これまでたくさんの書籍をテキスト化してきましたが、もしかしたら今回はもっとも修正率が高かった書籍かも知れません。かなり思いっきり間違いがありました。その全てを修正できてはいないと思います、まだ結構残されていると思いますが、霊的知識を摂取するには問題ないレベルであり、しっかり読み込んでお勉強して頂けますので、どうぞ皆さまお読み頂いて、ご自身の人生の向上に役立てて頂きたいと思うのです。

で、書籍の内容に関して僕からお話したい事はふたつ。まずひとつはコチラの抜粋ですが↓

こう観て来ると、人間がいかに小さな存在であるかを痛感させられる。言ってみれば地上生活は宇宙学校のホンの幼稚園、イヤ保育園程度のものかも知れない。その程度の人間のすることであれば、良い事にせよ悪い事にせよ、程度はおのずから知れている。

浅野和三郎はよく「人間はいい加減ということがいちばん大事じゃ」と言われたそうであるが、これは己れの小ささに気づいた、真に悟った人間にしてはじめて口に出来る言葉であろう。

浅野氏はまたその著『心霊学より日本神道を観る』の中で「人間味のない人間は畢竟(ひっきょう)この世の片輪者(かたわもの)で…」と述べているが、無理な禁欲や荒行で五官を超越し、あるいは抑え込もうとすることの愚を戒めているのである。

私自身も精神的にまた肉体的にかなり無理な修行を心がけた時期があったが、その挙句に悟ったことは、結局神は人間にとって五官でもって生活するのが適切だから五官を与えてくださったのであり、要は節度 moderation を守ることに尽きるということだった。

むろん人それぞれに地上生活の目的と使命があり、禁欲がその人にとって大切な意味をもつことがあり、それがいわゆる業(カルマ)のあらわれである場合もあろう。

が、シルバーバーチも繰り返し述べているが、物事には必ずプラス面とマイナス面とがあり、禁欲生活によって得るものがある一方には、それ故に失わざるを得ないものが必ずあるわけで、それはまた別の機会に補わなければならない。

こうした禁欲とか行(ぎょう)、戒律といったものは、その土台となるべき霊的知識が過っているととんでもない方向へ走ってしまう危険性があり、スピリチュアリズムの真理に照らしてみると滑稽でさえある場合が少なくない。

またそれ故に何千年何万年と、想像を絶する長い年月にわたって、自分が拵えた殻の中で無意味な、しかし本人は大マジメな暮らしを続けている霊が大勢いるようである。

近藤先生は生前、浅野和三郎氏とも親交があったそうですが、この浅野氏の「人間はいい加減ということがいちばん大事じゃ」という言葉は、もちろん近藤先生が仰ったとおりの意味での言葉だろうと思うのですが、僕は自分のこれまでの霊的経験から、もうひとつの意味も込められているのではないかと思ったのです。それは↓

やりすぎると殺されるよ

というモノで、僕は霊団にこういう仕事をやらされて自分本来の人生を完全に破壊されていますが、これまでシャレでも誇張でもなく実際に「暗殺」の危機に何度も直面して、それを霊団の導きによって回避しながら使命遂行を続行してきました。

現在に至っては僕を完全にフェードアウトさせようとしているかのような導きの方向性であり、その仕事やる気ゼロの態度に僕は怒り心頭の毎日をやらされている訳ですが、要するに僕の身に迫る危機を回避させようとしているという側面もあると思うのです。

ちなみに浅野和三郎氏も物質界生活時に刑務所生活をやらされた経験をお持ちです。そういう事もあって「やりすぎると目をつけられるから気をつけなさい」と若き日の近藤先生に忠告していた、なんてストーリーもあったのではないかと勘ぐったりもするのです。

ハイ、もうひとつですが、それはもうコレに尽きるでしょう、書籍後半で紹介されている「ティンダルのお話」ですね。これが読める書籍はたぶん他にないのではないかと思われますので(イヤ、あるのかな、ググってないのでわかりませんが)ぜひ多くの方にこの熱いストーリーを知って頂きたいと思います。

ティンダル氏の決意、覚悟、たぐいまれなる語学の才能、そして当時のキリスト教国の狂気の実情…。激しく胸に尽き刺さり考えさせられるものがありますし理不尽に胸をかきむしる思いがありますが、そんな大昔のお話ではない、結構最近のお話なんだと思うと改めて驚きを隠せません。

そして心霊治療家テスター氏が書籍の中で「英国民はあまり自分を出さない、感情を人に見せない気質がある」みたいな事を仰っていましたが、こんなヒドイ歴史を体験していればそういう国民性になってしまうのもムリもないだろうと思うのです。

何も悪い事をしていないのに次から次へと問答無用で逮捕されるという、まさに悪魔の所業が平然と横行していたというのですから開いた口も塞がりません。キリスト教の暗黒の側面を正しく理解し、2度とこのような「人類の呪い」を繰り返してはならないと強く感じるのは果たして僕だけなのでしょうか。

シルバーバーチ霊(紀元前9世紀ごろのヘブライの予言者エリヤ、だと僕は思ってます、これまでの霊団の動きからして)も「キリスト教は人類の呪い」とハッキリ断言していますよね。スピリチュアリズム関連の書籍に興味をお持ちの方々にはどうか、その暗黒、邪悪の宗教に手を出さないように警告したいと思うのです。

フゥゥ、語りたい事ならまだまだありますが一旦切るとして、間もなく「The Scripts of Cleophas」の英文見直しが完了しますのでそちらもUPさせて頂きます。その他の書籍も順次テキスト化していく覚悟です。そしてずっと着手できずにいた「自伝書籍」の原稿を撃ちはじめる事にしました。

霊団にありとあらゆる脱出の可能性の芽を潰され、もう脱出を実現できそうなカードがほとんど残っていない状況です。わずかでも脱出の可能性があるカードがあれば、もうそこに全力を投入するしかないのです。自伝など書いても脱出はできないでしょう、しかしもうやるしかないのです。もうどうしようもないのです。この件はまたお話させて頂きます。まずはココまで(祈)†

テキスト見直しは完了中、タグ挿入を経て全文UPとなりますがモチョトお待ち下さい。チョトだけコメントを撃とうかと思っていますので。

間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

霊界通信によれば、死後の向上を妨げる罪悪の中でいちばん厄介なのが、上流階級の生活が生み出す罪悪 – 因襲に縛られ、意識的向上心に欠け、霊性は鈍り、自己満足と安逸にどっぷりと浸った退廃的生活が生み出すものだという。

自己に満足しきって反省の意識をツユほども持たず、魂の救済はどこかの教会か権力にまかせて、自らの努力を嫌う – こうした人間が最も危機的状態にあるというのである。

教会の存在そのものが悪いというのではない。キリスト教であろうと非キリスト教であろうと、霊性の向上を促進する機能を果たしているかぎりは、その存在価値はあるであろう。

が、そこへ通う信徒に、一個の儀式、あるいは一個の教義を信じる者が信じない者よりも少しでも有利であるように思わせたり、魂の向上にとって何よりも大切である“刻苦”が免除になるかの如く思わせたりする方向へ誘った時、その存在は有害なものとなる。

同じことがスピリチュアリズムについても言える。実生活での活動を伴わない信仰は何の役にも立たない。尊敬に値する指導者のもとで何の苦もなく人生を生き抜くことは可能かも知れない。

しかし、死ぬ時はひとりなのである。そのリーダーがいっしょについてきてくれるわけではない。そして、霊界入りしたその瞬間から、地上生活から割り出される水準の境遇に甘んじなくてはならない。霊界通信はそう説くのである。

罰の原理

では、未発達のスピリットに対する罰はどういう形を取るのであろうか。それは、要は発達を促進するような境遇に置かれるということである。もしかしたらそれは悲しみの体験という形を取るかも知れない。

この地上においても、貪欲で同情心のカケラもなかった人間が、悲哀の体験を味わうことによって、性格が和らぎ、人の心を思いやるようになるということはよくあることである。

バイブルには“嘆き悲しみ、歯がみをして苦痛に耐える外なる暗黒”という表現がある。バイブルには読み方を誤ると大変な害を及ぼしかねない箇所がいくつかある。東洋的な表現には“白髪三千丈”式の誇張が多く、その点を考慮せずにそのまま受け取ってしまって、感受性の強い子供や真っ正直な大人が心身症になっているケースが少なくない。

右の文も用心して読まないといけない。霊界通信によると、確かに“外なる暗黒”に相当する界層が存在することは事実のようである。“暗黒界”と呼んでいるが、そこは決して永遠の刑罰を受ける地獄ではない。いつかはみんな光明界へと向上していくのである。もしもそうでなかったら、全能の神にとって不名誉なことになろう。

【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†■2021年12月31日UP■
【霊団からの緊急警告】文仁が僕の殺害決行を決断した模様です。簡単にやられるかよ(祈)†
自分を殺す事を決断した文仁と笑顔で撮影をして国民にそれを発信し続けるピーチピチ(佳子)に、僕はただただ閉口するのみです。そこまでして邪悪の人生を守り抜きたいのか、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事を手伝い続ける地上人生を送って帰幽した先に地獄が待っている事がまだ分からないのか。一体何をどう説明したら分かってもらえるのでしょう。閉口中…続きを読む→
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†■2023年1月11日UP■
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようとせず放置している。奴隷の女の子はひとりたりとも救出しようとせず完全に見殺しにしている。僕の人生を完全に破壊したが、使命遂行は全く前進させない。最低最悪のところに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。誰だって怒るに決まってるだろ。反逆するに決まってるだろ。人の心を一体何だと思ってるんだよ。人の人生を一体何だと思ってるんだよ。一体あんたたちの頭の中は何がどうなってるんだよ。これだけヒドイ状態にさせられても僕がエゴイストだと非難されなければならないのか。それはよかったですね…続きを読む→
「だとしてもそのまま行きますよ」もう使命遂行は事実上終わっているという事なのです(祈)†■2024年10月23日UP■
「だとしてもそのまま行きますよ」もう使命遂行は事実上終わっているという事なのです(祈)†
僕は霊団のやる気を受けて、降ってくる新規の霊言を書籍化するためにAffinityPublisherのお勉強を進め、自力で書籍データを作成できるようになりました。それだけにとどまらず実際に書籍を印刷するテストまでおこなっており、霊言さえ降れば書籍化、流通、拡散等々、準備万端整えていたのです。しかし僕の側がココまでやっているのに霊団側は何もしない、時間だけがムダに流れていく、その間、僕はイヤでどうしようもないところに延々閉じ込められる状態が続く。これは一体どういう事なのか。口だけはやるやる言ってくるが実際は何もしない。僕でなくても誰でも「コイツァーおかしい」となるはずですよね。そして何度も書いて申し訳ありませんが、サークルメンバー問題が解決する見通しが全くありませんから僕が霊言霊媒として機能する事はないはずだ、僕から新規の霊言を降らせるのであれば「自動書記」しかないのではないか、そう思い、僕は9ヶ月もの長きにわたって「自動書記テスト」を敢行しました。しかしこの9ヶ月間、1文字たりとも降ってくる事なく、結局最後は霊団に脅されてやめさせられました。この時の僕の怒りは尋常なモノではありませんでした。僕はできる限り霊団の意向に沿って歩み寄っていたつもりなのですが、努力しても努力しても霊団は何ひとつやろうとしない、ただボケっと見てやがるだけ…続きを読む→