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ホワイトイーグル霊の英語書籍「The Living Word of St John」ほぼ新品のようなキレイなペーパーバックが到着しました。これならスキャン画像もキレイ、OCR変換精度も高いでしょう。ページ内に霊媒グレース・クック女史の画像があります。これはイイ。

すぐスキャンに取り掛かりたいのですが「Paul In Athens」が佳境に差し掛かっていますのでまずはコチラに集中中、長かった旅が間もなく終了しそうですハァァ。英語書籍のテキスト化も重要ですが、既にOCR変換まで完了させている近藤千雄先生の書籍のテキスト見直しもやらないといけません。こうやってテキストの作業に忙殺されて絵が全く描けない、これが僕には大問題なのです、困り果てています。

“ある脱出アイデア”を実行に移し作業時間を増やす事がもはや必須の状況となっていますが、霊団は「そんな無意味な事を」とでも受け取れそうな事を言ってきています。しかしこの12年間、霊団が間もなくああなるこうなると言ってきてその通りになった事が1度たりともありませんので、残念ですが僕はもう霊団の言う事をあまり信用してないのです。

事実「反逆」の旗も降ろそうとしません、これだけ猛烈に脅されて止めさせられそうになっているにもかかわらず僕は脱出を決行しようとしています。今まで導きに従ってきましたが従えば従うほど苦しい状況に追い込まれ事態が好転する事が1度たりともなく、現在はもう目も覆わんばかりの悲惨な状況に閉じ込められているのです。わざとやっているとしか思えないのです。

ですのでよほどの事がない限り僕の脳内計画の通りに事を進めていきます。霊関連書籍テキスト化、アナログ絵描画、トレイルムービー復活、この3つのコンテンツを同時進行させるために作業時間を増やせる可能性のある脱出方法を試みるつもりです。別に使命遂行をサボってるんじゃないむしろ推し進めようとしているんだ。文句を言われる筋合いはないと思うのですが。

YouTubeで山岳遭難ムービーを集中的に見てお勉強しています。僕はもうジイサンですので、今までは元気とパワーと勢いで切り抜けられたかも知れませんが、今後は心で大丈夫と思っていても身体がついてこないという事態になる事が大いに予測されるため、多くの遭難事例を知る事で自分に役立てようとしているのです。

本当に耳を覆いたくなるような事を霊団に言われているのです。が、手で耳を覆っても霊聴ですから問答無用で聞こえてきてしまう。ったく霊性発現して良いんだか悪いんだか、と言いたくなります。さぁ手は止めるな。テキストと格闘、絵を描く時間を捻出してみせる、ムービーでお勉強。僕は常に全力(祈)†

「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†■2024年5月29日UP■
「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†
僕の活動内容は徹頭徹尾霊的内容であり、インスピレーションに基いて怒涛の勢いでブログを更新し続けています、その教会とは情報量が圧倒的絶対的に違いますので、霊的能力のない牧師が僕のWordPressを見たら少なからず恐怖を感じるかも知れませんね。そういう意味で「奪われてしまう」と霊団が降らせてきたのかも知れません。「岩におじさんの顔が」コレなんですが昨日のスーパーレインアタック(山行)の時に、ふと道の岩に目をやった時に、その岩に知らないおじさんの顔が見えたのです。しかもかなりハッキリ見る事ができました。僕はサイキックではありませんので自分の意思で見たいモノを霊視したりする事はできません。今回の映像ももちろん霊団が見せてきたものとなります。で、今週の動きから推察するに、このおじさんもたぶんキリスト教関係者ではないかと予測します。もう帰幽している元牧師とか、そういう感じかも知れません、もしかしたら訳者、山本貞彰氏だったりなんかして。山本氏の画像がありませんので容姿を知りませんが、そういう可能性もなくもないです。山本氏が僕の復刊に向けた作業に対して感謝の念を抱いて下さっているという意味かも知れません…続きを読む→
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†■2022年7月13日UP■
「しかしこの応援団」心秘かに使命遂行を応援して下さっている方々の思念だと信じたいですが(祈)†
誰もみな「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する恐怖心があって公言できずにいるが、心の中では僕、たきざわ彰人の霊的使命遂行を応援して下さっている、という事でいいのではないでしょうか。それこそ本心であり、人間として当然の感情であり、信じられない人数の幼い女の子をケタケタ笑いながら四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して怒りの感情を抱かないとしたら、それはもはや人間とは呼べず、人間のカタチをマネているだけの何らかの暗黒物質という事になるでしょう…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

ジェームズは自分の厳しさを悔い改め、ムナソンの小さな住居に使者を派遣した。この男は教会の長からパウロに愛の挨拶を伝え、聖人は歓迎の家の客として招かれた。そこでは大きな部屋が与えられ、ヘブライ人の兄弟たちはパウロを尊敬され大切にされるべき弟子であるかのように扱った。

そこでジェームズはパウロの捧げ物について語り合った。雌の子羊5頭、雄の子羊5頭、雄の子羊5頭が選ばれた。これらは、清めの場所でパウロのそばに立っていた4人の男たちの犠牲となることになっていた。油を混ぜたパン、油を塗った種なしパンがすべて用意され、パウロはそれらの費用を負担した。

エルサレムに着いた日に、彼は父親が長男にかなりの遺産を残したことを知った。彼は今や、人々の間で権力と名声を持つ金持ちになっていた。そのため、大祭司は心が穏やかではなかった。もしパウロが貧しい人、民衆のひとりであったなら、彼はすぐに倒されただろう。

しかし、タルソスの裕福な商人サウロの金持ちの息子であるパウロは、公然と攻撃されれば強力な敵となるかもしれない。それは、金の賄賂がローマ人の権力者の多くを改心させた時代だった。

それで、メネハスが大祭司を探し出してパウロに対する古い告発を主張したとき、彼は長い間話すことを許されず、パウロが父祖の慣習に従って歩んでいるという知らせが長老たちに伝えられたと告げられた。

彼は4日間、清めの場所に立っていた。そして、彼の供え物は準備されていた。したがって、このように律法を守り、誓いを果たした者に対して性急な発言を控えるのはよいことだった。

メネハスはアナニアの前から立ち去ったとき、大いに落胆した。彼は、あるアジアのユダヤ人と、アレクサンダーの親族で彼からエルサレムに派遣されたポリオという人物を探し出した。このポリオは、アレクサンダーから、パウロを罠にかけ、網にかかった鳥のように捕らえるよう命じられた。

そこで、メネハス、ティロニス、ポリオの3人の敵は、他のアジアのユダヤ人の先頭に立ち、大祭司の宮殿に代表団として向かった。時が経ち、パウロは間もなくナジル人の誓いを果たすことになる。そうなれば、聖人を律法に関する異端で告発するのは実に困難になるだろう。

しかし、彼らがタルソスのパウロの件について大祭司の召使に告げると、彼は彼らに謁見を与えることはできないと伝えた。おそらく、あと1時間で彼らと話をするだろう。

しかし、彼はこの件に関する長老たちの意志を宣言することはできなかった。彼らはまだこの件について互いに協議していなかったからである。それで、この邪悪な男たちは、彼らのすべての戦略が無駄になったかのように、当惑し、怒ったまま自分の住居に戻りました。

パウロにとって、彼らの旅はゆっくりとした日々だった。彼は清めの場所に立って、何時間も過ぎていくのを眺めていた。彼はその季節の間ずっと、神に祈り、神と交わることができると思っていた。しかし、大勢のユダヤ人がやって来ては去って行き、立ち止まって彼を見つめ、互いにささやき合っていた。

パウロは彼らのささやきの中に悪意があることを見抜いた。彼は若い頃に知っていた顔に気づいた。彼らの言葉の思い出は、刺すような棘のようにパウロを苦しめた。彼らを追い払い、心を水晶のように澄ませて、神聖さだけを思い浮かべるのは、彼にとって困難だった。

サドカイ派は緑と黄色の服を着て通り過ぎ、悔い改めた者を軽蔑の指で指差した。頭を上げると、彼らの黄色と赤の頭巾が彼の目の前で誇らしげに見えた。そこには、白いローブと同じくらい暗い考えを持つ、頬の痩せたパリサイ人がいた。

そしてついに、コリントの教会を転覆させようとしていたメネハスと、その仲間のポリオとティロニスがやって来た。彼らもまた、ざわめく群衆の中に立ち止まった。しかし、彼らの心には、単なる驚きと悪意以上のものがあった。

彼らの態度は、獲物を倒す準備をする狩人であることを示していた。しかしパウロは、彼らに対して心を閉ざした。賢明なガマリエルと、ひげのない若者に与えた助言の言葉を思い出し、異邦人の使徒の監視するタカの目をした敵によってかき立てられた心配を払いのけた。

まさにその法廷でガマリエルは口を開き、「小人の悪意、彼らがあなたに対して語るスキャンダル、彼らの邪悪な陰謀に心を留めるな。これらはすべて、過ぎ去って2度と来ない風のようなものだ。あなただけがあなたの人生の秘密を知っている。「もしあなたが正直な人なら、小さな人々の憎しみを誇りなさい。それはまことに、あなた自身の価値の証しなのです。」

パウロは高慢になることも、自分が他の人より偉いと考えることもありませんでしたが、それでもガマリエルのこの高慢な助言は、彼が多くの軽蔑的な人々の標的となり、彼らの厳しい視線とささやく悪意を黙って耐えなければならないように思えたあの疲れた日に、彼に平安をもたらしました。

「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→
■2021年2月10日UP■
僕がこの8年間、霊団から強制的に見させられている最悪映像について説明してみます(祈)†
行動には動機がある、と公言し続けていますね。霊団はもちろん僕が刑務所映像を嫌がっている事を把握しています。しかし僕にこれだけ憎まれても見せ続けてくるのには理由、動機があるという事になります。その動機こそ他でもない「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込み奴隷の女の子たちを救出するため、もっと言えば、物質界に長らくはびこる邪悪、この「大量強姦殺人容認システム」とも言うべき仕組みを完全に破壊する、つまり、この大願悲願を成就させるためには霊の道具(アキトくん)にブログを書かせ続けねばならない(あと情報拡散もやらせねばならない)我々はインスピレーション(つまりブログネタ)は降らせる事ができる、が仕事の舞台は物質界なので、物質界に残した道具(アキトくん)がブログを書く時間を確保せねばならない、アキトくんがこの仕事を嫌がっているのは承知しているが、アキトくんがデザインの仕事に戻ってしまったら(ブログDreamworkでも説明していますようにデザインの仕事は大抵都内で通勤時間が往復3時間以上かかり、さらにデザインの仕事は残業が多いので)ブログを書く時間が消滅してしまう…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→