1917年12月11日 火曜日
こうして通信を送るために降りてくる際に吾々がかならず利用するものに“生命補給路(ライフライン)”とでも呼ぶべきものがあります。それを敷設するのにかなりの時間を要しましたが、それだけの価値は十分にありました。
初めて降りたときは1界また1界とゆっくり降りました。各界に特有の霊的な環境条件があり、その1つひとつに適応しなければならなかったからです。これまで何度往復をくり返したか知れませんが、回を重ねるごとに霊的体調の調節が容易になり、最初のときに較べればはるかに急速に降下できるようになりました。
今では吾々の住いのある本来の界での行動と変わらぬほど楽々と動くことができます。かつては一界一界で体調を整えながらだったのが、今では一気に地上まで到達します。最初に述べたライフラインが完備しており、往復の途次にそれを活用しているからです。
– あなたの本来の界は何界でしょうか。
ザブディエル殿の数え方に従えば第10界となります。その界についてはザブディエル殿が少しばかり述べておられるが、ご自身は今ではその界を後にして次の界へ旅立っておられる。その界より上の界から地上へ降りて来れる霊は少なく、それも滅多にないことです。降りること自体は可能です。
そして貴殿らの観念でいう長い長い年月の間にはかなりの数の霊が降りてきていますが、それはかならず何か大きな目的 – その使命を自分から買って出るほどの理解力をもった者が吾々の10界あるいはそれ以下の界層に見当らないほどの奥深い目的がある時にかぎられます。
ガブリエル(第2巻3章参照)がその1人であった。今でも神の使者として、あるいは遠くへあるいは近くへ神の指令を受けて赴いておられる。が、そのガブリエルにしても地上近くまで降りたことはそう滅多にない。
さて、こうして吾々が地上界へ降りて来ることが可能なように、吾々の界へも、さらに上層界から高級な天使がよく降りて来られる。それが摂理なのです。その目的も同じです。すなわ究極の実在へ向けて1歩1歩と崇高さの増す界を向上していく、その奮闘努力の中にある者へ光明と栄光と叡智を授けるためです。
かくして吾々は、ちょうど貴殿ら地上の一部の者がその恩恵に浴するごとく、これからたどるべき栄光の道を垣間(かいま)見ることを許されるわけです。そうすることによって、はるか彼方の道程についてまったくの無知であることから免れることができる。
同時に、これは貴殿も同じであるが、時おり僅かの間ながらもその栄光の界を訪れて、そこで見聞したことを土産話として同胞に語り聞かせることも許されます。これで判るように、神の摂理は1つなのです。今おかれている低い境涯は、これより先の高い境涯のために役立つように出来ています。
吾々の啓発の使命によろこんで協力してくれる貴殿が未来の生活に憧れを抱くように、吾々は吾々で今おかれている境涯での生活を十分に満喫しつつ、神の恩寵とみずからの静かな奮闘努力によって、これよりたどる巡礼の旅路に相応わしい霊性を身につけんと望んでいるところです。
そういう形で得られる情報の中に、キリストの霊と共に生活する大天使の境涯に関する情報が入ってくる。渾然一体となったその最高界の生活ぶりは、天使の表情がすなわちキリストの姿と目鼻だちを拝すること、と言えるほどです。
底知れぬ静かな潜在的エネルギーを秘めた崇高なる超越的境涯においては、キリストの霊は自由無碍(むげ)なる活動をしておられるが、吾々にとってその存在は“顕現”の形をとって示されるのみです。が、その限られた形体においてすら、はや、その美しさは言語に絶する。
それを思えば、キリストの霊を身近かに拝する天使たちの目に映じるその美しさ、その栄光はいかばかりであることであろう。
– では、あなたもそのキリストの姿を拝されたことがあるわけですね。
顕現としては拝しております。究極の実在としてのキリストの霊はまだ拝したことはありませんが…。
– 1度でなく何度もですか。
いかにも。幾つかの界にて拝している。顕現の形においては地上界までも至り、その姿をお見せになることは決して珍らしいことではない。ただし、それを拝することのできる者は幼な子のごとき心の持主と、苦悶の中にキリストの救いを痛切に求める者にかぎられます。
– あなたがキリストを拝された時の様子を1つだけお話ねがえませんか。
では、先日お話した“選別”の行われる界で、ちょっとした騒ぎが生じた時の話をお聞かせしましょう。その時はことのほか大ぜいの他界者がいて大忙しの状態となり、少しばかり混乱も起きていた。自分の落着くべき場所が定まらずにいる者をどう扱うかで担当者は頭を痛めていた。
群集の中の善と悪の要素が衝突して騒ぎがもちあがっていたのです。というのも、彼らは自分の扱われ方が不当であると勝手に不満を抱きイラ立ちを覚えていたのです。こうしたことはそう滅多に起きるものではありません。が、私自身は1度ならずあったことを知っております。
誤解しないでいただきたいのは、そこへ連れてこられる人たちは決して邪悪な人間ではないことです。みな信心深い人間であり、あからさまに不平を口にしたわけではありません。心の奥では自分たちが決して悪いようにはされないことを信じている。ただ表面では不安が過(よぎ)る。
その明と暗とが複雑に絡んで正しい理解を妨げていたのです。口先でこそ文句は言わないが、心では自分の置かれた境遇を悲しみ、正しい自己認識への勇気を失いはじめる。よく銘記されたい。自分を正しく認識することは、地上でそれを疎(おろそ)かにしていた者にとっては大変な苦痛なのです。
地上よりもこちらへ来てからの方がなお辛いことのようです。が、この問題はここではこれ以上は深入りしないことにします。
さきの話に戻りますが、そこへその界の領主を勤めておられる天使が館より姿を見せられ、群集へ向けて全員こちらへ集まるようにと声を掛けられた。みな浮かぬ表情で集まってきた。
多くの者がうつ向いたまま、その天使の美しい容姿に目を向ける気さえ起きなかった。柱廊玄関から出て階段の最上段に立たれた天使は静かな口調でこう語りはじめた – なぜ諸君はいつまでもそのような惨めな気持でいるのか。
これよりお姿をお見せになる方もかつては諸君と同じ立場に置かれながらも父の愛を疑わず、首尾よくその暗雲を突き抜けて父のもとへと帰って行かれた方であるぞ、と。
首をうなだれたまま聞いていた群集が1人また1人と顔を上げて天使の威厳ある、光輝あふれる容姿に目を向けはじめた。その天使は本来はずっと高い界層の方であるが、今この難しい界の統治の任を仰せつかっている。
その天使がなおも叡智に溢れた話を続けているうちに、足もとから霧状のものが発生しはじめ、それが全身を包みこみ、包まれた容姿がゆっくりとその霧と融合し、マントのようなものになった。その時はもはや天使の姿は見えなかった。
が、それが凝縮して、見よ!こんどは天使に代って階段上の同じ位置に、その天使より一段と崇高な表情と一段と強烈な光輝を放つ姿をした、別の天使の姿となりはじめたではないか。
その輝きがさらに強烈となっていき、眼前にその明確な容姿を現わした時、頭部に巻かれたイバラの飾り輪の下部と胸部には、いま落ちたばかりかと思われるほどの鮮血の跡が見て取れた。が、いやが上にも増していく輝きに何千何万と数える群集の疲れた目も次第に輝きを増し、その神々しい容姿に呆然とするのであった。
今やそのイバラの冠帯は黄金色とルビーのそれと変わり、胸部の赤き血痕は衣装を肩で止める締め金具と化し、マントの下にまとうアルバ(祭礼服の一種)は、その生地を陽光の色合いに染めた銀を溶かしたような薄地の紗織の中で、その身体から出る黄金の光に映えていた。
その容姿はとても地上の言語では説明できない。その神々しき天使はほかならぬ救世主イエス・キリストであると言う以外には表現のしようがないのである。その顔から溢れでる表情は数々の天体と宇宙の創造者の1人としての表情であり、それでありながらなお、頭髪を額の中央で左右に分けた辺りに女性的優しさを漂わせていた。
冠帯は王としての尊厳を表わしていたが、流れるようなその頭髪の優しさが尊大さを掻き消していた。長いまつげにはどこかしら吾々に優しさを求める雰囲気を漂わせ、一方、その目には吾々におのずと愛と畏敬の念を起こさせるものが漂っていた。
さて、その容姿はゆっくりと大気の中へ融合していった – “消えていった”とは言わない – 吾々の視力に映じなくなっていくのをそう感じたまでだからです。その存在感が強化されるにつれて、むしろその容姿は“気化”していったのです。
そしてついに吾々の視界から消えた。するとその場に前と同じ領主の姿が現われた。が、その時は直立の姿勢ではなかった。片ひざをつき、もう一方のひざに額を当て、両手を前で組んでおられた。まだ恍惚たる霊的交信状態にあられるので、吾々はその場を失礼した。その時はじめて吾々の足取りが軽く心が高揚されているのに気づいた。
もはや憂うつさは消え、いかなる用事にも喜んでいつでも取りかかれる心境になっていた。入神状態にあられる領主は何も語られなかったが、“私は常にあなたたちと共にあるぞ”という声が吾々の心の中に響いてくるのを感じた。吾々は満足と新たな決意を秘めて再び仕事へ向かったのでした。
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†
眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→