『シルバーバーチの霊訓③』
神よ、あなたは一体どなたに御し、いかなるお方に御すのでしょうか。いかなる属性をお具えなのでしょうか。私たち霊界の者はあなたを完璧なる摂理の働きであると説いております。

『シルバーバーチの霊訓③』
例えば宇宙に目を向けさせ、その構想の完璧さ、その組織の完璧さ、その経綸の完璧さを指摘いたします。そしてその完璧な宇宙の姿こそあなたの御業の鏡であり、あなたこそ全宇宙を創造し給いし無限の心であると説いております。

『シルバーバーチの霊訓③』
私たちには自然界の一つ一つの生命、一つ一つの草花、一つ一つのせせらぎ、小川、海、一つ一つの丘そして山、一つ一つの恒星と惑星、一つ一つの動物、一人一人の人間の目に向けさせ、その全てがあなたの無限なる根源的摂理によって規制され支配されていると説きます。

『シルバーバーチの霊訓③』
私たちは宇宙間のすべての現象がその根源的摂理から派生したさまざまな次元での一連の法則によって支配され、かくしてその働きの完璧性が保たれているのであると認識している者でございます。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなたには特別の寵愛者など一人もいない事、不偏不党であられる事を信じます。あなたの事を独裁者的で嫉妬心を持つ残忍なる暴君の如く画いてきたこれまでの概念は誤りであると信じます。なぜならそのような人間的属性は無限なる神の概念にそぐわぬからでございます。

『シルバーバーチの霊訓③』
これまで私たちは地上とは別個の世界においても同じあなたの摂理の働きを見出し、そしてそれがいついかなる時も寸分の狂いもない事を確認したが故にこそ、その摂理とそれを生み出された心に満腔の敬意を捧げ、その働きのすべて―

『シルバーバーチの霊訓③』
―物的、精神的、そして霊的な働きのすべてを説き明かさんと努めております。なかんずく霊的なものを最も重要なものとして説くものです。なぜならすべての実在、すべての生命の根源は霊的世界にあるからでございます。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなたの子等のすべてがあなたの摂理を理解し、その摂理に従って生活を営むようになればすべての悲劇、暗黒、苦悩、残虐行為、憎悪、戦争、流血行為が地上から駆逐され、人間は平和と親善と愛の中で暮らす事になるものと信じます。

『シルバーバーチの霊訓③』
ここに、ひたすらに人のために役立つ事をのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを―無意味な文句の繰り返しでなく、真理と叡智と光と理解力と寛容の心を広げる手段(人間)を一人でも多く見出したいとの願いとして―捧げ奉ります。

『シルバーバーチの霊訓③』
この祈りには宇宙についての、地上の人間に理解できる限りの理性的かつ合理的説明が含まれております。人類が暗闇の生活を余儀なくさせられているのは一方には自ら真理に対して目を閉じたがる者が多く、また一方には既得の特権を死守せんとする者が多いからです。

『シルバーバーチの霊訓③』
全ての戦争は人間が摂理に背いた生き方をする事―一個の人間、一つの団体、国家が誤った思想から、貪欲から、権勢欲から、支配欲から、神の摂理を無視した行為に出る事から生じるのです。直接の原因が何であれ、全ては宇宙の霊的法則についての無知に帰着します。

『シルバーバーチの霊訓③』
すべての者が霊的知識を具えた世界に独裁的支配は有得ません。一人の人間が一国を支配する事が不可能な組織となるからです。すべての者が霊的知識を具えた世界に流血は有得ません。争いの起こり得ない体制となるからです。

『シルバーバーチの霊訓③』
われわれの仕事はその霊的知識を広める事です。真実の意味での伝道者なのです。伝道の意味が今日の世の中では歪められてしまいましたが、真実の意味は真理または知識を広める事です。私たち霊団は今あなた方の世界で仕事をしておりますが、本来は別の世界の者です。

『シルバーバーチの霊訓③』
あなた方より1、2、もしかしたら3歩ほど先を歩んでいるかも知れません。これまで幾つかの大自然の摂理を学んできました。そして知った事はこの世に奇跡はなく、神の特別の寵愛者もなく、選ばれし民もなく、唯一の神の子もいない、あるのはただ法則のみだという事です。

『シルバーバーチの霊訓③』
宇宙がいかに巨大にして荘厳であるとは言え、すべてが絶対的法則によって支配されている事を知ったからこそ、こうしてその法則をお教えしようと努力している訳です。その法則とは、原因には必ずそれ相当の結果が伴うという事です。

『シルバーバーチの霊訓③』
自分が蒔いたタネは自分で刈り取るという事です。所詮はごまかす事はできない―なぜなら自分の言動がその性格と成長具合に消そうにも消せない印象を刻み込むからです。こうした真理を土台として真の宗教を築かねばなりません。

『シルバーバーチの霊訓③』
大主教の宮殿で何を説こうと、大聖堂で何を説こうと、寺院、教会堂、礼拝堂、その他世界中いかなるところで何を説こうと、それが今述べた単純な基本的真理と矛盾したものであれば、それは誤りです。

『シルバーバーチの霊訓③』
極めて簡単な真理なのです。人生を霊的摂理が支配している事、お互いが扶け合う事が一番大切である事、それが霊を成長させ、性格を形成し、死後に待ち受ける新しい生活に霊的な備えを与える事になる―ただそれだけなのです。

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓③』
何も知らない人たちを光明から顔を背けさせ、カビの生えたドグマを信じさせ、今日の世でも受けられるインスピレーションを無視させ、遠い薄暗い過去のインスピレーションの残骸に目を向けさせようとする既成組織を私たちが非難するのは―

『シルバーバーチの霊訓③』
―そうした本来私たちと手を取り合うべき人たち、本来宗教を説くべき立場にある人々が私たちの敵に回っているからです。人間として非難するつもりはありません。彼らの多くは彼らなりに正しいと思う事に携わっているのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
真面目な徒であり、困難な状況の中で最善を尽しております。私たちが非難するのはその組織です。真理を知る可能性がありながら虚偽に縛りつけ、光明を見出すチャンスがありながら暗闇の中に閉じ込めておこうとする組織です。

『シルバーバーチの霊訓③』
これ以上簡単な教えが一体どこにあるでしょうか。地上は今まさに大戦の真っ只中にあります。世界中に悲劇と苦悩が満ち、数知れぬ人が慰めを求め、すがるべき杖を探し、神が存在する事、わが子の苦しみに無関心ではいられないはずの親が存在するその証を求めております。

『シルバーバーチの霊訓③』
牧師のもとへ行っても相も変らず古い教説に少しばかり現代風な味を加えて説くばかりです。そしてすぐに“聖なる書”を引用します。国によって大小さまざまな体裁をしていても、中身は同じ古い言葉ばかりです。うんざりするようなお決まりの教説を聞かされるだけです。

『シルバーバーチの霊訓③』
彼らは霊的実在が存在する証は何一つ持ち合わせていません。その信仰は彼ら自らが心の奥では信じきれなくなっているものです。自分が自信を持てないで、どう他人に確信が与えられましょう。人類の歩むべき道を自分が知らずに、どう他人に慰安が与えられましょう。

『シルバーバーチの霊訓③』
いわゆる“あの世”について自ら疑問符を付けている者が、どうして肉親に先立たれた人たちを慰めてあげられましょう。先の事を何も知らない者が、どうして魂の飢えた、心の満たされない、さ迷える人々を導く事ができるでしょう。

『シルバーバーチの霊訓③』
ところが真理はすぐ目の前にあるのです。求めさえすれば知識の宝、叡智の泉、真理の光がすぐ身のまわりで待ち受けているのです。宗教が無力なのではない事を彼らは理解していないのです。無力なのは宗教の名を借りた“漫画”なのです。

『シルバーバーチの霊訓③』
三位一体説が宗教と何の関係がでしょう。無原罪懐妊(聖母マリアはその懐妊の瞬間から原罪を免れていた事)が宗教と何の関係があるのでしょう。

『シルバーバーチの霊訓③』
処女降誕が宗教と何の関係があるのでしょう。贖罪説(イエスがすべての罪を背負ってくれているという事)が宗教と何の関係があるのでしょう。こうした説を信じた者は信じない者より少しでも宗教的な人間になるというのでしょうか。

『シルバーバーチの霊訓③』
地上の人間は肩書きやラベルや名称を崇めるのがお好きです。が、クリスチャンを名乗ろうと無神論者を名乗ろうと何の違いもありません。大切なのは実生活において何をするかです。仮にここに宗教など自分には無縁だという人がいるとしましょう。

『シルバーバーチの霊訓③』
神の名を唱えても頭を下げようとしません。しかし性格は正直で、人のためになる事を進んで行い、弱い者に味方し、足の不自由な犬が柵を越えるのさえ手助けしてやり、打ちひしがれた人々の身になって考え、困った人を援助しようと心掛けます。

『シルバーバーチの霊訓③』
もう一人は見たところ実に信心深い人です。あらゆる教義、あらゆる教説を受け入れ、信仰上の礼儀作法には口やかましく気を使います。しかし心の奥に慈悲心は無く、生活の中において何ら人のためになる事をしません。前者の方が後者よりはるかに宗教的人物といえます。

【過去コメ】僕は守護霊様の導きに従い、果てしなく読書してきました。それだけでも十分霊的知識の理解を深める事ができましたが、今こうして“抜粋”する事でさらに内容を復唱し、さらに×10 理解が深まっていくのを感じます。勉強して無駄な事なんて何もないと自らの体験を通して心底実感するのです(祈)

フラーのコクピットシートをこういう風にしておけば今後ストーリーが展開する上で絶対に役に立つはずだ、そう思える思い切ったデザインにしています、っていうほどのモノではなく見慣れたものですが。このコクピットシートのデザインはアナログ絵277としてUPしてもいいかも知れません。今日の幽体離脱時も鮮明映像を霊団が降らせてきましたが何ともブログに落とし込みにくいです。とにかく描きましょう(祈)†

フラーについては語りたい事が本当に鬼のようにあるのですが、この「コクピットシートリデザイン」も今後のストーリー展開になくてはならない変更と言えそうで、大胆な発想の転換が必要でしょう、っていうほどのモノでもありませんが。ちなみにフラーのコクピットシートにはシートベルトがありません。がパイロットの安全対策は万全です。なぜか。それもストーリーで描けたらいいですね(祈)†

2020年7月4日

※またしてもWordPress内で削除されているブログを発見しましたので再UPさせて頂きます。月別アーカイブを見ますと投稿数が異常に少ない月がいくつもありますが、僕は1日の休みもなく使命遂行を続けていますのでこのような低い数字になるのはおかしいのです。集中的に削除させられていた時期があったのかも知れません。にしても強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手の者が僕のアカウントに無断で侵入して削除しているとしたらセキュリティ上の大問題であり早急に防御を考える必要があります。とにかく削除させられている事を発見したブログは見つけ次第再UPさせて頂きます(祈)†


【「強姦殺人魔ボッコボコ」「奴隷の女の子ハッピーラン」1日も早くこのメセを実現させなければなりません(祈)†】霊団からは、強姦殺人魔、天皇一族の死刑、滅亡が決定していると何度もインスピレーションを受け取らせて頂いていますが、天皇一族はまだ懲りずに視点外しのニュースを流し続け、自分たちが強姦殺人魔である事をすっとぼけ続けています。日本国民全てが「天皇一族は強姦殺人魔」であると理解した状況になっても、それでも何事もなく奴隷の女の子を殺し続けて生活していられると、こいつらは本気で思っているのでしょうか。「強姦殺人魔ボッコボコ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を取り囲んでボッコボコにしているのは僕たち国民です。「お前らいい加減にしろ、もう許さないよ」という皆さまの思念を霊団が届けて下さったのです。皆さま、霊団が降らせたこのメセの通りにしましょう。このタイミングで死刑にするのです。そして「奴隷の女の子ハッピーラン♪」救出されて女の子たちが喜んでいるというメセです。皆さまは幼い奴隷の女の子が遊びで殺されまくっているのを、いつまで目を閉じ続けますか。もう目を開かねばなりません。

インスピレーション「コッチはもう終わってるの」これは霊団の導きが完全に終了しているという意味で、2014年7月に霊団は「隔離フィールド bit.ly/2HLnPqb 」を発動させ、アナログ絵123にも説明がありますように「強姦殺人魔、天皇一族の滅亡」の計画を実行に移しました。隔離フィールド内の聖戦に速攻で勝利後も、愛の試練(霊障イペルマルシェ)で霊団は僕の精神力を徹底的に鍛え続け、強姦殺人魔、天皇一族を攻撃させ続けました。そしていよいよ多くの方々が天皇一族の悪の正体を知る状況となり、奴隷の女の子たちを救出、強姦殺人魔、天皇一族が死刑になる事が決定的な状況になっている訳です。「コッチはもう終わってるの」霊団が2014年から開始した計画が成就している、僕という道具を駆使して霊界側の悲願が達成されているという意味ですね。ただ霊団の霊眼にはそのように映じていても物質界レベルではまだそのようになっていません。ここは物質界なのですから物的に結果を出してもらわねば困ります。霊団、しっかりと物的に強姦殺人魔、天皇一族を死刑に追い込んで下さい。

インスピレーション「勝ってらっしゃる、勝利がんばります」これはピーチピチ(佳子)の思念ですが、霊団及び僕が強姦殺人魔、天皇一族に既に完全勝利しているという事。そして「勝利がんばります」は、ピーチピチが明仁、文仁、徳仁、悠仁を実際に逮捕させるために会見等のアクションを起こすのでしょうが、それをがんばるという意味です。ただ霊団によればピーチピチ(佳子)はまだ強姦殺人魔4人に激しく脅されて、決意が揺らいでいるような感じに見受けられますので、ピーチピチ、もしキミが難しのであれば僕が会見でも何でもやるわよ。その時はちゃんと同席してね♪僕はここまで霊団に徹底的に鍛えられて使命遂行してきましたので、何ひとつ臆する事無く強姦殺人魔を死刑にできます。何よりイエス様がそれを激しく望んでおられるのです。だから僕にここまでやらせているのです。ピーチピチはまだ脅しを克服する精神力が培われていないでしょう、若い女の子ですから。しかし僕は絶対に屈しません。イエス様と交わした約束を全力で果たす覚悟なのです。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にするまで1歩も退きません。

で、実は今週ひとつ特別な顕現がありました。トランス時に「センナちゃん」の顔のイメージが降ってきたのです。センナちゃんは地上生活を体験できなかった僕の妹で、霊性発現直後、2012年6月に幽体離脱で初めて会いました。これまで何度も霊聴に「おにいちゃん♪」って呼ぶセンナちゃんの声を聴いています。アナログ絵でも何度もセンナちゃんを描いてきましたが、トランス時にセンナちゃんの顔が降ってきたのは今回が初めてだったのです。僕が描くアナログ絵に似せた雰囲気で顕現してくれたのです。これはセンナちゃん本人がしたのではなくもちろん霊団が降らせた訳ですが、センナちゃんを使って悪いメセを降らせる訳がありませんから、もちろん良い意味のメセなのですが「お兄ちゃん♪イエス様のご意志遂行達成おめでとう♪」だいたいこんな感じなのでしょう笑。ただひとつ気になったのは、顕現したセンナちゃんが「笑顔」ではなかったんですよね、悲しい表情でもなく普通な感じだったのです。「おめでとう」なら笑顔になるはずじゃないかなぁ。まぁいいか、センナちゃんイコール良い意味に決まっていますので。

幽体離脱時、こういう映像を拝しました。人が中に入ってプレイするタイプの巨大ゲーム機が2つありました。そのゲーム内容は正確に反芻できなかったのですが、霊団が「人を殺したい」という言葉を強烈に印象付けてきました。そう、その2つのゲーム機は人を殺すゲームなのです。これは強姦殺人魔、天皇一族の思念です。つまり奴隷の女の子をゲームのように遊びで殺し続けていたい、そのためなら国民を徹底的にダマし続ける、強姦殺人をやめるつもりは毛頭ない、という意味ですね。皆さま、僕の過去ブログをどうか読み返して天皇一族の悪の正体を深くご理解頂きたいと思うのですが、霊団のこのメセにもありますように明仁、文仁、徳仁、悠仁は強姦殺人が大好きなのです。何が何でも女の子を殺し続けようとしているのです。徹底的に「視点外し」をして自分たちの正体に目が向かないようにして、城の中に隠れて奴隷の女の子を殺し続けようとしているのです。皆さま、こんな人間が存在していいはずがありませんね。イエス様が僕という道具にここまでやらせている、その意味がお分かりになりますね。強姦殺人魔、天皇一族は絶対に死刑にしなければならないのです。

インスピレーション「使命終了お疲れさまでした」霊団から僕への言葉ですが、終わってないでしょ。強姦殺人魔を死刑にできてないでしょ。それとも何度も「僕が暗殺される」メセを受け取らせて頂いてますので、暗殺されて使命終了って事ですか?今まで何度も暗殺の危機を僕に怒涛にブログを書かせる事によって回避してきたでしょ。僕は「帰幽カモン」肉体の死を1ミリも恐れていませんので「超能力アサシン」がやって来ようとお構いなしで使命遂行できます。霊団「お疲れさま」じゃないでしょ。僕という道具を駆使してちゃんと仕事をしなさいよ。僕よりあなたたちが強姦殺人魔、天皇一族を許せないのでしょ。だから僕を地上に残して画家の人生を捨てさせてまでこんな生活をやらせているのでしょ。なら最後まで責任もって仕事しなさいよ。女の子を遊びで殺しまくる強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物的に死刑にするまでそういう無責任な事は言わないで下さい。ピーチピチ(佳子)が揺れているみたいですから、ピーチピチの背中を押してあげて下さい。僕が地上に残されている間に完全に決着をつけなければならないでしょ。

インスピレーション「これでいいかなぁって思ってるの、ありがとう、分かりました、クリアです」これもピーチピチ(佳子)の思念です。イエス様ハンドリングに乗っかるのがいいかなぁ、私を皇后にしてくれてありがとう、分かりました強姦殺人魔を死刑にします、使命遂行クリアという事でしょう。で、この「ありがとう」ですが、たくさんの人間が一斉に合唱のように「ありがとう」と僕の霊聴に響かせてきたのです。すごい強調の意味ですね。ピーチピチ、何度も書いてるけどイエス様がキミに「皇后ルート」をお膳立てして下さったのよ♪ここまで準備万端に整えて下さったのよ♪あとは邪魔者を排除してキミが壇上に立つだけなのよ♪皇后になれるのにそれをやめて一般ピーポーになるって、そんなの有り得ないでしょ♪「超フェイズシールド」って何度も書いてるわね♪強姦殺人魔の脅しは僕が身に受けるから心配しなくていいわよ♪そして何より奴隷の女の子たちの事を考えてあげて。キミがイエス様ハンドリングに乗っからなかったら女の子たちは全員殺されちゃうのよ。まさか見殺しにしたりしないわよね。ピーチピチ(佳子)信じてるわよ♪

はい、今週霊団が降らせたインスピレーションに基いてブログを書かせて頂きましたが、霊的には確かに完全に決着がついています、強姦殺人魔、天皇一族は死刑決定です。しかし物的にはそうはなっていません。天皇一族は僕、たきざわ彰人から逃げ続けています。僕の名を一切表に出そうとしません。ピーチピチ(佳子)も奴隷の女の子と同じように美人の女性から盗んだ女の子で、自分たちと全く血が繋がっていない事を一切語らず隠し通そうとしています。僕たち日本国民はいい加減に立ち上がらねばなりません。この「日本悪魔教」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を完全に死刑にして消滅させなければなりません。こいつらは血税も女の子の赤ちゃんもひたすら盗み続けています。こいつらが日本の「悪の大中心」なのです。小者には一切目もくれず大中心を叩くのです。ツイッターは厳しい状況ですがブログは無傷ですので、ぜひ皆さまには僕のブログを深いレイヤーまでお読み頂きたいと思うのです。この強姦殺人魔をこれ以上許し続けるのは有り得ません。僕が地上に残されている間に絶対にこいつらを死刑にしなければなりません(祈)†

2020年7月4日

用事が立て込んでいますので簡潔に説明させて頂きます。まず「死体が動く」こちらは墓の中の死体がもぞもぞと動くという映像だったのですが、その死体は肉が腐れ落ちて骨になっているのですが、完全には肉がなくなっておらずまだ骨に若干肉が付着して残っている状態の死体でした。大昔の死体、たとえば大正天皇、明治天皇の死体であれば完全に骨だけになっているはずですから、これは死亡してまだ時間の経過が少ない昭和天皇「裕仁Hirohito」の死体であると霊体の僕は理解したのです。その裕仁の死体が仰向けの状態からもぞもぞと動いて起き上がろうとします。墓の内部の映像で霊体の僕がその様子を見ているのですよ。裕仁はゆっくり手を僕の方へ伸ばしてくるのです。まぁ要するに「ウソをバラすのやめろ」と僕に言っているのでしょう。

えー皆さまにくれぐれも誤解のないように、そして誤った認識によって不必要な恐怖心を抱き正しい理解が阻害される事のないよう霊的知識に基く説明させて頂きますが、まずこの動く死体の裕仁はもちろん裕仁本人ではなく霊団メンバーの演出です。裕仁本人はとっくの昔に「下から2番目」 wp.me/pa9cvW-cF に落ちて視力、思考力を奪われて暗黒の中でボーっとしているはずですから、この映像のような状態の訳がありません。大量強姦殺人魔であり原爆投下の大原因者であり戦争によって国民を大量虐殺させた世紀の大犯罪人「人間のクズ※裕仁でググって見て下さい。第1巡目に“人間のクズ”と出てくるのです」裕仁が、霊界を自在に動き回れる自由を闊歩できる状態に【神】が留め置く訳がありません。もちろんヒトラーに匹敵する最大級の罰(あるいはヒトラー以上かもしれません)が与えられて暗黒の底の底に落とされているはずですから、幽体離脱時の霊体の僕と会うなどという自由行動が有り得る訳がないのです。『私の霊界紀行』2章 幽界の下層界【冷酷な指導者の末路】 wp.me/pa9cvW-1ZF 参照。

そして霊界不変の大原則として、自分の霊格および置かれた境涯より「下」の情報は得る事ができるが、自分の霊格、境涯より「上」の情報は得る事ができないという絶対的力学があります。裕仁が落とされている暗黒は地上圏よりさらにさらに下層界ですから(※地上圏はほぼ最下層の境涯です。そこより下という事は相当の地獄だという事)裕仁は現在地上で自分がどのように扱われているかという事を理解する事ができません。情報が手に入らないからです。そもそも思考力を奪われているのですからそういった事に意識が至る事すらありません。ですので、今回霊団が降らせた腐れ落ちた裕仁の死体が動く映像は、霊団主導で行われている「イエス様ハンドリング」によって強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が国民周知の事実となっている事、そして裕仁自身の過去の大罪についても広く真実が知れ渡る事について裕仁が「やめろ」と思念を抱いているという霊団からのメセでしょう。(ん?裕仁は僕の使命遂行の事も知る事ができないと思うのですが、さぁどうでしょう)やめるのはお前ら強姦殺人魔一族の方だ。永遠にウソをつき通すなどという寝言が通用する訳ないだろ、国民をナメるな。裕仁、待ってろ、すぐにお仲間(明仁、文仁、徳仁、悠仁)をそこに叩き落してやる。千年万年の恥辱と苦悶を存分に味わうがいい。

そしてもうひとつ幽体離脱時の映像「ネビュラチェーン」ですが、こちらは皆さまご存じの事と思われますが聖闘士星矢のキャラ「アンドロメダ瞬」の武器ですね。で、今回の映像ではそのネビュラチェーンの両端の一方(丸い方)を霊体の僕が握り、もう一方(三角の方)が東京の都心の住所上に置かれているという内容で、遠い場所にいる霊体の僕が腕でチェーンにビクッて振動を与えます。その振動がチェーンを伝わって都心上の先端のチェーンもビクッて動きます。僕がさらにビクッビクッと操作すると都心上のチェーン先端は生きたヘビのようにうねうねと動き回り、都心のあらゆる場所に赴く、といった感じの映像だったのです。つまり僕が操作するネビュラチェーンが都心上に広まりまくり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が正しく広まりまくる、そういう意味でいいのではないでしょうか。これまで果てしなく公言を続けてきましたように、霊覚者などと名乗る僕は軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒の嵐を浴びながらここまで使命遂行の活動を続けてきました。僕に悪辣な事を言ってくるのは99%が「嫉妬男子」共であり、女性陣に関してはおおむね僕に好意的感情を持ってくれているのではないかと霊団からのインスピレーションに基きそのように思っています。「すっかり幻滅しました」 wp.me/pa9cvW-20c にもありますように嫉妬男子は放っておくとして多くの理性的女性の皆さまの元にネビュラチェーンが届いて正しい理解をお届けする事ができた、そういう意味に今回の映像は理解するのがいいのではないでしょうか。

※はい、今回のブログはここまでなのですが裕仁の部分で書きました「不必要な恐怖心」について少しだけ追記させて頂きます。それは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込む「イエス様ハンドリング」この使命遂行が開始されたごく初期の頃に僕が浴させて頂いていた霊現象について書き記したこちらのブログ「隔離フィールド予想図」 wp.me/pa9cvW-9H が関係しています。この「隔離フィールド」ですが、実は「事情」があるのです。2014、2015年当時の僕が、僕のブログをご覧の皆さまが霊的な内容に「不必要な恐怖心」を抱いてしまい、霊的知識に対する興味を失いお勉強をやめてしまうのではないかと危惧し、当時の僕の理解できた範囲内で精一杯の表現を駆使して書いたブログなのですが、実は「隔離フィールドの真実」というものがあるのです。その「真実」については語らないまま、皆さまにお話しないまま帰幽するつもりでこれまで使命遂行を続けてきたのですが、何しろ僕は「1歩も退く気はない」「公言の限りを尽くす」性格ですから、もしかしたらこの「隔離フィールドの真実」についてのブログを書く日が来るかも知れません。

とはいえこれはアナログ絵123の内容に準ずるもので、イエス様ならびに霊団が僕を導く手法、そして方向性が恐ろしいまでに驚くまでに一貫していた、全くブレる事なく大目的の成就に向けて僕の精神力を鍛え続けておられた(大目的とはもちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅亡させる事ですよ)こんな初期の頃から全くブレていなかった、という内容になるのですが、書くのは相当に難しい内容となるでしょう。まぁこの「隔離フィールドの真実」については霊団は何も言ってきませんので書く必要性、プライオリティは低いのですが、いつか書く日も来るかも知れないという事だけ明記させて頂くにとどめようと思います。とにかく「隔離フィールドの真実」とは2014年から現在に至るまで、霊団の導きの方向性が1ミリたりともブレる事なく完全に1本の線でつながっている、とてつもない導きの威力、という内容になります、書くのであれば(祈)†

[ditty_news_ticker id="10474″]

『シルバーバーチの霊訓①』
悟りの道に近道はありません。代りの手段もありません。安易な道を見つけるための祈りも儀式も教義も聖典もありません。いくら神聖視されているものであってもそんな出来合いの手段では駄目なのです。師であろうと弟子であろうと新米であろうと、それも関係ありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
悟りは悪戦苦闘の中で得られるものです。それ以外に魂が目覚める手段はないのです。私がこんな事を説くのは説教者ヅラをしたいからではありません。これまでに自分が学んだ事を少しでもお教えしたいと望むからにほかなりません。

『シルバーバーチの霊訓』
さらに私は一見矛盾するかに思えるかも知れませんが人のために役立ちたいと望む人々、自分より恵まれない人々―病める人、肉親を失える人、絶望の淵にいる人、人生の重荷に耐えかねている人、疲れ果てさ迷い生きる目的を見失える人、等に手を差しのべたいと願望に燃える人―

『シルバーバーチの霊訓①』
→要するに何らかの形で人類の福祉に貢献したいと思っている人が挫折しかけた時は、必ずやその背後に霊界からの援助の手が差しのべられるという事も知っております。時には万策尽き、これにて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差しのべられる事があります

『シルバーバーチの霊訓①』
霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相についての知識が生み出す内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我れ行かんの気概を失うような事があってはなりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
その奇特な意気に感じて訪れてくるのは血縁の者―その人の死があなた方に死後の存続に目を開かせた霊達―ばかりではありません。あなた方が地上、物質界へ再生してくるに際して神からその守護の役を命ぜられ、誕生の瞬間よりこの方ずっと見守り指導してきた霊もおります。

『シルバーバーチの霊訓①』
そのおかげでどれほどの成果が得られたか、それはあなた方自身には測り知る事はできません。しかし分らないながらも、その体験は確実にあなた方自身の魂と同時に、あなた方を救ってあげた人々の魂にも消える事のない影響を及ぼしております。

『シルバーバーチの霊訓①』
その事を大いに誇りに思うがよろしい。他人への貢献の機会を与えてくださった事に関し、神に感謝すべきです。人間としてこれほど実り多い仕事はほかにありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
愚にもつかぬ嫉妬心や他愛ない意地悪から出る言葉を気にしてはなりません。そのようなものはあなた方の方から心の隙を与えない限り絶対に入り込めないように守られております。霊の力は避難所であり、霊の愛は聖域であり、霊の叡智は安息所です。

『シルバーバーチの霊訓①』
イザという時はそれを求めるがよろしい。人間の心には裏切られる事がありますが、霊は決して裏切りません。たとえ目には見えなくても常に導きを怠る事なく、愛の手があなた方のまわりにある事を忘れないでください。

僕が言うのもなんですがm(_ _)m みなさん、本を読みましょう☆素敵な本はたくさんあります。(ブログ“さらにさらに書籍紹介です♪”参照) そして困難、苦難から逃げることなく、勇気をもって真正面から立ち向かいましょう☆艱難辛苦の先に光がある、これだけは間違いありません☆(祈)

『シルバーバーチの霊訓①』
私としては、たった一言であっても私の述べた事の中にあなた方の励みになり元気づけ感動させるものを見出して頂ければ、もうそれだけで嬉しいのです。私たちに必要なのは霊の道具となるべきあなた方です。豪華なビルや教会や寺院や会館ではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
それはそれなりの機能がある事は認めますが、霊の力はそんな“建物”に宿るのではありません。“人間”を通して授けられるのであり、顕幽の巨大な連絡網のつなぎ手として掛けがえのない大切なものです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その道具たらんとして謙虚に一身をなげうってくれる人間一人の方が、そうした建造物全部よりもはるかに大切です。頑張って下さい。そしてこれからも機会を逃さず人のため、人のため、という心がけを忘れないで下さい。

『シルバーバーチの霊訓①』
世間の拍手喝采を求めてはなりません。この世に生まれてきたそもそもの目的を果たしているのだという自覚を持ち、地上に別れを告げる時が来た時に何一つ思い残す事のないよう、精一杯努力して下さい。

『シルバーバーチの霊訓①』
ここに集える私たち一人一人が同胞の幾人かに霊的啓発をもたらす事によって、少しでも宇宙の大霊に寄与する事ができる事の幸せを神に感謝致しましょう。人間として霊として、こうして生を享けた本来の目的を互いに果たせる事の幸せを感謝致しましょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
人のために尽す事に勝る宗教はありません。病める人を治し、悲しむ人を慰め、悩める人を導き、人生に疲れ道を見失える人を手引きしてあげる事、これは何にも勝る大切な仕事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
ですから、こうして神の愛を表現する手段、才能、霊力を授かり、それを同胞のために役立てる仕事に携われる事の幸せを喜ばなくてはいけません。これから後も人のために役立つ仕事に携わる限り、霊の力が引き寄せられます。

『シルバーバーチの霊訓①』
人生の最高の目標が霊性の開発にある事を、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向ける事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
それは人生について正しい視野と焦点を持つ事になり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊に宿って自我を表現しているにすぎない事、心掛け一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟る事になるでしょう。

『シルバーバーチの霊訓①』
こうした事はぜひとも心に銘記しておくべき大切な原理です。一見すると物が強く霊が弱そうに思える世界では、それは容易に思い出せないものです。ですが、あくまで霊が主人であり物は召使いです。霊が王様であり物は従臣です。霊は神であり、あなたはその神の一部なのです

『シルバーバーチの霊訓①』
自分がこの世に存在する事の目的を日々成就できる事、つまり自分を通じて霊の力がふんだんに地上に流れ込み、それによって多くの魂が初めて感動を味わい、目を覚まし、健全さを取り戻し、改めて生きる事の有難さを噛みしめる機会を提供する事―

『シルバーバーチの霊訓①』
―これは人のために役立つ事の最大の喜びです。真の意味で偉大な仕事と言えます。地上のどの片隅であろうと、霊の光が魂を照らし、霊的真理が沁みわたればそれでいいのです。それが大事なのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
それまでの事は全てが準備であり、全てが役に立っているのです。魂はそれぞれの使命のために常に備えを怠ってはなりません。時には深い谷間を通らされるかも知れません。度々申し上げてきたように、頂上に上がるためにはドン底まで下りなければならないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上の価値判断の基準は私どもの世界とは異なります。地上では“物”を有難がり大切にしますが、こちらでは全く価値を認めません。人間が必死に求めようとする地位や財産や権力にも重要性を認めません。そんなものは死とともに消えてなくなるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
が、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら善意を施す行為に携わる事によって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消える事のない印象を刻み込んでいきます。

『シルバーバーチの霊訓①』
世間の賞賛はどうでもよろしい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。が、もしあなたが他人のために自分なりにできるだけの事をしてあげたいという確信を心の奥に感じる事ができたら―

『シルバーバーチの霊訓①』
―あなたはまさにあなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くした事になります。言いかえれば、不変の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけた事になるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
これは実に偉大で重大な仕事です。手の及ぶ範囲の人々に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生まれてきたのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡智と理解を広める仕事に協力している事になります。

これから物的雑務があります。ふたつと書きましたが超メンドクサイのでひとつだけにします。もうひとつは明日以降にします。まずはそちらを片付けて、それからのUPとなります。少々お待ち下さい(祈)†

冷たい強風を浴びながらの撮影、大変難易度が高かったですが何とかこういう感じに撮り帰ってきました。実は現在使用中のデジカメはディスプレイの調子が悪く、どういう風に撮れているのかあまり確認できない状態で感覚を頼りに撮っているのです。家に帰ってシルキー(PC)で実際に画像を見てみないと撮影の成功失敗が分からないような状態ですが、今回は大丈夫だったようです。明日書くブログネタはあります、まずはそれに集中ですが明日は物的雑務がふたつあります。それを片付けねばなりません(祈)†

WordPress固定ページ「山画像」
wp.me/Pa9cvW-2IB

「山へのアタック」は霊性発現以前から果てしなく続けている「デザインワーク」と並ぶ僕のライフワークで、物質界に残されている僕にとっては最も心が安らぐ時間でもあり、単独行は霊団との「コミュニケーションの時間」でもあります。そんな山で撮影してきた画像はあまりにも膨大すぎてとても管理しきれませんが、まずは固定ページとして形にしてみました。膨大な過去の画像たちをどのように管理するか、まだ頭の中で計画ができていませんがとりあえず走り出してみました。チョト運営の自信がありませんが(祈)†

『シルバーバーチの霊訓』
人生において、自分が役に立つという事ほど大きな喜びはありません。どこを見ても闇ばかりで、数え切れないほどの人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、朝目を覚ます度に今日はどうなるのだろうかという不安と恐怖に慄きながら生きている世の中にあって―

『シルバーバーチの霊訓①』
―たった一人でも心の平静を見出し、自分が決して一人ぽっちの見捨てられた存在ではなく、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせる事ができたら、これはもう立派な仕事というべきです。他のいかなる仕事にも優る大切な仕事を成し遂げた事になります。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚める事です。あなた方の世界は毎日を夢の中で過ごしているいわば“生ける夢遊病者”で一杯です。彼らは本当に目覚めてはいないのです。霊的実相については死んだ人間も同然です。

『シルバーバーチの霊訓①』
そういう人たちの中のたった一人でもよろしい、その魂の琴線に触れ、小さく燻る残り火に息を吹きかけて炎と燃え上がらせる事ができたら、それに勝る行為はありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
どう理屈をこねてみたところで結局は神の創造物―人間、動物、その他なんでもよろしい―の為になる事をする事によって神に奉仕する事が何にも勝る光栄であり、これに勝る宗教はありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
こうした仕事のために神の使節として遣わされている私たちは幸せと思わなくてはいけません。もっとも、絶え間なく続く悲劇を目の当りにしていると、それだけの事で嬉しい気分に浸れるものではありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
現実に何かの役に立った時、例えば無知を駆逐し、迷信を打破し、残酷を親切に置き替え、虐待を憐憫に置き替える事ができた時、あるいは協調と親善の生き方を身をもって示す事ができた時、その時はじめて地上のすべての存在の間に真の平和が訪れます。

『シルバーバーチの霊訓①』
真の平和は一部の者のみが味わうべきものではないからです。そこには霊の力の働きかけがあります。それを是非とも地上に招来しなくてはならないのです。教会が何を説こうと、学者先生がどう批判しようと、霊力はそんな事にはお構いなく働きます。そしてきっと成就します。

『シルバーバーチの霊訓①』
その霊力が道に迷ってあなた方の元を訪ねて来る人々に安堵、健康、苦痛の緩和、慰め、指導、援助のいずれかを授けてあげるその道具となる事ほど偉大な仕事はありません。無味乾燥な教義ばかりで霊力の一かけらもない教会、礼拝堂、寺院よりもはるかに意義ある存在です。

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓①』
病める人、苦痛を抱えた人、身も心も霊も悶え苦しむ人、希望を失った人、寄るべない人、人生に疲れ切った人、迷える人、こうした人々にお説教は要りません。説く人自らが信仰に自信を失っている事すらよくあるのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
説く人にも説き聞かされる人にも意味を持たない紋切り型の説教をおうむのように繰り返しても、誰も耳を傾ける気にはならないでしょう。欲しいのは霊的真理が真実であるとの証です。

『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立てたいと望めば、その霊力があなた方を通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、麻痺した関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうする事によって霊的真実に目覚めさせる事になるでしょう

『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、この道には往々にして挫折があります。私どもの仕事は人間を扱う仕事です。残念ながら人間は数々の脆さと弱み、高慢と見栄、偏見と頑迷さで塗り固められております。自分の事よりまず人のためと考える人は稀です。大義のために一身上の事を忘れる人は殆どいません。

『シルバーバーチの霊訓①』
しかし、振り返ってご覧になれば、そうした条件の中にありながらも、霊的な導きによって着実に使命に沿った道を歩み、これから先の歩むべき方角への道しるべがちゃんと示されている事を明確に認識されるはずです。

『シルバーバーチの霊訓①』
これまで一点の疑念も疑問の余地もないほどその威力を証してきた力は、前途に横たわる苦難の日々を正しく導いてくれます。

『シルバーバーチの霊訓①』
施しを受けるより施しを授ける方が幸せです。証拠を目に見ず耳に聞く事もなく、それでもなおこの道に勤しむ事ができる人は幸せです。あなた方の周りにはあなた方より幸せの少ない人々に愛の手を差しのべる事を唯一の目的とする高級霊の温かみと輝きと好意と愛があります。

『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的である事を得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服する事が内在する資質を開発し、真の自我―より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その意味では“お気の毒に”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨する事もない訳です。こちらの世界はこの不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。

『シルバーバーチの霊訓①』
私が“魂は知っている”と言う時、それは細かい出来事の一つ一つまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているという事です。

『シルバーバーチの霊訓①』
その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くという事は、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。

『シルバーバーチの霊訓①』
例えば予期していた悟りの段階まで到達しない事があります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくる事になります。それを何度も繰り返す事があります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。

『シルバーバーチの霊訓①』
自分が果たしてどの程度の人間か、どの程度進化しているかを自分で判断する事は今のあなた方には無理な事です。判断を下す手段を持ち合わせないからです。人間は霊的視野で物を見る事ができず四六時中物的視角で物事を考えるために判断がことごとく歪んでおります。

『シルバーバーチの霊訓①』
魂への影響を推し量る事ができない。そこが実は一番大切な点です。肉体が体験する事は魂に及ぼす影響次第でその価値が決まります。魂に何の影響も及ぼさない体験は価値がありません。

『シルバーバーチの霊訓①』
神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間―叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。

『シルバーバーチの霊訓①』
そうした叡智を身につける事は容易な事ではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡む事もあれば三つが全部絡む事もあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ後に自分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。

『シルバーバーチの霊訓』
魂の巡礼の旅は孤独です。進むほど孤独さを増していきます。しかし利己的生活や無慈悲な生活にそれ相当の償いがあるように、その霊性開発の孤独な道にもそれなりの埋め合わせがあります。悟りが深まるにつれて内的な生命、輝き、喜び、確信が一層その強さを増していくのです

『シルバーバーチの霊訓①』
生命現象の全てが拠り所とする内的実在界の実相を味わい、神の愛の温もりをひしひしと実感するようになります。それが容易に成就されるとは私は一度も言っておりません。

『シルバーバーチの霊訓①』
最高の宝、最も豊かな宝は、最も手に入れ難いものです。しかもそれは自らの努力によって自分一人で獲得していかねばならないのです。

『シルバーバーチの霊訓①』
私はかつて地上で何年も生活し、こちらへ来てからも(三次元の世界の数え方で言えば)何千年もの歳月を過ごしてきましたが、向上すればするほど宇宙の全機構を包括し大小あらゆる出来事を支配する大自然の摂理の見事さに驚嘆するばかりです。

『シルバーバーチの霊訓①』
その結果しみじみと思い知らされている事は、知識を獲得し魂が目覚め霊的実相を悟るという事は最後はみな一人でやらねばならない―自らの力で“ゲッセマネの園”に踏み入り、そして“変容の丘”に登らねばならないのだという事です。

【過去コメ】僕は自分に出来る限りタネを蒔きまくりました。絵をガマンして。僕にできるのはここまで、あとは皆さんの自己責任、タネを受取るも受取らないも、霊的知識に目が開くも開かないも、全て個人の自由意志です。一人でも多くの方が僕のタネをキッカケに大切な事に気づいてくれるなら嬉しいです(祈)

【過去コメ】僕の体験をどれだけ力説しても皆さんには分かって頂けないと思います。本を読んで知識は得られるでしょうが実際に霊的体験をするには日常生活において艱難辛苦を克服し霊性発現させるしかないのです。どうかそれぞれの生活の場において困難に真正面から立ち向かう勇気をもって欲しいのです