『シルバーバーチの霊訓⑨』
しかし私がいつも言っているように一番大切なのは動機です。何が動機で自殺したかという事です。ままならぬ事情から逃れるための自殺は、今述べた通り、そう思惑通りには行きません。が一方、時たまあるケースとして、動機が利己主義でなく利他主義に発している時、―
『シルバーバーチの霊訓⑨』
―つまり自分がいなくなる事が人のためになるという考えに発している時は、たとえそれが思い過しであったとしても、さきの臆病心から出た自殺とは全く違ってきます。いずれにせよ、あなたの魂はあなた自身の行為によって処罰を受けます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
みんな自分の手で自分の人生を書き綴っているのです。いったん書き記したものは二度と書き変える訳にはいきません。ごまかしはきかないのです。自分で自分を処罰するのです。その法則は絶対であり不変です。だからこそ私は、あくまで自分に忠実でありなさいと言うのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
いかなる事態も本人が思っているほど暗いものではありません。その気になれば必ず光が見えてきます。魂の奥に潜む勇気が湧き出てきます。責任を全うしようとした事が評価されて、その分だけ霊界からの援助のチャンスも増えます。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
背負い切れないほどの荷は決して負わされません。なぜならその荷は自らの悪業がこしらえたものだからです。決して神が“この人間にはこれだけのものを負わせてやろう”と考えて当てがうような、そんないい加減なものではありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
宇宙の絶対的な法則の働きによって、その人間がその時までに犯した法則違反に応じて、きっちりとその重さと同じ重さの荷を背負う事になるのです。となれば、それだけの荷をこしらえる事が出来たのだから、それを取り除く事も出来るのが道理のはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
つまり悪い事、あるいは間違った事をした時のエネルギーを正しく使えば、それを元通りにする事が出来るはずです。【因果律の働きですね―】そうです。それが全てです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【例えば脳神経に異常をきたしてノイローゼのような形で自殺した場合、霊界へ行けば脳がありませんから正常に戻ります。この場合は罪はないと考えて宜しいでしょうか―】話をそういう風にもって来られると、私も答え方によほど慎重にならざるを得ません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
答え方次第では私がまるで自殺した人に同情しているかのような、あるいはこれからそういう手段に出る可能性のある人に口実を与えている事になりかねないからです。もちろん私にはそんなつもりは毛頭ありません。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
今のご質問でも確かに結果的にみればノイローゼ気味になって自殺するケースはありますが、そういう事態に至るまでの経過を正直に反省してみるとやはりそのスタートの時点において私が先ほどから言っている“責任からの逃避”の心理が働いたのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
もしその人が何かにつまずいた時点で“自分は間違っていた。やり直そう。そのためにどんな責めを受けても最後まで責任を全うしよう”と覚悟を決めていたら、不幸をつぼみのうちに摘み取る事が出来ていたはずです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
ところが人間は窮地に陥るとつい姑息な手段に出るものです。それが事態を大きくしてしまうのです。そこで神経的に参ってしまって正常な判断力が失われていき、ついにはノイローゼ気味となり、自分で自分が分らなくなります。問題はスタート時点の心構えにあったのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
【いわゆる“偶発事故(アクシデント)”による死はあるのでしょうか―】非常に難しい問題です。というのはアクシデントという言葉の解釈次第でイエスともノーともなるからです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
動機も目的もない何か訳の分らない盲目的な力でたまたまそうなったという意味であれば、そういうものは存在しません。宇宙間の万物は寸分の狂いもなく作用する原因と結果の法則によって支配されているからです。ただその法則の範囲内での自由意志が許されております。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
がその自由意志にも法則があります。わがまま勝手が許されるという意味ではありません。従って偶発事故の起きる余地はありません。偶発のように見える事故にもそれなりの原因があるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
ぜひ知って頂きたいのは、法則の中にも法則があり、その裏側にも法則があり、それぞれの次元での作用が入り組んでいるという事です。平面的な単純な法則ではないのです。
『シルバーバーチの霊訓⑨』
よく人間は自由意志で動いているのか、それとも宿命によって操られているのかという質問を受けますが、どちらもイエスなのです。問題は解釈の仕方にあります。
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→
「水星バカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地球学校落第という意味です(祈)†
明仁、文仁、徳仁、悠仁はこの全宇宙最低の地球よりさらにヒドイところに生まれ直させられるのだそうです霊団によると。皆さまはそうは思われない事と思いますが、現在肉体をまとって地球圏物質界で生活している僕たち人間は「最下等の生命表現をしている霊的存在」なのだという事を理解しましょう。僕たちの本体である霊は無限です。その生命表現手法も無限です。物的肉体をまとっての生命表現は、この全宇宙の中の「もっとも程度の低い生命形態、初期的自己表現手段」という事です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、その最下等の生命表現よりさらに程度の低い生命表現媒体をまとわされての人生に突入するという事を霊団が強調しているのです…続きを読む→
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→