続いた。もちろん終了後その水を吐き出してもらって確認している。

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心霊写真のはじまり

OCRコナンドイルの心霊学選書162-163img
リンカーンの心霊写真

心霊写真というのは、普通に撮った写真に他界したはずの人物像が写る現象で、記録をたどると米国では W・H・マムラー、英国では F・A・ハドソンが最初に撮ったことになっている。

マムラーが撮った有名な心霊写真にリンカーン大統領が写っているものがある。うわさを聞いてリンカーン未亡人が匿名で訪れて撮影してもらったところ、左肩に手を置いた大統領が写っていた。

マムラーは最初そうとは気づかず、出来あがった写真を夫人に見せたところ、居合わせた別の女性が、「それ、リンカーン大統領によく似てますわね」と言った。そこで夫人が、「ええ、私はリンカーンの家内でございます」と言ったので、それで初めてマムラーも事実を知ったという。原板には息子の姿も写っているが、うっすらとしていて現像できないという。

スピリチュアリズムの観点から本格的に心霊写真と取り組んだのは、イングランド北西部のクルー市に住むウィリアム・ホープである。

ホープはもともと職工で、ある日の昼の休憩中に仲間のひとりをレンガ塀を背にして撮ってやったものに、その仲間とは別にひとりの女性の姿が写っていて、しかもその姿を通して背後のレンガ塀が見える。本人に見せると、それはかなり前に亡くなった姉だが、どうやってこんな写真を“こしらえたのか”と訊ねられた。その時のことをホープはこう書いている。

「当時はまだスピリチュアリズムのことは何も知らなかった。工場の仲間たちにそれを見せたところ、その中のひとりが“それは心霊写真というやつだよ。もう1度同じ場所で同じカメラで撮ってみるといいよ”と言った。その通りにやってみたら、やはり同じ女性が写っていた。しかも今度は小さい子供を連れていた。不思議なことがあるものだと思い、興味がつのっていった」

やがてホープは英国国教会の副監督でスピリチュアリズムに理解のあったコリー氏のすすめもあって心霊写真を専門的に研究するようになり、間もなく同市に住む霊能者のバックストン女史と組んで“クルー・サークル”という心霊写真専門の機関を設立した。ウィリアム・クルックス教授や牧師のチャールズ・トウィーデールもそこを訪れて実験し、文句のつけようのない成果をおさめている。

私もこのサークルが撮影した写真数10枚を検証しているが、私の知っている人で、すでに他界しているに間違いない人物の写真が何枚もあり、しかも、それと同じ写真は生存中に撮ったことはないことが確認されている。その中には私の両親と戦死した息子がいっしょに写っているのがある。息子は地上時代よりはるかに幸せそうで、生き生きとし存在感がある。

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霊魂説がもっとも妥当

こうしたさまざまな現象 – 心霊写真や物質化現象や直接談話など – にじかに接してみると、テレパシー説だの無意識の精神作用だの宇宙意識説だのが、実に愚かしく思えてくる。

どう考えても、そのすべてを合理的に説明する説は、地上界以外に五感では知り得ない世界があって、そこに住む知性をそなえた存在が組織的に地上界に働きかけている、とする“霊魂説”しかない。地上人類は、死後みんな例外なくその世界へ行くのだ。

自動書記による通信の判断にはよくよく冷静な検証が必要であることはすでに述べた。ただの潜在意識の反応といった自然な解釈も考えられる。スピリットからの通信と信じるのは最後の最後まで留保すべきである。

が、スピリット説以外の自然な解釈といっても、テレパシー説、つまり通信が宛てられた本人も知らない内容のものを、霊媒がそれを知っている誰かの潜在意識から読み取って書いたとする説だけは、それこそ不自然な解釈であることを主張しておきたい。

そこまでいくと“解釈”というよりは“神秘化”であり、SPRに所属する一部の心霊研究家のように、どこまでいっても結論の出ない無限軌道を時の果てるまで進み続けることになるであろう。

そのテレパシー説が通用しない例をあげれば枚挙にいとまがないが、中でも読者に注目していただきたい例としては、グラストンベリでの古い修道院の発掘の物語(5)を筆頭にあげたい。

これはアマチュアの霊媒を通じて届けられた自動書記通信をブライ・ボンド氏がまとめたものであるが、通信霊はかつてグラストンベリに建てられていた古い修道院の敬虔な修道士ヨハネスで、その通信が届けられた時点では、そこに修道院が埋もれているという事実はまだ知られていなかった。

が、その通信の内容があまりに生々しいので、発掘作業が行なわれることになった。そして驚くなかれ、通信に述べられている通りの位置から大修道院の廃虚が見つかった。

奇怪なことに、その通信霊はその修道院のかつての豪華さへの愛着がいまだに断ち切れず、いわゆる“地縛(じばく)霊”となって今もその場所から離れられずにいるのだという。これなどは、生者から生者への以心伝心という説では絶対に解釈がつかない。地上の当事者の誰ひとりとして、そういう廃虚の存在の事実を知らなかったのであるから…

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善霊もいれば悪霊もいる

ただ注意しなければならないのは、自動書記というのは、言ってみればどこの誰だかまったく分からない人と電話を交わしているようなもので、顔も見えないのであるから、その相手のスピリットが昨日と今日とで入れ替っていてもこちらには分からないことがあるということである。

つまり、まじめな対話の中にウソの話が混じる可能性が十分にあるということである。したがって、よほど細心の注意が必要ということになるが、これをもって霊魂説を否定する根拠とするのは見当違いである。

というのは、死後の世界の実在と個性の存続は、他の心霊現象を通して、まず間違いない事実として確立されているのである。そしてその事実の核心にあるのは、少なくとも死の直後、言い換えれば地上界にもっとも近い界層では、個性や人間性は地上時代と少しも変っておらず、したがって善人もいれば悪人もいるということである。

その善悪双方の勢力がいろいろな形で地上界へ影響を及ぼしているのが現実であるから、通信内容に低俗なものや悪意に満ちたものが混じっていることは、死後の世界の実在という事実を肯定こそすれ、否定する材料にはならないのである。

私も30年に及ぶ霊的体験の中で、イタズラ霊によってずいぶん騙され、苦い思いをさせられている。が、同時に、いやらしいこと、わいせつなこと、冒瀆的な内容の通信は1度も受け取っていない。

そういう通信がないわけではないらしい。私は実際に読んだわけではないが、話には聞いている。類は類をもって集まるで、サークルをもつ時は気心の合う人であると同時に、敬虔な心の持ち主を選ぶことが大切であろう。

まじめな交霊関係に突如として人間を欺くような要素が入ってくるのは、自動書記だけではない。霊視現象でも同じである。

私は、プロの霊視家でスピリットの容貌・容姿・姓名を見事に言い当て、そのスピリットからのメッセージでも、地上の家族や友人・知人を納得させるものを伝える、優秀な女性霊能者を克明に調査したことがあるが、その中に混じってやはり、まるまる外れた予言や肝心なところで食い違いのあるメッセージがあることを突き止めている。

なぜであろうか。なぜ将来のことになるとよく間違えるのであろうか。それにはよほど深くて複雑な要素が絡んでいるのであろうが、少なくとも一部の批評家のように、それだけで全てを“ナンセンス”として否定するような軽薄な態度は取るべきでない。

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未知の大海を前にして

私の机の上の左側にスピリチュアリズム関係の書物が並べてある。数えると96冊ある。それらを丹念に読んできて、今私が抱いている感慨は、ニュートン流の譬えを用いれば、果てしなく広がる大海原の浅瀬をヒザまでつかって歩いている少年のようなものだということである。

しかし間違いなく言えることは、未知の海が目の前にあるということ、今自分が歩いているのはそのほんの端っこにすぎないこと、そこから沖へ向かって行けば、自分の背もとどかなくなるほどの深みがあり、いずれ人類は徐々にではあってもそこへ入って行く運命にあるということである。

次章では、創造主はなぜ今の時代になってこの地球という天体に、こうした新しい知的啓示をもたらそうとしているのか、その目的は何なのかについて考えてみたい。

それさえ明らかになれば、長いあいだ嘲笑と軽蔑の対象とされてきたスピリチュアリズムが、実は人類史上もっとも重大な発見であり、その重要性にいち早く気づいた人は、新大陸を発見したコロンブス、キリストの福音の重大性に気づいたパウロ、あるいは大自然の法則を発見したニュートンにも優る人物であったという私の主張が理解していただけるであろう。

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科学と宗教が握手をする時

その問題に入るに先立って、ここで、とかく見落とされてきたことをひとつだけ指摘しておきたい。それは、これまで戦いの歴史を繰り返してきた科学と宗教が、今や互いに欠かせない同盟関係になってきたことである。

かつての教会はただ“信仰”を説くのみで、その基盤となるべき知的根拠がきわめて曖昧だった。ヒュームやボルテールやギボンなどが合理的思想によって攻撃を開始して以来、教会側に勝ち目はなかった。

続いてダーウィンの進化論が出て、キリスト教の根幹ともいうべき“堕罪説”に疑問符がつけられた。そこへ、こんどは内部からいわゆる“高等批評(6)”が噴出するに及んで、その基盤を揺さぶられるようになった。

かくして教会は後退の一途をたどり、権威を失い、大衆からの支持も失っていったが、それは同時に、霊的なものすべてに対する不信を助長することにもなっていった。そこへスピリチュアリズムが勃興した。

これには確固とした知識と生きた証拠がある。科学的根拠をそなえているということである。そこには、従来のような宗教との対立はない。堂々と科学の分野に踏み込んで握手をし、その場で個性の死後存続を証明してみせることができる。これを心霊科学といい、その目的はすでに完全に果たされ、唯物思想の息の根を止めるものをそなえた。

ところが皮肉にも、科学に代ってこんどは教会が敵にまわった。ローマ・カトリック教会や英国国教会はもとより、非国教会派や無教会派、それに“科学的不可知論派”だの“戦闘的無神論派”といったわけのわからない宗派が、それぞれの立場からスピリチュアリズムを攻撃している。

その攻撃の論拠は、当然のことながら各宗派まちまちである。が、いずれにしても、科学的根拠を基盤とする宗教的思想であるスピリチュアリズムの敵ではない。そのことは次章で明らかとなるであろう。

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訳註

【1】Lord Brougham(1778~1868)

ブルーム型馬車を最初に用いたスコットランドの政治家・法律家で、スピリチュアリズムにも理解を示した。

【2】“不幸”の意味の取りようによって、ドイルが何を念頭においていたかの推測が変ってくるが、不慮の事故としては、実験の最中に心ない出席者が勝手な手出しをして、それが霊媒へ危害を及ぼすことになった事件はいくつかある。

が、このあとドイルが“陰湿な印象”を与えたといっているところをみると、クローフォード博士の自殺を念頭に置いていたのかも知れない。その自殺の4日前に友人に宛てた手紙には次のように書いている。

「このところ精神的にすっかり参っております。2、3週間前までは至って元気だったのですが…心霊研究のせいではありません。これはとても楽しく続けてまいりました。いかなる批判にも耐えられる成果を得たと断言できることに感謝しております。ケチをつけられるところは一点もないまでに完全に実験しつくしました…」これで発作的なものだったことが推察される。

【3】Horace Greely(1811~1872)

ニューヨーク・トリビューン紙の編集者で、初期の米国におけるスピリチュアリズムの重要な存在。1850年6月にフォックス姉妹がニューヨーク市に招かれて実験会を催した時にも出席していて、現象のすばらしさと姉妹の信頼性を高く評価する記事を載せている。

【4】研究成果を公表したことで学界から白い眼で見られたり、牧師職を追われたり、最高裁判事の職を辞任せざるを得なかったというケースがいくつかあるが、こうした場合、確かに“不遇”だったかも知れないが、本人はそれを“不幸”だとは決して思っていない。内的確信があるからで、むしろ深い、魂の奥底から湧き出るよろこびを味わっているものである。

【5】The Gate of Remembrance by Bligh Bond

ジョン・アレインとヘスター・ダウデンのふたりの霊媒を使って入手した自動書記通信をまとめたもの。ボンド自身が牧師で宗教建築士で考古学者であったことが、こうした通信を受けやすくしたのであろう。未翻訳。

【6】Higher Criticism

聖書の資料や成立事情を確定するための歴史的・文学的研究のこと。これに対して、本文の字句の解釈を専門的に研究するのを“下部批評”ないし“本文批評”Lower Criticismという。

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第3章 スピリチュアリズムの科学的基盤

死後にも“身体”がある

スピリチュアリズム思想の根幹である個性の死後存続を具体的に理解する上で基本となるのは、死後も肉体に相当する何らかの身体をそなえているという事実である。材質は肉体よりはるかに柔軟であるが、細かい部分まで肉体と同じものをそなえているという。

むろんそれは地上時代から肉体とともに成長していたもので、肉眼には見えないが、肉体と同じ形体をし、肉体と完全に融合して存在している。死に際して – 条件しだいでは生きている間でも – 両者は離ればなれになり、両者を同時に見ることができる。

生前と死後の違いは、死後は両者を結びつけている生命の糸が切れて、それ以後は霊的身体のみで生活することになるという点である。肉体は、さなぎが出ていったあとの脱け殻のように、やがて分解してチリと消える。

これまでの人類は、その脱け殻を手厚く葬ることに不必要なほど厳粛さを求め、肝心の“成虫”のその後の事情については、実にいい加減な関心しか示さなかった。

そのことの責任を科学の怠慢と決めつけてみても致し方のないことで、肉体の死をもって生命の終りとする唯物的生命観は、宗教以上に無謀な独断(ドグマ)だった。

決して少ないとはいえない不思議な現象をまじめに調査しようとしない科学が、死後の存続の事実を認めようとしないのは当然のこととしても、それに代って科学が主張する説は、お粗末きわまるものばかりである。

その科学界にあって思い切って調査と研究に手を染めた学者たちは、事実上、全員一致で霊魂説を主張している。

そのひとりであるウィリアム・クルックス博士は、王立協会(英国学士院)の事務局長のジョージ・ストークス卿が博士の研究報告書を協会の機関誌に掲載することを拒否したことから、ぜひ1度自分の実験室へ来てよく見ていただきたいと要望したが、それに応じることなく、拒否の態度を固持した。

私もある科学界の大御所に検証をお願いしたことがあるが、応じてくれなかった。こうした態度を取る科学界にどれほどの存在価値があるのであろうか。ちょうどガリレオの時代のローマ・カトリック教会が、ガリレオが差し出した望遠鏡をのぞくのを拒否しつづけたのと同列である。そこにあるのは、まさしく“偏見”である。

私がざっと調べただけでも、まじめに心霊現象を検証して、その実在を是認した学者は50名を超える。その中には時代を代表する顔が少なくない。カミーユ・フラマリオン、チェザーレ・ロンブローゾ、シャルル・リシェ、アルフレッド・ウォーレス、ウィリー・ライケル、フレデリック・マイヤース、ヨハン・ツェルナー、ウィリアム・ジェームズ、オリバー・ロッジ、ウィリアム・クルックス等々…

調査結果を公表する権利を堂々と行使した学者によって、心霊現象の真実性は完全に実証されたと断言して差し支えない。しかも、過去30年にわたる私自身のスピリチュアリズム研究で確認したかぎりで言えば、正面からこの分野の研究に取り組んで最終的に霊魂説を受け入れなかった学者は、ひとりもいないのである。むろん、もしかしたらどこかにいたかも知れない。が、繰り返して言うが、私はそういう人の話題を、ついぞ耳にしたことがないのである。

こうした事実を背景として、私はこれから自信をもって、パウロのいう“霊的身体(スピリチュアル・ボディ)”(1)に関する最新の通信を分析してみようと思う。

バイブルを読んだかぎりでは、パウロはなかなかの霊的知識をもっていたようである。そのひとつがこの霊的身体を物的身体(ナチュラル・ボディ)と区別していることである。彼は“肉体と霊”という言い方はしていない。物的身体と霊的身体とがあり、それに霊が宿っていると考えていたことは明らかである。これはまさに現代の心霊科学が突き止めたことと同じである。

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体外遊離体験の不思議

体外遊離という現象がある。気がつくと自分の肉体のそばに自分が立っていたり、すぐ上のあたりを漂っていたという体験や、遠く離れた場所へ行って見たり聞いたりした話をして、それが事実だったという体験もある。私自身も、歯科医院で麻酔をかけられて昏睡中に、妻と子供たちが車に乗っているところを鮮明に見て、あとでそれが事実だったことを確認している。

また、気絶しかかっている時とか死にかかっている時に、遠くにいる人に姿を見せた話は実に多い。これを“生者の幻影”などと呼ぶが、マイヤースとガーニーのふたりが蒐集して分類したものだけでも数百例を数える。それを睡眠中などに意識的に行ない、特定の場所をきめて訪問して帰ってくることができる人がいる。

こうした夥(おびただ)しい例は、人間が肉体以外に目に見えない素材でできたもうひとつの身体をもっていることを裏づけていると言えるであろう。

英米で出版社を経営しているアイザック・ファンク氏は『心霊現象の謎』という本を著している。その中に実に興味ぶかい米国人医師の体験が載っている。

フロリダの自宅での出来事であるが、その医師が持病の強硬症の発作で気を失っている間に、ふと気がつくと、そばに自分の身体が横たわっている。が、それを見ている自分の身体も、倒れている身体とそっくりであることに気づいた。

その時ふと、遠くにいる友人のことが頭に浮かんだので、行ってみようと思ったら、間もなくその友人のいる部屋に来ていた。近づいてその友人を見つめると、その友人も自分の存在に気づいたような眼差しで見返した。

そのあとすぐに自分の家に引き返してみると、相変らず肉体は硬直したままの状態で横たわっている。そこでその医師は、このままずっと肉体から離れたままでいようか、それとも戻るべきだろうかと真剣に考えた。が、やはりまだ死ぬべきではないと思って肉体に戻ったという。

肉体に戻って意識を取り戻すとすぐ、さっきの友人のところへその事実を書いた手紙を送った。すると“それと入れ違いに”、その友人からも手紙が届いて、“君が部屋に来ているような感じがした”と書いてあったという。時刻もちょうどその頃になる。その友人は当の医師からの手紙を読んでからそう書いたのではない。入れ違いに届いたのである。そこが肝心なところである。

では、一体この第2の身体は何なのであろうか。そしてまた、新しい霊的啓示の中でどう位置づけられるのであろうか。

何なのか – この定義はきわめて難しい。が、実体験として霊視能力者の目にはありありと映じているし、霊聴能力者にはその声が生々しい響きをもって聞こえているし、心霊写真では確かにフィルムに感光している。このことに関して私は自信をもって断言できる証拠を手にしている。

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霊界はすぐ身のまわりにある

天文学者の話によると、感光板は人間の網膜よりも微妙な感度をそなえていて、天体望遠鏡を長時間露出しておくと、肉眼では見えない星が感光しているという。満天の星を見上げてきれいだと思っていたら、天文学の発達によってそれ以外にも目に見えない星が無限大に存在することが明らかになった。

それと同じで、死んでいなくなったと思っていた人類の先輩たちは、そのままの個性をたずさえて別次元の世界で元気に生き続けていることが分かってきた。それは遠いどこかではなくて、すぐ身のまわりにあるらしい。

霊媒を使ってその世界と連絡を取ってみると、思いも寄らなかった事実が次々と明らかとなってきた。写真霊媒がカメラを手にすると、その感光板に、すでに死んでいるはずの愛する人の顔が写っている。

物理霊媒による交霊会では、クルックス博士の実験室で起きたように、生前と少しも変らない身体をまとった、しかも美しい容貌の女性霊が出現して、列席していた外科医がその手を取ってみたら脈拍まで打っていたという。

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英国学士院のガリー博士がケーティ・キング霊の脈を計っている有名なシーン

直接談話の交霊会ではメガホンが拡声器のような役割をして、大きな声で生々しくしゃべりかけてくる。ある日、他界したばかりのその家の主人が出現して、戸外にまで響くほどの声でしゃべったので、小屋につないであった愛犬がその声を聞いて興奮し、クサリを切ってドアのところへ来て、激しく前足で開けようとしたので、そのドアに傷跡がついたという。

このように、霊的身体が何でできていて、どういう構造になっているかはまだ未知の問題として、その存在を示す事象はバイブルその他の古い文献にもあるし、近代スピリチュアリズムに至っては厖大な資料が存在する。

そこで、その存在自体を自明の事実と認めた上で、ではそれが“死”の現象でどういう過程をへてどういう変化をたどるのかを、人間側から霊視した観察記録と、霊界側から観察して伝えてきてくれたものを総合して見てみたい。

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“死”の現象

死に方にもいろいろなケースがあるが、ここでは取りあえず死の床での自然死の場合を例にして、死の現象を見てみよう。

死期が近づくと霊体が肉体から離れる。その時は何の痛みも苦しみもない。そして、肉体とそつくりの形を整えて、死の床のそばに立つ。意識も感情も記憶も、肉体に宿っていた時そのままである。危篤の知らせを聞いて集まった家族や知人の姿が生前そのままに見えるし、泣き声や話し声が全部聞こえる。なのに、そこに立っている自分の存在には誰ひとり気づいてくれない。

肉眼がないのになぜ見えるのであろうか。私が歯科医院で昏睡状態になっている間に妻子を見た体験についてもそれが言えるし、フロリダの医師が卒倒している間に友人宅を訪ねた体験についても言える。しかし、こればかりは、霊的身体にそういう視力がそなわっているから、と答える以外には、はっきりしたことは何も言えない。とにかく見えるのである。

霊視能力者には薄モヤのように輪郭だけが見えるという。そして肉眼にはまったく見えない。ところが、同じ界層のスピリットどうしには、この地上でお互いを見るように、きわめて自然で実体をともなって見えるというのである。

その霊的身体も、時の経過とともに洗練されたものになっていくという。したがって当然、死の直後の方が何か月も何年もたってからよりも、肉体に近い要素を残しているわけであるから、フロリダの医師が友人宅を霊体で訪れた際に友人の方もその医師の存在に気づいたのは、それほど物質性をそなえていたということを物語っている。

さて、地上時代に仕入れた精神的なものをもれなく霊的身体に積み込んで出航した自我は、その後、未知の大海でどういう航路をたどるのであろうか。それについても、他界した先輩たちから送られてきた口頭と筆記による情報が豊富に存在する。

口頭によるものは入神(トランス)状態の霊媒の発声器官を使ってスピリットが語ったものであり、筆記によるものは、同じく入神状態(時には通常意識のまま)の霊媒の腕を使って書き綴ったものである。

「何というバカげたことを!霊媒はただインスピレーションを受けている“ふり”をしているだけではないのか?」 – そんな批判の言葉が聞こえてきそうである。実はこれはきわめて健全な懐疑的態度であって、霊媒現象を目の前にした時は、常にこうした“疑ってかかる”態度が必要なのである。

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プライベートな秘密ほど証拠性が高い

では、その真実性の証拠をどこに求めるのかということになるが、これは、その通信の内容を検証する以外には他に何の手掛かりもない。端的に言えば、霊媒が知っているはずがないプライベートなことを述べていることが最も有力な証拠であり、それをテレパシー説 – 霊媒が出席者の心の中から読み取って述べた – などという飛躍した説で片づけるべきではない。

内容を私は、大勢の方に、ある信頼のおけるプロの霊媒を紹介してあげている。その際、結果を正直に報告してくれるようにお願いしてあるが、その方たちからの驚きと感謝の手紙を数多く受け取っている。

「素晴らしい掛けがえのない体験をさせてくださって感謝いたしております。霊媒の方は関係者の名前をひとつも間違わずに述べ、その人たちに関する話は何もかも正確でした」

このように述べる女性の場合、ご主人との間で、あることに関して意見の食い違いがあって混乱していた。そのご主人が亡くなってから、右の霊媒を通して事の真相を教え、誤解の原因は何通かの手紙が届かなかったことにあり、届かなかった理由はこうです、と明快に述べたのだった。

次のケースも夫婦間の問題であるが、こちらの場合は奥さんの方が他界している。そのご主人が言うには「交霊会は大成功でした。とくに私がデンマーク語で語りかけると、(デンマーク人の)妻は英語で答えてきた」ということである。

そのほかに友人どうしのケース、母親と息子のケース。とくに第1次大戦で戦死した子息と声の対面をしたケースが多く、「よい霊媒を紹介してくださって有り難うございました」という礼状を沢山いただいている。

むろん全てが成功だったわけではない。完全な失敗に終ったケースもある。が、その失敗の数は、全体の割合からいうと、英国の公衆電話の故障の回数よりも少ないといっても過言ではない。

私に言わせれば、これだけの事実を前にしてなお死後の存続を否定するには、そうした事実を“無視する”か“歪曲する”しかない。

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スピリットを試すのにも紳士的態度を

前にも述べたように、健全な懐疑心は正確な観察の基本であるが、その“懐疑”がこうじて“不信”になると、“故意の無視”という態度を生むに至る。故意でないというのなら“無能”ということになってしまう。が、そういう態度で済ましていられる時代は、もうとっくに過ぎ去っているのだ。

右の霊媒が初めて私を訪れた時、私の家で死亡した女性の呼び名を言い当て、その女性の性格の特徴をいくつか述べ、私の家で今も飼っている2匹の犬のことを述べ、最後に、若い将校が金貨を見せて「この話を出せば誰であるか分かるはずです」と言ってますよ、と言った。その通りであった。

陸軍の軍医だった義理の弟が第1次大戦で戦死していた。その金貨は私がプレゼントしたもので、彼はそれをいつも首飾りにつけていた。そのことを知っているのは親戚中でもせいぜい2、3人で、その者たちはそこには居合わせていなかったから、これもいい証拠となった。霊媒の述べたことの中には曖昧なこともいくつかあったが、間違いはひとつもなかったのである。

この話を私が記事にして公表したところ、何人かの新聞記者がその霊媒を訪ねてテストしたらしい。その中にはまずまずの成果を得た者もいたが、まったく何の手応えもなかった若い記者もいたらしい。

参考までに申せば、霊媒というのはスピリットが働きかける通路であって、霊媒自身が言い当てているのではない。したがって、面白いネタを求めてやってきた若い記者に本気で応対しないことだって有り得るのである。

気のきいたスピリットになると、そんな小生意気な若者を相手にするよりも、最愛のわが子を戦争で失って生きる意欲をなくしている母親に、その子が死後も元気で生き続けていることの確証を与えてあげることの方に心を砕くものなのである。

まるで警察が強制捜査に踏み込む時のよな態度で臨めば、スピリットの側もそれに対抗して、愚弄した態度に出ることだって十分に有り得る。霊的なことについての真相を追求する際には、紳士的態度が必要なのである。

私はひとりの女性霊媒を取りあげてその能力を紹介したが、その目的は、霊媒が口にする情報はその霊媒自身から出ているのではなくて、その霊媒を通してスピリットが提供しているという事実を知っていただくことにある。

文章で綴られる自動書記通信の場合も同じである。いずれの場合であっても、情報に間違いがないわけではなく、まったく情報らしい情報が得られない場合だってある。内容が曖昧なものもある。

が、これまでに入手された厖大な霊界通信を総合的に見た時、偶然の一致説とか詐術説では絶対に片づけられないものが必要かつ十分に揃っており、死後の世界は間違いなく存在し、その世界との間に交信が確立されていると断定してよいと考える。

霊界通信は、その世界の生活者が霊的身体を使って、霊媒という媒体を通して送ってきたものである。霊的身体の存在は太古からさまざまな形で語られており、現代ではカメラにもおさめられている。

さらには、条件さえ揃えば、一時的に人間と見紛うほどの生々しい物質をまとって出現し、実験室内を歩きまわり、出席者とおしゃべりを交わしている。それをクルックス博士の研究報告に見てみよう。

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空前絶後の物質化現象

博士の数年に及ぶ研究成果をまとめた著書に『スピリチュアリズムの現象の研究』というのがある。

D・D・ホームやフォックス姉妹、それにフローレンス・クックといった霊媒による現象を、数年間にわたって研究したものであるが、圧巻は当時16歳だったクック嬢を18歳になるまで徹底的に調査・研究したもので、場所はおもに博士宅の実験室を使い、その一部を黒いカーテンで仕切ってキャビネットとした。いずれの実験にも信頼のおける知人や友人を数人招待して、証人になってもらった。

数ある現象の中でも劇的だったのは、地上時代にケーティ・キングと名のっていたという女性霊が、頭のてっぺんから足の先まで完全に物質化して出現したことで、それがまた、顔だけでなく容姿や身のこなしが殊のほか美しかった。そのケーティが列席者の間を歩きまわってひとりひとりと言葉を交わし、とくに子供との対話を楽しんでいたという。

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ケーティ・キングの物質化写真。クルックス博士とケーティとが並んで撮った有名な写真

博士はその様子をケーティの許可を得た上で40数枚の写真(2)に収めている。その中でとくに注目されるのが、英国学士院のガリー博士がケーティの脈を取っているシーンで、霊媒のクックが90だったのに対して、ずっとゆっくりで、75だったという。(175ページ写真参照)

足かけ3年に及んだ調査も、ケーティの使命終了宣言をもって終止符が打たれた。ある日の実験が終ってからケーティが、「私の使命もこれをもって終了しました。もう2度と出てまいりません。あちらで別の仕事が待っておりますので…」

と言い、その言葉どおり、それきり出なくなった。ケーティがそれこそ身を危険にさらしながら証明してみせた死後存続の事実が有りのままに理解されていたら、ケーティの使命終了宣言は唯物思想の終焉宣言となっていたはずである。

さて、白を黒と言いくるめる人間は別として、正直な心の持ち主は、こうした話をどう受け止めるであろうか。クルックス博士は実は恥知らずの大ウソツキだったのではないか。

でも、同じ実験室には大勢の証人がいたのである。いちばん多い時は8人もいた。霊媒のクックが変装しただけだろうという疑問に対しては、ふたりがいっしょに写っている写真がその疑問を打ち消してしまう。(3)では、博士は何かのトリックにまんまと引っ掛かっていたのであろうか。

それは、その報告書を読めばまず有り得ないことがわかる。その用意周到さ、トリック防止策を読んでもなお猜疑心が消えないようでは、その人の頭の方が少しおかしいのではなかろうか。

最後に指摘しておきたいのは、歴史を繙(ひもと)いてみれば分かるが、霊的現象とされるものは数かぎりなく存在している。が、これほど絶対的といってよいほどの物的証拠を残したものがあったであろうか。

キリスト教関係者に申しあげたいのは、こうした話にすぐに敵対的な態度を取ったり、悪魔の仕業にしたりしないで、唯物主義に対する最終回答ともいうべきこうしたクルックス博士の研究を有り難く受け止めるべきだということである。唯物主義こそキリスト教にとって最も危険な敵だったのではなかろうか。

今こうして綴っている机の上に、あるキリスト教の役職についている方からの感謝の手紙が置いてある。それにはこうある –

《…私はこのまま家に帰るのが怖くなりました。もはや偽善者の態度は取れません。私の信仰の変化はきっと家族を深い悲しみの淵に落とすことでしょう。しかし、あなたの著書を読んで、私は言うに言われぬ安らぎを得たのです。これからの人生を快活に生きて行く勇気が湧いてきました…》

これが“悪魔の木”になった果実であろうか。スピリチュアリズムに対して及び腰の態度しか取れないキリスト教指導者に、再思三考を促したい。

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霊界から届けられた“うれしい便り”

以上で、死んだと思っていたわれわれの先輩が実はどこかで生き続けていて、その一部の人たちと連絡が取れたということが、間違いない事実であることに納得がいかれたことと思う。

そこで、当然生じてくる次の関心は、彼らは今どこでどうしているのか、どういう環境のもとで生活しているのかということであろう。これはわれわれにとっても大問題である。なぜなら、死はいずれわれわれに例外なく降りかかってくる問題であり、もしかしたら明日にでも彼らのいるところへ赴くことになるかも知れないからである。

うれしいことに、これまでに得た“便り”は楽しいことばかりである。人類へのメッセージとして、これほど重大な意味をもつものはないと私は考える。いたずらに恐怖と幻想の世界へ閉じ込めてきた、おどろおどろしい想像の産物である天国と地獄などは、どこにも見られない。

いずれも“健全”であり、“穏当”であり、“段階的進化”の大原則にも適(かな)っていて、“理性”が納得するものばかりである。創造主の概念も、これまでのような、わがままで執念深い虐待者のイメージなどは、みじんも見られない。

地上生活のすべてを述べ尽くすことが不可能であるように、死後の世界についても、そのすべてを語り尽くすことは不可能である。しかし、人類史上、このたびほど具体性をもって語られたものは他に見当たらない。

そう判断する大切な根拠は、スピリットからのメッセージの中に、自分たちの世界のことばかりでなく、われわれの地上世界についての正確な情報も含まれているということである。地上世界の事情に通じている者が、自分自身がいる世界について間違ったことを伝えてくるということは、ちょっと考えにくい。

そして、もうひとつ大切な根拠は、無数の霊能者を通じて届けられている情報に驚くほどの共通項があるということである。“正真正銘”のレッテルを貼る審査基準というものは存在しなくても、人間の常識的判断基準に照らしてみた時、そのすべてに適っている。

そうしたメッセージ、私のいう新しい啓示を公表した書物は、駅の売店や市民図書館などでは見かけない。が、それでいて信じられないほどのロングセラーを続けているという事実は、無理解による障害はいろいろとありながらも、人知れず求道(ぐどう)に励んでいる人々がいることを物語っていると私はみている。そうしたロングセラーの1冊として、これから『レーモンド』を取りあげて、その概略を紹介したい。

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“死”を隔てた父と子の感動的体験

これは大型判の400ページから成る大著で、“生と死”という副題がついている。3部で構成されており、第1部は長男であるレーモンドの生い立ちから戦死に至る短い一生が追憶の形で語られている。

第2部はロッジ卿自身が複数の霊媒を通じて得た超常体験で、これが本書の主題である。そして第3部は「生と死」と題するスピリチュアリズム思想を土台としたロッジ卿の生命観で、科学者であると同時に哲学者でもある卿の高邁な思想が披露されている。

第2部の超常体験には生前親交のあったフレデリック・マイヤースやリチャード・ホジソンなどからの通信に基づくものが多く、ロッジ卿自身は早くから死後の個性存続を信じていたが、その後、戦死した息子にまつわる体験が連続して発生するに及んで、その確信は揺るぎないものとなった。その中から戦地での写真にまつわるエピソードを紹介しておくと –

レーモンドが戦死したのは1915年9月14日である。それから2週間後に開かれたピーターズという霊媒による交霊会で、ムーンストーンと名のる支配霊がこう述べた。

「お子さんが戦死される前に立派な写真を撮っておられますね。2枚…いや3枚。2枚はひとりだけのポートレートで、もう1枚は他の将校たちといっしょのもので、お子さんはそのことをしきりに告げてほしがっておられます。その1枚にはステッキを手にした姿で写っているそうです」

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レーモンド(出征前のポートレート)

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戦地でのレーモンド(前列の右からふたり目)

この時点でのレーモンドの軍服姿の写真は、戦地へ赴く前に撮った前向きと横向きの2枚のポートレートがあるのみで、グループで撮ったものがあることはロッジ家の者は知らなかった。そこで関係者を通して調査してもらったところ、その事実に間違いないことが明らかとなった。

そして12月になってその写真が送り届けられた。同じ頃、戦地から届けられたレーモンドの遺品を片づけていた母親が、“戦場日誌”の中に“写真撮影、8月24日”という記載を見つけた。ロッジ夫人はその時のことをサイン入りでこう証言している。

《4日前(12月6日)、私は戦地から届けられたレーモンドの遺品の中にあった日誌をめくっておりました。縁に血がついており、その血でページとページがひっついている箇所もありました。その時ふと、そのページのひとつに“写真撮影”とあるのを見つけて驚きました。

日付は8月24日となっておりました。私はそのことを、その日の日記にこう書き入れました – 〈12月6日。初めてレーモンドの日誌を読み、“写真撮影、8月24日”の記録を確認〉と。 1915年12月10日 メアリ・ロッジ》

本書の価値は、当時の著名な霊媒、それもたったひとりでなく数人を通して個別に入手した情報を、当時のヨーロッパの知性を代表する世界的な科学者が細かくチェックした上で編纂したという点にある。

霊界の聡明な息子と、必死に真相を求める地上界の父親との、真剣でしかも愛情あふれる交霊は、初めて霊的なものに触れる人はもとより、すでに交霊というものの実在を信じている人にも改めて感動を与えずにはおかない。

私は、これは人類にとっての貴重なドキュメント – もしかしたら近代における最も重要な文献のひとつであると言っても過言ではないと思っている。とにかく死後の世界の実在を扱ったものの中でも、とりわけ信頼度の高いものであることだけは確かである。

それも、一方的に霊界側から主張してきたものと違い – そういうものも率直さと真摯さがあってそれなりに良さがあるのであるが – 一見なんでもなさそうな事柄を時間を掛けてひとつひとつ押さえていく手法が用いられてあって、かえって説得力がある。

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霊媒現象のメカニズム

ここでもう1度原点に立ち戻って、いったい霊媒現象とは何なのか、そのメカニズムはどうなっているのかを観てみたい。

よく聞かれる質問に、スピリットはなぜ特別に知性も道徳性も高いとは思えない人を通して通信を送ってくるのか、というのがある。中にはそれでお金を取る人もいる。

一見なるほどと思いたくなる疑問であるが、分かりやすい譬え話でいうと、それはわが子から電報を受け取った親が、なぜあの子は電報局などを通して連絡してくるのだろう。電報局に勤めている人は格別に徳性が高い人たちとも思えないのだが…直接連絡してくれればいいのに、などと思っているようなものである。

霊媒というのは、その電報局員と電信機とがいっしょになったような存在であって、言わば機械にすぎない。霊媒自身が通信を出しているわけではない。特殊な受信能力をもった霊媒を通し異次元の世界から送られてくるのである。

では、なぜ特殊な人だけがそういう能力をもっているのであろうか。

これも興味ある問題であるが、前にも言った通り、これは、音楽の天才と音痴とがいるのはなぜかという問題と同じで、“なぜ”ということには何とも言えない。

ただ霊媒の場合にはっきり言えることは、能力といっても、積極的に何かを生み出す能力ではなく、スピリットという外部からの力に“使ってもらう能力”、ということで、これは物理的現象の場合も精神的現象の場合も同じである。

霊媒によっては、個性が消えて、スピリットに完全に司(つかさど)られてしまうタイプがある。その間、霊媒本人は完全に無意識状態にあり、自分を通してどんなことが行なわれたのか、まったく知らない場合もあれば、肉体の留守をスピリットにあずけて異次元の世界を旅してくる場合もある。

別のタイプに、意識はちゃんと維持しながら、同時に霊的感覚を働かせて、スピリットの姿を見たり、そのスピリットからのメッセージを受け取ったりすることができる人もいる。

その場合のメッセージの受け取り方も、霊能者によってさまざまで、姓名や住所が強く印象づけられる人もいれば、目の前にそれが綴られるという人もいる。直接聞かせてくれるという人もいる。「まるで大声で叫んでるみたいです」という。

自動書記の場合でも、完全に無意識になる人もいれば、腕の神経と筋肉だけがスピリットに使用されて、そのほかは普通の状態のまま – たとえば読書をしたり、立会人と会話を交わすなど – を維持できる人もいる。

物質化現象になると、霊媒からパン生地のようなものが出てきて、それが人体の一部、たとえば手先や顔になったり、頭のてっぺんから足の先まで完全な形体を整え、実験室を歩き回ったり、列席者と談笑したりすることすらある。また、棒のような形になって、それが部屋に置いてある家具を動かしたり持ち上げたりすることもある。

機械工学のクローフォード博士や精神科医のシュレンク・ノッチング博士、ノーベル賞学者のシャルル・リシェ教授、内科医のグスタフ・ジェレー博士といったそうそうたる面々によって、可能なかぎりの多角的研究がなされている。(その成果を箇条書きにまとめたものを第4章の訳註【4】に掲げてある – 訳者)

第1部でも述べたことであるが、大切なことなので敢えてもう1度繰り返すが、実験会というものは“のぞき趣味”的ないい加減な気持でやってはならない – あくまでも厳粛な気持と細心の注意をもって臨むべきである。

そして、その体験によって見えざる世界の実在とこの世との連続性を確信したなら、それは心霊実験がもたらす唯一の、そして最大の恩恵にあずかったのであるから、その後は霊界からの啓示がもたらす教訓を現実の生活に生かすことに徹し、いつまでも心霊実験に関わり合っていてはいけない。

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スピリットの更生を目的とした交霊会もある

心霊実験会とは少し趣(おもむき)を異にするものに交霊会というのがある。信頼のおける霊媒を囲んで5人ないし10人程度のメンバーで定期的に催すもので、いわゆる霊示と呼ばれる高級霊からの啓示は、そうしたサークルで入手される。それは霊界側で計画的に推進されているもので、人間側の勝手な思惑でやっても、高級霊はそう簡単には応じないことを知るべきである。

サークル活動でいつも問題となるのが、イタズラ霊や邪霊の暗躍である。そうした低級霊による悪影響はたしかに存在し、用心しなければならないことは言うまでもないが、それを悪魔の手先による仕業のように考えて、怖じ気づいたり敵対心を抱いたりするのも禁物である。

その理由は、いくら邪悪なスピリットでも、もともとは同じ人間であり同胞なのである。ただ考え方が正道から外れているというだけで、お互い進化の途上にありながら、彼らは少し道草を食っているにすぎない。

そうさせた原因は多分に地上的環境にあったのかも知れない。そういう理解のもとに、隣憫と同情と祈りの心をもって接し、反省を促すくらいの寛大な心が望ましい。

海軍提督のアズボン・ムーア著『かいま見た次の世界』に、そうした低級霊の更生を目的とした米国のサークル(4)が紹介されている。

人間の常識で考えると、その種のスピリットは霊界の方で更生手段を講じてくれればよさそうなものであるが、そこには“波動(オクターブ)の原理”というものがあって、いつまでも地上界に未練をもつスピリットは、身体は霊界にあっても、馴染んでいる世界は地上的波動に包まれていて、高級霊との接触が取れない状態にある。

そこで地上のそうしたサークルに案内して霊媒の身体に一時的に宿らせ、サークルの者たちと語らせる。むろん霊界と地上界との協調関係があってはじめて出来ることである。

次章では、新しい啓示によって明らかになってきた死後の世界に深く足を踏み入れてみたい。

OCRコナンドイルの心霊学選書190-191img
MAN’S BODIES
MENTAL 本体 奇魂(くしみたま)
ASTRAL 霊体 幸魂(さきみたま)
ETHERIC 幽体 和魂(にぎみたま)
PHYSICAL 肉体 荒魂(あらみたま)

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訳註

【1】Spiritual Body

“霊体”と訳されることが多いが、パウロがいっているのは Natural Body すなわち物的身体(肉体)とは別個の“霊的な身体”という意味である。かつては“霊体”と呼んでも差し支えなかったが、その後の心霊学の発達でその霊的な身体にも、前ページのイラストでごらんの通りの3種類があることが判明し、さらにそれが日本の古神道と一致していることから、浅野和三郎が幽体・霊体・神体(本体)という用語で呼称したために、使い分けの必要が生じた。

【2】原本の Researches in the Phenomena of Spiritualism によると、ケーティ関係の写真は44枚撮影したという。が、ケーティの希望で公表されなかった。したがって原書には1枚も掲載されていない。

クルックス博士の死後解禁になって書物や雑誌に公表され大センセーションを巻き起こしたが、その騒ぎの中で原板が行方不明になったり破損して使えなくなったりしたものもあって、現在は半分も残っていないという。本書で紹介したのは私が英国の Mary Evans Picture Library に特別に依頼して、現存する残り全部をプリントしてもらったものの中から選んだ。

OCRコナンドイルの心霊学選書192-193img
ケーティとクックが別人であることを確かめた時の様子

【3】その点を確認した時の様子をクルックス博士は次のように報告している。

《次に昨夜の実験会の様子であるが、ケーティが昨夜ほど完璧に物質化したことはなかった。初め部屋中を歩きまわり、親しく列席者と話を交わしていたが、やがて私に向かって、今夜は自分とクック嬢とをいっしょにご覧にいれたいと言う。

私はさっそくガスランプを消して代りに燐光ランプを手にして、キャビネットの中に入った。暗いので用心して入り、手探りでクック嬢を探したところ、床にうずくまっていた。私はヒザを折ってランプを近づけ、空気を入れて灯りを大きくした。その灯りの中に見えたクック嬢は、夕方に見かけた時と同じく黒のビロードの服をまとい、見た目には無感覚状態だった。

事実、私が手を取っても、灯りを顔に近づけてもピクリともせず、静かな息づかいをしていた。それからランプを高くかざしてみると、すぐそばにケーティが立っている。今しがた実験室で見たのと同じ、流れるような白い服をまとっていた。

私はヒザを折ったままの姿勢で片手でクック嬢の手を握り、もう一方の手でランプを上下に動かして、ケーティの全身に光を当ててみた。その瞬間私は、自分はまぎれもなく物質化霊のケーティを見ているのだ – 幻影ではない、と確信して、心の奥に深い感動を覚えた。その間ケーティは何も言わなかったが、その私の心中を察してか、静かにうなずいてニッコリとほぼえんだ。

私は握っている手が生きている女性の手であることを確かめるために、足もとにうずくまっているクック嬢に灯りを近づけて見つめること3回、さらにその灯りをケーティにも当てて徹底的に観察した。そしてその客観的存在について一点の疑念もはさまない段階に至ったのだった》

【4】同じく霊媒を中心として行なう催しでも、おもに現象的なものを目的とするものを“実験会”といい、霊言を中心とするものを“交霊会”というが、さらにスピリットの更生ないしは霊的覚醒を目的としたものを“招霊会”ないしは“招霊実験”という。

いずれの場合も背後霊団が控えていて高級霊がその指揮に当たっているが、いかに高級霊が働いていても、受信装置である霊媒の波動が乱れては、イタズラ霊につけ入られることになる。霊媒の波動を高め、強化し、守るのは出席者の調和である。

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第4章 向上進化を基調としたスピリットの世界

啓示の信憑性を決める3つの条件

死後の世界に関する情報を伝えてくれるものとしてまず第一にあげたいのは、現実に今その世界で生活しているスピリットから送られてきたメッセージである。すでに述べたことだが、この新しい啓示は次の3つの点においてその信憑性が十分に裏づけられていると考えてよい。

ひとつは、バイブルにいう“しるし”が実験会における心霊現象という形で伴っていること。もうひとつは、多くの場合、スピリットが指摘する地上時代の事実が正確であり、霊媒がテレパシーや無意識の記憶によって知っていたという説明では、とうてい片づけられないものであること。

そして3つ目が、複数の霊媒からいろいろな手段で個別に入手されたものであるにもかかわらず、その内容は、完全にとは言わないまでも、きわめて類似しているという事実である。

とくに注目すべきことは、死後のある一定段階から先のことになると、意見がまちまちになってくることで、やはり、スピリットになったからといってすぐに全知全能になるわけではなく、われわれと同じく、高等な次元のことに関しては深く瞑想する必要があるということである。従って、たとえば生まれ変り(再生・輪廻転生)の問題になると、見解に大きな食い違いが見られる。

ただ、私見によれば、総体的に言えば再生を否定する見解の方が多いようである。しかし、数こそ少ないが、これを肯定する見解を述べるスピリットは、他の問題に関してきわめて信頼性に富むことを述べている。その事実に鑑みて、この問題に関しては柔軟な態度を持つべきであると考える。

さて、本論に入る前に、2番目にあげた事実を裏づける良い例を紹介しておきたい。これは、スコットランドの港町グラスゴーに住むフェニックス氏を霊媒とする直接談話の交霊会の記録で、司会者(さにわ)はスピリチュアリズムの世界では知らぬ者のないアーネスト・オーテン氏(1)である。スピリットの声はメガホンの中から出ていた…

声「今晩は、オーテンさん」
オーテン「今晩は。どなたでしょうか」
声「ミルと申します。あなたは私の父をご存知です」
オーテン「いいえ、私はそういうお名前の方は存じませんが…」
声「いえ、ご存知です。先日、父と話をなさったばかりです」
オーテン「そうでした。今思い出しました。ほんの行きずりのご縁でお会いしました」
声「父に私からのメッセージを届けていただきたいのですが…」
オーテン「どんなことでしょう?」
声「先週の火曜日の真夜中の出来事を父は“気のせい”にしていますが、そうではないと、ただそれだけお伝えください」
オーテン「わかりました。そう伝えましょう。あなたは他界なさってもう長いのですか」
声「かなりになりますが、こちらの時間はそちらとは違いますので…」
オーテン「地上では何をしておられましたか」
声「軍医です」
オーテン「死亡の原因は?」
声「軍艦に乗っていて被弾しました」
オーテン「ほかに何かご用は?」
この質問に対する返答は、ベルディの歌劇”トロバトーレ”の中のジプシーの歌を口笛で吹いた。音程は正確で、そのあとダンスのクィックステップの曲が聞こえ、「これは父へのテストケースです」と述べた。

オーテン氏は実験のあとすぐさまミル氏を訪ねて事の次第を述べた。ミル氏はスピリチュアリズムには関心のない方であるが、オーテン氏が述べたことはすべて正確であることを認めた。息子さんの死亡原因も本人の言った通りだった。

火曜日の出来事というのは、ミル氏が書斎で仕事をしていると、息子が大好きだった“トロバトーレ”の中のジプシーの歌が聞こえた。部屋中を調べてみたが、そんな歌声のする原因がつき止められないので、“気のせい”だと思った。クィックステップの曲は息子さんがよくピッコロで演奏していたもので、ミル氏はそのテンポのステップができなくて、いつも家族のお笑いぐさにされたという。

この例をあげたのは、このようにスピリットの述べた地上時代のことが正確であれば、そのスピリットが今生活している世界についての叙述も真剣に受け止めてしかるべきだということを申し上げるためである。もっとも、何しろわれわれには直接の確認のしようがないわけであるから、最終的には、多くの霊媒を通して入手したものを比較検討するしかないことは言うまでもない。

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明るく、活動に満ちた世界

そこで、そうした比較検討の末に得られた死後の世界に関する情報をまとめてみると、大体次のようなことになる。

まず完全に一致しているのは、死後の世界は幸せに満ちているということである。2度と地上へ戻りたいとは思わない、というのが一般的である。先に死んでいった肉親や知人が出迎えてくれて、以後ずっと生活を共にしていることが多い。といって遊び暮らしているわけではなく、性格と能力に合った仕事に従事している。

生活環境は地上とよく似ているが、すべてが一定の高い波動(オクターブ)に統一されており、リズムが同じなので、違和感というものを感じないが、全体として地上環境とはまるで違っている。

地上に存在するものは何でも存在する。アルコールやタバコまであるというと嘲笑する人がいるが、何でも複製できると言っておきながら、アルコールやタバコは作れないというのは不自然であろう。

もっとも、地上でもそうであるように、嗜(たしな)むといっても程度の問題である。『レーモンド』の中にその話が出ていて、それが物議をかもしたことがあるが、お読みになれば分かるように、レーモンドはそれをきわめて特殊なこととしてユーモアを混じえて語っている。(2)

キリスト教の牧師の中には、そのことを笑止千万の話として、その一事をもって他のすべての通信もみな“たわごと”と決めつけている人が多いが、私からその人たちに指摘したいのは、私の知るかぎり、死後の世界でアルコールを嗜む話を述べている人がこのレーモンド以外にもうひとりいる – ほかならぬイエス・キリストであるという事実である。

マタイ伝26章29節でイエスはこう述べている – “私の父の国であなた方と共に新たに飲むその日まで、私は今後けっしてぶどうの実からこしらえたものを飲むことはしない”と。

もっとも、この話は些細なことのうちに入る。そして、こうした途方もなく大きな問題、それも全体として曖昧さを拭い切れない問題を扱う中で、些細なことにこだわるのは危険である。

私の知っているある女性がこんなことを言ったことがある – “来世のことが不思議に思えるのは当たり前ですよ。私たちだって、もしも生まれる前にこの世の事情を語って聞かされていたら、さぞかし不思議に思えて、信じられなかったでしょうよ”と。なかなかうがった見方である。

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目的は霊性の開発と進化

そこで、これからもっと大きな問題へと進むが、死後に迎える生活が幸せに満ちたものであるといっても、その目的とするのは、自我の内部に潜在している霊的資質を発達させることにある。

行動派の人は行動で、知的才能にすぐれた人は知的才能で、芸術・文学・演劇・宗教その他、おのおのが神から授かった才能を発揮するための仕事にいそしむのである。知的なものも性格的なのも、地上時代のものをそっくり携えて行っている。年を取ったための衰えは脳の機能の衰えであって、自我に取り入れたものはそのまま残っている。

地上で愛し合っていた者はいずれ再会する。が、地上時代のような肉体関係はないし、したがって子供の出産もない。それでいて、強烈な親和力による深い親密度を実感するという。地上で真実の愛を実感することなく終った者も、霊の世界へ来て、遅かれ早かれ、霊的配偶者を見出すという。

幼くして他界した子供は霊界で自然な成長をする。それゆえ、たとえば2歳の女の子を失った母親が20年後に他界して霊界入りした場合、22歳に成長した娘が迎えに来てくれるという。

といって、年齢そのものに意味はない。自我の成長度が容貌に表われるのである。老人は若返るのであるから、女性は老化による美の衰えを嘆く必要はなく、男性はからだが言うことをきかなくなったことや頭脳の衰えを嘆く必要はないわけである。あちらへ行けば、失ったものがすべて取り戻せるのである。

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肉体の障害は死後に持ち越さない

同じことが身体の障害についても言える。その障害のすべてが消滅しているのである。手足は戻り、視力も戻り、知的能力も本来のものが取り戻せるのである。障害を受けているのは肉体だけなのである。霊的身体は決して傷つかない。完全無欠である。

第1次大戦で多くの若き英雄が手足を失ってしまった今、これは実に大きな朗報というべきでる。A・ウォーレス博士主催の最近の交霊会でも、出現したスピリットが最初に述べたセリフは、「左手がちゃんとあるよ」だったという。

同じことがアザや異常部分、盲目、その他ありとあらゆる障害について言える。それらは決して永遠に背負わされる十字架ではなく、やがて訪れる霊の世界では、すべてが消滅するのである。すべての者が完全な健康体となる – 霊界通信は口を揃えてそう伝えている。「でも…」と、信じられない人は次のような疑問を抱くであろう。

もう「霊視能力者が描写する死者の霊姿が、老人で古い時代の衣装をつけていたり、髷(まげ)を結っていたりするが、あれはどういうことか」と。

実は、そうした霊姿は現在のスピリットそのものの姿ではなく、そういう容姿しか記憶していない身内の人や知人のためにそういう装いをして見せたり、霊視能力者の視覚にそういうイメージを投影したものなのである。白髪のままだったり、古い時代の衣装をつけていたりするのはそのためである。

もしも本人の今現在の進化した姿を見せたならば、神話・伝説にある流れるような羽衣(ローブ)をつけているかも知れない。そのローブにはそのスピリットの霊格と性格を示す生地と色彩があざやかに出ていることであろう。が、それでは地上の者には本人であることの確認ができない。

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心の通い合う者が集まる

死後の世界は親和力の世界である。親和性をもつ者どうしが結ばれる。口もきかない亭主、ヒステリーの奥さん、そんなカップルはあの世ではいっしょにならない。

辛かった地上生活を終えたあと、次の本格的な霊界での生活に入るに先立って、すべてのことが満ち足りて、思いのままになる。美しさとのどかさと妙(たえ)なる音楽に満ちた環境の中で、心の通い合う者が集まって生活を営む。

美しい庭園、繚乱の花、緑なす森林、豊かに水をたたえる湖水、忠実な動物たち – こうした夢のような環境について、先輩霊たちが、今なお薄汚い家屋で無為に過ごしているわれわれに、生き生きとした情報を伝えてくれることが可能になったのである。

そこには金持ちも貧乏人もいない。職人は相変らずその腕を生かした仕事にいそしむ。が、それは金を稼ぐためではなく、その仕事が楽しいからである。おのおのがその才能を生かして、共同社会のために貢献する。

一方、高邁な次元からの使者、バイブルにいう“天使”からの指導と援助もある。が、そのすべてを包括して、かのキリストの霊が、あたかも親鳥がヒナを抱えるごとくに、その影響力を地球圏のあらゆる界層に行使しているという。理性も正義も、親和力も理解力も、その起原はキリストにさかのぼるという。

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娯楽もスポーツもある

喜びと楽しさに満ちあふれた世界である。各種の競技会もあり、娯楽もスポーツもある。ただし、動物に苦痛を与えるような種類のもの(狩りなど)はない。飲食に関していえば、地上のような重々しいものではなく、ただ風味だけを楽しむといった程度のものなら存在する。そこのところの誤解がある種の混乱を生むようである。

しかし、何より大切なのは、この地上と同じく、才能とエネルギーと個性とバイタリティに富む者が – それを正しく行使すればのことであるが – 人の上に立つ仕事をするし、無欲性と忍耐力と霊性に富む者は、やはり地上と同じく、魂の質が高いことを示すという。

それは、霊界入りする以前の地上での幾多の苦難の体験によって培われていることが多く、それが霊界へ来てからの活性化と促進の原動力となっているという。

地上にある時はその苦難の意義が理解できず、残酷にすら思えることがあっても、霊界へ行ってみれば、それなくしては地上生活は不毛で無益であることが分かるものらしいのである。

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子供だましの地獄や極楽はない

新しい啓示によって、グロテスクな地獄もファンタスティックな天国も存在しないことがわかった。

あるのは生命の階段を下から上へと徐々に昇っていくという概念のみで、罪人(つみびと)が一気に天使になったり、聖人君子のような人が、ただキリスト教の信仰を受け入れなかったからというだけで地獄へ蹴落とされるような、そんな不条理な話は説かれていない。

もっとも、かつての地獄・極楽説は別にスピリットによる啓示だったわけではないから、これをもって新しい啓示と古い啓示との間の矛盾と受け取ってはならないであろう。

古い時代の地図を見ると、未調査の地域は空白になっていて、“ここには人食い人種がいたらしい”とか、“マンドレーク(麻薬の原料)が取れる”といった言い伝えを書き込むのが通例だったという。

地獄・極楽説も、そうした不明の箇所を勝手な作り話で埋めたものである。神の玉座のまわりで永遠に賛美歌をうたい続ける天国だの、永遠に焼かれ続ける地獄だのを、理性ある現代人に信じられるであろうか。

しかし、ここでひとつ疑問が出て来そうである。死後の世界が存在し、そこがこれまで私が紹介してきたような幸せいっぱいの世界であることを一応認めるとしても、そういう幸せに浴さずにいるスピリットはどうなっているのか – 霊界通信は彼らのことについてどう述べているのかということである。

が、ここでも右のキリスト教のドグマのように、それはこうだと断定的に述べるわけにはいかない。これまでに入手した情報をもとに、大よその傾向を述べる程度のことしかできない。

と言うのは、地上を去ったスピリットのうちで、われわれの呼びかけに快く応じてくれるのが死後に幸せを見出した者にかぎられるからだ。これはきわめて当然のことであろう。親和力の原理から言っても、こちらが敬虔な宗教心をもって臨めば、それに応じてくれるのは敬虔な宗教心に富むスピリットのはずだからである。

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迷えるスピリットの存在

しかし、そうした幸せなスピリットが従事している仕事の中に、迷える不幸なスピリットを更生させることが含まれているという話がよく出てくる。

そのために彼らは“降りて行く”という表現を用いて、低界層のスピリットに自分たちと同じレベルの波動の生活に耐えうるだけの霊性を身につけさせるように援助してやるのだという。それはちょうど、学業の遅れの目立つ生徒のために、上級生が面倒を見てやるのと同じなのかも知れない。

そのことをイエスは、たったひとりの罪深き者を悔い改めさせることの方が、99人の善人のことを喜ぶよりも、天界における喜びが大きいと述べているが、これは地上の罪人のことではなく、死後の低界層にいる罪深きスピリットを救出して一段と高い界層へ向上させてあげることを意味しているものと思われる。

ところで、この“罪”とは何ぞやという問題であるが、科学の発達した現代において、近代的道義と公正の感覚をもってこれを考察すれば、中世のあの得体の知れない不条理きわまる化け物のようなものでないことは明白である。

現代人は、あんな、依怙贔屓(えこひいき)のはげしい神による、みっともないお情けなどは求めない。もっともっと厳しい目で自己を見つめるようになっている。

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罪の概念の多様性

もっとも、人間の心理をつきつめると、やれば出来るのに努力しようとしない面、知っていながら実行できない意志の弱さ、他人の立派な行ないは賞賛しながら自分はだらしない態度を取りつづける性格に起因する面が多分にあることは事実である。

が、その反面、生まれついた環境という不可抗力の産物、遺伝ないしは生まれながらの障害に起因するもの、さらには、明らかに身体的性向による罪悪を斟酌(しんしゃく)した時、積極的な意味での罪は大幅に少なくなる。

考えてもみるがよい。全知全能にして慈悲深き大神が、生まれながらにして障害をもつ哀れな人間が罪なことを心に抱いたからといって、これを罰するということが有り得ようか。熟練した医師によると、頭の形を見れば、罪悪を犯すタイプかどうかが分かるという。

歴史に記録をとどめている身の毛もよだつ罪悪のかずかず – 暴君ネロから殺人鬼ジャック(3)に至るまで – みな精神の疾患の産物であり、戦争という国家的罪悪も、集団的狂気というものの存在を示しているようにさえ思える。

となると、地上でそうした不利な条件のもとに苦しい生活を強いられた者を、死後、さらに地獄へ落として苦しめる必要はないではないかという観測もできる。

霊界通信でよくあるのが、意外に平凡な人物が、死後、大変な栄誉に浴しているのを知って驚くことがあるという話である。そこには人間的価値観と霊的価値観との違いがあることを物語っている。

となると、身体的特質が不可抗力となって罪深いことをしてしまった場合は、当然、そこに酌量の余地があってしかるべきであって、それは罪を見逃すというのとは別問題である。むしろ善人として生まれ、これといった善悪の意識もないまま、漫然とした人生を送った人間の方が、問題が大きいことも考えられる。

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魂をむしばむ罪悪

霊界通信によれば、死後の向上を妨げる罪悪の中でいちばん厄介なのが、上流階級の生活が生み出す罪悪 – 因襲に縛られ、意識的向上心に欠け、霊性は鈍り、自己満足と安逸にどっぷりと浸った退廃的生活が生み出すものだという。

自己に満足しきって反省の意識をツユほども持たず、魂の救済はどこかの教会か権力にまかせて、自らの努力を嫌う – こうした人間が最も危機的状態にあるというのである。

教会の存在そのものが悪いというのではない。キリスト教であろうと非キリスト教であろうと、霊性の向上を促進する機能を果たしているかぎりは、その存在価値はあるであろう。

が、そこへ通う信徒に、一個の儀式、あるいは一個の教義を信じる者が信じない者よりも少しでも有利であるように思わせたり、魂の向上にとって何よりも大切である“刻苦”が免除になるかの如く思わせたりする方向へ誘った時、その存在は有害なものとなる。

同じことがスピリチュアリズムについても言える。実生活での活動を伴わない信仰は何の役にも立たない。尊敬に値する指導者のもとで何の苦もなく人生を生き抜くことは可能かも知れない。

しかし、死ぬ時はひとりなのである。そのリーダーがいっしょについてきてくれるわけではない。そして、霊界入りしたその瞬間から、地上生活から割り出される水準の境遇に甘んじなくてはならない。霊界通信はそう説くのである。

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罰の原理

では、未発達のスピリットに対する罰はどういう形を取るのであろうか。それは、要は発達を促進するような境遇に置かれるということである。もしかしたらそれは悲しみの体験という形を取るかも知れない。

この地上においても、貪欲で同情心のカケラもなかった人間が、悲哀の体験を味わうことによって、性格が和らぎ、人の心を思いやるようになるということはよくあることである。

バイブルには“嘆き悲しみ、歯がみをして苦痛に耐える外なる暗黒”という表現がある。バイブルには読み方を誤ると大変な害を及ぼしかねない箇所がいくつかある。東洋的な表現には“白髪三千丈”式の誇張が多く、その点を考慮せずにそのまま受け取ってしまって、感受性の強い子供や真っ正直な大人が心身症になっているケースが少なくない。

右の文も用心して読まないといけない。霊界通信によると、確かに“外なる暗黒”に相当する界層が存在することは事実のようである。“暗黒界”と呼んでいるが、そこは決して永遠の刑罰を受ける地獄ではない。いつかはみんな光明界へと向上していくのである。もしもそうでなかったら、全能の神にとって不名誉なことになろう。

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“外なる暗黒”は中間地帯

現段階では、どういう罪がどういう罰を科せられる、といったことは軽々にあげることはできないが、報いを受ける界層が存在することだけは明らかな事実のようで、霊界と地上界とを隔てている中間地帯 – パウロが体外遊離現象でのぞいてきたと推察される“第3の天”(コリント2・22章)は、どうやら神秘論者のいう“アストラル界”、バイブルでいう“外なる暗黒”に相当するものと思われる。

そこには、世俗的欲望にとらわれて霊性がまるで芽生えないまま他界して、そのまま地縛霊として地上圏にとどまっているスピリットが集まっている。金儲けばかりに明け暮れた者、野心に駆られて奔走した者、性の快楽のみを求めた者、等々である。

そうした種類の人間は、いわゆる“悪人”ではない。例のグラストンベリの修道僧ヨハネスが、修道院への愛着が断ち切れずに、今なおその廃墟のあたりをうろついているといったケースもある。よく騒がれる幽霊現象は、そうしたスピリットがたまたま必要条件が揃った時に、肉眼に映じるほどに物質化したケースである。スピリットがそこにいるというだけでは、姿は現われない。

単数または複数の人間がいて、その人体から出るエクトプラズム(4)という特殊な物質をまとう必要がある。立ち合った人が寒けを感じたり髪の毛が立ったりする現象は、心霊法則が作用した時の兆候である。が、そうした現象はいくら追求しても、本書が目標としている、人間とは何か、生命とは何か、という命題と死後の存続を結びつけて論じることとは無縁である。

実はこの中間境の存在の意義について私がその説明の難しさにつき当たり、何かもっと啓発してくれる資料の必要性を痛感していた時に、偶然のめぐり合わせで – 私は偶然ではなさそうに思えるのだが – まったく知らない方から、40年近くも前の1880年に出版された本が郵送されてきた。その中に、自動書記で次のような一節が綴られていた。

《スピリットの中には、その中間領域(ボーダーランド)から先へ進めない者がいます。死後の生命のことなどツユほども考えたことがなく、悩みにせよ愉しみにせよ、すべてが地上的なことばかりだった者です。

学問や教養とは関係ありません。たとえ学識はあっても、霊性に欠け、ただ知性のみで生きていた者は、それ以上は向上しません。要するに、地上生活という修養の好機の過ごし方を誤って、今、その失われた時間を取り戻したいと思い、地上時代を呼び戻しているのです。こちらではそれができるのです。が、大変な苦痛を伴います。

いまだに金銭欲が消えず、地上時代に遊びまわっていた場所を徘徊する者が少なくありません。その類いの者がいちばん滞在期間が長いようです。というのは、必ずしも不幸とか惨めといった意識は抱いていないのです。

むしろ肉体がなくなって、さっぱりした気分でいます。霊性の発達したスピリットも一応はここを通過しますが、通過したことに気づかない者もいます。一瞬の間のことで、休息の必要もなく、次のサマーランド(5)へと進んでまいります…》

死の直後の中間境についてはこの程度にしておこう。キリスト教にはこれを明確に指摘したものは見当たらない。ただ、異端者やキリスト教を知らない者、子供や白痴などが送られてくるという、“リンボー”と呼ばれる、わけのわからない界層があるやに述べている。

死後、安住の地へ行き着くまでにある“空間”を通過するという概念は、多くの宗教に共通したもので、ギリシャ・ローマ神話では“川”を渡し舟で横切るという寓話の形を取っている。

こうしたものをつぶさに見ていくと、遠く歴史をさかのぼった時代にも、しっかりとした霊的啓示があって、それが時とともに不鮮明となり、歪(ゆが)められていったことが窺われる。インドの最初の征服者であるアーリア人の信仰を、ミュア博士は次のようにまとめている。

《…しかし、その未完成の部分(霊的身体)が第3の天界のコースを終えるには、邪悪なものをすべて地上に捨てて、広大な暗黒の淵を渡らねばならない。

さらに、先父たちがたどった道を進んでから、いよいよ永遠の光の境涯へと飛躍し、そこで初めて輝ける霊体を獲得し、勿体ない住処(すみか)をさずかり、あらゆる願望が叶えられる完成された生活へと入り、やがて神々の御前へと進み、神々の御意の成就の仕事に加わるのである…》

“神々”を“高級霊”と置きかえれば、スピリチュアリズムが説くところと少しも変らない。

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自然と進化は断絶を嫌う

以上が、きわめてコンパクトな形ではあるが、近代に至って霊界から届けられた通信によって明かされた死後の世界である。これを他愛ない幻想として片づけられるであろうか。どこか自然の原理に反したところがあるであろうか。

むしろ、きわめて自然で、その入手経路に確信が得られた以上は、人類は死後間違いなくそうした道程をたどるものと受け止めてよいのではなかろうか。自然と進化は、突然の断絶を嫌うものなのだ。

技術・文学・音楽その他の才能は脳の産物ではなく、その人間の自我の属性であるからには、死後それを失うということは、その人物の同一性を失うことに等しく、まったく別人となることになる。したがって、個性が存続するということは、そうした才能も存続していることを意味する。

が、たとえ存続しても、それを表現する器官がなくては存在の意味がない。そして表現器官はある程度の“有形”の媒体を必要とするであろうから、死後にもそうした意味での身体を必要とするはずである。そして、身体がある以上、文明人のつつしみ深さから、何らかの“身を包むもの”の必要性を感じるであろう。

また自然な願望と親和力の作用によって、真に愛する者と生活を共にすることになるであろうし、そうなると、地上でいう家屋に相当するものの必要性も考えられる。さらに、精神的な安らぎとプライバシーの必要性は、個別の部屋の存在を想起させる。

かくして、死後の個性存続という事実さえ確立されれば、とくに霊界からの啓示を待つまでもなく、純粋理性と推論とによっておよその生活の構図を描くことができよう。

この“幸せの国”の存在に関するかぎり、われわれが知る世界のどの宗教の来世観よりも、十二分な証明がなされたと考えてよいように思う。

そう言うと、読者の中には、右に述べたようなこまごまとした死後の世界の事情のうちで、どのあたりまでが私自身の想像なのだろうか、また、その概念は、同じように霊界通信に関心をも知識人によってどの程度まで真実として受け入れられているのだろうか、といった疑問を抱く方がおられるであろう。

お答えしよう。右に述べたことは私が入手した厖大な資料をもとに、私自身が結論づけたものであると同時に、その基本路線において、世界各地で地道に、しかし厳格な態度で、宗教的偏見を混じえずに調査・研究した人たちによって、長年にわたって受け入れられてきたものである。証拠資料に関するかぎり、私はこれで必要かつ十分であると考えている。

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科学者も囚われる信仰上の偏見

が、他方、科学的態度で冷静に対処しながらも、信仰的には既成宗教の偏見が作用して、もしもこれを真実と認めれば神学上の大論争のタネになりかねないとの、一応無理からぬ危惧から、全面的に受け入れることに躊躇し、結論として、“たぶん”交霊会の出席者の想念の反映か、テレパシーであろうと主張する人がいる。

たとえばツェルナー教授(6)は熱心な心霊研究家でありながら、次のような理論を展開して事足れりとしている。

《科学は霊界通信の内容にまでは手をつけることはできない。観察された事実と、それらを論理的かつ数学的に結びつける理論によって手引きされるべきものである》

偉大な科学者で心霊現象を支持している人の中には、霊界通信の中で信仰問題に関わることになると沈黙を守っている人が多いという事実は、このツェルナー教授の主張を裏書きしているように思える。

確かに理解できることではある。が、よくよく分析してみると、これは一種の唯物思想を拡大したものにすぎないのではなかろうか。

スピリットの存在を認め、それが地上へ戻ってくることも事実であると認めながら、そのスピリットが届けてくれるメッセージには耳を塞ぐというのでは、もはや“用心”を通り越して“理不尽”の域に達しているというべきである。そこまで到達していながら、そこから先へは進まないというのでは、不変の真理に到達することは永久に不可能である。

たとえばレーモンドは地上の自分の家庭のことについて、実に細かい点にまで言及したことを述べていて、それが驚くほど正確であることが確認されているが、そのレーモンドがその時点で生活しているという霊界の住処について語っていることは“信じられない”として削除するというのは理不尽ではなかろうか。

私自身も初めて死後の世界に関する通信を受け取った時は、そのあまりの奇っ怪さと途方もなさに、とても信じることができずに、どこかにうっちゃっておいた。その後いろんな人を通して入手した通信と比較してみて、私が入手したものもそれらと相通じるものであることを知った。

H・ウェールズという私のまったく面識のない人の場合も同じである。この人も自動書記で受け取った通信の内容を読んでみてバカバカしくなり、しばらく引き出しの中に仕舞い込んでいた。

ところが、あるとき死後の事情をまとめた私の記事を読んで、あまりに似ているのを知って私に手紙を寄越したのだった。いずれの場合もテレパシー説や霊媒があらかじめ知っていたとする説は不可能である。

総じて疑ぐり深い学者や、とかく異議を唱えたがる学者というのは、すでに大切な分野をもっているために、関心の対象を物的なものにのみ制限し、死後の世界の実相を伝える莫大な量の証拠の重大さを認識しようとしないものだ。あくまでも物証を求める態度を固持して、当事者が直感する真実性(7)の証言には耳を貸そうとしない。

次章では、こうした霊的知識に照らした上での新約聖書の検証にお付き合いいただいて、これまで曖昧で混乱していた点についてどこまで明快で合理的な解釈ができるかを、読者みずから判断していただきたい。

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訳註

【1】Ernest Oaten(生没年不明)

ドイルの右腕といわれた人物で、太平洋と大西洋をまたにかけたドイル晩年の講演旅行は、このオーテンが企画したものだった。英国の高等裁判所、国教会、BBC放送を相手に、スピリチュアリズム擁護のために闘った最初のジャーナリスト。

【2】たぶん次の箇所のことであろう。

「ボク(レーモンド)はもう食べたいとは思いませんよ。でも、食べている人を見かけることはあります。地上の食べ物に似たものを食べてないと気が済まないみたいです。

こちらでは欲しいものは何でも手に入ります。先日地上からやってきたばかりの人はタバコを欲しがってました。こちらには何でもこしらえる製造工場のようなところがあって、何でも好きなものがこしらえられるんです。

もっとも、地上の物質のようなものでこしらえるのではありません。エッセンスというかエーテルというか気体というか、とにかく同じものではないけど、タバコに似たようなものがあります。

ボクは吸いたいとは思わないので吸わなかったけど、そいつはそれに飛びついて、4本ばかり吸ってました。今はもう見るのもイヤだと言っています。地上とはまったく味が違うらしいのです。それで次第に欲しくなくなるのです。

こちらへ来たてのころは、いろいろと欲しがるのです。肉を欲しがる人がいますし、強いアルコール類を飲みたがる人もいます。ウィスキーソーダなんかをねだる人もいます。ウソじゃありません。ほんとにこしらえることができるのです。

でも、1、2杯飲んだら、もうそれ以上欲しがらなくなるみたいです。いつまでも飲んべえのままの人がいる話は聞いていますが、ボクはまだ見たことはありません…」このあとオリバー・ロッジの脚註として“とてもユーモラスに述べている”とある。

【3】1888年の夏から冬にかけて、ロンドンの東部地区でおもに売春婦を目当てに殺し、その死体を切り裂くという事件が続発した。“切り裂きジャック”として後に映画にもなっている。犯人は突き止めることができず、正体不明。

【4】Ectoplasm

“抽出された”を意味するギリシャ語のエクトスと“原形質”を意味するプラズマの合成語で、フランスのノーベル賞生理学者シャルル・リシェが命名した。そのリシェやドイツの精神科医シュレンク・ノッチング、さらに英国の物理・化学者ウィリアム・クルックスなどによる本格的な研究の成果をまとめると、ほぼ次のようなものになる。

1、エクトプラズムの現象はエクトプラズムそのものではない。霊媒から出る特殊物質に霊界のある物質を化合させてできあがるもので、それを行なうのは霊界の技術者である。

2、実験中、霊媒の身体のある要素が分解されて、気体となって耳・鼻・口などから体外へ出る。出るとすぐ霊界の物質と化合して、粘着性の液状体に変化する。

3、体外へ出た直後と、それが使用されはじめた時とでは、その硬度に差がある。たとえば物体を浮揚させる場合、その物体に近づくにつれて硬度が増していく。

4、腕のように長く伸びて、中間が肉眼に映じないほど稀薄になっても、そこで途切れているのではない。必ず何ものかによって補充されているのであるが、その“何ものか”は、固体でもなければ液体でもなく、気体でもない。気体よりも一段と柔らかい何ものかである。にもかかわらずガスのように形が崩れることはなく、その安定性はまるで管にきっちりと詰められた液体のようである。

5、その“何ものか”と同じものが物質化霊の形体を支えているものと推察されるが、これをウィリアム・クルックス博士は“サイキック・フォース”と名づけている。

6、すべての出産または発生の過程が暗闇の中で行なわれるように、物質化現象も暗室の中で行なわれる。科学者によれば地球の大気層がもう少し稀薄だったら、地球上に生命が発生することは恐らく不可能だったはずだという。これは生命の発生にとって光線が有害であることを物語るものである。心霊現象が暗室の中で行なわれるのも同じ原理に基づく。

7、物質化されたものは、その大小・形態・種類を問わず、必ず霊媒とつながっている。

8、物質化現象はいわば“再創造”であって、新しいものが創造されるのではない。したがってギリシャ神話に出てくるような半人半獣といった架空のものは物質化できない。

9、物質化して出現した霊の指紋を取ることに成功している。また脈拍を数えることもできた。

10、こうした事実によって、物質化現象とは、霊体と同じものをこしらえるのではなく、霊体そのものの内部と外部にエクトプラズムが充填される現象である。

11、心霊現象は霊界と地上界との協同作業であるが、物理的法則が無視または超越されるようなことはない。たとえば物質化霊の体重が50ポンドである場合には霊媒の体重がきっちり50ポンド減っているといった具合である。

12、物体が浮揚した場合には必ずそれを支えているもの、あるいは吊り下げているものが存在する。その場合、浮揚した物体の重量は霊媒に掛かってくる。物体が30ポンドであれば霊媒の体重が30ポンド増している。その重量が出席者に分散されることもある。

13、エクトプラズムの一部を切り取らせてもらって顕微鏡による観察と化学分析を行なった結果は次の通りである。

○皮膚の円盤状組織、多数。唾液状成分、数種。粘液状の粒状組織、多数。肉組織の微片、多数。チオシアン酸カリの痕跡あり。乾燥重量、1リットルにつき8・60グラム。無機質3グラム。

○無色。やや雲模様。液状(ねばり気あり)。無臭。細胞と唾液の痕跡あり。沈澱物やや白。反応弱アルカリ性。

【5】Summerland

ボーダーランドすなわち死の直後の中間境が各民族によってさまざまな形 – たとえば仏教では“三途の川” – を取るように、その境界を通過したあとにたどり着く環境も、民族によってさまざまに描かれてきた。が、スピリチュアリズムによって、第1部第1章の訳註【27】で指示した通りの構図になっていることが明らかとなってきた。

ここでいうサマーランドは何もかも願いの叶う境涯で、パラダイス(極楽)と呼ばれているのがこれに相当する。ドイルのいうボーダーランドは地球と接した死の直後の境涯で、トウィーデールが描いたイラストの“中間境”そのものとは合致せず、その最下層に位置すると思えばよい。

サマーランドないしはパラダイスは相変らず中間境に属し、本格的な死後の世界ではない。骨休めの一時休憩所のようなところで、全体としてさわやかな青味(ブルー)を帯びていることから、“ブルーアイランド”(青い国)と呼んでいる通信もある。

【6】Johann Zöllner(1834~1882)

ライプチッヒ大学の物理学と天文学の教授で、“ツェルナー現象”で世界的な名声を博していたが、心霊現象の研究に着手したことで非難と嘲笑と迫害を受けた。しかし同時に、研究に使用した霊媒の質の低さのために、天文学の知友であるスキャパレリやフラマリオンたちからも、その説に疑問が投げかけられた。

その反省から晩年には当時の最高の霊媒だったデスペランス夫人を使って25回もの実験を行ない、その成果に満足し、書物にして発表しようとした矢先に他界した。

【7】物質科学の発達は“物的証拠”を絶対視する傾向を生んだのは当然の成り行きであったが、それを心霊現象の科学的研究においても適用しようとすると、ある段階から行き詰まってしまう。心霊現象には物理的なものばかりでなく精神的なものもあるからである。

物理的なものに関してはクローフォード博士やシュレンク・ノッチング博士などが十分にその条件を満たす実験を行なっているが、精神的なもの、とくに霊言や自動書記による通信になると、“証拠性”の意味が違ってくることを知らねばならない。

何しろ影も形もない存在からの通信であるから、たとえ姓名を名のったところで、本当かどうかの判断の決め手がない。そんな時に何よりも確信を与えてくれるのが、当事者しか知らないプライベートな内容の事実とか思い出である。レーモンドの写真の話もそのひとつであるが、もっとドラマチックな例として、事故死した私(訳者)の長兄の場合を紹介しておきたい。

兄は日本の敗戦の翌日、すなわち1945年8月16日に、学徒動員中にトラック事故で15歳で死亡している。疎開先でのことで、家は山を4、5分ばかり登った位置にあり、毎日陸軍のトラックが山すそまで迎えに来る。敗戦の翌日とはいえ、実際にはまだ勝ったのか敗けたのか定かでないので、軍はその日もいつも通りの作業を行なうことにした。

兄はいつもただ弁当だけを持参する毎日だったが、その日の朝、母は何を勘違いしたのか、兄を見送ったあとで、ふと“弁当を持たせるのを忘れた!”と錯覚し、大急ぎでおにぎりをこしらえて、兄を追って山を駆け下りた。

下りきると、すでにそこにトラックが来ていて、ちょうど兄が後尾から大股で乗り込んだところだった。駆け寄った母が、「ヒデちゃん、ホラ、弁当!」と言って差し出すと、兄は、「あるよ」と言って、それを差し上げてみせた。

母は自分の勘違いだったことに気づいたが、食べ盛りのころなので、「ふたつくらい食べられるでしょ。せっかくだから持って行きなさいよ」と言って差し出した。が、兄は、まわりの級友たちの手前、恥ずかしく思ったのであろう。「いいよ」と言って、受け取ろうとしない。

「まあ持って行きなさいよ」「いいっていったら」

そう言い合っているうちにトラックが出発した。母は仕方なく両手で弁当を持ったまま、兄を見送った。それが今生(こんじょう)の見おさめになるとも知らないで…。事故の報が入ったのはそれから15分ばかりのちだった。ほとんど即死の状態だったという。

それからほぼ10年の歳月が流れて、話は1954年のことになる。私の生涯を決定づけることになる間部詮敦(まなべあきあつ)という霊能者が福山市をはじめて訪れた時、うわさを耳にした母が伺った。

座敷で先生と挨拶をするとすぐに、先生が、「今ここにひとりの青年が見えておりますが、何か手に持っていますね。ほう、弁当だと言っています。お母さんには申しわけないことをしたと言っておられますよ」とおっしゃった。

母はその場に泣き崩れた。間違いなくわが子であることを確信しただけでなく、別れのシーンの自分の最後の姿が、兄の目に焼きついていたことを知ったからである。母にとってこれにまさる“証拠”はなく、それが死後存続を確信する決定的な体験となった。そして、間接的ながら、それが私にも決定的な影響を及ぼした。

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第5章 バイブルに見る心霊現象

キリスト教神学の致命的欠陥

新約聖書には、初期キリスト教時代の“しるしと不思議”と、近代スピリチュアリズムにおけ実験室内での心霊現象との間の類似性をたどっていく上で、格好の材料となるものが幾つも見出される。

そもそもキリスト教がこれまで人類に対して長期にわたって影響力を保ってきた原因は、その固有の神学にある。ところが、その教義のひとつひとつを見ていくと、霊性がマヒした人類の目を覚まさせ、新しい啓示に目を向けさせるという目的において初めて意義をもつ驚異的現象とは、およそ縁のないものばかりである。

本来ならば“それを土台として”神学を打ち立てるべきだったのである。新しい霊的真理も、日常的体験や能力を超えた、人間の力ではいかんともし難いエネルギーの顕現に目を向けたことから発見されてきたものである。すでに用いた譬えをもう1度使わせてもらえば、心霊現象は電話のベルで、それが途方もなく貴重な啓示の到来を告げてくれたのだった。

キリストについても同じことが言える。“山上の垂訓”は、それまでの数々のしるしと不思議を土台としたキリストの生涯のクライマックスであり、現象より何倍も大切なものである。お粗末な精神構造の持ち主は、パンや魚が奇跡的に増えた話だけを取りあげて、キリストのしたことを低俗と決めつけるかも知れない。

そういう人は、同じ手法で、交霊会でテーブルが動き出したりタンバリンが宙に舞う現象を見て、スピリチュアリズムを低俗と決めつけることであろう。が、肝心なのはそうした粗野な現象そのものではなくて、その裏にある高級界からの働きかけなのである。

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“しるしと不思議”はすべて霊媒現象

「使徒行伝」第2章の冒頭に、ペンテコステの日に使徒たちが“ひとつの場所”に“心をひとつにして”集まったとある。心をひとつにするということは心霊実験会で最高の現象が見られる時に欠かせない条件のひとつである。

さらに続けて“激しい風が吹き”そのあと“舌のようなものが炎のように分かれて現われ、ひとりひとりの頭上にとどまった”とある。これは物理実験会で見られる現象とまったく同じで、1873年にクルックス博士が行なった実験会での現象を紹介すると –

《いくつかの発光性の固まりがすごい速度で飛び交い、出席者のひとりひとりの頭上に降りた…》

《こうした現象 – 私はあえてすべての現象と言ってもよいかと思う – が発生する時は、前もって一種独特の冷たい空気が漂い、時にはそれが強烈な風となることもあった。机の上に置いてあった書類が吹き飛ばされたことが何度もある。寒暖計を見ると数度も下がっていた…》

現象そのものが似ているというだけでなく、まず冷たい風が起こり、それから光が発生するという順序も同じというのは不思議ではなかろうか。やはり、19世紀という長い時間を隔てても変ることのない、心霊的法則というものがあることを示唆していると言えるのではなかろうか。

バイブルには、さらに“みんなが集まっていた場所が揺さぶられた”とある。これも近代の心霊現象と共通したもので、実験室のすぐそばを大型トラックが通り過ぎたように揺れた、といった表現をしている。

パウロが“われわれの福音は言葉で届けられるだけではない – パワーを伴っている”と述べているのも、明らかにそのことを言っていると考えられる。“新しい啓示”を説く人がパウロと同じことを言っても、少しもおかしくない。

実は私もまったく同じ体験をしている。アマチュア霊媒のフェニックス氏による交霊会で、やはり冷気を含んだ一陣の風が吹いてから、柔らかなモヤのような炎が現われて、15人の出席者の頭上を漂った。奇しくもペンテコステの日の現象と同じく“2階屋敷”での出来事だった。

さきに私は、こうした現象の合理的説明は、現象がどういう形態を取るにせよ、それを起こしているのは同じ始源から発する霊力であるとする以外に考えられないと述べた。パウロは「これらはすべて、この唯一無二の霊力を活用したものであり、霊能者ひとりひとりに割り当てられているのである」と述べている。

まったく同じことを言っているとみてよい。近代スピリチュアリズムでは、そのことをれっきとした事実によって証明してくれているが、パウロの表現は実に見事である。

そのパウロは“叡智のことば”“知識のことば”“信じる心”の3つを最も大切な要素として挙げているが、これがさらに“霊力”と結びつけば、他界からの高等な霊界通信を生み出すことになる。霊的治療もしかりで、今日でも秀れた心霊治療家によって行なわれている。

これも霊力の仕業であり、治癒エネルギーを病的な身体に注ぎ込むことによって健康を回復させるのである。注ぎ込んだだけ治療家自身の霊力が失われる理屈になるわけで、イエスが「今わたしに誰か触わりましたね?わたしの身体から徳力が脱け出ていきました」(ルカ8章)と言った、その“徳力”とは“霊力”のことだったのである。

そのほかの“奇跡”と呼ばれている現象、たとえば物品引寄(アポーツ)、物体および人体の浮揚などもみな霊力の仕業である。さらには“予言”もある。もっとも、これは正確に当たるものもあるが、とかく気まぐれで、人を惑わすことすらある。

そのいちばんいい例が、初期キリスト教時代におけるエルサレムの陥落とエホバの神殿の崩壊の予言で、当時の人はそれを地球の終末と信じたのだった。現代に至るまでにも、いい加減な予言が繰り返されており、したがってこれが無視されたり否定されたりしても、とやかく言える筋合いではない。

もうひとつ、直感的能力として、“スピリットを見分ける”能力がある。初期のキリスト教時代にはどのような方法でスピリットと交信したかは、私の知るかぎり記録はないが、ヨハネが「出て来たスピリットを何でも信じてはいけない。はたして神の味方かどうかを見分けるために、そのスピリットを試しなさい」と言っているところをみると、霊界との交信はよく行なわれていたのであり、同時に、今日と同じように、いい加減な低級霊の侵入によって悩まされていたことが窺われる。

ある法廷弁護士が著した本に、ふだんはドイツ語は話せない娘さんが完璧なドイツ語でしゃべった話が出ている。それを読んで間もなく、著名な医師から手紙が届き、自分の子供のひとりが中世のフランス語で長文の通信を書いたので読んでみてほしい、とあった。こうしたことは今も昔もよくあることで、慎重な態度が肝要である。

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キリストは空前絶後の大霊能者

このように、バイブルの中の心霊現象とスピリチュアリズムの現象はとても似通っているのであるが、ひとつだけバイブルの現象で本当に奇跡としか言いようのないものがある。例の死者を生き返らせた話である(ヨハネ11章)。もしも間違いなく“死んだ”人間を生き返らせたのだとしたら、これに類する現象は近代スピリチュアリズムには見当たらない。

しかしキリストにはそれすらやってのける霊力があったのであろう。死んで4日もたったラザロを生き返らせたという。が、その箇所をよく読んでみると、心霊学の知識のある人には納得のいくことがひとつある。

墓へ下りていく時のキリストが“うめいていた”とある。これは聖書学者も合理的な解釈ができずにいるところのようであるが、心霊実験会に出席したことのある方なら、何か大きい現象が起きる時は霊媒がうめき声を上げることがあることをご存知であろう。

それにしても、このラザロの生き返りの話は奇跡中の奇跡というべきである。人間的能力を完全に超越しており、自然法則の延長としての心霊的法則を利用して行なったことだった。キリストが神だったのではない。理論的にはわれわれにも可能なことなのである。ただ、キリストはケタ違いの能力を持っていたということである。

これとは反対に、バイブルには例が少なくて近代スピリチュアリズムにおいて頻繁に見られる現象に、直接談話がある。これは霊聴能力とは異なる。スピリットの声は主観的なもので、その人にしか聞こえないが、直接談話はその場に居合わせた人なら誰にでも聞こえる。これは古い記録にはあまり見られない。

カメラを用いる心霊写真現象も、もちろん近代においてのみ見られる新しい現象である。私自身が厳粛な気持で真実性を証言できる写真が何枚かある。紛うかたなき死者の容貌をしているのみならず、それと同じ写真がこの世に存在しないことが判明しているのである。確認する意志のない人間には、いかなる証拠も証拠とはなりえないものだ。

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12人の弟子の選定基準は?

ところで、キリストは12人の弟子を選ぶ時に何を基準にしたのであろうか。キリストを慕う者は数え切れないほどいたはずである。その中からわずか12人を選んだ、その選定基準は何だったのであろうか。私の憶測にすぎないかも知れないが、一応考察してみるのも無駄ではあるまい。

まず、知性と教養を基準としたのではないことは、その12人の中でも傑出していたペテロとヨハネでさえ“無学で無知”と表現されているところから明瞭である。徳性の高さでなかったことも、ユダという裏切り者がいたことから確かである。

しかも12人のすべてが、キリストの非業の死の現場に姿を見せていない。師を見捨てているのだ。崇拝の念の強さでもなかったであろう。キリストへの崇拝のなら、他の無数の信奉者もその強さにおいては負けていなかったはずである。が、ここでひとり選び、あそこでふたり選ぶというふうに弟子を指名していったところをみると、何か基準があったに相違ない。

それは、霊的能力であったとみてまず間違いないであろう。地上人類としては最高といえる霊的能力を発揮したキリストは、たとえ程度においては劣っても、同じ霊的能力をそなえた者を身のまわりに置いておきたかったはずだと思う。それにはふたつの理由が考えられる。

ひとつは、近代の実験会でもそうであるが、ひとつのサークルができると、霊媒自身の能力にさらにパワーが付加されるという事実がある。サークルのメンバーのオーラの調和が、プラスアルフアのパワーを生むのである。

キリストがそうした霊的雰囲気に左右されていたことを物語る事実として、キリストを快く思っていない生まれ故郷に帰った時は、何ひとつ驚異的な現象を見せることができなかったことが、福音書に述べられている。

もうひとつの理由は、自分の、在世中か死後かのいずれであるかは別として、キリストは多分、弟子たちに自分に代って同じ仕事をやってほしかったのではないかと思う。それには当然、相当な霊的能力が不可欠だった。

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霊媒的体質だったペテロとヨハネとヤコブ

キリストの弟子たちが関わった奇跡的現象については、A・ウォーレス博士の『ナザレのイエス』が、小冊子ながら実に的を射た解説をしている。キリストが弟子を選んでサークルをもつようになるまでは、悪魔払いの儀式以外のことは何もやっていない。

そのサークルの中でもとくに霊媒的素質が強かったのはペテロとヨハネとヤコブの3人だったようで、何か大きな霊的現象を起こす時は、この3人が呼ばれている。たとえば会堂司のヤイロの娘を生き返らせた時がそうだった(マタイ9章、ルカ8章、マルコ5章)。

有名なキリストの変貌現象と、モーゼとエリヤの物質化現象についても、ウォーレス博士の解釈は実に合理的である。山頂という場所がまず理想的だった。空気が清澄である上に、邪魔が入る心配がない。

お供をしたペテロとヨハネとヤコプが睡気を催したというのは、われわれの交霊会でもよくあることで、列席者からも霊的なエネルギーが引き抜かれるからである。顔の変貌と衣服の光輝も物理実験では珍しい現象ではない。

幕屋を3つ建てたというのはキャビネットのことであって、キリストとモーゼとエリヤのためだった。とかく謎めいてしまう話も、こうして霊的原理に照らして考察すると、すっきりする(マタイ17章、ルカ9章、マルコ9章)。

バイブルの中の表現を現代風に書き換えると、“見よ、奇跡だ!”は“これも霊力の顕現のひとつだ”となり、“神の天使”は“高級霊”となり、“天からの声”は“直接談話”“彼は霊の眼が開き、ビジョンを見た”は“彼は霊視能力を発揮した”ということになる。

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ユダヤ教徒の態度

私がとくに感動を覚えるのは、ユダヤ教の狂信者たちがイエスを試そうとして、姦淫を犯した女性を連れてきた場面での、イエスの取った態度である。

「モーゼの律法では、こういう女は石で打ち殺せとあるが、どう思うか」と尋ねられたイエスは、一気にやり返すかと思いきや、黙ってその場にしゃがみこみ、何やら指先で地面に書きはじめた。が、何度もしつこく質問を浴びせられて、やおら身を起こしたイエスは、かの有名なセリフを吐いた。

「よかろう、石で打ち殺すがよい。が、最初に石を投げるのは、1度も罪を犯したことのない者にしてもらおう」(ヨハネ8章)

こうしたイエスの態度は、とても神学者にはまともな解釈はできないであろう。あえて私の解釈を述べさせていただけば、あの時イエスは自動書記で背後霊団からの通信を受け取っていたのである。

イエスといえども生身の人間である。人類として稀にみる霊的能力をもっていたとはいえ、それを四六時中行使していたわけではない。右の例のように、不意を突かれた形で難問をふっかけられた時は、間を置いて背後霊団からの指示を仰いだのである。

次に、こうしたイエス・キリストの“しるしと不思議”をユダヤ教信者が目の前にした時、あるいは、そういう話を耳にした時の反応を現代と比較してみると、これまた興味ぶかい。大部分の者が信じなかったことは明らかである。

そうでなかったら、すぐさまイエスの信奉者となっていたか、少なくとも感嘆と敬意の念をもって対するようになったはずである。奇跡を見せられて、ヒゲもじゃの顔に不審の念をあらわにして「そんなバカなことがあるわけがない」と言い、どこかの奇術師の話でも引き合いに出している光景が目に浮かぶようだ。

さらには、現象そのものは認めても、それをすべて悪魔の仕業に帰して、「それはあいつの言ってることを見れば分かるじゃないか」と、常識的ではあってもユダヤ教徒にとっては辛辣な見解を引き合いに出して、得意になっている顔が浮かんでくる。

こうした嘲笑派と悪魔論者の双方とも、現代もそっくりである。げに、太古より地球は回り、その表面で同じ歴史が繰り返されてきているのだ。

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霊能力を他人に貸し与える不思議

霊的能力の可能性に興味のある方から出されそうな話題のひとつに、霊能者のパワーを一時的に普通の人に貸すことができるのはなぜか、また、どれくらいの時間それが可能なのかというのがある。

D・D・ホームの霊能の中でも最も多く実験されたもののひとつに、燃えさかる石炭を素手で握ってみせる現象があるが、そのあとそれを列席者の頭の上に乗せても、まったく火傷(やけど)をしなかった。

カーター・ホールという人がしなやかな銀髪をかきわけて、そこへ真っ赤に燃える石炭を置いてもらい、その上に髪をかぶせるという実験を何度か試した記録が残っているが、彼の妻の証言によると、そのあと櫛で髪を整えてあげたら、石炭の燃えがらが落ちてきたのに、髪1本、焦げていなかったという。

この場合、ホームは超能力パワーを一時的にホール氏に貸し与えていることになる。同じことが、キリストとペテロとの間にもあった話がバイブルに出ている。キリストが水の上を歩いてやってくるのを見て、ペテロが「私にも歩かせていただけませんか」と言うとキリストが「ではおいで」という。歩いてみると確かに歩けた。

が、もう少しでキリストのところまで来る寸前に強い風が吹いて、それで急に怖くなった。すると、とたんに水中に沈みかけた。とっさにキリストが手を差しのべて救い上げ、「まだまだ信じる心が足りない。なぜ疑ったのか」と言ったという(マタイ14章)。

その“貸し与えたパワー”はどれくらい持続するものだろうか。このことに関連して私が思い出すのは、同じくバイブルの中でキリストを中心とするサークルの者が、70人ばかりの信徒に悪霊を追い出す仕事を言いつけて送り出した話、また、新しい信徒が修行の旅に出るに際して、“清めてもらう”ためにエルサレムのキリストのもとに戻って来させた話である。

その時に、キリストは頭に手を置いたり、頭上で空を切ったりしてパワーを注ぎ込んだのではないかと思われる。現在、聖職位を授与する儀式で主教たちがやっているのがそれで、本来は霊的パワーを注ぎ込むのが目的だったはずである。

それが時の経過とともに風化し、形式だけが残ってしまった。今日では祝福を施す側も受ける側も、その本当の意味は分かっていない。“手を置く”(按手(あんしゅ))という儀式は、手そのものを置くことのほかに大切な意味があるのである。

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キリスト教会に訴える

以上で、イエス・キリストによる“しるしと不思議”が近代スピリチュアリズムの現象と原理的には完全に同じであることが分かっていただけたであろう。

したがってスピリチュアリズムというのは、決してキリスト教に取って代ろうとするものではないどころか、イエス・キリストの言動について今日まで語り継がれてきたものが驚くほど正確であり、これまで多くの真面目な求道者にとって大きな“躓(つまず)き石”となってきた奇跡的現象が、スピリチュアリズムのお蔭で真実性に富むものであることが証明される形となったのである。

そのスピリチュアリズムがなぜキリスト教を代表する人たちによって非難と憎悪の的にされなければならないのであろうか。

一方、われわれは、新約聖書で語られているキリストの言動のすべてが、一言一句ゆるがせにできないほど正確なものであるという考えが誤解であることも指摘したいのである。その考えのために、古来、どれほど多くの弊害が生じてきたことであろうか。

できることなら – まず無理かも知れないが – キリスト教会が思い切った態度で、新約聖書の中から明らかに改ざんされていると思われる箇所、あるいは挿入話であると考えられるものを取り除く作業をやってほしいものである。そうしたものが、どれほどバイブルの印象を汚し、純正と思われる話の価値まで下げてしまっていることであろうか。

一例をあげると、マタイ伝23章にバラキヤの息子ザカリヤがエルサレムの神殿内で殺された話が出ている。キリストの口から出た話のように書かれているが、ヨセフスの『ユダヤ戦記』によると、これは実際はエルサレムが戦火に巻き込まれた時に起きたことであって、37年も後の話である。これによって現行のマタイ伝はキリスト没後に書かれたものであることは明らかである。

こうした点をキリスト教会が満場一致で改めるなどということは奇跡中の奇跡で、まず考えられないことである。というのも、キリスト教会としては新約聖書の冒頭を飾るテクストは“教会”の存在を強く位置づけるものにしたいからである。が、残念ながら、キリストの時代に“教会”はカケラほども存在しなかったのである。

マタイ伝の信憑性をさらに失わしめる事実に、キリストと弟子の漁師たちがラテン語やギリシャ語で会話を交わした – それどころか、語呂合わせのダジャレまで言い合った、ということになっていることである。改ざんの目的は明々白々である。

ローマ・カトリック教会の教皇制度は完全にこの福音書を土台としている以上、これがそう近い将来に改められることは、まず考えられないことである。

古代の大思想家といわれる人物たちが、オリンポス山の男女の神々が闘争を繰り返したという神話を本気で信じた – 少なくとも信じた上での著作を残している事実が今日のわれわれには“驚異”に思えるように、現代のクリスチャンの道徳的勇気の欠如と知的正直さの欠落が、われわれの子孫にとって“奇っ怪”きわまるものに思える時代が到来することであろう。

キリスト教精神は実に崇高である。それを理性と進歩の流れに乗せるためには、そうした他愛ない改ざんや挿入箇所を修正し、さらに、すでに主張したように、重点の置きどころをキリストの“死”から“生きざま”へと改める必要がある。

が、正統派はそういう問題には深入りしたがらない。信仰が阻止するのか、それとも他に何か理由があるのかは知らないが、いずれにせよ彼ら上層部の者は、同じ教会内で批判的な考えをもつ者たちにとって、その問題が足もとに散らかっている邪魔な石ころであることに気づいていない。

信じやすい人間にとっては簡単に信じられることでも、理知的思考力に富む人間にはとても信じられないことがあるものだ。“仔羊の血によって救われる”だの、“有り難き主の御血によって清められる”といったセリフは、信心深い人間を快い感情で満たすかも知れないが、思慮深い人間にはグロテスクに思えるであろう。

身代りの贖罪説は理性的にみてとても承服できるものではないが、その問題は別として、そもそもその概念は異端のパルティアの神話から来たもので、トーロボーリアムというミトラ神の儀式において、新しい改宗者に雄牛の血で洗礼を施したことに由来する。そんな野蛮な儀式から出た概念が、思慮深く、かつ感性の鋭い現代人に訴えるはずがない。

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“人間イエス”に返れ

そんなものに囚われていないで、いつの時代にも新鮮で、いつの時代にも生き甲斐の源泉となり、いつの時代にも美しく輝く人物 – ガリラヤの山腹をさまよい、子供たちと戯れ、いかなる身分の人とも純真無垢な同胞意識で交わり、形式や儀式を避けてその奥に秘められた意義を求め、罪深き人間を赦し、貧しい者の味方となり、いかなる決断を下すに当たっても慈悲心と広い視野に立っていた人物、すなわちナザレイエスにもっと心を向けてはどうだろうか。

その崇高な人間性に、さらに、これまで見てきたような霊的能力をそなえた人物像を描いた時、そこに人類史における空前絶後の、真の意味でのスーパーマン – 他のいかなる歴史的人物よりも神に近い存在を想起せずにはいられない。

そのイエス・キリストの教えが秘めている影響力を、皮肉にも“キリスト”の名を冠する教会の硬直した神学と比較した時、いかに教会という組織がドグマと形式と排他性と虚飾と非寛容性に堕して、人間の生きざまの手本としての“主”から遠く離れてしまっているかを知って驚くのである。

もはや“キリスト”と“キリスト教会”との間には救いようのない敵対関係すら生じており、両者を並べて論じることができなくなってしまった – 教会は教会として、キリストはキリストとして、切り離して論じなければならないほどである。

もとより、キリスト教会にも秀でた人物がいることはよく知っている。私自身、多感な青年時代の7年間を、キリスト教集団の中でもとくに戦闘的要素が強いとされている、イエズス修道会で生活したことがある。そこにはかつてスポーツ選手だった人もいれば、学者だった人もおり、ふつうの紳士もいた。

その人たちは世間から隔絶した狭い世界で生活していながら、人間的にはみんな尊敬に値する立派な人たちばかりだった。イエズス会の信者はとかく詭弁を弄すると言われているが、そんなところはみじんもなかった。

同じことが国教会についても非国教会についても言える。各派の教義そのものについての議論となると態度を硬化させるが、人間的には実に見上げた人物がたくさんいる。さらに、同じことが名もない一般の人についても言える。古い信仰の中で育てられ、本書で扱ってきたような霊的事象については何も知らないでいて、尊敬に値する純粋な霊性を身につけている人を、私は大勢知っている。

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キリスト教による救いは挫折した

しかし、かりに100歩譲って、そうした高度な産物がキリスト教の教義のお蔭であることを認めても – 実際は人類に秘められた善性の発現にほかならないのかも知れないが – キリスト教は完全に挫折したこと、そしてその挫折感をこのたびの世界大戦によってしみじみと実感させられたという事実は、もはや疑いようのない現実である。

いくら呑ん気な護教論者でも、今回の世界的動乱を、何世紀にもわたってヨーロッパを席巻したキリスト教による満足すべき所産であるなどという主張はできないであろう。

プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、いずれも似たり寄ったりで、人類の福祉には何の貢献も為し得なかった。むしろ暗黒時代の残虐行為と不行跡と不道徳から西洋世界を救ったのは、それより古くかつ高度な文明と、行政上の制度のおかげではなかったろうか。

世界大戦はキリスト教とは無関係に起きたものだ – だからキリスト教が非難されるいわれはない、などという弁解は許されない。たしかに、キリストの教えは間違っていない。キリストが説いたこととキリスト教とは本来無縁のものだ。(1)ずいぶん都合よく改ざんされていて、両者を同一視することはできない。

その改ざんされた教義の上に築かれたキリスト教は、暗黒時代をへて今日に至るまで、間違いなく西洋世界の道徳を牛耳ってきた。したがって本来ならばその道徳観が、戦争への発展の歯止めになってしかるべきだった。が、それは脆(もろ)くも失敗した。キリスト教の価値が裁かれるのは、まさにその点においてである。そして、その評決は“無能”という一語に尽きる。

なぜ、あれほどまで西洋文明に浸透していたはずのキリスト教が、戦争阻止に何の貢献も為し得なかったのであろうか。それは、宗教として肝心なものが欠けていたからである。

その肝心なものとは、教義の真実性を立証する“しるしと不思議”である。“ただ信ぜよ”式のリップサービスでは、まさかの時には脆いものだ。その脆さがこのたびの騒乱の中で露呈された。魂の底から信じられてはいなかったということである。

教会は、もともと人心を捉えるものを持ち合わせていなかった。今になっていくら内部でサークル活動を行ない、主教会議や総会で討議し、次々と決議案を通過させても、もはや人心は教会の方へは向いていない。知的文化や教養という形では生き残るかも知れないが、真実の意味での魂の宗教としては、キリスト教は完全に“死に体”となっている。

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世界の各宗教に反省を求める

そろそろ各宗教団体は、それぞれの内部の頑固者や派閥第一主義者を説得して、すっかり隔絶してしまった一般の人心に訴える存在となるにはどうすべきかを深刻に考えるべき時期に来ているのではなかろうか。

一般の人たちのレベルで手をつなぎ合うだけでなく、彼らをリードするだけのものを持ち合わせていると私は思うのである。ただし、そのためには、まず第1に、その体制から見苦しいものや障害物を取り除く決意を固めねばならない。

第2に、理性が問いかける問題に正面から対処し、神学上の教義に対して自然な反撥を覚える人類の知性の要求に応じる用意をしなくてはならない。

そして最後に、これまで解説してきた通りの、霊界からの新しい啓示の波に乗って届けられる真理と霊力とを我がものとして行かねばならない。人類は一部の賢(さか)しらぶった人種の言説に幻惑されて、その真理をいかにつむじの曲った態度で受け止めてきたことであろうか。

以上の3つの点についてキリスト教会が真剣に取り組めば、リーダーシップを取るにふさわしい資格をもって人心を指導することになると同時に、それはすなわち、長いあいだ不当に扱ってきた“主”の教えそのものに、もう1度立ち返ることになるであろう。

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訳註

【1】日本では知られていないようであるが、1886年に History of the First Council of Nice(第1回ニケーア公会議の歴史)というのが出版され、識者の間で大変な反響を呼んだ。私が入手したのはその第7版であるが、それによると、325年に開かれたその会議は足かけ4か月にも及び、新しい宗教をこしらえるための福音書の改ざんと教義の創作が進められた。

その第1回目の裁決で1800名の司教のうち1500名が反対したことに激怒した、時の皇帝コンスタンチヌスは、衛兵を呼び入れて反対派を連れ出させ、親皇帝派300名のみで“満場一致”で裁決し、ここに“その血をもって罪を洗い流し給う”イエスを救世主とする“キリスト教”なる宗教が誕生した。

それ以後コンスタンチヌスは、ローマ帝国の国威による弾圧と拷問によってローマ教会に絶対的権威をもたせ、それを盾に、世界史に悪名高い“暗黒時代”を招来することになる。

この真相が明らかになったのは、その会議で追放処分にされた司教たちの日記や書簡、告発しようとしてまとめた文書などが歴史家の手によって偶然発掘されたのがきっかけである。

歴史家ダドレーはそれを“告発”という形ではなく“史実”として淡々と綴っているが、冒頭の“コンスタンチヌスの生涯”の最後に引用してある、英国の大思想家ジョン・スチュアート・ミルの言葉は、ダドレーも含めて、西洋の有識者の気持を代弁しているとみてよさそうである。ミルは『自由論』の中でこう述べている。

《ローマ皇帝の中で最初のクリスチャンとなったのがマーカス・アウレリウスでなくコンスタンチヌスだったことは、全歴史の中の最大の悲劇である。もしもキリスト教がローマの国教となったのがコンスタンチヌスの治世下ではなく、マーカス・アウレリウスの治世下であったなら、全世界のキリスト教がどれほど違ったものになっていただろうと思うと、胸の痛む思いがする》

なお、ダドレーの書は山本貞彰氏によって全訳が進められている。

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あとがきにかえて – “自分”とは何なのだろうか 近藤千雄

コナン・ドイルが近代医学を修めて眼科医として開業したころは、折しも米国で勃興したスピリチュアリズムの潮流が英国へ流入して、第一線の科学者や知識人も黙視していられないほどに話題が沸騰していた。が、唯物的人間観で埋めつくされていた当時のドイルの頭には、霊的なものの入る余地はまったくなかった。

が、百の理論も1個の事実には敵わない。そのうち自分が主治医をしていた海軍将校に招かれて交霊会に出席し、物品引寄(アポーツ)という、物理法則を完全に無視した現象を目(ま)のあたりにして、それまでの唯物観に亀裂が生じた。ドイルにとっての人生の大転換はその時に始まり、スピリチュアリズムを真剣に勉強するようになっていった。

私事で恐縮であるが、私にとってのスピリチュアリズムとの出会いは18歳の時、高校3年生になりたての頃だった。

死とは何だろう、今なぜ自分はここにいるのだろうと、ひとり前に人生に疑問を抱き、当時人気の高かった『三太郎の日記』や『哲学入門』などを読みあさっていた時期に、本文の訳註でも述べたが、私の生涯を決定づけることになる間部詮敦(まなべあきあつ)という霊能者との出会いがあり、その直後にこんどは津田江山という、当時いちばん脂の乗り切っていた物理霊媒による実験会が福山市で開かれて、母の理解もあって、出席することができた。

百聞は一見に如(し)かず、とは言い古された諺であるが、やはり真理である。そのたった1回の心霊実験会での体験で、私は人間の能力をはるかに超えた目に見えない知的存在の実在を骨の髄まで思い知らされた。これまで世界の心霊現象に関する記録を読んできて、津田江山氏の能力は世界的にも遜色のないものだったことを知って、自分の幸運を感謝しているところである。

以来40年近い人生の中で、死後の実在を真剣に疑ったことは1度もない。20代にはふと疑念が頭をもたげかけたことがあったが、その実験会のことを思い起こすと、その疑念も立ちどころに消えた。それほど実験で見た心霊現象の印象が強烈だったのである。

しかし、今と同じ個性と意識をたずさえて死後にも存在し続けることは間違いない事実であるとしても、それで自分とは何か、人間とは何かという命題がすべて解決するわけではない。“生”と“死”の哲学が“生”のみの哲学となるだけのことである。

この“人間とは何か”という命題にはふたつのアプローチの仕方があるように思う。ひとつは、人間の構成要素はどうなっているのかという視点、もうひとつは、自我という意識の本体は何か、そしてどこにあるのか、という視点である。

このうち最初の構成要素の問題は訳註でイラストを掲げておいたのでご覧いただいたことと思う。スピリチュアリズムではこれが定説となっており、スピリチュアリズム以外の分野でも、霊視能力者は同じような説、いわゆる“四魂説”を説いている。私は、これはもはや間違いない確定的事実であると断定してよいと考えている。

が、誤解しないでいただきたいのは、この4つともあくまでも“媒体”であって“自我”そのものではないということである。では、その“自我”、こうして意識している“自分”とはいったい何なのであろうか。

生まれ出た時、われわれは泣くことと乳房に吸いつくこと以外、自力では何ひとつできなかった。それがやがて笑うようになり、寝返りをうつようになり、ハイハイができるようになり、お座わりができるようになり、やがてつかまり立ちができるようになって、親は大騒ぎをする。

大騒ぎして喜ぶということは、それが大変な日数と努力を要する、お目出たい、有り難いことであることを物語っている。確かに、不幸にして順調にそうは行かない子もいるのである。しかも、そうした一連の成長過程の何ひとつとして、親が教えたものはない – みな自然発生的にそうなった。一体その原動力となっているのは何なのであろうか。

さらにその後、まさに驚異といえる人間特有の才能が芽生えてくる。ことばが話せるようになる。文字が読めるようになる。数がかぞえられるようになる。絵をかき、歌をうたい、詩に感動し、恋を知り、理性に目覚める。

その反対の感情として、人を憎んだり怨んだり、怒ったり悲しんだりすることは、精神衛生上からいうと“不健康”なことかも知れないが、最初は目に見えないほど小さな精子と卵子の結合体にすぎなかったことを思うと、私にはそれも素晴らしいことに思えてくるのである。

一体どこからそういう意念や情念が湧いてくるのであろうか。自分の意識では抑え切れないことがあるところを見ると、どうやら今の意識そのものではなさそうである。

実はスピリチュアリズムとの出会いがあって間もないころに私は、日本におけるスピリチュアリズムの草分け的存在である浅野和三郎の著書で日本の古い資料を現代風にアレンジした『幽魂問答』というのを読み、それが“自我”に関する疑問にいろいろとヒントを与えてくれているような気がして、40年余り私の心の隅にひっかかっていた。それが4年前の昭和63年の春ごろから再び脳裏をかすめるようになった。

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宮崎大門『幽顕問答』(表紙)

それまでの40年余り、スピリチュアリズム関係の著書を枚挙にいとまがないほど読んできて、私自身は、さきほども述べたように、“生と死”から“生”のみの生命観へと転換し、それを当たり前のように理幽解していたのであるが、なぜか『幽魂問答』だけは趣(おもむき)が違うような思いがしてならなかった。

それは多分、主人公の加賀武士の霊が由緒正しい大名の家柄で、武士道精神の固まりのような凜々(りり)しい青年であり、それが“数百年”もの歳月をかけて宿願を果たしたという、尋常な時間感覚を超えたドラマチックな物語だったからかも知れない。

ともかく私はそれを書棚の奥から引っぱり出して、もう1度読み直した。80ページばかりの短いもので、あっさりと読み通したが、読み終えて、ふと、浅野氏は何をネタにしてこれを書いたのだろうか – どこかに原典があって、それをアレンジしたに違いないから、その原典はどこかにあるに相違ないと思い、日本心霊科学協会をはじめとして、日本の心霊関係の機関に電話で問い合わせたが、そういうものはないし、もしあったらウチの方が欲しいくらいだといった返事ばかりだった。

そこで、そのドラマの舞台となった福岡県内の主な古書店に片っ端から電話で聞き合わせてみたが、見たことも聞いたこともないという返事ばかりなので、意を決して、五月の連休を利用して福岡の県立・市立両図書館を訪ねてみた。

そして、幸い郷土史家の協力もあって、それが、A3判ぐらいの和紙44枚をふたつ折にして綴じた、宮崎大門(おおかど)記『幽顕問答』であることが分かった。福岡県文化会館・太田資料No.281として保管されているもので、県立図書館の特別の厚意で全ページをコピーさせていただいた。

見出しは〈天保十年丁亥八月廿四夕陰靈出現發端之事〉となっていて、漢字とカタカナで綴られ、ところどころに小さい文字で“註”が施されている。

一種の憑依現象で、発端から一件落着までの時間は、延べにして20時間ほどにすぎないが、事の成り行き上“さにわ”の役をすることになった宮崎大門という宮司がよほど直観力の鋭い人だったらしく、最初からこれはただならぬ現象であると見抜いて細かくメモを取り、漢方医の吉富養貞にもメモを取らせておいて、帰宅してから徹夜でそれをつき合わせて整理し、清書したものだという。

概略を述べると、話は天保10年、西暦1839年のことで、米国におけるハイズビル事件の約10年前、ペリーが黒船来航する10数年前のことである。その7月4日のことであるが、筑前(福岡)の酒造家・岡崎伝四郎の若主人・市次郎が急に熱病にかかり、寝ついたきり2か月たっても一向に回復せず、からだはやせ衰える一方で、餓鬼のようになってしまった。

何人もの医者に診てもらったがまったく効果が見られないので、伝四郎は近くの神社の宮司で修法家の宮崎大門に依頼して、神道流の加持祈禱をしてもらうことにした。

その大門が訪れた時は、市次郎はもはや重態におちいっていて、数人の医者と家族・親戚、それに近所の人たち3、40人が集まって心配そうに見守っていた。

大門は急いで加特に取りかかることにして、まず祝詞を上げて祈念したあと、大刀を振りかざして呪文を唱えながら振り下ろすことを何度か繰り返すうちに、重態だったはずの市次郎がむっくと起き上がって布団の上に正座し、眼光鋭い眼差(まなざ)しで、大門が大刀を右へ振れば右へ左へ振れば左へと、油断なくその切っ先を見つめ、まばたきひとつしない。

その時の様子を大門は傍註で、《この時の趣はなかなか短筆にては書き取り難し。その座に居合わせたる3、40人の人々、それを見てよく知るところなり。面色みな青ざめ、身の毛もよだちしと、のちに言えり》(漢字・仮名づかいなどは修正。以下同じ)

と解説している。2か月近くも病床にあって髷(まげ)も解け、ざんばら髪となった上にひげも伸び放題だったので、そのものすごい形相が目に浮かぶようである。

さて大門の加持が終ると、市次郎は両手をひざの上にきちんと置いて一礼し、ついに口を開いてこう述べた。

「これほどまで懇(ねんご)ろに正しき道筋を立てて申される上は、もはや何をか包み隠さん。元は加賀の武士にて、故あって父とともにこの地に至り、無念のことありて割腹せし者の霊なり。これまで当家に祟(たた)りしが、いまだ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」いまだ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」

そこで大門が、何の目的あってこの地に来(きた)り、いかなる無念のことあってのことかと尋ねると、「余は父を慕いてはるばるこの地に来りし者なるが、父はこの地にて船を雇い、単身、肥前国(佐賀)唐津へ赴きたり。別れ際に父は余に向い、“汝は是非ともこのまま本国(加賀)へ帰れ。1歩たりとも余についてくることはならぬ”と言い放てり。このことには深きわけありて、今あからさまには告げ難し。さらに余が強いて乗船を乞うとも、父はさらに許さず、“どうしても帰国せぬとならば、もはや吾が子にあらず”と申せり。

かくまで厳しく言われては、子たる身の腸(はらわた)に徹して、その言に従うこととなれり。さりとて、本国へは帰り難き仔細あり。父が出船せしのち、取り残されたる吾が身はひとり思いを巡らせど、義に詰まり理に逼(せま)りて、ついに切腹して果て、以来数百年の間、ただ無念の月日を送りたり。吾が死骸は切腹したるまま土中に埋もれ、人知れず朽ち果てたり…」

そう述べた時には目に涙すら浮かべて、世にも悲しげな表情だったという。“国元へ帰り難き仔細”というのは、あとで武士みずから明かしたところによると、この武士の家は加賀の殿様から三振りの刀を下賜されたほどの誉(ほま)れ高い家柄だったのが、あるお家騒動で父親が濡れ衣を着せられ、殿の怒りを買って国外追放となったという。

その出国に際して当時17歳だったその武士も、ぜひお供をしたいと思い、再三そう申し出たのであるが、父親は断固としてそれを拒(こば)み、お前は我が家のたったひとりの男児なのだから居残っ家を再興してほしいと頼み、母親にもその旨を言い含めて出立したのだった。

が、その後も父を慕う思いを抑え切れないその武士は、ついに母親の制止を振り切って、伝家の宝刀を携えて出国し、諸国を訪ね歩いて、6年ぶりに父に再会した。右の話はその時のことである。そのあと大門と武士との間で次のような問答が続いている。

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泉熊太郎の霊を祀る祠(階段の上)

大門「何のためにそれほどまで人(市次郎)を悩ましむるや」

「ひとつの願望あり。その事を果たさんとてなり」

大門「ひとつの願望とは何のことぞ。切腹したる時は何歳なりしや。姓名は何と名のられしぞ」

「余の願望は一基の石碑を建てていただくことにて、その一事さえ叶えてくださらば今夕にも当家を立ち退く所存なり。その一念を抱きつつ時と人とを得ぬまま、ついに数百年の歳月をへて、今ようやくその機に臨むことを得たり。切腹したるは22歳の7月4日。次の姓名の一儀にいたりては、何分にも今さらあからさまに明かし難し」

大門「姓名を名のらずして石碑の一儀をたやすく受け合うわけには参らぬ。姓も名もなしに敢えてその事をなすは、道にあらず。よって、そこもとの望みは承諾できぬ」

「武士たる者、故ありて密かに国を退(ひ)きては、姓名を明かさぬが道なり。さりながら、名のらずしてはその一儀受け合い難しとの御意(ぎょい)、一応もっともなり。受け合わずばこれまで人を悩ましたること、その甲斐なし。

されど、石碑建立(こんりゅう)の一儀を叶えてくださらば、さきに申せしごとく即刻引き上げ、市次郎も平癒に及び、以後は人を悩まさず、また当家への祟りも止むべし。祟りを止め当人平癒しさえすれば、明かし難き姓名を明かさでもよろしきにあらずや。かくまで懇ろに取り計らっていただくからには、申してもよき事ならば何故に包み隠しましょうぞ。武士道に外(はず)ればこそ隠すなり」

大門「そこもとの申す筋合は一応もっともなれど、姓名を刻まぬ石碑を建立するは神道の方式に適わず。よってそれに背きてまで石碑を建つわけには参らぬ」

「是非にも姓名を明かさざれば受け合えぬとのことか…今となりては如何にせん。姓名を偽るはいと易けれど、吾が本意(ほい)にあらず。実名を明かさでは、また道にあらず。君に仕えし姓名を私事(わたくしごと)の願いのために明かさではならざる身となり果てたるは、さても吾が身ながら口惜(くちお)しき次第なり。打ち開けざれば願望ならず、願望ならざればこれまで人を悩ましたる事みな徒労となるなり…」

と言って大きく嘆息する。そして、しばし俯(うつむ)いていたが、やがて内心ついに観念したとみえ、近くの者に、「紙と硯(すずり)とを貸せよ」と言い、それを受け取ると静かに墨をすり、紙面に〈泉熊太郎〉と書き、それを手にして、「石碑は高さ一尺二寸にして、正面には七月四日と書けばよろし。この姓名は決して他に漏らすまじきぞ」

と言い、改めて筆をとって石碑の形まで書き記し、さらに〈七月四日〉と書き添えた。

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宮崎大門筆の“高峰大神”と熊太郎筆の“七月四日”が刻まれている

もっとも、最終的には写真でごらんの通りの大きなものとなり、祠(ほこら)までしつらえてもらっている。そして150年ほどたった今でも、7月4日には近隣の人々が集まってささやかな供養をしているという。

写真は私自身が現地を訪れて撮影したものである。武士特有の気概が全編にみなぎる、日本人にとって実に興味津々たる心霊譚で、その意味でも、世界に類を見ない貴重な資料であるといえる。同時に、焦点を“自我の本体”に置いて読むと、きわめて示唆に富む事実をいくつか見出すことができる稀有な資料であるとも言える。

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熊太郎自筆の「誓約書」

そのひとつは、加賀の武士と名のる霊の書いた毛筆の文字が、衰弱しきった重態の市次郎にはとても書けないほどの筆勢あふれる達筆であると同時に、近代では見かけない古書体も混じっていることである。ここに紹介したのは“2度と憑依はいたしません”という約束を書いた“誓約書”で、これを宮崎はこう書き下している。

《此の度大門御剣を以て拙者立ち退く様、心苦仕る趣に相見、天保十年八月二十四日夜、御剣を奉拝、此の上の仕合せ過分に存じ、同夕此の家を立ち退き、以来此の家(に限らず、人を悩まし候儀、急度相慎み候)》

この事実は、毛筆で書くという一種の技術的ないし芸術的才能は“脳”にあるのではないことを物語ってはいないだろうか。

次に、熊太郎が6年にわたって父を求めて尋ね歩き、ようやく芸州(広島)で出会うまでの道中のことは一切述べられていないが、それからのち、父親が夜のうちにこっそりと宿を出て小倉へ向かったことを知って、すぐにそのあとを追い、3か月後に小倉で再び父の姿を見つけるが、非情にも父親は息子に一瞥もくれずに、こんどは唐津へ向けて舟で行ってしまう。

この時点で熊太郎は絶望的になり、死に場所を求めて博多湾沿いの村をいくつか通りすぎるのであるが、大門の問いに対して、熊太郎はその村々の名をきちんと答えている。ということは、数百年たった今もその地名を記憶していたことになる。

私も念のためにそのいくつかを確認してまわったが、村のたたずまいや岸辺の風景は熊太郎の叙述とはかなり異なり、村が町になり、小さな港町が交通の要衝となったりしてはいるが、地名そのものは今もそのまま残っている。このことから、“記憶”も脳にあるのではないということが言えるのではなかろうか。

これに関連したことで実に興味ぶかいのは、在世中のおよその時代をつき止めようとして大門が出した質問に対する返答が、やはり市次郎の記憶では有り得ないことを物語っていることである。次がそれである。

大門「そこもとの在世中のことは極秘になされたき意向をくみて尋ねることを控えるが、当時の都(みやこ)は大和なるや山城なるや、はたまた近江なるや」

「すでに山城に定まりて後なり。延暦(えんりゃく)よりはるか隔ちたり」

大門「ご当代になりて後か」

「ご当代?」

大門「家康公ご治世の後か」

「家康公?さようなことはいまだ聞き申さず」

大門「頼朝公前後か」

「そのことはこれ以上お尋ねくださるな。年号と君父のことは決して語らずと、先夕申せしにあらずや」

脳が肉体の中枢器官であることに疑問の余地はないとしても、その奥に何かが存在して脳を操っていることになりそうである。それを宗教的には“霊(スピリット)”とか“魂(ソウル)”と呼び、心理学では“精神(マインド)”と呼んでいる。

これまではそれも脳の派生物として捉えようとしてきたが、右のいくつかの事実から明らかなように、脳や肉体とはまったく別個の意識体 – 本来の自我が存在するらしいのである。

もうひとつ指摘したい事実は – これは全編を通じて一貫して見られる特徴であるが – 熊太郎は“武士”であることに誇りを持ち、いずれは大名になる家柄であることを意識していた精神構造が随所に窺われることである。

たとえば、当時の加賀の殿様の名前を何度訊ねられても、自分のような恥さらしの人間の口から言うのは畏れ多いという一種の“主君への忠義”から、最後まで口を割らなかった。

現代人の常識からすれば、そもそも父親を国外追放処分にしたのはほかならぬ殿なのであるから、その殿に対して今さら忠義立てする必要はないのではないかと言いたくなるが、そこが武士道の世界なのであろう。

姿格好は病気でやせ細った市次郎でありながら、それが端座して、3、40人の者を前にして死後の世界についての人間の無知と誤解を諭(さと)す時などは、まるで大名が家臣の者たちに言って聞かせるような風情があり、家の者が湯茶などを差し出す時は思わず平伏してしまい、父親の伝四郎も、日頃息子に使用していた言葉がどうしても出なかったという。

こうした事実から、われわれが日頃の生活の中で身につけている精神上の性格や習性、教養、嗜(たしな)み、物の言い方なども、肉体が滅んだあともそっくりそのまま残っていることになりそうである。

ところで、この武士は自分が生きていた年代のことは“武士たる者の忠義”として最後まで明かさなかったが、問答の様子から判断して、どうやら源頼朝の時代(12世紀後半)より少しのちらしいことが推察される。

となると、少なくとも5、600年は経っていることになるが、本人が言うには、その間ずっと割腹自殺した場所にいて、時おり霊界を訪れたり地上界をのぞいたりしながらも、ひたすら石碑建立の願望の達成のために、岡崎家の親族・縁者に働きかけていたという。

れわれ生身の人間の時間感覚からすると、いい加減うんざりしそうなものだと言いたくなるこれは、肉体の生理的リズムと太陽の動きを基準にした地上の時間感覚がそう思わせるだけで、霊の世界には地上でいう時間は存在しないらしいのである。

さきにも述べたように、われわれは生まれ出た時から、否、母親の体内にいた時から地球という物理法則に支配された環境で生きていくための訓練をし、それが当たり前のこととなるまで体得してきている。従って、その感覚にそぐわないことは信じられないようになっている。

かといって、ではわれわれは人体のしくみ、たとえば“見える”とか“聞こえる”という現象のメカニズムが自分で理解できているかというと、一般の人間はおろか、専門に研究している人にとっても不思議なことだらけで、なぜそうなるのかとなるとひとつも分かっていないのが正直なところであろう。それでいてちゃんと“見え”、ちゃんと“聞こえて”いる。そこがまた不思議である。

そう考えてくると、人間がこの肉体以外に目に見えない身体をそなえていて、死後はその身体で生活すること、しかも地上で身につけた精神的なものは何ひとつ失われることがないこと、それどころか、思いもよらなかった能力や感覚が現われて、地上生活にくらべたら夢のような世界が展開していることを知る、といった事実を前にして、これを頭から否定すべき根拠はどこにもないことになる。

とは言うものの、やはり死後の世界の存在は容易には信じ難いことも事実である。そこで私は、こう考えたらよいのではないかという、ひとつの見方を提案してみたい。

私は原子エネルギーについては、自分の身体のしくみについて知らないのと同じくらい、専門的なことはまるで知らないし、その道の書物を読んでも理解できないのであるが、常識的な捉え方として、原子が物質を構成する極微の粒子であること、そしてその中心にある核を分裂させたり融合させたりすることによって、途方もないエネルギーを発生させることができる、といった程度に理解して間違いないであろう。

こうした図式を人間の“自我”ないし“意識体”についても当てはめてみてはどうであろうか。肉体のほかに幽体・霊体・本体という目に見えない身体があることはまず間違いない事実であるとしても、それらもあくまで自我が使用する媒体であって、自我そのものではない。

自我の本体は肉眼では見えないし、いかなる計量器でも捉えることはできない。が、それが地上生活のすべてを支配すると同時に、物的環境による制約を受け、われわれはそれを当たり前のこととして、慣れ切っている。

それが1848年のハイズビル事件以来、数多くの霊媒と学者による科学的な研究によって、人生の終りと思っていた墓場の向こうにも想像を絶した世界が広がっていて、肉体から脱け出た自我は、肉体という物的制約によって発現を抑えられていた霊的能力や感覚を発揮して、今もなお、その広大無辺の世界で躍動に満ちた生活を送っていることが分かってきた。

物質を分析しながらつき進んでいったら原子という目に見えない基本粒子に行きつき、その核に莫大なエネルギーが潜在していることを知った人類は、こんどは脳のしくみの奥に目に見えない自我の本体があって、それにも無限の可能性が秘められていることを知るところまで来た、ということである。

本書で紹介されたものはスピリチュアリズムのごく一部 – 大ざっぱなスケッチにすぎない。

が、願わくは読者が、ドイルほどの知性と教養と名声をそなえた人物が、存在の不思議を意識しはじめた青年時代から40年余りをかけて調査・探求した結果、“死後の世界”は間違いなく実在する – しかもそこは地上よりはるかに素晴らしい世界である、ということを確信するに至ったその経過を取りあえず紹介した“序説(プロローグ)”として、本書を、人間とは、自分とは、人生とはという古今の大問題を真剣にお考えいただく縁(よすが)としてくだされば、書物としては古いものではあっても、紹介しただけの価値があったと、訳者としてうれしく思う次第である。

平成4年1月

近藤千雄

※表紙テキスト

“電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もない重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は電話のベルにすぎなかったのだ” – ドイルはそう述べて、大切なのは現象そのものではなく、それが示唆している死後の世界の実在と、それを土台とした霊的人生思想、すなわち近代スピリチュアリズムであると主張する。

霊性を失った既成宗教ではもはや、悩める魂も、病める地球も救えないと断ずるドイルが、その破天荒の処方箋を本書で提示する…

訳者

※裏表紙テキスト

スピリチュアリズムの夜明け

山本貞彰(元牧師 スピリチュアリズム研究家)

これはコナン・ドイルの真相について我が国で初めて紹介される画期的な著作である。著者ドイルが他界して60年以上も経過しているのに、本来の彼の姿がよく知られていないことに驚かされる。

ドイルはかなり若い頃からスピリチュアリズム(地球浄化の原理)に接近し、40年近い研究と検証を重ねた結果を本書に著した。これによって多くの読者は、ドイルがいかに霊的洞察力に秀でた人物であったかを識ることができるであろう。

この度、我が国に於けるスピリチュアリズム研究の第一人者、近藤千雄氏の手によって翻訳され、ドイルの真の心が伝えられることは実に意義深いことである。

世におもねる心霊関係図書が氾濫し、マスコミが人々の好奇心をあおる中で、スピリチュアリズムの正道を地道に歩まれてきた孤高の訳者の努力が日の目を見ることに快哉を叫ぶものである。本書によって、我が国にスピリチュアリズムの夜明けが到来する有力な契機となってほしいと心から念じる次第である。

※著者紹介テキスト

アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)

エジンバラ大学医学部卒。26歳で医学博士号を取得。32歳で眼科医院を開業するがその年のうちに廃業。“ホームズ”シリーズで生計を立てながら心霊現象に関心を抱き、死後の生命を確信。晩年には世界各地でスピリチュアリズム思想を講演。スピリチュアリズム関係の著書としては本書に収められた2編のほかに、大著『スピリチュアリズムの歴史』を含む10数冊がある。

※訳者紹介テキスト

近藤千雄(こんどうかずお)

昭和10年生。高校時代にスピリチュアリズム思想を知り心霊実験会にも出席して、死後の世界の実在を確信。明治学院大学英文科に在学中から原典を読み、その翻訳を決意して4年次で“翻訳論”を専攻。これまで2度渡英して著名霊媒・心霊治療家と親交を深める。訳書44冊、編著書3冊。英語教室経営。

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†