かろうじて撃つだけは撃ってますがもうモチベーション的にムリ、これ以上この長文撃ちを続ける自信がありません、間もなくこの毎週の長文テキスト撃ちは終了になる可能性が濃厚です、もう続けられない。
仕事の本体であるはずの霊団がまるっきりやる気ゼロなのに使われる道具の僕がキバってもどうにもならない、本体の指示で仕事するのが僕の使命なんだから。とにかく苦しいですが撃ち切って次の作業(2サイト作成)に移行しましょう。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
かろうじて撃つだけは撃ってますがもうモチベーション的にムリ、これ以上この長文撃ちを続ける自信がありません、間もなくこの毎週の長文テキスト撃ちは終了になる可能性が濃厚です、もう続けられない。
仕事の本体であるはずの霊団がまるっきりやる気ゼロなのに使われる道具の僕がキバってもどうにもならない、本体の指示で仕事するのが僕の使命なんだから。とにかく苦しいですが撃ち切って次の作業(2サイト作成)に移行しましょう。
間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日の先生(富士山)グラデーション撮影の画像をUPですが、霊団がもう何もやる気がない事を決定づけるような感じの事を言われていて、もうこの怒りをどこに持っていったらいいのか分からずに悶々としています。ただひたすらに信じられない。
そもそもこの仕事を僕に半強制的にやらせたのはオメィたちだろ、やらせておいて全力でフェードアウトさせようとしてやがる、だったら最初からやらせなきゃよかっただろ、この12年は一体何だったんだよ。僕の画家の人生を返してくれよ。
もう怒りがすさまじすぎて心の収拾が尽きません。あげくの果てに反逆者扱いにされて帰幽後もキビシイ状態にさせられるとなれば、もう地球圏霊界に完全に未練がなくなります。こんな狂った組織の一員に死んでもなってたまるか。絶対別のところに行ってやるぞ。
あまり長文にはならなさそうですがかろうじてテキスト撃てそうですので何とか撃ちはじめてみます。人生最大級の怒りと表現してなんら問題ないでしょう、それくらい霊団に対して怒り狂っています。死んでも永遠に許せない(祈)†
今週は一旦標高を下げて先生(富士山)の撮影としましたが、今日の最高標高地点で-9℃、先週のスノーシューの時とほぼ同じ気温です。そしてやはり今日も先週とほぼ同じ状態、明らかに保温力が足りない、かなりキビシイ状態になりました。これでは間違いなく-20℃には耐えられません。
さぁいよいよ困りました。この保温不足問題をどう解決させるか。今日の先生(富士山)の撮影は上々でしたが眼前に大問題が立ちはだかって心は晴れず。もうこれ以上レイヤーを増やせませんのでアウターを全く新しいモノに変えようかと考えています。金額がイタイ…“ある脱出アイデア”のために節約していた、その成果がこのアウターの入手で全て吹き飛んでしまいます。なんのこっちゃ。
撮影画像のUPは明日とさせて頂きますが長文ブログはピンチです。ギリ撃てなくもない感じのインスピレーションが申し訳程度に降っている状態、それを撃ってすぐ2サイトに戻るという感じになるかも知れません。足回りに強めのダメージが残ってますのでまずは回復に集中させて頂きます(祈)†
まず2サイトの記事投稿を続けていますが、使用中のAIが全然使えなくなってしまいました。どうやらこれ以上の使用はできない可能性が出てきました。となると別のAIに頼るか、もしくは自力でテキストを撃つか(イヤそれはムリ)最悪この2サイトがボツという事になります。
※今ようやく使用可能になり記事をひとつ投稿できました。しかし今後の作業に不安材料が出てきました。チョトこの先ずっとこの投稿方法はできない、と考えた方がイイかも知れない。
もうこんな状態だったら撃たなくてイイんじゃネィかとフツーに思います。もし長文ブログボイコットになったら、2サイト投稿方法をアレコレ調べる時間を取ろうかな。現在使用中のAI、どうもまもなく使えなくなりそうな空気感がある。信用できなくなってきました。さぁ困った。結局有料になってしまうのか。まぁ仕方ないんでしょうけどね。
この“新しい啓示”の内容とその信憑性に関しては、前章で扱ったものよりも大きな論点がいくつかあるが、それはひとまず措(お)いて、むしろもっと細かくて身近な問題で私がこれまでに関心を向けずにはいられなかったものを、いくつか取りあげてみたい。
まず、死後に赴く世界が、どこか遠くにあるのではなくて、すぐ近くにある – 否、今自分がいるのと同じ場所にあって、われわれも実は睡眠中に何度もそこを訪れている、という事実(先輩霊たちはそう言っている)である。
愛する者を失った人が、本当ならそのまま発狂しかねないほどの悲しみに暮れながらも、そのうち立ち直って明るさを取り戻していくのは、実は睡眠中に“その人”と会っているからなのだという。もとより、霊的意識と肉体的意識との切り換えは完璧で、その間の霊的体験の記憶は甦らないが、慰めの情は潜在意識を通して運び込まれているという。
今言ったように、霊的意識と肉体的意識の切り換えは完璧なのだが、時として、原因はともかくとして、1秒の何分の1かの隙間(すきま)ができ、その間隙(かんげき)を縫って霊界での体験が流れ込むことがある。その中には予言的性格の夢があることも数多くの証言がある。
2サイトは全力で作り込んでいますが(現在18投稿)コチラ1サイト、つまり霊的使命遂行の方はもうイヤでイヤでどうしようもない事のオンパレードで、霊団のやる気のなさ、そしてよくもここまで人の気持ち、意向を無視し続けられるよなと、イヤな気持ちがとどまる事を知りません。
もはや当たり前の状態と言ってイイでしょう、インスピレーションは枯渇状態、次回長文ブログがピンチであり、今度こそボイコットになる可能性があり、だったら2サイトの作業を全力で進めるつもりです。まずは30~40投稿に到達させ、そこから審査に出して、もし合格するようならそこから脱出実現に向けて一気に加速させていく事になります。
もしアドセンス合格できなかった時、どこをどう修正したら再審査、合格できるのか方法が分かりませんが、何とかググってやってみましょう。ハッキシ言って霊団からはもうコケにされています。そこまで言われて何が悲しくてコイツらの言う事を聞かねばならないのかがもう分かりません。
この12年間、自分にできる限りの事をやってきた人間の事はコケにするが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事は守り通そうとし、奴隷の女の子は見殺しにする。コイツァーご立派な人間たちだ心から尊敬申し上げます。
スノーシューショック(僕の身体が低温に耐えられなくなっていてスノーシューの山域に赴けなくなっている件)ですが、今週はまず一旦標高を下げますが、次週からやっぱり再び雪の世界に飛び込もうかと考えています。どうしてもこのままスノーシュー終了、雪の撮影終了というのがイヤなモノですから。さぁちょっとの時間もムダにするな、作業を続行させろ(祈)†
イヤ、続けられるかな、じゃネィ、続けるしかネィんだよ。日々の投稿記事作成の効率化を考えないといけません。少ない時間、パワーでサクサク記事を次々投稿、そういう風にしないと続けられませんので。
この問い合わせの回答次第では今後の動きがメチャクチャになる可能性がありまして、チョト怖いメールになりますが、確認せずに突っ走る事の方がもっと怖いでしょう。時期が来たらコチラ1サイトでお話するかも知れません。
霊団はさっきから絶望的な事を言ってきます、僕のこの反逆が本当に宜しくない様子ですが、何と脅されようともこの脱出は絶対にやめない。死んでも脱出してみせる。何が何でもやってやるぞ。フラー26カラーリングも続行中ですがUPはだいぶ先になりそうです。2サイト作り込み続行中(祈)†
それと同じで、死後の世界にも、地上の物質に相当する“もの”が存在することは間違いないらしい。それを生み出す“合成化学”というものが存在し、それを専門としている高級霊がいるらしい。彼らにとってはその操作はいとも簡単で、その片鱗は物理実験における“物質化”で見せてくれている。
ただ、それがいかなるメカニズムで行なわれているかとなると、その専門のスピリットには分かっていても、一般のスピリットに説明を求めるのは酷であろう。われわれも引力とは何か、電気とは何か、磁気とは何かを子供から訊ねられると困るのと同じである。
オリバー・ロッジの『レーモンド』の中でレーモンドが死後の環境の構成物質について説明しているところがある。(5)レーモンドは自分なりの物理学を述べているが、それはあくまでもその時点でのレーモンドが置かれた界層での話であって、それより上の界層ではまた別の物理学が存在するかも知れないのである。
レーモンドによれば、霊界の化学者には何でもこしらえることができること、低級霊でもアルコールやタバコの成分のエキスをこしらえることができ、その味が忘れられない中毒者がいる、といったことまで述べている。
こうした突拍子もない話が唯物論者に攻撃の材料を与えてしまっているが、私に言わせれば、突拍子もないことに思えるのは地上の環境とあまりに似すぎているからであろう。霊界へ行った本人にとってはそういう現実が目の前にあるわけである。それを正直に、そして、臆することなく述べている点に、私はむしろ信憑性を見るのである。
批判的意見でいちばん多いのは、霊界通信に描かれている世界があまりに現実的すぎるということである。これを言い換えれば、そう批判する人たちがこうあってほしいと心に描いているものとは違っていると言っているようなものである。
そういう人たちに申し上げたいのは、この地上世界にも、本当はこうあってくれたらいいのにと思うことで現実的にはそうはなっていないことがいくらでもある、ということである。
かりにその“現実性”を返上して、ではどうあれば気に入っていただけるのかを検討してみると、これは実に厄介なことになる。ただの水蒸気のように、空中をふわりふわりと漂っているような存在であればいいのであろうか。身体もなく、個性もないということは、“消滅してしまった”ということと同じである。ところが、個性がちゃんと残っていることは完全に証明済みなのである。
かりに幼い時に亡くしたわが子が個性を失って、笑顔も見せずヤンチャもしない完全無欠な存在となっているとしたら、母親はそのことを喜ぶだろうか。やはり地上時代のままの小憎らしい、はなたれ小僧のままでいてくれた方がうれしいのではなかろうか。が、それは、地上と同じ現実味と固体性を基本として営まれている生活環境のもとでしか有り得ないことである。
物質的固体性を当然のこととして生活しているわれわれ人間にとって、この肉体を失ったあとも固体性と感情と感覚をそなえた現実味のある生活があることは、確かに想像しにくいことではある。しかし、固いといい柔らかいといい、すべては相対性の問題であることを忘れてはならない。
たとえば、どこかにこの物質界より1000倍も濃密で鈍重な環境の世界があると仮定しよう。そこの生活者にとって、その環境は、われわれが地上環境に対して感じているのと同じ程度に感じられるはずである。
そして、もしもそこの住民がこの地球を訪れて地上生活を直接体験したならば、あまりの軽快さと流動性と柔軟さに驚いて、これで果たして実感を得ているのだろうかと疑うことであろう。われわれが地上という環境にあってそれなりの実感を得ていることまでは想像が及ばないであろう。
それと同じ相対関係を死後の世界に当てはめて考えれば、われわれ人間にとっては蒸気か影のようにしか思えないスピリットも、その環境にあっては、われわれが物的環境に実体があるように感じ取る機能をそなえているように、霊体には霊的環境を実体あるものとして感じ取る機能がそなわっているのである。(6)
【1】Edmund Gurney(1847~1888)
古典学者であり、音楽家であり、医学研究家でもあるという多才な人物。27歳から31歳にかけての5年間に集中的に心霊実験会に出席して手応えを得ていた筈であるが、すぐには公表せず、1年後に設立されたSPR(心霊研究協会)の会報にそれを掲載し、現在でもSPR自慢の貴重な資料となっている。もっとも、スピリチュアリズムの観点からすると隔靴掻痒の感は拭えない。
ガーニーの存在価値が発揮されたのはむしろ死後のことで、複数の霊媒を通じて自動書記でまったく同じ内容のメッセージを送ってきて、その付帯状況から判断して、ガーニーの個性存続を立証するものとなっている。
【2】死者のスピリットは、他界直後はしばらく睡眠状態に入るのが通例である。これは、地上に誕生した赤ん坊が乳を飲む時以外は眠っているのと同じで、その間に新しい生活環境への適応の準備をしているのである。したがって、幽体離脱(体外遊離)が自在にできる人を除いては、眠った方がいいのである。
ところが、戦争や事故で、あっという間に死んだ場合など、怨みや憎悪といった激しい感情を抱いたまま死んだ場合には、その感情が邪魔をして眠れず、したがって霊的感覚も芽生えないので、いつまでも地上的波動の中でさ迷うことになる。
これを地縛霊(じばくれい)といい、その種のスピリットの出す波動が地上の生者にさまざまな肉体的ならびに精神的障害をもたらしていることが明らかとなってきた。
その地縛霊を霊媒に乗り移らせて司会者(さにわ)が霊的実相を語って聞かせると、言いたいことをさんざん言ったあと、なんだか眠くなってきた、と言い出すことが多い。激しい感情の波動がおさまって、魂が休息を求めるようになるのである。
すると大抵、肉親や親戚・友人など、地上で親しくしていた故人の霊姿が見えるようになる。ここまでくると、いわゆる“成仏”できる条件が整ったことになる。
同じく睡眠でも、キリスト教の“最後の審判”説を本気で信じていた人間によく見られる睡眠は実に厄介である。このドグマはローマ帝国がキリスト教を国教としたあとでこしらえられたもので、啓示でもなんでもない。
地球の終末に全スピリットが集められて、天国へ行く者と地獄へ行く者との“名簿”が読み上げられる – その日までは墓場で眠っている、というのであるが、これを幼児期から聞かせられて育った者は、魂の髄までそう信じているために、呼び起こしても“(地球の終末を告げる)ラッパはもう鳴ったのか”と聞き返し、まだだ、そんなものはいつまでたっても鳴らないと説き聞かせても、また眠ってしまう。
ウソのような話であるが、西洋の霊界通信の中には大抵そういう話が出てくる。信仰は自由かも知れないが、間違った自由は死後、大変な代償を払わされる。
【3】私の手もとにあるのは1918年のSPR会報に掲載されたもので、45ページばかりの記事である。これに大幅に加筆されたものが単行本として発行されているらしいが、私は入手していない。
内容的には人間の知識と記憶の限界をはるかに超えたものが自動書記で綴られたというだけのもので、知識そのものは断片的で一貫性に欠ける。当時としては珍しかったかも知れないが、その後それをはるかにしのぐものが陸続として入手されているので、今日的価値はもう失われている。
【4】ガーニーの同僚だったマイヤースも、地上時代の研究は資料的には確かに厖大だったが、確固とした結論を出せないまま他界している。しかし他界後、霊界で勉強したことを、女流作家で霊媒能力をもつジェラルディン・カミンズの腕を使って The Road to Immortality(永遠への道)、Beyond Human Personality(人間的個性の彼方)という、いかにも学者らしい香りに満ちた高等な霊界通信を送ってきている。
その中で、有名な“類魂説”Group Soul の原理を説き、かつての平面的な霊魂観を打ち破って、立体的で発展性に富んだものとした。これを簡単に説明しておく –
人間社会は原則として血のつながった家族を単位として営まれているが、それぞれの肉体に宿っているスピリットはタテの霊的近親性によって結ばれた霊的家族の一員で、夫婦といえども、親子といえども、必ずしも同じ霊系に属しているとはかぎらない。全員が別々の霊系に属している場合もあるし、全員が同じ霊系に属していることもある。
その、同じ霊系に属するスピリットの集団を“類魂(グループソウル)”という。その中心的存在を日本的に表現すれば“守護神”で、その守護神の指名を受けて地上のスピリットの責任を担わされているのが“守護霊”である。それがタテのつながりで、この関係は“守護”という用語から連想されるものとは違って、向上進化を第一義とした厳しいものである。
が、これがヨコのつながり、つまり同じ霊系の仲間同士の関係になると、地上の家族関係よりはるかに親密度が強く、互いに魂を鼓舞し合い、生き甲斐を感じ合う間柄となる。そこには民族や国家の別はない。
【5】『レーモンド』から2箇所紹介しておく。
《ぼく(レーモンド)が今いちばん伝えたいと思うのは、こちらへ来て最初に置かれた環境のことです。最初のうちは頭の中が混乱してしまいました。でも、ひとつ有り難かったことは、環境が地上と同じように実質があって固いということで、そのおかげで早く環境に馴染むことができました。
ぼくにとって今のいちばんの課題は、そうした環境が物理的に何で構成されているかということです。まだ本当のことは分かっていないのですが、ひとつの理論はもっています。と言っても、これはぼく自身が考え出したものではなく、折にふれて聞いていたことから結局はこうではないかと推論しているに過ぎませんけど…
よく、霊界の環境は自分の思ったことが具象化したものだと言う人がいますが、これは間違っています。ぼく自身もそう考えた時期がありました。たとえば建物も花も木も大地もみな意念によって造られたものだと考えるわけです。むろん、これにも半分の真理はあるのですが、それで全部が片づくわけではありません。つまりこういうことです。
地球から一種の化学的成分がひっきりなしに上昇していて、これが上昇するにつれて、いろいろと変化して霊界に定着し、それが霊界に実質性を与えるというわけです。むろん今ぼくが置かれている環境について述べているだけですけど…
ですが、地球から何かが放射されて、それが霊界の木や花に実質感を与えていることには確信をもっています。それ以上のことはまだよく分かりません。目下勉強中というところです。まだ時間が掛かるでしょう》また別のところで –
《ぼくの身体も地上にいた時とよく似ています。夢かも知れないと思ってときどき抓(つね)ってみることがあるのですが、やはり痛いです。もっとも肉体ほど痛くはないですけど…内臓は肉体とは違うようです。同じであるわけがないでしょう。しかし、外形はどう見ても肉体そっくりです。ただ、動きが肉体より自由です》
【6】われわれ人間は今どっぷりと物質的環境に浸って生きているので、それをごく当たり前と思い込んでいるが、では生まれた瞬間からそれに適応できたのかといえば、きわめて頼りない、そして危なっかしい期間があったわけである。
生命をつなぐものは“呼吸”しかなく、鼻をつままれたら、それきり死んでしまうところだった。出産の過程でもたつくと死産となる。無事生まれても、呼吸すること以外には、自分ひとりでは何もできなかったことを思い起こす必要がある。それからの2、3年間は、物的環境に適応するための必死の努力の連続だった。
最近は脳生理学の発達によって、幼児期の手足の運動が脳を刺激して、神経網の発達を促していることがわかってきた。それは言い換えれば物的環境への適応能力の発達であって、さらに言い換えれば、それを当たり前と思うようになる訓練をしたようなものである。霊的なものが理解できなくなる原因のひとつはそこにある。
記事のテキストの自動生成、および画像の自動生成、どちらも1日の利用制限というものが設けられており、なるほど甘くはないという事を知りました。“ある脱出アイデア”の方は、少ない労力で記事を量産できるモノでもちろん制限もありません。そちらにしていれば良かったのかも知れませんが僕にはどうしてもその金額が出せなかったのです。
ですので泣く泣く自力でWordPressの2サイトを立ち上げたという事なのですが、やはりこれで脱出を実現させるのはキビシそうです。しかしこれもひとつのステップだ、とにかくやるしかない。どうしても閉じ込められるのがイヤなんだから四の五の言っている場合じゃないんだ。
今後もし2サイトが軌道に乗るようなら有料ツールを使用して(イヤ現在も画像の方で有料ツールを使用していますが…)記事の投稿量を増やしつつ労力を下げるという事をやっていくのかも知れません。とにかく前進、経験値獲得、脱出を死んでもあきらめるつもりはない。
霊団が幽体離脱時に「それ言うか」みたいな事を言ってきました。そういう感じの事を引き合いに出されたら誰も言い返せなくなってやや卑怯という事を言われています。霊団は僕が脱出をあきらめるとでも思っていたのでしょうか。そんな事は天地がひっくり返っても有り得ないという事がなぜ分からないのだろうか。永遠に首を傾げる。
仕方ありませんのでまずは制限内で記事作成、投稿を続け、状況を見てさらに展開していきます。有料のモノを使用する事ももちろん視野に入れますがそれで自分の首を絞める事になったら本末転倒ですので結果に結びつけないといけない。どしよかな、あとモチョト作り込み出来たらコチラ1サイトに2サイトのURLを載せてもイイかも知れませ…やめた方がイイのかな。マイッタナ(祈)†
まずとにかく記事数を増やしています。今まで長らくWordPressをやってきたおかげで右も左も分からなくてパニクるという事はあまりなく、何とか進める事ができています。記事数が一通りそろって、サイトの作り込みがまぁまぁ完了したらGoogleに申請を出してみるつもりです。
それを僕は自力ではじめたのでサポートもなく模索しながらの作業となりますので結果に到達する保証がありません。くたびれもうけになる可能性が高いですが、かといって退く訳にはいかない、脱出がかかってるんだから前進突撃するしかない。
もし、もし、この2サイトが順調にうまくいったとしたら、2サイトの運営を信頼できるどなたかにおまかせして僕は1サイトおよび使命遂行の諸作業(アナログ絵描画、霊関連書籍のテキスト化、トレイルムービー作成等々)に集中したい、なんて夢を心に思い描いたりなんかして。まぁそういう日は来ないでしょう、と言っちゃあいけない、最後まで可能性を捨てずに行きましょう。
フラー27以降の新規デザインはもうやらない可能性が濃厚です、というのもやらねばならない作業が他に殺人的にあるからです。しかし僕的には描きたいのです。この脱出の作業がうまくいって作業時間を捻出できればフラーをあきらめずに済むかも知れません。どのみちこれ以上あの最悪の中に閉じ込められる人生は耐えられないので脱出以外の選択肢は僕の中にありません霊団に何と言われようと。