[新プラトン主義思想(1)に関する通信があった。見覚えのある容貌をした霊の写真も撮れたが、衣服は見慣れないものだった。私の質問に対して、心霊写真に写るためには、ある程度の物質化が必要で、霊視能力に写る映像とは違うとのことだった。

新プラトン主義の特徴的な教義についての説明は実に克明で、私のまったく知らないことばかりだった。忘我の状態で神性に背くものすべて排除し、ひたすら神との合一を求めるスーフィズム(2)という恍惚的瞑想行為について長々と説明してから、その理想的人物として1人の名前を挙げた。

そのとき教わったもの、とくにその理想的新プラトン主義者の教説については、その後なるほどと思わせるものがある。もっとも、私自身はすでに体験していたこともあって、驚きの度合が和らげられてはいるが…。

その後、短期間ではあったが、通信が途絶えた。その間に出席してみたある交霊会でイタズラ霊による偽名行為がまた発覚し、私も大いに考えさせられた。その後の通信で、よその交霊会には絶対に出席しないようにとの忠告があった。

霊媒には強い磁力があり、他の霊媒の交霊会に出ると、私の磁力がそこでの現象に悪影響を及ぼし、同時に悪影響を持ち帰ることになるから、霊媒どうしの接触は絶対避けるようにとのことだった。

宮廷詩人だったリドゲート(3)のものを中心とする素晴らしい詩が、それによほど興味をもっているように見うけられる霊によって書かれた。その霊はただ詩を綴ること以外は何もしなかったが、その筆跡は見ごとで特徴があった。

その後1873年6月13日に開かれた交霊会で、神学に関する質問を数多く用意しておいたところ、それに対して入神談話の形で長々と回答が述べられた。当然その全部は筆記できず、部分的で不完全な筆跡しか残されていない。が、その翌日、その入神談話をした霊が、こちらからの要請もないのに、次のような通信を送ってきた。]

真理の受け入れを妨げるもの

昨夜述べたことの中には、先を急ぐあまり、十分に意をつくさなかったことが多く、筆録も正確とはいえません。あのような重大な問題は十分に念を入れ、ぜひとも正しく理解していただかないといけません。

そこで、意をつくせなかったことを、ここでより解り易く述べておきたいと思います。交霊会であなたの口を借りて語るのは、必ずしも、こうした方法(自動書記)で伝えるほど正確を期することはできません。完全に隔離された状態のほうが、緻密(ちみつ)さと正確さの得られる状態に入るのが容易です(4)。

昨夜は、われわれが神から託された使命について述べたつもりです。その使命の前途をさえぎる多くの困難の中でも最大のものは、その使命達成においてわれわれが何よりも頼りとしている気心の合った同志が、あまりに神学的先入観に囚われ、あるいは、それまで説き聞かされてきた信仰と相容(あいい)れないことに恐怖を覚えるために、われわれとしても為すすべがなく、あげくの果ては、悲しいかな、われわれの説く神の教えが邪霊の言葉とされ、その背後で操る強力な悪魔のさしがねと決めつけられてしまうことです。

われわれに敵対する者の中でも、こうした種類ほど嘆かわしいものはありません。

勝手に定めた条件のもとに、自分のお気に入りの手段でしか物事を判断しようとしない似非科学者たち – われわれを、単に人間をたぶらかす者、嘘つき、狂える者のたわごとと決めつける材料として以外には取り扱おうとしない科学者たち – 彼らは、われわれにとってまず用はありません。

その曇った目には真理は見えず、長年の偏見によって包まれ束縛された知性は、われわれにとって何の役にも立ちません。どう気張ったところで、霊界との交信の真相を垣間(かいま)見ることすらできません。

彼らが獲得する知識は、たとえそれ自身は有用であり、価値のあるものであっても、われわれの特殊な使命には、まずもって役に立ちません。われわれが目指しているものは、われわれの使命の一側面でしかない現象面にのみ目を向けたがる科学者がとやかく言うものとは、いささか方角が違うのです。

永いあいだ物理学的観察に馴らされてきた知能は、その分野の解明に向けるのが無難でしょう。われわれの分野はそれとはまた異なるのです。霊と霊との関係であり、霊のたどる宿命についての知識を扱うのです。

さらに、われわれが述べんとする真理についての知識をまったく持ち合わせず、その理解には、こののち長年にわたる人生の試練を必要とする、無知にして未熟な者たち – この種の者は、いずれは理解できる段階にまで向上してくることでしょうが、今の段階では用はありません。

いわんや高慢にして傲(ごう)慢な知識人、自分の世界でしか通用しない説を振り回す道学者、慣例と体面を守ることに汲々たる宗教家 – 彼らについては言葉もありません。

彼らを納得させるには、さらに多くの物的証拠を必要とします。今の段階では、われわれが述べる言葉は、たわごとにしか聞こえないでしょう。

最大の障害 – 神学的ドグマ

が真に頼りとするのは、神とその天使の存在を知り、愛と慈悲を知り、いずれ死後に自分がおもむく境涯について知りたいと思う人物です。が、悲しいかな、神によって植えつけられ、霊によって育(はぐく)まれた天賦の宗教的本能が、人間の勝手な宗教的教義―幾世紀にもわたって知らず識らずのうちに築き上げられた、無知と愚行の産物によって、がんじがらめにされております。

どこをどう突ついても、返ってくるのはおよそ真理から外れたことばかりです。父なる神の啓示を説き聞かせれば、神の啓示はすでにその全てを手にしていると言います。

そこでその啓示の矛盾点を指摘し、そこに終局性も不謬(ふびゅう)性もないことを説けば、教会がこしらえた取りとめもない決まり文句を繰り返すか、それとも“絶対に誤ることのない人”として選んだ人物の言葉を引用するのみです。

つまり彼らは、一時期・一地方の特殊な必要性に応じて授けられた、限られた啓示をもって普遍的真理と思い込み、それを唯一のものさしとして、われわれを裁こうとするのです。

また、古代において霊覚者を通じて行なったように、われわれが信頼に値する神の使者であることを表明し、その証拠として奇跡的現象を演出してみせても、彼らは、奇跡の時代は終わった、神の啓示の証として奇跡を行なうことを許されたのは聖霊のみである、と主張します。

そして、悪魔は – といっても彼らの勝手な想像の産物にすぎないのですが – 神を装うことができるとし、われわれ及びわれわれの使命を、神と善に対抗する外敵、暗黒界の使者であると決めつけます。

また、こうも言います – できることなら力になってあげたい、なぜなら、言っていること自体はなるほどと思わせるものばかりだからである。が、それが悪魔が使う誘惑の常套(じょうとう)手段だから困るのだ、と。確かに、彼らがそう思うのも無理はありません。

なぜなら、やがて善を装った邪霊集団がやってくることをバイブルが予言しているからです。われわれこそその邪霊集団なのでしょう。彼らにとってはそうであるに違いありません。神聖にして犯すべからざる古(いにしえ)の神学が、神の子イエスを否定しようとする勢力の到来を予言しているではありませんか。

現にわれわれの説はキリスト神の定めたイエスの位置とその使命を根底から否定しています。また、われわれは理性を信仰の上に置いています。われわれの説く福音は、信仰よりも善行をすすめる福音であり、忠実な信仰でなく善の実践こそ佳(よ)しとする教えです。

彼らにとっては、こうした教えを説く霊はすべて、光の天使を装う大悪魔の手先であり、魂を破滅に陥(おとしい)れようとする企(たくら)みにほかならないのです。

われわれにとっては、本来なら協力を期待したい真摯(しんし)な信心家からこうした態度に出られることこそ、痛恨のきわみなのです。彼らの多くは愛すべき真面目な人物です。ただ、その明るい魂の炎が地上の暗闇を照らすに至るには、ぜひとも“進歩性”を必要とします。

われわれとしては、彼らにぜひとも友好のメッセージを贈りたいところです。しかし、すでに築き上げられた神および人間の義務についての確固たる信仰基盤に建て増しをするには、その前に、進歩を阻む夾雑(きょうざつ)物を取り除かねばなりません。

宗教にも理性が必要

宗教がその名に値するためには、2つの側面をもたねばなりません。ひとつは神への信仰であり、もうひとつは人間についての教えです。その道の専門家によって“正統”と呼ばれている伝来の信仰は、その2点についてどう説いているのでしょうか。

その教えとわれわれの教えとは、どこがどう違うのでしょうか。その“違う”部分はどこまで理性を納得させるでしょうか。なぜそう問うかといえば、われわれは何よりもまず神が植えつけ給うた理性こそ唯一の判断基準であると主張するからです。

われわれは、あくまでも理性に訴えます。なぜなら、古(いにしえ)の聖賢がこれこそ神の唯一にして最後の啓示であると断定して聖典を編纂した時も、彼らなりの理性に訴えたのです。その断定に際して彼らなりに理性に訴えたのです。ゆえにわれわれもまた理性に訴えます。

われわれ霊団の同志は、啓示の永遠不変の支柱とすべきものを“神みずから”規定されたと主張しているであろうか。われわれも又、“神の使者”にほかなりません。

かのヘブライの予言者たちを導いた霊たち、そしてその啓示を神の言葉と断定した者たちを指導した霊たちと同様、われわれも又、神によって導かれている霊なのです。(6)

われわれも、彼らと同じ神の使者なのです。たずさえてきたメッセージも同じです。ただ、より“進んでいる”というまでです。われわれの説く神も、彼らが説いた神と同一です。ただその神性をより明確に説いているまでです。つまり人間臭が減り、より神々(こうごう)しい存在となっているということです。

こうしたわれわれの訴えを、その言葉どおりに神聖なものと受け取るか否かは、そなたたちの理性(背後霊の指導を受けることは間違いないが理性であることに変わりはない)が最後の判断を下すことです。

それでもなお拒否する者は、みずからの理性の愚昧(ぐまい)さを証言する者にほかなりません。盲信を理性的信仰と同等に見なすわけにはまいりません。信仰にも根拠のある信仰と根拠のない信仰とがあるからです。根拠のある信仰は論理的裏づけが可能であり、その場合にも理性が最終的判断を下します。

後者は論理的裏づけのない信仰であり、これでは人を動かすことはできません。まして、まったく根拠のない盲信にいたっては、われわれもその頼りなさと信用のなさについて、これ以上論ずる必要さえ認めません。

われわれは理性に訴えるのです。理性的に判断して、どこまでわれわれの言うことが悪魔性を証しているのか、われわれの説く教義がどこまで邪霊的であるのか、何をもってわれわれを悪魔的と断ずるのか – こうした点については、これよりのちに改めて説くことにしましょう。

[注釈]

(1)Neoplatonism 3世紀に始まったギリシャ哲学の一派で、プラトンの思想を中核として、これに東洋の神秘思想を加味したもの。その代表的思想家の1人が、第5節でプルーデンスの名で出ているプロティノス Plotinus。

(2)Souffism

(3)John Lydgate(1370~1451?)

(4)霊界通信の難しさを正直に述べている。49名からなるインペレーター霊団は、周到な計画のもとに役割分担を決めて、予備練習を重ねた上で実行しているにもかかわらず、なおこの難しさである。

またシルバーバーチ霊は霊媒のバーバネルが誕生する前から英語を勉強し、誕生の時点から言語機能の発育をつぶさに見届けながら準備し、人間としてのバーバネルのクセを知り尽くした上で、18歳の時にはじめて霊言現象(雲媒をトランス状態にして自分が語る)を実行に移した。それでもなお当初はぎこちなくて、何と言っているのかが分からなかったという。

インペレーターの場合もシルバーバーチの場合も、中継役として“霊界”の“霊媒”を置いていたので、それだけ普通よりは複雑だったという要素はあるにしても、そもそも独立したひとつの個体が他の個体を、そう簡単に、そして自由に操れるはずがない。

そうした点から言っても、死んで間もない、霊的意識がまるで目覚めていない霊が、そう簡単にしゃべれるものではないのであるから、高級霊によるご託宣と同じく、他界したばかりの身内や有名人が出てきて、いかにもそれらしく語り、それを聞いて感涙にむせぶといったシーンは、まずもって低級なイタズラ霊のしわざと思って間違いない。

そういうことが得意で、霊界をドサ回りしている霊団もいるので、用心が肝要である。

(5)ローマ法王のこと。ローマ・カトリック教会では、1870年の第1回バチカン会議で、法王(正式には教皇)は聖霊に導かれたキリストの代表者であり、信仰と道徳に関して宣言することは絶対に間違いはないという“教皇不謬説”を教義として認めている。

(6)ここでいう“古の聖賢”“ヘブライの予言者”はみなインペレーター霊団に属していたとみてよい。

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†
物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
■2020年11月18日UP■
TrailMovie「デマハウス」霊団は「皇居」の事をこのように表現しました。まさにピッタリの表現ですね(祈)†
「デマハウス」にありますようにコイツらが流し続けてくるウソ洗脳情報にいつまでもダマされ続けてあげてコイツらをおだて続けてあげるというのであれば、その人は「やさしい心の持ち主」という事ではなく「あたまカラッポのおめでたい人間」という事になります。皆さまは果たして自分の愛する笑顔のカワイイ愛娘が明仁、文仁、徳仁、悠仁にむごたらしい方法で強姦殺人されてもコイツらに笑顔で手を振って陛下殿下などと呼び頭を下げるでしょうか。僕は常にブログで【神の因果律】について、そして【神】が僕たち人間全員に与えて下さった【理性・良心】についてブログを書き続けてますが、皆さまにはそろそろ自分の理性、良心に背く行為をやめて頂かねばならないと全力で公言させて頂きます…動画を見る→
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダーSPIRITUAL UNFOLDMENT THREE

ホワイトイーグル霊の英語書籍の入手を進めています、こちらもさっそくスキャン、OCR変換と進めていき、Google翻訳にて日本語化してWordPressに全文UPさせて頂きます。僕という霊媒が機能する日は来ない、ならこの作業をやるしかない、という事になるのです。

霊団が全く意味不明の幽体離脱時映像を見せてきますが、そんなものブログで説明できる訳がない、という内容なのでクロッキーにもメモしませんでしたし長文ブログのタイミングでも一切書く事はありませんが、霊団の苦心の跡がうかがえるという事だけは分かるような気もします。降らせる内容に困っているという意味です。

脱出アイデアを今すぐ実行したいのですが間もなくサーバーの支払いがありまして(僕は突然のアクセス急増に備えて少しだけ上のプランを契約しているので)チョトお高いのです。それと脱出アイデアの数字が同時に来ると僕の生活では耐えられない可能性が99%なのでサーバー支払いが終わってからアイデア実行しようかなぁと冷静に考えてます。

こうやってアレがあって遅らせる、コレがあって遅らせる、って気付いてみればずっと遅らせ続けるだけで一向に実行できない、そういうストーリーを霊団は狙ってるものと思われますので(この12年の霊団の動きを見れば自動的にそういう予測が立ちますから)その導きの方向性は破壊しないといけません。何としても脱出を実行しないと。

「Spiritual Unfoldment Three」ペラいペーパーバックですのでスキャンはすぐ終わります、そして新しい書籍でスキャン画像がキレイですのでOCR変換もスムーズと予測、わりと早く全文UPさせられるかも知れません。先ほどの地震に関する波長の事は何も言ってこない、あの鮮明な波長は何のために降らせたんだ。意味が分からないなぁ(祈)†

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†■2023年1月11日UP■
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようとせず放置している。奴隷の女の子はひとりたりとも救出しようとせず完全に見殺しにしている。僕の人生を完全に破壊したが、使命遂行は全く前進させない。最低最悪のところに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。誰だって怒るに決まってるだろ。反逆するに決まってるだろ。人の心を一体何だと思ってるんだよ。人の人生を一体何だと思ってるんだよ。一体あんたたちの頭の中は何がどうなってるんだよ。これだけヒドイ状態にさせられても僕がエゴイストだと非難されなければならないのか。それはよかったですね…続きを読む→

地震の備えとか、津波の避難とか、そぉゆぅページを見ていた時に霊団がいつものピィィィンという高い波長を、しかも強調の降らせ方をしてきました。えっと、波長の前に霊聴にカチッてスイッチ音が鳴って、それからピィィィンって響きだすというモノで、さらにその波長が相当高く鮮明でしたので、これはかなり高度な強調の降らせ方だと思います。

※この事前のスイッチ音(カチッ)は霊性発現初期の頃に何回か降ってきた経験がある手法で、近年ではほとんど記憶がありません。えっと、本当に僕の霊体にスイッチがあって霊団がそれをONにしているとかそういう事ではなくて、そういう音声的演出をしているという事ですよ。音による強調です強調。

霊団が「地震」というキーワードでわざわざここまでしてくるという事は、もしかするともしかするのかも知れませんが、霊団が単なる自然現象に対してインスピレーションを降らせてくる事は考えにくく、使命遂行と関連があるからこそ降らせてきたと考えるのが自然です。

となるとこの一連の地震騒動は僕がずっと公言している「視点外し」なのではないか、国民の視線が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に集まらないように地震の恐怖で国民を脅して視点外ししているのではないか、などと勘ぐる事もできます、これまでの使命遂行の流れから言えば。

波長のみで霊団は何も言ってきていませんのでこれ以上の事は書けません。今のところ僕の反逆、先週のインスピレーション完全無視が響いて今週分のインスピレーションは相当に枯渇しています、次週ブログは相当のピンチです。

ちなみに僕はサブスクが大キライですが、あるAIを仕方なくサブスクで導入してアレコレ試しているのですが、使用を止めた方がイイかも知れないと思い始めてきました。危険があるようなのです。今のところ使命遂行にも脱出にも全く役に立っていませんから、使用を止めてもほぼ影響なしかも知れません。支払ってしまっているのでそこが残念ですが。

たったいま書籍が1冊到着してます、作業に入りますので一旦止めます(祈)†

■2019年11月28日UP■
■アナログ絵287UP。奴隷の女の子たちがどれだけヒドイ目に遭わされているか、何としても理解して頂かねばなりません(祈)†
その苦悩を1ミリも理解できない方があのようなコメントを返してきた事があるのです。霊団のインスピレーションに感応できるようになるまでの修行の道のりがどれほどのものであったか、facebookの女性然り、ご覧の皆さま然り、僕がどれだけ力説しても1ミリも伝わらないでしょうし僕もそんな事言いたくもありません。facebookの女性はインスピレーションを小バカにしていました、受け取れもしないくせに。霊的なものをバカにする、僕は霊性発現以降ずっとこの手の軽蔑、嘲笑を浴び続けてきました…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→

[この頃ホーム氏(1)と会った。その日はたまたまダービーの日で、ホーム氏を通じて、ダービーのために霊的状態が悪く、仕事にならないと言ってきた。そこで翌日(5月29日)その点を質(ただ)してみたところ、いろんなことを述べたあと、次のように書いた – ]

ギャンブルの弊害

そうした催しは道徳的雰囲気を乱し、われらを近づき難くします。そこには、われらに敵対心をもつ邪霊が集結し、物欲を満たさんとして集まった人間に取り入ろうとして、スキを窺うのです。昨日はそうした人間が大挙して集結しました。

邪霊たちにとって彼らは絶好の標的です。アルコールが入り、野獣のごとく肉欲に燃える者、大金を当てにして興奮する者、その当てが外れて絶望の淵に落とされる者、等々がいます。

邪霊の誘いにもっとも乗りやすいのは、この最後に挙げた連中です。たとえそこまで落ち込まないまでも、道徳的感覚が狂い、感情を抑制し邪霊から守る盾となるべき冷静さと心の平衡がくずれ、つけ入るスキを与えることになります。

こうしたものは、絶対的悪とまではいわないとしても、自制心を失い狂乱状態に陥った精神が、攻撃の格好の条件を用意することになります。ですから極力避けねばなりません。

その種の心は霊的悪影響、未熟にして有り難からぬ低級霊にまんまと掛かりやすいのです。興奮のあまり節度と理性を失った精神には、くれぐれも用心されたい。

以上のような理由により、そなたが質したような催しの日は、善の使者の努力が、最大限、要請されることになります。総攻撃をしかけんとして集結した邪悪な未熟霊の計画を不首尾に終わらせるためです。

祝日のプラスとマイナス

– しかし、そうなると、祝日はすべていけないことになりませんか。

必ずしもそうではありません。祝日の雰囲気が感情の手綱(たずな)をゆるめさせ、のどを焼くアルコール、欲情の満足といった、霊性を忘れた振舞いに追いやることになれば、その祝日は許し難いものと言えるでしょう。手綱を奪われた肉体が邪霊の思うがままの支配下に置かれることになるからです。

しかし、祝日が身体に休息を与え、魂に憩(いこ)いのひと時を与えることになれば、話はまた別です。過労によって疲弊(ひへい)した身体が心地よい、そしてほどよい休息によって生気を回復することでしょう。

毎日の気苦労と煩(わずら)わしさに苦しめられている精神も、適度な娯楽に興じることによって緊張がほぐされ、しばしその煩わしさを忘れることになるでしょう。

そうした心地よい気分転換がむしろ精神を引きしめ、刺激することにもなります。そうしているうちに穏やかな静けさが魂を支配し、それが何にもまして天使による暖かい支配を可能にします。かくして天界の使者の威力が強化され、いかにしつこい悪霊たちの計画も効を奏さぬことになります。

祝日を人間の堕落の日としないためには、人間側が善霊の働きと人間としての義務についての認識を深めねばなりません。暴動と放蕩、肉欲とギャンブル、邪念と絶望しか生み出さない祝日は、われわれにとって少しも祝うべき日ではなく、“恐るべき日”であり、警戒と祈りを忘れるわけにはいかない日です。神よ、無分別な愚行に耽る、理性なき魂を救い、そして守り給わんことを!

[そのころ催した実験会が、どうやら、いい加減な現象によって邪魔されていたらしく、通信霊の心霊写真を撮ろうとした試みも失敗に終わった。写っていた霊はみずからはレクターと名のったが、友人の判断でわれわれとは何の関係もない、いかがわしい霊で、出席者の誰も知らないことが判明した。私は何か通信を得たいと思って机に向かったが、一向にまともな通信が得られないので、やむなく諦(あきら)めた。

その翌日、いつもの受け身の精神状態を取り戻した。すると、こちらから求めないうちに、霊側から通信を送ってきた。私は前日の実験会のことに言及して、あのような場合、われわれの方で為すべきことはどんなことか尋ねてみた。するとドクターが – ]

レクターは、あなたの混乱した精神状態のために、通信を送ることができませんでした。あの混乱は実験会でのエネルギーの負担が大きすぎるせいです。あの実験会での霊言はまったく当てになりません。あなたの精神状態は異常なほど反抗的でした。

写真に写った人物をレクターと思ったようですが、レクターはあの種の現象には不慣れなので、あなたの度の過ぎた興奮が、今述べた精神状態と相まって通信を不可能にしている事実までは、彼自身も気づいていません。

あのような精神状態の時は、いかなる話題についても通信を求めてはなりません。そのような時に得た通信は当てにならず、不完全であり、往々にして危険でもあります。

[私の当惑は大きかった。そこで、あのような現象をたびたび見せられては、私のささやかな信念がすっかり失われてしまう、と不平を述べた。それまでは1度も体験したことがなかったからである。すると – ]

あなたはこれまで、この私(ドクター)ないし、われわれのうちの誰かが付き添い、注意と保護を与えうる時以外は、あのような実験会には出席していません。昨日の実験会には、物質的成分を操る霊しかいませんでした。その結果あのような混乱となったのです。

あの時も前もって注意を与えましたが、ここで改めて警告しておきます。あの時のあなたの反抗的精神状態では、とてもレクターには支配できません。あなた自身の興奮状態が通信を不可能にしたのです。

[それ以来私は、身体の調子の悪い時や、どこかに痛みを感じている時、あるいは精神的な悩みや心配ごとのある時、さらにそうした人が近くにいる時や混乱をきたしそうな雰囲気の中にいる時は、絶対に自動書記はしないよう慎重を期した。

そのせいと思われるが、その後の通信は実に規則正しく、かつ落着いた感じを与える。大体において筆致は驚くほど流暢で、書かれたノートを見ても(巻頭グラビア参照)1か所の削除も訂正も見当たらない。内容もまったくムラがなく、論旨が一貫している。]

可能なかぎり精神を受け身に、そして冷静に保つことです。仕事で過労ぎみの時、心配ごとで苛立(いらだ)っている時、あるいは気が滅入(めい)っている時は、われわれとの交信を求めてはいけません。交霊会に新たなメンバーを加えてもいけません。調子を狂わせ、妨げにしかなりません。

余計な干渉をせず、すべてを任せてほしい。メンバーの構成について変更すべきところは、こちらから助言します。会合する部屋を変更しないように。そして、できるだけ受容性に富む心構えと健康体をもって出席してもらいたい。

– 確かに、1日中身体と頭を働かせたあとは、条件として良くないとは思いますが、日曜日はさらに良くないように見うけられます。

日曜日の交霊会は不可

日曜日はわれわれにとって好ましくありません。なんとなれば、そなたの心身から緊張が消え失せ、魂が行動する意欲を失い、休息を求めようとするために、われわれの働きかけに反応しなくなるのです。こうなると、われわれはそなたに新たな現象を試みることに恐れを感じるのです。危険を恐れて、物理的実験を控えるのです。

理由はそれだけではありません。物理現象はわれわれの本来の目的ではなく、補助的なものに過ぎないからでもあります。これまで述べてきたわれわれの使命の証(あかし)として見せているのであり、それのみに安住してもらっては困ります。

日曜が好ましくない特殊な事情がもうひとつあります。人間には気づかないであろうが、平日と条件が変わることによってわれわれが被(こうむ)る困難です。前にも述べたことですが、食事のあとすぐに交霊会に臨むことは感心しません。

われわれが求める身体的条件は、受容性と反応の敏速性です。その受容性も、怠惰と無気力から生じるものとは異なります。アルコールとともに腹いっぱい食した後の、あの眠気と無気力状態ほど、交霊会にとって危険なものはありません。

アルコールの刺激が物理現象を促す場合も無きにしもあらずですが、われわれの霊団にとっては障害にしかなりません。より物質性の強い霊の侵入を許し、われわれの霊力が妨害されるからです。

これまでも、そうした妨害を頻繁(ひんぱん)に受けてまいりました。そなたはその点をよく考慮し、われわれとの交信を求めるに際しては、何事につけ、度を過ごさぬよう注意を払ってもらいたい刺激物で身体がほてり、食べ過ぎで倦怠感を覚えるようではいけません。

精神が眠気を催し、不活発となるのも良くありません。いずれの状態もわれわれにとっては、思うように仕事ができません。状態そのものが醸(かも)し出す影響力がわれわれにも及び、われわれのエネルギーを大いに阻害します。出席者の中に1人でもそうしたメンバーがいる時、もしくは身体を病み苦痛を感じている者がいると、われわれは手の施しようのない状態が発生するのです。

– しかし、栄養不足による虚弱な心身では仕事にならないと思いますが…

中庸こそ大切

われわれは節制を説いているまでです。食事によって体力をつけなければなりませんが、食したものが消化するまでは、交霊を始めてはなりません。日常の仕事のためには適度の刺激物を取ることも必要ですが、それも常に用心して摂取すべきであり、まして、われわれとの交霊は、さきに述べた条件を厳守した上でなければ、絶対に始めてはなりません。

心または身体が眠気を覚えたり注意を持続することができないような時、もしくは、どこかを病んでいたり痛みを感じている時は、こちらからの指示がないかぎり、机に向かってはなりません。

同じく、満腹している時は低級霊の活動が優勢となることが予想され、われわれは近づけません。そのような条件のもとでは物理現象も質が低下し、粗暴となり、好条件のもとで行なわれる時のような品の良い、美しい現象は望めません。

われわれにとっては“極端”が困るのです。断食で衰弱しきった身体ではもとより仕事になりませんが、飽食によって動けないほど詰め込まれた身体もまた、用をなしません。節制と中庸、これです。

友よ、そなたが少しでもわれわれの仕事をやり易くし、最良の成果を望むのであれば、交霊会にはぜひとも感覚明晰にして鋭敏な身体と、柔順にして受容性に富む精神状態で臨んでもらいたい。

そうすれば、そなたの期待以上のものが披露できましょう。列席者全員が調和し、構成が適切であれば、現象はいっそう上質となり、述べられる教訓もいっそうあか抜けし信頼性に富むものとなりましょう。

さきにそなたが言及した光 – [当時よく交霊会で無数の燐光性の発光体が見られた] あれも、好ましい条件のもとでは淡く澄み、曇りが見られませんが、好ましくない状態の時は、鈍く、薄ぎたなく、曇って見えるでしょう。

[われわれの交霊会によく出現していた夫婦の霊が、別々の仕事の境涯へ向上して行ったと聞いていたので、夫婦の絆(きずな)は永遠のものではないのかと尋ねてみた – ]

霊的親和性が決める死後の絆

それは、ひとえに、霊的嗜好(しこう)の類似性と霊格の同等性にかかっています。その両者が同等であれば、2人は相寄り添って向上できます。われわれの世界では、共通の嗜好をもつ者、同等の霊格をもち互いに援助し合える者の間にのみ、交わりがあります。

こちらの生活では魂の教育がすべてに優先し、刻一刻と進化をしています。同質でなければ共同体は構成されません。したがって当然、互いの進化にとって利益にならない者同士の結びつきは永続きしません。

地上生活で互いに魂を傷つけ合い、向上を妨げるのみだった夫婦の絆は、肉体の死とともに終わりを告げます。逆に、互いに支え合い援助し合う関係にあった結びつきは、肉体から解放されたのちも、さらにその絆を強め、発展していきます。そして2人を結ぶ愛が、互いの発達を促します。

このように、両者の関係が永続するのは、それが地上で結ばれた縁であるからということではなく、相性の良さゆえに、互いが魂の教育に資するものがあるからです。そうした結婚の絆は不滅です。

ただし、その絆は、親友同士の関係ていどの意味です。それが互いの援助と進化によっていっそう強化されていきます。そして、互いに資するところがあるかぎり、その関係は維持されます。

やがて、もはや互いに資するものがなくなる段階にくると、両者は別れて、それぞれの道を歩み始めます。そこには、しかし、何の悲しみもありません。なぜなら、相変らず心は通じ合い、霊的利益を分かち合う仲だからです。

もしも地上的縁が永遠・絶対のものであるとすれば、それは悲劇までも永遠であることを意味し、向上進化が永遠に妨げられることになります。そのような愚かしいことは何ものにも許されていません。

– それはわかります。しかし、私が見るかぎりでは、知的にも道徳的にも同等とは思えない者どうしが、互いに深く愛し合っているケースがあるように思えるのですが…

愛は時空を超越する

愛し合う者を引き裂くことは絶対にできません。そなたは、とかくわれわれ霊の世界の関係を時間と空間の観念で理解せんとするために納得がいかないのです。

霊は空間的に遠く離れていても親密に結び合うことができるということが理解できないのでしょう。こちらには時間も空間も存在しません。われわれは知性の発達程度が完全に同一レベルでないかぎり、直接の交流は有りえません。

しかし、知的には同等でなくても、真実の愛があれば、その絆によって結ばれることは可能です。離ればなれになった兄弟も、たとえ海を隔て、別れて何年たとうとも、兄弟愛はいささかも失われません。

たずさわる仕事は異なるかも知れません。物の考え方も違うでしょう。が、互いの愛は不変です。夫に虐待され死ぬ思いに耐えつつ、なおその夫を愛しつづける妻もいます。

肉体の死は妻をその虐待の苦しみから救ってくれます。そして天国へと召されます。一方、地上の夫はさらに地獄への道を下りつづけるでしょう。が、たとえ2人は2度と結ばれることはなくとも、夫への妻の愛は不滅です。その愛の前に空間は消え失せるのです。

われらにとっても空間は存在しません。これでそなたも、おぼろげながらも理解がいくことと思いますが、霊にとっての結合関係とは、発達程度の同一性と、嗜好の共通性と、進化の協調性を意味するのであり、人間の世界によくある“くされ縁”などというものは存在しません。

– では聖書の「天国では嫁を貰うとか嫁にやるとかということはなく、すべて神の使いとして暮らすのみである」という言葉は事実でしょうか。

通信内容に矛盾が生じる原因

その言葉どおりです。さきにわれわれは進歩の法則と交わりの法則について述べましたが、その法則は不変です。現在のそなたにとって立派に思えることも、肉体の死とともに捨ててしまうであろうことが数多くあります。地上という環境がそなたの考えを色づけしているのです。

そこで、われわれの側としては、比喩を用い、地上的表現を借りて説明せざるを得ないことが多々あります。それゆえ、われわれの世界にのみ存在して人間界に存在せず、現在のそなたの知識を超越し、したがって地上の言語によって“およそのこと”を伝えるしかない事情のもとで用いた字句に、あまりこだわりすぎてはいけないわけです。

– なるほど。それで霊界通信に食い違いが生じることがあるわけですね?

そうした食い違いは、通信を送る霊の無知から生じる場合、それから霊媒を通じて伝える能力に欠けている場合、さらにまたその時の交霊の状態が完全さを欠く場合などが考えられます。

他にも原因はあります。そのひとつが、人間側が単なる好奇心から下らぬ質問をするために、つい、霊の方も人間の程度に合わせて下らぬ返答をしてしまう場合です。

– しかし、高級霊ならば“愚か者の愚かな質問に答える”ことをしないで、その質問者を諭(さと)せばいいでしょう。

むろん、できることならそうしたいものです。しかし、愚かしい精神構造はそうした配慮を受けつけようとしないものです。類は類を呼びます。いっときの気まぐれや愚かな好奇心の満足、あるいは、われわれを罠(わな)にはめんとする魂胆からしか質問しない者は、同程度の霊と感応してしまいます。

そのような心構えでは、われわれとの交信は得られません。敬虔(けいけん)にして真摯(しんし)な精神は、その受容性に似合った情報と教訓をみずから引き寄せます。うぬ惚れが強く、軽薄で、無知で、ふざけた質問しかしない者は、似たような類いの霊しか相手にしません。

もとよわれわれは相手にせず、たとえ相手にしても、適当にあしらっておきます。その種の連中は避けるが賢明です。下らぬ愚か者ばかりだからです。

[注釈]

(1)D.D.Home(1833~86)心霊史上最大・最高と評される英国の霊媒で、霊能の種類においても驚異性においても、他に類を見ない。とくに空中浮揚現象は有名で、いつでもどこでもやってみせた。

(2)モーゼスの背後霊団については、巻末の≪参考資料≫の(2)でくわしく紹介するが、この一節に関連した部分を簡単に説明しておくと、総勢49名が7人ずつ7つのグループに分かれていて、それぞれに“受け持ち”があり、そのひとつに、物理的現象を起こすことを担当しているグループがいる。

が、物理現象は物的波長を操るので、物質性の強い低級霊に任せられるのが普通で、ここでも第3節で述べられている“地縛霊”の状態からようやく目覚めたばかりの未熟霊が、罪滅ぼしの目的もかねて、“高級霊の監視のもとに”、いっしょうけんめい働いている。が、やはり波長が低いために、とかく邪魔が入りやすいことを、この一節は物語っている。

モーゼスほどの学問と教養を兼ねそなえた第一級の霊媒が高級霊の監視のもとに行なった交霊会でさえ、そんな次第である。心霊常識のカケラもない者が、少し超能力があるからということで霊言や自動書記を行なうことがいかに危険で信のおけないものであるかが、これでおわかりいただけるであろう。

「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†■2023年11月1日UP■
「絶対やるとの使命感に燃えて下さい」そう思ってるから僕もここまでやってるんでしょ(祈)†
普段上層界で生活している高級霊の方々は波長が低すぎる物質圏付近には降下する事さえできず、降下したとしてもごく短時間しか滞在できないそうです。つまり高級霊であればあるほど最低界の物質界と縁が切れているという事です。で、そこまで上層界では無い境涯で生活している霊は物質圏付近に仕事で降下する事がありますが(僕は間違いなく降下の仕事をやらされるものと思われますが)インペレーター霊が書籍の中でお話しておられますように、物質圏付近に降下すると、地上生活時代の記憶がよみがえり、それが進歩の逆、退歩につながってその霊にとってマズい事になるという事があるそうです。たとえば霊体生活者はもう肉体がありませんが、物質圏に降下すると昔の肉体的煩悩がよみがえってきてそれが退歩につながるのだそうです。もうひとつ、物質界生活時に間違った霊的知識、宗教観等を学んでしまって、帰幽後にその自分の間違いを指導霊に修正してもらって向上を果たした人物が物質圏付近に降下すると、その過去の誤った概念がよみがえってきて霊界で学んだ内容が帳消しになってしまい、それがまた退歩につながるのだそうです…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→

物的情報に全く興味がない僕でもさすがにチョト気にしないといけないと思わせる揺れでした。これまで長年にわたって描いてきた厖大な枚数のアナログ絵の原画(漫画原稿用紙B4)をまとめてあるB4トレーがあるのですが、それが床に落ちて中の原画が散乱する状況となりました。

それ以外は特に被害と呼べるものはなさそうですが、さて霊団がインスピレーションを降らせてきていまして、もちろん地震の事ではなく使命遂行の事ですが、僕が霊団の導きの方向性を脅しと表現している事で降らせ方が慎重になっている気配感があります。霊団はそんなつもりじゃなくても受け取る僕には脅しに聞こえる、そういう事なのでしょう。

とにかくこれ以上閉じ込められるのが死んでも絶対にムリなので何としても脱出するつもりでいるのですが、数字の問題がありましてどうにも実行できずにいます。さらに節約を加速させて何とか実行までこぎつけるつもりでいます。

45分ノートの時間、という表現で今まで書いてきたものがあります、これは職場の休憩時間の事なのですが(そういう風に書きたくなかったのでわざと遠回しな表現を用いているのですが)休憩中にノートでテキストの作業をしたりアナログ絵の原画を書いたりしているのですが、その時に眠気防止て飴ちゃんをなめていました。

この飴ちゃんの購入頻度もなかなかのもので、この飴ちゃんを買わずに済めばさらに節約になるはずだ、という事で近々に導入したオートミールを飴ちゃんがわりにして飴ちゃんを買うのをやめる事とします。これでさらに浪費を減らせるはずです。とにかく何でもやる。それくらい全力で脱出したいという事なのです。

どうしてもこれ以上閉じ込められるのがイヤなのです、絶対に受け入れる事はできないのです。さらに節約できるところがないか調べます。英文テキスト見直しを続行させましょう(祈)†

脱出実現に向けて節約という事をやっていましたが、こちらはかなり効果がある事が分かりました。なのであとはそのアイデアを実行するだけなのですが、とにかく数字がデカくてどうにも手が出ません。本当に困りました。1歩間違うと生活が破壊されてしまうほどの数字なのでどうしても踏み込めません。

WordPress2サイトの構築が頓挫しているのでもう1回チャレンジしてみようかなぁ。それからにしてみようかなぁ。インストールできない訳がないんだ、何かが間違っているんだ、それを究明してからアイデア実行を決めようかなぁ。そゆこと言ってるからいつまでたっても脱出が実現しないんですけどね。イヤ数字がデカすぎる。

で、Chatナンチャラカンチャラで画像生成してみたりするのですが、んーどぉしたもんかなぁ。画像が小さい、クオリティがイマイチ。プロンプトを工夫すればモチョトクオリティが上がるのか、それとも高いサブスクをやらないと美しい画像は書き出せないのか。たぶん後者でしょう。サブスクはヤダ、んーこちらのアイデアも困ったなぁ。大きい高画質画像で書き出して下さい、と指示しても小さく書き出される。これは何だろう。意味ネィジャン。

で、先ほど英文をGoogle翻訳していた時に霊団がある事を言ってきまして、それが結構決定的な事で、これは僕、たきざわ彰人が日本の男性陣にどのように思われているかというインスピレーションで、もし霊団が言ってきた通りだとすれば、僕はもう物質界生活中に友人を作るのは不可能という事になりそうです。

僕は元々ひとりで生きていくつもりで山の麓に移住してずっと単独行する人生を送る準備をしていた男ですから、ひとりで生きていく事に何の抵抗もないのですが、まぁ霊団が言ってきた事は要するに誤解で、そんな事になりやしネィのに日本の男性陣にはそのように思われていて敵意を抱かれているようなのです。

正しいおこないをすると敵意を向けられる、正義のおこないをすると誤解される、これは物質界のみの低次元の現象で、霊界、特に上層界で生活できるようになれば心の中が丸見えの状態で生活しますから誤解も敵意もなく、みんなオープンに仲良く生活できる訳ですが、物質界生活者は基本的にテレパシーは使えませんからこのように誤解を受ける訳です。

僕の残された物質界人生は何だか知りませんがとにかく敵意を向けられてイヤガラセを受け続ける人生になるという事のようです。ま、笑かしてくれますよね。言われてみれば過去の霊覚者たちはみな同じ目に遭わされていたのかも知れません。物質界には理解者はいないと考えるのが僕のような人間の基本的姿勢となります。だから帰幽カモンと公言しているんですよ。一刻も早く物質界を離れたいという意味です。

さぁ脱出アイデア困ったな。数字がデカすぎる手が出せない。もう脱出する以外に考える事がない。そんな敵意向けられているところにいつまでも閉じ込められてたまるかよ。試練にもほどがあるぞ霊団。本気で心の底からあんたたちを憎んでいるよ。僕の反逆は正当だと強く信じます(祈)†
■2020年9月2日UP■
TrailMovie Dreamwork(ドリームワーク)について(祈)†
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…。41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと霊性発現後になって改めて理解したのです…動画を見る→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

[その翌日、私は現在地上にはびこっているといわれる邪霊の存在について長々と議論した。それが個人へ及ぼす影響について尋ねると、邪霊によって完全に憑依されてしまった例を幾つかあげた。

また、そうした力が広がりつつあるので、誠実で叡知に富む霊が働きやすい条件を配慮し、憑依しようとする低級霊を追い払い、あるいは近づきやすい環境を少なくしていく必要があると述べた。

さらに、霊力そのものは距離や地域に関係なく働くもので、したがって、善良な霊力を受けるか邪悪な霊力を受けるかは、その人の心がけひとつに掛かっていると述べた。そこで私は、では、どういう心がけがいちばん望ましいかと尋ねた – ]

霊的能力の目的と手段

霊的現象に多くの種類があることはご存知の通りですが、霊力の行使にもさまざまな方法があります。ある者は身体的特質のゆえに、身体そのものが霊力の支配を受けます。その人の身体的機能が、目に見える最も単純な形での霊力の証を提供するのに適しているのです。

この種の霊媒は知的な支配は受けません。よって彼らを通じて届けられる“情報”は取るに足らぬもの、あるいは、愚(ぐ)にもつかぬものさえあり、信頼性に欠けます。彼らはあくまで客観的現象を演出のさえあり、信頼性に欠けます。彼らはあくまで客観的現象を演出する霊力を立証する手段として使用されるのです。

要するに初歩的現象の演出のための道具であると認識してよろしいが、だからといって、その現象が他の種類の霊能力を通じて現われる霊能と比較して重要性が劣るわけではありません。霊力の存在を信じさせるための基盤を築くことが、その目的なのです。

一方、情愛に満ちた優しい性格ゆえに選ばれる者もいます。彼らは物的現象の道具とは違います。往々にして霊界との意識的通信の通路でもないことすらあります。それでいて常に霊的指導を受けており、その純粋にして優しい魂は、天使の監督のもとに、ますます洗練され向上していきます。

そうするうちに徐々に天使からの霊示を意識的に受ける能力が開発されていき、あるいは又、霊視能力によって死後に落ち着くべき住処(すみか)を垣間(かいま)見ることを許されることもあります。

霊界に住むかつての友が親和力によって彼らに近づき、昼となく夜となく、教化と指導に当たることもあります。彼らのまわりには平静と至純なる愛の雰囲気が漂います。実に、地上生活の輝ける模範であり、やがて寿命とともにその地上生活によって培われた霊性をそなえて、それに相応しい平和な境涯へと旅立ちます。

これとは別に、知的能力に優れているがゆえに、幅広い知識と奥深い真理の通路として訓練される者もいます。高級な霊が彼らの思考力に働きかけ、思想を示唆し、知識の獲得と普及の手段とを用意します。その働きかけの方法は実に複雑多岐をきわめます。初期の目的達成のために仕組む手順の配慮には、人間の想像も及ばない手段を行使することがあります。

理想的霊媒の条件

われわれにとっての最大の難事は、進化した高級霊からの通信を受けるに相応(ふさわ)しい霊媒を見出すことです。そうした霊媒はまず精神が受容性に富んでいなければなりません。受容性の限度以上のものは、しょせん伝え得ないのが道理だからです。

次に、愚かな地上的偏見に囚われることのない者でなければなりません。若い時代の誤った思想を潔(いさぎよ)く捨て去り、たとえ世間一般に受け入れられないものであっても、真理は真理として素直に受け入れる精神の持ち主であらねばなりません。

まだあります。独断(ドグマ)主義から解放されねばなりません。“この世的”思想から抜け出せないようではいけません。神学的独断主義と派閥主義と偏狭な教義から解放されねばなりません。自分の無知に気づかない、一知半解の弊に陥ってはなりません。

つねに囚われのない、探求心に燃えた魂であらねばなりません。進歩性のある知識に憧(あこが)れる者、洞察力に富んだ者であらねばなりません。つねに、より多い真理の光、より豊かな知識を求める者であらねばなりません。つまり真理の吸収に飽くことを知らない者でなければならないのです。

また、われわれの仕事は、頑固な敵対心からの自己主張、または高慢な出しゃばり根性と利己心によって阻害されることがあってはなりません。そのような霊媒では、われわれは仕事らしい仕事はできませんし、為し得たわずかな仕事というのも、利己主義と独断主義を取り除くことで精いっぱいということになります。

われわれが求めるのは、有能にして真摯、そして飽くことのない探求心に燃えた、無欲の精神の持ち主です。そのような人材が発見困難であると述べたわけが、これで理解していただけるでしょう。まさに至難のわざであり、まず不可能に近いといえます。

そこでわれわれは、見出し得るかぎりの最高の人材を着実に鍛練した上で採用します。まずその魂に愛の精神を吹き込み、同時に、自分の知的性向にそぐわぬ思想に対する寛容心を養います。そうすることで独断的偏見から超脱させ、真理が多面性を有するものであり、一個人の専有物でないとの悟りへの地ならしを行います。

その上で、魂の成長に合わせて知識を着々と賦与し、基盤さえできあがれば、安心して上部構造を築きあげていくことができます。かくして霊的真理と思想的性向を徐々に形成し、われわれの所期の目標に調和させていくわけです。

ここに至って多くが、実に多くの人材が、脱落していきます。そしてわれわれも、彼らは地上では真理を受け入れることが不可能であること、また古来の地上的偏見が固く、ドグマ的信仰が容易に拭(ぬぐ)えないものであること、それゆえ、時の流れに任せるほかはなく、われわれにとって用のない存在であることを悟って、諦(あきら)めるのです。

さらに、真理への完全な忠実性と、恐怖も不安も宿さない信念は、われわれの教化によって着実に培われていくものです。われわれは、神とその使者である背後霊への全幅の信頼へ向けて、霊媒を導いていきます。

そして、われわれが神より許されている範囲での行為と霊的教訓を忍耐づよく待つ心構えを培っていきます。こうした心構えは、多くの霊媒にありがちな、苛立(いらだ)った、落着きのない不満とは正反対のものです。

この段階において、また多くの者が脱落していきます。恐怖心と不安に駆られ、疑念に襲われます。古来の神学の説く神は自分のような人間の破滅を今か今かと見守っている – 悪魔が自分のような人間を罠(わな)にかけようと油断なく見張っていると説いていることが心をかすめます。

確かに、古い信仰の基盤は揺さぶられてはいても、まだ新しい信仰基盤は敷かれていない。その隙間に邪霊がつけ入り、動揺を誘発する。ついに、恐怖に堪(たま)りかねた者が脱落し、われわれにとって用のない者となっていきます。

それでもなお、われわれは人間のあらゆる利己心を払拭(ふっしょく)しなければならないのです。われわれの仕事には私心の出しゃばりは許されないのです。まずそれを取り除かないことには、われわれは何も為し得ないのです。霊界からの指導において、人間の身勝手、自己満足、自慢、高慢、自惚(うぬぼ)れほど致命的なものはありません。

“小知”を働かせるようではいけないのです。われわれによる知的働きかけの妨げとなります。ドグマに偏った知性は使用しようにも使いものになりません。まして、それが高慢と自惚れに満ちていれば、近づくことすらできません。

最大の要素 – 無私と献身

いつの時代にも、自己犠牲こそが聖賢の最大の徳でした。その時代相応の進歩性に富む真理を旗印にした予言者たちは、みな、我欲を滅却して使命に生きた人たちでした。バイブルにその名をとどめるユダヤの指導者たちは、無私の純心さをもって誠実な人生を送りました。

とくにイエスは、その地上生活を通して、使命のための最高の自己犠牲と誠実さを身をもって示した、偉大にして崇高な模範でした。イエスの中に、人類の全歴史を通して最大限の人間の可能性の証を見ることができます。(1)

地上的知識の誤りを駆遂して真理の光をもたらした人々は、みな、自分に課せられた使命のために無私と献身の生涯を送った人たちでした。ソクラテスにプラトン、ヨハネにパウロ、こうした真理の先駆者、進歩の先導者は、無私無欲の人物 – 我を張らず、尊大ぶらず、自惚れることを知らない人たちでした。

いちずな誠実さ、使命への献身、自己滅却、私欲の無さ、等々の美徳を最高度に発揮した人たちです。それなくしては、彼らの使命が成就されることはなかったでしょう。もしも私欲に囚われていたならば、その成功の核心が蝕(むしば)まれていたことでしょう。謙虚さと誠実さといちずさがあったればこそ、成就し得たのです。

われわれが求める人材とは、そのような資質の持ち主です。情愛にあふれ、誠実で、自分を出さず、しかも真理を素直に受け入れる性格。いちずに神の仕事に目を据(す)え、一切の地上的打算を忘れた性格。このような麗しい魂の持ち主が稀れであることは確かです。

しかし、友よ、平静にしてしかも頼れる、誠実にしていちずな求道者の心をもってわが心とされよ。情愛にあふれ、寛容性に富み、いついかなる時も進んで救いの手を差しのべる、博愛主義者の心をもってわが心とされよ。さらに、報酬を求めぬ神の僕(しもべ)としての無欲の心をもってわが心とされよ。

神聖にして崇高なる仕事は、そうした心の持ち主をおいて他に成就し得る者はいないでしょう。われわれもそうした人材を油断なく見守り、警戒を怠らぬようにします。神より遣わされた天使も、笑みを浮かべて見つめ、外敵より保護してくれることでしょう。

– でも、これでは完全な人格を求めることになります。

何と!これをもって“完全”とおっしゃる?そなたは“完全なる魂”がいかなるものか、まったくご存知ない – 知ろうにも知り得ないのです。想像することすら不可能です。忠実な魂が霊の教えによって培われ、刻一刻と守護霊に似ていくその過程も、そなたには知り得ません。

われわれが植えつけ手をかけてきた種子が次第に成長していく様子は、人間の目には見えません。人間に知り得るのは、魂が徐々に美徳を身につけ、より高潔に、より愛すべき人間となっていくことだけです。

さきに述べた人格の資質は、地上の用語で表現し得るかぎりのものを述べたにすぎず、まだまだ完全よりほど遠く、これより成就すべき完全さを思えば、漠然と“それらしき”程度のものにすぎません。

人間に“完全”は有り得ません。死後になお不断の進歩と発達と成長が待ち受けています。人間にとって完全と思えるものも、われわれの霊眼をもって見れば、欠点によって汚され曇らされているのです。

– そうかも知れません。でも、それほどの人物は極めて少ないでしょう。

少ない。確かに少ない。それも、ようやく芽を出した程度のものにすぎません。が、われわれはそれを地上への働きかけの大切な足がかりとして感謝して育てます。われわれは決して完全を求めているのではありません。

誠実さといちずな向上心、囚われのない、受容性に富む精神、清純にして善良な心の持ち主です。忍耐づよく待つことです。性急は恐ろしい障害となります。しょせん手の届かぬものへの過度の用心と不安を捨てられよ。われわれに任せられたい。今は外部との接触を避け、忍耐づよく、われわれがこれまでに述べたことを吟味してもらいたい。

瞑想の効用

– 都会の喧噪から隔絶した生活の方が、あなたたちの影響を受け易いのでしょう。

[ここで急に筆跡が変わり、ドクターの例の細かいキチンとした文字から、非常に変わった古書体になり、プルーデンス(2)と署名された。]

騒々しい世間はとかく霊的なものを拒絶するものです。人間は物的なもの、すなわち目に見え、手に触れ、貯えることのできるものに心を奪われ、死後に霊的生活が待ちうけていることを知りません。

あまりに地上的になりすぎ、われわれの働きかけに無感覚になっています。あまりに地臭が強すぎて、われわれも近づくことすらできません。暮らしがあまりに地上的打算に満ちているために、死後にも価値の残るものに心を配る余裕が持てなくなっています。

それだけではありません。心がいつもそうしたものに囚われ、心静かに瞑想する余裕を持たぬために霊的栄養が不足し、魂が衰弱しています。霊的雰囲気に力が見られません。おまけに身体も仕事の重圧と気苦労のために衰弱気味です。これでは、われわれもほとんど近づくことすらできません。

さらに、いがみ合いの情念と不平不満、ねたみ合いと口論のために、その場が不快な重苦しい雰囲気に包まれています。ことごとくわれわれにとって障害となるものばかりです。

無数の悪徳の巣、忌(いま)わしい誘惑、そしてその不徳と罪悪に魂を奪われた人間であふれる大都会には邪霊の群れがうろつきまわり、破滅の道へ引きずり込まんとして、虎視眈々(こしたんたん)、その機を窺っております。多くの者がその餌食(えじき)となって悲劇への道をたどり、それだけわれわれの悲しみを増し、手を煩わせることにもなっております。

瞑想の生活こそ、われわれとの交信にとって最も相応しいものです。もとより、行為の生活に取って代るべきものではありません。行為の生活の中に適度な瞑想の時を取り入れるのが望ましいといえます。煩わしい気苦労もなく、過労による体力の消耗もない時こそ、最も瞑想に入りやすいことは言うまでもありません。

しかし、魂の奥底にそれを求める欲求がなければなりません。その欲求さえあれば、日常の煩事も世間的誘惑も、霊界の存在の認識と霊交を妨げることは有り得ません。が、やはり、環境が清浄で平穏な時の方が、われわれの存在を知らしめることが容易であることに違いありません。

[注釈]

(1)イエスという名の人物に関しては、その実在を立証する確かな資料は何ひとつない。聖書学者の中にはイエスを架空の人物と断定している人もいるほどである。

確かに、今日のような“住民登録”などという制度のなかった時代のことであるから、そういう意味での証拠資料があるはずはないし、日本で“聖書”と呼ばれているバイブル、およびそれを土台にして体系づけられているキリスト教神学がまったく根拠のない、人間的創作物であることは、インペレーターやシルバーバーチといった古代霊から指摘されるまでもないことで、そのこと自体に異論をはさむ人はいない。

が、近代になって、もしかしたらこれがイエスではないか、と推察される人物のことを書き記した古文書が幾種類か発見されている。

当然のことながらそれらはキリスト教会からは否定もしくは黙殺されているが、私自身も直接その種の資料をいくつか入手して目を通し、原始キリスト教から今日のキリスト教へと発展していった過程を歴史的にたどり、その最大の転機となった325年のニケーア会議の舞台裏で行われた“歴史上最大の陰謀”(ある聖書学者の表現)、そして私の専門であるスピリチュアリズム関係の資料、たとえば霊言・自動書記等による霊界通信や、妖精・自然霊に関する霊視記録および日本古来の霊的資料、さらに最新の天文学の情報を照合した上での私個人の直観的確信を述べさせていただけば、現在イエス・キリストと呼ばれている人物は地球の守護神直属の高級自然霊、西洋流にいえば大天使の一柱が降臨したもので、その背景には2000年後の今の時代はおろか、何十世紀にもわたる遙か遠い未来を展望した遠大な計画があって、イエスはその端緒を開く目的をもって生身で地上に生まれてきた – それが死後2000年ほどたって、こんどは霊界側の総指揮者として地球浄化の事業を推進している – インペレーター霊団やシルバーバーチ霊団もその配下にある…そう理解している。

「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†■2023年12月20日UP■
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†■2024年7月3日UP■
「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→

「I Appeal Unto Caesar」「モーゼスの霊訓 下」のテキスト見直しを続行していますが、とにかく僕の未来は最悪。そんなヒドイ状態にさせられるのであれば最初からガンバらなければよかったと、そういうひねくれた気持ちが沸き起こってきます。

霊性発現してから全てが最悪へと進み始めた。ブログで再三書いてきた事ですが、霊性発現して以降1度たりとも事態が好転した事がありません。この12年ひたすら最悪最悪最悪の更新状態。そして今、さらなる最悪を浴びせられようとしています。一体僕に何の恨みがあるというのか。

反逆は継続ですが、結局気付いて振り返ってみたら閉じ込められ続けただけだった、という結末になる可能性が濃厚です、それだけは回避しないといけないので(絶対耐えられないから)脱出に向けた努力は続行します、まずは徹底的に節約。それからあるアイデアを実行するつもりです。間もなく実行したい。しかし本当に数字的に破滅的に苦しい。

ちなみに先日入手したオートミール(ロールドオーツ)は眠気防止、集中力維持、作業続行に使えるという事が分かりました。これをポリポリ食べる事で寝ずに作業を続ける事ができます。僕は米化して食べるよりそのまま食べる方が好きです。毎週買うハメになっていた大量のポテチを買わずに済むようになったので節約になっているはずですが。

WordPress2サイトの立ち上げが暗礁に乗り上げてそのままになっています。なぜインストールできないのかがいまだに意味不明。もうひとつドメイン取得してテストするしかないのかなぁ、何個もやりたくないなぁ。困ったなぁ。とにかく脱出だけはする。たとえ最悪にさせられるとしてもこれ以上閉じ込められるのは絶対耐えられないから(祈)†

「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†■2021年12月29日UP■
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†
「イヤ、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事で日本の平和と安定が保たれているのだから、女の子は強姦殺人し続けるべきだ」とあなたは仰いますか。あなたのような人間の事を霊界、物質界問わず【神】が経綸するこの全宇宙で何と呼ぶか知っていますか「偽善者」というのです。自分の考えの正当性を主張なさるのであれば、あなたは目に入れても痛くないほどかわいがっている愛する自分の娘を笑いながら強姦殺人して下さい。近所に住む笑顔のカワイイ女の子を誘拐して強姦殺人して下さい。そうすればあなたは逮捕されますが、あなた以上に信じられない人数の女の子を殺しまくっている「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が一向に逮捕されない事を全ての日本国民にどうやって納得させますか…続きを読む→
■2021年8月25日UP■
「おかしい、みんなそう思ってるぞ」これぞ聡明なる日本国民の皆さまの本心です(祈)†
僕の公言内容をご覧になった方の「これは私には死んでもできない」と感心しておられる思念と思われます。そう思って頂けて感謝ですが「まるで他人事のような感想」はどうかやめて頂きたいですね。皆さまも僕も日本国民です。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の問題は僕たちが解決しなければならない、僕たちのプライド、アイデンティティに関わる緊急命題です。他の誰かがコイツらを倒してくれるのではありません。このバカヤロウどもを滅ぼすのは僕たち日本国民の仕事です。そういう責任感を持って頂きたいのです…続きを読む→
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→

インペレーター霊の言葉には恐るべき説得力があって僕の心が動くのですが、インペレーター霊はモーゼス氏に向けて語っているのであって僕に話しているのではありませんから、参考にはすべきですが自分の事と混同しないようにしないといけません。

とにかく僕が霊団に言いたいのはこの言葉「僕の人生はお前ら(霊団)のオモチャじゃない(祈)†」これに尽きるのです。霊団は何年も前からずっと一貫してスピードダウンを僕に要求し続けています。いま僕を全力で閉じ込めようとしているのも言ってみればスピードダウンです。

あのなぁ、オメィラなぁ、僕が霊性発現したのは何歳の時で、いま僕は何歳なのか言ってみろよ。物質界で肉体まとっての生活を余儀なくされている人間には寿命ってものがある事を知ってるか?コッチはあんたたちと違って永遠じゃあないんだよ。霊性発現から何年が経過していると思ってるんだよ。僕はもうジイサンで先は長くないんだよ。それをスピードダウンだの何もするなだのと…。

要するに何もさせないつもりだと思うのが当然だろそんな動きされたら。反逆するに決まってるだろこんな状態にさせられたら。常識で考えてくれよ。僕は全然悪い事をしているという認識はないよ。あんたたちの導きの手法がメチャクチャすぎるんだよ。

っとと、霊団に文句を言い始めると無限ループになってしまいますので一旦止めて「I Appeal Unto Caesar」英文見直し70%完成中、「モーゼスの霊訓 下」テキスト見直し55%完成中。実は現在ホワイトイーグル霊の英語書籍3冊も注文中ですが1冊も到着しません。コリャ道のりは険しそうですね。しかし僕という霊媒が機能する事はないのですからこの作業をやるしかない。

さっきからずっと脅され続けています。皆さまがその状況に置かれたらどういう態度に出ますか。僕はインスピレーションを紹介するという、言わば皆さまにとって未知のコミュニケーションについて語っていますので皆さまは一見実感が沸かないかも知れませんが、イエイエ身近な人がずっと自分を脅し続けてくると想像してみて下さい。今の僕がその状態なのです。そういう視点でぜひお読み頂きたいのです。ね、イヤに決まってるでしょ。

ホントに使命遂行そのものをやめてやろうかという気持ちになりますよこんな状態にさせられたら。信じる気持ちが大切ですがその信じる気持ちを破壊しているのは他でもないオメィラなんだよ。イジメイヤガラセにもほどがあるぞ、性格が悪すぎる。本当に関わり合いになりたくない。と言いつつ作業続行中(祈)†
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†■2022年9月14日UP■
「みんなイエス様を支持しています」それは当然。霊界側が僕の小我を支持する訳ないでしょ(祈)†
これは物質界のお話ではありませんよ、霊界上層界のお話ですよ。要するにイエス様側近の天使の方々がイエス様の導きの方向性を支持しているという意味でしょうが、それは別に当たり前の事であり、僕も霊団に対して怒り憎しみを表明してこそいますが、イエス様が間違っているとか主張するほど愚か者ではありません。僕の小我の感情が大局で見た時に間違っているのは火を見るより明らかな事であり語るまでもありませんので、このインスピレーションに対する反論などみじんもありません。ただムカつくムカつかないで言ったらムカつくんですよ。まだ当分この最悪の状況をやらされると思ったらどうしても頭にくるんですよ…続きを読む→
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†■2022年9月7日UP■
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†
僕はイエス様を裁きません。僕が地球圏霊界を離れます。僕は果てしなく霊的知識をお勉強していますが、地球圏以外の惑星についての記述がほとんどないため、地球圏霊界を離れると言っても具体的にどういう風にすればいいのかがまだ分かっていません。もっともその資格アリと判断されなければそのようにさせてもらえないのでしょうが。しかし、僕の物質界での苦悩が事実イエス様が原因だったとしても、僕は霊的知識が十分に頭に入っており、その苦悩が帰幽後の自分の未来を明るくする事につながると理解していますから、現在は物質界に残されて延々とヒドイ目に遭わされていますのでどうしても許せない気持ちが沸き上がってきますが、帰幽して苦悩から解放されれば霊団に対する怒り憎しみの気持ちもだいぶ和らぐでしょう。イエス様に怒りの矛先を向けるのも筋違いであり逆に感謝しなければならないと思い知らされる事でしょう…続きを読む→

[以上の通信は、1873年の4月から5月にかけて受け取った厖大(ぼうだい)な量の通信からの抜粋である。このころには自動書記もラクに、そして流暢に書けるようになり、適切な用語も前ほど苦労せずに見つかるようになっていた。

私と関わっている何人かの霊の地上時代のことや正確な記録もいくつか明らかにされた。たとえば5月22日に、まったく別の問題について綴っていたところ、突如その通信が途切れて、トーマス・オーガスチン・アーン(1)という名が署名された。そしてスピーア博士(2)のご子息で、すばらしい才能の持ち主である私の生徒との縁で出られることになったと、その経緯(いきさつ)を書いてきた。

私はその自動書記通信に大いに関心を抱き、その内容にも注目した。そこでさっそく当時の筆記者のドクターにアーンの身元を証明する地上時代の事実があれば提供してもらいたいと頼んでみた。すると、間髪(かんぱつ)を入れず返答が書かれた。

生年(1710年)、学校名(イートン)、バイオリンの教師名(フェスティング)、作品集、ないしは少なくともそのうちの8曲ないし9曲の曲名。さらに彼の作曲した英国の愛国歌「ブリタニアよ、統治せよ」(3)が「アルフレッドの仮面劇」(4)の中に収められていること。その他、実に細かいことが数多く、しかもスラスラと書かれた。

そのすべてが私の知らないことばかりであるのみならず、私はその方面のことに関心がないので – 私は音楽のことに関してはまったく無知で、音楽に関する本は1冊も読んだことがなかった – それほど細かいことがなぜ分かるのか尋ねてみた。

すると、実際はそう簡単に書けるものではなく、霊媒がよくよく受容性の高い精神状態の時にのみ可能であると書かれた。同時に、霊界には知識の貯蔵所のようなところがあって、不明確なところはそこから情報を得ることができるとも述べた。

私は、それはどういう手段でやるのかと尋ねた。すると、ある条件のもとで、知りたい目標を心に描いて、“読み取る”のだという。人間がするように問い合わせる方法もあるが、それは読み取るのがあまり上手でない霊にかぎられるという。

では、あなたにもそれができるのかと尋ねると、自分にはできないと答え、そのわけは、地上を去ってからの期間が長すぎるからだという。(5)そう述べてから、地上の情報を蒐集することを得意とする2人の霊の名前をあげた。そこで私は、そのどちらか一方を呼んでほしいとお願いした。

その時に自動書記をしていた部屋は私自身の部屋ではないが、書斎として使用していたもので、まわりの壁はすべて書棚になっている。そこでいったん書記が中断した。そして数分後に、こんどはまったく筆跡の違う文章が出はじめた。そこでさっそく尋ねてみた – ]

– あなたは読み取りができますか。

いえ、私にはできません。が、ザカリ・グレーができますし、レクターにもできます。私には物的操作ができない…つまり物的要素を意念で操作することができないのです。

– そこにどちらか来ておられますか。

1人ずつ呼んでみましょう。まず…あ、レクターが来ました。

– あなたは読み取りがおできになると聞いていますが、その通りですね?書物から読み取れますか。

[筆跡が変わる]

できます、なんとか。

– 「アエネイス」(6)の第1巻の最後の1文を書いてみてくださいますか。

お待ちください – Omnibus errantem terris et fluctibus aestas.

[この通りだった]

– その通りです。でも、それが私の記憶にあったということも考えられますので、書棚の2番目の棚の最後から2番目の本の94ページの最後の1節を読み取ってみてください。私はその本を読んだことがありませんし、書名も知りませんので…

I will curtly prove, by a short historical narrative, that popery is a novelty, and has gradually arisen or grown up since the primitive and pure time of Christianity, not only since the apostolic age, but even since the lamentable union of Kirk and the state by Constantine.(7)

[調べてみたところ、面白いことにその本は、「僭称(せんしょう)的教皇長老主義者 – キリスト教をカトリック的因習と政治性と長老支配から解放・浄化するための一試論」(8)とあった。引用された文章は正確だった。ただ、narrativeがaccountとなっていた。(9)]

– 意味深長な本を選んだのには、何かわけがあるのでしょうか。

それは知りません。偶然でしょう。一語間違えました。書いた時すぐに気づいたのですが、あえて訂正しませんでした。

– どうやって読み取るのですか。さっきは今よりゆっくりと、しかも時おり思い出したように書いておられましたが…

記憶していた箇所もあり、はっきりしない箇所は見に行ったりしたからです。読み取るというのは特殊な操作であって、こうしたテストの時以外は必要でありません。昨夜ドクターが言っていた通り、われわれも幾つかの好条件が整わないとできません。もう1度試してみましょう。まず読み取ってから書き、それからあなたに印象づけてみます。

Pope is the last great writer of that school of poetry, the poetry of the intellect, or rather of the intellect mingled with the fancy.(10)

これは正確です。さっきと同じ書棚の11番目の本をとってきてください。

[それは「詩とロマンスとレトリック」(11)というタイトルの本だった。]

開いてみてください。ちょうど右の文章の書かれているページが開くはずです。われわれのこうした霊力をよく確かめ、物質的なものを超えた力を人間に啓示することを許された神の意図を、よく認識していただきたい。神に栄光あれ。アーメン。

[その本を開いたら145ページが出た。そこに書かれた通りの引用文が出ていた。私はその本を1度も見たことがないし、まして内容については何も知らなかった。]

 

 

[注釈]

(1)Thomas Augustine Arne(1710~78)

(2)Dr. Stanhope Templeman Speer モーゼスは30歳の時に重病を患い、医師のスピーア博士の治療を受け、療養期を博士宅で過ごした。博士の奥さんがスピリチュアリズムに関心があり、そのことが、その後のモーゼスの人生を決定づけることになる。博士の子息の家庭教師は7年間つづいた。

(3)Rule, Britannia ブリタニアは英国のことで、「アルフレッドの仮面劇」の中に劇中歌として出ている愛国歌。

(4)The Masque of Alfred ジェームズ・トムソンとデビッド・マレット共作の劇で、これにアーンが作曲した。1740年初演。

(5)地上圏から遠ざかるほど地上特有の生活文化、たとえば言語や歴史、それに自分の地上時代の名前や年令までも忘れ、かつ思い出しにくくなる。波動の原理で、霊格が高くなるほど、どうしてもそうなるのである。

最近、神々や歴史上の人物が出てきてペラペラと“現代の日本語”でしゃべったのが“霊言”と銘うたれて書店に並んでいるのを見て、その軽薄さに疑念を抱かれた方も多いことと思うが、有り得ないことなのであるから、これは浅い潜在意識で霊媒本人がしゃべったか、100歩ゆずって霊がしゃべったとしても、よほど見栄っ張りな低級霊の仕わざ、と断じて差しつかえない。“さにわ”を誰がやっているのか知らないが、よほど心霊常識に欠けた人であろう。

英国最大の心霊紙サイキックニューズの編集主幹であるトニー・オーツセンが、1987年8月22日号でこんなことを言っている。

「いかなる霊媒も、こちらから高級霊を呼び出すことはできない。あくまでも“霊の方から”親近性と愛を掛け橋として戻ってくるのである。依頼されればどんな霊でも呼び出してみせると豪語する霊媒は、今すぐ霊能養成会に戻って1からやり直すしかない。」

(6)Aeneid ローマの詩人バージルのラテン語の叙事詩で、全12巻ある。主人公アエネイスの冒険物語。

(7)大意 – 私はこれより、カトリック的制度などというものが本来のキリスト教にはなかったものであり、純粋な原始キリスト教時代 – 伝道者時代はもとより、コンスタンチヌスによる教会と国家との嘆かわしき結合の時代をへながら、徐々に台頭もしくは発生してきたものであることを、簡略に論証してみようと思う。

(8)Antipoporiestian-an attempt to liberate and purify Christianity from Popery, Politikirkality, and Priestrule, by Rogers.

(9)双方とも“記述”とか“論述”の意味がある。

(10)大意 – ポープはその流派、知性の詩もしくは詩的想像力と渾然一体となった詩の流派の最後の偉大な詩人であった。

(11)Poetry, Romance, and Rhetoric.

■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†
フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†■2023年8月24日UP■
■アナログ絵356UP。クレスで定期的におこなわれる「フラー講習会」の1シーンです(祈)†
そしてももちゃんの成長ぶりを少し描きました。アナログ絵168の時と比べてだいぶオトナになっていますよね。使命感みたいなものも芽生えているようです。イエス様と出会ったばかりの時はシルキーと一緒になってただ単にはしゃいでいただけですが、その後イエス様にまつわる様々な事情をお勉強した事によって精神的に成長を遂げているという事を短いながら表現しています。で、この「イエス様とももちゃんのやりとり」の中にはひとつ間違いがあります。イエス様はももちゃんが質問する前からももちゃんの心の中が分かっていますから「ん?どうしたんだい?」と聞き返す事はないはずで、ももちゃんが質問を投げかける前にいきなり答えを話し出すはずです。…続きを読む→
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†■2024年2月29日UP■
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†
まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります…続きを読む→