意味がよく分からないが映像は鮮明という感じでしたが、その中で男性が霊体の僕の頭を呆れたような感じでペチンと叩いてくるという事がありました。たぶんこの男性は霊団メンバーのひとり、それも僕に対していつもダメ出しをしてくる側のメンバーでしょう。

つまり僕が何が何でも脱出をあきらめず“ある脱出アイデア”を実行させるためにメールを出した事に対してダメ出ししてきているという事です、なぜ、なぜそこまでして閉じ込める必要があるのか。閉じ込めた先に何の使命遂行の前進もないというのに。まるっきり意味不明。

さぁインスピレーション枯渇、イヤ皆無、今度こそ長文ブログをボイコットする可能性がありますが、まずはフラー26カラーリング続行中。ああでもないこうでもないと悩みながら塗り続けてきましたが、ようやくまぁまぁな感じになってきました。止まらずガンガン作業しましょう。

そしていよいよスノーシューアタックが始まります。明らかにこれまでより低温に弱くなっている事を体感しており(7kg近く痩せているので脂肪が落ちており身体の保温力が落ちているという意味)-20℃の美しくキビシイ真っ白な世界に飛び込む事を待ち焦がれる気持ちと「果たしてこのレイヤーで耐えられるだろうか」という恐怖が混在しています。

とはいえこれ以上レイヤーを増やすのは不可能ですので(メチャメチャ重ね着していてもうモッコモコなのです)どのみちこのレイヤーでアタックするしかありません。さぁどうなるか。

なぜそこまでして閉じ込めなければならないのか。そんなにイジメが楽しいのか。本当はコイツら(霊団)は何もするつもりがネィんじゃネィのか。怒り、悩みは尽きませんがフラー26に戻りましょう(祈)†

「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†■2024年5月15日UP■
「何のために霊能やってるんだ」物的手段に訴えるな、霊団に従え、という意味です(祈)†
この地球、この宇宙は全て【神】のものです。今僕たちがまとっている肉体さえ僕たちのものではありません。全て神からの賜りものであり、僕たちの所有物などというモノは存在しません。物的金銭を蓄積する事ほど愚かな事はありません。肉体は100%朽ち果てるようにできているのですから人間は自動的に帰幽して物質界を離れます。その時、霊界に物質は持って行けません。100兆円稼いでも1円も霊界に持って行けないのです。物質界での金銭の蓄積は全く無意味である事を物質界生活者が理解するのはまだ1000年以上先の話かも知れません。物質界生活中に僕たちがやるべき事は「心を鍛える」という事です「自分を磨く」という事です。それが帰幽後の霊界生活に役立つのであって、霊界人生に何の役にも立たないおこないは、少なくとも僕、たきざわ彰人のブログをご覧の皆さまには慎んで頂きたい、その悟りの壁を突破して頂きたいと願わずにはいられません…続きを読む→
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

今日の僕はずっと(イヤいつもですが)「最後の1秒まで脱出をあきらめない、死んでも出てやるぞ」とずっと唱え続けていました。その僕の思念を受けて霊団がずっとキャーキャーうるさかったですが、先ほど脱出にまつわる“あるメール”を送信しました。

ただの問い合わせでありこれで何かが決まる訳ではありませんが、どうしてもこの先ずっと(たぶん一生)イヤでどうしようもないところに閉じ込められるのが、どうしても、どうしても耐えられないので、何とかして“ある脱出アイデア”を実行する糸口をつかもうと思っているのです。

もう霊団がうるさい。そこまで強硬に僕の脱出を阻止したからって、その先に何の使命遂行の前進があるんだよ。この脱出アイデアが実行に移されればたぶん間違いなく作業時間が今より増える事になる。霊関連書籍テキスト化、使命遂行の諸作業、アナログ絵描画、等々の作業時間を今より増やす事ができ、さらにトレイルムービー復活の可能性も見えてきます。

さらに、今の生活では出版社設立など夢のまた夢ですが、そのアイデアが有効であればそれさえ現実味を帯びてくるのです。イイ事尽くめじゃあないですか、なぁーにをギャーギャー騒ぐ必要があるんだよ。シャレじゃなく本当にこの霊団とか名乗っている連中は「僕に何もさせない」事が目的なんじゃないかと勘ぐってしまいます。

本っっっ当~にもう…イヤでイヤでどうしようもないんですよ閉じ込められるのが。もうムリ絶対耐えられない。死んでも脱出してみせる、霊団に何と言われようと絶対最後まであきらめないぞ。フラー26に戻ります。汎用モード選択範囲65%切り終わってます。脱出以外の人生なんて絶対にない(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→

霊界通信の信憑性の拠り所

前章ではキリスト教を例に挙げて、スピリチュアリズムの啓示によって改革を迫られるに相違ないと思われる教義を指摘したが、これは伝統的宗教のすべてに及ぶべき、きわめて範囲の広い、しかも問題点の多いテーマである。ここではこれ以上広げないで、新しい啓示によって明らかとなった死後の実相に迫ってみたい。

このテーマになると資料は豊富である。しかも、スピリットからの通信に矛盾点もあまり見出せない。メッセージは世界のすべての国ないし民族において“お告げ(メッセージ)”という形で太古から入手されてきている。問題は、それがどこまで正確かということである。

その判断の拠り所として、太古から引き継がれてきた死後の世界の概念と比較してみて、細かい点でまったく相反する事柄について新しい啓示がことごとく一致しており、そこに一貫性が認められる場合は、それを真実と受け取ってよいと私は考える。

たとえば、私が個人的に受け取った15ないし20種類のスピリット・メッセージがことごとく同じことを言っているのに、それがすべて間違っているということは、ちょっと考えられないことである。

メッセージの中には地上時代のことに言及したものも多く、それが人間個性や記憶の証拠とされることが多いが、そうしたスピリットが、過去の地上世界のことは本当のことを言い、現在の霊界のことはウソを言うということも、とても考えられないことである。

死の直後

死の直後について私がまず間違いないと見ているのは、次の諸点である。“死ぬ”という現象には痛みは伴わず、いたって簡単である。そして、そのあとで、想像もしなかった安らぎと自由を覚える。やがて肉体とそっくりの霊的身体をまとっていることに気づく。

しかも、地上時代の病気も障害も、完全に消えている。その身体で、脱け殻の肉体の側に立っていたり、浮揚していたりする。そして、霊体と肉体の双方が意識される。それは、その時点ではまだ物的波動の世界にいるからで、その後急速に物的波動が薄れて霊的波動を強く意識するようになる。

いわゆる“臨終”の際に遠くにいる肉親や縁者に姿を見せたりするのは、その時点ではまだ霊体に物的波動が残っているからである。エドマンド・ガーニー氏(1)の調査によると、その種の現象の250件のうち134件が死亡直後に発生していることがわかっている。物的要素が強いだけ、それだけ人間の霊視力に映じやすいということが考えられる。

しかし右の数字は、蒐集された体験のほぼ半分ということであって、地上で次々と他界していっている厖大な死者の数に比べれば、稀れなケースでしかない。大部分の死者は、私が想像するに、思いも寄らなかった環境の変化に戸惑い、家族のことなどを考えている余裕はないであろう。

さらには、自分の死の知らせで集まっている人たちに語りかけても、身体が触れても、何の反応もないことに驚く。霊的身体と物的身体との波長の懸隔があまりに大きいからである。

光のスペクトルには人間の視覚に映じないものが無数にあり、音のスペクトルにも人間の聴覚に反応しないものが無数にあるということまで分かっている。その未知の分野についての研究がさらに進めば、いずれは霊的な領域へとたどり着くという考えは、あながち空論とは言えないのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。

それはさておいて、死者がたどるそのあとの行程を見てみよう。やがて気がついてみると、自分の亡骸(なきがら)の置かれた部屋に集まっている肉親・知人のほかに、どこかで見たことのある人たちで、しかも確か他界してしまっているはずの人たちがいることに気づく。

それが亡霊といった感じではなく、生身の人間と少しも変らない生き生きとした感じで近寄ってきて、手を握ったり頰に口づけをしたりして、ようこそと歓迎してくれる。

その中に、見覚えはないのだが、際立って光輝にあふれた人物がいて、側に立って“私のあとについて来なさい”と言って出て行く。ついて行くと、ドアから出て行くのではない。驚いたことに、壁や天井を突き抜けて行ってしまう。こうして新しい生活が始まるというのである。

以上の点に関してはどの通信も首尾一貫していて、一点のあいまいさも見られない。誰しも信じずにはいられないものである。しかも、世界のどの宗教が説いていることとも異なっている。先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。

人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさもたずさえた生前のその人そのままである。予想もしなかった体験に、いかに軽薄な人間も、あるいはいかに愚かしい人間も、畏敬の念に打たれて、いっぺんに慎み深い心境になってしまうのではないかと想像される。

事実、一時的にはそういうことになるかも知れない。が、時がたつにつれてその感激が薄らいで、かつての本性がふたたび頭をもたげてくるものらしい。それは、交霊会に出てくるスピリットの言動から十分に窺い知ることができる。

ここで話が少し後戻りするが、そうした新しい環境での生活が始まる前に、スピリットは一種の睡眠状態を体験するらしい。睡眠時間の長さはさまざまで、ほんのうたた寝ほどの短時間の場合もあれば、何週間も何か月もかかる場合もある。(2)

ロッジ卿のご子息のレーモンドは6日間(地上の日数にして6日に相当する時間)だったという。私がスピリットから聞いたものにも、この程度の期間のものが多いようであるが、意外なのは、スピリチュアリズムの先駆者であるフレデリック・マイヤースが、かなりの期間、無意識状態のままだったことである。

私の推察では、睡眠期間は地上時代の精神的体験や信仰上の先入観念が大きく作用するもののようである。つまりこの悪影響を取り除くための期間であって、その意味では、期間が長いということはそれだけの睡眠が必要ということになる。したがって幼児はほとんど睡眠を取る必要はないのではあるまいか。

これは私の推測にすぎないが、いずれにせよ、死の直後とそのあとの新しい環境での生活との間には、大なり小なり“忘却”の期間があるということは、すべての通信が一致して述べていることである。

“地獄”という名の場所は存在しない

さて、その睡眠から目覚めたばかりのスピリットは、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、いたって脆弱(ぜいじゃく)である。が、地上の赤ん坊と違ってスピリットは急速に元気を取り戻し、新しい生活を始める。ここでわれわれの頭をよぎるのは、天国と地獄の問題である。

いやしくも理性をそなえた方ならば私の意見に同意なさると思うが、私はこれで地獄説は完全に脱落すると考える。

全知全能の創造者という概念にとっても冒瀆的な、この不快きわまる概念は、もともと誇張的になりがちな東洋的語句から生まれ出たもので、ちょうど野生の動物が探険家の“焚き火”に怯(おび)えたように、野蛮な時代の人間を脅(おど)しておとなしくさせるには有効だったかも知れない。

が、どうやら“地獄”という場所は存在しないことが明らかとなった。しかし、罰の概念、浄化のための戒めを受けるという意味での煉獄ならば存在するというのが、一致した意見である。

たしかに、邪を正すための罰がなければ、宇宙に“公正”は存在しないことになろう。たとえば邪悪な僧侶の代名詞のように言われているラスプーチンが、僧侶の鑑のように言われているダミアン神父と同じ運命をたどるということは、とても考えられない。善因善果・悪因悪果の法則は厳然として存在するはずである。

ただ、“善”と“悪”のふたつの概念だけですべてを片づけてはなるまい。“霊性”の発達程度を基準にして考えれば、発達の遅れたスピリットはそれを促進するのに相応しい環境に落着く。それは低い界層かも知れないが、未熟なスピリットには相応しい。

それが、体験と上層界のスピリットによる援助と教育とによって、霊性の発達とともに上層界へと進んでいく、ということであろう。高級霊にとってはそれが重要な仕事のひとつであるという。それをジュリア・エイムズは次のようにうまく表現している – “天国の最大のよろこびは、地獄を空(から)にすることである”と。

「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→