心が高ぶりすぎて逆におかしな事にならないよう、つとめて落ち着くようにしています。いつも通りに行動するんだ。久々にど真ん中で雪にさわるのでどうしても心が躍ってしまいます。寒いのに何でこんな風になるんでしょうね。

で、アタック帰還後の長文ブログネタとなるインスピレーションは枯渇ではなく皆無であり、今のところボイコットの確率90%ですが、以前、霊関連書籍のテキスト化を手伝ってくれた友人が話をしてくれまして、その友人も僕と同じように今いる場所を離れようとして必死になっているそうで、〇〇に行くそうなのですが、その〇〇の住所を退職書類に書けと上司に言われているそうです。

それを聞いた時「それって脅迫じゃネィのか」と思ったのですが、この友人の細かい話をココで深掘りするのはマズいですので置いておくとして、もし霊団がこのままインスピレーション降らせてこなかったら「脅迫」に関するテキストを撃とうかと思いつきました。

僕のブログを過去からご覧頂いている方はもしかしたらご存じかも知れませんが、僕は以前、セブンにいた時代に「コロス」と脅迫を受けた事があります。それを受けて僕はポリーチェ(POLICE)に110番通報し、刑事事件の扱いになって僕の家に刑事が来たという事がありました。

その後すったもんだがあって結局僕の「脅迫罪の訴え」はポリーチェに「反故(ほご)」にされた、という事がありました。この件はWordPressを立ち上げる前の出来事だったので無料ブログにだいたいのあらましは書いたと思うのですが、もし今週の長文ブログがボイコット状態になったら、この反故の件についてしっかりテキストとして書き残す作業をやってもイイかなと思い始めました。

僕の体験談が皆さまのお役に立つとは思いませんが、一応「こういう真実がありました」という事をテキストとして残しておくのもイイかも知れないと思いました。ってか、だったら以前から言っている「自伝書籍」用の原稿を撃ちはじめればイイだろ、この反故の件も自伝の中のひとつになる訳だし、って思ってみたりみなかったり。

フラー26汎用モードカラーリングの選択範囲85%切り終わってますが、今日の作業はココまで。明日のスノーシューアタックに集中中(祈)†

■2021年1月1日UP■
「いきなり28」僕がアナログ絵28のシチュに突入すると霊団は仰ってます、つまり暗殺ですね(祈)†
キリスト教ではイエス様が磔刑にされたのはなぜだと説いていますか。人類の罪を肩代わりしたとか何とか言ってましたよね確か(今霊団がピィィィンと波長を降らせてきました、強調の意味があるのでしょう)僕は全く詳しくありませんし1ミリたりとも興味がありませんし聖書など死んでも読んでたまるかと思っていますので正確には分からないのですが、要するにキリスト教がイエス様に関して語っている内容は「後説で自分たちの都合のいいようにでっち上げたもの」であるという事、ウソだという事です。イエス様が磔刑にされた理由は「当時の律法学者どもの嫉妬」です。イエス様は物質界に降下した目的、霊的使命遂行をやり切る覚悟だったのですが、イエス様の霊能のすさまじさを見せつけられた律法学者どもが「このままでは自分たちの立場が危うくなる」とイエス様に嫉妬して殺したのです、それが真実です。そしてイエス様の死後から本当の悲劇が始まってしまったのでした…続きを読む→
■2021年8月4日UP■
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†■2023年1月4日UP■
「牢屋」もしそんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に呪ってやるぞ(祈)†
なぜ「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、これほど明確な邪悪がいつまで経っても滅ぼされないのか。なぜいつまで経っても奴隷の女の子がひとりも救出できないのか。こんな当たり前の事が実現できない物質界はどこまで最悪の境涯なのか。もっともこれは近視眼の考え方であり、明仁、文仁、徳仁、悠仁は帰幽後に魂も凍る真の地獄が待ち受けており、奴隷の女の子たちは強姦殺人された悲劇の埋め合わせとしての幸福の境涯が待ち受けています。本を読んで知識として理解するのと、自分の人生で苦痛と共に体現させられるのとでは天と地ほどの差があります。【神の因果律】は絶対的公正、公平であり完璧であり、帰幽後に賞罰が寸分の狂いもなく清算されるようになっていますので、その神の因果律に身を委ねれば全てが丸く収まるという事になるのですが、まだ肉体に閉じ込められて人間の人生の全体像、宇宙の美が見えない生活を余儀なくされている僕は、どうしてもそこまで達観する事ができません…続きを読む→

こうした境涯での生活は、刑罰というよりは一種の修養ないし鍛練(トレーニング)であり、病的に歪んでいる魂にとっては“療養”の性格も持つであろう。が、いずれにせよ、それは死後の世界の一側面であって、全体としては死後の生活は地上生活とは比較にならないほど明るく愉しいものであるらしく、それはすべての通信が一致して述べているところである。

“類は類をもって集まる”で、似た性格の者、趣味の共通した者、同じ才能をもつ者が集まって都生き生きとした時を過ごしており、地上に戻りたいとは、さらさら思わないという。こうした情第報を大いなる喜びとして受け止めない人がいるであろうか。

しかも、繰り返すが、これは単なる信仰や願望から生まれたものではないのである。ひとつやふたつではない、実に多くの証人が、たったひとつの、まったく同じ事実を証言しているのである。

その証言の内容が、もし仮に、全知全能の神の玉座にかしずいている仰々しい神話の登場人物からのものだというのであれば、それはもしかしたら、その霊媒が幼少時代に教え込まれた神学の反映かも知れないと考えられないこともないであろう。ところが、これまでにスピリチュアリズムの霊媒を通して得られた通信内容は、従来のどの宗教の信仰や教義とも異なるものばかりなのである。

しかも、その“通路”となった霊媒についても、世界的に著名な学者が数多く参加して徹底した研究・調査がなされ、“霊媒現象”というものが間違いなく実在することが証明しつくされているのである。しかも、その霊媒を通して得られた死後の世界の情報が基本的にピタリ一致を見ているのである。

信仰から事実へ

ところで、死後の生命の問題は“信仰”の領域に属しているという認識が一般的であろう。しかし、信仰というものは、本来、個々人の主観的なものであり、それなりに敬意を払うべきものではあっても、それが集団体制のもとで強制されると、両刃の剣となる。人類の直感力が均一で、すべての人間の信仰が一致するものであればよいが、そうはいかないことは誰しも知るところである。

もともと“信仰”というのは、証明はできないが自分はこう信じる、という意味である。したがって、ひとりは“こう信じる”と言い、もうひとりも“こう信じる”と、ふたりがまったく違うことを言う。しかもふたりとも証明はできないから、そこに“争い”が生じる。“口”だけの争いならまだよいが、“からだ”を張っての争いとなることもある。

これが権力のある者と無い者との間だと、一方が力ずくで信じさせようとする。フィリップ2世は、スコットランド低地人に自分の信仰を押しつけようとして、抵抗する者を1万人も殺している。彼にしてみれば、こんなに素晴らしい信仰を信じようとしない者は生きる資格はないと思うほどに、その信念が強かったということである。

しかし、今は時代が違う。証拠のないものを押しつけることは良識が許さなくなった以上は、現象をよく観察し、理性的に判断して、誰しもが得心する共通の結論に到達しなくてはならない。スピリチュアリズムの良いところはそこにある。

その主張の根拠が教本だの伝説だの直感だのといったあやふやなものではなく、交霊会や実験会で得た科学的資料だからである。そこは言わばこの世とあの世の交流点であり、古い伝統的信仰とはまったく別の、しかも最新の、ふたつの世界の協力による情報と現象を根拠としたものなのである。

「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†■2022年8月3日UP■
「何とでも作って頂いて結構です」絶版した霊関連書籍の復刊を許可する思念ですが…(祈)†
霊団は僕が殺されないように防御しているようだが、それはつまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事に全然本気ではないという事になる。奴隷の女の子の存在を「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じ「視点外し」という手段を駆使してまで忘れさせようとしている、つまり女の子たちを完全に見殺しにするつもりでいる。支配霊バーバネル氏は僕という霊媒を使うつもりでいるようだが、僕はもう全く信用しておらず「絶版した霊関連書籍の復刊」の作業に本腰を入れる事となった。復刊が霊的知識普及のベストルートだと信じる。…続きを読む→
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†■2024年11月20日UP■
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→