※この中に登場する独裁者、僕は「ヒトラー」と公言してきましたが、それは間違いかも知れません。が、独裁者の末路がこのような地獄の境涯、という事は間違いありません。21ピーチピチの父親が帰幽後に赴く境涯を描いたアナログ絵37は、この書籍のこの霊的知識を元にして描いたものなのです。神の因果律は寸分の狂いもなく働きます。28人Kしている、女の子を強gggK人しまくっている21ピーチピチの父親には、100%このような絶望的未来が待っているのです。因果律から逃れる術はないのです。しっかり味わって頂きましょう。魂も凍る真実の恐怖を…(祈)
『私の霊界紀行』2章 幽界の下層界【冷酷な指導者の末路】ある時気が付いたら夏用の軍服を着て走っていた。私の人生の記憶の中でも最も強烈な部分がそんなものを選び出していたらしい。そこはどうやらそれまでに私が連れて行かれた場所の中でも一番低級な境涯らしく、波長は雑多で、→
『私の霊界紀行』→いたたまれない気分にさせられる。実はそこへ到着するまでに私はどんどん深みへ沈み込んでいくのを感じて、あたりを見ても見すぼらしい家々が立ち並んでいて、全体が薄気味悪かった。途中で2度も指導霊に呼び止められて、住民をよく観察するように言われた。
『私の霊界紀行』見ると口汚く罵り合っている。そのうちの1人は地上で私を知っていた男であるが、私の身体を通過していった。その男がそのような境涯にいる事は別に驚きではなかった。確かにそういう人間だったからである。私は彼の目に私の姿が見えない事を知って安心した。
『私の霊界紀行』下降の速度が少しずつ遅くなってきた。どうやらその境涯でも最も低い淵に近づきつつあるらしく、もはや誰の姿も見当たらない。そのうち煤けた倉庫のような家屋の前で指導霊に呼び止められた。そしてドアが開けられ私は否応なしに中へ入らされた。
『私の霊界紀行』とたんに私の身体は恐ろしい波長を受けて足を止めた。見ると多くの人影、たぶん100人ばかりの人間が、ただのそりのそりと歩き回っている。着ているものは何とも呼びようのない、まるでクモの巣でもまぶしたような汚らしい姿をしている。顔は沈みきった青白い色をしている。
『私の霊界紀行』醜い光景ではあるが、私の身体に感じられる波長の方がもっと酷かった。どの人間もうなだれ、あたりの事には何の関心も見せず、ただのそりのそりと歩き回るだけである。心の中に巣食う考えも姿と同じく絶望的である。“永遠にここでこうしているしかない。もう救われる望みはない”→
『私の霊界紀行』→そう思っている。確かにその通りに思える。一縷の望みも見当たらない。彼らにとっては永遠の時の中で1000年が昨日であり、明日もまた1000年であるかに思える。そこで受けた波長はかつてなく低いもので、やがて指導霊がそこから私を引き出してくれてほっとした。
『私の霊界紀行』そこの人間は周りの人間の事には一切関心がない。ただ当てもなく歩き回るだけである。言うなれば、陰電気を帯びた分子のようなもので、互いに避け合って動いている…と言えば理解しやすい方もおられるであろう。こうした数々の霊界旅行で明らかになってきた事は、→
『私の霊界紀行』→地上時代の無知が霊界におけるそれ相当の境涯に位置付けているに過ぎないという事である。すなわち地上生活によって一定の波長の幽体が形成され、死後その波長に合った境涯へ自然に引き付けられていくという事で、そこに何ひとつ誤りはない。神の法則は絶対に公平である。
『私の霊界紀行』自分で自分を裁いていく以上、誰に文句を言う資格があろうか。神の特別の寵愛者もいないし特権階級もいない。地上で偉いと思われている人が必ずしも死後も偉いとは限らない。何事においても動機が優先される。これまでの人類の歴史において、一部の者が同胞の生涯を→
『私の霊界紀行』→みじめなものにした精神的苦悶から肉体的拷問に至るやり口や悪辣さの程度は、歴史を繙けば一目瞭然であろう。それを見て我々人間はその邪悪性を責めたくなるが、高級霊は哀れみの情をもって眺める。さて、そのあと私は例によって一旦明るい境涯へ連れて行かれてから肉体へ戻った。
『私の霊界紀行』その翌朝の事である。店を開ける前に荷をほどくのに忙しくしていると、突然、やさしくではあるが強い力で椅子に腰かけさせられた。そして膝に両ひじを置き両手で頭を抱える恰好で、私は“ある人”の事で悲しみの情を覚えた。それほど強烈にして深い情を覚えたのは私としては→
『私の霊界紀行』→初めての事で、涙があふれ出るのを禁じ得なかった。その“ある人”とは、ある国の独裁者だった。どうにか落着きを取り戻し、近くに高級霊の存在を感じて私は心の中で尋ねた―“一体なぜ今頃私はこれほどの哀れを感じなくてはいけないのですか”と。
『私の霊界紀行』するとこういう答えが返ってきた―“貴殿が今行ってきた所は、その独裁者がいずれ赴く所です”と。これは1937年の事で、その頃は戦争の脅威といえるほどのものは見当たらなかった。独裁者のためにこの種の情を覚えるのは、普通の私の人間性には→
『私の霊界紀行』→似つかわしくない事は言うまでもない。まだ店を開ける前の事だったのは幸いだった。私を包み込むようなその霊は明らかに高級界からの霊で、そういう運命を(そうとは知らずに)辿りつつある地上の一独裁者に対する愛と深い哀れみの情に、その日1日中私は色々と考えさせられた。
『私の霊界紀行』活発に動き回っている私を圧倒するその偉大にして優しい力は、霊界旅行中は別として、かつて地上では体験した事がないだけに、驚きであった。前の晩に見た最下層の霊たちのあの絶望的状態は、霊的身体をもって体験する以外には味わえない、身の毛もよだつほどの惨めなものだった。
『私の霊界紀行』言葉ではとても表現できない。願わくばその霊たちにもいつしか折返し点が到来する事を祈らずにはいられない。“永遠”では永すぎる。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません