まずは昨日の山の撮影画像をUPですが、結局気付いてみれば説明しきれないインスピレーション量、もちろんいつものようにある程度削除して撃ち始める事になります。
この最悪人生、いつまでもやらされてたまるか、何としても状況打開してみせる、脱出してみせる。これは僕の人生じゃない。この人生を死んでも受け入れる訳にはいかない。最後の1秒まで反逆し続けるぞ。その反逆の内容も少し撃つ事になると思います、さっそくテキスト撃ちに入ります。ハァァ(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日の山の撮影画像をUPですが、結局気付いてみれば説明しきれないインスピレーション量、もちろんいつものようにある程度削除して撃ち始める事になります。
この最悪人生、いつまでもやらされてたまるか、何としても状況打開してみせる、脱出してみせる。これは僕の人生じゃない。この人生を死んでも受け入れる訳にはいかない。最後の1秒まで反逆し続けるぞ。その反逆の内容も少し撃つ事になると思います、さっそくテキスト撃ちに入ります。ハァァ(祈)†
今日撮影した画像は明日UPさせて頂くとして、本当にいい加減にしてくれよ、寸前ドッカーンインスピレーションやめてくれよ。山から疲れて帰ってきて慌てて作業させられるハメになっています。
ある出版社の代表宛に送付した書籍付きの手紙は一応到着してます。少なくともこれまでのように未開封で送り返されてくるという事はない、開封して読んでもらえると思うのですが、しかしそれと返事をもらえる事とは別です。さぁ復刊の糸口をつかめるのか。
あぁもうクッタクタなのに画像の準備しないといけない。寸前はやめろよ事前に降らせてこいよ、内容は緊急じゃない、前から分かってる事じゃネィか。もう慌てさせられるのはウンザリ。チョト強めにダメージが残ってますので早めに休みます。残りの作業は明日(祈)†
その作戦のためのちょっとした画像を制作していたので今日はスキャンができませんでした。で、自動書記テスト続行中ですが、僕の手は動かそうとしないくせに霊聴にはピーチクパーチク言ってきやがる。が、どのみち全然インスピレーション量が足りませんので、もうその作戦を決行しようと思います。
で、明日はグラデーション撮影はやや微妙ですが一応撮るつもりである山域に行ってきます。心にある思いはただひとつ「何が何でも脱出する」それだけです。このまま閉じ込められて一生を送らされるのだけは死んでも拒否する、そんな事になってみろ、あんたたち(霊団)を永遠に憎み続ける事になるぞ。
僕を閉じ込めた先に一体何の使命遂行の前進があるって言うんだよ、単なるイジメイヤガラセじゃネィか。それより強姦殺人魔を何とかしろよと宇宙最大級に言いたいです。帰幽1秒前まで脱出のための努力を続けます。絶対にこの人生を許さない。まずは山の撮影に集中中。この撮影画像も膨大になっていますので、それを書籍化する事も視野に入れています(祈)†
1917年11月10日 土曜日
“天界からお声が掛かる” – あなたと私がまさにそれです。私があなたに呼びかけると私は上層界の方から呼びかけられ、その方たちはさらに上層界の神霊からお声が掛かり、かくして最後は、かの遠き昔、父なる神より呼ばれて薄暗き地上へと派遣された主イエスにまでたどり着きます。
私たちが絶大なる確信を抱くことができる根拠は実に、霊力乏しき低地の者へその強力な霊力をお授(さず)けくださる崇高なる神霊から“お声が掛かる”という事実にあります。
“下界へ参れ”との命を受けるということは、これはもうただ事ではないのです。下界へ向けて歩を進めるにつれて環境も私たちの身体も次第に光輝を失っていき、いよいよ地上界へたどり着いた時には、あたりを見極めることが容易でないほどの状態となっています。
が、それも初めのうちだけです。次第に目が地上の波長に慣れてきて、やがて見えるようになります。これを繰り返すことによって、ますます容易になります。もっとも、そのこと自体は少しも有難いことではありません。有難いのは、そうなることによって地上で仕事が出来るということです。
と言うのは、私たちの目に映る地上の光景はおよそ楽しいものではなく、一時もはやく自分の界層(くに)へ帰りたい気持に駆(か)られます。その意味でも前回お話した水辺の景色や施設が有難く望ましいものであるばかりでなく、私たちの仕事にとって絶対に不可欠のものなのです。
これに関連して、もう1つお話しなければならない機能があります。それは、その“憩の里”には上層界から送られてきた生命力が蓄(たくわ)えられていて、それが気流となってその里一帯を流れており、必要な者に存分に与えられるということです。私たちがいざ地上へ向う時は途中でこの里に立ち寄り、その気流に身を浸(ひた)して体力と活力を摂取します。
地上に近づいた時に必ずしもその効力を実感しませんが、実際には澎湃(ほうはい)として身辺を洗い、身体に滲(し)み込んでいます。そして、ちょうど海中に潜(もぐ)っているダイバーが海上から送られる空気で生命を維持するように、私たちを支(ささ)えています。
自由で広大な海上からの光が届かぬ海底は薄暗く、水という鈍重な要素のために動きが重々しくなりますが、私たちもこうして地上に降りている間はまったく同じ条件下にあります。
ですから、聞いてもらいたいことがうまく述べられなかったり、用語を間違えたり、通信内容に不自然なところがあっても、どうかそれは大目に見ていただき、決して邪霊に騙(だま)されているかに思わないでいただきたいのです。
潜水服に身を固められたダイバーが水中で別のダイバーに話しかけている図でも想像してみてください。私たちベールのこちら側にいる者にとって、それがいかに根気とたゆまぬ努力を要することであるか、まして人間の言い分に耳を傾けることは尚のこと根気のいるものであることが、これで理解していただけるでしょう。
ですが同時に、この地上での仕事を終え、くるりと向きを変えて天界へ上昇して行くと、そうした不自由を味わっただけ、それだけ遠き“憩の里”から流れてくる生命の気流をいち早く感じ取ることにもなります。
生命力の波動が再び身辺を洗います。疲れた頬(ほほ)に心地よく当たります。くすんでいた飾りの宝石も次第に本来の輝きを取り戻します。衣服は一段と明るい色調に輝き、髪は光沢を増し、目から疲れと暗さが消え、そして何よりも有難いのは、私たちの耳に神のお召しのメロディが聞こえはじめ、次第に明瞭さを増していくことです。
それは、神の蔵に蓄えるべき如何なる収穫を得たかをお確かめになるために、私たちを“収穫の祝宴”に招いてくださっているのです。さて、これ以上お引き留めするのはやめましょう。あなたは一刻の遅れも許されない大切なお仕事が進行中であることは私にもよく分かっております。
あと1つだけ添えましょう。それは、こうしてあなたに呼びかける私たちとあなたとの間に再び懐疑の念が頭をもたげていることです。ですが、このたびの通信があなたご自身から出たものでないことは確かでしよう。
– どうすればそれが私に納得できますか。
忍耐あるのみです。それが進歩を確かなものとし、確信を深めるのです。おやすみなさい。安らぎのあらんことを。カスリーン並びに他の通信霊より慎んで申し上げます。
事務所宛ての荷物はコチラ(新住所)に転送して下さいと届け出が出されていたのでしょう、追跡のページに「転送」と表示されています。つまり少なくとも未開封で送り返されてくる事はない、新住所で受け取ってもらえて手紙を読んで頂けるという事かも知れません。
何とか復刊の糸口をつかめるとイイのですが。で、霊的知識普及の観点からひとつ書きたい事があるのですがチョト時間がなくてココで全ては書けません。改めてそれは書かせて頂きます、嘆かわしい事があるんですよ。
で、霊団が今週もまたもや何にもインスピレーション降らせてきません、今日もヒドイ、幽体離脱から全く帰還せず、トランスの時間も全く無く目覚ましで普通に目が覚める状態。霊性発現前の状態になっています。仕事やる気ないなら僕を物質界に残すな、帰幽させろ。無目的にダラダラ残し続けるのは断じて許さぬ。
スキャンだけは続行中。この「死後の世界」の内容についても語りたい事があります。そちらも後日(祈)†
昨日の送付票の控えに追跡番号があって、それを使うと荷物の状況がWebで見られます。到着するか、それともまたしても「あて所に尋ねあたりません」として送り返されてくるのか、それによって僕の未来が多少変わってくるので気になってずっと見ているのですが全然変化がありません。
昨日送付した荷物ひとつ封書ひとつ、両方とも未開封で送り返されてくるというのが最悪ストーリー。そうならない事を祈るより他にどうしようもありません。
現時点でデータとして完成しているのは「インペレーターの霊訓」「ベールの彼方の生活1~4巻」で、「イエスの少年時代」が表紙を描き終えていてあとは復刊者コメントと最終校正を終えれば印刷テストに回す事ができます。「死後の世界」のスキャン(現在50%完了中)が終わったらその作業に戻りましょう。
現在AffinityPublisherで制作している書籍データは、ほぼそのままAmazonのペーパーバック用のデータとして使えそうだという事も分かっています。「イエスの少年時代」をAmazonの校正刷りに出すつもりですが、もしそちらがお高いという事であれば、以前使用していた印刷会社で再び制作するかも知れません。安い方を選択します。
必ず復刊できる時が来る、必ず脱出できる、そう信じて突き進む以外にない(祈)†
1917年11月8日 木曜日
ではその“憩いの里”を後にして内陸への旅をしてみましょう。その道中にもいろいろと学ぶことがあることでしょう。あなたも私もともに巡礼者であることを忘れてはなりません。
同じ光明へ向けて同じ道を歩んでいるのであり、この界と次の第7界との境界にある高い山脈を越えて、さらにさらに向上の道に励まなくてはならないのです。
私たちはその里の敷地と庭園を後にして、広々とした田園地帯に続く長い並木道を行きます。行きながら気づいたことは、その道は1直線に走っているのではなく、そこを通って海に注ぐ小川のある谷に沿っているのです。では、先に進む前に、ここでその小川の水のもつ性質を幾つか説明しておきましょう。
“生命(いのち)の水”の話をお読みになったことがあると思いますが、これは比喩(ひゆ)ではなく文字どおり生命の水なのです。と言うのは、こちらの世界の水には地上の水にない成分が含まれていて、それぞれの水が他に見られない独特の成分を含んでいるのです。
川にせよ泉にせよ湖にせよ、水は高級霊によって管理されており、精気と啓発の徳が賦与(ふよ)されているのです。その水を浴びることによって高級霊の賦与した生命波動から精気を吸収し啓発されていくのです。
私が知っている噴水池が高い塔の屋上に設けてありますが、装置を作動させると深遠な雰囲気のハーモニーをもつ一連の和音を響かせます。(第1巻135頁参照)これはその土地で何かの催しがある時に近隣の人々を召集するための合図の鐘の代りに使われております。
しかもその噴水のしぶきはかなりの広い範囲にわたって飛び散り、さまざまな色彩の光の花びらとなって、その一帯の家や庭園に落ちていきます。その花びらにはこれから催される集会のおよその性格と目的の主旨を伝えるものが含まれており、それを浴びる人の全身に心地よき温もりを漲らせ、ぜひ出席したいと思わせるところの同志愛と連帯意識を自覚させるものも含まれているのです。
その地域一帯に集会の時と場所を知らせることも兼ね、同時に、しばしば高き界から講演のため、あるいはその界の領主の名代としてある仕事を執行するために訪れる天使についての情報を知らせることもあります。
いま私どもが歩いているすぐ側を流れている川の主成分は“安らぎ”です。この川の側を通る人は、地上の人には遠く理解の及ばない方法でその安らぎの成分を吸収するのです。川面(かわも)の色彩、色合い、流れのざわめき、両岸に繁る植物、岩石や土手の形や雰囲気、等々がみな安らぎを与えるように構成されているのです。
また地球に近い下層界での仕事を終えて例の湖を渡って帰ってくる霊の中にも、その安らぎを必要とする者が大勢おります。私たちは時として大変な奮闘努力を余儀なくされることがあるのであり、地上の人がよく想像するように、のんびりと単調な生活を送っているのではないのです。
そこで時としてしばし肩の荷を下ろして憩い、待ちうける次の仕事に備えて、使命成就に必須の安らかにして強力なる霊的静寂を取り戻す必要があるのです。さらに、ここでは全ての存在が滲(し)み入るような個性をもっていることを理解していただかねばなりません。
1つ1つの森、1つ1つの木立、1本1本の樹木、そのほか湖も小川も草原も花も家も、ことごとく滲み入るような個性をもっているのです。それ自体は人格的存在ではないのですが、その存在、その属性、その性分は自然霊のたゆまぬ意志の働きの結果なのです。
ですから、それと接触する者が摂取するのは自然霊の個性であり、またその人の感受性の度合いによって摂取量も違ってくるわけです。たとえば樹木に対してとくに感受性の強い人もいれば、小川に対して強い反応を示す人もいるといった具合です。
しかし、やはり建築物に対しては誰もが反応を示すようです。中に入った時がとくにそうです。それというのも、自然霊というのは人間と少しかけ離れた存在ですが、建物の建造に当たる霊は人間と同じ系列の高級霊であるという点で、質、程度ともに自然霊ほど遠くかけ離れた存在ではないからです。
実はそうしたこちらの世界で当たり前のことが、程度こそ違いますが地上界の普通一般の人にも起きているのです。人類は現段階ではまだ物質にとっぷりと浸(ひた)っていますから、その結果として感覚が鈍いというだけです。明瞭性の度合が劣るというだけで、真実性の度合は決して劣らないのです。
さっきからあなたの精神の中に質問が形成されつつありますが、何でしょうか。おっしゃってみて下さい。お答えしますから。
– 実は内容が女性のお考えになることにしては不似合な感じがしております。お聞きしますが、私の手を使いたいとおっしゃったのはカスリーンですが、今書いているのもそうですか。
そうです、私です。ですが、私1人のおしゃべりでは満足なさるわけがないでしょう。まさか私が1人で無駄話でもするつもりだとは想像なさらなかったはずですが、いかがですか。とにかく私としては、そんなみじめな想像をされないためにも、私があなたを使うのとほぼ同じように私を使う方を何人か用意しました。
男性ばかりではありません。女性の方も何人かおられます。全体が1つの声、1つのメッセージとなるように一体となって作業しており(*)、したがって私が綴る言葉はさまざまな知性がブレンドしたものなのです。
このところあなたの抵抗感(**)が少し和らいでいますので、まずまずうまく行っております。どうかこの状態を維持してください。私たちもこちらなりに最善を尽くしますから。
ではお寝み。こうして書いていくことによってますます進歩が得られますように。
(*2章の1で具体的な説明がある。**オーエン氏はこの段階でもまだ時おり疑念を抱くことがあった。次の10日付の通信の末尾でもそれが表面化している。 – 訳者)
これだけ努力の限りを尽くしているのになぜ全く脱出につながらないんだ、いつまで僕は閉じ込められなければならないんだ、そう思ってムシャクシャしてつい1本だけお酒を飲んでしまって、それでチョト具合が悪いです。もう僕はお酒は飲んじゃいけないんだという事がよく分かりました。
「ブルーアイランド」全ページスキャン完了中、「死後の世界」のスキャンを急ぎます、間もなくスキャンに関しては完全に終わります。次はOCR変換を完全に終わらせないといけない。作業は殺人的にいくらでもあります。止まらずガンガン進めないと。
しかし復刊のハードルの高さには参っています。先ほど出した8通目の手紙、この住所を入手したのがよりによって77冊目の書籍だった事も、どうも霊団の仕業のような気もする、目的地にたどり着くのを遅らせようとしてこの住所の入手を最後にしたというのか。となるとこの住所が正解なのか、などと考えつつお酒を飲んでしまって後悔しているところです。
もうこれ以上住所等に関する情報を入手する手段はないものと思われますので、この8通目の手紙でも著作隣接権者の連絡先がつかめないという事であれば完全にお手上げ、あのイヤでイヤでどうしようもないおーふぁん的なモノをやるしかないという事になります。
もうスゴイヤダ。自分の本を書く事に集中しようかなと、かなり気持ちがそちらに傾いてしまっています。少なくとも自伝書籍の本文を撃ち始める事はやってもイイかも知れません。100項目撃つのが億劫で…まずはスキャンを終わらせましょう(祈)†
先ほどの出版社のご高齢の代表の方のお話ではありません、「ブルーアイランド」の全ページスキャンを終えて、最後のページに情報を発見し、慌ててその掲載住所あてに8通目の手紙を送付しました。1日で2通送ったという事になります。手紙の本文は過去書いていますのでそれを微修正して使用しました。
著作隣接権者の方の連絡先を入手し、復刊の許可を頂くためにココまでやっているのです。断じて復刊をあきらめた訳ではありません。ハァァ疲れた、一旦切ります(祈)†
僕が復刊させたいと考えている77冊の書籍中、既に存在しない出版社が2社、現存している出版社が8(9)社。で、今回手紙を出したのは現存する8社のうちの1社で、その出版社の代表の方がかなりのご高齢で、サイトやブログを見てみると2020年までは書籍も刊行していてブログも更新されているが、それ以降の活動記録がないご様子。
で、「持ってる武器は使え」という事で、テスト印刷した「ベールの彼方の生活」の書籍が少しだけ手元に余っているので、それを同梱して送付しました。復刊やる気なんですよ、こういう風に作るつもりでいますよ、という事を見て頂くためです。見て頂けない可能性が極めて濃厚ですが(霊界から霊眼でご覧になっているのかも知れませんが)
というのも「自分で本書けば一気に問題解決、誰に何を言われる事もない」からです。事務作業を復活させてもとことん不愉快を味わわされて、あげくの果てに復刊書籍を販売し続ける限りいつまでもどこまでも供託金を支払い続けねばならないという不愉快のオマケつき。
2023年7月29日、時点で自伝書籍の設計図はほぼ完成してますが、目次の項目数が100近くあり、それらひとつひとつについて詳細説明するのが超超超メンドクサイので本文撃ちに着手できずにここまできてしまいました。
霊関連書籍のテキスト化は断然続行させます。自分で本を書くとしても霊的知識の引用をガンガン使う事になるからです。引用ならアレコレ言われる事もありませんのでだいぶ気がラクです。