富士周辺アタック292プロセス実行

全く結果らしい結果に到達しない、ただ苦しみばかりが増幅され続けていく最悪人生。霊性発現以降11年(間もなく12年にもなろうとしてますが)決して大げさな表現ではなく真実として1度たりとも事態が好転した事がありません。悪化につぐ悪化の一途をたどってココまで来ました。

その上さらに僕の怒りを増幅させるような事ばかり言ってくる始末。コイツら(霊団)の性格の悪さは折り紙つきです。到底許す気になどなれませんがまずはテキストを撃ち切る事に集中し、すぐ次の作業に移行しなければなりません。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の、コースは残念だけど撮影ポイントとしては最高だった山域での撮影画像をUPですが、イヤ、この先生(富士山)はスバラシイ、日の出のグラデーションと先生とがぴったり重なる時期を狙ってまた撮影に行ってみましょう。この撮影ポイントは大事にしましょう。

そして霊団が別に嬉しくも何ともないインスピレーションを複数降らせてきていますので、それらについてテキストを撃ち始めます。ホントに逆切れしたくなるようなふざけた事を言われているんですよ。ええい、もう、脳内で設計図を考えているだけでムカついてきますが撃たない訳にはいきませんので何とかやってみましょう(祈)†

とにかくコースは短くて全然広がりがありません、行って戻ってまた同じところを上ったりとかして撮影時間を調節しなければなりません。コース自体は正直つまらなく何度も行こうとは思わないところですが撮影は近年記憶にないほどの大成功でした。

スノーシューをやめさせられたフラストレーションを精神的に埋めるに十分なクオリティの撮影ができました。僕的にかなり感動的な撮影となりました。身体の負荷が異常に少なく首をかしげるコースですが、また撮影に活用しましょう。それら画像は明日UPさせて頂きますが、それより長文ブログが大ピンチです。

んー、どう書けというのだろう、どういうつもりでいるんだ霊団は。足回りにほとんどダメージがありませんがまずはしっかり休んで明日のテキスト撃ちに備えようと思います。んーどう撃てばいいんだ(祈)†

低山、距離が短い、コースに広がりがない等々の理由で今まで1度も行った事のない場所があります。しかし新たな撮影シチュを求めてあえてその山域に赴く事としました。心動かされる撮影ができるかどうか。とにかく撮れる限りのモノを撮ってきましょう。

なぜあれほど大好きなスノーシューをやめねばならないのか。しかも大キライで脱出したくてどうしようもない場所での作業内容によって足にダメージを受けた事でスノーシューを脱がねばならなくなっている。脱出すればスノーシューもやめなくて済んだのでは、と思うと霊団に対する怒りがさらにこみ上げてきます。

しかしもうこうなったものはしょうがない、新たな撮影ポイントの開発にチカラを注いでみましょう。で、アタック帰還後の長文ブログが大ピンチです。現状ブログネタらしきインスピレーションがほとんどありません。どうにも撃つモノがなければ反逆の内容を撃つつもりです。

「ベールの彼方の生活2巻」最終校正80%完成中ですがもう明日の山の準備ですので今日の作業はココまで。両腕両足のしびれはまだ取れませんが強行アタックします。霊団仕事しろ。どういうつもりだ何も降らせないって(祈)†

「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†■2023年4月5日UP■
「新しい霊媒と手を組みたくない」だから強姦殺人魔の滅亡はどこ行ったんだよ(祈)†
高級霊であればあるほど「形態を超越」しており、インペレーター霊の言葉を拝借すれば「放射性影響力(神の光輝を全身から放散している状態)」のような感じなのだそうです。つまり現在のイエス様は物的手段で絵に描けるような容姿ではない、まるっきり次元が違うので表現などできる訳がないという事です。そして僕はイエス様搭乗機「フラー01」をゴールドのカラーリングにしていますが、コレも霊的に見ると間違いで、高級霊であればあるほどその霊体から発する光輝は白色をしているそうです。つまり僕がアナログ絵にて描いているイエス様は実際のイエス様のお姿とは程遠いモノであり、イエス様があのような人間的形態をまとうのは下層界の人間に顕現する必要性が生じた時に一時的にあのような姿をまとう事があるのみで、通常時のイエス様のお姿は僕たちの物的脳髄ではイメージ不可能という事です…続きを読む→

1913年10月21日 火曜日

カストレル様の都市についてはまだまだお話しようと思えば幾らでもあるのですが、他にも取り挙げたい問題がありますのであと1つだけ述べて、それから別の話題へ移りたいと思います。宮殿のある地域に滞在していた時の事です。そこへよく子供たちが遊びに来ました。その中には私の例の死産児も含まれておりました。

他の子供たちはその子の母親つまり私と仲間の4人と会うのが楽しみだったようです。そして私たちがそれまで訪れた土地の話、特に子供の園や学校の話をすると飽きる事なく一心に聞き入るのでした。来る時はよく花輪を編んでお土産に持って来てくれたのですが、実はそのウラにはゲームで一緒に遊んでもらおうという下心があったのです。

もちろんよく一緒に遊んであげました。その静かで平和な土地で可愛い幼児とはしゃぎ回っている楽しい姿は容易に想像して頂けると思います。ある時、あなたも子供の頃遊んだ事のあるジョリーフーパーゲームに似た遊びで、子供たちが考え出したゲームに興じておりました。

大抵私たち5人が勝つのですが、そのうち私たちと向かい合っている子供たちが突然歌うのをやめて立ち尽くし、私たちの頭越しに遠くを見つめているのです。振り向くと、その空地の端の並木道の入口のところに他でもない、カストレル様のお姿がありました。

笑みを浮かべておられます。風采からは王者の威厳が感じられますが、その雰囲気には力と叡智が渾然となった優しさと謙虚さがあるために見た目には実に魅力がありつい近づいてみたくなるものがあります。こちらへゆっくりと歩を進められ、それを見た子供たちが走り寄りました。

するとその1人1人の頭を優しく撫でてあげておられます。やがて私たちのところまで来られると「ご覧の通りガイドなしで1人でやってまいりましたよ。どこにおられるかはすぐに判りますから。ところで悪いのですが、遊びを中断して頂かねばならない用事が出来たのです。

あなた方もぜひ出席して頂きたい儀式がもうじき催されます。こちらにおられる“小さい子供さん”はそのままゲームを続けなさい。あなた方“大きい子供さん”は私と一緒に来て下さい」とユーモラスにおっしゃるのです。

すると子供たちは私たちの方へ駆け寄ってきて嬉しそうに頬にキスをして、用事が終わったらまたゲームをしに来てね、と言うのでした。それからカストレル様の後について頭が届きそうなほど枝の垂下がったトンネル状の並木道を進み、やがてそこを通り抜けると広い田園地帯が広がっていました。

そこでカストレル様は足を止めてこうおっしゃいました。「さて、ずっと向こうを見てごらんなさい。何が見えますか。」私たち5人は口を揃えて、広いうねった平野と数々の建物、そしてさらにその向こうには長い山脈のようなものが幽かに見えます、と答えました。

「それだけですか」とカストレル様が聞かれます。私たちが目立ったものとしてはそれだけですと答えると、「そうでしょうね。それがあなた方の現在の視力の限界なのでしょうね。いいですか。私の視力はあなた方よりは発達していますから、その山脈のさらに遠くまで見えます。よく聞いて下さいよ。これから私の視力に映っているものを述べていきますから。

その山脈の向こうに一段と高い山脈が見え、さらにその向こうにそれより高い山頂が見えます。建物が立っているものもあれば何もないものもあります。私はあの地方に居た事があります。

ですからあそこにも、ここから見ると小さく見えますが、実はこの都市を中心とした私の領土全体と同じくらいの広さの平野と田園地帯がある事を知っております。私は今その中の1つの山の頂上近くのスロープを見つめております。地平線ではありません。

あなた方の視力の範囲を超えたところに位置しており、そこにこの都市よりも遥かに広くて豊かで壮大な都市が見えます。その中央へ通じる道の入口がちょうど我々の方を向いており、その前は広い平坦地になっております。今の通路を騎馬隊と四輪馬車の列が出てくるところです。

集合し終わりました。いよいよ出発です。今その中からリーダーの乗った馬車が進み出て先頭に位置しました。命令を下しております。群集が手を振って無事を祈っております。それを先頭に残りの隊がついて来ます。さあ、こちらへ向かっていますよ。私たちも別の場所へ行って到着の様子を見ましょう。」

何のためにやってくるのか、誰1人尋ねる者はいませんでした。畏れ多くて聞けなかったのではありません。お聞きしようと思えばどんな事でもお聞きできたのですが、なぜか以心伝心で納得していたようです。

ですがカストレル様は一応私たちの心中を察して「皆さんはあの一隊が何のためにやって来るのかを知りたがっておられるようですが、そのうち判ります」とおっしゃって歩を進められ、私たちも後についてその都市を囲む外壁のところまで至り、そこから平地の向こうの丘を見ました。

が、さっき述べたもの以外は相変らず何も見えません。「隊の姿を誰が1番に見つけますかな」とカストレル様がおっしゃいます。そこで私たちは目を凝らして一心に見つめるのですが、一向に見えません。そのうち私の目に遥か山脈の上空に星が1つ輝いて見えた気がしました。

それと時を同じくして仲間の1人が「先生、あそこに見える星はここに来た時は無かったように思います」と大きい声で言いました。「いえ最初からあったのですが、あなたに見えなかっただけです。ではあなたが最初ですか、見えたのは」と聞かれます。

私はどうも“私にも見えておりました”とは言いたくありませんでした。先に言えば良かったのでしょうけど。するとカストレル様は「私にはもう1人見える方がいるような気がするのですがね。違いますか」と言って私の方を向いてにっこりされました。

私は赤くなって何だか訳の分らぬ事を口ごもりました。するとカストレル様が「よろしい。よく見つめていて下さい。他の方もそのうち見え始めるでしょう。あの星は現時点では数界を隔てた位置にあります。まさかあの界まで見える方がこの中に居られるとは予想しませんでした」

とおっしゃって、私たち2人の方を向かれ「ご成長を祝福申し上げます。お2人は急速に進歩を遂げておられますね。この調子で行けばきっと間もなく仕事の範囲も拡大されます」と言って下さいました。2人はそのお言葉を有難く拝聴しました。

さて気がついてみますと、その星がさっきよりずっと明るく輝いて見え、みるみる大きく広くなって行きます。その様子を暫く見続けているうちに次第にそれが円盤状のものではなくて別の形のものである事が判り、やがてその形が明瞭になってきました。

それは竪琴(リラ)の形をした光のハープとも言うべきもので、まるでダイヤモンドを散りばめた飾りのようでした。が、だんだん接近すると、それは騎馬と馬車と従者の一団で、その順序で私たちの方角へ向けて虚空(こくう)を疾走しているのでした。

やがて都市の別のところからも喚声が聞こえて来ました。同じものを発見したのです。「あの一隊がこの都市へやって来る目的がそろそろお判りでしょう」とカストレル様がおっしゃるので「音楽です」と私が申し上げると「その通り。音楽と関係があります。とにかく音楽が主な目的です」とおっしゃいました。

さらに近づいたのを見ると、その数は総勢数百名の大集団でした。見るも美しい光景でした。騎馬と炎の馬車 – 古い伝説に出てくるあの炎の馬車は本当にあるのです。 – それが全身から光を放つ輝かしい騎手に操られて天界の道を疾走して来たのです。

ああ、その美しさ。数界も高い天界からの霊の美しさはとても私たちには叙述できません。その中の1番霊格の低い方でもカストレル様と並ぶほどの方でした。が実はカストレル様はその本来の光輝を抑(おさ)え、霊格をお隠しになっておられました。

それはこの都市の最高霊であると同時に1人の住民でもあるとのご自覚をお持ちだからです。ですが、高級界からの一隊がいよいよ接近するにつれてカストレル様のお姿にも変化が生じ始めました。お顔と身体が輝きを増し、訪問者の中で1番光輝の弱い方と同じ程度にまで輝き始めました。

なぜカストレル様が普段この天界の低地の環境に合わせる必要があるのか。私は後で考えて理解がいきました。それはこうして普段より光輝を増されたお姿を目の前にしますと、まだまだ本来の全てをお出しになっておられないのに私たちはとても近づき難く、思わず後ずさりさせられるほどだったのです。

おっかないというのとは違います。意外さに思わず…というより他に表現のしようがありません。一隊は遂に私たちの領土の上空まで来ました。最初の丘陵地帯と私たちのいる位置との中ほどまで来た時、速度を緩めて徐々に編隊を変えました。今度は…の形(※)をとりました。

そして遂に都市の正面入口の前の広場に着陸しました。(※末尾のところで説明が出る – 訳者)カストレル様はその時は既に私たちから離れておられ、一隊が着陸すると同時に正面入口からお付きの者を従えて歩み出られました。

光に身を包まれて…と表現するのがその時の印象に1番近いでしょう。王冠はかつて見た事も無いほど鮮やかに光輝を増しております。腰に付けられたシンクチャー(帯の一種)も同じです。隊長(リーダー)の近くまで来るとそこで跪(ひざま)ずかれました。

カストレル様より遥かに明るい光輝を発しております。馬車から降りられるとカストレル様に急ぎ足で歩み寄られ、手を取って立ち上がらせ、抱き寄せられました。その優雅さと愛に満ちた厳かな所作に一瞬、全体がシーンと静まり返りました。

その抱擁が解かれ、私たちに理解できない言語での挨拶が交されてから、カストレル様が残りの隊へ向かってお辞儀をし、直立の姿勢で都市の外壁の方へ向かれ片手を挙げられました。すると突如として音楽が鳴り渡り、全市民による荘厳なる賛美歌が聞こえて来ました。

前に1度同じような大合唱のお話をした事がありますが、それとは比較にならない厳かさがありました。この界があの時より1界上だからです。その大合唱と鐘の音と器楽の演奏の中を2人を先頭に一隊から都市の中へ入っていきました。

こうして一隊はカストレル宮殿へ向かう通りを行進し、いよいよ例の並木道へと入る曲り角で隊長が馬車を止め、立ち上がって四方を見回し、手を挙げて沿道の市民にその都市の言葉で祝福を述べ、それから並木道へと入り、やがて一隊と共に姿が見えなくなりました。

でもダメですね、私は。今回の出来事の荘厳さを万分の一でもお伝えしようと努力してみましたが、惨めな失敗に終わりました。実際に見たものは私が叙述したものより遥かに遥かに荘厳だったのです。

私が主として到着の模様の叙述に時間を費やしたのは、今回の一隊の訪問の使命についてはよく理解していなかったからです。それは私ごとき低地の住民には理解の及ばない事で、その都市の指導的地位にある方や偉大な天使が関わる問題です。

せいぜい私が感じ取ったのは、あのコロニーの中で音楽の創造に関わっている人の中でも最高に進化した人々による研究に主に関連している、という事だけです。それ以上の事は判りません。もちろん私以上に語れる人が他にいるのでしょうけど。

さっき出なかった言葉(※)は“惑星”です。編隊を変えた後の形の事です。いえ“惑星”ではありません。“惑星系組織”です。地球の属する太陽系なのかどうか – たぶん他の太陽系でしょうが、私にはよく判りません。

今夜はこれでおしまいです。祝福の言葉をお待ちのようですね。では神の祝福を。目を真直ぐに見据(みす)えて理想を高く掲げる事です。

そして私どもの世界の本当の栄光に比べれば、地上で想像し得る限りの最高の栄光も、太陽に対するローソクのようなものでしかない事、それほど霊の世界の栄光はすばらしい事をお忘れにならぬように。

「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†■2022年10月12日UP■
「扱いは不当だからです」霊団が使命遂行を前進させようとしない理由がこれです(祈)†
霊格がある一定以上まで高まると物質圏付近に降下する事さえできなくなるそうで、影響力を行使しようにもできなくなる、それで霊力に感応する僕のような人間に対して働きかけて間接的に仕事を前進させようとする訳です。霊界高級霊の方々は自分で最低界に降下して仕事をする事は基本的にできない(ごくまれに使命に燃えて肉体をまとって降下する神霊も存在するそうです、イエス様がその代表ですね)ですので霊力に感応する物質界の人間に仕事をやってもらう事になる訳ですが、僕の霊団に対する反逆ぶりを見ればお分かりのように、ああでもないこうでもないと文句ばかり言って高級霊の言う通りには動いてくれないものです。それで霊界側で作成した使命遂行ブループリントの全てを達成できず霊媒は帰幽し、残りの仕事は次の霊媒を見出してその人物にやらせるという事になるのですが、その霊媒が物質界に全くいないのです…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†■2023年2月22日UP■
「自分を霊媒にする事を考えるのです」僕は書籍テキスト化に全力を尽くします(祈)†
「サークルメンバー問題」についてお話しますが、交霊会は霊媒ひとりではおこなえません。上記に説明したように低級霊のジャマが入りますのでそのジャマを排除せねばなりません。そこで必要になるのが「サークルメンバーつまり霊的仕事をおこなうためのある一定レベルの資格を有した数名の人間から抽出したエクトプラズム」なのです。サークルメンバーからエクトプラズムを抽出し、そこに霊界から持参した成分をミックスさせて、低級霊を締め出す「防御壁」のようなモノを拵えるのだそうです。その防御壁がなければ霊媒は低級霊のオモチャにされてしまうのですが、霊団が言うには僕という霊媒の交霊会ではその防御壁がしっかりしているので「邪悪が入る余地はない」のだそうです…続きを読む→

間もなく「ベールの彼方の生活2巻」の最終校正が完了します。あとは表紙の作成と復刊者コメントを用意すれば印刷テストをおこなえます。どうしても復刊実現となりませんが、この書籍データ制作が必ず役に立つ日が来ると信じて作業続行するしかありません。少なくともAffinityPublisherのスキルは高まっているはず。

そして間もなく次回長文ブログの事を考えないといけないのですが霊団がまるっきり何も言ってきません。意味不明な、クロッキーにメモもできない、もう脳内に記憶すら残っていない幽体離脱時映像を見せてくるのみです。霊団完全にやる気ゼロ。

しかしかろうじてブログネタはありますので次回のテキスト撃ちは何とかなります。それより山のアタックの事を考えないといけません。今まで1度も行った事のない全く新たな山域に赴きます。どこにどういう撮影ポイントがあるのかとか、コースがどうなっているのかとか、そういう情報が全くありません。

とにかく撮れる限りのモノを撮ってくるつもりですが、最初の数週間はあまり満足のいく撮影はできないでしょう。その山域の経験値を上げて撮影に常時使用できるようにしないといけません。

フゥゥ、こうやってハッと気づいてうしろを振り返ってみたらただ閉じ込められ続けているだけだった、今後も延々と閉じ込められ続けるだけ、全く何の事態の進展もない。僕が思う事は「ただ人生をブチ壊された」というムカつく感想が心に湧き上がるのみです。んんん、表紙を描き上げましょう(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「全目標達成」霊界から見るとそう見えるようですが肉眼には全くそうは見えません(祈)†■2022年7月27日UP■
「全目標達成」霊界から見るとそう見えるようですが肉眼には全くそうは見えません(祈)†
霊界側の真の目的は「霊的知識を物質界全土に普及させるためのインパクト」だったのではないかと思っているのです。確か以前どこかのブログで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を霊団が「客寄せパンダ」として活用しているというのが真相なのではないか、といった趣旨の事を書きました。コチラ「ベールの彼方の生活 3巻8章 暗黒界の探訪」にありますように、霊界上層界の高級霊の方々は、圧倒的優位なポジションに立っている事を利用して下層界の低級霊の未熟さ、無能さ、愚かさを逆説的に自分たちの目的成就に活用する、といったお話が紹介されています。イエス様もこの暗黒界の探訪と同じように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を手玉に取って自分たちの目的成就つまりスピリチュアリズム普及に徹底的に活用した、という事なのではないかと思ったりもするのです…続きを読む→

フラーを描くのを止めた事がまだ心に引っかかってますが、そんな事言ったってひとりの人間にできる作業量には限界というものがある、なんもかんもはできない、アレをやろうと思ったらアレを切り捨てないといけないのが道理、今は仕方ない、書籍の作業に集中するんだ。きっとフラーに戻る日も来る。物質界生活中にはもう来なかったりして。それはそれでよし。

70冊超の書籍の表紙を描かないといけない、AffinityPublisherで70冊分のデータを作成しないといけない、僕という霊媒が機能しないんだから今はこれをやるしかないんだ。これだけやっても復刊できない可能性もある、それはそれ、とにかく動け。

両腕両足のしびれはまだ完全に抜けていません、漢方を飲み続けていますが霊団に閉じ込められている場所での作業がしびれを誘発しているので、その場所から離れない限り漢方もへったくれもなく、イタチごっこで一向に治りません。このまま行ったら山で登攀できなくなる可能性さえある。そうなる前に脱出を完了させないといけませんが、僕の意思は徹底的に無視されるのでしょう。この人生、一体何だというのか。

自動書記トランステスト、再開させようかなぁ、なんて思ったりします。自動書記で霊言が降ってくれば一気に状況が好転し書籍刊行、出版社設立が現実となるからです。既存書籍の復刊より新規の霊言の書籍化の方がプライオリティが上に決まっていますので、霊言が降ってくればそれがいちばんイイに決まっているのです。霊団からは完全にダメ出しを喰らっていますのでまず発動はないものと思われますが。

これだけ身体に異常が現れても全く脱出できないとは一体どういう事なのだろうか。こんな状態のまま閉じ込められるのは絶対に有り得ないはずだ、必ず出られるはずだ、とにかく書籍データは作り続けつつ僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるという可能性を模索してみましょう。作業だけは全力続行中(祈)†

「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†■2023年10月25日UP■
「懐疑の念は消え」僕の霊団に対する憎しみが消えるという意味、僕だってそうあって欲しいですよ(祈)†
物理霊媒の場合は単純にエクトプラズム量が多い人間を霊媒として使用し、その人間の性格、霊格は関係しないという事なのだそうですが、霊言霊媒という事になるとその霊媒の人間性、人格、霊格が降らせる霊言のクオリティに大きく影響するのだそうです。つまり霊媒の霊格が低ければ降らせる霊言も程度の低い、クオリティの落ちたものになる、イヤ、そもそも支配霊とその人間との間に霊格の差がありすぎて融合する事ができず霊媒として使用できないという事もあります。逆に霊媒の霊格が高ければ高いほど支配霊は語りたい事を自由に語れるようになり、霊言のクオリティが上がるという事になります。支配霊をリーダーとした交霊会運営のための霊団側は高いレベルの霊言を降らせる準備が常に整っています。しかしそのクオリティを維持しながら物質界に霊言を降らせる事は至難の業で、霊媒側の受容能力、信頼感の欠如、霊格の低さ等が障害となって、だいたいにおいて霊側が犠牲を強いられる事になり、当初予定していたものよりクオリティの低い霊言を降らさざるを得なくさせられるのが常のようなのです…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→

1913年10月20日 月曜日

引き続きカストレル様の都市の見学旅行中の話です。中央通りを歩きながら私はなぜこの都市には方形の広場が多いのか、そしてその広い中央通りの両側にある塔のように聳える建物が何のために建てられているのかを知りたいと思っていました。

そのうち中央通りの反対側の入口に到着してやっと判ったのは、その都市全体が平地に囲まれた非常に高い台地にあるという事でした。案内の方のお話によりますと、そこに設けられている塔からなるべく遠くが見渡せるようにという事と、周りの平地の遠い住民からもその塔が見えるようにという配慮があるとの事でした。

そこがその界の主都で全てがそこを焦点として治められているのでした。帰途も幾つかの建物を訪れ、どこでも親切なおもてなしを受けました。その都市ではカストレル様のお住まいでみかけた以外に子供の姿はあまり見かけませんでした。ですが時折そこここの広場で子供の群を見かけます。そこには噴水があり周りの池に流れ落ちて行きます。

池の水はその都市を流れる大きな川につながり、無数の色彩と明るい輝きを放散しながら下の平地へ滝となって落ちて行きます。その滝の流れはかなり大きな川となって平地をゆったりと流れて行きますが、その川のあちこちで子供たちが水浴びをして遊んでいるのを見かけたのです。

しきりに自分の身体に水をかけております。私はその時はあまり深く考えなかったのですが、そのうち案内の方から、あの子供たちはあのような遊びをするよう奨励されているとの話を聞かされました。と言うのは、そこの子供たちは死産児として来たので体力が乏しく、あのような遊びによって生体電気を補充し体力を増強する必要があるというのです。

それを聞いて私が思わず驚きの声をあげると、その方は「でも別に何の不思議もないでしょう。ご存知のように私たちの身体は肉も血もないのにこうして肉体と同じように固くて実体があります。また現在の私たちの身体が地上時代よりはるかに正確に内部の魂の程度を反映している事もご存知のはずです。

その点あの子供たちの大半がやっと成長しはじめたばかりで、それを促進するための身体的栄養が要るのです。別に不思議ではないと思いますが…」とおっしゃいました。別に不思議ではない – 言われてみれば確かにその通りです。

私はさきに天界を“完成された地上のようなところ”と表現しましたが、その本当の意味が今になってようやく判ってきました。多くの人間がこちらへ来てみて地上とあまりによく似ている事に驚くはずです。もっとも、ずっと美しいですけど。

大抵の人間は地上とは全く異なる薄ぼんやりとした影のような世界を想像しがちですが、よく考えてごらんなさい。常識で考えてごらんなさい。そんな世界が一体何の意味がありますか。それは段階的進歩ではなく一足跳びの変化であって、それは自然の理に反します。

確かにこちらへ来てすぐから地上と少しは勝手が違いますが、不思議さに呆然(ぼうぜん)とするほどは違わないという事です。特に地上生活でこれといって進歩のない生活を送った人間が落ち着く環境も地上と見分けがつかないほど物質性に富んでおります。

そういう人間が死んだ事に気づかない理由はそこにあります。低い界から高い界へと向上するにつれて物質性が薄れて行き、環境が崇高さを増して行きます。しかし地上性を完全に払拭(ふっしょく)した界、地上生活と全く類似性をもたない界まで到達する霊は稀です。

特殊な例を除いてまず居ないのではないかと思っております。が、この問題については私に断定的な事を言う資格はありません。何しろ地上生活と全く異なる界に到達していないどころか、訪れてみた事もないからです。

今いる所はとても美しく、私はこの界の美と驚異を学ばねばなりません。学んでみると、実は地球はこの内的世界が外へ向けて顕現したものに他ならず、従って多くの細かい面において私たち及び私たちの環境と調和している事が判ります。

もしそうでなかったら今こうして通信している事も有得ないはずです。そしてまた – 私みたいな頭の良くない人間にはそう思えるというまでの事ですが – もしあなた方の世界と私たちの世界に大きな隔り、巨大な真空地帯のようなものがあるとしたら、地上生活を終えたあと、どうやってこちらへやって来れるのでしょう。

その真空地帯をどうやって横切るのでしょうか。でもこれはあくまで私自身の考えです。そんな事はどうという事は無いのかも知れません。ただ確実に言える事は、神と神の王国は1つしかない事、その神の叡智によって宇宙は段階的に向上進化していくように出来ているという事さえ銘記すれば、死とは何か、その先はどうなっているのかについての理解が遥かに深くなるであろうという事です。

死後の世界にも固い家屋があり、歩くための道があり、山あり谷あり樹木あり動物や小鳥までいるという事が全くバカバカしく思える人が多い事でしょう。その動物が単なる飾り物として存在するのではなく、実際の用途をもっております。

馬は馬、牛は牛の仕事があり、その他の動物も然りです。が動物たちは見た目に微笑(ほほえ)ましいほど楽しく働いております。私は1度ある通りで馬に乗ってやって来る人を見かけた事がありますが、何となく人間よりも馬の方が楽しんでいるように見えたものです。

でもこうした話は信じて頂けそうにありませんから話題を変えましょう。その広い市街地の建物の1つに地方の各支部から送られて来る情報を保管する図書館がありました。また新しいアイディアを実地にテストするための研究所もありました。

さらには教授格の人が自分の研究成果を専門分野だけでなく他の分野の人を集めて発表するための講堂もありました。そしてもう1つ、風変わりな歴史をもつ建物がありました。それは少し奥まったところに立っていて木材で出来ておりました。

マホガニー材をよく磨いたような感じで木目には黄金の筋が入っております。ずいぶん古い建物で、カストレル様がその領地の管理を引き継がれるずっと前に当時の領主のための会議室として建てられたものです。

かつては領主がそこに研究生たちを召集され、それぞれに実際的知識を発表する事に使用されておりました。こんな話を聞きました。その発表会の事です。青年が立ち上がって講堂の中央へ進み出て学長すなわち領主に向かって両手を広げて立ちました。

立っているうちにその青年の姿が変化しはじめ、光輝が増し半透明の状態になり、ついに大きな光の輪に囲まれました。そしてその光の輪に中に高級界からの天使の姿が無数に見えます。学長が意味ありげな微笑を浮かべておられますが青年にはそれが読み取れません。

彼 – 首席代表であり領主のあとを継ぐべき王子のような存在でもあります – が何か言おうと口を開きかけた時です。入口から1人の童子が入って、大勢の会衆に驚いた様子できょろきょろ見回しました。

その子は光の輪の側まで来て、層を成して座っている天使の無数の顔を見つめて気恥ずかしそうにしました。そしてその場から逃げ帰ろうとした時に中央におられる学長の姿が目にとまりました。光と荘厳さに輝いておられます。

瞬間、子供は一切を忘れて両手を広げ満面に笑みを浮かべて学長めがけて走り寄りました。すると学長は両手を下げ腰を屈めてその子を抱き上げ、ご自分の肩に乗せ青年のところへ歩み寄ってその子を青年の膝の上に置き、元の位置の戻られました。

が、戻りかけた時から姿が薄れ始め、元の位置に来られた時は完全に姿が見えなくなり、その場には何もありませんでした。子供は青年の膝の上にいて青年の顔 – 実に美しいお顔立ちでした – を見上げてニッコリと致しました。やがて青年は立ち上がり、その子を左手で抱き、右手をその頭部に当ててこう言われました。

「皆さん、聖書に“彼らを童子が手引きせん”という件(くだり)があります。(イザヤ書11・6)それをやっと今思い出しました。今我々が見たのは主イエス・キリストの顕現(※)であり、聖書の言葉通り、この童子は主の御国から贈られた方です」

そう述べてから童子に向かい「坊や、さっき先生に抱かれて私のところまで連れて来られた時、先生は坊やに何とおっしゃいましたか」と尋ねました。(※これまでの“顕現”と種類が異なり、これは霊界における“変容現象”と見るべきであろう。イエス自身、地上時代に丘の頂上で変容した話がマタイ17、マルコ9に出ている – 訳者)

すると子供は初めて口を開き、子供らしい言い方で大勢の人を前に恥ずかしそうにしながらこう言いました「僕が良い子をしてお兄さんの言いつけを守っていたら時々あの先生がこの都市と領土のためになる新しい事を教えて下さるんだそうです。でも僕には何の事だかよく判りません。」

それは青年も他の生徒たちも最初のうちは判りませんでした。が青年が閉会を宣し、その子を自宅へ連れて帰ってその意味を吟味しました。その結果辿り着いた結論は、あれはエリとサムエルの物語(サムエル書1・3)と同じだという事でした。

そして事実その結論は正しかったのです。その後その子は研究所やカレッジの中を自由に遊びまわる事を許されました。少しも邪魔にならず、面倒な質問もせず、反対に時折厄介な問題が生じた時などにその子が何気なく口にした言葉が問題解決の鍵になっている事があるのでした。

時がたつにつれて、この事があの顕現のそもそもの目的だった事が理解できました。つまり子供のような無邪気な単純さの大切さを研究生たちは学んだのです。特殊な問題の解決策が単純であるほど全体としての解決策にも通じるものがあるという事です。

他にも学生達がその“顕現”から学んだものは色々とありました。例えばキリスト神は常に彼らと共に存在する事、そして必要な時はいつでも姿をお見せになる事。これはあの時、学生の中から姿を現された事に象徴されておりました。また広げた両手が自己犠牲を意味しておりました。

あの後光が象徴したように、荘厳さに満ちたあのコロニーにおいてさえも自己犠牲が必要なのです。その後あの童子はどうなったか – 彼は例の青年の叡智と霊格が成長するにつれて成育し、青年が1段高い界へ赴(おもむ)いた後、青年の地位を引き継いだという事です。

さて以上の話はずいぶん昔の事です。今でもそのホールは存在します。内側も外側も花で飾られて常によく手入れされております。しかし講演や討論には使用されず礼拝場として使用されております。その都市の画家の1人が例の“顕現”のシーンを絵画にして、地上でも見られるように祭壇の後ろにおいてありました。

そこにおいて主イエスを通しての父なる神への礼拝がよく行われます。それ以上に盛大に行われるのはあの顕現の時の青年が大天使として、今では指導者格となっている例の童子を従え、あの時以降青年の地位を引き継いだ多くの霊と共にそこに降臨する事があります。

そこに召集された者は何か大きな祝福と顕現がある事を察知します。しかしそういう機会に出席できるのはそれに相応しい霊格を備えた者に限られます。一定の段階まで進化していない者にはその顕現が見えないのです。

神の王国はどこも光明と荘厳さに満ち溢れ素晴しいの一語に尽きますが、その中でも驚異中の驚異と言うべきものは、そうやって無限の時と距離を超えて宇宙の大霊の存在が顕現されるという事実です。

神の愛は万物に至ります。あなたと私の2人にとっては、こうして神の御国の中の地上界と霊界という2つの世界の間のベールを通して語り合えるようにして下さった神の配慮にその愛を見る事ができるのです。

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†
霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†■2023年12月13日UP■
「進歩したい気持ちでいっぱいです」霊団以上に僕がそう思ってますよ(祈)†
私の霊団は7つのグループに分かれており、それぞれに特殊な使命があります。愛と叡智と知識の霊たち、洗練された高貴な霊たち、明るく愛想のいい霊たち、この低い地上界の単調であくせくした生活に天上的な光輝をもたらす霊たち、地上界の皆さんとの交わりを通じて低い界から高い界への進化という恩恵に浴さんとして働く霊たち – その霊たちの演出する現象が地上の人間にはまだまだ必要なのです。いずれのグループの霊たちも、みずからも進歩を求めている霊たちです。霊媒に体験と啓発を与え、霊媒と生活を共にし、霊媒とともに進歩せんと志す者たちです。霊媒に教えることによってみずからも学び、霊媒を向上せしめることによってみずからも向上せんとしているのです。われわれのこうした仕事は愛に発する仕事です。それみずからが報酬をもたらすのです。霊媒に祝福をもたらし、霊媒を通じて人類に祝福をもたらし、それがわれわれにとっての祝福となるのです。全能の父なる神の祝福のあらんことを…続きを読む→

2024年1月28日

■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†

はい、復刊できないのに書籍データだけは完成させていくという不毛の作業を続けていますが「ベールの彼方の生活1巻」の表紙として描いた絵をアナログ絵359としてUPです。当分の間はこのようにしてフラーを描かずに書籍表紙の絵をアナログ絵通しナンバーをつけてUPする事になるかも知れません。

この表紙制作にあたりAffinityPhotoのアドオンを多用しています。おかげでかなりの時間短縮につながっています。本当にAffinityPhotoはスバラシイ。で、復刊が実現しなければ人の目に触れる事なくお蔵入りで終わってしまう事になる、巻末掲載の「復刊者コメント」を、再びコチラに掲載させて頂きます。↓

復刊者コメント

僕(たきざわ彰人)は、この「ベールの彼方の生活 全4巻」が本当に大好きなのです。霊界下層界での生活の様子を紹介した書籍は他にもありますが、次元が違うために3次元の物質界の言語などでは到底説明できない上層界での生活の様子を可能な限り詳細に紹介してくれている霊界通信は、現時点で「ベールの彼方の生活」以外にないのではないでしょうか。

この1巻は著者であり霊媒でもあるオーエン氏の、既に帰幽されたご母堂からの通信が大半を占めており、2巻、3巻、4巻と比べると軽視される傾向があるのかも知れません。しかし僕は読み進めるほどにご母堂の語る内容の深遠さに激しく胸を撃たれるのです。

ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。

あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。

っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです。

アナログ絵263_3small

僕は守護霊様におケツをひっぱたかれた記憶はないなぁ。霊性発現後に守護霊様が僕の守護の任から一時的に外れ、代わって「100の光の霊団」の管轄に切り替わってからは、その導きの方向性がキビシすぎてすっかり心が怒り憎しみに包まれてしまっているのです。が、このお話は長くなりますので割愛させて頂きます。

守護霊様についてはたくさんブログを書いていますが、ご参考までにコチラを紹介させて頂きます↓

「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
wp.me/pa9cvW-67H

上記のご母堂の言葉を僕に当てはめるなら「人間に死はなく帰幽後も霊界で永遠の向上の生活を送る」という霊的知識を完全に理解した事によって物質界の邪悪に何ら恐怖心を抱く事がなくなった、それで「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を長年にわたって公言する事ができているという事になります。「霊的知識を理解すると勇気ある行動に出る事ができる」僕は図らずもこの状態をやらされてしまっているという事になります。

あと、6章のアストリエル霊ですが、できればもっと天体の事についてお話して頂きたかったですね。しかしこれについても「物質界の人間に軽々しく知識を教えてはならない」という霊界側の厳格な決まりがあるそうで、あくまで物質界の人間みずから刻苦努力してその秘密を探り当てねばならないのだそうです。

その努力の方向性で僕が経験から思う事は「物的努力」よりも「霊的努力」によって秘密を探り当てるのだろうという事です。その、霊界側が明かさずにいる秘密、秘奥というのはもちろん「霊的秘奥」のはずですから物的肉眼には映じず、いかなる物的機器をもってしても計測できない性質のものでしょう。霊的方法でその秘密を解明しなければならないという事だと思うのです。

さぁ、僕は70冊超の霊関連書籍を何とか復刊させようとしていますが、単純に作業量が殺人的すぎて僕の物質界生活中に全ての作業を完結させられないだろうという思いと、もうひとつ物的事情によって実現を阻まれるというふたつの理由で、全ての書籍の復刊は叶わないものと予測しますが、できるところまではやるつもりです。

僕はこれらスピリチュアリズム関連の書籍群を「人類の宝」だと思っていまして(この僕の考えには多くの方が共感して下さるものと信じますが)絶版状態を回避させて未来、後世にこの正しい霊的知識を伝え残さねばならないと強く思っています。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はありませんので、既存の霊関連書籍の復刊が「霊的知識普及プライオリティ最上位」の作業という事になります(祈)†


ベールの彼方の生活1巻表紙テスト01-line-small

※オマケ – 表紙の線画の原画をUPです。僕は「イエス様ハンドリング」と銘打って霊的使命遂行を長年にわたっておこなっている関係で、イエス様の絵も多数描いています。(WordPressの中の「アナログ絵」からご覧頂けます)現在は全然なくなりましたが、霊性発現初期の頃は何度も何度もイエス様のお顔の顕現に浴させて頂きました。

(※その顕現の最大のモノはブログで何度も書いています「イエス様の怒涛の連続顕現」でした。物質界に籍を置く人間として、これ以上の光栄はないのではないでしょうか。もっともそこから僕の苦悩の人生が始まってしまったので良いやら悪いやらといったところなのですが…)

僕が描くイエス様の絵は、一応その顕現の時に拝したお顔を参考にして描いているのですが、僕が描くとどうしてもキャラキャラしてしまって威厳のようなものがありません、そこが宜しくありません。とはいえ僕はこういう絵柄ですので開き直って描くしかありません。

イエス様を描き始めた当初はもちろん“恐れ多い”気がして描くのを渋ったものですが、もう年月が経過していて、さらに霊団に対してだいぶムカついているという事情もありまして、イエス様もその他の方々もほぼ抵抗なくジャンジャン描くようになりました。アウトプットしなければいけませんのでもう四の五の言ってられないのです。

ももちゃん、シルキーはもはや霊的使命遂行メインキャラクターといっても過言ではない状態になっており、今後もツートップで描き続ける事になるでしょう。まぁ霊体の僕(ハタチの空気感)を前面に出すより100倍イイでしょう。ま、時々は僕も書籍表紙に登場させるかも知れませんが…(祈)†

70冊超の絶版状態の霊関連書籍の復刊が実現する事を祈ります。もっと言うと僕という霊媒が機能して新規の霊言が降り、それを隔週、月刊ペースで書籍化できるようになれば理想形なのですが、僕の物質界生活中にその日は訪れないでしょう。とにかく作業だけは続行中、書籍データをAffinityPublisherにて作り続けます(祈)†

■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→

アナログ絵358

全く復刊できる見込みがないまま70冊超の霊関連書籍の全ページスキャン、OCR変換と作業をおこなって間もなく2年が経過しようとしています。さらに見直し完了している完成版テキストをAffinityPublisherに流し込んで書籍データとして完成させるところまでやっていますが、それでも復刊だけが実現させられずにいます。

ちなみにこの表紙に描きましたインペレーター霊は「霊的人類史は夜明けを迎える」に掲載されています「インペレーター霊の霊視スケッチ」を参考にして僕なりに現代風のキャラとして描いたものであり、実際のインペレーター霊とは似ても似つかない僕の勝手な想像図という事をご理解下さい。

で、復刊できない可能性もありますので、この際ですから「復刊者コメント」として巻末に掲載しているテキストをコチラに抜粋してしまいましょう↓

復刊者コメント

現在、僕は正真正銘とされる霊関連書籍を70冊以上所持していますが、それらがことごとく絶版状態であり「このままでは霊的知識が物質界から消滅してしまう」という危機感を抱き、それら書籍をデジタルデータ化する事を決断して作業を開始しました。2022年5月頃の事です。

このテキスト執筆時点で書籍のスキャン開始から1年半以上が経過していますが、ほぼ70冊の書籍の全ページスキャン、OCR変換まで完了しています。しかし、このOCR変換テキストには複数の問題があり、それを目視で修正していかねばなりません。これが地獄の作業で、僕の物質界生活中に全ての書籍のテキスト修正を終える事はできない可能性が濃厚です。

さらにまだ数冊未入手の書籍があり、それら全てのテキスト化が完了するにはまだまだ時間がかかります。絶望感が漂ってきますが、できるだけの事はやろうと思っています。

皆さまは「こんな古い書籍を復刊して何になるのですか?」とお思いになるのかも知れません。しかし霊的真理を知識としても体験としても獲得している僕から言わせて頂くならば「新しい、古いって何ですか?」という事です。

皆さまが抱いておられる「新しい、古い」の概念は、この丸い天体の回転によって生じる物質界のみの物的時間感覚を基準として考え出されえた概念です。そもそも霊界には時間の概念がありません。そして3000年前から物質界人生を体験していた方々が帰幽して全員霊界で生活しています。人間に死はないのです。霊界で永遠に生き続ける存在なのです。

たとえばシルバーバーチ霊は、3000年前に物質界で生活していた方だそうですが、間もなく地球圏霊界を脱出してさらに進化した惑星圏に進出する寸前の霊なのだそうです。この【神】が経綸する宇宙全体の中で、僕たちが現在在籍している地球という惑星は海岸の砂の一粒であり、しかも宇宙全体の中で霊的進化のレベルが最低ランクなのだそうです。

この先にはるかはるか進歩した、物質界の言語などでは到底表現できない荘厳を極めた美しい生活の場が待ち受けているというのに、最低ランクの物質界の事象、永遠の中のホンの一瞬在籍しているだけですぐ帰幽して離れる場所で起こる事象にのみ注目し、永遠の生活の場の事が全く頭に入っていない方々が「新しい、古い」という概念を抱くのではないでしょうか。

よほど進歩が足りない人間をのぞいて(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が進歩が足りない人間の筆頭となります)たいていの人間は帰幽したが最後、物質界などという最低界とはすっかり縁が切れて、霊的進歩向上の生活に勤しむ事になります。

はるかはるか美しい境涯、生きがいに満ちた人生、心通い合う同胞の方々、そして向上を促し鼓舞して下さるイエス様を筆頭とした高級霊の方々。それら霊的事象に比べれば物質界で起こる出来事など陳腐の極致であり、破裂して消滅するシャボン玉のひとつにすぎません。

もっとも物質界は「試練の境涯」であり、その試練を味わい尽くし克服して初めて霊格が高まり、上層界に赴く資格を得る事ができます。そういう意味では物質界を最低界だからと言って軽視し試練を回避するような事があってはいけません。

その試練に身を晒す勇気のない者たちがいわゆる「地縛霊」となって下層界に大量にたむろしているのです。僕たちはそうならないように物質界生活の苦しい事から逃げずに立ち向かわなければならないのです。口でキレイごとを言うのと実際にそれを体現するのとでは天と地ほどの差がありますが…。(※現在の僕はそれを味わわされている真っ最中…)

これら霊的知識を全く知らない方々が「こんな古い本はいらない」と無知から軽蔑するのでしょう。しかし、古いなどとんでもない、プライオリティが全く違います。全ての人間の帰幽後の霊的人生に役立つ、人間が絶対に知らなければならない最重要の知識の宝庫です。

なぜなら人間全員が100%霊界生活に突入するからです。イヤ、そもそも僕たち人間本来の生活の場が霊界なのであり、物質界とは修行のために一時的に降下させられるだけのトレーニングセンターなのです。ですから自分が本来生活する場所について事前にお勉強しておけば、それだけ帰幽後に進歩向上がスムーズになるという事です。

インペレーター霊、シルバーバーチ霊はじめ、多くの高級霊の方々が物質界に霊言を降らせて下さっています。霊界上層界で生活している高級霊の方々は霊格が高すぎるために物質圏付近まで降下する事さえできません。それでも可能な限り降下し、中継者を介して最低界の人類のために仕事をして下さっています。

永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。

その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。

自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。

その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。

これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう。

自分という存在がどうやって生かされているのか、どこからやってきてどこへ帰っていくのか、帰った先に(霊界)どんな生活が待ち受けているのか、物質界でのおこないが帰幽後の霊界人生にどのような影響を及ぼすのか、【神】と僕たちとはどういうつながりになっているのか。

これら霊的知識をお勉強するための正真正銘の教材が物質界には極端に不足しているのです。ですので僕がおこなっている「復刊」の作業は、十分に「霊的知識普及」の一助になっているのではないかと考えます。少なくとも僕が物的脳髄で書く書籍より価値がある事だけは間違いないでしょう。

霊団の目的は別にあるようで、僕のこの「復刊」の作業をあまり好意的には受け止めていない様子ですが、僕はいま自分にできる限りの事をやるつもりです。僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくる事はない、僕はそう思っていますので、復刊が霊的知識普及プライオリティ最重要だと考えるのです。

よほど霊団にダメ出しを喰らってやめさせられる事でもない限り、復刊の作業を続行するつもりです。というのも書籍のテキストデータ化はだいぶ進んでいるからです。ここまでやったのですから、物質界に残されている限り復刊の作業を続行しましょう、70冊全ての復刊はまずムリでしょうが。

2024年1月1日

山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(祈)†

たきざわ彰人ブログ(2024年1月時点で1200日以上連続更新中)
akito-takizawa.com/

インペレーターの霊訓表紙テスト02small

※おまけ – こちらは表紙の線画の原画となります。12ページに掲載しているインペレーター霊の霊視スケッチを参考にして、僕なりに現代風なキャラとして描いてみました。もちろんインペレーター霊本人とは似ても似つかないでしょう。

もっともインペレーター霊ほどの高級霊となれば形態を超越していますから、このような物的外観などは物質界の人間に顕現して見せる特別の事情でも発生しない限り、まとう事はないでしょう。

ももちゃん、シルキーは、僕が「イエス様ハンドリング」と称して果てしなくおこなっている霊的使命遂行の中で描き続けているキャラクターです。詳しくはブログ(WordPress)をご覧頂きたいと思います。

もうひとつ所感ですが、インペレーター霊の頭部の「王冠」を、あえて線画には描きませんでした。というのもインペレーター霊はこの王冠を日常的にはかぶっておられないだろうと予測したからです。

そう思う根拠は、完全物質化現象で有名な「ケーティ・キング霊」(※クルックス博士の実験会に出現した女性霊)の“名前”にあります。この物質化霊の女性の名前はもちろんケーティ・キングではありません。クルックス博士および物質界の人間に向けて名乗った仮の名前です。

この「キング」という名前、そしてインペレーター霊の頭部の「王冠」これらは物質界の人間に霊的なモノを理解させるため、霊的なモノを子バカにさせないための霊界側の作戦だったのではないかと僕は予測していまして、それでインペレーター霊もモーゼス氏および霊団メンバーに顕現する時のみ王冠をかぶっていたのであって、普段はそのようなモノは身に着けていなかったのではないかと思ったりするのです。

霊格が高ければ高いほど謙虚を身につけていますから、なおさらそのようなモノ(王冠)をかぶろうとは思わないはずですし、ましてやインペレーター霊ほどの高級霊となれば【神】を間近に拝する機会を得ているはずですから、その神を差しおいて王冠などとんでもない、むしろ脱帽して神に低く頭を垂れるはずだ、そう思って線画には描かなかったのです。

(※実は最初は描いていたのですがちょっとダサかったので描くのをやめた、という事情もありましたが…)僕はデザインの人間ですので絵を描かない訳にはいかないのです。ですのでインペレーター霊をキャラ化するのは宜しくないかも知れないと思いつつも、このように描かせて頂いた、という経緯です。


復刊者
山を愛する霊覚者 たきざわ彰人(アキト)

元画家、漫画家。果てしない山へのアタックおよび高負荷の画家作品描画によって霊性発現となりました(2012年6月)イエス様の怒涛の連続顕現(2013年4月)に浴させて頂き、イエス様のご意志に従い霊的知識普及の使命遂行中です。イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)により「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子の存在を公言し続け、休みなく情報拡散を続けて現在に至る(祈)†


2024年1月1日 初版第1刷発行

著者 W・S・モーゼス
訳者 近藤千雄
復刊者 たきざわ彰人
発行者 たきざわ彰人
印刷所 〇〇〇

ISBN 000-0-000000-00-0
(c)Akito Takizawa Printed in Japan