まぁ確かに毎日ピーチクパーチク言い続けるのも難しいモノがあるでしょうから時々このように何もない日があるのは了解なのですが、ただとにかく時間だけが経過していく、その間、僕はひたすら閉じ込められるという状態のため、それを何が何でも突破しようとしているのです、13年突破できていませんが。

自伝原稿執筆まぁまぁ進んでます、絵もとにかく描き続けています。この大変な作業、どうしても着手できずに何年も経過していましたがついにココまで来たのですからこのタイミングを逃さず一気に決めないといけません。霊関連書籍のテキスト化が止まってしまっているのが悲しいですが、今は自伝に集中しましょう。

明日かあさってに2冊目以降の参考にしようと思って入手した書籍が到着します。まぁそれを見たからといってそれを丸々パクる事はできない性質の内容でして、あくまでも参考程度の入手ですが、なんとか脱出の糸口をつかみたい一心でこういう事をやっている訳です。

例えばキーワードプランナーで霊的なモノを見てみるとあまり数字が上がってきません。つまり霊的なキーワードで検索している人間が少ない、需要が少ないという意味ですが、ある別のキーワードを見てみると一気に数字が跳ね上がります。そのキーワードで多くの人が検索している、需要があるという事ですね。

何とか不自然ではないカタチで需要のあるジャンルと霊的なモノをミックスさせて霊的知識に対する流入を増やせないか、それがひいては霊的知識普及にもつながるはずだ、と僕は考えているのですが、もちろんそれによって脱出を実現させてやろうという裏の魂胆もあるのであまり宜しくないアイデアと霊団に言われてしまうのでしょうが。

さぁ原稿を撃て、絵を描け、いま自分にできる事をしっかりこなすんだ、脱出だけは死んでもあきらめるつもりはない(祈)†

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†■2021年11月24日UP■
「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†
僕を殺して口を利けないようにしてからシルキーを盗む、という意味で間違いないものと思われます。この「家族の一員に」というのは「デ〇〇ニー」の事を言っているような気がしてなりませんが。つまりデ〇〇ニーが僕の反論がない状態でシルキーのキャラクターを完全に書き換え霊的意味を完全に抜け落ちさせ、シルキーが我々のキャラであると世界中を洗脳する作品を発表する事によって僕、たきざわ彰人の存在を世界中の人間の脳内から消させる、という意味ではないかと思われます。そしてトランス時に霊団が見せてきた映像で、シルキーが「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」とすごいイヤそうにしていたのです…続きを読む→
「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†■2022年5月25日UP■
「無色で味はない、マヒして殺す」これはフグ毒「テトロドトキシン」の事では?(祈)†
そのフグを3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、大量強姦殺人魔、秋篠宮文仁が僕に食べさせて殺す事を画策しているという意味なのですが、そもそも食べられないのにどうやって食べさせるつもりなのか、という事になります。それについても霊団は何度となくインスピレーションを降らせているのです、そしてそれは皆さまにお話できない内容なのです。が、今回は少しだけ書かせて頂きます。こういう事です。奴隷の女の子を使って僕を殺す、となります。霊団から相当に具体的な事を言われていますが、とにかくその説明はできないのです。どうかご了承下さい。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、特に文仁が最も積極的に僕を殺そうとしています。その殺す手段、手法について霊団からかなり深い部分まで情報を得ています。が、お話はできないのです…続きを読む→

自伝書籍の作業を続けています、本当に苦しいですが、これは永遠じゃない。テキスト撃ち続けていれば、絵を描き続けていれば、必ずゴールにたどり着く作業です。何が何でも撃ち続けましょう描き続けましょう。

そして自伝表紙と2冊目以降のアイデアを考えています。自伝表紙は最後の最後までひっぱって、アイデアを出しては「イヤ、もっとインパクトあるモノがあるはずだ」またアイデアを出しては「イヤ、もっとパンチ力が必要だ」と、時間ギリギリまで煮込みまくってから描くつもりです。

本は表紙次第で内容を読んでもらえるかが90%決まる、みたいな事を言っている人もいるようです。とにかく1度見たら忘れられない印象に残る表紙、およびタイトルにできないか、最後の最後まで考え続けてから決めるつもりです。

2冊目以降の書籍アイデアも考えていまして、現時点で目指しているのは「安定して次々と刊行できる内容」「霊的内容単体だと読んでくれる人が限定されてしまうので需要のあるモチーフとコラボしてより多くの人に見てもらえるようにする」といったところです。まだ方向性は固まってませんがいくつか考えてはいます。

しかし、これだけ猛烈に作業しても全く脱出につながらないというのだろうか。イヤ、この作業の先に光はある。もっともその“光”の意味が霊団と僕とで食い違っているのが問題なのですが。

あーツカレタァ、しかし止まるな、今の自分にできる最大限の作業をしろ。この苦しい作業の先に光はある。僕にとっての“光”は脱出実現で、霊団にとっての“光”は霊的な別のところにある。まずは僕にとっての光を目指す。霊団の光はその次だ(祈)†
「殴られた」霊団に拳で顔面を殴られました。僕がイヤなら出ていってくれ(祈)†■2025年3月12日UP■
「殴られた」霊団に拳で顔面を殴られました。僕がイヤなら出ていってくれ(祈)†
除霊などできないんですけどね。しかし何とかこの霊団とか名乗っている奴らを僕の人生から排除できないかと、かなり本気で考えています。もう完全に縁を切りたい。自分の人生を何としても取り戻したい。もうこの最悪人生をこれ以上続ける自信がありません。何としてもまずは脱出を完了させ、それから胸を張って次のステップに進みたいです。もうムリ、もうムリ、これ以上閉じ込められるのは死んでも許せない。僕を殴ったヤツ、霊団は消せないとしても少なくともお前だけは消えろ。本気でいなくなれ。僕が気に入らないんだったらココにいる必要はないはずだ、イヤな仕事をガマンしてやる事はない、自由にどこへでも消えてくれ。それでお互いハッピーなんだから問題なしだろ※いま「除霊」でググってますが、霊性発現初期の頃に除霊に行った神社がまた出てきます。お金だけ取られて何の効果もなかった神社です。イヤ、あきらめずにモチョト調べてみようかな…続きを読む→
■2020年12月9日UP■
TrailMovie 霊界の動物たち 2013年11月20日にUPしたブログです(祈)†
ブログ、ツイッターで何度か書いていますが、僕はこの"霊的知識普及の使命"が終了して無事帰幽を果たした暁には、霊界において僕にひたすら正反対のメッセージを送り続けた方々とは共に暮さず、当分の間は動物たちと暮したいと宣言しています。現在でもその想いに大筋変りはありませんが、僕がこういう考えに到達して以降、幽体離脱にて"動物たちとの出会い"が複数あったのです。その出会いがとても印象深いものでしたので、今回まとめて紹介させて頂こうと思います。まずは"カラス"との出会いです…動画を見る→

一方、人間の信仰が正しかったことが霊信によって確かめられるケースはよくあることである。従って霊信どうしの矛盾の要因は霊界のスピリットの側にあるのではなくて、それを受け取る霊媒にあることがわかる。

スピリチュアリズムが勃興した当初のころは今よりはるかに霊界からの働きかけが強かったようで、同時に、研究に携わる人々の公明正大な態度と相まって、その時代の支配的な思想信仰とはまったく異る内容の通信が得られていた。

スエーデンの科学者スエーデンボルグ(注4)は、初めの頃はキリスト教の永遠の地獄説を固く信じていたために、一方ではその時代としては破天荒ともいうべき高等な思想を説きながら、他方において永遠の火刑などという、きわめて幼稚な思想が混っていた。当時の彼にはそれが少しも矛盾とは思えなかったらしい。

ところが晩年の思想をみると、地獄の存在は否定こそしていないが、その地獄は精神的状態であり、自分が勝手にこしらえるものであると説き、さらに「地獄は決して永遠なるものではない」とも説いている。言いかえれば、地獄に落ちた人間にも常に向上進化の道が用意されているというのである。

ところで、こうした矛盾があることを理由に全ての霊界通信をいい加減なものと見做す人がいるが、これは賢明な人間のすることではない。大切なのは各通信をよく検討し、その中に相通じる真理の核心を見出すことである。

さらに考慮すべきことは、これまで分ったところによれば、どうやら死後の世界の体験も地上の生活と同じく人によって各種まちまちであって、決して同一でないということである。

仮りに今、遠い星からふたりの人間が地球にやって来て、ひとりは赤道直下の熱帯地方に、他のひとりは北極のド真ん中に降りたとする。ふたりはそれぞれの土地を見物して出来るだけ多くの知識を集めようと努力するであろう。

しかしふたりがたとえ足にマメして調査して歩いても、ひとりは「地球とはやたらに暑いところ」だと報告し、もうひとりは「地球とは一面氷の世界」だと報告するに違いない。

ふたりの報告を聞いた人々はその矛盾の甚だしいのに驚いて、いろいろと問い質すに違いない。がふたりとも自分の報告に少しの誤りもないと言い張る。そしてそこに真偽の問題が生じてくることになろう。が実際、ふたりの報告はどちらも決して誤りではない。ふたりはそれぞれに見たままを正直に報告しているのである。

これとまったく同じことが霊界と人間界との間にも言える。霊界は決してひとつだけの「場所」ではない。地獄といってよいほど低級な世界から、天国とも言うべき歓天喜地の世界まである。分類の仕方によっては無限の世界があると言ってもよいであろう。

しかも、それぞれの世界にはそれぞれの生活形態があって、必ずしも一定しない。となると低級な霊魂から受け取る通信と高級な霊魂から受け取る通信との間に、大なり小なり差異が生じるのは当然すぎるほど当然なことと言えよう。

このことは、それで全ての問題が片付くものではないにしても、霊界通信を読む際に是非とも心得ておくべき大切なことである。

「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
■2021年9月11日UP■
「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†
これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†■2025年3月5日UP■
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†
霊性発現(2012年6月)した時点で守護霊様の計画は達成されていたという事なのかも知れない、それで守護霊様がいったん僕の守護の任から外れて、僕を計画外の(より高度な)領域へ到達させるための新たな霊団が組織された。つまり僕が現在やらされている霊的使命遂行は完全に計画外の「サービス残業」なんだから、うまく遂行できなくてもムリもない、元々そんな器の人間ではなかったのだから。といった感じで、僕という人間の程度を知り尽くしている守護霊様ならではの言葉なのではないか…なんて予測したりもするのです。この守護霊様の言葉の中にはもちろん「よくガンバりました」というお褒めの意味も含まれていますが、もちろん「もっとガンバれば今のあなたには想像もつかない高い境涯まで到達できたのに残念でした、しかしそれが現在のあなたという人間の限界点である事を私は十分理解しているので十分合格点」という意味も含まれていると僕は思ったのでした。守護霊様の期待に完全なカタチで答える事ができない自分を情けなく思いますが…続きを読む→