出版社設立、簡単なんてとんでもない。なめてかかったら一生もののダメージを受けるぞ。脱出は何が何でも達成させるつもりでいるけど一旦立ち止まろう。リスクがデカすぎる。
結局霊団の手の上で踊らされる事になるのか。何をどうもがいても閉じ込められ続ける事になるというのか。Dreamworkに燃えていたはずだったのに、なぜこんな人生をやらされねばならないのか、理由が全く思いつかない(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
出版社設立、簡単なんてとんでもない。なめてかかったら一生もののダメージを受けるぞ。脱出は何が何でも達成させるつもりでいるけど一旦立ち止まろう。リスクがデカすぎる。
結局霊団の手の上で踊らされる事になるのか。何をどうもがいても閉じ込められ続ける事になるというのか。Dreamworkに燃えていたはずだったのに、なぜこんな人生をやらされねばならないのか、理由が全く思いつかない(祈)†
とにかく復刊を実現させようとしているのですが、現状「オーファンワークス」以外に方法がないと予測されます。で、久々にサイトを見に行ってアレコレ読むのですが、恐ろしいほど殺人的にメンドクサイ。しかも書籍が売れる売れないに関係なく印刷部数分の供託金を前払いしなければなりません。
つまり殺人的にメンドクサイ手続きを踏んで、それでも復刊が認められない可能性がかなりある、仮に認められてもそれ1本で生きていくのはまず不可能、どう努力しても「脱出だけは実現しそうもない」という予測にたどり着いてしまうのです。それで「霊団の呪い」と表現しているのです。完全に閉じ込められてしまっているのです。
絶望、ただただ絶望、どうしても復刊できない、どうしても脱出できない。何なんだこの人生は。霊団は何ボケっと見てやがるんだ。コッチは霊的知識普及の作業をやってるんだぞ。出版社を立ち上げるのだけは簡単、しかしその先に全く道がない、断崖絶壁。どうしようもないのか。その断崖絶壁をフラーで飛んで越えられないのか。絶望感がスゴすぎる。
チョト今日はココまでにしてフラーのギミックをやりましょう。気持ちがもちそうにない。霊団は何も言ってこない、コイツらの仕事って一体何なんだ。どんだけノホホンとしてやがるんだ(祈)†
本書を訳し終えてしみじみと感じたことは、本物と言われ続けてきた新約聖書の影が薄くなったことである。実を言うと、長年教会にたずさわってきた自分が、何故もっと早くこれに気が付かなかったのかと考えてみた。聖書は余りにも人物を神格化しすぎたり、大事な部分を端折(はしょ)ったりしている。しかも肝心な霊的知識は稚気(ちき)に過ぎている。
代表的な例を挙げてみよう。聖書はイエスの復活と昇天に全力を傾注して新約の要(かなめ)としている。しかしクレオパスはそんなことにはほとんど触れていない。余りにもその教説が幼稚と思えたからであろう。
人間イエスは、十字架で殺され、一般人の1人としてユダヤ式に葬られたにも拘わらず、死んだ直後のことを、病的と思える程に美化し、幼稚な形で神格化してしまったのである。スピリチュアリズムの立場から見れば、霊の抜け殻である肉体は例外なく土や灰になるのが当然であり、旧約聖書でさえ、冒頭で(創世記)明記している原理である。
それを殊更に、イエスは肉体ごと復活したと大騒ぎをすることはあまりにも幼稚で痛々しい。愛する人を失った者たちの深い悲しみの反動として、イエスを埋葬した墓にまつわる一連の幻想が、復活、昇天の物語となって現れたものと考えられる。
イエスご自身が口癖のように弟子たちに教えていたことは、『私を信じる者は、たとい死んでも生きる』であった。最も重要な生命現象の仕組みを懇切丁寧に教えているのである。肉体は土や灰になり、肉体の主人公である霊は肉体を離れ、霊界に於いて新しい生活を開始する、という明快な原理である。
このような本質を彼らが良く理解できなかったとすれば、我々の周囲でよく見うけられるように、死にまつわる悲しみと混乱が生じたとしても決して不思議ではあるまい。イエスはこのようなことを決して望んではいなかったと思う。
言葉では表現されてはいないが、クレオパスの記録は、そのことを鮮明に感じさせてくれる。イエスの死にまつわる幼稚な幻想物語を云々するよりも、『イエスが明らかにした真理(霊(れい)と真実(まこと))』がどのようにして伝えられていったかという最も大切な事柄を検証する歴史として取り上げている、“クレオパスの視点”に注意をはらって読んでいただきたい。
その視点とは、イエスの後に従った弟子たち(使徒)、ことにパウロの正体をありのままにさらけ出していることである。聖書では、パウロを伝道者の英雄のように描いているが、彼の全行動の因果関係は漠然として要領を得ない。
何故ステパノをあれほど憎んだのか、何故大祭司と組んだのか、何故エルサレムにやってきたのか等々、聖書の記述では全く不明である。クレオパスは、その肝心なパウロの人間像の裏表に容赦なく光をあてながら、イエスが心から知って欲しいと望んでいた真理を浮き彫りにしていく。
イエスの霊は、パウロが使命を果たし終えるまで執拗(しつよう)に手綱をゆるめず、しかもパウロが過去に蒔いた種をひとつ残らず刈り取らせる試練の連続の中に、師と弟子(イエスとパウロ)の強い協働関係(パートナーシップ)がにじみでているのである。
痛ましいパウロ、情けないパウロ、いやらしいパウロ、異常者的パウロといった赤裸々な人間像をさらけ出している。だからこそ、イエスの真理が一層きわだって光り輝いている。
クレオパスの記録には、当時のことを「成る程」と思わせる説得力がある。聖書のように無理なこじつけや、押し付けがましい教条的表現が無いからであろう。その点でも聖書は大半の魅力を失っている。つまり読んでおもしろくない。
クレオパスが提供した記録は分量が多くて、とても1冊には収まらない。おそらく4冊ぐらいになる計算である。だからこそイエスの真理を学びたい者にとっては貴重な資料になる。
パウロを英雄視させるためのものではなく、教会を創設した功績を弟子たちに与えるためのものでもない。新鮮なイエスの真理を学びとらせるためのものである。
現今の教会は、皮肉にも、イエスが葬られた翌朝、墓にやってきた女たちに天使が言った言葉『あなたがたは、何故生きた方を死人の中にたずねているのか。その方は、ここにはおられない』(ルカ、24 – 5)の通りになってしまったのである。
最後に一言触れておきたいことがある。この霊界通信を受けて記述したカミンズ女史は、序文でも編纂者が触れているように、キリスト教とは全く無縁のアイルランド人である。
聖書を読んだこともなく、パレスチナに行ったこともなく、教会とは全く無関係であった人物が、どうして専門家をも驚嘆させる史実が書けるのだろうか。彼女の記述を常にチェックする証人として同席したギブス女史も又然りである。ギブス女史も教会とは全く無縁の者である。
世間には、霊示された内容の信憑(しんぴょう)性をチェックしようもない、いいかげんなものが氾濫している。それなればこそ本書の真価がますます高められるというものである。その筋の多くの専門家によって内容がつぶさにチェックされているからである。
その点で心底から敬服させられることは、『霊界通信の威力』である。微力ながら同じ著者の「イエスの少年時代」を翻訳したときにも同じことを感じさせられた。
しかし本書は単なる偉人伝ではなく、多くの人間が、様々な場所で実際に行動した記録が中心であって、その歴史性にかなりの重点が置かれているだけに、いいかげんな霊示ではすまされない性格を持っている。
時代的背景、地名、人名、社会的構造および生活様式など、あらゆる分野の専門家(主として神学者、歴史学者、言語学者等)が知識を寄せあっても、未だに分からないことが少なくないのに、たった1人の女史の手でどうしてこのような記述ができるのであろうか、“本物の霊界通信の偉大さ”に、ただただ敬服するのみである。
このような形で霊の実在を信じることができることは実にすばらしいことであると思う。超常現象や奇跡によって霊界のことを信じる者は少なくないであろうが、どうも霊現象に対して正しい識別能力に欠ける傾向があるように思われる。
分かりやすく言えば、ミソもクソも一緒くたになっているのではないかということである。そこへいくと確実に存在したカミンズ女史と誠実に生きた彼女の生涯を知ることによって、人智では測り知ることのできない霊の偉大さに直面させられ、自然に受け入れられるようになる、つまり、理性でしっかりと受け止め、理解できる道が備えられているということに大きな喜びを感ずるのは、私だけであろうか。霊界の深いご配慮に感謝している。
欧米で過去に一大センセーションを巻き起こしたといわれる本書の日本版を世に送り出すことができることを光栄に思う。日本ではセンセーションを引き起こす素地があるかどうかは知らないが、少なくともイエスの真理を真剣に求めている真の“求道者”のためには少なからず貢献できると信じている。
今春出版された『イエスの少年時代』の姉妹編として大いに役立つものと思う。真理は、水と同じく、低きに流れて行くものである。イエスの名言中の名言にあるように、幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできない。
幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉い(マタイ、18 – 3)のであるから、あらゆる先入観、あらゆる偏見、あらゆる教説をいったん棚に上げ、偉大なる霊格者クレオパスの提言に耳を傾けていただけるならば私の本懐である。
このような貴重な文献を贈呈して下さった近藤千雄氏、並びに出版の労を惜しみ無くとって下さった潮文社の小島社長に心から感謝する次第である。
昭和62年8月
山本貞彰
霊界通信 イエスの弟子達 – パウロの回心前後 –
山本 貞彰(やまもと・さだあき)
昭和5年生まれ。昭和30年、立教大学英米文学科を卒業。昭和34年、英国教会系、聖公会の司祭に叙任され、沖縄伝道区を振り出しに諸教会を司牧。昭和60年、スピリチュアリズムとの出会いが起因となって牧師を引退。訳書に『霊界通信・イエスの少年時代』がある。
これら書籍が出版された当時はスキャナというモノが存在しなかったのかも知れない、ページをスキャンするという概念そのものがなかったのかも知れない、なんて思ってみたりもします。ページを強引に開いてノド付近のテキストがぼやけないようにフラットベッドスキャナにギューッと本を押し付けてスキャンするので手が超疲れる。
こんな作業を70冊以上やってきたのです。あと数冊でこの作業も終わります。根性、根性、それしかありません。そして出版社設立についてさらに具体的に考えるのですが、立ち上げる事自体は簡単ですが、問題は「印刷費」で、現在の僕の(霊団に破壊された)人生では印刷費を全く捻出できません。ましてや在庫を抱えるなどもってのほかです。
ですのでオンデマンドで出版する出版社というカタチを取る、という事も考えるのですが、どのみち少部数ですから大量に刷る時より1部当たりの単価が上がります。イコール売り上げが落ちます。
そしてそもそも著作権者、著作隣接権者の方々と全く連絡が取れず復刊の許可が頂けませんので復刊そのものができません。そこでオーファンワークス的な制度を利用して出版できたとしましょう。そうなると努力に努力を重ねてようやく出版にこぎつけたその売り上げのほとんどを国にもっていかれるという状態になるのです。「一体僕は何のためにガンバってるんだ?」となるのです。
フツーにココまで考えれば「コリャダミダ、ヴァッカヴァカしい、このアイデアはボツ」となると思います。出版そのものをあきらめるという選択が通常となるでしょうが、僕には「人類の宝である霊関連書籍を消滅させない」という確固たる目的があります。
霊関連書籍復刊への道、前途多難、イヤ基本的にムリという状況です。WordPressにテキスト全文をUP、pdf制作してダウンロード可能状態にする、あと以前制作中に霊団に止められた「ティラノビルダーを使用しての読書アプリ制作」そして書籍ムービー化、これら作業の方がよほど現実的という事になるでしょう。
ムービー化の作業を再開させるとなると「録音」を再開せねばならなくなります。この録音が地獄の中の地獄で、USBマイクとスポンジパーティションを既に入手済みでいつでも録音再開できるのですが、この作業をやっても反逆(脱出)は実現しません。何をどう努力しても脱出だけは実現しないという回答にたどり着くのです。呪いだ、完全に呪いだ。
どうすればいいんだ。どうすればいいんだ。霊団が意味不明のインスピレーションをひとつ降らせてきました。何を言ってるのかサッパリ分からない。霊団この状況本当にいい加減にしてもらうぞ。僕の怒り憎しみはそのへんのモノとは違うぞ。作業だけは続行中(祈)†
絶版状態の霊関連書籍のテキスト化の作業、WordPressに全文掲載して皆さまにお読み頂ける環境を構築できるのは良い事だと思うのですが「復刊」できない、書籍というカタチにできない事が僕の心に重くのしかかります。
出版社設立についても、できる準備は全て事前にやっておいて、いつでも Go! できるようにスタンバっておこうと思ってます。もっとも個人事業主関連のお勉強をしていく中でどうするか決めますが。あまりにリスクが高すぎればできないという事にもなるでしょうし。書籍はまだ到着しません。
そしてプライオリティが低いのは重々分かっているのですが僕的にはフラーが描けないのが大問題で、本当に作業時間が全く取れなくて困り果てています。生活そのものが変わらないと時間の捻出はできないと思う。イヤそこを何とかデザインしろ。
出版社のハンコとか屋号のプレートとかを先行で作ってモチベーションを上げる事も検討中、やる気は満々なのですが霊団は全然そうではない、僕を閉じ込める事以外何も考えていない。一体あんたたちは何がしたいのか。首をかしげるばかりです。
領主ヘロデの送った栄光の日々について話しておこう。ヘロデは夜中に目を覚ますと、外で動物が歩いている足音が聞こえてきた。彼は昔の楽しかった頃のことを思い出していた。
銀色のローブ(裾の長い衣服)に身を包み、ペテロを死刑にした後で、群衆の前に現れ、彼らが自分を神として拝んでいる様子を夢見ていた。
しばらくしてヘロデは1人の奴隷を呼び、部屋に明かりを持ってこさせ、祭りにでかけるための着替えをした。彼の最大の好みは、盛装することと、家来たちのお世辞を耳にすることであった。
盛装した自分の姿に灯の光が当たってキラキラと光輝いているのを見て満足した。しかし、それとはなしに目をテーブルの上においてある羊皮紙に向けてみると、驚いたことに、それが血のような色で文字が記されていた。きっと名だたる律法学者が書き記したものであろうと思い、読んでみて肝を潰した。
それには、『ヘロデよ!おまえに災いあれ!岩の間に身を隠し、砂塵の中に隠れよ!天の大神の恐怖が迫っておる。砂漠へ行け!直ちに汝の顔を覆え!神の怒りがおまえを撃ち、虫けら同然にならんうちにな!』と記されていた。
それを見たヘロデは気違いのようになり、その羊皮紙を八つ裂きにし、つばをかけ、部屋の護衛に当たっていた家来を刀で切り殺してしまった。犠牲者の血を見て彼の怒りが和らいだ。
ヘロデの世話をする家来がやってきて、歯が浮くようなお世辞をならべたて、羊皮紙のことは余り気にしないように説得した。その上ローマ皇帝よりも更に偉大な生き神様として崇められるようになる、とも言った。
夜が明けると、ヘロデは別室に行き、王の貫録を示すことができるような身支度をした。そこへ早馬が報せをもってきた。なんでも誰かが神殿の庭で、人々に演説をしているという報せであった。
神殿に集まっている連中は、ヘロデに殺されたヤコブの親戚、縁者であった。彼らは群衆に向かって、ヘロデが殺したヤコブはエフライムの息子であって、12使徒の1人ではない、従ってヘロデは罪もない人間1人を殺してしまったと言い触らしていた。
ヘロデは、おかしなことを言うものだと思っているところに、サンヒドリンの1議員である長老がやってきて、あらゆる証拠を示しながら本当のいきさつを説明した。
即ち、ヤコブはエフライムの息子であったこと、しかも12使徒のヤコブとは良く似ていたこと、それで多くの人々はだまされていたことなどを話した。ヘロデは返すことばも無く、すっかり逆上してしまい、まだ夜が明けたばかりなのに、全身から汗が吹き出していた。
さて、獄中のペテロの護衛たちは、全身が硬直したまま、主の天使が姿を消し囚人が獄から出ていくまで静止していた。目が覚め、元気を取り戻すや否や、ペテロを縛っていた鉄の鎖が切断され、土牢の中が空っぽなのに驚いた。
外を見張っていた者たちを集め、前後の事情を聞いても誰1人として見張り人の前を通り過ぎた者はいなかったこと、昨夜はみんな一睡もしないで見張っていたことを主張した。誰1人としてペテロの姿を見た者は無く、おまけに道路にはサンダルの足跡さえも見付からなかった。
いよいよペテロが死刑になる時間が迫ってきて、大勢の人々がペテロの死刑を見物しようと集まってきた。言ってみれば、死の祭典であった。ヘロデのもとに急使がやってきて、昨夜のうちに武装した天使によって囚人全部が盗まれてしまったと伝えた。様々な噂が流れ出した。ヘロデは、どうしてペテロが厳重な牢獄から逃れることができたのか、見当もつかなかった。
そこで彼は苦肉の策として、護衛どもがペテロと結託して囚人を逃がしてしまったと、言い触らした。護衛たちを人身御供にする考えであった。領主の館である宮殿の外側で大騒ぎがもち上っていた。飢えた人々が大声で叫んだ。
「ペテロを返せ!ペテロはどこにいる!天使がペテロをさらっていったというのは本当なのか!この館の中にいるのなら、おれたちに会わせろ!」
余りにも大きな騒ぎが起こったので、ヘロデの身代わりにブラストという男が護衛に囲まれながら、姿を現した。その騒ぎでヘロデは口から泡を吹きながら狂人のようになっていた。ヘロデは抜き身の剣をあたりかまわず振り回していた。
ブラストが言った。「クリスチャンどもが夜中におしかけて、護衛をやっつけてペテロをつれだしてしまったのだ」そこで群衆は、昨夜の模様を知っているクリスチャンのところに駆け付けて、事の真実をすべて耳にすることができた。
ここで大いなる奇跡が起こった。神は群衆をクリスチャンの味方にしたのである。群衆は雪崩のようにヘロデの宮殿を取り囲み、大声でののしった。「おまえは、おれたちにパンのかわりに石をくれやがった!ヘロデをここに突き出せ!」
彼らはますます激しくののしり始め、民衆をだまし続けてきたヘロデを出せ、と叫び続けた。護衛たちは暴徒と化した群衆を蹴散らそうとした。流血、喧噪(けんそう)、怒号が渦巻き、まさに修羅場となった。このようにして、ヘロデが夢見ていた栄光の日は終わった。
ヘロデは、その日から病人のように寝込んでしまった。ブラスト以外とは誰とも口をきかなかった。怒りと恥とがまざりあった感情に抗しきれず、また、民衆が自分についてこんなにもひどく思っていたことを知って非常に驚いた。彼の心にはいつも神になりたいという御しがたい欲望があった。
ただ神として崇められ、拝まれるだけでよいと願っていたのである。そのような虚栄の虫がヘロデの魂を蝕んでいたので、昼も夜も休まることがなかった。そこでヘロデは領主としての権力を悪用して、無数に残酷なことを行った。
ツロとシドンの民衆に対しては多額の税金を収めないなら皆殺しにしてやると脅し、不作の年であったにも拘わらず食糧を全部巻き上げてしまうのであった。そこで大いに苦しんだ民衆は、ブラストを買収して領主の怒りを和らげるよう懇願するのであった。
買収されたブラストは、ヘロデの弱点をよく知っていたので、一計を案じてヘロデに言った。
「我が主よ、民衆は何といっても、あなた様を神であると言ってます。私もそう信じています。そこで、近日中にローマ皇帝カイザルの名誉を称える集会が予定されておりますので、その時に、神である貴方様が、立派な銀のローブをお召しになって劇場の高座にお座りになれば、民衆は堂々たる貴方様を見て、カイザルのことなんか忘れてしまい、貴方様を神として崇めることでしょう」
ヘロデは彼の甘言を耳にして大変喜んだ。特にカイザルが卑しめられて自分が崇められることを思ってみただけでもゾクゾクとして落ち着かなかった。
よいよ集会の日がやってきた。ヘロデは、泡を吹きながら卒倒した忌まわしい日以来着なかった銀の衣服を身に纏った。今日こそは、自分が大神の子孫であるメシヤたることを示せると思った。劇場内には多くの異邦人もいた。
ローマ人の国籍を持つ者や、様々な国からやってきた人々がいて、色々な国ことばがとびかい、ヘロデの入場を待っていた。又カイザルの名代も入場することになっていた。ブラストは数百人の者を買収して、ヘロデが入場したら、神として崇め、地上にひれ伏し拝むように言い付けておいた。
いよいよ領主へロデが民衆の前に姿を現し、彼の右の手を民衆に向かって差し延べながら高座に座った時、大きな叫び声がもちあがった。「ヘロデ王、万歳!ヘロデ王、万歳!おお、聖なるお方、あなたこそ私達の神であらせられます。私達の感謝と尊敬を心からお捧げいたします」
異邦人以外の人々が顔を輝かせて同じように叫んだ。ブラストに買収されていなかった人々も大声につられて、彼を神だと思うようになった。太陽の光線が銀の衣服に反射して、ヘロデの身辺を輝かせていたことも大いに効果があった。
このような言語道断な冒涜(ぼうとく)が堂々と展開されていた時、突然、天罰が下った。彼の全身はワナワナと震え出し、色あせ、顔は紫色に変わり、後方にいたブラストの腕の中に卒倒し、あえなく息を引き取ってしまった。
ヘロデの死は、代々にわたって、自分を神とした者の最期を示す象徴として語り継がれていった。これによって人々は、肉体は土に帰るものであり、霊魂は天使の導きによって新しい生活に入って行くこと、しかも、霊が清らかであれば、神のところまで行けることを学んだのである。
これが超能力だ ●あなたの潜在能力を開発する
ホーラス・リーフ著
近藤千雄訳
はしがき
人間は1人の例外もなく超能力を発揮できる – これは今や確信をもって断言できる。本書はその開発法を心霊学的原理に基いて説いたものである。
私自身霊媒能力を有し、過去30年余りに亘って霊能の研究と鍛錬と開発に従事してきた。当代の第1級の霊能者や霊媒の多くと個人的に交際があり、霊媒としての仕事で世界20か国以上を歴訪している。
さらに私は超能力の開発のための講習会を数多く開き、すでに大勢の受講生が立派な超能力を発揮するようになっている。
本書はその経験と成果を平易な形で紹介したものである。霊媒になりたいと思う人だけでなく、大部分の人間の潜在意識で居睡りをしている第6感以上の、いわゆる超感覚能力(E・S・P)を開発したいと望む方にとっても恰好の参考書となるものと信じている。
ホーラス・リーフ
WHAT MEDIUMSHIP IS by Horace Leaf
published by Psychic Press Ltd.
20 Earlham Street, London WC 2 H 9LW,
England.
目次
はしがき
序章 “汝自らを知れ”
第1章 異常能力
第2章 夢意識と覚醒意識
第3章 夢の解釈
第4章 水脈占い・鉱脈占い
第5章 サイコメトリ
第6章 テレパシー
第7章 霊視能力(その1)
第8章 霊視能力(その2)
第9章 霊聴能力
第10章 潜在意識の謎
第11章 精神力の不思議
第12章 心霊治療
第13章 テーブル現象と直接談話現象
第14章 物質化現象
第15章 自動書記現象
第16章 霊言現象
第17章 幽体脱離現象
第18章 心霊写真現象
第19章 音楽の効用と食事の問題
第20章 注意すべき心霊用語 – 入神・背後霊・エーテル体 –
訳者あとがき
カバー絵 岡崎忠彦
「シルバーバーチの祈り」全ページOCR変換完了中、続いて「霊的人類史は夜明けを迎える」のOCR変換をおこなっている最中に「あ!忘れてた!」と気付いて慌てて「これが超能力だ」のスキャンを開始しました。冒頭目次部分を抜粋してみました。何のために書籍入手し続けてるんだよ、たのむよホントに。
とはいえこの作業を続行したところで復刊できる見込みが全くない、反逆(脱出)できるあても恐ろしいほどにない、僕という霊媒が機能する事も全くない、出版社設立、やりたいならやればいいけどやってみたところで事業継続はまずムリ。絶望感がハンパないですが「感情と手は別レイヤー」ですので手だけはサクサク動かさないといけません。
フラーが全く描けない。作業時間が圧倒的絶対的に足りない。作業時間を捻出しなければ、そのためには生活を変えなければいけない。しかし霊団は僕を閉じ込める事以外何も考えていない。なぜこんな人生をやらされねばならないのか、その理由が全く思いつかない。「スピリチュアリズムの真髄」テキスト見直しも続行中(祈)†
注文した“個人事業主”関連の書籍到着はまだですがWebでアレコレ見たりしています。調べてみて思う事として、現時点の僕が事業継続していく事はまずムリと判断していますが、例えば「事業目的」はこういう感じになる、というドラフトテキストを撃ってみました。
人間とは霊的存在であり、霊界が本来の生活の場であり、物質界とは修行のためホンの一時降下するだけの場所であり、人間の人生の場ではありません。自分が霊である事を悟らず物的な事のみに心を奪われて物質界人生を終えると、帰幽後の霊界人生に重大な障害をもたらします。
物質界生活中に正しい霊的知識を獲得する事は、霊界にて首尾よく進歩向上を果たすための必須条件となります。その学び、悟りの助けとなる、正真正銘の霊的知識を網羅した書籍群を出版する事で地球人類の霊的進歩向上に寄与し、イエス様を筆頭とした地球圏霊界上層界の高級霊の方々の積年の悲願達成をサポートする。
物質界は洗脳に満ちあふれており、強姦殺人魔が善人を装って罪にも問われず公然と生活しています。物質界にはびこる諸問題の根本原因を辿ると、ことごとくこれら偽善者にたどり着きます。この邪悪を滅ぼさずして物質界にも霊界にも真の安寧は訪れません。
強姦殺人魔、天皇一族の邪悪の正体を正しく広めるために書籍、ブログ等の情報拡散をおこない、国民の洗脳を撃ち破ってこの邪悪を滅ぼし、今後未来永劫、2度とこのような邪悪が物質界にはびこる事がないよう未来に真実を語り伝えなければなりません。そのための書籍を多数刊行する。
はい、僕がこういう企業理念を掲げて出版社を立ち上げたとしましょう。その先に相当険しい道のりが待ち受けている事が容易に想像できますよね。で、それはともかくとして本当に出版社を立ち上げるとしたら、起業そのものはメチャ簡単のようです。
しかし何しろメチャ簡単で費用もかからないという事のようですから、いつでも出版社【Go!】できるようにスタンバっておきましょう。「今だ!」と思った時に即立ち上げられるように今できる事はもう先行でやっておくくらいの前のめりでイイのかも知れません。
「シルバーバーチの祈り」OCR変換開始しています。復刊できる見込みが全くないですが、各種書籍テキストデータを揃えておかない事にはイザ“OK”となった時に出せるモノも出せなくなってしまいますので、いつか復刊できると信じてテキスト化の作業は続行しないといけません苦しいですが。
当時のユダヤの領主ヘロデは虚栄心が強く、知恵に乏しかった。彼は、何とかユダヤ人の間で偉大な人物であるという名声が欲しかった。そこで彼はマナエンという男に近づいて、さもキリストの教えに理解があるような態度を示した。
純真なマナエンは、極秘の情報であると前おきして、教会の内情について語った。彼らは12人による協議制で運営していること、とりわけ、3人の使徒が神の子の真理を司る者として尊敬されていること、その訳は、この3人が常時聖霊に満たされているからなどについて打ち明けた。
それでヘロデは、教会を取り仕切っているのはヤコブであり、12使徒の第一人者であるということを知った。その次にペテロという使徒がおり、主として説教をして信者の群れを養っていること、更に第3番目に霊能にすぐれたヨハネがいて、彼の内面は、まるで鏡のように偉大な神の真理を啓示するということも知ることができた。
そこでヘロデは、この3人の指導者を捕まえてしまえば民衆から喜ばれると考えた。更に彼は、自分がキリストの位置を占めれば、3人の指導者は自分の意のままに動かすことができるとも考えた。そうすれば自分は、地上に再来したメシヤになれる筈だと。
しかし何をさておいても、手初めに神のように崇められている3人の指導者を捕まえなければならないと考えた。実に卑しい彼の心は、愚かというほかはなく、民衆から神と崇められると自惚れていたのである。
当時、教会には、ヤコブと名乗る者が2人いて、1本の茎に咲いた2輪の花のように見られていた。しかし使徒ヤコブが良く知られていて、第2のヤコブの存在はあまり知られていなかった。
第2のヤコブは、非常に仕事熱心であったが、すぐ自惚れて有頂天になる性格であったため、執事職には選ばれなかった。さて、ヘロデの家来どもは、教会組織のある地域を中心に、使徒の頭ヤコブを捕らえようと捜し回った。
ところが、同じヤコブでも第2のヤコブを捕まえてしまった。このヤコブは、噂によると、エフライムという人の息子であったらしい。捕らえられたヤコブは、ヘロデがキリストのことを知りたがっているということを知り、内心ほくそ笑んでいた。
なぜなら、ひょっとすると、この領主ヘロデを教会へつれていって、クリスチャン仲間に紹介し、自分がこんな偉い人を導いた偉大な教師であると威張れるかもしれないと考えたからである。
第2のヤコブは、辞を低くして頭を下げ、甘い言葉で挨拶した。彼は、教会が領主の知恵を求めているなどとおだてあげたので、ヘロデはとても喜んだ。有頂天になったヤコブは立ち上がり、まるで自分は賞賛の光の中を羽ばたく鳥であるかのように語った。
怒ったヘロデは叫んだ。「神に選ばれたメシヤとは誰であるかを知っているのか!このたわけめが!木に吊されて殺された、あのならず者のキリストのことをごたごたしゃべるでない!おまえの前に立っている我輩こそ神の子メシヤであるぞ!頭(ず)が高いぞ!」
それからヘロデは口早に自分の考えを述べた。エルサレムにあるすべての教会は、ヘロデをメシヤとして拝み、大工の子、ナザレのイエスのことは2度と口に出さないようにしてやるとしゃべりまくった。
そこでヤコブは自分の自惚れがたたって危険に追い込まれていることを察知した。と同時に、キリストのために殉教の死を遂げられるかもしれないことを喜んだ。ヤコブはあくまでもイエス・キリストへの信仰を固く守ること、更におのれを神とするような大罪人である領主へロデは大馬鹿者であると言った。
ヘロデはカンカンに怒って即座に殺そうと思ったが、思い止どまった。それは大勢の目の前で、教会の頭(かしら)の首をはねるほうが遙かに効果的であり、人気が得られると思ったからである。そこで次のようなお触れを出した。
『12使徒の頭を死刑にする。そうすればキリストの呪いが取り除かれるであろう』
大勢の人々が集まったところで尋問を受けた。おまえは本当に教会の頭であるヤコブであるかと。彼は、そのとおりであると答えた。ヘロデの家来は、剣で彼を切り殺した。ついに彼はイエス・キリストを信じる兄弟のために殉教した。
エルサレムでは、ヤコブの死を喜ぶ者が多かった。これでキリストの呪いが取り除かれたといって喜んだ。彼らはキリストのことを本当のメシヤとは思っていなかった。
次にペテロを捕まえようと領主は追っ手を出した。ペテロは神殿の庭でキリストの教えを説いていた。それでごく簡単に逮捕し、牢獄に入れることができた。ペテロはヘロデの前に引き出された。ヘロデはメシヤとして挨拶してもらえるものと思っていた。
メシヤでなければ、少なくとも、神々の1人として彼の前にひれ伏して拝むように促した。ペテロは全身を縛られていた。それで手足を動かすことができなかった。ロだけがきける状態であった。しかしペテロは即座にキリストの信仰を堂々と主張した。ヘロデは怒り、ペテロにさるぐつわをはめさせ、牢獄にぶち込んだ。
ヘロデは第3の指導者ヨハネを捜したが見付からなかった。1人ぐらいは当分の間生かしておいて、彼らの言う復活祭(キリストの復活日)の次の日にでも血祭りにあげ、自分が神であることを示そうと考えていた。
そのほうが民衆の野獣的欲求を満足させられると思った。ペテ口の死刑もこのように実施しようと計画した。大観衆の前に、銀の帯をしめて現れ、みんなが大声を張り上げて自分を神として崇められることを想像していた。
いよいよ死刑執行の前夜がやってきた。ペテロは薄暗い地下牢の中に閉じ込められていた。重いどっしりとした戸が閉められ、星の光さえ通さぬ程であった。ペテロは鎖で空中に吊されていた。もしかしたら仲間が助けにくるかもしれないとの噂がたったので、たくさんの護衛が見張りをしていた。2人の護衛がペテロの両脇を固めた。
さて、私は前に、霊体(光の体)のことに触れたことを覚えておられるであろう。それは、別なことばで言えば“目にみえない人間の像”と言うことができるであろう。
その霊体には、あなたがたが肉体と言っている物質に近いものでできている一種の“覆い”を着けている。もちろん人間の目には見えないものである。人間の内面にあるこの2つのものを、僅かではあるが、自由に操作できる人がいる。ペテロもそのうちの1人であった。
さて、エルサレムにいるクリスチャンは、休みなく祈り続け、聖霊が天使を遣わしてペテロを救出してくれるように願った。多くの人々から熱心に寄せられる強烈な願望が渦巻き、大きな力を引き寄せる源となっていった。
クリスチャンたちの祈りは聞かれ、ついに主の天使は仮眠をしているペテロのもとに現れた。ペテロは仮眠というよりは、気絶をしていたと言ったほうが当っていた。彼の霊体と覆いが肉体を離れた。肉体は死人のように横たわっていた。
両脇にいた護衛は、翌日死ぬことが分かっているにも拘わらず、グッスリと深い眠りについている肉体を見て驚いた。彼らの周りに霧のようなものが立ち込めてきた。2人の護衛は、まるで土くれでできているかのように動かなくなった。ビクとも動かなかった。霧が輪の形となって彼らを囲んでしまった。
突然ひとつの星が現れ、その光が延びてきてペテロの居る所を照らしだした。主の天使がペテロの肉体に触れた。するとペテロの肉体が動き出した。絡み付いていた鎖がプッリと切れてしまった。護衛は、なおも不動のままであった。ペテロの霊体は、依然として肉体の外にあった。
彼の肉体は眠り、夢を見ていた。ついに天使の働きによって、霊体が彼の肉体を動かし始めた。重い戸が開かれ、天使がペテロの前を通り過ぎていった。天使の招きによって、ペテロも天使の後に続いて出て行った。それは、まるで夢の中で見知らぬ道を歩いているようであった。
星の光がペテロを照らし、主の天使が彼を道路の所まで誘導したとき、天使の姿は見えなくなっていた。ペテロは夢中になって、ある門の戸をたたいた。それがどこの家の門であったか彼には全く分からなかった。その家には、ペテロのために大勢の兄弟が集まって祈っていた。
1人の若い女の子でローダという子が、門の戸をたたいている音に気がついて戸口の所に行き、少し間をおいてから戸を開けた。するとペテロが入って来たのでみんなは歓声をあげた。ペテロはみんなを静めてから言った。このことを早速、ある所に隠れているヤコブに知らせるようにと。
1人の若者がヤコブのところに向かった。ヤコブは、ペテロが死刑になったら、自分もヘロデのところに行くと言っていたからである。ペテロは変装をし、髪の毛や髭をそりおとした。ヘロデの家来に捕まらないようにするためであった。
もう1人の兄弟と共にペテロはその家を出ていった。2人はエルサレムの門から無事に脱出することができた。エルサレムを出さえすれば、どこにでも安全な隠れ家を見付けることができた。陽が昇るまえにエルサレムを脱出したのは、ペテロだけではなく、他の使徒たちもみんな出て行った。